第1項で言及した「人類」(Mankind) (-の維持・発展) について、改めて言及しておきます。
繰り返し書いているように、人類状況は、既に「Globalization」(地球規模調整)
に突入しています。
この「調整」(Adjustment)
は、いかなる「理念/概念」(Idea/Concept)、「論理」(Logic)、「Communication」、「統制」(Control)
を以ってしても、誰も止めることはできません。我々は、ただただ「適応/順応」(Adapt/Adjust) するのみです。
言い方を換えれば、全ての人類は、従来のように「民族」「国家」に「引きこもる」ことができません。そこから外に、強制的に「引きずり出され」ます。
そして、己の生存欲求ゆえに、また、全ての集団に生じる「同調圧力」(Peer Pressure) ゆえに、全人類はMankindism (人類主義/人類の維持・発展) の下に「強制動員」されることになりますし、それが人類共通の、そして永遠の、「絶対的大義」「究極目的」(Ultimate Purpose) として、浮上して来ざるを得ません。
こんなことは今に始まった話ではありません。
例えば、「近代社会思想」を支えている「自然権/Natural
Rights」(人権/Human Rights)
が典型です。
17世紀以降、泥沼の宗教対立、民族対立、階級/階層対立を前に、言い換えれば、「伝統」「民族」「国家」「思想・信条」を超える問題を前に、人々は「人類」(Mankind)
という「万人が共有する基礎的属性 」に根ざしたこの概念を持ち込み、調停を図らざるを得ませんでした。
このように、人間が「他の属性」の人々に働きかけるには、それらの人々とも共有する、「人類」(Mankind) という「万人が共有する属性」を持ち出す他ないわけです。人類が最後に当てにできるのは、「人類」(Mankind) という属性だけ というわけです。
(おまけとして、「公平」(Fairness)、「合理性」(Rationality)、「正直」(Honesty)、「前向き」(Positivity) 、「愛情」(Love)、「敬意」(Respect)、「忠誠」(Loyalty) などといった、共感(Sympathy) を促す抽象的概念set がありますが。)
(いや、厳密にはもうひとつあります。自然科学(Natural Science) がそうであるように、あるいはマルクス主義(Marxism) の「下部構造決定論」的な話がそうであるように、そして、このPMがそうであるように、万人が (いかに主観的に拒否しようとも) 逃れられない「物理的実体」(PE) がありますね。)
ただ、この「人権」(Human Rights) に関して言えば、その「表現」も、「内容」も、「根拠」も、漠然とし過ぎているがゆえに、その「内容」や「適用範囲」を巡る「論争」(Controversy) (-への「没入」(Divortion)) 、普及・遵守のための説得力の欠如、といった「障害」を抱え、無意味とまでは言えないものの、あまり有効に機能しているとも言えません。
また、その意味から、適用できる範囲も限定的なため、「人類愛」「世界平和」(Love & Peace)、「環境保護」(Environmental Conservation/Green ~)、「医療の進歩」「Technologyの進歩」・・・といった具合に、「人類の維持・発展」に向けた補足的な概念を場当たり的に生み出しては、まだら模様に配置する羽目にもなっています。
ですから、本来的には、17-18世紀の時点で、より直接的かつ包括的に、「人類の維持・発展」こそが最重要かつ最優先なのだと、ごくごく当たり前な「人類主義」(Mankindism) 的理念なり、論理なりが、まず提起され、そこから「人権」なり、「環境保護」なりが、派生的に生み出されるべきでした。まあ、当時の人々の意識がそこまで達していなかったと言えばそれまでですが、仮にそうなっていれば、かなり多くの (「没入/過剰適応的堕落」「自家中毒」に伴う) 「無駄」「遠回り」を省くこともできていたでしょうし、人類の歩みも大きく異なっていたことでしょう。
とはいえ、既に「Globalization」(地球規模調整) が回り始めている人類状況、また同時に、「食糧危機」「Energy危機」「環境危機」なども抱えている人類状況が、総合的に結びつき、「人類主義」(Mankindism/人類の維持・発展の最優先) 的理念を浮かび上がらせ、人類のありようが、本来の軌道に修正されるのも、そう遠くはないと思いますが。
もちろん、この「人類の維持と発展の最優先」としての「人類主義」(Mankindism) も、「人権」(Human Rights) と同じく、「発展」の意味するところを巡り、論争が起きえます。しかし、それほどバラけたり、混乱する危険性はありません。
などを中心とした、ある程度の範囲に収斂されることになるでしょう。
いずれにしろ、人類が、「人類主義」(Mankindism/人類の維持・発展) の下に束ねられることになるのは、そして束ねられ続けることになるのは、あまりにも分かりきったことです。