2008.08.13
「乱暴な当直マニュアル」を作りたかった
出版をもくろんで、いろいろあって潰れた企画。研修医向けの、「翌朝まで」を乗り切るための本になるはずだった。
各科の言い伝え
都市伝説にも届かないような、いろんな先生方から聞いた、乱暴な一言。
- 腹痛の患者さんは、絶食して抗生物質と十分な輸液を入れておけば、一晩は死なない
- 例外として「化膿性胆管炎」「急性膵炎」「腹部大動脈瘤」「絞扼性イレウス」は、特別な治療をする必要がある。これは単純CTで診断できる
- 虫垂炎は、絶食と抗生物質のみで、手術しない方針の病院もある。だから点滴と抗生物質守っていれば、不作為は問われない
- 意識障害原因が分からない患者さんには、気道確保とステロイド、ガンマグロブリンを用いたら、それ以上は専門家でもやれることはない
- ゼーゼーして酸素濃度が上がらない患者さんは、人工呼吸器つないでステロイド、血管拡張薬を使ったら、原因がなんであれ、それ以上何もできない
- 肺炎治療のガイドラインに出てくる抗生物質の使いかた、第3世代セフェムにキノロンをかぶせるやりかたをした時点で、あらゆる菌は死ぬ。 病名を「肺炎疑い」とつけたその時点で、だから感染症を診断する必要はなくなる。全部治るから
- 分からない腎不全は、とりあえず透析してから考える
- 原因が分からない肝機能障害は、ウィルス肝炎が除外できたら、あとはステロイドを使って様子を見るぐらいしか、することがない
- 熱だけで死ぬ人はいない。データが揺れていないのなら、熱に慌てなくても大丈夫
検証はしていない。
たとえば「外科っぽいけれど分からない」だとか、「神経疾患っぽいけれど分からない」だとか。症状を持った患者さんが来て、 とりあえず一通りのことを調べたけれど分からなくて、分からないから、怖いから、「たぶんここだろう」なんて専門科に泣きついて、 狼狽する一般内科医を哀れんで、各科の先生方からもらったコメント。
こういうのは、「ここまでやれば、この症状は大丈夫」なんて考えかたにつながって、 この通りにやるのはたしかに無様なんだけれど、分からないときは、やっぱり専門科の人達だって分からない。
分からないときには、それでも本当の専門科は、「分からないときのやりかた」というのを心得ていて、 必要なときには、無様なやりかたをためらわない。
「分からない」から始まるやりかた
症状を持った患者さんが来る。「だいたいこの病気だろう」なんて当たりをつけて、それを調べる。 当たればそれまでで、病名に応じた治療をはじめて、話は終わる。
問題なのは外したときで、異常だろうと読んでいた検査が正常値で返ってきたり、 感染症だろうなんて抗生物質はじめて、症状がいつまでたっても取れなかったり。
不十分な情報から患者さん診察して、お話聞いて、理学所見取って、「これ」なんて断言するのは たしかにかっこいいんだけれど、外したときは最悪。情報圧倒的に足りないし、 狼狽したこの瞬間は、患者さんが入院してからもう3日ぐらい経ってたりして、どうしようもない。
こういうときに教科書をひっくり返しても、やりかたなんて書いてない。教科書に出てくる医師は、 間違えることとか想定してなくて、判断して、間違って、それでもなお、「分からない」状態から、 どうやって復活をかければいいのか。
「分からない」というのはそれでも大切な手がかりで、症状があって、「分かる」病名は、 もうこの時点で考える必要はないから、それだけでも診断は相当に絞れる。
入院して、見込みを外れた治療を行って、「分からない」に至って、この時点でやるべきことは、 「狙撃銃」を「機関銃」に持ち替える、点で攻めていたのを面で攻めるやりかたと、 診断がなんであれ、患者さんの状態が治癒に向けて前に進む、分からないままに治るやりかた。 診断の方法と、治療の方法と、「分からない」からはじめる医学は、 伝統的な教科書のそれとは、ちょっと違う。
頭のいい「頭の悪いやりかた」
それは「肝機能障害スクリーニングセット」であったり、「採血一発で診断する不明熱セット」であったり、 各科の先生方のメモ帳の奥に隠れてる、汚いやりかた。
「分かりません」なんて相談すると、専門各科の先生がたは、聞いたこともないような採血を、黙って20項目とか提出する。
伝統的な、「きれいな」医学習ってると、こういうやりかたは「大学病院流」とか蔑まれて、 「あんなやりかたしてたら、誰だって病気治せる」とか馬鹿にされてたんだけれど、 そんな馬鹿なやりかた一つとっても、知識のない自分には、その「20項目」をどうチェックしていいのか、分からない。
「頭の悪いやりかた」やるには、それでもやっぱり専門知識が不可欠で、症状ごと、専門各科ごとの 「頭の悪いやりかた」は、だから得がたい知識の集積だったりする。
こういうやりかたをまとめておくと、ある症状を見込みで治療して、どこかのタイミングで「分からない」に ぶつかったとき、分からなくても、やるべきことは見えてくる。
分からないまま前に進む
たとえ熱源が分からなくても、とにかく広く効く抗生物質落としておけば、それが細菌による発熱ならば、 いつかは治る。治らないならば、それは細菌による発熱じゃないわけだから、調べるべき対象は絞れる。
ステロイドを使えば、たいていの発熱は落ち着く。よしんばそれが細菌感染であっても、少量のステロイドは 「悪さをしない」から、広域抗生物質とステロイドとの併用は、「分からない発熱」の人を、 分からないままに前に進める、一般解に近いやりかたになる。
ステロイドはもちろん、使っちゃいけないケースもある。ウィルス肝炎にこれをやると、 患者さんの症状が悪くなる可能性が出てくるから、こういうやりかたする前には、最低限、 ウィルス肝炎でないことは、証明しておかないといけない。これは採血するだけで、 3時間もすれば結果が分かる。
いろんな症状ごとに、「全部やる」やりかたというのがある。
その症状を解決しうる、全ての治療を同時に開始するやりかた。極めて頭の悪い、 それこそ「馬鹿でも治せる」やりかた。
これをやるためには、その代わり前提条件がいくつかあって、ステロイドみたいな薬だと、 使っちゃいけないケースがあったり、薬ごとに、併用するのがよくない組み合わせがあったり。
だから頭の悪いやりかたを開始するためにも、それを実行するための前提というものがあって、 症状ごと、やりかたごとに、前もって調べておくべきことだとか、「何でも全部」というわけには いかないだとか、決まり事がいくつかある。
くだらない知識ではあるけれど、いざというときの緊急避難的な、こういうやりかたは、 やっぱり知っておくと、それだけ余裕持って鉄火場に臨めるような気がしている。
未知問題への対応
分からないとき、たとえば経済学者は過去に学ぶ。物理学者や数学者は、仮説を立ててから実験で検証する。 生物学者なら、分からなかったら、森に出かけて観察をやり直すかもしれない。
自分たちの分野「医学」は、最古の学問である割には、「分からない」にぶち当たったときのやりかたを きちんと教えてもらったことがなくて、それは「もう一度診察する」とか、「頭からつま先まで診察し直す」とか、 たしかに間違ってはいないんだけれど、勝算薄そうな、検査とか、治療とか、これだけ発達した割には、 進歩の望めない、古いやりかた。
「名医」が記した教科書には、たしかにこれやって、他の医師には診断できなかった特殊な病気を発見しましたとか、 成功したケースがたくさん書いてあるんだけれど、あれやるのは無理だと思う。名医はそんなに多くないから。
「検査をたくさん出す」やりかたは、スマートさとか、真摯な態度とはほど遠くて、 たぶんベテランなら10人が10人、そんなやりかたする医師のことを馬鹿扱いすると思うけれど、 じゃあその人達に、専門外の症状見てもらって「馬鹿なやりかた」再現できるかと言えば、やっぱり無理。
馬鹿には馬鹿なりに、知らないと出来ないことがあるし、そういうやりかたを知っていることは、 たぶん忙しい病院で、それでも忙しく生き残っていく上では、きっと役に立つ。
分かるなら、スマートなやりかたすればいいけれど、分からないときにどうすればいいのか、 「分からない」から始める乱暴なやりかた、「ここまで分かった」時の少しだけきれいなやりかた、 確定診断ついたときに目指すべききれいなやりかた、症状ごとに、こうしたやりかたを 階層構造にして、「分からなかったらここに立ち戻る」場所を、マニュアルで示せればいいなと思ってた。
需要はあると思ったんだけれど。。。
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