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【コラム】5000年VS60年(上)

 大韓民国が誕生したわずか60年前の時点でも、われわれには主権在民の概念さえなかった。そのような国が「キャンドル集会」のように、今や国民の一人一人が主権者であるかのように憲法第1条を口にし、「過剰主権」の世の中といえるほどに急成長した。実に大きな変化と言わざるを得ない。他国では数世紀をかけて通過してきたプロセスを、われわれはわずか60年余りで「封建体制の副産物にすぎなかった臣民から抜け出し、社会的能力を身に付けて自分の運命を自らが決め、主権者として決定を下す近代的概念を持つ国民へと新しく生まれ変わった」(キム・ヨンホ著『建国60年の再認識』)ということだ。

 何がこのようなことを可能にしたのだろうか。多くの学者がさまざまな意見を提示しているが、われわれの発展のプロセスを一言で言えば、「中国と日本の影響下から抜け出し、米国を通じて民主主義を学んで世界へ飛び出すことができるようになったから」という点は否定できない。われわれは5000年の歴史を誇るが、その長い歳月のほとんどの期間においてわが国を押さえ付けてきたのは中国であり、近代以降にわれわれを抹殺の危機にまで追いやったのは日本だった。わが民族は彼らを一度も苦しめたことはないのに、彼らはわれわれを数千年も苦しめてきた。わが民族にとって恨と怨(えん)があるとすれば、それは中国と日本に対するものだ。

 大韓民国建国から60年間で、われわれは中国と日本の影響から抜け出し、彼らと対等な決定を下せるほどに成長した。わが民族が5000年の歴史の中で初めて人間らしい生活を営むことができたのも、この60年だった。この短い期間は、価値的にはその前の5000年をも超えるものとなっているのだ。

 そのような国とその周りの北東アジアで復古の機運が高まっている。北東アジアで60年前にあったような反動の兆候が再び見られ始めたのだ。金大中(キム・デジュン)政権での「わが民族同士」、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権での「北東アジアのバランサー」、さらに左派勢力による反米がそれらに衝動を与えてきた。その間に日本は独島(日本名竹島)を自国の領土と主張し始め、中国は東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入しようとする企図)などを通じ、自ら東アジアの本来の主人であると声を高めてきた。経済力を土台とした日本と中国による覇権争いが再び始まったのだ。日本がたとえ経済大国となったとしても、韓国としては「植民地としての思い出」を忘れるはずもなく、中国は経済力の成長とともに韓国に対する宗主国の郷愁を思い出さずにいられないようだ。その間に挟まれた韓半島(朝鮮半島)では、南北が自虐的な方向へと進んでいるような状況にある。

金大中(キム・デジュン)顧問

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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