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【結いの心】情けは人の為ならず 〜総集編〜<上>2008年6月16日 ことし元日から3部計64回にわたった本紙連載「結いの心」。市場原理主義が幅を利かせ、人の絆(きずな)が薄れた現代ニッポンの姿を見てきたが、本来、日本では「カネもうけ」が使命の企業社会でも「和」を尊び、相手を重んじる精神を大切にしてきた。日本人の心に根を張る「結い」を掘り起こし、連載を締めくくる。まずは思い出したいこの言葉。「情けは人の為(ため)ならず」 ◆「泥の文明」に回帰をそもそも日本文化の本質は「拡大」ではなく「循環」だった。 麗沢大の松本健一教授(62)は農村社会に根差した循環型社会の成り立ちを「泥の文明」と呼ぶ。 牧畜を起源に、常にニューフロンティア(新たな開拓地)を求めるのが西欧文明。それに対し、日本をはじめ東アジアの農耕文明は「田作りに象徴されるように泥の風土で培われた」。農村では一軒が田作りをやめると、そこに害虫が繁殖したり、水が下まで流れなくなる。田んぼは水を介してつながり、集落もヒトやモノ、さらには「情」をめぐらせながら、相互扶助で生きていく。そこで培われたのが皆で助け合う「結い」だった。 松本教授によると、「泥の文明」とは結いの心に支えられた「敗者をつくらないシステム」だという。 だが、日本は西欧文明を模範とし、長い年月をかけ、自ら築き上げたシステムを否定してきた。 山村で暮らす哲学者、内山節さん(58)は、「田舎を捨て立身出世することを是とする教育や政策がずっとなされてきた」と指摘する。例えば、大正期に発表された唱歌「故郷(ふるさと)」の三番で「志を はたして いつの日にか 帰らん」と歌うように。 「今は変わり続ける都市文明がもてはやされるが、本来の日本は、四季など毎年めぐってくる変わらないものがある風土が歴史や文化という力になってきた」と内山さんは言う。 グローバリズムは助け合いではなく、激しい競争を招き、歳月が培った文化ではなく、目に見える成果を求める。立ち止まる人間は非効率だと切り捨てられ、他人を思いやり、情を掛け合ういとまを与えない。 松本教授は言う。 「グローバリズムは分捕り合戦のすえ、世界中に大勢の敗者を生んできた。そのひずみに悩む21世紀の文明はどうあるべきか。助け合い、持続可能な泥の文明にこそ、そのヒントがある」 【情けは人の為ならず】 人に情けをかけ親切にすれば、めぐりめぐって自分によい報いが来る、という意味。その人のためにならない、という解釈は誤り。14世紀後半までに書かれた太平記にも記述が登場する。 ◆心のつながり自殺防ぐ…NPO法人「蜘蛛の糸」佐藤理事長に聞く
経済格差に沈む地方で自殺が相次ぐ。昨年まで13年連続、自殺率が全国ワーストだった秋田県(昨年10万人当たり37.5人)で、中小企業経営者の自殺を防ごうとしているNPO法人「蜘蛛(くも)の糸」の佐藤久男理事長(64)に、人のつながりの大切さを語ってもらった。 −会社倒産時の体験を。 うつ病の苦しみはすごい。夜中の2時、3時にフラッシュバックが来て「ワーッ」と叫んで跳び起きる。ナイフで手首を切りたい衝動に駆られる。倒産した社長は、衝動や幻覚症状に負けて死ぬのだと分かった。 −経営者の自殺を防ぐには。 必ず最後に「来週また来てもらえますね」と言葉をかける。「1週間自殺しない」と約束したことになる。「これは危ないな」と思う人には毎朝電話をかける。秋田弁で「元気だガ」って。経営者は弱みを見せないから、孤独。つながりがある、と思わせることが大切になる。 −地方で自殺率が高いのはなぜ。 大きなスーパーが来れば、小さな店はどうしたってかなわない。個人の努力の限界を超えた問題。小泉改革は都市部の大企業を助け、農林業が中心の地方は疲弊した。勝つか負けるかだけで中間がなく、弱者に優しくない世の中になってしまった。 −活動方針は。 当初は芥川龍之介の小説のように、1本の糸で引っ張り上げる感覚だった。今は安全ネットという感じ。世代や地域、家族の絆が薄れた現代の「結い」として機能すればいい。自分が倒産したとき、同じ田舎の同級生が「元気出しな」と、自転車に豚肉と米を積んで、駆けつけてきてくれた。感激したね。同郷のつながりって、ありがたいなぁって思う。 −倒産間際の対応は。 借金する方法を知らない人には、公的な融資制度や弁護士を紹介したり。悩みの原因を取り除くことで、生きる希望が見えてくる。相談を受けた約300社のうち、26社は再建し倒産を免れた。 −今後の目標は。 昨年、秋田の自殺者数減少は全国最多の63人だった。つながれば自殺は防げるということを全国に広めたい。 ◆佐平治の恩忘れない…長野・新潟県境の秋山郷江戸時代から昭和まで135年間、連綿と続いた「結い」がある。
長野県栄村と新潟県津南町を貫く険しい渓谷に、集落が点在する秘境「秋山郷」。その中程、結東(けっとう)集落の外れにある石碑の前で毎夏、住民が「佐平治(さへいじ)祭り」を開く。石碑に名を刻む佐藤佐平治は、約70キロ北の旧片貝村(現在の新潟県小千谷(おぢや)市片貝町)の造り酒屋の主人。天保の大飢饉(ききん)(1833−39)で飢えた結東周辺の村々に食糧と義援金50両(現在の価値で約1000万円)を送った。 結東で生まれ育った山田龍一さん(56)は「つながりと利他を重んじた佐平治の心こそ今の世に大切」と、佐平治の人生を映画化しようと仲間と動き始めている。 佐平治が送った食糧の米300俵超、ひえ500俵超は、小泉純一郎元首相が所信表明で引用した長岡藩の「米100俵」を大きく上回るが、それだけにとどまらなかった。 義援金の50両が戻ると、逆にこれを村から借りたことにし、その後、佐藤家から村に利息を払い続けた。利息の支払いは「どんなに貧しくなっても続けるように」という佐藤家の家訓となり、佐平治から5代目の子孫が存命中だった1967(昭和42)年まで続き、利息だけで432両(現在価値約8600万円)に上った。 結東集落では利息を積み立て、明治時代に七町七反(7・7ヘクタール)の棚田を開墾。結東の石垣田として残り、農林水産省の「美しい日本のむら景観百選」にも選ばれている。 佐平治の「善行」には、モデルがあった。「忍」の字を好み、周囲から「忍字翁(にんじおう)」と親われた彼の祖父である。
忍字翁は天明の飢饉(1782−88)の際、周辺の村々を助けて回った。支援の総額は現代の金額で約6億円といわれ、一時は借金で佐藤家が傾いたほどという。庄屋の記録には「自分1人の歓楽は水の泡のようなもの」と、他人を思いやることに重きを置いた彼の言葉が残る。 一方、孫の佐平治は酒蔵を繁盛させ、江戸にも店を出すほど。大規模な酒造りには、地元以外からも広く米を集める必要があったとされる。 佐藤家の分家の末裔(まつえい)、佐藤完二郎さん(76)は「佐平治は企業家で、忍字翁の精神を受け継ぎつつ『企業が栄えるには、地域も一緒でないといけない』といった考えもあったのではないか」とみる。 映画化に動き始める結東集落の山田さんは中学生時代、利息を取りに行く役だった祖父と一緒に佐藤家を訪ねた。貨幣価値が大きく変わり「受け取る利息よりバス代の方が高いんや」と祖父は言ったが、言葉の裏で「お金よりも大事なつながりがある」と教えられた気がするという。 2004年、小千谷市は新潟県中越地震に見舞われた。 「佐平治の恩を返すのは、今」。結東集落から、住民十数人が支援に駆けつけ、800人分のキノコ汁を振る舞った。毎年の佐平治祭りと片貝の花火大会のときには、互いの住民を招き合う。当主が絶え、利息の関係は途絶えたが、絆は今も変わらない。
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