【トビリシ小谷守彦】グルジア南オセチア自治州に軍事介入したロシア軍が、南オセチアでは少数派のグルジア人が多く住む村を無差別に攻撃した疑いが出ている。首都トビリシに避難しているグルジア人らが証言した。
無差別攻撃があったとされるのは、州都ツヒンバリから北7キロの村クルタ。南オセチア全体では住民の7割がオセット人で、グルジア人は3割と少数派だが、人口1800人のクルタはグルジア人が8割を占める。南オセチアの独立反対派でつくる「暫定政府」は、この村に拠点を置いていた。
トビリシに避難した暫定政府メンバーの妻ナナ・ハチャポリビさん(47)によると、戦闘が始まった8日、ロシア軍兵士がクルタにやってきた。ナナさんは「兵士らは各民家で略奪行為をし、続いてロケット砲や戦車で民家を破壊し尽くした」と話した。村はほぼ壊滅し、ツヒンバリへの主要道路がロシア軍に占拠されているため、住民らは草原を逃げまどって州境を越えた。
ナナさんは現在、トビリシ北部グルダニ地区の幼稚園を代用した避難民収容所にいる。グルジア人が多く住む村から逃れた約200人が生活しているが、ロシア軍に村を追われ、自宅を破壊されたという同様の証言が他にも複数あった。
避難民らによると、グルジア兵士がほぼ銃だけに頼っていたのに対し、ロシア軍は近代的な装備で優勢に立っていた。グルジア兵の多くは草原に身を潜めていたという。ロシア側は南オセチアに進攻したグルジア軍が残虐行為をしたと主張しているが、ナナさんは「ロシア軍がやってきて大勢の村民が死んだ。それが事実。だから私たちはここにいるのだ」と怒りをあらわにした。
【アラギル(ロシア南部・北オセチア共和国)杉尾直哉】グルジア南オセチア自治州を舞台にしたロシアとグルジアの軍事衝突で、3万人以上が北隣のロシア領・北オセチア共和国に逃れたとされる。このうち、約1000人が収容されたアラギルの難民キャンプに12日、入った。命からがら逃げてきた人々は、グルジア軍の戦車が老人や子供たちをひき殺し、無差別に住民に発砲した様子を語り、「大虐殺だ」と涙ながらに訴えた。
南オセチアの州都ツヒンバリ郊外に住んでいたオセット人のリョーリャ・モスコリツォワさん(71)は、「私が逃げようとしたのは」と語り始めたとたん、声が詰まり、話ができなくなった。鮮明な恐怖の記憶がよみがえったのだ。
8日朝、リョーリャさんの自宅アパートの外にグルジア軍の戦車が現れた。1階の窓から見えたグルジア兵が突然、銃を撃ってきた。家に火が放たれ、銃撃の中、娘や孫たちと防空壕(ごう)まで逃げた。数日、ざんごうの中に身を隠していたが、ツヒンバリをロシア軍が制圧した後、護衛付きのバスで8時間かけてロシア側へと避難した。
リョーリャさんは、「いままでグルジア人とは仲良くしていた。なぜこんなことになるのか分からない」と言って涙を流した。
リョーリャさんの孫で大学生のインガさん(18)は「家に帰りたい」という。9月に大学2年生の新学期が始まるはずだったが、校舎は爆撃でめちゃめちゃに破壊され、今後どうなるかは分からない。
アラギルのキャンプで難民支援をしているスベトラーナ・コズレワさん(55)は、「サーカシビリ(グルジア大統領)はヒトラーだ。これをジェノサイド(大虐殺)と呼ばずして何というのか」と声を荒らげた。
近くの病院には、爆風でショック状態となったイゾリダ・ツハベゴワさん(48)が入院していた。イゾリダさんは「多連装ロケット弾が私たち住民の上に次々と降ってきた。(破壊された建物の)がれきの下にはたくさんの人々が埋もれたままになっている。どれだけ死者がいるかも分からない」と話した。
ロシアとグルジアは12日、和平案に合意した。だが、イゾリダさんは「あんなひどい仕打ちをしたグルジア側が簡単に攻撃をやめるのだろうか」という。ほかの難民も誰もが疑心暗鬼だった。
毎日新聞 2008年8月14日 東京朝刊