第6項の「EPN」、第7項の「TP-Games」、第8項の「Bipolar」、これらに共通するのは、(「行き着く先」としてのPMを踏まえつつ) 「いかに調整(Adjustment) を円滑に回していくか」という視座です。そのための「場」(Platform)、「概念」(Concept)、「動力」(Power sources) ・・・などの創出(Creation)/供給(Supply)/維持(Maintenance) に言及したのが、それらというわけですね。
ただし、個々人水準の、「極めてmicroな次元」については、これらだけでは、述べ尽くせているとは言い切れません。
というのも、個々人の営み・活動や、それを支える「やる気」「動機」などは、理念的・理屈的なもの (そうすることが可能なもの)
に支えられている一方、他方で理屈にも言葉にもならないような、ある種の「馴れ合い」「包摂関係」で支えられてもいるからです。家族関係・仲間関係が典型ですね。「家族のために頑張る」なんてのが、まさにそうです。そういう「理」「目的」に回収され切れない、あるいはどうしてもはみ出してしまう部分を、あるいは足りない部分を、補う個人関係、Lubricant
(潤滑剤) / Buffer/Shock absorber (緩衝材)
のように、「個人」次元の隙間を埋めるものが必要になります。
(ここで述べているものは、共同体(Community) とか、ゲマインシャフト(Gemeinschaft)
と呼ばれるような大きな括りではなく、より小さな、個々人単位の支え合い関係 (Personal
relationship) のことです。)
そして、こういうことに関しては、日本人(和人)
は比較的長けています。
「和」(Wa) という概念(Concept)/参照物(RO)
が、そういうことを意識させる雰囲気を醸し出しているからですね。細かいことにこだわらず、なあなあで馴れ合いの触手を伸ばしながら、支え合うという意識が強い。そういう「Ameba
」のような振る舞いを和人は好みます。
(ただし、日本人(和人) の場合は、そういう「馴れ合い・包摂一辺倒」になりがちな (そして、それゆえに行き詰る)
点が玉にきずですし、私が日本の問題点について言及する際も、主にその点を意識しています。)
私がLinoで、「「和」(Wa) を潰せ」ではなく、「「和」(Wa) と「理」(Li) に分離・分割しろ (その上で統合しろ)」と述べているのも、日本の歴史性・伝統性の担保などはもちろんのこと、そういう面で、「和」(Wa) の概念(Concept) が(再)利用・活用できると考えてもいるからです。
Linoで四色図(4 Colors) だけでなく、新陰陽図(New Yinyang) という別のsymbolを加えているのも、そしてその図の意味するところも、まさにそういうことです。
「和」(Wa) というLubricant (潤滑剤) / Buffer/Shock absorber (緩衝材) で隙間を満たしつつ、PM-EPN (Li) / TP-Gamesなどで引っ張り、回していく、こうして「個人」次元から、「人類」次元まで、調整(Adjustment) の中で「うまく回していける」全体の構成が整うことになります。