「死ぬこと」に関しては韓国人も日本人もほとんど同じであると思うんですが、「死」をどう捉えるかについてはどうでしょうか。エピソードをいくつか書いてみましょう。
ソウルオリンピックの頃のことですが、韓国で日本と韓国の柔道の試合が行われていました。その会場で韓国人の観衆が「チュギョラ!チュギョラ!」と合唱していて、それを見ていた日本人が「あれは何と言っているんですか?」と隣りの日本人に聞いたところ、聞かれた日本人は「殺せ殺せ、と言っているんですよ」と正直に答えることが出来なくて、「頑張れ頑張れ、と言っているんです」と答えた由。
うーむ。韓国関係の日本人がこのような手段で日韓関係の現場をとりつくろっている現象は相当にあるのかもしれない。ある意味、困ったことではある。
私だったら、「<チュギョラ>は<やっちゃえ>という意味です」と答えるのかなあ。一応、文字で書くと「殺っちゃえ」ともなるのが自慢です。
ふとここで思い出すのが、映画「十二人の優しい日本人」の一場面。「殺すぞは仮定、死んじゃえは意思。彼女は殺すつもりで言ったんだ。殺意はあった」「私なんか主人が疲れて帰ってきて、ああ死にそうだとか言ったら、平気で<死んじゃえ死んじゃえ>って言いますよ」などのやりとりです。「死ぬ」「殺す」に関してのこの辺り、日本人同士でも整理が出来ていないようでして。
韓国人の言い方でちょっと驚いてしまうのが次のようなもの。
韓:お父様はお元気ですか。
日:今年84歳ですけど、病気で寝ています。
韓:そうですかー。それじゃ長くは生きられないでしょうね。
ね! かなりのものがある。日本人だったら、「そりゃ大変ですね〜」ぐらいで誤魔化しておくんじゃないでしょうか。どうもなんつうか、韓国人は人間が70歳ぐらいになると「明日にでも死んで不思議ではない」という認識があるのではないのだろうか。おじいさん、おばあさんに対する挨拶として「長生きして下さい」という言い方がされるんだけれど、これは「明日にでも死ぬかもしれない」ということの裏返しだと思う。
韓国人Aさんの奥さんが亡くなって2年後、Aさんは再婚しました。それで、Aさんの上司が日本人に向かって言うには、「いや〜、Aさんは本当に幸せな人ですよ。二回も結婚できるなんて羨ましい」と言っていました。あとで日本人が、「すげーこと言うなあ」と感想を述べていましたが、実はこの言い回しは日本でもあり得る。韓国が、日本が、ということではなく、「そういう上司は存在する」のです。
Mさん(男性)の娘さん(35歳くらい)が病気で亡くなりました。葬儀場に向かう車の中で、Mさんの友人がMさんに尋ねました。「どうだね。子供に先に死なれるってのは、どういう感じかね」
この質問にはビックリ。私はこの質問を聞いた時、「ああ、この二人は本当の友達なんだ」と思いました。
ちなみに、Mさんは尋ねられたことには答えないで、「うーん。そうだなあ」と言ったきりでした。
年齢の成せるワザ? 30代ぐらいだったら、いくら友達でも「子供に先に死なれた感想は?」とは聞けないでしょう。Mさんも、その友人も生粋の日本人です。
「死」に関しては、諸般の事情で書けない話も多いです。結論は自分で考えましょう。
[2001-12]