大学教授になった不登校児 −「傷心キッズ」に贈る応援歌−(久保治雄 著/第三文明社)  

本書の主人公は、慶応大学の小林節法学部教授である。小林教授は憲法学を専攻する博士であると同時に弁護士でもある。平成7年の宗教法人法の改正論議に際して、「憲法は信教の自由を定めているのであって、そのために政治権力が宗教に介入することを禁ずる『政教分離原則』がある。宗教法人法で宗教団体を取締まるのは憲法違反である」として改正反対の論陣を張った数少ない学者の一人である。教授の正義感と反骨精神がどこからくるのか、本書を読めば自ら明らかになる。

小林教授は、いつも左手の義手の上に白手袋をつけて講演される。彼の左手には生れつき指がない。母の京子さんは、幼い小林少年から「左手の指、いつ生えてくるの」と聞かれるたびにただ困惑して涙を流したという。障害が原因で、小さいときからいつも「いじめ」と隣り合わせだった彼を優しく支えてくれたのは母と姉だった。そのため彼は卑屈にも陰気にもならずにすんだ。愛された人間ならばこそ愛し方も知っているし、前向きにもなれるのである。

小学生のとき、弁護士になりたかった小林教授の志望は、中学生になってから検察官に変わった。彼の正義感は子供のときから法曹界を目指させていたのである。しかし、名門新宿高校に入学してからしばらくして、彼は「不登校児」になってしまった。同校の伝統である猛勉にどうしてもついていけなかったのである。ある朝、歌舞伎町をうろうろしていた小林少年は婦人警官に呼び止められ補導された。この事件が彼の一つのターニングポイントとなった。

高校卒業の半年前に、慶応大学法学部に進学しようと決めた小林少年は、それから受験科目にターゲットを絞り込み、猛烈な勉強を続け当初の予定通り一浪して慶応の法学部に合格することができた。大学に入ってからの彼の勉強には一層の拍車がかかった。ハーバード・ロー・スクールに留学してアメリカ流の憲法学を身につけた小林教授は、平成元年に念願の教授昇進を果たす。

小林教授は誰もが不登校を乗り越えられるとして、次のように述べられている。

「大学教授になるくらいだから、この人はぼくたちとはそもそも出来がちがう―と思われたら、この本を出した意味はない。私自身、一念発起して不登校をやめてからも、『自分が不登校児だった』という負い目からはなかなか逃れられなかった。いまになって見れば不登校など、どういうこともなかった。思春期にかかる麻疹のようなものでしかなかった。勉強は当然遅れたが、それもあとで懸命に勉強することで取り戻せた。不登校を心の負い目にしてはならない。『いま挫折しても、またやり直せる』のです。人生は長い長いリーグ戦である。一回負けたからといって、それで終わりではない。最後に勝つことを考えた方がいい。」

【著者略歴】久保治雄(くぼ はるお)1943年東京都に生まれる。近畿大学法学部卒業。CANADA・BURNABY・COLLEGE評議員・講師。岸和田ビジネス専門学校・国際交流センター所長。慶應義塾大学・現代行政研究会研究委員。

— posted by orion at 02:04 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

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