Search:







英国エコノミスト誌とは


8月9日号エコノミスト



その他の注目記事




TheEconomistForum



「月刊正論」から


英国エコノミストを閲覧

■[その他の注目記事]では、翻訳はしていないが是非日本の読者の皆様に読んでいただきたい記事をピックアップしています!

■月刊正論(産経新聞社)との提携によるコラム提供中。隔週火曜日更新です。

■Economist.com(原文:会員特典)へのアクセスができない場合に、「Norton Internet Security」をご利用の方は、プライバシー制御をオフにしてお試しください。


会員登録されていない方でもご覧いただくことができます。
サンプル記事





最新号の目次をご覧いただくことができます。
Aug 9th 2008
Speaking truth to power 目次






目次、記事インデックスは、どなたでもご覧いただくことができます。














このサービスは、世界の政治・経済ニュースをリードする『英国エコノミスト誌』の主要記事を日本語に翻訳し、オンラインでお届けする画期的な情報メディアサービスです。また、本サービスの購読会員様は英国エコノミストが運営するサイト『Economist.com』で、最近の記事だけでなく過去の記事(約3万本)もご覧いただけます。


最新号トップページ  掲載号目次  バックナンバー

   Speaking truth to power
  Aug 9th - Aug 15th 2008




 Leaders


The Economist 2008年8月9日号

アレクサンドル・ソルジェニ−ツィン
Alexander Solzhenitsyn

権力に対して真実を語る
Speaking truth to power
(2008年8月7日)

アレクサンドル・ソルジェニーツィンの例――そして彼に応え切れなかった後継者たち

米国外交官の最長老、ジョージ・ケナン[訳注:米国の冷戦時代の外交官。歴史学者。1940年代から50年代末にかけ、ソ連の封じ込めを柱とする米冷戦政策の設計者]は、ソルジェニ−ツィン氏がスターリン時代の恐怖を描いた「収容所列島」を「現代に行われた単独での最も強力な政権の告発」だと呼んだ。証人になることによってソルジェニ−ツィン氏は確かに、何百万人もの人々の命を奪った怪物であるソビエトの制度を打倒するために、芸術家としてできる限りのことを行った。勇気ある行動の結果、彼は収容所に入れられ国外追放になった。だが8月3日の彼の死によって、1つの疑問が浮かんでくる。今日、誰が権力に対して真実を語りうるのだろうか――ロシアや中国のような独裁国家ないしは半自由国家においてのみならず、西欧においてもさえも。

ロシアの場合、その答えは愕然とするものだ。現代のロシアの知識人たち――ソルジェニーツィン氏、サハロフ氏、その他ソビエト時代の反体制派の人々の後継者となるべき人々――は、単に無気力なだけでなく、ある意味で臆病になっている。共産主義の崩壊以後かろうじて手に入れた自由を守る代わりに、ロシアの知識人の多くは、民主主義政治を骨抜きにし、その代役として繰り人形を据えたウラジーミル・プーチンの企てを黙認している。プーチン氏が「強いロシア」を復活させたことを、純粋に賞賛している者もいる(残念なことに、年老いたソルジェニ−ツィン氏自身もそうだった)。だが大多数は、浅薄な動機に基づいている。

ソビエト時代に真実を語ることは、大変な勇気が必要であり、恐ろしい結果を覚悟しなければならなかった。だからこそ反体制派の人々は、ソビエト連邦が主に原子力技術を開発するために作り上げた公認の知識人のほんの一部に過ぎなかったのだ。今日、知識人たちが口を閉ざしている大きな理由は、恐怖ではない。調査報道に携わっていた女性記者、アンナ・ポリトコフスカヤ[訳注:プーチン政権に対する批判的論陣で知られる。生命の危険にさらされつつもチェチェン情報を発信し、ロシアの人権問題を問いただした]が2006年に殺害されたように、はっきり意見を言うことは依然として危険である。だが多くの人々の沈黙の背景にあるのは、恐怖ではなく欲求である。つまり、ソビエト制度の忠実な僕としてほとんどの知識人が享受していた、手当てや地位を取り戻そうとする欲求である。

独裁主義の問題

中国では、知識人の沈黙は容易に許される。異議を唱えることは、厳しく統制されているからだ。新たな開放政策にもかかわらず、中国はソルジェニ−ツィン氏のような偉大な人物が現れる機会を作り出すことはほとんどできなかった。文化大革命の恐怖について書かれたいくつかの作品は大目に見てきたが、今では政府も文化大革命はおぞましいものだったと認めている。中国で、共産党が実権を握った後の1950年代の悲惨さや、1960年代初頭の飢餓による何千万人もの死についての文学を探しても無駄だろう。80年代には窓が少し開いたが、1989年の天安門事件によって、1990年代になっても思想の自由を手にすることはできなかった。

インターネットや市場主導の出版事業の登場によっても、中国は期待したほど変わらなかった。数人の知識人がインターネット上で党に対する批判的な意見を発表している。その良い例は、機会あるごとに党を非難している学者、胡星斗(フー・シンドウ)だ。だが彼でさえも、一党支配の終わりを要求するのがせいぜいだ。ある中国の新聞が2004年、50人の一般に知られた知識人のリストを出版して、ちょっとした騒動を引き起こした。そのリストには、河南省でのAIDSの流行を公にする手助けをした高耀潔(ガオ・ヨウジェ)、農民の苦しみを書いた農学者、温鐵軍(ウェン・ティエユン)、出稼ぎ労働者のような社会から取り残された人々の権利について発言してきた法学者、賀衛方(フー・ウェイファン)などが含まれていた。

彼らは優れた人物であり、中国は将来彼らに感謝することになるだろう。だが反体制派の発言は、1980年代ほどの重みをもっていない。中国は当時、ソビエト連邦同様に、他に知的な刺激のない荒涼とした場所だった。人々は刺激的な考えを切望していた。現在は情報へのアクセスは比較的自由になり、経済は繁栄し、多くの知識人にとって生活は改善している。中国には勇敢な知識人がいるが、現在のような状況では、その中の1人がソルジェニ−ツィン氏のように、社会全体に衝撃を与えることを想像するのは難しい。

自由の無い社会に暮らしている知識人がソルジェニ−ツィン氏の例に続くことができないことを、西欧の人々が嘆くのは安易過ぎる。そのような話は、まれなことなのだ。彼は異例の事態が重なり合う中――重大な犯罪、深い沈黙、受身の聴衆、一般の人をはるかに凌ぐ個人的な勇気――から立ち上がったのだ。一部のイスラム世界には、エジプトのノーベル文学賞受賞者(1988)ナギーブ・マフフーズのような世俗の思想家が、息詰まるほどの画一性を公然と批判したために暴行を受けたような所もある。対照的に、西欧の知識人は特権的な存在を享受している。思想家に寛容なフランスでは1968年、ドゴールが「ボルテールを逮捕することはできない」と述べて、扇動的なジャン・ポール・サルトルの釈放を命じたと言われている。大半の民主主義国では、給与は国から支給され、自由で、しばしば飼い主に噛みつく終身保証の学者のクラスを、大学に設置するという偉業を達成した。そうできれば、素晴らしいことだ。

民主主義の問題

西欧では、知識人の消滅について、大量の不安に支配された本が出版されている。差別用語の禁止(PC)や学問の行き過ぎた専門化によって、メディアで言われていることや大学で教えられていることの多くは質が落ちた。だが不満の根底には、余剰の問題があると思われる。独裁国家では、国家公認の知識人層を生み出し、彼らの発言は注意深く聞かれるが、厳しく統制されている。民主主義国家では、不協和音を生み出し、それぞれの発言者は、自分の緊急のメッセージが大量のたわごとの中で見失われてしまうと不平を言う。1960年代に不満を抱いた急進派の1人は、それを「抑圧的寛容」と呼んだ。もしマサチューセッツ工科大学(MIT)の著名な反体制派知識人、ノーム・チョムスキーが、ダボスで毎年開催される資本主義者たちの祭典に招待されて講演しても、さざなみすら起こさないだろう。

不協和音の方がましだ。思想は抑圧されるべきではないし、崇拝されるべきものでもない。ケナン氏が「収容所列島」を政権に対する強力な告発だと呼んだのは正しかった。だがその他にも1848年に2人の善意の知識人が、国家制度に対する強力な告発を出版したことを忘れてはいけない。彼らの「共産党宣言」は、人類の半分をとりこにし続けた。間違った考えを確実に防ぐ方法は無いが、出発点は、知識人の考えに耳を傾けるが、それにとらわれることなく――それよりもスポーツ番組を好むような――教養のある、懐疑心を失わない人々である。ソルジェニ−ツィン氏の上流意識は、西欧での知識人に対する敬意の欠如を嫌悪していた。それがこの偉大な人物の間違っていた点である。






E-mailでのお問い合せは
こちらまで。
info@eis-world.com

最新号トップページ掲載号目次バックナンバー購読申込みサービス内容/料金
購読契約規定お問い合せプライバシーポリシーサイトマップ会社概要



Copyright © EIS,Inc.2008 All rights reserved....