6. EPN (拡張革新型民族主義)

6-1. 拡張革新型民族主義(EPN)、Link-Mix(関連付けと混交)

既述のように、我々人類は、「人類主義」(Mankindism/人類の維持・発展) に収斂されざるを得ません。

しかし、いきなり「人類」(Mankind) に飛べる人間ばかりではありません。
したがって、「愛国主義」「民族主義」(Nationalism) と「人類主義」(Mankindism) の狭間に、それらをつなぐ中間的な概念が形成されることになります。

歴史的には「大アジア主義」や、「汎欧州主義」、重光葵 (しげみつ・まもる) の演説に典型のような「東西の架け橋」云々といった発想、などがありますね。

これを私は「拡張革新型民族主義」(Extended Progressive Nationalism) と呼んでいます。

 

これとは別に、共産主義に見られるように、「労働者」という属性を抜き出して、「世界中の労働者達よ、団結せよ!」といった具合に、「民族」「国家」を飛び越えた連帯を促す発想があります。「人権」「民主」「平和」「人道援助」「環境」等々、今でも形を変えて、そういう発想・手法は繰り返されているわけですが、しかし、これらは現実を見ても分かるように、持ち出す属性や目的が限定的で、包括性が低いので、Nationalism的な包括的で強固な発想に比べたら、力が弱く、補助的な役割しか果たせません。

さて、上記の内容は、裏を返せば、「拡張革新型民族主義」(EPN) を適切に産出し、配置することができない社会は、既存の/伝統的な/保守的な「国」「民族」(Nation) image/communicationに引きこもり、「人類」(Mankind) に向けてなかなか踏み出せないまま、という理路になります。実際、現実もそうなっていますね。日本もその典型例のひとつです。

そして、そういう国/社会は、今日進行する「Globalization」(地球規模調整) においては、当然のごとく「劣勢」「負け組」となり、疲弊し切ったところで、「外圧」により、強制的に開かれることになります。

 

こういう単純かつ当たり前の事態を、そしてそれへの対処を、(日本の特殊性にも配慮しながら) 考え、行動することができるオツムと気概の持ち主が、残念ながらこの日本にはいません皆無です馬鹿と卑怯者に占拠されているのが、この国の現状です。ですから、仕方なく、これについても、私は案を提示しています。

」(Li) / 「大理」(Lino Yamato) といった概念、及び、それを基礎とした「拡張革新型民族主義」(EPN) 活動、あるいは、その一環として (も) 位置づけられる、「AR」や「Togo」などが、それです。

new-japan.png

このWebsiteの内容、とりわけこのPageの内容を踏まえれば、PMからEPN回帰し (PM→EPN)、そのEPNからPM再回帰する (EPN→PM)、全体の構成・理路 (PM→EPN→PM) が、その必要性・必然性が、そして、このWebsiteの冒頭で、「日本の社会的文脈に則して表現する場合は大理教 ((りの)やまときょう/Lino Yamatoism// だいりきょう/Dailiism)」と、PMの別称が書かれている理由が、理解していただけることでしょう。

 

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