前々項、前項では、PMと、その対になるもの(EPN/Games)
とによる「2段構え」(上位: PM ←→ 下位:
EPN/Games) について書きました。
これを「縦の2段構え」と呼ぶならば、今項は、それに加え、「横の2段構え」、すなわち「確定不可能性」(Uncertainty)
や「主観性」(Subjectivity) を前にした「両極押さえ」についても、書いていきます。
保守/革新、右翼/左翼、強硬/穏健、善/悪、陽/陰、快/不快、躁/鬱、緊張/弛緩、Local/Global・・・人間は様々な事柄を「二分法/二項対立」(Dichotomy) によって把握します。
両者は相互補完的です。一方が存在するから、もう一方の輪郭が炙り出され、把握・認識されます。このように、(感覚的刺激の) 差異を生み出すことにより、我々は物事の、世界の、より精緻な把握が可能になります。逆に言えば、どちらか一方を選択し、そこに固着してしまうと、それ自身も喪失されてしまうことになる、という皮肉で滑稽な理路がここには存在しています。したがって、一方を --- 全体を --- 支えるために、もう一方を --- その対立を --- (擬似的にでも) 支えなくてはならない 、ということになります。
また、この対立は、往々にして「場当たり的」で、どちらが正しいかは「確定不可能」です。何がどうつながるかは分かりません。「瓢箪から駒」なんてことも、度々あります。そういった意味でも、我々はこの両極を押さえる必要があります。
第3項の「安定」(Stability) /「刺激」(Stimulation) の交互欲求や、前項の「刺激」(Stimulations) 供給と絡めて、より拡張的に述べておくと、例えば「主」(Main) に対する「副」(Sub)、「ベタ」(ありふれたもの) に対する「キワ」(奇をてらったもの) といった具合に、常に新しい刺激(Stimulations) を生み出したり、古びたものを保存しておく、言い換えれば、「差異の創出/保全」(のための環境保全) も必要になります。これも、広い意味での「両極を押さえる」行為です。
この種の対立/差異は際限がありません。どこまでも創出・増殖・細分化させることができます。
そして我々は、我々の「能力限界」(Capacity/Limits of Abilities)
の範囲内で、それを保持・管理します。
そして、この対立/差異の「始まり」と「終わり」には、常に端的な「物理的実体」(PE)
性が存在しています。
逆に言えば、この端的な「物理的実体」(PE)
性に、つまりはPM
に、依拠することにより、我々は、個々の対立/差異 (のどちらか一方)
に、没入・耽溺することなく、それらを管理することができるようになるわけです。(PE/PM ←→
BO/Dichotomy(A←→B))
以上で、PMを取り巻く、同時にPMによって支えられる、全体像の説明は終わりです。