【犯罪】 東南アジア某所にて 2007年4月26日撮影 [crime] White Sex Tourists in S.E.Asia [Tourism of Thailand]

 
コメントのしようがない。

これでもまだ「東南アジアで児童買春しているのはほとんど日本人」などと言い続けるつもりだろうか。それは自虐というよりむしろ「うぬぼれ」といったほうがいいくらいである。

Imgp3244

Imgp3245

いま東南アジアでこんなことをしている日本人はまずいないだろう。もちろん最近急に白人がこういうことをやり始めたのでないのは言うまでもない。

白昼堂々とこのざまである。この刺青したごろつきたちは「孤児と遊ぶボランティア」だとでもいうのだろうか。

東南アジアの児童買春は今なお非常に深刻である。かつて日本人などアジア系セックスツーリストが児童を買っていた「置屋」での児童買春の取り締りがすすみ、「子供を買っているのが白人ばかり」という状態になったことによって事態は却って深刻になっている、とさえいえるだろう。白人がやる悪事は有色人種の悪事と違い、マスメディアにさらされ強く批判されることが少ないからである。

被写体の「ココログ掲載」許可あり。

ウソだと思うなら本人たちに聞いてみればいい。

くだらない難癖つけてこないように。

づくづく思うのは、もしもこの海兵隊野郎がモンゴロイド系か黒人で、手を引かれて連れて行かれていく少女が白人だったとしたら、世の中どんな大騒ぎになっていたことだろうかということ。想像してみて。場所はヨーロッパの最貧国でもいい。

もしそのような現実があるとしたら世界中の白人メディアが殺到するだろうが、その前にただちに権力が動くだろうから(もしその国の権力が動かないときはアメリカのゲバルトが)、そのような現実がおびただしく展開するということはほとんど考えられない。

しかし、こういう(肌色逆の)写真一枚が流出したとしたらどんな大騒ぎになるか。そういう写真一枚で白人メディアは連日の狂騒を引き起こし、国際的な公的機関を動かすに十分だろう。

植民地主義時代以来の世界の枠組は今もなお健在である。

これらについて少し想像力を働かせてみれば、「人権」も、「女性の権利」も、フェミニズムも、「子供の人権」も、(子供の)「性的自由」も、なにもかも、これらのお題目は「白人の世界支配」という構造の中でのみ存在し機能しうる、白人イデオロギーに過ぎないということがわかるはずである。

http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/05/ranon_kaw_thaun_2b26.html

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2008年6月 6日 (金)

ブログ終了のお知らせ

2005年7月開設以来3年になろうとしているこのブログ「日付のある紙片」ですが、このたび事情により終了することにしました。

このブログは一貫して匿名ブログとして運営してきましたが、匿名ブログ筆者としての人格の維持が困難になったからです。

ただし、閉鎖ではありません。コメントは受け付けています。もちろん承認したもののみ表示となります。

このブログは、ブログ所有者の個人的な事情や背景はなるべく書かず、筆者が経験したこと、感じ方、考え方、価値観などを出来る限り率直に表現し、実名や顔出しでは(主観的に)なかなか言えない微妙なこと(「人種差別」にまつわることなどはほとんどそうですが)も書いていく、という方針で運営してきました。しかし、そのような方針を継続させていくことが事情により困難になりました。

その事情というのは、一部で実在の筆者つまりブログ所有者である私が特定されたことです。

理解力があり信頼できる人になら特定されてもかまわないのですが、私にとって最悪の場所にいる、私の目には最低にくだらない部類の男に特定されてしまったからです。

その男というのが、私もよく訪れるアジアのツーリスト基地の、日本人の溜まり場になっているような店で接客業に従事している、たいへん口が軽く、なんでもぺらぺらとしゃべってくれる男であるため、アジア旅行記を軸としたこのブログをこれ以上匿名ブログとして継続していくことが主観的に困難になりました。

そういうわけでブログ「日付のある紙片」は終了することにしました。

この男が私に詰め寄った経緯については次の記事をご参照ください。

このブログは匿名ブログです
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2008/06/post_0c81.html

この男が私のブログをどうしたかったのかは分かりませんが、筆者を特定した後おそらく記事の訂正か差し止めを要求したかったのだろうと思います。

彼が問題にしていた記事は、(実に天下国家とはまるで無関係ですが)次の記事。

「ロータスレストラン」 タメル カトマンドゥ
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2008/04/post_a2fb.html

この記事の特に「カマル」について書いた箇所です。

つまりこの男が崇拝しているロータスレストランの日本人オーナー(サウジ)が溺愛するネパール人青年カマルについて私が書いた内容が気に入らない。それで義憤に駆られてか、記事を潰そうとしてきたということのようです。

カマル(日本人の耳には「コモロ」と聞こえるネパールではありふれた男の名前。「蓮」すなわちロータスを意味する)について補足しておくと、

ロータスレストラン近所に住むネパール人のなかにはカマルをひどく嫌っていて「たいへんな悪人」とこき下ろす人もいた。

一方、ロータスのサウジ(日本人オーナー)の評判は、カマルを嫌うネパール人にも良い。

私もカマルには良い印象は持っていない。陰険な雰囲気だからというだけでなく、サウジがいるときは卑屈にニコニコして丁寧に振舞うが、サウジがいないとさらに陰険かつ尊大な態度で投げやりな接客をするところが私は好きになれない。

私が書いたことはこの限りのことです。

「そうでない」と思う人は、そうでない、そう思わない、私は好きだ、と自分のブログにでも書けばよいのだと思います。

タメルの日本人の間ではこのロータスレストランの日本人サウジがたいへんな威光を放っていて、このサウジが養子のように育てて溺愛しているカマルの悪口だけは、誰も決して言えないという雰囲気があるらしい。

それで、このサウジを崇拝するあの小僧が紅衛兵よろしくシャシャリ出て匿名ブログ記事の取締りにまで手をつけようとしたようである。

しかし、接客業に従事していて「その世界」で名前も顔も売れている人に毀誉褒貶があるのはむしろ自然なことではないか。

ネット上であれこれ言われるのも覚悟すべきでしょう。

むしろ、接客業者の評判や接客の感想をインターネット上で自由に書けないということのほうがおかしいのではないか?

それ以上のことは民事または刑事の法律問題として処理するということにならざるをえないと思います。しかしそれは第三者が口を出すべきことではない。(民事についてはいうまでもない。日本法では名誉毀損罪や侮辱罪は親告罪、すなわち被害者の告訴がなければ問題にならない。信用毀損罪の場合は「虚偽の風説の流布」が要件になる)。
  

このブログを書いてきた者がどんな人間かどうしても知りたいという人は、カトマンドゥ、タメル地区にある“Cha Cha Cafe”(ちゃちゃかふぇ)に行って聞けば、何でもぺらぺらとしゃべってくれることでしょう。
 

「日付のある紙片」というブログ名は、いうまでもなくサルトルの小説「嘔吐」の冒頭にでてくる「日付のない紙片」をもじったもの。しかし、Kuantanはロカンタンをもじったというわけではないです。
  

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2008年6月 4日 (水)

いまだにこういう宣伝をする人たち 「タイはありがたい国」

頭の弱い日本人の中にはこういうので自慰にふける人が絶えないので、タイの商売は安泰。

タイが「タイ商売」で世界に撒き散らす害毒も絶えることがない。

だれかがこのブログのリンクを貼った2chの掲示板らしいが、リンク元から。
 

237:萌える名無し画像 []
2008/06/03(火) 00:19:23 ID:xSlKbq40O

戦後、日本がタイに払わなきゃいけないはずだった補償金だったかの借金も「敗戦で痛手を受けたうえに更に苦しませるわけにはいかない」っつってすべて帳消しにしてくれたり 焼け野原だった日本に「日本の子供達に夢を持って欲しい」つってタイの人が個人で象(はなこ)をプレゼントしてくれたり最近では日本で米不足だってなったら真っ先に支援を申し出てくれたり。

ありがたい国なんだよ、タイって。

http://touch.xrea.jp/janetouch/read.php?host=set.bbspink.com&bbs=girls&key=1211987290&start=

 
常識かと思うが、「日本がタイに払わなきゃいけないはずだった補償金」などというものはない。大東亜戦争当時、タイは「枢軸国」の一員。日本と軍事同盟関係にあった。

ところがタイ政府は同時に英米の顔もうかがって、「自由タイ」という反日パルチザンを泳がせている。

日本がまだ威勢がよかったときにはタイ軍は日本軍と一緒に英領ビルマ・シャン州に侵攻、チャイントーンにも駐留した。これだけでもタイの「戦争責任」は十分だろう。

しかし日本の敗色が濃くなると駐留日本軍基地を襲うなどの反日パフォーマンスを推し進め、日本の敗戦後はまるで被害者のような顔をして戦争責任を逃れた。

日本よりと見られていた兄アーナンダ国王が殺されて、弟プミポンが即位。

これで日本と同盟した責任は帳消しになったようだ。
以来、媚白人路線まっしぐらで今日に至る。

アーナンダの暗殺とプミポンの即位はちょうど、ネパールのビレンドラ国王が殺されて弟ギャネンドラが王位を乗っ取ったのに似ている。

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バンコクのアパートで邦人女性の遺体、恋愛の悩みからの自殺か?

無職で去年の12月からそのアパートに住んでいたということですが、いったいどんなビザで滞在してたんでしょうね。

タイの地元新聞を読む」より

(更新)バンコクのアパートで邦人女性の遺体、恋愛の悩みからの自殺か?

 3日未明、バンコクのディンデーン区ソーイ・ラチャダーピセーク13内にあるポン・アパートメント1階の非常階段付近(報道により2階の非常口付近)で、同アパート9階に住む26歳(報道により36歳)の無職の日本人女性の遺体が発見された。

 警察側は、遺体の状況や残されていた遺書の内容から、恋愛関係の悩みから飛び降り自殺を図ったとの見方を示した。

  報道によると、女性は昨年12月に同アパートに一人で引っ越してきて以来、夜中に遊びに出かけるところが頻繁に目撃されていた他、過去に日本人のミュージ シャンの恋人がいたが、その後帰国してしまい、最近ではシーク系インド人の男性とつきあっていたという。また、アパートの関係者によると、女性はタイ語を 殆ど話す事が出来なかったという。

 また、遺体が発見される前の同日1:00頃、アパートの地上階で酒を飲み終え、部屋がある9階に戻ったところで泣きながら他の部屋のドアをノックして回り、出てきた人がなだめるという場面も目撃されていたという。

 

私がカトマンドゥ、タメルでよく利用するネット屋はあるホテルに付属しているが、そのホテルは「タイ流れ」の白人宿泊者が多い。タイ女もよく泊まっている。

このネット屋自体は悪くないのだが、ホテル宿泊者も当然利用する。

売春婦がタイ語で電話をかけたりしているのをみると、「ヒマラヤを穢すな!」と叫びたくなる。やつらは世界の汚物である。

タイ売春婦もよく泊まるが、糞掃衣を着たタイ坊主=タイ仏教僧が泊まっていることもある。ルンビニ巡礼という口実で、こんな退廃したホテルに泊まるのだ。

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2008年6月 3日 (火)

“Cha Cha Cafe”(ちゃちゃかふぇ) カトマンドゥ

ロータスレストラン」と並び、カトマンドゥ・タメル地区で日本人が経営し、常駐している店のひとつ。

イタリアンスパゲッティを主体にしている店で、味はやや中途半端な感じもするが値段を考えるとまずまずといえる。

コーヒーの味はカトマンドゥレベルでいえばかなり良い。「ロータス」はもちろん近頃の「ちくさ」よりも良いと思う。

ネパール人従業員の態度や仕事ぶりは「ロータス」の連中より良いように見える。

場所はロータスレストランが以前あったところ。つまり、「おふくろの味」(かつて「味のシルクロード」があったところ)のわきからジャータJyatha通りに抜ける横丁にある。この小路は便利な抜け道である。(いま「ロータス」はこの小路をジャータ通りに抜けた角にある)。
 

こういう場所ではやむをえないところもあるのだが、この店の問題もまずはそこに集まる「お客さん」であるようにみえる。

カトマンドゥ在住日本人、沈没日本人などの溜まり場になっていて、朝覗いても昼覗いても晩覗いても同じ日本人がカウンターにずっとへばりついているという光景を見ることがある。

常連は、JICAの日本人、日本語教師、そのほか長期滞在日本人ツーリスト、たとえば英語もネパールも一言もしゃべれない日本では「土方」をやっているという沈没滞在者・・・・とか。

これだけ書くとおぞましいところだと思うかもしれないが、この程度をおぞましがっていてはアジアのツーリスト基地で生活することはできないかもしれない。

日本人同士仲良くすること自体が悪いことだというのではない。外国で日本人同士仲良くしていることを悪いことだともカッコ悪いことだとも私は思っていない。むしろ逆である。日本人は外国でも足を引っ張り合う傾向があるが、白人同士はアジアでは国籍を越えて助け合うことが多い。この点は白人を見習うべきだと思う。
 

それにしても、あの「土方」さんは超うざかった。

私はコーヒーが好きなのだが、本当にいつ覗いてもこの人がへばりついていて仕切っていた。「中卒」という感じの人で、実に内容のない話をどうしてそんなにしゃべれるのかと不思議になるような勢いでしゃべり続ける。日本人客を囲い込んでいる。

なんでも、嫁さんが中国人だとかで、ときに聞き飽きたような「反日」風発言を口走ったりもする。

体が大きく存在感がある分なおさらうざかったのだが、彼にとってみれば私みたいなのが一番ウザかったかもしれない。
 

こういう人が集まるのは、その店の日本人オーナーに「声の大きい人」に阿るようなところがあるからでもあるだろう。

どういう成り行きだったか今でもぴんとこないのだが、私は以前このかふぇのオーナーの「指図」でその「土方」さんに詫びを入れさせられたことがある。

小さいことだったが、ちょっと腑に落ちないところがあった。なぜオーナーが口を出す・・・ということである。

このオーナーはネパールで商売しているにもかかわらずネパール語はまったくできないらしく、ひとこともしゃべろうとしない。

ネパール人に対しても英語を好んで使うが、英語を話すとなると声まで変わり、人格が入れ替わったようなパフォーマンスを見せたがる、という典型的な日本人。

日本には英語を話すときは声が変わるのは当然だと思っている人もいるかもしれないが、そうでもない。

ネパール人、インド人は英語を話しても声が変わるということはない。マレーシアでは英語、中国語、マレー語を自在に操る人をたくさん見たが、みんな「自分の声」「自分の言葉」で自由自在に使い分けていた。

英語を話す段になるとまるで新劇俳優のようになってしまうのは、日本独特のNOVA的「英会話文化」ではないかと思われる。

   
ただ、この「場所」自体に、どこか良くないところがあるのかもしれない。

というのは、数年前「ロータス」がこの場所にあったときもやっぱり変な日本人客がへばりついていたからである。

カトマンドゥで「繊維の商売」をしてるとかいうタイヲタオヤジで、タイに批判的なこと‐といってもこのブログに書いているような重いことでなくもっと軽い断片的なこと‐をちょっと言うと、「タイのことは俺がいちばん知っている」という感じで猛烈に叩いてくる人だった。

ロータスがあそこにあった間、季節を問わずいつ通っても見かける人だったが、いまはどうしているだろうか。

オカルト的になるが、そういう人が集まりやすい土地(?、一角)というのがあるのかもしれない。
 

オーナーはまた、ここで日本のヤクザに絡まれたことがあるなんて話もしていた。

日本ネパール混血のヤクザに付きまとわれて命も危ないほどになったが、カトマンドゥの有力者のコネで収めたのだとか。

どこまで本当の話かわからないが、一見物柔らかで謙虚に見えるが下手(したて)に出ている者にはジリジリ態度がでかくなり、からみついて来るような粘っこい雰囲気のある人なので、ヤクザの恨みを買うこともあったのかもしれない。そういう人間と縁ができるかどうかは人によるのだろう。

一般的に言って、飲食店経営は簡単な仕事ではないと思う。日本ではちょっとした喫茶店を始めるのもたいへんなことである。採算はもちろん、客層も考慮して計画しなければならない。

ネパールには衛生基準もなく飲食店営業それ自体には何の規制もないので、ビジネスビザさえ取れれば素人の日本人でも簡単に始められるところがあるようだ。

そういう夢のある人には良いチャンスといえるが、落とし穴もあるかもしれない。 
 

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2008年6月 2日 (月)

ダランDharan ネパール

宿の夜番のバウン(ブラーマン、アーリア系)の男にダランのほうに行くと言ったら、ダランはネパール人の間では「女で有名」なんだと言っていた。

「女で有名」というのは風俗遊びがあるという意味ではなく、美女が多いことで有名という意味らしい。

私はもう何度かダランを訪れている。女性の着物はなるほど色鮮やかで美しいと思ったが、「美女が多い」という印象はなかったので、彼の言っていることの意味が良く分からなかった。

そこで彼に、どういう美人が多いのかと聞くと、「ライ族とか、日本人みたいな顔した女がきれいらしい」ということ。

それなら確かに日焼けした垢抜けない日本人みたいな女はいっぱいいたような・・・・。

東ネパールで日本人がよく似ていると言われるカーストはリンブー族だが、ライ族もリンブーと同系の民族で、一括してキラトと呼ばれている。(Kirantと書いてだいたいキラトと読む。なおラリグラスのローマ字表記はLaliguransh)。

アーリア系ネパール男にとっては「日本人女みたい」ということは美人と同義なのか?

キラトの容姿の特徴は、私には、顔が扁平で両目の間が間延びしたように広がっていることのように思われる。

ダランのバスパーク近くの美容院の看板 モデルはモンゴロイド系というより日本人モドキのような。昔郵便受けにいっぱい入っていたピンクチラシをちょっと思い出した。カトマンドゥなどの美容院の看板はインド人とも白人ともみえるアーリア系の女の写真または絵が多いと思う。

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下)ダランの金持ち住宅街 グルカ兵などでお金持ちになった人が住んでいるという。

Imgp5684

ダランはネパールのファッションの発信地でもあるという。日本人のような女の子は日本風のファッションをしていることもある。たとえば、クルタスルワールの代わりにスパッツのようなパンツをはきその上にスカートをはくとか。

こっちのほうで見るアーリア系の女はきれいである。私にはそれのほうが魅力的だった。肌が黒く、輝いている感じ。山のアーリア系や白人のように険しい目でにらみつけたり蔑むような目つきをしたりもしない。リラックスした目で前だけ見ている。何か原始的な生命力が沸いてきているように見える。この人たちと比べるとモンゴロイド系民族はみんなどこか洗練されていて、文明によって作られた種族という印象を受ける。

マイティリまたはマデシと思われる女性たち、つまりタライ平原系の色黒アーリア人の女性には、私の目には文句なしの美人と見える人が少なくない。なぜか、どこか日本の美人女優のニュアンスがあると思った。日本で美人女優になる人には白人風というよりインド風味の人が多いのかもしれない。肌色は違うがこの人は確かに日本のテレビで見たことのある女優さんにどこか似ていると思うような人がいる。午後1時半ごろからフジテレビでやるヨロメキドラマで主役をはりそうな、名前はさほど売れていないが確かにキレイな女優という感じの人。

ダランは色気のある町だと思う。

もちろん風俗産業があるという意味ではない。セックス産業はない。外国人(白人)はほとんど見ない。ミッショナリーはかなり来ているはずだが白人はあまり見かけない。

大きすぎず小さすぎず、緑が豊かで町の色彩も豊か。標高が低いせいかベンガル地方に近いせいか、濃厚な空気を感じる町。地図を見るとここからバングラデシュは近くである。交通の便さえ良くなれば、カトマンドゥ、ポカラに次ぐツーリスト基地になる可能性があると思う。インドへのアクセスもカトマンドゥよりは良い。

タイのチェンマイにセックス以外にもツーリストをひきつける何かがあるとしたら、ダランは十分にツーリズム拠点になる条件を備えていると思う。

つまり、セックス目的以外でチェンマイに行く人間の大部分は、何かを見るためというよりも、チェンマイ自体を見てチェンマイに滞在すること自体を目的で行くのだろう。彼らはたぶんチェンマイにいると言うことだけに何か意味を見出そうとするのだと思う。

そのように考えてみると、ダランはチェンマイ以上にそういうタイプのツーリズムの条件を備えていると思う。

ダランは空気のやわらかいしっとりとした町で、宿さえ整っていれば落ち着けるところだと思う。インドに近い町にありがちなガサガサした埃っぽい空気はない。ダランの人間はもちろんチェンマイのようにスレきっていないししかめっ面もない。チェンマイよりははるかに「夢の中の東南アジア」という雰囲気の町である。

ダランの色気の源はベンガルに近い気候もあるだろうが、おそらく背景に控えているチューリア丘陵‐ヒマラヤに連なる美しい丘陵地帯‐から供給される生命力だと思う。あえてチェンマイと比べてみたのは、このあたりにある共通性と異質性とを探ってみようと思ったからである。

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このブログは匿名ブログです

匿名ブログの是非についての考え方はいろいろあるかと思いますが、このブログは開設以来3年近く一貫して「匿名ブログ」として運営しています。

つまり、実名や顔出しでは「主観的に」恥ずかしくて言えないような本音もたくさん盛り込んでいるということ。

私はここで論じているような内容を口に出して話すほうではないので(よほど信頼できて理解力のある人間になら別だが)、その意味ではこのブログは顔出しでは「恥ずかしい」内容がほとんどだとも言える。

しかし、だからといって表現する意味がまるでない内容だとも思わないので、こうして公表しているわけです。

したがって、「身近な読者」にお願いしたいことは、このブログの書き手、つまり「この私」が誰であるかということをあえて推知し特定しようとしないでいただきたいということです。

あえて推知し特定しようとしないでいただきたい、という意味は、具体的に言えば、たとえば仮に「この私」がネットカフェでこの管理画面と格闘しているところを見かけてこのブログの管理人が「この私」であることを知ることになったとしても、私をつかまえて「あなたがあのブログを書いているんですね」「あなたはこんなことを書いていましたね」「どうしてそんなことを書くんですか」などと言ったりしないでいただきたいということです。ヤクザじゃないんでしょうからね。

(そんな野暮なことをする人がいるのか、と思う人もいるでしょうが、実際いたんですね)。

これ以上のことを要求することは私には現実に不可能であるし、人の口を封じることができないこともわかっている。

しかし、単に「あの匿名ブログはあの人が書いている」と知られているということと、面と向かって「こう書いただろ」といわれることとでは、質的な違いがある。

繰り返して言うと、このブログはあくまで「匿名ブログ」として運営しているものです
 

この機会に匿名ブログに対するありうべき批判について少し考えておこうと思う。

まず、匿名ブログと「匿名掲示板」とは違う。匿名掲示板はそのとき限りの書き殴りが可能で、そのような書き込みが優勢になることが多いものである。

匿名ブログは、フィクションながら「ブログ人格」とでもいうべきものを設定した上で、その人格に同一性、継続性を持たせて運営しているものである。

さらに、「言論の責任」という観点から匿名ブログへの批判がありうる。

「法的な責任」について言えば、このブログの作成者はブログ提供会社であるニフティには完全に身元が知られているので問題にならない。これは有料ブログでもあり、毎月私の口座からお金が落ちるのである。

しかし、「言論活動に固有の社会的責任」ということになると、言論を評価する仕方についての考え方によって意見が分かれると思う。

言論を評価するときに、①その言論の内容(言っていること)自体を重視するのか②その言論を行っている人が誰であるか、その人の経歴や業績、社会的地位を重視するのかによって、「匿名ブログ」(というもの)の評価はまったく分かれることになると思う。

私の社会的地位や経歴を詮索しそれらを公表しろなどというコメントを書いてくる人は、明らかに後者を重視する人である。

日本の言論の風土はいまでも後者重視であるように思う。だからこそ逆に、日本では匿名ネットメディアが繁盛しているのでもあろう。

現実の日本人の社会において、このブログを作っている私がどういう経歴でどういう風体の人間かということを公表すれば、多くの野次馬の関心は私が論じている内容自体よりも私がどんな人間かの方に集中することになるだろう。

そしてこのブログのコメントも他での評判も、「私が『そういう人間だから』そんな考え方をするのだ」式の低次元の非難で埋め尽くされることになろう。

今でもこのブログを批判する人たちのコメントはほとんどそういうものばかりである。いちばんありふれた例を挙げれば、「お前がタイを批判するのはどうせタイ女に振られたからだろう」という類のつっこみである。

日本の環境には残念ながら、そういう低級で単純な言論のほうが力を持ちやすいところがあるようである。多くの人がそういう卑俗で「わかりやすい」理屈に迎合し、それ一色になる傾向があると思う。

だから、どんな人間がこんなブログを作っているかを少しでも公表すれば読者の関心はそちらに集中し、記事の内容自体に注意を払う者はほとんどいなくなるに違いない。

私自身は当然のように、言論はその思想内容自体によって評価されるべきである、と考えている。の立場に立つ。もしそうでなければ匿名ブログなどやらないだろう。

つまり、これを書いている「この私」が重要なのではなく、書いてある内容、事実と論理、が重要なのであり、それに注意してほしいと思って書いているのである。
 

いまさらこんなことをわざわざ書くのは、カトマンドゥ在住のある日本人との間で次のようなやりとりがあったからである。

男 (突然)「ちょっと聞きたいんですが、ブログもってますか」 (私はこれまでこの男にブログの話などしたことがないのだが・・・・)

私 「もってますよ」

男 (いきなり)「ロータスレストランについて何か書きました?」

私 「書いてません」

この男は「ロータスレストラン」の当事者でもないのだが、ロータスのオーナー(日本人)の心酔者らしく、私がロータスについて書いた記事が気に入らなかったようである。

下調べをして「この私」をほぼ特定したあと、紅衛兵よろしく「取り締まり」に出たもののようである。

私がブログで「ロータスレストラン」について書いている記事はおよそ次の3つ。

「ロータスレストラン」のカキ氷

「ロータスレストラン」 タメル カトマンドゥ

英語が得意な日本人

一般的に言って、飲食店の客がその店についての率直な感想をブログに書くことが悪いことだとは思われないので、これらの記事に問題があるとは私には思われない。

接客業に従事している(「その世界」でかなり有名な)個人にたいする個人的な感想を書くことも言論の自由に属するだろう。

「そう思わない」という人は、「そう思わない」という言論を展開すれば良いのである。

ただ、当事者からの直接の要求があり、その主張に合理性があると認められる場合には、記述内容について再検討することもありうる。

しかし当事者でもない第三者にあれこれ指図される理由はない。

この男‐白うるりのような小僧だが‐、人の噂を何でもよくしゃべってくれる人なので、その口に封をすることは不可能だろう。

ただ、カトマンドゥの日本人社会(どんなものか私は知らないが)のなかで何を言おうと勝手だが、私に面と向かって「あのブログはあなたが書いているんですね」「あなたはこんなことを書きましたね」・・・と詰め寄ってくるようなことはしないでもらいたいと思う。
 

どうせ誰が書いてるかわかってしまったんだからいいんじゃないか、って?

それでは、

「あなたの胸は大きいですね。サイズはいくつです。輪郭が見えてるんだからサイズを言ってもいいじゃないですか。ついでに出して見せなさい」

と言っているのとあまり変わらないように私には思われる。

このブログには顔出しでは決して(私は)言わないような微妙なことも書いているからである。
 

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2008年5月31日 (土)

峠から カトマンドゥ盆地

街道の峠からみたカトマンドゥ盆地。ここを越えると急に都会になり、あっという間に市内に入る。
カトマンドゥにいると田舎に行きたいと思うが、ここを越えて市内に入るときにはいつも懐かしいようなホッとしたようななんともいえない気持ちになる。いまは魅力の少ないろくでもない町になっているが・・・・。

Imgp5683

ここは重要な地点なので当然武装警察が配置されているが、いまはそれほど厳重ではない。

ちょっと前AFPの日本語訳者がKathmandu Valleyを「カトマンドゥの谷」なんて訳していたが、どう見てもこれは「谷」ではなくて「盆地」。
 

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ナラヤニ川 ナラヤンガート ネパール

ナラヤンガートNarayangarhは私の好きな町のひとつ。
広々としていて、活気があり、しかも人はそれほど多くない。
インド人も多く、インドの雰囲気もあると思うが、町は比較的きれいで殺伐とはしていない。
ネパールの辺境の町へ行くときには、カトマンドゥから長距離バスに乗るよりもここから乗ったほうが早くて安い「こともある」。

Imgp5686

ここはカトマンドゥからは4時間ほど。
遠い町に行くときには、デイバスでここまで行って一泊してから行ったほうが、カトマンドゥから直行するより楽でスムーズなことがあると思う。
たとえばジャナクプルへ行くとき、カトマンドゥから夜行バスに乗るよりも、ここに泊まって翌朝のデイバスでジャナクプルに向かうほうが、費用は多少高くなるとしても旅行としては快適。バンダBandhがあれば話は別。
カトマンドゥの出入りは峠を越えるので平野の道より遅くなると思う。
 

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ナラヤンガート、ジャナクプル、ダラン、バサンタプル、チョウキ

5月8日

カトマンドゥのナヤバスパークから午前10時40分発というバスでナラヤンガートNarayangarhに。バスは2時間ぐらいバスパーク近辺をうろうろ。午後4時過ぎナラヤンガート着。

プルチョークの「Royal Rest House」の半地下の部屋に泊まる。トイレ水シャワー付3ベッドの広い部屋で150ルピー。たまたまそこにいた男が「日本人が好き」で、安くしてくれた。

数年前に泊まった「フィッシュテイルゲストハウス」(英語看板なし)は、かつては道路側の部屋125ルピーだったが、いまは最低でも200ルピー。

ナラヤニ川の橋のたもとの数件のバラック屋台は立て替えられて残っていた。見覚えのある(ような気がした)おそらくチェトリのおばさんに話しかけると、よく覚えていてくれた。数年前に滞在したときこの屋台群によく通った。おばさんはそのとき私が食べたものも覚えていた。といってもチョウミンくらいしかないが。私がチヤを2杯注文したことなど。私はまったく覚えていない。

9日。

Royal Rest Houseの反対側からでる小さなローカルバスでビールガンジBirganjに向かう。たくさんのバスがある。5時間くらいバスに乗り、2時半ごろビールガンジ着。暑い。

ちょうどジャナクプルJanakpur行きのバスが見つかる。

以前はビールガンジに泊まったが今回は気が進まなかった。がさがさした国境の町のほこりっぽい感じが、かつては好きだったが、だんだん苦手になってきた。

午後7時過ぎジャナクプル着。もう暗い。ホテルが見当たらない。

「ゼロマイル」近くのRam Janaki Lodgeと書かれた宿に泊まる。シャワートイレ蚊帳付150ルピア。町を少し離れたところにあるので静か。同名の宿が市街地にもある。(人にRam Janaki Lodgeはどこと聞くと市街地のほうのを教えられる。この宿にリクシャで帰るときは「ゼロマイル」といわなければならない)。

この辺の人はひとことで言えば「インド人」。英語は通じないことが多い。油断できない感じで、しつこく迫ってくるが、白痴のようでもある。山で通じるネパール語が通じないこともある。

住民の多くはアーリア系だと思うが、色黒で顔つきもバウンやチェトリとは違う。もっと「野性的」。小さな女の子は本当にかわいい。炉全開で萌えまくりなかんじ。マイティリが多いらしい。

一応、ジャナキ・マンディールJanaki Mandirなどを見て回る。ジャナクプルは牛車が美しかった。牛が立派なのだが、ここで牛車をひいている白い牛はさらに立派で美しい。山の牛とは大きさも姿も違う。日本の昔の貴族が牛車を好んだのがわかる気がする。

10日。

バスパークで正午発ダランDharan行きのバスチケットを買う。200ルピー。乗ってみてわかったことだが、ダラン行きではなくビラトナガル行きだった。イタハリで乗り換えなければならない。

「マイティリ」は地元発音でもそう聞こえるが、私が「マイティリ」と言っても通じなかった。バスで隣り合わせた英語のできるマイティリの男によればMathiri(マティリ)が正しいのだというが・・・・。

バスはあちこちで人を乗せながらのろのろ進む。午後6時半ごろようやくイタハリ着。ダラン行きのバスは20ルピー。午後7時半近くダラン着。時計塔に近いNava Yugホテルの400ルピーもする水シャワーの部屋に入る。ダランは豊かな町だからか、ホテルが少ないからか、宿代が高い。それ以外はのんびりできる良い町。

11日。Nava Yugホテルに連泊。

12日。

午前9時のバスでダラン発。バサンタプルBasantapurに向かう。12時半ごろヒレ。その後も食事休憩をしたりしてのろのろ行き、午後2時ごろようやくバサンタプル着。Yakホテルに入る。

バサンタプルは相変わらず、寒い。といっても、もちろん3月ほどではない。

13日。バサンタプル近くの丘に登り、ジャングルに少し入ってみる。野いちごがいっぱい。

15日。

午前9時前にバサンタプルを出る。しつこくチョウキChaukiに向かう。4時間ほど歩いてチョウキ着。「ブルースカイロッジ」のいつもの部屋に入る。

16日。ブルースカイにうるさいネパール人がたくさん入ったので、名もないロッジに移る。ネパール人20ルピーの部屋だが50ルピー請求される。

こういう小さいカネで欲張って大きな魚を逃すのがネパール人。

食事はブルースカイで食べる。

かわいい女の子がいる家なのに、トイレがネパールの田舎の水準からみても格別に汚く臭く危険だった。扉はあるがカギはない。

トイレの扉がなくカーテンだけというところもある。中に人がいるのを確認する方法がない。気配だろうか。夜は明かりもなく真っ暗だから、ネパールの山村の人、特に女性は、夜はトイレに行かないようである。

それでもトイレがあるだけましなのかもしれない。いや、強烈に汚くて危険なトイレがあるよりは何もないほうがいいかもしれない。

18日。

バサンタプルに向かう。Yakホテル。

22日。

Yakホテルが繁盛しすぎているので、バサンタプルのバスターミナルに近い「アンナプルナホテル」(英語看板なし)に移る。150ルピア。鉄筋だが音はよく響く。

ネパール人は深夜まで騒いでいても、朝の4時ごろから起きだしてすぐにまたしゃべりだす。絶え間なくしゃべり、とつぜん歌を歌いだしたりする。

ネパール人の性格をひとことで言うなら、アホで田舎者。

アンナプルナホテルは従業員が朝の4時から起きだして階段で歌を歌っていた。

23日。

バサンタプルを出る。午前8時半ごろのバスでダランに向かう。午後2時ごろダラン着。高度差1500メートル以上の下げだが、バスがかかる時間は登りのときと同じ。
Nava Yugホテルは改修中で、良い部屋がなかった。中庭に向いた小さな薄暗い部屋が300ルピー。

ダランはいま非常に暑い。あいかわらず色鮮やかでしっとりした感じの町。

サリーを着て自転車をこぐモンゴロイド系のおばさんを見た。

24日。

午前10時のビールガンジ行きのバスでジャナクプルへの乗り換え地点であるダルケバールDhalkebarまで。3時半ごろDhalkebar。ここでローカルバスに乗り換え、4時半ごろジャナクプル。

前と同じRam・ジャナキ・ロッジ。

ジャナクプルはダランに比べても異質な土地という感じがする。バサンタプルと比べると外国に来たような気がする。多少イスラム色もある。

25日。

9時ごろRamジャナキロッジを出る。ナラヤンガートへ行くバスはバスパークとは別の停車場から。ナラヤンガートへの直行バスは11時から。ビールガンジ行きのバスに乗りパクラヤで乗り換えることにする。

隣の席にバックパックを乗せ2座席占領する白人女

12時半ごろパクラヤ着。1時過ぎのバスに乗り換える。

午後3時ごろヘトウダでバスが動かなくなる。バンダBandhのため。タイヤを燃やして道路を封鎖している。どういう種類のバンダなのか、どういう勢力がやっているのかはよくわからない。

そのバスはそのままビールガンジに戻り、乗客は歩いてバンダを越えて別のバスに乗り換えさせられる。

夕方になり、ナラヤンガートに20キロほどという地点でさらにバンダ。盗賊団のような連中がバスを襲っているらしい。棒を持った一団が乗っ取ったバスを乗り回し気勢を上げている。バスが通ろうとすれば同じようにガラスを割って乗っ取るぞと脅しているらしい。

武装警察の車両もどんどん到着するが、どうすることもできないようである。武装警察は一車両に銃一丁ほど。ククリも持っていない。杖のような細い木か竹の棒だけ。隣に座っていた学生に聞くと、彼らは「ノーパワー」だという。

バスのドライバーたちと学生たちとの抗争だと説明する人がいるが、棒を持っている連中はどう見ても「学生」にはみえない。地元のいろいろな種類のグループが「政治的」になっていて、何かあるとバンダを起こすように見える。

バスのドライバーたちは壊された窓ガラスの補償を要求しているらしいがもちろん「学生」たちは応じない。隣の男は警察がドライバーに金を払って治めることになるだろうという。武装警察が実力で排除することはないという。「それがわれわれのカルチャーだ」というが、以前は実力で排除していたはずだから最近のカルチャーなのだろう。

バスは4時間ぐらい足止めされていた。大部分の乗客はバスをあきらめ、歩いていくかリクシャに乗り換えた。タクシーはない。バイクやリクシャだけは通してもらえるらしい。夜のリクシャは危険だというので、数人の人たちと最後まで残っていた。

結局、バスは抜け道を行くことになる。ドライバーも道を良く知らない。聞きながら行く。抜け道もおそらくその地元の連中の封鎖を受けていて、バスは100ルピー払わなければならなかったという。コンダクターがどういう口実か25ルピー私に請求したが、断った。他の人も払わない。

午後11時近く、ナラヤンガートのバスターミナルらしきところに着く。そこから20分ぐらい夜道を歩きプルチョークのRoyal Rest Houseへ。ちょうどプルチョークまで行く人がいたのでよかった。道はまったくわからなかったし変なのもうろうろしていて声をかけてきたりする。

Royal Rest Houseの先日150ルピーで泊まれた部屋が250ルピー。安くしてくれた昼の人はおらず、夜遅い到着に付け込まれた。

ジャナクプルの宿で干していたTシャツを忘れてきた。本当にひどい一日だった。

5月26日。

10時ごろナラヤンガート発。

午後2時半ごろカトマンドゥ市域に入る。3時、ナヤバザール着。宿まで歩く。
 

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2008年5月30日 (金)

新500ルピー札 ネパール連邦共和国

5月28日に王制廃止が確定するずっと前から、国王写真のない新札は流通していた。いまはもうくしゃくしゃのもある。

右が故ビレンドラ元国王の旧札、左上がギャネンドラ、左下が人物の代わりにエベレストとラリグラス(赤い石楠花)をあしらった新紙幣。

Imgp5680

 
右系のブログなどを見ていると、「ネパールは共産主義国家」とか「中国の手先になった」とか、そんな書き方が目立つ。

しかし私は、ちょっと違うような気がする。

国王は王宮を追い出されるが、ギロチンにかけられるわけでも資産を没収されるわけでも国外に追放されるわけでもない。これからも大金持ちのビジネスマンとしてネパールで活動する予定。

マオイスト支持者やマオイスト活動家もたいてい商売には熱心で、私有財産制度を否定するような話はまったく聞かない。田舎でオルグ活動をしていたマオイスト活動家は「共産主義とはバランスということだ」なんて言っていた。

こういう国を共産主義国家とは言わないしこの王制廃止を共産主義革命とも言わないと思う。いまのところ、たんに共産党が与党の国ということ。

いちばん「共産主義者」らしいのはジャングルでコミューン生活しているマオイスト兵士たちだろう。兵士と町の党員活動家とはまったく違うものを見ているかもしれない。

中国や北朝鮮の工作員が自由に活動してる(だろう)ことはいままでも同じ。

これはタイなんかもっとひどいだろう。

インド人はいままでどおり自由に入ってきて商売している。インドルピーはカトマンドゥでも普通に通用する。国家高権のひとつである通貨高権がインドに事実上侵されているような状況は変わっていない。

そもそも、いまの中国が、「マオイスト」を掲げ社会的な公平にこだわる共産主義政党が近隣国で躍進することを本当に喜ぶかどうか。

中国共産党が外国の共産党を喜びブルジョワ政党を嫌うだろう、というのは、いかにも子供じみた連想のように思われる。

たとえば、日本の共産党が額面どおり「覇権主義」を批判して「日本民族の独立」を強く主張し、自民党がいままでどおりなあなあでシナにも白人にもいい顔をしているなら、中国は当然自民党を絶賛して共産党を糾弾するだろう。

また、共産主義組織というのはいつも、「ブルジョア政党」より、自分たちとちょっと意見を異にする他の共産主義組織をいちばん目の敵にするものである。

ネパールのマオイストと同系のマオイスト(毛沢東主義ゲリラ)は、ネパールよりもインドにたくさんいる。

いずれにしても、中国にとって都合がいいかどうか、中国の手先といえるかどうかは、中共による政治的コントロールが可能かどうかに尽きるのであって、共産党であるかブルジョワ政党であるかなどイデオロギーは関係がない。

ネパールのマオイストは、官僚組織よりも下からの武装した細胞組織が強いと思う。その意味でかなりイデオロギー性が強く、上から官僚的にコントロールしやすい組織ではないと思う。彼らのエネルギーの源は山村でありジャングルである。現在はプラチャンダのカリスマ性で統制を保っているが、プラチャンダと理論的指導者 であるバブラム・バタライとの確執、分裂騒ぎもあった。いまでもいつ分裂するかもわからないような組織だと思う。もし分裂したらゲリラはますます元気になりそうである。

インド、ネパールの農山村で進化を遂げた毛沢東主義のようなラジカルな共産主義思想が中国の農山村に逆輸入されるようなことになったら、いちばん困るのは中国共産党じゃないのか?

私は政治情勢の話題は苦手で勉強もしていないので、見当はずれであるかもしれないが、賢明な読者はどう思うだろうか。
 

それにしても、「クライン孝子」は本当に○ホ。だと感じるんですが。

この人「カタカナ○子」であること以上に何かあるの?

小池百合子が防衛庁長官になったときこれ以上ないくらいに絶賛してたかと思ったら、襤褸が出た後でしきりに叩きまくってたよね。あとづけで叩くなら誰だってできるじゃん。

こういう無定見な人が「右」を称しているのでは、「右」のほうが迷惑でしょう。

だいたい、毛唐とくっつくような日本女にそうそうマトモなのがいるはずもなく、ましてまともな愛国者や保守派でありうるはずがないわけで、こんな人に頼らなければならない日本の右派、保守派の状況は本当に情けないものだといわなければならないと思う。
 

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2008年5月29日 (木)

満員のローカルバスで2座席ひとりで占領する白人女 ネパール

5月25日、ジャナクプルJanakpurからビールガンジBirganjへむかうローカルバスで。

ジャナクプルでバスに乗り込むと、白人女が、二人がけのシートを占領し、横の席には大きなバックパックを座らせて悠然と座っていた。毛むくじゃらの赤犬のような汚い茶髪の女だった。

その時は席が空いていたので私は座れたが、バスはだんだん混んで来る。

ネパールのローカルバスは、数年前ほどではないが超満員になるのが普通で、腰掛けられるところならどんなところにでも腰掛ける、ちょっとでもあけさせて腰掛けさせるというのが基本。

チケットの釣り銭のやり取りで立ったときに、ちょっとこれは・・・とその女に注意してみたら、ヒキツケを起こしたように怒り出した。なるほど白人女らしい反応だと思った。

バスはさらに混んできて多くの人が立っている。

子供を抱えた女がそのバックパックの席に座ろうとしたが、白人女は断固拒否。

その次は、おばあさんがそのバックパックにもたれかかってきたがこれも完全に無視。

(なぜ私自身がそのおばあさんに自分の席を譲ってやらなかったのか、と突っ込むやつがいるかもしれないが、ここはそういう文化でもない。そのおばあさんを呼びに行っているあいだに、近くにいる若いインド人男に席を取られてすべて終わり、という可能性が高い。

しかし、人間とカバンでは価値が違う、ということ。人間はカバンよりもクジラよりも価値がある、ということが分からなくなっているのが多いから変な理屈がまかり通ることになる。)

ここまでやるからにはこの女は料金を二人分払っているのだろうか。

仮にそうだとしても、座席指定もないローカルバスでカネで席を買い占めるということに無理がある。

ただでさえ超満員になる、ローカル住民の生活のためのバスである。ローカル住民の生活に必要な空間をツーリストがカネで買い占めていいものかどうか。

しかしこの女の場合はたんに「白人の特権」で2座席占領していただけだろう。ネパール語は話せそうにないし、ガイドも連れていない。そんな分かりにくい交渉が出来たとは思われない。ビラトナガルかカカルビッタからネパールに入ってこのバスでビールガンジまで行き、カトマンドゥに行くかまたインドに戻る、というツーリストだろう。

たしかに、ローカルバスで隣のネパール人がうざいというのは分かる。すぐに眠ってもたれかかってくるし、ゲロを吐くこともある。最近はマナーが良くなってバスでタバコを吸うのを見なくなったが、噛みタバコのにおいはぷんぷんする。しかし、それがどうしても嫌なら、ローカルバスの旅など最初からしなければいいのである。

ローカルバスの車内に大きなバックパックを持ち込むこと自体、望ましくない。地元の人たちは、穀物の袋や段ボール箱に入った商品や生きた鶏などを車内に持ち込むが、それは彼らのルールに従ってやっていることである。自分のバックパックを大切に抱え込み、人に踏まれたり上に座られたり勝手に移動させられたりすると怒り出すような外国人ツーリストがまねすべきことではないと思う。

屋上に荷台があるので(たいてい番人も乗っている)そこに乗せるか、それが嫌なら、小さいカバンいくつかに分けて座席の上の棚や足元に置くか抱え込むのがいいと思う。

私は先日、買ったばかりのデイパックを足元に置いていたら隣の席の男が床にゲロを吐きぐちょぐちょに汚されるという悲惨なことがあったので、バスに乗るときは荷物を3つに分けて二つは上の棚にねじ込むことにした。

とにかく、私だったらどんな立派な理由があってもあの状況で席を二つ占領して座っているのは、隣の男のゲロに勝るとも劣らぬしんどいことだろうと思った。あの汚い髪の白人女のように平然として窓の外の風景など眺めながら楽しいバスの旅、というわけにはいかない。やはり他人の立場を考えてしまうという「日本的な」欠点があるのだろう。

この世界で生き残るためには少しは白人を見習って、どこまでも「自分の正しい論理」だけを貫き通して悠然と構えていられるようになったほうがいいのかもしれない。
 

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ネパール共和制宣言、国王に王宮退去期限を通知へ

今日(ネパール時間28日)はネパールにとって特別な日だった。

カトマンドゥはバンダBandhだった。マオイストの大きな赤旗を掲げたデモがジャータ通りを誇らしく通過していく。新聞売りが聞いたことのないような強烈な声で「ギャネンドラ・・・・」と叫んでいる。

Imgp5682

近頃ネパールの武装警察(Armed Police Force)はほとんど丸腰である。10人乗りの車両に銃が一丁とか。田舎ではブーツを履いていればいいほうで、サンダル履きの「武装警察」が並んで立ち小便していたりする。

バンダBandhはハタヨガのムーラバンダ、ウディアナバンダの「バンダ」と同じで、締める、閉じる、という意味。ストライキにもロックアウトにも使うようだが、街道封鎖のバンダが多い。

あちこちでいろんなバンダがあるが、(普通の警察は言うに及ばず)武装警察は手を出せない。さまざまな地元のグループ間の抗争によるバンダも多いが、武装警察はただ見守るだけか、話し合いの仲介をするくらいのようである。武装警察が当事者に(国の)金を払って収めたりもするという。軍隊は近頃さっぱり見かけない。

カトマンドゥの武装警察は盾だけは立派な透明のプラスチック製で、銃は持たず山仕事の人の杖のような棒だけ持っていることが多い。昨日シンハダルバール(政府官庁庁舎)の前を通ったが銃は見なかった。

だからといって治安が悪くなっている感じはない。

「武装警察」 トリデビマルグ付近で

Imgp5681

今の政治情勢を語るとき、ネパール人はみんな本当に明るい表情を見せる。

バサンタプルで世話になった(ネパール国民である)チベット人の女の子も、カトマンドゥのバウン(ブラーマン)の学生も、

「今日から新しいネパールだ」(制憲議会選挙でマオイストの勝利が確定した日にチベット人の女の子)、

「今日はネパールにとってビッグな日だった。僕たちが国王を辞めさせた」(今日、日本語を話すバウンの学生)

など、ナイーブなほど晴れ晴れしい表情でうれしそうに語る。本当に幸せそうな顔をする。ネパールくらいの小さな国だと、「政治的な幸福」がただちに自分の個人的な幸福の一環と感じられるのかもしれない。

田舎で出会った人でマオイストを支持しないという人は少なかった。カーストを問わず、モンゴロイド系だけでなくアーリア系も、マオバディが好きだ、マオイストを支持していると言う人が多い。ツーリスト向けのせりふなのか初めは「マオイストは嫌いだ」と言っていたのが、しばらく話をしたあとで自分はマオイストをサポートしていると言いだしたり・・・・。

ネパールにいるチベット人の関心はまずは金だが、私が田舎で出会った若いチベット人(亡命チベット人の子供)の多くがマオイストを支持していた。マオイスト活動家もいた。

日本人が期待するほどネパールのチベット人は中国を憎んでいてくれないし、共産主義政党が嫌いでもないようである。

中国にコントロールされているといわれるマオイストが権力を握ることによって自分達の生命や生活が危うくなるのではないか、という危惧は、私が会った限りのチベット人からは残念ながらまったく伝わってこない。むしろ逆だった。なお、ネパールにいる亡命2世以上のチベット人でチベット語がちゃんと話せるのはほとんどカトマンドゥのボーダに住んでいる人たちだけらしい。だから、ボーダの人たちはどうかわからない。

本当かどうか知らないが、マオイストは寡婦の生活支援など生活保障制度や保険制度なども作っているそうで「貧しい人にお金をやっている」という人が多い。

プラチャンダを支持する、プラチャンダに期待する、プラチャンダを信じている、という人が本当に多いようだ。プラチャンダの人望が厚いことは確かなようである。

ついさっき、カトマンドゥのニューバネスワール近くで爆弾が爆発したらしく、テレビはもっぱらそのニュースを放送していたが、死傷者はなかったようである。
 

ネパール王制廃止、国王に王宮退去期限を通知へ

2008年05月28日 21:52 発信地:カトマンズ/ネパール

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2008年5月28日 (水)

ネワール族3 ネパール

ネワールはカトマンドゥ盆地の「先住民」だが、先住民といっても、「ゴルカ王朝のアーリア人が侵入する前からカトマンドゥ盆地に住んでいた人々の総称」という程度の括りのようである。

ベースはモンゴロイド系らしくネワール語はビルマ語系ということだが、古くからインド人が来ていたので顔立ちや肌色はいろいろ。ネワール族固有のカースト制度はインドからブラーマンをわざわざ招いて真似して作ったのだとか。

シュレスタというカーストがいちばんありふれているが(おそらく商業カースト)、シュレスタの中にもいろんなカーストがあるのだという。バジラチャリヤ、カルマチャリヤ、シャキャ、などが祭司カーストだと聞いた。

モニタ・シュレスタ ダランDharanで。私はこの人はマイティリかマデシか、とにかくタライ平原のアーリア系の人かと思った。

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カリスマ・シュレスタ
ちゃん チョウキChuakiで。この記事の下の写真の女の子が化粧をとったところ。普通に言って、かわゆいですね。

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チョウキChaukiからヒマラヤを望む

4月19日

チョウキChaukiの丘から見えたヒマラヤ。この時期はほんのたまにしか見えません。赤いのはラリグラスの花。

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2008年5月27日 (火)

ぐりぐりももんが氏の「白人のいる風景」へのコメント

コメントを承認していないことを「削除した」と決め付けて怒っているようなので、いちおうここに公表しておきましょう。今日ひさしぶりに「白人のいる風景」の管理画面にアクセスし、他の人のコメントも承認しておきました。スパムコメントに埋もれているので、ちゃんとしたコメントでも気づかずに承認していないこともありえます。「もみじ」とか「愛」とか「やよい」とか女の名前のはたいていスルーです。

ネットでは原因不明でログが飛ぶことも普通にあると思いますが(ブログによってはすでに投稿したエントリーが消えてしまうという事故も多いらしい)、自分のコメントが「削除された」と言って癇癪を起こしていた方のコメントです。
 

まだまだ日本人はウエルカムなほう...

120人の現地スタッフを抱えながら、一人で工場の面倒をパトンタニで見ている、雇われ社長です。
タイは、白人欧米列強に植民地化されることも無く、絶妙のバランス感覚を発揮して生き抜いて来た国家ですから、コンファランの扱いは、歴史の経験上見て見ぬ振りをしているのだろうと思います。長いものには巻かれろくらいかなー。それと、タイでは白人と売春婦のセットは付き物ですが、専門業者に白人の扱いを任せておけば、触らぬ神に祟り無しぐらいの気持ちでしょう。一般のタイ人にとって、へんちくりんなコンファラン達の日常生活における接点なんかどこにもありませんからね。
日本人は、有色人種の中でもタイでの扱いはまともでしょう。ヤクルト・味の素に始まった半世紀近くに日系企業の進出が、日本の文化・国家イメージの底上げに貢献していると思います。会社に、ロンドン大学でMBAをとった才媛がマネジャーとして働いているのですが、直接に聞いたことは無くても現地で人種差別があったぐらいのことは何となく分かります。その時は、日本人と友達になったことを楽しく話していますので、タイ人も自分達の国際社会における立ち位置は十分理解していると思います。

 
「会社に、ロンドン大学でMBAをとった才媛がマネジャーとして働いているのですが、直接に聞いたことは無くても現地で人種差別があったぐらいのことは何となく分かります。」

ロンドン大学のMBAがどのくらいすごいのか私はよく知りませんが、いまさらなにを?って感じですね。

ヨーロッパ人はタイのバービア嬢やゴーゴー嬢と安易に結婚して(短期間=結局破綻するので)本国に連れ帰る例が多いようですね。白人ツーリズム=買春拠点であるチェンマイではそんな話をよく聞きました。ヨーロッパで暮らしたことがあるというのを自慢にしている売春婦(自称「ガールフレンド」、「支払われるガールフレンド」を稼業にしている女)のも少なくないような。

そんなタイ女がヨーロッパにいっぱい住んでいるのだから、タイ人の場合、先進国で差別されて当然というほかないような気がします。

ごろつき白人がタイでだらだら暮らすために売春婦と結婚して本国にも連れて行くという例も非常に多いのですが(係累のない孤児のような女を必死で探すのだとか=それは納得ですが)、堅いイギリス人などで育ちの良いのがちょっとタイに来て売春婦につかまってしまう例も少なくないと聞きました。

タイに来ただけで「アジア」がわかってしまったと思い込むタイプの白人が多いようです。まじめなヨーロッパ人男が初めてのアジア旅行でタイに来て、自分が教えられてきたヨーロッパの価値観や美意識とはまったく違うものがまかり通っていて、しかもそれで結構楽しい思いができたことにショックを受け、「これだ!これでいいんだ!これがアジアなんだ!」とか思い込み、売春婦と本気で結婚してしまうこともあるのではないかと思います。

実際、人身売買、児童売買、海外移送の手先として国際的に活躍しているタイ女が非常に多いので、タイ女が国際社会で胡散臭い目で見られるのはむしろ当然でしょう。それはタイが国策として長年やってきたことの当然の結果です。

タイの「ガールフレンド産業」のせいでタイ人以外のアジア女性全体が「ガールフレンド」や「レディー」のような目で見られている面が相当あるのだから、タイ人が差別されるのは自業自得というほかありません。

私は日本の入管もタイ女だけは極力入れないようにすべきだと思います。フィリピン女よりたちが悪い。彼女らが売春するだけならまだしも、そのかげではるかに弱い立場にいる少数民族などの少女が売買され搾取されている可能性が非常に高い。

白人の児童性的虐待のカバーとして、児童の母親役のタイ女と偽装カップルになるというのはタイではごくありふれたことです。(児童とも母親役の女とも・・・ということがあるかどうかまではわかりません。これでは偽装親子○ですね)。これだと目立ちにくいので、それによってタイが「児童買春支援国家」として国際的非難を浴びることもないから、タイ国内では白人がやってる分にはほぼ野放しのようですね。

しかし(どうでもいいことですが)こういう悪い遊びをするにはある程度ネットワークが必要です。児童の調達はもとより、母親役の女の調達など、現地人の支援と白人同士の助け合いが必要になります。日本人買春オヤジはこういう組織性が必要な遊びは苦手なように見えます。 たしかに、白人同士はアジアでよく助け合っているように見える。「野蛮人の地では助け合う」というのは、数百年にわたる経験で白人が得た知恵かもしれません。在外日本人たちのようにいつも互いに足を引っ張り合っているよりは麗しいことかもしれません。ちょっと下品になりましたがタイの現実を包み隠さず語ろうとすれば下品にならざるを得ません。
 

「一般のタイ人にとって、へんちくりんなコンファラン達の日常生活における接点なんかどこにもありませんからね。」

これはまったくウソですね。

タイでは都会はもとよりよほどの田舎町でも、ごろつき白人が奴隷女を囲って貴族滞在している風景を普通に見ます。

そういう「白人のいる風景」を毎日見ていて平気でいられる、それが普通なのだと思っている、というのがタイ人です。これほど白人を受け入れている国民はアジアでも他にはあまりないと思います。

自国民の女をクズ白人爺が奴隷女のように囲って自分の町や村に滞在している、そんな「白人のいる風景」をタイでは普通に自分の生活空間の中で、屋台でも喫茶店でもモールでも、毎日のように目にしなければならない。

つまり、ごろつき白人はタイ人の生活の一部になっているわけです。

こういうのを「接点がない」とはいえないでしょう。

これがもしネパールだったら、と考えてみると、カトマンドゥのタメル地区(ツーリスト地区)では土人女連れ毛唐をたまに見ますが、女奴隷連れで旅行している白人で、女はネパールで調達したのではなくタイなど外国から連れてきたのが多いように見える。ネパールでは契約売春婦の調達は簡単ではないようです。

ネパールの田舎町だったら、仮にその毛唐が囲っているのが自分とは無縁のカーストの女であったとしてもネパール人は黙ってはいないと思います。今後どう変わっていくかまではわかりませんが、今のところはそうだろうと思います。
 

もうひとつ同じようなの。表示されないのが納得できなかったのか執念の連投ですね。
 

タイは可でも不可でもなく

120人の現地スタッフを抱えながら、一人で工場の面倒をパトンタニで見ている、雇われ社長です。
タイは、白人欧米列強に植民地化されることも無く、絶妙のバランス感覚を発揮して生き抜いて来た国家ですから、コンファランの扱いは、歴史の経験上見て見ぬ振りをしているのだろうと思います。長いものには巻かれろくらいかなー。それと、タイでは白人と売春婦のセットは付き物ですが、専門業者に白人の扱いを任せておけば、触らぬ神に祟り無しぐらいの気持ちでしょう。一般のタイ人にとって、へんちくりんなコンファラン達の日常生活における接点なんかどこにもありませんからね。日本人は、有色人種の中でもタイでの扱いはまともでしょう。ヤクルト・味の素に始まった半世紀近くになる日系企業の進出が、日本の文化・国家イメージの底上げに貢献していると思います。会社に、ロンドン大学でMBA取得の才媛がマネジャーで働いているのですが、直接に聞いたことは無くても現地で差別を受けたことぐらいのことは何となく分かります。その時に、日本人の友達ができたことを楽しく話していますので、自分としてもうれしく思いました。 貴君の視点は面白いが、会社勤めをしたことが無いんじゃないのかなー...

 

私の感想をこれ以上言う必要もないかと思いますが、いかにも戦後生まれの(右に行こうが左に行こうが)根っから卑屈な百姓、「下を見て満足せよ」という教えが体に染み付いて臭いを発しているような、ドブネズミ姿がよく似合う方、という気が私はします。

いずれにせよ、こういうタイプの人がタイをこよなく愛するようになるということは確かなようです。

「ヤクルト・味の素に始まった半世紀近くになる日系企業の進出が、日本の文化・国家イメージの底上げに貢献していると思います。」

私は逆に、日系企業の長年の『土人甘やかし』、「バンコク都」、「国王陛下の思し召しにより・・・」、タイ国王戴冠60年記念式典のためにわざわざ訪タイした天皇皇后両陛下に対する、タイ政府の無礼千万な扱いに対して抗議するどころかテレビで実況中継された事実さえ封じ込めて沈黙する・・・・、といった卑屈な態度、賤しい利益至上主義、が日本人全体の評価をむしろ下げているのだと思います。

(タイ国王戴冠記念式典への天皇訪タイは、トヨタをはじめとする財界の要望を受けたものだろう。「天皇の経済利用」というほかないが。右翼がなぜこの件について抗議しないのかまったく理解できない)。

数年前バンコク週報で読んだ記事では、在タイ日本人商工会議所はタイ政府に土下座して「欧米企業並みの扱いをお願い」しているそうだ。

トヨタをはじめとする日本の一流企業がタイに莫大な投資をしてやっているのだが、その一流のはずの日本人の態度が乞食同然では、日本人全体がバカにされるのは当然でしょう。日本企業の責任は大ですね。
 

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タイを批判すべき理由

なぜタイを批判しなければならないか、ということについても、このブログでは過去に何度も述べてきたと思う。
たとえば、

白人はなぜ白人か
という記事の真ん中辺の太字見出し「タイは白人至上主義の東南アジアにおけるイデオロギーエンジンである(その燃料はセックスと「安さ」)」の部分や、

Discrimination"、BBCの日本批判【忘れないために】
という記事のやはり途中の太字見出し「白人の「日本の人種差別」批判は白人自身の人種差別・アジア蔑視に由来するの部分など。

私はやはり、「善悪」の評価が重要だと思う。善悪を言い立てるのは意味がないという主張は案外「日本的」な考え方だと思う。もちろん日本的だからダメということではまったくない。それでうまくいくならそれがいいだろう。しかし、日本でしか通用しないやり方を世界に通用するものと思い込んで、「日本人以外の人間もわれわれの正しさをいつか理解してくれるだろう」と期待したりするのは日本人が陥りやすい妄想であって、実際的な有効性はほとんどないのではないだろうか。

「事実を指摘しさえすればそれについての善悪の評価はみんなに自然に理解されるはずだ」という姿勢は、日本以外ではなかなか通用しないように思う。小さなコミュニティ内部でしか通用しないことであるように思う。

現実には、事実を指摘するだけでなくそれに対する価値評価をし、その評価について人を納得させるような価値関係的な論理を展開しなければならない。そういう努力をしない限りどんなにまっとうな理屈も世界には通用していかないように思う。

そして、やはり人間にとっては、個人にとっても共同体にとっても、道義とか倫理規範というものが死活的に重要なことだということを忘れてはいけないと思う。それが「人それぞれだし、相対的なことだから」どうでもいいということになると、人間として生きている意味もどうでもいいようなことになってしまうと思う。少なくとも個人として倫理的評価の基準を持つ努力をすべきだと思う。そして自分の評価を表現し、価値的な批判をすることは大切なことだと思う。

タイ国家およびタイ人がやっていること、またタイを賛美しそこに好んで集まる外国人たちがやっていることは、世間であまりに高く評価されすぎていると思う。というより、異常に賞賛されすぎている。しかもそれに反論し、タイの営みを倫理的に批判する者がほとんどいないというのはますます異常なことだと思う。

その上、タイ関係の人間の集まりにはほとんど常に、「タイ批判を許さない」という暗黙の掟が存在している。

そうであればなおさら積極的にタイを批判する必要があるということになる。
 

しかしもっと差し迫ってタイ批判が重要である理由は、タイが素晴らしい国だということになると(現にそういう発言を平気でするタイヲタが内外に多い)、「タイ式」のやり方がアジア全体のスタンダードになりかねないということ。

現にそうなりつつあるのではないかという危惧がある。「タイは世界の縮図だ」などと放言し、タイのルールが国際社会のルールであるかのように言うタイヲタもいる。

白人ツーリストを呼び込みたいと思っている業者は、白人が好んで集まるタイのやり方をまねようとするだろう。

タイでどんなに人種差別や少数民族弾圧が横行していても、タイは日本の10分の一も白人メディアによる「人種差別批判」や人権批判を受けることがない。つまり「タイ式でやっていれば安心だ」ということになる。

ネパールなどでも白人ツーリストが集中する場所はすでにそうなりつつある。そして売春「タイマッサージ」が林立し、「ゴーゴーバー」なる看板を掲げたダンスバーまでできはじめた。

タイおよび「タイ式」をいましっかり批判しておくことが差し迫って重要であることを理解してもらえると思う。

いまのうちにタイをしっかりと批判し、「白人は集まるかもしれないが、(マトモな)日本人はタイおよびタイ式をボイコットする」という明確なメッセージを、アジア全体に伝えておくことが必要である。そうしないとアジア全体がタイのようになりかねない。
 

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2008年5月23日 (金)

ダランのネット屋から

今日ようやくダランDharan。

バス停前の大きなネット屋で日本語IMEを入れてもらって久しぶりに自分のブログを見てみたら、ずいぶん荒れてますね。

荒れているのはタイネタの特定の記事ばかり。

タイがからむと必ずこうなる、タイを批判するときっとこういうのが集まってくる、ということがよくわかるコメントがいくつか来ているようなので、そのままにしておきます。

「悪い人間はどこでもいる」という在日中国人などがよく使う手垢のついたセリフの「虚偽性」については、このブログで何度も批判して来たんだが、こういうセリフを何の抵抗もなく使える人が多いらしい。このことのほうが「日本人の知能の低下」を象徴しているように私には思えます。

ブログの管理人あてに「自作自演だ」なんてコメントをしてくる人は、2ちゃんしかやったことのないような人ですね。

ブログが「自作自演」なのは当然。ブログは匿名掲示板ではないんです。このブログのコメントはどんなふうにでも編集できることをお忘れなく。

なお「赤ディンゴ」さんは、そのペンネームでブログを持っておられる方だと思いますが。

それにしても、「タイは素晴らしい国」なんてこんなサイトで真顔で言える人がまだいるということに驚き。タイの実態をよく知らない人向けのサイトで自演するならともかく。

上の写真のような光景が展開されているだけでも、それがどんな理由であれ、まともな神経を持った人間には「素晴らしい国」とはいえないと思いますけどね。

ネパールはタイよりずっと貧しい国、しかも可愛い子いっぱいだが、あんな光景はありえない(警察が取り締まらなくてもすぐに刃傷沙汰になる)、あの写真のような白人はあまり寄り付かない。

この違いは結局、それぞれの国民自身の選択だと思います。
 

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2008年5月 7日 (水)

妻殺害、ネパール国籍の夫逮捕 倶知安町 オーストラリア人観光客らに人気の「ひらふ地区」近く

いまほんの少しの間ネパールにいるだけで、それにどちらかといえば人目を避けたような生活をしているのだが、つい昨日ももうすぐネパール人と結婚するといって喜んでいる日本人女性と出会った。できちゃった婚なんだとか。

ネパール人だからといいたくはないし、中国人や韓国人やタイ人だったら良いわけでもまったくないが、文化の違いの深刻さということの覚悟もないままネパール人とホイホイくっついてしまう日本人女性が多すぎるように見える。

しかも、日本人女性が結婚したがるネパール男はバウン(ブラーマン)やチェトリ(クシャトリア)などアーリア系が多い。

容疑者の名前が出ているのでわかってしまうが、カーストはカミ(鍛冶屋カースト)。モンゴロイド系でもネワールでもない。シェアム・バハドゥール・カミという名前だと思う。

先日ネット屋でたまたま隣にいたバウンの男から、「ネパールに来る日本人女性の80パーセントが結婚目的だというのは本当か?」といきなり聞かれた。

何のためにそんなことを聞いてくるのかわからないが、他の外国人女性客が何人もいる場所だったこともあってとても恥ずかしい気持ちがした。

しかし反論できない現実もある。

男の不躾な態度にむかついたので、話を切り替えて「自分はバウンやチェトリは嫌いだ」と言ったら、そのバウンは「俺もグルンやタマンなどモンゴリアンは嫌いだ。そういうカーストの人間には友達もいないし話もしない」と言っていた。

そんなに「モンゴリアン」が嫌いならどうして日本人の私にわざわざ話しかけてくるのか、隣や向かいにいる欧米アーリア人に話相手になってもらえばいいだろう、と思ったが・・・・。
 

また、数年前にネパールで出会ったあるバウンの男は、もうすぐ日本人女と結婚して日本に行けるといって喜んでいたが、「彼女がなぜ俺を気に入っているのかまったくわからない」とも言っていた。冗談半分に「その鼻だろう」といってやると、このバウンはますますうれしそうな顔をして「そうらしい。この鼻が気に入っているらしい」と全肯定していた。
 

今いるネット屋のネパール人男(チェトリ)によれば、「日本人や韓国人は人を見る目がなく人をすぐに信用してだまされるが、アメリカ人は人を見る目があり賢い」のだという。もちろんこいつのいうこともあまり信用できない。アメリカ人といっているが要するに白人は賢いという感じである。自分たちと同じアーリア人だからと言いたいのかも知れない。

この男によれば、ネパール人が特別悪いのではなく悪いのもいれば良いのもいるのであり、悪いのを見抜けない日本人が馬鹿なのだということのようである。

「どの国にも良い人もいれば悪い人もいる。それは日本人も同じだろう」というのは全アジアで使われる聞き飽きた理屈だが、いまだに日本人相手の場面ではそんな屁理屈が立派な見識であるかのようにまかり通っているのは、そう言われるとなんとなく納得してしまう日本人が多いからだろう。

そんなことを言う程度の人間にわざわざ反論する必要もないが、そういう理屈をこねる人間とは付き合わない、利益を得させないということは重要だと思う。
  

<妻殺害>ネパール国籍の夫逮捕 不明の長女も? 倶知安町 5月6日21時32分配信 毎日新聞

5月6日21時32分配信 毎日新聞

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2008年5月 6日 (火)

中国がネパールの「宗主国」?

あるネトウヨブログを見ていたら、中国のチベット弾圧を批判するついでにネパールの中国従属的な姿勢を批判し、ネパールの「宗主国」が中国だなんて書いていた。

もちろん比喩だろうが、しかし、それはちょっと違うだろう。

「宗主国」の意味は「従属国に対して宗主権をもつ国家。」だそうで、宗主権とは「 他国の内政・外交などを支配・管理する権能。植民地などが独立する過程で、本国がその植民地に対してもつ例が多い。」ということ。

ただ比喩的に宗主国という場合には、要するに「ご主人様国家」、すなわち、その属国を政治的のみならず「文明的に」も支配し服属させている国家、ということだと思う。

つまり属国の国民に価値の尺度や思考様式まで与えて、精神的な支配従属関係を作り出している国ということだろう。歴史的文化的言語的に優位に立ち、内面まで支配できる関係がなければならない。

そうだとすると、ネパールは単にどんな強国にも楯突くことのできない小国ではあるが、「中国を宗主国と仰ぐ国」とはまったくいえないと思う。

現在比喩的に、中国が「宗主国」である国といえるのは、まずもってタイ、そして朝鮮半島諸国であって、ネパールはどんな意味でも「宗主国が中国」とはいえないと思う。
 

文明的な意味で、ネパールの「宗主国」といえるのは誰が見てもインドである。ネパール政府からもっとも特権を与えられている国もインドだろう。

中国人がネパールに入るには当然ビザが必要だがインド人は完全にフリーパス。パスポートさえ不要。インドのIDカードだけで自由に入国し働くこともできる。国境付近だけでなくカトマンドゥまで来て自由に働けるようだ。

ネパール人がカーストを問わず嫌っている国・国民も、インドでありインド人である。

そういうことの反動で、よく知らない中国に幻想を持つ人が多いことは確かなようである。

今度政権をとることになった(と思われる)マオイストの活動家にも、インドへの反感から中国に幻想を持っている者が多いと思う。

ただマオイストの指導層はアーリア系上級カーストが大部分で、体質的に言っても中国人の文明的な支配を受け入れるとは考えにくい。

たんに政治的に楯突くことができないというだけでは文明的な支配従属関係に入っているとはいえない。
 

ネパールはもちろんインドやアメリカにも楯突くことはできないが、いまはインドやアメリカ以上に中国が強く出て来ていて、しかもそのことをインドやアメリカが黙認しているから、中国の言いなりになっている、というだけだろう。

アメリカの意向が「中国の言いつけに従いなさい」ということらしいから中国に従っているのである。この関係は日本も同じはずである。

ネパール程度の関係で中国の従属国だというなら、今の日本などはすでに中国の完全な属国だといわなければならない。

日本はネパールに多額の援助をしてきているが、ネパールの内政に対する影響力などまったくないといって良い。このことも日本国自身の責任である。

ネパールはどんな強国にも楯突くことのできない小国だが、どんなにカネを出してもらっていても日本は軽くあしらうことができる国だという現実のほうをもう少し深刻に受け止めたほうがいいと思う。
 

中国のチベット弾圧を批判するネット右翼だが、彼らがもうひとつの重要な中華主義国家、東南アジアにおける中華(隠れ蓑)王国であるタイ王国の、さらに悪質な中華的少数民族弾圧を批判したことはまったくない。

彼ら右翼たちは、タイ族がシナ人の支族であることすら認めず、タイ国王が「氏」というシナ人であることも認めず、「タイは親日」幻想をふりまくのみである。ネトウヨはトヨタのお抱えなのだろうか。

右翼にとっては自由、人権、民主主義、少数民族の権利などはそもそもどうでもいいことなのだろう。

自分ではぜんぜん尊重していないそれらの理念を、3代前から信仰していたかのように振り回す姿は実に滑稽で醜悪といわなければならない。
 

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2008年5月 4日 (日)

「カーストは何?」 ネパール

グルビセの村で。写真の姉妹たちとの間に実際にあった会話。
 

女 「国(デス)はどこ?」

私 「ジャーパン」

女 「ジャト(カースト)は何?

私 「???・・・・ジャパニーズ!・・・・つーか、ビデシ(外人)はジャトはないの」

女 「ふんふん、ビデシはジャトはないのか」

女 「ボート(投票)は行った?」(4月10日に行われた制憲議会選挙の投票のこと。この写真を撮ったのはちょうど投票日の夕方だった。voteだがvというよりbまたはbhのような発音)

私 「???・・・・ビデシは投票には行かないの」

女 「?・・・・・」
 

他の場所で。 

ある女 「どの政党を支持してる?」

私 「???・・・・・カングレス!(ネパール会議派)」

私ついでに 「あなたはマオバディ?」

ある女 「いえいえ、私もコングレス」
 

ネパールは世界だ!

4月10日の投票はネパールの山の中でも一大行事になっていた。どんな寒村でも人が2,3人集まればその話ばかり。マオバディ、エマレ、カングレス・・・・。

もしかしたらネパールは、「民主制」といえるものを国民全体として今回初めて経験することになったのかもしれない。
 

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