5月8日
カトマンドゥのナヤバスパークから午前10時40分発というバスでナラヤンガートNarayangarhに。バスは2時間ぐらいバスパーク近辺をうろうろ。午後4時過ぎナラヤンガート着。
プルチョークの「Royal Rest House」の半地下の部屋に泊まる。トイレ水シャワー付3ベッドの広い部屋で150ルピー。たまたまそこにいた男が「日本人が好き」で、安くしてくれた。
数年前に泊まった「フィッシュテイルゲストハウス」(英語看板なし)は、かつては道路側の部屋125ルピーだったが、いまは最低でも200ルピー。
ナラヤニ川の橋のたもとの数件のバラック屋台は立て替えられて残っていた。見覚えのある(ような気がした)おそらくチェトリのおばさんに話しかけると、よく覚えていてくれた。数年前に滞在したときこの屋台群によく通った。おばさんはそのとき私が食べたものも覚えていた。といってもチョウミンくらいしかないが。私がチヤを2杯注文したことなど。私はまったく覚えていない。
9日。
Royal Rest Houseの反対側からでる小さなローカルバスでビールガンジBirganjに向かう。たくさんのバスがある。5時間くらいバスに乗り、2時半ごろビールガンジ着。暑い。
ちょうどジャナクプルJanakpur行きのバスが見つかる。
以前はビールガンジに泊まったが今回は気が進まなかった。がさがさした国境の町のほこりっぽい感じが、かつては好きだったが、だんだん苦手になってきた。
午後7時過ぎジャナクプル着。もう暗い。ホテルが見当たらない。
「ゼロマイル」近くのRam Janaki Lodgeと書かれた宿に泊まる。シャワートイレ蚊帳付150ルピア。町を少し離れたところにあるので静か。同名の宿が市街地にもある。(人にRam Janaki Lodgeはどこと聞くと市街地のほうのを教えられる。この宿にリクシャで帰るときは「ゼロマイル」といわなければならない)。
この辺の人はひとことで言えば「インド人」。英語は通じないことが多い。油断できない感じで、しつこく迫ってくるが、白痴のようでもある。山で通じるネパール語が通じないこともある。
住民の多くはアーリア系だと思うが、色黒で顔つきもバウンやチェトリとは違う。もっと「野性的」。小さな女の子は本当にかわいい。炉全開で萌えまくりなかんじ。マイティリが多いらしい。
一応、ジャナキ・マンディールJanaki Mandirなどを見て回る。ジャナクプルは牛車が美しかった。牛が立派なのだが、ここで牛車をひいている白い牛はさらに立派で美しい。山の牛とは大きさも姿も違う。日本の昔の貴族が牛車を好んだのがわかる気がする。
10日。
バスパークで正午発ダランDharan行きのバスチケットを買う。200ルピー。乗ってみてわかったことだが、ダラン行きではなくビラトナガル行きだった。イタハリで乗り換えなければならない。
「マイティリ」は地元発音でもそう聞こえるが、私が「マイティリ」と言っても通じなかった。バスで隣り合わせた英語のできるマイティリの男によればMathiri(マティリ)が正しいのだというが・・・・。
バスはあちこちで人を乗せながらのろのろ進む。午後6時半ごろようやくイタハリ着。ダラン行きのバスは20ルピー。午後7時半近くダラン着。時計塔に近いNava Yugホテルの400ルピーもする水シャワーの部屋に入る。ダランは豊かな町だからか、ホテルが少ないからか、宿代が高い。それ以外はのんびりできる良い町。
11日。Nava Yugホテルに連泊。
12日。
午前9時のバスでダラン発。バサンタプルBasantapurに向かう。12時半ごろヒレ。その後も食事休憩をしたりしてのろのろ行き、午後2時ごろようやくバサンタプル着。Yakホテルに入る。
バサンタプルは相変わらず、寒い。といっても、もちろん3月ほどではない。
13日。バサンタプル近くの丘に登り、ジャングルに少し入ってみる。野いちごがいっぱい。
15日。
午前9時前にバサンタプルを出る。しつこくチョウキChaukiに向かう。4時間ほど歩いてチョウキ着。「ブルースカイロッジ」のいつもの部屋に入る。
16日。ブルースカイにうるさいネパール人がたくさん入ったので、名もないロッジに移る。ネパール人20ルピーの部屋だが50ルピー請求される。
こういう小さいカネで欲張って大きな魚を逃すのがネパール人。
食事はブルースカイで食べる。
かわいい女の子がいる家なのに、トイレがネパールの田舎の水準からみても格別に汚く臭く危険だった。扉はあるがカギはない。
トイレの扉がなくカーテンだけというところもある。中に人がいるのを確認する方法がない。気配だろうか。夜は明かりもなく真っ暗だから、ネパールの山村の人、特に女性は、夜はトイレに行かないようである。
それでもトイレがあるだけましなのかもしれない。いや、強烈に汚くて危険なトイレがあるよりは何もないほうがいいかもしれない。
18日。
バサンタプルに向かう。Yakホテル。
22日。
Yakホテルが繁盛しすぎているので、バサンタプルのバスターミナルに近い「アンナプルナホテル」(英語看板なし)に移る。150ルピア。鉄筋だが音はよく響く。
ネパール人は深夜まで騒いでいても、朝の4時ごろから起きだしてすぐにまたしゃべりだす。絶え間なくしゃべり、とつぜん歌を歌いだしたりする。
ネパール人の性格をひとことで言うなら、アホで田舎者。
アンナプルナホテルは従業員が朝の4時から起きだして階段で歌を歌っていた。
23日。
バサンタプルを出る。午前8時半ごろのバスでダランに向かう。午後2時ごろダラン着。高度差1500メートル以上の下げだが、バスがかかる時間は登りのときと同じ。
Nava Yugホテルは改修中で、良い部屋がなかった。中庭に向いた小さな薄暗い部屋が300ルピー。
ダランはいま非常に暑い。あいかわらず色鮮やかでしっとりした感じの町。
サリーを着て自転車をこぐモンゴロイド系のおばさんを見た。
24日。
午前10時のビールガンジ行きのバスでジャナクプルへの乗り換え地点であるダルケバールDhalkebarまで。3時半ごろDhalkebar。ここでローカルバスに乗り換え、4時半ごろジャナクプル。
前と同じRam・ジャナキ・ロッジ。
ジャナクプルはダランに比べても異質な土地という感じがする。バサンタプルと比べると外国に来たような気がする。多少イスラム色もある。
25日。
9時ごろRamジャナキロッジを出る。ナラヤンガートへ行くバスはバスパークとは別の停車場から。ナラヤンガートへの直行バスは11時から。ビールガンジ行きのバスに乗りパクラヤで乗り換えることにする。
隣の席にバックパックを乗せ2座席占領する白人女。
12時半ごろパクラヤ着。1時過ぎのバスに乗り換える。
午後3時ごろヘトウダでバスが動かなくなる。バンダBandhのため。タイヤを燃やして道路を封鎖している。どういう種類のバンダなのか、どういう勢力がやっているのかはよくわからない。
そのバスはそのままビールガンジに戻り、乗客は歩いてバンダを越えて別のバスに乗り換えさせられる。
夕方になり、ナラヤンガートに20キロほどという地点でさらにバンダ。盗賊団のような連中がバスを襲っているらしい。棒を持った一団が乗っ取ったバスを乗り回し気勢を上げている。バスが通ろうとすれば同じようにガラスを割って乗っ取るぞと脅しているらしい。
武装警察の車両もどんどん到着するが、どうすることもできないようである。武装警察は一車両に銃一丁ほど。ククリも持っていない。杖のような細い木か竹の棒だけ。隣に座っていた学生に聞くと、彼らは「ノーパワー」だという。
バスのドライバーたちと学生たちとの抗争だと説明する人がいるが、棒を持っている連中はどう見ても「学生」にはみえない。地元のいろいろな種類のグループが「政治的」になっていて、何かあるとバンダを起こすように見える。
バスのドライバーたちは壊された窓ガラスの補償を要求しているらしいがもちろん「学生」たちは応じない。隣の男は警察がドライバーに金を払って治めることになるだろうという。武装警察が実力で排除することはないという。「それがわれわれのカルチャーだ」というが、以前は実力で排除していたはずだから最近のカルチャーなのだろう。
バスは4時間ぐらい足止めされていた。大部分の乗客はバスをあきらめ、歩いていくかリクシャに乗り換えた。タクシーはない。バイクやリクシャだけは通してもらえるらしい。夜のリクシャは危険だというので、数人の人たちと最後まで残っていた。
結局、バスは抜け道を行くことになる。ドライバーも道を良く知らない。聞きながら行く。抜け道もおそらくその地元の連中の封鎖を受けていて、バスは100ルピー払わなければならなかったという。コンダクターがどういう口実か25ルピー私に請求したが、断った。他の人も払わない。
午後11時近く、ナラヤンガートのバスターミナルらしきところに着く。そこから20分ぐらい夜道を歩きプルチョークのRoyal Rest Houseへ。ちょうどプルチョークまで行く人がいたのでよかった。道はまったくわからなかったし変なのもうろうろしていて声をかけてきたりする。
Royal Rest Houseの先日150ルピーで泊まれた部屋が250ルピー。安くしてくれた昼の人はおらず、夜遅い到着に付け込まれた。
ジャナクプルの宿で干していたTシャツを忘れてきた。本当にひどい一日だった。
5月26日。
10時ごろナラヤンガート発。
午後2時半ごろカトマンドゥ市域に入る。3時、ナヤバザール着。宿まで歩く。
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