2005年読書録  ホーム

2005年12月  

No 題名 著者 出版 ■→そのまま引用  ●→抜粋、要約
1

沙中の回廊 上

宮城谷昌光

文春文庫
文庫版初版2004年12月10日

春秋時代、晋の士会を主人公とした小説。

2

沙中の回廊 下

宮城谷昌光

文春文庫
文庫版初版2004年12月10日

下巻は、晋と楚の戦いが主となる。

3

この命、なにをあくせく

城山三郎

講談社文庫
文庫版初版2005年9月15日

 月刊誌『本』に連載されていた随筆を一冊にまとめたもの。題名は、島崎藤村の『千曲川旅情のうた』の一説、「昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ この命なにを齷齪 明日をのみ思ひわづらふ」からとったとのこと。城山さんの題名のつけ方は本当に素晴らしいと思う。

4

何もいいことがなかった日に読む本

中谷彰宏

PHP文庫
文庫版初版2005年7月19日

寂しい名前の本です。

5

スピード整理術

中谷彰宏

PHP文庫
文庫版初版2003年2月17日

ものを捨てなさい、という内容です。

6

老いは生のさなかにあり

津本陽

幻冬舎文庫
文庫版初版2005年3月31日

親鸞、北条早雲、毛利元就、徳川家康、松下幸之助など長寿の人の人生を語った著書。

■毛利家文書
 謀りごと多き者は勝ち、すくなき者はかならず負ける。(60頁)

●伊勢新九郎は、60歳のころ韮山城の北条氏の養子となった。(101頁)

7

漢詩への招待

石川忠久

文春文庫
文庫版初版2005年10月10日

なんと漢詩の対訳が七五調で書いてあるではないか。

 

2005年11月  ホーム

No 題名 著者 出版 ■→そのまま引用  ●→抜粋、要約
1

深夜特急 1
―香港・マカオ―

沢木耕太郎

新潮文庫
文庫版初版1994年3月25日

 1974年から1975年にかけて、著者が日本からロンドンまで旅をしたときの記録。単行本は1986年に出版されている。旅をする人には有名な本。

 高校か大学のときに読んでおきたかった、と思いながら読みました。

■ミッドナイト・エクスプレスとは、トルコの刑務所に入れられた外国人受刑者たちの隠語である。脱獄することを、ミッドナイト・エスクスプレスに乗る、と言ったのだ。

第一章 朝の光 …発端

第二章 黄金宮殿 …香港

第三章 賽の踊り …マカオ

2

深夜特急 2
―マレー半島・シンガポール―

沢木耕太郎

新潮文庫
文庫版初版1994年2月25日

第四章 メナムから …マレー半島T

第五章 娼婦たちと野郎ども …マレー半島U

第六章 海の向うに ・・・シンガポール

3

深夜特急 3
―インド・ネパール―

沢木耕太郎

新潮文庫
文庫版初版1994年4月25日

 文章の素晴らしさ、情景の素晴らしさ、このインド編を一番気に入っています。

第七章 神の子らの家 …インドT

第八章 雨が私を眠らせる …カトマンズからの手紙

第九章 死の匂い …インドU

4

深夜特急 4
―シルクロード―

沢木耕太郎

新潮文庫
文庫版初版1994年4月25日

第十章 峠を越える …シルクロードT

第十一章 柘榴と葡萄 …シルクロードU

第十二章 ペルシャの風 …シルクロードV

5

深夜特急 5
―トルコ・ギリシャ・地中海―

沢木耕太郎

新潮文庫
文庫版初版1994年6月1日

1992年に刊行された『深夜特急 第三便』の前半部分。第二便から6年を経ての出版である。

第十三章 使者として …トルコ

第十四章 客人志願 …ギリシャ

第十五章 絹と酒 …地中海からの手紙

6

深夜特急 6
―南ヨーロッパ・ロンドン―

沢木耕太郎

新潮文庫
文庫版初版1994年6月1日

第十六章 ローマの休日 …南ヨーロッパT

第十七章 果ての岬 …南ヨーロッパU

第十八章 飛行よ、飛行よ ・・・終結

 読み終えて、僕はアジア人だから、コーヒーではなく、お茶を飲もうと思うようになりました。

7

ローマ人の物語17
悪名高き皇帝たち[一]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2005年9月1日

第一部 皇帝ティベリウス(在位、紀元14年9月17日〜37年3月16日)

●ティベリウスは、紀元27年から死までの10年間、このカプリ島からローマ帝国を統治し続けた。(20頁)

■カエサルが青写真を引きアウグストゥスが構築したローマ帝国は、このティベリウスの統治を経て磐石になっていくのである。(20頁)

●アウグストゥスにしてみれば、ティベリウス(55歳)は、ゲルマニクス(28歳)が皇帝に就くまでの中継ぎにすぎなかった。(28頁)

■財政再建は、ティベリウスにとっては急務だった。そして、税金の値上げなしでそれを実現しなければならない彼にとって、緊縮財政しか道はなかったのである。(103頁)

■ローマ人の統治の基本路線が「分割し統治せよ」(Divide et impera)であったことは有名だ。(124頁)

●ゲルマニクスの死には、シリアだけでなく全オリエントが、味方には優しく敵にも寛容であったこの若将の死を愛惜した。(151頁)

●ティベリウスは、ガリア全域から「ドゥルイデス」を追放した。ガリアの民族宗教の祭司たちは、ブリタニアに逃げて行くしかなかった。(187頁)

8

ローマ人の物語18
悪名高き皇帝たち[二]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2005年9月1日

第一部 皇帝ティベリウス(承前)(在位、紀元14年9月17日〜37年3月16日)

●人間ならば誰でも、リモート・コントロールされるよりは陣頭指揮されるほうを好むものなのだ。(25頁)

第二部 皇帝カリグラ(在位、紀元37年3月18日〜41年1月24日)

■ティベリウスの死去とカリグラの登場を、ローマ帝国の中でもとくに本国イタリアと首都ローマの住民たちは、長く沈鬱な冬の後の春の訪れのような喜びで迎えたのである。(96頁)

●カリグラは、先帝ティベリウスの遺言ではカリグラと同格の皇位継承権を与えられていたゲメルスを殺させた。(121頁)

●カリグラの発案で、プロの剣闘士の一対一の試合が、プロに対するに重罪人というアマチュアの取り組みに変わったのである。(125頁)

■ローマ軍は、兵站で勝つと言われたほどで、補給線の確保は司令官にとって最重要な任務とされていた。(155頁)

■紀元41年1月24日、皇帝ガイウスは殺された。(219頁)

9

ローマ人の物語19
悪名高き皇帝たち[三]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2005年9月1日

第三部 皇帝クラウディウス(在位、紀元41年1月24日〜54年10月13日)

●イギリスの学者たちの好む言い方に換えると、イギリスはローマ世界に入ったことで、ゲルマン人のような蛮族ではなくなった、となる。(60頁)

●ローマ世界では、奴隷の方が、出生で差がつく自由市民よりも、より厳しく能力が問われる競争世界であった。(141頁)

10

ローマ人の物語20
悪名高き皇帝たち[四]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2005年9月1日

第四部 皇帝ネロ(在位、紀元54年10月13日〜68年6月9日)

■皇帝に就任した当時、ネロは、16歳と10ヶ月でしかなかった。責任ある公職に就くのは30歳からとされていたローマでは、異例に若い皇帝の出現である。(16頁)

●ネロによる母親アグリッピーナ殺しは、セネカが苦労して、国家反逆罪による死という形にして公表された。(84頁)

■ローマ人にとっての肉体訓練とは、大人になるまでの肉体をつくるためで、大人になって以後も熱中するものではなかったのである。(90頁)

■イギリスとアイルランドは、プロテスタントとカトリックで分かれるずっと以前に、ローマ世界と非ローマ世界で分かれていたのだった。(101頁)

■ネロがアルメニアのティリダテスの頭上に王冠を置いた日から三年後、誰からも見放されたネロは自殺する。(144頁)

■誰からも見捨てられたネロに最後まで付きそったのは、わずか4人であったという。(214頁)

11

ローマ人の物語21
危機と克服[上]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2005年10月1日

はじめに

■タキトゥスの歴史観が、ローマ帝国に対する後世の評価を決定した。ネルヴァ、トライアヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリスを、後世は「五賢帝」と呼ぶようになるのも、タキトゥス史観の影響力の根強さを示している。(18頁)

■ローマ人の歴史とは、「危機と克服の歴史」と言い換えてもよいとさえ思う。(21頁)

第一章 皇帝ガルバ(在位、紀元68年6月18日〜69年1月15日)

●紀元68年6月9日、皇帝ネロは死んだ。スペイン駐屯の軍団によって皇帝に推挙されたガルバが、軍団を率いてローマに進軍してくると聴いただけで、元老院はガルバを「第一人者」と認めた。(30頁)

●紀元69年1月15日、ローマの中心フォロ・ロマーノで、皇帝ガルバは乗っていた輿から引きずり降ろされて殺された。(62頁)

第二章 皇帝オトー(在位、紀元69年1月15日〜4月15日)

●紀元69年4月15日、第一次ベドリアクム戦でオトー軍がヴィテリウス軍に敗れたことを知ると、オトーはその日に自死した。(110頁)

第三章 皇帝ヴィテリウス(在位69年4月16日〜12月20日)

●ローマは1年のうちに3人の皇帝の死を経験した。

12

ローマ人の物語22
危機と克服[中]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2005年10月1日

第四章 定刻の辺境では

 バダヴィ族のユリウス・キヴィリスがゲルマンを率いてローマに対して反乱を起こしたが鎮圧された。

●紀元66年に勃発し73年の春にマサダの玉砕で終結する「ユダヤ戦役」は、ローマ帝国内に住む属州民が覇権者ローマに反抗して起こした独立運動ということならば、バダヴィ族の反乱からはじまったガリア帝国創設事件と同じ意味をもつ。だが、両事件の内実はまったくちがった。(84頁)

●ローマ人にとっての休日は、神々に捧げる祭日であって、一週間に一度定期的にめぐってくる休日ではない。そのローマ人にしてみれば、土曜日に仕事を休み神に祈るユダヤ人は奇異に映った。(91頁)

●(ユダヤ戦役)イェルサレムは、五ヶ月におよんだ激戦の末に陥落した。(132頁)

第五章 皇帝ヴェスパシアヌス(在位、紀元69年12月21日〜79年6月24日)

●現代でも、都市ローマをイラスト一つで表現したいと思えば、誰でもコロッセウムともってくるだろう。これを建設させたのが、ヴェスパシアヌス帝である。(198頁)

■ローマ帝国は意外にも、あの広大な領域を統治していたにしては官僚王国とは化していない。多くのことを、徴税事務までもふくめて民間に委託していたからではないかと思う。首都ローマでさえも、官庁街のような一郭は存在しなかった。(214頁)

13

ローマ人の物語23
危機と克服[下]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2005年10月1日

第六章 皇帝ティトゥス(在位、紀元79年6月24日〜81年9月13日)

 紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火の犠牲者は、2千人とも5千人とも言われている。犠牲者のほとんどは、サージによる窒息死であった。

第七章 皇帝ドミティアヌス(在位、紀元81年9月14日〜96年9月18日)

●ドミティアヌスは、属州統治者の不正を何にも増して嫌った。(100頁)

フラヴィウス一門と皇后ドミティアにより、皇帝ドミティアヌスは暗殺された。

第八章 皇帝ネルヴァ(在位、紀元96年9月19日〜98年1月27日)

■ネルヴァからはじまる5人の皇帝を、後代は五賢帝と呼ぶようになる。(186頁)

14

秦の始皇帝

陳舜臣

文春文庫
文庫版初版2003年8月10日

秦の始皇帝とその時代について述べた本。

 始皇帝が現れなかったら、今の中国はヨーロッパのように分裂していた、と言われる。

●戦国の末期に孟子が現れ、王道・覇道説が盛んになった。(39頁)

●坑儒
 現在では、坑儒はなかったというのが定説になりつつある。殺されたのは儒者ではなく、方士であった。儒教を国教とした漢の時代に、始皇帝を悪人にしたてるために儒者を殺したことに摩り替えられたらしい。(104〜106頁)

15

なぜ彼女に「気品」を感じるのか

中谷彰宏

PHP文庫
文庫版初版2005年6月17日

単行本としては、2004年に『オードリーになれる50の小さな習慣』という題名で出版されている。

オードリー・ヘプバーンになるためには、・・・という話が掲載されている。

■人間は、ほめられた時に初めて、忠告を聞く余裕が生まれます。(144頁)

16

出会いにひとつのムダもない

中谷彰宏

PHP文庫
文庫版初版2004年8月18日

1998年にダイヤモンド社より刊行された著書の文庫版。

PTAではサラリーマンが一番嫌われるとのこと。父兄同士のつきあいにも上限関係を作りたがるらしい。

 

 

 

 

2005年10月  ホーム

No 題名 著者 出版 ■→そのまま引用  ●→抜粋、要約
1

西行・山家集

井上靖

学研M文庫
文庫版初版2001年10月19日

 本書は、1981年、学習研究者より出版された『現代語訳・日本の古典9/西行・山家集』を文庫化したもの。

■鳥羽院に出家のいとま申し侍るとて詠める
 惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは
   身を捨ててこそ身をも助けめ (13頁)

■白峰と申しける所に御墓の侍りけるにまゐりて
 よしや君昔の玉のゆかとても
    かからむ後は何にかはせむ (93頁)

■東の方へ修行し侍りけるに富士の山を見て
 風になびく富士のけぶりの空に消えて
    行方も知らぬわが思ひかな  (141頁)

■心なき身にもあはれは知られけり
    鴫立つ沢の秋の夕暮  (162頁)

2

李香蘭 私の半生

山口淑子、藤原作弥

新潮社
初版1987年7月20日

 李香蘭の視点から記された昭和史。

●淡谷のり子(44頁)
 すでにブルースの女王であった淡谷のり子は、奉天で道に迷ったとき偶然、当時無名だった李香蘭(山口淑子)の家にたどり着き、助けてもらった。

●李香蘭 リイ・シャン・ラン(46頁)
 山口淑子は、父山口文雄と親交のあった李際春将軍の義理の娘になったことにより、姓を「李」とし、名は父の俳号をそのままもらい「香蘭」となった。

●森繁久彌(55頁)
 奉天放送局のアナウンサーであった。

●奉天放送局が中国人向けの音楽番組を企画した際、李香蘭という名でデビューした。(55頁)

●私は、北京の城壁の上に立ちます(79頁)
 1936年、日本人であることを隠していた北京留学時代、抗日についての討論の際、李香蘭が発言した言葉。

●山家機関の責任者、山家亨は川島芳子の恋人であったが、その川島芳子から李香蘭は山家亨との仲を疑われることになる。(87頁)

●李香蘭は映画女優になるつもりはなかったが、アテレコだけと行って誘われた新京で上手く騙されて映画女優の道を進むこととなった。(102頁)

●甘粕正彦(128頁)
 関東大震災の際、無政府主義者の大杉栄と内縁の伊藤野枝、甥の橘宗一を虐殺した人物。満映の第二代理事長に就任した早々、女優の待遇を良くした。李香蘭と話をするときは照れくさそうにしていたとのこと。

●吉岡中将
 さまざまな回顧録に悪く書かれているが、李香蘭から見れば好々爺であった。(154頁)

●1944年、李香蘭は甘粕理事長に満映との契約解除を申し入れた。そのときの甘粕理事長の言葉「あなたが李香蘭でいることの不自然さはわたしにもわかっていた。満州国や満映はどうなるかわからないが、あなたの将来は長い。どうか自分の思う道をすすんでいってください。できるなら日本映画界で発展してください。日本で仕事をされるにしても、つらいことが多いにちがいない。くれぐれもからだを大事にして、自分の道を進んでください。」(275頁)

●服部良一は、上海で李香蘭にさせたブギのリズムを戦後の日本でブームにさせた。(291頁)

●李香蘭が漢奸裁判にかけられた際、日本人であることを証明する書類を李香蘭の元に届け、命を救ったのは、幼なじみのロシア人リューバであった。(325頁)

3

「李香蘭」を生きて 私の履歴書

山口淑子

日本経済新聞社
初版2004年12月17日

2004年8月の私の履歴書。『李香蘭 私の半生』以降の出来事も書いてある。

1998年、李香蘭の命を救ったリュバと53年振りの再会。

4

ぶつぞう入門

柴門ふみ

文春文庫
文庫版初版2005年8月10日

エッセイになると明るくなる柴門ふみの『ぶつぞう入門』。

お寺巡りに行ってみようかな、と思わせる一冊であった。

122頁書いてある柴門ふみによる仏教入門はとても良い。
■紀元前6世紀にインドで生まれた王子が修行の後に仏陀となった。これが釈迦。
その釈迦を出現させた宇宙の真理が毘盧遮那仏。よって、釈迦は毘盧遮那の分身とされている。大日如来とも言う。
 釈迦が亡くなって56億7千万年後に現れるのが弥勒菩薩。
 釈迦は過去仏(亡くなったから)、弥勒は未来仏(まだ現れていない)、それに加えて、現在仏がいるらしい。現在、我々は娑婆世界に住んでいる。が、娑婆以外に同時存在する世界があるのだと。その代表が西方極楽浄土であり、そこに阿弥陀如来がいるのだ。(ちなみに東方の浄瑠璃世界には薬師如来がいる)。

 

●不動明王とは大日如来が怒って変身した姿。(67頁)

●新薬師寺の十二神将は一体だけ国宝となっていない。後で作られたため。(93頁)

■仏像見るなら、東寺、三十三間堂、東大寺(柴門ふみの結論 226頁)

 

ぶつぞうに惚れてくれれば夫も安心?

 

 

 

2005年9月 ホーム

No 題名 著者 出版 ■→そのまま引用  ●→抜粋、要約
1

ドラッカー 20世紀を生きて 
私の履歴書

ピーター・ドラッカー著、
牧野洋訳・解説

日本経済新聞社
初版2005年8月8日

MY PERSONAL HISTORY by Peter F. Drucker 2005

2005年2月に日経新聞に連載されたドラッカーの『私の履歴書』。

ドラッカーの父は度々シュンペーターを助けた、ドラッカーはヒトラーやゲッペルスに何度も直接取材をした、ロンドン時代にケインズの講義に出席した、ニューヨーク大学時代にハンガリーから逃れてきたアンドリュー・グローブの就職の世話をした、といったドラッカーの通常の著作では登場しないエピソードが満載であった。

■原稿の書き方
 まず手書きで全体像を描き、それをもとに口述で考えをテープに録音する。次にタイプライターで初稿を書く。通常は初稿と第二稿は捨て、第三稿で完成。要は、第三稿まで手書き、口述、タイプの繰り返しだ。これが一番速い。(18頁)

●ドラッカーの両親が開くホームパーティーの常連客には、シュンペーター、ハイエクがいた。(33頁)

●第二次大戦中、米国陸軍省のコンサルタントとしてパッカード・モーターの経営建て直しを担当した際、品質管理が分かる人間が必要だと思い、政府にいた統計学に詳しいエドワード・デミングを引き抜いた。これをきかっけにデミングはQCの世界へ入っていった。(101頁)

●マネジメントの発明者は誰かと聞かれたら、メアリー・パーカー・フォレットかアルビン・ドッドのどちらかと答える。(130頁)

●私はよく「経営者にとって完璧な秘密兵器があるとすれば、それは何ですか」と聞かれる。そんな時は「アルフレッド・スローンの補聴器です」と答えることにしている。スローンが話をする時には補聴器のスイッチを切らなければならず、そのたびにとてつもなく大きな音が響き渡る。すると、部屋の中のだれもが話をやめ、彼は会議を牛耳れた。(107頁)

2

虚妄の成果主義 日本型年功序列制復活のススメ

高橋伸夫

日経BP社
初版2004年1月19日

日本型年功制について述べた本。

高橋伸夫氏渾身の一作という感がした。成果主義の流れをこの一冊で変えることが出来るかどうか。

■私がこの本で主張していることは簡単なことである。日本型人事システムの本質は、給料で報いるシステムではなく、次の仕事の内容で報いるシステムだということである。(4頁)

●次の仕事で報いることが繰り返されると、仕事内容に加速度的に差がついてくる。昇進・昇格・昇給もその後を追って、それに比例する形で差がついてくる。これは正確な意味での年功序列ではなく、「日本型年功制」と呼ぶべきものなのである。(28頁)

●金銭的報酬による動機づけは単なる迷信にすぎない。仕事の内容による動機づけこそが、内発的動機づけの理論の指し示すところであり、次の仕事の内容で報いる日本型人事システムは、それに合致したものであった。そして、賃金制度は従業員が生活の不安を感じることなく、仕事に打ち込めるような環境を作り出すために設計されるべきであり、「日本型年功制」はそのために生まれたものだった。(46頁)

●マトリックス組織の本質
 命令系統が一元化したワンボス・モデルではなく、ツーボス・モデル。(デイビス=ローレンス 71頁)

●ベンチマーキングは、もともと日本で開発された品質改善ツール。(99頁)

■欠勤・離職(参加の意思決定)と職務満足との間には関係があったが、肝心の生産性(生産の意思決定)と職務満足との間には関係がないことが分かった。(142頁)

■1970年代には、マズローの欲求段階説には科学的根拠はないとの結論が出されている。(165頁)

■将来の見通しさえ立てば、もはや現在の職務への満足すら必要なくなるのである。(189頁)

 

明るい未来が見えていれば、今が辛くても耐えられますよね。

3

自分に出会う旅に出よう

中谷彰宏

PHP文庫
文庫版初版1999年2月15日

 1996年4月にPHP研究所から刊行された『君の生まれた街へ行こう』を改題したもの。

■人は、人生において家族旅行に二度行く。
 一度は、親に連れられて。
 そして、もう一度は、親を連れて。
 ほとんどの人は、二度の家族旅行のはざまにはまり込んでいる。(33頁)

4

笑われた人が、ヒーローになれる。

中谷彰宏

PHP文庫
文庫版初版2004年9月17日

 2001年2月にTBSブルタニカより刊行された『顰蹙のススメ』を改題したもの。

■勝新太郎さんは、クラブに行っても、ホステスさん用の小さなスツール側に座って、みんなの分の水割りをつくっていたそうです。(26頁)

5

獅子は死なず

陳舜臣

講談社文庫
文庫版初版2005年6月15日

 2002年6月に講談社から刊行された『わが集外集』を改題し文庫化したもの。短編集。

 表題となった『獅子は死なず』は、第2次大戦中、インドの独立を目論んだが、昭和20年8月18日に台北にて飛行機事故で亡くなったスバス・チャンドラ・ボーズについての短編。哲学的な人物の多いインドには珍しい英雄的な人物であった、とのこと。

■左氏春秋…『春秋』に記された歴史的記述を詳しく研究する学派
 公羊春秋…なぜ孔子がこの事実を取り上げたかを問題にする。反体制的。
 穀梁春秋…なぜ孔子がこの事実を取り上げたかを問題にする。体制擁護的。(19頁)

●歴史的評価からすればスバス・チャンドラ・ボーズの方がラス・ビハリ・ボーズよりもはるかに重要な人物であったといわねばならない。(152頁)

■(第2次大戦中)新宿中村屋の娘婿となって樋口姓を名乗っていたラス・ビハリ・ボーズが、日本側に推されて、独立連盟の議長となった。だが、モハンシン少将ら国民軍の幹部や、東南アジア在住インド人代表たちは、ビハリ・ボーズを日本の傀儡とみなして、しだいに彼と対立するようになった。(186頁)

6

翔べ! わが想いよ

なかにし礼

新潮文庫
文庫版初版2002年12月1日

 作詞家なかにし礼の自伝。

 なかにし礼著の小説『赤い月』に記されていた満州での出来事の他に、作詞家としての波乱万丈な人生も記されている。

7

古代出雲への旅

関和彦

中公新書
初版2005年6月25日

 幕末、『出雲風土記』に登場する神社を参詣する旅に出た小村和四郎重義。その旅日記を関和彦氏が再現した。和四郎氏も泉下で喜んでいることだろう。

●出雲大社の国造家は、南北朝時代、千家と北島に分かれた。それが明治の初めに千家に一本化された。(216頁)

8

マキアヴェッリ語録

塩野七生

新潮文庫
初版1992年11月25日


●塩野氏の仮説(5頁)
 興隆の要因となったと同じものが衰退の要因となる。

■しかし、君主(指導者)は、それをしなければ国家の存亡にかかわるような場合は、それをすることによって受けるであろう悪評や汚名など、いっさい気にする必要はない。(君主論 67頁)

■君主(指導者)たらんとする者は、種々の良き性質をすべてもち合わせる必要はない。しかし、もち合わせていると、人々に思わせることは必要である。(君主論 67頁)

■なに、人間というものは単純な動物だから、現に眼に見えることに引きずられやすいのだ。これが現実では、だまそうとする者は、だます相手に不足することはないのである。(君主論 71頁)

■君主たる者、酷薄だという悪評を立てられても気にする必要はない。歴史は、思いやりに満ちた人物よりも、酷薄と評判だった人々のほうが、どれほど民衆を団結させ、彼らの信頼を獲得し、秩序を確立したかを示してくれている。(君主論 86頁)

■思慮に富む武将は、配下の将兵を、やむをえず闘わざるをえない状態に追いこむ。(政略論 119頁)

■ゆえに、わたしは断言する。
 同じ権限を与えて派遣するにしても、二人の優れた人物を派遣するよりも、一人の凡人を派遣したほうが、はるかに有益である、と。(政略論 124頁)

■人は、大局の判断を迫られた場合は誤りを犯しやすいか、個々のこととなると、意外と正確な判断をくだすものである。(政略論 169頁)

■自国を大国にしたいと思う者は、あらゆる手段を用いて人口の流入を計ることを忘れてはならない。なぜなら、豊かな人口なしに大国になることはできないからである。(政略論 184頁)

●軍隊には、三種類の軍隊がある。
 第一のタイプは、古代ローマの軍隊だ。このタイプの軍隊の力の源泉は、規律にある。・・・
 第二の型の軍は、ガリア軍が好例を示す。ガリア人は大変に勇猛であったが、彼らの軍には軍規というものが存在しなかった。・・・
 第三のタイプの軍は、現代(16世紀)のイタリアの軍であろう。勇猛心もなければ、規律も存在しないというたぐいだ。このような軍隊は、もつだけでも無駄と言ってよい。(政略論 190頁)

■サルティウスが、その著書の中でユリウス・カエサルに語らせている次の言葉は、まったくの真実である。「どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそものきっかけは立派なものであった」(政略論 194頁)

■スキピオは、次のように言ったものだった。「ローマ人は、負けたときもくじけず、勝ったときも傲らない」(政略論 203頁)

■次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。
 第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すれも好転させうると、思ってはいけない。(政略論 211頁)

■まったくもって情けない現実だが、人間というものは権力をもてばもつほどそれを下手にしか使えないものであり、そのことによって、ますます耐えがたい存在と化すものである。(フィレンツェ史 239頁)

■中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。反対に、圧勝することしか考えない者は、しばしば、陥し穴にはまってしまうことになる。(フィレンツェ史 239頁)

■きみには、次のことしか言えない。
 ボッカッチョが『デカメロン』の中で言っているように、
 「やった後で後悔するほうが、やらないことで後悔するよりもずっとましだ」(手紙 242頁)

 

 

 

 

2005年8月  ホーム

No 題名 著者 出版 ■→そのまま引用  ●→抜粋、要約
1

国防

石破茂

新潮社
初版2005年1月25日

小泉内閣で防衛庁長官を務めた石破茂氏の著書。石破氏は、第65代防衛庁長官にあたる。

 インド洋にイージス艦を派遣する際、自民党の中に「イージス艦は戦艦大和と同じだから危険だ」と言った方がおられたとのこと。そういう逆風が吹く中でも、竹中平蔵さんからは「石破さんは産経と読売が味方してくれるからいいですね」と言われたらしい。

●習志野空挺団では、11mの高さから飛び降りる訓練をした。人間が恐怖を感じる高さは11mで、それが出来たら、あとは2000mでも3000mでも大丈夫。(112頁)

2

ゴールド 金と人間の文明史

ピーター・バーンスタイン著、
鈴木主税訳

日経ビジネス人文庫
文庫版初版2005年1月1日

THE POWER OF GOLD    THE HISTORY OF OBSESSION    by Peter L. Bernstein  2000

紀元前4000年から現代に至るまで、「金(きん)」の歴史について述べた本。

■金のすばらしさは、富と貨幣の原型という重要な役割を果たしても、同様に重要な装飾と美の役割を少しも失わなかったところにある。(117頁)

●ペスト
 1347年、タタール軍は、クリミア半島のカーファ(フェオドシア)のジェノヴァ人の植民地を包囲し、そのとき投石器でカーファの城内に向けてペストで死んだ味方の死体を投げ込んだ。病気に感染したジェノヴァ人は、カーファを棄てイタリアに逃げ帰った。こうしてヨーロッパにペストが持ち込まれた。(151頁)

●1385年に即位したポルトガルのジョアン一世は、イングランドと永遠の同盟を結んだが、その盟約は今でも有効である。(169頁)

●ニュートン
1696年3月、55歳のニュートンはイギリスの造幣局監事に就任した。周囲の予想に反し、猛烈に働いた。1日16時間、仕事をこなしながら経済学の勉強も怠らなかった。しかし、造幣局長官就任後の金が下がるとの予測は、はずれ、金価格は上昇した。(300〜310頁)

●アレクサンダー・ハミルトンは、「一方ではこれこれ、他方ではしかじか」と数え切れないほど多くの議論を展開し、その後の時代の経済学者の手本になった。(402頁)

3

前田利家 上

津本陽

講談社文庫
文庫版初版1997年9月15日

 前田利家を主人公にした著書。

上巻目次
 朱武者
 赤母衣衆
 賤ヶ岳
 北陸探題

4

前田利家 中

津本陽

講談社文庫
文庫版初版1997年9月15日

中巻目次
 北陸探題(承前)
 昵懇衆
 名護屋出陣

●前田利太(慶次)は、利家よりも年下であったと見られているが、慶長10年(1605年)11月9日、73で歿し、大和国刈布村安楽寺に葬られたとの説もあり、これをとれば利家より5歳年長になる。(67頁)

■水攻めは秀吉得意の戦術である。彼は、天正10年(1582年)5月に備中高松城、天正12年5月美濃竹鼻城、天正13年4月紀伊太田城を水攻めで陥落させた。(136頁)

5

前田利家 下

津本陽

講談社文庫
文庫版初版1997年9月15日

下巻
 秀頼後見
 南坊
 暮雲

秀吉死後の利家の謀は、戦国を生き抜いていた利家にしか成しえないものであった。側近は全くついていけなかった。

高山右近が準主役のようになっている。

6

加賀百万石

津本陽

講談社文庫
文庫版初版1997年9月15日

『前田利家』の続編。前田利長、年常の代が描かれている。

偉大なる利家亡き後の前田家を存続させた利長は、物足りない面もあるが、二代目としては立派だったのであろう。

7

豊臣秀長 上巻

堺屋太一

PHP文庫
文庫版初版1988年4月15日

堺屋太一がその一生に光を当てた秀吉の弟秀長について記した著書。

●秀吉の幼名が日吉丸だったわけではない。(81頁)

●東美濃における調略が、信頼できる史料の裏づけのある木下藤吉郎の最初の功労である。(131頁)

8

豊臣秀長 下巻

堺屋太一

PHP文庫
文庫版初版1988年4月15日

 補佐役としては、出世欲の強い黒田孝高よりも、無欲な秀長の方が適任であった。

●近江(107頁)
 尾張や美濃では、帳面をつける際、発生順に列記するだけであった。しかし、商業の発達した近江では、米は米、木材は木材と別々の帳面につける技術があった。

●信長が林通勝に送った折檻状(218頁)
 「なんじ名護屋にあり弑逆を謀らんと欲す。われ憤りを忍ぶこと二十余年、天下ようやく定まるに至り云々」

●信長が佐久間信盛に送った罪状(219頁)
 「与力を専とし、是れを以て軍役を務め、自分の侍相抱えず」「三十年間無奉公」

●信長が安藤守就へ送った罪状(219頁)
 「武田信玄に通じ、美濃に敵兵を入れようと図った」「われ憤りを忍ぶこと十年、天下ようやく定まるに至り」

主人公が秀長であれ、秀吉であれ、やっぱり織田信長が目立ちますね。

9

名歌で読む日本の歴史

松崎哲久

文春新書
初版2005年6月20日

 著者は、2005年7月時点で民主党衆議院議員、また、湯川裕光の名で歴史小説を執筆し、はたまた、劇団四季のミュージカルを浅利慶太氏らと共同執筆しているという多才な方である。

 私も30過ぎると短歌が妙に好きになります。

君さらず袖しが浦に立つ波の その面影を見るぞ悲しき
  倭建命 四世紀

熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
  額田王 668年

天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
   阿部仲麻呂 728年

あをによし寧楽の京師は咲く花の 薫ふがごとく今盛りなり
  小野老 730年

東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな
  菅原道真 901年

心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮
  西行法師

返らじとかねて思へばあづさ弓 なき数に入る名をぞとどむる
  楠木正行 1348年

浮世をば今こそ渡れ武士の 名を高松の苔に残して
  清水宗治 1582年

散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ
  細川ガラシャ 1600年

落ちて行く身と知りながらもみぢ葉の 人なつかしくこがれこそすれ  
  皇女和宮 1861年

なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ  
  西郷千重子 1868年

 

 

 

2005年7月  ホーム

No 題名 著者 出版 ■→そのまま引用  ●→抜粋、要約
1

企業とは何か

ピーター F. ドラッカー著、
上田惇生訳

ダイヤモンド社
初版2005年1月27日

CONCEPT OF THE CORPORATION by Peter F, Drucker 1993, 1946

既訳書に『会社という概念』(1966年)、『現代大企業論』(1966年)のふたつがある。

ドラッカーの書いた小説はともかくとして、『CONCEPT OF THE CORPORATION』は、主要著書で唯一日本語版が入手困難になっていたものだが、この度、上田惇生氏の手により、新訳が発刊された。

第T部 産業社会は成立するか

第1章 企業が基盤となる産業社会

■レッセフェールは、調和を重視することによって恐るべき活力をもたらした。(17頁)

第U部 事業体としての企業

第2章 事業を遂行するための組織

■大量生産工場に限らず、企業の経済的な機能と社会的な構造を規定するものは、人間組織である。(24頁)

■自らのマネジメントに天才やスーパーマンを必要とするようであっては、いかなる組織といえども存続はできない。ごく平均的な人間によるリーダーシップで十分なように組織されていなければならない。(26頁)

第3章 分権制の組織と原理

第4章 分権制をいかに機能させるか

第5章 社外パートナーとの連携

第6章 分権制はすべての答えか

■つまるところ組織にとっては、リーダーを育てることのほうが、製品を効率よく低コストで生産することよりも重要である。(115頁)

第V部 社会の代表的組織としての企業

第7章 個の尊厳と機会の平等

■機会の平等とは、往々にして誤解されるような、結果の完全平等ではない。(130頁)

●この実験(1920年代末、イリノイ州ホーソンのウエスタン・エレクトリックでの労働条件を意図的に悪化させた実験)が明らかにしたことが、働く者の満足を左右するものは、仕事の内容ではなく仕事の重要度への認識だということだった。仕事の定型度や単調さではなく、仕事の認知、意味、意義の欠落が問題だった。(143頁)

第8章 産業社会の中流階級

第9章 働く者の位置づけと役割

■大量生産の新展開に次いで働きかけを行うべき第二の分野が、働く者と製品との関係の見直しである。戦時生産に特有の愛国的な熱気とドラマ性に裏打ちされた製品への愛情に似たものを、平時生産においても生みださなければならない。(175頁)

第W部 産業社会の存在としての企業

第10章 企業の存続と社会の利益

■産業社会においては、人間組織だけが、社会の利益のために細心の注意をもって維持すべき生産要素である。(196頁)

■1920年代に急速な成長軌道に乗ったとき、GMの経営陣は市場の完全支配を目指さず、強力な競争相手が残ることのできるよう、自らのシェアを抑えることにした。それは、博愛的な善意や政治的な配慮のためでなく、自らのマネジメントと利益のためだった。(202頁)

第11章 生産活動の目的

第12章 完全雇用の可能性

■不況の原因について知るところは少なくとも、その治療については多くのことがわかっている。時間はかかったが、いまでは、慢性的失業とは生産資源の不完全利用と同義だということが明らかになっている。そして、このことがわかったからには、不況から脱するには生産することであることが明らかである。(245頁)

終章 成功を原因とする失敗 エピローグ(1983年)

●(本書の内容で)GMを怒らせたのは、経営政策というものは一時的なものでしかありえず、常に陳腐化の惧れがあるというこの考えそのものだった。(269頁)

■GMが本書の提言を無視したのに対し、日本の企業はそれを受け入れた。今日私は、日本の経済大国への道のりと競争力の向上に多大の貢献があったとされている。(274頁)

 

次は、スローンの『GMとともに』を読もう。

2

金持ち父さん、貧乏父さん

ロバート・キヨサキ+シャロン・レクター著
白根美保子訳

筑摩書房
初版2000年11月15日

Rich Dad, Poor Dad : What The Rich Teach Their Kids About Money - That The Poor And Middle Class Do Not! by Robert T. Kiyosaki with Sharon L. Lechter C. P. A  1997

 お金についての教育の書。長谷川滋利が著書で参考になったと書いていた本。日本語出版から4年半経過して遅ればせながら読んでみた。

●例えば、父のうち一方は「それを買うためのお金はない」、もう一方の父は「どうやったらそれを買うためのお金を作り出せるだろうか?」(28頁)

■人間はだれだって人生につつきまわされている。中にはあきらめてしまう人もいるし、戦う人もいる。でも、人生から教訓を学んで先に進んで行く人はとても少ないんだ。そういう人は人生につつかれるのを喜ぶ。人生から何かを学ぶ必要があることを知っているからだ。それに、自分から学びたいと思っている。そういう人は人生からつつかれるたびに何かを学び、先に進んで行く。でも、ほとんどの人があきらめる。そして、きみのような一握りの人間が戦う道を選ぶんだ」(52頁)

■金持ちになりたければ、お金について勉強しなければならない。(90頁)

■金持ちは資産を手に入れる。中流以下の人たちは負債を手に入れ、資産だと思いこむ。(92頁)

■フラーの考えによると、富というのはあと何日間その人が生き残ることができるか、つまり、今日仕事をやめたとして、あとどれくらい生きていけるか、その能力を指す。(118頁)

■金持ちは資産を買う
 貧乏人の家計は支出ばかり
 中流の人間は資産と思って負債を買う(120頁)

●マクドナルド創業者のレイ・クロクは、自らのビジネスを不動産業と言った。

●ファイナンシャルIQ
 (1)会計力
 (2)投資力
 (3)市場の理解力
 (4)法律力 (144〜146頁)

●金持ち父さんのアドバイス 「広く浅く知る」(186頁)

■「給料をもらって支払いをする」という、一生続くこのパターンに一度はまってしまうと、人間は小さな輪の中で走るハムスターと同じになってしまう。(190頁)

●ジョン・D・ロックフェラーの言葉「私はいかなる失敗もチャンスに変えるようつねに努力してきた」(209頁)

●ルーズベルト大統領夫人エリノア・ルーズベルトの言葉「自分の心に聞いて『正しい』と思うことをやることだ。なぜなら、いずれにせよ批難を受けることになるのだから。たとえ何をしようと、また何もしなくても、文句を言われる」(226頁)

■自分自身のビジネスを始めるために必要な管理能力のうち、最も大切な能力は次の三つだ。
 1.キャッシュフローの管理
 2.人の管理
 3.自分の時間の管理 (246頁)

 

賢く働いて、お金を稼いで、投資家となって余生を過ごす、となればいいですね。

3

吉田松陰 留魂録

全訳注 古川薫

講談社学術文庫
文庫版初版2002年9月10日

1990年徳間書店より刊行された『吉田松陰 留魂録』の文庫版。

 『留魂録』とは、吉田松陰が、安政6年(1859年)10月26日、江戸小伝馬上町の牢内で書き上げた門下生にあてた遺書。冒頭は、
 身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも 留置まし大和魂
で始まる。

●高松藩士長谷川宗右衛門の言葉「寧ろ玉となりて砕くるとも、瓦となりて全かるなかれ」(109頁)

■江戸居の諸友久坂・中谷・高杉なども皆僕と所見違ふなり。其の分れる所は僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなすつもり・・・ (204頁)

●松陰が最期を覚悟して萩を旅立つときに詠んだ詩
 帰らじと思ひさだめし旅なれば ひとしほぬるる涙松かな(209頁)

4

戦国城塞傳

津本陽

PHP文庫
文庫版初版2005年4月18日

2003年5月にPHPより刊行された同名書の文庫版。

安土城、上田城、高天神城、忍城など12の城について述べた本。

津本陽氏は、小田原城に行ったことがなかったとは、これは驚いた。

5

近鉄球団、かく戦えり。

浜田昭八

日経ビジネス人文庫
文庫版初版2005年7月1日

元日経新聞の浜田昭八氏の著書。

 昭和49年生まれの僕にとっては、1988年川崎球場10.19が印象深い。もう少し年配の方には、1979年大阪球場の江夏の21球が一番思い出深いのだろう。

6

強い工場

後藤康浩

日経ビジネス人文庫
文庫版初版2005年3月1日

中国の安価な人件費に対抗している日本の強い工場について述べた本。

●製造装置をつくる専門のメーカー群がある産業は過剰生産に陥りやすく、好不況の波が激しい。(山田日登志 69頁)

7

女子大生会計士の事件簿 DX.1 ベンチャーの王子様

山田真哉

角川文庫
文庫版初版2004年10月25日

 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』を読み、山田真哉氏の著書は面白そうだと思い、『女子大生会計士の事件簿』も読んでみた。

●郵便切手は、購入時に領収書をもらえるが、使うときは手紙に貼るので使った証拠が残らない。本書では、通信費として切手を購入し、それを売って交際費にあてていた。

■販売用不動産は、流動資産の中の棚卸資産として計上される。(128頁)

●優先株
 配当を優遇するかわりに議決権を与えない株(商法242条)

 

 文庫版は、表紙に描かれている藤原萌実さんがアニメ系なので、少々買うのにためらいを感じた。

8

女子大生会計士の事件簿 DX.2 騒がしい探偵や怪盗たち

山田真哉

角川文庫
文庫版初版2004年11月25日

2巻も楽しい。また、登場人物の名も歴史ファンには、おっと思わせるものがある。

すでに漫画家されているので、次はドラマ化かな。

●売価還元法
 実際の価格ではなく原価率から算出する推定の価格を売上原価として使う方法。本書では、呉服屋の粉飾決算でこの方法が登場する。

●神戸ルミナリエ
 阪神・淡路大震災の犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への夢と希望を託すとして、大震災の起こった1995年12月から開催された。

9

マーフィー 人生は思うように変えられる

ジョセフ・マーフィー著、
太刀川三千夫訳

知的生きかた文庫
文庫版初版1998年4月10日

日本語で言えば、病は気から、といった内容になるのでしょうか。

 

 

2005年6月  ホーム

No 題名 著者 出版 ■→そのまま引用  ●→抜粋、要約
1

世界が変わる現代物理学

竹内薫

ちくま新書
初版2004年9月10日

物理の読本を書かせたら日本一の竹内氏の著書。

 180頁〜181頁のゼノンのパラドックスへの回答には感心した。・・・時空は、連続ではなく、それゆえにアキレスは亀を追い越すことが可能なのだ・・・。著者の卒論は、ゼノンのパラドックスであったとのこと。

●実証論は英語では、positivism、実在論は、realism。(83頁)

2

マッキンゼー経営の本質

マービン・バウワー著、
平野雅夫監訳、村井章子訳

ダイヤモンド社
初版2004年3月4日

The Will to Manage  by Marvin Bower  1966

著者は、マッキンゼーを世界的なコンサルティング会社に育てた中心人物。

■歴史が教えてくれるとおり、どんな文明のどんな人間集団でも、生産性の向上のためには、献身か、厳しい指導しかない。逆に言うと集団の共通目標に向けて最大限の努力を引き出すためには、激励のみならず規律も必要である。(20頁)

■適切に構築された経営システムの下では、経営幹部は自ずと方法の完璧さより目標の達成度を、手続きが守られているかどうかより業績を、規則の遵守より結果を重視する。すると会社は、事業環境や将来の変化に対応しやすい体質になる。(22頁)

■理性のある人間が事実を把握すれば、どう対処すべきか結論を下すのは難しいことではない。だからGMでは、問題が持ち上がったら何よりもまず事実を知ることから始める。急いで決めることは意識的に避ける。だから事実を明らかにできるのだ。(38頁 GM社長 チャールズ・E・ウィルソン)

●自分は間違いを犯すかもしれないが、ライバルだってそうかもしれない。(48頁)

■つまり企業経営における戦略思考とは、「ダイナミックに変化する環境の中で、事業成功の本質を考え抜くこと」と言えるだろう。(59頁)

■たくさんの取材を通じてわかったのは、部下の仕事ぶりに対する評価や改善点を率直に指摘する上司が、結局は感謝され尊敬されることである。(184頁)

■人間にとって最も強いモチベーションとなり自己防衛本能を抑制するのは、何かを達成したことの誇りである。(232頁 フォード副社長 ベン・D・ミルズ)

 

1966年に書かれた名著には、普遍性がありますね。

3

甲子園巡礼 高校野球の夢・愛・哀

片山晴子

アットワークス
初版2004年8月31日

 著者の本職は、脳神経外科医。

 片山氏は、医者でありながら、甲子園に直接出向き、高校野球を観戦し、スコアブックをつけ、観戦レポートを書き、やらにデータ収集・分析まで行っておられる。

 1982年、浜田高校 対 市岐阜商の試合をテレビ見た著者は、浜田の二塁手の早弓選手の動きに感動し、浜田高校に入りたいと思ったそうだ。…島根県生まれの僕は少し親近感を覚えた。

4

マーケティングのジレンマ

Harvard Business Review編
DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部訳

ダイヤモンド社
初版2004年10月7日

WHEN MARKETING BECOMES A MINEFIELD (Management Dilemmas Series)

マーケティングに関するケース・スタディをまとめたもの。

5

組織変革のジレンマ

Harvard Business Review編
DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部訳

ダイヤモンド社
初版2004年11月5日

WHEN CHANGE COMES UNDONE (Management Dilemmas Series)

組織変革に関するケース・スタディをまとめたもの。

■新米、とりわけ外部からやってきたマネジャーは「これが私のビジョンです。さあ前進しましょう」と功をあせって、勇み足になりがちである。しかも概して空回りし、失敗するものだ。(70頁)

6

赤い月 上巻

なかにし礼

新潮文庫
文庫版初版2003年12月1日

 なかにし礼が自分自身の満洲での体験を基にし、母を描き、そして時代を描いた本。

 森田勇太郎と波子は、波子のかつての恋人でもある軍人大杉寛治の紹介で、いち早く満洲で酒造業を興し、そして陸軍相手にひと儲けし莫大な財産を築くも、昭和20年8月8日のソ連参戦による流浪の果てに全てを失う。

上巻 目次
 エレナ
 ハルビンへ
 小樽
 大地

7

赤い月 下巻

なかにし礼

新潮文庫
文庫版初版2003年12月1日

下巻 目次
 泥の花
 ロマノフカ村
 邂逅
 波子
 夜咄

わが子らを
骨もあらわな背なに乗せ
生きて帰らん修羅となりても

 太平洋戦争中、終戦間近まで満洲は戦争とは無縁の別天地であった。しかし、ソ連が参戦した8月8日から満洲では戦争状態に入り、それが8月15日以降も続いた。
 下巻は、史書的な内容が多く含まれている。

●ポツダム宣言を受諾した時点で日本の外務省は、在外機関にたいし、居留民はできるかぎり現地に定着せしめるべし、という指示を与えていた。(289頁)

8

砂の器 上巻

松本清張

新潮文庫
文庫版初版1973年3月27日

島根県仁多町(現奥出雲町)の亀嵩を少しだけ有名にした著書。

 島根県出身の私は、出雲地方の言葉が東北と同じズーズー弁だと思ったことは一度もないのだが。

 急行出雲、甲斐大和駅が初鹿野駅、というところになんとも時代を感じました。

9

砂の器 下巻

松本清張

新潮文庫
文庫版初版1973年3月30日

 警察の取調べ方法、戦争の爪痕、夜行列車で移動などなど昭和30年前後の時代を感じさせられた。

 ライ病患者への扱い、そして患者を父に持つ息子の気持ちというのは、現代を生きる私には測りがたいものがあります。島崎藤村の『破戒』と似た後味がありました。

10

大宇宙・七つの不思議

佐藤勝彦監修

PHP文庫
文庫版初版2005年4月18日

 『ホーキング、未来を語る」ではよく理解できなかった膜宇宙論(M理論)が、非常に分かりやすく書いてあった。

 地球外知的生命体探索に協力されたい方は、SETI@homeからどうぞ。バークレイ校のSERENDIP(地球近傍の高度文明種族からの地球外発信電波探査)計画は、解析の一部を個人のPCを使ってやっているとのことです。

■地球に落下する隕石の多くは、火星と木製の軌道間に多く存在する小惑星の破片です。(42頁)

■ハビタブル・ゾーン(habitable zone)、日本語に訳すと「居住可能領域」。恒星のまわりで、水が液体として存在できる範囲を示します。(98頁)

11

真田昌幸

竜崎功

PHP文庫
文庫版初版1999年1月19日

 上野侵攻を任務としていた真田氏の著書を読むと、群馬県在住の私には馴染みのある地名が頻繁に出てくる。

 この小説では、武田勝頼と真田昌幸は、幼い頃から昵懇の間柄であったことになっている。それだけに、1582年、小山田信茂ではなく、真田昌幸を頼っていれば、との思いがうまれる。

 1563年、松山城を巡る攻防は読み応えがあった。自軍の損害を顧みず鉾の先のように突撃してくる越後勢の存在には、武田も北条も戦慄を覚えたことだろう。

 

 

2005年5月  ホーム

No 題名 著者 出版 ■→そのまま引用  ●→抜粋、要約
1

ウォール街のランダム・ウォーカー(新版)

バートン・マルキール著
井出正介訳

日本経済新聞社
初版2004年4月15日

A Randam Walk Down Wall Street  by Burton G. Malkiel  2003

1973年の第一版から数えて2003年版は第八版にあたる。

「個人投資家にとっては、個々の株式を売買したり、プロのファンドマネジャーが運用する投資信託に投資するよりも、ただインデックス・ファンドを買ってじっと待っているほうが、はるかによい結果を生む」(第八版前書き)

■この本にもし副題をつけるとすれば、それは「ゆっくりと、しかし確実に金持ちになる本」というようなものであろう。(23頁)

●オランダのチューリップバブル
 1593年、トルコ原産のチューリップを植物学者がオランダに持ち込んだことからはじまる。このチューリップにはモザイク病というウイルス性の病気があるが、この病気によってチューリップは鮮やかな縞模様を作る。このウイルスに侵された球根が投機の対象となった。チューリップバブルのピークは、1634年から1637年にかけての3から4年であった。

●イギリス南海泡沫会社バブル
 1711年に設立された南海会社(South Sea Company)は、1000万ポンド近い国の債務を肩代わりし、その見返りに南米貿易権を独占的に与えられた。
 そのときフランスでは、ミシシッピ・カンパニーという会社がヨーロッパ大陸中の投機家とその金を引きつけていた。「百万長者」なる言葉が生まれたのも、この時である。
 そのミシシッピ・カンパニーに対抗するために、南海会社の経営陣は、1720年に3100万ポンドにのぼるイギリスの国債全額を肩代わりすると発表した。イギリス国民は熱狂し、この法案がイギリス議会に提出されると、南海会社の株価は130ポンドから300ポンドに暴騰した。
 1720年4月11日、法案が議会で成立して5日目に、南海会社は1株300ポンドで新株を発行した。国王もその新株を購入した。さらに南海会社は新株を発行した。そしてさらに株価は上昇し、1000ポンドになり、投機熱は最高潮に達した。
 1720年8月に南海会社の経営者や幹部社員が、株価と会社の実体に何の関係がないことに不安を抱き、自分達の株を手放した。そのニュースが漏れたため、株価は急落し、パニック状態になった。
 アイザック・ニュートンもこの南海バブルで多大な損失を被った。

●トロニクス・ブーム(63頁)
 1959年から1962年にかけて、新規公開した銘柄は、エレクトロニクスという名詞をもじった社名を冠していたため「トロニクス・ブーム」と呼ばれた。

●成功するための三つのルール(188〜193頁)
第1 今後5年以上の利益成長率が市場平均以上の銘柄を買うこと
第2 株価がファンダメンタル価値以上になっている銘柄に手を出すな
第3 投資家が「砂上の楼閣」を作れるようなストーリーが描ける銘柄を探そう

●不動産のリターンは必ずしも他の資産と足並みを揃えて動かない。例えば、インフレーションが加速する時には、不動産は株式よりもかなり高いリターンをもたらす傾向がある。(299頁)

●バリュー株戦略
 私は、この戦略に大いに共感している。(349頁)

 

 短期で儲けることを考えず、長期で確実に儲かるインデックス投資を中心にしよう。

2

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学

山田真哉

光文社新書
初版2005年2月20日

タイトルに惹かれて読んでみた。

●食器洗い機は、水道代は節約されるが電気代は増える。(44頁)

■潰れる会社は、大量に仕入れたことで失敗していることが多い。

■根拠がたいしてなくても、とにかく数字を使って話をすれば主張を受け入れてもらいやすくなる。(123頁)

3

郵政民営化
「小さな政府」への試金石

竹中平蔵

PHP研究所
初版2005年3月4日

 小泉内閣のもと、郵政民営化担当大臣として郵政民営化を引っ張って行っている竹中平蔵氏の著書。自民党、民主党の両党を敵に回しながら、打たれ強く業務をこなしておられる。

 日本電信電話公社、日本専売公社、日本国有鉄道に続いて、郵政民営化も達成できるかどうか。

4

徳川慶喜家にようこそ

徳川慶朝

文春文庫
文庫版初版2003年9月10日

1998年の大河ドラマ『徳川慶喜』にあわせて1997年に出版された本。

慶喜のひ孫にあたる著者は、カメラマンをやっておられる。

世が世なら将軍という方ですが、楽しく生きておられるようです。

5

武田「成果主義」の成功法則
わかりやすい人事が会社を変える

柳下公一

日経ビジネス人文庫
文庫版初版2005年2月1日

 2001年5月に日本経済新聞社より刊行された『わかりやすい人事が会社を変える』と文庫化にあたって改題し、加筆修正したもの。

 著者の柳下氏は、武田薬品の人事制度改革を指揮した人。

 2001年に記された本が2005年に改めて文庫本として出版されるのだから、武田薬品の人事制度改革は、成功を収めているのだろう。そして成功例としていろんな会社が参考にしているのだろう。

6

シンプル・リーダー論
命を懸けたV達成への647日

星野仙一

文春文庫
文庫版初版2005年4月10日

 2003年10月に角川文庫より刊行された『夢―命を懸けたV達成への647日』を改題したもの。阪神ファンの方ならとっくに読んでおられると思う。

■監督として大事にしていること(195頁)
 ・人間としての基本の厳守と徹底
 ・減点主義をとらず、得点主義をとる

 

 

2005年4月  ホーム

No 題名 著者 出版 ■→そのまま引用  ●→抜粋、要約
1

競争優位の戦略

マイケル・E・ポーター著
土岐守、中辻萬治、小野寺武夫訳

ダイヤモンド社
初版1985年12月19日

COMPETITIVE ADVANTAGE by Michael E. Porter 1985

前著『競争の戦略』以上に読み応えのある著書であった。

日本の競争優位が危ない 日本語版に寄せて

■この本は、競争優位を論じている。ますますグローバル化する市場という新しい時代に、会社が競争優位を守り、さらに創造するための方法に関して、理論的で厳密な理解への道をお教えしたいと望んでいる。(B頁)

序文

■私の前著『競争の戦略』では、業界と競争会社を分析するフレームワークを提言した。また、競争優位を確保するための三つの基本戦略−コスト・リーダーシップ、差別化、集中を述べた。この『競争優位の戦略』は、三つの基本戦略を実践する方法についての本である。(E頁)

1章 競争戦略―その中心概念

■業界の魅力度および競争的地位の両方が一つの会社で動かされることがある。このために、どんな競争戦略を選ぶかということが難しいだけではなく、わくわくする喜びともなるのである。(4頁)

■競争のルールというものは、つきつめてみると、五つの競争要因によって形成される。(1)新規参入業者の参入
(2)代替品の脅威
(3)買い手の交渉力
(4)売り手(供給業者)の交渉力
(5)現在の競争業者間の敵対関係 (7頁)

■業界で平均以上の業績を達成するための三つの基本戦略が考えられる。(1)コスト・リーダーシップ、(2)差別化、(3)集中がそれだ。集中戦略には二つのやり方―コスト集中と差別化集中がある。(16頁)

■ターゲットとしたセグメントが、それ以外のセグメントと異質でない場合には、集中戦略は成功しない。(22頁)

■集中戦略というのは、意図的に、売上量を制限しようとするものである。そこで、集中戦略に成功すると、その成功の理由を見失ってしまい、売上増という成長を狙って、集中戦略を曖昧にするのである。(24頁)

■コスト・リーダーシップ戦略と差別化戦略も、互いに矛盾する関係にある。差別化に成功するには、ふつう高いコストを要するからである。(25頁)

■基本戦略のどれも、別の戦略からの攻撃には弱体である。(30頁)

■競争優位を診断し、それを強化する方法を発見するための基本手段は、価値連鎖(バリュー・チェーン)である。(37頁)

T 競争優位の原理

2章 価値連鎖と競争優位

■価値連鎖という概念は、コストのビヘイビアおよび差別化の、現存または潜在の源泉を理解するために、会社を戦略的に重要な活動に分解するのである。(45頁)

■競争優位を調べるには、付加価値よりも価値連鎖を分析するほうが適切である。(51頁)

■価値連鎖に影響する競争分野の幅には、四つの次元がある
 ・セグメントの範囲…生産される製品の種類と狙う買い手の種類
 ・統合の範囲…活動が外部の独立会社によってではなく、会社の中で行われる程度
 ・地理的範囲…会社が統一戦略で戦う地域の範囲
 ・業界の範囲…会社が統一戦略で戦う関連業界の範囲 (68頁)

3章 コスト優位のつくり方

■価値活動のコストは、時間の経過とともに、習熟によって低下する。(92頁)

■習熟は、供給業者、コンサルタント、臨時社員、他社製品の分解検査などのメカニズムを通じて、一社から業界内の他社へ伝播(スピルオーバー)してゆく。(93頁)

■会社の相対的コスト地位は、つぎの二つの関数である。
 ・会社の価値連鎖の構成と競争相手のそれとの対比。
 ・個々の活動のコスト推進要因に対する会社の相対的地位。(123頁)

■コスト優位を確保するには、大きく二つの方法がある。
 ・コスト推進要因をコントロールする。
 ・価値連鎖の再編成。(125頁)

■コスト削減は、差別化を台なしにしてしまいかねない。だから、コスト削減を積極的に追求するのは、差別化に関係のない活動に限らねばならない。(126頁)

■習熟はというものは、ひとりでに発生するものではなく、経営者と従業員の努力と注意から生まれてくるのである。(127頁)

■業界によっては、後発会社にコスト優位が与えられることがある。技術が急速に変化していると後発会社が有利であり、また、先発会社の行動を観察して、安いコストで模倣することができるからである。(131頁)

■コストというものは、ひとりでにあるいは偶然に低下したりはしない。むしろ、勤勉と不断の注意の結果低下するのである。(144頁)

■コスト・リーダーシップ戦略の落とし穴
・コストという言葉を口にすると、ほとんどの管理者は本能的に製造を考える。ところが、トータル・コストのかなりの部分(けっして圧倒的部分とはいえないが)は、マーケティング、販売、サービス、技術開発、全般管理といった活動から発生している。(146頁)
・労働活動コストの削減には熱心だが、購買資材について殆ど注意を払わない会社が多い。(146頁)

4章 差別化の基本的考え方

■買い手にとって価値のある何かについて、会社が特異性を持てると、競争相手から会社は差別化したことになる。(151頁)

■買い手に対して、単に安い価格以上の価値が提供できる特異性を持つと、他社と差別化できたという。(152頁)

■差別化は普通、コストを食う。(161頁)

■買い手は、価値が現に存在しているとしても、それに気付かなかったら、その価値にカネを払いはしない。(177頁)

●差別化の落とし穴
特異性がすべて価値があるとは決まっていない
差別化のやり過ぎ
価格プレミアムが大きすぎる
シグナル価値の必要を無視する
差別化のコストに無知である
価値連鎖の全体ではなく製品だけに注意を集中する
買い手のセグメントに気付かない(201〜203頁)

5章 技術と競争優位

■技術変化は、競争を推進する有力な要因である。(207頁)

■先発者は技術その他の活動に関し規格を設定できる。追随者はこれに従わざるを得ない。(233頁)

■買い手のニーズが変化して、先発者の価値を認めなくなると、先発者は弱い。(236頁)

■技術的非連続性は競争上の地位を変化させる最大のチャンスである。技術的非連続性は既存技術に基づく先発者メリットや参入障壁を台無しにする。(244頁)

6章 競争相手の選び方

■競争業者は確かに脅威ではあるが、良い競争業者は、会社の競争的地位を弱めるよりも、むしろ強める。(249頁)

■競争業者を比較の基準にして、自社の差別化能力を強化することができる。(251頁)

■いくら強調しても過大評価にならない競争業者の役割といえば、モチベーターのそれである。健全な競争業者は、コスト削減、品質改善、技術変化への対応を刺激するモチベーションの原動力である。(255頁)

■良い競争業者は、業界を制覇したいとか、ズバ抜けた成長率を達成したいという野望を持たない。(263頁)

■競争相手を選ぶ原理は、100%のシェアを持つことが、(たとえできたとしても)最適の戦略でないことを教えてくれる。(271頁)

●競争相手を選ぶ落とし穴
会社は市場シェアが最も近い相手、あるいは戦略が似ている相手を、最大の敵とみなしやすい。他の相手を無視しても、こういう相手を繰り返し攻撃する。実際には、こういう相手は、実害のない良い競争相手であることが多い。(277頁)

■競争業者は幸福の源泉でもあれば、不幸の源泉でもある。(279頁)

U 業界内部の競争分野をどう決めるか

7章 業界細分化と競争優位

■業界を細分化するためには生産者や買い手の違いを把握するために、次に述べる四群の観察可能な細分化変数を、個別または組み合わせて使う。
・製品の品種
・買い手のタイプ
・チャネル(中間の買い手)
・買い手の地理的立地 (291頁)

■広ターゲット業者は、魅力のないセグメントも相手にせざるを得ないことがある。というのは、そのセグメントが共通価値活動の総コストを下げたり、差別化を進めたり、あるいは、構造的に魅力のあるセグメントでの地位を防衛してくれたりするからである。(317頁)

8章 代替に対する戦略

●代替の脅威は次の三大要因に左右される。
・業界の製品と代替品との相対価値、価格(RVP)
・代替品への切替コスト
・買い手の切替性向 (335頁)

■代替の脅威の変化は、代替の経済学から直接導かれるつぎの五つの分野で発生する。
・相対価格の変化
・相対価値の変化
・買い手の価値認知の変化
・切替コストの変化
・代替性向の変化 (350頁)

■総需要に対する代替品のパーセントを経時的にプロットすると、成功する代替品は、たいがいS字曲線を描く。ライフサイクル初期の製品は、他の製品を代替することが多いので、S字代替曲線はおなじみのプロダクト・ライフサイクル曲線に似ている。(357頁)

●代替予測モデル
 S字型浸透仮説に基づく各種の予測モデルは、流行伝播過程の研究から生まれた。最も良く使われる流行伝播モデルは、指数関数の一種である「ロジスティック関数」である。
 F/(1-F)=指数関数K(時間)
  但し、F=潜在市場全体のなかで、代替品に切り替わった部分
     K=初期の代替成長率をあらわす変数
ロジスティック関数は、次の二つの重要な仮説に基づいている。(1)もし代替が数%進行すれば、最後まで進行を続けるであろう。(2)ある代替品が製品を代替する速度は、まだ代替されずに残っている製品の量に比例する。 (362頁)

●代替の促進
(1)初期切替者に的を絞る
(2)RVPに最大の影響を与える分野で製品を改良する
(3)切替コストを低減または助成する
(4)シグナルに投資する
(5)プル効果をつくるために、中間統合を使うか、川上統合を誘う
(6)複数の供給源と適切な生産能力を確保する
(7)補完製品または共同施設の改善を推進する
(8)RVPの向上と障壁の構築との得失を計算する
(9)代替品の市場を広げるために、新しい機能を考え出す
(10)代替品の競争地位を保てなければ刈り取る (366〜369頁)

●代替品に対する防衛
・コストの削減、品質の改善、補完製品の改善などによって、代替品との相対RVPを改善する
・製品のイメージを改善する
・切替コストを引き上げる
・買い手の買い手に向けて強力な販売攻勢をかけ、プル戦略を阻止する
他に
(1)代替品に影響されない新しい用途を見出す
(2)代替品の利点を避ける競争を考える
(3)防衛を支援してくれる供給業者の協力を得る
(4)代替攻勢に対する脆弱性が最も低いセグメントに戦略の鋒先を変更する
(5)防衛せずに刈り取る
(6)代替品業界へ参入する (370頁)

●代替品に対する戦略上の落とし穴
・代替品の認知を誤る
・緩慢な初期浸透の読み違い
・RVPを動かないものとみる
・競争と協調
・成熟の容認 代替によってパイの大きさを広げるほうが賢明かもしれない。 (373頁)

V 企業戦略と競争優位

9章 事業単位間の相互関係

10章 水平戦略の効用

11章 相互関係の活用

■相互関係を経営戦略に生かし成功しているのはもちろん日本の会社に限られているわけではない。しかし、日本的経営の特徴には相互関係の活用に適した性質が強い。(493頁)

■日本の会社の武器は、最初は低賃金だった。それに取って代わったのが第二の武器である品質と生産性である。おそらくこのつぎに競争優位の武器として立ちあらわれるのは、創造力を磨いてつぎつぎと生み出す相互関係の力であろう。(494頁)

12章 補完製品と競争優位

■必要条件さえ整っていると、相互支援戦略は業績改善の手段として大きな効果がある。世間に評判の高いジレット、コダック、ゼロックスなどがこの戦略を実行し、成功を収めてきた。しかし、この戦略を実施する好機は長くは続かず、積極的に手を打って成功の条件を維持してゆく必要がある。(531頁)

W 攻撃と防衛の競争戦略

13章 業界シナリオと不確実性下の競争戦略

14章 防衛戦略

●構造的障壁を高める(583〜590頁)
構造障壁を高める防衛戦術は、挑戦者が攻めてくると思われる道をふさぐ行為である。主として次のような行為が考えられる
・製品やポジショニングの隙間を埋める
・チャネルの利用を阻止する
・買い手の切替コストを高める
・試用コストを上げる
・防衛の目的から規模の経済性を高める
・防衛の目的から必要資金を増加させる…競争に必要な資金量を増大させる
・代替技術を独占する
・占有ノウハウを守るために投資する
・供給業者との提携
・競争業者の投入コストを上げる
・防衛の目的から相互関係を追求する
・障壁を高めるように政府の政策を促進する
・障壁を高めるために提携するか、または挑戦者を吸収合併する

●報復見込みを高める(590〜593頁)
・防衛意欲を宣伝する
・障壁作りの気配を見せる
・防衛拠点の確立
・販売政策を同等にする
・撤退またはシェア低下による損失を大きくする
・報復資源を蓄積する
・良い競争業者を刺激する
・見本を示す・・・報復のイメージをうえつける
・防衛的提携を築く

●攻撃中の報復(593〜594頁)
・テスト販売や市場導入を撹乱する
・抜きつ抜かれつする
・告訴

●攻撃の誘因をなくす(595〜596頁)
・利益目標を下げる
・競争業者の仮説を操作する

■シェアの小さい挑戦者は、見分不相応の広告費を使わざるをえない。(597頁)

15章 業界リーダーへの攻撃戦略

2

アニマルズ・インク

ケネス・A・タッカー、バンダナ・オールマン著
小川敏子訳

日本経済新聞社
初版2005年2月18日

ANIMALS, INC     A Business Parable for the 21st Century by Kenneth A. Tucker and Vandana Allman 2004

 80歳を超えたグッドから農場運営を引き継いだ豚のビッグブー。牛、馬、鶏、案山子などが社員。

 経営書を読みあさり、次から次へと改革を進めていくビッグブーCEA。見張りで成績優秀であった案山子を鶏小屋に異動させるなど、斬新な改革を行うも、失敗の連続。

 そんなビッグブーに前農場主グッドがかけた言葉は、秀逸。グッドもいくつか失敗を経験した後、
「農場を動物たちに任せることにした。すると以後はだれもが一番得意なことをするようになった。私の役目は、彼等が最大限に力を発揮できるようにサポートすること。栄養のある食事を用意し、安心して眠れる場所、必要な道具、そして励ましの言葉をたっぷりかけた。ものごとを複雑にしないように心がけた。大切なのは、自分の仕事はなんなのか、自分には今どれだけ力があるのか。その力を極めるにはどうしたらいいのか。」

3

空海の風景 上

司馬遼太郎

中公文庫
文庫版初版1978年1月10日

真言宗の開祖、空海についての本。天台宗最澄についても述べてある。

■密教は釈迦の思想を包摂しはしているが、しかし他の仏教のように釈迦を教祖とすることはしなかった。大日という宇宙の原理に人間のかたちをあたえてそれを教祖としているのである。(14頁)

●山上憶良の死ぬときのうた(59頁)
 をのこやも むなしかるべき よろづよに 語りつぐべき 名は立てずして

●空海の記した『三教指帰』(86頁)
 儒教、仏教、道教を比較した著書で、仏教がすぐれているという結論となっている。

●『語遺告』にでてくる室戸岬での空海の体験(122頁)
 土佐の室生門崎に寂留す。心に観ずるに、明星口に入り、虚空蔵光明照し来つて、菩薩の威を顕す

●西川如見(241頁)
 18世紀初頭、『天文義論』にて、天体が人の吉凶を感じるわけがないと、占星術のおかしさを説いた人。

4

空海の風景 下

司馬遼太郎

中公文庫
文庫版初版1978年2月10日

 中国から密教を持ち帰った最澄だが、遅れて日本に戻ってきた空海が正当な密教を受けついでいた。最澄は、空海から密教を習おうとするが、空海は小出しにして教えない。随分空海は最澄に意地悪し、また、出世に恵まれた最澄に含むところあったように書かれている。人間空海の実像に迫ろうとした結果であろう。真言宗の方が読んだらどう思うのだろうか。

5

神様、仏様、稲尾様

稲尾和久

日経ビジネス人文庫
文庫版初版2004年12月1日

 西鉄ライオンズ黄金時代の大投手稲尾和久さんの私の履歴書。

 稲尾さんの生い立ち、野武士集団西鉄ライオンズ、昭和33年の日本シリーズ3連敗4連勝、昭和36年の年間42勝、黒い霧事件などなど、野球の歴史が述べてある。

 鉄腕稲尾さんにも挫折があり、昭和39年、肩の故障に見舞われた。今までちやほやしていた人たちがいなくなる中、温泉療法で訪れた鹿児島指宿の人たちは、頑張れと声をかけてくれた。肩の故障後にあげた42勝は、肩の故障前にあげた234勝に匹敵する宝物とのこと。

●稲尾さんの父は、素人相撲の横綱で、宇佐の奉納相撲に出場すると、毎年のように酒樽や米俵を賞品として持って帰っていた。ところがある年、手ぶらで帰ってきたことがあった。怪童に負けてしまったとのことだが、その怪童とは双葉山ではないか、という説がある。(15頁)

●稲尾さんは、佐々木信也と新人王を争って勝った。(103頁)

●神様、仏様、稲尾様の始まり
 昭和33年の3連敗4連勝の日本シリーズの第5戦。延長10回裏、稲尾さんのサヨナラホームランで西鉄は勝利した。そのときダッグアウトの屋根の上で手を合わせるファンがいた。過ぎの日の新聞の見出しは「神様、仏様、稲尾様、救いの神の稲尾様」となった。(149頁)

稲尾さんがロッテの監督を引き受けたとき、福岡移転の話があったとは、はじめて知った。

 

2005年3月  ホーム

No 題名 著者 出版 ■→そのまま引用  ●→抜粋、要約
1

マインドマップ読書術

松山真之助

ダイヤモンド社
2005年1月7日

 日々、まぐまぐから書評のメールマガジンを配信されている松山真之助氏の著書。僕もいつの頃からか、氏のメールマガジンを受信し続けている。きっかけは何だったのかな。

 なんにしても、365日、書評を書き続けるのは素晴らしい。とても真似できない。毎朝4時過ぎに起きて、始発電車に乗ってゆったり読書生活、信じられない。

●マインドマップとは、思考方法のひとつ。
紙の真ん中にテーマを書いて、そのまわり関連する事項を書き出してゆく。放射状にサブテーマを書いて、サブテーマの関係、連携も書いてゆく。そうすると、自然に構造化、体系化され、しかも因果関係なども図示される。(47頁)

 松山氏にならって、僕も書評に自分なりの見解をもっと入れるようにしよう。

2

超特価バリュー株「福袋銘柄」で儲ける週末投資術

角山智

秀和システム
初版2004年12月24日

松山真之助氏の書評メールマガジンに取り上げられていたので、読んでみた。

 株で儲けるためには、市場で過小評価されている株を買えばいいのですが、どの指標を見れば過小評価されていると分かるかについて述べてあった。基本は、PERとPBRです。

 2005年2月以来話題になっているTOB(Take Over Bid)についても述べられていた。

●「投資で一番危険なのは、優良企業=有料株式という誤解である」ウィリアム・バーンス(45頁)

●インフレに強い銘柄…実質資産の裏づけのあるもの(50頁)

●PCFR(Price Cash Flow Ratio)…株価キャッシュフロー倍率。投資について理解が深まると、PERよりも重視する指数とのこと。(66頁)

●ベンジャミン・グレアム『賢明なる投資家』で防衛的投資家の株式選択の基準としてとりあげられている条件…PER×PBR=22.5以下(85頁)

●著者の基準:PER15倍、配当利回り1%(85頁)

 低PBR、低PERという市場で過小評価されている株を買うという思想は、過小評価されている馬券を買う、という確率論から見た競馬で儲ける方法に通じるものがある。ある意味、投資はギャンブルと言って問題ないと僕は思う。

 競馬の場合は、4番人気、5番人気あたりが過小評価されていると何かの本に書いてあった。
 他に、ギャンブルで必ず勝つ方法と言えば、マーチンゲールの法則が有名。過去の負けをすべて取り返すことができるように賭け金を上げていく。

3

リッツ・カールトンで学んだ仕事で一番大事なこと

林田正光

あさ出版
初版2004年12月24日

これも松山真之助氏の書評メールマガジンに取り上げてあった本。

 京都全日空ホテル社長・総支配人で元リッツ・カールトン大阪営業統括支配人であった林田氏の著書。

 仕事で一番大事なことは?という問いに模範解答はないが、人間関係に気を配らなければいけないということは、仕事の前提として存在している。本書は、そのような人との接し方について述べた本。

 リッツカールトンのクレドカードに記載してあるモットー:We Are Ladies and Gentlemen Serving Ladies and Gentlemen  
 淑女と紳士を相手にするためには、自らも淑女、紳士たらねばいけないということですね。

●お客様個々にもっともあったサービス(パーソナル・サービス)によって、お客様のハートをつかむことができれば、そのお客様は「ロイヤルカスタマー」に変わってくれます。(37頁)

■従業員すべてがお客様への心配りを徹底的に追及・研究していく。そうした風土と風土づくりの仕組みがあるからリッツ・カールトンは強いのです。(50頁)

最高のサービスをすれば、最高の価格帯でもお客様は、やってきてくれるのですね。

4

Excel VBAに恋をした!? 新人ゆたかのマクロ奮闘記

大村あつし

技術評論者
初版2004年12月25日

これも松山真之助氏の書評メールマガジンに取り上げてあった本。

 VBAの著書を何冊も書いておられる大村あつし氏の小説。

 新入社員ゆたかのVBAの勉強と共に、先輩女性社員との純愛ラブストーリーも組み込まれていて、飽きずに最後まで読めるVBAの本である。

・遥さんからのなぞなぞ
 ひらがなとカタカナで同じ形の文字、ひとつは「へ」、あとふたつ分かる?

5

プロレススキャンダル事件史 いま明かされる真相

別冊宝島編集部編

宝島社文庫
文庫版初版2005年3月16日

2003年12月に刊行された『プロレススキャンダル事件史』を改訂したもの

 佐山聡は、はじめてタイガーマスクを見たとき「ひどいマスクだなー」と思い、実際、ダイナマイト・キッドとのデビュー戦でも観客に笑われたらしい。

 スキャンダル事件史といいながら、感動的な話も入っており、プロレスファン、プロレスの人気があった時代を知っている方々にお勧めです。

 

 

 

 

2005年2月  ホーム

No 題名 著者 出版 ■→そのまま引用  ●→抜粋、要約
1

平家 一

池宮彰一郎

角川文庫
文庫版初版2004年11月25日

 『島津奔る』『遁げろ家康』の盗作騒動で有名な池宮氏が描いた平家物語。残念ながらこの『平家』にも盗作疑惑があるらしい。

 平治の乱から物語は始まる。

2

平家 二

池宮彰一郎

角川文庫
文庫版初版2004年11月25日

平家には平清盛以外は愚物ばかりであった、という設定になっている。平重盛と知盛もしかり。

3

平家 三

池宮彰一郎

角川文庫
文庫版初版2004年12月25日

後白河法皇は、平清盛の意思を継ぐ後継者として、源義経を考えていた、との設定。
4

平家 四

池宮彰一郎

角川文庫
文庫版初版2004年12月25日

 司馬遼太郎氏の『義経』では、源義経は政治力がなく性欲の多い青年として描かれていたが、この『平家』では、政治と軍事の両面の才能があったように描かれている。池宮氏独自の発想なのか、あるいは、盗作騒動があったので、今回は司馬氏と大きく異なる史観を展開したのか。しかし、結局は『義経』と似ている箇所が結構あったらしい。

 最後は平家物語らしく、大原御行で終わる。

5

日本電産 永守イズムの挑戦

日本経済新聞社編

日本経済新聞社
初版2004年12月3日

 前半は、三協精機製作所買収と再生のことが述べられている。再生にあたり、例えばこのような施策を行った;
・労働時間の延長を組合に要求し認めさせた
・ポケットマネー2000万円を使って三協社員と会食をした
・「経費削減部」を新設し「Kプロ推進委員会」を立ち上げた
・仕入先に納入額をまけてもらう「Mプロジェクト」発足

■これまで資本参加した企業の再建で必ず収益面で効果が出たのは購買の仕組みの見直しだった。(74頁)

●日本電産グループの年間労働時間:1992時間(90頁)

 もし、自分の会社が日本電産の傘下に入ったらどうなるだろうか?と自問自答しながら本書を読んだ方は多いだろう。自分自身は耐えられるだろうか。

6

ドキュメント 敗れざるサラリーマンたち

永井隆

講談社文庫
初版2005年2月15日

 著者は、元東京タイムズ記者の永井隆氏。一介のサラリーマンを主人公として、ここまで熱のこもった文章を書ける人は他にいないだろう。

 登場する人たちは、困難があれば堂々と立ち向かってゆく人たちばかりである。親会社破綻、大企業病、技術の壁などとことん挑戦する人たちである。

 スルガ銀行マンの章で、サブプライム層をいかに取り組むかが銀行の生きる道だ、という話が出てきた。このサブプライム層とは、年収500万円以下の人たちを言う。この層の人たちは、住宅ローンをはじめ、貸し出しの対象になっていなかったのだそうだ。・・・銀行とはそういうところだったのか、と思い知らされた。

 

2005年1月  ホーム

No 題名 著者 出版 ■→そのまま引用  ●→抜粋、要約
1

ローマ人の物語1
ローマは一日にして成らず 上

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2002年6月1日

塩野七生氏の大作『ローマ人の物語』の文庫版。

世界史に詳しい方なら当たり前のようなことも、私にとっては新鮮に感じられた。

■古のローマには、多いときで三十万にものぼる神々が棲んでいたという。(19頁)

●ローマ建国日(52頁)
 紀元前753年4月1日

■ローマを建国し、初代の王となったロムルスは、何もかも自分一人で行う王にはならなかった。国政を、三つの機関に分けたのだ。王と元老院と市民集会。この三本の柱が、ローマをささえていくわけだった。(52頁)

■欧米には今でも、花婿が花嫁を抱きあげて新居の敷居をまたぐ風習がある。この事件(サビーニ族の女たちの強奪)以来ずっとローマ人の習慣になっていたのが、今日でもつづいている一例である。(56頁)

●二代目の王ヌマによる月の改定(64頁)
 第3月を改めて1月とした。その結果8番目の月を表すOctoberが10月になったりした。

■ギリシア・ローマに代表される多神教と、ユダヤ・キリスト教を典型とする一神教のちがいは、次の一事につきると思う。多神教では、人間の行いや倫理道徳を正す役割を神に求めない。一方、一神教では、それこそが神の専売特許なのである。多神教の神々は、ギリシア神話に見られるように、人間並みの欠点をもつ。(67頁)

■人間の行動原則の正し手を、
 宗教に求めたユダヤ人
 哲学に求めたギリシア人
 法律に求めたローマ人。(76頁)

■ローマ人の七人の王たちの歴史は、少々出来すぎと思うくらいに、適時適材適所の原則がまっとうされた歴史であった。(110頁)

●共和制へ(109頁)
 紀元前509年、時の王タルクィニウスの追放により、王政が終わり、これ以後、共和制に入った。市民集会で選ばれた任期終身の王ではなく、任期一年の二人の執政官が統治する時代となった。

●王タルクィニウスを追放したブルータスの名の由来(111頁)
 元々の姓ではなく、馬鹿者を意味する言葉から生まれたあだ名。王タルクィニウスをブルータスと軽蔑されながら隠忍してきたことによる。

 ローマ人は多神教、という事実に、日本人として親近感が感じられた。

2

ローマ人の物語2
ローマは一日にして成らず 下

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2002年6月1日

ローマは、戦いに勝った敵国に対して、寛大な処置をすることにより、勢力を拡大していったのですね。

●クリエンテスとパトローネス
 クリエンテス(特定の貴族の保護を受ける平民)とパトローネス(貴族)の関係は、厳しい上下関係ではなく、クリエンテスがパトローネスを支援し、パトローネスはクリエンテスに便宜を図る、という関係であった。

●ケルト人(ガリア人)によるローマ占領
 紀元前390年、ケルト人により、7ヶ月間ローマは占領された。ローマ人からケルト人へ身代金を払うという条件で、ケルト人はローマを立ち去った。

3

ローマ人の物語3
ハンニバル戦記 上

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2002年7月1日

第一章 第一次ポエニ戦役(紀元前264年〜前241年)
第二章 第一次ポエニ戦役後(紀元前241年〜前219年)

 ローマ人の物語3では、ポエニ戦役が中心となる。年代では、紀元前264年〜前146年となる。

 上では、ローマがカルタゴ領であったシチリア島を奪取した第一次ポエニ戦役について書かれている。海洋国家カルタゴに対し、海軍を持ってなかったローマが、急遽海軍を編成し、敵の船に飛び移って白兵戦に持ち込む海戦方法を考え、カルタゴを打ち破って行った。

■カルタゴ軍では、兵士と中隊指揮官までは他国人の傭兵に頼るが、総指揮はカルタゴの貴族がとる決まりになっている。(56頁)

■共和政ローマでは、軍の総司令官でもある執政官に対し、いったん任務を与えて送り出した後は、元老院でさえ何一つ指令を与えないし、作戦上の口出しもしないのが決まりだった。(85頁)

■古代には、鐙(あぶみ)が存在しなかった。鐙は、中世時代の発明である。それゆえ、馬に乗れることが戦闘力とはなりがたかったために、ローマ軍団の騎兵の役目も、伝令とか斥候とかが多く、戦場でも敗走兵の追撃に使うのがせいぜいだった。(139頁)

■ローマ軍のこの律儀な宿営地建設は他民族の間でも有名で、ローマ軍が到着してまずはじめにやることは宿営地の建設というのが定評になっていた。(144頁)

4

ローマ人の物語4
ハンニバル戦記 中

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2002年7月1日

第三章 第二次ポエニ戦役前期(紀元前219年〜前216年)
第四章 第二次ポエニ戦役中期(紀元前215年〜前211年)
第五章 第二次ポエニ戦役後期(紀元前210年〜前206年)

 中巻では、塩野七生氏が度々「稀代の戦術家」と称しているカルタゴのハンニバルが中心となる。

 騎兵を縦横無尽に活用し、戦えば必ずかつハンニバルの前には、敵が逃げまくるので、イタリアをうろうろするだけの存在になってしまった。

 戦闘場面が文章だけでなく、図で紹介してあり、とても勉強になる。

●ハンニバルとその軍はエブロ河を渡り、ピレネー山脈を越えて現フランスであるガリアに入り、ローヌ河を渡ることでフランスを横断し、アルプスを越えてイタリアに進行した。大群を率い象まで連れてアルプスを越えたハンニバルこそ、その後の二千二百年、歴史に興味をもたない人でも話には聴いている、有名な史実になった。

■同時代人に比べてハンニバルが断じて優れていたのは、情報の重要性に着目したことであった。(23頁)

■ハンニバルがアルプス越えに要した日数は、登りと下りを合わせて十五日であったという。(40頁)

●カンネの会戦(100頁〜)
 ハンニバルとローマ軍が戦い、ハンニバルが圧勝したカンネの会戦は、欧米の士官学校では必ず学習させられるとのことである。

●グラックスは部下の奴隷全員に、この戦い勝てば自由民にすると約束し、奴隷を奮起させ、カルタゴ第二軍を破った。(157頁)

●アルキメデス
 ローマ軍がシラクサを攻撃した際、シラクサにいたアルキメデスの考えた兵器によりローマ軍は苦戦した。最終的には、ローマ軍が勝ち、数学に熱中していたアルキメデスも殺されてしまった。そのときアルキメデスは75歳前後であった。

 ハンニバルには、圧倒的な存在感がありますね。

5

ローマ人の物語5
ハンニバル戦記 下

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2002年7月1日

第六章 第二次ポエニ戦役終期(紀元前205年〜前201年)
第七章 ポエニ戦役その後(紀元前200年〜前183年)
第八章 マケドニア滅亡(紀元前179年〜前167年)
第九章 カルタゴ滅亡(紀元前149年〜前146年)

 ローマのスキピオがカルタゴ本国に攻め入ったことにより、ローマとカルタゴに講和が成立し、ハンニバルはイタリアを去ることになった。ハンニバルはイタリアに攻め込んで以来16年の間、部下と共に敵地で戦い抜いたことになる。

 そのハンニバルもカルタゴ帰国後のザマの会戦でローマのスキピオにより一敗地にまみれることになる。

 亡命を繰り返す晩年のハンニバルには、寂しいものを感じます。
 また、ハンニバルに勝ったスキピオも晩年は失脚することになった。地中海諸国においても「敵国死して謀臣亡ぶ」ということになるんですね。

■ハンニバルとスキピオは、古代の名将五人をあげるとすれば、必ず入る二人である。現代に至るまでのすべての歴史で、優れた武将を十人あげよと言われても、二人とも確実に入るにちがいない。(62頁)

■ローマは、旧敵国の指導層の子弟、つまり旧敵国の指導層予備層を選んでローマで学ばせ、ローマのシンパに育てるやり方を好んだ。(87頁)

6

ローマ人の物語6
勝者の混迷 上

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2002年9月1日

第一章 グラックス兄弟の時代(紀元前133年〜前120年)
第二章 マリウスとスッラの時代(紀元前120年〜前78年)

 『勝者の混迷』と副題に書いてあるように、マケドニアとカルタゴを滅ぼし、地中海の覇権を握ったローマが、国内の権力闘争で流血事件が起こるような事態が描かれている。

■ローマ人は、従来ある法の改正ではなく、現状に適合した新しい法を成立させ、旧法の中でそれにふれる部分は自然解消する、というやり方をとっていた。(95頁)

■執政官マリウスは、執政官の権利である正規軍団の編成を、従来のような徴兵制ではなく、志願兵システムに変えたのである。(138頁)

●ガイウス・マリウスは、資産による階級別で表していた隊旗を銀製の鷲に統一した。鷲がローマを象徴するようになるのは、このときからである。(151頁)

●アクェ・セクスティエ戦
 南下してきたゲルマン人をローマのマリウスが撃退した戦い。

●同盟者戦役
 イタリア半島の中部と南部に住む諸部族が反ローマで同時に蜂起し、イタリアという国家を作った。その同盟者戦役も、同盟者が求めていたローマ市民権獲得を認める「ユリウス市民権法」を成立させた事により、終息した。

7

ローマ人の物語7
勝者の混迷 下

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2002年9月1日

第二章 マリウスとスッラの時代(承前)(紀元前120年〜前78年)
第三章 ポンペイウスの時代(紀元前78年〜前63年)

 地中海諸国では、ローマは向かうところ敵なしになっていた。権力闘争を繰り返しながらも、勢力を拡大し続けていった。

8

ローマ人の物語8
ユリウス・カエサル ルビコン以前[上]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2004年9月1日

第一章 幼年期 Infantia(紀元前100〜前94年 カエサル誕生〜6歳)

■カエサルとは、カルタゴの言葉では「象」を意味する。(29頁)


第二章 少年期 Pueritia(紀元前93年〜前84年 カエサル7歳〜16歳)

第三章 青年前期 Audulescentia(紀元前83年〜前70年 カエサル17歳〜30歳)

●民衆派マリウスの甥にあたるカエサルは、スッラの処刑者名簿に加えられたが、女祭司の長などの除名嘆願により命は助けられた。(79頁)

●キケロの弁論は、単刀直入よりもまず外堀から埋めていき、最後は聴く人の情に訴えることで、いわゆる情状酌量をかち取るのが法廷での戦術であった。今でも欧米の弁護士たちにもよく見られるスタイルだから、二千年後でも彼が弁護士の「父」とされているのも納得がいく。(94頁)

●キリキアの海賊に拉致されたカエサルは、身代金を払って解放されるとすぐに人を集めて海賊征伐に出かけ、海賊を捕虜にした。(98〜102頁)

第四章 青年後期 Juventus(紀元前69年〜前61年 カエサル31歳〜39歳)

■一説によれば、会計検査官就任までにカエサルが積み重ねた借金の総額は、千三百タレントにものぼったという。11万以上の数の兵士を、1年間まるまる傭える金額である。(120頁)

●カエサルの愛人で最も有名なのは、後年のクレオパトラを別とすれば、ブルータスの母セルヴィーリアであろう。(205頁)

9

ローマ人の物語9
ユリウス・カエサル ルビコン以前[中]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2004年9月1日

第五章 壮年前期 Virilitas(紀元前60年〜49年1月 カエサル40歳〜50歳)

ガリア戦役

■紀元前60年の春から夏にかけて、史上有名な「三頭政治」は成立した。(29頁)

■まったく、西ヨーロッパにとってのゲルマン民族の脅威は、二千年このかた変わらなかったのかと思うと笑ってしまう。(80頁)

●カエサルは、部下を選ぶリーダーではなかった。部下を使いこなす、リーダーであった。(96頁)

■人間とは噂の奴隷であり、しかもそれを、自分で望ましいと思う色をつけた形で信じてしまう。(204頁)

■ウインストン・チャーチルは、ヒットラーに率いられるドイツ人を糾弾する際、まるでラインを防衛線とした古代のローマ人にでもなったかのように、ラインの向うの非文明の民、と言うのが常だった。(208頁)

●カエサル等を乗せた船がブリタニアの海岸に達した紀元前55年8月26日を、チャーチルは、大英帝国の歴史はこのときより始まるとした。(214頁)

 ローマを視点にすると、フランスもイギリスも歴史の短い野蛮な国となってしまいます。カエサルの遠征のおかげで、文明化していったフランスとイギリス。古今東西問わず、戦争は文化を広げるんですね。

10

ローマ人の物語10
ユリウス・カエサル ルビコン以前[下]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2004年9月1日

第五章 壮年前期 Virilitas(承前) (紀元前60年〜49年1月 カエサル40歳〜50歳)

 8年にわたったガリア戦役の6年目から8年目までと、あの有名なルビコン川を渡る場面が描かれている。

●アレシアでカエサルは、5万に満たない戦力で内側8万、外側26万のガリア軍を撃破した。(140頁)

■おそらく、カエサルが全幅の信頼を寄せていた配下の将は、このラビエヌス一人であったろう。(227頁)

●ローマ軍の行軍速度は、時速5キロ。(233頁)

●ルビコン川を前にしてカエサルは近くの幕僚に言った「ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、我が破滅」(234頁)

●兵士達に向かい、大声で叫んだ「進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」(234頁)

11

ローマ人の物語11
ユリウス・カエサル ルビコン以後[上]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2004年10月1日

第六章 壮年後期 Virilitas(紀元前49年1月〜前44年3月 カエサル50歳〜55歳)

 ルビコン渡河、元老院勢力となったポンペイウス相手の内乱、クレオパトラ側について参戦したアレクサンドリア戦役。

 アレクサンドロス率いるギリシア軍と王ダリウス自ら出陣のペルシア軍が戦ったイッソスの会戦、他にハンニバル対ローマ軍のカンネの会戦、スキピオ対ハンニバルのザマの会戦の場面も解説してあり、戦史好きにとってはとても嬉しい。騎兵を用いた包囲がキーワードですね。

■部下たちから従軍拒否を突きつけられなかった最高司令官は、ハンニバルとスッラしかいない。アレクサンダー大王にもスキピオ・アフリカヌスにも、配下の兵たちにストライキを起こされた経験があった。(108頁)

●「ファルサルスの会戦」の名で史上有名なカエサルとポンペイウスの決戦の結果だが、敗れたポンペイウス側の戦死者は六千、捕虜は二万四千を数えた。捕虜の中には、マルクス・ブルータスもいた。(248頁)

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ローマ人の物語12
ユリウス・カエサル ルビコン以後[中]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2004年10月1日

第六章 壮年後期 Virilitas(承前) (紀元前49年1月〜前44年3月 カエサル50歳〜55歳)

●ポントスの王ファルナケスとカッパドキア地方のゼラで対決した。カエサルがローマ元老院に送った戦果の報告を「来た、見た、勝った」で始めた。この3語のラテン語表記は、マルボロの箱に「VENI, VIDI, VICI」と書いてある。(19頁)

■ベテランという言葉も、ラテン語のヴェテラヌスに由来する。(70頁)

■ローマ人が招待する夕食とは、プラトンの『饗宴(シンポジオン)』にもあるように、寝台型の椅子に横になった姿で料理や酒を愉しみながら、テーマを決めて論じあう席である。(82頁)

●右手を斜め上に上げる敬礼は、「ローマ式敬礼」。(92頁)

●カエサルによってローマに招かれたエジプトの科学者によって、1年を365日6時間とする「ユリウス暦」が生まれた。(116頁)

13

ローマ人の物語13
ユリウス・カエサル ルビコン以後[下]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2004年10月1日

第七章 「三月十五日」 Idus Martiae (紀元前44年3月15日〜前42年10月)

「ブルータス、お前もか」で有名なカエサル暗殺の巻

●西欧人であれば、3月15日はカエサル暗殺の日であることは常識となっている。(19頁)

●カエサルが暗殺された時に述べた「ブルータス、お前もか」のブルータスは、首謀者のマルクス・ブルータスではなく、長年カエサルの配下にいて暗殺に加わったデキムス・ブルータスであるという研究者は少なくない。(30頁)

■「3月15日」当時のクレオパトラは、カエサルとの間に生まれた子であるというカエサリオンを伴って、ローマに滞在中であった。(49頁)

●紀元前43年1月、アントニウス、レピドゥス、オクタヴィアヌスによる、史上「第二次三頭政治」と呼ばれる共闘体制が成立した。(115頁)

●オクタヴィアヌスは、神になったカエサルにふさわしくないとして『ガリア戦記』と『内乱記』以外の著作を廃棄処分にした。青年時代の作といわれる詩文や劇作や、そして多くの手紙、その中には愛人たちに送ったラブレターもふくめたすべてのカエサル作品が消滅した。(129頁)

●プルータスが高い評価を受けるようになるのはイタリアのルネサンス人によってである。(142頁)

第八章 アントニウスとクレオパトラ対オクタヴィアヌス (紀元前42年〜前30年)

●オクタヴィアヌスの外交官マエケナスは、日本でも知られている「企業のメセナ運動」の開祖でもある。(160頁)

●二代目皇帝ティベリウスは、オクタヴィアヌスの妻リヴィアの連れ子。(166頁)

●クレオパトラは、いつもはギリシア式の髪型であった。エジプト古来の祭祀のときだけ、例のオカッパ頭であった。(172頁)

■ギリシア人であるアレクサンダー大王がペルシアに勝って、エジプトを支配しはじめたのは、紀元前333年からである。紀元前30年、300年続いたギリシア系のプトレマイオス王朝は、最後の女王クレオパトラで終わった。(229頁)

 塩野氏の視点では、クレオパトラは、大した人物ではないようです。

14

ローマ人の物語14
パクス・ロマーナ[上]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2004年11月1日

第一部 統治前期 (紀元前29年〜前19年)

 初代皇帝オクタヴィアヌス(アウグストゥス)が主人公となる。帝政に反対である元老院を手なずけながら、着実に帝政に向けて支配力を高めていった人物である。

■カエサル−これは17歳でしかなかったオクタヴィアヌスが養子に、つまり自分の後継者に遺言したから得た家名だが、帝政がすすむにつれて「皇帝」の代名詞になっていく。二千年後のカイザー(独)、ツァーリ(露)とも、この意味の継承にすぎない。(115頁)

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ローマ人の物語15
パクス・ロマーナ[中]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2004年11月1日

第二部 統治中期 (紀元前18年〜前6年)

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ローマ人の物語16
パクス・ロマーナ[下]

塩野七生

新潮文庫
文庫版初版2004年11月1日

第三部 統治後期 (紀元前5年〜紀元後14年)

●ティベリウスが復帰したとき、兵士達は喜びのあまり泣き出した。(51頁)

●ローマに反旗を翻したアルミニウスは、19世紀以降のドイツ人から、ゲルマン民族の自由と独立を守り抜いた人ということで英雄視されている。(110頁)

■大作『ローマ帝国興亡史』を書いたギボン以降、欧米の歴史家たちの古代ローマへの評価は、一言で要約すれば、共和政時代は尊敬に値するが帝政時代に入るや堕落がはじまる、というものであった。(119頁)

 

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