館長私的記録(Chief Librarian's Personal Log)館長はただ自閉連邦市民として生きているだけではありません。体内にADHD共生体を共生させている「ホスト生物」でもあり、二重国籍者として地球に生きる地球市民でもあり、おいしい食べ物とコーヒー、花と香水、レトロな建物、軌道のある乗り物(特にモノレールとトラム)が大好きです。この記録は、そんな館長の地球生活の記録です。一人の自閉者としてだけでなく、ADHD的特性をかかえて生きる者として、ただの食いしん坊として、贅沢者としての毎日を記録していきます。

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11月18日補足。
はー、夕方になってようやく『スピリッツ』読めました。といっても、また何週間にもわたってキャラの安否を心配しなきゃならないみたいなんですが。とはいえ、ここんとこ胃が痛いのは、別にそのせいではない。

今日の誤変換。「お掃除→襲う痔」。
今日の聞き間違い。「再起動→合気道」。
今日の脱力。トロツキーならぬトロッキー(ネタ元はやぎさんち)。何か無気味な顔……。
今日の失敗。イトヨリと一緒に豆腐を煮ようと思ったら、豆腐は賞味期限過ぎてました。おっかしいなあ。何か、意識がふっとヨソへ飛んでる間に2日ほど時間がすぎてたみたい。イトヨリは野菜と煮ました。その方が野菜が摂れてよかったです。おしまい。

11月18日
昨日は長文の日記に時間とられて、原稿書く時間に食い込んでしまったので、今日は『スピリッツ』の発売日であるにもかかわらず、買いに行くの自粛して仕事してます。うー。「ペット」の続き気になるんですぐゎ。読みたければ働け!>自分

前回(先週号)の「ペット」はね、内臓とか屍体とか、三宅乱丈お得意のグロ絵満載で、気持悪いとか怖いとかいう以前に(いや、私あんまり内臓の絵とか怖くない方だけど)その労働量に圧倒されたですよ。内臓の描き方が資料に忠実、かつリアルで精緻。教養の生物学基礎実験で解剖のスケッチ何回も再提出食らった私ですからね、内臓をマトモに描くのがどんなに大変なことかは覚えてますし。単なる幻覚の中の恐怖イメージのシンボルだっていうのに、どうしてここまで無駄に正しく描いちゃうかなあと一種感動してしまいました。

ひとりでやってるのかアシスタント使ってるのかは知りませんが、どちらにしても単位原稿枚数あたりの労働集約量がすごいことに変わりはないワケだし(アシスタント使えば、それだけお金が手元に残らないってことを意味しますしね)。しかも先週はカラーまで4ページ入ってたし(いあ、グロシーンじゃありません、お花畑に虹という美しい風景)、ページ数は通常どおりの18枚とはいえ、この労働量は並じゃないな、と。漫画家の原稿料って1枚いくらのはずだから、コマゴマでもスカスカでも同じですしね(って、私はスカスカの絵柄の漫画にも好きなのたくさんありますが)。

てわけで私は、「働けー! 動揺してないで原稿書けー!」っていう、天からのメッセージとコジツケて受け取りましたです。落ちこんだり怯えたり嘆いたりしてる時間、ないんですよ。私は活字屋ではあるけれど、やっぱりこー、労働時間はかかっても、情報がギチギチに詰まった濃い本、値段あたりの情報量の多い本で勝負したいタチ、そういう芸風ですので。

さて、昨日の日記で触れた『教えて私の「脳みそ」のかたち』(, bk1, )の件ですが、初版以降の岡野先生分の印税は先生に放棄していただいたので、その分を発達障害の団体に送ろうということになったそうです。それで、寄付先を私が推薦するようにと花風社から頼まれたので、今、いくつか検討しているところです。まあ、まだまだ獲らぬ狸のナントカな話ではあるのですが、役に立つところへお金が回ってくれればいいなと思っています。

さあ、さっさと原稿書け! 書くんだ私! 胃が痛くても、関節が痛くても、遊んでるヒマないんだからね!

今夜は、何か胃にやさしいもの、ってわけで、イトヨリと豆腐のスープ煮です。お粥やうどんだと、眠くなって仕事はかどらないからダメなんです。

内閣府が、新しい「障害者基本計画」 の策定に関する意見募集を実施中とのこと。期限は今月28日。パブリックコメントのページはhttp://www.cao.go.jp/comment.html

新障害者基本計画骨子案はhttp://www8.cao.go.jp/shougai/pubcomme2/kossianpub.html

11月17日
とりあえず、熱だけは微熱程度まで下がりました。ただ、頭痛、筋肉痛、関節痛、胃痛は相変わらずですが、熱だけでも下がると体力的にだいぶ違いますね。

ふむふむ、昨日は『障害学の主張』(, bk1, )の共著者たちの大半が阪大に集結していて、飲みに行ったんだとか。まあ、「飲みに行く」の部分はそんなにうらやましくないけど、会ってみたい顔もあったのは確か。共著者といったって居住地は方々に散らばっているから、かれこれ3年前の企画会議の日以来、一堂に会したことなんてないんですよね(その日だって多忙で欠席者もいたし)。いや、同じ関西にいてもすれ違いは多いです。だって立岩さんが立命館に転任してきて半年以上たつけど、結局一度もお会いしてないですしね。

もっとも昨日の私は、たとえ仕事が休めたとしても、高熱でとても行ける状態ではなかったのだけれど。でも、飲み会とかじゃなく、演題にはいろいろ聞いてみたいのはありました。

昨日、花風社から、今度出る対談本『教えて私の「脳みそ」のかたち』(, bk1, )が届きました。『障害学の主張』(, bk1, )では何しろ8人で1冊だけに、枚数の制限があって入らないことも多かったこともあり、「今度は2人で1冊だ、これでもか、これでもか」と内容を惜しげもなく詰め込んだので、愛着のある本です。こうしてようやく形になったとなると、感慨深いものがあります。

……のはいいのですが。この、私にとっては可愛い子どものような本、この世に送り出される前から、ちょっとワケアリの本になってしまいました(;x;)。

と、何があったのかお話しする前に、どうしてこの本を作りたかったか、そこからお話しすることにしましょう。

この対談相手の岡野高明氏の文章を最初に読んだのは、2001年12月に出た『現代のエスプリ』414号(2002年1月号)「ADHDの臨床」(石川元編集 至文堂 ISBN: 4-7843-5414-X 220ページ 1,381円)だったと思います。岡野氏が書いていたのは「成人女性の注意欠陥−多動性障害」という文章で、ADHDが根底にあって激しい二次障害を起こしていた女性と、逆に、ADHD本来の問題で一人ひそかに悩んでいた女性との2例が紹介されていました。

私がこの先生と対談してみたいと思ったきっかけは、一つめの、二次障害を起こしていた女性の例が目にとまったことでした。

幼いころからADHDをかかえて育つ中、人格的にもこじれていって、二次障害を起こす例は少なくないと聞きます。でも、そんな患者さんたちのケアをしようと思えば、ADHDという生物学的な障害と、情緒という心理学的な問題と、両方に通じていなくては難しいだろうというのは、しろうとである私にも容易に想像のつくことです。

でも、現実には、生物学的な精神医療と、精神病理学とは人脈(っていうか、学閥?)的にもすぱっと分かれちゃってるし、両方に明るい人なんてそうたくさんはいそうにありません。ところが、ちょっと調べてみたら、この岡野先生という方は分析の勉強もされた方だとか。教育分析まで受けられたかどうかは忘れましたが、いまどき分析の勉強してる方なんてそうたくさんはおられないでしょうし、貴重な存在だと思いました。そんな方がどういうわけか今、まぎれもなく生物学的な脳の機能障害、ADHDに関心を持っておられるなんて、これってけっこうすごいことだぞ、と思ったのです。

実は、もともと岡野先生は、人格障害や摂食障害の患者さんを多く担当されてきた方なのだそうです。そんな臨床経験の中、なかなか自傷行為や摂食障害などのなおりにくい患者さんの中に、発達歴をきけば不注意や多動の既往のある人がまざっていること、そんな患者さんにADHDの薬物療法を行なうと精神療法の効果も上がることに気づき、そこからADHDに関心を寄せるようになったとのことでした。

このいきさつを知って、私は思ったんです。「この先生の話なら、ADHDに懐疑的な先生方でも、耳を傾けてくれるかも」って。また、お医者さんじゃなくても、一般の方や、教職の方、心理職の方で、「何でも脳のせいにしては、こころの問題から目をそらすことになってしまう」と思っている人たちも、この先生のことばなら、納得してくれるかもしれない。

だって、ADHDって、注意力に影響する障害ですからね。(狭義の)精神療法だって認知療法だって、ことばを使うでしょう? 注意が散漫だと、医師や心理療法士のことばだって、右の耳から左の耳へ抜けていくかもしれないんですから。生物学的な介入で人の話を落ちついて聞けるようになったら、精神療法の効果だって上がるのはありそうな話でしょう? これなら、生物学的な話には抵抗を持っている読者も、心を動かされるかもしれない。そう思ったのです。

もう一つ、岡野先生について注目したのは、人格障害の患者さんと真正面から取り組んでこられたという点でした。

私は人格障害のことはほとんど何も知らないのですが、しろうとなりに、(特にADHDじゃないかと疑ってる人たちとの対話を通じて)次のことにくらいは気づいていました。

私自身は、自閉の影響なのかどうかわかりませんが、障害や疾患の名前とイメージの良し悪しがあまり結びつかないので(予後の良し悪しとか、管理の大変さとか、実際的なことは気になるんだけど)、こういう「名前のおどろおどろしさ」が、受診や治療の機会を逸するほどの問題になっているらしいと気づいたときは、かなりのショックを受けたものです。ADHDならまだ、幼いときからずっとつきあってきたものだけに、ある程度の対処法は知らず知らずに身についている人も多いでしょうが、「ボーダーって言われたら怖いから」なんて言って予約をキャンセルしてしまった人が、たとえばうつの方だったりしたら、大変なことになるかもしれないじゃないですか?

だから私は、人格障害っていう概念の名誉回復をしたかった。「ハズカシイ名前」のままにしておきたくなかった。

世の中にはいろんな障害や疾患があって、治りにくいもの・治りやすいもの・治らないものの差があったり、共存の大変なものとさほどでもないものがあったり、周囲に迷惑をかけるもの・自分が困るだけのものという差があったり、同じ障害や疾患にも重度と軽度があったり、いろんな違いはあるにしても、それは「名誉・不名誉」とは関係ない次元のことでしょう? 

予後や管理が大変な障害や疾患と診断されて「困ったなあ」「つらいなあ」と思うのはしかたがないけど。あるいは実際の症状がつらくて「つらいなあ」と思うのは当たり前だけど。でも、「嫌われてる疾患」「カッコワルイ障害」と診断されて、「恥ずかしい」と思う人が出るのだけは、人災じゃないの? これだけは防ぎようがあることじゃないの? そう思うようになっていったんです。

だから、外来で、病棟で、人格障害の患者さんたちとおおぜい体当たりでつき合ってこられたという岡野先生に、人格障害の「本当のところ」を聞いてみたいと思いました。

人格障害については、治るか治らないかのほかにも、「性格の極端なものにすぎないのだから、障害とよぶのは失礼だし、病院で扱うのは障害(疾患)扱いしていることになり、失礼だ」という意見もあるようです。

障害とよぶのが失礼かどうかについては、「障害って呼んだら、そんなに失礼? ってことは、障害って失礼なことば? 私みたいな発達障害や、私の仲間たちにいっぱいいる身体障害は、不名誉なの?」と答えるだけにしておきますが、受け入れ先が病院であることがすなわち「障害扱い」「疾患扱い」なのか、という点も、私は別の立場から、少々疑問に思っていました。

高機能自閉やADHD、LDなど、軽度の発達障害の人たちは、困難が軽いがゆえに、行き先がない、どこへ相談していいかわからない、という苦労をしています。そんな私たちにとって、病院が受け入れてくれるということは、疾患扱いされるだの障害扱いされるだのという以前に、「行き先ができる」ということを意味します。別に病院でなくたっていいんだけど、現に自分や周囲が困っているんだから、相談に行ける先はないよりあったほうがいい。軽度発達障害の本人や家族には、そう思っている人が多いのではないでしょうか? 病院なんて、サービス機関の一つじゃないの。困っている人はお客でしょう? その原則を忘れちゃいませんか? って思うわけです。

「病院で扱うことが、障害(疾患)扱いだから失礼」だなんて、行き先のない者から聞いたら、えらく贅沢に聞こえちゃうんですよ。

そういうわけで、発達障害にしろ、人格障害にしろ、ほかのどんな障害や疾患にしろ、「病院に来てもいいって、どういうこと?」「どれくらい困っていたら、サービスを受ける資格があるの?」「誰が困ったときに、サービスを求める資格があるの?」という疑問は、私にとってとても重要なものでした。私だけじゃなく、軽度障害や、軽症の疾患の方、大病はしないけど何となく不調、やや病弱、という方にも共通の問題ではないでしょうか?

そんなわけで、人格障害も発達障害も両方よく知っておられる岡野先生に、いろいろと質問したい。自分が質問するだけじゃなく、先生のお答えを広くみんなにも聞いてほしい。

そう思ったことから、この本が生まれたのでした。生まれるまでの半年以上、ずいぶん長い道のりだったし、苦労もたくさんありました。

ところが、ちょうどこの本の準備が始まった少しあとくらいでしょうか、共著者、つまり対談相手の岡野高明氏が、とある所に隠し掲示板を開かれたのだそうです。ただ、隠し掲示板といっても、一般の広告入り無料掲示板。リンクを貼っていないだけで、パスワードもなければロボット除けもつけていなかったため、検索すればすぐ見つかる状態だったそうです。

で、その内容は、私は見ていません。心配した何人もの方から「絶対辛くなるから、ニキさんは見ない方がいいよ」「見ちゃダメだよ」と忠告されたので、見ないことにしたんです。でも、なんでもアスペルガーのことを冷たくおっしゃってるんだそうで、花風社の社長はこれまでにも『ずっと「普通」になりたかった。』や『私の障害、私の個性。』など、アスペルガー当事者の自伝を刊行しているだけに、とても不愉快だと言って怒っています。医師としての倫理にもとるといって。胸を引き裂かれるような、悲しい知らせでした。

岡野先生は私がアスペルガーの当事者であることをご存じの上で私と対談されたわけですし、対談の内容の中では、アスペルガーの良い点にも触れておられたんですよね。だから私の中ではこのふたつがなかなか結びつかなくて、ひどく混乱していたんですけど、何日もかかって、だんだん落ちついてきました。

アスペルガーの人々だって生身の人間ですから、すてきな点もいやな点もあります。誰だってそうですよね。だから、私にも、先生が現場で接する現実のアスペルガーの人たちにも、すてきな点もいやな点もあるはずなんですよね。で、お医者さんだって人間だから不満がたまることはあるんでしょうけど、そこはもう少しがまんしてほしかったなと、とても残念に思っています。まあ、私は自分自身の心身を守ることを優先するため、現物を見ない方を選択したので、あまり具体的なことは言えないのですが、アスペルガーという障害について、冷たい発言をされていたと聞いては心穏やかでいられるはずがありません。

この件が告発されてからというもの、私の所にもいろいろと余波がありました。某巨大掲示板のスレッドで、わずかではありますが、何度か「ニキさんは今ごろどう思っているのだろう」といった形で名前が取り沙汰されていたと、たくさんの方がメールで知らせてくれました(私はこちらもやはり、自分では見ていません)。

小さいことですが、個人的に悲しかったのは、あるチャットルームで使っていたハンドルネームを、そのスレッドの中で明かされてしまったことでした。最初そのチャットルームを訪れたときは何か隠し事をするのも気が引けて、正直に「ニキ」名義で入室していたのですが、一利用者としてふつうに相談ごとなどをしたいと思っても、読者の方から挨拶されることが続き、お答えするのに忙しくて自分の話ができなかったり、具合が悪くてつらいと言っても「ニキさんならそれくらい大丈夫でしょう」と本気で聞いてもらえなかったりということが続いたため、古株の常連さんが心配して別名をつけることを勧めてくださったのでした。別名を作ったことでようやく、一利用者として、弱い所も情けない所も信じてもらえるようになったのに、そのハンドルを明かされてしまったのは、悲しいことでした。

それとほぼ前後して、私が気晴らしに訪れて、ときどき気楽な無駄話を書きこんでいた、本読み系のサイトの掲示板のURLも、何の説明もなく一行だけ貼られていたそうで、そのことをメールで知らせていただいたときは、何か、「監視されてるのかな」という感じがして、何だかキツいものがありました。別に見られて困ることは書いていないし、用心のしすぎかなとは思いましたが、何人かの方のお勧めに従って、目立つ掲示板での過去の書きこみは削除して回ったり、そんなこともありました。

同じころ、別の掲示板では私のサイトの記述からの無断コピー&ペーストをくり返してる方もおられたそうで、たぶん偶然だと思うんだけど、時期が一致してただけに、ちょっと気味が悪かったです。まあ、こちらは比較的罪のない内容ですから、あまり実害はないのですけど。盗用されたのは内容だけで、私のハンドルまでは使ってなかったようですし。でも、時期が時期だけにコタエました。前のことではありますが、私のハンドルを騙るなりすましさんが出たことがあるので、そのときのことをついつい思い出したりして。

まあ、いろいろなことはありましたが、できた本はできた本です。内容は内容です。内容には自信があります。『障害学の主張』(, bk1, )の6章では枚数が足りなくて言い切れなかったこと、私の知識じゃわからないから岡野先生にきかないといけなかったこと、ぎっしり詰まってます。月末には本屋さんに並びますので、手にとって見てください。そして、立ち読みして、気に入ったら買ってやってください。

先天障害に気づかれずに育つこと。大人になってから診断を受けようとすること。障害が軽いばっかりに「この程度で相談に行っていいの?」と悩むこと。「この程度で来ることありませんよ」と鼻で笑われること。見た目でわからない障害であるがゆえに、カムアウトするかしないかの選択は自己責任になってしまうこと。なまじ障害が軽いがゆえにカムアウトで悩むこと。2つの障害を併せ持っていながら、たまたまその2つがDSMで診断の併記が禁じられている組み合わせだったばかりに、「重複です」と名乗れない歯がゆさ。重複する2つの障害のニーズがかちあって、重複ゆえの苦労を味わうこと。障害の種類によってイメージや評判の良し悪しがあり、恥ずかしく思う人がいること……。いろいろな内容が詰まっています。とりわけ、ADHDと自閉の重複についての内容と、さっきも書いた「人格障害の汚名返上」、「軽度ゆえのつらさ」には、かなり力を入れてます。

長くなりました。いろいろあったけど、本は本。作品は作品。内容は内容です。共著者の岡野先生も、臨床家としてはともかく、書き手としての情報、知識、そして、こまめに文献をあたり、統計をひこうとする調べものの手堅さは信用していいと思いました。ですから、本屋さんで見かけたら、手にとって見てください。そして、立ち読みして、気に入ったら買ってやってください。よろしくお願いします。

11月16日
世は阪大で開かれてる日本社会学会大会一色だというのに(嘘だ。でも私の周囲だけをとってみればあながち嘘でもない)、私は机にかじりついて原稿を書く毎日。今訳してる本は絶対に人の役に立ついい本なんだから、いい本にしなくちゃ。いやもー、原書とらぶらぶ♪ってのは訳者としてこれほどの幸せはないと思います。何てったって、「私が10代のときに診断がついていて、この本があったなら、あんな惨めで暗くて華々しく面白おかしい青春は送らなかったぜ!」ってな本です。頭痛と熱と関節痛と筋肉痛で周囲からは「寝なさい」と言われても、楽しいので休みたくなくてがしがし訳しております(てゆーかこの体じゃ遊びに行けないものね)。食欲がなくてカップスープかうどんしかほしくないのも、調理や食事に時間をとられず、かえってありがたいほど。ただ困るのは、頭痛でリタリンを休まざるを得ないことと、指の関節が痛くてタイピングが遅れることくらいですね。

11月12日
『スピリッツ』の発売日だってのに買いにも行けず机の前に貼りついていた私ですが、持つべきものは私の関心の傾向を知っている知人ですね。メールでこんな連絡が。「林、まだ司を褒めない。司、ヒロキのこと思い出さない。林、ヒロキに言及しない」うーむ。たった3行で、過不足なし(笑)。レギュラーキャラふたりが、潰すか潰されるか、殺すか殺されるかっていうバトルを数週間引っぱってるっていうのに、キャラの生死以上に「師が弟子を褒めたかどうか」の方を気にしてるってゆーのをわかってくれるとは嬉しいじゃないっすか。ふっふっふっ。

ところで。今度はマサチューセッツに上陸してしまった(そして、とうとう通ってしまった)Unz法案。私はこれまで、Unz法案っていうとついつい、「ヒスパニックの子どもたちの問題」ってとらえがちだったけど、私のネット仲間の日本人夫妻がお子さんを連れてマサチューセッツに住んでいることがわかりました。意外なところに当事者がいたってわけで、さらに身近に。かの地では今、英語を母語としない子どもたちの教育が大変なことになろうとしています。外国人である私たちにいったい何ができるのか、私にもわかりません。でも、まずは、知ってください。こんなことが今、起こりつつあるということを。ここで、私のネット仲間のりんかさんとととちちさんから寄せられたメッセージをごらんください。

さて、いろいろあって疲労困憊、何が何だかワケワカで混乱してる上、仕事の遅れもどうしようもないんで、しばらくネット自粛してアタマ冷やしながら仕事に専念します。メールの授受も、原稿送信時だけになるでしょう。何かと反応遅くなりますが、ご了承ください。

11月11日
昨夜は、メールの返信を30通以上も出したぞ。えっへん! ほとんど徹夜。え、でもそれって、返信をサボっていたメールが30通以上あったってことなんじゃないかって? ああ、まあ、そうとも言うよね。ちなみに、まだ返信できてないメールもけっこうあります。申し訳ないです(ってことは、いったい何通ためてたんだ?)。挫折しましたです。

このまま寝ないで原稿書きを再開しようか、それとも床に入ろうか、迷うところ。今日は『スピリッツ』(「ペット」の掲載誌です)発売日だっていうのに、この遅れようでは身動きとれません。たとえ気がユルんでうっかり買いに行ってしまったとしても、感想をUPしようものなら即、編集者にバレるじゃありませんか。いや、それ以前にいま、コンビニまで行く気力ないし。現在バトル中で登場人物たちの安否が気遣われるつー状況下でさえ、すぐそこのコンビニがたまらなく遠く思える。大丈夫か私? 続き物を楽しみに待つことで生活にハリとリズムを! って構想はどこへ行ったんだ。

この日記もそうだけど、ああいう感想って、頭の中の圧力を下げるために書いてるようなものなんですよね。書いてしまえばスッキリして考えなくてすむようになるので。だーかーらー長いんですよ。ていねいに練り上げたら短くできるんでしょうけど、重複部分とかもチェックしてないし。すごい量だけど書くのに10分しかかかってなかったりすることも(ってこれ、やっぱり我慢できずに買いに行って、我慢できずに感想を書いて、我慢できずに掲載してしまった場合に備えての予防線に見えちゃう? そんなつもりはないんだがな)。

ところで。私がいっつもお世話になってる花風社じゃ、登録しているお客さんたちにメールで新刊案内を送っているらしい。先日、今度出る対談本『教えて私の「脳みそ」のかたち』(, bk1, )の案内を送信したそうだけど、その件名(タイトル)がなんと「ニキ・リコンさんの対談本が出ます!」……。なんだか、絶対に結婚式には招待してもらえなさそうな名前だな。まちがって書いたのは会長さんなんだとか。

社長 「ねえ、リコンさんになってるよ」
会長 「あ、ほんとだ。ご愛嬌だよご愛嬌」

うむ。会長さんのおっしゃるとおりですね(笑)。うちは今のところ離婚しそうにはないから愛嬌ですむ。それどころか、肝腎の本の内容には、夫自慢ともおノロケとも取られかねない箇所がそこここに。ああますますご愛嬌だ。これが夫婦仲の悪い作家さんだったりしたらシャレにならない。

でもね、その後、次々と申し込みが来たけど、だれ一人ツッコんでこないんだとか。いあ、申し込んだってことは、そのメールに返信したんだろうから、「Re: ニキ・リコンさんの対談本が出ます!」っていう件名のメールが、花風社には申し込みの数だけ届いたってことだよね。打ちまちがえた張本人の会長さんは「オレはゲシュタルトでものごとを捕らえるからリンコだろうがリコンだろうが関係ねーんだ」と平然としてるらしいけど、読んだお客さんも、みんなゲシュタルトで捉えてるのかな?

ふう。こんなに長時間労働してるってのに、どういうわけか原稿の枚数を見るとはかどってません。どっかで時間でも抜き取られてるのかと思うほど。そろそろお尻の皮が荒れてきたし、指や手の甲もこわばってきてるんだけど、その割に枚数に反映されてないなあ……。

外にも出ないでずっと原稿書いてた反動か、ちょっと気が弛んだ隙にアマゾンで大量注文してしまいました。自己最高記録更新? いや、かねてからショッピングカートに入れっぱなしになっていた商品を一気にレジまで持ってっちゃったってことですが。でも、検索・立ち読み行為をしていないから、単位滞在時間あたりの支払い額が史上最多であることは確実。届いたってどうせ当分読む時間ないんだから、当然、船便を選択。正月用の和書は、買わないかも。つーより、正月も翻訳原稿書くことになりそうですよ。

欧州一の読書家は英国人だって、ふうん。「悪天候が続く英国では室内で過ごす時間や、老朽化が進む鉄道車内に閉じこめられる時間が多いことがその理由」って……。てことは、悪天候にしたら本って売れるん? なわけないよな。


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