販売店の奥に山積みされた「押し紙」。店主も隠し場所に困っている(別の販売店にて撮影)
大阪府箕面市で毎日新聞の販売店を経営する杉生守弘さんは業界歴48年、新聞販売業界の内部を知り尽くした人である。杉生さんが被った「押し紙」による損害は、ここ5年間だけでも約6300万円にものぼる。2006年6月30日、弁護士と相談した杉生さんは、毎日新聞社に対して損害賠償を求め、大阪簡易裁判所に調停を申し立てた。現在、調停を重ねているところだ。 杉生さんに会って話を聞くと、「押し紙」の実態について語ってくれた。 「わたしは毎日新聞社に対して、新聞の送り部数を減らすよう何度も申し入れてきました。しかし、弁護士さんに交渉してもらうまで、申し入れを聞き入れてもらえませんでした」 「押し紙」で生じた赤字を埋め合わせるために、杉生さんは1989年に自宅を売却。奥さんに先立たれる不幸も経験したが、それでも息子さんやアルバイトの従業員たちと一緒に、細々と自分の店を守り続けてきた。 毎年1月度の時点で、杉生さんが実際に購読者に配達した部数(購買部数)、杉生さんが毎日新聞に要請した部数(要請部数)、毎日新聞が杉生さんに対して送り付けてきた部数(送付部数)を紹介してみよう。 2005年1月は、購買部数733に対し、要請部数は900部。これに対し、送付部数は1510部。送付と要請の差(つまり1510-900=610部)が押し紙である。 2004年は購買782、要請1000、送付1510(押し紙510)。2003年は購買815、要請1100、送付1820(同720)。2002年は購買892、要請1100、送付1800(同700)。2003年までの数年間は毎月700部ほどを強制的に買い取らされていたことになる。 毎日新聞の販売店を開業したのは、30年前の1976年。当時、配達部数は832部だった。が、杉生さんは拡販に力を注ぎ、3年後には配達部数を約1900部にまで増やした。拡販のためにやむなく大量の景品を使ったが、順調に部数は増えた。しかし、やがて景品を使った拡販が裏目にでた。 「新聞乱売が社会的な非難を浴びたために、毎日新聞社は景品類を使用しないように販売店に指示を出したのです。ところが景品を提供しなくては、新聞を購読してくれない人が多かった。しかも、そこにライバル紙がセールス・チーム(新聞拡張団)を送り込んできて、高価な景品を使った拡販を始めたので、太刀打ちできませんでした」(杉生さん) 一度は倍増した部数が、1年半でほぼ元に戻った。しかし、毎日新聞は部数減に応じて、販売店への送り部数を減らそうとはしなかった。その結果、杉生さんの販売店には、徐々に「押し紙」が増えていった。 そこで杉生さんは1990年ごろから、再三にわたって送り部数を減らすよう、毎日新聞に申し入れた。しかし、それは聞き入れられなかった。 2003年4月には、口頭ではなく書面で部数減を申し入れた。その時に杉生さんが送った手紙の一部を引用しよう。 「(略)店にはそれなりに大きな歴史があります。今では子供達も成長し、巣立って行き、残る長男と女房、私が中心になってやって来ましたが、昨年、女房が病気で他界し、今では長男夫婦と私が中心になって頑張っておりますが、現在の社会情勢から活字離れが多く、これにくわえ数年前から販売競争が激化し、現状維持するのがやっとです。これ迄、数次に渡り送り数の改定を申し入れているのですが、前向きな回答がございません。本日・書簡にて失礼とは存じますが下記の通り、送り部数を改定下さい。 現状送り部数(4月末)1820部。改定部数1000部。」 続きはMyNewsJapanを読む 【関連記事】 新聞販売の金の動きを追う 新聞販売店は新聞社のおもちゃか 1週間で古紙5890キログラム
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