NK 労組 の OB,OG 会報で長崎に帰省し、活動されている XX さんから寄せられた投書を読みました。
相変わらず心優しく、真面目な発言に、組合の会議などで、静かな声で、目を輝かせ、真剣に発言する
姿を懐かしく思い出しております。
私達の組合の良き伝統の一つに、他人の痛みを解り、その人の心を自分の瞳のように大事にするという
ことがあります。 長崎で起きた少年をめぐる悲劇を二度と繰り返さない為に、今、私達に何ができる
のか、XX さんの 七っ の提案を私は全て支持します。 その上で さらに発言を続けます。
私は嘗て、ある野鳥愛好家グループの掲示板に「古風な自然(感)」というタイトルの投稿を行いました。
人間は自分が生まれ育った環境と、そこに住む人達を無制限に良いものだと思い、それらを守って生きて
行き度いと思うように「すり込まれた」動物なのです。 人間の偉大な点は、それを父や母に対する愛情
と尊敬に高めたことにあります。 このことは人間活動にダイナミックな動機を与えました。 これらは
脳の「下部構造」として遺伝します。 人間は言葉を使い、堂々たる文化を築きました。しかしこの文化
という「上部構造」は遺伝しません。 文化は言葉と共に子供達が所属している集団から学び受け継ぐも
のなのです。 しかし、いくら人間が堂々たる文化を築いたからと云っても「下部構造」が不要になった
わけではありません、今でも愛と友情は人間活動の原動力であることに変わりはないし、人間の第二の本
性と言える程血肉化し、今日でも私達を強く支配しています。 私達は甲子園の高校野球ではごく当たり
前のように、故郷の学校を応援します。 人間は、原子爆弾のように人間の頭で創られたものではないの
です。 人間はその構造だけではなく「心」という機能も含め、進化の過程で自らが獲得してきたものな
のです。 従って、その構成について責任を負っているのは自然だけです。
以上は、すべて、比較行動学の始祖であるノーベル賞受賞者 コンラット・ローレンツのうけ売りです。
二十世紀は世界に劇的な変化をもたらしました、その担い手は資本主義。 日本は明治維新とともにこの
制度をうけ容れました。 親達は戦争の大禍を乗り越え、必死に働き、今日の「繁栄」を築きました。
しかし、世紀末をむかえ、資本主義経済にも翳りが見え、対策が打ち出されました。 その対策とは
「規制緩和」と「経済のグローバル 化」、つまり、無制限な競争社会の創出と膨張主義の結合である。
そして 今や 日本も「規制緩和」「経済のグローバル 化」の騎手。 自由と民主主義の美名の下、労働
組合など必要がなく、誰もが中流になった筈なのに、気が付いてみたら、国民一人一人がバラバラにされ、
リストラの嵐が吹き荒れ、若者は働く場を与えられず、労働力はおろか、最後の生産力である セックス
までが金儲けの対象にされ、少女が着けている下着が 5000 円 で売買される時代になってしまった。
「非行」など、青少年をめぐる様々な問題が論議されてから久しい。 これらは、明らかに青少年が世代
を受け継ぐ機能に障害が生じていることを示している。 しかし、最近、冒頭の XX さんが心配されて
いる長崎の少年の問題について、政府の青少年育成推進本部の副本部長を務める国務大臣が「問題を起し
た子供を育てた親は市中引き回しのうえ打ち首にすればいい」と発言した。 日本の未来は深刻である。
人間は自分が生まれ育った社会集団に自らを適応させるために、先ず、その社会集団の持っている伝統、
風習、価値観などに対して疑いを持つことを強制されていると云われます。 一般に「反抗期」と云われ
るこの現象は、人間社会の文化に可塑性をもたらす上で大変重要な役割を持つものです。 しかし、いく
ら上等に プログラミングされている大脳と云えども、こうも激しく世の中の価値観が変わってしまったの
では、その変化に追従出来ないのは火を見るより明らかなことです。 そして何よりも、本来この機能は
親や家族を守り、群れを守るべく、発達してきたものなのです。 少年達は「下部構造」が命じるままに、
バラバラにされてしまった群れや、本来、自分が守られるべき家族を求めて彷徨っている。
親達が求めた「自由競走」に子供達が巻き込まれている、これが自由か? 何と非人間的なことか!
最近、比較行動学の分野でコンラット・ローレンツを批判することが流行っています。
某国のイデオローグ などは、最近話題の「渡り鳥」の理論的基礎である「すり込み」とか「解発」を自分
達が提唱したものであるかのようにハシャギながら宣伝し、本当の提唱者と、二元論を撃ち破る「新しい
一元論」を隠している。 そしてコンラット・ローレンツ を「頑固」だなどと言って批判している。
頑固で悪かったナ、そんなこと云うなら、ダーウイン はどうナンダ!
ヘレンケラーは言葉を学び、知性を獲得いしていった。 これこそ、何のいわれもない生まれの人間が、
遠い祖先達から営々として築きあげて来たコミニテーの力によって、人が人間として育てられていった
ドラマである。 人間はこのようにして荒野に杭を打ち、いわれを築いてきた。 われわれは今、この
ドラマに確信を持ち、さらに新たなコミニテーを目指し、人々との連帯を築きあげなければならない。
永年航空会社で整備の仕事にたずさわり、航空機の構造と整備に関して少しの知識を持つ者として、事故
報告書の偽りを排し、事実を解き明かし、公表することは、一人の国民としての義務であり、新たなコミ
ニテーとの連帯を築く第一歩である。 そしてこの道こそ、不運にしてこの事故に遭われ御巣鷹山で亡く
なられた 520 人の御霊とその御遺族の方々に対する償いの道である。 そしてまたこの道は、空の安全
を求める国民の願いに応える道でもある。 航空界が理性を回復し国民の足として発展することを願う。
お父さん お母さん! 疲れたヨ! もうすぐ貴方方のひざ元に行くから その時はヨクヤッタと
頭をなでてネ。