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【結いの心】

売り手よし 買い手よし 世間よし 〜総集編〜<下>

2008年6月17日

 市場原理主義に覆われた現代社会は善かれあしかれ、企業のありように左右される。カネもうけだけが企業価値のすべてのように語られがちな昨今だが、古来より日本の「商人道」には独り勝ちを戒め、社会全体が豊かになることが長期の繁栄につながるという知恵があった。近江商人いわく、商いの本道とは「三方よし」。つまり「売り手よし、買い手よし、世間よし」。

◆共生こそ商の本道

 「三方よし、のように日本の『商人道』には“共生”の思想がある。今こそ、本来の商人道を世界に発信するべきだ」。元松下電器産業副社長で、国内の企業家や学識者でつくる「企業社会責任フォーラム」理事の平田雅彦さん(77)は訴える。

 江戸時代を中心に活躍した近江商人は、行商する地域での信用を何より重んじた。単なる道徳ではなく、商いが地域の発展に役だってこそ、信用を得られ、販路の拡大につながるという考え。それが売り手、買い手に「世間よし」を加えた「三方よし」だ。

 市場原理主義や競争の激化に伴う成果主義は「企業の営利と倫理のバランスを崩した」と平田さん。近年、欧州を中心に企業にCSR(企業の社会的責任)を求める動きが高まっているが「もともと日本の商人道にはCSRの理念があった」と説明する。

 平田さんが企業家の手本という江戸時代の商人で、思想家の石田梅岩(ばいがん)(1685−1744)は「先も立ち、我も立つ」との言葉を残した。仕入れ先や得意先を含め、世間全体の繁盛に貢献することで自身を含む商人の地位が高まるという「三方よし」にも通じる。

 梅岩は、不正や倫理に反する行為も厳しく戒める。例えば、梅岩の教えを受けた呉服屋の主人の家訓にはこうある。

 「買い殺すと申すことこれあり候。この人の機嫌を損じなば、代々の得意を失わんやと心を苦しめ、商いをする。これはいじりとりにするというものなり。つつしむべし、つつしむべし」(一部抜粋)。

 価格交渉で、売り手に「得意先を失うかも」とおびえさせて買いたたくようなことは商売ではなく「いじめ」だ、との意で、大手企業による下請けいじめはこれに通じよう。

 平田さんは「短期的にどれだけもうけようと、共生の思想がなく、自分だけの利益を考えてばかりでは長期的な繁栄はおぼつかないんです」と断じる。

 【三方よし】商売は社会全体の幸福につながるものでなければならないという近江商人の経営理念。江戸中期の麻布商人中村治兵衛宗岸(そうがん)が書き残した心構えが原典とされ、現代の研究者が「三方よし」と名付けた。近江は現在の滋賀県。

◆伊勢湾台風で被災者支援…めいぎん魂、今も

 「港を見てみろ」。名古屋銀行(名古屋市中区)で、先輩が新人を叱咤(しった)するときの決まり文句だ。

 同銀行の名古屋市内での貸出金シェアは7%程度だが、同市港区に限っては30%あり、大手銀行と対等以上の業績を挙げている。

 なぜか。決まり文句はこう続く。「伊勢湾台風のときになぁ…」。1959(昭和34)年9月26日、港区など南部の4店はすべて床上まで浸水。港支店に勤めていた後藤勝彦(73)は「それでも(台風の)翌朝、首まで水に漬かって、支店へ歩いた。いかだを作ったり、泳いで来たり、皆、来てましたよ」と振り返る。

 創業者で社長の加藤廣治(こうじ)(1908−87)も自らボートをこぎ、着くなり言った。「カネが足りなかったら日銀で借りてくる。被災者への支払いや融資は思い切ってやれ」。港支店は台風の翌々日から営業を再開。バスを仮の店舗に、長靴でタオルを首に巻いた行員たちが木机に陣取った。

 「通帳が流れ、金を下ろせん」「何とか機械を修理したい」。書類が水に流れ、経営実態が把握できない企業も多かったが、行員の見知った顔なら、通帳や印鑑が無くても支払いをした。台風が原因の不渡り手形は処分を猶予した。

 大手銀行の融資が大企業が中心なのに対し、名銀の顧客は油まみれで一本一本ネジをつくるような町工場ばかり。「あのころは営業の人が日掛けで客を回って集金していた。毎日顔を合わせて経営相談に乗ったりしてるから、通帳の残高まで100人単位で頭に入っていた」。結局、台風での融資は1件の焦げ付きも出さなかった。

 後藤は台風から21年後、支店長として港支店に戻った際、よく声をかけられた。「あのときはお世話になった」。代が変わっても「親父(おやじ)に聞かされた」と、台風時の恩を語る社長たちが優良顧客になっていた。

 加藤の長男で現会長の千麿(かずまろ)(70)は言う。「親父は困ってる人をほっとけなかっただけ」。高校生のころ、自宅から見えた遠くの火事に、つい「きれいだなぁ」と漏らした時「焼け出された人の気持ちを考えろっ」。烈火のごとく怒った父の顔がまぶたの裏に焼きついている。

 「損得だけではなく、たとえ関係ない人に思えても、他人と交わり、思いやること。やがて、それが信頼を築き、支えてくれる人を増やしていく。うちはそういう信頼があるからやってこれた」

 2000年9月11日の東海豪雨で被害に遭った小田井支店(同市西区)元副支店長の鈴木秀人(53)は水浸しの支店を目にしたとき、先輩たちの教えが脳裏をよぎった。

 災害後、同支店は「復旧資金ならいくらでも相談に乗ります」と顧客を回った。世間では銀行の貸し渋り、貸しはがしが話題になっている中、1年間で支店の融資総額を170億円から30億円増やした。

 鈴木は言う。「時代が変わっても『めいぎん魂』だけは伝え続けたい」。今年の新入社員の歓迎会でも、やっぱり言った。「港を見てみろ」と。 =文中敬称略

 【伊勢湾台風】1959(昭和34)年9月26日に、伊勢湾沿岸の高潮被害を中心に、5098人の死者・行方不明者を出した明治以降、最大の台風被害。

◆企業は家族であれ…「釣りバカ」が教えること

 カネもうけに興味なく、趣味を通じた人付き合いで競争社会をスイスイと渡る大企業のサラリーマンがいる。漫画や映画でおなじみ「釣りバカ日誌」のハマちゃんこと浜崎伝助だ。「しょせん漫画だろ」と言うなかれ。「企業こそ“家族”であってほしい」との願いを込めているという原作漫画家の北見けんいちさん(67)に語ってもらった。

 釣りバカ日誌では、社長のスーさんが父親で、ハマちゃんが子どもという思いで描いてるんです。ハマちゃんは釣りばっかりやってるようでも実は仕事が嫌いじゃない。会社のためにがんばろうって気持ちも持ってます。そのうえで好き勝手できるのは会社が家族だと思って、安心しているから。

 スーさんだって、社員を厳しく叱責(しっせき)することはあるがクビを切ったことは一度もない。やっぱり、社員を家族だと思って大事にしてるんですよ。家族っていうのはけんかはしても、安定してるんです。

 僕が子どものころは社会全体が家族のようだった。親がいないときは「○○さんに言ってあるから」ってそこの家でご飯をごちそうになった。会社をクビになったって八百屋さんや魚屋さんに安く売ってもらったり、近所の人に助けてもらいながら何とか生きていけるんじゃないかって安心感があった。

 それが今じゃ、地域社会が崩れ、成果主義だ何だと、会社内でも激しい競争になっている。

 利益で結びついた関係じゃ、成果をあげないといつリストラされるか分からない。行き詰まっても競争相手には相談もできず「死んじゃおう」ってなる。家族のようにだれかに支えられてるって実感があれば、その人のためにがんばろうって活力にもなるんです。

 ハマちゃんは潤滑油。本人は仕事ができなくても、職場が明るくなって業績が上がる。オレがオレが、じゃないから下もやりやすいし、上司は追い抜かれる心配をしなくていい。こんな同僚がいたら、苦しいときでも逃げ出すんじゃなくて、みんなで結束して乗り切れるんじゃないですか。

 ハマちゃんたちの「鈴木建設」は80年代の企業がモデル。成果主義に染まった今の企業では絵空事に思えるかもしれないが、時代に合わせて社風を変えることはしたくない。

 ハマちゃんが生き生きとしていられるよう企業や社会が変わってほしいと願ってます。 

 (談)

 

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