2008-08-12
人は自分、合わせ鏡の法則
詣子です 今日もありがとうございます
随分長くブログを更新しませんでした
一日一日を濃密に忙しくしておりまして、申し訳ありません。
人は業というカルマがありますが、先日お話したカルマのお試しが来ました。
宇宙は何度となくお試しを下さるようです。
そして、今回はパスできたか?というと徐々にではありますが合格点に近付いている様です。
我をなくすこれは人として究極ではないでしょうか?
幼い頃より、私は人の念を受けやすいタイプでした。
よく、子供が悪いことをしていないのにいじめられたと言いますが、あれは本当なんですよ
黙って見ていただけなのに叩かれたりする事もありました(爆)
母に言うと「人の事ジッと見るもんぢゃないからよ」と言われましたから
「人の事を見ちゃいけないんだ」と思いました。
子供は正直です
見ていたら叩かれた
これは、見ている方にすれば→ただ見ていただけ
見られた方にすれば→やりたい事をしていただだけ
それだけの現象です 宇宙の法則はシンプルなんです、ただそれだけの事
しかし、ここに地球人として天からの感情というギフトを受けた人間は
シンプルな現象に感情という感じる心、つまり念を生じさせます・・・深いでしょ(爆)
見つめていただけの子の脳は「楽しそうだな」(明の感情)とか「あの子一人遅れた」(暗の感情)とかいろいろ思っています
見られた子の脳は「変な子がジッと見ている」(暗の感情)とか「一緒に遊びたいのか」(明の感情)とかいろいろ思っています
私は子供の頃から分析脳をよく活用していました
こうなったらああなる というように
悩みがあると 「今ある事の悩みよりも、そこの先にある不安」 に目がいきます。
そして、見当がついていた通りになります(苦笑)
人間関係において私の防御策としては、暗の感情に不安という暗を合わせては
マイナス×マイナス=プラスなるり「負のパワー」が増大してしまうので (数学は偉大です)
これではいけないと、一時、離れる事にしています
しかし、おうおうにして離れた相手は 「本心」 を隠し、恩というプレゼントなどを持って追ってきます
「なんで分ってくれないの?私はこんなにしてあげたのに・・・」と喜怒哀楽の嵐です
これが「情」という鎖です。
日本人は「情」が好きな人種です。
誤解を恐れず言うと、この情ほど面倒なものはありません。
何かをしてあげた事は、結局、「あげた」=「自己顕示欲」の鎖です
自分のお腹が満たされてない人が、他人に食べ物を分け与える事が出来ないように
愛に満たされていない人が、人を満たす事に精を出すと、我が出ます。
我は無意識の恐れ、鎖に南京錠(エゴ)を付けたがります
自分だけの鍵を持って、その鍵を捨てようとしません。
そして、自分の鍵を持って、鎖を縛ったり緩めたり自由にしようとします。
一度、離れるのはこの「情=エゴ」を冷静に相手に見て貰うしかないからです
情は「エゴ」です、そしてなにより自分の潜在意識の「恐れ」なのです。
この「情のしくみ」を知らない多くの人は
自分の満たされない欲求=恐れを満たす愛を欲しがるので
結果 「スピーカー」 になり、こんなにしてあげたと自己顕示欲という我を周りに広めます
そして、他の人から「愛」ではなく、「同情」という鎖を頂きます
しかし、それでは
マイナス(恐れ)+マイナス(同情)=プラス(くりかえし)なんです
・・・どこまでもどこまでも永遠にリピートで天からお試しされます
私は今も、この情というお試しを頂いております
(このお試しは前と違った形で起こるものなんですよ)
幸い、この法則を思い出し早い段階で気付く事ができました
起こる事柄は全て合わせ鏡、自分です。
気付かせて頂いて、ありがとうございます。
今日のフォーカス : 人にしてあげる事そこに自分のエゴを感じた事がありますか?
御礼は日々の「ありがとうございます」という言霊(ことだま)に乗せればいいのです
自分に何か御礼ができるかしら?と悩むなら、それは究極エゴかもしれません
本当は自分の愛が溢れ出し、分け与える何かがあった時にこそ御礼が出来る自分が出来ます
相手の見返りを求める心が見えたら
「決して、そうしてはいけないよ」という天からの、有り難いギフトなのです。
随分長くブログを更新しませんでした
一日一日を濃密に忙しくしておりまして、申し訳ありません。
人は業というカルマがありますが、先日お話したカルマのお試しが来ました。
宇宙は何度となくお試しを下さるようです。
そして、今回はパスできたか?というと徐々にではありますが合格点に近付いている様です。
我をなくすこれは人として究極ではないでしょうか?
幼い頃より、私は人の念を受けやすいタイプでした。
よく、子供が悪いことをしていないのにいじめられたと言いますが、あれは本当なんですよ
黙って見ていただけなのに叩かれたりする事もありました(爆)
母に言うと「人の事ジッと見るもんぢゃないからよ」と言われましたから
「人の事を見ちゃいけないんだ」と思いました。
子供は正直です
見ていたら叩かれた
これは、見ている方にすれば→ただ見ていただけ
見られた方にすれば→やりたい事をしていただだけ
それだけの現象です 宇宙の法則はシンプルなんです、ただそれだけの事
しかし、ここに地球人として天からの感情というギフトを受けた人間は
シンプルな現象に感情という感じる心、つまり念を生じさせます・・・深いでしょ(爆)
見つめていただけの子の脳は「楽しそうだな」(明の感情)とか「あの子一人遅れた」(暗の感情)とかいろいろ思っています
見られた子の脳は「変な子がジッと見ている」(暗の感情)とか「一緒に遊びたいのか」(明の感情)とかいろいろ思っています
私は子供の頃から分析脳をよく活用していました
こうなったらああなる というように
悩みがあると 「今ある事の悩みよりも、そこの先にある不安」 に目がいきます。
そして、見当がついていた通りになります(苦笑)
人間関係において私の防御策としては、暗の感情に不安という暗を合わせては
マイナス×マイナス=プラスなるり「負のパワー」が増大してしまうので (数学は偉大です)
これではいけないと、一時、離れる事にしています
しかし、おうおうにして離れた相手は 「本心」 を隠し、恩というプレゼントなどを持って追ってきます
「なんで分ってくれないの?私はこんなにしてあげたのに・・・」と喜怒哀楽の嵐です
これが「情」という鎖です。
日本人は「情」が好きな人種です。
誤解を恐れず言うと、この情ほど面倒なものはありません。
何かをしてあげた事は、結局、「あげた」=「自己顕示欲」の鎖です
自分のお腹が満たされてない人が、他人に食べ物を分け与える事が出来ないように
愛に満たされていない人が、人を満たす事に精を出すと、我が出ます。
我は無意識の恐れ、鎖に南京錠(エゴ)を付けたがります
自分だけの鍵を持って、その鍵を捨てようとしません。
そして、自分の鍵を持って、鎖を縛ったり緩めたり自由にしようとします。
一度、離れるのはこの「情=エゴ」を冷静に相手に見て貰うしかないからです
情は「エゴ」です、そしてなにより自分の潜在意識の「恐れ」なのです。
この「情のしくみ」を知らない多くの人は
自分の満たされない欲求=恐れを満たす愛を欲しがるので
結果 「スピーカー」 になり、こんなにしてあげたと自己顕示欲という我を周りに広めます
そして、他の人から「愛」ではなく、「同情」という鎖を頂きます
しかし、それでは
マイナス(恐れ)+マイナス(同情)=プラス(くりかえし)なんです
・・・どこまでもどこまでも永遠にリピートで天からお試しされます
私は今も、この情というお試しを頂いております
(このお試しは前と違った形で起こるものなんですよ)
幸い、この法則を思い出し早い段階で気付く事ができました
起こる事柄は全て合わせ鏡、自分です。
気付かせて頂いて、ありがとうございます。
今日のフォーカス : 人にしてあげる事そこに自分のエゴを感じた事がありますか?
御礼は日々の「ありがとうございます」という言霊(ことだま)に乗せればいいのです
自分に何か御礼ができるかしら?と悩むなら、それは究極エゴかもしれません
本当は自分の愛が溢れ出し、分け与える何かがあった時にこそ御礼が出来る自分が出来ます
相手の見返りを求める心が見えたら
「決して、そうしてはいけないよ」という天からの、有り難いギフトなのです。