人間/社会の、「物理的実体性」ゆえの、決まりきった性質/Mechanism、その内の基本的ないくつかに、言及しておきます。
人間は誰しも、まず自分を取り囲んでいる (同時に自分自身を構成している) 「物理的実体」(Physical Entity ) を参照するところからはじめます。物理的実体 (PE) は誰しも逃れられない唯一絶対的な実体 です。
しかし、人間はその能力限界 (Capacity/Limits of Abilities) ゆえに、ありのままの情報を正確に受け取り、記憶に留めることができないので、一方で肉体的反復を通じて情報を「感覚化/身体化」して記憶し、一方で「観念/概念/物語」(Idea/Concept/Story) を生み出して関連付け・圧縮 することで記憶します。
そのため、全ての人間は「物理的実体」(Physical Entity) と「観念」(Idea) という2つの「参照物 」(Reference Objects) に挟まれて生きています。
この2つの「参照物」(RO) をどう調停するのか、とりわけ後者の「観念」(Idea) をどうまとめ上げるか、それが古来、思想・哲学の中心的な関心事です/でした。(これにどう対処したらいいかは、第1項 で既述済みです。)
さて、人間の「物理的実体性」に、より焦点を当てると、言うまでもなく、人間の記憶・思考・感情は「脳」(Brain) で形成されています。「精神」「心」と呼ばれるものも、「脳」(Brain) が形成しています。また、「心身相関」に見られるように、「脳」と「身体環境・状況」は、密接に関わっています。これは、生物として周囲の環境・状況に反応・対処していくために備わった、原始生物以来のごくごく自然なmechanismです。
そんな「脳」(Brain) が形成する「精神」の主な特徴は、「安定」(Stability) と「刺激」(Stimulation) の交互欲求です。これは「副交感神経」と「交感神経」のanalogy (類推) で、物理的にも説明できる事柄です。もっと俗っぽい例えを出せば、「弛緩」と「緊張」の関係ですね。どちらが欠如してもbalanceが取れません。
社会とは、「前提を共有し合うことで成り立つ集団的まとまり」のことです。
この「前提」とはもちろん、「観念」(Idea)
的なものですね。
集団である特性上、社会では、個人の時とは異なる性質が入り込みます。
それが、各構成員へのPeer Pressure (同調圧力) です。
この社会の前提としての観念(Idea)、いわゆる社会通念・常識 (Common Sense)、伝統・慣習 (Tradition/Convention) などと、構成員が持っている観念 (Idea) にズレが生じる場合、現実社会にも軋轢が生じます。そこをうまく調停すべく生み出されたのが、「民主制」であり、「人権概念」「自由概念」ですね。
そんなそれぞれの観念 (Idea) を持った各個人が、それぞれの需要に則り、貨幣を媒介としてより直接的に商品・Service・労働力をやりとりするのが「市場」(Market) です。この「市場」(Market) の拡大が、今日の「Globalization」(地球規模調整) をもたらした最大要因ですね。
このVector (ベクトル) は逆向きにも、つまり、市場→大衆→政治といった方向でも作用し得ますし、現在ではむしろこちらの方が主流だとすら言えます。そういうわけで、このように、個人も、社会も、市場経済に象徴されるような、便利・快適さ (Convenience/Comfort/Amenity) に流される性質もあります。