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2008年7月・歌舞伎座 (夜/「夜叉ケ池」「高野聖」)

夜の部は、泉鏡花の2作品上演。玉三郎が、演出、主演など活躍
する。まず、2年前の7月、歌舞伎座で拝見した「夜叉ケ池」
は、前回と配役は、ほぼ同じ。歌右衛門、玉三郎の流れの上で、
前回、百合と白雪姫のふた役を春猿が、演じたが、今回は、百合
は、春猿、白雪姫は、笑三郎とした点が、違う。「高野聖」は、
歌舞伎としては、54年ぶりの上演である。当然、私は、初見で
ある。


「人間界」への、「異界」の優位宣言:「夜叉ケ池」の世界


「夜叉ケ池」は、1913(大正2)年に発表された鏡花の戯曲
第一号で、自ら翻訳したドイツのハウプトマンの戯曲の影響を強
く受け、さらに、日本の地方に残る竜神伝説を取り入れているこ
とから、異界と現世が交錯するという、説明的な展開の演劇に
なっている。それだけに、科白劇の色彩が強く、演劇的な切れは
悪い。初演は、1916(大正5)年、東京本郷座の舞台であっ
た。

「夜叉ケ池」では、「人間界」、村という「俗世」と夜叉ケ池の
上に構築されていると見られる「異界」との対立が軸として描か
れている。

暗転から舞台が明るんで来る。最初は、三国岳山麓の村里にある
鐘楼と鐘突きの番小屋に住む老夫婦の物語という体裁で、幕が開
く。鐘突き番の老夫婦として、妻・百合(春猿)、百合の連れ合
いの晃(段治郎)が、登場する。小屋の近くを流れる水辺で、米
を研ぐ百合。夕景である。夕餉の準備であろう。小屋の庭には、
夕顔が咲く棚が設えてある。

そこへ、旅人が、夜叉ケ池を見に行こうとして、やって来る。実
は、この旅人は、晃の友人の学円(右近)で、北陸の伝説調査に
出向いたまま、一昨年の夏から行方が判らなくなっている晃を探
していた。晃らしい人物が、この小屋にいると聞き付けて、やっ
て来たらしい。百合と旅人の話を障子の部屋で聞いていた晃が、
旅人は、もしや・・・と、障子を開けた隙に学円と視線が合って
しまう。やがて、覚悟を決めて、親友の前に姿を現した晃は、白
髪の鬘を取り、変装していたことを打ち明ける。百合も、白髪の
鬘を取る。

晃は、学円に、夜叉ケ池の竜神伝説について説明する。一昨年、
伝説調査に当地に赴いた晃は、鐘突き番小屋の古老から話を聞い
たのだが、伝説に基づいて、一日3回だけの鐘を付いてみせた古
老が、突然、倒れて、死んでしまったため、晃は、村里の美しい
娘・百合とも出逢ったこともあって、番小屋に住みはじめたと行
方不明になった経緯を説明する。百合も、夫の親友としての学円
に心を許す。

話を終えた晃と学円は、百合を残し、夜半を突いて、夜叉ケ池を
見に出かける。やがて、更に、夜が更けると、ひとり残された百
合の元に異界としての夜叉ケ池の主である白雪姫(笑三郎)の眷
族たち(妖怪)が、やって来る。どうやら、百合は、俗世と異界
を繋ぐグレーゾーンに住む異能の女性らしいと判る。

こういう幕開きの仕方をすると、現世が、主筋で、異界が、副筋
と思われるだろう。実際、私も、そういう感じで、舞台の進行を
観ていたが、観終ってから、考えると主筋と副筋は、逆転してい
ることに気が付いた。それを図式化すると、次のようになる。

夜叉ケ池を巡って、現世と異界の対立がある。現世が、主筋で、
竜神伝説(夜叉ケ池に封じ込めた竜神に日に3回鐘を突いて、音
を聞かせるという約束)を伝える鐘楼を守っている「百合の世
界」。これに対して、天上の異界では、三国岳の夜叉ケ池の主で
ある白雪姫が、白山の剣ケ峰にある千蛇ケ池の主に恋をして、
引っ越しを企んでいるが、鐘楼の鐘突き番が、竜神伝説の約束を
守っている間は、引っ越しが出来ない。約束を破って、引っ越せ
ば、天罰が下って、村里は、決壊した夜叉ケ池の水難に見舞われ
ることになる。白雪姫の葛藤が、副筋である「白雪姫の世界」。
因に、ここに住むのは、白雪姫のほかには、湯尾峠の万年姥(吉
弥)、白男の鯉七、大蟹五郎、十三塚の骨寄鬼、虎杖入道、木の
芽峠の奥山椿、鯖江太郎、鯖波次郎という面々である。

現世は、また、対立軸がある。百合の世界、竜神伝説を信じ、村
里を守るとともに、晃との関係を重視する純粋な愛の世界と伝説
を否定する村人たちの俗世に分かれる。百合の世界と村人たちの
俗世は、対立する。日照り続きの、雨乞い対策として、村一番の
美女・百合を生け贄にしようとして、百合や晃、果ては、学円を
も巻き込んで襲いかかる村人たち。伝説を守らねば、雨乞い効果
の雨どころか、村里を破壊する大洪水に見舞われる恐れがあると
訴える百合たちだが、結局、俗世に負けて追い詰められ、鐘楼の
鐘を突く撞木の紐を切り払い、伝説の約束違反を宣言した上で、
百合も晃も、自害してしまう。

主筋の、現世の「百合の世界」は、このように悲劇的な結末を迎
えるが、死ぬことで、グレーゾンから、「晴れて」異界へ入り込
んだ百合と晃は、鐘楼のあった辺りにできた鐘淵で、仲良く暮ら
すというハッピーエンドとなる。つまり、副筋の、異界の「白雪
姫の世界」では、百合と晃は、ハッピーエンドの主人公となるの
である。

歌舞伎役者として鏡花劇の歌舞伎化に熱心に取り組んでいる玉三
郎は、「夜叉ケ池」、「海神別荘」、「天守物語」を「三部作」
といっていいほど、描かれている世界が似ている」と言ってい
る。つまり、「海神別荘」では、海底の「異界」へ「人間界」か
ら若い女性が輿入れをして来る。「天守物語」では、天空の「異
界」へ「人間界」から若い武士が逃れて来る。今回の「夜叉ケ
池」では、現世の「人間界」の悲劇は、実は、「異界」では、
ハッピーエンドである。つまり鏡花劇では、異界の元への統合、
ある種の融合が描かれていることが判る。いずれも、最後は、
「異界」の優位性が、高らかに宣言される。

ところで、鏡花劇は、優れて科白劇でもある。美意識を含む鏡花
哲学の思惟を科白という言葉で表現しようとするから、どうして
も奇抜で綺羅星のような科白が多くなる。空想自在な、形に見え
ない思惟を役者の肉体を通じて舞台という限定された空間で表現
するために、そういう科白が多用されるのである。書かれた戯曲
の科白は、「読みどころ」だが、それは、必ずしも、役者のいう
科白の「聞かせどころ」とは限らない。特に、様式美、定式を重
んじる歌舞伎は、どちらかというと、見せる演劇である。純粋な
歌舞伎役者である玉三郎は、見えない科白を役者の所作で見せる
歌舞伎に、いわば、「変質」させようと努力している。玉三郎
は、鏡花劇の思想を身に纏い、己の美意識に磨きをかける。それ
は、「人の目に見えない思想」と「人の目に見せる美意識」とい
うアンビヴァレンスを統一しようという、かなり厄介な試みでも
あるのだろう。

贅言1):前回、春猿ふた役の白雪姫のとき、歌を唄う後ろ姿の
百合が登場する場面は、当然、吹き替えだったが、今回は、それ
ぞれ別の役者にしたにも拘らず、この場面を削除し、百合の声の
みという展開で、かえって、シンプルで良かった。

贅言2):大道具が、シンプル。三国岳山麓の村里に伝わる鐘撞
伝説の主役となる鐘楼は、現世の鐘楼と異界の鐘楼は、前回同
様、表と裏を半回転させて表現していた。つまり、鐘楼の石段
が、表と裏では、凹と凸で、違っていた。鐘楼の傍にある百合と
晃が住んでいる鐘突きの番小屋は、屋根の無い屋体で、おもしろ
い。書割も、抽象的で不確定。それが、逆に、「何処でもない場
所は、何処でもある場所」という普遍性を持つことを伝えてい
る。それは、時空を超えて、メッセージを送って来る鏡花劇に相
応しいかも知れない。時空の枠が、拡がるのである。また、仮構
性の強い場面では、三味線の単調な音が、効果音のように、繰り
返し、繰り返し、演奏されるが、これが、結構、印象的。「ワ−
プロ」で、表現するなら、文字の上に、薄い色の「網掛け」とい
う感じで、なんとも、おもしろいと思った。作曲は、杵屋巳吉、
補曲は、豊澤淳一郎、作調は、田中傅次郎と、筋書には、列挙さ
れているが、誰のアイディアだろうか。

鐘突き小屋の背景の三国岳に通じる書割も、薄暗いので、判然と
しにくいのだが、森の下の崖という感じで、その後の、異界への
展開で、一気に、抽象的な大道具へと変化するのも良く、異界と
しての夜叉ケ池の表現も、地絣に水色の光を当てれば、池、明る
い光を当てれば、地面という具合で、テンポのある展開であっ
た。美術は、中嶋正留、照明は、池田智哉。


シンプルなテーマで、判りやすい「高野聖」


「高野聖」は、今回を含め、戦後、3回だけ歌舞伎として演じら
れた。2回は、歌人の吉井勇が脚色をし、久保田万太郎が演出を
担当した。1954(昭和29)年の6月、当時の大阪歌舞伎
座、その年の8月には、歌舞伎座で再演された。しかし、それ以
来、今回まで、50年以上も、長らく上演されることは、なかっ
た。

原作は、1900(明治33)年に発表された小説である。
1904(明治37)年のは、早くも、劇化されて、新派の舞台
として、東京本郷座で上演されている。

玉三郎演出の「高野聖」は、山中の孤家(一ツ家)に住み、迷い
込んだ旅人を動物に変えてしまう魔性の女と脱世俗の高野聖と呼
ばれる修行僧との対立の物語で、両者が、共存するとともに、女
の持っているのが、魔性ばかりではなく、白桃の花のような聖
性、癒す力だという、いかにも泉鏡花らしい世界観で塗り込めら
れた、判りやすい芝居であった。

暗転の中、紗幕に、読経をする僧侶たちの映像が映る。スポット
も多用化する。立体的な大道具は、歌舞伎の書割とは、趣が違
う。下座音楽ではない、効果音、伴奏音楽が、場内に響く。歌舞
伎というより、普通の演劇の演出だ。

第一場「飛騨越えの山路」。本道と旧道の分かれ道。途中水没し
ている箇所がある本道。7、8里(30キロ前後)近道だが、荒
れている旧道。どちらを選ぶか。猟師(男女蔵)も、百姓(右之
助)も、地元の人たちは、皆、本道を行けと勧める。旅人は、薬
売り(市蔵)も、高野聖(海老蔵)も、旧道を選択する。

第二場「同じく山中」。高野聖の行く先々で、黒衣が、操る蛇や
大蛇が蠢く。獣のいななきの効果音。

第三場「山中の孤家」。高野聖は、やがて、言葉が不自由な少年
(尾上右近)と若い女(玉三郎)が住む孤家(ひとつや)に辿り
着く。一夜の宿りを乞うが、女は、拒絶する。懇望する高野聖の
態度を見て、女は、宿りを許す。女に仕える親父(歌六)が、
帰って来た。親父に後を託して、急に愛想が良くなった女は、旅
の汚れを落すようにと、高野聖を崖下の淵に案内する。舞台上手
から臨時に設えられた階段を降り、客席内を通り抜け、花道に上
がり、再び本舞台へ。その間に、暗転の中、大道具は、崖下の淵
の場面に変わっている。

第四場「山中の淵」。淵に向う女の前に大きなヒキガエルが飛び
出して来る。邪険に足蹴にする女の態度は、ふてぶてしい。淵に
入り体を洗いはじめる高野聖。最初は、淵の別の場所で、夕餉の
米を研いでいた女は、何かを決意した表情を浮かべると、着物を
脱ぎはじめる(「夜叉ケ池」でも、百合は、夕餉の米を研いでい
たが、泉鏡花は、女が米を研ぐシーンが好きなようだ)。高野聖
が、水浴する淵に近づき、裸身で聖に寄り添い、背中を流そうと
申し出る女。慌てて、女の手を振払い、逃げ出す高野聖。女も、
淵から上がって来る。「もし、私が川に流されて見つかったら、
村里の者は、何というだろう」と謎をかける女。「白桃の花だと
思うだろう」と答えて、女を喜ばせる高野聖。帰途につくと、途
中で、蝙蝠や猿が、女にまとわりつく。「お前たちは、生意気だ
よ」と叱りつける女。この女は、いったい、何ものなのだろう!

第五場「元の孤家」。帰りは、近道。すぐ家に着く。女は、幻
術、目くらましの術でも使うのか。高野聖が、元のままの姿で、
戻って来たことを親父は、ひどく、驚く。親父は、厩に繋がれて
いた馬を諏訪の馬市に連れて行こうとするが、高野聖を見て、馬
が、興奮している様子だ。女は、高野聖にここへくる途中で、誰
かに遭わなかったかと聞く。薬売りと出逢って、薬売りが、先に
行ったのだが、ここに立ち寄らなかったのかと、高野聖が、逆に
問う。女は、知らないと言う。女は、さらに、馬に近づき、自分
の着物の胸をはだけさせて、馬に見せつけたり、馬の顔を優しく
撫でたりする。女の色気に負けた馬は、おとなしくなる。親父
は、おとなしくなった馬を連れ出す。どうも、女には、動物を操
る魔力があるらしい。女は、「夜叉ケ池」の百合同様、俗世と異
界を繋ぐグレーゾーンに住む異能の女性らしいと、観客にも判り
はじめる。

少年を交えての夕食。先ほどの淵の水は、病を治す力があるのだ
が、重篤な少年の症状は、治せないのだと告白する女。やがて、
それぞれ、寝間につく。夜じゅう、屋外では、異様な雰囲気が続
く。

第六場「信濃への山路」。どうやら、無事に夜があける。名残惜
しげに高野聖を見送る女、聖も、女に心を残しながら、別れて行
く。女への思いで、足を止め、道筋の倒木に腰を下ろす聖。馬市
から戻って来た親父と出くわす。親父は、聖の表情を見て、煩悩
が、起きたのだろうと鋭く見抜く。山中の孤家で、若さを浪費
し、いずれは、朽ち果てる女の身の上を思い、なんとか、救済し
たいと告げる。親父が、女の素性を暴きはじめる。女には、少年
の病を治そうとする白桃の花ような聖性と女の色香に負けた男た
ちを動物に変えてしまう魔性を持っていると告げる。女の持つ聖
性と魔性という二重性に気付いた高野聖は、顔に恍惚とした表情
を浮かべる。海老蔵は、肩の力を抜き、自然な、おだやかな科白
回しで、高野聖・宗朝を演じる。そういう海老蔵の演技を引き出
し、最後まで海老蔵を主導し続けた玉三郎は、大した女形であ
る。また、そこを補強し、繋ぐ存在感を終始出し続けた歌六の巧
さも、一段と、光る。

400年以上もの間、伝統を大事にしながら、絶えず、そのとき
どきの、新しいものを取り入れ、歌舞伎に永遠不滅の命を吹き込
もうとしてきた歌舞伎界というのも、また、一種の「異界」だろ
う。玉三郎は、その「異界」の歴史という、大きな流れに、まっ
とうに乗っかっているように見受けられる。科白劇という聞かせ
る芝居にはなっても、形で見せる歌舞伎にはなりにくい泉鏡花劇
を引っさげて、海老蔵という荒馬の手綱を捌いて、巧く乗りこな
したように見える。玉三郎の鏡花劇の歌舞伎化という試みは、海
老蔵という荒馬を得て、さらなる挑戦が続くことだろう。
- 2008年7月26日(土) 21:19:44
2008年7月・歌舞伎座 (昼/「義経千本桜〜鳥居前、吉野
山、川連法眼館〜」)

市川海老蔵は、5月の歌舞伎座で、「義経千本桜〜渡海屋・大物
浦〜」の知盛を演じ、7月の歌舞伎座では、「義経千本桜〜鳥居
前、吉野山、川連法眼館〜」の狐忠信を演じる。つまり、一ヶ月
を飛び越えての、いわば、「通し」上演というわけだ。だから、
海老蔵ファンなら、7月の舞台を観る人は、5月を観ていなけれ
ばならない。私の劇評も、ひとつは、5月、7月の、いわば、
「飛び通し上演」としての、海老蔵論と、もうひとつは、「狐忠
信」のうち、「川連法眼館」を2回観た上での、私の海老蔵論を
軸に書くことになる。

三大歌舞伎の一つ、「義経千本桜」は、3人の主人公がいる。平
知盛、狐忠信、そして、いがみの権太だ。病気休演中の猿之助
は、元気な頃、この3人を一つの舞台で通しで演じ終えないと、
歌舞伎役者としての卒業論文、つまり、一人前の立役にはならな
いという独特の意見を持っていた。それが正解かどうかは、別と
しても、タイプの違う、奥行きのある役柄を演じわけることは、
確かに至難の業ではある。「義経千本桜」については、菊五郎の
代々が、音羽屋型として、藝を磨いて来た。また、近代では、猿
之助が、外連味を付け加えて、独自の澤潟屋型を作り上げて来
た。狐忠信では、海老蔵は、初演時から、猿之助の指導を受け
て、澤潟屋型をベースに工夫をしているようである。従って、今
回も、脇は、澤潟屋一門が、固める。元々、師匠の猿之助が、元
気に飛び回れていた頃は、7月の歌舞伎座の定番は、猿之助一座
の、いわば、顔見世興行であった。それが、師匠が病で倒れてし
まうと、猿之助一座に玉三郎が、客演だが、師匠格で加わり、最
近は、さらに、海老蔵が加わって来た。海老蔵の狐忠信の相手役
となる静御前は、今回は、玉三郎が勤める。

歌舞伎の魅力のひとつは、成長途上の若い役者が、今回は、代々
の先輩方が磨いて来た役柄をどこまで演じ切るか、その「違
い」、あるいは、逆説的な言い方をすれば、「ズレ」を見つけ
て、楽しむところにもある。海老蔵は、まだまだ、荒削りだが、
歌舞伎役者として、成長途上の有望株であることは、間違いない
だろう。病気治療中の父親・團十郎を安心させるためには、まだ
まだいろいろ工夫魂胆、精進が大事だが、大きな眼、明瞭な口跡
は、確かに、売り物になる。5月の歌舞伎座では、「銀平、実
は、知盛」に初役で挑戦した。今月は、初役で演じる「鳥居前」
の忠信、7年前、京都南座で、新之助時代に玉三郎を相手に演じ
たことがある「吉野山」を再び、玉三郎を相手に演じる。去年の
名古屋御園座、2年前の新橋演舞場で演じた「川連法眼館」の忠
信。ということは、狐忠信編「義経千本桜〜鳥居前、吉野山、川
連法眼館〜」を通しで演じることは、海老蔵にとって、初めての
挑戦となる。


「飛び通し上演」としての、海老蔵論


「義経千本桜〜渡海屋・大物浦〜」の歌舞伎座の舞台では、若さ
溢れる海老蔵は、銀平をどう演じたか。柄が大きい海老蔵は、ま
だ、父親の團十郎のようなオーラは、出ていないけれども、演技
以前に存在感があることは確かだ。海老蔵の大きな目も、父親譲
りで、魅力的である。口跡も、父親の團十郎に似ず、はっきりし
ていて、良く通る。しかし、5月の「渡海屋・大物浦」の舞台で
は、声量の調節が、不十分で、大きすぎた。今回の「鳥居前、吉
野山、川連法眼館」では、なぜか、海老蔵の声が、團十郎バリ
に、「籠って」いる上に、5月同様に大き過ぎるのは、どうした
ことか。時代物の科白術に、なにか、迷いでもあるのだろうか。
こうなると、柄の大きさも、合わせて、演技が、大味になる可能
性がある。

「渡海屋・大物浦」では、銀平をひとしきり演じた後・・・。二
重舞台の障子が開くと、銀烏帽子に白糸緘の鎧、白柄の長刀(鞘
も白い毛皮製)、白い毛皮の沓という白と銀のみの華麗な衣装の
銀平、実は知盛に扮した海老蔵の登場となる。私には、簑笠付け
て、難儀の海へいで立つ義経一行より、こうした白ずくめの衣装
に身を固めた知盛一行の方が、「死出の旅路」に出る主従のイ
メージで迫って来るように見える。

案の定、手負いとなり、先ほどの華麗な白衣装を真っ赤な血に染
めて逃れて来た知盛。さらに、義経主従に追い詰められた岩組の
上で、知盛は、碇の綱を身に巻き付け、綱の結び目を3回作る。
重そうな碇の下に身体を滑り込ませて持ち上げて、海に投げ込
む。綱の長さ、海の深さを感じさせる間の作り方。綱に引っ張ら
れるようにして、後ろ向きのまま、ガクンと落ちて行く、「背ギ
バ」と呼ばれる荒技の演技。

さらに、知盛が、入水する場面は、立役の藝の力が、必要とな
る。ここは、まさに、滅びの美学。海老蔵は、どう、演じたか。
銀平では、マイナスに感じられ大きすぎる声量は、知盛では、プ
ラスに転化する。「ああら、無念。口、惜し、や、なァー」、
「生ーき、変わり、死ーに、変わり、恨み、は、ら、さ、で、
お、く、べ、き、かァー」と、四谷怪談のお岩さまのような執念
深い大声である。「いかに、義経」と、義経に向って、恨みを述
べる場面では、「いかに→いかり(怒り=碇)」というように、
私の頭の中では、変化して、海老蔵の科白が、ボルテージが上
がって聞こえて来たから、不思議だ。

義経が、安徳帝を助命してくれることが判ると知盛は、「きのう
の仇は、きょうの味方。・・・、あら、嬉しやなァ」と笑う。
「おもしよ(ろ)やなあ」と海老蔵調科白も、絶好調。というこ
とで、良い場面があったり、もうひとつ、今後の精進、という場
面があったりの海老蔵であった。

そして、5月から7月へ。若さ、パワーの海老蔵は、「義経千本
桜〜鳥居前、吉野山、川連法眼館〜」でも、力を持続していた
が、科白や所作が、観客に、團十郎を連想させたり、猿之助を連
想させたりしながらも、先輩たちの科白や所作に比べると「ズ
レ」が感じられ、それが、今回は、不協和音となって、私には、
違和感が残った。その辺りを書いてみたい。

今回の、「義経千本桜〜鳥居前、吉野山、川連法眼館〜」のう
ち、「鳥居前」は、海老蔵の狐忠信、権十郎の弁慶、市蔵の早見
藤太が、出ているとは、いうものの、基本的に澤潟屋一門の舞台
である。段治郎の義経、春猿の静御前が、軸となっている。こう
いう舞台に、右近も笑也も、居ないということが、なにか、淋し
い。

次の「吉野山」は、海老蔵、玉三郎で、忠信と静御前の道行を演
じる。玉三郎が、主導権を握り、海老蔵を引っ張って行くので、
ここは、安心して観ていられた。歌舞伎役者のなかでも、殊に、
熱心な歌舞伎研究家である玉三郎らしい新演出が、楽しかった。
まず、清元と竹本の掛け合いという従来の伴奏「音楽」を、「ナ
レーション」としての竹本に純化させた(贅言:今回の竹本の太
夫の一人は、愛太夫である。愛太夫は、葵太夫に似た味わいがあ
る。「あおい(葵)」から、「お」を引けば、「あい(愛)」。
太夫たちの話は、楽屋雀からも、あまり聞こえて来ないが、年齢
的には、親子では、なかろうが、なにか、縁があるのではないか
と想像を逞しくする魅力がある)。竹本に純化することで、竹本
の持つ、「物語り」という特性が生きて来たように思う。恰も、
音の物語性を強調する効果を生んだように思う。太い音が、三味
線から流れると、それは、音であると同時に、言葉を背負ってい
るように聞こえはじめた。これは、新しい発見であるように思え
た。また、舞台中央から下手寄りに設えられた「吉野川」は、
「妹背山婦女庭訓」からの借用だろうが、なにやら、新鮮な感じ
を与える(クライマックスになると、この川の水が、「吉野川」
の舞台同様に、流れ出す)。

幕開きの、置き浄瑠璃、無人の舞台は、満開の桜が爛漫と咲き誇
り、「花のほかにも、花ばかり」、という感じで、竹本連中以外
は、舞台の上には、花しか見えない世界。その花が、上手と下手
に分かれて行くと、いわば、浅葱幕の振り落しと同じ効果を生
む。いつもなら、花道から登場する(つまり、観客の間を通りな
がらも、観客から遠ざかって、舞台に迫って来る)静御前が、舞
台上手奥に居て、そこから道を歩いて、舞台に迫って来ると同時
に、観客にも迫って来る、という二重の迫り方という効果を生
む。また、桜の老木の蔭に姿を消した狐忠信が、狐の本性を顕わ
し、人形遣の手で、生き変えさせられて、静御前に、女ものの黒
い漆塗りの笠、そして、杖を渡したりするなど、親しくまとわり
付くのも、おもしろい(身分の差を考えて、控えめの、忠信に
替って、本音の愛情を静御前に示しているように見える)。ここ
は、隅々まで、玉三郎の凝った演出の眼が行き届いているよう
で、この人の、演出家としての、天性の鋭敏さが感じられた。

「川連法眼館」の海老蔵は、澤潟屋、猿之助の演出を、新橋演舞
場の舞台同様に継承している。脳硬塞で病気休演中の猿之助が、
直々に指導したという狐忠信、そして猿之助が磨きに磨きをかけ
てきた宙乗りが、見せ場だが、どうだったか。


海老蔵の狐忠信論


狐忠信編通しは、私は、6回目の拝見となる(因に、「川連法眼
館」だけでは、11回となる。「吉野山」は、13回など)。通
しでの主人公・狐忠信の配役を見ると、菊五郎が、3回。猿之助
が、2回。そして、今回が海老蔵である。先に触れたように、海
老蔵が、「川連法眼館」の狐忠信を演じたのは、3回目で、この
うち、私は、新橋演舞場と、今回の歌舞伎座と2回拝見してい
る。06年11月・新橋演舞場花形歌舞伎「義経千本桜〜川連法
眼館〜」では、初めて、海老蔵は、狐忠信を演じたが、この時の
静御前は、笑三郎。今回は、待望の玉三郎である。よりいっそう
の冴えが出て来るのではないかと、期待した。

海老蔵は、澤潟屋型の演出を選択した。澤潟屋型は、外連味の演
出が、早替りを含め、動きが、派手で、いわゆる「宙乗り」を多
用する。狐が本性を顕わしてからの動きも、活発である。忠信の
衣装を付けた狐は、下手の御殿廊下から床下に落ち込み、本舞台
二重の御殿床下中央から、素早く、白狐姿で現れる。本舞台二重
の床下ばかりでなく、天井まで使って、自由奔放に狐を動か。狐
は、下手、黒御簾から、姿を消す。上手、障子の間の障子を開
け、本物の佐藤忠信(海老蔵の、早替りふた役)が、暫く、様子
を伺う。再び、狐忠信は、天井の欄間から姿を表わす。さらに、
吹き替えも活用する。荒法師たちとの絡みの中で、本役と吹き替
えは、舞台上手の桜木の陰で入れ代わり、吹き替え役は、暫く、
横顔、左手の所作で観客の注意を引きつける。吹き替えが、全身
を見せると、二重舞台中央上手の仕掛けに滑り降り、姿を消す。
やがて、花道スッポンから海老蔵が、飛び出してくる。再び、荒
法師たちとの絡み。法師たちに囲まれながら、いや、隠されなが
ら、本舞台と花道の付け根の辺りで、「宙乗り」の準備。時間稼
ぎの間に、衣装の下に着込んで来たコルセットのようなものとワ
イヤーをきちんと結び付ける。さあ、「宙乗り」へ。中空へ舞い
上がる。恋よ恋、われ中空になすな恋と、ばかりに・・・。3階
席周辺の「花道」、つまり、ここでは、「宙道(そらみち)」で
の引っ込みでは、桜吹雪の中に突っ込んで行った。

海老蔵の科白にダブルように澤潟屋の声音が聞こえて来るような
錯覚に捕われるほど、海老蔵は、澤潟屋の科白回しをなぞってい
るのが判る。但し、今回は、科白が、父親の團十郎のように籠っ
て聞こえたり、猿之助の科白回しに似ているが、そのものまねよ
りは、下手ということで、ズレが聞こえて来たりしたのは、残念
であった。

ただし、若さ、強さを持ち合わせた若き日の猿之助によって、さ
まざまに仕掛けられ、磨きが掛けられて来た「外連」の切れ味。
身体の若さ、強さは、若い海老蔵によって再現され、私は観たこ
とがない若い猿之助も、かくやと思わせるものがある。特に、
「宙乗り」の際の、脚の「くの字」の、角度に漲る若さは、猿之
助の愛弟子・右近でも、感じられなかった強靱さで、驚きであ
る。澤潟屋は、海老蔵の、若さ、強さを見抜き、本腰を入れて、
「四の切」の後継を右近ではなく、海老蔵に決めたのだとする
と、右近にとっては、非情な師匠も、歌舞伎ファンにとっては、
まだまだ、未熟ながら、強靱な若さを持った将来の忠信役者を誕
生させたということだろう。海老蔵には、猿之助の思い、つま
り、体力の強靱さを、さらに、テーマの強靱さに拡げて行って欲
しい、という思いを受け止めて欲しい。06年11月の新橋演舞
場の舞台から、2年経って、歌舞伎座の舞台で演じられる海老蔵
忠信を観ていて、そういう思いと予感を強く持った。

贅言:猿之助の「狐忠信」は、実は、2000年7月の歌舞伎
座、9月の大阪の松竹座以降、演じられていない。すでに、失わ
れた8年という時間が流れたのである。その歌舞伎座の時の私の
劇評では、「体力による外連が売り物のひとつだった猿之助、体
力の衰えをカバーする演技の円熟さ。円熟さで、狐忠信をカバー
出来なくなる日が、いずれは来るのだろう」と書いたが、実際に
は、病気休演が続き、歌舞伎の世界に「天翔ける」猿之助の舞台
を、いまも観ることができない状況が続いている。そういう状況
のなかでの、2年前からの「海老蔵忠信」の登場であったが、体
力、そして、若さの海老蔵の忠信は、まだまだ、今後の精進が必
要と見受けられたが、それだけに、逆に、今後の成長ぶりとその
成果を期待することができるのではないか。
- 2008年7月24日(木) 22:19:08
2008年6月・歌舞伎座 (夜/「義経千本桜〜すし屋〜」
「身替座禅」「生きている小平次」「三人形」)


「生きている小平次」のシンプルで、重層な、演劇空間


「義経千本桜〜すし屋〜」は、10回目の拝見。「すし屋」だけ
の一幕を観るのは、5回目。それ以外は、「堀川御所」、あるい
は、「鳥居前」から「川連館」、あるいは、「奥庭」までの、通
しか、「木の実」、「小金吾」、「すし屋」の通し、いわゆる
「いがみの権太」編の上演であった。このように、「すし屋」の
劇評は、何回も、「遠眼鏡戯場観察」(このサイトの「検索」
で、読むことができる)を書いているので、どういう書き方がで
きるだろうか。いちばん、手ごろなのは、今回の役者の演技の印
象論だが、それでは、普通の劇評になってしまう。例えば、04
年3月の歌舞伎座の舞台は、「義経千本桜〜木の実、小金吾討
死、すし屋〜」の通しというパターンであったが、仁左衛門を軸
に据えた上方型の「いがみの権太」編であったので、そこに的を
絞って書くことが出来た。いろいろ考えた末、今回の劇評は、私
がこれまで観て来た権太役者を踏まえて、論吉右衛門の権太論を
軸にコンパクトにまとめようと思う。

二代目実川延若が、工夫したという上方歌舞伎独特の演出が、
たっぷり詰まっているのは、何といっても、「すし屋」の場面。
特に、弥助・実は維盛は、「つっころばし」、「公家の御曹
司」、「武将」など重層的な品格が必要な役だ。お里は、初々し
くなければならない。身分と妻子持ちを隠している弥助・実は維
盛への恋情が一途である。それでいて、蓮っ葉さも見せなければ
ならない。江戸歌舞伎は、権太を軸に展開する。権太は、小悪党
でありながら、家族思いである。

04年3月の歌舞伎座の舞台は、配役のバランスが、よくとれて
いたのを覚えている。改めて、書いておくと、権太(仁左衛
門)、弥助・実は維盛(梅玉)、お里(孝太郎)、小金吾(愛之
助)、こせん(秀太郎)、若葉内侍(東蔵)、弥左衛門(坂東吉
弥)、お米(鐵之助)、梶原平三景時(左團次)など。いずれ
も、なかなか、味わいのある配役と言えた。

ところで、今回の劇評の本筋に戻る。私が観た権太役者は、7人
である。最初が、富十郎であった。95年5月の歌舞伎座の舞
台。13年前の事だ。口跡の良い、科白が良く通る富十郎の権太
は、富十郎という役者を私に印象付けたのを覚えている。以来、
富十郎は、私の好きな役者の一人になった。私が観た権太役者
は、富十郎のほか、幸四郎(2)、團十郎(2)、仁左衛門
(2)、猿之助、我當、そして、今回の吉右衛門となる。

なかでも、仁左衛門の権太は、もっとも、印象に残っている。マ
ザー・コンプレックスの権太は、何かと口煩い父の弥左衛門を敬
遠して、父親の留守を見計らって母親のお米に金を工面してもら
いに来る。泣き落しの戦術は、変わらないが、江戸歌舞伎なら、
お茶を利用して、涙を流した風に装うが、上方歌舞伎では、鮓桶
の後ろに置いてある花瓶(円筒形の白地の瓶に山水画の焼きつ
け)の水を利用する。このほか、上方の権太は、自分の臑を抓っ
て、泣き顔にしようとしたり、口を歪めたりする。母親の膝に頭
をつけて、甘えてみたり、「木の実」の茶屋の場面で見せた、こ
わもての「権太振り」は、どこへやら、完全な「マザー・コン」
振りを見せつける。つまり、より人間臭いのだ。そのあたりは、
仁左衛門の権太は、江戸歌舞伎の演出にはない、細かく、ねちこ
い上方歌舞伎の味を随所に入れながら、緩急自在に演じていた。
以前、地方巡業の舞台で拝見した我當の場合、通常、1時間半か
かるところをコンパクトに1時間ほどで上演していたので、いろ
いろ省略があり、同じ上方演出の「いがみの権太」であったが、
ここまでは、演じていなかった。

維盛一家を梶原景時一行に引き渡す場面では、仁左衛門の権太
は、汗を拭う手拭で、隙をみて、後ろ向きで目頭を押さえてい
た。維盛の首実検では、江戸歌舞伎にない、燃える松明が軍兵が
持ち出してきた。維盛の首実検の後の、若葉の内侍と六代君の詮
議でも、軍兵がかざす松明が使われた。宵闇のなかでの詮議とい
うのが、良く判る。若葉の内侍と六代君の二人の間に立ち、「面
(つら)あげろ」と両手で、二人に促した後、右足を使って若葉
の内侍の顔をあげさせようとしたり、座り込んで、両手で二人の
顎を持ち上げたりしていた。このあたりは、立ったまま、左足を
使って、二人の顔を挙げさせる、形のスマートさを追求した江戸
歌舞伎の演出とは、異なる。無事、梶原景時一行を騙したと思っ
ている権太は、花道で梶原景時一行を送りだすとき、「褒美の金
を忘れちゃいけませんよ」と駄目を押しながらも、一行の姿が見
えなくなると、生き別れとなった妻子へ、涙を流す。このあたり
も、江戸歌舞伎では、あまり、見かけない演出だった。

仁左衛門の権太は、江戸歌舞伎で、いまの権太の型に洗練させた
五代目幸四郎、五代目菊五郎の型を取り入れながら、二代目実川
延若らが工夫し、父・十三代目仁左衛門らがさらに、工夫を加え
た上方歌舞伎の演出や人形浄瑠璃の演出をもミックスして、仁左
衛門型にしているように見受けられた。

これに対して、今回、2回目、30年ぶりに演じるという吉右衛
門の権太は、江戸歌舞伎の型。東京の権太役者として、定評の
あった二代目松緑の型を引き継ぎ、独自の工夫を加えている。私
は、二代目松緑の舞台を観ていないので、なんとも言えないの
が、悔しいが、松緑を知っている人には、松緑が甦ったようだと
いう印象も聞こえて来た。吉右衛門は、「いがみの権太」という
上方の人物造型に、江戸前の爽快さを加えるという工夫をしたと
楽屋話では、語っている。私の印象では、爽快さ、というより、
吉右衛門の持ち味である暖かみが滲み出ていて、世話物のユーモ
ラスな権太であったと思う。もともと権太は、人情落語の世界の
人のような役柄で、滑稽味も大事だと思っているので、そういう
意味では、吉右衛門の持ち味は、権太を演じる場合には、プラス
になるだろう。

幸四郎、團十郎らも、江戸歌舞伎の型。五代目幸四郎、「鼻高幸
四郎」と渾名された役者で、左の眉の上に黒子があり、これゆえ
に、その後、権太を演じる役者は、皆、左の眉の上に黒子を描い
た。團十郎の権太は、意欲的な権太で、見応えがあった。
2000年6月、歌舞伎座の舞台での幸四郎の権太は、いつもの
深刻な、大きな芝居がなく、憎めない小悪という感じで権太を演
じていたように思う。この辺りから、幸四郎は、世話物に意欲を
見せていたようで、最近の世話物での幸四郎の新たな魅力の開花
の兆しがあったのではないか。江戸歌舞伎型の権太は、五代目幸
四郎、五代目菊五郎の型を取り入れながら、それぞれの役者が、
独自の工夫を加味している。そう言えば、江戸歌舞伎では、五代
目幸四郎に敬意を表してつける黒子のない我當の権太は、逆に、
上方歌舞伎へのこだわりを大事にしていて、新鮮に見えたことを
思い出した。

このほか、今回の配役では、お里を演じた芝雀の初々しさは、特
筆。弥左衛門を演じた歌六は、滋味がある。最近、老け役に存在
感を増している歌六は、役者として、一皮剥けたように思う。同
じ老け役、弥左衛門の女房のおくら(舞台によっては、「お米」
という名前になる時もある)を演じた吉之丞も、相変わらず、良
い味を出していた。こういう老け役ふたりが、脇を固めているだ
けでも、今回の「すし屋」は、見応えがあった。梶原景時を演じ
た段四郎も、歌舞伎の魅力の一つである外形を重視していて、存
在感があった。ほかに、染五郎の弥助、高麗蔵の若葉の内侍。


「身替座禅」は、9回目の拝見。右京の人の良さと奥方の玉の井
の嫉妬深さを対比するというイメージの鮮明な演目なので、劇評
の視点を変えるのが難しい。どうしても、配役の妙に目が行って
しまう。先ず、配役から。私が観た右京:菊五郎(3)、富十郎
(2)、猿之助、勘九郎時代の勘三郎、團十郎、そして、今回の
仁左衛門。歌舞伎座では、初演である。なかでも、菊五郎の右京
には、巧さだけではない、味があった。特に、右京の酔いを現す
演技が巧い。酔いの味が、良いということだ。従って、右京とい
うと菊五郎の顔が浮かんで来る。こうして名前を浮かべれば、ほ
かの役者も、それぞれ、持ち味があるが、仁左衛門は、普段は、
颯爽とした役柄が多いだけに、滑稽味のある、こういう役は、彼
の別の魅力を引き出してくれるので、楽しみだ。

ほかの配役は、キーパーソンとなるのは、何といっても、玉の
井。その玉の井では、吉右衛門(2)、三津五郎、宗十郎、田之
助、團十郎、仁左衛門、左團次、そして、今回の段四郎。立役
が、武骨さを滲ませながら、女形を演じる。そこが、この演目の
おもしろさだ。團十郎、仁左衛門の玉の井も、印象的だったが、
今回の段四郎は、左團次同様の「異様」さで、存在感を誇示し
た。玉の井は、醜女で、悋気が烈しく、強気であることが必要だ
ろう。浮気で、人が良くて、気弱な右京との対比が、この狂言の
ユニークさを担保する。そういうイメージの玉の井は、仁左衛門
が巧かった。その仁左衛門が、今回は、右京役に廻るのである。
右京役のポイントは、右京を演じるだけでなく、右京の演技だけ
で、姿を見せない愛人の花子をどれだけ、観客に感じ取らせるこ
とができるかどうかにかかっていると、いつも思う。シルエット
としての花子の存在感。花子は、舞台では、影も形もない。唯一
花子を偲ばせるのが、右京が花子から貰った女物の小袖。それを
巧く使いながら、花子という女性を観客の心に浮かばせられるか
どうか。見えない花子の姿を観客の脳裏に忍ばせるのは、右京役
者の腕次第ということだろう。右京の花子に対する惚気で、観客
に花子の存在を窺わせなければならない。今回の仁左衛門が、操
る花子の衣装から、生身の花子の女体が見えたような気がした。
そこは、立役の中でも、色気を滲ませるのが巧い仁左衛門ならで
はの真骨頂がある。

身替わりに座禅を組まされる太郎冠者には、錦之助。侍女の千枝
が、巳之助、小枝が、隼人と、フレッシュだが、声、表情、所
作、なにより、体の線に、娘というより、まだ、少年の堅さが見
えてしまうふたりであった。


「生きている小平次」は、初見。夜の部の劇評の目玉は、これだ
と思うので、詳しく書きたい。1925(大正14)年に初演さ
れた新歌舞伎である。作者は、鈴木泉三郎。小幡小平次ものの怪
談をベースに心理劇を構築した。登場人物は、3人だけ。旅の芝
居一座の太鼓打ちの夫婦と役者の男の三角関係が、軸になってい
る。初演時の配役は、太九郎(六代目菊五郎)、おちか(後の三
代目多賀之丞)、小平次(十三代目守田勘弥)。今回の配役は、
太九郎(幸四郎)、おちか(福助)、小平次(染五郎)。演出
は、九代琴松、つまり、幸四郎自身。幸四郎は、21年ぶり、2
回目の太九郎を演じる。

主筋は、シンプルだ。それでいて、奥行きがあるから、おもしろ
い。郡山の安積沼に浮かべた釣り舟の上である。太九郎(たくろ
う)の女房・おちかと密通した小平次(こへいじ)は、太九郎と
は、友人関係だ。悩んだ挙げ句、小平次は、太九郎に、おちかを
譲ってほしいと告白する。以前から、ふたりの不義を知っていた
という太九郎は、それを拒む。喧嘩になった末、太九郎は、小平
次を舟板で殴りつけ、舟から沼へ突き落とす。血まみれになっ
て、船に這い上がって来る小平次と更に打ち据える太九郎。10
日後、江戸の太九郎の家に大怪我をした小平次がやって来て、お
ちかに太九郎を殺したから、逃げようと言う。嫌なら、太九郎殺
しは、おちかに頼まれたと申し立てると威す。おちかが、逃げる
準備をしているところへ、太九郎が、戻って来る。太九郎は、お
ちかと共に、小平次を殺して、ふたりで逃げ出す。逃げるのに疲
れ果てたふたりは、諍いを起こす。小平次に似た男が後を追って
来ると怯える太九郎。小平次が生きているのなら、また、殺せば
良いと嘯くおちか。男と女の心理が、何時の間にか、逆転してい
る。そういうふたりを小平次に良く似た男が、見送っている。

九代琴松(幸四郎)の演出も、それに基づく中嶋八郎の美術もシ
ンプルだ。第一幕「安積沼」。幕が開くと、舞台は、一面の青の
世界。ドライアイスを使った水蒸気が、靄とも、沼面の水の動き
とも、見える幻想的な光景が、後の悲劇を知らぬ気に飛び込んで
来る。水面と小舟の動き、舟の上での人間同志の葛藤と暴力。殺
人未遂事件が、起こる。

第二幕・第一場「江戸・太九郎の家」。薄暗い江戸の町家。小平
次が生きていて、太九郎より先に、太九郎の家を訪れる。但し、
生きているのか、本当は、死んでいるのか、観客には、曖昧に映
る。何時の間にか、太九郎の家の座敷に入り込んで来るからだ。
驚くおちか。だが、なさぬ仲の小平次に言いくるめられると、
いっしょに逃げる気になり、家を出る準備をするために、一旦、
引っ込むおちか。そこへ、太九郎が、自宅に戻って来る。こちら
は、生きている人間だから、下手の玄関から、入って来る。3人で
揉み合ううちに、再び、殺される小平次。友人を殺してしまった
と落ち込む太九郎を、夫の本心が知れたと夫を励まし、いっしょ
に、逃げ出す。

第二幕・第二場「海辺」。品川辺りの海辺か。ここも、蒼い世
界。舞台中央に、柳の樹がある。街道筋の体。人殺しの罪を背
負って、逃げて来たふたりの男女。女は、疲れたと言い、もう、
歩けないと言う。殺したはずの小平次に似た男が、後を付いて来
ると怯える男。疲れという感覚に支配された現実派の女。妄想に
悩まされ、疲れなど忘れている幻想派の男。実際に、観客には、
小平次を演じる染五郎が、見える。テーマは、観客には、見えな
い三角関係の、心理である。男と女、どちらが、怖いのか。そう
いう問いかけも、聞こえて来る。

非常に洗練された、シンプルな、演劇空間が、1時間ほど続く。
シンプルである分、余韻は、観客の側の想像力の有無に任せられ
る。それだけに、怖いが、充実の舞台であった。

「三人形」は、97年10月の歌舞伎座で観ているが、このサイ
トは、まだ、立ち上げてなかったので、劇評は、無い。初見の時
は、奴役の緑平が、辰之助時代の松緑、若衆役の春之丞が、新之
助時代の海老蔵、傾城役の漣太夫が、菊之助。今回は、奴が、歌
昇、若衆が、錦之助、傾城が、芝雀。1818(文政元)年の作
品で、元々、当時の人気役者に当て込んで創られた三段返しの舞
踊。その上巻「三人形」のみが、後世に伝えられた。「丹前物」
という古風な元禄の風俗で、吉原仲之町を舞台に奴、若衆、傾城
が、踊るという趣向である。丹前六方、奴丹前などの振りに注
目。背景が、吉原仲之町に展開するまでは、人形入れの蓋が、下
手から、青(傾城)、緑(奴)、茶(若衆)と、「市村座」の定
式幕のように並んでいる。これが、上がると、吉原仲之町の書割
となる。直接的には、廓の風俗を描くが、私の目には、恰も、
「歌舞伎の歴史」の舞踊劇という、アイディアが、浮かんで来
た。つまり、遊女(傾城)歌舞伎→若衆歌舞伎→野郎(奴)歌舞
伎というわけだ。
- 2008年6月29日(日) 12:37:04
2008年6月・歌舞伎座 (昼/「新薄雪物語」「俄獅子」)


見応えのある配役の妙


「新薄雪物語」は、3回目の拝見。歌舞伎の典型的な役柄が出揃
う「新薄雪物語」は、大劇団が構成されないと上演できない演目
だが、11年前、97年の6月の歌舞伎座、6年前、02年11
月の歌舞伎座で、観ている。

粗筋を追えば、荒唐無稽の歌舞伎の物語の典型のような演目だ。
「新薄雪物語」は、若さま・姫君と奴と腰元という、ふた組の美
男美女の色模様、颯爽とした奴を軸にした派手な立ち回り、国崩
しの仇役の暗躍、4組の親子の関係、鮮やかな捌き役の登場など
趣向を凝らし、歌舞伎の類型的な、善悪さまざまな役柄がちりば
められている。さらに、背景には、爛漫の桜がある。桜は、人間
たちの美醜を見ている。舞台は、様式美に溢れ、絵になる歌舞伎
の典型的な芝居として、大顔合わせが可能な劇団が組まれるたび
に、繰り返し上演されて来た。歌舞伎座の筋書に掲載されている
上演記録を見ても、ほぼ5年くらいを空けて上演されている。

贅言;桜爛漫の、序幕の「新清水花見の場」は、文字どおり、華
のある、華麗な舞台であるため、南北や黙阿弥らが、別の狂言で
も、この場面を下敷きにして、活用している。例えば、「桜姫東
文章」、「白浪五人男」など。つまり、歌舞伎の、春爛漫の最高
の景色が、ここには、あるということを示しているのだろう。

まず、配役を紹介しよう。恋愛模様が、「謀反事件」を引き起こ
す(というか、仕掛けられた)カップルが、園部左衛門(梅玉、
菊之助、今回が、錦之助。以下、同じ順番)と薄雪姫(福助、孝
太郎、芝雀)。このふたりを取り持つ、もうひと組のカップル
が、奴・妻平(菊五郎、三津五郎、染五郎)と腰元・籬(宗十郎
休演で松江時代の魁春、時蔵、福助)。「事件」を仕掛けられた
カップルの両親、園部兵衛(孝夫時代の仁左衛門、菊五郎、幸四
郎)とその妻・梅の方(玉三郎、今回も芝翫=2)、幸崎伊賀守
(幸四郎、團十郎、吉右衛門)とその妻・松ヶ枝(秀太郎、田之
助、魁春)。伊賀守の家来・刎川兵蔵(染五郎、正之助時代の権
十郎、歌昇)、事件を仕掛けた国崩し・秋月大膳(権十郎、今回
も富十郎=2)とその弟の秋月大学(前2回は、登場せず、今回
は、彦三郎)、その一味で刀鍛冶・正宗倅・団九郎(弥十郎、團
十郎、段四郎)、同じく渋川藤馬(松之助、十蔵、桂三)、園部
派の刀鍛冶・来国行(前2回とも、幸右衛門、家橘)、そして、
捌き役・葛城民部(菊五郎、仁左衛門、今回は、富十郎のふた
役)、チャリ(笑劇)の若衆・花山艶之丞(前2回は、鶴蔵、今
回は、由次郎)など。

配役を整理するだけでも、筋は、判りやすくなる。前半は、薄雪
姫(芝雀)に懸想する悪人・秋月大膳(富十郎)が、恋敵の左衛
門(錦之助)を陥れるために、「事件」を仕掛ける。鎌倉殿に誕
生した若君の祝いに京都守護職(六波羅探題)・北条成時の名代
として左衛門が、清水寺(新清水)に奉納した太刀に大膳の意を
受けた刀鍛冶・団九郎(段四郎)が、天下調伏(国家転覆の企
み)のヤスリ目を入れ、その責を左衛門と大膳が横恋慕中の薄雪
姫(更に、その父親たちを謀反の罪に落とす陰謀も企てている)
に負わせようとする。団九郎の犯行を目撃した左衛門と同伴して
来た来国行(家橘)は、団九郎によって口封じのために殺されて
しまう。左衛門に宛てた薄雪姫の謎掛け恋文(縦に刀の絵を描
き、その下に「心」の文字:「忍」の意味だが、恋の忍び逢いへ
の誘いであった)も、左衛門が、不用意に落としてしまったた
め、大膳一派に、謀反の証拠とばかりに、後に悪用されてしま
う。

序幕「新清水花見の場」は、まず、6人の奥女中と10人の腰元
の違いに注目。奥女中は、がさつに、立役たちが演じる。腰元
は、普通に女形たちが演じる。遠眼鏡を使ったチャリ(笑劇)の
場面を見逃してはいけない。その帰結は、深編笠を被り園部左衛
門に間違わされる、若衆・花山艶之丞の登場だ。笑いを含め、華
やかな舞台の陰で進行する陰謀を見せた後、序幕の締めくくり
は、大立ち回り。

この立ち回りは、妻平(染五郎)と若水を汲む手桶を持った秋月
家の赤い四天姿の奴(若水汲みゆえに、「水奴」という。それだ
けに、桶や傘など水、雨に因む小道具が使われることになる)た
ち18人との場面が、見応えがある。ここでは、ひとりの奴が、
「高足」の清水の舞台の上から、石段にいる妻平の染五郎を飛び
越え、下の平舞台に蜻蛉(とんぼ)をきる場面があるほか、傘を
使って、人力車を見立てたり、全員による「赤富士」の見立ての
形にしたり、大蛇に見立てたり、大部屋の立役たちが、縦横に活
躍する見応えのあるものとして知られている。

後半は、全てを見通す捌き役の民部が、キーパースンとなる。二
幕目、「寺崎邸詮議の場」では、主な顔ぶれが揃わないと芝居が
成り立たない。詮議の舞台となる寺崎邸の場面は、一段高い奥の
座敷は、「火焔お幕」という様式美の屋体。ここに、捌き役の上
使の民部(富十郎)と秋月大膳の弟の秋月大学(彦三郎)が、居
並ぶ。ふたりの下手にあるのは、金地に花車が描かれた衝立。柱
を始め、襖の桟など黒塗りであり、本舞台の座敷の白木の柱、襖
の桟などとの違いを浮き出させている。ここは、襖も、銀地に桜
が描かれている。黒塗りの間と白木の間を繋ぐ階は、黒塗り。一
段低い本舞台は、白い世界。まさに、お白州。捌かれる場とな
る。

反逆罪の嫌疑だけで、即刻、若いふたりに死罪という判決が下
る。悲劇の場面だが、豊潤な時代色たっぷりの時間が流れる。奥
の座敷の上手と下手には、行灯が置かれていて、時刻が夜である
ことが判る。花道を別の間に見立てて、幸四郎と吉右衛門が、自
分たちの子どもの詮議に付いて、相談する場面も、新鮮だ。殺さ
れた来国行の遺体が運び込まれ、傷口から、大膳の犯行を見抜く
慧眼の民部。特に、富十郎が、謀反を企てる国崩しの大膳と捌き
役で、若いふたりにも理解のあるところを示し、親たちの詮議を
許す人情派の民部のふた役を演じることで、芝居にメリハリが出
た。一人の役者がこのふた役を演じるのは、歌舞伎座の筋書に掲
載されている戦後の上演記録を見ても、48(昭和23)年、5
月の東京劇場で、七代目幸四郎、79(昭和54)年、4月の歌
舞伎座で、十三代目仁左衛門が演じたとしか載っていない。もっ
と、多用した方が良い、配役だと思う。

そのふたりの子どもたち(左衛門、薄雪姫。それぞれの相手側に
詮議のために子を預ける辺りに、原作者の工夫が感じられる)を
助け、逃がすために、それぞれの父親が陰腹を切って、園部邸の
奥書院に集まる。銀地に雪景色の立ち木の絵柄の襖。枝に乗った
2羽の鳥は、雪野に放たれようとしている若いふたりを象徴して
いるようにも見える。衝立も、銀地、モノトーンの、なにやら、
中国風の山水画である。「虎溪の三笑と名も高き、唐土の大笑
い」と床の竹本が語るように、絵柄は、高山と溪に架かる橋(虎
溪の橋)のようにも見える。モノトーンの奥書院の座敷外、下手
の網代塀の外には、青山の遠見が描かれた書割りが見える。座敷
の内と外で、死と生が、対比されているように受け止めた。

通称「合腹」の場面、ふたりでそっと(陰で)腹を切っていたの
だ。吉右衛門と幸四郎の、演技は、いつものオーバーアクション
の幸四郎に吉右衛門も合わせたように、所作が大きいが、今回
は、それが馴染む。その苦痛を堪えるふたりの父親と夫を亡くす
哀しみに耐える左衛門の母(梅の方)を演じる芝翫の3人の、今
生の想い出にと、命を掛けて子どもたちを救ったことを喜ぶ「三
人笑い」の表現が、難しく、ここが、この芝居屈指の名場面とな
る。せめて、笑って、死にたいという親の気持ちが、観客の涙を
誘う。人生最期の笑いでもあるだろう。個人の力では、到底打開
できぬという無情の笑いでもあるだろう。悲劇の仕掛人・大膳へ
の呪詛の笑いという解釈もあるという。この笑いには、観客の気
持ち次第で、如何様にも受け止められる奥深さがある。それが、
歌舞伎の魅力のひとつであろう。私は、子を思う親の気持ちは、
時空を越えて、同じだというように受け止めながら、拝見した。
ゆるりと哀しみに耐える吉右衛門。深刻に哀しみを表現する幸四
郎。叮嚀に哀しみを演じる芝翫。哀しみの洪笑をする父親たち。
泣き笑いするしかない母親。今回の「三人笑い」は、何回も演じ
られてきた「新薄雪物語」上演史上に残る、見応えのある「三人
笑い」だったと思う。

そして、ふたりの父親は、腹痛を我慢しながら、子どもらの首の
代りに願書を入れた首桶を抱えて、京都守護職(六波羅探題)に
向おうとするところで、今回は、幕となる。前回は、この後に、
大詰として、通称「鍛冶屋」の場があった。悲劇の後の笑劇の場
面が、場内を和ませる。ここでは、悪の手先になっていた団九郎
は、親の正宗を逆に勘当していたが、刀鍛冶としては、二流のた
め、親の秘伝を盗もうとして、正宗から腕を切り落とされてしま
う。すると、善に目覚めた団九郎は、これまでの悪の構図、つま
り、大膳の仕掛けをすべて白状して、大団円とする、という場面
があったが、今回は、「合腹」で、幕。

今回のように、この大詰無しで、親の陰腹までの展開で終了だ
と、親のために子が犠牲になることが多い歌舞伎によくある世界
とは、違って、子のために親が身替わりになる物語の印象が強く
なる。前回のように、大詰の世話場まで演じられと、悪人が善人
になる、いわゆる「戻り」の物語になり、めでたしめでたしとい
う大団円になる。時代物のまま、悲劇で終らず、世話物の場面が
付加されると、芝居として、奥行きが出てくる。歌舞伎というも
のは、いわば、「節足動物」のようなものであって、足を何処で
切るかで印象が全く違うという、おもしろさと同時に怖さを持っ
ているということが、「新薄雪物語」を何回か観るとよく判る。

再び、配役論。ただし、ここでは、先ほどと違って、配役による
登場人物の印象の違いを述べたい。園部左衛門という若さまの、
未熟さ、若さ、頼り無さは、前回の菊之助がよかった。梅玉や今
回の錦之助より、仁に合っている。薄雪姫は、福助もよかった
し、孝太郎も、悪くない。今回の芝雀も、初々しい。奴・妻平
は、菊五郎、三津五郎、それぞれ持ち味がある。今回の染五郎
も、健闘した。腰元・籬は、宗十郎病気休演で、私が観たのは、
松江時代の魁春であったが、前回の時蔵は、お侠でありながら、
(薄雪姫の)恋の先達としての色香もある役柄として籬のを演じ
ていたし、今回の福助は、その路線を踏していて、色気溢れる籬
ぶりには、好もしく感じた。但し、口跡は、あまり良くなかっ
た。籬は、恋の取り持ちをするため、この芝居以降、そういう
キューピットの行為を日本人は、「籬」というようになったとい
うから、おもしろい。

私が観た園部兵衛は、仁左衛門、菊五郎、幸四郎。幸崎伊賀守
は、幸四郎、團十郎、吉右衛門だが、今回は、珍しい、幸四郎、
吉右衛門の兄弟が、同じ舞台で、それぞれを演じる。陰腹を切
り、懐に毬(いが)栗を入れている気持ちで演じるという難しい
役だ。「伊賀=毬」という洒落でもある。捌き役・葛城民部の菊
五郎、仁左衛門、富十郎という配役を考えれば、今回の3人は、
配役のバランスが取れていると言えよう。

梅の方は、11年前の玉三郎より、今回で、2回目の芝翫の方
が、器が大きい。難しい役だけに、芝翫に軍配が上がる。今の玉
三郎が演じれば、また、違うだろうという予感もある。松ヶ枝
は、秀太郎、田之助、魁春。田之助の人の好さが、滲み出た演技
を買いたい。秋月大膳は、権十郎、今回で、2回目の富十郎。富
十郎は、国崩しの器の大きさがあったし、民部という捌き役との
ふた役で、富十郎を観ているだけで、善悪が判るという考えた配
役と見た。若衆・花山艶之丞は、深編笠を被り、二枚目風のいで
たちで、左衛門を思わせる遊びがある。笠を取ると道化役の化
粧。以前に観た2回とも、鶴蔵だったが、こういう役は巧かっ
た。今回は、由次郎。


「俄獅子」は、2回目の拝見。相生獅子のもじりで、遊廓・吉原
の年中行事と俄の模様を所作で表現し、それを獅子もの仕立てに
する。そういう江戸趣味の趣向が魅力の演目。幕が開くと、舞台
は、祭囃子が賑やかな吉原仲之町で、長唄の囃子連中の雛壇の前
に、大きなせり上がりの穴が開いている。「俄」は、「仁和賀
(にわか)」で、吉原の年中行事の一つ。太陰暦の8月朔日から
晴天30日に渡って行われたと言う。吉原の遊女、禿たちが、仮
装をして、歌舞伎踊りなどを見せながら、廓内を練り歩くとい
う、いわば、アトラクション。江戸の代表的な祭、山王祭や神田
祭の踊り屋台を真似た趣向。

やがて、せり上がりで、黒地の衣装も粋な芸者・染吉(福助)と
白地に紺で大きな花柄を染め込んだ鳶頭・磯松(染五郎)が、登
場する。恋仲のふたりも、浮かれて祭を見に来たという体。芸者
は、客との出会いの情景を踊り、鳶頭は、木遣りの粋な踊りを踊
る。痴話喧嘩の後、沈んだ気分を打ち消そうと、ふたりは、白地
の扇に紅牡丹の絵や鈴を添えて、紅白の手獅子=扇を獅子頭に見
立てて、獅子舞を踊る。纏いや花笠を持った若い者も加わって、
一段と華やかな踊りとなり、「仁和賀」を盛り立てる。江戸の粋
を絵に描いたような、洒落た舞台であった。
- 2008年6月15日(日) 22:14:43
2008年5月・歌舞伎座 團菊祭(夜/「通し狂言 白浪五人
男」、「三升猿曲舞」)


夜の部が、菊五郎、團十郎らの「白浪五人男」は、黙阿弥が選り
に選りを懸けて練り上げた、歌舞伎味の集大成を52歳から67
歳の、円熟味のある、バランスの取れた配役で、五人男を再構築
する。松緑の「三升猿曲舞」。


盗人たちの、明るい逃亡記


「通し狂言白浪五人男」(これは、略称で、本外題を「青砥稿花
紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」)は、5回目の拝見。
このうち、通し上演で観たのは、今回含めて、3回目。残りの2
回は、「雪の下浜松屋」と「稲瀬川勢揃」の場の「見取(みど)
り」上演であった。私が、通しで観た舞台の主な配役は、以下の
通り。

弁天小僧:勘九郎時代の勘三郎(2)、今回は、菊五郎。日本駄
右衛門:富十郎、仁左衛門、今回は、團十郎。南郷力丸:八十助
時代含めて三津五郎(2)、今回は、左團次。忠信利平:橋之
助、信二郎、今回は、三津五郎。赤星十三郎:福助(2)、今回
は、時蔵。浜松屋幸兵衛:三代目権十郎、弥十郎、今回は、東
蔵。千寿姫と宗之助:孝太郎、七之助。今回は、千寿姫:梅枝、
宗之助:海老蔵。鳶頭:彦三郎、市蔵、今回は、梅玉。青砥左衛
門:勘九郎時代の勘三郎(2、つまり、弁天小僧とふた役)、今
回は、富十郎。

「通し狂言白浪五人男」は、通しで演じられないときは、「雪の
下浜松屋」と「稲瀬川勢揃」の場面だけが、演じられることが多
い。その場合は、外題も、「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめ
おのしらなみ)」となる。略称では、「弁天小僧」。私が観た2
回の舞台での配役は、以下の通り。

弁天小僧:菊之助(襲名披露の舞台)、菊五郎。日本駄右衛門:
羽左衛門、幸四郎。南郷力丸:團十郎(2)。忠信利平:左團
次、松緑。赤星十三郎:梅玉、菊之助。浜松屋幸兵衛:三代目権
十郎、田之助。宗之助:正之助時代の権十郎、松也。鳶頭:菊五
郎、團蔵。

「見取り」上演では、一枚、一枚の色彩豊かな(まさに、「花紅
彩画」である)絵葉書を見るようである。これが、通しでの上演
となると、この物語が、如何に起伏に富んでいるかが判る。本当
に何枚もの錦絵を見るように、豪華絢爛たる明るい色彩の場面が
多い。また、「極楽寺屋根立腹の場」の「がんどう返し」や、
「極楽寺山門の場」、「滑川土橋の場」などの大せりを使った大
道具の転換など、歌舞伎の演劇空間のダイナミックさを見せつけ
る場面が続くのも魅力だ。ストーリーの方は、盗人たちの物語に
血縁の因縁話が綯い交ぜになっていて、まさしく、黙阿弥ならで
はの明暗起伏に富む原作である。黙阿弥が、幕末の江戸文化をい
かに活写しようとしたかが、伺われる。以前の演出では、もっ
と、端役や仕出しを活用して、江戸の庶民生活を活写したとい
う。まさに、生きた幕末絵巻であったらしい。いつか、そういう
演出で、上演されないものか、と思う。

「通し狂言白浪五人男」は、私が観た舞台の配役を再確認してい
ただければ良いが、今を盛りの花のある役者が、最低でも5人は
「勢揃い」しないと成り立たない芝居であるし、捕り手となる大
部屋役者衆と弁天小僧の大立ち回りも、見せ場が、たくさんあ
る。そういう意味では、初心者にも、歌舞伎の知識が、余り無く
ても、楽しめる演目だ。ひたすら、舞台を「眼」で堪能する、さ
らに、黙阿弥劇特有の七五調のリズムに乗った科白の音楽性を
「耳」で楽しむ、というのが、この演目の最も、オーソドックス
な観劇方法だろうと思う。

序幕第一場「初瀬寺(はせでら)花見の場」で、千寿姫(梅枝)
と信田小太郎、実は、弁天小僧菊之助(菊五郎)の物語がスター
トする。「新薄雪物語」を下敷きにしている。短歌なら、本歌取
りという手法だ。

贅言:初瀬寺の朱塗りの御殿の階(きざはし)の両側には、桜の
木があり、下手側の木の傍には、「開帳 初瀬寺」の立て札(普
通、こういう場合は、『當寺』と書く)。立て札は、後ほど、奴
駒平、実は、南郷力丸(左團次)が、忠信利平(三津五郎)と立
ち回りをするときに使用される。歌舞伎の舞台にある道具は、大
道具であれ、小道具であれ、なにかの役割を持たされていること
が、割と多い。

第二場「神輿ヶ嶽の場」、第三場「稲瀬川谷間の場」では、千寿
姫と小太郎の物語が、破たんして(千寿姫の許婚・小太郎を殺し
て、小太郎に化けた弁天小僧菊之助と契ってしまった
ことを恥じて、千寿姫は、やがて、自害することになる)、日本
駄右衛門を頭とする5人の盗人が出揃い、それぞれの略歴紹介と
5人組が結成される経緯が、「だんまり」で演じられる。まあ、
なんとも、荒唐無稽な楽しさ。荒唐無稽は、歌舞伎の熱源だ。歌
舞伎の絵面(見た目)のおもしろさを知り抜いた黙阿弥の技は、
冴える。千寿姫を演じた梅枝は、時蔵の長男で、20歳。細面
は、女形向きだが、まだ、顔や身体に、青年の堅い線が残ってい
て、色香が乏しく、姫には、見えにくい。以前の勘太郎が、そう
いう時期があったが、その後変わって来たように、梅枝も、いず
れ、女形らしくなるだろう。

二幕目第一場「浜松屋の場」、第二場「浜松屋蔵前の場」では、
日本駄右衛門(團十郎)、弁天小僧、南郷力丸(左團次)の3人
による、浜松屋での詐欺。第一場では、番頭・与九郎(橘太
郎)、手代・左兵衛(名題昇進の新十郎)らが、働いている。店
の者が上手下手に行灯を持って来るので、ときは、すでに、夕方
と判る。詐欺を働こうと娘に化けた弁天小僧、若党に化けた南郷
力丸は、この薄暗さを犯罪に利用する。よその店で買った品物を
トリックに万引き騒動を引き起こす。番頭は、弁天小僧菊之助ら
の悪巧みにまんまと乗せられ、持ってい算盤で菊之助の額に傷を
付けてしまう。番頭のしでかす軽率な行為が、この場を見せ場に
する。この怪我が、最後まで、弁天小僧の、いわば「武器」にな
る。正体がばれて、帯を解き、全身で伸びをし、赤い襦袢の前を
はだけて、風を入れながら、下帯姿を見せる菊五郎の弁天小僧。
まあ、良く演じられる場面であり、「知らざあ言って聞かせや
しょう」という名科白を使いたいために、作ったような場面だ。
今回で27回目の弁天小僧を演じる菊五郎は、気持ち良さそうに
科白を言う。「稲瀬川の勢揃」の場面でもそうだが、耳に心地よ
い名調子の割には、あまり内容のない「名乗り」の科白を書きた
いがために、黙阿弥は、この芝居を書いたとさえ思える。

弁天小僧らの正体を暴いて、引き上げさせ、浜松屋幸兵衛(東
蔵)に恩を着せる。幸兵衛に店の奥へと案内される玉島逸当、実
は、日本駄右衛門。こうして、店先から皆がいなくなったと、思
いきや、もうひとり、「小悪党」が店に残っている。皆が、引き
上げるまで、殊勝に頭を下げていた番頭の与九郎は、実は、店の
金をくすねていた。今回の騒ぎで己の犯行も露見すると思い、さ
らに、店の有り金を盗んで逃げようとしている。丁稚の鶴吉、亀
吉に見とがめられる。黙阿弥は、細かい藝で笑いをとる。与九郎
役の橘太郎は、子役相手に、捨て台詞(アドリブ)で、北京オリ
ンピックなどの時事ネタも折り込んで、「成田屋」「音羽屋」
「メダリスト」などと言っては、場内の笑いを取る。

第二場「浜松屋蔵前の場」では、正体を顕わした日本駄右衛門
は、「有金残らず所望したい」と脅しながら、刀を畳に突き刺
し、後ろの呉服葛籠に腰を掛ける。下手からは、弁天小僧ら、先
ほどのふたりが抜き身を持って現れ、同じように刀を畳に突き刺
し、件の荷物に腰を掛ける。弁天小僧らふたりは、都合、2回刺
した。一舞台で、3人で、合計5回刺すとして、25日間の興行
では、檜の本舞台に125回も、刀を刺すことになる。いくら、
本身の刀を使っていないとしても、檜舞台を傷つけることには、
違い無い。サブストーリーとして、黙阿弥劇特有の因果話とし
て、日本駄右衛門と浜松屋のお互いの実子を幼い頃、取り違えて
いたことが判る。

二幕目第三場「稲瀬川勢揃の場」も、桜が満開。浅葱幕に隠され
た舞台。浅葱幕の前で、蓙(ござ)を被り、太鼓を叩きながら、
迷子探しをする4人の人たち。実は、捕り手たちが、逃亡中の5
人の盗人を探していたというわけ。やがて、浅葱幕の振り落とし
で、桜が満開の稲瀬川の土手(実は、大川=隅田川。対岸に待父
山が見える)。花道より「志ら浪」と書かれた傘を持った白浪五
人男が出て来る。逃亡しようとする5人の盗人が、派手な着物を
着て、なぜか、勢揃いする。弁天小僧、忠信利平、赤星十三郎、
南郷力丸、日本駄右衛門の順。まず、西の桟敷席に顔を向けて、
花道で勢揃いし、東を向き直り、場内の観客に顔を見せながら、
互いに渡り科白を言う。

本舞台への移動は、途中から、日本駄右衛門が、4人の前を横切
り、一気に、本舞台の上手に行く。残りの4人は、花道の出の順
に上手から並ぶ。恐らく、花道の出は、頭領の日本駄右衛門が、
貫禄で殿(しんがり)となり、本舞台では、名乗りの先頭に立つ
ため、一気に上手に移動するのだ。「問われて名乗るもおこがま
しいが」で、日本駄右衛門(團十郎)、次いで順に、弁天小僧
(菊五郎)、忠信利平(三津五郎)、刀を腰の横では無く、斜め
前(楽屋言葉で、「気持ちの悪いところ」)に差し、ほかの人と
違って附打の入らない見得をする赤星十三郎(時蔵)、「さて、
どんじりに控(ひけ)えしは」で、南郷力丸(左團次)となる。
捕り手との立ち回りを前に、傘を窄めるが、皆、傘の柄を持つの
に対して、忠信利平だけは、傘を逆に持つ。5人の列の3番目、
つまり、真ん中だからだろう。10人の捕り手たちとの立ち回
り。日本駄右衛門のみ、土手の上に上がる。ほかの4人は、土手
下のまま。それぞれ左右を捕り手に捕まれ、絵面の見得で幕。

大詰第一場「極楽寺屋根立腹の場」は、まず、開幕すると、また
も、浅葱幕。そして、幕の振り落としで、極楽寺の大屋根の上で
の弁天小僧(菊五郎)と22人(前回は、因に28人)の捕り手
たちとの大立ち回り。菊五郎は、こういうチャンバラが、本当に
好きだ。菊五郎と大部屋の役者衆の息は、合っている。大屋根の
急な上部に仕掛けられた2ケ所の足場(下手は、瓦2つのとこ
ろ、上手は、瓦3つのところ)に乗りあげる菊五郎。極楽寺屋根
の下、屋根を囲むように設えられた霞み幕は、「雲より高い」大
屋根のイメージであると共に、屋根から落下する捕り手たちの
「退場」を隠す役目も負っている。その挙げ句、覚悟を決めた弁
天小僧の切腹。大立ち回りの末に立ったまま切腹する「立腹(た
ちばら)」の場面が、見どころ。大屋根の瀕死の弁天小僧を乗せ
たまま、「がんどう返し」というダイナミックな道具替りとなる
大屋根の下から、のどかな春の極楽寺境内の遠見の書き割りが現
われる。ここも、桜が、満開。その下から、極楽寺の山門がせり
上がり、山門には、日本駄右衛門(團十郎)がいる。山門では、
駄右衛門手下に化けた青砥配下の者(つまり、潜り込んで居たス
パイ)が、駄右衛門に斬り掛かる。やがて、更に駄右衛門を乗せ
たまま、山門がせり上がり、奈落からせり上がって来た山門下の
滑川に架かる橋の上には、青砥左衛門(富十郎)が、家臣(友右
衛門、松江)とともに、駄右衛門を追い詰める。大詰の、畳みか
けるような大道具の連続した展開は、初めて観た人なら、感動す
るだろう。大詰のうち、第二場「極楽寺山門の場」、第三場「滑
川土橋の場」は、「楼門五三桐」を下敷きにしているから、序幕
も含めて、歌舞伎の見せ場を寄せ集めたパッチワークのような芝
居とも言えるのだが・・・。

というように、複雑な筋立てだが、枝葉を整理すると盗人5人組
の逃亡記の起承転結という単純な話になる。逆に、話としては、
あまり傑作とも言えないし、人物造型も深みがない。それなの
に、「浜松屋」を主とした上演回数は、黙阿弥もののなかでも、
人気ナンバーワンと言われる。それは、ひとえに、初演時に、五
代目菊五郎の明るさを打ち出すために、歌舞伎の絵画美に徹した
舞台構成を考えだしたからであろう。「盗人たちの、明るい逃亡
記」。それが、また、大当たりをしたことから、三大歌舞伎
(「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」)と並
んで、歌舞伎の代表演目として、定着してきた。

黙阿弥が選りに選りを懸けて練り上げた、歌舞伎味の集大成を、
今回は、52歳から67歳の、円熟味のある、バランスの取れた
配役で、五人男を再構築するところが、ミソだろう。5月の時点
の年齢で言うと、三津五郎(52)、時蔵(53)、團十郎
(61)、菊五郎(65)、左團次(67)となる。まさしく馴
染みのある演目を、贔屓の、いつもの役者衆が、どういう舞台を
再構築して、これまでとは違う、新たな地平を目の前に繰り広げ
てくれるか、というのが、今回の「通し狂言白浪五人男」の成否
を握ると思うが・・・、如何だろうか。

さて、最後に、「白浪五人男」の役者論を簡単に書いておこう
か。まず、今回、主役の弁天小僧を演じた菊五郎は、当代随一の
弁天小僧役者だろう。次いで、勘三郎か。日本駄右衛門は、今回
の團十郎のほかに、富十郎、仁左衛門、幸四郎。南郷力丸や忠信
利平は、今回の左團次、三津五郎らか。赤星十三郎は、今回の時
蔵のように、女形が演じる。この狂言は、役者の賑わいが大事だ
が、今回のように、円熟期の役者衆を集めてみると、皆、愉しみ
ながら演じているのが、判る。盗人たちの行状記であり、後半
は、まさに、命をかけた「逃亡記」。追い詰められて、死んで行
く割には、明るい印象で、人気演目の位置を占め続けるのは、観
客の側も、楽しいからだろうと、改めて再確認した次第。


「三升猿曲舞(しかくばしらさるのくせまい)」は、長唄舞踊。
松緑は、本興行初演で、私も初見。1819(文政2)年、初演
の「奴江戸花槍」。これも、幕が開くと、浅葱幕。夜の部は、浅
葱幕が多い。振り落として、「ぱあ」という印象を狙うのだろう
が、安易な乱用はしない方が良い。小田春永の館の奥庭。新参者
の此下兵吉(松緑)が、白い繻子奴姿で、御殿の様子を伺ってい
る。怪しい奴、敵のスパイでは無いかと、4人の奴たちに疑われ
る。御殿で催している能が好きなので、様子を伺っただけだと弁
解するので、本当なら好きな能の舞を披露してみろと言われる。
それに応えて、兵吉は、「猿が参りて・・・」と、猿回しの様子
を真似た飄逸な曲舞を披露する。途中から、花槍を持っての踊り
となり、打ってかかる奴たちを花槍で振払うなど、立ち回りを交
えた所作(所作だて)で、武張ったところと、まろやかさをミッ
クスした味わいを目指していると松緑は、言う。

贅言:外題の「三升」は、初演した七代目團十郎の家紋に因んで
いるが、読みは、「しかくばしら」となる。「靱猿」の猿歌の件
(くだり)の「四角柱や角柱、角のないこそ添いよけれ」という
文句に因んでいるという。
- 2008年5月19日(月) 17:49:40
2008年5月・歌舞伎座 團菊祭(昼/「義経千本桜〜渡海
屋・大物浦〜」、「喜撰」、「幡随長兵衛」)


馴染みの演目・贔屓の役者


歌舞伎の魅力は、良く知っている馴染みの演目を贔屓の役者が、
今回は、どう演じるか、その「違い」を楽しむところにあるとい
う。歌舞伎座は、「團菊祭」ということで、今月は、オーソドッ
クスな歌舞伎鑑賞法となる。それは、例えば、昼の部。海老蔵が
銀平、実は、知盛に初役で挑戦する「義経千本桜〜渡海屋・大物
浦〜」では、馴染みの演目、贔屓の役者という布陣に若い役者が
初役で加わると、どういう味わいになるかという実験である。変
化舞踊の「喜撰」は、これを家の藝にしている三津五郎が、さら
に精緻に構築するであろう。團十郎の「幡随長兵衛」では、仇役
の菊五郎とともに、「男気の美学」というようなものをさらに洗
練してみせるであろうという期待感を抱きながら、歌舞伎座の座
席に座った。

「義経千本桜〜渡海屋、大物浦〜」は、7回目。渡海屋の店先、
渡海屋の裏手の奥座敷、大物浦の岩組と三つの場面から構成され
る。「渡海屋」の銀平、実は、知盛を初役で海老蔵が演じる。私
が観た銀平、実は、知盛:吉右衛門(2)、團十郎、猿之助、仁
左衛門、幸四郎、そして、今回が、海老蔵。このうち、初役の舞
台を観たのは、吉右衛門、仁左衛門、そして、今回の海老蔵の3
人。

仁左衛門の初役の舞台では、「大物浦」で、傷ついた知盛は、胸
に刺さっていた矢を引き抜き、血まみれの矢を真っ赤になった口
で舐めるという場面があった。「大物浦」で源氏方と壮絶な戦い
をする知盛の姿は、理不尽な状況のなかで、必死に抵抗する武将
の意地が感じられた。上方訛りの科白を言う知盛の科白廻しも新
鮮に聞こえた。「渡海屋」の場面での颯爽とした銀平、「大物
浦」の場面での品格を感じさせる知盛。初役とは言え、仁左衛門
は、仁左衛門が演じるというだけで、役柄が、輝いて見える。

吉右衛門の初役は、01年4月の歌舞伎座。名場面を吉右衛門
が、隙間のない演技で埋めて行ったのは、さすが。初役の不安感
など感じられない。吉右衛門は、初役ながら安定した演技で十全
の銀平。馴染みの演目を贔屓の役者たちは、皆、それぞれが、一
工夫も、二工夫もして、見せてくれる。歌舞伎は、「傾(かぶ)
く」という意味だ。伝統的なものを守りながら、新しい工夫をド
ンドン取り入れて行く。新工夫で、伝統的なものに巧い味わいが
加わるようなら、それは、「型」となり、役者の財産となり、さ
らに、次の世代に引き継がれて、生き残って行く。

ならば、円熟の仁左衛門、吉右衛門と並ばせられれば、若さの海
老蔵は、どうか。まず、銀平。柄が大きい海老蔵は、演技以前に
存在感がある。まだ、父親の團十郎のようなオーラは、出ていな
いけれども・・・。海老蔵の大きな目も、父親譲りで、魅力的で
ある。口跡も、父親の團十郎に似ず、はっきりしていて、良く通
るが、声量の調節が、不十分で、大きすぎないか。柄の大きさ
も、合わせて、大味になる可能性がある。もとより、演技は、挑
戦中だから、その精進ぶりは、暫く様子を観ていよう。

銀平をひとしきり演じた後。二重舞台の障子が開くと、銀烏帽子
に白糸緘の鎧、白柄の長刀(鞘も白い毛皮製)、白い毛皮の沓と
いう白と銀のみの華麗な衣装の銀平、実は知盛の登場となる。
「船弁慶」の後ジテ(知盛亡霊)に似た衣装を着ているので、下
座音楽では、謡曲の「船弁慶」が、唄われる。この銀平は、「銀
の平氏」、つまり、知盛というわけだ。輝くばかりの歌舞伎の美
学。そこへ白装束の亡霊姿の配下たち。義経らに嘘の日和(今
は、雨だが、いずれ、恢復するなど)を教え、悪天を利用して、
海上で積年の恨みを晴らそうとする知盛。しかし、知盛の狙いに
反して、私には、簑笠付けて、いで立つ義経一行より、白ずくめ
の知盛一行の方が、死出の旅路に出る主従のイメージで迫って来
るように見える。

案の定、手負いとなり、先ほどの華麗な白衣装を真っ赤な血に染
めて逃れて来た知盛。さらに、義経主従に追い詰められた岩組の
上で、知盛は、碇の綱を身に巻き付け、綱の結び目を3回作る。
重そうな碇の下に身体を滑り込ませて持ち上げて、海に投げ込
む。綱の長さ、海の深さを感じさせる間の作り方。綱に引っ張ら
れるようにして、後ろ向きのまま、ガクンと落ちて行く、「背ギ
バ」と呼ばれる荒技の演技。今回は、いつもより、天井に近い席
から舞台を見下ろしていたので、岩組の後ろに5人の浪衣が現れ
て、後ろ向きに倒れ込む海老蔵の身体を支えるネットを用意して
いるのが見えた。まるで、海中からフロッグマンが、現れたよう
に見えた。私は、こういう現象を以前から、「座席の視点」と呼
んで、楽しんでいる。一等席から見える舞台も、三等席から見え
る舞台も、どちらもおもしろい。その席でしか見えないものをき
ちんと観るのが、私の言う「座席の視点」だ。一等席で観ていて
も、大事なことを見落している観客も多い。三等席で観ていて
も、おもしろいものを観ている観客もいる。要は、きちんと見よ
うとする意志が、歌舞伎の舞台体験を豊かにする。観劇歴も、重
要なデータだろうが、年月が長ければ、歌舞伎に詳しくなるとい
うものでも無い。大事なことは、幕が開いたら、筋書を見たり、
居眠りをしたり、隣の人と話をしたりせずに、舞台から発信され
る情報をきちんと受け止めようとする心がけだと思う。さて、知
盛が、入水する場面は、立役の藝の力が、必要。ここは、滅びの
美学。海老蔵は、どうであったか。

仁左衛門と海老蔵を比較するのは、海老蔵には酷だろうが、仁左
衛門は、「義賢最期」をベースに荒技の演技を積み重ねて来ただ
けに、荒技ながら、重厚な「知盛最期」であった。仁左衛門は、
この場面、風格のある演技で、たっぷり、リアルに見せる。海老
蔵は、一部、背負う演技で、碇の軽さを見せてしまったりして、
まだ、まだの感。今後の積み重ねが、必要だろう。しかし、銀平
では、マイナスに感じられ声量は、知盛では、プラスに転化す
る。「ああら、無念。口、惜し、や、なァー」、「生ーき、変わ
り、死ーに、変わり、恨み、は、ら、さ、で、お、く、べ、き、
かァー」と、四谷怪談のお岩さまのような執念深い声である。
「いかに、義経」と、義経に向って、恨みを述べる場面では、
「いかに→いかり(怒り=碇)」というように、私の頭の中で
は、変化して、ボルテージが上がって聞こえて来たから、不思議
だ。義経が、安徳帝を助命してくれることが判ると知盛は、「き
のうの仇は、きょうの味方。・・・、あら、嬉しやなァ」と笑
う。「おもしよ(ろ)やなあ」と海老蔵調も、絶好調。「知盛、
さらば」と安徳帝。身体を支えていた長刀を投げ捨て、碇を持ち
上げ、身構えて、「おさらば」と知盛。皆々、「さらば」。御簾
うちから聞こえて来た、ゆるりとした、大間な下座音楽は、「千
鳥の合方」。

贅言:ところで、海老蔵は、7月の歌舞伎座では、「義経千本桜
〜鳥居前、吉野山、川連法眼館〜」で、狐忠信を演じる。つま
り、一ヶ月を飛び越えての、いわば、「通し」上演というわけ
だ。相手役の静御前は、玉三郎が勤める。

相模五郎(権十郎)、入江丹蔵(市蔵)は、役どころの前半(笑
劇)と後半(悲壮な、ご注進)の場面で、持ち味の違いをきっち
りと見せなければならない。魚尽くしの負け惜しみを言い、観客
を笑わせる滑稽な役どころは、ドラマツルーギーとしては、大事
である。全体に平家にとって、悲劇の物語だけに、笑劇は、観客
の気分転換にもなる。権十郎は、口跡が良いので、前半は、笑わ
せ、後半は、深刻な戦場報告を典侍の局伝える科白が良く通る。
前半、銀平に蹴散らされる感のある相模五郎だが、実は、平家方
で、前半は、銀平(知盛)との、合意の芝居で、奥の部屋を借り
ている義経一行への「聞かせ」をしているのである。後半のご注
進では、「泳ぎ六法」や幽霊の手付きで、悲劇の果てに、近づく
冥界を匂わせる。市蔵は、滑稽役では、日頃から、巧い味のある
役者だ。T字型の柄の形から、船の櫂に仕込んでいたと思われる
刀を持ち、丹蔵は、敵方の郎党と立回りをしながらの、苦しい戦
場報告で、相模五郎よりも、さらなる、平家方の苦境が滲み出
る。最期は、郎党とともに串刺しのまま、海に身投げをする。平
家方の戦場のトップは、知盛だが、留守部隊のトップ、つまり、
安徳帝を守りながら、局たちを束ねているのは、典侍の局であ
る。典侍の局は、そういう貫禄を滲ませなければならない。

銀平女房お柳、実は、典侍の局は、魁春。私は、初めての拝見。
私が観たお柳、実は、典侍の局:芝翫(2)、雀右衛門、九代目
宗十郎、福助、坂田藤十郎。今回の魁春は、お柳の時の方が、落
着く。戦況不利を悟り、次々に海へ飛び込む局たち。「いかに八
大龍王、恒河の鱗、君の御幸なるぞ、守護したまえ」と客席の方
を向いて唱え、安徳帝とともに入水する覚悟の典侍の局は、立女
形の役どころ。安徳帝を守ろうとする乳人役の局を演じる魁春
は、意外と、不安定。留守部隊トップの貫禄が滲んで来ない。芝
翫、雀右衛門、坂田藤十郎の貫禄には、及ばない。安徳帝を守ろ
うとする義経一行の四天王に阻止され、入水断念とならざるを得
ない。海原を描いた道具幕(浪幕)が、振り被せとなり、舞台替
り。幕を振り落とすと、知盛の最期の見せ場となる大物浦の岩組
の場へ転換となるのである。


「喜撰」は、6回目の拝見。「喜撰」は、「六歌仙容彩」という
変化舞踊として「河内山」の原作「天保六花撰」と同じ時代、天
保2年3月、江戸の中村座で初演された。小町、茶汲女を相手
に、業平、遍照、喜撰、康秀、黒主の5役を一人の役者が演じる
というのが、原型の演出であったが、いまでは、それぞれが独立
した演目として演じられる。今回は、「喜撰」で、三津五郎と小
町見立ての時蔵のお梶という配役。私が観た喜撰:富十郎
(3)、三津五郎(2)、勘三郎。富十郎の喜撰には、味わいが
あり、三津五郎の喜撰には、踊りの巧さがあり、勘三郎の喜撰に
は、おかしみがある。

「喜撰」は、小道具の使い方が巧い舞踊だ。櫻の小枝、手拭、緋
縮緬の前掛け、櫻の小槍、金の縁取りの扇子、長柄の傘などが、
効果的に使われる。喜撰は、花道の出が難しい。立役と女形の間
で踊るという。歩き方も、片足をやや内輪にする。三津五郎の踊
りは、今回も、軸がぶれず、身体の切れも、良い。三津五郎の後
見は、八大と大和。特に、大和は、普段は、大立回りなどの、い
わば、立役の群舞で活躍することの多い「三階さん」(大部屋立
役役者)だから、こういうおとなしい役どころの大和を観るの
も、珍しい。


江戸・「男気の美学」の芝居に、上方・「女形」が、「殴り込
み」


「極付幡随長兵衛」は、5回目。03年5月の歌舞伎座の舞台
は、多忙で、見に行けなかった。私が観た長兵衛は、今回含め團
十郎と吉右衛門(それぞれ、2)、橋之助。仇役の旗本白柄(し
らつか)組の元締め・水野十郎左衛門は、今回の菊五郎(2)、
八十助時代の三津五郎、幸四郎、富十郎。お時は、福助、時蔵、
松江時代の魁春、玉三郎、そして今回は、なんと坂田藤十郎が、
初役で勤めるというのは、珍しい。

この芝居は、村山座(後の市村座のこと)という劇中劇の芝居小
屋の場面が、観客席まで、大道具として利用していて、奥行きの
ある立体的な演劇空間をつくり出していて、ユニーク。1881
(明治14)年、黙阿弥原作、九代目團十郎主演で、初演された
時には、こういう構想は無かった。10年後、1891(明治
24)年、同じく九代目團十郎主演で、黙阿弥の弟子・三代目新
七に増補させて以来、この演出が、追加され、定着した。

阿国歌舞伎の舞台の名古屋山三のように客席の間の通路をくぐり
抜けてから、舞台に上がる團十郎の長兵衛。初見の観客を喜ばせ
る演出だ。團十郎の長兵衛が、颯爽とした男気(男伊達)を見せ
るので、いわば、「目くらまし」にあうが、長兵衛とて、町奴と
いう、町の「ちんぴら集団」の親玉なら、白柄組の元締め・水野
十郎左衛門は、旗本奴で、下級武士の「暴力集団」ということ
で、いわば、暴力団同志の、実録抗争事件である。17世紀半ば
に実際に起こった史実の話を脚色した生世話物の芝居。

「人は一代(でえ)、名は末代(でえ)」という、男の美学、あ
るいは、哲学に裏打ちされた町奴・幡随長兵衛の、愚直なまでの
死を覚悟した男気をひたすら引き立て、観客に見せつけ、武士階
級に日頃から抱いている町人層の、恨みつらみを解毒する作用を
持つ芝居で、江戸の庶民にもてはやされた。幡随長兵衛の、命を
懸けた「男の美学」に対して、水野十郎左衛門側は、なりふりか
まわぬ「仁義なき戦い」ぶりで、そのずる賢さが、幡随長兵衛の
男気を、いやが上にも、盛りたてるという、演出である。だか
ら、外題で、作者自らが名乗る「極付」とは、誰にも文句を言わ
せない、男気を強調する戦略である。長兵衛一家の若い者も、水
野十郎左衛門の家中や友人も皆、偏に、長兵衛を浮き彫りにする
背景画に過ぎない。策略の果てに湯殿が、殺し場になる。陰惨な
殺し場さえ、美学にしてしまう歌舞伎の様式美の世界。

しかし、「男気」は、なにも、暴力団の専売特許では無い。江戸
の庶民も、憧れた美意識の一つだったから、もてはやされたのだ
ろう。そこに目を付けた黙阿弥の脚本家としての鋭さ、九代目團
十郎の役者としてのセンスの良さが、暴力団同志の抗争事件を
「語り継がれる物語」に転化した。60年代後半に若者の間で流
行った、東映の「やくざ映画」の、例えば、高倉健が演じた花田
秀次郎の原型は、この幡随長兵衛にこそ、あると、思う。

その江戸の男たちの世界で、ひとり、存在感を見せつけたのが、
上方歌舞伎の代表選手、坂田藤十郎だった。私は、正直言って、
芝居が始まり、幡随長兵衛女房のお時が出て来るまで、今回の舞
台は、藤十郎が参加している芝居だとは、気にも止めていなかっ
た。「極付幡随長兵衛」は、長兵衛の息子・長松(玉太郎)を含
めて、ほぼ男ばかりの芝居で、男気を強調する芝居だと思い込ん
でいた。ところが、藤十郎は、ひとりで、存在感を滲み出させた
のだ。

藤十郎が演じるお時は、死地に赴く覚悟の幡随長兵衛に仕立て下
ろしの着物を着せつける。仕付け糸を取り、涙に暮れながら長兵
衛に袴を付け、着物を着せて行く。ほかの役者が演じたお時は、
妻子を残して死んで行く夫の勝手に、ただ、ただ、涙する女房像
であったと思う。ところが、藤十郎の演じるお時は、なにか、違
う。感情を抑圧的に抑え込んでいるが、ただ、泣くばかりでは無
いように感じられる。男の理不尽さへの怒りを抑え込んでいるよ
うに思えたのだ。本来、祝い事で着せようと密かに準備をしてい
た新しい着物と裃だったのにというような、悔しさを滲ませなが
ら、お時は、仕付け糸を取って行く。愛する人を奪われる悔し
さ。その手の所作から、そういうメッセージが、私に伝わって来
た。

歌舞伎座の筋書の楽屋話によれば、初役のお時を演じる心構えと
して、藤十郎は、「生世話というより、初演時の明治の、新しい
時代の感覚がどことなく漂っています。お時というお役は、じっ
と座っていても、その存在を感じさせる、そういう芝居が求めら
れている、重いお役だと思います」と、語っている。まさに、そ
ういう狙い通りに演じた藤十郎の藝の力は、「男たちの江戸歌舞
伎(明治初期の初演だが)」に対して、「女形の上方歌舞伎」
が、それこそ、「殴り込み」をかけたような、強烈な印象を残し
た。昼の部、最大の見どころで、見落としては、損をする。

劇中劇(「公平法問諍 大薩摩連中」という看板)では、坂田公
平の市蔵(市蔵は、十蔵時代含めて、3回目の拝見。ほかの2回
は、團蔵)、御台・柏の前の右之助、伊予守頼義(萬次郎)、慢
容上人(権一)らが、熱演。初めて、この演目を観る人は、世話
物歌舞伎の中で、時代物歌舞伎を観ることになり、鮮烈な印象を
受ける。三代目新七のアイディアは、不滅である。幕ひき、附
打、木戸番(これらは、形を変えて、今も、居る)、出方(大正
時代の芝居小屋までは、居たというが、今も、場内案内として、
形を変えて、居る)、火縄売(煙草点火用の火縄を売った。
1872=明治5=年に廃止された)、舞台番(今回は、名題昇
進の、新十郎の披露の役である)など、古い時代の芝居小屋の裏
方の様子が偲ばれるのも、愉しい。

贅言:花川戸長兵衛内では、積物の提供者の品書き。二重舞台の
上手に「三社大権現」という掛け軸があり、下手二重舞台の入り
口には、祭礼の提灯。玄関の障子に大きく「幡」と「随」の2文
字。本来は、幡随院の裏手の長屋住まいの、口入れ稼業(人材派
遣業)で、なにかあれば幡随院のガードマンの役も果たしたか
ら、幡随院長兵衛と渾名されたから、「幡随院長兵衛」が、本来
あるべきだが、歌舞伎の外題は、3文字、5文字、7文字という
ように、奇数が原則なので、外題は、「幡随長兵衛」となる。明
治14(1881)年に河竹黙阿弥が鮮やかに描いた江戸の下町
の初夏の情景。仇役の水野邸の奥庭にも、池を挟んだ上手と下手
に立派な藤棚があり、悲惨な人事と巡り来る自然は、別で、季節
感には、気を使っているのが、歌舞伎の舞台。大道具方の苦労に
思いを致す。
- 2008年5月19日(月) 12:49:48
2008年4月・歌舞伎座 (夜/「将軍江戸を去る」「勧進
帳」「浮かれ心中」)


「幕末の三舟」から慶喜クローズアップへ〜演出の転換〜


「将軍江戸を去る」は、3回目の拝見だが、前回でさえ、9年
前、99年2月の歌舞伎座ということで、このサイトに開設前な
ので、劇評は、初登場となる。真山青果原作は、「江戸城総攻」
という3部作で、大正から昭和初期に、およそ8年をかけて完成
させた新作歌舞伎である。第一部「江戸城総攻」、第二部「慶喜
命乞」、第三部「将軍江戸を去る」という構成である。江戸城の
明け渡しという史実を軸に、登場人物たちの有り様を描いてい
る。私は、いずれも観ている。

歌舞伎では、必ずしも、原作通り演出されず、例えば、第一部の
「江戸城総攻」では、「その1 麹町半蔵門を望むお濠端」、
「その2 江戸薩摩屋敷」という構成で、青果3部作の、第一部
の第一幕と第三部の第一幕(「江戸薩摩屋敷」では、西郷吉之助
と勝安房守が江戸城の無血開城を巡って会談する場面である)
が、上演される。従って、第三部は、一般に、第二幕「上野彰義
隊」から上演される。これは、慶喜をクローズアップしようとい
う演出で、演出担当は、真山青果の娘、真山美保である。今回の
場立ても、第一場「上野彰義隊の場」、「上野大慈院の場」、
「千住の大橋の場」という構成である(もちろん、当初は、原作
の構成通りに演じられたし、原作重視国立劇場では、原作の構成
通りに上演されたこともある)。

第一場は、血気に逸る彰義隊の面々と無血開城を目指す山岡鉄太
郎(橋之助)、高橋伊勢守る(弥十郎)の対立を描く。第二場
は、大慈院の一室で、恭順、謹慎の姿勢を示している慶喜(三津
五郎)の姿を紹介する。慶喜は、明朝、江戸を去り、水戸へ退隠
する手筈なのだが、慶喜の心が揺れているの心配して、やがて、
無血開城派の高橋伊勢守、山岡鉄太郎が、やって来るという場面
である。慶喜の外面的には、見えない心理の揺れを、夕闇の中
に、月光に照らされて、白く浮かぶ上手の桜木が、顕わす。なん
とも、効果的で、憎い演出である。人事と自然の対照。だが、実
は、原作の脚本には、この桜木の指定は無いという。あるいは、
何処かの時点で、代々の慶喜役者のだれかが、思いついて、桜木
を置かせ、以降、定式の演出として、受け継がれているのかも知
れない。勤王論議は、真山青果らしい科白劇である。

第三場の「千住の大橋の場」は、まだ、夜明け前。幕府崩壊の暗
暁と明治維新の夜明けを繋ぐ場面だろう。短いが、「将軍江戸を
去る」のハイライトの場面。揺れていた慶喜の心も、退隠で固ま
り、千住大橋の袂までの江戸の地を去る。「江戸の地よ、江戸の
人よ、さらば」という慶喜の科白に象徴される。278年の幕政
の終焉。天正十八(1590)年八月朔日、徳川家康の江戸城入
城。慶應四(1868)年四月十一日、慶喜江戸を去る。

贅言1):山岡鉄太郎は、鉄舟と号した。高橋伊勢守は、泥舟と
号した。また、今回の演出では、登場しないが、原作では、第三
部にも登場する勝安房守は、海舟と号した。江戸城の無血開城を
目論み、成功させた3人のキーパーソンを合わせて史実家は、
「幕末の三舟」と呼ぶ。真山青果の原作「将軍江戸を去る」は、
まさに、「幕末の三舟」に焦点を当てた芝居だった。

贅言2):三津五郎の慶喜は、歴史に翻弄され、やつれ、疲れた
将軍の風情が良い。橋之助の山岡鉄太郎は、元気であった。明治
維新、140年、鉄舟没後、120年。興行元の松竹は、これ
に、歌舞伎座120年を加える。ということは、山岡鉄太郎没し
て、歌舞伎座誕生す、ということになる。歴史的には、ほんの隣
り合わせ、ということか。明治も、近い。鉄舟元気で、当たり
前。弥十郎の伊勢守は、器が大きい。「千住の大橋の場」では、
江戸を去る将軍に惜別の情を抱く多くの庶民たちが、見送りに来
る。「青果」劇は、北京オリンピックの「聖火」リレーのよう
な、混乱は無い。それは、慶喜が、政治を手放したからだ。政治
に翻弄される中国とは、対照的な対処と言える。


「勧進帳」は、異色の顔合わせ


「勧進帳」は、15回目の拝見。私が観た弁慶は、次の通り。
弁慶:幸四郎(4)、團十郎(4)、吉右衛門(3)、猿之助、
八十助時代の三津五郎、辰之助・改め松緑、そして、今回は、初
見の仁左衛門。

ついでに、ほかの主な配役を記録すると、冨樫:菊五郎(4)、
富十郎(3)、梅(2)、勘九郎(今回含め、2)、吉右衛門、
猿之助、團十郎、新之助・改め海老蔵。義経:雀右衛門(3)、
梅玉(3)、菊五郎(2)、福助(2)、芝翫(2)、富十郎、
染五郎、そして、今回は、初見の玉三郎。

仁左衛門の弁慶は、孝夫時代を含めて、8回目だから、何の不思
議も無い。東京でのお目見得が、21年ぶりというだけの話。た
だ、玉三郎の義経は、貴重。88年に歌舞伎座100年を記念し
て初役をして以来、2回目。私が観た義経役者でも、雀右衛門、
芝翫、福助と真女形が3人演じているから、本来、玉三郎が、義
経を演じても、やはり、何の不思議も無いのだが、実際には、
20年ぶりに演じたというように、やはり、貴重な義経であり、
見逃せなかった。

それで、普段なら、弁慶から論じるのだが、今回は、義経から論
じたい。玉三郎の義経は、女形らしく、立役をたてる品格があ
る。「とにもかくにも、弁慶よろしく計らい候らえ」と、ひたす
ら弁慶に気持ちを向けていたように思えて、良かったと思う。特
に、玉三郎の声は、普段は、時代物、世話物で、発声が異なる
が、私たち観客は、ひたすら、玉三郎の女形の声ばかりを聴いて
いる。たまに、テレビやラジオで、玉三郎の地声を聴くこともあ
るが、まあ、その範囲の声しか聴いていないだろう。今回は、義
経とは言え、立ち役としての発声がある。玉三郎の立役での発声
は、滅多に聴けるものでは無い。だから、私も、「いかに弁慶」
と、最初に玉三郎義経の声が、歌舞伎座の舞台に響いて来たとき
には、一瞬、どの役者の声か、判らなかった。声でいえば、勘三
郎の冨樫は、高かった。仁左衛門の弁慶は、初日辺りの風邪声も
治り、重厚で、抑制が効いていて、なかなかよろしかった。

仁左衛門の弁慶は、父親の十三代目仁左衛門が、戦前、七代目幸
四郎に教わったやり方を継承しているという。だから、戦後、多
く演じられる型とは違うという。義経の花道での第一声のとき
は、立ったままでは無く、座って応えるとか、ふたりの居どころ
は、義経との主従関係を強調して、できるかぎり、離れるとか、
従者弁慶の心情に重きを置いた演出となるという。実際、「判官
どのに似たると申す者」として、強力に扮した義経の正体が、暴
かれかけ、弁慶が、金剛杖で、義経を打擲し、さらに、解けぬ疑
惑に、強力を荷物とともに、預けるが、但し、打ち殺してからだ
とまで申し立てた末、危機を脱した後、「下手の方より弁慶、義
経の手を取り上座へ直し敬う」という場面では、仁左衛門弁慶
は、これ以上下げられないというほどに頭を下げて、上手から下
手へ移動し、玉三郎義経は、背筋を伸ばして、ゆるりと下手から
上手へ、居どころ替りをしてみせた。幸四郎なら、オーバーアク
ションと受けとめられるほど、義経警護という主従の役割を強調
していることが、しっかりと伝わって来た。頭の小さい、体の大
きいという利点を生かした、メリハリのある良い弁慶であった。

私は、以前の劇評で、次のように書いたことがある。

*私の好きな弁慶は、團十郎、あるいは、吉右衛門。團十郎の弁
慶の場合、菊五郎の冨樫、梅玉の義経。あるいは、吉右衛門の弁
慶の場合、富十郎の冨樫、雀右衛門の義経という組み合わせを頭
に描くが、なかなか実現しなかった。当該役者が皆、同じ舞台に
出勤していても、配役が違うなど、限られた配役なのに、意外と
一致しないものなのだ。それが、今回(注ーー07年5月、歌舞
伎座)は、團十郎の弁慶の場合、菊五郎の冨樫、梅玉の義経と、
どんぴしゃり。次は、吉右衛門組も、実現して欲しい。「いか
に、弁慶」という義経の科白では無いが、いかに、配役の妙こそ
おもしろけれ。」

そういう意味では、私が、夢にも、思い描いていなかった配役
が、今回の「勧進帳」であった。仁左衛門の弁慶、勘三郎の冨
樫、玉三郎の義経は、まさに、配役の妙。特に、仁左衛門と玉三
郎は、よくぞ、組み合わせてくれたものと感謝したい。玉三郎の
前回は、吉右衛門の弁慶に、幸四郎の冨樫であった。こういう配
役は、それこそ、何年に一回という巡り合わせであり、そのと
き、同時代を生きていなければならないし、劇場に通える体力も
無ければならないだろう。まさに、同時代共生の妙かも知れな
い。

今回の配役で、欲を言えば、声の高い勘三郎より、冨樫は、菊五
郎辺りが演じると、よりしっくりした配役の妙になったかも知れ
ないとも、思う。冨樫は、弁慶の男の真情を理解し、指名手配中
の義経を含めて弁慶一行を関所から抜けさせてやることで、己の
切腹を覚悟する。男が男に惚れて、死をも辞さずという思い入れ
が、観客に伝わって来なければならない。菊五郎の、抑制気味の
声には、それがあると思う。また、私にとって、新たな配役の夢
が、生まれたようだ。


笑いの歌舞伎として、エキスを煮詰める「浮かれ心中」


「浮かれ心中」は、3回目。1972(昭和47)年、直木賞を
受賞した井上ひさしの小説「手鎖心中」は、翌年の74(昭和
48)年2月には、東京宝塚劇場で、早々と芝居として初演され
た。女優陣を交えた配役であったが、主役の栄次郎は、扇雀時代
の坂田藤十郎が演じている。23年後の97年夏、当時の勘九郎
は、これを新作歌舞伎に改造した。97年8月、歌舞伎座の納涼
歌舞伎の舞台で私は、観ているし、さらに、2002年8月、歌
舞伎座の納涼歌舞伎の舞台でも、観ている。勘九郎は、勘三郎に
代り、今回は勘三郎襲名後、初めての「浮かれ心中」であった。

大筋は、こうだ。大店の材木商・伊勢屋のおぼっちゃま・栄次郎
(勘九郎)は、人も蔑(さげす)む戯作者志願だが、売れない。
筆名は、辰巳山人。「百々謎化物名鑑(もものなぞばけものめい
かん)」、「吝嗇吝嗇山後日哀譚(けちけちやまごじつのあいだ
ん)」などの作品を刊行するが、売れないのである。
 
売れないから、「茶番」で名を売ろうとする。メディアに向けた
パフォーマンスである。子が親に勘当を願い出たり、3ヶ月の期
限付きの婿入り契約をしたりする。それを読売屋(マスコミ)に
書き立てさせる。そのあげく、茶番心中を思いつく。命を懸けた
究極のパフォーマンス。茶番心中の相手に吉原の人気花魁・帚木
(ははきぎ、七之助)を雇ったのだが、花魁には、「本気」の大
工の清六(橋之助)がいる。「茶番」と「本気」は、どっちが、
強い?、というのが、この芝居のテーマである。清六の生真面目
さが、茶番の場に登場して、二人を刃物で刺す。花魁は、生き
残ったが、栄次郎は、ほんとうに死んでしまう。命は、「懸け
た」だけの筈なのに、本当に命を落してしまう。もう、茶番では
無い。絵草子の鼠に「ちゅう乗り」して、栄次郎は、昇天する。
本気が茶番を殺す。本気で茶番を演じる奴が、いちばん怖い、と
原作者の井上ひさしは、思っているだろう。そういえば、某国の
大統領も、本気で茶番を演じ、世界を戦争に巻き込んでいるとい
う現実があるでは無いか。茶番だからと、安心していては、地球
の破滅を生み出しかねない。なんという、今日的なテーマの芝居
だろう。

大阪松竹座を含めて、この演目、4回目の出演の勘九郎は、栄次
郎を愉しそうに演じている。栄次郎同じ戯作者志願の太助は、八
十助時代を含めて、今回の三津五郎が、2回、橋之助が、2回演
じている。このふたりは、三津五郎も巧いが、橋之助も、また、
別の存在感があった。栄次郎契約婿入りの相手の花嫁・おすずと
花魁・帚木は、このところ、福助が、ふた役で演じて来たが、両
者の印象が似通ってしまって、良く無かった。「籠釣瓶」を下敷
きにした花魁の場面を除くと、栄次郎の新妻・おすずと栄次郎に
身請けされた妾・帚木の演じ分けに成功していない。ふた役でや
ると同じ人に観えてしまう。という欠点があった。今回は、おす
ずを時蔵が演じ、帚木を七之助が、演じたことで、この欠点が克
服された。メリハリが出て来た。

手鎖志願の栄次郎の心を汲んだ女房・おすずに頼みごとをされる
奉行所の帳簿役人・佐野準之助を演じた弥十郎は、目立つ役柄
で、役得である。栄次郎の父親の伊勢屋太右衛門は、彦三郎、伊
勢屋の番頭・吾平は、亀蔵が扮し、脇を固める。栄次郎妹のお琴
は、時蔵の長男で、清新な梅枝。

ところで、今回は、江戸の庶民像を描く大衆劇でもある。傍役た
ちが、いつもより生き生きとしている。出番も多いし、台詞も多
いからだ。読売屋の東六を演じた小三郎は、名題昇進披露の、仲
二朗の晴の舞台だ。読売屋コンビの三津之助、いぶし銀のような
遣り手・お辰の小山三、近所の女房(歌女之丞、守若)、吉原の
茶屋番頭(松之助)、振袖新造・浮橋と辰巳芸者・君龍(芝の
ぶ)、辰巳芸者・千代菊(紫若)らが、江戸の庶民像をヴィ
ヴィッドに演じている。彼らの存在感が、江戸の街の光景を印象
深いものにしている。亡くなった大部屋女形の中村時枝の言葉を
思い出す。「江戸の舞台に自然に溶け込むだけで、10年は、か
かります」。

贅言1):その江戸の街が見える場面が、いくつかあるので、紹
介したい。「浮かれ心中」には、江戸の街と街を行く人たちが、
舞台の主役となる瞬間がある。例えば、「鳥越之場『真間屋』」
では、鳥越の絵草紙屋の一人娘・おすずのところへ栄次郎が婿入
りする。婚礼に長屋のおかみさんたちが手伝いに来る。栄次郎に
金をもらい、その様を宣伝するマスコミ陣として、読売屋(かわ
らばん)コンビが登場する。吉原から遣り手のお辰という付き馬
をぶら下げて戻って来た仲人役の友人・太助。木場の火消し頭に
よる木遣りの場面など。婚礼周辺に江戸の庶民の生活が覗く。ま
た、「亀戸之場『梅屋敷』」では、梅見客や僧侶、隠居などが繰
り出す。「向島之場『墨堤』」では、辰巳芸者、花見客など、い
ずれも、江戸郊外の光景が再現されて、興味深い。

贅言2):1時間56分→1時間40分→1時間36分→?

これは、勘九郎の「浮かれ心中」の正味の上演時間である。笑い
の歌舞伎に徹して、エキスを煮詰めてきた記録でもあるだろう。
勘九郎から、勘三郎へバトンタッチされた「浮かれ心中」の、松
竹の正式な記録は、公表されていないが、夜の部の終演時間が、
午後9時5分というのは、歌舞伎座では、早い方であるから、今
回の「浮かれ心中」の上演時間は、もっと、煮詰められて、コン
パクト、コンデンスで、短くなっているかも知れない。井上ひさ
し新作歌舞伎は、勘三郎のサービス精神に「ちゅう乗り」して、
笑いの歌舞伎の頂点へ向けて、上昇「ちゅう」というところだ。
- 2008年4月28日(月) 16:06:13
2008年4月・歌舞伎座 (昼/「本朝廿四孝」、「熊野」、
「刺青奇偶」)

4月の歌舞伎座の千秋楽は、26日だった。今月の劇評は、閉幕
後の掲載となってしまったが、舞台をご覧になった方は、ご自分
の感想と以下の劇評を比べながら、読んでくださると良いと思
う。


人形浄瑠璃の滋味を演じる「十種香」


「本朝廿四孝〜十種香〜」は、8回目の拝見。歌舞伎の三姫と言
えば、「廿四孝」の八重垣姫、「金閣寺」の雪姫、「鎌倉三代
記」の時姫で、姫君の役柄でも、特に、難しいと言われている。
それは、私が思うには、人形浄瑠璃から歌舞伎に移され、240
年ほどが経って、代々の役者らがいろいろ工夫して来たにも拘ら
ず、近松半二らが合作した人形時代浄瑠璃の原型の演出が、いま
も、色濃く残り、八重垣姫の心理の展開を科白劇ではなく、人形
劇の、まさに、人形ぶりに近い(だから、人形ぶりを取り入れる
演出もある)、所作で表現することが続くからではないか。寡黙
なまま、竹本の語りと所作で、姫の心理や感情を表現することの
難しさ。それが、三姫のなかでも、八重垣姫の演技をことのほか
難しくしているように、私には、思える。

因に、私が観た八重垣姫を列挙してみると、芝翫、松江時代を含
む魁春(2)、雀右衛門(2、このうち、1回は、雀右衛門と
いっしょに「狐火(奥庭)」の場面を引き継いだ息子の芝雀を観
ている。このとき、芝雀は、兄の大谷友右衛門の人形遣で、人形
ぶりで八重垣姫演じた。京屋型の人形ぶりということで、同じ上
方歌舞伎でも、やはり、人形ぶりを見せた鴈治郎の成駒屋型と
は、違って、宙乗りの場面があった)、鴈治郎、菊之助で、今回
は、時蔵。

印象に残る八重垣姫は、何と言っても、雀右衛門で、静かなうち
に、優美さと熱情を滲ませる八重垣姫としては、私には、最高で
あった。今回の時蔵の八重垣姫を私は、初めて観たのだが、六代
目歌右衛門に、体の使い方や袂(特に、打掛けの袂が、難しいよ
うだ)、肱の使い方など細かく指導を受けたという。時蔵、15
年ぶりの八重垣姫である。上手の障子が開くと、まず、後ろ姿
(九代目團十郎以降の演出)を観客に曝し、それだけで、姫の品
格を出さなければならない八重垣姫。残念ながら歌右衛門の八重
垣姫を観ていないので、時蔵と歌右衛門の比較については、何と
も言えないが、2回観た雀右衛門の「静かなうちに、優美さと熱
情を滲ませる八重垣姫」と、時蔵の八重垣姫とを比べれば、恋に
燃える真情の発露の仕方に差があったように思う。

「十種香」は、姫の熱情の恋が、今回は、演じられないが、後半
(「奥庭」)で奇蹟を起こす物語である。後半が演じられないと
は言え、それを滲ませてこそ、つまり、燃える恋情の奇蹟を感じ
させてこそ、前半の芝居も、成り立つ。「いっそ、殺して殺して
と」という八重垣姫の燃える恋の声を代弁する喜太夫の語りが、
人形浄瑠璃なら、人形の八重垣姫の声として、聞こえて来るのだ
が、生身の役者が演じる歌舞伎では、それであっては、いけない
だろう。喜太夫の語りだとしても、無言の時蔵が発する八重垣姫
の声のように、観客の胸に響いて来なければいけないのでは無い
か。ただし、「殺して殺して」は、役者の科白としては、言いづ
らい科白である。その前に出て来る「(勝頼の)お声を聞きたい
聞きたい」という科白同様に、竹本の語りだからこそ成立する
が、役者の生の科白では、成立しないという語りの科白が、「十
種香」には、いくつかあるので、難しい。科白では、出せないリ
ズムが、人形時代浄瑠璃の滋味として隠されているように思う。
歌舞伎で、その滋味を引き出すことの難しさ。その辺りは、歌右
衛門、雀右衛門らのように、ベテランの域に達してからの、藝の
力を待つしか無いのかも知れない。99年11月に国立劇場で観
た鴈治郎は、奥庭を人形ぶりで付け加えていたほどで、八重垣姫
役者は、「いっそ、人形で、人形で」という思いに駆られるのか
もしれない。

勝頼回向のため、八重垣姫が焚く香の匂いは、噎せ返るほどの恋
の香だ。役者の八重垣姫は、誰であれ、燃える演技で、恋の香を
越えなければならない。

歌舞伎座の筋書に掲載されている上演記録を見ると、秀太郎の濡
衣は、4回上演となっている。私が、秀太郎の濡衣を観るのは、
2回目だが、過不足なく、演じているようで、安定感がある。濡
衣は、本来、腰元として花作り簑作、実は、勝頼に密かに仕える
身(つまり、勝頼とともに、謙信館に潜り込んだ武田方のスパイ
である)、秀太郎の巧さは、こういう謎を秘めた、臈長けた女の
色気という役柄には、ほかの役も含めて、充分に良さを発揮す
る。勝頼の出の後、上手と下手の、閉まった障子のうち、まず、
開くのは、上手の八重垣姫の障子では無く、下手の濡衣の障子で
あるから、濡衣の印象は、大事である。

「十種香」で最初に舞台に姿を見せる橋之助の花作り簑作、実
は、勝頼は、肩を揺すり、舞台中央で静止するだけで、科白を喋
る前の出は、初役ながら勝頼らしい風格が出て来たように思う。
我當の謙信は、短い登場だが、芝居の要に位置する役どころで、
とても大事である。諏訪湖畔の屋敷といえば、史実的には、謙信
より信玄の筈だが、なぜか、「十種香」では、謙信が登場する。
人形浄瑠璃や歌舞伎の「傾(かぶ)く」屈折感のなせる業かも知
れない。花作り簑作、実は、勝頼の正体を見抜き、濡衣の正体を
見抜き、最後の場面で、激情を発露させるまでは、抑圧的に演じ
る我當の謙信は、「荒気の大将」らしい存在感があり、こういう
短い登場ながら、きちんと存在感を印象に残せる役者は、少なく
なってきたので、我當は、貴重である。

贅言1):2000年5月の歌舞伎座で観た菊之助は、さすが
に、初々しい八重垣姫だった。勝頼は、新之助時代の海老蔵で
あった。たまたま、初日の前に、舞台稽古を観る機会に恵まれた
とき、共演で、濡衣を演じる玉三郎から菊之助が、「柱巻き」を
中心に指導を受けていて、素直に何度も繰り返して、演じ直して
いたのを思い出す。赤と紫の派手な衣装に身を包んだ勝頼だが、
注意して、良く観ると、甲斐源氏500年の最後の城主らしく
「武田菱」の家紋が、衣装のなかにあるのに、気がつく。

贅言2):勝頼暗殺を謙信から命じられ、勝頼の後を追う刺客の
うち、今回は、白須賀六郎を錦之助、原小文治を團蔵が演じた
が、02年4月の歌舞伎座、二代目魁春襲名披露興行のときは、
ご馳走演出で、白須賀六郎に勘九郎、原小文治に吉右衛門という
配役だった。上演記録を注意してみると、私が、実際に観た舞台
だけでも、99年3月の歌舞伎座では、團十郎、幸四郎が、02
年11月の歌舞伎座では、團十郎、仁左衛門が、それぞれ、白須
賀六郎、原小文治を演じている。この辺りの配役も、注意してお
くと、おもしろい。


三島由紀夫作「熊野」から、玉三郎の新工夫へ


「熊野」は、初見である。能の「熊野」を歌舞伎化している。能
を素材にした出し物、いわゆる「能取り物」である。明治時代の
作品。戦後は、歌右衛門が、三島由紀夫原作を良く演じて来た。
02年11月に熊本県の八千代座で、玉三郎が、原曲の能に近い
新演出を工夫して、上演するようになった長唄舞踊であり、今回
は、さらに、歌舞伎座の空間に合わせての新演出を加えて、上演
された。

宗盛館。背景の書割りでは、下手の御簾が下がっている。中央の
御簾は、巻き上げられている。上手の蔀は、上がっている。池の
ある庭には、松が生えている。下手から、朝顔(七之助)が、登
場する。母の便りを熊野(玉三郎)へ持参した、故里遠江からの
使者である。歌右衛門の演目では、朝顔は、出演していたが、玉
三郎演出の「熊野」では、従来、朝顔は、カットされていたが、
今回は、朝顔を復活させると共に、従者を付け加えた。

登場人物は、4人しかいない。人間関係の構図は、平宗盛と宗盛
の寵愛を受ける熊野を軸とする。それに、付け加わるのは、熊野
に故里の母の病状を知らせる手紙を持参した朝顔と宗盛の従者。
朝顔に続いて、花道から熊野が、登場する。手紙を読んだ熊野
は、母の病状を知り、故里に帰りたいという気持ちが沸き上がっ
て来る。だが、熊野との花見の宴を期待している主人の宗盛は、
熊野を帰してくれそうも無い。当時の権力者は、愛人の都合な
ど、歯牙にも掛けないのが、普通だったようだから、宗盛が、特
別、冷酷だったわけでは無い。やがて下手から、従者(錦之助)
に導かれて、宗盛(仁左衛門)が、登場する。仁左衛門は、凛々
しい貴公子ぶりである。案の定、熊野が、届いた手紙を見せて、
母の病状を訴え、帰郷をせがんでも、「今年の花は、今年ばか
り・・・」と、嘯いて、帰郷を許さない。いわゆる「文の段」。
母親の病状を心配する熊野にしてみれば、深刻な話合いの場面だ
ろうに、玉三郎の熊野も、落着いて、ゆるりと請願している。都
人の大らかさとともに、熊野の宗盛への愛情の深さも、浮き彫り
になる。

宗盛館から清水寺へ、道行。仁左衛門は、玉三郎の後ろに立ち、
ふたりそろって、ひとまわり。絵になる美男美女の貫禄である。
やがて、ふたりで、花道へ。背景の書割りが、替る。

元の書割りの中央は、上に上がり、左右は、上手、下手に引っ込
み。新しい書割りは、上手、下手とも、桜満開。下手には、門が
描かれている。中央は、寺の境内の遠景。花の宴の舞台、清水寺
である。書割りの下手奥にも、舞台の遠景が見える。舞台が調
い、ふたりは、花道から本舞台へ戻る。本舞台から、舞台奥へ向
けて、踊りの舞台の、赤い欄干が迫り出しているように見える。

「南を遥かに眺むれば」で、熊野の舞となる。熊野の持つ扇子に
は、金地の花車、(もう一面は、よく確認できなかったが)金地
に火焔御幕(のように見えた)が、描かれていて、絢爛を競う花
の宴の華やかさが、伺われる。それでいて、花の宴の華やかさの
なかに、玉三郎の熊野は、病状の重い母への懸念を秘めながら、
舞うのである。熊野は、母への慕情と主への忠誠の葛藤を観客に
伝えなければならない。二律背反の苦しみ。心が浮いたり、沈ん
だりすると、玉三郎は、言う。

「いかにせん都の春も惜しけれど 馴れし東の花や散るらん」

熊野は、桜吹雪の舞う舞台で、短冊に、こう認め、宗盛に見せる
と、(東の花=母親が、死にそうなんですよ)と、やっと判っ
た、宗盛も、心を動かされ、熊野の帰郷を許す。人としての情を
取り戻す宗盛。花道に入る熊野の玉三郎。舞台中央で、右手に
持った扇子をあげる宗盛の仁左衛門。熊野にしてみれば、遠い故
里への旅立ちは、母を案じて、重いだろうし、春の都への別れ
は、今年の花へ別れであり、宗盛への別れでもある。季節と人事
は、裏表(これは、いまの世にも、通じる)。


劇評、初登場の「刺青奇偶」は、人情噺


長谷川伸原作の「刺青奇偶」は、「いれずみちょうはん」と読
む。「奇偶」は、さいころ博打の奇数(半)・偶数(丁)の意味
である。1932(昭和7)年6月、歌舞伎座で、初演されてい
る。半太郎を六代目菊五郎が演じた。お仲は、五代目福助。裁き
役の侠客・政五郎は、十五代目羽左衛門。今回は、半太郎:勘三
郎、お仲:玉三郎、政五郎:仁左衛門である。「刺青奇偶」は、
前回、99年2月の歌舞伎座で観ている。上記の3人の配役は、
勘三郎が、まだ、勘九郎を名乗っていたというだけで、今回と同
じであった。2回目の拝見だが、9年前に始まったこのサイトの
劇評には、2月の演目は、まだ、掲載されていないので、劇評と
しては、今回が、初登場である。

ところで、「刺青奇偶」には、どうしても、思い入れがある。と
いうのは、私が、4半世紀住んでいる地域の、江戸時代が舞台と
なっているからである。市川市の行徳地区。当代の團十郎の母
親、つまり、十一代目團十郎の連れ合いの出身地の行徳である。

序幕は、第一場「下総行徳の船場の場」、第二場「同 水際の
場」、第三場「破ら家の場」で、「破ら家」とは、半太郎の家の
ことだから、すべて、行徳の体である。第一場は、酌婦の場から
逃げて来た女・お仲(玉三郎)、江戸深川の生れだが、博打によ
る喧嘩沙汰で、江戸を追われ、堅気から博打うちになってしまっ
た手取り(深川佐賀町「手取橋」際の生まれなので)の半太郎
(勘三郎)との出会いは、江戸の日本橋と行徳を結ぶ船便(大川
=隅田川、小名木川、中川、江戸川を経由する)の船着き場の近
くである。常夜燈のある船着き場(常夜燈は、現在の行徳にも、
江戸川沿いに遺されている)は、江戸情緒を伝える。同居人の熊
介(亀蔵)と小競り合いになり、半太郎が、身を交わした隙に、
川に落ちる熊介。熊介など、半太郎は、助けない。その直後に、
似たような水音がしたのを聞き付けた半太郎が、そちらを見る
と、(女が溺れている)。

第二場は、その女、つまり、お仲を江戸川の水際で助け上げた場
面となる。酌婦の身からは、逃れたものの、先行き不安で、自棄
になり、身投げをしたお仲。財布ぐるみ手渡す半太郎。男は、
皆、女の体が目当てという「処世術」が身についているお仲。
「(莫迦にするねえ!)娑婆の男を見直せ」と男気を見せる半太
郎。お仲は、そんな半太郎に惚れてしまう。

贅言:船場の場面では、半太郎が、己が追放された(所払いにで
も、なっているのだろうか。実は、その後の展開で、半太郎は、
武州狭山で、3人に怪我をさせて逃げていることが判る。江戸に
帰れば、追っ手に捕まるのである)江戸を懐かしむ場面で、半太
郎は、船場の杭に頬杖を突いて、舞台上手の空(江戸の空)を睨
む。前回上演時に、当初、杭の高さが足りず、勘九郎が頬杖が突
けず、六代目菊五郎の舞台写真で確かめて、杭の高さを高くした
という。前回も、そう思ったのだが、半太郎は、杭に頬杖を突い
て、舞台上手の空を睨む場面の不思議。半太郎の立つ足元が、行
徳なら、下手が、西で、上手は、東。つまり、江戸方面は、下手
で、下総の船橋方面が、上手なのだ。知らない人には、芝居を観
ていれば、上手が、江戸と思うだろうが、地元の人間は、江戸と
は、反対側の空を睨んで、懐かしがる半太郎に、どうしても、腑
に落ちない気持ちを抱く。ここは、大道具の「杭」だけの問題
で、半太郎が、杭に頬杖を突いて、舞台下手を向いて、つまり、
正しい江戸の空を睨んでも、なんら、支障は無いと思うのだけれ
ど、江戸は、やはり、「上手」でなければいけないのだろうか。
主役が、舞台下手を向いては、杭(悔い)が残るのだろうか。

二幕目は、第一場「品川の家の場」で、江戸に入れない半太郎と
お仲は、あれから、2年後、江戸を挟んで下総と反対側の南品川
(御朱引=府内の外)に隠れ住んでいる。恋女房となったお仲
は、重篤な病気に侵されているらしい。先の長く無いお仲は、請
願をして、半太郎の右腕に、博打封じのさいころの刺青を彫る。
これを見る度に、死んだ女房が博打はいけないと言っていたこと
を思い出して欲しいと言う。半太郎は、博打を止めるから、病気
を治して欲しいと咽び泣く。つまり、外題の「刺青奇偶」とは、
愛妻からの、戒めのメッセージなのだ。

第二場「六地蔵の桜の場」では、賭場を荒らしたとして、ヤクザ
に打ち据えられた半太郎が倒れている。死に行く恋女房に良い思
いをさせて、あの世に送りたいと、半太郎は、単細胞の思いで賭
場に行き、案の定、へまをしてしまう。だが、賭場の主・侠客
の、鮫の政五郎(仁左衛門)は、賭場荒らしの半太郎をとがめず
に、何故、そういうことをしでかしたかを聞くのである。

「日本一好きなのが、女房で、二番目に好きなのが、博打だ」と
言う半太郎。恋女房への愛情と博打への欲望の葛藤が、半太郎に
は、ある。すべては、瀕死のお仲のためと知った裁き役の政五郎
は、半太郎を許す。最後の博打を誘って、勝金として、半太郎に
自分の有り金のすべてを渡す政五郎。江戸の下層社会の人情噺。
いかにも、勘三郎好みの芝居である博打好きな男だが、それを除
けば、真情溢れる女房思いの男でもある半太郎。故郷の江戸深川
に帰りたくても帰れない。山田洋次監督が描いた「フーテンの
寅」のような男だ。下等の女郎に身を落としたこともあるが、純
情無垢な恋女房の情愛をたっぷり演じる玉三郎。鯔背な、裁き役
の政五郎親分を演じる仁左衛門。先代の勘三郎から当代の勘三郎
へ、親子二代の当り役の人情噺は、これにて、幕。
- 2008年4月27日(日) 19:27:03
2008年3月・歌舞伎座 (夜/「鈴ヶ森」、「娘道成寺」、
「お祭り佐七」)


人間国宝二人が演じる滋味豊かな歌舞伎


「御存(ごぞんじ) 鈴ヶ森」は、6回目の拝見。私が初めて観
たのは、14年前、94年4月の歌舞伎座。初代白鸚十三回忌追
善の舞台であった。40歳代の後半から歌舞伎を見始めたが、そ
の最初の芝居の一つが、「御存 鈴ヶ森」で、幸四郎の幡随院長
兵衛と勘九郎の白井権八だった。今回は、その権八を芝翫が演
じ、長兵衛は、富十郎が演じる。二人とも、人間国宝。従って、
富十郎と芝翫の「鈴ヶ森」は、歌舞伎の生きた手本のようで、科
白廻しが、まず、立派。味わいがある、滋味豊かな芝居であっ
た。

この芝居、権八と長兵衛以外は、殆ど薄汚れた衣装と化粧の「雲
助」ばかりの群像劇で、いわば、下層社会に通じている南北なら
ではの、下世話に通じた男たちしか出て来ない芝居なのだ。逃亡
者を見つけ、お上に知らせて、銭にしようという輩と逃亡者の抗
争。立回りでは、小道具を巧みに使って、雲助たちが、顔や尻を
削がれたり、手足を断ち切られたり、という、いまなら、どうな
んだろうと言われかねない描写を、これでもか、これでもかと、
丹念に見せる。さらに、主軸となる二人のうち、白井権八は、美
少年で、剣豪、さらに、殺人犯で、逃亡者。幡随院長兵衛は、男
伊達とも呼ばれた町奴を率いた侠客で、まあ、暴力団の親分とい
う側面もある人物。逃亡者と親分とが、江戸の御朱引き(御府
内)の外にある刑場の前で、未明に出逢い、互いに、意気に感じ
て、親分が、逃亡者の面倒を見ましょうということになり、「ゆ
るりと江戸で逢いやしょう」というだけの噺(以下の、贅言は、
前に書いたもの。初めての人には、おもしろいので、再録した。
知っている人は、飛ばしてください)

贅言1):「鈴ヶ森」は、もともと初代桜田治助の「契情吾妻鑑
(けいせいあずまかがみ)」が、原型で、権八、長兵衛の出逢い
が、この段階から取り入れられていたが、このときの場面は「箱
根の山中」だったと言う。なぜ、「御存 鈴ヶ森」で波の音にあ
わせて「箱八」(あの「箱根八里は・・・」の唄)という「山の
唄」が、歌われるのかと思っていたが、もともとは「山」の場面
で、それも、箱根だったから当然だったのだ。だから、外題も、
「御存 (箱根でお馴染みの)」という意味なのだろう。

贅言2):また、波の音は、観客席が江戸湾の大森海岸だからな
のだが、幕開きから、舞台をよく観ると、中央より上手の舞台前
方に「浪板」があることに気がつかれるだろう。幕切れの最後の
科白で権八と長兵衛が、「ゆるりと江戸で逢いやしょう」という
場面で、柝が入り、舞台の背景が、夜の闇を表現していた黒幕か
ら夜明けの品川の野遠見に変わるが、これで、観客席が、海、舞
台が陸と知らされる訳だ。つまり、観客の一人ひとりの頭は、い
わば、江戸湾の「波頭」という見立てなのだ。また、浪板の後ろ
では、後に権八の手配書のような手紙を燃やすために、床に防火
の工夫がしてあるのを観客の目から隠す役割もしている。

贅言3):こうした観客席や一人ひとりの観客の頭をも、舞台装
置の一部に「見立てる」演出では、「妹背山婦女庭訓」の「吉野
川の場」(浄瑠璃なら「山の段」)で、川面の小波や煌きに見立
てる。「野崎村」では、両花道を使って、「お染」(本花道を)舟
で、「久松」は(仮花道の)土手を駕籠で、それぞれ大坂に戻る
場面があるが、そこでは、川と土手の間の河原の、いわば、石こ
ろに見立てる。これらは、いずれも、花道など芝居小屋構造の特
性を活かした歌舞伎独特の卓抜な演出だと思う。

いま演じられる「御存 鈴ヶ森」は、四世鶴屋南北作の時代世話
物「浮世柄比翼稲妻」のうちの「鈴ヶ森」で、白井権八が、難く
せをつけに来た雲助たちを追い払い、幡随院長兵衛との出逢いと
いう一幕。「出逢い」の芝居は、人気がある。ヒーロー同士の出
逢いという夢は、江戸時代も現代も変わらないということだろ
う。筋は単純明解、権八と長兵衛の存在感を、どう表現するか、
江戸の庶民の「出逢い」の夢に、どう応えるか、というのが、こ
の芝居のミソだろう。それだけに、今回、芝翫と富十郎という、
人間国宝が、藝の力で、充実の舞台を見せる。何より、二人の科
白廻しが、良かった。長兵衛「お若けえの、待たっせや
しーー」。権八「待てと、お止めなさりしは」。特に、間の取り
方は、若い役者も、手本にしなければならない。こういう辺りの
魅力は、ほかの演劇では、味わえない、歌舞伎独特の滋味だろ
う。

私が観た権八:今回含めて2回目の芝翫のほか、勘九郎、菊之
助、染五郎、七之助。長兵衛:幸四郎(2)、團十郎、羽左衛
門、橋之助、そして今回の富十郎。今回の顔ぶれに匹敵したの
は、9年前、99年5月の歌舞伎座。権八が芝翫で、長兵衛がい
まは亡き羽左衛門。ということは、鈴ヶ森を大物の舞台で見れる
のは、10年に1回程度ということか。そういう意味で、貴重な
舞台を拝見した。


はんなり、娘幻想、若々しい喜寿の「娘道成寺」


「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」は、藤
十郎の喜寿記念と銘打たれている。ことしの暮れに77歳になる
名女形が、体力も必要な大曲「娘道成寺」を疲れも見せずに、む
しろ、可愛いらしい上に、若々しい柔軟な肉体を見せつけるから
素晴しい。その若い藤十郎に2回に及ぶ大病を克服した團十郎
が、「押し戻し」という、最近は、滅多に上演されない場面で、
大館左馬五郎照剛役で助演するということで、見応えのある舞台
になった。「娘道成寺」は、9回目の拝見だが、藤十郎は、初
見。藤十郎自体も、歌舞伎座では、初演。また、「押し戻し」
は、05年4月の歌舞伎座で、観ただけなので、今回は、2回目
(前回も、團十郎が演じた)。

舞台は、大きな鐘と紅白の横縞の幕という、いつもの「京鹿子娘
道成寺」の佇まい。「聞いたか坊主」の所化が本舞台に出揃う
と、黒衣が二人で、木戸を持って出て来る。やがて、紅白の幕が
上がると、桜満開の道成寺。竹本連中が山台に乗って、上手から
出て来る。道行、白拍子・花子の花道の出、花道だけの踊り。藤
十郎は、山城屋の家の色、山城藤の鹿子絞りで、はんなり(華あ
り)と登場。

贅言:白拍子・花子(藤十郎)が登場すると、所化たちは、「問
答」となる。女人禁制とあって、「白拍子か、きむすめか」と問
いかけるのが、おもしろい。同じ女人でも、性の経験者(あるい
は、性を売り物にしている)か、性体験のない処女か、というこ
とで、「禁制」の扱いが、異なるのだろうか。

私が観た花子役は、勘九郎時代含め勘三郎(3)、玉三郎、芝
翫、菊五郎、福助(芝翫の代役)、雀右衛門、そして、今回の藤
十郎。所作事「娘道成寺」は、女形にとって、立役の所作事「勧
進帳」に匹敵する演目だと思う。

大曲の踊りは、いわば組曲で、「道行、所化たちとの問答、乱拍
子・急ノ舞のある中啓の舞、手踊、振出し笠・所化の花傘の踊、
クドキ、羯鼓(山尽し)、手踊、鈴太鼓、鐘入り、所化たちの祈
り、鱗四天、後ジテの出、押し戻し」などの踊りが、次々に連鎖
して繰り出される。ポンポンという小鼓。テンテンと高い音の大
鼓(おおかわ)のテンポも、良く合う。藤十郎の踊りの動きは、
メリハリがあり、安定している上に、正確で、見事だ。振り、所
作の間に、若い娘らしい愛らしさが滲み出る。77歳が近いなん
て、嘘のよう。「20歳代の若々しい気持ちで、一挙手一投足、
手を抜かずに勤めます」と宣言した通りの、誠実の舞台。裃後見
(鴈乃助、鴈成)も、山城藤の、濃い紫色の裃に袴を着けて、手
際良く、サポートをしている。

衣装の色や模様も、所作に合わせて、緋縮緬に枝垂れ桜、浅葱と
朱鷺色の縮緬に枝垂れ桜、藤、白地に幔幕と火焔太鼓(火焔御
幕)、今回は、押し戻し付きなので、花子の姿は、大鐘のなかに
飛び込んだ後、鐘が上がると、打掛けを被って、暫く、蹲ってい
る。後ジテの花子は、蛇体の本性を顕わして、朱色(緋精巧・ひ
ぜいこう)の長袴に金地に朱色の鱗の摺箔(能の「道成寺」同
様、後ジテへの変身)へと替って行く。花子、鐘入りで、天上か
ら吊されていた大鐘が降りて来ると、黒衣によって、赤い消し幕
が、2枚持ち出され、鐘の後ろを隠してしまう。鐘の後ろと鐘の
中で、花子の変身が装おわれる。

押し戻しがあるので、花子は、いつもの、鐘の上での「凝着」の
表情の代わりに、赤熊(しゃぐま)の鬘(かつら)に、2本の角
を出し、隈取りをした鬼女(般若・清姫の亡霊)となって、紅白
の撞木(しゅもく=鐘などを打鳴らす棒)を持って、本舞台いっ
ぱいに、12人の鱗四天相手に大立ち回りを演じる。赤熊(しゃ
ぐま)は、「怒髪天を衝く」から、怒り心頭に発した清姫の亡霊
の心理が、こういう様式美で表現されているのだろう。さらに、
花道にいる押し戻しの左馬五郎に襲い掛かる。

押し戻しとは、怨霊・妖怪を花道から本舞台に押し戻すから、ず
ばり、「押し戻し」と言う。「歌舞伎の花の押し戻し」と、團十
郎の科白にも、力が籠る。左馬五郎の出立ちは、竹笠、肩簑を付
けている。花道七三で竹笠、肩簑などは、後見が取り外す。「義
経千本桜」の「鳥居前」に登場する弁慶と同じで、筋隈の隈取
り、赤地に多数の玉の付いた派手な着付け、金地の肩衣、それに
加えて白地に紫の童子格子のどてらに黒いとんぼ帯(「義経千本
桜」の方が、6年先行した作品だから、こちらが真似たのだろ
う)、高足駄に笹付きの太い青竹を持っている。腰には、緑の房
に三升の四角い鍔が付いた大太刀を差している。下駄を脱いだ足
まで、隈取り(隈は、血管の躍動を表現する)している。「きり
きり消えて無くなれーー」と大音声で、鬼女に迫る。團十郎は、
風格のある、良い押し戻しだ。

最後は、舞台中央に引き出された朱色の二段(女形用。立役な
ら、三段)に乗り、両手をあげて大見得をする鬼女姿の藤十郎。
その下手に控えた左馬五郎の團十郎は、左手で腰に差した大太刀
を抑え、掌を握り込んだ右手をあげる。皆々、引っ張りの見得
で、幕。


「江戸育ちお祭り佐七」は、2回目の拝見、とは、言っても、前
回の上演は、10年前、98年5月の歌舞伎座なので、99年に
開設されたこのサイトには、劇評は、掲載されていない。今回
が、劇評初登場となる。柳橋の芸者・小糸と鳶職の若者・佐七の
物語。明治31(1898)年、五代目菊五郎の佐七、尾上栄三
郎(後の、六代目梅幸)の小糸で初演、黙阿弥の弟子、三代目河
竹新七作の新作歌舞伎。

小糸佐七ものは、いろいろあるが、四代目南北「心謎解色糸(こ
ころのなぞとけたいろいと)」は、三代目菊五郎の佐七(「お祭
佐七」の名前は、この時が、最初)で、大当たりした。そして、
本作は、三代目の孫に当る五代目が、当時の当世風に書き換えさ
せたもの。但し、無理矢理座敷に出されて、襦袢姿で、小糸が、
外まで逃げて来て、通りかかった佐七に助けられる場面や、小糸
を殺した佐七が、辻行灯の下で、小糸の書置を読む場面などは、
南北の趣向を受け継いでいる。

陰惨な結末を知らぬ気に、序幕第一場の「鎌倉河岸神酒所」の場
面は、幕末の江戸の風吹き止まぬ、明治初期の神田祭の風俗を写
していると言われ、見応えがある。舞台下手に白壁の蔵。御祭礼
の門が建っている。門の向うは、火除け地風の広場が広がってい
るように見える。町家、社など江戸の庶民の街の佇まいの書割
り。

神酒所に小糸(時蔵)が、加賀藩の家臣・倉田伴平(團蔵)の供
として、やって来る。小糸が、祭の踊り屋台の踊りを見たいとせ
がんだからだ(小糸の本心は、神酒所に戻って来る恋仲の佐七に
逢いたいのだ)。倉田は、内心では、小糸を身請けしたいと望ん
でいる。小糸は、厭がっている。やがて、祭の世話人(田之助)
を先頭に佐七(菊五郎)を含む鳶職たちが、獅子頭といっしょに
戻って来る。踊り屋台(演奏陣)も、続いて来る。出し物は、忠
臣蔵所縁の「道行旅路の花聟」で、勘平(菊三呂)、お軽(芝の
ぶ)、伴内(徳松)の踊り手たちが、伴奏に合わせて、一芝居す
る。役者たちは、全員、女形という想定らしい。いわば、劇中
劇。私の好きな芝のぶの芝居である。一方、小糸と佐七は、座敷
の隅で、じゃれあっている(煙草盆を使って、満座のなかで、目
と目で濡れ場をえんじるのだが、菊五郎と時蔵の調子が、いま一
つの印象であった)。それに気が付いた倉田は、小糸を無理に連
れて座敷に戻る(倉田の「伴平」は、道行のお軽・勘平の邪魔を
する伴内に因んだ名前と推測する)。これに加えて、踊り屋台か
つぎ、踊りの附け打、踊りの師匠と弟子たち、鳶職たち、祭の世
話人たち、町内の娘たち、祭の番付売り、ほうづき売り、手遊び
屋、祭見物の男女たち、女髪梳き、遊び人、矢場女など、大勢の
庶民が、本舞台いっぱいに風俗劇を演じるので、この場面は、珍
しい上に、おもしろい。

贅言:「鎌倉河岸」と言えば、いま、人気の時代小説家・佐伯泰
英の「鎌倉河岸捕物控」シリーズのの舞台になるところだ。江戸
城の外堀を西から東に移動すると北町奉行所の前を通り過ぎ、呉
服橋を潜り、外堀と交差する道三堀(江戸城内に通じる、唯一の
運河)とその下流の日本橋川を横切り、金座の脇(裏)を通り抜
け、常盤橋を潜り、龍閑川への分岐点を通り過ぎ、北へ廻ると、
外堀の東側に鎌倉河岸という船着き場がある。「鎌倉河岸捕物
控」は、この金座裏に住む十手持ちの親分の「捕物控」のスタイ
ルをとっているが、この辺りに住む「江戸育ちの、お祭り佐七の
弟、妹に当たる、少年少女の青春譜」とも言うべき物語だ。まあ
あ、さはさりながら、鎌倉河岸という、人も物資も、出入りす
る、江戸城にいちばん近い船着き場(大川=隅田川、日本橋川、
外堀と繋がる)、いわば、ターミナルという都市機能を持つ場所
が、もう一つの物語の主人公になっているように、鎌倉河岸は、
「江戸育ちお祭り佐七」という芝居の序幕では、主役を張ってい
るように思われる。

序幕第二場では、鎌倉河岸にある料亭「菊茂登」の裏側、塀の外
に倉田の座敷から襦袢姿で逃げて来た小糸が、佐七に助けを求め
る場面。小糸の母親は、倉田に小糸を金で売ろうとしているから
家にも帰れないということで、佐七は、小糸を自宅へ連れて行く
ことにする。

時代物の大詰に当たる、世話物の大喜利(大切り)。第一場、連
雀町佐七裏住居の場。夫婦気取りで、過ごす小糸佐七。しかし、
そうは、問屋が下ろさない。鳶頭(仁左衛門)を巧く巻き込ん
で、小糸を取り戻しに来た母親(家橘)らに諭され、小糸を柳橋
に連れ戻されてしまう。柳橋に戻った小糸は、ある話を聞かされ
る。佐七の父親を突き飛ばして死なせてしまった加賀藩の家臣
が、倉田の伯父で、小糸の父親だというのである。その証拠が、
この臍の緒だと、母親は、小糸を諭す。小糸は、佐七の仇の子ど
もと知り、絶望してしまう。佐七と添い遂げられない運命を悟っ
た小糸は、佐七宛に書置を書く。やがて、やって来た佐七に事情
を説明する小糸だが、佐七は、自分との別れ話のためにでっち上
げたのだろうと本気にしない。怒って、立去る佐七。母親らが
でっち上げた嘘の話という佐七の勘は、当たっているのだが、小
糸は、真実、佐七の父親の仇の娘と思い込んで、家出をしてしま
う。

第三場、柳原土手。小糸への意趣返しに、小糸殺しを企む佐七。
恋が、狂うと悲劇を産むのは、もつれた男女の仲の、定番。小糸
の乗った駕篭が、佐七に襲われ、小糸は絶命してしまう。虫の息
の小糸から手渡された書置を辻行灯の下で読む佐七。嘘の話を嘘
では無いと信じ切った小糸の真意を知るが、後の祭。そこへ現れ
た倉田も殺して、後の祭の、二乗の体の、お祭佐七。江戸っ子
の、自惚れが、本来なら恋しいはずの女を殺してしまうという皮
肉の悲劇。

世話物・新歌舞伎の演目であるが、作品としても、深みが無く、
余り出来の良いモノでは無いように思う。前半は、満座の中で
の、濡れ場やお祭りの風俗などの趣向もあり、おもしろいが、男
女の痴話喧嘩めいた話となる後半は、底が浅い。江戸っ子の魅
力、江戸弁のやりとりも、その辺りの趣向が理解できる時代な
ら、おもしろいのだろうが、初演時の明治は、もはや、遠くなり
にけりで、その辺も、いまでは、弱い。菊五郎の佐七、時蔵の小
糸は、ともに、初役。10年前の前回は、團十郎の佐七と雀右衛
門の小糸であったが、余り、印象に残っていない。それでも、小
糸の風情が、雀右衛門の方が、時蔵より、情緒たっぷりだったよ
うな気がする。二人の持ち味の違いが、こういう演目では、差が
大きくなる。とりあえず、サイトの劇評初登場の演目は、今回
も、余り、印象深くなかったのは、残念。
- 2008年3月23日(日) 21:07:08
2008年3月・歌舞伎座 (昼/「春の寿」(三番叟、萬歳、
屋敷娘)、「陣門・組打」、「女伊達」、「吉田屋」)


「春の寿」(三番叟、萬歳、屋敷娘)は、舞踊三題の競演、つま
り、3つの所作事を繋げて見せる趣向。今回は、「寿式三番叟」
ということで、「三番叟もの」でも、いちばん、オーソドックス
なもの。歌舞伎座の筋書の上演記録を見ると、前回は、01年1
月の歌舞伎座とあるが、私のサイト内で検索を掛けてみると出て
来ない。観ていないようだ。その代わり、三番叟もののバリエー
ションは、多数出て来る。

基本は能の「翁」。だから、「かまけわざ」(人間の「まぐあ
い」を見て、田の神が、その気になり(=かまけてしまい)、五
穀豊穣、ひいては、廓や芝居の盛況への祈りをもたらす)という
呪術である。それには、必ず、「エロス」への祈り(色気)が秘
められている。「三番叟」は、江戸時代の芝居小屋では、早朝の
幕開きに、舞台を浄める意味で、毎日演じられた。色気で舞台を
浄めるところが、なんとも、歌舞伎的だ。だから、出し物と言う
より、儀式に近い。儀式曲ともいう。

今回は、太夫元が演じる翁に我當、若太夫が演じる千歳(せんざ
い)は、息子の進之介、座頭が演じる三番叟は、歌昇、翫雀の二
人。舞台背景は、上下の袖を含めて、5本の松。下手に、四拍
子。中央奥に長唄連中。長唄連中の前の大きなせりが、奈落に墜
ちていて、ぽっかりと口を開けている。やがて、4人が、せり上
がって来る。まず、面をつけず素顔の翁と千歳は、荘重に舞う。
我當の翁は、風格がある。二人が、舞い納めて、下手、能の橋懸
かりを模した大道具の向うをゆるりと引き込む。次いで、三番叟
の二人は、「揉みの段」の、揉み出し、烏飛び、「鈴の段」の、
鈴を鳴らしての、賑やかな踊りが披露される。基本的には五穀豊
穣を祈るということで、農事を写し取っている。舞い終えた三番
叟の二人は、せり下がって行く。

大道具が、素早く、入れ代わる。大きなせりは、無人で上がって
来る。背景の松の書割りは、梅の書割りに替る。紅白梅の木。上
手と下手の袖にも、1本ずつの梅。「萬歳」。この演目は、2回
目の拝見。

上手からは、竹本連中が、山台に乗って出て来る。やがて、萬歳
に扮した梅玉が、下手から登場。人形浄瑠璃の景事(けいごと)
で、四季のうちの春を祝う。商売繁昌、京の街の賑わいを写す風
俗舞踊。関西で流行った大和萬歳を写すという。舞い納めた梅玉
は、花道すっぽんから退場。

「屋敷娘」は、大名家に奉公に出ている町娘二人が、宿下がりで
帰って来る。竹本連中の山台は、上手に引っ込む。梅は、二つに
割れて、上手、下手に引っ込む。満開の桜の遠見の書割りに替
る。白壁の蔵なども、見える。中央奥に、長唄連中が、再登場。
花道から、お梅(扇雀)、お春(孝太郎)が、登場。矢羽根絣の
衣装。「過ぎし弥生の桜どき」で、恋の話のクドキ、手鞠唄、鈴
太鼓を手にした踊りと続き、途中で、引き抜きで、衣装を替え
る。華やかな女形の舞踊が、色と艶を満喫させる。傘と扇子(裏
表が、銀と金)を持ち、静止すると、引幕が、上手から、迫って
来る。松→梅→桜の連繋だった。


男の真情溢るる團十郎、健気(けなげ)な藤十郎


「一谷嫩軍記〜陣門・組打〜」は、5回目の拝見。今回は、直実
に團十郎と息子の小次郎と敦盛に藤十郎という配役。直実は、幸
四郎で、3回。ほかに、吉右衛門。今回の團十郎は、初見。小次
郎と敦盛は、染五郎(2)、梅玉、福助、今回の藤十郎は、初
見。藤十郎は、ことしの12月で77歳。喜寿である。藤十郎
は、喜寿記念に夜の部では、「娘道成寺」を踊る。昼の部の、小
次郎と敦盛も、健気で、初々しい。私が観た役者では、30代、
40代、60代をも凌駕して、70代が、いちばん初々しい。そ
れと対比するように、團十郎の直実は、リアルな戦場の軍人を余
すところ無く表現していて、大人の男の魅力を抑制しながら、横
溢させるという、見事な演技だった。昼の部の、最高のお薦め。

「陣門」は、矢来と陣門(舞台中央から上手寄り)、そして、黒
幕というシンプルな大道具。本来、この場面、観客にとっては、
小次郎、敦盛が、別人となっている。「熊谷陣屋」の場面になっ
て、初めて、敦盛には、小次郎が化けていて、敦盛を助ける代り
に父の手で小次郎が殺されたという真相が明らかにされるので、
観客は、同じ役者のふた役と思っている。藤十郎も、観客と同じ
気持ちで演じているようで、小次郎は、小次郎、敦盛は、敦盛
で、底を割らせない。

前回、06年2月の歌舞伎座の演出は違っていて、おもしろかっ
た。小次郎に扮して、戦場を離脱する、本物の敦盛を芝のぶが演
じ、花道七三で敦盛(芝のぶ)が、顔を見せるので、その後、敦
盛に化けたのが、小次郎(福助)だと観客に判らせる演出をとっ
ている。こういう演出は、私は、初めて観た。しかし、ここは、
原作者・並木宗輔らの策略を壊してしまう演出ではなかっただろ
うかと、いまも、思う。兜で顔を隠したままの小次郎(実は、吹
き替え)が、陣門から救い出されるのは、いわば、「見せない」
トリックであり、そこにこそ、「陣門・組打」の隠し味があるの
ではないだろうか。やはり、今回の藤十郎の方が、正解だろう。
やがて、小次郎が扮したはずの敦盛(藤十郎)が、鎧兜に身を固
め、白馬に乗り、朱色も鮮やかな母衣(幌・ほろ)を背負い、陣
門から出て来る。斬り結ぶが、相手にされない平山武者所(市
蔵)。敦盛を追う平山。

須磨の浦。浪幕の舞台。花道から玉織姫(魁春)登場。薙刀を持
ち、敦盛を探している。敦盛を追い掛けていた平山が、下手から
出て来る。横恋慕をしている玉織姫に「敦盛を討った」と嘘を付
く。猫なで声で、姫に迫る平山。「女房になるか」「さあ、それ
は・・・」「憎い女め、思い知れ」と姫に斬りつける。上手の岩
の張りものに続く、枯草の中に倒れ込む玉織姫。背景は、浪幕の
振り落としで、波幕から、海の遠見に替る。沖を行く御座船。

玉織姫は、松江時代を含め、今回で2回目の魁春、病気休演中の
澤村藤十郎、勘太郎、芝雀。憎まれ役の平山武者所は、錦吾
(2)、亡くなった坂東吉弥、芦燕、今回の市蔵。戦場にあって
風雅の心を忘れない小次郎を引き立てるために、源氏方、坂東武
者の「がさつさ」を表現する役回りも、平山武者所登場の隠し
味。

先にも触れたが、藤十郎の小次郎・敦盛は、絶品。私が見た小次
郎役者のうち、最高齢なのに、初陣の小次郎の健気さ、初々し
さ、若武者としての敦盛の気品など、総じて若さが、こぼれるよ
うに表現できているのは、不思議なくらいだ。

直実は、幸四郎も悪くは無いが、團十郎は、素晴しい。大病を2
回も克服してきたという経験が、落ち着きのある、冷静沈着な戦
場の軍人振りを見せてくれる。見えない心を「形」にして見せる
のが、歌舞伎の演技なら、これは、まさに、オーソドックスなま
でに、真っ当で、照らいが無い。

花道から、白馬に跨がった敦盛が登場し、本舞台を通り、上手に
一旦入る。合方は、無声映画時代からバックミュージックとして
知られるようになった「千鳥の合方」(東山三十六峰静かに眠る
丑三つ時・・・」(つまり、チャンバラの伴奏曲)。

直実と小次郎扮する敦盛は、須磨の海に馬で乗り入れる。「浪手
摺」のすぐ向こうの、浅瀬では、浪布をはためかせて、波荒らし
を表現する。布の下に入った人が布を上下に動かして、大波を表
現している。波が、沖の御座舟に向おうとする敦盛、そして、敦
盛を追う直実の行く手を阻もうとする。

鎧の背に付けた母衣(幌・ほろ)は、戦場の軍人たちの美意識を
示す、飾りであり、背中から来る流れ矢を防ぐ道具でもあるが
(なぜ、ほろ=母衣という字を当てるのか。母親の情愛か)、中
に、籠(母衣串)を入れて膨らませ、さらに5幅ほどの長さの布
を垂らしている。「浪手摺」の向こうを進む時、今回は、母衣の
端を黒衣に持たせて、はためかせているように、表現していたの
は、素晴しい。波風、高し。須磨の浦。

一旦、下手に引っ込んだ後、定式通りに子役を使った「遠見」で
見せる花道から、黒馬に乗った直実も、登場。敦盛を追って、同
じ筋を行く。歌舞伎の距離感。子役の「遠見」同士での、沖の立
回りの後、浅葱幕振り被せとなる。

浅葱幕の上手側から、敦盛を乗せていた白馬が、無人で、出て来
る。本舞台を横切り、後ろ髪ならぬ、鬣(たてがみ)の後ろを引
かれるようにしながら、花道から揚幕へと入って行く。敦盛、い
や、小次郎の悲劇を予感させるが、ここは、いつもの演出。

浅葱幕の振り落しがあり、舞台中央に朱の消し幕。熊谷と小次郎
の敦盛が、せり上がって来る。組み打ちの場面。長い立回りと我
が子を殺さざるをえない父親直実の悲哀。親子の別れをたっぷり
演じる團十郎と藤十郎。

息を詰んだ科白で、「早く、首を討て」という、敦盛身替わり
の、我が子・小次郎(藤十郎)に対して、團十郎の直実は、思わ
ず、「倅」と叫んでしまう。その後、絶句に近い間をおいて、團
十郎は、「小次郎直家と申す者、ちょうど君の年格好」という科
白を続ける。この、「倅」と「小次郎直家」という科白の、間
が、大人の男の情愛をたっぷり表現する。名作歌舞伎全集では、
「某(それがし)とても、一人の倅小次郎と申す者、ちょうど君
の年恰好」とあるが、これが原作だとしたら、團十郎の工夫の科
白の方が、断然良い。「倅」という科白を前に出したことで、芝
居が、ダイナミックになった。敦盛を討つ前に、思わず、倅・小
次郎に最期の声をかける父親の真情が、溢れているからである。
倅を持った父親の真情溢るる名科白に仕上がっている。大人の男
の美学が、ここには、ある。

直実が、敦盛に斬り掛かる。藤十郎の身体を肩で押し倒すように
する團十郎。後ろに倒れる藤十郎。後ろに控えていた黒衣の後見
が、傍にあった直実の紫の母衣で、素早く、藤十郎の首を隠すと
共に、敦盛の切り首を團十郎の足元に用意する。ゆっくりと後ろ
を向き、足元の首を取り上げてから、再び、ゆっくりと前を向く
團十郎。敦盛の身替わりに、実子を討った哀しみが、全身から、
溢れている。「隠れ無き、無官の太夫敦盛」と、直実は、己に言
い聞かせるようにして、我が子・小次郎の首を持ち上げる。上手
の枯草の中から、敦盛の許婚で、瀕死の玉織姫(魁春)が、這い
出して来る。直実は、「もう、目が見えぬ」という玉織姫に、
「なに、お目が見えぬとや・・・」と、確認をした上で、「お首
は、ここに」と手渡す。

須磨の浦の沖を行く2艘の御座船と兵船は、下手から上手へゆる
りと移動する。2艘の船は、いわば、時計替り。悠久の時間の流
れと対比される人間たちの卑小な争い、大河のような歴史のなか
で翻弄される人間の小ささをも示す巧みな演出。

自分が身に付けていた紫の母衣の布を切り取って小次郎の首を包
む父親の悲哀。下手から、直実の黒馬が出て来る。続いて出て来
た、黒衣は、馬の後ろ足に重なるように、身を隠す。敦盛に扮し
た我が子・小次郎の鎧を自分の黒馬の背に載せる。兜は、紐を手
綱に結い付ける。馬の向う側で、手伝う黒衣。黒馬の顔に自分の
顔を寄せて、観客席に背を向けて、肩を揺すり、哀しみに耐える
(幸四郎は、ここで、号泣した)、優しい父親。大間で、ゆっく
りとした千鳥の合方が、気遣うように、そっと、被さって来る。

その父親は、また、豪宕な東国武者・熊谷次郎直実であること
が、見えて来なければならないだろう。剛直でありながら、敦盛
の許婚・玉織姫と首のない敦盛という二人の遺体を、それぞれを
朱と紫の母衣にて包み込む(せめて、それぞれの母の衣に包ませ
てやりたい)という気遣いを見せる。いわば、恋人同士の道行を
願うかのように、矢を防ぐ板(台本は、「仕掛けにて流す」とあ
るだけ)に二人を載せて、玉織姫が遺してあった薙刀で、板を海
に押し流すなど、黙々と、そして、てきぱきと、「戦後処理」を
するという、実務にも長けた戦場の軍人・直実の姿が、明確に浮
かんで来る。浜辺には、剥き出しとなった母衣の籠(母衣串)
が、二つ、ぽつんと残っている。まるで、髑髏(しゃれこうべ)
のようだ。

すべてを終えた直実は、(どんちゃんの激しい打ち込みをきっか
けに)、我が子・小次郎の首をかい込み、黒馬とともに、きっと
なり、舞台中央に静止する。「檀特山(だんとくせん)の憂き別
れ」。やがて、上手より、引幕が迫って来る。


「女伊達」は、5回目の拝見。舞台中央の雛壇。前に四拍子、後
ろに、長唄連中。私が観たのは、菊五郎(3)、芝翫(2)。
1958(昭和33)年にこの演目を初演したのが、福助時代の
芝翫。下駄を履いての所作と裸足になっての立ち回りが入り交
じったような江戸前の魅力たっぷりな舞踊劇。元々は、大坂の新
町が、舞台だったのを芝翫が新吉原に移し替えた。「難波名とり
の女子たち」というクドキの文句に名残りが遺る。江戸を象徴す
る女伊達の「木崎のお秀」に喧嘩を売り、対抗するふたりの男伊
達(秀調、権十郎)は、上方を象徴する(ふたりの名前は、「淀
川の千蔵」と「中之嶋鳴平」によすがが、遺る)。腰の背に尺八
を差し込んだ女伊達は、「女助六」であるという。だから、長唄
も、「助六」の原曲だという。「だんべ」言葉は、荒事独特の言
葉である。「花の東や 心も吉原 助六流の男伊達」など、助六
を女形で見せる趣向。「丹前振り」という所作も、荒事の所作。
途中、男伊達の二人が持った二つの傘の陰を利用して、引き抜き
で、衣装を替える菊五郎。紫地から、明るいクリーム色の衣装
に、鮮やかに変身する。女形ならではの、華やかさ。

大きく「おとわや」と書いた傘を持った若い者16人(普通の2
倍というのは、いかにも大立ち回りの好きな菊五郎の趣向)との
立ち回り。傘と床几を巧みに使う。幕切れは、菊五郎が、「二段
(女形用)」の代りに、舞台中央に置かれた朱の毛氈を掛けた床
几に乗る。その両脇に、男伊達の二人。後ろには、傘を開いて、
山形に展開して、華やかさを添える若い者たち。「女伊達ら
に」、文字どおり、「伊達(粋)」を主張した「女伊達」であっ
た。


「はんなり(華あり)」とした上方和事の「吉田屋」。作者不詳
の芝居ゆえ、無名の狂言作者が、憑意した状態で、名作を後世に
遺し、後世の代々の役者が、工夫魂胆の末に、いまのような作品
を遺したのだろう。春の廓の情緒が、滲み出て来るかどうか。
「吉田屋」は、5回目の拝見だが、伊左衛門は、今回含め、仁左
衛門が4回(外題も、「夕霧伊左衛門廓文章 吉田屋」)、鴈治
郎時代の藤十郎が、1回。

松嶋屋型の伊左衛門と成駒屋型の伊左衛門(いまは、「山城屋
型」か)は、衣装、科白(科=演技、白=台詞)、役者の絡み方
(伊左衛門とおきさや太鼓持ちの絡み)など、ふたつの型は、い
ろいろ違う。竹本と常磐津の掛け合いは、上方風ということで仁
左衛門も鴈治郎時代の藤十郎も、同じ。六代目菊五郎以来、東京
風は、清元。

花道の伊左衛門の出は、差し出し(面明り)。黒衣が、二人、背
中に廻した面明りを両手で後ろ手に支えながら、網笠を被り、紙
衣(かみこ)のみすぼらしい衣装を着けた仁左衛門の前後を挟
む。余計に、ゆるりとした出になる。明りが、はんなりとした雰
囲気を盛り上げる。仁左衛門が、本舞台に入り込むと、二人の黒
衣は、下手、袖に引っ込む。吉田屋の前で、店の若い者に邪険に
扱われる伊左衛門。やがて、店先に出て来た吉田屋喜左衛門(左
團次)が、勘当された豪商藤屋の若旦那と知り、以前通りのもて
なしをする。まず、伊左衛門は、喜左衛門の羽織を貸してもら
う。次いで、履いていた草履を喜左衛門が差し出した上等な下駄
に鷹揚に履き替える。身をなよなよさせて、嬉しげに吉田屋の玄
関を潜る。仁左衛門の甲高い声とともに、歌舞伎座の場内には、
一気に、江戸時代の上方の遊廓の世界に引き込まれて行く。

吉田屋の店先にあった注連飾りは、見えない紐に引っ張られて、
舞台上下に消えて行く。店先の書割りも、上に引き上げられた
り、舞台上下に引き入れられたりして、たちまち、華やかな吉田
屋の大きな座敷に変身する。下手、金襖が開くと、伊左衛門が、
入って来る。

この演目は、いわば、豪商の若旦那という放蕩児と遊女の「痴話
口舌(ちわくぜつ)」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の
能天気さが売り物の、明るく、おめでたい和事。仁左衛門の伊左
衛門は、かなり意識して、「コミカルに」演じていた(「三枚目
の心で演じる二枚目の味」)が、鴈治郎時代の藤十郎の伊左衛門
の方は、阿呆な男の能天気さを「客観的に」演じていたような印
象が残る。今回も、仁左衛門は、コミカルな伊左衛門に仕上げて
いて、会場の笑いを誘っていた。コミカルだが、莫迦では無い。
莫迦に見せることが肝心。「夕霧にのろけて、馬鹿になっている
ように見えないでは駄目だ」と、昭和の初めに亡くなった十一代
目仁左衛門の藝談が、遺る。

仁左衛門は、伊左衛門に豪商の若旦那の鷹揚さ、品格を意識し
て、演じたという。本興行で、11回目の出演。仁左衛門の味
も、鴈治郎時代の藤十郎の味も、どちらも、捨て難い。夕霧は、
今回、初役の福助。福助の夕霧は、美しいが、病後の夕霧を意識
してか、抑制的な感じ。これまでに、雀右衛門の夕霧は、2回。
玉三郎も、2回観ている。伊左衛門一筋という夕霧の情の濃さ
は、雀右衛門。色気は、やはり、玉三郎。福助は、二人とも、ま
た、違う。それぞれの、持ち味を楽しめるということだ。

吉田屋の喜左衛門(左團次)とおきさ(秀太郎)夫婦は、松嶋屋
型では、伊左衛門と夫婦ともども絡ませるが、成駒屋型では、お
さきは、伊左衛門と直接、絡んで来ない。太鼓持(愛之助)ち
も、松嶋屋型のみ絡む。左團次の喜左衛門を観るのは、12年ぶ
り。我當、秀太郎の夫婦役は、2回拝見。なかでも、秀太郎のお
きさは、3回拝見。上方味あり、人情ありで、このコンビの喜左
衛門とおきさは、侮れない。落魄した伊左衛門を囲むふたりの雰
囲気には、しみじみとしたものがある。今回の、左團次は、我當
に比べると、科白廻しからして、上方味は、どうしても、落ち
る。秀太郎は、おきさそのものという、存在感。再会の喜びを膝
でにじり寄ることで示す伊左衛門。同じく、膝でにじりながら逃
げるおきさ。息のあった芝居だ。秀太郎のおきさ役は、本興行
で、10回目という。出演する度に、工夫をしているそうだ。今
回は、無地の紋付から、小紋の紋付に替えたそうだ。大坂の遊廓
の女将という風情は、出て来るだけで匂い立つ。

いつも思うのだが、炬燵の使い方が、巧い作品だ。大道具であ
り、持ち運びのできる小道具でありという、巧みな使い方をす
る。炬燵蒲団の太い斜線の模様とともに、印象に残る道具だ。伊
左衛門の夕霧に対する嫉妬、喜びなどが、大波、小波で揺れ動く
様が、炬燵とともに表現される。巧みな演出だ。炬燵は、最後ま
で、主要な居所を占めているので、注意してみていると、おもし
ろい。

阿波の大尽(由次郎)の座敷に夕霧が出ていると聞き、座敷まで
出向く伊左衛門。舞台の座敷上手の銀地の襖をあける伊左衛門。
距離感を出すために、細かな足裁きで、コミカルに奥へ奥へと進
んで行く伊左衛門。次いで、金の襖、また、銀の襖、そして、最
後の障子の間へと行き着く。座敷の様子を伺い、不機嫌になって
戻って来る伊左衛門。帰ろうとしたり、炬燵でふて寝をしたり、
待つことのいら立ちが、芝居の軸になる。「吉田屋」は、ある意
味で、「待つ芝居」だろう。待つことで、一芝居打つ。

「むざんやな夕霧は」で、やがて、夕霧登場。病後らしく、抑制
的な福助の夕霧。ふて寝の伊左衛門は、夕霧を邪険にする。松嶋
屋型なので、太鼓持(愛之助)が登場し、二人の中を取り持つ。
伊左衛門の勘当を心配する余り、病気になったのに、何故、そん
なにつれなくするのかと涙を流す夕霧。伊左衛門も、受け入れ
る。藤屋からは、勘当が解け、夕霧を嫁にすると身請けの千両箱
を持った使いが来る。めでたしめでたし、という、筋だけ追え
ば、たわいの無い噺。「助六」が、江戸の遊廓・吉原の街を描い
たとしたら、「吉田屋」は、上方の遊廓の風情を描いたと言える
だろう。どちらも、作者不詳。芝居小屋の下積みの、狂言作者た
ち。歌舞伎の裏表に精通した複数の作者たちの憑意と工夫魂胆の
集積の果てに、名作が遺されたという意味でも、「助六」と「吉
田屋」は、共通しているように思う。

- 2008年3月18日(火) 20:41:14
2008年2月・歌舞伎座 (夜/「寿曽我対面」、「口上」、
「熊谷陣屋」、「春興鏡獅子」)


3枚の錦絵のような、「対面」


「寿曽我対面」は、5回目の拝見。前回は、06年10月の歌舞
伎座で、8月に還暦を迎えたばかりの團十郎の工藤祐経を観た
が、今回は、78歳の富十郎である。高座に座り込み、一睨みで
曽我兄弟の正体を見抜く眼力を発揮するのが、工藤祐経役者。こ
の演目は、正月、工藤祐経館での新年の祝いの席に祐経を親の敵
と狙う曽我兄弟が闖入する。やり取りの末、富士の裾野の狩場
で、いずれ討たれると約束し、狩場の通行証(切手)をお年玉と
してくれてやるというだけの芝居である。それでいて、歌舞伎座
筋書の上演記録を見ると、巡業などを除いた戦後の本興行だけの
上演回数でも、72回と断然多い。それは、この芝居が、動く錦
絵だからである。色彩豊かな絵になる舞台と、登場人物の華麗な
衣装と渡り台詞、背景代わりの並び大名の化粧声など歌舞伎独特
の舞台構成と演出で、十二分に観客を魅了する特性を持っている
からだと、思う。また、歌舞伎の主要な役柄や一座の役者のさま
ざまな力量を、顔見世のように見せることができる舞台であり、
さらに、中味も、正月の祝祭劇という持ち味のある演目であるこ
とから、11月の顔見世興行や正月に上演しやすいからであろ
う。先の筋書の上演記録を調べたら、暑い8、9月を除いて、ほ
かの月は、何処かで上演していることが判った。その上で、月別
の上演回数を比べると、12月が、16回、1月が、13回、
10月が、12回、5月が、9回、顔見世月の11月は、7回、
2月が、6回、4月が、4回、3月が、3回、6月、7月が、2
回であった。10月から1月までの4ヶ月間では、48回、実
に、戦後の上演回数の2/3は、この時期である。

幕が開くと、網代塀を描いた道具幕が、舞台を覆っている。網代
塀の前には、10人の並び大名が、並んでいる。やがて、5人ず
つ、大名は、上手と下手に分かれて、道具幕の後ろに引っ込む
と、幕が、浅葱幕のように内側から膨らんで来て、振り落しとな
る。先ほどの並び大名たちは、いちばん後ろの列に並んでいる。
そう「対面」は、3枚重ねの、極彩色の透かし絵のような構造の
芝居なのである。並び大名と梶原親子の絵が、いちばん奥の1枚
の絵なら、2枚目の絵には、大磯の虎、化粧坂の少将、小林朝比
奈が並ぶ。3枚目、いちばん前に置かれた絵は、工藤祐経(両脇
に、近江小藤太、八幡三郎が控えている)と曽我兄弟の対立の絵
である。これらの3枚の絵が、重ねられ、時に、奥の2枚の絵に
も、光が当てられるが、やはり、主役は、いちばん前に描かれた
3人の対立図であり、初中後(しょっちゅう)スポットライト
が、交差する。トランプをシャッフルするように、今回は、3枚
の絵のうち、いちばん奥の絵が、道具幕の外に出て来たというわ
けだ。普通なら、並び大名と梶原親子は、奥に座ったまま、ほと
んど動きが無いからね。

2枚目の絵では、芝雀の大磯の虎と孝太郎の化粧坂の少将。ふた
りの傾城は、いわば、宴席のホステスか、コンパニオンの役どこ
ろ。工藤祐経の意向を受けて、工藤からの盃を曽我兄弟に手渡す
という動きがある。歌昇の小林朝比奈は、体格も良し、口跡も良
しで、どっしりした良い朝比奈で、曽我兄弟を招き出すという重
責を担う。

3枚目の絵。勿論、高座にどっしりと座り込んだ富十郎の工藤祐
経は、風格もあり、口跡も良い、立派な祐経で、両脇の近江小藤
太の松江、八幡三郎の亀三郎を従えて、堂々の押し出しである。
曽我兄弟では、白塗りの十郎を演じた橋之助の存在感が、弱い。
白塗りに剥き身隈の五郎を演じた三津五郎は、きかん気と若さを
感じさせる勢いがあって、良かった。五郎が、押しつぶした三宝
の破片は、裃後見(八大、橋吾)が、赤い消し幕で片付けてい
た。


珍しい! 身内の「口上」で、スマートに


大勢の役者衆がずらりと並ぶ襲名披露の「口上」ばかり見なれて
いる身には、本舞台中央付近に5人しかいない「口上」は、淋し
い感じもしたが、軸になって取り仕切る幸四郎の挨拶を聞き、
「身内」だけの口上も悪く無いなあと思いながら、各人の挨拶に
耳を傾けた。当代の幸四郎・吉右衛門兄弟の父親・初代白鸚(八
代目幸四郎)の二十七回忌追善興行の「口上」である。初代白鸚
は、九代目團十郎の弟である七代目幸四郎の息子たち(長男は、
十一代目團十郎、三男が、二代目松緑)のうちの、次男で、豪宕
な性格で知られる。八代目幸四郎は、「英雄役者」、「時代物役
者」と渾名されたほどだ。「口上」では、長男の九代目幸四郎を
軸に叔父(七代目幸四郎の娘婿)の雀右衛門、弟(次男)の吉右
衛門、甥(叔父・二代目松緑の孫)の当代松緑、息子の染五郎と
いう顔ぶれだ。

幸四郎と染五郎が、紋こそ、「三枡」ではないが、茶の裃に、生
締の髷は、鉞(まさかり)ということで、市川團十郎家ばりの扮
装である。松本幸四郎家も、二代目幸四郎は、後に、四代目團十
郎になっているし、七代目幸四郎の長男は、十一代目團十郎に
なっているのだから、市川團十郎家との血も濃いのである。

当代幸四郎の挨拶:初代白鸚は、昭和の歌舞伎の一翼を担った。
時代物役者、英雄役者と言われたが、青年歌舞伎の時代は、歌舞
伎十八番や新歌舞伎にも、積極的に取り組んだ。生涯を通じて、
いわば「大きな役者」であったと思う。それでいて、普段の父親
は、やさしい、暖かい人柄であった。昭和56年、高麗屋三代の
同時襲名披露の後、12月に病に倒れた(亡くなるのは、翌年の
1月11日)。ベッドで寝ていたとき、枕元で母親が、父親との
想い出を語っていた。「バレンタインデェイに巡業先の父親に
チョコレートを送ったんだけれど、何処の巡業先だったけ」とい
うような話になったとき、寝ていたはずの父親が、目を開けて、
「松江だよ−」と大声で応えたという。

雀右衛門は、名乗りこそ、大きな声が出たものの、そのほかは、
か細い声であった。8月には、88歳、米寿を迎える。吉右衛門
は、初代白鸚所縁の役どころのひとつとして、関兵衛を演じるの
で、「父のようにはまいらないだろうが、面影を偲んでいただけ
れば」と述べていた。松緑は、簡単に「ここで、口上を述べるこ
とができるのは、親族の一員として、喜びである」。染五郎は、
「祖父は、にこにこしている祖父の印象しか無い。祖父と共演し
た最初で最後が、『七段目』の力弥であった」という。

最後に、再び、幸四郎が、初代白鸚所縁の演目を紹介し、(立役
の多い)高麗屋にも、「春興鏡獅子」の弥生を踊る(女形を兼ね
る)役者が出て来たと、息子の染五郎のチャレンジを紹介し、将
来とも、高麗屋を引き立てて欲しいと、挨拶を結んだ。


「熊谷陣屋」に見る「夫婦の、息遣い」


「熊谷陣屋」を歌舞伎座で初めて観たのは、そういえば、14年
前、94年4月、初代白鸚十三回忌追善興行の舞台で、義経を演
じたのは、梅幸であった。私が観た梅幸の舞台は、これが、最初
で、最後であった。この舞台を切っ掛けに、私は、歌舞伎を見始
め、5年後の、99年2月に、「ゆるりと江戸へ 遠眼鏡戯場観
察(かぶきうおっちんぐ)」という本を書くことになる。「熊谷
陣屋」は、それ以来、12回目(人形浄瑠璃の舞台を入れれば、
13回目)となる。私が観た直実は、今回を含め7回目の幸四
郎。吉右衛門が、2回。仁左衛門が、2回。八十助時代の三津五
郎が、1回。相模が、今回を含め4回目となるはずだった芝翫
は、私が観たときは、病気休演で、息子の福助が代役を務めてい
たので、芝翫は、3回。福助は、2回ということになる。雀右衛
門は、6回。ほかは、澤村藤十郎が、1回。14年前に初めて観
た舞台の配役は、直実:幸四郎、相模:雀右衛門、藤の方:松江
時代の魁春、義経:梅幸などという顔ぶれであった。

今回は、いつもと違って、直実と相模の夫婦を軸に書いてみた
い。まず、(東国から単身赴任している)直実(幸四郎)が、外
から陣屋に戻って来る。すると、いつもなら出迎えるのは、堤軍
次(松緑)だけであるのに、きょうは、軍次の隣に女性が座って
いるではないか。直実が、不審げに女性の顔をよく見ると、女性
は、遠い東国で留守を護っているはずの妻の相模(福助)であっ
た。直実は、途端に不機嫌になり、怒りを自分の穿いている袴を
両手で叩くという仕草で表わし、男の職場、それも、戦場まで、
女の身で来たことを叱りつける。「や、や、やーい」。怒り心頭
に発して、言葉も出て来ない。「(息子の小次郎のことが心配
で、来てしまった。あなたのことを気遣ったわけではありませ
ん)お、ほ、ほ、ほ、ほー」と笑いで誤魔化す相模。こういうや
りとりでは、豪宕な直実も、実は、相模の尻に敷かれているのか
も知れない。

おもしろいと思ったのは、実は、この場面の直前に大道具方が、
陣屋の木戸を片付けてしまったことだ。幕が開くと、板付きで、
舞台下手に立っているのは、庄屋幸兵衛(幸右衛門)と百姓3人
(又蔵、寿鴻、延蔵)である。陣屋の外に咲いている桜の木を愛
で、桜の隣に立てられている制札について噂している。彼らと陣
屋を隔てているのが、木戸であり、木戸うちは、直実の役宅であ
ることを強調している。つまり、「木戸」は、陣屋という役宅
の、世間に対する象徴なのである。彼らが去った後、外から戻っ
て来た直実は、その木戸から役宅に入り、先ほどの、相模との再
会の場面となるのであるが、直実が、役宅に入った直後、大道具
方は、ふたり掛かりで、さっさと、木戸を片付けてしまったので
ある。木戸は、直実が、役宅に入る仕切りの役目を済ませると、
片付けられる。そう、役宅と世間を隔てる木戸が、無くなるので
ある。

やがて、直実、相模、軍次の3人は、二重舞台の陣屋の中へと上
がって行く。相模を叱るために、軍次が邪魔な直実は、軍次に用
を言い付けて、下がらせようとする。直実とふたりきりになると
叱られるのが、判っている相模は、軍次を引き止めようとする。
戸惑う軍次。でも、役宅勤めの軍次の主人は、直実であるから、
軍次は、直実の言い付けに従って、退去する。直実と相模だけ
が、二重舞台の上に残る。つまり、夫婦だけが残ったのである。
木戸もなければ、役宅勤めの軍次もいない。ということは、夫婦
だけがいる熊谷家の私宅同然の状況が、そこに生まれたことにな
りはしないかと思ったのである。私宅となれば、直実より相模の
方が、強くなるはずだ。その証拠に、相模は、小次郎が息災かど
うか、夫に尋ねる。その口調は、先ほどまで、直実に叱られてい
た相模のそれでは無い。夫を尻に敷き、息子の息災を尋ねる妻、
いや、母の強さが、滲み出ている。夫婦の力関係は、役宅が、私
宅化する段階で、逆転しているではないか。小次郎は、手柄をた
てながらも、傷を負ったと、嘘を言う直実。実際には、敦盛を助
けるために、身替わりとして、直実は、息子の小次郎を自ら殺し
ているからである。疚しさもあって、妻に対する夫の口調は、弱
い。

直実は、力関係を元に戻そうと、自分は、平家の公達・敦盛を討
ち取ったと自慢する。それを隣室で聞き耳をたてて、聞いていた
敦盛の母親の藤の方(魁春)が、襖を開けて、飛び出し、直実に
斬り掛かるので、夫婦の私宅は、再び、陣屋という役宅に戻る。
「私宅」の夢は、幻となって、消える。藤の方を落ち着かせてか
ら、敦盛討ち果たしの様(さま)を物語る(ここで、大向こうか
らは、「たっぷり」「高麗屋」などの掛け声がかかる)。これ
は、相模にも藤の方にも、「嘘」の物語を語ることになるのだ
が、直実は、直接的な言葉ではなく、目や顔の表情で、相模に
は、万感の思いを込めて、夫婦としてのシグナルを送り、本音を
滲ませながら、物語っているように思える。直実の「嘘」を嘘と
知らずに、泣く藤の方。直実が、嘘に本音を滲ませて来ても、未
だ、気がつかない相模は、藤の方が泣くのを見て、もらい泣きを
している。特に、幸四郎の直実は、相模が、芝翫から福助に替っ
たのを奇貨として、より強く、夫婦としての機微という思いを滲
ませているように思えた。福助は、また、それに答えようとして
いる。そういう夫婦の息遣いのようなものを幸四郎と福助のやり
とりで感じた(これは、妻より母の思いを出す芝翫、更に、強く
母親の情愛を出す雀右衛門が、演じる相模では、出せない味わい
だろう)。

夫婦の機微は、義経(梅玉)に対する首実検で、「敦盛の首に相
違ない」と、義経が保証しても、相模は、「あ、それは」と、我
が子小次郎の首を認識する場面でも、続いている。直実は、
「ん、ん、ん、うーん。お騒ぎあるなァー」とふたりの母親たち
を制止しながら、相模にシグナルを送り続ける。「敦盛」の首を
「藤の方へ(お目にかけるように)」と言いながら、相模にのみ
見えるようにする。夫婦だけの目による会話。義経の見分を終え
た「敦盛」の首は、直実から、平舞台にいる相模の方に向けられ
る。福助の相模は、「敦盛」の首を「小次郎」の首と認識して、
抱いたまま、放さない。母親は、堪えられず、その場で、泣き崩
れる。その後、相模は、舞台中央に移動して、首を藤の方にも、
見えるようにする。敦盛の首では無かったという思いが、魁春の
演じる藤の方の表情に出る。福助の相模は、それ以上は、藤の方
の方には、近づいて行かず、母親は、そのまま、小次郎の首を、
父親の直実の元に持って帰る。懐紙で、小次郎の首、顔を拭う父
親の直実。父親だって、哀しみに耐えているのだ。夫婦の哀しみ
が、ふたりの間に奔流のように流れるのが、見える(思いは、
皆、同じらしく、大向こうから、盛んに「成駒屋」「成駒屋」と
掛け声がかかる)。

ところで、義経は、首実検で、小次郎の首を見て、初めて、弁慶
が書いた制札の意味が、直実に確実に伝わっていたと知るような
芝居になっているが、義経は、首実検の前に、すでに、陣屋に匿
われている敦盛のことを知っているのでは無いか。その証拠に、
「弥陀六、実は宗清」(段四郎)と義経との、「弥陀六、実は宗
清」の正体を暴くやりとりがあった後、義経は、弥陀六のまま、
改めて認め直しながら、直実の家臣たちが運んで来た大きな鎧櫃
を平家方に「届けて欲しい」と、用事を頼む。その鎧櫃には、生
きている敦盛が潜んでいるからであるが、それを義経が知ってい
ると言うことは、首実験の前から、敦盛健在を知っていなければ
出来ないことだろう。さらに、家臣たちは、弥陀六に鎧櫃を渡し
た際、戦場に赴くべく、鎧兜姿になって、出て来た直実に、実
は、その後の、僧形になってからこそ必要とするはずの笠と杖
を、直実にも、同時に、手渡しているのであるが、そういう筋書
を書けるのは、義経しかいないのでは無いか。

「熊谷陣屋」では、直実と相模の夫婦の息遣いが、芝居の軸にな
るとしても、四天王(亀寿、松也、宗之助、錦也)を連れて、奥
から出て来た後、床几に座ったままで、四天王に廻りを警護され
ている。ほとんど、そこから動かないように見える義経は、この
芝居の後半の全てを、実は、取り仕切っているのである。義経を
含めて、5人の男たちは、ほとんど動かない。特に、科白もない
四天王は、身じろぎもしない。それでいて、義経は、弁慶に書か
せた陣屋の制札で敦盛の命を助けよと直実に謎をかけ、「敦盛」
の首実検をし、弥陀六の正体を見破り、敦盛を救出し、直実の出
家を見送るというダイナミックな仕事をこなすのである。義経伝
説は、ここでも、生きている。

最後に、もうひとり、触れておきたい。「弥陀六、実は、宗清」
を演じたのが、段四郎。私は、段四郎の弥陀六は、今回で、3回
目。病気休演中の実兄猿之助一座が、興行を打てない中で、段四
郎は、自身の病気も克服して、渋い傍役として、あちこちの舞台
をこなして、良い味を出しているように思う。敦盛が身を隠して
いるため、重くなっている鎧櫃を背負うが、立上がったものの、
重さによろけて陣屋の縁側に後ずさった際、縁側に置いてあった
制札を手にして、それを支えに、見得をするという「猿翁型」を
今回も、披露してくれた。ほかの役者とは、一味違う弥陀六で
あった。


高麗屋の女形 「春興鏡獅子」


「春興鏡獅子」は、9回目。勘三郎(勘九郎時代に2、勘三郎に
なって初めてで、都合、3)、菊之助(2)、新之助(なんと、
2)、勘太郎。そして、今回は、高麗屋一族にも、弥生役者が誕
生と幸四郎が言ったように、染五郎初役である。

1893(明治26)年、九代目團十郎が、56歳で「鏡獅子」
を初演したとき、これは「年を取ってはなかなかに骨が折れるな
り」と言ったそうだが、そうは言っても、若向けには、荷が重す
ぎる演目だ。40歳代後半から50歳代が、「時分の花」という
演目か。そういう意味では、勘三郎は、十八代目襲名披露を歌舞
伎座で行ってから、地方を廻って帰ってきた。勘三郎襲名後、初
めての「春興鏡獅子」を1年前、07年1月の歌舞伎座で披露し
た。勘三郎には、「鏡獅子」は、まさに、旬の年齢かも知れな
い。勘三郎は、20歳が初演で、あしかけ27年間におよそ
400回、弥生を演じたそうだ。40歳代後半に入って、勘九郎
の「鏡獅子」には、風格が備わってきているから、当分、賞味期
限は、続くだろうと、敢えて、勘三郎を持ち上げたのは、立役
で、女形の経験など少ない染五郎の初役の弥生を比較するためで
ある。

「鏡獅子」は、江戸城内の、正月吉例の鏡開きの場面である。上
手の祭壇には、将軍家秘蔵の一対の獅子頭(珍しい黒色)、鏡
餅、一対の榊、一対の燭台が、飾られている。

前半は、小姓・弥生の躍りで、女形の色気を要求される。後半
は、獅子の精で、荒事の立役の豪快さを要求される。六代目菊五
郎の「鏡獅子」は、映像でしか見たことがないが、太めながら、
若い女性になり切っていたし、六代目の弥生は獅子頭に身体ごと
引き吊られて行くように見えたものだ。将軍家秘蔵の獅子頭に
は、そういう魔力があるという想定だろう。ここが、前半と後半
を繋ぐ最高の見せ場だと私は、思っている。六代目の孫である勘
三郎は、どうか。祭壇から受け取った、ひとつの獅子頭に「引き
吊られて」勘三郎は、花道を通り、向う揚幕まで行ってしまっ
た。いまや、「鏡獅子」の第一人者は、勘三郎だろう。

初役の染五郎は、どうか。私の採点表。先ず、前半:染五郎は、
女形を演じるには、大きすぎる。「でかい女」が出て来たという
のが、正直な印象。以下、しなやかさは、△、安定感は、△、特
に、身体の縦軸の安定感は、×、扇子など、小道具の扱いの器用
さは、○、女形の踊り具合(内輪)は、△、顔は、○、後ろ姿
は、△、裾の中の足捌きは、×、獅子頭に「引き吊られて」行っ
たか、というと、獅子頭を「押して」行ってしまったので、×。
全体的には、これからの精進を期待したい。

後半に入って、獅子の精は、「髪洗い」、「巴」、「菖蒲打」な
どの獅子の白い毛を振り回す所作を連続して演じる。大変な運動
量だろう。先日の、幸四郎・染五郎の「連獅子」の劇評でも、誉
めたように、染五郎の所作は、メリハリもあり、全身をバネのよ
うにしてダイナミックに加速する。「連獅子」では、幸四郎を2
周ほど、先行していた。「鏡獅子」も、「連獅子」も、後半は、
似たようなものだ。染五郎の所作は、元気が良い。若さがある。


贅言:2階のロビーでは、初代白鸚(八代目幸四郎)の二十七回
忌追善興行ということで、所縁の品々や舞台写真を展示してい
た。白鸚の名場面の舞台写真では、「七段目」の由良之助、「熊
谷陣屋」の熊谷直実など、9枚の写真が、飾ってある。71歳の
生涯をまとめた略年表。絶筆の「鸚鵡」の墨絵、緑と茶色の色彩
の「松の寿」ほか、8枚の自筆の絵。鏑木清方が描いた1949
(昭和24)年の、八代目幸四郎襲名時の「勧進帳」で弁慶を演
じる幸四郎の舞台姿。もう一枚は、奥村土牛が描いた1960
(昭和35)年3月の明治座で演じた「梅の由兵衛」の舞台姿。
白鸚が、懐かしい。いまの役者には、いない味わいがあった。
- 2008年2月19日(火) 22:30:17
2008年2月・歌舞伎座 (昼/「小野道風青柳硯」、「車
引」、「積恋雪関扉」、「仮名手本忠臣蔵〜七段目〜」)


今月の歌舞伎座は、当代の幸四郎、吉右衛門兄弟の父親・初代白
鸚(八代目幸四郎)の二十七回忌追善興行である。初代白鸚は、
九代目團十郎の弟である七代目幸四郎の息子たち(長男は、十一
代目團十郎、三男が、二代目松緑)のうちの、次男で、豪宕な性
格で知られる。英雄役者、時代物役者と渾名されたほどだ。夜の
部には、追善興行ゆえの、「口上」があり、長男の九代目幸四郎
を軸に叔父(七代目幸四郎の娘婿)の雀右衛門、弟(次男)の吉
右衛門、甥(叔父・二代目松緑の孫)の当代松緑、息子の染五郎
という顔ぶれだけが、舞台に出る。身内の「口上」というわけ
だ。そういう高麗屋一族に加えて、富十郎、芝翫・福助・橋之助
の親子、梅玉・魁春の兄弟、歌六・歌昇の兄弟(歌昇、種太郎の
親子)、雀右衛門の子息たち(友右衛門、芝雀の兄弟)、三津五
郎、段四郎、東蔵、孝太郎、錦之助、高麗蔵などが、客演する。


書家の工夫伝説を政変動向の予感に変えた芝居


まず、「小野道風青柳硯」は、私は、初見。1754(宝暦)4
年に大坂竹本座で初演された時代浄瑠璃の二段目の口(全五段)
だが、戦後は、初代吉右衛門が、五代目染五郎(後の、初代白
鸚)とともに、1946(昭和21)年に、京都南座と東京の三
越劇場で、上演されただけで、眠っていたという作品だ。今回
の、62年振り復活上演では、梅玉、三津五郎が軸になった。小
野道風と言えば、雨の日に柳の木の下にいた蛙が、何度かの挑戦
の末、高い柳の枝に飛びつく様を観て、ある心境(悟り)を覚え
たというエピソードで知られるが、私は、子どもの頃、絵本か何
かで、この話を読み、「ある心境」とは、物事に成功するために
は、地道な努力が必要、諦めないというチャレンジ精神が必要な
どという風に理解していたが、今回、この芝居を観て、それと
は、違う動機づけがされている芝居があることに初めて知った。

それは、こういうことである。小野道風が、当時の政治状況を観
察して、「叶わぬと(道風が)思っているのだが、帝位を望む左
大将・橘逸勢(たちばなのはやなり。能書家で、当時の三筆のひ
とりだが、後に、政変に巻き込まれる)にも、加勢する勢力が多
くなれば、企みが叶うかも知れない、つまり、クーデターは、成
功するかも知れないという可能性がある」という「心境」だと言
う。蛙の跳躍から、道風が、複雑な思考回路を経て、随分と生臭
いことを感じたのだと驚いた次第だ。従って、芝居では、時の陽
成天皇に覚えめでたい上、橘逸勢の企みを知っている邪魔な道風
(木工頭=もくのかみ=、大極殿普請の番匠)を敵として、力で
潰すか、かつての知り合い(独鈷の駄六という大工)を通じて、
道風を味方につけようと懐柔するか、という橘逸勢側の、あの手
この手のアクセスぶりが、展開される。

本来の小野道風の「悟り」は、江戸時代の思想家、三浦梅園
(1723ー1789)が書いた「梅園叢書」に出て来るものだ
というが、名筆で知られる小野道風の悟りは、私が承知していた
ように、絵本で知られるようなもの(書道への発奮)だったのだ
ろう。それが、人形浄瑠璃(後に、歌舞伎に移された)狂言(二
代目竹田出雲、近松半二、三好松洛ほか)、特に、今回上演され
た「二段目の口」は、一説では、後に、シンメトリーな舞台で知
られる半二が、作者になって、初めて書いた場面であるというか
ら、半二の、独特な発想が、生臭い権力争いに巻き込まれた小野
道風の物語を創作したのかも知れない。

そういう物語だけに、芝居は、幕が開くと、まず、浅葱幕が本舞
台を隠している。浅葱幕の前で、4人の荒くれ風の男たちが、立
ち騒いでいる。浅葱幕が、振り落とされると、東寺にほど近い柳
ヶ池と池の端に植えられている柳の樹、池の向うは、野遠見とな
るシーンが、用意されている。やがて、道風(梅玉)は、蛇の目
傘を差して、花道から登場。柳の下には、黒衣が、差し金の先
に、青い蛙を付けて出て来る。黒衣は、あちこち飛び跳ねる蛙の
動きを器用に表現し、道風とともに、観客の目を差し金の先に引
き付ける。柳の下に来た蛙は、差し金から外され、次は、操りの
糸に引き上げられるようにして、柳の枝に飛びつこうと跳躍を繰
り返す。そして、遂には、高い柳の枝に飛びついてしまう。差し
金から操りの糸へ、スムーズな転換。道具方の工夫が、察せられ
る。

やがて、先ほどの荒くれたちが、道風にからんで来る。橘逸勢派
の、鉄壁大蔵、荒熊団八、漣軍太、轟運平という名前の男たちで
ある。相撲風の所作を繰り返しながら、道風に襲いかかるが、道
風は、強い。たちまち、荒くれたちを追い払う。次にやって来た
のは、独鈷の駄六(三津五郎)で、森田座の定式幕(つまり、い
まの歌舞伎座の定式幕でもある)と同じ配色(黒、茶、緑)のビ
ロードのどてらを着ている。昔のよしみで、道風を橘逸勢の味方
につけよう頼み込むが、聞き入れてもらえない。駄六は、遂に、
力ずくで道風を抑え込もうと決意する。裸になる駄六。下半身に
は、回し風の下帯を付けている。大工で力自慢というが、肉襦袢
を着込んでいて、相撲取りの風体である。一方、上着を脱ぎ、白
い下着姿になった道風も、大工の総棟梁だけに、力では負けない
自信があるらしい。ふたりは、まさに、相撲を取る。押したり、
突いたり、投げたりする。黒御簾からは、太鼓の音が加わり、
「ドンドンドンドンツク」と、相撲ムードを高める。対決の結
果、意外と強力の持ち主だった道風は、駄六を柳ヶ池に投げ込ん
でしまうと、悠々と立去る。蛙は、柳の枝に飛びつくが、駄六
は、柳ヶ池に投げ込まれる。蛙と駄六の対比は、後の、シンメト
リー作者、半二の独創的発想の走りだろうか。

道風が、花道を去ると、暫く無人の舞台の後、池の中から、駄六
が、這い上がって来る。三津五郎は、本舞台中央に進み出て、座
り込むと、口から水を吹き出す。さらに、蛙飛びをして見せるな
ど、蛙の真似をしながらの所作となるが、踊りの名手の三津五郎
らしからぬ、腰がふらつく場面があった。最後は、駄六も、六法
で、花道を引っ込んで行く。たわいも無い話の芝居だが、物語の
展開が、何故か、相撲がベースになっているので、調べてみた。
橘逸勢の「左大将(左近衛=さこんえ=大将の意)」という肩書
きが、ヒントだった。左近衛府の責任者・橘逸勢は、相撲絡み
だった。奈良、平安時代の宮中の役所である左近衛府と右近衛府
は、七月の天覧相撲の行事、「相撲(すまい)の節会」のため
に、使いを諸国に遣わして、力士を集める役割を担っているから
である。


「車引」の魅力は、3兄弟か、「公家悪」時平か


「車引」は、8回目の拝見。「車引」は、左遷が決まった右大
臣・菅原道真の臣の梅王丸と弟の桜丸が、左大臣・藤原時平の吉
田神社参籠を知り、時平の乗った牛車を停めるという、ストー
リーらしいストーリーもない、何と言うこともない場面の芝居な
のだが、歌舞伎の持つ色彩感覚、洗練された様式美など、目で見
て愉しい、大らかな歌舞伎味たっぷりの上等な芝居である。動く
錦絵のような視覚的に華やかな舞台が楽しみである。色彩豊かな
吉田神社の鳥居前、豪華な牛車をバックに、今回は、長男・梅王
丸(松緑)、次男・松王丸(橋之助)、三男・桜丸(錦之助)と
いう配役で、杉王丸には、歌昇の長男・種太郎が出演している。

冒頭の、塀の場面では、上手、下手の塀の一部が、開け閉めでき
るようになっていて、必要に応じて、黒衣が、出入りして、用を
勤める。この塀を上下、つまり、上手と下手に引っ込めると、吉
田社の鳥居前の場面に早替りする。揚幕、本花道から梅王丸と上
手、揚幕から桜丸がそれぞれ登場し、さらに、上手、揚幕から現
れた藤原時平の先触れの金棒引(亀蔵)が、「横寄れ、横寄れ」
と通行人に注意して行くのでふたりとも、やり取りがある。この
後、時平一行を追って、ふたりは、花道から揚幕へ、つまり、吉
田社に向って走り込むが、梅王丸と桜丸のふたりは、やがて、早
替りした本舞台に揚幕、花道から本舞台へと走り出て来る(つま
り、戻って来る)、という場面展開の効率の良さ。

牛車の後ろの塀は、仕掛けがある。大道具方のふたりが、黒幕を
掲げて、塀のうちから牛車への、時平の出を隠すが、観音開きに
なっている塀は、ふたつの割れて、時平役の歌六が、登場する。
その次の場面では、牛車が、崩れて、時平は、牛車を吹き飛ば
し、牛車の屋台に仁王立ちになっているように見せる。実際に
は、黒衣の手で、牛車が分解され、様式的な舞台装置に変身し
て、牛車の上に姿を現す時平。時平役者は、この出現の瞬間、役
者の格が問われる。歌六の時平は、観客席を睨む。一睨みで梅王
丸と桜丸を萎縮させたように見えた。私が観た時平は、三代目権
十郎、彦三郎(3)、芦燕、左團次、段四郎、そして、今回の歌
六。歌六は、初めて観たが、良かった。

さて、「公家悪」という、超能力者に扮するために、歌六は、青
黛(せいたい)という青い染料を使って「公家荒(あれ)」とい
う隈取りをしている。金冠白衣の衣装に、王子という長髪の鬘を
付けている。王位を狙う人物は、悪人といえども、超人であると
いうのが、その理由である。歌六は、さすがに、存在感があり、
無気味さを醸し出す。松王丸を演じた橋之助は、所作にメリハリ
がある。歌舞伎の発祥の地、京の吉田社の門前で、江戸の荒事の
科白が、飛び交うおもしろさ。江戸の庶民は、拍手喝采しただろ
うから、この短い場面は、何回も演じられ、今日に伝えられて来
た。今回の、歌六を観ていて、初めて、気がついたが、「車引」
の魅力は、3兄弟の、テキパキしたやり取りよりも、30分の芝
居のうち、最後の、3分の1くらいから出て来る場面にこそある
ということだ。「公家悪」時平の、悪役振り、塀のうちから出て
来て、牛車を吹き飛ばし、ただ立っているだけで無気味さを表わ
す。ときどき、大きな口を空けて、梅王丸と桜丸を威嚇するだけ
で、牛車のうちから、全く動かない時平の、「いま、そこにいる
不気味さ」という存在感が、芯になっている芝居だということ
が、良く判った。


「関兵衛、実は、大伴黒主」は、幸四郎が良いか、吉右衛門が良
いか


「積恋雪関扉」は、4回目の拝見。幸四郎の「関兵衛、実は、大
伴黒主」が2回。吉右衛門の「関兵衛、実は、大伴黒主」は、今
回を含めて、2回である。前回、4年前の、04年11月の歌舞
伎座の舞台を観て、私は、次のような劇評を書いている。

「こういう役は、幸四郎の方が、持ち味にあっている。私は、今
回、初見だが、吉右衛門の持ち味では、こういう役は、あまり、
似合わない。実悪の大きさが出ない。洒落っ気は、巧いのだ
が・・・」

ところが、今回、こういう印象を訂正させられたので、その辺り
を書きたい。

「積恋雪関扉」は、関兵衛を軸にしたふたつの芝居からできてい
る。前半は、小野小町(福助)と良峯少将宗貞(染五郎)との恋
の物語と宗貞の弟・安貞の仇討(大伴黒主に殺されている)の話
が底奏通音となっている。関兵衛(吉右衛門)は、少将宗貞に雇
われた関守である。後半は、かって安貞と契りを結んでいた小町
桜の精(福助)が、傾城・墨染に化けて関兵衛の正体を大伴黒主
ではないかと疑って、正体を暴いた上で、敵討ちをしようとやっ
て来たという話。複雑な話なので、筋を追うより、舞台の前半
は、古怪な味わいの所作事を楽しめば良いか。特に、関兵衛は、
少しずつ、大伴黒主という正体を現すような、取りこぼしをして
行く。滑稽味のある関兵衛の、底に潜む無気味な大伴黒主とい
う、人格の二重性を如何にバランス良く見せるかが、「関兵衛、
実は、大伴黒主」を演じる役者の工夫の仕どころであろう。

この芝居では、「小野小町」、「傾城・墨染、実は、小町桜の
精」のふた役を同じ役者が演じる場合と別々の役者が演じる場合
とが、あるが、今回は、福助が、「小野小町」、「傾城・墨染、
実は、小町桜の精」を通しで演じた。私が観た、前回は、魁春と
福助(04年11月、歌舞伎座)、前々回は、芝翫のひとりふた
役(99年1月、歌舞伎座)、前々々回は、福助と芝翫(96年
12月、歌舞伎座)であった。上演記録を見ると、六代目歌右衛
門は、ひとりでふた役を演じることが多かったようだが、ここ
は、ひとりふた役の方が、私には、落ち着きが良いように思え
た。私が観た福助でいえば、最初は、「小野小町」、次いで、
「傾城・墨染、実は、小町桜の精」をそれぞれ、一役で演じ、今
回は、満を辞したように、ひとりふた役を演じたわけで、これ
が、素晴しく、場内からは、「成駒屋」、「成駒屋」の掛け声
が、喧しい限りであった。

開幕直後、本舞台は、浅葱幕で覆われている。柝が入り、幕が振
り落とされると、本舞台中央には、関兵衛を演じる吉右衛門が座
り込み、刈って来た柴を束ねている。冬なのに、小町桜が、何故
か、狂い咲きをしている。果て、面妖な、ということか。普通な
ら、「播磨屋」と、屋号がかかるところだろうが、なぜか、大向
こうからは、「成駒屋」と掛った。福助演じる小野小町が、揚幕
を跳ね上げ、花道に出て来る頃合を知って、姿を見ないまま、3
階席から、屋号を叫んでいるのだ。この場面に象徴されるよう
に、福助賛美の掛け声は、歌舞伎座場内に沸き上がっていた。本
来なら、福助は、今月の歌舞伎座は、昼の部の小町と墨染に集中
するはずであったが、父親、芝翫の病気休演により、夜の部の
「熊谷陣屋」の相模にも出演している。夜の部の、場内の反応
は、どうであろうか。それは、また、夜の部の劇評で、語ろう。

福助は、着実に、七代目歌右衛門に近づいていると思った。福助
は、なにより、後ろ姿が、良い。ほかの女形と違って、後ろ姿
も、女性そのもの。多分、帯の巻き方が巧いのだろう。妖艶さを
演じれば、福助は、玉三郎と肩を並べそうだ。その福助に対抗し
て、悪役振りを隠しながら、滑稽悪のようなキャラクターの関兵
衛を吉右衛門は、存在感溢れる舞台を務めていた。このふたりに
比べると、染五郎の少将宗貞は、枠の外にいるようで、居心地が
悪い。3人が絡む舞台なのだが、その三角形から、染五郎は、は
じき出されているように見えた。

それは、後半になり、「傾城・墨染、実は、小町桜の精」と関兵
衛とのやりとりになるとはっきりする。つまり、染五郎がいなく
なり、福助と吉右衛門の、ふたりだけの舞台になると、全てが
すっきりし、舞台が落ち着いて来る。小町桜を伐って護摩木にす
れば、謀反の大願成就と悟った「関兵衛、実は、大伴黒主」は、
小町桜を伐ろうとするが、失敗する。小町桜の精は、木から飛び
出し、関兵衛に逢いに来たという触れ込みで、傾城・墨染となっ
て、現れる。廓話に花を咲かせているうちに、関兵衛が持ってい
た「二子乗舟(じしじょうしゅう)」という血で書かれた片袖
が、小町の精と安貞との想い出の品であったことから、墨染は、
小町の精としての正体を顕わし、大伴黒主と対抗して行く。ふた
りとも、「ぶっかえり」という定式の、「見顕わし」で、それぞ
れの正体を暴露して行く。逆海老の福助。大口開きの吉右衛門。
最後は、二段に乗っての、福助、本舞台中央でそれに対抗する、
吉右衛門の、それぞれの大見得で、幕となる。こういう筋立て
が、ふたりのやり取りで、すっきりと浮き上がって来る。福助
は、前半の小野小町と後半の小町の精という、本来は、別の人格
(片方は、木の精だが)を存在感たっぷりに演じ切るし、今回の
吉右衛門は、前半の滑稽な関兵衛も、後半の無気味な大伴黒主
も、幸四郎なら、通して無気味さが強く出てしまうところを、通
して滑稽さと無気味さをバランス良く演じていたと思う。愛嬌の
ある、大振りな所作が、吉右衛門らしさを強調していた。このふ
たりを観ていると、いずれも、六代目歌右衛門、初代吉右衛門を
背負いながら、役者として成長しているというのが、判るような
気がした。初代吉右衛門は、生の舞台を観ているわけでは無いの
で、想像するだけだが、晩年ながら、六代目歌右衛門の舞台は、
幾つか観ているだけに、特に、福助の、ちょっとした表情、ある
いは、科白廻しに、歌右衛門を思い出しながら観ていた人は、私
だけでは無いだろう。


「仮名手本忠臣蔵〜七段目〜」には、武士の世界に庶民を引き入
れる装置がある


「七段目」は、五回目の拝見。この場面の、由良之助は、幸四郎
が、今回を含めて、3回、吉右衛門が、2回だが、これは、「昼
行灯」というとぼけた滋味をだすだけに、断然、吉右衛門が良
い。ここの由良之助は、前半で男の色気、後半で男の侠気を演じ
分けなければならない。「七段目」の本筋は、実は、由良之助よ
り、遊女・お軽と兄の平右衛門が軸となる舞台である。更に、い
えば、主軸を絞り込めば、それは、お軽に行き着くであろう。お
軽は、前半では、由良之助との、やりとりをし、後半では、平右
衛門とのやりとりをする。

今回は、芝雀が、可憐で、可愛らしいお軽を演じてくれた。前回
観たのは、玉三郎のお軽であったから、玉三郎の本領発揮の、濃
艶なお軽になるのだが、丸谷才一説では、お軽という命名には、
尻軽(多情)というイメージを感じるというから、玉三郎の濃艶
さの方が、本来のお軽かも知れないが、それなら、二階座敷から
梯子を使って降りて来て、途中で、「道理で、船玉さまが見える
わい」と由良之助(吉右衛門)に言われ、裾を直しながら、由良
之助を色っぽい目で睨み付ける玉三郎の表情に象徴される場面が
ある。この場面は、今回も、勿論あったが、芝雀は、その場面よ
りも、その後の、兄・平右衛門(染五郎)とのやりとりの場面
で、色気より、兄と妹の親愛感を強調する場面で、自分の存在感
を出したように思う。

先に述べた、「関扉」が、基本的に、福助、吉右衛門、染五郎の
三角形の芝居で、その力学から、染五郎が弾き飛ばされたという
なら、この芝居も、基本的に、芝雀、染五郎、幸四郎の三角形の
芝居で、その力学から、今度は、幸四郎が弾き飛ばされたと言え
るかも知れない。それほど、芝雀のお軽と染五郎の平右衛門の芝
居は、良かったと思う。芝雀の演じる「妹の力」に、素直に対応
した染五郎の力量は、確かなものがあると思った。若いふたりの
熱演に拍手を送りたい。

特に、忠臣蔵は、武士の意気地の世界を描いている芝居である。
そのなかに出て来るお軽と平右衛門は、百姓の与市兵衛一家の、
娘と息子であり、いわば、武士の世界に入り込んだ、庶民の代表
である。お軽は、忠臣のトップ、由良之助に可愛がられ、平右衛
門は、足軽ながら、忠臣に加えられるという名誉の場面がある。
「お供が叶った」という、平右衛門の科白は、それを象徴してい
る。つまり、忠臣蔵という堅苦しい武士の世界にお軽と平右衛門
という庶民の代表を組み入れるということは、いわば、江戸の観
客(庶民)の代表を舞台に引き入れるという効果を産む。お軽と
平右衛門は、武士の世界に庶民を引き入れる装置なのである。古
来、忠臣蔵が、歌舞伎の独参湯(どくじんとう)と言われ、時代
を問わず、不況の時でも、これを上演すれば、大入になるという
のは、歌舞伎の舞台への庶民の参加感を満足させる「七段目」の
ような装置を内臓する芝居だからである。「仮名手本忠臣蔵」
は、つまり、共感の芝居なのである。

贅言1):(前にも書いたが、今回も感じたので、一部は、再掲
としたい)一力茶屋の二階座敷に現われたお軽は、最初、銀地に
花柄の団扇を盛んに使っているが、これは、後に顔世御前からの
手紙を読む由良之助の手許を手鏡で覗き手紙を盗み読む際の、カ
ムフラージュに銀地の団扇を利用しているのではないかと気が付
いた。銀地の団扇も、鏡も、光って見つかっても、言い訳が効く
ということではないか。お軽が、由良之助に促されて、二階から
外に降りるときに使う梯子を設定する位置には、本舞台の床に、
滑り止めがこしらえてあるし、梯子の後ろからは、黒衣が、梯子
を支えている。勿論、由良之助役者も、梯子を支える。

贅言2):今回、気が付いたら、不思議に思えて仕方が無いこと
があった。一力茶屋の一間の大部屋は、外から出入りできる階段
のある部屋だが、畳の間と奥に横に繋がる廊下がある。しかし、
廊下の外は、下手は、練塀があるばかりだし、上手は、竹でこし
らえた塀があるばかりで、二階のある離れ(つまり、お軽が居た
部屋)など外へ繋がる通路は、全く無いのである。塀の後ろが、
上手下手とも、雑木林の描かれた書割りになっている。実際問題
として、役者の出入りは、廊下から、書割りの後ろにある通路
で、出入りできるのだが、芝居に中の登場人物は、不思議な空間
に浮かんだ一力茶屋の大部屋からは、何処にも出入りできない筈
である。

贅言3):私が観た舞台では、九太夫は、全て芦燕であったとい
う記録が、継続していたが、今回、初めて、破られた。芦燕の九
太夫は、もう、彼しかやれないというほど、自家薬籠中のものに
してきたが、今回は、錦吾が演じた。敵の師直方の、いわば、
「秘書課長」の伴内(幸太郎)に手玉に取られ、床下に潜り、水
を掛けられたり、火の着いた紙を落されたり、由良之助(幸四
郎)の手紙を盗み見るスパイ行為をした挙げ句、元は、由良之助
と同格の国家老という面影も無く、殺される。九太夫は、由良之
助に手助けされて、お軽(芝雀)に父親・与市兵衛の仇を、下手
人の息子・定九郎の代わりとして殺される羽目に落ち入るのであ
る。人生の階段を踏み外し、剥落した人物の悲哀の味わいは、や
はり、芦燕でないと出し難いように思えた。

贅言4):一力茶屋の名場面の一つ、「見立て」がある。ここ
は、普段、科白無しか、一言科白程度の、大部屋の役者衆が、満
を辞して、存在感を強調できる場面であり、皆、燃えて、科白に
挑む。今回は、赤い前掛け二枚を使って、季節がらの大学受験の
「狭き門」、「赤門」を見立てたり、工夫が感じられて、おもし
ろかった。科白は無かったが、仲居・おうめ(上手から5人目)
を演じた芝のぶは、相変わらず、爽やかであった。後半、竹本、
出語りの、谷太夫は、いつも通りの熱演で良かった。
- 2008年2月17日(日) 22:19:51
2008年1月・国立劇場 (通し狂言「小町村芝居正月」)


片や、「革命」、片や、「国崩し」


1789(寛政元)年、フランスでは、いわゆる「フランス革
命」が、勃発した。ブルボン王朝の積年の失政にブルジョアが反
発し、啓蒙思想を普及させながら、革命運動は、99年まで続い
た。その結果、絶対王政と封建的な旧制度が、否定され、人権宣
言の公布、ルイ16世の処刑、共和制の成立をみた。そのころ、
日本では、江戸の中村座で、旧暦の11月の顔見世興行で、初代
桜田治助原作の通し狂言「小町村芝居正月(こまちむらしばいの
しょうがつ)」が、四代目幸四郎、三代目瀬川菊之丞、三代目坂
田半五郎らの出演で上演された。

それ以来、219年ぶりに、「小町村芝居正月」が、国立劇場
で、復活上演されたので、観に行った。平安時代の、文徳天皇の
皇子(惟喬親王と惟仁親王の兄弟)による「御位(みくらい)争
い」、つまり、皇位継承を巡る争い、そこに紛れ込む大伴真鳥黒
主(おおとものまとりくろぬし)の陰謀、「六歌仙」の小野小町
と深草少将の恋、少将に助けられた小女郎狐の恩返しなどが絡む
通し狂言。顔見世狂言の約束事を踏まえながら、入り組んだ副筋
を整理し、各場面を現代でも分かりやすく再構成して、国立劇場
文芸課が、補綴し、菊五郎劇団が、上演した。出演は、菊五郎、
菊之助、時蔵、松緑、田之助、彦三郎、團蔵ら。

国立劇場の場内は、上手と下手の壁に提灯と繭玉が飾られ、正月
気分を盛りたてる。幕が開くと、序幕第一場「江州関明神の
場」。時代物(一番目)は、「御位争い」の世界。皇子のうち、
弟の惟仁親王(松也)を継承者と定める先帝の遺言状があるが、
影の実力者大伴真鳥黒主(菊五郎)は、兄の惟喬親王(亀蔵)を
推す振りをして、本心は、自分が、帝位に就く事を画策してい
る。神社前では、黒主の家臣兵藤武足(たけたる・團蔵)が、社
の蔵から遺言状を盗み出して来る。それを紀名虎(きのなとら)
母であり、黒主派の大刀自婆(おおとじばば・田之助)が、預る
と共に、黒主宛の密書を武足に託す。

大道具を載せた舞台が廻ると、夜。上から降りて来た月が照って
いる。第二場「大内裏手の場」。上手の宝蔵の壁を破って出て来
たのが、大刀自婆の息子・紀名虎(松緑)で、即位に必要な宝
剣・村雲を盗み出して来た。花道から通りかかった小野家の忠
臣・五位之助(菊之助)が、名虎を見とがめる。下手から小野良
実(よしざね・彦三郎)と小町姫(時蔵)、中央奥の社の扉を開
けて、般若面を付けた人物(黒主)が、祈祷を終えて、大きな筒
守りを抱えて出て来て、だんまりとなる。顔見世興行通例の主な
出演者が勢揃いする場面である。

雲を描いた道具幕が、振り被せとなり、花道で、黒主は、金地に
黒の衣装に、ぶっかえり、面を取り、正体を現す。道具幕、振り
落としとなり、本舞台に戻る黒主は、雲を沸き立たせ、舞台を廻
しながら、雲間に分け入り、せり上がり、なにやら、呪文を唱え
ている。コンピュータで制御された大道具が鷹揚に廻り、岩組
が、ゆるりとせり上がり、どうやら、黒主は、竜神を筒守りに封
じ込めて、世間を日照りにする作戦のようだ。復活狂言らしから
ぬ、幻想的な場面展開も、趣向。

二幕目「大内紫宸殿の場」。網代幕の前で、百姓たちが、雨乞い
をしている。「あかぎれ」だ、「ひび割れ」だと言って、笑わせ
る。雨乞いの一行が、下手幕内から出て、上手に廻り、再び、幕
内に入ると、網代幕、振り落しとなり、紫宸殿の場へ。帝位継承
と日照りの解決を一気に片付けるのが、黒主の作戦だ。大内で
は、民の苦労も知らぬげに、帝位継承を巡ってもめている。病気
の父帝に代って、惟仁親王(松也)が、執務に就いているが、遺
言状紛失とあって、隠遁していた惟喬親王(亀蔵)が現れ、惟仁
親王を帝位の座から蹴落とす。歌合わせの儀式の日とあって、さ
らに、黒主らが現れ、小町姫の歌にいちゃもんをつける。万葉集
からの盗作の疑いである。五位之助(菊之助)が、小町姫の濡衣
を晴らそうと、「草紙洗」で、万葉集への「入れ筆(加筆)」の
偽装を暴こうとするが、上手く行かない。「御位争い」の世界に
「六歌仙」の世界が、重なる複合構造の舞台。立役のときの菊之
助の声は、なんと、菊五郎に似て来たことか。いつも、女形の裏
声ばかり聞いていると気がつかないが・・・。

ばたばた、もめているうちに、武足(たけたる・團蔵)が、例の
密書を落してしまい、小町姫を陥れようとする黒主の陰謀が明ら
かになるなどなど。宝剣・村雲紛失の報、小町姫の父・小野良実
(よしざね・彦三郎)の拘束、参内した小町姫の「琴責め」な
ど、ここは、極悪黒主の企み通りに展開する。勢いに乗った黒主
は、惟喬親王を帝位の座から、蹴落とし、自分が、玉座に座り込
む。取り巻きとともに、玉座から、大笑いする黒主。「あれ、音
羽屋のおじさんが蹴落とした」と平舞台で、泣きわめく惟喬親王
(亀蔵)。瓦燈口(かとうぐち)の垂れ幕が、振り落とされると
紫宸殿の大きな池のある中庭が見える。

三幕目「深草の里の場」では、田の遠見の背景。深草少将(菊五
郎)の元を訪れた小町姫(時蔵)は、宝剣探索のため、東国に下
ることになり、「道行」となる。見送るのは、奴姿の孔雀三郎
(松緑)。松緑は、奴姿は、いつも、決まる。花売り娘、実は、
少将に命を助けられたことのある小女郎狐(菊之助)を交えて、
常磐津、長唄(菊之助の花道登場に合わせて、連中が、山台に
乗ったまま、舞台上手から押し出されて来る)掛け合いの舞踊劇
の展開となる。最後に、「はや、明け方」(菊五郎)、「鹿島立
ち」(松緑)というから、未明の暗いうちから、皆、動き回って
いたことが判る。4人で、引っ張りあって、幕。

四幕目第一場「柳原けだもの店(だな)の場」。一転して、世話
物(二番目)になり、江戸の下町・柳原で、五郎又、実は深草少
将(菊五郎)と女房のおつゆ、実は、小町姫(時蔵)が、獣肉料
理店を開いている。時代物の主要人物が、身をやつして世話場に
登場する。都の貴人たちの変身振りが、新鮮な工夫魂胆というこ
とだ。「山くじら」と書かれた行灯が、店の前に出ている。入り
口の障子には、「けだものや」の文字。店内に入ると、壁に、猪
と鹿の毛皮などが、飾ってある。壁には、品書きの短冊がある。
短冊には、「ぼたん鍋」(猪肉)、「もみじ鍋」(鹿肉)、「も
みじの刺身」、「かもの吸い物」などと書かれている。

顔見世狂言の世話場の約束事に則り、雪景色、異類(動物や植
物)の精の登場など定式を踏まえた舞台。雪の降りしきるなか、
商売を終えた汁粉屋の正月屋庄兵衛、実は紀名虎(松緑)が、夫
婦仲の悪さを聞き付けて、おつゆにちょっかいを出す魂胆で、店
に入って来る。やがて、五郎又も、新しい女房のおみき、実は、
小女郎狐(菊之助)を連れて、帰って来る。一悶着あった後、お
みきの発案で、3人仲良く暮らそうということになる。ひとりの
亭主にふたりの女房、江戸時代のモラルなら、「けだもの」(畜
生道)とは、ならないのだろう。「実は、実は」の偽装の4人が
からみ合う「柳原けだもの店(だな)の場」は、まさに、獣同士
の化かしあいの場面。宝剣奪い合いなのだ。結局、女房姿の小女
郎狐が、宝剣を奪い取り、雪の降りしきる外へ逃げ出す。後を追
う名虎。

第二場「柳原土手の場」。正一位稲荷大明神の旗が飾られた神
社。石段のある三層構造の社。小女郎狐と名虎の立ち回り。女房
姿の小女郎狐は、二層目の境内で、雪の積もった地面の穴へ、身
を隠し、次には、三層目の雪の地面から飛び出して来る。もうこ
のときは、「狐忠信」のような、白い狐の衣装に変身している。
犬四天姿の追っ手(両手に長い朱塗りの爪を付けている)に追わ
れながらも、さらに、宝剣を持って、逃げる小女郎狐。菊之助の
若くて、しなやかな身体の動きが、魅力的だ。逆海老も、柔軟に
こなす。女形は、鍛えられた身体を隠しながら、力を発揮する。
集団での大立回りが好きな菊五郎劇団だけに、犬四天の動きは、
きびきびしている。例えば、9人のうち、交互に入った4人が、
逆回転をして見せたりする。小女郎狐の菊之助は、花道七三で、
ぶっかえりで、衣装を変えて、「狐六法」で、花道の引っ込み。

大詰「神泉苑の場」は、事実上、「暫」のパロディ。顔見世興行
の定番の出し物が、「暫」で、狂言作者たちは、毎年、新趣向を
編み出すのに工夫魂胆した。さて、幕が開くと、浅葱幕。置唄
で、幕の振り落としとなる。冠、贋の宝剣、筒守り(宝剣より小
さいが、後の場面で使用されるときには、予め、黒衣によって、
大きなものに取り替えられる)を棚に用意して即位の儀式に臨も
うという、ウヶは、清原武衡同様に皇位を狙う黒主(菊五郎)と
取り巻きたち(菊十郎、橘太郎ら)。二重舞台の中央に、黒主。
取り巻きたちは、顔や頬に、赤で、「ハートマーク」、「寿」、
「子(ね)」(干支)、「大入」(「大」のみ、赤、「入」は、
八の字の鬚の体)などと書いてある。本舞台下手に、惟仁親王
(松也)、関白良房(権十郎)、小野良実(彦三郎)、香取姫
(梅枝)を虜にしている。さらに、雨乞いの歌を作り上げ、奉納
に来た小町姫(時蔵)も捕らえている。上手に、黒主の忠臣、腹
出し姿の虎王丸(亀三郎)、熊王丸(亀寿)が控えている。名虎
妹初音、実は、小女郎狐(菊之助)も、「暫」の「女鯰(照
葉)」のような扮装で二重舞台の上手にいる。囚われ人らを成敗
させようと、やはり腹出しとなった武足(團蔵)が呼び出され
る。

あわやというとき、揚幕から、「暫く」の声が響く。「暫く、暫
く、暫ーーく」。長唄の、「かかるところへ」の文句に合わせ
て、鎌倉権五郎ならぬ孔雀三郎(松緑)の登場である。黒地に孔
雀の羽を白く染め抜いた派手な衣装の孔雀三郎。松緑が、本舞台
へ移動すると、「ありゃ、おりゃ」と仕丁たちの化粧声。「太刀
下」の人々を助け、贋の宝剣を暴き、黒主との引き合いの末に、
ふたつの折れた筒守りから竜神を助け出し、雨さえ降らせた孔雀
三郎。国崩しの極悪人を懲らしめ、日照りに泣く民を助け、とい
う祭祀劇。黒主は、追い落とされ、惟仁親王が、帝位に就くこと
になり、めでたしめでたし。

花道七三で、「つらね」の長科白を述べる孔雀三郎の影が、下手
客席に落ちる。頭に角を生やし、マントを着たような影は、洋画
に出て来る超人(スーパーマン)のように見える。孔雀三郎も、
鎌倉権五郎同様に、若々しくなければならない。江戸の洒落気を
洗練した舞台では、記号化された祭祀劇の「暫」が、すっぽり収
まるという演劇空間が、歌舞伎の強みだ。一味違う「暫」が、楽
しめる。

贅言1:それにしても「小町村芝居正月」という外題は、洒落気
が、足りないのではないか。「小町村」は、原作の各段の名称
が、「関寺小町の段」「草紙洗小町の段」「通小町の段」「雨乞
小町の段」「卒塔婆小町の段」とあるように、「七小町」(元に
なった能は、七番)の見立てで、つけられたから、こうなった。
しかし、小野小町は、サブ的な登場人物であって、主筋は、黒主
である。治助の趣向は、理解できるが、もう一工夫ほしかった。
さらに、「芝居正月」は、顔見世興行という戯場国の正月を言う
には、余りにも、藝が無さ過ぎる。初演以来、219年も、埋も
れていたのは、外題のまずさもあるのでは無いか。

贅言2:原作者の桜田治助は、四代目團十郎一座の立作者で、弁
慶が、軍兵たちの首を引き抜き、天水桶に入れて、2本の金剛杖
で、芋を洗うようにする、いわゆる「芋洗い」の趣向が有名な
「御摂(ごひいき)勧進帳」などの作品がある。常磐津「戻駕色
相肩(もどりかごいろにあいかた)」、長唄「教草吉原雀(おし
えぐさよしわらすずめ)」の作詞も手掛けた。洒脱な作風で「江
戸の花の桜田」という渾名もあり、30数本の作品を手掛けた
が、科白劇は、時代とともに古びるゆえか、舞台で今日まで伝承
されて来た作品は、少ない。

最後に、役者論をコンパクトに。座頭・菊五郎は、ここ数年、正
月の国立劇場で、埋もれた作品に息を吹き込む、復活通し狂言に
意欲的で、見逃せない。時代も、世話も、安定した、重厚な演技
で、舞台の軸を定める。菊之助の成長は、目を見張るものがあ
る。若女形では、梨園随一の力を発揮する。今回は、時代物で
は、五位之助、名虎妹初音、世話物では、花売り娘おたつ、妻恋
のおみきを演じる。女形では、皆、仮の身で、実は、全て、深草
少将に恩義を感じる小女郎狐が、化けた姿だ。小女郎狐の、いわ
ば「変化」が、柔軟で、素晴しい。小野小町姫を演じた時蔵は、
立女形の位を堅実にこなす。田之助の大刀自婆は、「黒塚」の老
女・岩手のような怪しさを滲ませる。松緑は、敵役の紀名虎と英
雄の孔雀三郎を対照的に演じるが、英雄にくらべると、敵役の色
合いが、不十分。特に、正月屋庄兵衛が、弱い。敵役の亀三郎、
亀寿の兄弟は、存在感があった。香取姫を演じた時蔵の子息・梅
枝が、可憐。脇を固めたなかでは、團蔵、亀蔵も、存在感があっ
た。
- 2008年1月22日(火) 19:17:45
2008年1月・歌舞伎座 (夜/「鶴寿千歳」、「連獅子」、
「助六由縁江戸桜」)


今月の歌舞伎座は、昼の部より夜の部の方が、人気がある。ま
ず、「鶴寿千歳」は、1928(昭和3)年の初演。2回目の拝
見。昭和天皇即位の大礼を記念して作られた箏曲の舞踊。本舞台
奥は、抽象的な大松が描かれている。松(歌昇)、竹(錦之
助)、梅(孝太郎)が、新年を言祝ぐ踊りを披露する。「国の甲
斐なる鶴峠(実際にある峠かどうか、私は、不詳) その名の雛
の声よ声」。やがて、3人が立去る。大松は、上に上がると、背
景は、抽象的な富士山の絵に替る。松は、富士の下になる。大き
く、横に長いせりを使って、姥(芝翫)と尉(富十郎)という人
間国宝のふたりが、せり上がって来る。松の木の上空に止まるの
体。ゆるりと長寿を言祝ぐ。やがて、松の木を伝わって、天上か
ら地上に降り立つふたり。前回は、雄鶴(梅玉)と雌鶴(時蔵)
であった。今回は、人間国宝を軸にしたので、長寿を強調してい
る。萬歳楽で舞い納める。ふたりは、再び、天上に帰って行っ
た。重厚な舞台であった。

贅言:歌舞伎の舞台では、珍しく女性が、板に乗る(上手が、箏
曲、今回は、男性もひとり混じっている。下手が、四拍子という
布陣)。


「連獅子」は、10回目。前回、3年前,05年11月の歌舞伎座
も、今回同様、幸四郎と染五郎の親子獅子であった。この親子で
は、4回拝見した。現在の役者で、親子で、「連獅子」を上演で
きるのは、幸四郎・染五郎のほかに、團十郎・海老蔵、仁左衛
門・孝太郎(1回拝見)、勘三郎・勘太郎・七之助(この場合
は、「三人連獅子」で、2回拝見)、段四郎・亀治郎(ただし、
数は少ない。亀治郎は、元気な頃の猿之助と組んでいた。猿之
助・亀治郎は、2回拝見)辺りが、旬か。かつては、鴈治郎・翫
雀、最近では、翫雀・壱太郎など。今後、子息が成長すれば、若
い親子で、連獅子が、登場するだろう。ほかに、兄弟、師弟など
のコンビがある。今回は、親子連獅子に絞る。

幸四郎と染五郎の親子獅子は、前回同様、安定した、緩怠のない
獅子の舞いであった。幸四郎は、大きく、正しく、舞う。染五郎
の仔獅子の舞は、勢いが良い。動きもテキパキしているし、左
巴、右巴、髪洗い、襷、菖蒲叩きと変化する毛振りの回数も、染
五郎の方が、多い。最初、半周ほど、父親より速い。次第に、差
が開き、最後は、2周ほど多いような印象だった。染五郎は、若
さと勢いがある、立派な獅子の精。身体の構えを崩さずに、腹で
毛を廻すのが、毛振りのコツだというが、若さには、勝てない。
若い者が、未熟さを乗り越えれば、親は、追い越される。また、
この所作は、体力の勝負であろう。年齢の違いと藝の違いが出て
来る。染五郎は、役者として、ある水準に近付きつつあるという
ことを、まざまざと実感させる舞台であった。いずれ、さらに、
何かが、付け加わり、積み上げられ、一人前になって行くのだろ
う。谷に落されるのは、子獅子では無く、親獅子ではないかとい
う思いがする。

團十郎と海老蔵の「連獅子」を観てみたい。最近の團十郎の「連
獅子」は、03年10月の歌舞伎座であった。仔獅子は、松緑で
あった。團十郎・海老蔵の「連獅子」は、未だ、実現していな
い。海老蔵が、前名の新之助時代には、02年の松竹座(大
阪)、93年の御園座(名古屋)、89年歌舞伎座と3回ある。
これは、是非とも、團十郎の体力恢復を待って、團十郎・海老蔵
の「連獅子」を実現して欲しいと思う。

* 参考に、「三人連獅子」の初見のときの、私の劇評を再録し
ておきたい。

「三人連獅子」の初演は、確か、02年の元旦の早朝、千葉県の
九十九里海岸に特設した舞台で演じたときではなかったか(それ
以前は、勘太郎、七之助の兄弟が、交代で、仔獅子を演じたこと
はある。私は、観ていない)。その後、02年9月、博多座の舞
台にかけて好評、そして、03年3月の歌舞伎座上演となった。
「三人連獅子」には、「大当たり」という掛声が、大向こうか
ら、何回か掛かった。「三人連獅子」では、親が、軸になり、ふ
たりの子が、親とも「対照的」になりながら、子同士も「対照
的」にならなければならない。「三人連獅子」の記録では、明治
27(1894)年、明治座で演じられた「勢獅子巌戯(きおい
じしいわおのたわむれ)」というのがある。親獅子が、市川左團
次、両仔獅子が、市川小團次、米蔵であったという。着ぐるみで
出て、引き抜きで、四天姿になって、白頭、赤頭を持ったり、最
後に花四天がからんだりということで、いまのような、松羽目風
ではなかった。勘三郎親子の「三人連獅子」は、あくまでも、
「連獅子」の3人版である。まず、両仔獅子は、舞台の上、下に
別れる。所作は、同じ向きの繰り返しであったり、互いに逆方向
への所作だったりする。親獅子は、軸になっている。両仔獅子の
所作は、親とも、対照的になるものの、より、対照的になるの
は、仔獅子同士である。その「二人仔獅子」は、「二人道成寺」
の花子・桜子の所作のようには、まだ、なっていない。所作が、
洗練されていない。発展途上の所作である。その上、上、下の両
仔獅子の呼吸(いき)があわない。まだ、荒削りと観た。いず
れ、勘太郎、七之助の兄弟が、成長しながら、踊り込み、呼吸も
あい、この演目は、洗練されて行くのではないか。そういう予感
がする。

後シテになって、3人で繰り広げる赤、白、赤の毛振りは、さす
がに、迫力がある。「大当たり」という掛け声が、また、大向う
から掛かる。しかし、左巴は、3人の呼吸があわない。ふたりで
も難しいのだから、3人は、なかなか揃わないだろう。身体の構
えを崩さずに、腹で毛を廻すのが、毛振りのコツだというが、ま
た、この所作は、体力の勝負であろう。年齢の違いと藝の違い、
それを3人分、あわせるのは、至難の業(わざ)だと思うが、
40歳台後半の勘九郎、20歳台前半の勘太郎、ことし20歳に
なる七之助という、世代を見れば、「三人連獅子」が、やがて、
中村屋一家の、新たな家の藝になってゆくのではないか。

十八代目勘三郎。向こう20年は、役者の「旬」になる年齢を迎
える父親を軸に兄弟が、20歳台、30歳台として、父親に随伴
しながら、是非、十八代目一家の十八番(おはこ)として「三人
連獅子」を洗練させてほしい。そういう舞台の成長を観ながら、
私たち観客も、年をとって行くことができるということは、同時
代に生きる観客の幸せで無くて、なんであろう。そういう未来の
至福の時間を感じさせる、「未完成」の魅力に富んだ「三人連獅
子」であったと思う。つまり、今回の舞台では、普通の「連獅
子」より、ひとり仔獅子が増えた分、広い歌舞伎座の舞台も狭く
見えるほど、迫力があったが、所作が、洗練されていなかっただ
けに、残念ながら、役者が、ひとり増えたというだけではない、
なにかが、付け加わってはいなかったように感じられた。


「助六由縁江戸桜」は、6回目。私が観た助六は、團十郎
(3)、海老蔵(新之助時代を含め、2)、仁左衛門。團十郎の
助六は、息子の海老蔵が、後ろから、急追して来るような気に襲
われる事があるのだろうか。まだまだ、という思いがある一方、
劇中の助六に近い年齢は、海老蔵の方だから、あるいは、という
気持ちも生まれて来ないとも限らない。

海老蔵の助六は、8年前、2000年の正月、新橋演舞場で初め
て観た。次には、4年前、04年6月、海老蔵襲名披露の歌舞伎
座で観た。

まず、2000年1月の劇評:新之助の青年・助六が劇中の助六
も、このくらいの年の想定なのだろうなあ、という感じが強くし
た。新之助の演技もきっぱりとしていて良かったと思う。ただ、
台詞廻しが現代劇ぽい部分が、ままあり気になったが、これはこ
れで『新之助味』とも言えるような気がする。いずれ、助六は市
川家の家の芸だけに、これからも何度か、海老蔵、團十郎と襲名
ごとに、新しい工夫を重ねた役作りを新之助が見せてくれること
だろうと期待する。

次に、04年6月の劇評:まさに、海老蔵襲名披露興行での、
「助六」の登場なのだ。海老蔵は、自信たっぷりに「助六」を演
じていて、その点は、観ていても、気持ちが良い。大向こうから
は、「日本一」などという声もかかっていた。ただし、今回も、
「台詞廻しが現代劇ぽい部分が、ままあり」で、私は、興醒め
だ。特に、傾城たちから多数の煙管を受け取り、髭の意休(左團
次)をやり込める場面での、科白が、歌舞伎になっていない。そ
こだけ、歌舞伎のメッキが剥げた現代劇のような感じで、「新之
助」なら、まだまだ、これからだからと許せた部分も、今回の
「海老蔵」襲名では、そうはいかないという感じがした。歌舞伎
の科白とは、どうあるべきかが、海老蔵の課題になりそう。

今回の團十郎は、5年ぶりの助六である。還暦になって初演の助
六である。還暦過ぎの團十郎は、歴代でも、ふたりしか居ない
が、助六を演じるのは、当代が、初めてである。そういう歴史的
な舞台である。それだけに、期待をして、拝見した。しかし、気
になったのは、いつになく、口跡の悪さだ。声が籠る。一時、改
善されたように思えたが、今回は、籠っていた。江戸のスーパー
スター・助六は、子どもっぽい。餓鬼なのだ。大声を出す子ども
の声は、籠らないのでは無いか。花道含めて、助六の所作は、さ
すが、團十郎だ。江戸歌舞伎の華・荒事は、稚気を表現する。そ
ういう意味で、助六は、まさに、荒事の象徴だ。実質的な荒事の
創始者・二代目團十郎が、初めて演じたと伝えられている。助六
の花道の出で、歌われる河東節を使い、外題も、現在の「助六由
縁江戸桜」にしたのが、四代目團十郎である。そして、「歌舞伎
十八番」として、七代目團十郎が市川團十郎家代々の家の藝に昇
華させ、いまのような演出に定着させた。稚気をいっぱい含んだ
助六が、本来の助六だろう。大人、髭の意休に対する餓鬼の助
六、こういうあたりは、父團十郎より、海老蔵の方が、口跡も良
いから、所作が巧くなれば、今後、助六の持ち味を、もっと、遠
くまで拡げてくれるかも知れない。その場合、「助六」において
は、海老蔵は、父親の團十郎を追い抜いて行くだろうと、私は、
予想する。

さて、今回の舞台である。福助が、初役で取り組む揚巻。これ
は、七代目歌右衛門襲名に向けて、福助は、スタートを切ったと
思う。48歳の年男。干支の鼠と成駒屋所縁の梅が、手描きされ
た墨絵の打掛けが、豪華だ。衣装に負けない、福助の風格もあ
り、良かった。輝いていた。きりっとしていて、餓鬼の助六に対
する愛情ぶりが、真情溢れていた。姉さんの深情け。これを切っ
掛けに、福助の七代目歌右衛門襲名は、加速するのではないか。

孝太郎の華やかな白玉。無敵の助六同様の揚巻を諭せるのは、こ
の人と曽我満江だけ。ここ、17年、当り役となっている左團次
の意休、歌舞伎の衣装のなかでも、最も重い衣装を着ている。実
は、曽我兄弟に対抗する平家の残党。それだけに、姿勢を正すだ
けでも、大変そう。梅玉初役の白酒売は、滑稽感を巧く出してい
て、梅玉の魅力を拡げた。江戸和事の味わいを出しながら、曽我
十郎の気合いも、滲ませる。段四郎の口上役は、4回目という。
すっかり、市川家の番頭格になりきっている。さらに、滑稽なく
わんぺら門兵衛。歌昇の朝顔仙平も、滑稽役。東蔵の通人里暁
は、笑わせて、場内の雰囲気をやわらげる。去年のパリ・オペラ
座を話題にして笑いを取っていた。錦之助の、粋な福山かつぎ。
吉原で暮らす町の人の代表。由次郎は、お上りさんで、不器用な
国侍に味。重厚な要役、芝翫の曽我満江などという顔ぶれで、い
ずれも、味わいがあった。

並び傾城では、八重衣(紫若)=播磨屋、浮橋(京妙)=京屋、
胡蝶(芝のぶ)=成駒屋、愛染(京紫)=京屋、誰ヶ袖(嶋之凾
=じょう)=葛城屋で、それぞれ、大向こうから、声が掛ってい
た。

贅言:ところで、いつも書くように、「助六」は、作者不詳だ
が、主役は、はっきりしている。助六?。否、そうでは無いだろ
う。これは、吉原の風俗を描く芝居だ。助六も、風俗の一つだ。
新吉原の江戸町一丁目の三浦屋の店先が、主役だからだ。三浦屋
で働く人々、三浦屋に通う人々、三浦屋の前を通る人々、吉原で
働く人、通う人などが、出演する。多様な町の人たちを演じる役
者たちのそれぞれの衣装、小道具などに、江戸の風俗が、細部に
宿るが、それは、すでに書いているので、省略。
- 2008年1月20日(日) 18:42:45
2008年1月・歌舞伎座 (昼/「猩々」、「一條大蔵譚」、
「けいせい浜真砂」、「魚屋宗五郎」、「お祭り」)


歌舞伎の研究者服部幸雄さんが、去年の暮に亡くなったという朝
刊の新聞記事を読んだ日に、歌舞伎座に行った。服部さんの著作
は、刺激的であったので、誠に残念であった。私が、以前に本を
書いたときに影響を受けたのは、服部幸雄、渡辺保、戸板康二、
郡司正勝、河竹登志夫らであった。なかでも、服部幸雄の影響
は、大きいと思う。今後も、服部を意識しながら、私は、歌舞伎
の劇評を書いて行くだろう。

さて、今年は、歌舞伎座百二十周年記念の年。3年前(2005
年)に公表された歌舞伎座建て替え話は、どうなったのか。当初
の計画なら、去年の11月までに、歌舞伎座周辺の地権者との調
整も終え、現在の建物を取り壊し始め、3年(2010年)後に
は、新しい歌舞伎座のお目見得と聞いていたが、実力者永山武臣
前会長の逝去に伴い、ペースダウンの様子。最近、漏れ聞いた話
では、永山会長時代に内定していた建設会社と松竹現執行部で決
めた建設会社が、変った由。歌舞伎への観客動員に陰りが出て来
たなかで、本拠地の建て替えは、経営判断も、難しかろうが、建
て替えは、いずれはやらなければならない課題である。遅らせる
ことのメリットもあろうが、デメリットもあろうから、こういう
ことは、やはり、永山会長のような経営も歌舞伎も、良く分かっ
ている人のリーダーシップが無いと、タイミング(潮目)を見失
いがちとなるから、厄介だ。

さは、さりながら、歌舞伎座百二十年ということで、正月の歌舞
伎座、昼の部は、5演目と盛りだくさん。今月は、松竹系の歌舞
伎公演は、東京で、歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場、浅草公会
堂と4公演、大阪で、松竹座の1公演と、合計5公演(このほ
か、京都南座では、前進座歌舞伎公演)と、誠に盛況だが、歌舞
伎座の昼の部は、空席も、目立った。


まず、「猩々」だが、能の「猩々」では、「猩々=不老長寿の福
酒の神」と「高風」という親孝行の酒売りの青年との交歓の物
語。「猩々」とは、本来は、中国の伝説の霊獣。つまり、酒賛美
の大人の童話というわけだ。歌舞伎では、竹本で語る「寿猩々」
は、一人猩々で、今回のような長唄の「猩々」は、二人猩々。
「寿猩々」は、私は、2回拝見。「猩々」も、今回含めて、2回
目の拝見。ただし、前回観た「猩々」は、そのまま、次の「三社
祭」へと繋がる演出(「変化もの」の名残りもある)で、勘太
郎、七之助の兄弟が、演じた。今回は、単独で、梅玉、染五郎
が、猩々を演じ、酒売りは、松江が、演じる。

能の「猩々」を元に江戸時代から数多くの「猩々もの」が作られ
ていたようで、1820(文政3)年には、三代目三津五郎の
「月雪花名残文台」では、七変化のひとつに取り入れられた。雪
の浜辺で、真っ赤な「猩々」が、真っ白な「まかしょ」に変わる
対比が受けたというが、残っていない。

以前の資料には、夢幻能の世界を、1946(昭和21)年に文
楽座の野澤松之輔が作曲し、後の八代目三津五郎、当時の六代目
簑助が、振り付けをして、一人立の新歌舞伎の舞踊劇(義太夫舞
踊)に仕立て直しをして、当時の大阪歌舞伎座で上演されたと
あったが、前回の筋書には、違う記述があった。それによると、
能の「猩々」を長唄舞踊に仕立てた作で、1874(明治7)
年、東京河原崎座で初演。作詞竹柴金作(後の三代目河竹新
七)、作曲三代目杵屋正次郎、振り付け初代花柳寿輔とあり、本
名題は「寿二人猩々」とある。今回の筋書では、1874年、九
代目團十郎が、河原崎座を再興した折り、大薩摩、長唄掛け合い
で、復活した。作曲は、三代目杵屋正治郎。現行曲は、1920
(大正9)年、下谷二長町の市村座で、六代目菊五郎、七代目三
津五郎が上演したときに、四代目杵屋巳太郎が、補曲したものだ
という。

今回は、梅玉、染五郎の演じる猩々が、動物に見えて来るか、と
いうことを軸に舞台を拝見した。能の舞台では、舞は、「摺り
足」なのだが、「寿猩々」は、六代目簑助(後の八代目三津五
郎)工夫の振り付けで、能のなかに、舞を巧みに取り入れて、
「乱(みだれ)」という、遅速の変化に富んだ「抜き足」「流れ
足(爪先立ち)」「蹴上げ足」などを交えて、水上をほろ酔いで
歩く猩々の姿を浮き彫りにさせる趣向をとったという。高風の勧
めで、酒を呑み始めた猩々だが、最初は、柄杓で汲んでいたが、
途中から、大きな盃で直接汲むようになる。動物の存在感という
のは、これが、なかなか、難しいようで、今回は、早間で、踊り
狂う辺りに、ちらっと、動物じみたイメージが浮かび上がって来
ただけであった。舞の部分では、太鼓、大鼓、小鼓が、前面に出
て来る。汲めども、尽きぬ酒壷の存在感は、くっきりと伝わって
来た。


「一條大蔵譚」は、5回目の拝見。大蔵卿は、猿之助、襲名披露
の勘三郎、そして、吉右衛門は、今回含めて3回。常盤御前は、
芝翫が2回、鴈治郎時代の藤十郎、雀右衛門、そして、今回が、
福助。今回は、ほかに、鬼次郎に梅玉、鬼次郎女房のお京に魁
春。初代以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、巧かった。滑
稽さの味は、いまや第一人者。勘三郎も、巧いが。吉右衛門は、
阿呆顔と真面目顔の切り替えにメリハリがある。阿呆顔のとき
は、裏声に近い高い声を出すのも、効果的。

いまの社会現象に当てはめてみれば、阿呆顔は、いわば、「偽
装」、真面目顔は、「本心」あるいは、源氏の血筋を引くゆえの
源氏再興の「使命感」の表現である。現代社会を覆う「偽装」
は、真面目顔をして、本心を隠すから、尚、質(たち)が悪い。
偽装は、メーカーばかりでは無く、放送局のような、マスコミに
も、波及して来た。「偽装」を見破るためには、国民は、自衛し
なければならない。序幕「檜垣茶屋の場」では、茶屋の亭主と鬼
次郎夫婦とのやり取りは、偽装の伏線が張り巡らされているが、
ここでは、種明かしはしない。大蔵卿の一行が、門内から出て来
る前に、ふたつあった茶屋の床几の一つを黒衣が片付けるが、残
る一つをクローズアップさせる効果があり、さらに、後に、大蔵
卿との絡みで、この床几が、効果的な役割を果たす場面がある。

福助の演じた常磐御前も、義朝の愛妾で、牛若丸(後の義経)ら
の母であり、平家への復讐心という本心を胸底に秘めながら、平
清盛に身を任せた後、さらに、公家の大蔵卿と再婚している。こ
の芝居でも、大蔵館奥殿で楊弓の遊びに興じているという「偽
装」をしている(それは、後に、楊弓の的=黒地に金の的が3つ
描かれている=裏に隠された平清盛の絵姿で、判明する仕掛けに
なっている)。四十八歳で年男の福助は、着実に、七代目歌右衛
門に向けてにじり寄っているように見える。常磐御前は、六代目
から最初に教えてもらった役だという。動きが、少ないが、肚で
芝居の進行に乗っているのが判る。本舞台に降りた際、福助の吉
右衛門を見つめる横顔が良い。福助は、夜の部の、「助六」の揚
巻には、初役で挑む。五代目歌右衛門の出世役であり、六代目
も、何回も演じて来た揚巻。もう、福助の周りは、歌右衛門モー
ドが、高まっているように見受けられる。いずれ、六代目や雀右
衛門、父親の芝翫に劣らぬ、風格が滲み出るようになってくるの
ではないか。

偽装と本心をクロスさせる大蔵卿のコントラストの、いわば、触
媒役を演じるのが、梅玉の鬼次郎と魁春のお京(弁慶の姉であ
る)の夫婦役である。特に、源義朝の旧臣で、忠義心に燃える鬼
次郎は、奥殿に忍び入ってまで、常磐御前の本心を探り、源氏再
興の意志が無いのならと懲らしめに来る、いわば、スパイ役であ
る。清盛方の勘解由(段四郎)との立回りでは、太刀を抜いて斬
り掛かる勘解由を黒地に星座が描かれた扇子一本で対峙し、勘解
由が己の持つ太刀を、鬼次郎の持つ扇子で押しつけられ、己の肩
を斬ってしまうなど、鬼次郎は、かなりの剣豪でもある。また、
大蔵卿が、本心を平家側には、覚られないようにしながら、観客
に本心を見せるのは、鬼次郎あてのシグナルの場合である。鬼次
郎とは、目と目で、コミュニケーションを図る。常磐御前も、鬼
次郎に向けて、情報を発信しているから、動きは少なく、地味な
ので、気がつき難いが、いわば、芝居の要にいるのが、梅玉であ
る。

本舞台から階段へ乗り出す際、飛び上がって、左右の足を段違い
に着地する吉右衛門の大蔵卿。これも、緊張する場面だ。本心を
隠し、的確に阿呆顔を続ける、抑制的な、器の大きな知識人・大
蔵卿は、かなり難しい役であろうと思う。吉右衛門自身は、大蔵
卿を「見た目よりも動きの激しい、やる事の多い辛い役」だと
言っている。金地に大波と日の出が描かれた扇子を使いながら、
阿呆と真面目の表情を切り換えるなど、阿呆と真面目の使い分け
を緩急自在な、緩怠なき演技で表現する吉右衛門。太刀持ちの女
小姓・弥生を演じたのは、芝のぶ。仕どころは、少ないが、絶え
ず、吉右衛門の大蔵卿の傍にいるので、おいしい役どころ。

清盛方の勘解由(段四郎)と勘解由女房・鳴瀬(吉之丞)は、哀
しい。やがて、自害する運命にある鳴瀬。深手の末に、大蔵卿に
首を落される勘解由。「死んでも褒美の金が欲しい」という勘解
由の科白は、280年前の原作者からの時空を超えたメッセー
ジ。勘解由の首と源氏所縁の重要な宝剣・友切丸を鬼次郎に託す
場面の大蔵卿は、公家ながら、一瞬、颯爽の、武士の顔を垣間見
せるが、その後、偽装の阿呆顔に戻る。

笑いのうちに、昼の部は、終了。正月興行の演目らしい、明るさ
が、閉幕後も、場内に漂っている。今回は、配役のバランスもよ
く、安定した舞台であった。見せ場の、大蔵館奥殿の竹本も、葵
太夫で、きちりと語る。吉右衛門、福助が、歌舞伎の次の時代の
軸になって来る事を予見させる舞台であった。


「けいせい浜真砂」は、初見。1839(天保10)年、大坂、
角の芝居で二代目富十郎が出演して、初演された。立役が主役の
舞台を女形に書き換えたものは、多数の作品があるが、今回は、
石川五右衛門を傾城の石川屋真砂路に置き換えた。桜が満開の南
禅寺山門が舞台。幕が開くと、舞台一面、浅葱幕で覆われてい
て、上手、幕外の山台に大薩摩(長唄の荒事演出。普通は、幕外
に立って演じるので、山台は、珍しい)のふたりによる置唄とな
る。「九重の桜の匂う山門の・・・」で、2連の三味線が早間に
なると、浅葱幕の振り落としで、舞台は、一気に華やかになる。
山門の大道具の、2階に、ことしの夏で88歳、米寿を迎える雀
右衛門が、初役の傾城姿で、立っている(合引には座っているだ
ろう)。銀の長煙管を持ちながら、「絶景かな、絶景か
な・・・」。小さいが、声は聞こえる。但し、顔が、小さくなっ
ている。痩せたのだろうか。石川屋真砂路は、真柴久吉に討たれ
た武智光秀の息女。父を亡くし、苦界に身を沈めただけに、久吉
に害意を抱いている。久吉の子息を巡り、同じ傾城仲間との恋の
鞘当てを演じているという趣向。やがて、大道具が、せり上が
り、中央せりからは、久吉(吉右衛門)が、上がって来る。山門
下を通りかかったという体。

「石川や 浜の真砂は尽きるとも」と久吉。不審顔の真砂路。
「実に恋草の種は尽きまじ」と下の句をつける久吉。妖しい奴
と、簪を抜き取り、手裏剣代わりに投げる真砂路。手に持ってい
た柄杓で、これを受け止めると、「巡礼にご報謝」と言う久吉。

一枚の、動く錦絵のような舞台。10分余りの舞台だが、動きの
少ない役ながら、風格のある雀右衛門の存在感がある。器量の大
きさを演じる吉右衛門が、これをじっくりと受け止める。


「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)−魚屋宗五
郎−」は、7回目。黙阿弥の原作は、怪談の「皿屋敷」をベース
に酒乱の殿の、御乱心と、殿に斬り殺された腰元の兄の酒乱とい
う、いわば「酒乱の二重性」が、モチーフだった。五代目菊五郎
に頼まれて、黙阿弥は、そういう芝居を書いた(だから、外題
も、「新皿屋舗」が、折り込まれている)のだが、現在、上演さ
れるのは、殿様の酒乱の場面が描かれないため、妹を殺され、殿
様の屋敷に殴り込みを掛けた酒乱の兄の物語となっている。実
は、五代目菊五郎は、妹・お蔦と兄・宗五郎のふた役を演じた。
殿様を狂わせるほどの美女と酒乱の魚屋のふた役の早替り、それ
が、五代目の趣向でもあった。そういう、作者や初演者の趣向、
工夫魂胆を殺ぎ落とせば、殺ぎ落とすほど、芝居は、つまら
なくなる。現在の上演の形だと、芝居の結末が、いつ観ても、つ
まらない。だから、あまり、好きでは無い。

「もうこうなったらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」。
これだけは、小気味の良い科白だ。「芝片門前魚屋内の場」から
「磯部屋敷」の場面のうち、前半の「玄関先の場」までの、酔
いっぷりと殴りこみのおもしろさと後半の「庭先の場」、酔いが
醒めた後の、殿様の陳謝と慰労金で、めでたしめでたしという紋
切り型の結末は、なんともドラマとしては、弱い。暮に歌舞伎座
で観た「筆屋幸兵衛」と同じだ。安直な結末。妹を理不尽に殺さ
れた兄の悔しさは、時空を越えて、現代にも共感を呼ぶ筈だ。な
んとか、原作を活かした形で、再演できないものかと、今回も、
思った。

兄の宗五郎は、團十郎、勘九郎時代を含めて、勘三郎(2)、菊
五郎、三津五郎、幸四郎(今回含めて、2)、5人の役者で、観
ている。宗五郎の女房・おはまは、病気休演中の澤村藤十郎、福
助、田之助、芝雀、時蔵(2)、そして今回の魁春。それぞれ、
持ち味の違う宗五郎、おはまを観たわけだ。

己の酒乱を承知していて、酒を断ちって、抑制的に生活をしてい
た宗五郎が、妹のお蔦の惨殺を知り、悔やみに来た妹の同輩の腰
元・おなぎ(高麗蔵)が、持参した酒桶を女房のおはま(魁春)
ら家族の制止を無視して全て飲み干し、すっかりでき上がって、
酒乱となった勢いで殿様の屋敷へ一人殴り込みを掛けに行くまで
の序幕「魚屋内の場」で、幸四郎は、「酒乱の進行」をたっぷり
見せてくれる。いつものオーバーアクションも、余り気にならな
い。というより、宗五郎は、誰が演じても、「たっぷり」と大向
こうから、声が掛るような演技をするからだ。

宗五郎は、次第次第に深まって行く酔いを見せなければならな
い。妹の遺体と対面し、寺から戻って来た宗五郎にお茶を出す。
お茶の茶碗が、次の展開の伏線となるので、要注意。まず、お茶
を飲み干す。いずれ、この茶碗で、酒を呑むことになる。禁酒し
ている宗五郎は、供養になるからと勧められても、最初は、きっ
ぱりと断る。酒を呑まない。やがて、娘の死の経緯を知った父親
から、「もっともだ、もっともだ、一杯やれ」と勧められると、
1杯だけと断って、茶碗酒をはじめる。「いい酒だア」。それ
が、2杯になり、3杯になる。早間の三味線が、煽るように演奏
される。父親にも、酒を勧める宗五郎。父親が、断ると、「親父
の代りに、もう一杯」という。家族から反対されるようになる。
酒乱へ向けて、おかしな気配が漂い出す。陽気になる。強気にな
る。饒舌になる。茶碗から、酒を注ぐ、「片口」という大きな器
を奪う。それを見た家族らから制止されるようになる。黙阿弥の
原作からして、オーバーアクションを唆す工夫魂胆が伺える。

「もうこうなったらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」と
宗五郎も、覚悟をきめる。やがて、皆の眼を盗んで、酒桶そのも
のから直接呑むようになる。それでも、呑み続ける。「もう、そ
れぎりになされませ」と、女房がとめるが、聞かない。そして、
全てを呑み尽してしまう。ここは、オーバーアクションが、そも
そもの趣向なのだ。暴れだし、格子を壊して、家の外へ出て行
く。祭囃子が、大きくなり、宗五郎の気持ちを煽り立てる。花道
七三にて、幸四郎は、酒樽を右手に持ち、大きく掲げる。附け打
の柴田正利も、力が入る。このところ、世話物に積極的に取り組
んでいる幸四郎は、意欲的だ。

五代目菊五郎が練り上げ、六代目菊五郎が、完成したという酔い
の深まりの演技は、緻密だ。まさに、生世話物の真髄を示す場面
だ。この場面は、酒飲みの動作が、早間の三味線と連動しなけれ
ばならない。私が観たうちでは、幸四郎だけは、糸に乗るのが、
巧くなかったが、踊りの巧い菊五郎、勘三郎、三津五郎は、糸に
乗っていた。酔いの演技では、團十郎は、また、3人とは違う巧
さがある。

この場面で、宗五郎の酔いを際立たせるのは、宗五郎役者の演技
だけでは駄目だ。脇役を含め演技と音楽が連携しているのが求め
られる。特に、おはまは、これまで観たところでは、時蔵の演じ
る女房・おはまが、断然良かった。生活の匂いを感じさせる地味
な化粧。時蔵は、色気のある女形も良いが、生活臭のある女房の
おかしみも良い。今回の魁春も、最近は、こういう役どころに力
を発揮するようになった。今回も、良かった。

小奴・三吉は、十蔵時代の市蔵、獅童、正之助時代の権十郎、松
緑、勘太郎、そして今回を含み2回目の染五郎を観ているが、
04年5月、歌舞伎座で観たときの松緑の三吉と、染五郎が良
い。剽軽な小奴の味が、松緑にはあったし、染五郎は、剽軽な役
で、独特の味を出す。この場面は、出演者のチームプレーが、巧
く行けば、宗五郎の酔いの哀しみと深まりを観客にくっきりと見
せられる。

このほかの役者では、二幕目では、初役ながら、歌六の家老・浦
戸十左衛門が、落ち着いていた。そもそも、「魚屋宗五郎」とい
う芝居が、初めてだという。錦之助の殿様・磯部主計之助は、先
の、襲名披露の舞台に続けて、同じ役で出演。


「お祭り」は、團十郎の主演。難病を克服して舞台復帰をし、お
ととしの夏、還暦を迎えた團十郎。代々12人の團十郎の内、團
十郎の名前で、還暦を迎えた人は、ふたりしかいない。「お祭
り」は、1826(文政9)年、三代目三津五郎初演の変化舞踊
の一幕。江戸の天下祭は、神田祭と山王祭が、二大祭といわれ
た。隔年で、交互に開かれる。「お祭り」は、山王神社の祭り
「山王祭」を題材にしている。やはり歌舞伎で演じられる「神田
祭」は、神田明神の祭を題材としている。ところが、歌舞伎の場
合、「お祭り」という外題で、内容は、「神田祭」だったり、外
題も、きちんと「神田祭」だったりするが、実は、区分けが、い
い加減で、混在していて、歌舞伎座筋書の上演記録も、分けた
り、いっしょにしたりしているから、要注意。

山王祭は、一番鶏、二番猿という山車が先達になるので、清元の
文句が、「申酉の」で始まるから、通称「申酉(さるとり)」と
いう。私が、「お祭り」を最初に観たのは、大病を煩い、休演し
ていた孝夫時代の仁左衛門が、久々の舞台復帰で、大向うから、
「待ってました」と声がかかると、「待っていたとは、ありがて
い」と答える声に、健康を取り戻した役者の喜びが、溢れていた
のを思い出す。94年1月の歌舞伎座であった。

開幕。下手に剣菱の積み物、上手に清元連中。舞台を覆う浅葱幕
が振り落とされると、舞台中央に、紺を染め抜いた白地の衣装
(縮緬に首抜き)も凛々しい團十郎の鳶頭は、桃色の牡丹の花を
付けた花笠(祭笠)と同じ牡丹の絵柄(銀地にピンクの牡丹)の
扇子(祭扇)を持っている。今回も、2回目の闘病生活に打ち
勝って復帰した團十郎の「お祭り」だけに、やはり、大向うか
ら、「待ってました」と声がかかると、團十郎は、「待っていた
とは、ありがてい」と答える声に、健康を取り戻した役者の喜び
が、溢れていた。團十郎は、上手、下手、中央と観客に挨拶。役
者と観客の熱い交流。8人の若い者との立ち回り。獅子舞(若い
者、途中で團十郎と入れ替る)、おかめ、ひょっとこの面、御
幣、竿灯(御祭礼)などの小道具。正月興行らしい、華やぎ。
- 2008年1月20日(日) 16:03:36
2007年12月・歌舞伎座 (夜/「菅原伝授手習鑑」、「粟
餅」、「ふるあめりかに袖はぬらさじ」)


いつもと一味違う「寺子屋」


「菅原伝授手習鑑〜寺子屋〜」は、国立劇場の前進座公演もふく
めて、今回で13回目。今回の舞台は、勘三郎になって、初めて
の松王丸を演じる。勘三郎は、勘九郎時代に、明治座と大阪中座
で、2回、松王丸を演じているが、歌舞伎座で演じるのは、初め
てである。私も、勘三郎の松王丸は、今回が初見である。従っ
て、劇評も、勘三郎の松王丸論を軸にする。

「寺子屋」では、松王丸と千代の夫婦と源蔵と戸浪の夫婦が、両
輪をなす。今回は、千代が、福助、源蔵が、海老蔵、戸浪が、勘
太郎という布陣である。「寺子屋」では、源蔵の出が、早いため
に、松王丸を論じる前に、源蔵を論じてしまう。今回も、同じ轍
を踏もう。

「寺子屋」の、いわゆる「源蔵戻り」。

「(竹本)立ち帰る主の源蔵、常に変わりて色青ざめ、内入り悪
く子供を見廻し、
 ト向うより源蔵、羽織着流しにて出で来り、すぐ内へ入る」

前回の劇評で、私は、次のように書いた。

吉右衛門の源蔵は、花道七三で、「はっ」と、息を吐いた。先程
まで、村の饗応(もてなし)と言われて出向いた庄屋で、藤原時
平の家来・春藤玄蕃から自宅に匿っているはずの菅秀才の首を差
し出せと言われ、思案しながら歩いて来たので、「もう、自宅に
着いてしまったか」という、諦めの吐息であっただろうか。初代
の工夫か。このように、吉右衛門は、初代の科白廻しや所作を継
承しているように見え、科白も、思い入れたっぷりに、じっく
り、叮嚀に、それでいて、力まずに、抑え気味に、秘めるべきは
秘めて、吐き出しているように感じられた。オーバーにならない
程度に抑えながら、リアルに科白を廻す。

ところが、今回の海老蔵は、これほど、藝が細かく無い。もう、
花道の出だけで、力量が知れてしまう。科白も、唄い気味で、良
く無い。迎える勘太郎の戸浪も、形をなぞっているだけという印
象。こうなってくると、今回の劇評も、コンパクトにならざるを
得ない。

さすがに、海老蔵・勘太郎コンビに比べると、勘三郎・福助コン
ビは、レベルが違う。しかし、勘三郎は、達者にやりすぎてい
て、幸四郎、吉右衛門、仁左衛門らの松王丸とは、ちょっと違
う。ズバリ言うと、松王丸というより、勘三郎そのものなのだ。

いわゆる「首実検」。

「松王首桶をあけ、首を見ることよろしくあって」

勘三郎の松王丸は、「むう、こりゃ菅秀才の首に相違ない、相違
ござらぬ。出かした源蔵、よく討った」と、唄ってしまう。調子
が良すぎる。勘三郎の科白廻しは、今回、一貫して唄いすぎてい
たように思う。

福助の千代は、しっとりとしていて、良い。菅丞相の御台所・園
生の前は、松也というから清新だ。春藤玄蕃が市蔵、涎くり与太
郎が亀蔵と松島屋兄弟が、脇を固める。いずれにせよ、良し悪し
は別にして、13回観た「寺子屋」のなかでも、いつもと、一味
違う舞台であった。


三津五郎の踊りに引っ張られて橋之助の踊りも、良かった


「粟餅」は、初見。踊りの達者な三津五郎を軸に橋之助が、いか
に、絡むかをポイントに劇評をまとめたい。1845年の作品。
本名題は、「花競俄曲突(はなのほかにわかのきょくづき)」と
ある。「はなのほかにはまつばかり」という「娘道成寺」の文句
が、二重写しになるように、初演時は、「今様道成寺」(上)か
ら、「粟餅」(下)という構成であったと言う。「道成寺」の衣
装から、引き抜きで、「粟餅」の衣装になる趣向だったようだ
が、上の巻は、廃れて、下の巻のみ、現在まで残った。江戸の街
では、往来で粟餅を搗いてみせる際に、曲搗きや曲投げなどが、
大道藝になったようで、幕末の江戸の縁日などで庶民の人気を集
めたという。

幕が開くと、まず、浅葱幕で、置き浄瑠璃(常磐津)「来たきた 
来たきた してこいな」。幕の振り落しで、杵造(三津五郎)、
臼造(橋之助)が、江戸で評判の粟餅売りに扮して出て来る賑や
かな呼び声とともに、早速、粟餅を作りはじめる。臼と杵。淡い
黄色の餅の塊。「やきもち、癇癪持ちで、とかく物事、胸にもち
そう」などという地口で、観客を笑わせる。曲投げ、曲取りを披
露したりする。遊女と客の様子を躍りで写したり、「六歌仙」を
交え、茶色地に白く「あハ餅」と書かれた団扇太鼓で、賑やかに
踊る。背景は、大川(隅田川)と商家。蔵や小さな庭がある。材
木屋には、材木が立て掛けてある。用水桶、柳の木。大川の向う
側にも、材木が立て掛けてある商家が目につく。火の見櫓もあ
る。「火事と喧嘩は、江戸の花」。三津五郎の腰の落し方、上半
身を軸にした安定した踊り、足捌きの切れの良さ。橋之助も、三
津五郎に遅れまいとしながら、きちんと、付いて行き、よかっ
た。ただし、橋之助の踊りは、三津五郎の軽妙さには、負けてし
まう。

街頭の餅搗きが出て来る、同じような舞踊を観たことがあるの
で、なんとか、「遠眼鏡戯場観察」の、9年分の記録の山から探
し出そうと、キーワードを使って検索してみたが、見つからない
ので、比較論を断念した。


新派劇だが、新作歌舞伎への脱皮を目指す


「ふるあめりかに袖はぬらさじ」は、初見。玉三郎は、新派とし
て、軸になって、何回も、主役の「お園」を演じて来たが、歌舞
伎役者だけで、それも、歌舞伎座で演じるのは、今回が初めてで
ある。新派劇か、新作歌舞伎か、といえば、まだ、新派劇。歌舞
伎の世界では、歌舞伎というのは、幕末以前(あるいは、明治期
の演劇改良運動以前)から遡った演目を指す。古典という。新歌
舞伎とは、明治以降、戦前までに、劇場外の作者の手で作られた
演目であり、戦後(と言っても、もう、60年を越える)に作ら
れた演目は、新作歌舞伎という。新歌舞伎、新作歌舞伎となるに
連れて、歌舞伎味の乏しい、歌舞伎役者が演じる劇も、歌舞伎の
範疇に入れたりしているが、本来は、演出、様式性、大道具など
の使い方から見れば、厳密には、区別されてしかるべきだろう。
今回も、歌舞伎役者だけで演じる新派劇ゆえに、歌舞伎座は、普
通の劇場のように、観客席を始終暗くしたままであった。従っ
て、いつもの歌舞伎ウオッチングのようには、メモが取れないの
で、印象論的な劇評にならざるを得ないのが、残念である。

特に、歌舞伎の舞台と違って、本舞台奥に書割りが無く、違った
趣向の大道具が置いてある。例えば、第一幕の「横浜岩亀楼の行
灯部屋」の場面など、観客席から見て部屋の向う(つまり、舞台
の奥)には、雨戸と障子があり、最初は、朝を迎えたばかりで、
雨戸が閉まっているから、部屋の様子さえ、暗くて良く見えな
い。病気で寝ている花魁の亀遊(七之助)の様子を見に来た芸者
のお園(玉三郎)の声は、聞こえるのだが、姿が、はっきりしな
いというほどの暗さでは、客席にいる私の手許では、メモに字を
書くなどという藝当は、所詮無理である。やがて、雨戸が明けら
れ、朝の灯が、部屋の中に射して来るという趣向である。さら
に、障子が開けられると、空が見えるし、そこに立って、窓の外
を見ているお園に言わせれば、横浜に港が見えるという。この行
灯部屋は、屋根裏にあるのだろう。歌舞伎座の大きな舞台のう
ち、下手半分だけで設えてあり、上手は、暗いままであった。お
園と亀遊とのやりとりの後、岩亀楼のお抱えの通辞(通訳)の藤
吉(獅童)が、部屋に入って来る。お園は、若いふたりの仲を素
早く察知する。吉原時代から姉妹のように付き合って来たお園と
亀遊。蘭学を学び、将来は、アメリカに渡り、医学を治めて、医
者になりたいという藤吉。藤吉の渡した薬(と愛情)で、恢復し
つつある亀遊。物語の軸になる主要な人物たちの関係が浮き上
がって来る。

第二幕は、翌年2月の「横浜岩亀楼の引付座敷扇の間」。第一幕
から、3ヶ月後。岩亀楼があるのは、横浜の港崎(みよざき)遊
廓。安政6(1859)年、横浜開港に伴って作られた廓であ
る。岩亀楼は、実際にあった大きな遊廓。七之助演じる亀遊は、
実在の人物とも伝えられるが、アメリカ人の身請けを嫌って自害
した際に遺したとされる「露をだにいとふ大和の女郎花 ふるあ
めりかに袖はぬらさじ」という辞世の和歌は、攘夷論者によっ
て、作られたものといわれている。ここでは、第一幕の3人に加
えて、アメリカ人を案内して来た客の薬種問屋の主人(市蔵)、
アメリカ人(弥十郎)、岩亀楼主人(勘三郎)、芸者(笑三郎、
春猿)、幇間(猿弥)、唐人口(外国人専用)の遊女(福助、吉
弥、笑也、松也、新悟、芝のぶ)らが登場し、歌舞伎座の本舞台
一杯に設えられた「扇の間」は、大賑わい。その挙げ句、唐人口
の遊女が気に入らないアメリカ人は、薬種問屋の相方として現れ
た亀遊に一目惚れをしてしまい、六百両で、身売りする話が、ま
とまってしまう。藤吉と恋仲で、アメリカ人の囲い者になりたく
ない亀遊は、自害をしてしまう。開化横浜の風俗が、描かれる興
趣ある舞台である。

第三幕は、2ヶ月後の、同じ部屋。亀遊の死を報じる瓦版が出
て、記事には、辞世の歌が添えられて、攘夷遊女の死が称えられ
ていて、話題になっているという。その影響が出始めていて、早
速。浪人の客たち(権十郎、海老蔵、右近)が、亀遊自害の部屋
を見せて欲しい訪ねて来る。現場となった亀遊の部屋を見せる
と、あのような部屋で亀遊を死なせるとはけしからんと浪人たち
は怒り出す。岩亀楼主人(勘三郎)は、苦し紛れに、「扇の間」
を亀遊の死に場所だと偽りを言い、自害の様子の一部始終を見届
け人としてお園を指差してしまう。お園も主人の意向を受けて、
偽りの話をでっち上げると、浪人たちは、満足して帰って行く。
次の客たち(友右衛門、亀蔵、男女蔵)が来るとお園は、攘夷遊
女亀遊の一代記を得々と話すようになる。虚偽を語るときの、お
園の生き生きとした表情は、玉三郎の当り役としての輝きが加
わっているようだ。こうして、「ふるあめりかに袖はぬらさじ」
という新作歌舞伎のテーマは、次第に鮮明になって行く。つま
り、虚偽を売り物にする人たちの物語である。何やら、マスコミ
を騒がせている各地の老舗の食品店の虚偽騒動という、いまの話
題と直結してくるではないか。

第四幕は、5年後の、同じ部屋である。「烈女亀遊自決之間」と
いう看板が架かっている。牢内で獄死した攘夷派の大橋訥庵が主
宰した「思誠塾」の塾生たち(三津五郎、橋之助、門之助、勘太
郎、段治郎)が、亡き先生の祥月命日の集いをしている。攘夷遊
女亀遊の話が聴きたいということになって、お園が呼ばれる。定
席の亀遊の一代記を語り、1862(文久2)年に亡くなった亀
遊の辞世の歌を1857(安政4)年に、吉原で馴染みとなった
大橋訥庵からお園が教わったといったから、岩亀楼の仕組んだ
「虚偽」が、ばれてしまった。お園は、塾生らに斬られそうにな
るが、攘夷派が攘夷遊女亀遊を喧伝したお園を斬って捨てるの
も、問題になるということで、助けられる。雨が降る中、ひとり
酒を呷り、自分の話は、全て本当だと嘯くお園の孤独な姿が、印
象に残る。

勘三郎が演じる岩亀楼主人の嘘は、攘夷遊女という虚偽を、商売
として利用するための虚偽で、分かりやすい儲け主義だが、玉三
郎が演じるお園の嘘は、フィクションを語ることの快楽としての
虚偽。虚偽は、いつの間にか、虚実の裂け目をすり抜けて、嘘か
真か、判らなくなってしまっている。麻薬としての虚偽。それ
は、玉三郎の科白廻しの巧さが、大いに力を発揮しているように
思えた。玉三郎の自然な科白。力みがなく、サラッとしているの
だが、説得力がある。当たり役の自信が滲み出ている。新派劇で
あれ、新作歌舞伎であれ、そういうことに対するこだわりを忘れ
て、玉三郎に注目し続けさせた舞台であった。お園は、口舌の徒
として、岩亀楼の「烈女亀遊自決之間」を訪れた飄客たちを騙し
たが、玉三郎も、科白廻しの妙で、歌舞伎座を訪れた観客たちの
心をつかみ取った。

贅言:見えない海。舞台の奥、大道具の窓の光だけで、描かれ
る。しかし、最後に、窓の外に大写しにされるのは、船か。老
練、戌井市郎の演出の妙なのか、どうか。抽象的で、良く判らな
い演出だったが、玉三郎の演技の妙を妨げはしない。

最後に、玉三郎以外の役者の演技論で、07年の私の歌舞伎評を
締めくくろうと、思う。この芝居には、筋書に明記された役者だ
けで、45人いる。まず、勘三郎だが、狡い岩亀楼主人を演じて
いて、巧みであった。唐人口遊女マリアを演じた福助は、笑われ
役で、リアリティがあり、最近の福助は、どんな役柄でも、力を
抜かずに演じていて、地力を確実に見煮付けていることが伺われ
る。七代目歌右衛門襲名が、近づいているように思われる。花魁
の亀遊を演じた七之助は、行灯部屋で、儚げに病んでいて、好
演。女形の味が、滲んでいた。亀遊の恋人で、岩亀楼のお抱えの
通辞の藤吉を演じた獅童は、玉三郎、七之助、勘三郎を相手に仕
どころの多い役で、おいしい役どころ。きちんと演じていて、好
感が持てた。「思誠塾」の塾生たち役者のうち、三津五郎、橋之
助、門之助、勘太郎、段治郎らは、大団円への伏線を作る。その
前の浪人客では、権十郎、海老蔵、右近らが、また、旦那衆で
は、亀蔵、男女蔵、友右衛門が、唐人口の遊女らでは、吉弥、笑
也、松也、新悟、芝のぶが、それぞれ笑劇の役割を担う。ひとり
洋服を着て、件の外人客イルウスを演じた弥十郎、狂言廻しの薬
種問屋の市蔵、幇間を演じた猿弥、芸者群のうちの、笑三郎、春
猿、女中の歌女之丞、遣り手の守若、帳場の寿猿など、師走興行
らしく、随所に、澤潟屋一門が、顔を出していて、安心した。
- 2007年12月27日(木) 21:34:37
2007年12月・歌舞伎座 (昼/「鎌倉三代記」、「鬼揃紅
葉狩」、「水天宮利生深川」)


「閑居」は、侘び住居どころか、大忙し


「鎌倉三代記〜絹川村閑居〜」は、4回目の拝見。源氏の家督を
巡って北條時政率いる鎌倉方と源頼家率いる京方との争いは、徳
川方と豊臣方の争い(大坂夏の陣)を下敷きにしている。歌舞伎
では、「閑居」(侘び住居)が、よく芝居の舞台となる。「仮名
手本忠臣蔵」の「山科閑居」。「傾城反魂香」も、「山科閑居」
(そう言えば、二重舞台の設定が、絹川村閑居と「傾城反魂香」
の山科閑居は、似ている。下手に薮があり、上手に座敷がある。
襖などは、「傾城反魂香」の方は、漢詩などが書かれていて、武
張っているが)。「絵本太功記」の「尼ヶ崎閑居」など、思いつ
くままに上げても、いくつかある。「閑居」では、登場人物たち
が、のんびり暮らしているわけでは無い。「小人閑居して不善を
なす」などと良く言うが、歌舞伎の「閑居」は、不都合なことが
あり、事実上、「幽閉」されているため、起死回生を心に秘めて
いるような場合が、多い。今回の「閑居」では、北條時政の娘の
時姫が、京方、つまり敵方の武将・三浦之助に惚れてしまい、三
浦之助の実家にいる病気の母親の手伝いをしようと押し掛けて来
ている。しかし、敵方の姫君の女心は、戦の中での謀略かと肝腎
の三浦之助本人からは、疑われている。鎌倉方の家来たちが、主
君の姫君を助け出そうと幾人もやって来る。その挙げ句、三浦之
助は、時姫に父親・時政殺しを持ちかける。「閑居」は、そうい
う政治に翻弄されている。それだけに、時姫は、難役である。今
回、初めて、福助の時姫を拝見した。これまでは、いずれも、雀
右衛門ばかりを観て来た。

この演目は、時代物のなかでも、時代色の強いものだから、時代
物の「かびくささ」「古臭さ」「堅苦しさ」などを逆に楽しめば
良いと思っている。特に、雀右衛門の時姫は、時代物の様式に
乗っ取り叮嚀に演じていた。今回初見の福助は、どう演じるか。
「鎌倉三代記〜絹川村閑居〜」は、そこが、私の観劇のポイン
ト。4回目の拝見だが、当サイトの「遠眼鏡戯場観察」に掲載さ
れている劇評は、04年1月のみ。それ以前の舞台を観たとき
は、当サイトは、開設されていなかった。

時姫を含めて、歌舞伎では、難しい姫の役を「三姫」という。
「三姫」とは、「本朝廿四孝」の「十種香」に出て来る八重垣
姫、祇園祭礼信仰記〜金閣寺〜」の雪姫、そして、今回の「鎌倉
三代記〜絹川村閑居〜」の時姫という3人の姫君のことである。
時姫の難しさは、「赤姫」という赤い衣装に身を包んだ姫君であ
りながら、世話女房と二重写しにしなければならないからだろう
し、時姫の置かれている立場の苦しさをきちんと描かなければな
らないからだろう。物語は、「近江源氏先陣館」(大坂冬の陣)
の続編。大坂夏の陣を鎌倉時代に移し替え、時姫(千姫)に父
親・北條時政(徳川家康)への謀反を決意させるという筋書きで
ある。夫・三浦之助(豊臣方の木村茂成)と父親との板挟みにな
り、苦しむという、性根の難しさを言葉ではなく、形で見せるの
が難しいので、「三姫」という姫の難役のひとつと数えられて来
た。赤姫の扮装に手拭を姉さんかぶりにし、箒を持って、夫の実
家を掃除している。そういうある意味では、破天荒で、荒唐無稽
な姫様が、苦悩していることを観客に理解させなければならな
い。このところ力を付けて来ている福助は、時姫を以前に国立劇
場で演じているが、私は観ていない。福助は、五代目歌右衛門か
ら伝わるやり方を踏襲していると言う。

今回初見の福助は、無難にこなしているが、雀右衛門の時姫の方
が、位があり、見応えがあったように思う。それは、福助が、科
白で時姫を主張しているからで、これに対して、雀右衛門は、科
白より、所作で見せていた。雀右衛門の時姫が、言葉より、形で
迫って来たのに対して、福助は、科白を重視しているように見え
た。雀右衛門も、87歳と、最近は、高齢で、短い演目で動きの
少ない役柄ばかりを選んで舞台に立つようになってきたので、も
う、時姫などは、見られないだろうが、雀右衛門を除けば、福
助、魁春、扇雀、病気休演中の藤十郎辺りしか、ここ30年で
は、時姫を演じていない。福助には、さらに、時姫を極めて、所
作だけでも、演じられるようにしてほしいと思った。玉三郎の時
姫も観てみたい。

京方の、佐々木高綱(真田幸村)は、前半は、時姫を連れ戻そう
とする、鎌倉方の足軽・安達藤三郎(三津五郎)に化けている。
滑稽役の藤三郎と、後半の武将・佐々木高綱への変わり身が、身
上の役どころ。「地獄の上の一足飛び」で、真っ赤な舌をだし
て、両手を垂れた無気味な見得をするのも、この時代物の古臭さ
が、かえって、斬新に見えるから不思議だ。井戸から出入りする
富田六郎(亀蔵)を井戸の中から槍で突き殺してから上がって来
る三津五郎は、最初、後ろ姿を曝す。振り向くと、赤の襦袢に六
文銭(真田の紋章)柄の衣装、菱皮の鬘に、左眉の上に痣か、入
墨か、何かがあり、白と紫の仁王襷、それでいて、前半の藤三郎
に化けていたとき穿いていた軍兵のたっつき袴という古風な衣装
である。いつもの高綱とは違う、「義経千本桜」の「鳥居前」
の、狐忠信を思わせるような荒事の出立ちで、井戸の中から、登
場して来るのもおもしろい。いかにも、歌舞伎のお助けマンとい
う出立ちである。祖父の八代目三津五郎の工夫を50年ぶりに復
活させたという。従って、いつもの、衣装ぶっかえりは無い。ま
さに、旧いものは、新しいという珍しい型を見せてくれる。こう
いうところが、良し悪しは、別にして、歌舞伎らしい趣向。私
は、おもしろいと思った。殺された六郎は、黒衣が、広げる黒い
消し幕に隠されて、下手に移動しながら、片付けられる。平舞台
に上がって来た高綱は、持っていた槍を平舞台上手よりに置いて
あった石に突き刺す(この石は、この場面のために、最初からお
いてあったというわけだ)。

三浦之助(橋之助)の身につけている簑が、「天使の羽」のよう
に見える。前回、3年前の1月歌舞伎座で観た菊五郎の時も、天
使のような天真爛漫さが、あったが、今回の橋之助も同様に見え
た。実母・長門(秀調)を心配して、三浦之助は、戦場から戻っ
て来たのだが、母からは、拒絶される。実は、三浦之助は、病気
の母を見舞うということを口実に妻・時姫の父親への謀反を決意
させるために戻って来たという難しい役。橋之助の三浦之助の難
点は、戦場で深い傷を負って来た筈なのに、いつしか傷の深さを
忘れてしまっているような仕草が目立つことだ。それでいて、傷
の余りに、失神してしまうと、高綱が、三浦之助が、二重舞台に
置きっぱなしにしてあった弓を取り、三浦之助の気付けにと打ち
据える(舞台に置いてある、或いは、置きっぱなしになっている
小道具は、必ず、後で使うから、注意しておくと、おもしろ
い)。

長門は、ちょっとしか、顔を見せないだけに、難しい。前回観た
田之助は、重厚であったが、秀調の老け役は、悪くは無いのだ
が、田之助にくらべると、未だ、軽い感じがする。長門を最初に
観たのは、11年前の、96年5月の歌舞伎座で、上演記録を見
ると十代目芙雀とあるが、印象に残っていない。4人の長門のう
ち、ほかは、又五郎であった。

このほか、時姫救出を時政から命じられたふたりの局(歌江、鐵
之助)や、閑居の庭内にある井戸から出入りする富田六郎など、
時政の手の者が、井戸のなかの抜け道を使うなど、時代物らしい
荒唐無稽さが、かえって、おもしろい。亀蔵の六郎は、強盗提灯
(がんどうぢょうちん)の扱い方が、肌理細かくて良い。この場
面、大道具半廻しで、閑居の横側が、上手正面に移動して来るの
に、背景の薮は、動かない。普通なら、平舞台に置いてある薮
が、綱が見えない様に緑に塗られて薮をぶら下げているのが判
る。この工夫で、薮は、大道具半廻し前の、下手半分から、下手
4分の3まで、広がって来る。こういう大道具の工夫など、見落
せば、見落してしまうが、ウオッチングをしていると、ひっか
かって来るから、おもしろい。藤三郎の女房・おくる(右之助)
など、時代物を知り尽くした達者な役者が脇を固めている。おく
るも、自分たち夫婦が、京方のお役にたったと喜びながら、自害
して、果てる。おくるも、黒い消し幕に隠されて、消えて行く。
「鎌倉三代記」は、時代物の好きな人には、そういう時代物独特
の演出の様式やそれを熟知した傍役の手堅い演技を楽しめる演目
だろう。


「信濃路紅葉鬼揃」は、新作歌舞伎舞踊


能の「紅葉狩」をベースにした歌舞伎の舞踊劇は、新歌舞伎十八
番の「紅葉狩」が、良く知られている。平維茂(たいらのこれも
ち)が、従者を連れて信州戸隠山へ紅葉狩に行き、更科姫一行と
出くわす。酒宴に招かれ、酔って眠ってしまう。夢の中に戸隠山
の山神が現れ、更科姫は、実は、鬼女で、維茂らを食おうとして
いると告げる。やがて、お告げの通りに招待を現した鬼女たちと
争い、退散させるという粗筋の物語である。「紅葉狩」は、何回
か拝見している。「鬼揃紅葉狩」というものも観たことがある。
60(昭和35)年4月、歌舞伎座で吉右衛門劇団の興行とし
て、六代目歌右衛門を軸に初演された新作歌舞伎舞踊で、私は、
06年9月の歌舞伎座で、観ている。筋立ては、基本的に「紅葉
狩」を下敷きにしている。更科姫が、後シテで、戸隠山の鬼女に
なるのは、同じだが、こちらは、侍女たちも鬼女に変身するの
が、ミソ。そのときの劇評を見ると、私は、幕開きの状況を次の
ように説明している。

軒先きのみの大屋根を舞台天井から釣り下げている。信州・戸隠
山中。上手に竹本、中央に四拍子(囃子)、下手に常磐津。そし
て途中から、床(ちょぼ)で、御簾を上げて大薩摩。

今回も、「軒先きのみの大屋根を舞台天井から釣り下げている」
のは、同じだ。上手に竹本、中央に長唄連中、四拍子。今回は、
常磐津も、大薩摩も、無し。竹本と長唄の掛け合いだ。今回は、
維茂以外は、固有名詞を使わない。皆、記号である。まず、長唄
で、玉三郎の上臈(実は、鬼女)一行が、花道から登場する。玉
三郎は、金地に紅葉をあしらった豪華な能装束を着ている。ほか
の侍女たちも、絢爛たる能装束である。

侍女たちは、門之助、吉弥、笑也、笑三郎、春猿の5人。玉三郎
を含めて、6人の彼女たちの踊りは、まるで、編隊飛行を観てい
るようである。4人と2人で、横2列になったり、3人と3人
で、縦2列になったり、そのまま、互いに向き合ったと思うと、
全員が、正面を向く。玉三郎を先頭に、1人、2人、3人で、三
角形を作る。斜に、4人と2人が、列を作る。玉三郎を先頭に縦
に3人、後ろから横に3人で、逆L字形になるなど。なにやら、
舞台から、暗号でも、送っているような感じがする。原曲の能に
近付けているようでいて、逆転して、能を一気に近代化しようと
している試みのように見受けられた。

維茂(海老蔵)と従者(右近、猿弥)の出。長唄、竹本の掛け合
い。酒宴となり、女たちの舞が続く。やがて、ひとり残され眠り
込む維茂。山神登場し、維茂に女たちの正体を明かし、警告を発
する。目を覚ました維茂と鬼女たちの死闘。女形たちの立回りの
所作という妙。歌舞伎の「紅葉狩」の侍女のチャリ(笑劇)や踊
り、維茂従者の踊りなどは、削ぎ落されている。

「紅葉狩」という舞踊劇は、本来、「豹変」がテーマである。更
科姫、実は、戸隠山の鬼女への豹変が、ベースであるが、姫の
「着ぐるみ」を断ち割りそうなほど、内から飛び出そうとする鬼
女の気配を滲ませながら、幾段にも見せる、豹変の深まりが、更
科姫の重要な演じどころである。観客にしてみれば、豹変の妙
が、観どころなので、見落しては、いけない。

それが、今回、初演の新作歌舞伎舞踊では、テーマが、変って来
ていると思った。玉三郎の意向だろうが、今回のテーマは、男女
の愛憎劇に絞ったと観た。男女が出逢い、恋に燃えたのにもかか
わらず、他人(この場合、山神)の、おせっかいで、恋が妨害さ
れてしまった。それゆえに、愛が、憎に変り、上臈は、侍女とも
ども、鬼になって、青年憎しと炎となって、襲いかかる、そうい
う物語になったのでは無いか。女性軍団は、まさに、編隊飛行
の、波状攻撃で、青年を滅ぼそうと襲いかかる。古風な、松羽目
ものの演目は、近代的な、男女の愛憎の心理劇に「豹変」した。
後シテでは、シテの玉三郎を含むツレの鬼女たちは、皆、赤頭
(あかがしら)となって、維茂の周りに、「髪洗い」の焼夷弾を
落すような勢いで、襲いかかる。能回帰による求心力を狙ったの
かも知れないが、合理的過ぎて、ちょっと、平板な印象が残った
のは、私だけでは無いであろう。玉三郎の意欲溢れる「信濃路紅
葉鬼揃」は、今後も、一工夫も、ふた工夫も、されることだろ
う。


先代勘三郎の味には、未だ、程遠い


「水天宮利生深川」は、2回目の拝見。前回は、去年3月の歌舞
伎座。幸四郎の幸兵衛であった。「水天宮利生深川」は、
1885(明治18)年2月、東京千歳座(いまの明治座)が初
演。河竹黙阿弥の散切狂言のひとつ。明治維新で、没落した武家
階級の姿を描く。五代目菊五郎の元直参(徳川家直属)の武士
(お目見え以下の御家人か)・船津幸兵衛、初代左團次の車夫三
五郎などの配役。戦後は、十七代目勘三郎が、得意とした演目。
粗筋は、陰々滅々としているが、勘三郎の持ち味が、それを緩和
して、人情噺に仕立て上げて来た。最近では、1990(平成
2)年1月の国立劇場で、團十郎、06年3月の歌舞伎座で、幸
四郎が演じている。当代勘三郎は、勘三郎になって、初めての幸
兵衛である。先代の父親以来、23年ぶりの勘三郎の幸兵衛であ
る。家の藝、念願の初役である。

深川浄心寺裏の長屋が舞台。上手に墓地。あちこちに、雪が残
る。寒々しい。幸兵衛(勘三郎)は、武芸で剣道指南もできず、
知識で代言人(今の弁護士)もできず、貧しい筆職人として、生
計を立て、ふたりの娘(鶴松ほか)と幼い息子を抱え、最近、妻
を亡くし、上の娘は、母が亡くなったことを悲しむ余り、眼が不
自由になっている。筆作りも軌道には、乗っていないようだ。知
り合いの善意に支えられ、辛うじて一家を守っているが、いつ、
緊張の糸が切れてもおかしくない。支えになっているのは、神頼
み。水天宮への信仰心。東京の人形町にある安産の神様で知られ
る水天宮は、本来、平家滅亡の時に入水した安徳天皇らを祭る水
神。幸兵衛が、乏しい金のなかから買って来る水天宮の額には、
碇の絵が描かれている。これは、「碇知盛」で知られる平知盛
が、歌舞伎の「義経千本桜」では、身を縛った碇を担いで重しの
碇とともに、大岩の上から身投げしたという設定になっているの
で、紋様として使われたのだろう。また、黙阿弥は、気の狂った
幸兵衛に、箒を薙刀に見立てて、知盛の出て来る、別の演目「船
弁慶」の仕草をさせる趣向も、取り入れている。他所事浄瑠璃で
は、延寿太夫らが、美声を聞かせ、幸兵衛の哀れさを強調する。
これも、幸兵衛発狂の伏線となる。

そういう脆弱さが伺える幸兵衛一家が、陰々滅々と描かれる。そ
して、案の定、金貸しの金兵衛(猿弥)と代理の代言人の安蔵
(弥十郎)から、借金の催促をされ、僅かな金も奪われるよう
に、持ち去られてしまう。危機管理ゼロ。結局、幸兵衛が思いつ
くのは、一家心中。あげく、子どもを手にかけることが出来ない
ことから、心中もままならずで、己を虐め抜き、遂に、発狂する
という話の展開になる。幼い赤子を抱えて、海辺町の河岸へ行
き、身投げをする。しかし、こういう脆弱な男に良くあるよう
に、自殺も成功せず、死に切れずに、助けられる。それが、水天
宮のご利益という解釈。「来年は、良い年になりますように」
と、全ては、ハッピーエンドとなる安直さで、前向きに、生きて
行こうと決意する。それだけの話。人生、思う通りにならないの
は、世の常。足元を固めて、一歩一歩、前に歩いて行くしかない
のは、最初から判り切っていることだろう。

勘三郎は、発狂場面を含めて、思い入れたっぷりに演じる。先代
の舞台は観ていないが、ビデオなどで拝見すると、科白廻し一つ
取ってみても、肩に力が入っていない。さらりと、科白を言って
いる。科白も、普通の口調で、演技ではなく、自然と幸兵衛にな
りきっていたし、狂気もするっと、境を超えていたのを思い出
す。今回の勘三郎は、未だ、肩に力が入りすぎている。抑え気味
に演じて、正気から狂気へが、観客の腑に落ちるように、役にな
り済ますことが出来ないものかと、思う。前回、幸四郎の演技で
も、同じように感じたが、これは、先代の勘三郎が、いかに上手
かったかということだろう。当代の勘三郎も、達者な役者だが、
達者さを感じさせずに、上手さを出せるようになったら、父親に
追い付くことになるだろう。今後の精進が愉しみだ。

このほか、脇に廻った豊富な役者たちでは、車夫・三五郎(橋之
助)、長屋の差配人・与兵衛(市蔵)、巡査・民尾保守(獅
童)、長屋の女房たち(歌女之丞、芝喜松)、質屋番頭(山左衛
門)ほかに、元直参ながら、剣道指南で巧く、新しい世の中を生
き抜いている萩原の妻・おむら(福助)、萩原の下女(小山三)
などが、印象に残るが、散切ものらしい配役の妙(車夫、巡査、
代言人など)が、おもしろい程度か。
- 2007年12月17日(月) 20:25:18
2007年11月・歌舞伎座 (夜/「宮島のだんまり」、「仮
名手本忠臣蔵 九段目」、「土蜘」、「三人吉三巴白浪」)


顔見世興行のグラビア 古怪な歌舞伎味「宮島のだんまり」


「宮島のだんまり」は、3回目。傾城・浮舟、実は盗賊・袈裟太
郎:藤十郎(現在、病気休演中)、時蔵、そして今回の福助、平
清盛:彦三郎、左團次、歌六、畠山重忠:歌昇、彦三郎、錦之
助、大江広元:正之助、歌昇(今回含め、2)。

「だんまり」は、江戸歌舞伎の顔見世狂言のメニューとして、安
永年間(1772ー81)に初代中村仲蔵(「仮名手本忠臣蔵」
五段目の定九郎を工夫した役者)らが確立したと言われる演出の
形態。およそ100年後に明治維新を迎えるという時期で、幕藩
体制も、低落に向いはじめた時期という閉塞感が、滲む。

場所:山中の神社、時刻:丑の時(午前1時から3時)、登場人
物:山賊、六部、巡礼など、要するに得体の知れない人物、状
況:暗闇のなかでの、宝物の奪い合いなどという、様式性の強い
設定で、グロテスクな化粧・衣装、凄みを込めた音楽、大間な所
作などを売り物にする。芝居の、今後の展開を予兆するような舞
台、いわば、映画の予告編のようなもの。本編は、近日公開とい
うわけだ。また、顔見世興行とのかかわりで言えば、顔見世狂言
は、当該芝居小屋の、向う1年間の、最初の舞台として、契約し
た出演役者を紹介するもので、その意味で、後に、一幕ものとし
て独立した「御目見得だんまり」は、顔見世独特の役割を担い、
興行の初めに、新たな座組を披露するために、一座の中核になる
役者を紹介する演目として、いわば、1年間の予告編であり、雑
誌で言えば、カラフルなグラビアページの役割を果たすと言え
る。

「宮島のだんまり」は、初演時の外題「増補兜軍記」が示すよう
に、「兜軍記」の世界をベースにしている。主役は、遊君阿古
屋、実は、菊王丸であった。山中を海辺の宮島・厳島神社に設定
して、一工夫している。ストーリ−は、他愛無い。10数人が、
平家の巻物(一巻)を争奪する様を、極彩色の絵巻のような「だ
んまり」というパントマイムで見せるという趣向。

定式幕が引かれると、浅葱幕に大海原を描いた浪幕が舞台を覆っ
ている。荒事らしく、大薩摩も幕前で、演じられる。大薩摩を演
じるのは、三味線の杵屋栄津三郎を従えた鳥羽屋文五郎。やが
て、浪幕の振り落としの後、傾城・浮舟(福助)、広元(歌
昇)、重忠(錦之助)の3人が、中央からセリ上がりという趣向
で、舞台は、端(はな)っから古色蒼然という愉しさ。黒幕を
バックにした宮島は、真っ暗闇。やがて、舞台の上手、下手か
ら、4人ずつ(弾正=弥十郎、五郎=松江、三郎=桂三、采女之
助=亀寿、典侍の局=萬次郎、祇王=高麗蔵、おたき=歌江、照
姫=芝のぶ)出て来て、11人による「だんまり(暗闘)」とな
る。浮舟が所持している一巻争奪戦だが、だんまり特有の、ゆる
りとした、各人の大間な所作が、古色をさらに蒼然とさせる。特
に、「蛇籠(じゃかご)」と呼ばれる独特の動きで、複数の人た
ちが、前の人を引き止める心で、繋がる。これは、筒型に編んだ
竹籠に石を詰めて河川の土木工事に使う「蛇籠」の形を連想した
古人が、名付けた。今なら、石とセメントを混ぜて、コンクリー
トのするところだが、セメントの無い時代には、竹籠をセメント
代わりにした。それにしても、「蛇籠」というネーミングは、竹
の籠が、目合(まぐわ)う蛇体からの連想なのだろうが、古人の
想像力は、豊饒だ。そういえば、水道の「蛇口」も、あれを「蛇
の口」というのも、良く考えれば、凄い発想ではないか。

天紅(巻終えた手紙の天地のうち、「天」の部分を紅の付いた唇
で挟むことで、キスマークをつける愛情表現)の「恋文」よう
な、一巻を取り戻した傾城・浮舟、実は盗賊・袈裟太郎の福助
は、妖術を使って、大きな石灯籠のなかに姿を隠す。暗闘のうち
に、さらに、景清(團蔵)、清盛(歌六)2人加わり、総勢12
人となる。辺りで、暗闘のなか、長い赤い布が、力者の手で舞台
上手から下手に拡げられて行く。だんまりの役者たちが、長い布
を手に取って、横に繋がって行く。やがて、舞台の背景は、黒幕
が落とされて、夜が明け、宮島の朝の遠見へと変わる。歌六の清
盛が、三段に乗り、大見得、それにあわせて、一同、絵面の見得
をするうちに、幕。

幕外、花道、スッポンから袈裟太郎として、正体を現した、傾
城・浮舟(福助)は、「差し出し」の面明かりを使っての出。古
風な味を大事にした演出が続く。盗賊と傾城という二重性(綯い
交ぜ)を上半身と下半身で分けて演じるという難しさが、この役
にはある。手の六法と足元の八文字が、男と女の化身の象徴だ
と、観客に判らせなければならないからだ。

福助は、初役で、成駒屋所縁の、傾城・浮舟、実は盗賊・袈裟太
郎を演じたが、古風な味わいで、良かった。歌六、歌昇、錦之助
の萬屋勢、團蔵、萬次郎、歌江、弥十郎、桂三ら力のある役者で
脇を固め、芝のぶら清新な若手も加わった。


「山科閑居」 ふたつの家族の物語


「仮名手本忠臣蔵 九段目」は、昼の部の劇評でも、簡単に触れ
たが、もうひとつの「山科閑居」である。というか、本家「山科
閑居」というくらい、知られているというべきだろう。その「仮
名手本忠臣蔵〜山科閑居〜(九段目)」は、私には、5回目の拝
見となる。この芝居は、登場人物の構成が、重層化しているの
が、特徴だ。3人ずつで構成される2組の家族。3組の夫婦(許
婚同士も含む)。死に行く3人の男たち。残される3人の女た
ち。

これについては、普通の劇評も書いているし、中村鴈治郎が、上
方歌舞伎の演出で、さらに何役も早替りで演じた(九段目では、
大星由良之助と戸無瀬を演じ分けた)02年11月の国立劇場の
舞台も拝見し、「上方歌舞伎の忠臣蔵演出」という視点で書いた
こともあるし、男たちのドラマである「仮名手本忠臣蔵」という
大芝居のなかで、女たちが、軸になる珍しい場面ということで、
片岡仁左衛門が加古川本蔵を演じた01年3月の歌舞伎座の舞台
を「女たちの忠臣蔵」という視点で書いたこともある。今回は、
これらの過去の劇評とは別に、「ふたつの家族論」という視点で
書いてみたい。

ふたつの家族とは、説明する迄もなく、大星由良之助一家と加古
川本蔵一家のことである。「仮名手本忠臣蔵」の「忠臣」とは、
大星由良之助らの塩冶浪士のことだから、ふたつの家族のうち、
本筋は、大星由良之助、お石、力弥の家族だろうが、「九段目」
の舞台を観れば、判ることだが、ここでの、本筋は、雪の中をは
るばる訪ねて来た加古川本蔵一家であることには、誰も異存がな
いだろう。実は、私は、首肯しているわけではないが、「仮名手
本忠臣蔵」という外題には、真の忠臣の名前が、隠されていて、
それは、大星由良之助でもなければ、塩冶浪士の面々でもなけれ
ば、誰あろう、加古川本蔵だという説がある。松の廊下で、「違
法行為」をなす塩冶判官を後ろから抱きとめた。しかし、それを
「逆恨み」のような形で、塩冶浪士たちから狙われれば、「山科
閑居」の場面で明らかにされるように、命を掛けて、高師直の家
の絵図面を大星由良之助に届けに来るという男が、加古川本蔵で
あるからだ。「仮名手本忠臣蔵」の合作者3人、二代目出雲、並
木千柳(宗輔)、三好松洛のうち、誰が、九段目を書いたの確定
していないが、全十一段の「仮名手本忠臣蔵」のうち、唯一、女
性が、軸になる芝居という意味では、宗輔とも思えるし、加古川
本蔵の男の「本懐」がテーマと見れば、宗輔説は、弱まるだろ
う。さはさりながら、後者の説では、「仮名手本忠臣蔵」という
外題の謎解き、つまり、「仮名手本」の「本」と「忠臣蔵」の
「蔵」という、隠されたふた文字から、外題には、「本蔵」とい
う名前が隠されているので、本蔵こそ、忠臣だという、こじつけ
のような説を読んだことがある。「仮名手本」とは、47人の浪
士の数と、47文字の「いろは」、つまり、「仮名」ということ
で、まあ、枕詞みたいなもので、大したことはない。「忠臣蔵」
も、「忠臣」は、キーワードだが、「蔵」は、「群」、つまり、
多数という程度の意味で、これも、あまり重要ではないだろう。
まあ、それはさておき、今回は、「ふたつの家族論」ということ
で、劇評を書こうと思う。

私が拝見した「九段目の加古川本蔵」:十七代目羽左衛門、仁左
衛門、段四郎、團十郎、そして今回の幸四郎である。「九段目の
加古川本蔵」は、「三段目の加古川本蔵」とは違って、塩冶側か
ら見て、裏切り者ではない。まして、由良之助の長男・力弥(染
五郎)と許嫁の仲にあった本蔵の娘・小浪(菊之助、後妻の戸無
瀬=初役の芝翫は、継母)に、思いを遂げさせようと一家で、文
字どおり、全員が、命を掛けて大星家に働きかける場面である
(死ぬ気の戸無瀬と小浪、実際に死ぬ本蔵)。

それにひきかえ、大星家の面々は、印象が薄い。由良之助の妻の
お石(魁春)は、仕どころがたっぷりあるが、力弥、由良之助
(吉右衛門)となるに連れて、存在感が薄くなる。ふたつの」家
族といっても、メインは、加古川一家であり、大星一家は、いわ
ば、加古川一家を浮き立たせるための、サポート役にしかすぎな
いように見受けられる。加古川一家は、まさに、命がけで、「大
星家への忠義」を歌い上げるのである。

「恋と忠義はいずれが重い」とは、「義経千本桜」の「吉野山」
の道行の場の浄瑠璃「道行初音旅」の冒頭の文句であるが、「山
科閑居」では、本蔵の忠義と小浪の恋という、どちらも重い課題
を、後妻であり、継母であるという、戸無瀬の、「義理の家族」
ゆえに純化させた強い意志力で、忠義も恋も、どちらも両立させ
た緊迫感のある場面となる。人間国宝の真女形の芝翫が、戸無瀬
初役というのも、驚きだが、品位のある母親像を構築していた。
菊之助の小浪は、可憐。芝翫の重厚さと菊之助の清新さは、微妙
なニュアンスを醸し出す。赤い衣装の戸無瀬、白無垢の小浪。生
と死。死を覚悟して、嫁ぎに来た母子の間を、暫し、静かな時間
が流れる。小浪は、脱いだ白い打掛けを、恰も、切腹をする武士
が使用する二畳台のように敷き、その上に座る。上手奥から、
「御無用」とお石の声がかかる。戸無瀬を演じる芝翫、お石を演
じる魁春が対抗する、緊迫した名場面だ。

下手から、尺八の音とともに現れた加古川本蔵。幸四郎の本蔵
は、科白廻しも、所作も、ハイテンション。いつものオーバーア
クションが、今回は、熱演に見える。本蔵から見れば、後妻の戸
無瀬、愛娘の小浪、娘婿の力弥、婿の両親の由良之助とお石とい
う人間関係の中で、松の廊下事件以後、いわば、職場の義理で、
公的には、「敵対関係」に落ち入った、娘の許婚一家・大星家と
の私的な和解を実現するために、命を掛けた一家が、全員の協力
で、それに成功する物語が、「九段目」の加古川一家なのだとい
うことが、良く判った。本蔵の小浪への愛情が、本流となって、
溢れ出て来る。

一方、大星一家は、お石こそ、戸無瀬、小浪という、「義理」の
母子に対して、力弥の嫁となる小浪との関係を通じて、もうひと
組の「義理」の母子という関係から、加古川一家と対等に立ち向
かうが、由良之助と力弥は、影が薄い(やがて、死ぬゆく父子で
もある)ために、大星一家そのものの影も薄くなる。ふたつの家
族は、舞台こそ、大星一家の閑居だが、舞台の主役は、加古川一
家というのが、「山科閑居」という芝居の実質なのだろう。

贅言:本舞台の木戸の内側に所作台が、敷き詰められて、室内の
体。二重舞台は、立体になっているが、実は、所作台と同じ平面
の座敷の体。二重との上がり下りは、役者の所作を変化させてみ
せることで、演技に奥行きを出す。所作台は、まるで、能舞台の
ように、何もないようで、いろいろなものが詰まっている。それ
が見えるか、見えないかは、観客の想像力の有無にかかってい
る。


バトルゲームのような「土蜘」


「新古演劇十種のうち 土蜘」は、4回目の拝見。「新古演劇十
種」とは、五代目菊五郎が、尾上家の得意な演目10種を集めた
もの。團十郎家の「歌舞伎十八番」と同じ趣旨。能の「土蜘」を
ベースに明治期の黙阿弥が、五代目菊五郎のために作った舞踊
劇。黙阿弥の作劇術の幅の広さを伺わせる作品。この演目は、日
本六十余州を魔界に変えようという悪魔・土蜘対王城の警護の責
任者・源頼光とのバトルという、なにやら、コンピューターゲー
ムや漫画にありそうな、現代的な、それでいて荒唐無稽なテーマ
の荒事劇。「凄み」が、キーポイント。主役の僧・智籌(ちちゅ
う)、実は、土蜘の精は、孝夫時代の仁左衛門、團十郎、吉右衛
門、そして今回の菊五郎で、4人目。尾上家の家の藝を初めて当
代の菊五郎で観ることができた。

源頼光(富十郎)の病が癒え、見舞いに来た平井保昌(左團次)
と対面する。頼光の太刀持・音若は、富十郎子息の鷹之資だ。保
昌が引っ込むと、侍女の胡蝶(菊之助)が、薬を持って出て来
る。暫く外出が出来なかった頼光は、胡蝶に都の紅葉の状態を尋
ねる。

「その名高尾の山紅葉 暮るるもしらで日ぐらしの・・・」

舞に合わせて、あちこちの紅葉情報を物語る胡蝶。穏やかな秋の
日が暮れて行く。やがて、夜も更け、闇が辺りを敷き詰める頃あ
い、頼光は、俄に癪が起こり、苦しみはじめる。比叡山の学僧と
称する僧・智籌(菊五郎)の出となる。花道のフットライトも付
けずに、音も無く、不気味に、できるだけ、観客に気づかれず
に、花道七三まで行かねばならない。智籌は、頼光の病気を伝え
聞き、祈祷にやって来たと言う。頼光に近づこうとする智籌の影
を見て、異形のものを覚った音若(鷹之資)が、声も鋭く、智籌
を制止し、睡魔に襲われていた頼光を覚醒させる。初舞台から観
ている身には、少年になった鷹之資が、凛々しく見える。
重厚な人間国宝・富十郎の風格と口跡。正体を暴かれて、二畳台
に乗り、数珠を口に当てて、「畜生口の見得」をする智籌。千筋
の糸(蜘蛛の糸)を投げ捨てるなど魔性の暴露。

間狂言は、能の「石神」をベースにしたもの。番卒の太郎(仁左
衛門)、次郎(梅玉)、藤内(東蔵)、巫子の榊(芝雀)らとい
う豪華な顔ぶれは、顔見世興行ならではの、ご馳走。

後半、引き回(蜘蛛の巣の張った古塚を擬している)を後見が運
んで来る。中には、菊五郎が入っているはず。やがて、保昌(左
團次)らが古墳を暴くと、中から、茶の隈取りをした土蜘の精
(菊五郎)が出て来る。ここは、前回観た吉右衛門の眼や声の凄
かった。まさに、人間離れをした土蜘蛛の眼や声であったが、今
回の菊五郎は、凄みに欠けると、思った。千筋の糸を何回も何回
もまき散らす土蜘の精。頼光の四天王や軍兵との立ち回り。歌舞
伎美溢れる古怪で、豪快な立回りである。立ち回り好きの菊五郎
の面目躍如。能と歌舞伎のおもしろさをミックスした明治期の黙
阿弥が作った松羽目舞踊の大曲。

贅言:途中、間狂言の際、舞台奥で演奏している四拍子連中は、
太鼓・大鼓と立鼓・小鼓・笛が、互いに向かい合う形で、演奏を
していた。間狂言が終ると、元の定式に戻り、全員が、正面を向
いた。


これも、グラビア 「三人吉三巴白浪」


「三人吉三巴白浪」は、6回目。このうち、今回含め3回は、
「大川端」の場面のみの一幕もの。今回は、孝太郎のお嬢吉三、
染五郎のお坊吉三、松緑の和尚吉三という顔ぶれ。前回、私が観
た玉三郎(お嬢吉三)、仁左衛門(お坊吉三)、團十郎(和尚吉
三)というのと比べれば、清新と言えようが、レベルが、違うと
も言える。前回拝見したのは、当代の歌舞伎役者の顔合わせで
は、最高の組み合わせであろうから、比べないことにする。

松緑の和尚吉三は、辰之助時代を含めて、2回目の拝見。8年ぶ
りで、松緑襲名後は、初めてという。松緑は、今月の歌舞伎座
は、この役だけ。ちょっと、淋しい。染五郎のお坊吉三を観るの
は、初めて。染五郎自身は、2回目のお坊吉三。孝太郎のお嬢吉
三を観るのも、初めて。孝太郎自身は、2回目のお嬢吉三。

若い役者たちの「三人吉三」だけに、芝居を観ながら、演技と
は、別の感慨を抱いた。3人は、田舎芝居の女形上がりゆえに女
装した盗賊として、この場面だけでも、詐欺、強盗、殺人などの
容疑者となるお嬢吉三を始め、御家人(下級武士)崩れの盗賊で
あるお坊吉三、所化上がりの盗賊である和尚吉三という前歴から
見て、時代の閉塞感に悲鳴を上げている不良少年・青年たちであ
ろう。現代に生きていれば、職に就かず、盗みたかりで、糊口を
凌いでいる、そういう若者たちの、「犯罪同盟」の結成式が、
「大川端」の場面である。そういう意味では、「大川端」は、
「三人吉三巴白浪」という雑誌の、いわば、グラビアページなの
である。

前にも、書いているので、コンパクトに紹介するが、「三人吉
三」の「吉三」は、いわば、記号で、現代ならば、少女A=お嬢
吉三、少年A=お坊吉三、青年A=和尚吉三というように、「吉
三=A」とでも、言うところ。それゆえ、3人のAたちは、時空
を超えて、現代にも通じる少年少女Aたちの青春解体という普遍
的な物語の主人公として、新たな命を吹き込まれ、少年期をテー
マとした永遠の物語の世界へと飛翔する。そういう意味でも、
「三人吉三」は、「ネバーエンディングストーリー」という物語
の、グラビアページでも、あるのだと言えると、思う。

贅言:「大川端」の場面を観ていて、今回、気が付いたことは、
百本杭が並ぶ場所は、大川(隅田川)が、大きく曲がる場所。そ
れゆえ、大雨が降ると土手が決壊をしやすい場所なので、杭を百
本(多数ということ)も打ち込み、補強している。両国橋に近い
大川端である。舞台の上手には、庚申塚がある。青面金剛(庚
申)を祭った寺の門の上には、大きな提灯がぶら下がっている。
寺は、白い塗り塀で囲まれている。下手は、屋敷の裏側の体で、
塀の内には、林しか見えない。大きな武家屋敷か。屋敷と寺の間
は、良く見ると、奥深い広場になっているのが判る。広場の向う
は、塀と林。とすると、広場は、火事の多かった江戸の街のあち
こちに据えられた火除け地のように見える。火除け地は、江戸の
街に空いた時空の隙間のように思えてならない。棒杭に片足をの
せるお嬢吉三を演じる役者は、ここだけ、男の本性を剥き出しに
する。杭に乗せた片足に力を入れて、お嬢吉三は、時空の隙間に
飛び込んで行くのかも知れない。
- 2007年11月18日(日) 13:53:17
2007年11月・歌舞伎座 (昼/「種蒔三番叟」、「傾城反
魂香」、「素襖落」、「曽我綉侠御所染」)


顔見世は 一足早い あらたま気分 馴染みの演目 贔屓の役者


芝居の世界のお正月。顔見世興行の歌舞伎座は、「大関」の積物
と櫓で、早々と新春気分を醸し出していた。「種蒔三番叟」は、
3回目の拝見と言っても、全てが、「種蒔三番叟」という名題
(外題)だったわけではない。例えば、前回観たときは、「舌出
し三番叟」であった。

「三番叟もの」は、いろいろバリエーションがあるが、基本は能
の「翁」。だから、「かまけわざ」(人間の「まぐあい」を見
て、田の神が、その気になり(=かまけてしまい)、五穀豊穣、
ひいては、廓や芝居の盛況への祈りをもたらす)という呪術であ
る。それには、必ず、「エロス」への祈りが秘められている。
「三番叟」は、江戸時代の芝居小屋では、早朝の幕開きに、舞台
を浄める意味で、毎日演じられた。

それだけに、基本的には五穀豊穣を祈るというめでたさの意味合
いは同じだが、さまざまの「三番叟もの」が能、人形浄瑠璃、そ
して歌舞伎で演じられて来た。「舌出し三番叟」、「二人三番
叟」、「式三番叟」など。私も、また、さまざまな「三番叟」を
拝見してきた。それだけに、「三番叟」は、伝えるメッセージよ
りも、その趣向を生かさないと観客に飽きられる。趣向とは、江
戸庶民の意向を代弁して、「洒落のめす」心が、横溢している。

「種蒔三番叟」は、本名題を「再春菘種蒔(またくるはるすずな
のたねまき)」とあるように、「菘」の種を蒔き、春が、再び来
れば、菘は、稔ることを祈願している。初代の中村仲蔵から教え
られた三番叟を三代目の歌右衛門が記憶を辿りながら踊るという
趣向があり、「その昔秀鶴(ひいずるつる)の名にし負う」と
か、「目出とう栄屋仲蔵を」(このくだりで舌を出す)などとい
う文句があるが、「秀鶴」は、仲蔵の俳号、栄屋は、仲蔵の屋号
である。

座頭が演じる三番叟は、今回は、梅玉、若太夫が演じる千歳(せ
んざい)は、孝太郎。幕が上がると、板付きの、後見のふたり
(嶋之亟、梅之)が、お辞儀をしている。舞台の背景は、中央に
大きな松の木、上手と下手に竹と梅の木。下手に、能の橋懸かり
を偲ばせる大道具が置かれている。やがて、梅玉と孝太郎が、そ
の「橋懸かり」から出て来て、一旦、座ってお辞儀をすると、後
見たちも、同時に頭をあげる。まず、三番叟が、厳かに舞い始め
て、「揉み出し」、「烏飛び」などを見せる。次いで、千歳が、
華やかに、踊り継ぐ。ふたり揃って、嫁入りの踊りとなる。ゆら
ゆらとふたりの所作が連動して、「百までなあ 私や九十九迄な
あ」と長持歌に合わせて行く。


ふたつの「山科閑居」


今月の歌舞伎座は、ふたつの「山科閑居」が登場する。ひとつ
は、昼の部の「傾城反魂香」。もうひとつは、夜の部の「仮名手
本忠臣蔵 九段目」である。「傾城反魂香」の舞台は、土佐将監
の寓居。幕が開くと、百姓が、大騒ぎをしている。

百姓「三井寺のあたりにて藤の尾までは見届けた。この山科の薮
影へ逃げ込んだに極った。・・・・」
修理之介「こりゃこの屋敷を誰がと思う。土佐の将監光信が閑居
なるぞ。仔細あって先年勘気を蒙り、このところに身退
く、・・・」

ということで、土佐将監も、大星由良之助同様に、「山科閑居」
であることが判る。「傾城反魂香」は、9回目の拝見となる。今
回は、簡単にまとめたい。

私が観た又平おとくの夫婦たち。又平:吉右衛門(今回含め
4)。富十郎(2)、猿之助、團十郎、三津五郎。おとく:雀右
衛門(2)、芝翫(2)、勘九郎、鴈治郎、右之助、そして、今
回は、芝雀。

歌舞伎の愉しみは、馴染みのある演目を贔屓の役者が、今回は、
どう演じるかということである。馴染みの吉右衛門と定評のある
父親の雀右衛門の当り役を息子の芝雀が、初めて演じる、という
のが、今回の最大のポイント。

この演目は、吃音者の成功譚である。吃音者の夫を支える饒舌な
妻の愛の描き方、特に、妻・おとくの人間像の作り方が、ポイン
トになる。何回か、書いているが、おとくは、例えば、芝翫が演
じるような、「世話女房型」もあるし、雀右衛門が演じる「母
型」もある。特に、雀右衛門の「母型」は、実に、慈母のごと
く、情愛が深くて、私は好きだ。今回の芝雀は、すでに、おとく
を何回か演じているが、歌舞伎座では、初演とあって、私も、初
めて拝見する。「父によく聞いて神妙に勉強したい」と言ってい
た芝雀だが、父・雀右衛門の「母型」と芝翫の「世話女房型」の
間という感じで、「姉さん女房型」と見受けられた。いずれ、雀
右衛門のように、「母型」を目指して欲しい。雀右衛門の舞台姿
を見なくなって、どのくらい経つのか。

吉右衛門の又平を観るのは、4回目。すっかり、馴染んでいる。
絵にかける又平の心は、藝にかける吉右衛門の心と観た。琵琶湖
畔で、お土産用の大津絵を描いて、糊口を凌いでいた又平が、女
房の励ましを受けて、だめな絵師としての烙印を跳ね返し、遺書
代わりに石の手水鉢に描いた、起死回生の絵が、手水鉢を突き抜
けたときの、「かかあー、抜けた!」という、吉右衛門の科白廻
しは、日々精進の役者の、それであった。「子ども又平」、
「びっくり又平」と自在な吉右衛門。入魂の熱演振りだが、おと
くの芝雀、土佐将監の歌六、将監北の方の吉之丞らと巧く呼吸を
合わせている所為か、幸四郎のようにオーバーアクションで、浮
き上がって来ないところが、吉右衛門の味か、さすがであった。

又平の、おとくに並ぶ、味方の将監北の方は、今回も、定評のあ
る吉之丞である。土佐派中興の祖として、土佐派絵画の権力者
だったが、「仔細あって先年勘気を蒙り」、目下、山科で、閑居
している夫・将監と不遇の弟子・又平との間で、バランスを取り
ながら、壺を外さぬ演技が要求される難しい役どころだ。9回観
た「傾城反魂香」のうち、5回、つまり半分以上は、吉之丞の北
の方であった。5回も観ていると、吉之丞のいぶし銀のような、
着実な演技が、観客の脳裏に刷り込まれているのに気づくように
なる。こういう役者が、出ていると、舞台は、奥行きが出る。


「素襖落」は、明治時代に作られた新歌舞伎。7回目の拝見。私
が観た太郎冠者:富十郎(2)、幸四郎(今回含め、2)、團十
郎、橋之助、吉右衛門。大名某:菊五郎(2)、左團次(今回含
め、2)、又五郎、彦三郎、富十郎。

この演目の見せ場は、酒の飲み方と酔い方の演技。「勧進帳」の
弁慶、「五斗三番叟」の五斗兵衛、「大杯」の馬場三郎兵衛、
「魚屋宗五郎」の宗五郎、「鳴神」の鳴神上人など、酒を飲むに
連れて、酔いの深まりを表現する演目は、歌舞伎には、結構、多
い。これが、意外と難しい。これが、巧いのは、團十郎。團十郎
は、大杯で酒を飲むとき、体全体を揺するようにして飲む。酔い
が廻るにつれて、特に、身体の上下動が激しくなる。ところが、
ほかの役者たちは、これが、あまり巧く演じられない。今回の幸
四郎を含め、多くの役者は、身体を左右に揺するだけだ。さら
に、科白廻しに、酔いの深まりを感じさせることも重要だ。

太郎冠者(幸四郎)は、姫御寮(魁春)に振舞われた酒のお礼に
那須の与市の扇の的を舞う。いわゆる「与市の語り」である。能
の「八島」の間狂言の語りである。与市の的落しとお土産にも
らった太郎冠者の素襖落し。初演時の外題は、そのものずばりの
「襖落那須語(すおうおとしなすのものがたり)」。酔いが深ま
る様子を見せながら、太郎冠者は、舞を交えた仕方話を演じ分け
る。前半のハイライトの場面。ここでは、次郎冠者(高麗蔵)、
三郎吾(錦吾)が、姫御寮とともに、太郎冠者の舞を見るが、
座っているだけなので、金地に蝙蝠を描いた扇子を持った幸四郎
の独壇場。

帰りの遅い太郎冠者を迎えに来た主人・大名某(左團次)や太刀
持ち・鈍太郎(弥十郎)とのコミカルなやりとりが楽しめる。
酔っていて、ご機嫌の太郎冠者と不機嫌な大名某の対比。素襖を
巡る3人のやりとりの妙。機嫌と不機嫌が、交互に交差すること
から生まれる笑い。自在とおかしみのバランス。おとぼけの大名
某は、菊五郎が巧いが、左團次は、左團次の味わいがある。


幕末の錦絵 無惨絵の美しさ 生と死の官能


「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」は、幕末
期の異能役者・市川小團次のために、河竹黙阿弥が書いた六幕物
の時代世話狂言。動く錦絵(無惨絵)ということで、絵になる舞
台を意識した芝居だ。「御所五郎蔵」(五条坂仲之町(出会
い)、甲屋奥座敷(縁切、愛想づかし)、廓内夜更け(逢州殺
し)の三場)は、良く上演され、私も5回目の拝見となる。03
年6月の歌舞伎座では、「時鳥殺し」を加えた通しで、観たこと
もある。仁左衛門の五郎蔵、玉三郎の皐月、左團次の土右衛門、
孝太郎の逢州、留め役は、秀太郎の甲屋女房という配役。今回
は、玉三郎に替って、福助。秀太郎に替って、留め男、菊五郎。
それ以外の主な役は、同じだ。

第一場「五条坂仲之町」の場面は、両花道を使っての「出会い」
の様式美。黒(星影土右衛門=左團次)と白(御所五郎蔵=仁左
衛門)の衣装の対照。ツラネ、渡り科白など、科白廻しの妙。洗
練された舞台の魅力。颯爽とした男伊達・五郎蔵一派は、上手に
臨時に設定された仮花道から、剣術指南で多くの門弟を抱え、懐
も裕福な星影土右衛門一派は、本花道から登場。それぞれ、本舞
台に上がり、鞘当ての場面。五郎蔵方の子分たち(友右衛門、松
江、男女蔵、由次郎、権十郎)の配役と比べると土右衛門方の門
弟(松之助、松太郎、錦弥、梅蔵、橘太郎)の配役は、一段違
う。しかし、傍役で、藝の一工夫をする松之助は、ひとり、顎を
引いて、五郎蔵一派を睨み付ける。ほかの門弟役者とは、一味違
う。いつものことながら、この人の藝熱心は、感心する。

廓でも、皐月に横恋慕しながら、かってはなかった金の力で、今
回は、何とかしようという下心のある土右衛門とそれに対抗する
五郎蔵。そこへ、割って入ったのが、仲之町の「留め男」・甲屋
主人、与五郎(菊五郎)。顔見世らしい、豪華な留め役。

第二場「甲屋奥座敷」の場面。白地に紅梅の老木が描かれた襖
が、可憐だ。その前で、人間どもが演じるのが、俗悪な、金と情
慾の世界。皐月を挟んで金の力を誇示する土右衛門と金も無く、
工夫も無く、意地だけが強い五郎蔵との鞘当て第二弾。歌舞伎に
良く描かれる「縁切」の場面。五郎蔵女房と傾城という二重性の
なかで、心を偽り、「愛想づかし」で、金になびいてみせ、苦し
い状況のなかで、とりあえず、実を取ろうとする健気な傾城皐月
(福助)、実務もだめ、危機管理もできない、ただただ、意地を
張るだけという駄目男・五郎蔵、金の信奉者・土右衛門という三
者三様は、歌舞伎や人形浄瑠璃で良く見かける場面。菊野・源五
兵衛の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」、貢・お紺
の「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」などが、浮か
んで来る。

贅言:奥座敷に土右衛門が、取り巻きの門弟たちを連れて入って
来るとき、仲居などといっしょに黒衣が、ひとり紛れ込んで入っ
て来て、土右衛門の尻に合引(あいびき=姿勢をよく見せる道
具)を差し入れた後、そのまま、左團次の背後に蹲り、隠れてし
まった。左團次の芝居が終り、立上がる迄、隠れたままで、結構
長い時間だったが、存在感を消し去っていたのは、見事だった。
一方、座敷下手、外の床几に座る五郎蔵の背後にも、黒衣が付
き、合引を仁左衛門の尻の下に入れる。仁左衛門が、途中で、立
上がると、合引を抜き取り、自分の身も引き、後ろを向き、座り
込む。仁左衛門が、ふたたび、床几に座ると、前を向き、合引を
仁左衛門の尻の下に入れて、控えた。仁左衛門が、床几から離れ
ると、(五郎蔵から借金の取り立てをするために付きまとってい
た金貸・花形屋吾助=錦吾は、同じ床几の端に浅く腰を掛けてい
たので、床几が傾き、滑り落ちるが)黒衣は、その床几を傾ける
手助けをした後、仁左衛門が使っていた合引を持ったまま、さっ
と引っ込んだ。歌舞伎が、約束事とは言え、皆の連繋プレーで、
テキパキとした、洗練された舞台を創っているということが、良
く判る。特に、黒衣は、幾何学の問題を解くときの、まさに「補
助線」のような役割で、すっきり、名解答の答案を見せてくれる
ようで、観ていて、スッキリする場合が、多い。

「晦日に月が出る廓(さと)も、闇があるから覚えていろ」。啖
呵ばかりが勇ましい御所五郎蔵。(この後、舞台は、鷹揚に、廻
る)

助っ人を名乗り出る傾城逢州(孝太郎)が、実は、人違いで(癪
を起こしたという皐月の身替わり)五郎蔵殺されてしまうのが、
次の第三場「廓内夜更け」の場面。は、駄目男とはいえ、五郎蔵
の、怒りに燃えた男の表情が、見物(みもの)という辺りが、物
語より、舞台での、形容(かたち)を大事にする、「傾(かぶ)
く」芝居、歌舞伎の奥深さの魅力だろう。美男の仁左衛門は、こ
ういう役どころは、十二分に生かして、絵になる。

皐月の紋の入った箱提灯を持たせ、自らも皐月の打ち掛けを羽
織った逢州と土右衛門の一行に物陰から飛び出して斬り付ける五
郎蔵。妖術を遣って逃げ延びる土右衛門と敢え無く殺される逢
州。受け口の孝太郎が、懐から飛ばす懐紙の束。皐月の打ち掛け
を挟んでの逢州と五郎蔵の絵画的で、「だんまり」のような静か
な立ち回り。官能的なまでの生と死が交錯する。特に、死を美化
する華麗な様式美の演出。

妖術遣い土右衛門と五郎蔵の立回りの途中で、ストップ。仁左衛
門と左團次に戻ったふたりは、芝居を止めて、舞台に座り込み、
「今日(こんにち)の昼の部は、これぎり」と挨拶をして、幕。

このところ、99年1月の歌舞伎座以来、本興行で、7回連続で
土右衛門を演じている左團次は、貫禄充分(05年正月の浅草歌
舞伎の舞台だけ、男女蔵と愛之助が、交代で土右衛門を演じ
た)。私は、左團次(4)以外の土右衛門は、96年9月の歌舞
伎座で、富十郎で観ている。

馴染みのある演目を贔屓の役者たちが、改めて、なぞり返す。手
垢にまみれて見えるか、磨き抜かれて、光って見えるか。そこ
は、年に一度の顔見世の大舞台、燻し銀のごとく、鈍く光る。歌
舞伎のおもしろさは、同じ演目が、いつも、違った顔を見せると
いうことだろう。
- 2007年11月8日(木) 21:56:45
2007年10月・歌舞伎座 (夜/「怪談牡丹灯籠」、「奴道
成寺」)


六文字外題から七文字外題へ、そして、再び、六文字外題へ
〜「怪談」牡丹灯籠の「怪異」〜


今回の外題「怪談牡丹灯籠」は、元々、原作である圓朝の人情噺
(怪談噺)のもの。1884(明治17)年、圓朝は、中国の怪
異小説を元に江戸の世話物の世界に移し変えて、人情噺を作り上
げた。ところが、歌舞伎の外題は、三文字、五文字、七文字など
と、奇数で構成するところから、人情噺が、三代目河竹新七(黙
阿弥の弟子)によって歌舞伎に移された1892(明治25)年
の時点で、「怪異談牡丹灯籠」と七文字外題になった。新七は、
五代目菊五郎のために書き下ろした。この七文字外題の「牡丹灯
籠」を私は、1回観たことがある。2002(平成14)年、9
月の歌舞伎座で、37年ぶりに上演されたときだ。一方、六文字
外題の「牡丹灯籠」を観るのは、実は、今回も含めて、3回目
だ。

歌舞伎座筋書の上演記録を見ると、歌舞伎役者だけで、六文字外
題の方を演じるのは、今回で、6回目となる。最初に歌舞伎役者
だけで演じたのは、1989(平成元)年6月、新橋演舞場の舞
台だった。六文字外題の「牡丹灯籠」は、1974(昭和49)
年の初演以来、文学座で、女優の杉村春子らを軸に演じて来た。
大西信行脚本が、それで、河竹新七版と一味違う芝居だった。そ
れが、最近では、歌舞伎化された河竹新七版の「怪異談牡丹灯
籠」よりも、大西信行版の「怪談牡丹灯籠」の」方が、上演され
るケースが、多いから、不思議だ。今回は、その不思議を解明し
てみようと思う。

「牡丹灯籠」は、いくつかの支流が集まって、大河となる複雑な
物語。どこを主流に浮き上がらせるかで、物語が違って来る。ま
た、演出も、違って来る。「牡丹灯籠」は、圓朝の人情噺を元に
新七版のほかにも、川村花菱作「新説牡丹灯籠」、瀬川如皐作
「怪談牡丹灯籠」などがあるが、新七版、大西版のほかは、最近
では、歌舞伎上演は、なされていない。

まず、河竹新七版を私が観たのは、先に触れたように、02年9
月、歌舞伎座。簡単に紹介しておこう。先ず、配役は、以下の通
り。

伴蔵、幸助(原作は、孝助)のふた役:吉右衛門、お峰、お国の
ふた役:魁春、新三郎:梅玉、お露:孝太郎、源次郎:歌昇、お
米:吉之丞。

こちらは、前半が、飯島家の話。飯島平左衛門の妾・お国と平左
衛門の甥・源次郎の不義と平左衛門と忠義の若頭・幸助との因果
噺にお露新三郎の怪談噺が、「てれこ」に展開する。後半が主人
思いの幸助の古風な仇討ものとも言える忠義噺にウエイトを置い
て、それに伴蔵のお峰殺しが入り込む。伴蔵、幸助のふた役を演
じた吉右衛門は、男の悪と忠義を対比的に演じ分けていた。伴
蔵、幸助という悪党と忠僕の両輪が、「てれこ」になり、幕末の
廃頽を色濃く残しながら、大河のごとく、流れるドラマだ。魁春
も、お峰、悪女お国を早替りでふた役。欲に取りつかれたお峰伴
蔵の夫婦の人間像は、歴史の大河の中で、浮き沈むという普遍的
な庶民像だったのだろう。

大西版と新七版との大きな違いは、飯島家のお家騒動(主人・飯
島平左衛門の裏をかいて、妾のお国が、隣家の次男で、主人の甥
の宮野辺源次郎と不義密通の果てに、お家を乗っ取ろうとする)
の取扱いだ。主家殺しの真相を嗅ぎ付け、平左衛門の若頭・幸助
が敵討ちをするという話が大西版では、省略されている。平左衛
門の娘のお露は、萩原新三郎との結婚を平左衛門に反対され、恋
煩いで死んでしまう。お露の死霊に取り付かれた新三郎も、やが
て、殺されてしまう。誰もが知っている牡丹燈籠のカランコロン
という下駄の音で、鬼気迫る場面で有名な噺は、落語で言えば、
ちょっと長めの枕というところ。圓朝の人情噺でも良く知られて
いる新三郎とお露のくだりは、実は、「牡丹灯籠」のイントロに
過ぎないというわけだ。つまり、歌舞伎では、怪談噺と世話物が
綯い交ぜになっていて、本筋は、世話物というわけだ。

お露、お米の幽霊に頼まれて新三郎の死霊封じの札をとってや
り、幽霊から百両をもらった新三郎の下男・伴蔵とお峰の夫婦の
話が本筋となる。それに、主人・飯島平左衛門思いの真面目男・
幸助が平左衛門を殺して逃げた妾・お国と源次郎という不義カッ
プルを探し当て、仇討ちをするという話が、絡むのが新七版。
 
大西版を観たのは、11年前、96年8月歌舞伎座初演と4年前
の、03年8月の歌舞伎座。そして、今回(私は、歌舞伎座での
上演された大西版は、全て観ていることになる)。主な配役は、
以下の通り。今回の配役は、それぞれ、末尾に付けた。

伴蔵:八十助時代の三津五郎、三津五郎、今回は、仁左衛門。お
峰:福助(2)、今回は、玉三郎。新三郎:染五郎、七之助、今
回は、愛之助。お露:孝太郎、勘太郎、今回は、七之助。お国:
扇雀(2)、今回は、上村吉弥。源次郎:歌昇、橋之助、今回
は、錦之助。お米:吉之丞(今回含め、3)、円朝(大西版で
は、圓朝が円朝になっているので、以下、それに従う):勘九郎
時代の勘三郎(2)、今回は、三津五郎。こちらは、新七版で
は、重要な飯島平左衛門と忠義の若頭・幸助との因果噺が、ばっ
さりと削除されている。

「牡丹灯籠」が、もともと、三遊亭円朝自作の人情噺だったこと
から、大西版では、高座に上がる円朝をプロローグとエピローグ
で使うという演出だった。

まず、第一幕、第一場は、大川(隅田川のこと)。上手揚幕から
出て来た舟の場面から始まる。舞台上手の舟には、飯島平左衛門
の娘・お露(七之助)と乳母のお米(吉之丞)、医師の志丈(松
之助)が乗っている。舟を操るのは、志丈だ。そこへ、下手か
ら、もう一艘の舟が近付いて来る。屋形船だ。外から見えない密
室には、飯島平左衛門の後妻、つまり、お露の継母・お国(吉
弥)が、不倫相手の隣家の次男坊・宮野辺源次郎(錦之助)と一
緒に入っている。それに、後ろ向きの船頭が乗っている。お互い
に誰が乗っているか、知らずに、すれ違う舟と舟。大川での舟の
すれ違いは、「梅暦」の場面と同じ演出(戦前の歌舞伎座に「蛇
の目廻し」という二重の廻り舞台があったころ、「梅暦」で、内
側に廻る舞台と外側に廻る舞台の動きを逆にして、舟をすれ違わ
せたこともあるという)。

やがて、暗転。なぜか、スポットライトが、後ろ向きの船頭に当
たる。船頭は、脱皮するように衣装を脱ぎ捨て、旦那風の男に変
わる。一旦、花道に向かう。黒衣の持って来た羽織を着て、髪を
整える。今回は、三津五郎(前々回、前回は、勘九郎)。舞台中
央に高座がせり上がって来る。そこへ上がる三津五郎は、すでに
円朝になっている。高座の後ろに新三郎(愛之助)の座敷きが浮
かび上がって来る。亡くなったと聞かされたお露の霊を弔ってい
る。

牡丹灯籠を手にしたお米(吉之丞)に伴われて、お露(七之助)
がやって来る。幽霊と知らずに、騙されて、お露らを座敷きに導
き入れる新三郎。吉之丞のお米が、相変わらず、巧い。両肩を極
端に下げ、両腕をだらりと垂れ下げた「幽霊」ぶりは、いつ観て
も逸品だ。動きも、遠心力を利用するように滑らかに動く。それ
は、同じ幽霊のお露役を演じる役者たち(私が観たのは、孝太
郎、勘太郎、七之助)と比較すれば、良く判る。なかなか、両肩
が、吉之丞のようには、下がらないのだ。このあたりに、キャリ
アの差が、はっきり表れる。この吉之丞の幽霊ぶりを観るだけで
も、「牡丹灯籠」は、見応えがある。

志丈と一緒に新三郎の下男・伴蔵(仁左衛門)が帰って来る。新
三郎とお露が、しけ込んでいる障子の部屋を覗くと、新三郎が、
骸骨のお露と抱き合っているのが見える。逃げ出す伴蔵ら。

一方、飯島平左衛門の屋敷では、お露が亡くなったことから、継
母のお国(吉弥)は、不倫相手の宮野辺源次郎(錦之助)を養子
にしようとしている。取り合わない平左衛門(竹三郎)を殺そう
とお国は、源次郎にけしかける。それを立ち聞きして、怒り心頭
の平左衛門が、部屋に入って来て、殺しあいになる。挙げ句、平
左衛門は、殺され、灯りを持って来合わせた女中のお竹(壱太
郎)も、巻き添えを喰って、殺される。金を奪って、逐電するお
国源次郎。

伴蔵の住居では、お峰(玉三郎)が、待っている。戻って来て経
緯を話す伴蔵。この場面でのふたりのやりとりは、前々回、前回
観た福助のお峰が、何と言っても、秀逸。生世話ものの科白のや
りとりの妙。玉三郎のお峰では、玉三郎の美貌は生かせても、福
助ほどのお侠の味は出せない。

「牡丹灯籠」と言えば、お露と新三郎のカップルの物語と思いが
ちだが、このふたりは、幽霊噺のイントロというかグラビアみた
いなもので、本筋のストーリーからは、外れてい来る。本筋の方
は、お峰と伴蔵、お国と源次郎というふた組のカップルの噺なの
だ。原作でも、ふた組の男女の物語が、「てれこ」に展開する。
大西版では、お峰と伴蔵の物語が、主調になっている。

幽霊に取り付かれ、死相の現れた新三郎は、家の周りに魔除けの
札を貼り、金無垢の如来像を持っている。幽霊に頼まれて、欲に
駆られ、魔除けの札を剥がし、如来像を取り上げる代わりに幽霊
から百両をせしめる伴蔵夫婦、お露に冥途に道連れにされる新三
郎。梯子に乗り、高いところに貼られたお札を剥がす伴蔵の姿に
象徴されるが、現世の欲を霊界が支配するという図式。

第二幕は、利根川ぞいの栗橋の宿場近辺に舞台が移る。悪事を働
き、江戸に居ずらくなった連中が、逃げる街道は、奥州街道・日
光街道で、野州栗橋は、まさにそのルート上の宿場。高座の円朝
が、時間経過を物語る。百両を元に関口屋という荒物屋を宿場で
営み、景気の良い伴蔵夫婦と宿場はずれの河原の蓆小屋に住むお
国と源次郎のふたり。平左衛門の屋敷から盗んだ金などを奪わ
れ、斬りあいの際に刺された傷が元で足萎えになった源次郎。蓆
小屋から宿場の料理屋に通う酌婦勤めのお国。明暗を分けたカッ
プルが、相互に絡みながら展開する。お国と伴蔵の男女関係が接
点となり、ふた組のカップルの破滅が始まる。「てれこ」になっ
ていたふた組の男女が、ここからは、「綯い交ぜ」となる。

悲劇のなかに、笑いをもたらすのは、三津五郎ふた役の馬子の九
蔵だが、これは、すでに観た勘九郎が巧かった。久蔵に金をや
り、酒を呑ませて、伴蔵の行状を白状させるお峰。ふたりのやり
取りの滑稽味は、とても、重要である。そして、悲劇へ。江戸か
ら訪ねて来たお峰の旧友・お六(歌女之丞)に、お露の霊が憑
き、真相がばれそうになる。一方、お国に引っ張られてここまで
来た源次郎は、足の傷の所為もあり、気が弱くなっている。鬱屈
している。思い出せば、平左衛門とお竹の命日。なぜか、群れ飛
ぶ人魂のような、螢に惑わされ、螢に斬りかかったはずの刀を自
らの背中から身体に貫通させてしまう源次郎。それと知らずに源
次郎にすがりつき、源次郎の腹に突き出ていた刀に突き刺される
お国。彼女らが殺した平左衛門やお竹の霊が、螢になって現れ、
お国、源次郎に祟ったのではないかと、観客たちも思う。お国、
源次郎の死後も、螢は、乱舞する。滅びの美学。因に、新七版
(「怪異談牡丹灯籠」)では、お国、源次郎は、今回出て来ない
忠義な若頭・幸助(あるいは、孝助)の手で、仇討にされる。幸
助が、絡まない大西版は、新七版より、死霊に祟られる人間の欲
の果て、という色合いが濃い。それは、次の場面で、いっそう、
色濃くなる。

遠雷轟く幸手堤。栗橋から程近い。ここで、もうひとつの滅びの
美学が始まる。死霊の取り憑いたお六を残して逃げて来た伴蔵・
お峰の夫婦だが、どうやら伴蔵に死霊が取り付いているようで、
伴蔵は、お峰を殺してしまう。ふたりの間で、死闘が始まる(前
回は、8月の公演とあって、本水を使った殺し場だったが、今回
は、本水無し。もっとも、前々回も、8月の公演だったが、本水
は、なかった)。お峰を殺してしまった後、正気に戻った伴蔵
が、お峰を抱きしめて、狂ったように泣く。

最近は、大西版が、多く上演されているが、そのわけは・・・。
幽霊より人間が、おもしろく、おかしく、哀しいからだろう。新
七版と大西版の違いは、いろいろあるが、最大のポイントは、伴
蔵によるお峰殺しの場面では、ないか。新七版では、伴蔵は、お
国と深い仲になったばっかりに、邪魔になった、いわば共犯のお
峰の口封じも兼ねて、お峰殺しをする。ところが、大西版では、
お峰殺しを同じように描きながら、「殺されたままのお峰」で
は、放っておかない。今回は、先に、触れたように、「正気に
戻った伴蔵が、お峰を抱きしめて、狂ったように泣く」という場
面で、終っているが、本水を使った、前回、03年8月の舞台で
は、殺されて川に落されたお峰の白い手が、川の中から伸びて来
て、伴蔵を川の中へ引きずり込んだ。人間の欲を描いた大西版
は、欲望が、死霊に呪われているというメッセージを送りつけて
来るように思われるので、「お峰殺し」の意味を、もう少し、考
えてみたい。

1)新七版では、伴蔵は、お国との愛欲ゆえに、邪魔になったの
が、長年の連れ合いのお峰という位置付けで、どこにでもある男
の浮気の果ての、連れ合い殺しという、下世話な話だ。

2)前々回、前回。お露らの死霊の超能力によって操られた伴蔵
は、いわば、死霊代行で、お峰を殺し、殺されたお峰の超能力に
よって、伴蔵自身も冥界に引き込まれる。つまり、お露ら死霊か
ら、百両を巻き上げた因果が、報いて、ふたりとも、取り殺され
るという、因果応報の物語。

3)今回の伴蔵は、強欲の果ての狂気に操られ、長年の連れ合い
のお峰を殺すが、それは、所詮、狂気のなせる業で、正気に戻れ
ば、狂気の自分を呪って、遺骸(むくろ)となったお峰の身体を
抱きしめて、「狂ったように泣く」しかない。所詮、小悪人とい
う、哀しさ。「小悪人こそ、人間の標準型」というようなメッ
セージが、感じ取れるのは、私だけではないだろう。皆、ちょぼ
ちょぼ。そういう意味では、今回の大西版の落ちが、私には、
すっきりと腑に落ちる。

大西版の歌舞伎化の演出を手掛けて来た戌井市郎は、「私は大西
脚本を読んで真っ先に、テンポがあって歯切れがよく、円朝が現
代によみがえっていることを感じた」と言っているが、歌舞伎
は、原作の味と香を損なわなければ、時代時代に合わせて、「傾
(かぶ)く」演出を工夫するのは、良いことであると、私は思
う。

最後に、役者論、演技論を少々。今回は、お峰・伴蔵が、玉三
郎・仁左衛門という美男美女コンビとしたが、科白回しを考える
と、前々回、前回と観た福助・勘三郎の巧者コンビの方が、芝居
としての出来具合は、良かったように思う。なにより、玉三郎よ
り福助の方が、こういう役柄は、巧い。玉三郎では、世話場の、
科白のやり取りが、弱い。その代わり、玉三郎・仁左衛門という
配役が生きたのは、絵面の見得、つまり、形で見せる、最後のお
峰殺しの場面のみであった。この場面は、「かさね」を思い出さ
せる節目節目のポーズ(絵面の見得)が、セールスポイント。実
は、初めて、歌舞伎役者ばかりで、大西版が上演されたときの、
お峰・伴蔵が、玉三郎と仁左衛門(当時は、孝夫)で、1989
(平成元)年6月、新橋演舞場の舞台であった。18年振りに玉
三郎のお峰とともに、伴蔵を演じた仁左衛門は、「牡丹灯籠」を
「幽霊というより人間の恐ろしさが巧みに書かれた作品だと思い
ます」と話している。

円朝、久蔵ふた役の三津五郎も、達者に演じてはいたが、勘三郎
に比べると、やはり、円朝役では、噺家としての華が乏しい。お
露・新三郎の七之助・愛之助コンビは、清新。前回新三郎を演じ
た七之助が、やっと、お露を演じてくれた(前回は、お露は、勘
太郎だったが、これは、七之助と勘太郎の配役ミスだと私は、書
いている)のは、良かった。お露の乳母・お米の吉之丞は、既に
触れているが、「最高の適役」と、いま一度、書いておく。

お国・源次郎は、吉弥・錦之助コンビは、もうひと組の、美男美
女。翫雀の子息、壱太郎が、お国・源次郎に殺された飯島家の女
中・お竹と栗橋宿の料理屋・笹屋の酌婦(お国の同僚)・お梅と
いう、お竹の妹のふた役で出ている。


踊り達者な三津五郎


「奴道成寺」は、5回目の拝見。真女形の所作事でも、大作の
「京鹿子娘道成寺」には、さまざまなバリエーションがある。真
女形ふたりで演じる、華やかな「娘二人道成寺」。立役と女形と
で演じる「男女(めおと)道成寺」、今回のような、立役で見せ
る「奴道成寺」など。男が、白拍子花子に」扮して、鐘供養に訪
れるが、踊っているうちに、烏帽子がはねて、野郎頭がむき出し
になり、ばれてしまう。所化たちの所望で、左近は、正式に踊り
出す。下手の常磐津と舞台奥の長唄の掛け合いなどもあり、盛り
上がる。クライマックスの「恋の手習い」では、左近が、「お多
福(傾城)」、「お大尽」、「ひょっとこ(太鼓持)」という3
種類の面を巧みに使い分けながら、廓の風情を演じてみせる。い
わば、身体で喋る踊り。「山尽くし」では、花四天と左近がから
む所作ダテとなる。

八十助時代を含めて、三津五郎(3)、猿之助。この演目は、後
見が「お多福」、「お大尽」、「太鼓持」という3種類の面を、
タイミング良く踊り手の狂言師・左近に手渡すかが大事。後見と
の息の合ったところを見せるのがミソ。これは、後見との息も含
めて三津五郎が巧い。後見は、いつも、三津右衛門で、図体も大
きいが、安定した後見振りは、三平時代から、私も注目して来
た。師匠・三津五郎の信頼の厚さも、舞台から、充分に伺える。
実は、私はこの演目をもう一回観ている。日本舞踊の西川流の家
元・西川扇蔵の踊りで観たのだが、役者の踊りと舞踊家の踊り
は、見せ方が違う。役者の踊りは、やはり、所作だけでなく、役
者の芝居の味が滲んでいる。「芝居っ気」というと違う意味に
なってしまうが、まあ、純粋な舞踊家と違う、味があることは確
かだ。病気で長期休演中の猿之助も、以前は、良く演じた。私
も、かろうじて一回だけ拝見しているが、猿之助の舞台を再び、
観てみたいと思う。

今回の所化たちは、御曹司が多かった。時蔵子息の萬太郎、三津
五郎子息の巳之助、翫雀子息の壱太郎、弥十郎子息の新悟、錦之
助子息の隼人、坂東吉弥孫の小吉、延寿太夫子息の右近、人気の
子役の鶴松、兄貴格の亀鶴、薪車、名題の鴈成、三津之助、加え
て、今回の舞台で名題昇進披露目をした玉雪、功一(ふたりは、
玉三郎の弟子。三津五郎が、所化たちを引き連れて、舞台に座り
「口上」をしたが、名題役者の舞台での「口上」付きのお披露目
は、珍しいが、ときどきある)。
- 2007年10月27日(土) 21:29:51
2007年10月・歌舞伎座 (昼/「赤い陣羽織」、「恋飛脚
大和往来」、「羽衣」)


「民話の反権力意識」


「赤い陣羽織」は、初見。木下順二作。スペインの作家・アラル
コンの「三角帽子」を翻案した作品。原作では、市知事が被る三
角帽子と緋ラシャの外套が、本作では、お代官の着る赤い陣羽織
になっている。1955(昭和30)年に歌舞伎化された。十七
代目勘三郎のお代官、八代目幸四郎のおやじ、六代目歌右衛門の
女房ほか。木下順二は、日本の民話にはない民衆が権力者をひっ
くり返すという原作のテーマを笑劇(ファルス)にまとめたとい
う。歌舞伎座では、46年ぶりの上演。

筋立ては、民話らしく、判りやすい。女房と馬と暮らすおやじ。
女に目がないお代官が、おやじの女房にちょっかいを出したこと
から、喜劇が始まる。おやじとお代官は、小太りで、眉が太く、
口の周りの鬚跡が濃いなど、人相が似ているという辺りが、笑い
のポイント。庄屋を使って、おやじに難癖を付け、庄屋の屋敷に
引っ張って行った後、お代官は、女房ひとりのおやじの家に忍び
込もうとするが、川に嵌った上に、女房に鍬で殴られ、気絶して
しまう。庄屋の家から逃げて来たおやじは、脱ぎ捨てられたお代
官の着ものや陣羽織を見て、女房が寝取られたと思い、お代官の
奥方を寝取ることで、復讐しようとお代官の衣装を身に着けて代
官所へ向うが・・・。結局、お代官の奥方の知恵で、お代官にお
灸がすえられ、おやじ夫婦も安泰で、めでたしめでたし。

配役は、おやじ(錦之助)、女房(孝太郎)、お代官(翫雀)、
奥方(吉弥)、代官のこぶん(亀鶴)、庄屋(松之助)ほか。お
やじとお代官は、そっくり。錦之助は、頬に含み綿をしていたか
も知れない。孝太郎の女房に色香がある。


「手のエロチシズム」と「じゃらじゃら」という通奏低音に注目


「恋飛脚大和往来〜封印切・新口村〜」のうち、「封印切」は、
7回目。「新口村」も、5回目。両方を通しで観るのは、2回
目。通算で、忠兵衛は、孝夫時代を含めて仁左衛門(3)、鴈治
郎時代を含めて藤十郎(3)、勘九郎時代の勘三郎、染五郎。国
立劇場の歌舞伎鑑賞教室や地方興行の舞台を含めると、忠兵衛
は、さらに、扇雀(2)。梅川は、孝太郎(3)、時蔵(2)、
玉三郎、雀右衛門、扇雀。国立劇場の歌舞伎鑑賞教室や地方興行
の舞台を含めると、梅川は、さらに、愛之助(2)。孫右衛門
は、通算5回で、孝夫時代含めて仁左衛門(4)、今回は、我
當。八右衛門は、通算5回で、孝夫時代を含めて仁左衛門
(3)、我當、今回は、三津五郎。

贅言:歌舞伎座の筋書の「上演記録」は、松竹の演劇製作部(芸
文室)などの資料を元に1945(昭和20)年以降の「主な劇
場」での上演を記録しているが、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室や毎
年夏を中心に全国を3つのコースに分けて実施される地方興行の
記録がないので、私の場合、このサイトの「遠眼鏡戯場観察」の
劇評をひっくり返しながら、記録をまとめている。

「封印切」の演出には、上方型と江戸型がある。いくつか、違う
演出のポイントがある。最近は、仁左衛門を軸にした松嶋屋系か
藤十郎を軸にした成駒屋・山城屋系で演じられることが多く、上
方型の舞台が多い。私が観た舞台では、当時の勘九郎の忠兵衛を
観た96年11月の歌舞伎座が、江戸型で、あとは、ほとんど上
方型であった。今回も、上方型の演出。井筒屋の店表の場面。大
道具の2階の階段が違うなどという点は、判りやすいが、例え
ば、井筒屋の裏手の場面は、「離れ座敷」(江戸型は、井筒屋の
「塀外」の場面となる)などの違いがある。離れ座敷では、梅川
(時蔵)と忠兵衛(藤十郎)の「逢い引き」のために、二人の手
引きをしたおえん(秀太郎)は、明かりを消して、二人のため
に、「闇の密室」を創る。

鴈治郎時代を含めて、藤十郎の忠兵衛と時蔵の梅川の舞台を観る
のは、私は、2回目である。前回は、01年11月の歌舞伎座で
あった。藤十郎と時蔵のコンビの舞台は、歌舞伎座の筋書に掲載
された上演記録だけでも、3回ある。外から木戸を押し開けて
入ってきた藤十郎の忠兵衛。座敷から離れに、ゆるりと入ってき
た時蔵の梅川。二人は、手探りで、互いを捜し合う。手の音で、
位置を確かめあう。二人を導き入れたおえんは、二人に忠告をす
る。「じゃらじゃらとしていないで、どうなら、どう、こうな
ら、こうとしなしゃんせ」。しかし、最後まで、忠兵衛は、
「じゃらじゃら」している。それが、地獄へ梅川を連れて逃げる
忠兵衛という男の性根であろう。

庭と離れの部屋のなか、二人がいる場所は、決して、密室ではな
い。開け放たれた部屋。しかし、闇が開放された空間を密室に仕
立て上げる。「闇の密室」。そういう空間で、二人の「手」が、
闇のなかで、触れ合ったり、離れたりする場面が、何回か繰り返
される。庭に降りるために、足で、踏み石の上に置かれた下駄を
探り当てる梅川。背中合わせに三角形を創る二人。前に座り込ん
だ忠兵衛の肩に、後ろから手を掛ける梅川。その両手を優しく包
む忠兵衛。「さいなら」と意地悪を言う忠兵衛。袂のなかの左手
で、別れの合図をする。別れが悲しいと、泣く梅川。「お前も、
よっぽど、泣きミソやなあ」と甘く言う忠兵衛。真情を告げあ
い、仲直りをする二人。手を繋ぎ合う二人。そういう手を中心に
した所作が続く。

暗闇のなかでの、二人の「手の触れ合い」という所作を強調する
ことで、「濃密なエロス」を描くことができる。これが、江戸型
のような、塀の外では、いくら暗闇が支配しているとは言って
も、そこに、密室は、出現しない(その代わり、おえんが、忠兵
衛の羽織の紐を格子に結び付けるなど、「ちゃり(笑劇)」の味
付けを濃くしている)。

そういえば、上方型は、全編を通じて、「手のエロティシズム」
を強調しているように見受けられる。今回は、この部分にこだ
わって、ウオッチングしてみた。まず、冒頭の井筒屋の店表の場
面では・・・・。花道をやって来た忠兵衛は、一旦、本舞台の井
筒屋店先まで行き、店のなかを覗き込んで、梅川とおえんが畳算
(恋占い)をしている場面を知り、花道七三まで戻り、「ちっと
とやっととお粗末ながら梶原源太は俺かしらん」と自惚れて言
う。梶原源太は、良い男の代名詞である。その後、忠兵衛は、格
子戸の隙間から両手を差し入れ、梅川に向って、「これこれ」と
両掌を交互に動かす。一方、格子戸の向うにいる忠兵衛に気が付
いた梅川は、「忠さん、忠さん」と言いながら、忠兵衛同様に掌
を交互に動かす。おえんが、格子戸をあけると、入って来た忠兵
衛に梅川が抱き着く。おえんの配慮で、二人は、一旦、身体を離
し、忠兵衛は、裏に廻ることになる(つまり、闇の密室へ、向
う)。格子戸を挟んだ二人の手の動きが、印象に残る。

忠兵衛と八右衛門(三津五郎)のやり取り。忠兵衛対八右衛門
の、上方言葉での、丁々発止は、子どもの喧嘩のようでたわいな
いのだが、それが、いつか、大人の八右衛門の計略に、まんまと
乗り、公金横領の重罪を犯す行為になだれ込んで行く、最高の見
せ場を作る。

忠兵衛は、大和という田舎から出て来たゆえに、生き馬の目を抜
くような都会大坂の怖さを知らず、脇の甘い、小心なくせに、軽
率で剽軽、短気で、浅慮な「逆上男」である。地に足が着いてい
ない。女性に優しいけれど、エゴイスト。セルフコントロールも
苦手な男。震える手で、次々と封印を切ってしまう。破滅型。封
印を切り、死への扉を開けてしまう。藤十郎は、羽織の使い方か
ら足の指先まで計算し尽くした演技で、上方男を完璧に描いて行
く。逆上して、封印切をした後、忠兵衛の腹の辺りから、封印を
解かれた小判が、血のように迸る場面は、圧巻だ。

梅川の借金を抱え主の治右衛門(歌六)に払い、証文を取りかえ
す忠兵衛。

忠兵衛「これで、元のお梅にかえります」
治右衛門「お梅さま。おんめでとう存じます」

悲劇の発覚の前の、「ちゃり(笑劇)」

梅川は、身分の低い傾城であるが、純情で、自分のために、人生
を掛けてくれた逆上男であっても、忠兵衛への真情が溢れ出す。

梅川「なんでそのように急かしゃんすえ」
忠兵衛「急かねばならぬ、道が遠い」
梅川「そりゃどこへ行くのじゃぞいなあ」
忠兵衛「今の小判はお屋敷の為替の金、その封印を切ったれば、
もう忠兵衛がこの首は、胴に附いてはないわいな」
梅川「ひええ、・・・そりゃまあ悲しい事して下さんしたなあ」
(略)
梅川「大事の男をわたしゆえ、ひょんな事させました。堪忍して
下さんせ。死んでくれとは勿体ない。わしゃ礼を言うて死にます
る。それが悲しいではなけれども、どんな在所へでもつれて往
て、せめて三日なと女房にして、こちの人よと言うた上で、どう
ぞ殺してくだしゃんせ」

花道の引っ込みは、梅川・忠兵衛の手を繋いでの「死出の道行」
が、松嶋屋の型で、梅川を先に行かせて、忠兵衛のみが、「ゆっ
くり」と舞台に残り、世話になったおえんへの礼もたっぷりに、
また、大罪を犯した「逆上男」の後悔の心情をたっぷり見せるの
が、成駒屋の型で、今回の山城屋は、当然、成駒屋型。忠兵衛の
羽織の裏に描かれた藤の花が、哀しさを浮き彫りにする。おえん
が心配した通りに、最後まで、「じゃらじゃらしていた」忠兵衛
の悲劇の物語。「じゃらじゃら」は、この芝居の、通奏底音で
あった。

幕が開くと、まず、浅葱幕が、舞台を覆っている。振り落とし
で、「新口村」。

この場面、ずうと雪が降り続いているのを忘れてはいけない。梅
川が、「三日なと女房にして、こちの人よと言うた」果ての、忠
兵衛の在所である。百姓家の前で、雪が降るなか、一枚の茣蓙で
上半身を隠しただけの、梅川と忠兵衛が立っている。二人の上半
身は見えないが、「比翼」という揃いの黒い衣装の下半身、裾に
梅の枝の模様が描かれている(但し、裏地は、梅川は、桃色、忠
兵衛は、水色)。衣装が派手なだけに、かえって、寒そうに感じ
る。やがて、茣蓙が開かれると、絵に描いたような美男美女。二
人とも「道行」の定式どおりに、雪のなかにもかかわらず、素足
だ。足は、冷えきっていて、ちぎれそうなことだろう。茣蓙を二
つ折り、また、二つ折りとおうように、二人で、叮嚀に畳む。梅
川の裾の雪を払い、凍えて冷たくなった梅川の手を忠兵衛が懐に
入れ込んで温める。「手のエロティシズム」は、続いている。

やがて、花道から我當の孫右衛門登場。逃避行の梅川・忠兵衛
は、直接、孫右衛門に声を掛けたくても掛けられない。窓から顔
を出す二人。ところが、本舞台まで来た孫右衛門は、雪道に転ん
で、下駄の鼻緒が切れる。あわてて、飛び出す梅川。忠兵衛の代
りに、「嫁の」梅川が、父親の面倒を見る。

我當の孫右衛門が、やがて、私の目に、(我當、仁左衛門の実父
の)十三代目仁左衛門に似て見えて来る。我當は、体型、顔の形
から見れば、弟の仁左衛門と違って、十三代目に似ているわけが
ないのだが、今回は、似て見えて来るから不思議だ。だが、良く
見ると、目が十三代目に似ていると気が付く。

やがて、百姓家の屋体が、上手と下手に、二つに割れて行く。舞
台は、竹林越しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見に
替わる。黒衣に替わって、白い衣装の雪衣(ゆきご)が、すばや
く、出て来て、舞台転換を手助けする。逃げて行く梅川・忠兵衛
は、子役の遠見を使わず、時蔵と藤十郎のまま。霏々と降る雪。
雪音を表す「雪おろし」という太鼓が、どんどんどんどんと、鳴
り続ける。さらに、時の鐘も加わる。憂い三重。竹林をくぐり抜
けて、舞台上手から下手へ進んだ後、下手から上手へ上がって行
く二人。白黒、モノトーンの世界に雪が降り続く。小さなお地蔵
さまの首にかかった涎掛けが、赤い色が印象的。

贅言:忠兵衛と孫右衛門の二役を早替わりで演じる場合、忠兵
衛・孫右衛門への二役早替わりの場合の「入れごと」として、新
年を寿ぐ万歳と才蔵が、村にやってくる。二人に行き会った百姓
の水右衛門のお家繁盛、長寿を寿ぐやりとりがある。お礼の金を
二人に手渡す水右衛門。ここは、村では、人通りの多い場所なの
だ。すでに、公金横領で手配の懸かっている梅川・忠兵衛には、
人目を気にしなければならない、危険な場所であることが判る。
「追われる逃亡者」という状況の緊張感が伝わって来る。今回
は、「二役早替わり」という演出ではないので、「入れごと」が
なく、緊張感も乏しくなる恨みがある。

藤十郎、時蔵のコンビは、色艶抜群。「封印切」と「新口村」の
通しは、19年ぶりという藤十郎。時蔵と3回目のコンビと書い
たが、「新口村」で共演するのは、初めて。素直なまでに一途な
梅川を演じた時蔵。秀太郎のおえんは、とうに自家薬籠中のもの
になっている。安心して観ていられる。三津五郎の八右衛門は、
上方味が、いま、ひとつ薄味。治右衛門初役の歌六は、三津五郎
に似て見えたのは、不思議。忠兵衛と八右衛門とが、やり合って
いる場面では、下手奥の四角い火鉢の周りで、不動の姿勢をして
いる治右衛門、おえん、梅川は、芝居をしているような、消えて
いるような、不思議なポジションだ(時蔵曰く、「はらはらしな
がらひたすら見守っている」という)。


天女・玉三郎の魅力


「羽衣」は、2回目の拝見。歌舞伎座では、初上演という。私が
観た初回は、2000年7月、山梨県増穂町の地方興行の舞台で
拝見した。天女に愛之助、漁師に上村吉弥。今回は、天女に玉三
郎、漁師に愛之助。

舞台中央奥に大きな松。「羽衣」は、「能取りもの」ゆえに、
「松羽目もの」か。枝には、衣が掛けてある。海の遠景で美保の
松原の体。波が上がっている。舞台上手に小松。下手、奥から漁
師の伯龍(愛之助)登場。やがて、花道、スッポンより、天女
(玉三郎)登場。薄いピンク地に下がり藤の模様の入った着付
け。漁師から衣を返してもらった後は、薄い羽衣、金色の冠を着
けて、鞨鼓を下げて出て来る。返礼にと「駿河舞」を舞いながら
扇子の動きで天への飛翔を表す。「天翔ける」天女の動きに連れ
て、天女は視線を下へ、漁師は視線を上へ。やがて、漁師は、舞
台中央のせりから奈落へ降りて行く。花道七三に残る天女は、天
高く遠ざかるというわけだ。玉三郎が、本当に宙に浮いているよ
うに見えるか。いやあー、そう簡単には、浮かび上がらない。

前回見た増穂町では、普通の公共施設の舞台なので、せりは使え
ないから、舞台上手にあった件の松は、天女が下手にいるあたり
で、上手に引き入れられた。天高く遠ざかる天女。地上に取り残
される漁師。眼下遙かに見えなくなって行く松、というわけだっ
た。いろいろ、工夫するものだと、今回、逆に地方興行の努力を
見直した次第。下座の笛が天女の飛翔を示す神通力を表現してい
たのは、今回も同じ。笛の音って、不思議な力を持つものだ。

贅言:「羽衣」は、明治の時代に五代目菊五郎が能から歌舞伎舞
踊化した演目で、初演当時は、羽衣に羽をつけ、閉じたり開いた
りさせたようだ。宙乗りも取り入れ、まわるく一周したりしたと
もいう。まあ、これも、少し説明的すぎる。すっきり、綺麗に見
せるのが、こういう演目こそ、必要だろう。
- 2007年10月15日(月) 22:17:33
2007年9月・歌舞伎座 (秀山祭・夜/「壇浦兜軍記 阿古
屋」、「身替座禅」、「二條城の清正」)


風格の玉三郎阿古屋と颯爽の吉右衛門初役重忠


「壇浦兜軍記 阿古屋」は、3回目の拝見。もちろん、主役は、
玉三郎。堀川御所の問注所(評定所)の場面という、いわば法廷
で、玉三郎の阿古屋は、権力におもねらず、恋人の平家方の武
将・悪七兵衛景清のために、あくまでも気高く、堂々としてい
て、五條坂の遊女の風格を滲ませていて、最高であった(ほかの
女形で、阿古屋を観れないのが、残念)。特に、「琴責め」と通
称される、楽器を使った「音楽裁判」で、嫌疑無しと言い渡され
た時の、横を向いて、顔を上げたポーズは、愛を貫き通した女性
のプライドが、煌めいていた。あわせて、歌舞伎界の真女形の第
一人者の風格も、二重写しに見えて来る。

そして、揺るぎない判決を言い渡したのは、黒地に金銀の縫い取
りの入った衣装で、颯爽と登場した吉右衛門初役の秩父庄司重
忠。白塗り、生締めの典型的な捌き役。赤ッ面で、太い眉毛が動
く段四郎の岩永左衛門致連は、キンキラの派手な衣装に、定式の
人形振りで、客席から笑いを取っていた。銀地の無地の衝立を
バックに、ふたりの人形遣を引き連れている。

人形浄瑠璃の岩永人形のぎくしゃくした動きを真似ている。秩父
と岩永のふたりは、裁判官の主任と副主任。どちらが、実質的な
主導権を握るかで、阿古屋の運命は決まる。さらに、廷吏役で
「遊君(ゆうくん)阿古屋」と呼び掛け、阿古屋を白州に引き出
して来るのは、重忠の部下、榛沢六郎成清は、染五郎が演じる
が、廷吏らしく、法廷の開始と終了で、被告の阿古屋の入りと出
を先導する場面以外は、後ろに立ったまま(合引に座って)で、
じっとしている、文字どおりの辛抱役であった。捕手たちは、人
形浄瑠璃で、「その他大勢」と分類される一人遣の人形のような
動きをする。

この演目では、傾城の正装である重い衣装(「助六」の揚巻の衣
装・鬘は、およそ40キロと言うが、阿古屋の衣装も、あまり変
わらないのではないか)を着た阿古屋が、琴(箏)、三味線(三
絃)、胡弓を演奏しないといけないので、まず、3種類の楽器が
こなせないと役者でないと演じられない。胡弓を演奏できる女形
が、少ないということで、長年、歌右衛門の得意演目になってい
たが、最近では、玉三郎が独占している。前に締めた孔雀模様の
帯(傾城の正装用の帯で、「俎板帯」、「だらり帯」と言う)。
大柄な白、赤、金の牡丹や蝶の文様が刺繍された打掛。松竹梅と
霞に桜楓文様の歌右衛門の衣装とは違う。阿古屋は、すっかり玉
三郎の持ち役になっている。こういう重い衣装を付けながら、玉
三郎の所作、動きは、宇宙を遊泳しているように、重力を感じさ
せない。軽やかに、滑るように、移動するのは、さすがに、見事
だ。舞台上手の竹本は、4連。人形浄瑠璃同様に、竹本の太夫
が、秩父庄司重忠、岩永左衛門、榛沢六郎成清、そして、阿古屋
の担当と分かれて語る。つまり、この演目は、いろいろ、細部に
亘って、人形浄瑠璃のパロディとなっているのである。

まず、「琴」。玉三郎の「蕗組(ふきぐみ)の唱歌(しょう
が)」(かげという月の縁 清しというも月の縁 かげ清きが名
のみにてうつせど)の琴演奏に竹本の太棹の三味線が協演する。
玉三郎の琴は、爪が四角なので、関西系の「生田流」だという。
次の「三味線」では、下手の網代塀(いつもの黒御簾とは、趣が
違う)が、シャッターが上がるように、引き上がり、菱形で、平
な引台に乗った長唄と三味線のコンビが、(黒衣ふたりに押し出
されて)滑り出てくる。「翠帳紅閨に枕ならぶる床のうち」と、
玉三郎の「班女(はんじょ)」の故事を唄う三味線演奏にあわせ
て、細棹の三味線でサポートする。さらに、「胡弓」。玉三郎の
「望月」の胡弓演奏にあわせるのは、再び、竹本の太棹の三味線
の協演。「仇し野の露 鳥辺野の煙り」。胡弓の弓は、馬の毛で
出来ているという。阿古屋の演奏に魅せられ、舞台上手の火鉢を
自分の前に置き直し、中の火箸で、胡弓の演奏の見立てをしてし
まう岩永左衛門。彼も、お役目に忠実なだけの、善人なのかもし
れない。

問注所の捌きが、楽器の音色で判断という趣向だけあって、筋立
ては、阿古屋と景清との馴初めから、別れまでのいくたてを追い
掛けるという単純明快さで、判りやすい。吉右衛門の秩父は、問
注所の三段に右足を前に出したまま、左手で、太刀を抱え込み、
阿古屋の演奏にじっと耳を傾けるというポーズでいるので、昼の
部の「熊谷陣屋」の直実の制札の見得を彷彿とさせる。吉右衛門
初役ながら、好演であった。吉右衛門の重忠は、直実、清正に比
べて初代色が、薄い分だけ、当代独特の味わいが深く、私には、
好もしく見えた。


「身替座禅」は、8回目の拝見。私が観た右京:菊五郎(3)、
富十郎(2)、猿之助、勘九郎、そして、今回の團十郎。菊五郎
の右京には、巧さだけではない、味があった。特に、右京の酔い
を現す演技が巧い。酔いの味が、良いということだ。従って、右
京というと菊五郎の顔が浮かんで来る。團十郎といえども、ここ
は、菊五郎には、負ける。玉の井:吉右衛門(2)、三津五郎、
宗十郎、田之助、團十郎、仁左衛門、そして、今回の左團次。團
十郎、仁左衛門の玉の井も、印象的だったが、今回の左團次の
「異様」なまでの印象には、負ける。玉の井は、醜女で、悋気が
烈しく、強気であることが必要だろう。浮気で、人が良くて、気
弱な右京との対比が、この狂言のミソであろう。そういうイメー
ジの玉の井は、仁左衛門が巧かった。仁左衛門演じる「先代萩」
の八汐は、素晴しい敵役で、今回の悋気妻も、その系統の演技で
ある。

06年6月の歌舞伎座の劇評で、私は、次のように書いている。

*仁左衛門の底力を見せつける舞台であった。玉の井は、團十郎
もよかったが、今回の仁左衛門も良かった。嫉妬深さ、憎らし
さ、山ノ神の怖さを演じて、團十郎も仁左衛門もひけを取らな
い。吉右衛門は、人柄の良さが邪魔をする。三津五郎は、柄が小
さくて、こういう役では、損をしている。宗十郎、田之助は、女
形もやれる役者なので、立役のみの團十郎、仁左衛門とは、味わ
いが異なる。この役は、やはり、真の立役にやらせたい。

そして、今回の左團次である。左團次は、柄から見ても、声を聞
いても、立役も立役、憎まれ役、滑稽役など、性格のはっきりし
た立役を得意とする。いわば、実線で、くっきりと描いた立役で
ある。女形など、とんでもないという立役である。その立役が、
女形を演じる。その違和感が、玉の井では、プラスに作用する。
左團次の玉の井を私は、初めて観たが、実は、左團次の玉の井役
は、今回で、5回目だそうな。歌舞伎座筋書に掲載されている上
演記録を見ると、88年11月の国立劇場以降、四国こんぴら歌
舞伎金丸座、京都南座、大阪松竹座、今回の歌舞伎座と、なるほ
ど、5回目である。最初の国立劇場と今回の歌舞伎座を除けば、
西の方ばかりである。私が、観ていないわけである。5回目な
ら、達者な左團次のこと、役どころの壷は、掴んでいるだろうか
ら、存在感があるわけだ。玉の井のポイントは、右京に惚れてい
るばかりに、愛の表現が、嫉妬に変わる、という屈折愛の表現の
成否だろうと思う。左團次は、日頃の、筋書の楽屋噺を読んでい
ても、屈折したことを言いたがるお人柄で、その意味でも、「最
高」の玉の井役者かも知れない。

因に、前にも書いているが、右京役者のポイントは、右京を演じ
るだけでなく、右京の演技だけで、姿を見せない愛人の花子をど
れだけ、観客に感じ取らせることができるかどうかにかかってい
ると思う。シルエットとしての花子の存在感。花子は、舞台で
は、影も形もない。唯一花子を偲ばせるのが、右京が花子から
貰った女物の小袖。それを巧く使いながら、花子という女性を観
客の心に浮かばせられるかどうか。見えない花子の姿を観客の脳
裏に忍ばせるのは、右京役者の腕次第ということだろう。右京の
花子に対する惚気で、観客に花子の存在を窺わせなければならな
い。そういう意味でも、菊五郎は、巧い。身替わりに座禅を組ま
される太郎冠者には、染五郎。侍女の千枝が、家橘、小枝が、右
之助と、ベテランが、控える。

「身替座禅」の舞台で、立鼓を打っていた人間国宝の望月朴清さ
んが、9月20日に亡くなった。73歳。亡くなる3日前まで、
舞台に出ていた。凛とした姿勢で、小鼓を打っていた姿を、私も
目に焼きつけておこう。


「二條城の清正」は、2回目。9年前、98年9月の歌舞伎座の
舞台を観ているが、このサイト開設の前なので、劇評はない。今
回が、劇評初登場なので、きちんと書きたい。原作の吉田玄二郎
は、小説家だが、昭和初期に歌舞伎のための戯曲を幾つか書いて
いる。「二條城の清正」は、1933(昭和8)年10月東京劇
場が初演。初代吉右衛門が、加藤清正を演じているが、初代吉右
衛門は、「八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)」、「地
震加藤」、「増補桃山譚(ぞうほももやまものがたり)」、「清
正誠忠録(きよまさせいちゅうろく)」など加藤清正役が、好評
で、清正役者と言われた。「二條城の清正」は、初代吉右衛門
が、自分用の「清正もの」を吉田玄二郎に所望して、書き下ろし
てもらったという。初代の柄、持ち味を生かした科白劇。「二條
城の清正」は、いわば、吉田作「清正」シリーズの第一弾で、次
いで、「蔚山城(うるさんじょう)の清正」(1934年初
演)、「熊本城の清正」(1936年初演)と続く。

前回の配役と今回の配役を比較しておこう。

清正:いずれも、吉右衛門。秀頼:梅玉、福助。家康:羽左衛
門、左團次。大政所:芝翫、魁春。本多佐渡守:又五郎、段四
郎。藤堂和泉守:友右衛門、歌六。井伊直孝:いずれも、歌昇。
浅野幸長:いずれも、芦燕。清正奥方:東蔵、芝雀。

「二條城の清正」の大きな見せ場は、二條城での徳川家康(左團
次)と豊臣秀頼(福助)との対面と、それが無事終って、淀川を
下って、大坂城へ帰還する御座船の船中での場面である。まず、
「対面」では、家康による、豊臣家の存立を判断する面接試験と
も言うべき、緊迫の場面で、被験者の秀頼は、場合によっては、
暗殺されるかも知れないという緊張感が漂う。清正(吉右衛門)
は、いわば、定年前の、最後のご奉公で、病身を押して同行し
た。面接試験の付き添いを兼ねながら、文字どおり、体を張っ
て、暗殺も警戒し、若君・秀頼の身を護ろうという気迫充分の場
面である。吉右衛門は、初代譲りの重厚な熱演を復活しようとい
う志が明瞭で、弁説も鋭く、器量の大きさのある清正を演じてい
た。「対面」を終えて、秀頼が、二條城を辞そうとするとき、武
者溜りから不穏な動きが伝わって来ると、吉右衛門の清正が、大
声で、「還御っ」と言って、周りを威圧する場面があるが、この
一声にこそ、吉右衛門清正の「情念」が、初代から受け継がれて
いるように感じた。

一転して、淀川を下る御座船では、夜が明けないうちは、清正が
警戒を緩めさせないが、夜が明けはじめ、薄明のなかに、遠く、
大坂城が、浮かびはじめると安堵の雰囲気が強まる。横腹を見せ
ていた船が、廻り舞台を利用して、観客席の方に向いて来る。歌
舞伎の大道具のスペクタクルの魅力。幼少年期の秀頼を思い出
す、「若君」への清正の述懐、清正を「爺」として、いまも慕う
秀頼の思いやりが、交互に行き交う。二條城で家康と対決する場
面の秀頼をサポートする清正の「剛」と御座船船中で秀頼に対し
て、いわば、「爺」として対する場面の、清正の「柔」の使い分
けを吉右衛門は、くっきりと演じていた。しかし、初代の味を忠
実に復活しようという意図が強く、逆にいえば、当代の持ち味と
は、異なる味付けがされていて、私には、しっくりこない。初代
吉右衛門の熱演振りは、二代目を受け継いだ吉右衛門よりも、兄
の幸四郎の方に引き継がれているように思う。

真女形とは思えないほど福助の演じる秀頼は、凛々しさがあっ
た。動きの少ない秀頼役であったが、福助の藝の確かさが、いつ
もの女形の時よりも、いっそう、私の胸には、染み込んで来たか
ら、不思議だ。福助の、こういう凛々しい役柄も、味がある。家
康役は、前回観た、いまは亡き羽左衛門が、大きさがあり、これ
は、任、柄ともに絶品であった。しかし、左團次も、決して、悪
くはなかった(ただし、羽左衛門と比べると、小粒であったの
は、致し方ない)。左團次は、「身替座禅」で、異色の奥方玉の
井を演じた直後とは言え、味のある家康であった。

ところで、この芝居は、男たちの権力闘争の芝居だが、男たちの
戦いを見て来た奥方たちは、重要だ。女形たちが、要所をきちん
と締めていたのが、印象に残る。家康の大政所を演じた魁春と清
正の奥方の葉末を演じた芝雀である。

贅言:初代吉右衛門が得意とする演目を集めた「秀山十種」は、
実は、6演目しかない。「清正誠忠録」、「二條城の清正」、
「蔚山城の清正」、「熊本城の清正」、「弥作の鎌腹」、「松浦
の太鼓」である。それでいて、このうち、「清正もの」が、4つ
もあることに気付くだろう。それほど、初代吉右衛門は、加藤清
正役、燃えて打ち込んでいたのであろう。清正役の時は、サイン
を頼まれても、吉右衛門と書かずに、加藤清正と書いたという
「伝説」も残っているそうな。
- 2007年9月26日(水) 20:35:13
2007年9月・歌舞伎座 (秀山祭・昼/「竜馬がゆく 立志
篇」、「熊谷陣屋」、「村松風二人汐汲」)


歌舞伎の舞台には、薄い透明な皮が、何層にも貼られているので
は無いか。薄い皮を剥がすと、新しい舞台が見える。あるいは、
見えたような気がする。しかし、また、薄い皮があるような気が
して、剥がすと、また、新しい舞台が見えてくる。舞台は見えて
いるのだが、薄い皮を剥がさないと舞台が見えていないことがあ
る。何枚も、何枚も、薄い皮を剥がして行かないと舞台の全てが
見えないのだろう。あるいは、舞台を見ているようで、舞台の全
てが見えてはいないのだろう。そうすると、舞台には、剥がして
も剥がしても、永遠に無くならない薄い皮が貼られているのかも
知れない。こうやって、舞台の薄い皮を剥がす愉しみが、実は、
歌舞伎の舞台を観る愉しみなのかもしれない。

○「竜馬がゆく 立志篇」は、司馬遼太郎原作の小説「竜馬がゆ
く」を劇化した新作歌舞伎。坂本竜馬没後140年記念作品。今
回の歌舞伎座が、初演。私は、司馬遼太郎作品では、「街道をゆ
く」というような歴史紀行の物は読むが、小説は、ほとんど読ま
ない。「坂の上の雲」、つまり、坂を昇れば、上には、雲がある
というような、上昇志向の価値観、卑近に言えば、立身出世主義
のような価値観と日本の近代化の二重写し、特に明治期の戦争を
明るく描く(第2次世界大戦参戦の体験から、昭和期の戦争は暗
く描く)などという批判は、司馬遼太郎が、自ら名付けたわけで
は無いが、「司馬史観」として括られ、「自由主義史観派」に
も、利用されるという印象があり、つまり、私は、食わず嫌いで
あるから、批評は、当を得ていないかもしれない。「竜馬がゆく 
立志篇」は、坂本竜馬の青春、土佐藩を脱藩して、国事に奔走し
ようと決意する時期を「明るく」描く。

第一幕では、黒船来航の横須賀で、坂本竜馬(染五郎)が、長州
藩の桂小五郎(歌昇)と出逢い、互いに友情を抱く様子を描く。
ここは、いつもながら口跡の良い歌昇は、科白の端切も良く、演
技に安定感がある。染五郎は、口跡が悪く、土佐弁を交えている
ので、聞き取りづらいところもある。また、立回りの際、腰が決
まっておらず、とても、江戸の千葉道場の剣士とは見えない。外
圧という歴史の大状況のなかでの青春群像を描きはじめる。

第二幕では、土佐藩を舞台に、山内家譜代の家臣の「上士(じょ
うし)」と長宗我部(ちょうそかべ)家以来の「郷士(ごう
し)」との内部対立を描く。郷士が、雨の日に下駄を履いていた
と上士が、いちゃもんを付け、人が、何人も死ぬ。外圧より内部
対立という封建的な世界での、暗い青春群像の一端を垣間見せ
る。竜馬は、暗い土佐の青春に見切りを付けて、脱藩を決意す
る。

第三幕は、勝海舟の屋敷。部屋には、世界地図が、2枚。望遠
鏡。洋式の机と椅子。テーブルの上には、地球儀など。海舟暗殺
のため、千葉道場の千葉重太郎(高麗蔵)とともに竜馬が、海舟
(歌六)に逢いに来る。しかし、ふたりは、刺客であろうと海舟
には、見抜かれている。世界情勢を語る海舟の弁に竜馬は、魅了
され、海舟の弟子になりたいと申し出る。海舟とのやり取りか
ら、幕藩体制の限界を知った竜馬は、世界の列強と伍して行くた
めには、日本国家という概念こそ、この国の形を定める必須条件
だと覚るようになる。舞台は、暗転し、勝海舟の部屋は、消え去
り、朝日に輝く大海原が、広がり、幕府の軍艦「咸臨丸」のシル
エットが浮かび上がり、世界へ羽ばたこうとする竜馬の心情を伺
わせる。歌六の海舟に存在感があった。高麗蔵の千葉重太郎は、
それなりにという感じで、弱い。まあ、「竜馬がゆく」は、これ
ぎり。

○歌舞伎の舞台には、薄い透明な幕が、何層にも貼られているの
では無いか、という冒頭の疑問を抱いたのは、11回目の拝見と
なった「熊谷陣屋」の舞台を観ていて、いままで、気付いていな
かったイメージが浮かんで来たからだ。11回目(人形浄瑠璃の
舞台を入れれば、12回目)の観劇では、もういい加減、並木宗
輔テキスト論には、ならないだろうと思いながら、観ていたら、
また、新しい視点に気がついた。

陣屋に登場人物の多くが出揃う場面。二重舞台の上では、下手に
直実(吉右衛門)、上手に義経(芝翫)と四天王(桂三ら)、本
舞台では、下手に相模(福助)、上手に藤の方(芝雀)という配
置。横の人間関係は、いずれも、公的であり、上司と部下(ある
いは、元部下)という関係であり、下手の縦の人間関係のみ、私
的である。つまり、夫、息子(首だけ)、妻という、家族関係
が、浮き上がって見えてきた。すると、熊谷陣屋は、言われて来
たような、封建的な主従の身替わりの物語ばかりではなく、家族
の物語、というか、家族喪失の物語をも内包する、あるいは、
「入れ子」状態になっている舞台ではないか、というイメージが
沸き上がって来た。公の中の私。その私は、「家族の喪失として
の私」なのだ。

父親の直実がいて、息子の小次郎の首があって、母親の相模がい
るから、そんなこと当たり前では無いか、という向きもあるかも
知れないが、実は、そうではないのだ。そこにあったって、見え
なかった時の私がそうであったように、見えない人には、見えな
いのだ。見えて来た家族の物語とは、相模を軸に据えた家族とい
う視点でのみ観ることができる物語なのだ。それを以下で説明し
よう。

妻は、東国からはるばる息子と夫の無事を気にかけながら須磨の
生田の森にある熊谷陣屋までやって来た。丁度、外から戻って来
た(先日、討ち取った敦盛の墓参から戻って来た)夫は、陣屋に
「来ている」妻を見て、(なにしに、夫の職場迄来たのだ)とい
う表情をする。(ご機嫌は、悪そうだが、夫は、元気で、職務に
励んでいるらしいと安心する一方、いっしょに働いている息子
は、どうしたのだろうか。まだ、仕事中なのか)という感じで、
妻は、無言で、夫に問いかける。夫は、いま、いちばん逢いたく
無いのが、妻だから、余計、不機嫌になる。やがて、妻は、息子
の息災を尋ねる。「息子が討ち死にしたら何とする」と反問する
直実。大将と組み打ちをして、討ち死にしたら嬉しいと妻は、母
の情を殺して答える。夫は、機嫌を直し、息子は、手傷を負った
が、功名を立てたと嘘を言う。自らは、敦盛を討ち取ったと告げ
る。これを奥の間で聞いていた敦盛の母、藤の方は、息子の仇と
直実に斬り掛かる。

直実が討ち取ったという敦盛の首を義経が実検する場面。首桶か
ら取り出されたのは、敦盛では無く小次郎の首であった。直実
は、自ら、敦盛の替りに息子の首を切り取ったから、承知してい
る。目敏く小次郎の首と認識した相模は、「その首は、(小次郎
の首)」と、息を呑む。だが、義経は、陣屋の桜木の袂に立てた
弁慶の書いた「一枝(いっし)を伐らば、一指(いっし)を剪る
べし」という制札で示唆した(直実よ、敦盛の首を切ったら、小
次郎の首も無くなるぞ)ように、「その首」(敦盛の首と偽っ
て、差し出された小次郎の首)を敦盛の首と公言する。公の世界
では、認められた虚偽が、着実に進行するが、直実から相模に手
渡された敦盛の首は、敦盛の母の藤の方にも、見せられる。藤の
方も、贋首に気がついて、「その首は、(敦盛では無い)」と、
やはり息を呑む。

遠寄せの、陣鐘が鳴り、義経は、直実に出陣の用意を命じる。や
がて、鎧兜に身を固めた直実が再登場する。吉右衛門の直実は、
己の膝の前に置いた小次郎の遺髪(これは、正真正銘の小次郎
だ)を懐に入れた後(今回、初めて気がついたが、これは、初代
吉右衛門の工夫なのか。初代譲りの吉右衛門だけが演じる型なの
か。それにしても、以前、当代の吉右衛門で直実を観た時も、私
は気がつかなかった。ほかの役者も、この演出を取り入れている
のだろうか。ちょっと、後で、じっくり調べてみたい)、義経に
暇乞いを願い出る。さらに、直実は、鎧兜を脱ぐと、頭を丸めて
いて、すでに僧形を整えている。二重舞台を降りて、相模の手を
借りて、草鞋を履き、この16年間は、一昔、夢だあ、夢だあ、
と思い入れたっぷりに言いながら、妻を置いて、(懐に入れた)
遺髪の小次郎だけを連れて、京都黒谷の法然上人のところに向っ
て行く。元気な息子の姿を一目見たいと東国からやって来た母
は、変わり果てた息子の首を見ただけで、夫に置いてけぼりを食
わされてしまう。福助の相模は、「その首は、・・・」と言った
後は、ほとんど俯いたままで、憔悴した母親像を印象深く演じて
いた。夫と息子は、遠くへ行ってしまい、ひとり、家族から、取
り残された妻(母)は、生田に残される。相模にとっては、東国
を出る時から、胸騒ぎがしていたのが、それが適中してしまい、
不本意にも、家族喪失の物語となってしまったのだから、打ち拉
がれるしかない。相模初役の福助は、立派に、その印象を私の胸
に残した。

並木宗輔本来の「熊谷陣屋」では、直実の「十六年は一昔、あ
あ、夢だ夢だ」で、皆々引っ張りの見得にて、本舞台で幕とな
り、直実と髪を切った相模は、息子小次郎を弔うために(竹本
「お暇申すと夫婦連れ」)いっしょに出かけるから、家族喪失の
物語には、ならなかった。それが、明治時代に「劇聖」と呼ばれ
た九代目團十郎は、国劇としての歌舞伎を再構築しようと、「活
歴」という歴史劇に歌舞伎の理想像を描き、例えば、「熊谷陣
屋」の花道の引っ込みを今のように工夫し、蓮生と名を変えた直
実の「男の美学」を強調したから、相模は、花道を行く夫から、
ひとり本舞台に取り残されることになった。さらに、小次郎の遺
髪が、初代吉右衛門のリアリズムの演技ゆえの工夫から生み出さ
れた小道具なら、それによって、相模は、夫ばかりで無く、夫の
懐に入って、花道を行く息子からも、ひとり本舞台に取り残され
ることになった。父親の懐に抱かれた小次郎の遺髪は、やがて、
法然上人の計らいで、何処かの寺に「小次郎」として、葬られる
だろうし、敦盛の身替わりになった首は、熊谷陣屋のあった生田
の森に近い、「敦盛」として葬られた(史実の本物の首は、「敦
盛卿首塚」として、須磨寺境内に、また、胴体は、本物の「敦盛
卿墓」として、須磨浦公園に葬られ、いまも残る)。

私が観た直実は、幸四郎(6)、吉右衛門(今回含め、2)、仁
左衛門(2)、八十助時代の三津五郎。相模は、雀右衛門
(6)、芝翫(3)、今回初役の福助、澤村藤十郎であった。吉
右衛門の直実は、初代の吉右衛門を偲び、藝を伝承する「秀山
祭」(去年から始まり、今回で、2回目)ということで、いつも
の演技を、さらに実線でくっきりとなぞったような演技で、科白
回しなど、いつもより、初代色を強めたように見受けられた。所
作も、人形浄瑠璃の人形の動きのように、竹本に合わせて、くっ
きりと動かしているように思えた。それゆえ、吉右衛門らしさ
は、薄まり、兄の幸四郎のような演技に近くなって来た。福助の
科白回しは、声だけ聞いていると、相模を何回も演じた父親の芝
翫に良く似ているように思えた。義経を演じた芝翫は、科白が少
ないので、上手に、動かずに座っているばかりだが、それでい
て、義経らしい存在感を滲ませなければならないので、大変だ。
事実、義経は、あまり動かないまま、弁慶に書かせた陣屋の制札
で敦盛の命を助けよと直実に謎をかけ、「敦盛」の首実検をし、
直実の意図をきちんと受け止め、弥陀六の正体を見破り、敦盛を
救出し、直実の出家を見送るというダイナミックな仕事をこなし
ているのだ。こういう義経になりきっている芝翫が、そうしてい
るとは思えないが、福助の相模が、科白を言っている間、芝翫
も、肚のなかで、相模の科白を言っていたのではないか、という
ような妄想が沸き上がる。富十郎の弥陀六、実は、宗清は、重厚
で、安定感があった。鎧櫃を持ち上げる時のために、予め制札を
手許に取り寄せるという要領の良さを発揮する。芝雀の藤の方
も、良かった。考えてみれば、吉右衛門は、未来の歌右衛門(福
助)と雀右衛門(芝雀)という、真女形ふたりを引き連れての、
堂々の直実ぶりではなかったか。


○「村松風二人汐汲」は、今回、初演。平安時代の歌人・在原行
平が、須磨に流されたとき、地元の海女姉妹の松風や村雨と契り
を交わしたという伝説を元に能の「松風」が作られた。江戸時代
になると、人形浄瑠璃や歌舞伎でも、「松風もの」が、いろいろ
上演されるようになった。清元の「須磨の写絵」や長唄の「汐
汲」なども、同断。今回の「村松風二人汐汲」は、長唄の「汐
汲」をアレンジして、再構成した新作。舞台上手に巨大な松の老
木。下手にも松があり、須磨の浦の海辺の体。舞台中央は、長唄
の雛壇。

置浄瑠璃の後、本舞台中央のせり上がりで、松風(玉三郎)と村
雨(福助)が、登場する。白い衣装の松風、赤い衣装の村雨。腰
には、汐汲らしく、下がりを付けている。汐桶で汐を汲む様を見
せたりしながら、汐桶に写る月影に去ってしまった行平の面影を
偲ぶ。金地に緑の松、赤の雲(「須磨の夕まぐれ」という歌詞か
ら想像すると、夕焼け雲か)をあしらった扇子を手に、ふたりの
踊りが続く。行平形見の狩衣を着て松風が、行平を偲び、熱き夜
の性愛を思い出す。所作と静止のポーズが、メリハリよく、続
く。

福助は、俯いていた後、玉三郎が近づいてきたので、顔をあげる
場面では、驚くほど、歌右衛門に似ていた。玉三郎は、所作の一
つ一つを叮嚀に演じていた。福助は、汐汲の所作で、一度、汐桶
が、汐を汲む場面で、桶の倒し方が不十分で、汐を汲む所作にな
らなかったが、誤魔化してしまった。


○歌舞伎座の2階ロビーで、「初代吉右衛門ゆかり展」を開催し
ていた。いつものようにご贔屓筋からは、蘭などの花籠もある。
資料では、先ず、

*舞台写真。「俎板長兵衛」(昭和23年6月東京劇場 長兵
衛・初代吉右衛門、長松・萬之助(当代吉右衛門)初舞台)、
「増補桃山譚(地震加藤)」(昭和14年1月歌舞伎座 加藤清
正・初代吉右衛門)、「清正忠誠録」(昭和27年4月歌舞伎座 
加藤清正・初代吉右衛門、秀頼・萬之助)、「熊本城の清正」
(昭和11年3月明治座 加藤清正・初代吉右衛門)、「八陣守
護城」(昭和19年2月歌舞伎座 加藤清正・初代吉右衛門)、
「二條城の清正」(昭和26年1月歌舞伎座 加藤清正・初代吉
右衛門。もう1枚は、時期と劇場が書いていない)、「熊谷陣
屋」(昭和27年3月歌舞伎座 熊谷直実・初代吉右衛門。もう
2枚は、時期と劇場が書いていない)。

*初代の書抜帳は、「二條城の清正」「口上」など、8つ。明治
36年2月浅草座の「熊谷陣屋」の書抜帳には、表紙裏に絵番付
が貼ってある。「二條城の清正」で、使った数珠。松貫四(当代
吉右衛門)の画は、タイトルが、「夢」(直実の制札の見得が描
かれている)。

*以下は、短冊。

「はりまやの ありし日とほき 菊日和」(宇野信夫の絵と句。
絵は、花道引っ込み、七三で直実が頭を撫でている図)

「雪の日や 雪のせりふを 口ずさむ」(初代吉右衛門自筆の
句。 初代は、秀山という俳号を持ちながら、句の短冊などに
は、吉右衛門と書いている。吉右衛門賛 雪の図 雪博士・中谷
宇吉郎博士の雪の結晶を描いた画が添えられている)

「菊日和には 間もあらじ この日和」(吉右衛門の署名)

「京染の そめ上がりたる 春着かな」「京よりの 掛蓬来で 
あるらしき」(いずれも、八代幸四郎の画。幸四郎と吉右衛門の
署名)


*掛け軸仕立てで、
「雪の日や 雪のせりふを 口ずさむ」(吉右衛門の署名)

*吉右衛門句集(昭和22年6月刊の初版本。表紙に柿の実の
画)。07年復刻の新装版も。

*高浜虚子筆の「椿門」と書かれた額(初代吉右衛門は、高浜虚
子門下であった。初代は、役者の余藝の域を超えて、俳人として
も自立している。歌舞伎役者は、江戸時代から俳号を持つ人が多
く、なかには、俳号が役者名になって行く歴史もあった)。初代
吉右衛門宅の庭木戸に掲げられた「椿門」の前で、初代吉右衛門
と当代の吉右衛門が写っている写真(「昭和24年ころ」という
注)

*初代吉右衛門愛用の火鉢(中の灰は、愛用では無いだろう)

*初代吉右衛門の遺影(1881ー1954)
- 2007年9月12日(水) 22:29:36
2007年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎第3部/通し狂言「裏
表先代萩」)


「裏表」には、ふたつの狙いが秘められている


通し狂言「裏表先代萩」は、初見。歌舞伎の演出に、「テレコ」
というのがあるが、異なる筋の脚本を交互に展開して上演するこ
とをいう。今回の「裏表」で言えば、「表」が、「伽羅先代萩」
で、「花水橋」「足利家御殿」「同床下」「仁木刃傷」の場面
が、演じられる。一方、「裏」では、「大場道益宅」「問注所小
助対決」の場面が、演じられ、表と裏は、「問注所」で、何故か
クロスする。「伽羅先代萩」では、「花水橋」「御殿」「床下」
「対決」「刃傷」とあるからだ。「伽羅先代萩」では、「問注
所」での、足利家乗っ取りを企む仁木弾正とそれを阻止しようと
する渡辺外記左衛門の対決を細川勝元が颯爽と裁くが、「裏表先
代萩」では、道益殺しの下手人裁定を巡る小助とお竹の対決を細
川勝元の家臣である倉橋弥十郎が、颯爽と裁く。つまり、「問注
所」が、ボルトとナットで止められて、表の「伽羅先代萩」と裏
の「大場道益殺人事件」が、「テレコ上演」されるというわけ
だ。道益は、足利家の若君・鶴千代毒殺という陰謀のために、毒
薬を調合した医者という設定だ。更に言えば、「表」が、時代狂
言で、「裏」が、江戸世話狂言という趣向なのだということが判
る。仕掛人は、三代目菊五郎の「仁木を世話物でやりたい」とい
う希望を受け止めて、四代目南北が、1820(文政3)年に書
いた「桜舞台幕伊達染(さくらぶたいまくのだてぞめ)」で、小
助が登場した。さらに、河竹黙阿弥が、先行作品に手を加えて、
1868(慶應4)年、幕末も、どん詰まりの年に「梅照葉錦伊
達織(うめもみじにしきのだており)」という外題で書き換え、
上演された。

通し狂言「裏表先代萩」は、松竹の資料によれば、戦後では、今
回が、4回目の上演である。主役の小助を演じたのは、二代目猿
之助、後の初代猿翁、つまり、当代の猿之助の祖父である。続い
て、先代の勘三郎、当代の菊五郎、そして、今回の勘三郎とな
る。病気休演中の猿之助が、演じても良さそうな演目だが、何故
か、演じていない。今回、勘三郎は、菊五郎同様に、小助、政
岡、弾正の3役をひとりで演じる。先代の勘三郎は、小助、弾正
のふた役を演じたが、政岡は、芝翫が演じている(勘三郎は、憎
まれ役の八汐を演じている)。初役で挑戦する勘三郎の演技が、
どういうものになるか、期待に胸を膨らませて、私は、歌舞伎座
の入り口を潜った。

今回の序幕「花水橋」では、廓帰りとあって、夜、つまり黒幕の
前で、頼兼を演じたのは、七之助(今月は、5役に出演)であっ
た。七之助は、殿様というより、「若衆」、声も、甲(かん)の
声、足取りも、女形。頼兼は、序幕に出て来るだけだが、酔いと
正気の両方を感じさせながら、弱いような、強いような(「だん
まり」の立回りでは、足利家の乗っ取りを狙う大江鬼貫、仁木弾
正らが派遣した黒沢官蔵たち多数の諸士に襲われるが、きちんと
太刀打ちする)、という難しい役どころ。太守の貫禄も滲ませる
必要がある。この頼兼を演じた役者では、福助が、足取りも、女
形にならず、「だんまり」では、酔いと立回りの正気との交錯を
適宜に出していて、私には、いまも、印象に残る。福助は、品格
のある頼兼であったが、七之助は、まだ、こういう味は出し切れ
ない。「花水橋」では、最後に頼兼の助っ人に駆け付けるとい
う、重要な傍役となる相撲取りの絹川谷蔵は、亀蔵が、熱演(今
月の舞台では、4役に出ていて、どの演目でも、亀蔵の存在感
が、いつに増して、強いように感じた)。賊を退けて、一件落
着。七之助が、右手に持っていた扇を挙げると、黒幕が、降り落
とされて、背景は、夜明けの大川、向こう岸に町家が見える遠見
に替る。

二幕目「大場道益宅」では、弥十郎が、道益を演じるが、道益
は、管領・山名宗全(因に、奥方は、「御殿」に登場する栄御前
である)邸にも出入りを許された名医。従って、居宅も、立派。
玄関に、山水画の衝立があり、いわば、今なら、「診察室」に当
る部屋には、七言絶句を模様にした襖があり、薬箪笥、薬の材料
を入れていると思われる袋の数々。薬研(やげん)も、2基ある
という辺りに、その辺を滲ませている。家の前には、井戸があ
り、門には、丸に井の紋が、描かれている。道益は、名医なが
ら、俗物で、下駄屋の下女のお竹(福助)と情を通じたくて仕方
がないという、セクハラ親父でもあるのだが、太い眉で、道益の
人品を象徴したのであろう弥十郎は、名医でもなければ、スケベ
親父でもないということで、道益の人物造型が弱い。実は、道益
は、足利家の若君・鶴千代毒殺という陰謀のために、毒薬を調合
した悪徳医者でもあり、複雑な、懐深い人物なのだから、弥十郎
は、もっと、人物造型に力を入れるべきなのだ。お竹は、下駄屋
の若旦那に惚れていて、ということで、まさに、下世話な世話物
だ。道益の下男が、小助(勘三郎)であり、ここは、いちばん、
猿之助の嵌り役ともいうべき人物なのだろうが、勘三郎が、小悪
党を、どのように巧く演じるかと思っていたが、ノリが、いま、
ひとつのようで、こちらの胸に響いて来ない。道益は、小助を連
れて帰って来た弟の宗益と足利家の陰謀の相談をしていて、
200両という足利家の刻印の入った小判の包みの受け渡しをし
ていると、それを小助に見られてしまった。これが切っかけで、
悪事の200両の横取りを企む小助によって、道益は、殺されて
しまう。

別の事情で、2両が必要なお竹が、再び、現れると、小助は、お
竹にその旨の手紙を書かせる。なにか、よからぬ企みをしている
ようだ。酔いから醒めた道益が、お竹の手紙を読み、2両を貸し
与える代りにお竹に抱き着く始末。なんとも、どうしようもな
い、スケベ親父。お竹は、慌てて、道益の下駄を間違えて履いた
まま、帰ってしまい(実は、その前に、小助が、間違って、お竹
の下駄を履いたまま、油を買いに行ってしまう)、後に、手紙と
下駄が、問注所での裁きの証拠に提出されるということで、まさ
に、罠に嵌ったことになるが、お竹は、そういうことは、露ほど
にも思わない。好きな女に金だけ貸し与えて、逃げられて、ざま
のない道益を襲ったのは、小助である。小助は、薬缶から、盆に
水を入れて、和紙を濡らして、顔に貼付け、鼻の穴だけ空ける。
手拭で頬被り。いまなら、ストッキングを被った強盗のスタイル
というところか。盆の水を鏡替りにして、顔を写し、人相が、ば
れないかを確認している、忍び込む障子屋体では、敷き居に水を
掛けて、すべりを良くするなど、勘三郎の藝は、細かく、小悪党
の行状を叮嚀に演じている。

贅言:道益宅の場面に出て来た、魚は、頭と尾を動かしていた
が、小道具方の工夫なのだろうが、こういう細かな工夫も、気付
けば、愉しい。

道益を殺し、198両を奪いさる。このまま、逃げては、疑われ
ると、小悪党は、悪知恵が沸き上がり、自分の破れた片袖で包ん
だ大金を床下に隠す。しかし、「天網恢恢疎にして漏らさず」
で、大金は、床下の犬に奪われる。犬は、包みを近くにあったお
竹の父親の花売りの花籠(天秤(びん)棒で担ぐ)に隠す。この
辺りは、「表」の「床下」のパロディなのだろう(犬が銜えた金
包み、鼠が銜えた連判状)。道益を殺して、遺体を置いたまま、
買い物から戻って来たような振りをして、帰宅して、道益の遺体
を発見した弟の宗益に驚いてみせる小助であった。その後、床下
から金を持ち出そうとしたが、金が、無くなっているのに気付い
たが、後の祭り。総じて、勘三郎の小助は、小悪党振りが、いつ
もの勘三郎の藝域に達してはいないように見受けられた。勘三郎
なら、小気味のよい小悪党振りを見せてくれると期待していたの
だが・・・。

三幕目「御殿」「床下」は、「表」の通りに演じられる。勘三郎
は、政岡を演じる。これまで、私が、表の「伽羅先代萩」で観て
来た政岡は、玉三郎、雀右衛門、福助、菊五郎、玉三郎、菊五
郎、藤十郎、菊五郎。つまり、菊五郎が3回、玉三郎が2回とい
うことで、5人の役者の政岡を観てきた。このなかで、いちばん
印象に残るのは、1回しか観ていない雀右衛門だ。雀右衛門は、
全体を通じて、母親の情愛の表出が巧い。次いで、2回の玉三
郎。特に、母親の激情の迸りの場面が巧い。そして、3回の菊五
郎ということで、回数ばかりが、重要とは言えないのが、歌舞伎
のおもしろさだ。勘三郎の政岡は、こういう表の政岡役者に比べ
ると、小粒な感じが免れない。何より、母情の迸りが、弱い。特
に、名科白の「三千世界に子を持った親の心は、皆、ひとつ」と
いう辺りの盛り上がりが、いまひとつ弱い。「死なせて、死なれ
て」という官僚(若君の身替わりに死なせてよかった→「でか
しゃった」という科白に象徴されている)と母親(掛け替えのな
い我が子の死)の思いの二重構造こそ、政岡の母情の葛藤では無
かったか。

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐である。八汐
で印象に残るのは、何といっても、仁左衛門。孝夫時代を含め
て、3回の仁左衛門八汐を観て来た。八汐役者の要諦は、性根か
ら悪人という女性で、最初は、正義面をしているが、だんだん、
化けの皮を剥がされて行くに従い、そういう不敵な本性を顕わし
て行くというプロセスを表現する演技が、できなければならな
い。「憎まれ役」の凄みが、徐々に出て来るのではなく、最初か
ら、「悪役」になってしまう役者が多い。悪役と憎まれ役は、似
ているようだが、違うだろう。悪役は、善玉、悪玉と比較される
ように、最初から悪役である。ところが、憎まれ役は、他者との
関係のなかで、憎まれて「行く」という、プロセスが、伝わらな
ければ、憎まれ役には、なれないという宿命を持つ。そのあたり
の違いが判らないと、憎まれ役は、演じられない。これが、意外
と判っていない。これまで、表の「伽羅先代萩」で、私が観た5
人の八汐は、仁左衛門(3)、團十郎(2)、勘九郎時代の勘三
郎、段四郎、梅玉で、このプロセスをきちんと表現できたのは、
仁左衛門の演技であった。八汐は、ある意味で、冷徹なテロリス
トである。そこの、性根を持たないと、八汐は演じられない。千
松を刺し貫き、「お家を思う八汐の忠節」と言い放つ八汐。最後
は、政岡に斬り掛かり、逆に、殺されてしまう。自爆型、あるい
は、破滅型のテロリストなのだ。ほかの役者は、どこかで、短絡
(ショート)してしまい、そういうプロセスが、感じられない。
今回の扇雀も、眼には、凄みを滲ませていたが、仁左衛門には、
まだ、まだ、及ばない。

続く、「床下」。今回は、荒獅子男之助に勘太郎、仁木弾正は、
この演目、3役目の勘三郎。富十郎の男之助などを観ている身に
は、勘太郎では、まだまだ(序幕の七之助演じる頼兼役も、そう
だが、舞台に登場した瞬間から、存在感を表現できるようになる
のは、大変なことだ)。花道を滑るように歩んで行く弾正。いつ
も、そう思うのだが、本舞台から遠ざかるに連れて、向こう揚幕
から差し込むライトの光が、引幕に弾正の影を映すが、これが、
大入道のように大きくなって行く不気味さ。やがて、大きな弾正
の頭の影が、引幕に大写しになる。これぞ、幻術。

大詰第一場「問注所小助対決」では、高足(たかあし、二重舞台
のひとつ、2尺8寸、つまり、約84センチあり、陣屋などの床
に使われる)の座敷、中央に裁き役が座り、上手に書記役の侍が
控えている。顎鬚に入牢の疲労が滲む小助(勘三郎)とお竹(福
助)が、対決をする(小助の顎鬚では、「夏祭浪花鑑」の団七九
郎兵衛、「石切梶原」の試し斬りで殺される囚人の剣菱呑助たち
の顎鬚を思い出す)。吟味役は、横井角左衛門(弥十郎)だが、
横井は、足利家の乗っ取りを企む山名宗全派。初めから、結論あ
りきで、お竹を断罪しようと、お竹の書いた手紙、慌てて、間違
えて履いて行った道益の下駄の片方などを証拠採用している。身
に憶えのないお竹は、否定するが、聞き届けてくれない。ここで
登場するのが、もうひとりの裁き役で、細川勝元の家臣、倉橋弥
十郎。三津五郎が、颯爽と演じる。小助の小悪党と実直なお竹の
対決。窮地に追い込まれているお竹。ここへ、お竹の父親・花売
りの佐五兵衛(菊十郎)が、なぜか、花籠に大金が入っていたと
駆け付ける(道益宅の殺しの場面で、犬が、床下から持ち出した
片袖に包まれた金を花籠に入れていたのを思い出す)。父親が持
ち込んで来た大量の小判とお竹が、道益から借りた小判に刻まれ
ていた足利家の極印の一致、血潮の付いた襦袢の片袖。小助が着
ていた襦袢には、片袖が無かったなどのほかに、動かぬ証拠が揃
えば、小助は、有罪。犯行時、行灯に架けられていた渋紙には、
多数の足跡が残されていた。さまざまな証拠を突き付けられ、
「さあ、それは」ばかりを繰り返していた小助は、弥十郎にやり
込められ、その挙げ句、「恐れ入ったか」「恐れたもんだ」と
なっての、一件落着で、「時計」の音。歌舞伎味が、沸き上が
る。落胆して引き上げる勘三郎の後ろ姿に味がある。こういう所
は、勘三郎の巧さが光る。

第二場「控所仁木刃傷」では、「国崩し」の極悪人・仁木弾正を
たっぷり見せてくれる。今回は、無地で茶色に、黒い縁取りのあ
る襖の部屋、続いて、いつもの銀地に荒波の模様の襖と銀地に竜
神の絵柄の衝立のある部屋の場面があり、廻り舞台で、展開して
見せる。足利家の家督相続を巡る評定の結果を待つ場面と弾正刃
傷の立ち回りとなる場面と分けている。「刃傷」では、渡辺外記
左衛門(市蔵)が、弾正に腹を刺されて瀕死の重傷を負いなが
ら、奮闘振りを見せる熱演が印象に残る。仁木弾正は、仇を討た
れて、死ぬ。最後に登場する細川勝元(三津五郎)は、裏と表を
締めくくり、「テレコ」狂言、これにて、拍子幕。勘三郎の3役
では、弾正が一番、政岡が、二番で、いちばん味を出すのではと
期待していた小助が、三番というところか(第2部の「新版 舌
切雀」の玉婆役で、エネルギーを使い果たしたようで)。

贅言:それにしても、重症で、苦しそうな外記左衛門に、勝元
は、

「痛手を屈せぬ健気な振舞い。悪人滅びて、鶴千代の家は万代、
不易の門出、めでとう寿祝うて立ちゃれ」ト謡になり、(略)

勝元、外記、交互に一節謡い、「めでたい、めでたい」というの
は、いかにも、古怪な感じ(瀕死の怪我人に、なにをさせている
のか)が、いつも、残る。そう、思いませんか。
- 2007年8月30日(木) 22:20:38
2007年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎第2部/「ゆうれい貸
屋」「新版 舌切雀」)


連日売り切れの人気の秘密は、はちゃめちゃな、勘三郎のノリの
舞台であった


ことしの歌舞伎座・納涼歌舞伎では、第2部が、連日、売り切れ
の人気となったが、歌舞伎味が、何より好きな私にしては、それ
ほど、おもしろいとは言えなかったので、この劇評は、コンパク
トにまとめることにする。

まず、山本周五郎原作の新作歌舞伎「ゆうれい貸屋」は、
1950(昭和25)年に発表された同名のタイトルの小説を歌
舞伎化したもの。歌舞伎では、数少ない喜劇の一つ。初演は、
1959(昭和34)年、明治座で、二代目尾上松緑の弥六、七
代目尾上梅幸の染次という配役であった。

江戸京橋の炭屋河岸に住む桶職人の弥六(三津五郎)は、ワーキ
ングプアを先取りしたような暮らしに疲れて、怠け者になってし
まい、愛想を尽かした女房のお兼(孝太郎)は、実家へ戻ってし
まう。夜になると、生前は、辰巳芸者だった染次(福助)の幽霊
が、現れる。御家人の男に騙され、その男や家族を取り殺した
が、怨念の幽霊と成り果てて、成仏できないで、彷徨っている。
美貌の幽霊を弥六が誉めたものだから、機嫌を良くした染次は、
弥六の女房にしてくれと言い出し、怠け者と幽霊の奇妙な同棲生
活が始まる。

奇妙な同棲生活は、長屋の連中にも知れ渡り、昼夜逆転の生活の
中で、嫉妬深い染次は、弥六がお兼とよりを戻したのでは無いか
と邪推するようになる。怠け者は、店賃が払えないからと幽霊に
相談をし、染次は、旧知の幽霊仲間を募り、「幽霊貸屋」という
珍妙な商売を始める。屑屋の又蔵(勘三郎)やお千代(七之助)
らが、染次に協力することになり、幽霊たちは、依頼人と同道し
ては、依頼人の代りに恨み言を言いに行ったりするようになる。
幽霊貸屋が、繁昌するという展開になるが、何故、繁昌するのか
が、判りにくい。

浮気性のお千代が、弥六にちょっかいを出したり、お千代と弥六
の仲を勘違いした染次が、弥六を取り殺そうとしたり、というよ
うなくすぐりの場面があるが、最後は、又蔵に「人間、生きてい
ればこそ」と諭され、真面目に働きたいと性根を据えた弥六が、
実家から戻ったお兼とよりを戻す。そして、長屋の連中ととも
に、般若心経を唱えると、染次ら幽霊は、成仏して行くという、
たわいもない話。飄々とした三津五郎の味とお侠な福助の味が、
軸となって展開する人情喜劇で、軽妙な科白のやり取りという、
ふたりの藝の力で、芝居を成り立たせているというだけ。期待し
ていたほど、おもしろくはなかった。

「新版 舌切雀」は、渡辺えり子原作の新作歌舞伎(なんだろう
なあ)。3年前の歌舞伎座上演「今昔桃太郎」路線の第2弾とい
うところか。俳優祭のような出し物(つまり、観客サービスのた
めの役者の学芸会のようなもの)で、派手な舞台と演出が、私に
は、鼻に付いて、なんとも、言い難い。でも、「ゆうれい貸屋」
が、さほどの芝居では無かったところから見ると、連日、売り切
れという人気の秘密は、「新版 舌切雀」ということになるのだ
ろうか。日本昔話で有名な「舌切雀」の「新版」、つまり、「新
解釈お伽噺」というわけだ。

鳥の世界と人間界。舌を切られた雀の、すみれ丸(福助)が、取
り持つ。村に住む仲睦まじい森彦(勘太郎)とお夏(七之助)夫
婦に可愛がられたすみれ丸は、夫婦を虐める森彦の母親で、どん
欲な玉婆(勘三郎)をたしなめると、逆に、玉婆に舌を切り取ら
れてしまった。

怪我をしたすみれ丸は、夫婦の家の箪笥の引き出しから、何処へ
か逃げて行く。鳥の世界と人間界を繋ぐ異空間の回廊は、箪笥の
引き出しという工夫は、おもしろい。三津五郎は、小人役で出て
来るが、この小人が、不思議。森の賢者であり、人の心を読む能
力を持っているのも、不思議だが、どのようにして小人に扮して
いるかも、不思議。さらに、小人から村の与太郎に変身するとこ
ろをみると、小人は、黒衣の衣装から顔だけだし、胸に当たると
ころで、小人の全身像を見せていたことが判る。それを脱ぎ捨て
るようにして、立上がると与太郎になるという仕掛けだ。

すみれ丸を追って、箪笥に引き出しから異空間にタイムスリップ
した森彦は、金銀財宝を満載した葛籠を背負って戻ってきた。玉
婆は、森彦が止めるのも聞かず、妹分の蚊ヨ(かよ・扇雀)とと
もに、箪笥の引き出しから異空間の鳥の棲む森に入って行く。い
ろいろあって、大きな葛籠を背負って、人間界に戻ろうとする玉
婆。勘三郎の吹き替えまで出て、役者たちは、まさに、俳優祭
の、ノリでノリまくっているが、大混乱の舞台は、収拾が付かな
い。歌舞伎は、傾(かぶ)く世界だから、いろいろ、実験があっ
ても、かまわないが、主題が不明確で、胸に迫って来るものが無
い。大道具、衣装、色彩などまで含めて、まあ、私には、あまり
好きでは無い舞台だった。
- 2007年8月30日(木) 22:17:45
2007年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎第1部/「磯異人館」
「越前一乗谷」)


夏の歌舞伎座恒例の、納涼歌舞伎は、3部制である。役者の軸
は、勘三郎、三津五郎らから、福助、橋之助、さらには、勘太
郎、七之助らへと、移動しはじめたという感があるのは、私だけ
ではないだろう。第1部は、2演目とも、場内が暗い間まで、
「ウオッチング」のメモを付けることが出来ない。暗がりのなか
で、手探りで、紙に適当に短いメモを書き付けたけれど、いつも
のようには、記録ができていないので、舞台再現には、精彩を欠
くし、間違いが生じる可能性も拭えないが、仕方がない。

「磯(いそ)異人館」は、初見(鹿児島市の磯は、地名。いま
も、磯地区には、「尚古集成館」という島津家の資料を集めた博
物館がある)。1968(昭和43)年懸賞当選の新作歌舞伎。
1987(昭和62)年、歌舞伎座初演で、今回が、再演。幕
末、1862(文久2)年の生麦事件(島津久光の一行に遭遇し
たイギリス人4人が、騎馬のまま、行列の前を横切ろうとして、
行列内の従士がイギリス人を殺傷した事件で、翌年の薩英戦争の
誘因となった)で、犯人引き渡しが要求された際に、でっち上げ
られた架空の脱藩浪人・岡野新助の子息・岡野精之介と周三郎と
いう兄弟を想定した物語。兄の精之介(勘太郎)は、薩摩藩の産
業工場「集成館」で硝子(薩摩切子)作りに励んでいる。弟の周
三郎(松也)は、剣の道に進み、いまは、集成館の警護を担当し
ている。薩英戦争の結果、尊王攘夷思想を捨てて、イギリスの協
力を得ながら、近代化路線を進みはじめた薩摩藩は、こうした若
い世代が、力を付けはじめていた。

集成館にも、紡績工場が新設され、技術指導にあたるイギリス人
たちが、敷地内の異人館に住んでいる。集成館総裁・松岡十太夫
(橋之助)の養女になっている琉球の王女・琉璃(るり・七之
助)が、無断で異人館に立ち入ってきた薩摩藩の作事奉行・折田
要蔵(家橘)の子息・金吾(橘太郎)らに「洋妾(らしゃめ
ん)」と蔑まれる場面に出くわした周三郎は、琉璃を護って、金
吾と喧嘩となる。以後、ふたりの対決は、ことあるごとに続く。
器量の大きな兄の精之介は、弟を諌めつつ、櫻島の噴火の炎のよ
うな色の薩摩切子を作る夢を抱いて、研究に没頭している。硝子
と剣という対照的な兄弟、やがて兄の精之介は、琉璃に慕われる
が、琉璃は、異人館の紡績技師・ハリソン(亀蔵)に嫁ぐ運命が
待っている。弟の周三郎は、松岡十太夫の娘・加代(芝のぶ)に
好意を寄せられているが、イギリス人を殺傷した岡野新助の子息
という理由で、ハリソンに追われ、警護職から放逐される。代り
に警護職に付いた金吾に討ちかかられた際に、逆に金吾を斬り捨
てるなど、男たちの確執のある物語にふた組の恋が彩りを添え
る。薩摩藩外国掛で岡野精之介に友情を寄せ、パリ万国博覧会に
出向き、硝子作りの技術を取得するとともに、薩摩切子を世界の
舞台へ出品させようと勧める五代才助(猿弥)が、兄弟を支援す
る。しかし、ドラマは、悲劇で終るものだ。手傷を負い、弟の罪
を着て、立ったまま、切腹(立腹を切る)する精之介が、ハリソ
ンに嫁ぐ琉璃と自分の代りにパリへ行かせることにした周三郎ら
を乗せた船の出航を見送る場面で幕となる。背景に櫻島が見え
る。

初演時の配役と今回の配役。精之介:勘九郎時代の勘三郎、勘太
郎。周三郎:橋之助、松也。琉璃:澤村藤十郎、七之助。五代才
助:歌昇、猿弥。加代:浩太郎時代の扇雀、芝のぶ。松岡十太
夫:我當、橋之助。折田要蔵:半四郎、家橘。折田金吾:正之助
時代の権十郎、橘太郎。ハリソン:松鶴時代の六代目松助、亀
蔵。

新作歌舞伎なので、歌舞伎役者が芝居をしているものの、歌舞伎
味は、ない。開幕冒頭、スライドと科白で、生麦事件の概要を伝
える。大道具も、近代演劇の道具立て。勘太郎は、不必要に舞台
をあちこち動き過ぎではないか。芝居が、落ち着かない。七之助
は、好演。歌舞伎の甲(かん)の声ではなくて、自然な科白のな
かで、女性らしい声を出さねばならず、辛かったのではないか。
猿弥は、おいしい役どころで、悲劇に巻き込まれる主人公を度々
助ける、いわば、正義の味方。貫禄と落ち着きがあり、得をして
いる。橋之助は、存在感が、乏しい、損な役回り。芝のぶは、中
堅どころの役回りで、科白も多い。養女で、姉に当る琉璃を支え
るとともに、周三郎に好意を寄せて、目立つ。人物造型も、くっ
きりしている。珍しく、「芝のぶ」ではなく、「成駒屋」の屋号
が、大向こうから掛っていた。花形、若手の納涼歌舞伎らしく、
芝のぶの科白や仕どころ多い演目で、私は、それだけで、満足。
松也は、血気はやる弟の周三郎だが、くっきりとした人物像を描
ききっていないのは、残念。家橘と橘太郎の親子は、憎まれ役と
しての存在感があった。憎まれ役なくして、芝居は成立しない。


斬新で、勇壮な所作事の立ち回りに見応えあり


「越前一乗谷」は、水上勉原作の舞踊劇。勝者の歴史のなかで、
弱者の視点で描くのは、さすが、水上勉。苦労人の作品である。
1973(昭和48)年8月に四代目尾上菊之助(当代の菊五
郎)と菊之丞が主宰した舞踊会「よきこと会」が、国立劇場で、
8月29日、30日の2日間、初演した。初演時の配役は、義
景:菊之丞、小少将:菊之助時代の菊五郎。今回は、再演。伴奏
を竹本の太三味線で勇壮に奏でる。竹本葵太夫らの4連と四拍子
囃子連中で演じる。作曲は、文楽三味線の十代目竹澤弥七。越前
の一乗谷を拠点に全盛を誇った戦国大名・浅倉義景とその妻・小
少将が、織田信長に滅ぼされる悲劇を舞踊劇化した。

簡略化した、シンプルで近代的な大道具を大せり、廻り舞台とい
う歌舞伎の舞台装置を機能的、効率的に操っていて、これが、斬
新な感じを与え、素晴しかった。次いで、立回りを所作に変え
て、さらに、総体を舞踊劇に仕立てていて、見応えがあった。初
演時に当代の菊五郎とともに「よきこと会」を主宰した尾上菊之
丞の振り付けは、さすがで、扇をキーポイントに使い、刀、盃、
手綱などのイメージが、的確に観客に伝わってきたと思う。もっ
と、再演されてよい演目ではないか。

人生夢中といえども 夢みじかくして落花に似たり

暗転の中での開幕。舞台では、上手の竹本連中だけが、薄明かり
に浮かび上がる。やがて、舞台が明らんで来ると、舞台中央奥に
尼僧の後ろ姿が浮かび上がって来る。この尼僧は、浅倉義景の
妻・小少将(福助)であった。栄耀栄華の過ぎし世を・・・、物
思いに耽る小少将が花道から消えると、舞台奥の大せりが上がっ
てきて、芝のぶらの上臈ら8人の群舞。その後ろの大せりは、廻
り舞台の動きに合わせて、競り上がって来る。義景(橋之助)と
当時の華やかさを甦らせた小少将、愛息・愛王丸(鶴松)の家族
3人の姿。廻ってきたせりの後ろ(さっき、上臈らが上がって来
た)は、抽象的ながら、簡易の二重舞台の体で、巧く工夫されて
いる(これと舞台天井から釣り下げている書割を巧みに使い、舞
台展開の早替りを可能にしているのが、判る)。

桜狩りの宴の最中に、織田信長が攻め込んで来たとの報が齎され
る(注進役は、七之助)。直ちに郎党(三津五郎、松也、慎吾)
を引き連れて出陣する義景。先ほど触れた扇が、巧く使われてい
る所作事。激しい合戦を繰り広げる戦場の場面。織田信長の郎党
(勘三郎、弥十郎、高麗蔵、市蔵)との合戦の所作事が続く。舞
台は、廻り、書割との組み合わせで、舞台は、越前一の大寺・平
泉寺となる。式部太夫(亀蔵)らの裏切り、織田方への寝返り。
小少将と愛王丸を落ち延びさせ(廻り舞台と大せりを逆に使っ
て、表現をする)、「生きよ」と命ずる義景は、再び、戦場に向
い、壮絶な最期を遂げる。

女はげにも三界に家なき道を歩むとかや

その後、藤吉郎(勘太郎)の側女にさせられた小少将は、愛息の
死を知らされ、自害しようとするが、義景の「生きよ」と命じた
声が、甦って来て、死ねない。代りに、長い黒髪を断ち切る(鬘
の仕掛けが、生きる)。やがて、尼僧になり、いまは、亡き義景
と愛王丸の菩提を弔いながら、戦国の世の無常を歎くという、冒
頭の場面に戻る。立回りを所作事にした振り付けが、斬新で、
「越前一乗谷」は、第1部では、秀逸の舞台であった。
- 2007年8月26日(日) 19:16:38
2007年7月・歌舞伎座  (「NINAGAWA 十二
夜」)

2年前の7月の歌舞伎座で初演された「NINAGAWA 十二
夜」が、贅肉を落し、ブラシュアップされ、先月の博多座での助
走をして、その勢いを駆って、歌舞伎座に凱旋してきた。菊之助
が主演し、蜷川幸雄が演出をするするシェイクスピア劇の歌舞伎
化の試みである。この試みには、勢いがあり、今回も、見応えの
ある新作歌舞伎の舞台が展開された。2回目の拝見。前回同様、
客席内が、暗いので、いつものようにウオッチングしながらのメ
モが取れないので、記憶に頼りながらの劇評で、正確さが、保証
できない。今回は、『「2×3×2=12」夜』という、構想が
頭に浮かんできた。

本記部分は、1)登場人物の二重性、2)物語展開の軸となる三
角関係、3)カップル(2)×2組=4で、四辺平穏(大団
円)、4)結論=「2×3×2=12」夜、という構成だ。


1)登場人物の二重性

いやあ、癖のある人物が、次々に登場しますね。約400年前の
シェイクスピア劇の舞台を日本に置き換え、役名は、変えなが
ら、科白劇であるシェイクスピア劇の特徴を最大限に活かそうと
いう蜷川演出である。400年前といえば、日本では、出雲阿国
に象徴されるように歌舞伎が発祥している。遊女歌舞伎、若衆歌
舞伎、野郎歌舞伎と変遷して行く。シェイクスピアが活躍してい
たエリザベス朝演劇時代のイギリスでは、男優たちのみで演じら
れた。そういう意味では、シェイクスピア劇と歌舞伎の演出に
は、共通する部分もある。○○、実は、△△という人物の二重性
は、歌舞伎でも、馴染みのある設定。あるいは、同一人物でも、
本音と建て前の二重性。これは、いまだって、多くの人にもあ
る。癖のある人物が、次々と登場して、観客の頭をこんがらから
せておいて、次第に整理しながら、物語は展開する。そして、大
団円。すべては、腑に落ちる。

序幕第一場では、幕が開くと、舞台は、左大臣館の広庭。桜の巨
木が、爛漫と咲き乱れる。その後ろの書割、上手の床(ちょ
ぼ)、下手の黒御簾などまで、全てが鏡張りになっているのは、
2年前と同じ演出だ。

舞台背景の書割には、1階席の客席が、場内を飾る赤い提灯とと
もに映って見えるので、横長の舞台を挟んで、丸く客席が囲んで
いるように見える。赤い提灯も、いつもより、祝祭劇の気分を盛
り上げてくれる。まさに、「円形劇場」の雰囲気で、その意外性
が、客の心を一瞬のうちに掴み取る効果を上げていて、実に、卓
抜な演出だと改めて思った。それに、この「鏡」は、主人公の斯
波主膳之助と琵琶姫という、男女の「双児」という、特徴を象徴
していることに、今回は、気がついたが、それは、後述する。

実際、幕が開く前に花道七三近くのライトが、いつになく、観客
席を照らし出す。歌舞伎座に何回か通っていて、今回、初めてこ
の演目を観る人には、開幕を待ちながら、何ごとか、いつもと違
うと不思議に思うかもしれない。やがて、定式幕が引かれると、
ライトで照らし出された1階の観客席が、舞台背景の、書割の鏡
に映し出される。前回同様、場内から「じわ」が来た。

照明の効果で、鏡が透けて見えると、網のような薄い幕越しに、
本舞台が見える。爛漫に咲き乱れる桜の巨木を背景に、中央下手
よりに、西洋楽器のチェンバロ(3人の天使の絵が描かれてい
る)を演奏する楽人1人、中央上手よりに3人の南蛮風の衣装の
少年少女合唱隊、さらに、上手の緋毛氈には、常とは異なる、僧
衣のような衣装を身に着けた楽人(鼓方)3人が座って、大小の
鼓を打ち、ラテン語の聖歌の合唱と和洋混合楽器の合奏が、流れ
る。そのなかを、花道から左大臣(錦之助)と従者2人(秀調、
松也)が、登場するという印象的な幕開きの場面が続くのであ
る。

歌舞伎調シェイクスピア劇は、前半、特に、序幕は、前回同様、
第九場まであり、主筋の紹介のため、舞台展開が、多過ぎて、逆
に、舞台に集中しにくい。癖のある人物の登場、伏線の提示な
ど、消化不良のまま、物語は展開するので、観客は、眠気との闘
いも必要。序幕第二場の紀州灘沖合いの場は、通称「毛剃」こ
と、「博多小女郎浪枕」に出て来るような一艘の大船が、登場す
るスペクタクル。菊之助が、ふた役早替りで、典型的な若衆
(「十種香」の勝頼の」ような)の役どころで、斯波主膳之助
と、双児の妹の琵琶姫(菊之助)を演じ、嵐に揉まれる大船は、
やがて、帆柱も折れ、遭難してしまう辺りは、見応えがあった
が、音楽は、歌舞伎の定式の太鼓をもっと活用しても良かったの
では無いか。現代劇風の音響効果や音楽は、逆に、興を削ぐ。大
荒れの海原を、浪布模様のライトと浪布(浪布の下に大道具方が
数人入っていて、上下左右に揺するという歌舞伎の伝統的な演
出)は、効果抜群。やはり、伝統藝を生かした方が、良い。


2)物語展開の軸となる三角関係

難破した船から海岸に辿り着いた琵琶姫と舟長の磯右衛門(段四
郎)は、別れ別れになった、生死不明の兄・主膳之助を探す旅に
出る。琵琶姫は、男姿になって、獅子丸と名乗り、地域を治める
左大臣(錦之助)の館に就職をして、「小姓」になる。左大臣
は、織笛姫(時蔵)に恋をしているのだが、織笛姫は、冷たい。
左大臣は、自己中心的で、周りが見えないタイプ。織笛姫に嫌わ
れても、嫌われても、しつこさこそ、誠実と錯覚しているような
人物と見受けた。就職して、3日目、左大臣に気に入られた小
姓・獅子丸が、恋の仲立ちの使者となると、織笛姫は、なんと、
獅子丸に恋してしまう。左大臣→織笛姫→獅子丸というのが、恋
のベクトル。さらに、獅子丸、実は、琵琶姫→左大臣というベク
トルも加わる(獅子丸が、酒席で、踊りを披露する場面では、獅
子丸は、出雲阿国に見える。これが、転機のポイント)。男と女
の二重性をベースに、恋する者たちの連鎖が、一方向にばかり向
いながら、綾なし、環になる喜劇が、「十二夜」の眼目である。
結局、「女は、強し」で、女性のベクトルが、実線を描くことに
なる。

二幕目、大詰は、主筋の左大臣館、脇筋の織笛姫邸の芝居で、舞
台が、落ち着いて来るに連れて、様式美や定式を踏まえて、歌舞
伎度も上がってくるという趣向だ。これは、前回から変らない。
息子の菊之助を前面に出し、脇に廻って、芝居に奥行きを与える
のが、織笛姫邸の気侭な奉公人・捨助と頑固ゆえに憎まれ役、権
力欲も強いというのが織笛姫邸用人・坊太夫のふた役早替りを演
じる菊五郎である。「菊五郎の歌舞伎演出」と「蜷川幸雄のシェ
イクスピア劇演出」のせめぎ合いが、おもしろい効果を上げて、
新機軸の歌舞伎調シェイクスピア劇を誕生させたと言える。この
力関係は、さすがに、ふたりとも、見抜いていて、変えてはいな
い。


3)カップル(2)×2組=4で、四辺平穏(大団円)

序幕、第二場で海中に沈んだ主膳之助が、海難にめげずに、生き
ていて(序幕第八場で、観客には、知らせるが、琵琶姫らには、
知らせない)、大詰、第四場から、本格的に舞台に登場したこと
から、主膳之助と獅子丸を巡って、暫く、混乱が続き、展開をお
もしろくするのだが、結局、獅子丸は、琵琶姫の男装と判り、織
笛姫→獅子丸は、織笛姫→主膳之助に整理され、琵琶姫→左大臣
は、新たに恋仲として受け入れられ、ふた組のカップル誕生で、
三角関係は、いずれも、めでたし、めでたしの2×2=4で、四
辺平穏という大団円を迎えることになる。こういう本流の筋の展
開の一方、織笛姫(時蔵)を巡って、右大弁・安藤英竹(翫雀、
前回は、松緑)と坊太夫(菊五郎)の、横恋慕同士の恋の鞘当て
という支流の展開も加味する。これは、二幕目第二場の織笛姫邸
中庭の場で、織笛姫の筆跡を真似た贋の恋文を坊太夫に拾わせ
て、坊太夫をその気にさせるという場面で、いちだんと盛り上が
るのだが、ここが、実に良くできている。3つの、まるで、「大
きな帽子」を想像させる抽象的な白いオブジェのような大道具
は、本来なら、歌舞伎には、馴染まないのだが、(「お笑い3人
組」のような)坊太夫を陥れる洞院鐘道(左團次)、安藤英竹
(翫雀)、比叡庵五郎(團蔵)と、それに加えて、洞院と恋仲
の、悪知恵の働く才女で、織笛姫秘書役の腰元・麻阿(亀治郎)
が、坊太夫との距離をとったり、身を隠したりするのに効果的に
使われている。これに加えて、背景の書割代りに、今回、多用さ
れる大きな鏡が、あるので、役者の所作の裏表が、観客席に手に
取るように判る仕掛けだ。上手(床のところ)、下手(黒御簾の
ところ)にも、鏡があり、役者たちは、まるで、万華鏡の中に居
るようで、演技をすればするほど、万華鏡の世界は、変化(へん
げ)するから、おもしろい。それは、まさに、人間の裏表を暴き
出すかのように見受けられる。黙って、上空から見下ろしている
のは、皓々と照る月のみ。


4)結論=「2×3×2=12」夜→「十二夜」

ということで、「NINAGAWA 十二夜」というジグソーパ
ズルには、こういう遊びが、隠されているのでは無いか。二重
性、三角関係、2組のカップル誕生というわけである。


☆さて、「番外編」というか、実は、蜷川演出の最大のハイライ
トである大道具としての鏡の、つまり、「ミラー効果」を検証し
てみよう。この「大鏡」は、木枠に布張りの、いわゆる「書割」
(歌舞伎の背景画は、「書割」の組み合わせで、大きな背景画を
構成する)同様、へなへなしているものや、鏡になったり、向う
が透けて見える紗幕になったり、鏡の上に、松や山の絵が描かれ
た襖になったりしながら、終始舞台に出続ける(舞台の壁面をミ
ラーにするアイディアを出したのは、装置担当の、金井勇一
郎)。それが、照明との相乗効果で、巧みな「円形劇場」(シェ
イクスピア劇に相応しい、新しい「グローブ座」を木挽町に出現
させた。特に、上手と下手の「袖」のミラー効果は、抜群で、上
手のミラーには、絶えず、斜めの角度から、舞台の尖端で演技す
る主役を映しだしているし、下手のミラーは、本舞台の屋体を横
から見せてくれて、江戸の芝居小屋にあった「羅漢(らかん)
席」からの眺めを再現するように、いつにない角度からの芝居を
観客席に提供してくれた。特に、幕引きの大道具方が、観客席か
ら見れば、「幕内」の光景である、内側から幕を引いて走るさま
を見せてくれるのである。また、照明の当て具合で、花道から向
う揚幕の辺りが、鏡に映し出されるから、1階の1等席でもない
2階や3階の座席からも、同じように花道向うの演技が、見て取
れる)をつくり出している。蜷川幸雄は、蜷川演劇の、いつもの
スタッフを殆ど連れずに、単身、歌舞伎座に乗込んできたようだ
(それを蜷川は、「歌舞伎国への留学」と呼んでいる)が、一人
だけ連れてきたスタッフが、照明担当の原田保だという。その原
田の照明と金井の装置が、息もあって、効果を上げている。照明
の具合で、鏡を強調したり、透かしたりしている。これは、前回
と変らない。

舞台の中央で演技する役者たちの姿が、裏返しで、鏡に映ってい
るときには、本舞台で演じられる芝居と鏡のなかで背中だけを見
せて演じられる「別の芝居」が、恰も、同時進行しているよう
な、不思議な気分にさせられて、今回も、しばし、仙境に揺蕩
(たゆた)っているような気になった。鏡が暴く、人間の裏表、
これは、まさに、シェイクスピアが暴く、人間の裏表に通じる。

二幕目第三場と大詰第二場の織笛姫邸奥庭の場、第五場の織笛姫
邸広庭の場にも、仕掛けがある。百合の花が咲き乱れる織笛姫邸
の奥庭の太鼓橋は、鏡の書割で、ふたつの橋があるように見え
る。広庭のふたつの太鼓橋は、ふたつの太鼓橋の後ろに鏡の書割
があり、巨大な万華鏡を覗き込んでいるような永久運動の世界が
出現する。獅子丸ひとりのときは、もうひとりの幻影が、鏡に写
る。鏡は、双児を暗示している。獅子丸、実は、琵琶姫を除い
て、ほかの登場人物たちは、獅子丸しか知らないから、主膳之助
が登場すると、獅子丸との違いが判らず、混乱する。それは、鏡
に写った琵琶姫だからだろう。それが、主膳之助とは、別に、主
膳之助そっくりの獅子丸(吹き替え)が登場して、初めて、獅子
丸は、主膳之助の妹の琵琶姫と判る仕組みだが、正体を明かして
しまえば、鏡は、不要になる。広庭では、2組のカップルが、鏡
に写った幻影では無い、ふたつの太鼓橋を渡るようになる。この
場面は、背景の書割のほかに舞台の袖や見切りにまで、鏡が入
り、まさに、天地を除いて、鏡だらけという、「鏡の国」が、出
現した。ならば、「鏡の国のアリス」は、誰だったのか。素直に
みれば、琵琶姫だろうが、幸せになったのは、つれなかった左大
臣と結ばれた琵琶姫だけでなく、獅子丸似の、他人の(とは、
言っても、獅子丸こと、琵琶姫の兄の)主膳之助と結ばれた織笛
姫だろうか。いや、私は、違うような気がする。


☆そこで、役者論。脇筋の織笛姫邸の場面で、左大弁・洞院鐘道
を演じる左團次、右大弁・安藤英竹を演じる翫雀(前回は、松
緑)、それに左大弁と恋仲の、織笛姫秘書役の腰元・麻阿(ま
あ)を演じる亀治郎の3人が、息もあっていて、その上で、役割
をきちんと演じわけていて、充実の舞台に仕上げている。今回
は、安藤英竹役が、松緑から翫雀に変って、よりコミカルになっ
たようだ。特に、悪知恵に逞しい知恵者で、いろいろ仕掛けを作
り、物語展開の牽引者の役割を演じる亀治郎の麻阿が、前回にも
増して、達者な存在感を残している。二幕目第二場、織笛姫邸中
庭の場面では、鏡を巧みに意識した演技で、「まあ、驚いた」。
まさに、「鏡の国のアリス」とは、麻阿だったと得心が行ったと
いう次第。

いまや、自在な天地を行く菊五郎が、脇に廻って、憎まれ役の権
力者・坊太夫と道化た奉公人・捨助(願人坊主の延長線上にある
と思う)というふた役を味のある演技で奥行きを深めて、さら
に、舞台を磨きあげる。菊五郎と言えば、最近、長谷部浩が刊行
した「菊五郎の色気」という新書が、おもしろい。菊五郎の藝の
評価には、私も、得心するところが多くて、興味深く拝読した
が、菊五郎家との、特段の親しい付き合いを自慢げに書いている
ところが、欠点だ。こういう楽屋裏の話を表に出してしまうと、
そういう特別の間柄だから、評価が甘くなっているのではないか
と勘ぐられてしまう。これは、実に、損なやり方で、担当の編集
者は、当然、そうならないように配慮すべきだった。そういう内
輪の親しさなど削ぎ落して、客観的に役者論を書かせるべきだっ
たと思う。菊五郎の評価は、私には良く納得されるものだっただ
けに、実に残念だ。

時蔵の織笛姫は、典型的な赤姫で、歌舞伎の様式美を体現する演
技だったが、大詰で、獅子丸が、琵琶姫が扮していたことが判明
し、「女でありながら、女を見初めるとは、大恥ずかし」と恥じ
らうときの表情、双児の妹・琵琶姫の獅子丸には、「振られた」
が、双児の兄・斯波主膳之助と結ばれるときの、嬉しそうな「官
能」の顔は、すっかり、当代一流の表情として、定着したよう
だ。

主役の菊之助は、いまが、「時分の花」なのだろう。男性が、女
形となり、琵琶姫を演じ、琵琶姫が、訳あって、男装して小姓・
獅子丸となる。こういう役は、玉三郎でも、できないかも知れな
い(玉三郎では、女形性が、強く出てしまうだろう)。アンドロ
ギュノス・菊之助は、地声で、琵琶姫が扮する獅子丸を演じ、琵
琶姫の地が出るときは、女形の声である甲(かん)の声が自然に
出ているようで、琵琶姫の「地声」を演じるという錯綜した演技
を無理なくなしとげ、会場の笑いを誘う。2年前より、自然体で
演じているのが判る。琵琶姫と斯波主膳之助という双児の早替り
と琵琶姫扮する獅子丸の演技。菊之助は、自由闊達に、多重的に
入り組んだ性の区域を飛び越え、破綻がない。「実」がしっかり
しているので、見ている観客も、混乱しない。いずれ、菊之助
も、菊五郎の跡を継ぐべく、「兼ねる役者」の途を歩き出すのか
も知れない。

贅言・その1:菊之助の吹き替え役は、誰が勤めたのだろうか。
目や鼻は、菊之助と似ていないが、顔の輪郭やおでこの形が似て
いて、背格好も同格。化粧の所為もあるが、実に、菊之助、そっ
くりで、前回は、大詰第五場「織笛姫邸門外の場」で、菊之助演
じる斯波主膳之助と吹き替えの《菊之助》演じる獅子丸が、舞台
上下に登場させたが、今回は、大詰も大詰、最後の「織笛姫邸広
庭の場」で、初めて登場させた。満を持しての登場だ。吹き替え
の《菊之助》が、演じる、もうひとりの獅子丸(実は、主膳之
助)は、顔に当たる照明を落しているので、より一層、異様なま
でに、そっくりに見える。「見れば見るほど生き写し。これで
は、だれでも見間違う」という、科白通りの双児振り。声を出す
場面では、菊之助が、抱き合った吹き替えの《菊之助》を、恰
も、腹話術の人形の声を演者が出すように出しているようだっ
た。

このあと、獅子丸が、琵琶姫に戻り、左大臣と結ばれ、織笛姫
が、獅子丸そっくりの、斯波主膳之助と結ばれ、舞台奥から太鼓
橋を渡って現れ、めでたしめでたしとなる場面では、前回とは、
逆に、菊之助は、斯波主膳之助を演じ、吹き替えの《菊之助》
は、琵琶姫を演じる。従って、倒錯感は、前回より、薄まってい
る。大団円で、鼓一つを持ち、旅立つ自由人・捨助(菊五郎)を
見送る面々。白く咲き乱れる山ゆり。赤い太鼓橋。それらが、
奥、上下とある背景の鏡に写り、まさに、万華鏡は、永遠の幻像
を無数に振りまく。歌舞伎の絵面の見得とは、一味も、ふた味も
違う、フィナーレのような華やかさ。

贅言・その2:前回、北斎画のような背景の場面があったが、今
回は、変っていた。「冨獄三十六景」の、職人が大樽を作る、そ
の樽の環のなかに、遠く見える冨獄という有名な葛飾北斎の絵が
あるが、大詰第一場「奈良街道宿場外れの場」では、樽職人が出
てきて街道筋の脇で、大樽を作っている。そこへ、10人の座頭
が、数珠繋ぎになって互いの尻に掴まって、上手から下手へ舞台
を横切って行く。北斎画の改竄パロディだった。その場面は、今
回は、「紀伊国串本・港の場」では、樽職人の代りに、漁師たち
が、上手から下手へ、大きな鯨を車の載せて引いて行く。そこ
へ、9人の座頭が、数珠繋ぎになって互いの尻に掴まって、下手
から上手へ舞台を横切って行く。

贅言・その3;前回の筋書表紙絵は、安藤広重。広重が、北斎の
「冨獄三十六景」の向うを張って、その名も、「冨士三十六景」
という風景画を描いた。前回の筋書の表紙絵は、そのなかから、
「駿河薩タ之海上」をベースにしながら、原画にあった富士山を
削除し、由比が浜の荒波に翻弄される遠くの帆船を大きめに描
き、船の帆には、序幕第二場「紀州灘沖合いの場」に登場し、嵐
になかで難破する船の帆に描かれていた紋が、くっきりと描かれ
ている。パロディは、絵に限らず、歌舞伎の傾(かぶ)く精神を
象徴している。それが、今回は、同じく広重作だが、一転して、
甲州道中の山の中。「甲陽猿橋之図」。縦長の構図で、手前に渓
谷の下から、高みの猿橋を見上げ、橋の向う正面に見晴らせる集
落越しに遠山が望まれ、さらに、その向う、上空に満月が、皓々
と照っている。満月は、江戸にも、照っているというのが、この
絵から伝わって来る。

海から山へ。「十二夜」の祝祭の真実の姿を皓々と照る月のみ
が、見下ろしているのかも知れない。


☆ところで、「NINAGAWA 十二夜」は、新作歌舞伎の仲
間入りをしたのか。歌舞伎は、「傾(かぶ)く」芸術だ。伝統的
な芸能としての軸の部分を大事にしながら、新しいもの、つま
り、傾(かぶ)くものを大胆に取り入れて、生き延びてきた歴史
がある。今回の舞台は、2年前の歌舞伎座の舞台より、いちだん
と歌舞伎味が濃くなったのでは無いか。廻り舞台が、鷹揚に廻り
続け、節目節目に、竹本が、メリハリをつける。歌舞伎の世界
が、前回より、いちだんと膨らんできたのは、嬉しい(ここが、
玉三郎と海老蔵の「海神別荘」との大きな違いだと思う)。歌舞
伎の定式をいちだんと踏まえつつ、ミラー効果や織笛姫邸中庭の
場の大道具に象徴されるように斬新さも打ち出す。亀治郎に象徴
されるように、役者の工夫を最大限に引き出す。それでいて、個
個人が、バラバラにならずに、全体的な調和も取れている。蜷川
幸雄は、「傾く」とは、何かと言うことが、良く分かっているの
だろう。それは、自分の演出力と歌舞伎伝統の役者中心の演出力
の調和の匙加減の妙を良く分かっていると言うことと同質だと思
う。これは、明治以来の、「シェイクスピア劇の歌舞伎化」に止
まらず、歌舞伎の中にシェイクスピア劇が、入り込んだと言える
のでは無いか。新作歌舞伎が、傾いてきた。
- 2007年7月8日(日) 18:01:15
2007年6月・歌舞伎座 (夜/「元禄忠臣蔵〜綱豊卿〜」、
「盲長屋梅加賀鳶」、「船弁慶」)


綱豊卿8回目の仁左衛門は、風格の殿様

「元禄忠臣蔵〜御浜御殿綱豊卿〜」は、4回目の拝見。綱豊は、
團十郎、三津五郎、染五郎、そして、今回が、待望の仁左衛門。
というのは、歌舞伎座では、2000年10月に仁左衛門が、綱
豊を演じているが、私は、残念ながら、評判の良い仁左衛門の綱
豊は、観ていなかったのだ。それだけに、夜の部は、仁左衛門綱
豊卿をお目当てに、歌舞伎座の玄関を潜った。

綱豊(1662−1712)は、16歳で、25万石の徳川家甲
府藩主になり、さらに、43歳で五代将軍綱吉の養子になり、家
宣と改名。その後、1709年、46歳で六代将軍となり、3年
あまり将軍職を務めた人物。享年50歳。「生類憐みの令」で悪
名を残した綱吉の後を継ぎ、間部詮房、新井白石などを重用し、
前代の弊風を改革、諸政刷新をしたが、雌伏の期間が長く、一般
にはあまり知られていない。しかし、甲府に勤務したことがある
身としては、綱豊さんには、武田信玄・勝頼親子とは、また、別
の親近感を抱く。

「元禄忠臣蔵〜御浜御殿綱豊卿〜」では、原作者の真山青果は、
将軍就任まで7年ある元禄15(1702)年3月(赤穂浪士の
吉良邸討ち入りまで、あと、9ヶ月)というタイミングで、綱豊
(39歳)を叡智な殿様として描いている。御浜御殿とは、徳川
家甲府藩の別邸・浜御殿、浜手屋敷で、いまの浜離宮のことであ
る。

〈浅野家家臣にとって主君の敵〉吉良上野介・〈「昼行灯」を装
いながら、真意を隠し京で放蕩を続ける〉大石内蔵助・〈密かに
敵討ちを狙う〉富森助右衛門ら江戸の赤穂浪士。そういう構図を
知り抜き、浅野家再興を綱吉に上申できる立場にいながら、赤穂
浪士らの「侍心」の有り様を模索する綱豊(綱豊自身も、次期将
軍に近い位置にいながら、いや、その所為で、「政治」に無関心
を装っている)。綱豊の知恵袋である新井勘解由(白石)、後
に、七代将軍家継(家宣の3男、兄ふたりが、夭死し、父も亡く
なったので、わずか4歳で将軍になったが、在職4年ほどで、7
歳で逝去。父親同様、間部詮房、新井白石の補佐を受け、子ども
ながら、「聡明仁慈」な将軍だったと伝えられる)の生母となる
中臈お喜世、お喜世の兄の富森助右衛門、奥女中の最高位の大年
寄になりながら、後に、「絵島生島事件」を起こし、信州の高遠
に流される御祐筆絵島は、お喜世を庇いだてするなど、登場人物
は、多彩で、事欠かない。

真山芝居は、科白劇で、演劇的には、地味な舞台展開ながら、
「真の侍心とはなにか」と問いかけて来る。キーポイントは、青
果流の解釈では、「志の構造が同じ」となる綱豊=大石内蔵助と
いう構図だろうと思う。内蔵助の心を語ることで、綱豊の真情を
伺わせる。そういう構図を見誤らなければ、この芝居は、判りや
すい。二重構造の芝居なのだ。

赤穂浪士らの「侍心」に答えるためには、浅野家再興より浪士ら
による吉良上野介の討ち取りが大事だと綱豊は、密かに考えてい
る。富森助右衛門との御座の間でのやり取りは、双方の本音を隠
しながら、それでいて、嘘はつかないという、火の出るようなや
り取りの会話となる。この会話が、綱豊(仁左衛門)と助右衛門
(染五郎)を演じる二人の役者の仕どころである。

しかし、綱豊の真意を理解し切れていない助右衛門は、妹・お喜
世の命を掛けた「嘘」の情報(能の「望月」に吉良上野介が出演
する)に踊らされて、「望月」の衣装に身を固めた「上野介」
(実は、綱豊)に槍で討ちかかるが、それを承知していた綱豊
は、助右衛門を引き据え、助右衛門らの不心得を諭し、綱豊の真
意(それは、つまり、大石内蔵助の本望であり、当時の多くの人
たちが、期待していた「侍心」である)を改めて伝え、助右衛門
を助ける(あるいは、知将綱豊は、こういう事態を想定してお喜
世に嘘を言うように指示していたのかもしれない)。槍で突いて
かかる助右衛門と綱豊との立ち回りで、満開の桜木を背にした綱
豊に頭上から花びらが散りかかるが、この場面の「散り花」の舞
台効果は、満点。

その後、何ごともなかったかのように沈着冷静な綱豊は、改め
て、姿勢を正し、「望月」の舞台へと繋がる廊下を颯爽と足を運
びはじめる。綱豊の真意を知り、舞台下手にひれ伏す助右衛門。
上手に控える中臈や奥女中。まさに、一幅の絵となる秀逸の名場
面である。前半は、科白劇で、見どころを抑制し、後半で、見せ
場を全開する。このラストシーンを書きたくて、真山青果は、こ
の芝居を書いたのでは無いかとさえ思う。それほど、良く出来た
芝居であると観る度に感心する。

歌舞伎の綱豊は、冒頭で触れたように、私は、4人の綱豊を観て
いる。團十郎の貫禄充分の殿様。39歳の史実の綱豊より立派か
もしれない。初役の三津五郎は、小柄ながら風格のある殿様で
あった。仁左衛門は、颯爽の、魅力満点の綱豊であった。3人に
比べると、3年前、初役で演じた染五郎は、貫禄不足で、殿様と
いうより若君であったが、今回の富森助右衛門として、綱豊との
御座の間でのやり取りは、迫力満点で、3年前に綱豊を演じた成
果が、滲み出ているように思えた。役者は、立場を変える演技を
しながら、年輪を太くして行くものだというのが、良く判った。

私が観た助右衛門は、勘九郎(2)、勘太郎、そして、今回の、
染五郎である。勘九郎助右衛門は、熱演であり、当人も気持ち良
さそうに綱豊に対して自分の意見を堂々と述べたてていた。勘太
郎は、そういう父の科白回しを学び、熱演振りを良しとした熱意
が、ひしひしと伝わる演技であった。今回の、染五郎も、熱演
で、「綱豊卿」という芝居は、助右衛門が、やりがいのある役ど
ころであることには、違いが無かろう。

綱豊が寵愛する中臈・お喜世の芝雀、御祐筆・江島の秀太郎、ふ
たりとも、この芝居では、嫌みのない役柄で、気持ちの良い役で
ある。新井白石である新井勘解由は、ゆったりとベテラン歌六、
お喜世をいびる憎まれ役の上臈・浦尾は、萬次郎に存在感があっ
た。

贅言:御座の間の座敷内から刀に手をかけたまま打って出ようと
する助右衛門の緊迫感をよそに悠々と外廊下を通り過ぎる吉良上
野介の出が、今回は、なかった。


道玄2回目の幸四郎は、初演とはまた違った味を工夫

「盲長屋梅加賀鳶」は、五回目の拝見。この芝居は、「加賀鳶」
の梅吉を軸にした物語と窓のない加賀候の長屋「盲長屋」にひっ
かけて、盲人の按摩(実際は、贋の盲人だが)の道玄らが住む本
郷菊坂の裏長屋の「盲長屋」の物語という、ふたつの違った物語
が、同時期に別々に進行し、加賀鳶の松蔵が、道玄の殺人現場で
ある「御茶の水土手際」でのすれ違い、「竹町質見世」の「伊勢
屋」の店頭での強請の道玄との丁々発止、という接点で、ふたつ
の物語を結び付けるだけなのだ。芝居としては、道玄の物語の方
が、圧倒的におもしろいので、「加賀鳶」の物語は、冒頭の「本
郷通町木戸前勢揃い」という、雑誌ならば、巻頭グラビアのよう
な形で、多数の鳶たちに扮した役者が勢ぞろいして、七五調の
「ツラネ」という独特の科白廻しを聞かせてみせるという場面の
みが、上演される。道玄役者が、ふた役で演じる加賀鳶・天神町
梅吉は、原作本来は、「加賀鳶」の物語の主役なのだが、最近の
舞台では、この場面だけの登場である。

これまで観た道玄は、富十郎(2)、猿之助、今回含め、幸四郎
(2)。道玄は、偽の盲で、按摩だが、殺しもすれば、盗みもす
る、不倫の果てに、女房にドメスティク・バイオレンスを振るう
し、女房の姪をネタに姪の奉公先に強請にも行こうという、小悪
党。それでいて、可笑し味も滲ませる人柄。悪党と道化が、共存
しているのが、道玄の持ち味の筈だ。五代目菊五郎は、小悪党を
強調していたと言う。六代目菊五郎になって、悪党と道化の二重
性に役柄を膨らませたと言う。現在の観客の眼から見れば、六代
目の工夫が正解だろうと思う。2年前の05年1月歌舞伎座で、
初役で道玄を演じた幸四郎は、小悪党を強調していたが、今回
は、道化を強調していたように思う。「初演とはまた違った味が
出せれば」とは、幸四郎の楽屋話。私が見た道玄では、小悪党の
凄み、狡さと滑稽さをバランス良く両立させて、ピカイチだった
のは、富十郎であった。

伊勢屋の『質見世』の、道玄強請の場面は、強請場で名高い「河
内山」の質店「上州屋」の河内山や「切られ与三」の源氏店の蝙
蝠安を思い出させる。富十郎道玄は、二代目松緑の演出を引き継
いでいて、六代目の味に自分の持ち味を加味して、道化にポイン
トを置いて、演じている。それが、良かったので、私の道玄像を
形作っている。

大詰「菊坂道玄借家」から「加州侯表門」(つまり、いまの東大
本郷キャンパスの「赤門」)の場面。この場面での、滑稽味は、
断然、富十郎に軍配が上がる。逃げる道玄。追う捕り方。特に、
「表門」は、月が照ったり、隠れたりしながら、闇に紛れて、追
う方と追われる方の、逆転の場面で、どっと笑いが来ないと負け
である。この場面は、富十郎が、いちばん巧い。幸四郎も、猿之
助も真面目に逃げ過ぎて、おもしろ味が少ない。

さて、そのほかの配役では、道玄と不倫な仲の女按摩・お兼は、
秀太郎。売春婦も兼ねる女按摩。こういう二重性のある役は、4
年前に観た東蔵が、巧かった。東蔵は、どちらかに、重点を置き
ながら、もう、一方を巧く滲ませることができる。実に、達者に
演じる。今回の秀太郎は、色気を前面に出していたように感じ
た。

吉右衛門の加賀鳶・日蔭町松蔵は、道玄と違い、颯爽の正義漢
だ。松蔵は、実は、この芝居の各場面を綴り合わせる糸の役どこ
ろであり、重要な登場人物だと、思う。「本郷通町木戸前勢揃
い」、「御茶の水土手際」、「竹町質見世」と、松蔵は3つの出
番があるが、仕どころがあるのは、「質見世」。颯爽の裁き役
で、おいしい役どころ。幸四郎ふた役の、加賀鳶・天神町梅吉
は、「本郷通町木戸前勢揃い」だけの役で、筋には、関係して来
ない。


弁慶の調伏力のみ強かりき

「船弁慶」。能の荘重さと歌舞伎の醍醐味をミックスさせる工夫
をした六代目菊五郎演出以来、その形が定着している。「船弁
慶」を観るのは、今回で、7回目。静御前と知盛亡霊を演じたの
は、富十郎(2)、菊五郎、松緑(松緑は、四代目襲名披露の舞
台)、玉三郎、菊之助、そして今回の染五郎。染五郎は、本興行
で、2回目の静御前と知盛亡霊である。弁慶:團十郎(2)、彦
三郎、吉右衛門、弥十郎、團蔵、そして今回の幸四郎。義経:時
蔵、芝雀(今回含め、2)、玉三郎、鴈治郎時代の藤十郎、薪
車、梅枝。舟長:勘九郎時代と勘三郎(2)、八十助時代の三津
五郎、吉右衛門、仁左衛門、亀蔵、東蔵。

「船弁慶」を論じる際に、基準となる舞台は、私の場合、03年
11月の歌舞伎座の舞台をである。富十郎の一世一代の「船弁
慶」(但し、富十郎は、途中、病気休演で菊五郎が、バトンタッ
チしたが、私は、富十郎を観ている。当時の劇評には、次のよう
に書いている。「幕見席では、連日のように立ち見になっている
という」)舞台とあって、配役は、豪華だ。象徴的な例をあげる
なら、舟長、舟人の組み合わせが、仁左衛門、左團次、東蔵だっ
た。今回は、東蔵、松江、男女蔵、亀鶴で、1人多いが、顔ぶれ
を見れば、ランクが大分違うのが判る。おもしろいのは、前回観
た06年11月の新橋演舞場では、亀蔵を舟長にして、松也、萬
太郎という、若い、というより、さらに初々しい組み合わせだっ
たが、櫂を漕ぐ舟人の若いふたりは、いかにも基本に忠実で、櫂
を漕ぐ手首をいちいち律儀に返しているのが判る(亀蔵は、全
く、手首を返さず)。そういう目で、今回も、舞台を観ていた
ら、東蔵以下、4人とも、手首を返さずに、「漕ぐ真似」をして
いた。役者は、いくつになっても、所作の基本を大事にして欲し
いと思った。これは、あらゆる演技に通じる大原則だろう。

さて、なぜ、義経一行の西国行きを阻止するのが、前半は、静御
前で、後半は、知盛亡霊なのだろうか。このふたりは、別々の人
物なのか、どうか。静の静御前と動の知盛亡霊を別人格と捉え
て、それをひとりの役者が演じわける妙と理解する人もいるだろ
う。一方、静御前は、能の前ジテ、知盛「亡霊」は、後ジテの関
係と捉えて、同一人物の変化(へんげ)なので、同じ役者が演じ
るという見方もあるであろう。舞台は、「義経千本桜」の「大物
浦」と同じ場面。まずは、「浜」。ここまで、義経一行に同伴し
て来た静御前を弁慶の進言で、舟に乗せずに、都へ帰すことに
なった。登場人物の関係と力をベクトルで示すと、次のようにな
る。静御前マミ弁慶ミ義経。弁慶「静御供いたし候は、何とやら
ん似合わしからず」、義経「静を都にかえせとや」、四天王も弁
慶の懸念に同調。義経「弁慶よしなに計らい候へ」。やがて、静
御前が、追い付いてきて、曲折の末、義経「用意よくば乗船なさ
ん」、弁慶「とくとく宿へ帰り候え」、静御前「あら、是非もな
き事にて候」ということで、弁慶に阻まれて、静御前は、「(竹
本)名残り惜しげに旅の宿、見返り見返り立ち帰る」。

後半、知盛亡霊は、すでに船出した義経一行の舟を大物浦の
「沖」で、迎え撃つ。「波乗り」という独特の摺り足で、義経に
迫って来る。先ほどと同じように、登場人物の関係と力をベクト
ルで示すと、次のようになる。知盛亡霊マミ弁慶ミ義経。義経
は、数珠を揉んで生み出す法力で悪霊退散を念じる弁慶の後ろに
隠れて、知盛亡霊を押し返す。真っ赤な口を空けて、断末魔の叫
び。倒されて行く者の悲しみ。悪霊ながら、悲哀を感じさせる。
静御前、知盛亡霊とも、サッカーに例えるなら、ゴールめがけ
て、球を蹴る選手のようだ、弁慶は、ゴールキーパーで、必死
に、球をゴールの入れまいとする。護られるゴールこそは、義経
だ。「(竹本)其時義経少しも騒がず」だが、騒がないで済むほ
ど守護されている。なにかあれば、「よしなに計ら」ってくれる
弁慶が居る。全編を通じて、弁慶を軸にした執拗な攻防こそが、
「船弁慶」という歌舞伎演目の真骨頂だろう。

こう見て来ると、前半の静御前は、知盛亡霊の化けた贋の静御前
ということになる。義経にとって、前半は、いわば、「女難」。
後半は、正体を現した亡霊による、「剣難」というわけだ。「始
終数珠を揉み祈る」弁慶の本質は、一行の危機管理者というとこ
ろにある。

だから、下手のお幕から登場する静御前は、お決まりの、「能
面」のような無表情のままである。美女ながら、後の知盛の亡霊
という無気味さを滲ませながら、前半は、静御前として演じる。
舟に乗る前の一行のために、舞の名手である静御前は、大物浦の
浜で都の四季の風情を踊る「都名所」。染五郎の静御前は、そう
いう無気味さがにじみ出るオーラのようなものが無い。舞も、名
手とは、言い難い。小粒である。富十郎の静御前は、気合いが
入っていた。能面のような無表情も、姿勢も良い。無気味さとと
もに、舞には、雅びさがあった。

起(お幕からの弁慶の登場、続いて、花道からの義経と四天王の
登場)、承(お幕からの静御前の登場)、転(お幕からの舟長、
舟人の登場)結(花道からの知盛亡霊の登場)と、黙阿弥の作劇
は、メリハリがある。知盛の幕外の引っ込みでは、三味線ではな
く、太鼓と笛の、「一調一管の出打ち」。「荒れの鳴物」と言わ
れる激しい演奏である。

染五郎の知盛亡霊は、和解だけあって、動きは、「活発」だが、
自由「闊達」さがない。それにひきかえ、富十郎の知盛亡霊に
は、厳しい長年の修練の果てに辿り着いた自由自在の境地(老い
を超越している闊達さ)を感じたのを思い出す。富十郎の静御前
は、一際、小柄に観え、知盛亡霊は、逆に、一際、大きく観え
た。この変化が、富十郎の藝の力だと、思う。染五郎では、ま
だ、そういう変化(へんげ)が、見えて来なかった。幸四郎の弁
慶は、ほかの出演者が、小粒なだけに、抜きん出て見える。オー
バーアクションも、調伏力には、断然の安定感を感じさせる。
- 2007年6月30日(土) 11:59:09
2007年6月・歌舞伎座 (昼/「妹背山婦女庭訓」、「閻魔
と政頼」、「侠客春雨傘」)


歌舞伎で、最も美しい舞台「吉野川」

「妹背山婦女庭訓」、今回は、良く上演される「吉野川」に加え
て、「小松原」と「花渡し」が入り、「吉野川」への伏線が叮嚀
に演じられた。「吉野川」は、3回目の拝見だが、「小松原」と
「花渡し」は、今回、初見である。

「小松原」は、「切られ与三」なら、与三郎とお富が、初めて出
逢い、与三郎がお富を見初める「木更津海岸」の場面同様の伏線
となる。木更津海岸が、悪へ走りながら、しぶとく生きる江戸の
庶民を描いたのに対して、小松原は、純粋さにこだわり、死んで
行く貴人たちを描いたと言えよう。

春日野の小松原(通称「小松原」は、別名、「春日野」とも言
う)。雛鳥(魁春)と久我(こが)之助(梅玉)との出逢いは、
雨上がりの、一齣。雛鳥は、衣被(きぬか)ずきで、花道の出で
ある。この時代、身分のある女性が、外出する際、衣を頭に被
り、顔を隠す。しかし、お付きの腰元たちが、傘を畳んで手に
持っているところを見れば、雛鳥は、顔を隠すだけでは無く、雨
をも凌いでたかもしれない。雨上がりは、心嬉しい一時であり、
恋の出逢いが、あっても、おかしく無い。緋毛氈を掛けた床几で
休んでいる雛鳥の前を久我之助が、通りかかるが、こちらは、狩
からの帰り道、笠を持ち、蓑を背に掛けているから、雨上がり
は、まだ、充分では無く、細かい雨が、残っているのかも知れな
い。

双方で、見初めあうのは、与三郎とお富と同じ。雛鳥の腰元たち
が、気を利かせて、雛鳥と久我之助の中を取り持つ。久我之助
が、持っている吹矢筒が、恋の糸電話のような役割を果たす。扇
子が隠すのは、性愛の場面か。後の悲劇を際立たせるための濡れ
場。小道具の巧い使い方だ。蓑を脱いだ久我之助は、吹き矢の
入ったケースを肩に下げているのが判る。また、蓑笠は、宮中か
ら逃げてきた采女(うねめ)の局(高麗蔵)を匿うため、連れ帰
る際の仮装に使う。

「妹背山」の芝居の骨格は、政治劇である。天智天皇の時代、天
皇の病気を利用して、蘇我入鹿(彦三郎)が、天下取りを狙って
いる。今回は、原作の「妹背山」全五段の人形浄瑠璃で見れば、
初段「小松原」、三段目「花渡し」「山の段(歌舞伎の「吉野
川」)」で、いわば、前半部を切り取っての上演である。入鹿
は、国崩しを企む超人的怪物として描かれ、前半部でも、悲劇の
元は、彼にあるという構造だ。雛鳥と久我之助の恋を邪魔立て
し、ふたりを死に追いやる。「花渡し」は、太宰館(雛鳥の父・
太宰の少弐の館。太宰と久我之助の父・大判事は、領地争いで対
立している)にやってきた入鹿が、登場する場面である。入鹿
は、すでに内裏を占拠し、天皇然として振舞っている。彦三郎の
入鹿は、渋い。いま、入鹿を演じられる役者は、少ない。彦三郎
の父、十七代目羽左衛門の入鹿を12年前に見逃してしまったの
が、悔やまれる。

入鹿に呼ばれてやってきた大判事(幸四郎)と亡き太宰の跡を取
り仕切る後室(未亡人)の定高(藤十郎)は、従来の対立を元
に、口争う。やがて、舞台中央の御簾が上がり、入鹿の出御。天
皇の寵愛を受ける采女の局に横恋慕の入鹿は、行方不明の采女の
局の探索に絡んで、大判事と定高(さだか)の両者を疑う。疑い
の根拠は、大判事の息子・久我之助と定高の娘・雛鳥の恋仲をあ
げる。対立していると見せ掛けて、天皇と采女の局を匿っている
のではないか、という疑惑である。疑惑を晴らしたいなら、雛鳥
は、入内、久我之助は、出仕せよと厳命する。対立を利用し、分
断して支配する、というのは、いにしえより、権力の原理であ
る。返答は、桜の枝を吉野川に流せと指示し、ふたりに桜の小枝
を手渡す。だから、通称「花渡し」。日本人の感性は、権力者の
強権発動が生み出す悲劇の道具を使う場面を「花渡し」という美
意識の言葉で表現する。

その挙げ句、雛鳥は、入鹿との性的な関係を強要されるのを拒否
して、清い身体のまま、死を選ぶ。また、久我之助は、入鹿の家
来になるのを拒絶し、やはり、死を選ぶ。親同士は、不仲だが、
息子と娘は、恋仲。結局、ふたりの子どもを殺して、彼岸で結ば
れるようにさせるという悲劇。対立している両親は、娘、息子の
純な情愛を尊重し、首だけの花嫁と切腹をして、息も絶え絶えの
花婿を添わせる。死が、恋の成就を約束するという暗いテーマ。
対立と和解の果て、底に権力者への反抗という明確なメッセージ
を隠し持つ。時代を越えた普遍的なテーマが、名場面「吉野川」
の主軸だ。

「吉野川」は、数ある歌舞伎の舞台のなかでも、一際、美しい舞
台装置を持つ。複数の作者連名ながら、ほとんど近松半二がひと
りで執筆したと言われる原作も、舞台装置も、道具の配色も、衣
裳も、舞台展開も、珍しく上手と下手に2台の山台(「両床」と
いう)が出て、それぞれの分担の場面だけを交互に出語りをする
竹本も、小道具の使い方も、あらゆることに神経が行き届いた名
作だと思う。竹本は、お休みの時は、霞幕を掛け合って隠す。そ
の間、ドラマは、互い違いに進行する。ときに、同時に語り、雰
囲気を盛り上げる。今回は、上手に葵太夫と綾太夫の引き継ぎ。
下手に愛太夫と谷太夫の引き継ぎ。ベテラン葵太夫と若手の愛太
夫は、雰囲気が似ている。葵太夫の声は、相変わらず、渋くて、
美しい。ほかの3人は、基本的に高音である。

すでに、小道具では、吹矢筒のほか、大判事、定高の両家を見張
れと入鹿は、「花渡し」の幕切れの場面で、家来の弥藤次(亀
鶴)の遠眼鏡を持たせるなど、細かく神経を使っているのが、判
る。「吉野川」の舞台下手に設えられた「雛鳥」の部屋では、奥
に置かれたお雛様(この一式は、大道具にも、小道具にもなる)
が、今様の普通の飾り方と違う。普通は内裏様は左右に男雛、女
雛だが、舞台なので上手(舞台から見て右)に男雛、下手に女雛
という、この場面独特の飾り方になっている。お雛様の道具を、
不幸な死に方(いや、江戸時代の価値観では、あの世で添い遂げ
て幸福なのかもしれない)をする若いふたりのための祝言の、雛
鳥の、いわば、「首」の嫁入りの駕篭に使うなど、本当に憎いぐ
らいの演出である。この「雛流し」の場面など、あらゆる細部
に、半二の工夫魂胆の溢れる舞台で、歌舞伎のなかでも屈指の名
場面のひとつである。

近松半二お得意の左右対称の舞台構成。満開の桜に覆われた妹山
(下手)、背山(上手)の麓のふたつの家。大道具(例えば、定
高の屋敷の金屏風、大判事の屋敷の銀屏風などの対比)の工夫、
上手の紀伊国が、大判事の領国。下手の大和国が、太宰の少弐の
未亡人定高の領国。家と家の間には、吉野川が流れていて、いわ
ば、国境。川は、次第に川幅を広げて、劇場の観客席を川にして
しまう。両花道が、観客席を呑み込んで、滔々と流れる河原を挟
む堤になる。

さて、定高3回目、但し、歌舞伎座では、初お目見得の藤十郎の
演技は、気迫充分、重厚であり、堪能した。立女形の役のなかで
も、1、2を争う役どころの定高。特に、母親の情愛の演技が素
晴しい。さすが、復活山城屋である。幸四郎の大判事は、相変わ
らず、科白と所作が若干オーバー・アクションに感じられ、藤十
郎の演技とアンバランスの感があった。押さえ気味で、もう少
し、重厚さが出せないものかと、この役者の演技の「塩梅」に不
満が残る。竹本の「花を歩めど武士(もののふ)の心の嶮岨(け
んそ)刀して削るがごとき」感じになり、巧さをストレートに出
さなくなったら、幸四郎の演技に、余白の美が生まれそうな予感
がする。

魁春の雛鳥は、「小松原」の場面で、衣被ずきを脱いだとたんの
表情から、可憐であり、「吉野川」では、さらに、一途さが加
わっていて、良かった。初役以来、40年の魁春雛鳥。「わた
しゃ、お前の女房じゃ」、中を流れる吉野川を越えて、魂だけに
なっても、「わたしゃ、そこに行きまする」など。人を好きにな
る気持ちを全身で表現していて、気持ちが伝わって来る。同じ
く、初役以来、40年の梅玉の久我之助は、凛々しい。久我之助
の役は、動きが少なく、特に切腹をしてから、止めのために首を
打たれるまでが、前のめりの姿勢で、ジッとしているという、い
わば仕どころのないのが、仕どころという、かなり難しい役だ。
でも、この姿勢の場面が、観客には、印象的なのだ。ここに、存
在感を感じさせるような演技がないと、久我之助役は、勤まらな
いと思う。長い芝居の割には、登場人物が少ないだけに、それぞ
れの存在感が勝負の舞台だろう。

贅言;最初、無人の舞台で、川の流れを描いた浪布を貼ったいく
つもの筒(「滝車」という)が廻り、水の流れる様を見せていた
吉野川は、舞台でドラマが進行すると、息を潜めて、悲劇を見守
るように、止まってしまう。雛鳥の首が、母親によって切り落と
されたのに続いて、久我之助の首が、父親によって切り落とされ
ると、吉野川は、哀しみの涙を流すように、再び、水が流れる。
心憎いばかりの演出ではないか。


「閻魔と政頼(せいらい)」は、吉右衛門こと、松貫四原作の狂
言仕立ての所作事。初演である。作品の素材は,鬼山伏狂言の「政
頼」。11世紀頃の鷹飼いの名人で、実在の人物という。閻魔大
王と人間の知恵比べ。閻魔大王(富十郎)が、好人物で、政頼
(吉右衛門)の悪知恵に負けてしまい、大事な冠を奪われるとい
う笑劇。現在の政界に流行る化かしあいの方が、きつくて、芝居
の皮肉が、効いていないというのも、皮肉な現象。閻魔の庁の赤
鬼(歌六)、青鬼(歌昇)。それなりにおもしろく拝見したが、
再演の機会があるかどうか。


「侠客春雨傘(きょうかくはるさめがさ)」は、私は、初見。
1898(明治30)年、九代目團十郎によって、初演された。
原作は、福地桜痴。ジャーナリスト出身で、明治の歌舞伎座創立
の立て役者であり、九代目とともに「活歴」ものを推進し、演劇
改良運動に取り組んだ。それゆえ、新しい狂言を求めて立作者に
もなる。「侠客春雨傘」は、そういう福地歌舞伎の代表作のひと
つ。俗に「実録の助六」と言われたのが、「侠客春雨傘(おとこ
だてはるさめがさ)」である。主人公の大口屋暁雨(きょうう)
は、「助六」のモデルになったと言われる実在の人物(浅草蔵前
の札差)で、「侠客春雨傘」では、芝居の助六そっくりの扮装、
所作で、吉原に通う暁雨が、登場する。パロディの逆転が、ミ
ソ。

「活歴」ものは、実録もので、おもしろ味より、史実を重視して
いたのが、「活歴世話もの」とでも分類される「侠客春雨傘」で
も、察することができる。今回初めて観たが、実際、おもしろく
もない。本来は、六幕十三場という長丁場の芝居らしいが、今回
は、「新吉原仲之町出会の場」のみの上演。仲之町の引手茶屋
「和泉屋」の店先で、暁雨(染五郎)と稲妻組に身を寄せる、い
わば、用心棒の逸見鉄心斎(彦三郎)との鞘当て。それを傾城の
葛城(芝雀)が、諌めるというだけの場面。染五郎は、大きく化
けてこないのが、淋しい。

実は、劇中口上が、狙いの舞台で、染五郎の長男、2歳の藤間齋
(いつき)の初お目見得というわけだ。祖父の幸四郎が、高麗屋
幸四郎、吉右衛門の播磨屋吉右衛門、梅玉の大尽高砂屋梅玉、仁
左衛門の鳶頭仁左衛門らが、口上に花を添えるという趣向。齋
は、役者のこどもらしく、ものおじせずに大舞台に立っている。
上手揚幕に向う途中、撥ねたり(「六法」のつもりのようだ)、
首を振って、見得の真似をしたりで、愛想を振りまく。

贅言:かつては、「暁雨役者」という言葉があったほどで、暁雨
を当り役としたのは、九代目團十郎の後は、十五代目羽左衛門、
十一代目團十郎で、ほかに初代吉右衛門、六代目菊五郎、十三代
目勘弥、上方の三代目寿海、渋谷の海老さま、こと、三代目権十
郎、染五郎時代の幸四郎など。
- 2007年6月19日(火) 22:29:51
2007年5月・歌舞伎座 (夜/「女暫」、「雨の五郎/三ツ
面子守」、「め組の喧嘩」)


「おお、恥ずかし」とは、江戸の色香

「女暫」は、4回目の拝見。「巴御前、実は、芸者音菊」という
凝った仕掛けは、98年2月、歌舞伎座の菊五郎で、このときの
菊五郎は、巴御前を演じた後、幕外では、さらに、芸者・音菊に
変わるという重層的な構造に仕立てていた。2001年2月、歌
舞伎座は、玉三郎の巴御前で、初役ながら、期待に違わず玉三郎
の巴御前は、りりしく、色気もあり、兼ねる役者・菊五郎とは、
ひと味違う真女形・巴御前になっていた。特に、恥じらいの演技
は、菊五郎より、艶冶な感じ。巴は女性なのだし、「女の荒事」
として、女性の存在の底にもある荒事(あるいは、「女を感じさ
せる荒事」という表現をしても良い)の味を引き出していた。
05年1月、国立劇場では、「御ひいき勧進帳」、一幕目「女
暫」ということで、巴御前では無く、「初花」を雀右衛門が演じ
た。今回は、玉三郎のときと同じ演出で、萬次郎(橘屋)が、巴
御前を演じる。彦三郎(音羽屋)の「範頼」、権十郎(山崎屋)
の「義高」、十七代目市村羽左衛門の子息、3兄弟を軸にした、
十七代目の七回忌追善興行なのだ。

男の「暫」は、95年11月、歌舞伎座で観た。そのときの主な
配役は、鎌倉権五郎(團十郎)、清原武衡(九代目三津五郎)、
鹿島入道震斎(八十助時代の三津五郎)で、その場合は、鶴ヶ岡
八幡の社頭が舞台、今回のような「女暫」は、京都の北野天神の
社頭が舞台。「暫」では、清原武衡らが社頭で勢揃いしている。
「女暫」は、登場人物の名前こそ違うが、「暫」とは、基本的な
演劇構造は同じ。権力者の横暴に泣く「太刀下(たちした)」と
呼ばれる善人たちが、「あわや」という場面で、スーパーマン
(今回は、スーパーウーマン)が登場し、悪をくじき、弱きを助
けるという、判りやすい勧善懲悪のストーリ−で、古風で、おお
まかな歌舞伎味濃厚の一枚絵のような演目。むしろ、物語性より
「色と形」という歌舞伎の「外形」(岡鬼太郎の表現を借りれば
「見た状」)と表現としての「様式美」が売り物だろう。歌舞伎
十八番に選ばれた「暫」は、景気が良く、明るく、元気な狂言。
それだけで、祝い事には欠かせない演目となる。昔は、いろいろ
な「暫」があったようだ。「奴暫」、「二重の暫」(主人公がふ
たり登場)、世話物仕立ての「世話の暫」などがある。「女暫」
も、もともと派手さのある「暫」の「華」に加えて、「女」とい
う「華やぎ」まで付け加えることが可能なだけに、そういうさま
ざまな趣向の「暫」のなかから生まれ、「二重の華」として、い
ちだんと洗練されながら、生き残ってきた。

本来、「暫」は、独立した演目ではなかった。江戸時代の「顔見
世(旧暦の11月興行)狂言」の一場面の通称であった。一場面
ながら立役、実悪、敵役、若衆方、立女形、若女形、道化方など
が出演するため、「だんまり」同様に、一座の役者の顔見世(向
こう1年間のお披露目)には、好都合の、いわば、一種の「動く
ブロマイド」、あるいは「動く絵番付(演劇パンフレット)」の
ような役割を果たしたことだろう。いつしか、そういう演目とし
ての役回りの方が評価され、独立した出し物になった。

「女暫」では、清原武衡に代わり、蒲冠者範頼(彦三郎)が出て
くる。今回の範頼一行の顔ぶれは、轟坊震斎(松緑)、女鯰若菜
(菊之助)、「腹出し」の赤面の家臣・成田五郎(海老蔵)、猪
俣平六(團蔵)、武蔵九郎(亀蔵)、東条五郎(男女蔵)、江田
源三(亀三郎)。一方、太刀下の清水冠者義高(権十郎)一行
は、義高許婚の紅梅姫(亀寿)、木曽次郎(松也)、木曽駒若丸
(梅枝)、家老の根井主膳(秀調)、局唐糸(右之助)。

ハイライトは、成田五郎が、義高を斬ろうとすると、向う揚幕か
ら、お決まりの、「暫く」、「暫く」と声がかかり、巴御前(萬
次郎)の颯爽の花道登場となる。萬次郎は、口跡が良いから、科
白にメリハリがあり、凛としている。巴御前に対する女鯰若菜の
菊之助が、「橘屋のお姉さん」と呼びかけるなど、笑いを誘いな
がらの「対決」である。いずれにせよ、「女暫」は、「暫」より
も、一層、色と形が命という、「江戸の色香」を感じさせる江戸
歌舞伎の特徴を生かした典型的な舞台。「おお、恥ずかし」とい
う女形の恥じらい、幕外の引っ込みの「六法」をやろうとしない
巴御前と舞台番・寿吉(三津五郎)とのやりとりが、幕外の見せ
場。ここは、実質的に、十七代目追善の「口上」の役割を果たし
ている。

舞台番は、ごちそうの役者が演じる。私が観たのは、成吉(團十
郎)、辰次(吉右衛門)、富吉(富十郎)、そして、今回の寿吉
(三津五郎)である。


所作事二題。「雨の五郎/三ツ面子守」のうち、「雨の五郎」
は、3回目の拝見。2000年、国立劇場歌舞伎教室の信二郎、
05年11月、歌舞伎座の吉右衛門、そして、今回は、松緑。松
緑は、今回、昼1、夜3という、出番の多さ。松緑襲名5年とい
う、働き盛り。なかでも、「雨の五郎」は、まさに、独り舞台。
颯爽の所作事。

「春雨に 濡れて廓の化粧(けわい)坂」「雨の降る夜も雪の日
も 通い通いて大磯や」というわけで、雨にも負けず、曽我五郎
が、大磯の廓に居る化粧坂少将の元へ通う様を描いた長唄舞踊。
「雨の五郎」の舞台は、シンプルながら、毎回、大道具の工夫が
あるのが、楽しみ。今回は、上手と下手に柳。中央の背景は、影
絵か、大門が、スマートに描かれ、上手寄りに、遠景の富士。中
央奥に長唄の雛壇。その手前は、大せりが、奈落に墜ちている。
赤い消し幕が、床の空間を隠す。一文字幕の下に、柳の枝が、多
数垂れている。助六のように、右手で蛇の目傘を差した五郎(松
緑)が、廓の若い者を、ひとりは、右足下に屈ませて、もうひと
りは、左手で後ろ向きにしたまま、せり上がって来る。むきみ隈
に紫縮緬の頬被りという伊達な五郎が、上がってくるという趣
向。大きな蛇の目傘に白い緒の付いた黒塗りの下駄も、伊達だ。
緑色の房の付いた大太刀2本。頬被りを取った後は、父の敵討ち
を目指す五郎の本懐を物語る荒事となる。「父の仇 十八年の天
津風」。附け打ち入りの立回りの所作事。夜の部のツケを打つの
は、中堅の保科幹。昼の部のベテラン芝田正利に劣らぬ名演。次
いで、軽快な手踊りなどを交えて緩急自在のうちに廓情緒を醸し
出し、最後は、荒事の元禄見得で決まる。花道から、五郎退場。

大道具が替り、背景は、大きな神社の境内。常磐津連中を乗せた
山台が、下手から出て来る。「三ツ面子守」は、今回、初見。上
手から、子守娘(三津五郎)が出て来る。三津五郎の踊りは、歌
舞伎界で、一、二を争う巧さ。今回も、どんなに踊ろうと、身体
の縱軸が安定しているのが、判る。黄色い「ちゃんちゃんこ」
で、赤ん坊を背負っているが、身体の裁き方が巧く、軽やかで、
しなやかな所作を生み出す。やがて、手鞠歌。後見が、差し棒の
先に鞠を付けていて、三津五郎の仕草に合わせて、鞠を弾ませ
る。

「やんおもしろやのおかめがまねく」から、三津五郎は、「おか
め」、「恵比須」、「ひょっとこ」の3つの面を交互に使い分け
ながら、巧みに踊ってみせる。「猿翁十種」の「酔奴」や「奴道
成寺」でも、同じような3つの面を交互に使い分けながら踊るの
と同工異曲。三津五郎は、「奴道成寺」でも達者に踊ってみせた
が、今回も、巧い。これは、3つの面を素早く踊り手に渡さなけ
ればならないので、後見が成否の決め手となる。後見は、三津右
衛門。三平時代から、こういう後見は、三津右衛門が勤めてい
て、安定感がある。


「下戸の知らねえ、うめえ味だな」

「め組の喧嘩」は、3回目。菊五郎劇団は、大部屋役者を大勢出
演させての、大立ち回りが好きで、こういう演目を良く演じる
が、「三階さん」も含めた立役たちの乱舞が見せ物というだけ
で、芝居としては、底が浅い。骨格は、鳶と相撲取りが、些細な
ことから、仲間を引き連れての大立ち回りというだけの話。最初
に観たのは、11年前、96年5月の歌舞伎座、菊五郎の辰五郎
で拝見。九代目三津五郎が、喧嘩の仲裁役の焚き出し喜三郎で出
演。鳶の辰五郎の喧嘩相手、相撲取りの四ツ車が、左團次だっ
た。2001年2月の歌舞伎座は、十代目三津五郎の襲名披露の
舞台。辰五郎役を新・三津五郎に譲り、菊五郎は、喜三郎役に
廻っていた。四ツ車は、富十郎。今回は、辰五郎が、菊五郎、喜
三郎は、梅玉、四ツ車は、團十郎。このほかでは、今回は、九竜
山に海老蔵(前回は、左團次、前々回は、團蔵)、辰五郎女房・
お仲に時蔵(前回も、時蔵、前々回は、田之助)で、お仲は、今
回も含めて、時蔵が良かった。火消しの頭(かしら)のかみさん
の貫禄が滲み出ていた。藤松に松緑(前回も、辰之助時代の松
緑、前々回は、梅玉)も、江戸っ子の空威張りを表現していた。

序幕第一場「島津楼広間の場」では、上手横、床の間の掛け軸が
日の出に、松と鶴で、いかにも江戸の正月風景。お飾りも古風。
藤松(松緑)が、人の座敷で騒ぎを起こした後、颯爽と入ってき
た菊五郎。当代の菊五郎は、こういう役が好きなんだろうなあ。
頭として、ぐっと我慢の場面の後、「大きにおやかましゅうござ
りました」と言いながら、力任せに障子を閉める(「覚えてい
ろ」の気持ち)。「春に近いとて」の伴奏。続いて、獅子舞が部
屋に入って来て、気分転換。大道具、鷹揚に廻る。

序幕第二場「八ツ山下の場」。舞台上手に標示杭。それには、こ
う書いてある。「関東代官領江川太郎左衛門支配」。つまり、品
川の「八ツ山下」からは、「関東」、つまり、江戸の外というわ
けだ。ふたつの立て札もある。「當二月二十七日 開帳 品川源
雲寺」、「節分会 平間寺」。提灯を持った尾花屋女房おくら
(田之助)に送られて来る四ツ車(團十郎)を待ち伏せる辰五郎
(菊五郎)は、意外と粘着質な男だ。颯爽のイメージが損なわれ
る。焚き出しの喜三郎を乗せた駕篭が通りかかり、彼も絡めて、
いわゆる「だんまり」になる。世話物のだんまりだから、「世話
だんまり」。ここも、大詰めへの伏線。

二幕目「神明社内芝居前の場」。大歌舞伎とは違い、いわゆる宮
地芝居の小屋だが、江戸の芝居小屋の雰囲気を絵ではなく、復元
として観ることができる愉しさ。こういう大道具も私は、大好き
だ。出し物は、「義経千本桜」だが、「大物の船櫓」と「吉野の
花櫓」というサブタイトルがある。ほかに「碁太平記白石噺」
(これには、「ひとま久」と書いてある)、「日高川入相花王
(いりあいざくら)」(これには、「竹本連中」とある)という
看板。さらに、芝居小屋の上手上部に鳥居派の絵看板が3枚。絵
柄から演目は、上手から「大物浦」、「つるべ鮨」、「狐忠
信」。大入の札。小屋の若い者が、「客留」の札を貼る。お仲
(時蔵)、おもちゃの文次(翫雀)に連れられた辰五郎倅・又八
(虎之介)らが持っている物。籠に入った桜餅、ミニチュアの
「め」組の纏。虎之介は、元気がある。お馴染みの剣菱の薦樽。
この後、ここでも、鳶と相撲取りの間で、トラブルが起こる。間
に立つ座元の江戸座喜太郎(左團次)が渋い。これも、後の、喧
嘩への伏線。

三幕目「浜松町辰五郎内の場」では、焚き出しの喜三郎(梅玉)
方から、酔って帰ってきた辰五郎(菊五郎)に勝ち気な女房のお
仲(時蔵)が、言う。「六十七十の年寄りならば知らぬこと」
(還暦を迎えた我が身には、なんともな、科白・・・)と若い辰
五郎に意気地が無いと、つっかかり、喧嘩を煽り立てる。倅の又
八(虎之介)は、父ちゃん子らしく、「おいらのちゃんを、いじ
めちゃあいやだ」と、辰五郎の肩を持ち、観客席の笑いを誘う。
辰五郎に頼まれて、水をもってくるなど、甲斐甲斐しい。扇雀の
息子、虎之介は、達者にこなす。時蔵のお仲は、いわゆる、小股
の切れ上がった江戸の女。辰五郎「下戸の知らねえ、うめえ味だ
な」。又八、お仲も、水を呑む。(竹本)「浮世の夢の酔醒め
に、それと言わねど三人が、呑むは別れの水盃」ということで、
本心を明かし、喧嘩場へ。しかし、息子との別れの場面が、なん
とも、臭い芝居で、閉口した。

さはさりながら、「下戸の知らねえ、うめえ味だな」という科白
は、普遍的な意味がある。酒飲みであれ、芸術家であれ、職人で
あれ、何事も、その道を極めた人にしか判らない「うめえ味」と
いうものがある。知らなければ、知らないで済んでしまうのだろ
うが、知ってしまえば、酔い醒めの水ほど、甘露なものは無いよ
うに、知ってしまった世界の醍醐味は、知っている人にしか味わ
えないものだ。この科白には、そういう世界への広がりが隠され
ている。

歌舞伎見物も同じ。私も、歌舞伎座のなかのあちこちの席で舞台
を観てきたが、一階の「とちり」は、確かに見やすいし、桟敷席
も、東と西では、味わいも違うが、それぞれが良い。花道のそば
も、「どぶ」(西の桟敷と花道の間の席)側の席も良いし、花道
七三直近の上手側の席で、揚巻(雀右衛門)の足の爪も観てし
まったし、2階の真ん中、真ん前、天覧なら、天皇が座る辺りの
席も、本舞台を俯瞰が出来て、これも良いし、四階の幕見席の真
ん中から、谷底のような本舞台全体を覗き込むように見るのも、
また、良しで、「○○の知らねえ、うめえ味(おもしろい光景)
だな」という体験をしてきた。それの報告は、「大原雄の歌舞伎
めでぃあ」の「遠眼鏡戯場観察」に、99年3月の舞台から書き
記し、積み重ねてきた。

大詰の「喧嘩場」は、廻り舞台の機能を生かして、「角力小屋の
場」、「喧嘩の場」、「神明社境内の場」が、効率的に場面展開
する。最後に仲介に入る喜三郎(梅玉)は、梯子に乗り、騒ぎの
真ん中に、いわば、空から仲裁に入る。喜三郎は、着ていた2枚
の法被(蛇の目と万字の印)を脱ぎ、鳶の方へは、「御月番の町
奉行」の印を強調、一方、相撲取りの方には、「寺社奉行」の印
を見せつけ、「さ、どっちも掛りの奉行職、印は対して止まる
か」と喧嘩をおさめる。

この場面は、大部屋の立役たちも、充分に存在感を誇示する場
面。小屋の屋根に、勢いを付けて下から駆け昇り、上の者が手を
引っ張って、引き上げる。鳶側では、松也、梅枝、萬太郎、竹松
などの御曹司たちも活躍。相撲取り側では、四ツ車(團十郎)、
九竜山(海老蔵)、大竜山(男女蔵)、神路山(欣弥)など。
- 2007年5月17日(木) 22:10:41
2007年5月・歌舞伎座 (昼/「泥棒と若殿」、「勧進
帳」、「与話情浮名横櫛」、「女伊達」)


「いつか、また、会えるよなあ、俺は、待ってるぜ」

「泥棒と若殿」は、初見。山本周五郎原作の同名の短編小説を劇
化した。1968(昭和43)年3月、歌舞伎座初演。今回、3
回目の上演だが、出演者全員が、歌舞伎役者というのは、今回は
初めて。新作歌舞伎に仕立てあがっているかどうかが、今回のポ
イント。泥棒は、松緑、若殿は、三津五郎。軸となる三津五郎
は、「歌舞伎として成立するように創っていきたい」と述べてい
る。歌舞伎として、再演できるかどうかで、評価が決まる。荒れ
た御殿に幽閉された若殿と知らずに御殿に忍び込んだ泥棒の交友
の物語。殿様の病気に乗じて引き起こされたお家騒動から、幽閉
され、飢え死に寸前という若殿の実状を知り、泥棒に入ったが、
何もとらず、拾った薩摩藷を恵んでやる伝九郎。その後は、人足
仕事に出て、金を稼いでは、若殿の食事の世話をすることに励
む。身分の差が、文化、知識の差となり、世間知らずの若殿の言
動に、「そんなことも知らないのか」と伝九郎の保護者意識が高
まる。そのあたりが、観客の笑いを誘う。二人の間で価値観が一
元化される日々が続く。両者の気持ちの交流は、観客の気持ちを
和ませる。若殿の命を狙う家臣と泥棒が助けてくれるという不思
議。山本周五郎得意の対比。泣かせる場面もあり、ハンカチを眼
に当てている人の姿も見えた。やがて、殿様が亡くなり、若殿に
家督相続が、決まり、お家騒動も収まる。若殿は、元の世界に
戻ってゆく。その日の朝は、若殿が、伝九郎のために食事の世話
をした。逆転は、ふたりの別れの始まりでもあった。若殿は、ダ
ブルスタンダードを取り戻し、ふたりの価値観は、再び、二元化
され、伝九郎は、取り残される。只の人にはなれない若殿。自分
らしく、生きる。人には、それぞれの道があると言う。それに対
して、伝九郎は言う。「いつか、また、会えるよなあ、俺は、
待ってるぜ」。だが、観客たちは、知っている。それが、ふたり
の永の別れになることを。

人との交わりには、こういう別れは、良くあるもの。ひところ、
相手が、異性であれ、同性であれ、別れられない間柄と互いに認
識していても、喧嘩したわけでも無く、何かの拍子、引っ越しな
どで、会えなくなれば、去るもの日々に疎しで、いつの間にか忘
れてしまう。頻繁だったメールも、いつしか来なくなる。年賀状
も、いつの間にか、途絶えてしまった。別れるのに、生きるの死
ぬのと、大騒ぎしたような場合でも、同じようなものだ。離れら
れない、忘れられない、という思いをいつまで持ち続けられる
か。それでいて、忘れてしまえば、いつのまにか、何十年も経っ
ていて、お互い、平気でいる。まあ、ということは、人生には、
良くあるもの。

贅言1):演出上の改善点として、気が着いたこと。伝九郎が忍
び入った最初の夜の場面の暗転。朝の食事の世話をして、再び、
暗転。若殿が、城に戻ることを決意する夜の場面の暗転。この3
つの場面では、いずれも、若殿役の三津五郎が、御殿の広縁の先
に立ち、観客席に顔を向けて、思案に耽る表情とポーズというの
は、いただけなかった。ふたりが、食事をするために膳を置く場
面が、2回あったが、いずれも、対面(0度)では無く、観客席
正面向き(90度で、平行)でもなく、45度に向き合うよう
に、斜に置いていたが、これが、観客席から見ると、登場人物
が、「互いに、向き合いながら、観客席にも顔を見せる」という
角度なのである。

贅言2):今回の舞台では、三津五郎門下の三津之助の名題昇進
の披露があった。「泥棒と若殿」では、若殿を助けようと娘とと
もに若殿に食料(泥棒が拾った薩摩藷)を持ってきて、警護の侍
に追い払われた百姓・弥平役を演じていた。ほかに昼の部の「与
三郎」では、木更津海岸の場面で、与三郎(海老蔵)と絡む江戸
の噺家五行亭相生、夜の部の「め組の喧嘩」では、鳶の中門前の
専坊を演じていた。その他大勢のから、抜け出して、こういう役
どころを見ると、先月亡くなった中村四郎五郎の役回りに、す
ぽっと収まってくるという気がした。みのむし時代から三津之助
となり、今回、良くコンビを組んでいる三平→三津右衛門に追い
付いて、名題になったことを慶賀したい。


「いかに、弁慶」

「勧進帳」は、14回目の拝見。天覧歌舞伎百二十年記念興行。
昼の部の目玉演目というより、今月の「団菊祭」の目玉演目だろ
う。現代の歌舞伎役者で、最高の「勧進帳」を見せようという興
行側の意気込みの配役、それは、私の観劇記録のさまざまな配役
から見ても、伺えよう。今回の弁慶は、團十郎で、4回目。私が、
拝見した14回の「勧進帳」の主な配役は、以下の通り。

弁慶:幸四郎(4)、團十郎(4)、吉右衛門(3)、猿之助、
八十助時代の三津五郎、辰之助・改め松緑。

冨樫:菊五郎(4)、富十郎(3)、梅玉(2)、吉右衛門、猿
之助、團十郎、勘九郎、新之助・改め海老蔵。

義経:雀右衛門(3)、梅玉(3)、菊五郎(2)、福助
(2)、芝翫(2)、富十郎、染五郎。

幸四郎は、07年1月の千秋楽で、930回をこえるという弁慶
役者の代表選手なので、実線で、くっきりとした弁慶を演じる
が、技巧に走り過ぎて、巧すぎるのが、難点だと私は、思ってい
る。ものごとのあわいの微妙さ、色合いの濃淡の魅力など、余
白、余韻に欠ける。私の好きな弁慶は、團十郎、あるいは、吉右
衛門。團十郎の弁慶の場合、菊五郎の冨樫、梅玉の義経。あるい
は、吉右衛門の弁慶の場合、富十郎の冨樫、雀右衛門の義経とい
う組み合わせを頭に描くが、なかなか実現しなかった。当該役者
が皆、同じ舞台に出勤していても、配役が違うなど、限られた配
役なのに、意外と一致しないものなのだ。それが、今回は、團十
郎の弁慶の場合、菊五郎の冨樫、梅玉の義経と、どんぴしゃり。
次は、吉右衛門組も、実現して欲しい。「いかに、弁慶」という
義経の科白では無いが、いかに、配役の妙こそおもしろけれ。

さて、今回。團十郎は、120年前の1887(明治20)年4
月、麻布鳥居坂の外務大臣井上馨の邸内の仮設舞台で、史上初の
天覧劇が上演された際、三代前の、九代目團十郎が演じた弁慶を
演じたことは、言うまでも無い(ちなみに、120年前の配役
は、九代目團十郎の弁慶に初代左團次の冨樫、福助、後の五代目
歌右衛門の義経)。團十郎は、天覧歌舞伎百二十年記念興行に加
えて、2度に亘る病気克服の上、07年3月の、パリ・オペラ座
での「勧進帳」公演の成功という経緯を踏まえての、弁慶であ
る。意気込みのほどが、容易に察せられる。

もともと、「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、
名舞踊、名ドラマ、と芝居のエキスの全てが揃っている。これ
で、役者が適役ぞろいとなれば、何度観てもあきないのは、当然
だろう。従って、「仮名手本忠臣蔵」と並んで、歌舞伎の「独参
湯」(気付け薬、不入り続きの時でも、大入となる)などと言わ
れる由縁だ。

團十郎の弁慶に、菊五郎の冨樫、梅玉の義経。團十郎は、渾身の
弁慶だが、本来の弱点である口跡は、良くなって来たとはいうも
のの、声だけを聞いていると、緊張している所為もあろうが、
「ホーラ」の声優のような、震える「怖い声」で、声が突き抜け
ていないのが、残念。菊五郎の冨樫の声が、高からず、低からず
でありながら、突き抜けて、明瞭に聞こえて来るのと対照的だ。
菊五郎は、声にも、風格がある。前回、07年1月の歌舞伎座
で、幸四郎の弁慶と芝翫の義経に挟まれて、弱かった梅玉が、今
回は、良い。冨樫は、弁慶の男の真情を理解し、指名手配中の義
経を含めて弁慶一行を関所から抜けさせてやることで、己の切腹
を覚悟する。男が男に惚れて、死をも辞さずという思い入れが、
観客に伝わって来なければならない。菊五郎の、抑制気味の演技
には、それが感じられた。大酒飲み、舞上手、剛胆さを利用し
て、義経をかばう、という危機管理を見事に成功させる有能な官
僚の弁慶。そういう弁慶像は、團十郎からきちんと伝わってき
た。落ち着いた弁慶と抑制した冨樫の、大人の対決。梅玉の義経
は、「とにもかくにも、弁慶よろしく計らい候らえ」と、ひたす
ら弁慶に気持ちを向けていたことが良かったようだ。私が、夢見
た「勧進帳」のうち、團十郎組は、とりあえず、満足の舞台で
あった。次は、吉右衛門組を見てみたい。

贅言:團十郎の弁慶は、白紙(実際は、真っ黒)の、つまり、何
も書いていない勧進帳の読み上げの前に、舞台中央奥で、後ろを
向き、後見から、水を貰って呑んでいた。また、義経とのやり取
りの後も、同じように、後ろを向き、後見から、水を貰って呑ん
でいたが、1時間を超える舞台を軸になって、縦横に動き捲る弁
慶役は、喉も乾くのだろうと思う。何度かの数珠の受け渡しな
ど、後見との、もののやりとりは、サーカスの「空中ブランコ」
の演者同士の、身体のやり取りのような緊張感を感じるが、それ
を淡々とこなしていた後見(升寿、升一)の見事さ。附け打の柴
田正利のツケも、メリハリがあり、これも、名演。


「いい景色だねえ」=「いい男だねえ」

「与話情浮名横櫛」、通称「切られ与三」は、8回目の拝見とな
る。これまでの記録を整理すると、以下のようになる。

与三郎:仁左衛門(3)、團十郎(2)、梅玉、橋之助、そして
今回の海老蔵。お富:玉三郎(4)、雀右衛門(2)、扇雀、そ
して今回の菊之助。「團十郎、雀右衛門」のコンビは、歌舞伎座
とNHKホールで観ている。このうち、10年前の、95年9
月、松竹百年記念の年、歌舞伎座では、珍しく、「見染」から
「元の伊豆屋」まで、通しで拝見(「團十郎、雀右衛門」のコン
ビ)。「見染」は、都合6回。「赤間別荘」は、2回。「源氏
店」は、8回。今回は、十一代目海老蔵襲名披露大阪興行で初演
した「海老蔵、菊之助」コンビでの、初めての歌舞伎座公演だ。
「仁左衛門、玉三郎」のコンビでは、連続3回拝見していて、妖
艶な舞台に酔いしれてきたが、今回は、若い海老蔵・菊之助のフ
レッシュなコンビで、昼の部の、もうひとつの目玉演目である。

まず、「見染」の場面は、木更津の海岸となる。土地の親分・赤
間源左衛門の妾・お富(菊之助)主宰の潮干狩りに大勢の人たち
が繰り出している。大部屋の役者衆が、それぞれの居所にいて、
江戸風俗の雰囲気を出している。「与話情浮名横櫛」は、大部屋
役者の使い方が巧いし、傍役の演技が光る演目でもある。潮干狩
りの場は、横に広く、長く続いている。それを歌舞伎の舞台は、
廻り舞台を使わずに、「居処替り」という手法で、大道具を上手
と下手に引っ張って背景を替えてしまう。与三郎(海老蔵)と鳶
頭・金五郎(権十郎)のふたりが、臨時に取り付けた階段で本舞
台から降りて、いわば、江戸の芝居小屋なら「東の歩み」ともい
うべき、客席の間の通路を通り、「中の歩み」から、花道へ上が
るコースで、ふたりが、アドリブで、客席に愛嬌を振りまきなが
ら通る間、ふたりに観客の視線を引きつけておいて、観客が、気
が付く頃には、すでに、本舞台は、背景が替ってしまっている。
「伊賀越道中双六」の「沼津」と同じ趣向だが、こちらは、場面
展開後、再び潮干狩りの人たちで海岸が賑わうから楽しい。

ここでは、与三郎らと行き会う江戸の太鼓持ちで、木更津では、
五行亭相生という噺家を名題昇進披露の三津之助が、味のある演
技をしている。海老蔵は、初な感じを残している。お富も初々し
い。ふたりの「なよなよぶり」が、観客席の笑いを誘う。「いい
景色だねえ」とお富が、言うのは、「梅暦」の辰巳芸者・仇吉が
丹次郎を見初めた際に、「いい男だねえ」と言うの同じである。
景色=男なのである。海老蔵の「羽織落とし」(もともと、上方
和事の演出)も、まずまず。ここでは、ふたりの初(うぶ)さを
強調し、後の「源氏店」での、ふたりの世慣れた、強(したた)
かさと対比しようという演出が成功している。

「源氏店の場」。塀の外で、雨宿りをしている番頭・藤八(橘太
郎)との短いやり取りで、お富(菊之助)は、木更津海岸の場面
から、3年後。すでに、百戦錬磨の、一筋縄では行かない女性に
「成長」しているという印象を与える。美女の湯上がり姿は、も
う、それだけで、エロチックだ。菊之助は、玉三郎のような妖艶
なお富ではないが、これも、一興。

傍役が活躍する「切られ与三」は、おもしろいと書いたが、特
に、「源氏店」の剽軽役・藤八を演じた橘太郎が、良かったし、
その後、出て来る蝙蝠安を演じた市蔵も、味があった。与三郎
(海老蔵)に付き従っていたはずの、安が、強請の、引き際を知
らない与三郎を抑えて、引いてゆく場面は、特に、良かった。安
は、女物の袷の古着を着ているようなしがない破落戸(ごろつ
き)である。与三郎の格好よさを強調するために、無恰好な対比
をする。すでに私が観ている蝙蝠安は、富十郎、勘九郎、左團次
のほか、弥十郎は、3回も観ている。勘九郎時代の勘三郎の蝙蝠
安は、4年前に観ているが、彼の持ち味と蝙蝠安の持ち味が、渾
然一体になっていて、良かったが、今回の市蔵も、味のある蝙蝠
安だった。お富に白粉(おしろい)を塗られる藤八は、「ちゃり
(笑劇)場」を守り立てながら、与三郎と蝙蝠安の出のきっかけ
をつける重要な役どころだ。藤八は、通しで観ると、赤間源左衛
門の子分の、松五郎の兄として、悪役になるのだが、この場面で
は、道化役に徹している。私が観た藤八役者で印象に残るのは、
鶴蔵で、2回観ているが、松之助、橘太郎など、この役どころを
演じる役者の層は、厚いのが、頼もしい。左團次が、貫禄のある
源氏店の主・多左衛門を演じている。

瀬川如皐原作の「与話情浮名横櫛」は、幕末の江戸歌舞伎の世話
物という影が濃く、人間像もいろいろ屈折しているのだ。そし
て、家のなかに入ってからの強請の名場面。科白回しの声が突き
抜けずに、籠りがちになる父親の團十郎に比べて、生来口跡の良
く、突き抜けて聞こえる海老蔵だが、与三郎の科白「エエ、御新
造さんえ、おかみさんへ、お富さんえ、イヤサ、コレお富、久し
ぶりだなア」以下、特に、「しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切
れたのを、どう取り留めてか木更津から、・・」の独白を、海老
蔵は、かなり早間な科白廻しで言っていたが、もう少し、ゆるり
としていた方が良かったのでは無いか。海老蔵の科白は、以前か
らも、そうだったが、ときどき、歌舞伎の枠からはみ出して、現
代劇調になる時があるが、今回もそうだった。これは、注意して
直す必要がある。対決では、お富も、負けていない。海老蔵の科
白を躱すように、斜に身体をずらし、左肩を下げる菊之助の強か
さ。菊之助は、菊之助襲名以来、12年間に大きく成長した。歌
舞伎の様式美を知った上で、演技を磨いているのが、判る。最近
は、進境著しく、12年間という貫禄も滲み出ている。

贅言:お富宅を辞去した与三郎と蝙蝠安が、花道でやり取りして
いる間、本舞台の座敷にいるお富と多左衛門は、なにもしないと
いう歌舞伎の演劇空間のおもしろさ。お富は、舞台中央で、後ろ
向きになり、身じろぎしない。歌舞伎の約束事では、「消えてい
る」のである。多左衛門は、舞台上手よりで、前向きだが、やは
り、動かない。花道の与三郎と蝙蝠安の芝居が終り、拍手のうち
に、ふたりが引き上げるのを待って、お富の菊之助が、振り向
き、突然芝居を始める。それを切っ掛けに、氷解したような左團
次が、多左衛門を演じはじめる。芝居再開の妙。歌舞伎のおもし
ろさは、こういうところにもある。

「花の東や 心もよし原 助六流」

「女伊達」は、4回目の拝見。菊五郎(2)、芝翫(今回含め、
2回)。1958(昭和33)年にこの演目を初演したのが、福
助時代の芝翫。下駄を履いての所作と裸足になっての立ち回りが
入り交じったような江戸前の魅力たっぷりな舞踊劇。江戸を象徴
する女伊達の木崎のお駒に喧嘩を売り、対抗するふたりの男伊達
(翫雀、門之助)は、上方を象徴する(もともと、「女伊達」
は、上方が舞台、それを芝翫が江戸に移した。ふたりの名前は、
「淀川の千蔵」と「中之嶋鳴平」によすがが残る)。腰の背に尺
八を差し込んだ女伊達は、「女助六」であるという。だから、長
唄も、「助六」の原曲だという。「だんべ」言葉は、荒事独特の
言葉である。「花の東や 心もよし原 助六流」など、助六を女
形で見せる趣向。「丹前振り」という所作も、荒事の所作。大き
く「なりこまや」と書いた傘を持った若い者8人との立ち回り。
幕切れは、芝翫が、「二段(女形用)」に乗る。傘を廻して、華
やかさを添える若い者たち。「女伊達らに」を文字どおり、主張
した「女伊達」であり、東の成駒屋の大御所・芝翫の風格の舞台
であった。後見の、芝のぶが、爽やかに師匠を支える。
- 2007年5月14日(月) 11:48:49
2007年4月・歌舞伎座 (夜/「実盛物語」「口上」「角力
場」「魚屋宗五郎」)

夜の部も、印象に残った科白を軸に、劇評を展開してみよう。特
に、7回目の拝見となる「実盛物語」は、そういう趣向でも考え
ないと、劇評もつまらないだろう。そこで、「実盛物語」では、
次の科白を選んでみた。

○「腹に腕があるからは、胸に思案がなくちゃ叶わぬ」

並木宗輔ほかによる合作「源平布引滝」の三段目に当る「実盛物
語」は、7回目の拝見。斎藤実盛役で言えば、吉右衛門、富十
郎、勘九郎時代の勘三郎、菊五郎、新之助、そして、仁左衛門
は、前回と今回の2回続けて観ている。

2000年の2月には、国立劇場で、「源平布引滝」の通しを人
形浄瑠璃でも、拝見している。この演目は、時空を自在に交差さ
せるものだけに、人形浄瑠璃の方が、深みがある。役者が誰とい
うより、人形の超時空性の方が、相応しい演目だから、人間よ
り、人形の方が、素直に演じられるのだろうと思うが、まあ、そ
れはさておき、今回は、太郎吉に仁左衛門の孫の千之助(大きな
声で、はきはきと科白を言っていて、偉かったね!)が出演した
ことで、「孫の二重奏」効果があり、おもしろく拝見した。「孫
の二重奏」とは、

1)仁左衛門と千之助(つまり、孝太郎の息子)という、爺と孫
の関係
2)劇中でも、千之助は、瀬尾十郎(弥十郎)の孫の太郎吉とい
う関係

という意味である。

そもそも、この狂言は、「SF漫画風の喜劇」である。主人公
は、実盛ではなく、太郎吉(後の、手塚太郎)であり、実盛は、
まさに、「物語」とあるように、ものを語る人、つまり、ナレー
ター兼歴史の証人という役回りである。ここでは、「平家物語」
の逸話にある「実盛が白髪を染めて出陣した」ことの解明を時空
を超えて、試みている。母の小万が実盛に右腕を切り取られて、
亡くなったと知った太郎吉は、幼いながらも、母親の仇を取ろう
と実盛に詰め寄る。実盛は、将来の戦場で、手塚太郎に討たれよ
うと約束する。そういう眼で見ると、歴史の将来を予言する「実
盛物語」は、まさに、SF漫画風の喜劇ということになる。太郎
吉(千之助)にとって、母の小万(秀太郎)が亡くなっていると
いうのは、悲劇だけれど、一旦、亡くなった筈の母が、太郎吉
が、「俺が採った」という白旗を握りしめた右腕を母の遺骸に繋
げると、一時とは言え、母が蘇生する喜びの方に、ここは、重点
が置かれている。太郎吉は、過去に遡るかのように、殺された母
を生かし、未来を先取りするかのように、母の敵討を予約する、
いわば、超能力を持った少年である。こういう発想は、まさに、
SF漫画的では、ないか。

斎藤実盛(仁左衛門)を軸にした視点で観ると、役者が仁左衛門
だけに、捌き役として、颯爽としている実盛しか、見えて来ない
が、太郎吉(千之助)を軸にした視点で観ると、並木宗輔らが、
隠し味に使っている「笑劇」的要素が、見えてくるから不思議
だ。前にも書いたが、例えば、白旗(源氏の白旗)を握っている
小万(秀太郎)右手は、太郎吉のみによって、白旗を放すための
指が緩められる。探索に来た平家方の瀬尾十郎(弥十郎)の詮議
に対して、木曽義賢の妻・葵御前(魁春)が、産んだのが、その
右手だというのも、漫画的発想である。それを実盛は、真面目な
顔をして「今より此所を・・・手孕(てはらみ)村と名づくべ
し」などと言っている。また、これを受けて、瀬尾も、「腹に腕
があるからは、胸に思案がなくちゃ叶わぬ」などと返している。
まさに、漫画的な科白のやり取りだ。

小万が、実は、百姓・九郎助(亀蔵)、小よし(家橘)夫婦の娘
ではなく、瀬尾の娘であり、太郎吉は、瀬尾にとって、孫に当た
るという「真相」も、運命的で、漫画的である。憎まれ役や滑稽
な役が多い亀蔵が、今回のような善意の老け役を演じるというの
も、珍しい。亀蔵の老け役も、なかなか味がある。

仁左衛門の実盛は、颯爽としていて、華があって、見栄えがし
た。科白の緩急、表情の豊かさ、竹本の糸に乗る動きなど堪能し
た。初役の瀬尾十郎を演じた弥十郎は、最近渋い傍役を好演して
いる。「黙れ、おいぼれ」と九郎助を叱るなど憎まれ役である
が、最後に、孫思いの善人に戻る(いわゆる、「モドリ」)な
ど、奥行きのある役だけに、奥深さが滲み出て来ないと、ここの
瀬尾は不十分となる。魁春が演じた葵御前は、3回姿を変えるの
で、それぞれの違いの出し方が難しいし、秀太郎が演じた小万
は、この場面では、ほとんど遺骸の役で、動かないが、一時の甦
り(黄泉帰り)で、一瞬の芝居に存在感を掛けなければならない
から、これも難役だ。

庄屋太郎右衛門を演じるはずだった中村四郎五郎は、病気休演
で、代役が出ていたが、四郎五郎は、その後、22日に逝去(く
も膜下出血)。76歳だった。11日まで歌舞伎座、夜の部に出
演していた。「実盛物語」と「魚屋宗五郎」の憎まれ役・岩上典
蔵だったが、私が観に行ったときは、すでに代役になっていたの
で、四郎五郎の最後の舞台は、観れなかった。独特のとぼけた味
のある表情の役者で、歌舞伎を見始めた、割と早い段階で、その
他大勢の役者のなかでも、四郎五郎は、目につき、私も、名前を
覚えた。特に、先に亡くなった源左衛門の助五郎時代には、コン
ビで良く出演していたので、印象に残っている。「野崎村」で
は、仮花道をいっぱいに使って、助五郎とコンビの駕篭かきを
じっくりと演じ、日本一の駕篭かき役者といわれたものだ。助五
郎と四郎五郎の居ない歌舞伎の舞台。それは、確かに、ひとつの
時代の終焉であった。

○「錦兄(きんにい)」

信二郎が、二代目錦之助を襲名する。その襲名披露の「口上」。
初代錦之助も、生きていれば、74歳。芝翫、富十郎より、幾分
下の同世代。二代目は、2歳のときに、父の四代目時蔵に死な
れ、猿之助を師匠にして来たが、ここ10年は、富十郎に師事し
て来たという。信次郎という本名の一字を変えて芸名にして来た
が、継ぐべき代々の名前が無かったという。それを47歳にし
て、錦之助の名前を継ぐという。「口上」の舞台には、いつにな
く、大勢の役者が、ずらりと並んだのでは無いか。数えてみた
ら、23人。普通の「口上」では、幹部役者のみのお目見えだ
が、今回は、歌舞伎役者としてよりも、時代劇の映画スター中村
錦之助(後の萬屋錦之介)の存在感を引き継ぎ、信二郎という花
のある歌舞伎役者が、二代目錦之助を名乗ることで、歌舞伎役者
としての錦之助という名前に、新たな息を吹き込もうと興行側の
狙いがあるだけに、口上の若やぎと多人数という、いつにない趣
向になったものと思われる。

門之助、勘太郎、七之助、獅童でも、珍しいのに、種太郎、隼人
までもが、「口上」出演というのは、萬屋一門総揚げという感じ
がするが、それなら、時蔵の子息たち、梅枝、萬太郎、歌昇の子
息で、種太郎の弟の種之助、歌六の子息たち、米吉、龍之助も、
出してあげたかった。三代目歌六の子息たち(初代吉右衛門、三
代目時蔵、十七代目勘三郎)の華やぎと三代目時蔵の子息たち
(四代目歌六、四代目時蔵、初代獅童、初代錦之助、嘉葎雄)の
儚さ(40代、30代という若き死と廃業、転業)という、浮沈
の萬屋一門にも、若やぎの高波が、期待できそうな「口上」の光
景であったように思う。

「口上」では、ここ10年、時代物のブラシュアップをする信二
郎の師匠である富十郎が、仕切る。「株式会社松竹、皆様、いず
れも様、亡くなった先代の永山松竹会長のお薦めにより・・・」
と、富十郎の弁。雀右衛門は、お祝とご支援よろしくと型通りの
挨拶。仁左衛門は、「幡随長兵衛」での初代錦之助(当時は、す
でに萬屋錦之介)との共演の想い出話。秀太郎に続いて挨拶した
福助は、二代目錦之助とのヨーロッパ公演でのホテル同室などの
同世代(新錦之助の方が、1歳年長)としてのエピソード紹介。
門之助も、新錦之助の同年強調。弥十郎は、巡業のエピソード
で、20年近く、同じ釜の飯を食べたと紹介。東蔵、魁春、我當
は、祝の言葉。梅玉は、少年のころの信二郎のわんぱく振りを強
調。上手最右翼の芝翫は、支援をよろしく。

この後、下手最左翼の吉右衛門は、「にいちゃん」こと初代の想
い出と二代目の位置付け解説。歌六は、初代の想い出と35年ぶ
りの錦之助復活という、萬屋一門の喜び。歌昇は、よろしく。獅
童は、一門の喜び。種太郎も、喜び。隼人は、新錦之助の息子と
して、お礼。七之助、勘太郎は、親戚としての祝辞。勘三郎は、
「錦兄(きんにい)」こと初代は、花も実もある役者だったと紹
介。時蔵は、父を早く亡くし、初代は、親代わりだった。その大
事な初代の名前を弟が襲名して、感無量と、二代目の兄として、
締めの挨拶。最後に、再び、富十郎の音頭で、いずれも様に挨
拶。桐蝶の家紋の入った祝幕が、閉まって、チョーン。

○「せっかく襲名したのだから、威張ってまいれ」

「双蝶々曲輪日記」のうち、「角力場」は、3回目の拝見。この
芝居は、江戸時代の上方(大坂・高麗橋のたもと)の角力の小屋
掛け風情が楽しめる趣向が、いつ観ても愉しい。舞台上手には、
角力の小屋掛けがある。小屋の後ろには、川が流れている。高麗
橋だから、堂島川か。小屋には、力士への贔屓筋からの幟(濡髪
長五郎には、「山崎」贔屓、放駒長吉には、「堀江」贔屓とあ
る)が、はためいている。これは、後の展開から、「山崎」は、
濡髪支援の「山崎屋与五郎」の山崎「屋」であり、「堀江」は、
放駒支援の角力小屋のある地元の堀江「町」の意味だと知ること
ができる。このほか、取り組みを示す12組のビラ(最後が、濡
髪対放駒と判る)の張り出しも風情がある。佐渡嶽、雷電、柏
戸、不知火、荒岩など馴染みのある四股名も、混じっている。木
戸口の大入りのビラがある。舞台下手には「出茶屋」があり、小
屋のそばにお定まりの剣菱の菰被りが3つ積んである(歌舞伎に
出て来る酒は、「剣菱」か、「大関」が多い。角力の場面だか
ら、「大関」かと思ったら、「剣菱」であった)。

大坂・新町の遊女吾妻(福助)と恋仲の山崎屋与五郎(錦之助)
は、上方歌舞伎の典型的な「つっころばし」という人物造型。世
間知らず、苦労知らずの、二代目。年若い優男で、どこか、とぼ
けたような、やわらかさが必要。新錦之助の意欲を示す舞台だろ
う。

見物客が入ってしまうと、木戸番の若い者が「客留(満員の意
味)」のビラを張る。慌てて、与五郎も小屋に入る。若い者は、
木戸を閉める。芝居では、角力小屋の中は見せないが、入り口か
ら見える範囲は、「黒山」の人だかりの雰囲気(昔は小屋を観音
開きにして、内部の取り組みの場面を見せる演出もあったとい
う)。いまは、声や音だけで処理。この方が、小屋の外、劇場の
なかにいる私たち、観客の胸を高鳴らせる。結びの一番(濡髪対
放駒)は、「本日の打止め」との口上。軍配が返った雰囲気が伝
わって来たと思ったら、「あっさり」(これが、伏線)、放駒の
勝ち名乗り。取り組みが終わり、打止めで、仕出しの見物客が木
戸からゾロゾロ出てくる。筋書の出演者を見ると総勢25人だ
が、やけに多く見える。同じ役者が、二廻りしているのではない
かと思う。

暫くして、木戸から放駒長吉(錦之助)の出がある。錦之助は、
山崎屋与五郎との早替りふた役である。二人の登場人物の持ち味
の違いをどう出すか。次に木戸から出てくる濡髪長五郎(富十
郎)を、より大きく見せるために、放駒は、草履を履いている。
これに対して、濡髪は、歯の高い駒下駄を履いている。少しで
も、放駒より大きく見せようという工夫である。木戸のなかから
扇子を持った濡髪の手が見えるが、上半身はあまり見えないよう
にする。また、地元推薦の放駒は、米屋の息子から力士になった
素人相撲取りで、歩き方もちょこちょここ歩き、話し方も、町言
葉。純粋の相撲取りの濡髪との対比は、鮮明。

「せっかく(放駒を)襲名したのだから、威張ってまいれ」と放
駒贔屓の侍、平岡郷左衛門(弥十郎)や三原有右衛門(獅童)に
発破をかけられる場面では、二代目錦之助襲名への応援歌が、滲
んで来る。

代々の役者が、工夫して来た放駒と濡髪の人物像の対比の妙を富
十郎も新錦之助も、踏襲している。但し、今回、富十郎は、濡髪
の衣装を工夫した。いつもの黒っぽい衣装では無く、明るい鼠色
で、濡髪の若さを強調したという。

濡髪と放駒のやりとりでは、角力小屋のなかで展開された「はず
の」取り組みが再現される場面、勝負にわざと負けたが、それ
は、後から頼みごとをするための濡髪の方便。本当は、濡髪の方
が、力も強い。八百長相撲を仕掛けた濡髪の狡さに怒る放駒。こ
こは、師弟として、10年間の付き合いを続けている、富十郎と
新錦之助の師弟の舞台。難しいが、濡髪は敵役の印象を残さない
で、力士としての豪快さを出す工夫を役者がどこまでできるかが
ポイントだろう。富十郎は、安定した濡髪像を構築した。新錦之
助の方も、まあ、師匠の指導よろしきを得て、無難にこなし、歌
舞伎味、それも、上方味豊富な舞台であった。このほかの役者で
は、出茶屋亭主の東蔵が、脇で、味を出していた。こういう人が
いると、舞台に奥行きが出る。

○「もうこうなったらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」

「魚宗」は、勘三郎の独り舞台であった。小気味良いほど、観客
を酔わせる、勘三郎の芝居。

「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)−魚屋宗五
郎−」は、6回目。この芝居、黙阿弥の原作は、怪談の「皿屋
敷」をベースに酒乱の殿の、御乱心と、殿に斬り殺された腰元の
兄の酒乱という、いわば「酒乱の二重性」が、モチーフだった五
代目菊五郎に頼まれて、黙阿弥は、そういう芝居を書いた(だか
ら、外題も、「新皿屋舗」が、折り込まれている)のだが、現
在、上演されるのは、殿様の酒乱の場面が描かれないため、妹を
殺され、殿様の屋敷に殴り込みを掛けた酒乱の宗五郎だけの物語
となっている。

また、妹・お蔦と兄・宗五郎のふた役を五代目菊五郎は、演じ
た。殿様を狂わせるほどの美女と酒乱の魚屋のふた役の早替り、
それが、五代目の趣向でもあった。そういう、作者や初演者の趣
向、工夫魂胆を殺ぎ落とせば、殺ぎ落とすほど、芝居は、つまら
なくなりはしないか。演目数が、少なくなっても良いから、原
作、あるいは、初演者のおもしろい趣向を大事にするような興行
をして欲しいと、いつも思う。現在の上演の形だと、芝居の結末
が、いつ観ても、つまらないのだ。酒乱の宗五郎は、泥酔からさ
めると、お殿さまにぺこぺこし過ぎる。それが、私は、嫌いだ。
「芝片門前魚屋内の場」から「磯部屋敷」の場面のうち、前半の
「玄関先の場」までの、酔いっぷりと殴りこみのおもしろさと後
半の「庭先の場」、酔いが醒めた後の、殿様の陳謝と慰労金で、
めでたしめでたしという紋切り型の結末は、なんともドラマとし
ては、弱い。素面に戻った宗五郎が、醜態を悔い、また、殿様
が、それを許すという、腰の砕けたような、納得しにくい、あま
り良い幕切れではない芝居に変質してしまっているのが、残念だ
と、観る度に思う。まさに、私の「魚宗の憂鬱」は、芝居のよう
には、晴れない。妹を理不尽に殺された兄の悔しさは、時空を越
えて、現代にも共感を呼ぶ筈だ。なんとか、原作を活かした形
で、再演できないものか。

勘三郎の宗五郎は、勘九郎時代にも観ているので、2回目。ほか
は、團十郎、菊五郎、三津五郎、幸四郎で観ている。それぞれ、
持ち味の違う宗五郎を観たわけだ。己の酒乱を承知していて、酒
を断ちっていた宗五郎が、妹のお蔦の惨殺を知り、悔やみに来た
妹の同輩の腰元・おなぎ(七之助)が、持参した酒桶を女房のお
はま(時蔵)ら家族の制止を無視して全て飲み干し、すっかりで
き上がって、酒乱となった勢いで殿様の屋敷へ一人殴り込みを掛
けに行くまでの序幕「魚屋内の場」で、勘三郎は、「酒乱の進
行」をたっぷり見せてくれる。

宗五郎は、次第次第に深まって行く酔いを見せなければならな
い。妹の遺体と対面し、寺から戻って来た宗五郎にお茶を出す。
お茶の茶碗が、次の展開の伏線となるので、要注意。まず、この
茶碗で、酒を呑む。禁酒している宗五郎は、供養になるからと勧
められても、最初は、酒を呑まない。やがて、1杯だけと断っ
て、茶碗酒をはじめる。それが、2杯になり、3杯になる。反対
されるようになる。酒を注ぐ、「片口」という大きな器になる。
家族らから制止されるようになる。それでも、呑み続ける。「も
うこうなったらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」と宗五
郎も、覚悟をきめる。やがて、皆の眼を盗んで、酒桶そのものか
ら直接呑むようになる。そして、全てを呑み尽してしまう。

五代目菊五郎が練り上げ、六代目菊五郎が、完成したという酔い
の深まりの演技は、緻密だ。まさに、生世話物の真髄を示す場面
だ。勘三郎も、菊五郎も、團十郎も、こういう役は巧い。三津五
郎も負けていない。この場面は、酒飲みの動作が、早間の三味線
と連動しなければならない。私が観たうちでは、幸四郎だけは、
糸に乗るのが、巧くなかったが、踊りの巧い菊五郎、勘三郎、三
津五郎は、糸に乗っていた。酔いの演技では、團十郎は、また、
3人とは違う巧さがある。

この場面で、宗五郎の酔いを際立たせるのは、宗五郎役者の演技
だけでは駄目だ。脇役を含め演技と音楽が連携しているのが求め
られる。ここでは、時蔵の演じる女房・おはまは、断然良い。生
活の匂いを感じさせる地味な化粧。時蔵は、色気のある女形も良
いが、生活臭のある女房のおかしみも良い。勘太郎の演じる小
奴・三吉が、未だ、固い。この役では、04年5月、歌舞伎座で
観たときの松緑の三吉が、印象に残っている。剽軽な小奴の味
が、松緑にはあった。おなぎの七之助は、女形にしては、線が固
かった。この場面は、出演者のチームプレーが、巧く行けば、宗
五郎の酔いの哀しみと深まりを観客にくっきりと見せられる筈
だ。

もうひとつ、印象に残った勘三郎の科白は、「磯部屋敷玄関先の
場」で出て来た。

「わっちの言うのが無理か無理でねえか、ここは、いちばん、聞
いちくりぇ。(略)好きな酒をたらふく呑み何だか心面白くっ
て、ははははは、親父も笑やあこいつも笑い、わっちも笑って暮
らしやした、ははははは、ははははは」

勘三郎の科白廻しには、家族思いの庶民の哀感がにじみ出る。勘
三郎の独り舞台に魅了された感がある。

このほかの役者では、序幕では、霊前に悔やみに来た茶屋女房お
みつの歌女之丞とその娘のおしげを演じた芝のぶ、酒屋丁稚の与
吉の、天才子役鶴松も良かった。二幕目では、初役ながら、我當
の家老・浦戸十左衛門が、重厚で、光る。勘三郎の、もうひとつ
印象に残った科白を受け止めていたのが、我當の家老(衣装は、
「河内山」の家老と全く同じだという。歌舞伎の類型性)だっ
た。名キャッチャーだった。新錦之助の殿様・磯部主計之助は、
襲名のお祝。
- 2007年4月24日(火) 22:27:34
2007年4月・歌舞伎座 (昼/「當年祝春駒」、「頼朝の
死」、「男女道成寺」、「菊畑」)

今月の劇評も、演目ごとに、私の印象に残った科白を軸に展開し
て行こうと思う。

○「當年祝春駒」では、「まず、それまでは・・・」

「當年祝春駒(あたるとしいわうはるこま)」は、2回目の拝
見。初回は、99年1月の歌舞伎座。江戸の正月、吉例の「曽我
もの」だが、「曽我もの」の代表「対面」(曽我兄弟が、親の
仇、工藤祐経に、やっと逢う場面。つまり、暗殺者・ヒットマン
が、暗殺の対象となる人物に接近する場面)へのイントロダク
ションもの。歌舞伎では、「対面」というアクション場面の前
に、「接近」の苦労を「所作事」で、緊張感を抑えたまま、明る
く演じる場面を挿入した。ヒットマンは、ヒットマンらしから
ぬ、華やかさで、身をやつして、敵陣に、まんまと乗り込む。
「當年祝春駒」は、1791(寛政3)年、中村座で初演され
た。本名題は、「対面花春駒(たいめんはなのはるこま)」。
「春駒売」に身をやつした曽我兄弟が、工藤の館に入り込む。
「春駒売」とは、正月に馬の頭を象った玩具のようなものを持
ち、「めでたや めでたや 春の初めの 春駒なんぞ」などと祝
の言葉を様々に囃しながら、門付けをして歩く芸人のこと。

舞台では、幕が開くと、舞台奥の雛壇に並んだ長唄連中の「置
唄」。舞台中央には、大せりの大きな穴が空いている。富士の姿
を中央に描いた書割は、さらに、松と紅梅が描かれている。やが
て、歌六の工藤祐経が、脇に、七之助の舞鶴と種太郎(歌昇の息
子)の珍斎とともに、大せりに載って、せり上がって来る。若い
二人を従えて、歌六は、風格がある。初々しい舞鶴。可愛らしい
珍斎。花道が騒がしくなる。曽我兄弟の登場。獅童の五郎、勘太
郎の十郎。最初の内は、春駒の踊りを踊りながら様子を伺う兄弟
だが、途中で、黒衣の持ち出して来た赤い消し幕の陰で、衣装の
双肩を脱ぎ、赤い下着を見せて、仇への感情を表わし、五郎が、
工藤に接近する、まさに、「対面」を予兆させる場面となる。す
でに兄弟の正体を見破っている工藤は、兄弟に富士の狩り場の通
行切手(つまり、入場券)を投げ渡し、そのときに、親の仇とし
て討たれよう。後日の対面。「まず、それまでは・・・」、仇討
はお預け、という、つまり、結論先送り、あるいは、「次回、乞
う、ご期待」という、歌舞伎独特、あるいは、興行独特の、幕切
れの科白となる。それぞれ、引っ張りの見得で、幕。また、木戸
銭払って、観に来てくださいということ。

○「頼朝の死」では、「ええ、言わぬか重保、ええ、言わぬか広
元」

「頼朝の死」は、3回目の拝見。これまで観た頼家:八十助時代
の三津五郎、梅玉(今回含め、2)、重保:染五郎、歌昇(今回
含め、2)、小周防:福助(3)、尼御台政子:宗十郎、富十
郎、芝翫)、大江広元(秀調、吉右衛門、歌六)、中野五郎(家
橘、芦燕、東蔵)。

新歌舞伎の戯曲としての「頼朝の死」は、真山青果作。科白劇
で、一種のミステリー作品で、真相解明の展開ゆえ、点線の上
に、実線で、くっきりと描かれるタッチが、おもしろい(ときど
き、実線の科白が、煩く感じられる。また、音響効果が、くどい
場面もある)。頼朝夫人・尼御台政子の侍女・小周防の寝所へ入
り込もうとした曲者として、頼朝が殺されたことが全ての始ま
り。将軍の死のスキャンダル隠しが、テーマ。真相を知っている
のは、宿直の番をしているときに曲者を斬った畠山重保。小周防
は重保を密かに愛しているが、薄々感づいている重保はそれを拒
否している上、斬り捨てた曲者が頼朝と知り、死にたいほど苦し
んでいる。真相を知っているのは、重保に加えて、政権の実力者
として、頼朝の死のスキャンダルを隠している頼朝夫人・尼御台
政子と頼朝の家臣・大江広元を含めて3人だけ。3人には、秘密
を共有しているという心理があるが、図らずも「主(科白では、
「しゅ」ではリズムが出ない所為で、「しゅう」と言い回してい
た)殺し」となって、苦しんでいるのは、重保のみ。

頼朝の嫡男・頼家は、真相を知らされず、彼も狂おしいほど悩
み、真相究明を続けているが、真相に近い疑惑までは辿り着いた
が、そこから最後の詰めができないでいる。そうして、月日は流
れ、舞台は事件から2年後。頼朝の三回忌の法要が行われている
祥月命日の日。

第一場「法華堂の門前」。上手、法華堂門前に「故頼朝公大三年
回忌供養」という立て札がある。頼家、尼御台政子以外の主な登
場人物が勢揃いをし、小周防のひたむきの乙女心という恋を描
く。それはまた、「重保の恋」のようにも見受けられる。重保の
悩みは描かれるが、三回忌という客観的な時間の流れのなかで、
頼朝の「死」=タナトスは、すでに捨象され、ふたりの「恋」=
生へのエロスが、色濃く私の目には映る。それゆえに、重保は小
周防に真相を漏らしてしまう。タナトスがエロスに負けた瞬間だ
(これは、後の場面では、タナトスがエロスに勝ち、聞かされた
秘密を頼家に打ち明けそうな風情を見せた小周防は、重保に殺さ
れてしまう)。歌昇と福助が前回に引き続いて、今回も熱演。小
周防の腰元役の音羽に芝のぶ。しっかりものの秘書というイメー
ジで、好演。

第二場「将軍家御館」。ひとり悩ましい時間を過ごしている将軍
頼家。重保ら3人の秘密共有者と小周防も呼び、真相究明に走る
が、正しい推理は、正しいが故に空回りする。政子と広元は、政
権の維持という政治学に裏打ちされた強固な意志を持ち、揺るぎ
が無い。スキャンダル隠しを仕掛けた人たち(政子、広元)、踊
らされた人たち(重保、小周防)、踊る人(頼家)。それぞれの
スタンスで、揺らいだり、揺らがなかったり、真山劇のおもしろ
さ。「ええ、言わぬか重保、ええ、言わぬか広元」というのは、
真相究明にいらだつ頼家の科白。この場面、エロスとタナトス
は、ベクトルが逆に作動し、頼家は真相にたどり着けない。だか
ら、いらだつ。梅玉は、そういう、正しく、しかし、正しいが故
に空回りする、一直線な男・頼家を熱演する(前回、01年4月
の歌舞伎座でも頼家を演じた梅玉は、このとき、3月31日に逝
去した養父歌右衛門の死を悼む気持ちを科白に滲ませていた。私
にも、歌右衛門の死を痛む気持ちが醸成されたことを覚えてい
る)。「酒を持て、酒だ!」。一直線ゆえ、いらだつと酒に走る
頼家の前には、「事も愚かや。家は末代、人は一世じゃ」と最後
に言い切る政子の壁がますます大きく立ちはだかる。

舞台中央に残された丸い井草の敷物。頼家が座っていた敷物が、
姿の見えない筈の、故頼朝の姿を思い浮かばせる。頼朝アブセン
ト。中央奥の、空席の敷物を軸に、上手奥の政子、上手手前の広
元、中央手前の頼家、手前下手側に重保、小周防という居所は、
この芝居の人間関係と互いの位置をくっきりと示している。

苦悩とともに真相を知っている重保を演じる歌昇は、人物造型の
奥深さを表現する。将軍からの利益誘導で、真相を告げそうにな
る小周防は、口封じのために、恋人に斬り殺される。それゆえ
に、この芝居は、私には一層、「重保の恋」として、印象づけら
れる。それほど、歌昇の演技には、味があった。芝翫の政子は、
実質的な権力者という風圧が、表現されていないので、存在感が
薄い。芝居をしていないときの表情が良く無い。演じていない
が、舞台に出ているときの有り様が、いかに大事か。それゆえ、
歌六の広元とともに、印象が薄かった。

「男女道成寺」は、3回目の拝見。幕が開くと、太めの紅白の横
縞の幕を背景に、舞台中央に大きな鐘が宙づりになっている。や
がて、背景は、紀州道成寺の遠景で、「花のほかには松ばかり」
という満開の桜の景色となる。初回は、94年5月、歌舞伎座
で、丑之助時代の菊之助と菊五郎の親子で観ている。次いで、
04年9月、歌舞伎座。福助、橋之助の兄弟。今回は、勘三郎、
仁左衛門。初めて、親子、兄弟では無いコンビで観ることにな
る。

この演目は、「二人道成寺」のように、花子、桜子のふたりの白
拍子として登場するが、途中で、桜子の方が、実は、といって、
狂言師・左近として正体を顕わすところにミソがある。今回は、
勘三郎の花子と仁左衛門の桜子、実は、左近という配役。「二人
道成寺」もどきの、イントロダクションでは、仁左衛門の所作
が、幾分心もとない。完熟の旨味を滲ませながら、ゆるりと踊っ
ている勘三郎の比べると、仁左衛門は、所作が、不安定。ときに
早過ぎたり、ときに遅過ぎたり。ところが、正体露見で、まず、
所化に囲まれて、頭のみ、野郎頭とし、つまり、桜子の鬘を取
り、左近の地頭という形(なり)となった後、コミカルに対応。
衣装を変えて、すっきりと再登場してからは、いつもの仁左衛門
で、安定した所作振りで、メリハリが戻った。女形と立役の藝の
違いが、良く判る。藝達者な二人の、華のある、熟成の舞台。い
つものように、引き抜き含めて、何度も衣装を変える。華も実も
ある実力者の舞台。「中村屋」「松嶋屋」の屋号に加えて、何度
か、「ご両人」という掛け声が、大向こうからかかるのも当然
だ。昼の部、最大の呼び物。私の隣の席は、「男女道成寺」の
み、座りに来て、ほかの演目のときは、空席だった。勘三郎の
ファンと見受けたが、無駄遣いする人だ。

今回の所化の数は、17人。花道から登場する「聞いたか坊主」
では、獅童がリーダーシップを取る。勘太郎、七之助、猿弥、宗
之助、種太郎など17人で登場する。

贅言:後見は、裃後見で、鬘を付け、肩衣姿だが、松嶋屋、中村
屋の衣装で、あでやか。後見たちの、きびきびしたサポートも、
引き抜きを始め、二人の所作の節目節目のテンポを確保し、流れ
をスムーズにし、舞台に華を添える。松嶋屋は、松之助、松三
郎、中村屋は、仲二朗、いてう。


○「菊畑」では、「目の前の掃除はていねいなれども、・・・」

「菊畑」は、文耕堂らが合作した全五段の時代浄瑠璃「鬼一法眼
三略巻」の三段目。私は、6回目の拝見。歌舞伎の典型的な役ど
ころが揃うので、良く上演される。智恵内、実は、鬼三太:富十
郎、團十郎、(2000年9月歌舞伎座の橋之助を観ていな
い)、仁左衛門、幸四郎、そして、吉右衛門(今回含め、2)。
虎蔵、実は、牛若丸:勘九郎時代の勘三郎、芝翫(2)、(梅玉
は、観ていない)、菊五郎、染五郎、そして、今回の信二郎、改
め、錦之助。鬼一法眼:権十郎、富十郎の代役の左團次を含め左
團次(2)、そして、羽左衛門の代役の富十郎を含め富十郎(今
回含め、3)。鬼一法眼がいちばん似合いそうな羽左衛門の舞台
を見逃してしまったのが、残念。皆鶴姫は、雀右衛門、菊之助、
福助、芝雀、そして、時蔵(今回含め、2)。憎まれ役の湛海:
正之助時代の権十郎(2)、彦三郎、段四郎、歌六そして、今回
の歌昇。

歌舞伎座の定式幕では無く、錦之助襲名の祝幕が下がっってい
る。幕が開くと、浅葱幕。置き浄瑠璃で、幕の振り落とし。「播
磨屋」の掛け声。舞台中央、吉右衛門の智恵内、実は、鬼三太
が、床几に腰掛けている。黒衣が、花の大道具を押し出して来
る。華やかな菊畑の出現というのが、定式。体制派の奴たちが、
智恵内を虐めるが、智恵内も、負けていない。花道は、中庭の想
定、七三に木戸があり、ここから本舞台は、奥庭で、通称、「菊
畑」。鬼一とともに、奥庭に入って来る8人の腰元。「頼朝の
死」で、腰元・音羽で好演だった芝のぶも、一員。「菊畑」は、
源平の時代に敵味方に別れた兄弟の悲劇の物語という通俗さが、
歌舞伎の命。鬼一息女の皆鶴姫(時蔵)の供をしていた虎蔵、実
は、牛若丸(錦之助)が、姫より先に帰って来る。それを鬼一
(富十郎)が責める。鬼一は、知恵内に虎蔵を杖で打たせようと
する(前回、「裏返し勧進帳」として、分析したので、今回は、
省略)。知恵内、実は、鬼三太は、鬼一の末弟である。兄の鬼一
は、平家方。弟の鬼三太は、源氏方という構図。それぞれの真意
をさぐり合う兄弟。さらに、鬼三太と牛若丸の主従は、鬼一が隠
し持つ三略巻(虎の巻)を奪い取ろうと相談する。

印象に残った科白は、「目の前の掃除はていねいなれど
も、・・・」という、鬼一のもの。智恵内とのやり取りを含め
て、長いが引用しよう。

鬼一 「ヤイ、智恵内、見渡すところ花壇には、ちり一本もおか
ず、目の前の掃除はていねいなれども、松楓ぬるでなどのあたり
は落葉もはかず捨て置きしは、心あってか但し又、目通りでない
と思うての無精か、物事に陰日向があってはうしろぐらし、以後
はたしなみ奉公せよ」
智恵内「これは殿の御意とも存ぜず。私めは熊野の奥山家(おく
やまが)にて無骨には育ち候えども、御奉公に陰日向はつかまつ
らず。惣じて塵埃と申すものは、一ツ二ツ散りぬればその座を穢
し、見苦しく候えども、塵塚に山の如く集まる時は、多くても見
苦しからず。それゆえ花壇のちりは取り捨てましたけれど、松、
楓、ぬるで様の落葉を御覧じなさるるも御一興と存じまして、わ
ざと箒(ほうき)は入れませぬようにござります」
鬼一 「フム、コリャ尤も。(略)。名将は士卒の賢愚得失をよ
くわきまえ、その気に応じて使うという、軍法の奥義もその利に
同じ。ムム出かした尤も尤も」

トップに立つ者は、人を何処で判断するか。通俗の観はあるが、
軍法に限らず、政治、経営などあらゆる分野、古今東西、どこで
も、通用する価値観だろう。「智恵内」=「知恵無い」という
ネーミングで、知恵を出させる狂言作者たちの通俗性が、浮き彫
りになる場面だ。江戸の庶民の耳には、入りやすい、まさに、俗
耳に入りやすい科白だろう。

腰元白菊(隼人)の案内で鬼一の弟子の湛海(歌昇)が、登場す
ると、富十郎の指揮で、虎蔵、実は、牛若丸(信二郎、改め、錦
之助)の襲名披露の「劇中口上」に入る。

富十郎「ご見物のいずれもさまへ、ご挨拶申し上げる」。

舞台には、前列に、上手から、信二郎の兄の時蔵(皆鶴姫)、富
十郎(鬼一)、信二郎、改め、錦之助、歌昇(湛海)、信二郎の
息子の隼人(白菊)が並び座り、後列に、紫若、芝喜松、京蔵、
守若、芝のぶら8人の腰元が並び座る。富十郎は、右膝を痛めて
いるのでと断わりながら、床几に腰掛けて、挨拶をする。

富十郎「株式会社松竹のお薦めにより」。

松竹の永山武臣会長が存命のころなら、「松竹永山会長のお薦め
により」となるところだ。尤も、富十郎は、永山会長の名前も、
後段で出していた。ついで、吉右衛門の挨拶、新錦之助の挨拶と
続き、改めて、富十郎のまとめの挨拶、「これだけ、皆様にお願
いすれば、大丈夫」という趣旨の挨拶で締めくくり、芝居に戻
る。兄、時蔵は、上手に畏まっていた。

今回の舞台は、信二郎の二代目錦之助襲名披露だから、この「菊
畑」が、昼の部の目玉だろう。信二郎は、苦労人で、澤潟屋(猿
之助)一座に加わって修業したり、10年ほど前からは、富十郎
に指導を受けて、丸本物の歌舞伎を勉強したりしている。「菊
畑」は、師弟の舞台ということになる。幼くして父親の四代目時
蔵(享年34)を亡くした点では、兄の時蔵とて、同じだが、長
男として萬屋の看板名題である時蔵を襲名した兄と違って、信二
郎という本名で役者をやり、伝承すべき名を持たないまま、試行
錯誤をして来たかもしれない信二郎が、歌舞伎以外のオーラが強
いものの、知名度の高い錦之助の名題を受け継ぎ、改めて、歌舞
伎の役者名としてブラシュアップすることを期待したい。

贅言:歌舞伎座の2階ロビーで、初代錦之助の舞台写真の展示と
二代目の襲名披露祝の品々の広めがなされていたので、簡単に記
録しておこう。まず、二代目の祝の品:高島屋謹製の祝幕目録
(祝幕は、舞台に吊してある。幕の上手に「のし」の文字。幕中
央に、「桐蝶」などの家紋。幕下手に二代目中村錦之助丈江の文
字)。蘭などの花籠多数(常磐津一巴太夫、池内淳子、中島千波
など)。中島千波、中村嘉葎雄の絵。楽屋幕(慶應義塾同窓生一
同寄贈、木田安彦手描きのもの寄贈)。初代錦之助の舞台写真
(「盛綱陣屋」の四天王、「幡随院長兵衛」の長兵衛〈役者名
は、これのみ、「萬屋錦之介」〉、「菊畑」の侍女撫子、「明治
零年」の島田魁、「西郷と豚姫」の里菜、「紅葉狩」の平維
盛)、隈取(「紅葉狩」の山神)。
- 2007年4月15日(日) 15:55:42
2007年3月・歌舞伎座 (昼・夜/通し狂言「義経千本
桜」)

「義経千本桜」は、何回観ただろうか。歌舞伎座筋書掲載の上演
記録を見ると、次のようになる。

まず、各場面毎では、「鳥居前」7回。「渡海屋・大物浦」6
回。「道行初音旅(吉野山)」12回。「木の実・小金吾討死」
5回。「すし屋」8回。「川連法眼館」11回。「奥庭」2回。
重複するが、通しでは、4回(ただし、通しの内容は、若干異な
る)。

そこで、今回は、趣向を凝らしてみた。それぞれの場面で印象に
残る科白を選びだし、その科白を役者がどうしゃべり、どう演じ
たかを、まず、書き留める(ここは、今回の舞台を軸にしなが
ら、随時、網を拡げる)。科白は、それぞれの場面のテーマにな
るかも知れないし、テーマとは、あまり関係ないが、おもしろい
ものを選ぶことになるかもしれない。その科白について、私が観
た役者で誰が良かったか、悪かったか。さらに、その科白の持つ
普遍的な意味合いを考える、あるいは、逆に、その科白と関係が
ありそうな私的体験を書いてみるか。まあ、そういう仕掛けで、
劇評に挑戦してみようか。ここまでは、まず、「設問」であり、
今夜の所は、「これぎり」として、一晩、文字どおり、私の頭を
「寝かせて」みて、どういう解答がかけるだろうかという趣向
だ。

まず、☆「鳥居前」。ここの「科白」は、「かしこまってござり
ます」を選んでみた。

堀川御所を脱出し、伏見稲荷の鳥居前まで逃げ延びてきた義経
(梅玉)主従(四天王の亀井六郎らは、松江、男女蔵、亀三郎、
亀寿)は、「多武(とう)の峰の十字坊」(奈良)か、「津の国
尼ケ崎、大物の浦」(摂津=兵庫)から船に乗り「豊前の尾形」
(九州北部)かへ逃げようとしていて、「女儀(にょぎ)を同
道」できないと静御前を都に置いてきたが、それは「御胴欲」
と、静御前(福助)は、「女の念力」で、追い付いてきたという
場面。結局、静御前は、遅れてきた佐藤忠信(菊五郎)を供に都
に引き返すことになる。

ここで、私が選んだ科白は、鎌倉方の追っ手・土佐坊の残党、軍
兵10人を率いる笹目忠太(原作では、早見藤太、あるいは、逸
見藤太だが、後の「道行」にも出て来るので、ここは、名前も変
え、役者の変えて、別人として登場し、忠信が「ふみ破ってくれ
べいか」と、「ぽんぽんと踏みのめせば」、哀れ、目玉などを飛
び出させて、悶絶死となる)が、家来に言わせるのが、「かしこ
まってござります」である。笹目忠太(亀蔵)は、末端管理職
で、部下には、偉そうに振舞い、上司には、へつらうというタイ
プ。下世話な処世には、長けていそうだが、偉くなる器では無さ
そう。以下の科白で彼の処世術が浮き彫りにされる。

忠太:「コリャ、コリャ、コリャ、家来ども。そうじて軍(いく
さ)の駈引は、小敵と見て侮るな、大軍とて恐るるな。まず、強
勇(ごうゆう)と見たならば、人より先に退くべし。弱い奴なら
引っからめ、手柄にするが肝要なり。かならず忘るな、合点か」
皆々:「かしこまってござります」
忠太:「かしこまったら急げ、急げ」

唯々諾々の家来どもが、実際には、優柔不断で「行きつ戻りつ」
している忠太に業を煮やし、この後、立場を逆転させるおかしみ
がある。今度は、忠太が言う。「かしこまってござりまする」。

「かしこまってござります」という科白が、主従を逆転させる、
キーワードになっているのが、おもしろい。この科白は、「鳥居
前」では、亀蔵が述べるが、「道行」では、仁左衛門(早見藤
太)が、言う。仁左衛門は、前半の場面で、家来たちに「かしこ
まってござります」と言わせた後、「かしこまったら急げ、急
げ」では、「かしこまったら」を、さらっと早口で言い、「急
げ、急げ」を強く言っていたが、緩急があり、巧いなあと思いな
がら聞いた。今回の「道行」のように、脇の役どころに、大看板
の役者を使うことを、「ご馳走」と言い、観客を喜ばせる演出の
一つだが、こういう場面では、いつもの脇の役者と違って、大看
板は、必ず、なにか、いつもと、違って、きらりと光る印象を残
すが、これこそ、主役と傍役の藝の質の違いなのだろうと、いつ
も思いながら、こうした「ご馳走」の場面を楽しみにしている。

ところで、この場面、静御前を見つけた忠太らが、静を「女武
者」というのは、何故だろう。原作(「名作歌舞伎全集」に拠
る)では、「女」とある。「女武者」ではない。「女武者」と言
えば、観客は、「巴御前」などの女武者をイメージするだろう
が、同じ、「御前」でも、静御前には、女丈夫のイメージはな
い。義経の意向に逆らって、追ってきた気持ちには、強いものが
あるが、武芸には、強くないはずだ。それとも、「川連法眼館」
の場面で、再会した義経から、小太刀を渡され、似せ忠信を
「討って捨てよ」と言われるくらいだから、武芸の心得もあるの
かもしれない。

贅言(1):花道を静御前が、義経を「慕い焦れて」「こけつ転
(まろ)びつ追ってくる。その早足に大道具方の附け打が、軽
く、早間に附け板を打つ。「鳥居前」は、附け打が活躍する。静
御前の後には、弁慶(左團次)の花道の出がある。附け打は、強
く、大きく附け板を打った。さらに、笹目忠太(亀蔵)の出。附
け打は、強く、慌ただしい。最後に、主役の佐藤忠信、じつは、
源九郎狐の出。附け打は、強く、大間に打つ。いつも、何気なく
聞いている附け打の音だが、随分工夫しながら打っているのだと
気付いた。附け打は、ベテランの芝田正利。双眼鏡で、白髪の芝
田の姿を確認し、芝田なら、さもありなんと納得する。

贅言(2):梅玉は、今回の通しでは、最初から最後まで、義経
を演じ続ける。これは、珍しい。ところが、「鳥居前」の梅玉義
経は、猫背で、もっさりしていて、見栄えが良くない。何故かと
思い、良く見たら、鎧を付けている上に、陣羽織を着ているのだ
が、その陣羽織が、首の辺りで、前に傾くように来ているから、
陣羽織の背中の部分が、猫背のように見えることが判った。梅玉
は、あまり意識していないで、こういう着方をしているのかも知
れないが、若い静御前が、狂ったように慕ってついて来る美青年
義経の筈が、爺むさくては、戴けないわけだから、誰か注意すれ
ば良いのにと思う。

贅言(3):亀蔵の忠太は、静御前を見つけたとき、「あの女こ
そ義経がかるい者、騒々しい御前という者だわ」とふざけて言
い、家来たちが、「義経の思い者」「静御前」と訂正するのは、
原作にもある科白。10人の花四天(忠太の家来)が、忠信との
立回りで、投げ飛ばされる。舞台中央上手寄りで、一人が逆さま
になって、両足を天に掲げ、一人がそれを下から支える。残る8
人が上手から下手へ、なだらかなスロープを描いて、段々低くな
る。「龍」のように見える。花四天を演じる竜之助らの「三階さ
ん」たちも、大活躍。彼らも、主役だ。

☆「渡海屋・大物浦」。ここの「科白」は、「知盛、さらば」を
選ぶ。

京から逃げ延びてきた義経(梅玉)主従は、大物浦で船出のため
の天候待ちをしている。船宿の「渡海屋」の主人の銀平(幸四
郎)は、実は、平知盛であり、義経を敵と狙う真情を秘めてい
る。やがて、義経一行に奇襲を仕掛けた知盛だが、策は失敗し、
敗走する羽目に落ち入る。大岩(岩台)の上に追い詰められた知
盛は、碇の綱で身を縛り、碇と共に入水する。この場面は、劇中
劇のような装いだ。大岩は、歌舞伎の舞台の中の、もうひとつの
舞台。役者は、知盛ひとり。観客は、弁慶(左團次)を先頭に下
手側へ、安徳帝と帝を抱きかかえる従者、義経、四天王(亀井六
郎らは、松江、男女蔵、亀三郎、亀寿)ら8人。安徳帝に付き
添っていた銀平女房お柳、実は、帝の乳人・典侍(すけ)の局
(藤十郎)は、義経に帝の身柄を託して、既に自害していて、観
客の中には、いない。

義経:「若君の御身は義経が何処までも供奉なさん。心残さず成
仏めされ」
知盛:「昨日の仇は今日の味方、あら心安や、嬉しやなあ」
若君(安徳帝):「知盛、さらば」
知盛:「ハッ。三途の海の瀬ぶみせん。おさらば」
皆々:「おさらば」

で、知盛は、大きな碇を大岩の後ろの海中へ投げ込む。両手をあ
わせる知盛。柝の頭、綱に引かれるように海中へ後ろ向きに身を
投げる知盛。三重、浪の音、翔りにて、幕。

「翔り」とは、囃子のひとつ。海岸の場の幕切れなどに演奏す
る。幸四郎は、こういう役は、実に、巧い。日頃、マイナス評価
になりがちなオーバーアクションも、こういう場面では、違和感
がない。太い実線の演技で、科白廻しも、思い入れも、たっぷり
と演じる。幸四郎の演技を支えているのが、黒衣(くろご)なら
ぬ「水布(みずご)」姿の弟子たち。後ろ向きで、大岩から飛び
下りるのは、怖いだろう。だが、ここは、「義経千本桜」が、こ
の場面の下敷きとした「平家物語」では、知盛が「見るべき程の
事は見つ、いまは、自害せん」と従容として、死んで行ったとあ
るように、思いきり良く死んだという印象を観客に与えなければ
ならない。背筋を伸ばし、萎縮せずに、どーんと後ろに飛び込
む。幸四郎は、そういう手本のように飛び降りて行った。観客席
の上の方から見ていると、後ろ向きのまま、落ちて来る幸四郎の
背中を支えるのに、数人の水布が大岩の後ろに控えていて、彼ら
が、消防の救急隊が持つような、救助シートを拡げているのが判
る。台の上に乗ったまま、救助シートを拡げているようで、幸四
郎の落下から、背中の受け止めまで、意外と、近いように見受け
られた。こうした裏方の工夫が、役者の命を護り、舞台での思い
きった演技を支えているということに気付く観客は少ないだろう
(まあ、気付く必要もないだろうが・・)。

生死を分ける別れにしろ、一時の別れにしろ、別れには、ドラマ
がある。それだけに、歌舞伎に限らず、演劇は、別れを畢生の
テーマとして、命長らえてきた。「さらば」にしろ、「さよな
ら」にしろ→「さようならば」(そうならなければならないな
ら)の略か、仕方ない、別れましょうという諦念の別れ。

福島泰樹が、高倉健を詠った短歌がある。

傘なくばレインコートの襟立ててさよならだけの人生を行く

「傘なくば」が、あまりにも、生活臭くて、良くないのが欠点だ
が、「レインコートの襟立ててさよならだけの人生を行く」の方
を覚えていて、この歌は、福島が、寺山修司を詠った歌だとばか
り思い込んでいた。寒くて、コートの襟を立てて、独り街を行く
ときなど、自然と口ずさんでしまう。

贅言(1):歌舞伎の舞台では、その後の舞台展開で不要となる
ものは、黒衣や大道具方が、堂々と片付ける場面がある。例え
ば、舞台中央下手に置かれていた格子戸を、舞台袖より、突如現
れた大道具方ふたりが、堂々と片付けて行く。役者が使った小道
具を黒衣が、堂々と片付ける。この際、黒衣などは、観客には、
見えていないという約束事の元に、堂々と振舞うことが許されて
いる。また、舞台で殺された人の遺体を消す際に、普通、黒衣
が、両手を掲げて、消し幕(黒幕)を拡げ、観客席から見えない
ように、配慮しつつ、その幕の後ろ側を殺された役者が動いて行
く。その動きの合わせて、黒衣も移動して行く。だから、黒衣
が、移動した後には、舞台の上に余計なものはなくなっている。
だから、「消し幕」というのだが、今回は、小道具の、船宿の大
きめの荷物(歌六が演じた相模五郎が、「合引」代わりに座って
いたもの)が、黒衣によって、消し幕に包まれてから、改めて、
運ばれて行くという場面を見た。これを見ていて、いつも、この
場面は、こういう小道具の消し方をしていたっけと、思ってし
まった。あまり、記憶にないし、ほかの場面でも、観たことがな
い。

贅言(2):相模五郎(歌六)と入江丹蔵(高麗蔵)のやりと
り。「渡海屋」の場面の平舞台は、銀平(幸四郎)が、アイヌ紋
様の厚司を着て颯爽とした侠客の風情で花道から登場し、店内に
入ると、下駄を脱ぎ、薄縁の敷いてある「座敷」に上がるのだ
が、五郎と丹蔵の二人は、草鞋履きのまま、上がり込む。これ
は、義経一行を追う鎌倉方の武士を装って、居丈高になっている
から、土足で上がるのだろうか。歌六の五郎は、かなり太めで、
見苦しい。知盛としての本心を隠して、義経を欺く銀平から打ち
のめされ、持っていた刀の刃を折り曲げられた五郎は、丹蔵に
拾ってこさせた石を使って、折れ曲がった刃を直す場面がある。
ところが、今回は、刃が真直ぐにならないので、鞘に収まらず、
アドリブ(捨科白)で逃げる。

五郎:「このままでよいわいなあ」
丹蔵:「申し訳ございません」

この後が、五郎役者の名場面、魚尽しの科白となる。「やい、銀
ぼう、さんまあめ。鰯て置けば飯蛸と思い、鮫々の鮟鱇雑言、い
なだ鰤だと穴子って、よく痛い目刺に鮑だな・・・」

役者評:藤十郎は、お柳も、典侍(すけ)の局も、きちんと演じ
分けていて、特に、局は、風格があった。幸四郎は、世話の銀平
から時代の知盛に変るまで、もう少し、銀平色を強めておくべき
だったのではないか。銀平からして、すでに知盛色が、滲み出し
ていたように思えて、残念だった。左團次は、弁慶三態というわ
けではないが、「鳥居前」の、赤鬼のような衣装を着て、義経に
怒られ、「泣かぬ弁慶」の愛称もものかわ、大泣きしたり、「渡
海屋」の、墨染め衣の雲海姿で、不作法にも、座敷で寝ている銀
平娘お安、実は、安徳帝を跨ごうとして、足が萎えたり、「大物
浦」では、「勧進帳」の弁慶にも、ひけを取らない山伏姿の衣装
で出てきたり。歌六の五郎が、「渡海屋」の世話場で、やや時代
がかった、大仰な科白廻しだなと思っていたが、幸四郎の銀平
が、出てきて、科白のやり取りが始まると、ぴたりと噛み合い、
(ああ、幸四郎に合わせて、歌六は、初めから、ああいう科白廻
しにしていたのか)と、歌六の強(したたか)かさを実感した。

☆「道行初音旅(吉野山)」。ここは、所作事なので、科白よ
り、清元の文句「恋と忠義はいずれが重い」を選ぶ。科白の部分
は、「鳥居前」の後段と同じ。

静御前に付き添って、狐忠信は、吉野山を目指す。九州を目指し
て大物浦を出発した義経一行は、嵐に遭い、船を流され、結局、
吉野(奈良)に隠れている。恋は、本来、義経を恋いこがれる静
の気持ちなのだろうが、「恋と忠義」を並列させると、これは、
狐忠信の静に対する秘めた恋心と狐が装おっている佐藤忠信の義
経に対する忠義となり、源九郎狐の揺れる心は、いずれに重きを
置くのか。いや、狐は、両親の革で作られた初音の鼓(桓武天皇
の時代に雨乞い用に作られた)を追っているのだから、恋より
も、忠義よりも、父母への慕情が、いちばん、重いのだろう。畜
生ゆえに、人間より、思いは、純粋かも知れない。

静御前役者は、出番がないときは、舞台奥で、斜め後ろ姿で、
ジッとしている場合が多い。特に、雀右衛門の静御前の場合は、
後ろ姿に色香があり、エロスの化身のようであり、桜の精のよう
に見えて、楽しみだった。ところが、芝翫の静御前は、なぜか、
ほとんど、前ばかり見ていて、雀右衛門のような、いわば余白の
ようなものが感じられず、鬱陶しかった。あれは、なんだったの
だろうか。芝翫の静御前、菊五郎の狐忠信、仁左衛門の早見藤太
で、ご馳走の仁左衛門が楽しみ。ここは、ほかの演目より、大向
こうから声がかかる。昼の部のハイライトというわけだ。

芝翫には、「成駒屋」、「神谷町」。
菊五郎には、「音羽屋」、「七代目」。
女雛、男雛の場面では、「ご両人」。
仁左衛門には、「松嶋屋」。

仁左衛門は、颯爽の世話物も、風格の時代物も良いが、「伽羅先
代萩」の「八汐」のような憎まれ女形、「新口村」の孫右衛門の
ような老け役、そして、今回の早見藤太のような道化方(半道
敵)も、良い。仁左衛門の藤太役は、2回目(初演は、5年前、
02年7月大阪松竹座、四代目松緑襲名披露の舞台)。こういう
役柄の仁左衛門を見ると、芸域が広がってきているのが判る。新
しい仁左衛門の魅力発見である。

贅言(1):3人の主役の舞台とあって、それぞれの後見の手際
が良い。芝翫では、素顔の芝のぶが、化粧、扮装のときより、爽
やかな美貌で、後見を勤めていた。夜の部、「川連法眼館」で
は、腰元・小枝を演じる。菊五郎では、菊市郎。仁左衛門では、
役者としても、しぶとく、味のある松之助。道行ものは、人形浄
瑠璃から歌舞伎に写した丸本ものを江戸で上演した場合、景事の
場面を豊後系(常磐津、富本、清元)浄瑠璃や長唄を使った舞踊
劇に改めたので、元の竹本の流れとは、異なって来るが、舞台が
明るくなり、雰囲気を変えたり、昼の部と夜の部を切り分けたり
するのに都合が良いため、良く演じられる。こういう場合には、
弟子の中でも、特に信頼のおける手堅い、中堅どころの弟子を後
見に使うようだ。

贅言(2):幕間に歌舞伎座ロビーの売店を覗くと、「オリジナ
ル歌舞伎座グッズ」が、目立つ。一昨年の11月の記者会見で、
2年以内の歌舞伎座取り壊し、建て替えを発表して以来、早、1
年半近くが過ぎた。その後の正式な発表はないようだが、いまの
歌舞伎座の建物取り壊しの日程が、迫ってきていることには、間
違いないであろう。歌舞伎座グッズでは、歌舞伎座の斜め正面か
らを描いた図柄や歌舞伎座と大書した提灯の図柄などの手拭、
ファイルケース、ティーマット、タオルハンカチなどが、目につ
いた。いずれ来る、さよなら歌舞伎座セールに向けて、早くも、
商品開発か。

☆「木の実・小金吾討死」。ここの「科白」は、「元手いらずの
二十両、うめえ仕事だ。こいつあ拍子まんが直って来た」を選
ぶ。

世の中、政治家というか、政治屋などと卑下されるような人物
が、いがみの権太のように、「元手いらずの二十両、うめえ仕事
だ」とばかりに、法の目を誤魔化して、金儲けをし、税金を誤魔
化し、有権者を誤魔化して、大臣になったりしている。それでい
て、万一、ごまかしが発覚しても、白をきり、突っ張って、批判
の嵐の去ることを待っている。実際、「喉元過ぎれば」で、有権
者の方も、健忘症で、忘れてしまう。そうすると、権太のような
人物は、「こいつあ拍子まんが直って来た」とばかりに、反省の
色どころか、蓄積したごまかしのノウハウを使って、また、甘い
汁を吸おうとする。権太の言う「拍子まん」とは、「拍子間
(ま)」、俗に言う「なんて、間がいいんでしょう」という、あ
の「間」である。権太の場合、さらに、長男に大甘の母親に金を
せびりに行くことになる。悪人は、図に乗るという典型的な人物
である。渾名の「いがみ」とは、「ゆがみ」、つまり、歪んだ性
格から付けられた。ときどき、身近なところでも、こういう人物
を見かけることがある。最近の流行りの言葉で言えば、人格障害
というやっかいな病気の持ち主。

ところが、世の政治屋は、やらないことを芝居の世界ではやる。
権太は、次の「すし屋」で、母親を騙した後、もっと大きな「騙
し」を計画していて、「もどり」(改心)をして見せる。しか
し、芝居は、権太が、改心したにもかかわらず、父親に殺されて
しまうという、どんでん返しの場面を設定している。物語、つま
り、ドラマは、ドラマチックでないと収まらない。だから、物語
の意外な展開をドラマチックという。

役者評:「義経千本桜」は、大きく言って、3つに分かれる。
1)「知盛」を軸とする物語。2)「いがみの権太」を軸とする
物語。3)「狐忠信」を軸とする物語の3つである。今回の通し
狂言では、高麗屋・幸四郎の知盛、松嶋屋・仁左衛門の権太、音
羽屋・菊五郎の忠信ということになる。

「いがみの権太」は、松嶋屋3兄弟で再構築する。演出も、上方
系である。上方系演出では、3回目の拝見となる。仁左衛門の権
太は、2回目。我當の権太も、1回観ている。仁左衛門の権太
は、小悪党でありながら、家族思い、特に、子役とのやりとりが
巧くて、好調。秀太郎好評の権太女房・小せんは、いつ観ても、
巧い。秀太郎が演じると、小せんの過去(遊女)、現在(女房、
母親)、未来(身替わり)が、素直に伝わって来るから不思議
だ。さらに、今回は、梶原景時役で、我當も出演。若葉の内侍の
東蔵も、手堅い。また、今回、扇雀の小金吾が、頑張っていて、
立ち回り含めて、なかなか良かった。花道での立回りに、気を取
られていると、本舞台は、廻っていて、竹林は無くなっている。
本舞台に戻ってきて、猪熊大之進(錦吾)に殺される小金吾。通
りかかった弥左衛門(左團次)に、なぜか、首を取られる(寝首
ならぬ死に首か)。これは、次の「すし屋」への伏線。

贅言(1):「小金吾討死」の竹林の立回り。竹の支えが、双眼
鏡で観ていると、2ケ所だけ違っている。その理由は、立回りが
始まって、暫くすると判った。竹が、倒される場面があり、それ
が終ると、竹が直立に復元するようになっているのであった。小
金吾(扇雀)と20人の捕手(三津之助ら)の立回りは、体操の
集団演技のよう。縄を使って、蜘蛛の巣のように、あるいは、綾
取りのように、幾何模様を描き出す、美的にも素晴しい殺陣が、
スムーズに続く。今回の立師は、尾上菊十郎、松本幸太郎。

☆「すし屋」。ここは、やはり、お里の科白。「あれ、お月さん
も、もう寝ねしやしゃんしたわいなあ。さあさあ。こちらも早う
寝ねしようじゃござんせぬか」。

この後の竹本の文句が良い。「先へころりと転び寝は、恋の罠と
ぞ見えにける」。若い女性の色香に負けて、誘惑に乗ると、後で
大変なことになる。でも、お里(孝太郎)は、兄貴の権太(仁左
衛門)と違って性格が、「いがみ」ではない。性的なことに積極
的なだけのようだが、弥助、実は、維盛(時蔵)には、若葉の内
侍(東蔵)という妻と、六代君という子がいることが判り、素直
に手を引く。孝太郎は、美人ではないが、可愛くて、色っぽい若
い女性を描き出す。

時蔵の弥助、実は、維盛は、品格がある。母親のお米を竹三郎
は、じっくり演じる。得難い傍役だ。父親の弥左衛門は、4年前
の、03年2月、歌舞伎座では、左團次休演で、代役の松助を観
たが、線が細く、全然、任(にん)ではなく、興を削いだので、
左團次の弥左衛門が、観たいと思ったものだ。今回、やっと念願
かなって、左團次の弥左衛門を観た。私が貶した松助は、その
後、亡くなってしまった。松助は、松助で、ほかの役どころで
は、存在感があり、得難い傍役であったとも書いておこう。今、
松助の息子の松也が、力を付けてきていて、私も、毎回注目して
いる。今回は、梶原景時の臣の一人で、「すし屋」に出演。梶原
景時の我當は、今回、敵、鎌倉方の首実検役だが、実は、敵方で
はなく、弥助一家を助けるという役どころ。風格があった。景時
の趣向の結果、権太の「もどり」による善行も、空回りとなって
しまう。

今回の「すし屋」では、松嶋屋3兄弟が軸となっているので、上
方系の演出が、目立つ。仁左衛門の権太が、母親のお米に金を工
面してもらいに来る場面。泣き落しの戦術は、変わらないが、江
戸歌舞伎ならお茶を利用して、涙を流した風に装うが、上方歌舞
伎では、鮓桶の後ろに置いてある花瓶(円筒形の白地の瓶に山水
画の焼きつけ)の水を利用する。このほか、上方の権太は、自分
の臑を抓って、泣き顔にしようとしたり、口を歪めたりする。母
親の膝に頭をつけて、甘えてみたり、「木の実」の茶屋の場面で
見せた小悪党の「権太振り」は、どこへやら、完全な「マザー・
コン」振りを見せつける。そのあたりは、仁左衛門の権太は、緩
急自在に演じる。

弥左衛門一家が、弥助・実は維盛一家を匿っていたのでは、と梶
原景時に詮議され、困っているところへ、権太が現れ、維盛の首
を撥ね、若葉の内侍らを捕まえてきたと、大きな手拭で、猿ぐつ
わをはめた若葉の内侍ら(実は、権太の妻子・小せんと善太郎)
維盛一家と維盛の首(実は、小金吾の首)を持って、帰ってき
た。維盛一家を梶原景時一行に引き渡すとき、権太は、汗を拭う
手拭で、隙をみて、後ろ向きで目頭を押さえていた。維盛の首実
検では、江戸歌舞伎にない、燃える松明が軍兵が持ち出してき
た。維盛の首実検の後の、若葉の内侍と六代君の詮議でも、軍兵
がかざす松明が使われた。宵闇のなかでの詮議というのが、良く
判る。若葉の内侍と六代君の二人の間に立ち、「面(つら)あげ
ろ」と両手で、二人に促した後、右足を使って若葉の内侍の顔を
あげさせようとしたり、座り込んで、両手で二人の顎を持ち上げ
たりしていた。このあたりは、立ったまま、左足を使って、二人
の顔を挙げさせる江戸歌舞伎の演出とは、異なる。さるぐつわを
されて、顔も半分しか見えず、科白もなく、という状態でありな
がら、観客には、小せんとして、梶原一行には、若葉の内侍とし
て、見えるように演じなければならないから、秀太郎も、大変
だ。夫・権太との別れ。道連れになる息子・善太郎への気遣い
も、必要だ。

褒美に梶原景時が権太に渡した陣羽織(後に、褒美の金を渡す証
拠の品というわけだ)も、すぐに権太が、着込んで忠義面をする
のも、おもしろい。権太は、「小気味のよい奴」と景時に誉めら
れる。無事、梶原景時一行を騙したと思っている権太は、花道で
梶原景時一行を送りだすとき、「褒美の金を忘れちゃいけません
よ」と駄目を押しながらも、一行の姿が見えなくなると、生き別
れとなった妻子へ、涙を流す権太。このあたりも、江戸歌舞伎で
は、あまり、見かけない演出だ。

父に肚を刺され、死に行く権太は、家族崩壊を覚悟している。苦
しい息のなか、「木の実」の場面で、息子の善太郎から取り上げ
た呼び子(この場面の、伏線だったのだ)の笛を吹き、無事だっ
た維盛一家を呼び寄せる権太。権太役者の最高の見せ場だ。江戸
歌舞伎では、母のお米が、権太から受け取った笛を外に出て、吹
く。本心を明かさなかった「いがみ」ぶりを攻める弥左衛門は、
瀕死の権太を手拭で何度も叩いたりする。息子家族を犠牲にし
て、生き残った弥左衛門一家の苦しみを表現する。死に行く権太
を中心に取り囲んで、号泣し、リアルな芝居を続ける弥左衛門一
家と、その上手で、3人揃って、前を向いたまま、長いこと芝居
をしないでいる維盛一家。弥左衛門一家という悲劇の家族を見
守っているなら、まだしも、何もしないで前を向いているだけと
いう、歌舞伎という芝居の、面妖さ。古怪さ。上方歌舞伎ならで
はの味なのかも知れない。仁左衛門の権太は、江戸歌舞伎で、い
まの権太の型に洗練させた五代目幸四郎、五代目菊五郎の型を取
り入れながら、二代目実川延若らが工夫し、父・十三代目仁左衛
門らがさらに、工夫を加えた上方歌舞伎の演出や人形浄瑠璃の演
出をもミックスして、仁左衛門型にしているように見受けられ
た。

輪袈裟と数珠が仕込まれていた陣羽織の仕掛け(「内や床しき、
内ぞ床しき」という小野小町の歌の一部の文字で謎を解く)を見
ると、梶原景時も、ここでは、いつもの憎まれ役とは、一味違う
役柄だ。梶原景時には、権太一家の命を犠牲にしても、維盛の家
族全員死亡という「伝説」を創造する必要があった。梶原のこう
した意向や、権太の本心を知り、維盛も、家族と別れて、出家す
る。若葉の内侍も、六代君をつれて、高雄の文覚上人のところへ
行く。家族の離散は、いつの時代にも、淋しいものだ。

☆「川連法眼館」。ここの「科白」は、「お疑いは晴れました
か」を選んでみた。

法眼館に主の川連法眼(彦三郎)が、帰って来た。義経を匿うこ
との是非を論じる吉野山の全山合議から戻って来たのだ。実際に
義経を匿っているために、横川覚範ら皆を騙すべく、鎌倉方に味
方すると主張をして来たと言う。きょうからは、本心、義経の敵
となると妻・飛鳥(田之助)にも偽の手紙を見せて、妻の心を試
す。疑われたと飛鳥が、自害をしようとする。それをとめる法眼
に対して、飛鳥は、「お疑いは晴れましたか」と言う。夫婦間に
疑心暗鬼は、よくありませんということ。

「お疑いは晴れましたか」という科白は、先月も、歌舞伎座で聞
いた。「仮名手本忠臣蔵」の六段目「勘平腹切」で、勘平が、義
母のおかやに「母者人、お疑いは晴れましたか」という。義父殺
しの嫌疑をかけられ、切腹をしたのだ。歌舞伎は、嫌疑を掛けて
は、嫌疑を解く。伏線を敷き、ドラマを展開させる。演劇の常道
だろう。

梅玉の義経、福助の静御前、菊五郎の佐藤忠信と狐忠信が、川連
法眼館のドラマの主軸を形成する。まず、本物の佐藤忠信が、義
経を訪ねて来たことから、静御前の共をして来た佐藤忠信の真偽
が問題となる。もうひとつの「お疑い」の設定である。最初は、
本物の佐藤忠信も疑われる、さらに、静御前が連れて来た佐藤忠
信(実は、源九郎狐)も、疑われる。真偽を質すのは、静御前の
役目。義経は、静かに小太刀を渡す。佐藤忠信が、奥に連れて行
かれた後、現れた、もう一人の佐藤忠信に小太刀を振りかざしな
がら静御前は、審議をする。その結果、静を護ってついて来た佐
藤忠信は、源九郎狐だったことが判る。それも、自分の両親の革
で作られた初音の鼓を慕ってのことだったと判り、義経も静も狐
を許すことにした。動物の情愛をテーマにしたファンタジーの趣
もある。

源九郎狐が、正体を表わし、超能力を発揮して、屋敷のあちこち
に神出鬼没の外連(けれん)を見せるのが、眼目の芝居。澤潟屋
なら、宙乗りを含めて、外連を重点に見せる場面展開だが、音羽
屋は、親子の情味を軸に見せるので、舞台は、おとなしい。最後
も、舞台上手の桜木に仕掛けた「手斧(ちょうな)振り」とい
う、大工道具の「手斧」に似た道具に、初音の鼓を持った左腕を
引っ掛けながら立ち木沿いに舞い上がる演出を使うが、宙乗りは
しない。

贅言(1):川連法眼館の怪。上手に桜木の生えた庭なのに、登
場人物たちの足元がおかしい。義経に命じられて、長袴姿の佐藤
忠信を詮議するため、赤面(あかっつら)の亀井六郎の團蔵は、
黄色い足袋のまま庭を歩いている。白塗の駿河次郎の秀調は、白
い足袋のままである。花道からやって来た静御前も、白足袋のま
ま、御殿(二重舞台)に上がって行った。ここまで見れば、庭
は、庭ではなく、御殿の一部でなければ、おかしい。皆が皆、下
駄も草履も履いていないのだから。ところが、その後、行灯を持
ち、登場した腰元たちは、白足袋に浅葱色の鼻緒の付いた下駄を
履いて歩いている。やはり、ここは、庭なのだ。

贅言(2):源九郎狐の動線。初音の鼓の音に導かれて、着物姿
の狐忠信は、御殿の階の裏から姿を現す。静とやり取りした後、
下手渡り廊下に座り込んで、正体を告白すると、廊下下に姿を消
す。次に、上手の金襖の中から白無垢の狐の姿で現れ、座敷を
通って、庭に出る。片膝で回転するが、64歳の菊五郎は、速く
は、廻れない(06年11月、新橋演舞場の「川連法眼館」海老
蔵の忠信は、速かった)。やがて、下手、柴の垣根が、一部下が
り、「忍び車」(「水車」を応用した道具)に掴まって、横滑り
に廻って、下手に姿を消す。御殿床下から再び現れる。義経から
初音の鼓を貰い、喜びを身体いっぱい現す。超能力で、義経に企
みを抱く吉野山の悪僧たち(因に足元は、裸足)を呼び寄せ、退
治するという場面の後、狐は、鼓を持って、桜木沿いに昇天して
行き、古巣へと戻って行く。

下手から網代塀を描いた道具幕が上手へと閉まって行く(いつも
と、逆)。上手に大薩摩連中が出て来て、唄う。演奏の荒事と呼
ばれる古怪な趣のある演出だ。柝を合図に、上手から下手に向っ
て、幕が、徐々に振り落とされて行く(普通の振り落しなら、一
瞬で落ち切る)。こういう幕の落ち方は初めて観たのではない
か。やがて、満開の桜が咲く奥庭が現れる。

☆「奥庭」。ここの「科白」は、「教経待て」を選ぶ。

「奥庭」では、舞台中央のせり上がりから、薙刀で足元に白狐を
抑え込んだ反義経派の首魁・横川覚範(幸四郎)が登場する。狐
に翻弄される覚範。やがて、狐は、庭の石灯籠の中に姿を消す。
義経(梅玉)が、亀井六郎(團蔵)、駿河次郎(秀調)、片岡八
郎(友右衛門)、伊勢三郎(亀蔵)、静御前(福助)、佐藤忠信
(菊五郎)を伴って現れ、覚範に対して、「能登守教経待て」と
呼び掛ける。正体見破られ、頭巾を取る教経。後日の戦いを約束
して、教経は、緋毛氈の「三段」に乗り、大見得。ほかの皆々
は、引っ張りの見得で、幕。敵役が中心になっているのが、いか
にも、歌舞伎らしい。役者の顔見世、あるいは、物語の始まりを
告げる「だんまり」なら、沈黙したままとは言え、舞台全体を
使って、ひと展開あるのだが、後日再会とは言うものの、「大団
円」は、終演なので、これぎりとなる。しかし、昼の部に活躍し
た幸四郎は、夜の部の最後の最後に出演するため、居残っていた
わけで、「幸四郎待て」ということか。兎に角、幸四郎を軸に盛
り上がり、時代物の通し狂言らしい幕切れで、何とも、良かっ
た。通し上演でも、滅多にやらない場面なので、短いけれど、堪
能した。これぞ、歌舞伎味の醍醐味。

贅言:歌舞伎では、相手の正体を見抜いたとき、いきなり、「○
○待て」などと言う。「いかに○○」もよく聞く。「黙れ○○」
など、短いけれど、衝撃力のある科白は、江戸の庶民のストレス
解消に一役買っていたのではないか。日常生活でも、役者の声色
で、「黙れ○○」などと言えば、胸がすっとしたことだろう。い
まも会社で使えるかな、この科白。ただし、当人の前で言うの
は、よくよくの場合ですよ。喧嘩になってしまうからね。

- 2007年3月21日(水) 22:34:15
2007年2月・歌舞伎座 (昼・夜/通し狂言「仮名手本忠臣
蔵」)


現代人としての「仮名手本忠臣蔵」


「仮名手本忠臣蔵」を通し狂言で観るのは、今回で5回目。95
年2月、98年3月が、歌舞伎座、01年3月が、新橋演舞場と
歌舞伎座(八段目、九段目)、02年10月が、歌舞伎座、そし
て今回。通し狂言という演出形式をとっていても、歌舞伎座で上
演する場合は、九段目「山科閑居」が、省かれ、「大序・三段
目・四段目・道行・五段目・六段目・七段目・十一段目(時に、
「引揚」も追加)」という構成が多い。国立劇場の場合は、「道
行」(三段目をアレンジした舞踊劇で、本来、通し狂言とは別の
ものだが、昼の部の最後を華やかに飾れるので、良く上演され
る)を省き、逆に九段目「山科閑居」が、上演される。私が観た
01年3月の新橋演舞場(通し狂言)と歌舞伎座(八段目、九段
目)は、演舞場が、梅幸、松緑追善興行、歌舞伎座が、勘弥追善
興行で、それぞれ別に公演しながら、補いあう形で上演されたの
で、両方とも観たという次第。02年10月の歌舞伎座は、赤穂
浪士の討入三百年記念ということであった。今回で、5回目の通
し狂言の拝見、さらに、見取りでは、それぞれ、何回か観ている
ので、今回は、趣向を変えて、登場人物を現代的な視点で、人物
造型を分析し直し、それを今回の役者たちが、どのように演じた
かを述べてみたい。

5回の主な配役を書くと次のようになる。役者は、上演順に、判
官:菊五郎、勘九郎時代の勘三郎、菊五郎、鴈治郎時代の藤十
郎、菊五郎。師直:羽左衛門、富十郎、左團次、吉右衛門、富十
郎。顔世御前:芝翫、玉三郎、芝雀、魁春(今回含め2)。伴
内:坂東吉弥/三津五郎、幸右衛門/辰之助時代の松緑、鶴蔵/
十蔵、吉弥/翫雀、錦吾・亀鶴/翫雀(二人の役者に分かれると
きは、三・七段目/道行。ただし、今回は、三段目錦吾、七段目
亀鶴)。由良之助:吉右衛門/幸四郎、幸四郎、團十郎、團十郎
/吉右衛門、幸四郎/吉右衛門(二人の役者に分かれるときは、
四段目/七・十一段目)。勘平:團十郎/菊五郎、菊五郎、新之
助時代の海老蔵/菊五郎、勘九郎時代の勘三郎(道行/五・六段
目)、梅玉/菊五郎。お軽:芝翫/雀右衛門、時蔵/福助・玉三
郎、菊之助、福助/玉三郎、時蔵/玉三郎(道行/六・七段
目)。定九郎:吉右衛門、橋之助、新之助時代の海老蔵、信二
郎、梅玉。おかや:鶴蔵、吉之丞、田之助、上村吉弥、吉之丞。
与市兵衛:佳緑、佳緑、佳緑、助五郎時代の源右衛門、権一。九
太夫:芦燕(5回とも全て)。平右衛門:團十郎、勘九郎時代の
勘三郎、辰之助時代の松緑、團十郎、仁左衛門。

こうしてみると、各々の配役で、印象に残る人、残らない人が、
私のなかで歴然として来る。例えば、判官だけ上げてみると、3
回観た菊五郎が判官を演じるときは、そのまま、勘平を演じるこ
とが多い。菊五郎の勘平は、判官より1回多く、4回観た。つま
り、菊五郎は、仮名手本忠臣蔵の通しがあると2回切腹して、死
ぬ。だから、私も判官と言えば、菊五郎が浮かんで来る。六代目
が、洗練した判官・勘平の菊五郎型の演技を本家として引き継ぐ
訳だから、当然かも知れない。それにしても、勘平は、鬱陶しい
人だ。明るさがない。特に、六段目は、最後まで、鬱々として、
それでいて、早とちりで、死んでしまう。現代にも、こういう人
がいるなあと思っていたら、今回の劇評は、いつもと趣向を変え
て、「現代人としての仮名手本忠臣蔵」として、人物分析をし、
さらに、今回の役者が、そういう人たちをどう演じたか、論じて
みたくなった。

まず、彼らの、例えば、会社組織の人たちとして、見直してみよ
うか。取りあえず、次のように想定してみた。

判官:支社長。
師直:本社の総務部長。
顔世御前:支社長夫人。
伴内:本社の秘書課長。
由良之助:支社次長。
勘平:支社の平社員。
お軽:本社秘書課員で平社員の恋人。後に、平社員の妻。後に、
会社御用の酒場のホステス。
定九郎:副支社長の息子。
九太夫:副支社長。
おかや:秘書課員の母親、平社員の義母。
与市兵衛:秘書課員の父親、平社員の義父。
平右衛門:秘書課員の兄。支社の平社員。

さらに、人物像を現代的に描いてみると、次のようになるか。

判官:史実の浅野内匠頭は、変った人だったようで、精神病質の
不分明さを持っているのではないかと疑われる。吉良上野介に斬
り付けた際の言動も動機も良く判らない。しかし、仮名手本忠臣
蔵の判官は、短慮だが、犯行の動機は、明解だ。師直に虐めら
れ、堪忍袋の緒が切れて、逆襲した。本社で全国支社長会議が開
かれて、緊張して、兵庫県の赤穂市から出張してきた。何でも
知っている本社の総務部長に聞けば、ちゃんと教えてくれると前
任の支社長から申し送りがあったので、そのつもりできたら、ど
うも不親切だ。否、不親切どころか、意地悪をする。前任者が、
「袖の下」のことをきっちり教えていなかったのが、原因なのだ
が、緊張している所為で、そこに気が付かない。それどころか、
苛めに耐え切れず、「弱者の逆襲」で、大局観を持たないまま、
短絡的に凶行に及んでしまった。そういう弱い性格の持ち主では
ないか。
師直:有能な管理職だが、有能故に、袖の下も要求するし、セク
ハラ、パワハラも、平気の平左衛門。支社長会議に夫人同伴した
判官の妻・顔世御前に横恋慕。付け文はするわ、セクハラ行為は
するわ。困った親父である。パワハラの果てに、虐めた支社長か
ら逆襲されて、怪我。皆が、「ざまあーみろ」と溜飲を下げこそ
すれ、同情などしない。
顔世御前:美人妻ゆえ、とんだ災難。夫に同伴して、上京したば
かりに、犯罪者の妻になってしまった。
伴内:師直部長の腰巾着。それでいて、ミニ師直部長のような、
嫌らしい課長。寅の威を借る、典型的なタイプだが、それなりに
有能らしい。
由良之助:問題の支社長を支える能吏。危機管理能力抜群。スー
パーマン。
勘平:若いのに、鬱々としている。思い込みが激しく、早とち
り。それでいて、勤務時間中に本社の美人秘書とアバンチュール
を楽しむ大胆さも、持っているが、肚が座っていないから、す
ぐ、後悔し、気に病むタイプ。女性に優しいだけの、駄目男。
お軽:美人で、気が効いていて、有能で、どんな環境にも適応す
る優秀な性格。皆が、嫁さんにしたいと思う人だが、残念なが
ら、男を見る眼がない。だから、勘平のような駄目男に引っ掛か
る。
定九郎:副支社長の息子だが、どら息子。遊び人。自律性がな
い。平気で、人を殺して、盗みもする。
九太夫:支社では、次長より偉い。支社長に次ぐ、ナンバー2の
副支社長。人望がなく、計算高い。危機管理能力がないから、い
ざという時、部下は、付いて来ない。あげく、敵方のスパイに身
を落す。
おかや:日頃から、聟を信頼していないから、いざという時、判
断を誤り、聟苛めをして、死なせてしまう。
与市兵衛:善人なのだが、存在感が薄い。
平右衛門:妹思いの兄さん。サラリーマンとしても有能。危機管
理能力もある。師直と伴内が、憎まれ役の軸なら、由良之助と平
右衛門は、正義派の軸。

さて、今回の師直役は、富十郎であった。存在感のある師直で
あった。特に、「大序」から「三段目」は、富十郎を軸に舞台が
廻っていて、なかなか見応えがあった。私が観た師直役では、い
まは亡き羽左衛門が重厚であった。憎々しさでは左團次か。吉右
衛門の師直は、滋味と奥行きがある。

師直役者は、憎しみあり、滑稽味あり、強かさあり、狡さあり、
懐の深さありで、多重な性格を滲み出す憎まれ役で、場面場面
で、実に滋味ともいうべき演技が要求される。顔世御前ヘの横恋
慕、若狭之助への苛めと賄賂を受け取ってからの諂(へつら)
い、そして判官ヘの苛めなどで、師直という男の全体像のスケー
ルを構築しなければならない。「忠臣蔵」のうち、「大序」から
「三段目」までは、師直の横恋慕をベースにした虐めがテーマと
いうことで、一人の老いた男の若い男女への、セクハラ、パワハ
ラが、演じられる。

今回も、判官に菊五郎、若狭之助に吉右衛門と主役クラスが出演
しているが、存在感が薄い。「大序」は、全てに決まり事があ
り、古式床しく、物々しい、特別な歌舞伎になっているが、その
特別さは、師直役者の存在感を軸にしているということが、今回
の富十郎を観ていれば、良く判る。

以上のような大物は、別にして、「三段目」のうち、「足利館門
前進物の場」では、鷺坂伴内が主役だ。今回は、錦吾が演じた。
今回の伴内役者は、3人いる。「三段目」=錦吾、「道行」=翫
雀、「七段目」=亀鶴。以前に丸谷才一が書いていたが、忠臣蔵
での、伴内の役割は、もっと、重要視されてよい。丸谷による
と、鷺坂伴内という名前は、「詐欺」、「慙(ざん)ない=見る
にしのびない、見苦しい」という意味が隠されていると言う。さ
らに、今回は、全く演じられなかったが、本来の丸本通りなら、
十一段目では、六段目で切腹をし、連判状に腹の血で血判を押し
た勘平の縞の財布を由良之助が懐中から取り出し、無念の死を遂
げた勘平のために、討ち入り決行に際して肌身につけて同行した
と語るし、財布を香炉の上に載せて、二番の焼香「早野勘平」と
読み上げると、そのとたん、どこからか、伴内が姿を現わし、由
良之助に斬り掛かる。ところが、伴内は、傍に居た力弥に斬られ
てしまう。つまり、伴内は、賄賂の受け取りでも、駕篭のなかの
師直の代役をするぐらいだから、有能なサラリーマンであり、最
後まで忠義の秘書課長なのだ。要するに、戦国時代なら、さしず
め、師直の影武者という役回りだろう。ずる賢い滑稽な役柄だけ
ではない、複雑さを持っているはずなのだ。今回の3人の伴内で
は、「道行」で所作を中心に演じた翫雀が、いちばん印象に残っ
た。「道行」の伴内は、大序の師直の顔世御前への横恋慕のパロ
ディとして、お軽への横恋慕をなぞるという二重性を秘めてい
る。従って、ここの伴内は、いわば、影武者として、「小型師
直」を彷佛させなければならない。逆に、仕どころの多かったは
ずの錦吾の存在感が薄かった。足利直義を演じた信二郎も、加古
川本蔵を演じた幸太郎も、顔世御前を演じた魁春も、印象に残ら
ない。要するに、富十郎の、独り舞台という印象が強いのだ。

贅言:「大序」では、仕丁、雑式が、履物を履いているのに、主
役たちや大名が、裸足というのは、どういうことか。鶴ケ岡社頭
は、室内の扱いなのだろうか。

「四段目」は、切腹する判官から遅かりし由良之助へと主役が転
じるが、総じて、ポイント掴み的にまとめてしまえば、由良之助
の芝居である。特に、表門城明け渡しの場面は、由良之助役者の
独り舞台だ。由良之助の動きに合わせて、大道具の城門が、3回
に分けて、上手を中心に円を描くように下手側だけ、すうっ、す
うっと徐々に遠ざかる引き道具になるのは、いつ観ても良い。そ
して、送り三重での由良之助の花道の引っ込み。歌舞伎の渋い魅
力を満喫できる場面。

今回の由良之助は、幸四郎。オーバーアクションの幸四郎は、実
線で役柄を演じる。巧すぎる嫌いがある。これが、團十郎なら、
重厚さ、また、吉右衛門なら、人徳で、私は、やはり、幸四郎よ
り、團十郎、吉右衛門が好きなのだ。幸四郎は、もう少し、抑え
気味に演じられれば、逆に厚みを増すと思うのだが、この人の性
分で、抑えることができないのだろう。下手に抑えようとする
と、萎縮してしまうのかも知れない。それにしても、判官の遺し
た九寸五分についた血を左手に擦り付けて舐めるときの、團十郎
の眼光の鋭さを忘れない。團十郎は、抑えながらも、ここぞとい
う場面では、きらりと光らせることができる。全体にオーバーア
クションになりがちな幸四郎とは、そこが違うのだろう。

ここは、場面展開に廻り舞台をフル活用。足利館「松の間」刃
傷、「四段目」、扇ヶ谷判官切腹、表門城明渡しと、舞台は鷹揚
にくるりくるりと廻る。

贅言:判官の切腹の場面は、畳二畳が裏返しされ、さらに、白い
敷布が掛けられる。四隅に樒(しきみ)が飾られる。切腹後の遺
体が駕篭に入れられる場面では、あわせて40人の諸士(その多
くは、舞台下手袖の後ろにいて見えない)が、赤い消し幕のよう
に、壁を作り、客席の視線を遮る。白い敷布は、本当に消し幕と
なり、畳二畳も、障壁の役割をした上で、簡単に片付けられる。
役者の動きも、小道具の動きも、無駄がない。良く工夫されてい
る。

所作事「道行」は、苛めだ、刃傷だ、切腹だ、復讐だと、鬱陶し
い「仮名手本忠臣蔵」の前半の、気分直しの場面だ。いわば、間
奏曲。「千本桜」の静御前と狐・忠信の道行にしろ、この道行に
しろ、基本的には、男女の道行を邪魔立てする滑稽男・藤太、伴
内の登場の場面は、江戸の庶民のお気に入りの場面だろう。テキ
ストの深刻さより、見た目の華やかさ、特に花四天のからみによ
る「所作立て」(所作事のなかの立ち回り)は、何回観ても飽き
ない。時蔵のお軽、梅玉の勘平に、翫雀の伴内がからむ。昼の部
は、ここまで。

夜の部の、「五段目」「六段目」は、勘平の芝居だ。菊五郎勘平
が軸になって展開する。この場面は、菊五郎で、4回、勘九郎時
代の勘三郎で1回、拝見している。鬱々としているが、菊五郎
は、六代目の菊五郎型をきちんと伝えていて、別格の勘平であ
る。勘平のパートナー・お軽は、まず、「道行」では、腰元、
「六段目」では、女房、ついでに、「七段目」では、遊女という
ことで、その違いを見せるところにお軽役者の、いわば「味噌」
がある。玉三郎は、いつも思うのだが、「六段目」では、影が薄
く、「七段目」になると、むくむくと存在感を強めて来る。「六
段目」で重要なのは、お軽の母であり、与市兵衛の妻であるおか
やである。勘平に早とちりで、切腹を決意させるのは、与市兵衛
を殺したのは、勘平ではないかと疑い、勘平を攻め立てたおかや
の所為である。他人の人生に死という決定的な行為をさせるエネ
ルギーが、おかやの演技から迸らないと、この場面の芝居は成り
立たない。「六段目」では、おかやには、勘平に匹敵する芝居が
要求されると思う。「お疑いは、晴れましたか」という末期の勘
平の台詞は、おかやに対して言うのである。吉之丞のおかやは、
2回目の拝見だが、そういう要求される味わいを出していて、良
かったと思う。おかやで、印象に残るのは、ほかでは、田之助
だった。

おかやの夫、与市兵衛では、佳緑が、最近では、最高の与市兵衛
役者と言われるだけに、私も、通し狂言では、3回観ている。今
回は、権一。東蔵の判人源六が、存在感があり、良かった。時蔵
のお才は、もたいない。しかし、二人とも、脇で味を出す辺り
は、さすが。

「七段目」の由良之助は、幸四郎で2回、吉右衛門で、2回だ
が、これは、「昼行灯」というとぼけた滋味をだすだけに、断
然、吉右衛門が良い。ここの由良之助は、前半で男の色気、後半
で男の侠気を演じ分けなければならない。「七段目」の本筋は、
実は、由良之助より、遊女・お軽と兄の平右衛門が軸となる舞台
である。今回は、玉三郎と仁左衛門が、たっぷり、愉しく演じて
いて、2月の通し上演で、ぴか一の舞台であった。玉三郎の本領
発揮の、濃艶なお軽になるのだが、丸谷説では、お軽という命名
には、尻軽(多情)というイメージを感じるという。

贅言:一力茶屋の二階座敷に現われたお軽は、最初、銀地に花柄
の団扇を盛んに使っているが、これは、後に顔世御前からの手紙
を読む由良之助の手許を鏡で覗き手紙を盗み読む際の、カモフ
ラージュに銀地の団扇を利用しているのではないかと気が付い
た。銀地の団扇も、鏡も、光って見つかっても、言い訳が効くと
いうことではないか。

九太夫は、私が観た舞台では、全て芦燕であったという記録が、
今回も継続している。芦燕の九太夫は、前半の意地悪く、意固地
な筆頭家老から、金にこだわる、欲深の親子(因に九太夫は、二
千石で、息子の定九郎は、二百石というのが、九太夫の台詞で知
ることができる)に替って、饒舌になる。さらに、敵の師直方秘
書課長の伴内に手玉に取られ、「七段目」で床下に潜り、由良之
助の手紙を盗み見るスパイ行為をした挙げ句、九太夫は、由良之
助に手助けされて、お軽に父親・与市兵衛の仇を息子・定九郎の
代わりとして殺される。

「十一段目」は、付け足し。ない方が良い。由良之助を含め、い
わば、3枚の紙芝居の絵を見せられるようで、それだけのものだ
ろう。歌舞伎の舞台としては、ほかの場面とレベルが違い過ぎ
る。

総じて、今回の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の配役は、バランス
が取れていて、もともと見どころの多い芝居だが、それぞれの名
場面で、熱演すべき人たちが、きちんと熱演していて、非常に見
応えがあったと思う。

贅言:舞台が廻る。廻って、廻って、「忠臣蔵」は、実に廻り舞
台の機能をフルに回転させる。浅葱幕の振り落としといい、廻り
舞台といい、大道具の機能の魅力を知リ尽している。
- 2007年2月27日(火) 21:49:19
2007年1月・国立劇場 (通し狂言「梅初春五十三驛」)


「梅初春五十三驛」VS「独道中五十三驛]


国立劇場の開場40周年を記念して、国立劇場では、去年から歌
舞伎の特別公演を展開している。全く観なかったが、真山青果原
作の「元禄忠臣蔵」は、好評だった。今月の「梅初春五十三驛
(うめのはるごじゅうさんつぎ)」は、166年ぶりの復活狂言
だというので、久しぶりに国立劇場に足を運んでみた。

十返舎一九原作の滑稽本「東海道中膝栗毛」、歌川広重の錦絵
「東海道五拾三次之内」が、刊行され、江戸時代の後期は、東海
道が、ブームになった。明治維新まで、40年と迫った、幕末の
1827(文政10)年、後世、大南北と呼ばれた四代目鶴屋南
北は、「亀山の仇討」を世界にして「独道中五十三驛(ひとりた
びごじゅうさんつぎ)」を、三代目尾上菊五郎主演(10役早替
り)で、河原崎座で上演し、評判を呼んだ。「五十三段返しのか
らくり道具」という大道具の名人・十一代目長谷川勘兵衛の工夫
魂胆も、功を奏したことだろう(「独道中五十三驛」は、市川猿
之助主演で、11年前、96年7月歌舞伎座でも、上演された。
スピーディな舞台展開が、いまも印象に残る。このサイトの「遠
眼鏡戯場観察」連載は、99年3月の国立劇場の舞台からなの
で、劇評はない。拙著「ゆるりと江戸へ 遠眼鏡戯場観察」に書
き込まれているだけ。猿之助は、絶えて久しく上演されなかった
「独道中五十三驛」を復活上演したのは、81年7月の歌舞伎座
であった)。以来、柳の下の泥鰌を求めて、「五十三驛もの」
が、相次いで、上演された。8年後の、1835(天保6)年
に、市村座で上演されたのが、「梅初春五十三驛」である。京か
ら江戸への道中で、大南北の「独道中五十三驛」の「書き換え狂
言」。さらに、ほかの先行作品からも、「剽窃」(当時は、著作
権などという概念もなく、おもしろい趣向は、何度観ても、おも
しろいと、剽窃は、当たり前であった)し、新しい趣向も付け加
え、さらに、曲亭馬琴原作の小説「頼豪阿闍梨恠鼠伝(らいごう
あじゃりかいそでん)」という、「清水冠者義高(しみずのかん
じゃよしたか)」の世界を大枠に据えている。義高は、源頼朝に
滅ぼされた木曽義仲の遺児だが、伊豆の百姓・次郎吉、実は、鼠
小僧である。つまり、軸は、「鼠小僧物語」なのである。お盆狂
言の「独道中五十三驛」が、夏を中心に据えたのに対して、外題
からも伺えるように、初春狂言の「梅初春五十三驛」は、冬を中
心に据えているが、これは、創意工夫と言うより、書き換え狂言
の興行時期に合わせた、苦し紛れの逃げ道だったろう。

原作は、三升屋二三治(にそうじ)、中村重助、五代目南北の合
作である。余り馴染みのない名前ばかりだと思う。三升屋二三治
は、初代桜田治助の弟子で、後に、市村座の立作者となった。後
世に残る狂言は少ないが、おまも上演されるお染・久松の「道行
浮塒鴎(うきねのともどり)」、お軽・勘平の「道行旅路花聟
(たびじのはなむこ)」などの作詞が、伝えられている。中村重
助は、役者の四代目中村七三郎(しちさぶろう)の子だが、記録
は、あまり残っていない。五代目南北は、大南北の娘婿の養子、
大南北から見れば、血は繋がっていないが、孫の世代に当るの
で、自称「孫太郎南北」としたが、やはり、あまり記録がない。
実作者としてよりも、むしろ、名伯楽だったようで、門下に、三
代目瀬川如皐、河竹黙阿弥がいる。いずれにせよ、大南北が、没
した後、暫く、歌舞伎の狂言作者の世界は、無人の状態となる。
小粒の、団栗の背比べ。従って、あまり実力のない作者たちが、
先行作品を下敷きにしながら、「綯(な)い交(ま)ぜ狂言」を
仕立てようと、思いつきの創意工夫の断片を厚塗りし、三代目瀬
川如皐や河竹黙阿弥らが、力をつけて来るまでの空白期を埋めて
行ったというのが、実相の時代だったのだろう。歌舞伎の世界の
おもしろいところは、こういう無名の作者たちも、合作作業中
に、いわば、「憑依現象」が起きて、名作が生まれることがある
ということだ。「梅初春五十三驛」が、名作だったかどうかは、
この際、さておく。

江戸に続いて、6年後の1841(天保12)年に大坂の角の芝
居でも再演された(今回の復活上演は、このときの手描き台本に
よる)し、上演後、芝居錦絵として、初代国貞や国芳、貞秀、景
松らによって描かれたことなどから推察すると、評判作に、化け
たことは、まちがいない。しかし、埋もれていた復活狂言は、大
抵、長いので、筋を整理して、上演しないと、いまの観客には、
受け入れられません。そこが、菊五郎や国立劇場の工夫魂胆とい
うところでしょう。まあ、基礎的な知識は、この程度の留めて。
と言っているうちに・・・柝が入ったようです。客席のざわめき
も、大きくなってきました。さあ、場内に入るとしましょう。

今回の演出のポイントは、複雑な筋立てを極力簡略化し、個々の
場面の趣向を重視する、いわば、お楽しみ路線のようだ。だか
ら、劇評も、筋立てには、こだわらないが、結論めくが、全体の
印象をざっとスケッチしておきたい。芝居は、「独道中五十三
驛」同様に京から江戸までで、十返舎一九原作の滑稽本「東海道
中膝栗毛」が、江戸から京・大坂を目指したのと逆コースである
(ご承知のように、昔遊びの双六は、「東海道中膝栗毛」同様
に、江戸から京・大坂ヘ向い、「京の夢、大坂の夢」が、「上が
り」となる。何故、南北の「独道中五十三驛」が、京から江戸へ
「下る」という、当時から見れば、180度の発想の転換で、
「逆コース」を趣向したのか。当時、「下(くだ)りもの」と言
えば、上方からの商品の別称。ブランド品、高級品のイメージ。
逆に、「下(くだ)らないもの」、つまり、江戸近郊で作られた
ものは、安価な、普及品のイメージであった。その転換は、南北
が、初めてなのか。いつから始まったのか。調べていないので、
判らないが、推測では、多分、江戸の将軍様のお膝元へ帰るとい
う、「江戸っ子の帰郷意識」があったのではないか、江戸の庶民
の娯楽、歌舞伎は、そういう庶民の意識の変化を、どのジャンル
よりも逸早く受け止めていたのかも知れないと、思うが、いかが
だろうか)。

今回は、五幕十三場でまとめあげ、菊五郎の4役(もっとも、
96年上演の猿之助「独道中五十三驛」では、三幕三十五場、主
役は、「十四役早替りならびに宙乗り相勤め申し候」と意気込み
が違う)、松緑の3役、三津五郎、時蔵、彦三郎、菊之助、團
蔵、権十郎、亀蔵、松也の2役など、ほかに田之助、秀調、萬次
郎らという配役。兼ねる役者が多いのと短い多数の場面を盛り込
み過ぎていて、いくら、筋立てより、個々の場面を楽しむといっ
ても、ある程度は、筋が飲み込めないと観ていて混乱する。菊五
郎は、実線でくっきりと描かれているので、役が変っても、判る
が、ほかの役者は、混乱する。三津五郎と時蔵は、根の井小弥太
と大姫のコンビで出て来る場面が多いので、菊五郎の次くらいに
くっきりしている。菊之助と時蔵は、権八・小紫の世界。印象薄
いのが、3役と出番が多いのに、松緑であった。敵役は、主軸と
立ち会うので、通常、印象に残るものだが、今回は、石塚玄蕃の
権十郎は、薄かった。本庄助八の亀蔵は、印象に残った。これ
は、彼の個性的な顔に恩恵がある。趣向のハイライトの一つ、
「岡崎の化け猫(猫石の精霊)」が出て来る、「無量寺」の場面
で、茶屋娘おくらを演じた梅枝は、特段に印象に残った。梅枝
は、時蔵の長男で、ことし誕生日が来れば、20歳。猫石の精霊
(菊五郎)の妖力によって、操られ、荒れ寺の障子に飛び込んだ
り、とんぼを返したり、回転、懸垂など、体操競技の選手のよう
な所作を繰り返す役どころを柔軟な身体で、ミスもなく、見事に
演じ切って、場内の拍手を浴びていた(猿之助一座の「独道中五
十三驛」のときは、猿四郎が、おくらを演じていた。これも、と
んぼなどダイナミックで、印象に残っている)。

以下、場面展開に従って、趣向の数々を中心に、私のウオッチン
グメモから、適宜、書き留めてみよう。

序幕「大内」から「三井寺」。まず、紫宸殿の場面、御所を守護
する源頼朝の弟蒲冠者範頼(團蔵)が権勢を示し、初春の嘉儀の
荘重さ、鎌倉時代を設定した「時代物」の雰囲気を強調する。宝
剣探索中の大江因幡之助(松緑)、範頼の腹心で主筋の、木曽義
仲方の敵役となる石塚玄蕃(権十郎)、同じく敵方の本庄助八
(亀蔵)も、馳せ参じて、宝剣探索という物語の発端と敵方の顔
見世、さらに、次郎吉、実は、鼠小僧、実は、清水義高(菊五
郎)、大姫(時蔵)も顔見世。「三井寺」の場は、頼豪阿闍梨の
霊(彦三郎)による義高の正体顕現の後、黒幕が、上下に引き分
けられると、三井寺の山中にて、清水義高(菊五郎)、大姫(時
蔵)のほかに、根の井小弥太(三津五郎)、白井権八(菊之
助)、大江因幡之助(松緑)、本庄助八(亀蔵)の6人による、
敵味方入り乱れての宝鏡、系図の軸、十二単(ひとえ)などをめ
ぐる典型的な「だんまり」となる。忍術で、木の祠に消えた義高
(菊五郎)は、岩を割り、赤い目を爛々と光らせる大鼠に跨が
り、天下掌握の悪夢を抱き、本舞台から花道へ、ゆるりと入り込
み、向う揚幕へ消えて行く。歌舞伎味たっぷりの、荒唐無稽な見
せ場。

二幕目「立場茶屋」から「無量寺」(岡崎の場)は、大姫(時
蔵)に従う根の井小弥太(三津五郎)が、木曽義仲に遺恨を抱く
老女に化けた、猫石の精霊(菊五郎)に襲われる物語。大姫らを
案内してきた茶屋娘のおくら(梅枝)が、「みたや、あいたや」
と、猫の精にいたぶられ、殺される場面が、見せ場。老女が、行
灯の油を舐めると行灯に大猫の影が映る。おくらは、アクロバッ
トのような所作で、いたぶられるさまを見せるので、「岡崎の
猫」として、知られる名場面。菊五郎の家の藝。音羽屋といっ
しょに萬屋の御曹司・梅枝は、柔軟に、たっぷり、外連(けれ
ん)の演技を叮嚀に見せてくれた。茶屋の場面での、糸で操る猫
の動きが、秀逸。茶屋の場面の百姓・麦作を演じる権一に味があ
る。舞台上手から下手への大猫の着ぐるみの宙乗り。大猫の眼
が、黄色く光る。この芝居は、鼠と猫の芝居でもあるのだ。

三幕目「吉祥院」から「関所」。「吉祥院本堂」は、劇中劇。寺
での素人の勧進芝居の場面。和尚(團蔵)の口上で、芝居は始ま
る。出し物は、「車引」。俳優祭の遊びのノリ。「金十郎稲荷」
から、無断で持ってきた鳥居をバックに、所化弁長(三津五郎)
の竹本、お豊(三津右衛門)の三味線方で、庄屋太左衛門(田之
助)、百姓の杢作(松緑)らが、梅王丸、桜丸を演じるという豪
華版。旅役者の三宅坂菊之助、実は、白井権八(菊之助)と三宅
坂小梅(松也)も、助っ人。やがて、鳥居を無断使用された神主
(菊五郎)が、怒鳴り込んできて、芝居は、おじゃん。この騒ぎ
で、輿のなかに納められていた亡者(亀蔵)が、飛び出して来
る。亥歳のせいか、猪も飛び込んで来る。「吉祥院裏庭」では、
三宅坂菊之助、実は、白井権八(菊之助)と和尚(團蔵)が、寺
に隠してあった宝剣を奪い合い、和尚を殺すが、権八が、捕手に
囲まれている隙に、所化弁長(三津五郎)が、宝剣を盗んで逃げ
てしまう。

浜名湖畔の「関所」。関所そのものを舞台で観るのは、初めてな
ので、おもしろく拝見。「先代萩」の「対決」の場面と同じ、襖
の紋様(柄)が、「問注所」=「裁判所」と「関所」を同等に考
えていた江戸庶民の、お上意識が反映されているようで、興味深
い。幕には、笹竜胆の紋。義経の紋と同じだろう。源頼朝に対抗
する木曽義仲系統の清水義高こと鼠小僧を主軸に据えた物語ゆえ
に、「義経」ということか。得てして、江戸の時代物は、徳川幕
府への批判を鎌倉幕府、あるいは、足利幕府への批判という形
で、表現するのが、習いであったから、江戸の庶民には、襖の紋
様や幕の紋で、芝居者からのシグナルを受け止めていたのだろう
と、容易に想像がつく。この場面、普通なら、本舞台の檜の板の
ままで、良いはずなのに、何故か、地絣が敷き詰めてある。花道
も、地絣が、敷き詰めてある。これは、なにか、工夫魂胆がある
ぞと、私の頭脳は、受信している。関所の責任者は、前半は、海
老名軍蔵(彦三郎)。真面目だが、融通は効かなそう。彦三郎の
時代の科白回しが、一人だけ、重々しいオーバーアクションで、
浮いている。もう少し、肩の力を抜いて発声した方がよい。本庄
助八(亀蔵)が、軍蔵に入れ知恵をして、関所を通過した後に、
根の井小弥太(三津五郎)が、大葛に大姫を隠して、背負いなが
ら通り抜けようとすると、阻止する。時の鐘(楽器の「時計」の
音)で、途中で交替した狩野之助宗茂(かののすけむねもち・松
緑)が、助ける。しかし、三宅坂菊之助、実は、白井権八(菊之
助)が、拾った女手形を持って、通りかかるが、宗茂(松緑)
は、駕篭に乗せると、網をかけるという策略を使って、権八(菊
之助)を召し捕るが、これが、体の良い「警護」と、判る。

この後の、大道具がおもしろい。関所が、廻り舞台に載らずに、
上手に引っ張り込まれるのである。さらに、先ほどから、腑に落
ちなかった地絣が、本舞台、花道とも、上下に引っ張り込まれ
て、下から波布が表れる。全て、浜名湖畔の体。上手より、船が
出て来る。関所をすり抜けた根の井小弥太(三津五郎)と大姫
(時蔵)が、大葛とともに乗っている。花道からも、同様の大き
さの船。鉄砲の音。ただし、こちらは、菰の屋形船仕立て。屋形
から、アイヌ紋様の厚司姿の義高(菊五郎)が、乗っている。廻
り舞台を使った、「梅暦」の洲崎沖での、丹次郎の船と仇吉の船
のすれ違う名場面のような、スマートな展開だ。「舟だんまり」
風の工夫が、嬉しい。歌舞伎の醍醐味が伝わって来る良い場面
だ。菊五郎のサービス精神か、「綯い交ぜ狂言」らしく、先行作
品の名場面が、いろいろ出て来る。荒唐無稽を堂々と主張してい
るところが、愉しい。

四幕目「入早(いるさ)山」から「富士ヶ根屋」。「入早山」の
峠の場面では、人気女郎の小夜衣(さよきぬ)お七(菊五郎)と
吉祥院から金と宝剣を盗んで以来、羽振りの良い所化弁長(三津
五郎)との笑劇の場面。お七は、弁長を騙して、宝剣を奪う。お
七は、権八の白井家に奉公していたので、権八派だったのだ。
「富士ヶ根屋」の場面は、「八百屋お七」のパロディ。櫓に登っ
て、太鼓を叩き、権八を逃すために、木戸を開けさせる。富士ヶ
根屋の勝手口が、中央の二重舞台。下手に隣家の店先が見える。
「丸に音」の紋が、染め抜かれた大きな暖簾がかかっている。紋
の上に、山形に菊の文字の染め抜き。音羽屋、尾上菊五郎、とい
うわけだ。囚人駕篭から権八を救い出すために、権八そっくりの
吉三郎(八百屋お七の恋人の名前と同じ・菊之助)という実の弟
を身替わりにするお七。大道具が、廻って、「富士ヶ根屋」の裏
手の木戸と櫓の場面。「八百屋お七」の舞台同様に雪が降ってい
る。「初春」狂言の、謂れである。

大詰「三浦屋寮」、「鈴ヶ森」から「日本橋」。「三浦屋寮」
は、権八(菊之助)・小紫(時蔵)の世界。時蔵の小紫は、匂い
立つような色香。庭の白梅(下手)と紅梅(上手)に植わってい
る。普通は、白梅(上手)と紅梅(下手)なので、全く、逆。珍
しい。二人の色模様を夢形式で見せる。

お七の夢が覚めると、権八が処刑された「鈴ヶ森」。幡随院長兵
衛と権八の出会いの場面の女版。お七(菊五郎)が、幡随院長兵
衛の役どころ、小紫(時蔵)が、権八の役どころ。「お若けえ
の、お待ちなせいやし」「待てとおとどめなされしは、わっちが
ことでござんすかえー」と女言葉で、パロディぶりを強調、観客
席の笑いを誘う。二人の仲裁に入ったのは、なんと、処刑された
はずの権八(菊之助)。吉三郎が、身替わりになり、権八は、生
き延びていた。権八は、宝剣を持って、大江因幡之助(松緑)に
届けに行く。

「鈴ヶ森」最後の、「ゆるりと江戸で」「逢いやしょう」は、本
物の「鈴ヶ森」なら、科白の間に、柝が入り、バックの黒幕が落
ちて、品川の遠見の夜明けの景色となるのだが、ここでは、柝が
入らず、黒幕も落ちず、夜明けも来ない。まだ、大団円ではない
から、夜も明けないのだろう(これは、本来、原作にない、今回
だけの演出という)。

「御殿山」は、桜満開。宝剣を持った権八(菊之助)が、奥深い
舞台中央から飛び出して来る。歌舞伎らしくない、スポットライ
トと風に舞う花吹雪が多用されている。権八と捕手との立ち回り
だけの場面。それぞれの衣装が、赤と黒で調和されている。これ
も、原作にない、今回の挿入場面だが、歌舞伎というより、現代
劇の演出で、違和感を感じた。最後は、何者かの妖術で、虚空を
飛び去る宝剣。浅葱幕の振り被せ、そして、振り落とし。浅葱幕
は、蕾が膨らむように、いつものように、舞台内側から膨らんで
きて・・・開花とばかりに、落下する。

すると、「日本橋」の場面。無人の舞台に、舞台中央の大せり
が、奈落に落ちているため、ぽっかり、空間が明いている。やが
て、大せりに乗って、宝剣を手にした鼠小僧、実は、義高(菊五
郎)が上がって来る。大江家の家臣たち(亀三郎、亀寿、松也、
萬太郎)が、鼠小僧を取り囲む。義高が、身分を明かして、大江
家の面々を引き下がらせる。鎌倉に向おうとする義高。待てと押
しとどめて、花道から、白銀の猫の香炉を持った根の井小弥太
(三津五郎)と大姫(時蔵)。上手から、大江因幡之助(松緑)
と権八(菊之助)。結局、宝剣より、銀の香炉が神通力があり
で、決着。つまり、落ちは、鼠は、猫に負けたということだ。宝
剣は、義高から権八の手を経て、大江因幡之助に返されて、大団
円。

81年から96年にかけて、8回上演され、練り上げられmテンポ
アップがはかられた「独道中五十三驛」と復活上演初回の「梅初
春五十三驛」の比較をするのも、酷かも知れないが、11年前に
観た猿之助一座の「独道中五十三驛」のテンポのある、スピー
ディな場面展開は、やはり、素晴しかった。特に、今回の幕間の
使い方が、下手だ。舞台の緊張感が、だれてしまう。大道具のス
ペクタクルも、段違いに悪い。「宙乗り」を含む役者の外連(け
れん)の演技も、ほとんどない。外連味のある演技は、梅枝のみ
が、印象に残る。

贅言;猿之助の病気休演が長引き、「空中分解」しているように
見える猿之助一座は、玉三郎が、尽力をして、引っ張ってくれて
いるようだが、徐々に、存在感が薄れているようで、残念でなら
ない。3月の国立劇場小劇場では、国立劇場開場40周年記念歌
舞伎では、脚本入選作の「初瀬豊寿丸 蓮絲恋慕曼荼羅(はちす
のいとこいのまんだら)」という新作歌舞伎を上演する。玉三郎
の演出で、玉三郎を軸に、市川右近ら猿之助一座の面々が、共演
する。笑三郎、段治郎、寿猿、春猿、猿弥、門之助ほかの名題に
笑也、猿四郎が見えないのが淋しい。

猿之助の不在は、現代歌舞伎に大穴を空けている。歌舞伎の幅
が、狭くなったような気がする。新年年頭に当り、猿之助の一日
も早い、舞台復帰を祈りたい。
- 2007年1月21日(日) 21:41:36
2007年1月・歌舞伎座 (夜/「廓三番叟」「金閣寺」「春
興鏡獅子」「切られお富」)

「廓三番叟」は、3回目の拝見。能の「翁」を元に歌舞伎の「三
番叟」は、出来ていて、さらに、趣向を凝らしたさまざまな「三
番叟もの」がある。

「廓三番叟」は、「式三番叟」の歌詞を生かしながら、全てを廓
に置き換えているので、いわば「三番叟」のパロディである。
翁、千歳、三番叟の代りに、傾城、番頭新造、新造、太鼓持ち
(「翁」役は、千歳太夫、「千歳(せんざい)」役は、番頭新
造、「三番叟」役は、太鼓持)が、登場するという洒落の世界。
遊廓で繰り広げられた正月の座敷遊びの趣向。三番叟なれば、
「かまけわざ」(人間の「まぐあい」を見て、田の神が、その気
になり(=かまけてしまい)、五穀豊穣(=ひいては、廓や芝居
の盛況への祈り)をもたらす)という呪術、それは「エロス」へ
の祈りが必ず秘められている。まして、今回の場は、「廓」とい
う、「エロス」そのものの場が、エロスの度合いを高める。エロ
スとユーモアが、ふんだんに盛り込まれている、いかにも、江戸
の庶民が、新春に楽しんだ風情が、色濃く残る。初演から、40
年後は、もう、明治維新。幕末の不安定な政情と裏腹に、庶民
は、芝居に明るさを求めていたのだろう。

廓の座敷の体の本舞台。上下手。一部に障子のある襖には、銀地
に若竹、紅梅の絵。舞台真ん中から下手にかけては、長い障子
(後に、障子が開くと、出囃子の雛壇)。一方、上手は、雪釣の
松の中庭が見える。上手床の間の壁には、銀地に紅梅が描かれた
中啓が飾ってある。床の間の床には、正月のお飾り。舞台中央上
手寄りにある衣桁には、黒地に鶴が描かれた傾城の打ち掛けが掛
けてある。全て、廓の正月の光景。打ち掛けは、傾城「千歳」太
夫だけに、鶴は「千年」で、鶴の模様。襖ほかにちりばめられた
「梅」は、番頭新造「梅」里ゆえか。

障子が開くと、笛の音をきっかけに鶯の啼き声のする、江戸の春
の廓の世界へ一気に入る。置浄瑠璃のあと、下手、襖が開くと、
傾城千歳太夫(雀右衛門)が、新造の春菊(芝雀)と新造の松ヶ
枝(孝太郎)が、出て来る。次いで、新造梅里(魁春)。遅れ
て、太鼓持の藤中(富十郎)も、参加して、めでたい「三番叟」
の踊りとなる。雀右衛門を軸にしているだけに、太鼓持の藤中
が、富十郎という豪華版。

雀右衛門は、足の運びが、スムーズに行かない。ことし、誕生日
が来れば、87歳。息子の芝雀が、さり気なく、サポートしてい
る。雀右衛門は、所作から所作へは、手は自由に動くが、足の運
びは、ぎこちない。それでも、節々の静止の姿は、安定してい
て、美しい。

「金閣寺」は、5回目の拝見。この芝居「祇園祭礼信仰記」は、
元々の外題が、「祇園祭礼信長記」であったことでも判るよう
に、織田信長の一代記をベースにしている。全五段の時代物。四
段目の中から切にあたるのが、「金閣寺」。情慾と暴力に裏打ち
された「権力」への野望に燃える「国崩し」役の松永大膳対「藝
の力」、つまり「文化」の雪姫、それを支援する此下東吉こと真
柴筑前守久吉(つまり、豊臣秀吉のこと)らという構図。つま
り、「武化と文化の対決」で、文化が勝利という判りやすい芝居
だ。

雪姫:雀右衛門(2)、玉三郎(今回含め、2)、福助。大膳:
幸四郎(今回含め、4)、三津五郎。東吉:團十郎、富十郎、菊
五郎、染五郎、今回は、吉右衛門。慶寿院尼:田之助(3)、秀
調、今回は、東蔵。狩野直信:九代目宗十郎、秀太郎、時蔵、勘
三郎、今回は、梅玉。正清:左團次、歌昇、我當、橋之助、今回
は、左團次。鬼藤太:彦三郎、弥十郎、信二郎、亀蔵、今回は、
弥十郎。こうやって、配役を見ると、幸四郎が、好んで、いろい
ろな役者と一座を組んでいるのが判る。今回のポイントは、9年
ぶりの玉三郎の雪姫と幸四郎、吉右衛門の兄弟共演だ。

松永大膳は、極悪人だ。罪状を「社会部」的な視点から見ると、
主君の十三代将軍・足利義輝に謀反し、将軍思い者の遊女を唆し
て、将軍を射殺させ、将軍の母・慶寿院尼を金閣寺に幽閉してい
るという、反逆罪の政治犯、つまり「国崩し」。室町御所で見初
めた雪姫の尻を追い掛けるセクハラおやじ。恋人の直信と逃げた
雪姫は、直信に横恋慕する後家の策略で、大膳の元に行かされ、
大膳の手で、幽閉され、「蒲団の上の極楽責め」にあっている。
夫の直信も、捕らえられている。監禁の罪。大膳は、さらに、雪
姫の父親・雪村を殺して、祖父雪舟から受け継がれた宝剣を奪っ
ている。強盗殺人の罪。暴力と情慾で、好き勝手なことをしてい
る。「金閣寺」の場面でも、雪姫に対して、天井の一枚板に龍の
墨絵を描け、閨の伽(セックス)をしろと、いまも、無理難題を
突き付けている。脅迫の罪。

大膳を演じる幸四郎は、いつものオーバーアクションだが、実線
の太い線で、くっきりとした芝居を得意とする幸四郎向きの演目
だろう。大きな実悪ぶりを見せる。対する「文化」の旗手は、玉
三郎の雪姫。4年前の、03年歌舞伎座の雀右衛門の雪姫は、
「一世一代」の演技という感じの緊張感を維持した素晴しい舞台
であった。「いっそ、殺してくださりませ」と、可憐だが、芯が
強い姫を玉三郎は、シャープに演じる。美しく、こまやかな、9
年ぶりの玉三郎雪姫は、見応えがあった。東吉は、吉右衛門だ
が、脇に廻っている所為か、昼の部の俊寛に比べると、軽めに演
じている。かん高い声が馴染まない。背も、前屈みで、勢いが感
じられない。幸四郎の、押し殺した低い声が、この場には、合
う。

ハイライトは、「爪先鼠」の場面。長い縄で桜の木に縛り付けら
れた雪姫は、桜に木から大量に落ちてきた花弁を使って、足の指
で鼠の絵を描き、その鼠に自分を縛っている縄を食いちぎらせ
て、自由の身になるまでを玉三郎は、叮嚀に演じた。雪姫が、櫻
の花弁で描いた白い鼠は、自由の身になった雪姫が、鼠を叩く
と、身体が、まっぷたつに裂けて、ピンクの花弁が飛び散る仕掛
けで、道具方の美意識が、表れている。藝の魔力を象徴している
鼠は、強し。

竹本の愛太夫は、最初、葵太夫見間違えたほど、雰囲気が似てい
る。端正な顔つき、調髪も、真似ているような感じで、短かめ
だ。

金閣寺の大道具が、「大ぜり」に載ったまま、せり下ると二階に
は、十三代将軍・足利義輝の母・慶寿院尼(東蔵)が幽閉されて
いる。金閣寺の楼閣の大道具せり下がりは、いつ観ても迫力があ
る。二階の襖は、金地に桐の木の絵、一階の襖は、金地に虎の
絵。桐は、東吉、実は、筑前守久吉がらみ、虎は、軍平、実は、
佐藤正清がらみ。

この演目は、「国崩し」という極悪人・大膳もいれば、颯爽とし
た捌き役・東吉もいれば、歌舞伎の三姫のひとり、雪姫もいれ
ば、雪姫の夫で、和事の直信(梅玉)もいれば、赤っ面の軍平こ
と正清(左團次)、同じく赤っ面の大膳弟の鬼藤太(弥十郎)も
いれば、老女形の慶寿院尼もいるという具合に、歌舞伎の時代物
の典型的な役どころが勢ぞろいしているので、動く歌舞伎入門の
ように観ることができる。

「春興鏡獅子」は、8回目。勘三郎(勘九郎時代に2、勘三郎に
なって初めてで、都合、3)、菊之助(2)、新之助(2)、勘
太郎。

1893(明治26)年、九代目團十郎が、56歳で「鏡獅子」
を初演したとき、これは「年を取ってはなかなかに骨が折れるな
り」と言ったそうだが、若向けには、荷が重すぎる演目だ。40
歳代後半から50歳代が、「時分の花」という演目か。今回、勘
三郎は、十八代目襲名披露を歌舞伎座で行ってから、地方を廻っ
て帰ってきた。勘三郎襲名後、初めての「春興鏡獅子」の披露を
歌舞伎座で行った。勘三郎は、ことしの誕生日が来れば52歳に
なるが、「鏡獅子」には、まさに、旬の年齢かも知れない。勘三
郎は、20歳が初演で、あしかけ27年間におよそ400回演じ
たそうだ。40歳代後半に入って、勘九郎の「鏡獅子」には、風
格が備わってきているから、当分、賞味期限は、続く。

「鏡獅子」は、江戸城内の、正月吉例の鏡開きがある。上手の祭
壇には、将軍家秘蔵の一対の獅子頭(茶色)、鏡餅、一対の榊、
一対の燭台が、飾られている。

前半は、小姓・弥生の躍りで、女形の色気を要求される。後半
は、獅子の精で、荒事の立役の豪快さを要求される。六代目菊五
郎の「鏡獅子」は、映像でしか見たことがないが、六代目の弥生
は獅子頭に身体ごと引き吊られて行くように見えたものだ。将軍
家秘蔵の獅子頭には、そういう魔力があるという想定だろう。こ
こが、前半と後半を繋ぐ最高の見せ場だと私は、思っている。六
代目の孫である勘三郎は、どうか。祭壇から受け取った、ひとつ
の獅子頭に「引き吊られて」勘三郎は、花道を通り、向う揚幕ま
で行ってしまった。いまや、「鏡獅子」の第一人者は、勘三郎だ
ろう。

後半に入って、「髪洗い」、「巴」、「菖蒲打」などの獅子の白
い毛を振り回す所作を連続して演じる。大変な運動量だろう。メ
リハリもあり、全身をバネのようにしてダイナミックに加速す
る。勘三郎の所作は、安定している。右足を上げて、左足だけで
立ち、静止した後の見得も、決まっている。

贅言:胡蝶の精を橋之助の息子・宗生と元の清水大希、こと、
06年5月の舞台で披露し、いまは、勘三郎の部屋子(へやご)
になった二代目鶴松(名題扱い)が、演じるが、鶴松は、巧い。
宗生に「成駒屋」と大向うから声がかかれば、鶴松には、負けず
に、「中村屋」と声がかかる。大向うは、正直に反応する。

「切られお富」こと「処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよ
こぐし)」は、初見。「総身の傷に色恋も薩た(土偏に垂)峠の
崖っぷち」という名科白で知られる。粋で、鉄火肌の姐御という
人物造型。蓮っ葉な悪女だが、与三郎には、一筋という純情さ
が、隠し味となるように、お富を描く。初演は、1864(元治
元)年というから、明治維新まで、後、4年という最幕末期。幕
末の頽廃爛熟な気分を、見事に定着させて、後世に遺した。世情
は、さぞ、不安定だったことだろう。ビデオテープ的な記録効果
抜群の作品。当時、二代目河竹新七を名乗っていた、後の、黙阿
弥原作で、三代目瀬川如皐原作「切られ与三」こと「与話情浮名
横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」のパロディとして、幕末
から明治期の名女形・三代目澤村田之助に宛てて、書き下ろし
た。悪婆(あくば)ものの代表作。三代目田之助といえば、16
歳で守田座の立女形になる天才役者だが、脱疽になり、手足を切
断した後も、義手義足を工夫して、舞台に立ち、最期は毒素が脳
に廻り、33歳で狂死した役者としても知られる。

歌舞伎座では、あまり演じられない。前進座の河原崎国太郎が復
活したので、前進座では、良く上演される。前回は、猿之助が、
15年前に演じているが、猿之助の「切られお富」は、観てみた
かった。当代の役者では、やはり、福助か、玉三郎か。福助の
「切られお富」は、初役だが、蓮っ葉な部分としおらしい部分を
使い分けるお富像の構築は、弱かった。先に触れたように、純情
なお富も、また、お富の性根であるからだ。お富の二重性は、人
物造型のキーポイントになる。例えば、お富が、久しぶりに与三
郎に合う場面など、しおらしい部分をきちんと演じると、蝙蝠安
に対する蓮っ葉な部分が生きて来るのだが、そのメリハリが弱
く、もう一工夫欲しい。与三郎は、橋之助が演じたが、存在感が
弱く、印象に残りにくい。赤間源左衛門を演じた歌六は、このと
ころ、脇で、良い味を出している。蝙蝠の安蔵を演じた弥十郎
は、「切られ与三」でも、蝙蝠安を演じていたが、「切られ与
三」の安と「切られお富」の安の違いを意識すべきではないか。

お富は、赤間源左衛門の囲われ者だが、与三郎との情交が、発覚
して、源左衛門らに切り刻まれて、全身創痍となる。息絶えたと
思われたお富の躰を棄てに行くことを命じられた蝙蝠安は、お富
を助け出し、自分の女房にする。命を長らえたものの、総身傷だ
らけのお富は、人生観も変えた。蝙蝠安とともに、峠の茶店を営
むお富は、与三郎と再会し、与三郎のために北斗丸という刀を買
い戻す資金として、女郎屋を営む赤間源左衛門から二百両を脅し
取ろうとする。その場面「赤間屋見世先」は、パロディのハイラ
イト。源左衛門とともに、お富に対抗する源左衛門女房お滝に高
麗蔵。高麗蔵は、女形に、立役にと、活躍というより、便利に使
われている感じがする。この人の女形は、江戸の粋な女性を活写
していて、私は、好きなのだが、もう少し、女形にこだわった芸
をしてくれないものかといつももどかしく思う。福助の科白:
「新年早々、お運びの皆々様が、ご存知だよう」と、源左衛門を
威す場面は、場内も湧く。

第二幕第三場「狐ヶ崎畜生塚の場」で、源左衛門から脅し取った
二百両を巡って、お富と安が、仲違いをして、安は、お富に斬り
付けられ、金を奪い取られる。その後、歌舞伎座の筋書では、お
富が、捕手に取り囲まれ、立回りとなっていて、10人の捕手の
配役も明記されているのだが、実際の舞台では、捕手は出て来ず
に、福助と弥十郎の立回りのみで、途中で、二人が座り込み、
「こんにちは、これぎり」で、幕。

贅言:久しぶりに、歌舞伎座の3階席で拝見したが、隣の席の男
性に、「大向うをやっていますので、途中で、大声を出します
が、よろしく」と挨拶されたので、「大向うは、歌舞伎の薬味で
す。存分にやってください」と答えた。序でに、幕間などに「大
向うのグループは、3つぐらいあるのですか」などと質問をし、
答えてもらったので、以下附記しておく。

「大向う」は、都内に、3つのグループがあり、ひとつは、初代
吉右衛門が名付けた「弥生会」で、メンバーは、20数人。「寿
会」は、10数人。「声友会」は、5人。大向うの声の掛け方
は、主役が、6なら、脇は、4。有力な脇が二人いる場合は、2
ずつ。つまり、6:2:2。声は、役者の科白や地方(じかた)
の演奏に被さらないように注意する。演目によって、役者から、
この場面で、声を掛けてくれと頼まれたり、頼まれて巡業につい
て行くこともある。頼まれる場合は、祝儀を戴く。

ついでに調べたら、「大向う」は、地方の小屋にもあり、大阪の
「初音会」、名古屋の「八栄会」、博多の「飛梅会」などがあ
る。最近の話題としては、人気若手役者の屋号で、例えば、片岡
愛之助に対する、「愛松嶋」ら、市川染五郎に対する「染高麗」
などの是非が、論争になっているらしい。
- 2007年1月20日(土) 22:25:58
2007年01月・歌舞伎座 (昼/「松竹梅」、「俊寛」、
「勧進帳」、「喜撰」)

吉右衛門「俊寛」は、団塊世代への応援歌

松竹の永山武臣会長は、戦後の歌舞伎を全身で支えてきた人だ。
明治期、九代目團十郎らが、欧化政策の中で、「新しい『国劇』
としての、歌舞伎」の有り様を模索し、失敗をする。「国劇」活
動は、歌舞伎活性化運動としては、失敗するが、「新国劇」、
「新劇」、「新派」などを生み出したという点では、成功をし、
日本の演劇の幅を広げる。そういう意味では、「明治の劇聖」と
して顕彰された九代目は、その名に恥じない功績を遺した。なら
ば、「旧劇」「旧派」と貶められた歌舞伎は、どうなったかと言
えば、どっこい、「旧劇」の荒唐無稽さを魅力にした、不死身の
生命力で生き残った。河竹黙阿弥らが、「旧劇」延命に、多大の
貢献をした。そうは言うものの、「旧劇」たる歌舞伎は、近代に
入って、危機にも瀕している。戦後だって、そうだ。松竹と東宝
の軋轢もあり、歌舞伎役者が、二分されたり、映画に走ったりし
た。そういう戦後の歌舞伎の浮き沈みの前にも、戦火で焼失した
歌舞伎座の再建問題、「歌舞伎=封建的」という占領軍
(GHQ)との文化政策との対抗などの課題もあった。最近は、
若い人たちの姿を歌舞伎座でも大勢見かけるが、ひところは、若
者離れなどもあった。何度も、襲いかかる浮沈の波や「国劇」に
対する国の文化政策の冷ややかさという温度差にもめげずに、天
才的な興行師として永山武臣は、松竹という一民間会社の先頭に
立ち、身体を張って、国の代りに、国劇たる歌舞伎のプライドを
護ってきた。また、営利としても、成り立つ国劇という、企業人
としての工夫魂胆もあっただろう。歌舞伎は、国劇だから、文化
財だから、国の文化政策に任せておけば良いなどと考えていた
ら、歌舞伎の今日の隆盛はなかったと思う。そういう意味で、永
山武臣という人は、偉大だったと思う。歌舞伎座は、建て替えら
れ、いずれ、新しい演劇空間として、生まれ変わる。永山武臣会
長は、まさに、いまの歌舞伎座の建物とともに生き、そして、逝
去された。

さて、馴染みの演目が並ぶ、昼の部の、劇評のハイライトは、8
回目の拝見の「俊寛」である。以下、「俊寛」を中心に書き、そ
のほかの演目は、簡潔にしたい。

「松竹梅」だが、三段返しの長唄という演出は、初見。「松」
は、歌枕で知られる野路(近江国)の玉川の秋の風情。業平(梅
玉)と舎人(橋之助)の踊り。「鎌倉見たか江戸見たか」という
フレーズが、印象に残る。橋之助は、見る角度によって、顎の張
りが、父親の芝翫に良く似てきた。「竹」は、花道から奴(歌
昇)。舞台上下から雀の精(信二郎、松江=前の玉太郎、高麗
蔵)。奴の3羽の雀が絡む。吉原雀の悩ましさ。松竹を言祝ぐ。
皆、大せりで降りる。代りに、美形3人を乗せて、大せりが上
がって来ると、「梅」。工藤祐経奥方椰(なぎ)の葉(魁春)、
「対面」でお馴染みの、大磯の虎(芝雀)と化粧坂の少将(孝太
郎)という傾城。きらびやかで、艶やかな衣装。紅白梅の枝を
持った椰の葉。扇子を持った大磯の虎。弓を持った化粧坂の少
将。「対面」を下敷きにしている、女趣向の演目。夫の名代の、
椰の葉は、曽我兄弟の父・河津三郎の最期を物語る趣向だ。はん
(華)なりした、正月向きの出し物。「松・竹・梅」というラン
ク付けとは、逆に、「梅」が、いちばん。「松竹」ごめん。

さて、劇評の「見出し」にとった「俊寛」は、8回目。見なれた
演目で、今回の吉右衛門が、3回目。兄の幸四郎、3回。仁左衛
門、猿之助が、それぞれ1回。つまり、4人の役者の俊寛を観て
いる。前回の吉右衛門の俊寛は、祖父で、養父の初代の50回忌
追善興行とあって、いつもにも増して、こってりと演じていたの
が、印象的だったが、今回も、また、別の意味で、印象的だっ
た。それは、吉右衛門が、幕切れ寸前に、いつにも増して、「喜
悦」の表情を浮かべた「新演出」(?)を含めて、堪能した。こ
の「喜悦」とは、なんだったのか、今回の劇評は、いつもと趣向
を変えて、この「喜悦」の謎の解明という、一点にこだわって書
いてみたい。

「俊寛」は、いろいろ綾のある物語だが、要は、妻の東屋が、御
赦免の上使・瀬尾に殺されていたことを知り、瀬尾を殺して、妻
の仇を取り、その責任を負って、ひとりだけ、鬼界ヶ島に居残り
続けるという話。あわせて、3人分しか、帰還用の船の席がない
ため、成経と祝言をあげたばかりの千鳥を船に乗せようと、俊寛
が犠牲になるという要素もある。原作の近松門左衛門は、「思い
切っても凡夫(ぼんぷ)心」という言葉をキーワードとした。犠
牲の精神を発揮し、決意して、居残ったはずなのに、都へ向けて
遠ざかり行く船を追いながら、都への未練を断ち切れない俊寛
の、「絶望」あるいは、絶望の果ての「虚無」を幕切れのポイン
トとした。多くの役者は、絶望か、虚無か、どちらかの表情で、
舞台が廻って、絶海の孤島の岸壁の上となった大道具の岩組に座
り込んだまま、幕切れを待っている。俊寛の表情の意味は、通
常、以下の、3つに大別される。

(1)「一人だけ孤島に取り残された悔しさの表情」:俊寛の人
間的な弱さの演技で終る役者が多い。

(2)「丹波少将成経と千鳥という若いカップルのこれからの人
生のために喜ぶ歓喜の表情」:身替わりを決意して、望む通りに
なったのだからと歓喜の表情で終る役者もいる。私は、生の舞台
を観ていないが、前進座の、歌舞伎役者・故中村翫右衛門、十三
代目仁左衛門が、良く知られる。

(3)「一緒に苦楽を共にして来た仲間たちが去ってしまった後
の虚無感、孤独感、そして無常観」:苦悩と絶望に力が入ってい
るのが、幸四郎。「人間というのはそうした大きな犠牲の上で生
かされている」と幸四郎は言う。能の、「翁」面のような、虚無
的な表情を強調した仁左衛門。仁左衛門は、「悟り」のような、
「無常観」のようなものを、そういう表情で演じていた。「虚
無」の表情を歌舞伎と言うより現代劇風(つまり、心理劇。肚で
見せる芝居)で、情感たっぷりに演じていた猿之助。役者は、
皆、独自の工夫魂胆で、舞台に挑戦している。「おーい。おー
い」と、船を追い掛けた果ての、吉右衛門の表情も、従来、虚無
的であった。

この場面、前回(03年9月歌舞伎座)の吉右衛門について、私
は次のように書いている。長いが、引用したい。

*幕切れ近くの、無言劇での、唯一の科白が、「おーい」「おー
い」の連呼なのである。そういう文脈のなかで、この科白を考え
る必要がある。まず、この「おーい」は、島流しにされた仲間
だった人たちが、都へ向かう船に向けての言葉である。船には、
孤島で苦楽を共にした仲間が乗っている。島の娘と、ついさきほ
ど祝言を上げた仲間がいる。そういう人たちへの祝福の気持ちと
自分だけ残された悔しい気持ちを男は持っている。揺れる心。
「思い切っても凡夫心」なのだ。時の権力者に睨まれ、都の妻も
殺されたことを初めて知り、妻殺しを直接手掛けた男をさきほど
殺し、改めて重罪人となって、島に残ることにした男が、叫ぶ
「おーい」なのだ。「さらば」という意味も、「待ってくれ」
「戻ってくれ」という意味もある「おーい」なのだ。別離と逡
巡、未練の気持ちを込めた、「最後」の科白が、「おーい」なの
だろう。

しかし、それだけだろうか。私には、それだけではないような気
がする。それは、今回の舞台を観ているうちに、吉右衛門演じる
俊寛の表情から読み取らなければならない情報があるのだと気づ
いたのだ。「おーい」の後に続く俊寛の表情。その静けさ。その
空虚さ、虚無が、そこにはある。

これは、「最後の科白」でもあるが、「最期の科白」でも、ある
のではないか。ひとりの男の人生最期の科白。つまり、岩組に
乗ったまま俊寛は、この後、どう生きるのかということへの想像
力の問題が、そこから、発生する。昔の舞台では、段切れの「幾
重の袖や」の語りにあわせて、岩組の松の枝が折れたところで、
幕となった。しかし、吉右衛門系の型以降、いまでは、この後
の、俊寛の余情を充分に見せるようになっている。仁左衛門、猿
之助が演じる俊寛でも余情をたっぷり見せる。それでも、普通、
その余情は、仲間だった人たちを乗せた船を見送った後の余情だ
けだったが、今回の吉右衛門の俊寛を観ていると、岩組を降りた
後の、俊寛の姿が見えて来た。ここで、俊寛は、自分の人生を総
括したのだと思う。愛する妻が殺されたことを知り、死を覚悟し
たのだろう。俊寛は、岩組を降りた後、死ぬのではないか。これ
は、妻の死に後追いをする俊寛の妻の東屋への愛の物語ではない
のか。それを俊寛は、未来のある成経と千鳥の愛の物語とも、ダ
ブらせたのだ。そして、俊寛自身は、今後、老いて行く自分、死
に行く自分、もう、世界が崩壊しても良いという総括をすること
ができたことから、いわば「充実」感をも込めての呼び掛けとし
て「おーい」、つまり、己の人生への、「最期」の科白としての
「おーい」と叫んでいるように、私には聞こえて来たのだ。

何故、そう感じるのかというと、俊寛は、清盛という時の権力者
の使者=瀬尾を殺す。それは、清盛の代理としての瀬尾殺しだ。
つまり、権力という制度への反逆だ。これは、重罪である。流
人・俊寛は、さらに、新たな罪を重ねたことになる。何故、罪を
重ねたのか。それは、都の妻を殺されたからである。つまり、俊
寛は、重罪人になっても、直接、自分の妻を殺した瀬尾に対し
て、妻の敵を討たない訳には行かなかったのだ。だから、これ
は、敵討ちの物語でもある。妻殺しの瀬尾を殺してでも、妻と自
分の身替わりとして千鳥と成経には、幸せな生活をしてほしいと
思ったのだと思う。ふたりの将来の幸せな生活を夢見る。だか
ら、これは、愛の再生の物語でもある。そこに、虚無の果てとし
ての充実を思い描く俊寛がいる。」

歌舞伎座の筋書に載った吉右衛門の楽屋インタビュー記事を見る
と、こうある。

「俊寛はお坊さんではありますが、色々欲のある人間です。その
俊寛が若者の為に、自分を犠牲にしようと思い切って、人の為に
生きることを選ぶ。こうした俊寛の清清しい人間らしさを感じて
頂きたいです」。

だから、吉右衛門は、4年前と同じように演じていたのかも知れ
ない。にも拘らず、私は、「虚無の果てとしての充実」→「喜悦
の表情」という印象を踏まえて、「俊寛は、岩組を降りた後、死
ぬのではないか」という、前回の予感とは、全く逆に、俊寛が、
犠牲的精神だけの満足ではなく、もっと、積極的な決意の下に、
「喜悦」の表情をしたように受け止めたのだ。馴染みのある演目
故に、虚心坦懐、ひたすら舞台を観るということだけに集中した
結果、私に見えてきたものは、実は、前回と全く逆なものであっ
た。それは、「あらためて、生き直そう」という俊寛の決意であ
る。

俊寛(吉右衛門)は、芝居の冒頭では、通説通り、御赦免船を一
日千秋の思いで待っている。都(中央)への強い「Uターン志
向」の気持ちである。しかし、既に述べたような経緯があって、
改めて役人殺しの重罪人(確信犯)となり、島に遺されるが、中
央での活躍は、成経(東蔵)と千鳥(福助)、康頼(歌昇)らに
任せて、妻の仇もとった自分は、積極的に島(地域)に残り、人
生の第2ステージにチャレンジするという気になったのではない
か。老人は、後ろに廻り、若い人たちを前へ(都へ)押し出す。
しかも、老人も、後ろに廻るだけではなく、新天地を目指す。他
人(ひと)のためにも役立ち、自分のためにもなる途を見つけた
男の心境ではなかったか。それが、あの喜悦の表情を俊寛に浮か
べさせたのではないか。

実は、私は、今月で、やっと、還暦を迎えた。30有余年、働き
つづけてきて、いくつものハードルを乗り越え、乗り越え、よう
よう、年金世代に到着した。特に、ここ数年は、苦しかった。私
の身の周りにいる同世代は、すでに、病気や自殺などで、「還暦
という彼岸」に到達しないまま、亡くなっている者もいる。ある
いは、脳硬塞などの重篤な病気を引き起こし、早々と介護される
生活を送っている者もいる。私の場合も、ここ数年が、苦しかっ
た。人生を川に例えるならば、山から流れ出し、山間部、平野と
流れてきた川は、いつのまにか、大河となり、私は、恰も、河口
が近づいてきたことを感じさせる幅広の川岸に立たされている。
さらに、そこから、水中に飛び込ませられ、向こう岸(彼岸)泳
げと命じられた人のような生活を送ってきた。私の周りでは、同
じような年格好の連中が、泳いでいる。中には、力つきて、溺
れ、水中に沈んで行く者もいる。私も、何回も、水を呑み込み、
むせては、立ち直るというさまだ。還暦になれば、彼岸に到着で
きる。還暦後、退職をすれば、年金制度の下、金の心配をせず
に、やりたいことができる。そういう意味で、還暦とは、「第2
の思春期」(時間がたっぷりあり、健康でさえいれば、何でも出
来そうな気がする)ではないかと言い聞かせながら、泳いでき
た。手が届きそうなところまで来ながら、病魔にでも侵されれ
ば、彼岸に到達しないまま、溺れ死んでしまうだろう(実際、私
の周辺でも、ここ2年で、2人が病没、ひとりが、病魔にとらわ
れ、介護を受けている)。やっと、到着した彼岸だが、現実の生
活では、後継世代と責任あるバトンタッチをしなければ、簡単に
リタイアは、できない。まあ、それをできるだけ早く、済ませ
て、心置きなく、元気で、豊饒な時間の沃野に入り込んで行きた
い。「青年は、荒野を目指」したが、「老人は、沃野を目指
す」。時間のたっぷりある沃野では、やりたいことも、たっぷり
ある。表現活動のためには、時間は、命同然の重みを持つ。そう
いう思いを秘めながら、舞台を観ていた所為かも知れないが、や
にはに「俊寛」の吉右衛門から、上記のようなメッセージ(彼岸
への期待)が届いたので、私は、吃驚したのだ。

否、それは、勝手な深読みだと批判する声も聞こえてきそうであ
る。それが、もし、深読みに過ぎだとすれば、あるいは、重篤な
病を宣告され、悩みに悩んだ末に、ターミナルケアに身を委ねる
決意をした患者のように、吹っ切れた気持ちの上に、遺された、
限られた時間を有意義に過ごしたいというような意欲が湧いてき
たがゆえの、「喜悦(というよりか、安心立命の心境かもしれな
い)」の表情だったのではないか。「抱き柱」のように抱いてい
た岩組から身を放した俊寛。身体を張って、新しい地平に一歩踏
み出す決意が出来たがゆえの、「喜悦」の表情だったのではない
か。いずれにせよ、吉右衛門の、「喜悦」の表情が、私の胸を
打ったことには、まちがいない。

歌舞伎の名作は、何度も演じられた結果、劇的な骨格がしっかり
しているから、舞台を観る観客が、基本の「骨格」の上に、情報
を「付加」して観ることができる。時代が変っても、新しい時代
の意味合いを付加させて、新しい解釈をしながら、舞台を観るこ
とができる。歌舞伎の「かぶく(傾く)」とは、まさに、そうい
う歌舞伎の特性(旧き上に、新しきを加える)を表わしていると
思う。今回の吉右衛門「俊寛」からは、「人生、第2段階へ、喜
悦」という、団塊の世代向けのメッセージが、届けられたよう
に、受け止めた。これぞ、歌舞伎の醍醐味ということだろうと思
う。

さて、ほかの役者では、憎まれ役の瀬尾太郎兼康を演じた段四郎
が、味を出していた。福助の千鳥(千鳥は、都の上った後、先に
亡くなっている俊寛の妻・あずまやの亡霊とともに、怨霊となっ
て、清盛をとり殺すような、強い女性である)。基康(正義の味
方の裁き役)の富十郎、成経の東蔵、康頼の歌昇と、バランスの
取れた配役で、安定した舞台であった。

贅言:「俊寛」の見どころは、役者ばかりではない。大道具もあ
る。花道を奔流する浪布の動きを見逃してはならない。去りゆく
赦免船を追い求める俊寛の気持ちを遮り、立ちはだかる波は、重
要な場面だ。地絣の布が、引き込まれ、次々に、浪布に切り替わ
る。舞台下手の地絣は、下座音楽の黒御簾の下の隙間から、引き
入れられる。舞台下手にあった岩組は、大道具が廻るに連れて、
孤島になり、辺り一面が、孤島になり、歌舞伎座の場内が、大海
原に変身する瞬間だ。このテンポの良い「変貌」を観るだけで
も、「俊寛」は、見応えがあると言える。これが、猿之助演出と
なると、舞台の上手と下手で、浪衣(黒衣の一種)が、舞台最先
端の浪布を上下に揺らして、波が俊寛に迫って来るだけでなく、
深さも深くなる様を演じてくれるから、素晴しい。

「勧進帳」は、13回目の拝見。今回は、幸四郎。私が、拝見し
た13回の「勧進帳」の主な配役は、以下の通り。

弁慶:幸四郎(4)、團十郎(3)、吉右衛門(3)、猿之助、
八十助時代の三津五郎、辰之助・改め松緑。

冨樫:菊五郎(3)、富十郎(3)、梅玉(2)、吉右衛門、猿
之助、團十郎、勘九郎、新之助・改め海老蔵。

義経:雀右衛門(3)、菊五郎(2)、福助(2)、芝翫
(2)、梅玉(2)、富十郎、染五郎。

幸四郎は、今回の千秋楽で、930回をこえるという弁慶役者の
代表選手なので、実線で、くっきりとした弁慶を演じるが、技巧
に走り過ぎて、巧すぎるのが、難点だ。ものごとのあわいの微妙
さ、色合いの濃淡の魅力など、余白、余韻に欠ける。私の好きな
弁慶は、吉右衛門、あるいは、團十郎。吉右衛門の弁慶、富十郎
の冨樫、雀右衛門の義経というのが、私の夢見る配役なのだが、
未だに実現していない。今月は、当該役者が皆出勤していたのだ
から、ぜひとも実現して欲しかった。

もともと、「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、
名舞踊、名ドラマ、と芝居のエキスの全てが揃っている。これ
で、役者が適役ぞろいとなれば、何度観てもあきないのは、当然
だろう。

今回は、幸四郎の弁慶に、梅玉の冨樫、芝翫の義経。幸四郎と芝
翫に挟まれて、梅玉が、弱い。冨樫は、弁慶の男の真情を理解
し、指名手配中の義経を含めて弁慶一行を関所から抜けさせてや
ることで、己の切腹を覚悟する。男が男に惚れて、死をも辞さず
という思い入れが、観客に伝わって来なければならない。それが
なかった。大酒飲み、舞上手、剛胆さを利用して、義経をかば
う、という危機管理を見事に成功させる有能な官僚の弁慶。そう
いう弁慶像は、幸四郎からきちんと伝わってきた。芝翫の義経
は、品格がある。

贅言:今月は、大阪の松竹座でも、「勧進帳」の競演。團十郎の
弁慶、海老蔵の冨樫、藤十郎の義経。果たして、東西、どっちの
「勧進帳」が、充実していたのだろうか。大阪の舞台は、観てい
ないから、なんとも言えないが、私の夢の配役が、今回、歌舞伎
座で実現していれば、文句なく、歌舞伎座に軍配といきたいのだ
が・・・。

「喜撰」は、5回目の拝見。「喜撰」は、「六歌仙容彩」という
変化舞踊として「河内山」の原作「天保六花撰」と同じ時代、天
保2年3月、江戸の中村座で初演された。小町、茶汲女を相手
に、業平、遍照、喜撰、康秀、黒主の5役を一人の役者が演じる
というのが、原型の演出であったが、いまでは、それぞれが独立
した演目として演じられる。今回は、「喜撰」で、勘三郎の業平
と小町見立ての玉三郎のお梶という配役。

「喜撰」は、小道具の使い方が巧い舞踊だ。櫻の小枝、手拭、緋
縮緬の前掛け、櫻の小槍、金の縁取りの扇子、長柄の傘などが、
効果的に使われる。喜撰は、花道の出が難しい。立役と女形の間
で踊るという。歩き方も、片足をやや内輪にする。勘三郎は、体
調でも悪いのか、身体の切れが、良くない。スレンダーで、ス
マートな玉三郎と対比すると、小太り、ずんぐりの勘三郎が目立
つ。22人出て来る所化の踊りも、揃わない。
- 2007年1月20日(土) 17:20:16
2006年12月・歌舞伎座 (夜/「神霊矢口渡」「江戸女草
紙 出刃打お玉」「紅葉狩」)

夜の部は、初見の演目が多く、楽しみにして来た。歌舞伎座で歌
舞伎を観るのも、とりあえず、いつまでのことか。3年ほど、休
演期間があって、新築なった歌舞伎座で新しい舞台を観る日が来
る。歌舞伎座休演中も、都内では、毎月、歌舞伎興行をするつも
りだとは、聞いているので、歌舞伎そのものは、何処かの劇場で
楽しめるだろう。

「神霊矢口渡」は、初見。1770年人形浄瑠璃初演。歌舞伎で
は、1794年初演。良く上演されるのは、時代浄瑠璃全五段の
うち、四段の切り「頓兵衛住家」。原作は、福内鬼外(ふくうち
きがい)。節分に因んだ筆名。して、その正体は?、というと、
江戸の科学者(本草学、蘭学)で、マルチ人間の平賀源内であ
る。竹本「琥珀の塵や磁石の針、粋も不粋も一様に、迷うが上の
迷いなり」などと、当時の常人には、考え出せない科白も散見す
るが、その割には、荒唐無稽な物語であり、そもそも外題にある
「神霊」とは、なんとも非科学的である。しかし、娘役に仕どこ
ろが多いため、花形の若女形が、良く演じるために、歴史のなか
を生き抜いて来た。

だが、今回の舞台を拝見すると、初役の菊之助と竹之丞時代以
来、36年ぶりの再演という富十郎の演技力が、荒唐無稽な物語
を歌舞伎の枠にはめ込ませたことが判る。例えば、逆海老の、柔
軟な身体を見せる菊之助お舟の若さ(右肩に刀を担ぎ、娘を睨み
倒す父親を演じる老優との対比)。オーソドックスに藝を受け継
ごうと精進している様が、清清しい。極悪人のまま最後まで通し
て、神罰に遭って、殺される富十郎頓兵衛の存在感の強さ。それ
がまた、対比的に菊之助の清清しさを強調する。藝の力こそ、偉
大である。

「頓兵衛住家」とは、六郷川にある矢口の渡守・頓兵衛の家であ
る。時は、南北朝時代。南朝方の新田義興が、朝敵足利尊氏討伐
のため、矢口の渡を渡ろうとしたところ、頓兵衛は、舟の底に穴
を開け、義興を殺すことに成功する。その褒美を元に大きな家を
立てたのが、頓兵衛という男だ。

芝居の主役は、頓兵衛(富十郎)の娘・お舟(菊之助)である。
頓兵衛が留守で、お舟が留守番をしていると義興の弟・義峯(友
右衛門)が、恋人の傾城うてな(松也)を連れて、宿を借りに来
る。ふたりは、黒地に露芝の紋様の縫い取りという、典型的な道
行き(比翼の衣装)のこしらえ。宿屋ではないので、お舟は、断
るが、戸の隙間から覗き見た美男の義峯に一目惚れ。一目惚れの
エネルギーが、物語を一気に展開させるから凄い。恋人うてなを
妹と偽り、お舟の恋心を利用しようとすると、義峯・お舟のふた
りは、新田家の御旗の威力に当てられ、気絶してしまう。江戸の
科学者の筆は、どこまでも、非科学的である。

この家の下男・六蔵(團蔵)は、義峯の正体を悟り、義峯を捕ら
えて、己の手柄にしようとするが、お舟は、身体を張って義峯ら
を逃がそうとする。しかし、夜になると父親の頓兵衛が現れ、
(舞台が回り)住家裏手に出て、寝所にいるはずの義峯を殺そう
と、床下から刀を突き刺し、寝ている義峯を襲う。その結果、義
峯の身替わりに寝ていたお舟が、父親の刀で刺されてしまう。人
非人・頓兵衛は、娘の命など物ともせず、「矢口渡」の柱を斬り
付けると、大きな音を立てて、のろしが上がる。のろしの合図で
仲間を集め、逃げた義峯を舟で追い掛けようとする。鳴り鍔を鳴
らしながら頓兵衛が、花道を引っ込むのは、「蜘手蛸足(くもて
たこあし)」という特殊な演出(舞台上手で附け打ちが打つ附け
の音と鍔が鳴らされる音が交錯する。役者は、首を振りながら向
う揚幕に引っ込む)。

一方、大道具は、さらに半廻しされ、川に突き出た櫓が、舞台中
央に入って来る。櫓の太鼓(落人確保の知らせ)を叩いて、仲間
を引き上げさせ、父の企みを阻止しようとするお舟。この辺り
が、芝居のクライマックス。命を掛けて、自分が一目惚れした貴
人義峯らを逃がそうとする娘心が哀れである。菊之助の清潔感
が、ぴったりとお舟の真情を観客に伝えてくれる。

しかし、上手から出て来た船上の頓兵衛の胸に、突然、どこから
か飛んで来た白羽の矢(折り畳み式)が首に刺さり、極悪人は、
滅びるという話。竹本「怪し、恐ろし」と、最後まで、非科学的
なところも、おもしろし。

贅言:この芝居(人形浄瑠璃初演は、1770年、歌舞伎初演
は、1794年)には、さまざまな狂言の有名場面を思い出させ
る場面がある。例えば、お舟の義峯一目惚れの辺りは、「義経千
本桜」の「すし屋」(1747年初演)を下敷きにしているのだ
ろう。つまり、弥助とお里の場面だ。ここの下敷き説は、判りや
すい。

竹本「薮よりぬっと出たる主の頓兵衛」という場面で、舞台下手
に設えた薮から帰宅の頓兵衛の出の場面は、「絵本太功記」
(1799年初演)の十段目「尼ケ崎閑居」(通称、「太十」)
の光秀の出にそっくり。それだけではない。さらに、光秀が、久
吉(秀吉)と間違えて母の皐月を殺してしまうという状況設定ま
で、頓兵衛のよるお舟殺しにそっくり。「太十」(近松柳ほか合
作)が、真似たのか、上演を続けて行くなかで、「矢口の渡」
が、何処かの時点から原作にない、工夫に「太十」を真似て使う
ようになったのか、いま、詳しく調べる余裕がない。

お舟が、川に突き出た櫓の太鼓を叩く場面は、「伊達娘恋緋鹿
子」(1773年)の八百屋お七、通称「櫓のお七」の場面を彷
彿とさせるではないか。いろいろな狂言が、重層的に連なって、
歌舞伎の狂言ができ上がっていることは、容易に創造できるが、
どちらが先かは、単に上演の時期だけでは、簡単に決められない
ところが、歌舞伎の奥深さだろう。


「江戸女草紙 出刃打お玉」も、初見。菊五郎は、こういう役
は、実に巧い。憎まれ役の梅玉が、貴重。こういう役柄は、なか
なか適役がいない。團十郎、仁左衛門、吉右衛門も、任ではな
い。梅玉以外では、幸四郎か。いずれにせよ、今回の梅玉は、前
半の田舎出の素朴な青年侍と後半、都会の水に洗われ、すっか
り、ふてぶてしく、図々しく、好色な中年侍になった増田正蔵と
いう男の人生を描き切っていて、見応えがあった。

微禄の青年武士の筆下ろしをした姐ご肌の茶屋女は、「出刃打お
玉」という異名を持つ、男勝りの気性の女だ。元は、見せ物小屋
に出ていた女曲芸師・お玉。「出刃打」とは、鰺切包丁を投げる
曲芸時代からの通り名であった。金を無心に来る昔の男・どんで
んの新助(友右衛門)、今ご贔屓の好色住職・広円(田之助)、
茶屋の主人与兵衛(家橘)、お玉の朋輩おろく(時蔵)、向いの
茶屋女お金(歌江)など、達者な役者たちが、茶屋に出入りする
群像を描いて行く。

初めて観た池波正太郎劇だが、その特徴は、人情の機微をいくつ
ものジグソーパズルのようにちりばめ、再構成して、庶民の人情
噺に仕立て上げて行くところ。ジクソーパズルのピースには、い
つのまにか、自分の実体験を踏まえてのいる。年上の女性による
筆下ろしは、池波正太郎の実体験という。仮想世界作りの妙。

お玉に父親の仇討を告白し、仇の居場所を見つけた増田正蔵は、
危うく、仇の森藤十郎(團蔵)に討ち返されそうになるところを
お玉の出刃打の芸に助けられ、見事仇討を成功させる。「強かっ
たよ、おめでとう」。国へ帰るように諭すお玉とお玉に感謝し
て、涙を流す正蔵。

あれから、28年の年月が流れ、歳とったお玉は、朋輩のおろく
が営む出会い茶屋で下女をしている。歳をとりくたびれたお玉を
菊五郎は、情味深く演じている。ひとつひとつの動作を慈しむよ
うに演じる。本当に巧い。

出会い茶屋を利用し、若い処女を食いものにしている嫌らしい中
年の侍は、かっての増田正蔵だ。羽振りは良いようだが、すっか
り、下劣な男に成り下がっている。再会の名乗りに出たお玉。し
かし、「乞食婆あ。知るものか」。汚い婆あは、知らないとしら
を切る正蔵。「驚いたねえ。私も変ったが、あの人も変ったもの
だ」。

茶屋から逃げるように飛び出して来た正蔵。後を追い、出刃を正
蔵めがけて投げ付けるお玉。歳はとっても、若いころ身に付けた
芸は、生きている。正蔵の目に刺さった出刃。犯人は、判ってい
るので、正蔵を迎えに来た家臣(権十郎)は、お玉を捕まえよう
とするが、正蔵は、「俺の身から出た錆よ」と自嘲して、さらに
逃げるようにして、花道を去って行く。「ざまあ、みやがれ。足
腰は、弱っても、これを持たせリャ、私も、お玉に立ち返るん
だ」と強気なお玉だったが、未練気に「正蔵さん」と小さな声で
呼び掛けるのもお玉だ。お玉が、哀れだ。幾重にも味のある女の
一生を菊五郎は、過不足なく演じた。

「紅葉狩」は、7回目。能を素材に、新歌舞伎十八番を制定した
九代目團十郎が、松羽目物にせずに、活歴風の舞台に仕立てた。
前シテの更科姫が、後ジテで鬼女に変るので、女形が演じると後
ジテの鬼女の演じ方が難しいし、立役が演じると、前シテの更科
姫が、難しい。女形は、女形の柔らかな所作の姫の中から鬼を滲
みださせるのに工夫を重ねる。立役は、鬼の荒々しさを赤姫の中
から飛び出さない程度に封じ込めるのに工夫を重ねる。似ている
ようで、異なる工夫が必要なのだろう。例えば、それを眼の光で
現そうとするのが、海老蔵かも知れないし、玉三郎かも知れな
い。歩き方で現す役者もいるだろう。手の動きで現す役者もいる
だろう。背骨の軸で現そうとする役者もいるだろう。持って生ま
れた柄の特徴で現そうとする役者もいるだろう。いまの海老蔵
は、荒削りで、自然体で、己の特徴を掴んでいないから、荒々し
いだけの立役が、赤姫の恰好をしているようにしか見えない。そ
う、江戸川乱歩の小説に出て来る異形な「黒蜥蜴」のようだ。先
月、新橋演舞場の「狐忠信」で海老蔵が見せてくれた「新しい人
来る」という私の思いは、今月、微塵に砕けたが、それだけに、
逆説的な言い方をすれば、海老蔵の「紅葉狩」には、期待ができ
ると予言だけしておこうか。

私の観た更科姫は、6人。玉三郎(2)、芝翫、福助、雀右衛
門、菊五郎、そして、今回が、海老蔵。私が観たなかでは、初め
ての立役が、更科姫を演じる。

このうち、体調が悪かったのか、芝翫が、扇を落とす場面が、印
象に残っているが、今回は、2日目に観た所為もあるが、未熟な
海老蔵が、何回も扇を落していた(その後、観に行った人に聞く
と、大分巧くなり、扇を落さなくなったという)。それほど、更
科姫の扇の場面は、難しい。福助も、落としそうになった。その
ために、踊りが、乱れたのを覚えている。雀右衛門は、落とさな
かった。玉三郎は、危な気なかった。菊五郎も、安定していて、
危なげがないと思って観ていたら、最後に、少しだけ、揺らぎが
あった。それほど、ここの扇の扱いは難しい。

前にも書いたが、「紅葉狩」は、「豹変」がテーマである。更科
姫、実は戸隠山の鬼女への豹変が、ベースであるが、赤姫の「着
ぐるみ」という殻を内側から断ち割りそうな鬼女の気配を滲ませ
ながら、幾段にも見せる、豹変の深まりが、更科姫の重要な演じ
どころである。観客にしてみれば、じわじわ滲み出して来る豹変
の妙が、観どころ。見落しては、いけない。酔いを演じる役者
が、じわじわ酔いを深めて行くように見せるのも難しいが、豹変
ぶりを薄紙を剥ぐように見せるのも、並み大抵のことではない。

このほかの今回の配役は、維盛:松緑、山神:尾上右近(清元の
延寿太夫の子息)、右源太:市蔵、左源太:亀三郎、局田毎:門
之助、腰元・岩橋(道化役):亀蔵、侍女・野菊:ぼたん(團十
郎長女、海老蔵妹)など。ぼたんは、踊りを披露したが、単独の
科白は無し。
- 2006年12月16日(土) 22:05:51
2006年12月・歌舞伎座 (昼/「八重桐廓噺〜嫗山姥」
「忍夜恋曲者〜将門」「芝浜革財布」「勢獅子」)

「八重桐廓噺〜嫗山姥(こもちやまんば)〜」は、4回目の拝
見。いずれも歌舞伎座だが、96年4月の中村鴈治郎、01年6
月の時蔵、04年12月の福助、そして、今回の菊之助と観る度
に役者が若くなる。歌舞伎では、口数の少ない女形が「しゃべ
り」の演技を見せるという近松門左衛門作には珍しい味わいのあ
る演目。

八重桐の科白が「言いとうて、言いとうて」で始まる見せ場。別
名「しゃべり山姥」といわれる「嫗山姥」では、八重桐の物語の
部分を「しゃべり」で演じるが、私が観た舞台で、「しゃべり」
を忠実に演じていたのは、鴈治郎だけで、時蔵も、福助も、今回
の菊之助も、いわば、しゃべらずに、人形のように、竹本に乗っ
ての「仕方噺」として、所作で表現していた。つまり、「しゃべ
り」という名の舞踊なのだ。これは、三代目、四代目が得意とし
た萬屋の家の藝の演出であるという。私が観た「嫗山姥」では、
こうした萬屋系の演出が多いが、私としては、鴈治郎の「しゃべ
り」の演出の方が、印象に残っている。鴈治郎のように「しゃべ
り」の歌舞伎味を強調するか、時蔵、福助らのように、様式色の
強い所作の仕方話で、人形浄瑠璃の味を強調するかが、ポイント
だろうが、鴈治郎のような「しゃべり」の型では、今回登場した
蔵人の妹・白菊、腰元・お歌などの役柄は、登場しない。

ときに糸に乗っての一人芝居では、菊之助は、自在な演技で、熱
演であった。菊之助の踊りのできはよかったし、竹本に合わせ
て、三味線に乗った所作は、充分に堪能できた。菊之助の安定し
た所作と演技。この人は、いわゆる「三之助」(新之助→海老
蔵、辰之助→松緑、菊之助)のなかで、唯一の「之助」だが、成
長ぶりは、三之助随一と思う。

八重桐(菊之助)は、故あって、自害する夫の坂田蔵人(團蔵)
の魂を飲み込むことで、己も怪力を持つという超能力者になると
ともに、妊娠し、後に、怪力少年・怪童丸(お伽噺の金太郎、後
の坂田公時)を産み落とすことになる。金太郎の母になる人の、
「金太郎伝説」を先取りするような芝居。女形の柔らかい身のこ
なしと「常のおなごでなし」というスパーウーマンの力強さを綯
い交ぜにしながら、人物造型をする。

贅言1):超能力は、八重桐の声を太くするし(この場面、菊之
助も地声を出していた。甲の声のとき、菊之助の声は、映画館の
スクリーンで活劇する「緋牡丹お竜」=藤純子の声に良く似てい
ると気づいた)、重い石の手水も投げ飛ばすが、今回は、花四天
の一人を人形(床下で、一人が、まさに、人形とすり替る)のよ
うに投げ飛ばす場面は、今回は、なかった。

贅言2):大納言兼冬館の塀外の場面。やがて、花道から、黒と
紫の「文反古(ふみほご)」をはぎ合わせた着付け姿の、恋文
屋・八重桐が登場するが、無人の塀内に聳える満開の1本の桜
木。塀外には、何故か、桜木の切り株がある。舞台に出て来る道
具は、必ず、何らかの使い道があると思いながら、観ていたら、
客席に顔を向けたまま、後ずさりをし、八重桐が腰を掛ける合引
がわりに使われていた(黒衣が、ちゃんとサポート)。

贅言3):お歌(市蔵)が、煙草屋源七(團蔵)にお茶を持って
来る場面で、「ハーイ、お茶」という科白があるが、これは、夜
の部出演の、海老蔵のCMの「おーい、お茶」のパロディと観
た。

ほかの役者では、滑稽な腰元・お歌を演じたのが、市蔵は、味を
出していた。煙草屋源七、実は、坂田蔵人(團蔵)が、澤潟姫
(松也)を慰めようと、煙草の由来を話して聞かせる場面では、
煙草嫌いだが、女好きという太田十郎(亀蔵)とが、絡み、ちゃ
り(滑稽劇)となるのも楽しませる。嫌煙派の太田十郎に煙管の
雨は、いじわるだが、これは、「助六」のパロディか。このほ
か、萬次郎が、腰元・白菊、実は、坂田蔵人の妹・糸萩を演じて
いた。

拝見3回目の「忍夜恋曲者〜将門」の、今回の見どころ。時蔵
は、81年10月、名古屋・御園座での、時蔵襲名披露の舞台以
来という、25年ぶりの「将門」というから、時蔵四半世紀の、
いわば中締の舞台。花道、スッポンの周辺に黒衣が、ふたり出
て、蝋燭を立てた「差し出し」(別名、「面明り」)で、辺りを
照らす。スッポンのなかから、煙り。やがて、如月(時蔵)が登
場する。ワクワクしながら待つのが、歌舞伎の醍醐味。古風な出
の美しさ。

贅言:「差し出し」は、永い柄の先にホームベースのような形を
した板がついているので、結構重いだろうと思う。その所為か、
黒衣たちは、「差し出し」を静止した状態で持ち続ける時は、両
手を後ろに廻して、背中越しで持っていたのが、見えたが、確か
に、そういう持ち方の方が、疲れが少ないと思う。

このところ進境著しい時蔵、充実の舞台であったと、思う。華や
かさと不気味さというアンビバレント。妖艶な島原遊廓の傾城・
如月と将門の息女で、大宅光圀(松緑)を味方に付けたいと目論
む瀧夜叉姫の二重性(光国に怪しまれる程度の気配を滲ませる必
要がある)をバランス良く演じた時蔵。25年前の舞台を思い出
して、「当時は、手も足も出ませんでした」という時蔵の所作
は、隅々まで、自信に満ちていたように思う(如月→滝夜叉姫の
ような、表情の変化におもしろ味を要求される役柄は、確かに難
しい)。すっかり真っ白い髪になった素顔の時蔵に、徐々に、芸
域を拡げてきた25年の年輪が刻まれている。時蔵の「将門」
は、初めて観たが、このほかの役者で観たのは、雀右衛門、松江
時代の魁春(04年1月、歌舞伎座。二代目魁春の襲名披露の舞
台。「将門」は、古風な歌舞伎の様式美に溢れているから、襲名
披露の演目に馴染むのかもしれない)。

古御所の御簾が上がると、眠り込んでいる大宅光圀の姿が見え
る。光圀を演じた松緑の化粧は、人形浄瑠璃の、白塗の「頭」の
ような印象で、やはり、馴染めない。いずれ、面相という、限定
条件を克服し、松緑の良さが、滲み出て来る舞台を拝見できるの
を楽しみにしている。ただし、平将門の最期をダイナミックな仕
方噺で演じる松緑の演技は、安定している。

古御所が崩れ落ちる、「屋台崩し」という大道具のダイナミズム
と大蝦蟇出現という外連(けれん)は、旧弊で、荒唐無稽なが
ら、「将門」を観る場合の、楽しみのひとつ。

「芝浜革財布」は、4回目。94年12月の歌舞伎座、菊五郎の
政五郎と時蔵のおたつ、97年11月の歌舞伎座以降、今回も、
菊五郎と松江時代を含む魁春で、3回拝見している。落語家三遊
亭圓朝の人情噺を歌舞伎化したもの。この芝居は、軸になる政五
郎一家だけでなく、脇の役者衆が、江戸の庶民を、いかに、生き
生きと演じるかに懸かっている。今回
も、彦三郎、團蔵、亀蔵、権十郎、東蔵、田之助など、藝達者な
人たちの出演で、リアルの江戸の庶民像が、浮かび上がって来
る。バランスの採れた配役で、楽しんだ。このほかでは、左團
次、亡くなった松助らも印象に残る。

この芝居を観たのは、12月が、今回含め、2回。11月が、1
回。1月が、1回だが、戦後の本興行の上演記録14回の内訳を
見ると、12月:4回、11月:2回、10月:2回、1月:2
回、2月:2回、4月、5月:1回。やはり、暮れに観たい演目
だ。

「芝浜革財布」は、夜明け前の芝浜(芝金杉海岸)の暗い海辺か
ら始まる。真っ暗な場内、暗闇のなかで、ぼうと赤い煙草の火が
ついたりするが、今回は、いきなり、くしゃみ。菊五郎は、この
辺りは、巧い。朝焼けの海で、財布を拾う政五郎(菊五郎)。汚
い財布に大金が入っていたので、慌てて、家に駆けて帰る。ドン
チャン騒ぎ。酔っぱらって、喧嘩。宴会の場面が、江戸の庶民像
をリアルに描いて行く。寝込んで、目覚めると、財布を拾ったと
ころは、夢で、ドンチャン騒ぎで、仲間に奢ったのは、現実と女
房のおたつ(魁春)に聞かされ、がっかりする政五郎。ぐうたら
な生活を改め、真面目に働いて、3年後の大晦日。実は、あれ
は、現実で、拾得物をお上に届けていたが、物主不祥で、大金の
所有権が、正式に政五郎になったという女房。偉い女房にぐうた
ら亭主の物語。めでたしめでたし。

本興行で、6回政五郎を演じている菊五郎だが、女房のおたつ
は、松江時代を含め、魁春が、4回、時蔵が、2回演じている。
時蔵の、女房役も悪くはないが、ここは、すっかり、魁春で定着
した感じがする。ぽっちゃりした姫さま役が当り役の魁春だが、
地味な長屋の女房も味わい深い役作りをするようになった。魁春
も、芸域を拡げて来た。このほかでは、姪のお君を演じた菊史郎
の娘姿が、初々しい。

曽我物の「勢獅子」は、3回目。今は、山王神社の祭礼を舞台に
映すが、元は、曽我兄弟の命日、5月28日に芝居街で催された
「曽我祭」を映したという。だから、鳶頭は、曽我兄弟の仇討の
様子を踊ってみせる。

舞台上手は、茶屋。中央寄りに、ご祭礼のお神酒所。中央には、
ご祭礼の門。下手の積物は、剣菱の菰樽。梅玉と松緑のふたりが
達者な踊りを披露。百獣の王 ・獅子の演目だけに、手古舞の女形
たちが、百花の雄 ・牡丹が描かれた扇子を二つ組み合わせて、
蝶々に見立てて、踊っていた。芸者に貫禄の雀右衛門。顔の輪郭
は、いつまでも若々しい。若い鳶たちに、松江、亀三郎、松也。

最後になるが、松竹の永山武臣会長の逝去を記録しておこう。
81歳。急性白血病。京都大学の学生時代から歌舞伎座でアルバ
イトをしていて、1947年、そのまま松竹に入社。一貫して歌
舞伎興行に携わり、米軍の空襲で焼失した歌舞伎座再建の一翼を
担い、近く、改築のため、取り壊される予定の歌舞伎座を見るこ
となく、亡くなった。そういう意味では、今の歌舞伎座の建物と
ともに送った人生だったと言えるかも知れない。興行師としても
卓抜な能力を持ち、戦後歌舞伎の歴史を役者とともに背負っ
て来たと言える。歌舞伎座が、永山会長のお陰で、国民的伝統芸
能歌舞伎の殿堂になったことは、間違いない。歌舞伎界の巨星墜
つ。合掌。
- 2006年12月16日(土) 16:07:54
2006年11月・歌舞伎座 (夜/「鶴亀」「良弁杉由来〜二
月堂」「雛助狂乱」「五條橋」「天衣紛上野初花 河内山」)

「鶴亀」は、初見。女帝の長寿を願って、鶴と亀の舞を披露する
という所作事。歌舞伎座、30年ぶりの上演。女帝は、雀右衛
門、鶴は、三津五郎、亀は、福助。開幕、無人の舞台中央に大せ
りが、3人を乗せて、せり上がって来る。雀右衛門の所作は、
ゆったりと荘重。いつまでも、元気で舞台に出て欲しい。金地に
亀の絵柄の扇子を持ち、濃い紫地に亀甲紋の衣装、金の亀を象っ
た冠姿の福助。銀地に鶴の絵柄の扇子を持ち、薄紫地に鶴の絵柄
の衣装、金の鶴を象った冠姿の三津五郎。三津五郎の踊りは、身
体が、伸びるように見える。やはり、巧い。顔見世月らしい、御
祝儀舞踊。

「良弁杉由来〜二月堂」は、4回目の拝見。「二月堂」のみの上
演は、今回が、2回目。やはり、この演目は、「志賀の里」、
「物狂」、「二月堂」と通しで、見たい。「物狂」、「二月堂」
と間に、「東大寺」という場面を入れる場合もあるが、私は、観
ていない。

通し上演の場合、季節感の変化が、愉しみな舞台である(初夏、
春、そして30年後の盛夏)が、それだけではない。「二月堂」
のみだと、幼児の行方不明を心配する貼紙を見た途端、良弁僧正
が、30年間探し求めていた母親との再会の場面となり、立身出
世した幼児のその後、つまり、良弁僧正と女乞食(実は、実母・
渚の方)の出会いで、めでたしめでたしだけが、強調されてしま
い、舞台が平板になる。仁左衛門の良弁僧正といえども、何故
か、「成り上がり者」の卑しさが付きまとう気がする。実母・渚
の方を演じた芝翫は、いつものように好演なのだが、何故か、2
回目の今回は、薄っぺらな印象が残った。

渚の方:芝翫(2)、鴈治郎(2)。良弁僧正:仁左衛門
(2)、梅玉、菊五郎。芝翫のときは、いつも「二月堂」だけで
ある。

今回の劇評と対照的に、前回、2年前、04年2月の歌舞伎座の
劇評で、私は次のように書いていた。

*鴈治郎は、奥方・渚の方、物狂の渚の方、そして、老いた渚の
方、というように、渚の方三態を演じ、さらに、その芝居を2回
観ているというのに、鴈治郎より、芝翫が印象に残っているの
か。それは、恐らく、この芝居が、詰まるところ、高僧の親孝行
の話という、一枚の絵で足りる印象の芝居だからだろう。渚の方
三態を見せる鴈治郎版は、物語の展開を見せてくれるので、判り
やすいのだが、その分、この芝居の本質である、一枚の絵の持つ
インパクトが、弱まってしまうのだろうと思う。」

それなのに、今回は、逆に、一枚絵の薄っぺらさが、印象に残っ
てしまった。これだから、歌舞伎は難しい。思うに、芝翫と鴈治
郎の印象は、上記の通りなのだろうが、両方で良弁僧正を演じた
仁左衛門が、通しの時より、今回の方に、なにかが欠けているか
らなのかも知れない。「二月堂」の場面は、30年、離ればなれ
になっていた母と子が再会を果たすという話。高僧は、母を大事
にした。そういう単純なストーリ−なので、役者の藝と風格で見
せる舞台だ。仁左衛門の良弁僧正に風格がないわけではない。

仁左衛門が、登場するのは、いずれの場合も、「二月堂」だけだ
から、変わりはないはずなのだが、今回の、この印象の違いは、
何処から来るのだろうか。あるいは、観客としての私の側の問題
か。私の想像力が、テイク・オフしないだけなのか。

贅言;この場面でいつも思うのだが、30数人という大勢の僧や
法師らは、この舞台では、ほとんど背景になっている。なんと
も、贅沢な芝居である。

「雛助狂乱」「五條橋」は、初見。雛助は、二代目嵐雛助という
役者のこと。初演した雛助が、演じて評判を取り、通称「雛助狂
乱」となったという。偽の狂乱の体の武士が、捕り方と扇を使っ
て立ち回るというもの、今回、菊五郎が、戦後初めて演じた。あ
まり、印象に残らなかった。

「五條橋」は、明治期の新作舞踊劇。富十郎の弁慶と息子の鷹之
資(7歳)の牛若丸。京の五條橋で出逢い、立回りとなる伝説の舞
踊化。音楽の荒事、大薩摩が、盛りたてる。父親としての富十郎
が、一生懸命努めているのは判るが、こちらも、あまり、おもし
ろくなかった。

「天衣紛上野初花 河内山」は、7回目の拝見。黙阿弥原作のな
かでも、「弁天小僧」と並んで、上演回数の多い作品。河内山宗
俊は、吉右衛門(3)、幸四郎(2)、仁左衛門、そして、今回
の團十郎。当代團十郎は、初演が、九代目團十郎という割には、
この演目をああまり演じていない。今回が、実に、18年ぶりの
上演になる。

河内山役者では、やはり、観た回数が多い、吉右衛門の舞台が印
象に残る。吉右衛門の河内山は、無理難題を仕掛ける大名相手
に、金欲しさとは言え、法親王の使者に化けて、町人の娘を救出
に行く。小悪党ながら、権力に立ち向かう度胸を秘めた人の良さ
が感じられた。幸四郎の河内山は、陰気だが、吉右衛門の河内山
は、おおらかさがある。上州屋の店先では、吉右衛門の耳には、
朱が入っていないが、松江出雲守の屋敷の場面では、朱が入って
いる。私の推測では、店先での日常のゆすりの場面と、非日常の
たかりという、河内山にとっも、一世一代の大舞台という出雲守
の屋敷での、「緊張感」が、赤らんだ耳として、吉右衛門は、耳
に朱を入れたのでは無いか。初代の五十回忌追善狂言として「河
内山」を演じ、ほかの役者がやらない工夫をする吉右衛門の河内
山は、やはり、持ち役のひとつだという自覚があるのだろう。

2年前、初めて河内山を演じた仁左衛門は、上方味を消して、江
戸っ子ぶりを強調していて、花道を歩いて来るだけで、身の丈高
く、颯爽としていた。吉右衛門とも一味違う河内山であった。さ
て、今回の團十郎は?

「頭の丸いのを幸いに、東叡山寛永寺の御使い僧に化けて乗り込
む肚をきめた時から、生命はすてる覚悟はできているんだ。だ
が、かりにもあいつが河内山かと人に指さしされるように名を
売ったこの悪党が、ただで命をすてるものか。これでも天下の直
参だぜ。白洲で申しひらきをたてる時にゃ、松平出雲守の城を抱
きこんで心中してやる方寸だぐれえ、おい、てめたちにゃ見ぬけ
ねえのか。三十俵二人扶持が、二十万石と心中するんだ。こいつ
をそっくり芝居にくんで、団十郎に演(や)らしてみねえ、中村
座の鼠木戸まで客があふれて、やんやの大喝采だろう
ぜ。・・・」

とは、柴田錬三郎の「真説河内山宗俊」のなかの、河内山の科白
だ。江戸期の中村座の舞台には、かからなかったが、「天衣紛上
野初花 河内山」は、河竹黙阿弥が、明治14(1881)年3
月に東京の新富座で初演した。歌舞伎では、松平出雲守は、「松
江出雲守」になっている。初演時の「河内山」は、河内山期待の
團十郎の芝居が実現する。河内山を演じたのは、明治期の「劇
聖」の九代目團十郎だった。

そして、今回は、十二代目の團十郎が、病気休演、舞台復帰後、
初めて、歌舞伎座の昼の部と夜の部に出演し、夜の部で、主役の
河内山を18年ぶりに、元気いっぱい演じた。北村大膳へ、「馬
鹿め」と、気持ち良さそうに科白を吐いて、まさに、「やんやの
大喝采だ」った。

團十郎は、出雲守の屋敷の時代がかった場面では、科白を詠い、
いっしょに舞台に出ているほかの役者とは、トーンが違うが、こ
れは、後に正体を見破られ、世話に砕ける時との対比を考えてい
たのだろうか。ちょっと、気になった。

いずれにせよ、團十郎は、度胸ひとつで、大名を相手に手玉に取
る河内山を、迫力、貫禄もたっぷりに演じていて、納得の舞台で
あった。團十郎の病気には、ストレスが大敵だが、こういう「河
内山」なら、ラストの、この科白で、ストレス解消、間違いない
だろう。次の團十郎の舞台も期待したい。

ほかの役者では、まず、出雲守。人格障害という病気ではないか
と思われる、じゃじゃ馬のような殿様・出雲守は、今回含め、三
津五郎は、2回目。世間体を繕うばかりで、危機管理の知恵のな
い殿様を好演。これまでに、3回観た梅玉は、癇僻の強い殿様を
演じていて、こういう役は、巧かった。

出雲守の屋敷の場面は、上州屋質店の場面と同心円をなす。店頭
での課題を、大名の屋敷での課題に、いわば拡大したように思え
る。だから、河内山の正体を見抜いた重役・北村大膳(弥十郎)
は、忠義の危機管理者としては、失格で、質店の番頭(四郎五
郎)と同格だ。いずれも、駄目な中間管理職の典型だ。

危機管理者として合格したのは、出雲守の屋敷では、家老・高木
小左衛門(段四郎)であり、上州屋後見役の和泉屋清兵衛(歌
六)である。歌六が、このところ、地味な役だが、印象の残る役
を演じているのが、判る。

贅言;出雲守の屋敷の場面へ、薄縁を大円盤に載せたまま、舞台
は廻る。大道具方が、上手と下手から出て来て、薄縁を引っ張
る。いつもの場面なのだが、今回は、充分に薄縁を引っ張り切ら
ないまま、大道具方は、舞台袖に引っ込んでしまった。薄縁に
は、皺が残っている。どうするのかと観ていたら、近習役の一人
が、足で、巧く捌いて、薄縁の皺を直していた。こんな場面、初
めて観た。大道具方と薄縁といえば、巻いていた薄縁を上手から
下手へ向って、すっと放り、一発で、ぴたっと薄縁を敷き尽すよ
うな手腕を観て来たので、余計にそう感じる。こういう場合は、
観客席から、大道具方へ拍手がいったものだ。
- 2006年12月2日(土) 21:45:09
2006年11月・歌舞伎座 (昼/「伽羅先代萩」「源太」
「願人坊主」)

「伽羅先代萩」は、8回目の拝見となる。今回は、「花水橋」
「竹の間」「御殿」「床下」「対決」「刃傷」という通し狂言興
行方式だ。私が観た8回の舞台のうち、「花水橋」(6)、「竹
の間」(4)、「御殿」(8)、「床下」(8)、「対決」
(5)、「刃傷」(5)。これで見ても判るように、「伽羅先代
萩」の芝居といえば、「御殿」「床下」は、絶対に欠かせない。
「花水橋」「竹の間」は、それぞれの都合で、外されることがあ
る。「対決」「刃傷」は、そっくり外されるか、上演するなら、
必ず、いっしょに上演される。

「竹の間」の大道具は、銀地の襖に竹林が描かれている。「御
殿」の大道具は、金地の襖に竹林と雀(伊達家の紋、つまり、
「伽羅先代萩」は、足利頼兼のお家騒動という想定の芝居だが、
史実の「伊達騒動」を下敷きにしていることを、襖は、黙って主
張している)が描かれている。「御殿」は、通称「飯(まま)炊
き」と言われるように、お家乗っ取り派による毒殺を警戒して、
乳母・政岡が食事制限をしている、幼君・鶴千代と実子・千松の
ために、お茶の道具を使って、飯を焚く場面が有名だが、今回の
ように、「飯(まま)炊き」の場面が、省略されることも、とき
どきある。だから、「御殿」の場面と言っても、上演時間には、
長短がある。また、上方歌舞伎と江戸歌舞伎の演出の違いもあ
り、その場合、大道具からして違って来るが、例えば、江戸歌舞
伎に比べて、上演回数が少ない上方歌舞伎の大道具の違いは、前
回、06年1月の歌舞伎座、坂田藤十郎の襲名披露の舞台の劇評
で触れているので、関心のある人は、参考にして欲しい。大道具
の違いは、当然の事ながら、役者の演技も違って来る。

95年10月の歌舞伎座から観始めた「伽羅先代萩」、政岡は、
玉三郎、雀右衛門、福助、菊五郎、玉三郎、菊五郎、藤十郎、菊
五郎。つまり、菊五郎が3回、玉三郎が2回ということで、5人
の役者の政岡を観ていることになる。いちばん印象に残るのは、
1回しか観ていない雀右衛門だ。雀右衛門は、全体を通じて、母
親の情愛の表出が巧い。次いで、2回の玉三郎。特に、母親の激
情の迸りの場面が巧い。そして、3回の菊五郎ということで、回
数ばかりが、重要とは言えないのが、歌舞伎のおもしろさだ。し
かし、今回の菊五郎は、幼君を守る「官僚・乳母」としての政岡
を演じる時には、父親の助言に従って、指導を受けたという六代
目歌右衛門の姿形が浮かんで来たし、千松の母親としての政岡を
演じた時には、なんと、菊五郎の顔が、実父の梅幸に見えて来た
から不思議だ。本当にそっくりだった。こういう意外な味わい
は、雀右衛門にもないし、玉三郎にもない。そういう意味では、
逆転の菊五郎政岡の舞台とも言える。

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐である。八汐
で印象に残るのは、何といっても、仁左衛門。幸福なことに今回
も、仁左衛門。これで、孝夫時代を含めて、3回目の仁左衛門八
汐だ。

さて、八汐は、性根から悪人という女性で、最初は、正義面をし
ているが、だんだん、化けの皮を剥がされて行くに従い、そうい
う不敵な本性を顕わして行くというプロセスを表現する演技が、
できなければならない。「憎まれ役」の凄みが、徐々に出て来る
のではなく、最初から、「悪役」になってしまう役者が多い。悪
役と憎まれ役は、似ているようだが、違うだろう。悪役は、善
玉、悪玉と比較されるように、最初から悪役である。ところが、
憎まれ役は、他者との関係のなかで、憎まれて「行く」という、
プロセスが、伝わらなければ、憎まれ役には、なれないという宿
命を持つ。そのあたりの違いが判らないと、憎まれ役は、演じら
れない。これが、意外と判っていない。私が観た5人の八汐は、
仁左衛門(今回含め、3)、團十郎(2)、勘九郎、段四郎、梅
玉で、このプロセスをきちんと表現できたのは、仁左衛門の演技
であった。ほかの役者は、どこかで、短絡(ショート)してしま
う。仁左衛門の悪女役は、ますます、磨きがかかって来た。後半
に颯爽と登場する細川勝元役の、裁き役は、磨きがかかりにくい
が、悪役は、磨きをかければかけるほど、深みが増すということ
だろう。

八汐は、ある意味で、冷徹なテロリストである。そこの、性根を
持たないと、八汐は演じられない。千松を刺し貫き、「お家を思
う八汐の忠義」と言い放つ八汐。最後は、政岡に斬り掛かり、逆
に、殺されてしまう。自爆型のテロリストなのだ。

そのほかの役者では、「花水橋」の頼兼を演じた福助は、足取り
も、女形にならず、「だんまり」では、酔いと立回りの正気との
交錯を適宜に出せた。品格のある頼兼であった。初役ながら、歌
昇が演じた相撲取りの絹川谷蔵も、熱演。脇にこういう人がいる
と舞台に奥行きが出る。「竹の間」で、初めて沖の井を演じた三
津五郎も、風格のある沖の井であった。松島を演じた秀調も、良
かった。顔見世らしい重厚な配役。腰元群には、芝のぶもいた。
「御殿」では、子役の鶴千代、千松が、好演。特に、下田澪夏が
演じた鶴千代は、八汐相手に若君の風格で臆せずに堂々の対抗。
観客席から応援の拍手が上がっていた。千松も、武士の子らし
い、つわものぶりが、滲み出ていた。栄御前(「対決」の場の采
配役・山名宗全の奥方)の田之助は、弾正・八汐同様の、乗っ取
り派ながら、正直な人柄も抑え切れずに、政岡に秘中の秘を容易
くばらすという、憎めない悪役という、複雑な役どころを無難に
演じた。まさに、ベテランの味。いずれにせよ、何回も観た「伽
羅先代萩」の舞台だが、今回は、顔見世興行に相応しく、配役の
バランスが採れていて、厚みもあり、見応えがあった。

前半は、政岡、八汐の女の「戦い」だが、後半は、「男の戦
い」。それを繋ぐ場面が、「床下」。今回、この短い場面の配役
が、なんとも豪華。仁木弾正に團十郎。荒獅子男之助に富十郎。
もう、過不足なく、歌舞伎の醍醐味を感じさせてくれた。

富十郎「取り逃がしたか。(柝の頭)残念や」見得、拍子幕。幕
引き付ける。團十郎は、「むむははは」で、出端、見得、「く」
の字にそらした立ち姿。凄みがある。そのまま、花道を滑るよう
に歩んで行く。本舞台から遠ざかるに連れて、向こう揚幕から差
し込むライトの光が、引幕に弾正の影を映すが、これが、大入道
のように大きくなって行く不気味さ。やがて、大きな弾正の頭の
影が、引幕に大写しになる。團十郎は、この後、「対決」「刃
傷」と、「国崩し」の極悪人・仁木弾正をたっぷり見せてくれ
る。対決するのは、渡辺外記左衛門(段四郎)だが、それを支援
する細川勝元(仁左衛門のふた役)。颯爽の裁き役は、爽やかに
仁左衛門が、充実の舞台を披露する。病気休演の、やつれもな
く、「刃傷」での立回りでは、團十郎も、眼の光が鋭い狂気の弾
正ぶりを見せてくれた。仁左衛門を軸に、前半は、仁左衛門と菊
五郎、後半は、仁左衛門と團十郎。廻る舞台の、独楽の軸の仁左
衛門は、歌舞伎界の軸として、今回、芸術院会員に選ばれた。誠
に、ご同慶の至り。

狂気の弾正に傷つけられ、瀕死の重傷ながら頑張る忠義の筆頭家
老・外記左衛門を段四郎が、演じる。段四郎は、すっかり、澤潟
屋一門というより、歌舞伎界全体の、名傍役というポジションに
定位置を占めたようだ。「対決」のずるい采配役で足利本家の大
老・山名宗全を演じた芦燕は、こういう肚に一物を持つ役をやら
せると当代随一。「刃傷」で、短刀を振り上げる弾正を止める役
の笹野才蔵は、そのタイミングが難しいらしい。今回は、門之助
が、無難に勤めていた。

「源太」「願人坊主」は、初見。いずれも、江戸の文化文政期に
活躍した三代目三津五郎初演の舞踊劇。大和屋の三津五郎ならで
はの演目。「源太」は、美男で知られた梶原源太景季。源平合戦
で、箙に梅の小枝を挿して参戦したという、ダンディ男。「石切
梶原」で知られ、あるいは、「義経千本桜」の「鮓屋」で、維盛
の首実検をするなど歌舞伎有数の登場人物の一人、梶原平三景時
の長男。「熊谷陣屋」で鎌倉にご注進しようとして、弥陀六に投
げ付けられた石鑿で亡くなるのは、弟の梶原平次景高。「恋飛脚
大和往来」の忠兵衛が、「封印切」の悲劇を前に、まだ浮かれた
放蕩児のような気分で、恋人梅川のいる大坂新町揚屋「井筒屋」
の暖簾を潜ろうとして、「自惚れながら、梶原源太は、俺かしら
ん(あるいは、俺かいなあ)」と脂下がっているのは、典型的な
美男のイメージを梶原源太に託している。

そういう美男が、酒も酔いもあって、馴染みの傾城梅ケ枝との痴
話喧嘩を物語るというもの。「二段返し」の演出で、「源太」に
浅葱幕を振り被せ、舞台の背景を替え、役者の衣装、扮装も替
え、浅葱幕、振り落としで、「願人坊主」になる。「願人坊主」
は、良く演じられる「うかれ坊主」と同系の舞踊劇。社会の下層
に生きる「願人坊主」の生態をコミカルな舞踊に仕立てている。
身の上話をチョボクレの祭文で語る。半裸体のような扮装で、滑
稽味を売り物にする。歌舞伎役者のなかでも、当代有数の舞踊の
名手、三津五郎の所作は、安定している。軸が、ぶれない。
- 2006年12月2日(土) 16:50:30
2006年11月・新橋演舞場花形歌舞伎 (夜/「時今也桔梗
旗揚」「船弁慶」「義経千本桜〜川連法眼館」)

新橋演舞場は、「花形歌舞伎」とあって、劇場内に華やぎがある
が、観客は、意外と中高年の女性が多い。若い女性たちの姿が、
少ないようだが、なぜだろうか。

さて、今回は、「夜の部」のみ拝見。お目当ては、海老蔵初演の
「義経千本桜〜川連法眼館」だ。脳硬塞で病気休演中の猿之助
が、直々に指導したという狐忠信、そして宙乗りを楽しみにして
来た。夜の部、まずは、「時今也桔梗旗揚」で、私は、3回目の
拝見だが、サイトの「遠眼鏡戯場観察」をチェックしてみると、
6年前、2000年9月の歌舞伎座の舞台(吉右衛門主演)を観
ていないので、「遠眼鏡戯場観察」の劇評としては、初登場であ
る。それでは、「時今也桔梗旗揚」も、基本情報を含め、それな
りに劇評を書くことにする。

「時今也桔梗旗揚」(鶴屋南北原作)の原題は、「時桔梗出世請
状(ときもききょうしゅっせのうけじょう)」出逢ったが、明治
以降、現行の外題になったという。本来は、五幕十二場だった
が、序幕の「饗応」(祇園社)、三幕目の内、本能寺「馬盥(ば
だらい)」、「愛宕山連歌(あたごやまれんが)」の3場面、特
に、最近では、「馬盥」「愛宕山」の2場面のみが、よく演じら
れる。今回も、そう。南北劇らしい、怨念の発生の因果と結末の
悲劇を太い実線で描く。

まず、私が観た主な役者たち(95年6月歌舞伎座、97年5月
歌舞伎座、そして、今回の順)。武智光秀:十七代目羽左衛門、
團十郎、松緑。小田春永:團十郎、左團次、海老蔵。皐月:九代
目宗十郎、田之助、芝雀。桔梗:萬次郎、芝雀、松也。森蘭丸:
正之助時代の権十郎(2)、橘太郎。四天王但馬守:孝夫時代の
仁左衛門、九代目三津五郎、亀蔵。

芝居は、武智光秀が、暴君・小田春永(本能寺が宿所)から辱め
を受ける場面、それに耐える辛抱立役・光秀の態度、春永に対す
る謀反の心の芽生え(激情が込み上げ、表情が歪む松緑)という
心理劇の「馬盥の光秀」と通称される場面、そして、謀反の実行
(旗揚げ)という(光秀の宿所)「愛宕山連歌」の場面という形
で展開する(「君、君たれども、臣、臣たらざる光秀」「この切
り髪越路にて」「待ちかねしぞ但馬守。シテシテ様子は、何と何
と」で三宝を踏み砕いて、太刀を引っかついだ大見得など、光秀
の無念を表わす名科白が知られる)。

特に、光秀の謀反の実行は、本心をさらけだし、「時は今天(あ
ま)が下(した)知る皐月かな」と辞世の句を読む。夜半の風が
吹き込み、座敷の灯りが消え、暗闇で、白無垢、水裃の死に装束
に着替え、その上で、春永の上使を刀で殺す形で噴出し、「しか
らば、これより、本能寺へ」「君のご出馬」といいながら、向う
を見込む松緑の光秀と光秀の血刀を拭う亀蔵の但馬守で、幕。そ
のまま、ここでは、演じられていない本能寺の場面を容易にダブ
ルイメージさせるのは、巧みな演出だ(原作の本来なら、本能寺
客殿の「春永討死の場」に移るが、そこを演じない方が、余韻が
出て来る)。光秀の演じ方は、七代目團蔵系と九代目團十郎系と
ふたつあるという。團蔵系は、主君に対して恨みを含む陰性な執
念の人・光秀。團十郎系は、男性的で陽気な反逆児・光秀。これ
は、南北劇らしく怨念の團蔵系の演出が、正論だろう。春永鉄扇
で割られた眉間の傷、謀反の心を表わしてからの「燕手(えん
で)」と呼ばれる鬘など、謀反人の典型、「先代萩」の仁木弾正
そっくりの光秀が現れる。

さて、「役者論」。3回観た舞台では、やはり、今回は、粒が小
さい。ただし、松緑は、それなりに成長して来た。松緑は、怨
念、恨み、つらみの陰気さを滲ませた團蔵型の光秀。花道引っ込
みの、「箱叩き」の、主君から辱めを受けた後の、無念さ、悔し
さ、謀反の心の芽生えを表わす息の吐き方に、それを感じた。両
足を高々と上げ、下ろし、ばたばたという音を響かせて、松緑
は、花道を引っ込む。松緑の場合、私は、彼の人形浄瑠璃の人形
のような表情(特に、眼と首)、化粧などに、いつも違和感を感
じるが、今回は、藝の力で、それを薄めているように感じ、彼の
成長に気づいた。一方、上手高座(二畳台)に座っていた海老蔵
も、冷酷な春永を演じている。高みから光秀を睨んでいるとい
う、これも、巧みな演出。昔テレビで観た信長を演じた高橋幸治
の冷酷さを彷彿とさせた。海老蔵は、冷たい人物の表現は、持ち
味になるかも知れない。光秀の妹・桔梗の松也が、初々しいい。
父親の松助亡き後、健気に精進しているのが、判る。今回は、
「花形歌舞伎」の主役クラス(松緑、菊之助、海老蔵。つまり、
かつての「三之助」)を支える「花形」以前の若手、松也、梅
枝、萬太郎らが、初々しく、清新な舞台を構築している。

贅言1);本能寺馬盥の場面では、花道に薄縁が敷き詰められ、
畳敷きの廊下の体。向こう揚幕も、座敷の襖になっている。私の
席は、花道の横(新橋演舞場は、歌舞伎座の花道と違って、花道
と観客席との間に隙間がない)なので、薄縁を滑るように走り込
む役者の足音が、風ととも、鋭く耳を襲って来る感じがする。

贅言2);馬を洗う際に使う馬盥に轡(くつわ)で留めた錦木の
花活け(久吉から春永への贈り物)、その馬盥を盃替りに春永か
ら酒を飲まされるなどして、屈辱感で怒り心頭の光秀だが、
「盥」で酒を呑む場面と言えば、「勧進帳」の弁慶が、酒を呑む
際に使ったのも、「盥」ではなかったか。あれは、「勧進帳」の
台本を見ると、「葛桶の蓋」とあるが、舞台では、同じもののよ
うに見える。片方は、怒り、片方は、喜ぶ。融通無碍。そこが、
歌舞伎の奇妙なおもしろさ。

「船弁慶」。能の荘重さと歌舞伎の醍醐味をミックスさせる工夫
をした六代目菊五郎演出以来、その形が定着している。私が観た
「船弁慶」は、6回。静御前と知盛の亡霊を演じたのは、富十郎
(2)、菊五郎、松緑(松緑は、四代目襲名披露の舞台)、玉三
郎、そして今回の菊之助。弁慶:團十郎(2)、彦三郎、吉右衛
門、弥十郎、そして今回の團蔵。義経:時蔵、芝雀、玉三郎、鴈
治郎時代の藤十郎、薪車、そして今回の梅枝。舟長:勘九郎時代
と勘三郎(2)、八十助時代の三津五郎、吉右衛門、仁左衛門、
そして今回の亀蔵(舟人は、松也と萬太郎)。

今回の舞台を対比的に見るのには、3年前の、11月の歌舞伎座
の舞台を思い出せば良い。富十郎の一世一代の「船弁慶」(但
し、富十郎は、途中、病気休演で菊五郎が、バトンタッチした
が、私は、富十郎を見ている)舞台とあって、配役は、豪華だ。
象徴的な例をあげるなら、舟長、舟人の組み合わせが、仁左衛
門、左團次、東蔵だった。今回は、亀蔵、松也、萬太郎という組
み合わせ。亀蔵は別としても、初々しい。櫂を漕ぐ舟人の若いふ
たりは、いかにも基本に忠実で、櫂を漕ぐ手首をいちいち律儀に
返しているのが判る(亀蔵は、全く、手首を返さず)。

舞台は、「義経千本桜」の「大物浦」と同じ場面。ここまで、義
経一行に同伴して来た静御前を弁慶の進言で、都へ帰すことに
なった。夫・義経との別れを惜しむ静御前。下手のお幕から菊之
助の静御前登場。お決まりの、能面のような無表情にも華やぎが
ある菊之助。静御前は、後の知盛の亡霊。そういう無気味さを秘
めながら、前半は、静御前として演じる。舟に乗る前の一行のた
めに、大物浦の「浜」で都の四季の風情を踊る。菊之助の静御前
には、女形ならではの妖艶さがある(富十郎には、雅があっ
た)。知盛の亡霊も、足裁きも、凛々しく、「若武者知盛」とい
う、史実的には、矛盾するだろうが、存在感があった。菊之助
は、「三之助」のなかでは、やはり、いちばん成長が早い。

起(お幕からの弁慶の登場、続いて、花道からの義経と四天王の
登場)、承(お幕からの静御前の登場)、転(お幕からの舟長、
舟人の登場)結(花道からの知盛亡霊の登場)と、黙阿弥の作劇
は、メリハリがある。知盛亡霊(菊之助)は、すでに船出した義
経一行の舟を大物浦の「沖」で、迎え撃つ。「波乗り」という独
特の摺り足で、義経に迫って来る。数珠を揉んで生み出す法力で
悪霊退散を念じる弁慶(團蔵)。團蔵弁慶の数珠は、軽く、弱
い。神通力も弱そうに見えるのが残念。知盛の幕外の引っ込みで
は、三味線ではなく、太鼓と笛の、「一調一管の出打ち」。「荒
れの鳴物」と言われる激しい演奏である。花道に密着した席で見
ていると、花道を早足で行き来し、巴になって、薙刀を首に当て
てぐるぐると振り回す菊之助に、観客席のわが首が、切り取られ
るのではないかという恐怖心も沸きかねないほどの迫力がある
(波の渦に巻き込まれる心で廻るというから、観客席の首など気
にしていない所作が続く、見事さ)。実際、振り回す薙刀から巻
き起こる風を首筋に感じた。

富十郎には、厳しい長年の修練の果てに辿り着いた自由自在の境
地(老いを超越している闊達さ)を感じたが、菊之助には、未完
の洋々さがあった。義経、舟人含め、若さが漲る舞台であった。

「義経千本桜〜川連法眼館」、通称「四の切」(「狐忠信」の芝
居)は、10回目の拝見。このうち、澤潟屋系、つまり市川猿之
助演出の「狐忠信」は、4回観ている(猿之助で3回、右近で1
回)。音羽屋系は、5回観ている(菊五郎で、3回、勘三郎で、
1回、松緑襲名披露で、1回)。そして、今回の海老蔵は、病気
療養中の猿之助の指導を受けて、澤潟屋系の演出を習っての舞台
であった。海老蔵は、父親、團十郎とは、違う路線を進む。澤潟
屋系は、都合、5回となった。

ここで、澤潟屋系と音羽屋系の演出の違いを簡単に復習しておこ
う。

澤潟屋系の演出は、外連味の演出が、早替りを含め、動きが、派
手で、いわゆる「宙乗り」を多用する。狐が本性を顕わしてから
の動きも、活発である(忠信の衣装を付けた狐は、下手の御殿廊
下から床下に落ち込み、本舞台二重の御殿床下中央から、白狐姿
で現れる)。本舞台二重の床下ばかりでなく、天井まで使って、
自由奔放に狐を動かす(狐は、下手、黒御簾、あるいは、垣根か
ら、姿を消す)。上手、障子の間の障子を開け、人間・忠信が、
暫く、様子を伺う。再び、狐忠信は、天井の欄間から姿を表わ
す。さらに、吹き替えも活用する(荒法師たちとの絡みの中で、
本役と吹き替えは、舞台上手で入れ代わり、吹き替え役は、暫
く、後ろ姿、左手の所作で観客の注意を引き、ときどき、横顔で
演じる。吹き替えが、全身を見せると、二重舞台中央の仕掛けに
滑り降り、姿を消す。やがて、花道スッポンから本役が、せり上
がって来る)。再び、荒法師たちとの絡み。法師たちに囲まれな
がら、いや、隠されながら、本舞台と花道の付け根の辺りで、
「宙乗り」の準備。さあ、「宙乗り」へ。中空へ舞い上がる。恋
よ恋、われ中空になすな恋と、ばかりに・・・。

それにくらべると、音羽屋系は、まず、宙乗りをしない。その代
わり、澤潟屋系なら、宙乗りが定番の演出の場面では、「手斧振
(ちょうなぶ)り」という仕掛けを使って、舞台上手にある桜の
巨木を狐が滑るように上って行く場面がある。「手斧振り」の演
出は、いまでは、「狐忠信」の音羽屋系の出演のときくらいし
か、お目にかからないが、梁や柱を削る大工道具の手斧の柄に似
た金具を立ち木に取り付け、片腕、片足を仕掛けに乗せて、それ
を上に引き上げることで、役者の体が、宙に浮いて行くという趣
向だ。また、天井からの出入りもしないなど、狐の動きが、おと
なしい(ただし、99年8月の歌舞伎座で演じられた勘九郎の
「狐忠信」は、花道スッポンに頭から滑り込んだ後、狐が、その
まま、スッポンから飛び出してきたのは、驚いた。トランポリン
でも使ったのだろうが、工夫魂胆の人、勘九郎らしい演出だっ
た)。音羽屋系の演出は、五代目以来の菊五郎の家の藝だが、総
じて、澤潟屋系の演出に比べて、派手さはない(しかし、古怪な
味わいがあり、これはこれで、大事に残したい演出だ)。

「花形歌舞伎」と大書された新橋演舞場の筋書には、椅子に座っ
た猿之助の傍で、「かまわぬ」を染め抜いた浴衣姿で指導を受け
る海老蔵の写真が掲載されている。実際の舞台を観ると、海老蔵
の科白にダブルように澤潟屋の声音が聞こえて来るような錯覚に
捕われるほど、海老蔵は、澤潟屋の科白回しをなぞっているのが
判る。それが、ものまねだと判りながら、何回か、忠実に、物真
似を繰り返しながら、海老蔵が「四の切」を本興行で公演すれ
ば、澤潟屋と並ぶ舞台になって来るのではないかという予感がす
る。いや、晩年の澤潟屋の舞台しか知らない、私のような身に
は、猿之助の藝を殻のように残して、脱皮した(要するに、昔の
用語を使えば、アウフヘーベンした)海老蔵の藝の輝きを見せつ
けてくれるような、将来の舞台を予見する気持ちが強くなった。

若さ、強さ、特に、猿之助によって、さまざまに仕掛けられ、磨
きが掛けられて来た「外連」の切れ味、身体の若さ、強さは、若
いころの猿之助は、つゆ知らぬ身には、新鮮な驚きとなって、私
を襲って来た。特に、「宙乗り」の際の、脚の「くの字」の、角
度に漲る若さは、猿之助の愛弟子・右近でも、感じられなかった
驚きである。澤潟屋は、海老蔵の、若さ、強さを見抜き、本腰を
入れて、「四の切」の後継を右近ではなく、海老蔵に決めたので
はないか。そういう予感を強くする、「新しい忠信役者の誕生」
の瞬間に出会えたと思わせる舞台であった。

猿之助の「狐忠信」は、実は、6年前、2000年7月の歌舞伎
座、9月の大阪の松竹座以降、演じられていない。その歌舞伎座
の時の私の劇評では、「体力による外連が売り物のひとつだった
猿之助、体力の衰えをカバーする演技の円熟さ。円熟さで、狐忠
信をカバー出来なくなる日が、いずれは来るのだろうが」と書い
たが、実際には、病気休演が続き、歌舞伎の世界に「天翔ける」
猿之助の舞台を、いまも観ることができない。そういう状況のな
かでの、「海老蔵忠信」の登場であった。まず、体力、そして、
若さの海老蔵の、今後の精進を期待したい。

このほかの役者は、猿之助一座の面々である。義経に段治郎、静
御前に笑三郎、川連法眼に欣弥、妻・飛鳥に延夫、駿河次郎に男
女蔵、亀井六郎に猿弥ほかだが、段治郎、笑三郎には、存在感が
あるものの、やはり、小粒である。「四の切」という芝居は、狐
忠信の芝居であると同時に、「ふたりの忠信登場の怪」の詮議を
義経から任された静御前の芝居でもあるのだ。狐忠信に不審がら
れ、「舞の稽古をするわいなあ」ととぼける静御前に味。

兎に角、海老蔵忠信の印象が鮮烈な舞台であり、11月は、客の
入り通り、新橋演舞場の勝ちか。さて、遅れている歌舞伎座の
11月の劇評は、月が、師走に変ってしまうが、近く、掲載した
い。特に、菊五郎の「先代萩」の政岡は、菊五郎のなかに、歌右
衛門と梅幸が、透かし見えて、堪能。復活團十郎の「河内山」
も、見応えあり。さて、12月の歌舞伎座は、3日(日曜日)
に、昼夜通しで拝見するつもりだ。馴染みの演目が多いなかで、
池波正太郎の新作歌舞伎「江戸女草紙 出刃打お玉」は、初見な
ので、楽しみ。
- 2006年11月30日(木) 21:59:28
2006年10月・歌舞伎座 (夜/「仮名手本忠臣蔵〜五段
目、六段目」「髪結新三」)


仁左衛門勘平の「滅びの美学」


今回の「仮名手本忠臣蔵〜五段目、六段目」は、仁左衛門歌舞伎
である。仁左衛門は、当代の歌舞伎役者の中でも、特に安定した
演技力を持ち、更に、華のある役者である。私の好みでいえば、
立役では、仁左衛門、團十郎、吉右衛門、勘三郎、菊五郎、富十
郎あたり、女形では、雀右衛門、芝翫、玉三郎、鴈治郎、時蔵あ
たり。立役の中でも、仁左衛門は、華があるが、團十郎は、オー
ラがある、吉右衛門は、人情味がある、勘三郎は、滑稽味がある
など、それぞれ、持ち味に違いがある。その、華のある立役が、
勘平を演じる。

早野勘平は、いくつかの実在の赤穂所縁の人物をモデルにして、
造型されているという。赤穂浪士の盟約に参加しながら、仕官を
すすめる父親との板挟みで、自殺した「萱野三平」。「勘平」と
いう名前は、「横川勘平」から借用した。遊女と心中した「橋本
平左衛門」のイメージも、利用した。内匠頭の近習、磯貝十郎左
衛門のイメージも重なる。「仮名手本忠臣蔵」の先行作品の数々
で、似たような役どころで登場する人物の、役名を辿れば、「橋
本平内」「吉野勘平」「早野勘平」などと知れる。

早野勘平は、三段目の「足利館」で登場する。腰元お軽と逢引
し、茶屋(いまなら、ラブホテルか)へ。「足利館殿中松の間の
場」での刃傷事件を挟んで、「足利館裏門の場」では、館内の喧
噪が聞こえる中、勤務放棄の逢引から急いで戻った勘平(竹本:
走り帰って裏御門、砕けよ破(わ)れよと打ち叩き、大音声)
は、狼狽えて、「主人一所懸命の場に有り合わさず」「武士は
廃ったわやい」と「切腹せんとする」が、お軽に「その狼狽武士
には誰がした。皆私が」と諌められ、その場での切腹を思いとど
まって来ただけで、自刃志向を秘めたままである。

そして、「忠臣蔵・勘平編」が、「五段目、六段目」である。斧
定九郎(海老蔵)という、もう一人の魅力的な傍役を線香花火の
ごとく効果的に登場させるなど、歌舞伎の美意識を重視した場面
展開となる。定九郎が、初代中村仲蔵の工夫魂胆で、今のような
黒のイメージを強調した扮装(「五十日」の鬘、斧のぶっちがい
の五つ紋の黒小袖の単衣、博多献上の帯、尻端折りに、蝋色黒柄
の大小落し差し、全身白塗り)で登場するなら、主役を張り、長
丁場を仕切る勘平(仁左衛門)は、「五段目」で、格子柄の着付
けに蓑を付けた猟師姿で登場し、「六段目」では、帰宅した後、
鮮やかな浅葱色の紋服に着替えるなど、地味、派手の対照の美
で、観客を魅了する。勘平の鉄砲で討たれた定九郎が、口に含ん
だ血袋を噛み切って、口から血を流し、白塗の右足に血を垂らす
なら、切腹をした勘平は、「色に耽ったばっつかりに、大事の場
所にも居り合わさず」(三代目菊五郎の「入れ事」)と言いなが
ら、血の手形を右頬に付ける。仁左衛門は、そういう「江戸型」
(五代目菊五郎が完成させた)をベースに、細部(例えば、着替
えの段取りなど)では、上方型を織りまぜて、松嶋屋の味を滲み
出させている。

「仮名手本忠臣蔵〜五段目、六段目」は、また、ミステリー小説
のような趣がある。お軽(菊之助)の父親・与市兵衛(松太郎)
が、定九郎に殺され、懐の50両の入った縞の財布が盗まれる
が、勘平は、雨の降る暗闇の中、猪と間違えて定九郎を撃ち殺し
(義父の仇を討ち)、懐の50両の入った縞の財布を盗む(取り
戻す)。その二重性は、舞台を観ている観客には、判るものの、
舞台では、前半、表向きの展開で終始し、勘平切腹まで行き、後
半、与市兵衛の遺体を改めた千崎弥五郎(権十郎)が、致命傷
は、刀傷と判定し、勘平の冤罪が晴れるという仕掛けになってい
る。こうした展開の中、仁左衛門の勘平は、徐々にではあるが、
三段目で、心底に芽生えた「自刃志向=滅びの美学」に絡め取ら
れて、滅んで行くのである。

こういう主人公の「滅びの美学」を際立たせているのが、実は、
初演の頃は、まさに、名もない老女であったおかや(家橘)の役
廻りなのである。与市兵衛の女房、お軽の母の、この老女は、本
文では、名無しであったという。以前は、「お宮」と言ったそう
だが、明治以降、「金色夜叉」の「お宮」に遠慮をして、「おか
るの母→おかや」という連想で、「おかや」になったらしい。だ
が、このおかやは、滅びの美学の対極にあり、実に生々しい存在
だ。夫・勘平を助けるため、遊廓に売られて行く娘・お軽との別
れを悲しむ、殺されて、遺体となって運ばれて来た夫・与市兵衛
の死を歎く、夫が、婿・勘平に殺された可能性が濃くなると、勘
平を激しく攻める。そして、勘平の冤罪が晴れると、死に行く勘
平を後ろから抱きかかえ、勘平の両手を合掌させ、「愁いの思入
れ、勘平落ち入る」で、幕まで引っ張るのである。夫と娘と娘婿
の4人家族という与市兵衛の家庭は、百姓の家に、百五十石の侍
の婿が来たことから、実は、悲劇が始まっている。身分違いを意
識して、義理の父母と意志が充分に疎通しない。そういう基盤の
上に悲劇が襲いかかる。悲劇の大波で、夫と婿が死に、娘は、身
売りされて出て行ってしまい、そして、老母は、一人になってし
まう。もう、若くもない。途方に暮れる暇もなく、皆を見送る。
それでいて、おかやの強かな、生々しい情動が、絶えず、勘平の
「滅びの美学」を際立たせているというのが、判る。むずかしい
役だ。

さて、最後に役者論を付け加えよう。仁左衛門は、叮嚀な勘平で
あった。科白は、「五十両」の一言しかない海老蔵の定九郎も、
先人たちが洗練して来た黒の美学をきちんと受け継いで、凄みの
効いた味があった。今回、余り触れなかったが、菊之助のお軽
は、菊五郎代々の音羽屋型とは、幾分異なる仁左衛門との呼吸も
充分マッチさせて情愛を滲ませる。むずかしい役を無難にこなし
ていて、この人の着実な成長を伺わせる。お軽の身を引き取りに
来た一文字屋お才を初役で演じた魁春。お才と同行して来た判人
(女衒)の源六役の松之助は、熱演で、存在感があった。勘平切
腹という悲劇の前の、笑劇(ちゃり)という対比の演出を際立た
せていた。おかやを初役で演じた家橘は、熱演だったが、老女に
なりきれていないので、違和感が残った。4年前の歌舞伎座の舞
台で、家橘は、病気休演して、おかや初役は、幻に終ったのだ
が、そのときの劇評に私は、以下のように書いている(読んでい
ない人のために再録)。

*むしろ、「六段目」で、女形陣で重要なのは、お軽ではなく、
お軽の母であり、与市兵衛の妻であるおかやではないか。勘平に
切腹を決意させるのは、与市兵衛を殺したのは、勘平ではないか
と疑い、勘平を攻め立てたおかやのせいである。そういう他人
(勘平は、娘婿という他人である)の人生に死という決定的な行
為をさせるエネルギーが、おかやの演技から迸らないと、この場
面の芝居は成り立たない。「六段目」では、おかやには、勘平に
匹敵する芝居が要求されると思う。「お疑いは、晴れましたか」
という末期の勘平の台詞は、おかやに対して言うのである。さ
て、そのおかやだが、今回は、家橘急病で、上村吉弥が演じた。
ここは、私なら、思いきって、玉三郎におかやをやらせて、上村
吉弥には、お軽を演じさせてみたかった。吉弥は、もともと美形
で、玉三郎に匹敵する美貌の女形である。また、玉三郎は、「ぢ
いさんばあさん」のように老け役にもっと挑戦した方が良いと思
う。老け役をやり、女性の完成した魅力を演じきった上で、再
び、若い役をやると、若さが違って見えて来るのではないか。玉
三郎が、本当の立女形になるためには、そういうチャレンジを経
験した方が良いように思うが、いかがだろうか。私が観たこれま
でのおかやは、鶴蔵、吉之丞、田之助だが、このなかでは、これ
は、田之助がいちばんだろう。

こういう思いきった演出で、「○○版・忠臣蔵」が、現れる日を
楽しみにしている。

ついでに、このときの劇評などで、先日、亡くなった源左衛門こ
と、助五郎のことが出て来るので、短いが、再録しておこう。

*(02年10月歌舞伎座)おかやの夫、与市兵衛では、佳緑
が、最近では、最高の与市兵衛役者と言われるだけに、私も、通
し狂言では、3回観ている。今回は、助五郎だったが、最近の助
五郎は、味わいのある演技が目立つ。

*(05年5月歌舞伎座)「昼の部」と「夜の部」の入れ替えの
時間。三原橋の交差点で。

横断歩道を渡っていたら、浴衣姿で、買い物でもしてきたらしい
源左衛門が、向うから近付いて来た。素顔に眼鏡を掛けた源左衛
門は、名題時代の助五郎から、3月の歌舞伎座の舞台から幹部に
昇格したせいか、かなり、インテリっぽく見えた。いわば、哲学
者の風貌であった。まあ、幼児時代のやんちゃな勘九郎から、今
回の勘三郎まで見て来た真面目な苦労人だけに、根は、知性派な
のかもしれないと思った。

源左衛門に合掌。


世話物に新境地の地平を拡げ続ける幸四郎


世話物の「梅雨小袖昔八丈」、通称「髪結新三」は、明治に入っ
てから、河竹黙阿弥が書き上げた江戸人情噺である。私は、5回
目の拝見。主役の新三で言えば、菊五郎が2回、勘九郎時代を含
め勘三郎が、2回。今回は、このところ世話物の初役に意欲的に
取り組んでいる幸四郎。私は、菊五郎の新三の方が好きだ。勘三
郎は、菊五郎に比べて、科白を謳い上げてしまうので、その差
が、私の評価を下げる。幸四郎は、時代物の場合、オーバーアク
ションで、私の評価を下げるのだが、なぜか、世話物は、肩に力
が入りすぎない所為か、幸四郎と言えども、菊五郎の新三に負け
ていないというのが、おもしろい。世話物と幸四郎の分析は、い
ずれ、きちんとまとを絞って、幸四郎出演の世話物を比較検証し
てみたいと思う。

初めて、この劇評を読む人のために、狂言の概説は、以前からの
私の劇評を再録する(前に読んだ人は、この部分は、飛ばしてく
ださい)。

*1874(明治6)年。幕末期の江戸の色が、まだ濃く残って
いるなか、58歳の江戸歌舞伎作者・河竹黙阿弥は、明治の喧噪
な音が耳に五月蝿かったであろうに、従来の歌舞伎調そのまま
に、江戸の深川を舞台にした生世話物の名作を書いた。前年の明
治5年2月、東京布達では「淫事(いたづらごと)ノ媒(なかだ
ち)ト」なるような作風を改めるようにという告示があった。濡
れ場、殺し場などの生世話物特色ある場面を淡白にしろという。
さらに同年4月、政府諭告では、「狂言綺語」を廃して史実第一
主義をとれという。

ならず者の入れ墨新三。廻り(出張専門)の髪結職人。日本橋、
新材木町の材木問屋。婦女かどわかし。梅雨の長雨。永代橋。雨
のなかでの立ち回り。梅雨の晴れ間。深川の長屋。初鰹売り。朝
湯帰りの浴衣姿。長屋の世慣れた大家。この舞台は江戸下町の風
物詩であり、人情生態を活写した世話物になっている。もともと
は、1727(享保12)年に婿殺しで死罪になった「白子屋お
熊」らの事件という実話。新三の科白にある「あのお熊はおれが
情人(いろ)だ」という「お熊」が、「白子屋お熊」だ。

五代目菊五郎のために、黙阿弥が書き下ろした。歌舞伎を巡る、
先のような動きのなかで、黙阿弥は地名、人名は実話通りにし
た。忠七の台詞に「今は開化の世の中に女子供に至まで、文に明
るく物の理を弁(わきま)えているその中で」などと、「明治」
にも気を使った。幕末の盟友・小團次がいなくなってしまい、幕
末歌舞伎の頽廃色を消して、いなせで、美男の五代目のために、
爽やかな世話物を作ろう。さあ、あとは、好きなように江戸調
で、と黙阿弥が考えたかどうか知らないが、この狂言は、永井荷
風が言うところの、「科白劇」であると、私は思う。

去年5月の歌舞伎座で、勘九郎が、勘三郎襲名披露の世話物の代
表作として選び、自ら髪結新三を演じた演目を今回は、幸四郎
が、どう演じるか。

この芝居は、人情噺だけに、落語の匂いがする。それは、特に後
半の「二幕目」の深川富吉町の「新三内」と「家主長兵衛内」の
場面が、おもしろい。前半では、強迫男として悪(わる)を演じ
るが、後半では、婦女かどわかしの小悪党ぶりを入れ込みなが
ら、滑稽な持ち味を滲ませる。切れ味の良い七五調の科白劇は、
黙阿弥劇そのものだが、おかしみは、落語的だ。その典型が、家
主の長兵衛(弥十郎)と新三(幸四郎)のやりとりの妙。この科
白劇の白眉。特に、弥十郎は、初役ながら、良い味を出してい
る。この芝居、元は、落語の「白子屋政談」(「大岡政談」のひ
とつ)だ。それを、黙阿弥が歌舞伎に仕立て直した。

娘を攫って、慰みものにする、金を強請る、男を脅迫する、なら
ず者、小悪党という新三も、とんまで、単純なところがある。世
知に長けた家主にあしらわれる。それが、この芝居の魅力になっ
ている。観客席では、女性客が、小悪党の「悪(わる)ぶり」に
も、「間抜けぶり」にも、喜んでいたようだ。女性に持てる小悪
党。幸四郎の新しい魅力が、発見されたようだ。小悪党の味が、
ほかの新三役者より、深いのかも知れない。しかし、髪結いの技
を見せるところは、勘三郎の方が、巧かった。幸四郎は、此処
は、まだ、弱い。いいように家主に金を取られた(借金を精算さ
れた)新三は、家主の家に泥棒が入ったと聞き、「溜飲が下がっ
た」と言って、二幕目が、幕になる。落語なら、これが落ち(下
げ)になる。あとは、余韻。

弱きに強いが、強きには弱い。小悪党と言えども、世慣れた、強
欲な、ずる賢い家主には、勝てない。小悪党を手玉に取る家主・
長兵衛を私は、團十郎、富十郎、左團次、三津五郎、そして、今
回の弥十郎と5人観て来たが、いずれも、それぞれ持ち味を活か
した長兵衛で、甲乙付け難い。これは、不思議な現象だ。それほ
ど、長兵衛は、演じる役者をその気にさせる役柄なのかも知れな
い。

さらに、そこへ、一味添えるのが、下剃勝奴(市蔵)だ。下剃勝
奴は、染五郎(2)、八十助時代の三津五郎、松緑、そして、今
回の市蔵だが、これも、長兵衛役同様に、それぞれ持ち味を活か
した勝奴たちが登場した。傍役のキャラクター作りが、黙阿弥
は、巧い。

さて、ほかの役者論。高麗蔵の白子屋お熊は、ミスキャストでは
ないか。今回の顔ぶれならば、初さの表現が抜群の宗之助(今回
は、白子屋下女お菊を演じていた)の方が、似合っていそうだっ
た。高麗蔵は、色気のある芸者が似合う。そういう役には、華が
ある。もっとも、今月の高麗蔵は、昼の部の「熊谷陣屋」で堤軍
次を演じ、夜の部でお熊とは、随分、便利に使われているよう
で、気の毒だ。役者としての軸のアピールが弱いのではないか。
行く末が、心配になる。白子屋手代の忠七を演じた門之助も、存
在感が弱い。猿之助一座が、師匠の病気休演で、皆が、ばらばら
になりかかっている。門之助も、役者としての位置を決めかかっ
ているように見える。

二幕目が終ると、芝居が終ったような感じになり、大詰の「深川
閻魔堂橋の場」を観ないで、席を立ち、帰りはじめた観客も居た
が、この芝居も、新演出で、落語的な人情噺の印象のまま、幕に
してしまった方が良いと、毎回思う。要らぬ尻尾は、切るべきで
はないか。

贅言:1)二幕目第一場「富吉町新三内の場」は、小道具の展示
会のよう。朝湯から帰って来た新三が脱いだ浴衣(帯を結ばず
に、手で抑えて帰宅していた)には、小網町、(料理茶屋の)ひ
ら清、魚河岸などの文字や紋が染め抜かれている。それが、壁に
掛けられている。ちょうど舞台中央付近に掛けられているため、
浴衣は、長い暖簾のように見えて、町家の夏の雰囲気を盛り上げ
る効果抜群。風呂帰りの新三が履いていた下駄は、高銀杏歯下駄
(因に、永代橋の場で履いていたのが、吉原下駄、白子屋で履い
ていたのが、前の部分を斜めに切った、くすべ緒ののめり下駄だ
という)。新三が持つ団扇には、表に堅魚の絵、裏に魚河岸の
紋。肴売りが捌く堅魚は、3枚に下ろせるように、仕掛けがして
あり、会場の笑いを誘う。肴売りは、助五郎を思い出す。

贅言:2)今月の歌舞伎座は、実は、老女競演であった。まず、
昼の部の「葛の葉」では、信田妻の柵の歌江。武士の老妻を穏や
かに演じた。次いで、「忠臣蔵」のおかやの家橘。これは、詳し
く述べた。「髪結新三」の白子屋後家お常の吉之丞。これは、商
家の老妻として、存在感があった。さらに、家主女房おかくの鐵
之助。いかにも長屋の女主人。ときには、新三を煙(けむ)に巻
いた家主をも尻に敷きかねない感じが出ていた。ということで、
4人もの老女が次々と出て来て、「妍(?)」を競うから、おも
しろい。
- 2006年10月30日(月) 14:11:55
2006年10月・歌舞伎座 (昼/「葛の葉」「寿曽我対面」
「熊谷陣屋」「お祭り」)


母の情愛と狐の超能力のバランスの妙


「葛の葉」は、5回目の拝見。この芝居は、前半が、通称「機
屋」、後半が「子別れ」で、「機屋」では、狐の化身の妻・葛の
葉と保名が亡くした許嫁の榊の前の妹で、本来の恋人・葛の葉姫
とのふた役早替りの妙が、見どころ。「子別れ」では、障子に曲
書き(下から上に書いたり、裏文字で書いたり、右手を幼子と繋
ぎ、左手で書いたり、幼子を両手で抱きしめて、筆を口に銜えて
書いたりする)で、書いてゆく文字の巧さが見せ所だろう。そし
て、全体を貫くテーマは、「母親の情愛」だろう。

葛の葉&葛の葉姫のふた役は、鴈治郎で2回。ほかは、福助、雀
右衛門、そして、今回は、初役の魁春。狐だろうと、人間だろう
と、子を思う母の気持ちは変わらない、普遍的な母性には変わり
がないと、母性の情を色濃く出すのが、雀右衛門なら、鴈治郎
は、母性と言えども、狐の化身たる葛の葉には、人間とは異なる
超能力を持つ異形者(獣性)としての味わいがあるということ
で、色気を感じさせる異形を滲ませながら、描いていて、鴈治郎
の葛の葉像が、演劇的には、正解なのだと思うが、雀右衛門の純
粋母性愛も棄て難い。今回の魁春も、福助も、可愛らしい葛の葉
で、「母親」より、保名の「妻」という印象が強い。特に、魁春
の狐の化身ぶりの表出も弱い。

例えば、鴈治郎の化身ぶりを思い出せば、魁春の化身ぶりが、如
何に弱いかが、判るだろう。04年11月の歌舞伎座の舞台。奥
座敷の場では、狐の化を滲み出しながら、舞台にいるのは、ま
だ、女房の葛の葉なのだが、鴈治郎は、右手を懐に入れて、左手
を袖のなかに入れて、という恰好で、手先を観客に見せないよう
にして、奥の暖簾うちから出て来る。ドロドロの音に合わせて、
遠くの木戸を開けてみせたり、保名との間にもうけた童子が、寝
ているところに立て掛けてある屏風を一回転させたり、やがて、
手先を見せると、狐手に構えていたり、足取りも、狐のようにし
たりで、じわじわ、獣性を滲み出して来る辺りは、なんとも、巧
いものだ。母親の情愛と狐の超能力が共存しているのが、良く判
る。

ところが、今回の魁春は、童子が、寝ているところに立て掛けて
ある屏風を一回転させたり、狐手に構えていたり、足取りも、狐
のようにしたりはするのだが、「獣性を滲み出して来る」わけで
はなく、外延的には、似ているが、本質的には、異なるものでし
かないように感じた。要するに、藝の領域が、小粒で、余白がな
いのである。それが、象徴的なのは、4枚の障子に書く「恋しく
ば訪ね来てみよ・・・」という文字の拙さである。福助も、字が
拙かったが、魁春も負けていない(因に、福助の祖父、五代目歌
右衛門の口書きは屏風仕立てで、いまも残っているそうだから、
演技もさることながら、お祖父さんに負けないように習字の研鑽
も努めて欲しい。将来の七代目歌右衛門襲名まで、習字を続けて
ください)。字の巧さは、私が観た4人の葛の葉のなかでは、雀
右衛門が一番であった。雀右衛門の書については、以前に次のよ
うに書いたことがある。

*雀右衛門さんとは、一度、パーティの席で話をしたことがあ
り、ちょうど、お出しになった直後の著書「女形無限」を私が
持っていたので、記念に署名をしていただいたが、老眼で目が良
く見えないといいながら、筆を取られた筆跡は、素晴しい達筆で
あった。

私が観た安倍保名は、今は亡き宗十郎のほか、東蔵、信二郎、翫
雀、そして、今回の門之助の5人だが、ここの保名は、余り仕ど
ころがなく、結構、難しい役だと思う。所作事の「保名」を踊る
役者の場合の存在感と違って、ここの保名は、どの役者を思い浮
かべても、印象が薄い。性根が、中途半端な所為かも知れない。

贅言:信田の老妻の「柵」を歌江が演じていたが、今月の歌舞伎
座は、昼夜合わせて、4人の老婆が出て来る。「忠臣蔵」のお軽
の母「おかや」(前回、配役されながら、稽古中に倒れて、病気
休演で演じなかった家橘は、執念の初役復活である)、「髪結新
三」の「白子屋後家・お常」(吉之丞)、そして、同じ「髪結新
三」の「家主女房・おかく」(鐵之助)。いずれの役者が、老婆
を巧く演じるか。それは、全てを観終ってからの楽しみ。


舞台復帰した「還暦團十郎」


「寿曽我対面」は、白血病に打ち勝ち、06年5月の歌舞伎座
「外郎売」で、舞台復帰した團十郎の2回目の歌舞伎座出演。8
月の誕生日を無事に迎え、代々12人の團十郎の内、團十郎の名
前で、還暦を迎えたふたり目の役者の誕生である。「還暦團十
郎」は、今回は、ふたつの演目に出演する。團十郎は、「寿曽我
対面」で工藤祐経を演じ、高座に座り込み、一睨みで曽我兄弟の
正体を見抜く眼力を発揮する。また、「熊谷陣屋」の義経も、陣
屋の座敷に置いた床几に座り込みながら、敦盛(小次郎)の首実
検を成功させ、弥陀六(宗清)の正体を暴く。いずれも、座り込
んだまま、舞台の中心軸として、ほかの役者を引き付け、場内の
観客を引き付けして威圧し、周縁と中心に磁場を形成し、調和さ
せる。ただ、惜しむらくは、磁場のオーラが、以前ほど、強まっ
ていない。口跡も、弱い。本当に元気なころの、7、80パーセ
ントというところか。まあ、無理をせずに、じっくり、ゆった
り、本来の團十郎の芸域に戻って欲しい。

さて、私は、4回目の拝見となった「対面」は、3枚重ねの、極
彩色の透かし絵のような構造の芝居である。並び大名と梶原親子
の絵が、いちばん奥の1枚の絵なら、2枚目の絵は、大磯の虎、
化粧坂の少将、小林朝比奈が並ぶ。3枚目、いちばん前に置かれ
た絵は、工藤祐経と曽我兄弟の対立の絵である。これらの3枚の
絵が、重ねられ、時に、奥の2枚の絵にも、光が当てられるが、
やはり、主役は、いちばん前に描かれた3人の対立図であり、初
中後(しょっちゅう)スポットライトが、交差する。特に、今回
の曽我兄弟・兄の十郎(菊之助)と弟の五郎(海老蔵)が、見応
えがあった。実は、この配役は、4年前、02年5月の歌舞伎座
の松緑襲名披露の舞台で実現するはずだったのが、新之助時代の
海老蔵休演で、代役の父・團十郎が、菊之助の相手を勤めてい
る。それだけに、4年遅れの海老蔵菊之助コンビは、満を持して
いたようで、まさに、熱演。気合いが入っていた。静かな和事の
菊之助の演技、激しく、迸る荒事の海老蔵(太ったのか。顎が
張ってきたのか。以前より、顔が大きく見える)。静が動を抑制
する場面。大雑把とも言える海老蔵の荒事は、大らかさも滲み出
て、こういう役柄は、海老蔵も巧く演じるようになったと感心し
ながら観ていた。いまや、オーラは、病み上がりの團十郎より若
さの海老蔵に移り棲んだように見える。

この演目は、正月、工藤祐経館での新年の祝いの席に祐経を親の
敵と狙う曽我兄弟が闖入する。やり取りの末、富士の裾野の狩場
で、いずれ討たれてやると約束し、狩場の通行証(切手)をお年
玉としてくれてやるというだけの場面。舞台も、正月なら、上演
の時期も正月である。それが、動く錦絵、色彩豊かな絵になる舞
台と、登場人物の華麗な衣装と渡り台詞、背景代わりの並び大名
の化粧声など歌舞伎独特の舞台構成と演出で、十二分に観客を魅
了する。また、歌舞伎の主要な役柄や一座の役者の力量を、顔見
世のように見せることができる舞台でもある。そういう正月の祝
祭劇という持ち味の演目を、10月の歌舞伎座での團十郎舞台復
帰第2弾として使う、興行側の巧みさ、あざとさが、隠されなが
らも、気にならないというのが、当代團十郎の人徳の為せる技な
のだろう。

田之助の大磯の虎は、対面の仕掛けを知っている別格の傾城とい
う風格がにじみ出る。萬次郎の化粧坂の少将は、口跡が、高過ぎ
て、興を殺ぐ。権十郎は、小柄で、顔も小さいのに、派手な隈取
りの朝比奈に、初役ながら、存在感を与えていたのは、上出来
で、「吉」。

贅言:曽我兄弟を演じた海老蔵と菊之助が、腰掛ける「合引」
に、赤い座布団が、付いていたのは、何故だろう。従来、赤い座
布団付きの合引は、女形が使っているのしか観たことがなかっ
た。立役用の合引は、座布団が付いていない。菊之助が、使って
いるのを海老蔵も真似たのだろうか。


「史劇」には、オーバーアクションも刺激的


「熊谷陣屋」は、10回目(人形浄瑠璃の舞台を入れれば、11
回目)。私が観た直実は、今回を含め6回目の幸四郎、相模が、
今回を含め3回目の芝翫、義経が、還暦團十郎と、実に、配役の
バランスが良い。思えば、12年前に初めて観た、1994年4
月の歌舞伎座では、直実:幸四郎、相模:雀右衛門、義経:梅幸
であった。

今回は、いつもと違って、立役の3人を中心に役者論を書いてみ
たい。まず、幸四郎の直実は、もう、この人のオーバーアクショ
ンも、この役だけは、私も、気にならなくなった。本来の歌舞伎
というより、明治時代に「劇聖」と呼ばれ、国劇としての歌舞伎
を再構築しようと、「活歴」という歴史劇に歌舞伎の理想像を描
き、例えば、「熊谷陣屋」の花道の引っ込みを今のように工夫し
た九代目團十郎と幸四郎は、肌合いが合うのかも知れない。歴史
劇というには、フィクションの多い「熊谷陣屋」だが、役の心
は、歴史劇なのだろう、史実をなぞるような、オーバーアクショ
ンが、幸四郎演劇としての直実像を舞台に再現する。

「勧進帳」でも、しばしば、女形が演じるのが、義経役だが、
「熊谷陣屋」の義経は、あまり、女形は演じない。なぜ、この場
面の義経は、立役が演じた方が良いかというと、それは、今回の
團十郎が、模範解答を示してくれたように思う。還暦團十郎の演
じる義経は、床几に座ったまま、四天王(男女蔵、松也、菊市
郎、菊史郎)に廻りを警護されている。義経を含めて、5人の男
たちは、ほとんど動かない。科白もない四天王は、身じろぎもし
ない。それでいて、義経は、弁慶に書かせた陣屋の制札で敦盛の
命を助けよと直実に謎をかけ、「敦盛」の首実検をし、弥陀六の
正体を見破り、敦盛を救出し、直実の出家を見送るというダイナ
ミックな仕事をこなす。義経の團十郎は、持ち前のオーラは、以
前には、まだ、及ばないものの円の中心は、ここぞと磐石な存在
感を示して、見応えがあった。つまり、磐石な存在感を示すこと
こそ、ここの義経に要請された役どころなのである。菊五郎
(2)、梅玉(2)、團十郎(2)、勘九郎時代の勘三郎、田之
助、染五郎、梅幸と7人の役者の義経を私は、10回観てきた
が、還暦團十郎は、8年前の團十郎とも違う義経像を構築してく
れた。

弥陀六こと、宗清を演じたのが、段四郎。病気休演中の実兄猿之
助一座が、興行を打てない中で、段四郎は、自身の病気も克服し
て、渋い傍役として、あちこちの舞台をこなして、良い味を出し
ているように思う。敦盛が身を隠しているため、重くなっている
鎧櫃を背負うが、立上がったものの、重さによろけて陣屋の縁側
に後ずさった際、縁側に置いてあった制札を手にして、それを支
えに、見得をするという「猿翁型」を披露してくれた。いつも
と、一味違う弥陀六であった。今回の舞台は、幸四郎、團十郎、
段四郎の、三つ巴の関係が、見どころとなった。私が観た弥陀六
は、いまは亡き羽左衛門が良かった(このときも、義経は、團十
郎であった)。

大御所芝翫の相模は、相変わらず、見応えがあったし、魁春の藤
の方、高麗蔵の堤軍次も、てきぱきしていた。


江戸の鯔背は、仁左衛門の持ち味


「お祭り」は、1826(文政9)年、三代目三津五郎初演の変
化舞踊の一幕。江戸の天下祭は、神田祭に山王祭が、二大祭とい
われた。山王神社の祭り「山王祭」を題材にしていて、山王祭
は、一番鶏、二番猿という山車が先達になるので、清元の文句
が、「申酉の」で始まるから、通称「申酉(さるとり)」とい
う。8回目。うち、5回は、孝夫時代を含めて仁左衛門の鳶頭で
観ている。最初に観たのは、大病を煩い休演していた孝夫が、
久々の舞台復帰で、大向うから、「待ってました」と声がかかる
と、「待っていたとは、ありがてい」と答える声に、健康を取り
戻した役者の喜びが、溢れていたのを思い出す。12年前の94
年1月の歌舞伎座であった。5回のうち、仁左衛門は、2回は、
玉三郎の芸者と共演。濃密なエロスを振りまく。さらに、もう1
回は、息子孝太郎の芸者と共演。このときは、さらに、孝太郎の
長男・千之助(つまり、仁左衛門の孫)の初舞台でもあり、外題
も、いつもと違って、「松栄祝嶋台〜お祭り〜」となった。以
下、ちょっと、サービスに、そのときの劇評から、引用。

*祖父と父に挟まれての口上のときは、緊張した表情だった
が・・・。それでも、「片岡千之助です。よろしくお願いしま
す」と、ハキハキとした声で挨拶をしていた。本当に舞台に上が
るのが好きらしい。その役者魂たるや。4歳にして、将来愉しみ
な役者である。

開幕。舞台を覆う浅葱幕が振り落とされると、舞台中央に、銀杏
を紺で染め抜いた白地の衣装(城縮緬に首抜き)も凛々しい仁左
衛門の鳶頭は、桃色の牡丹の花を付けた花笠(祭笠)と同じ牡丹
の絵柄の扇子(祭扇)を持っている。舞台上の提灯は、上手下手
が、歌舞伎座の紋の入った7つの提灯。真ん中は、いずれも、松
嶋屋の家紋「七ッ割丸に二引」の紋の提灯4つと「追いかけ五枚
銀杏」の紋の提灯3つという組み合わせ。江戸の職人の粋、鯔背
が匂い立つような舞台であった。

贅言:若い者11人との立回りの所為か、初日から21日目の舞
台の所為か、仁左衛門が付けている鳶頭の鬘の左上の部分が、薄
くなっていて、「青塗の地肌」が透けて見える。毎回、鬘をつけ
る際に床山が手伝っていて、鬘の髪も整えているだろうに、実
に、珍しい光景であった。
- 2006年10月25日(水) 22:21:02
2006年9月・歌舞伎座 (夜/「菊畑」「籠釣瓶花街酔醒」
「鬼揃紅葉狩」)

「菊畑」は、「裏返し勧進帳」

「菊畑」は、文耕堂らが合作した全五段の時代浄瑠璃「鬼一法眼
三略巻」の三段目。私は、5回目の拝見。歌舞伎の典型的な役ど
ころが揃うので、良く上演される。智恵内、実は、鬼三太:富十
郎、團十郎、(2000年9月歌舞伎座の橋之助を観ていな
い)、仁左衛門、吉右衛門、そして、今回の幸四郎。虎蔵、実
は、牛若丸:勘九郎時代の勘三郎、芝翫(2)、(梅玉は、観て
いない)、菊五郎、そして、今回の染五郎。鬼一法眼:権十郎、
羽左衛門の代役の富十郎を含め富十郎(2)、富十郎の代役の左
團次を含め、今回の左團次(2)。鬼一法眼がいちばん似合いそ
うな羽左衛門の舞台を見逃してしまったのが、残念。皆鶴姫は、
時蔵、雀右衛門、菊之助、福助、そして、今回の芝雀。憎まれ役
の湛海:正之助時代の権十郎(2)、彦三郎、段四郎、そして、
今回の歌六。

舞台は、定式幕が開くと、浅葱幕。浅葱幕が、膨らんで、チョン
で、振り落とし。黒衣が、花の大道具を押し出して来る。華やか
な菊畑の出現というのが、定式。智恵内、実は、鬼三太(幸四
郎)が、床几に座っている。体制派の奴たちと智恵内とのやりと
り。花道は、中庭の想定、七三に木戸があり、ここから本舞台
は、奥庭で、通称菊畑。鬼一とともに、奥庭に入って来る八人の
腰元。「菊畑」は、歌舞伎の典型的な役柄がいろいろ出てくる演
目だ。源平の時代に敵味方に別れた兄弟の悲劇の物語という通俗
さが、歌舞伎の命。皆鶴姫(芝雀)の供をしていた虎蔵(染五
郎)が、姫より先に帰って来る。それを鬼一(左團次)が責め
る。鬼一は、知恵内に虎蔵を杖で打たせようとする。知恵内、実
は、鬼三太は、鬼一の末弟である。兄の鬼一は、平家方。弟の鬼
三太は、源氏方という構図。それぞれの真意をさぐり合う兄弟。
さらに、鬼三太と牛若丸の主従は、鬼一が隠し持つ三略巻(虎の
巻)を奪い取ろうと相談する。

ポイント:こうなると、牛若丸(後の義経)を杖で打たねばなら
ぬ鬼三太は、「勧進帳」なら、弁慶の役どころと知れるだろう。
安宅の関で義経を杖で打ち、関守の責任者・冨樫に男としての同
情を抱かせ、関所を通り抜けさせた弁慶の「知恵」が、知恵内に
あるかどうかが作者の工夫魂胆という趣向と判る。答えは、分別
があるのに、知恵が「内(無い)」ということで、弁慶と違っ
て、知恵内は、牛若丸を打つことができない。「打てぬ弁慶」も
いるだろうという作者の批判精神の現れ。虎蔵、実は、牛若丸
に、実は、恋している皆鶴姫が遅れて戻って来て、あわやという
所で虎蔵と鬼三太の主従を助ける。皆鶴姫は、いわば、「女冨
樫」。まさに、「裏返し勧進帳」というところ。徹底して、勧進
帳のパロディになっているのが、この演目の眼目だ。

皆鶴姫の恋路を邪魔するのが、憎まれ役の湛海(歌六)というわ
けで、人間関係も判りやすい。華やかな菊畑で繰り広げられるパ
ロディ絵巻。まあ、あまり考えずに、ゆるりと観ていたので、ウ
オッチングメモも少ない。

華やかな廻り舞台で展開する「籠釣瓶花街酔醒」

夜の部の最大の見ものは、吉右衛門主演、幸四郎友情出演という
体の、「籠釣瓶花街酔醒」。江戸のディズニーランドのような吉
原といえば、「助六」こそが、吉原という街そのものを副主人公
とした芝居として、私などの頭には、すぐに浮かんで来る。「助
六」が、吉原の大店の店先を舞台にした芝居だとすれば、「籠釣
瓶花街酔醒」は、吉原のエントランスのメインストリートから大
店の店先、遣り手(ガイド老女)の部屋、大衆向けの廻し部屋、
VIP用の花魁の部屋など、吉原の大店の内部を案内する芝居だ
ということができる。「籠釣瓶花街酔醒」自体のストーリー展開
は、花魁に裏切られた真面目男の復讐譚で、陰惨な話なのだが、
「吉原細見」、つまり、「吉原案内」という観点で、人物より、
場にこだわって舞台を観れば、華やかな場面が、テンポ良く、廻
り舞台のリズムに乗って、小気味好く繰り広げられるという、い
まなら、さしずめ、ディズニーランドの紹介ビデオを見るような
心地よさが残る演目なのだと思う。

「籠釣瓶花街酔醒」は、5回目の拝見。河竹黙阿弥の弟子で、三
代目新七の原作。明治中期初演の世話狂言。江戸時代に実際に
あった佐野次郎左衛門による八ッ橋殺しを元にした話の系譜に位
置する。

私が観た次郎左衛門:幸四郎、吉右衛門(今回含め、2)、勘九
郎時代含め勘三郎(2)。八ッ橋:雀右衛門、玉三郎(3)、今
回は、福助。だから、八ッ橋役は、私にとっては、玉三郎のイ
メージが圧倒的に強い。伝説の歌右衛門を観ていないのが、残念
(と言っても、歌右衛門の八ッ橋最後の舞台は、88年9月の歌
舞伎座だから、歌舞伎を観る習慣のなかったころゆえ、それは、
無い物ねだりと言うもの)。

贅言:でも、上演記録を見ていると、歌右衛門さんは、八ッ橋を
88年には、当代の幸四郎を相手に、86年には、吉右衛門を相
手に、演じている。特に、当代の吉右衛門を相手に、戦後の本興
行で、3回も演じている。歌右衛門が、吉右衛門に、この演目を
残そうとした意気込みが伝わって来るでは、ないか。

開幕前に場内は、真っ暗闇になる。暗闇のなかを定式幕が、引か
れてゆく音が、下手から上手へと移動する。そして、止め柝。
パッと明かりがつく。序幕、吉原仲之町見染の場は、桜も満開に
咲き競う、華やかな吉原のいつもの場面。花道から下野佐野の絹
商人・次郎左衛門(吉右衛門)と下男・治六(歌昇)のふたり
が、白倉屋万八(吉三郎)に案内されてやってくる。それを見掛
けた立花屋主人・長兵衛(幸四郎)が、爽やかな捌き役で登場。
如何にも友情出演らしい役どころ。幸四郎は、世話物だけに、長
兵衛をさらっと演じていて、気持ちがよい。田舎者から法外な代
金を取る客引きの白倉屋から、吉原不案内のふたりを助ける。や
がて、花魁道中に出くわす。最初は、花道から九重(芝雀)一行
16人、さらに、舞台中央奥から八ッ橋(福助)一行20人が花
魁道中を披露する。

贅言:前回、去年(05年)の4月歌舞伎座は、十八代目勘三郎
襲名披露の舞台だったから、花魁道中も1組多く、七越(勘太
郎)一行13人、八ッ橋(玉三郎)一行22人、九重一行(魁
春)18人だった。前回、私は、3組の花魁道中が、行き交う様
を観ていて、「ディズニーランドのパレードを思い出した」と書
いている。吉原は、江戸時代のディズニーランドのようなもの
だったという連想は、今回も、印象を強めた。花魁道中は、アト
ラクションなのだ。

 
最大の見せ場は、八ッ橋の花道七三での笑いだ。この笑顔は、田
舎者が、初めての吉原見物で、ぼうとしている次郎左衛門を見
て、微苦笑している。彼女の美貌に見とれている男に、あるい
は、将来客になるかもしれないと、愛想笑いしている。だが、そ
れだけではない。さらに、あれは、客席の観客たちに向けた真女
形役者のサービスの笑いでもあるのだ。こういう演出は、六代目
歌右衛門が始めたという。この笑いは、玉三郎も、雀右衛門も、
ちょっと違うような気がする。今回の福助は、全然駄目だった。

六代目歌右衛門が演じたときの、この笑いがなんとも言えなかっ
たと他人(ひと)は、言うが、私は、生の舞台で歌右衛門の八ッ
橋を観たことがないので、判らない。かなり、意図的な笑いを演
じたようで、3回観た玉三郎も、その系譜で演じているように思
う。しかし、97年、99年、05年と3回観たことになる玉三
郎の笑顔は、確かに綺麗だが、まだ、会心の八ッ橋の笑顔には、
なっていないように感じた。それほど、このときの笑顔は難しい
のだろうと思う。

 
二幕目、第一場。半年後、立花屋の見世先。吉原に通い慣れた次
郎左衛門が、仲間の絹商人を連れて八ッ橋自慢に来る場面だ。そ
の前に、八ッ橋の身請けの噂を、どこかで聞きつけて、親元代わ
りとして立花屋に金をせびりに来たのが、無頼漢の釣鐘権八。権
八は、姫路藩士だった八ッ橋の父親に仕えていた元中間。釣鐘権
八役は、今回も芦燕(私が観た権八は、5回のうち4回が、芦
燕)。さすがに味がある。完璧に当り役。権八は、八ッ橋の色で
ある浪人・繁山栄之丞(梅玉)に告げ口をして、後の、次郎左衛
門縁切りを唆す重要な役回りだ。やがて、絹商人仲間を連れて立
花屋に上がった次郎左衛門は、八ッ橋を皆に紹介して、得意絶頂
の場面となる。ここまでは、明るい。

二幕目、第二場の、地味な大音寺前浪宅。梅玉の栄之丞登場だ
が、ここを挟んで、吉原の華やぎを載せた舞台は、テンポ良く、
繰る繰る廻る。三幕目、第一場。兵庫屋二階の遣手部屋、第二
場。同じく廻し部屋の場面へ。第三場は、兵庫屋八ッ橋部屋縁切
りの場。下手、押入れの布団にかけた唐草の大風呂敷、衣桁にか
けた紫の打ち掛け。上手、銀地の襖には、八つ橋と杜若の絵。幇
間らが、座敷を賑やかにしている。いずれも、吉原の風俗が、色
濃く残っている貴重な場面。廻り灯籠のようだ。

場の華やぎとは、裏腹に、人間界は、暗転する。やがて、浮かぬ
顔でやって来た八ッ橋の愛想尽かしで、地獄に落ちる次郎左衛
門。この芝居の最大の見せ場だ。そういう男の変化を吉右衛門
は、たっぷり、叮嚀に演じて行く。「花魁、そりゃあ、ちと、そ
でなかろうぜ・・・」という科白も、初代譲りか、思い入れ、
たっぷり、じっくり。

部屋の様子を見に来た廊下の栄之丞と次郎左衛門の目と目が合
う。八ッ橋の愛想尽かしの真意が、一気に腑に落ちる次郎左衛
門。

大詰。さらに、4ヶ月。立花屋の二階。妖刀「籠釣瓶」を隠し
持った次郎左衛門が、久しぶりに立花屋を訪れる。次郎左衛門の
執念深い復讐。妖刀の力を借りて、善人は、極悪人に変身。八ッ
橋の気を逸らせておいて、足袋を脱ぐ次郎左衛門。血糊で足が滑
らぬように、周到に準備。顧客を騙した疾しさから、いつもよ
り、余計に可憐に振舞う八ッ橋。「この世の別れだ。飲んでく
りゃれ」。怪訝な表情の八ッ橋。「世」とは、まさに、男女の仲
のこと。「世の別れ」とは、男女関係の崩壊宣言に等しい。崩壊
は、やがて、薄暮の殺人へ至る。場面は、破滅に向かって、急展
開する。裏切られた真面目男は、恐い。村正の妖刀「籠釣瓶」を
持っているから、なお、怖い。黒に裾模様の入った打ち掛けで、
後の立ち姿のまま、斬られる八ッ橋の哀れさ。逆海老反りになる
福助。ここは、拍手が来た。46歳なのに、日頃から鍛えている
のだろう、柔軟な身体は、福助の売り物(逆海老反りになるの
は、56歳の玉三郎も、ちゃんと見せる。真女形も、肉体商売だ
ということが判る)。

妖刀に引きずられる吉右衛門の狂気は、引き続いて、灯りを持っ
て、部屋に入って来た女中お咲(紫若)も、斬り殺す。殺しの美
学は、殺される女形の身体で、表現される。

「籠釣瓶は、斬れるなあ」と妖刀を観客席に突き出すようにし
て、魅入る吉右衛門の目。大詰の、次郎左衛門の狂気の笑い。序
幕の、花道での八ッ橋の微苦笑。ふたつの「笑い」の間に、悲劇
が生まれ、時の鐘、柝、幕。

河竹黙阿弥の「縮屋新助」(美代吉殺し:見初め→逢い引き→別
れ→殺し)、黙阿弥の弟子・三代目河竹新七の「籠釣瓶」(八ッ
橋殺し:見初め→廓通い→縁切り→殺し)。連綿と続く、黙阿弥
調の世話の世界。いずれも、殺し役は、初代吉右衛門が、得意と
したし、近年では、いずれも六代目歌右衛門が殺された。この芝
居を私は、吉右衛門対玉三郎では観ていない。というか、そうい
う組み合わせでは、演じていない(少なくとも、本興行では、歌
舞伎座の筋書の記録にはない。当代の吉右衛門対六代目歌右衛門
は、3回もあるが)から、観ていないのが、当然だろう。いず
れ、是非とも、実現して欲しい組み合わせだと思っているが、今
回も、福助相手だったので、私の願いは、成就していない。

私が観た3人の次郎左衛門は、幸四郎、吉右衛門、勘九郎時代を
含む勘三郎。幸四郎は、陰惨な色合いが、濃くなる大詰が良い。
前半は、コミカルで、勘三郎。全体通しでは、バランスの良いの
が、吉右衛門だ。初代の吉右衛門が、この芝居では、哀愁があっ
たというから、その線を引き継いでいるせいか、吉右衛門が、一
歩先んじていると思う。 

「鬼揃紅葉狩」は、新作歌舞伎舞踊

「鬼揃紅葉狩」は、60(昭和35)年4月、歌舞伎座で吉右衛
門劇団の興行として、六代目歌右衛門を軸に初演された新作歌舞
伎舞踊で、私は初見。普通の「紅葉狩」は、6回拝見。大分違
う。

軒先きのみの大屋根を舞台天井から釣り下げている。信州・戸隠
山中。上手に竹本、中央に四拍子(囃子)、下手に常磐津。そし
て途中から、床(ちょぼ)で、御簾を上げて大薩摩。

筋立ては、基本的に「紅葉狩」を下敷きにしている。更科の前
が、後シテで、戸隠山の鬼女になるのは、同じだが、こちらは、
4人の侍女たちも鬼女に変身するのが、ミソ。侍女たちは、鱗
(ウロコ)模様の着物を着ている。だから、5人の鬼揃というわ
けだ。更科の前を演じる染五郎は、甲(かん)の声が出ない。4
人の侍女は、高麗蔵、吉弥、宗之助、吉之助。

平維盛に信二郎。従者は、松江と歌昇の息子の種太郎。男山八幡
の末社4人に、大谷友右衛門の息子たち・廣太郎、廣松の兄弟、
信二郎の息子の隼人、松江の息子の玉太郎が出演。

前にも書いたが、「紅葉狩」は、「豹変」がテーマである。更科
姫、実は、戸隠山の鬼女への豹変が、ベースであるが、姫の「着
ぐるみ」を断ち割りそうなほど、内から飛び出そうとする鬼女の
気配を滲ませながら、幾段にも見せる、豹変の深まりが、更科姫
の重要な演じどころである。観客にしてみれば、豹変の妙が、観
どころなので、見落しては、いけない。

それが、この新作歌舞伎舞踊では、曖昧であった。平板な印象が
残った。その原因のひとつとして、多分、「紅葉狩」に出て来る
腰元・岩橋(道化役)のような、チャリ(笑劇)が、持ち込まれ
ていなくて、一直線に豹変に向うから、奥行きがないのだと直感
するが、どうだろうか。

秀山祭初代中村吉右衛門ゆかり展

歌舞伎座の2階ロビーで、「初代吉右衛門ゆかり展」を開催して
いた。いつものようにご贔屓筋からは、蘭などの花籠。柳家小さ
ん、梶芽衣子など。展示されているものは、初代の写真、科白の
書き抜き(「引窓」「寺子屋」など今月の出し物に因んで)、
「菅原伝授手習鑑」の「筆法伝授」の舞台で源蔵役の初代が書い
たという半紙の文字が、なんとも、味がある。

「菅家文章、巻第六、詩六より」とあり、
「鑽沙草只三分計、跨樹霞纔半段余(いさごをきるくさはたださ
んぶばかりきにまたがるかすみわづかにはんだんあまり)」

直筆の句(これも、字は、味わいのある筆跡だが、決して達筆で
はない)、絵(絵も巧くはない)、短冊(「一茶翁の遺跡をたづ
ねて」と補した「小ばやしといふ家多しそばの花」。高浜虚子門
下。歌舞伎役者は、江戸時代から俳号を持つ人が多く、なかに
は、俳号が役者名になって行く歴史もあった。「梅幸」「松緑」
「魁春」「白鸚」などが、そう。初代は、役者の余藝の域を超え
て、俳人としても自立している)、舞台衣装とそれを身に付けた
写真)、衣装の附け帳、「二條城の清正」で使用した懐刀、木村
荘八が描いた化粧前の絵(無人)と描かれた実物の化粧前、「秀
山」と書かれた見台、遺影(1943年の文化勲章受賞時)。
- 2006年9月9日(土) 20:35:19
2006年9月・歌舞伎座 (昼/「車引」「引窓」「六歌仙容
彩」「寺子屋」)

9月の歌舞伎座は、「秀山祭」ということで、名優初代中村吉右
衛門生誕百二十年を記念する舞台。初代吉右衛門の俳号「秀山」
を冠し、三代目中村歌六の長男・初代吉右衛門の藝を伝承する。
伝承者の軸は、母方の祖父・初代吉右衛門の孫で、養子に入った
二代目吉右衛門であり、二代目吉右衛門の兄の九代目松本幸四郎
である。兄弟は、八代目松本幸四郎(後の初代松本白鸚)の長男
と次男である。八代目松本幸四郎は、七代目幸四郎の次男で、長
男は、市川團十郎家に養子に入り、十一代目團十郎(当代團十郎
の父、海老蔵の祖父)になる。三男は、二代目尾上松緑(当代松
緑の祖父)。ビッグな三兄弟である。因に、三兄弟の妹の連れ合
いが、現在の歌舞伎界の真女形の最高峰、先月86歳の誕生日を
迎えた四代目中村雀右衛門。

初代吉右衛門の弟は、三代目中村時蔵、末弟は、十七代目中村勘
三郎(当代勘三郎の父)ということで、ざっと見ただけでも、播
磨屋を軸に、高麗屋、成田屋、中村屋、萬屋、音羽屋、京屋の7
系統が、浮かんで来て、歌舞伎名優の血筋が、集まっているのが
判る。

それ故ということもあるが、上演される演目は、昼夜通しで拝見
しても、新作歌舞伎の「鬼揃紅葉狩」を除いて、皆、お馴染みの
ものばかり。歌舞伎座の筋書も、いつにも増して上演記録のペー
ジが、多い。16ページもあった。このサイトの劇評でも、再三
再四取り上げている演目である。ということで、9月の歌舞伎座
劇評は、いつもと趣向を変えて、役者論、演技論を中心に論じる
ことになる。まあ、普通の劇評のスタイルを取らざるを得ないの
が、寂しい。

こうしたなかで、9月の最大の楽しみは、昼も夜も、幸四郎と吉
右衛門が、同じ舞台に立つということだ。兄弟は、すでに、座頭
級の役者とあって、同じ劇場に出勤するということはあっても、
同じ舞台に立つことは、殆ど無い。今回は、昼の部では、「寺子
屋」、夜の部では、「籠釣瓶」で、それぞれを交代で、片方を主
役に立てながら、もう片方が、脇を固める。これは、楽しみ。役
者論のワンポイントとして、昼も夜も、この点は、見逃せない。

今回の「車引」は、花形歌舞伎

まず、昼の部の最初は、「菅原伝授手習鑑〜車引〜」である。
「車引」は、7回目の拝見。「車引」は、左遷が決まった右大
臣・菅原道真の臣の梅王丸と弟の桜丸が、左大臣・藤原時平の吉
田神社参籠を知り、時平の乗った牛車を停めるという、ストー
リーらしいストーリーもない、何と言うこともない芝居なのだ
が、歌舞伎の持つ色彩感覚、洗練された様式美など、目で見て愉
しい、大らかな歌舞伎味たっぷりの上等な芝居。動く錦絵のよう
な視覚的に華やかな舞台が楽しみである。色彩豊かな吉田神社の
門前、豪華な牛車をバックに、今回は、長男・梅王丸(松緑)、
次男・松王丸(染五郎)、三男・桜丸(亀治郎)という配役で、
花形歌舞伎のフレッシュな舞台。揚幕、本花道から梅王丸と上
手、揚幕から桜丸がそれぞれ登場。

松緑の梅王丸は、科白が籠りがち、吉田神社の門前で藤原時平の
乗った牛車に狼藉を働く場面でも、腰の落し方が不十分で、迫力
がない。ただし、腰に差した大太刀の先が、大きく飛び出してい
て、地面に着くのは、おもしろい。荒事の梅王丸の工夫であろ
う。「車引」の梅王丸は、我當、染五郎、勘太郎、辰之助時代を
含め、松緑(2)、團十郎(2)だが、断然、團十郎が、良かっ
た。

桜丸を演じた亀治郎は、前回の七之助同様、女形の甲(かん)の
声が、印象的だ。足裁きなどの所作にも、女形の色気。和事の桜
丸で、梅王丸との対比を強調する。前回、七之助のときに違和感
を覚えたものが、亀治郎が演じると、すうっと、胸に落ちるの
は、なぜだろうか。亀治郎の藝の力量か。私が観た桜丸:勘九郎
時代の勘三郎、扇雀、新之助時代の海老蔵、菊五郎、梅玉、七之
助、今回の亀治郎。勘三郎、扇雀、菊五郎、七之助、亀治郎は、
女形、あるいは、女形もできるから、海老蔵、梅玉とは、違うの
は、当然だが。女形のなかでも、前回の七之助と今回の亀治郎の
「甲の声」が、特に、印象的なのは、なぜだろうか。

染五郎の松王丸は、スマートだが、立派に見えた。前回の海老蔵
の松王丸は、「足元のあけえ(明るい)うちに、早くけーれ(帰
れ)」と、「京」の吉田神社の門前で、「江戸弁」丸出しで、兄
の梅王丸と弟の桜丸を威す場面の科白回しが、印象に残ったが、
染五郎の科白回しでは、そういうこともなかった。私が観た「車
引」の松王丸:幸四郎(2)、歌昇、八十助時代の三津五郎、吉
右衛門、海老蔵、染五郎。松王丸は、「寺子屋」の松王丸のイ
メージが強いため、なぜか、「長男」のように思ってしまうので
はないか。だが、「車引」では、團十郎が演じれば、梅王丸が、
長男だと判る。「賀の祝」で、梅王丸と松王丸が、喧嘩をする場
面があるが、あそこでは、ふたりは、「双児」の兄弟のようなイ
メージが強くなると私は、思っている。歌舞伎は、通しで、上演
しても、場面場面で、同じ登場人物を別の役者が演じるが、それ
ぞれの「幕」のイメージを尊重する(特に、合作の場合、同じ登
場人物を別の作者の筆で再構成されるのだから、余計、イメージ
が異なって来る)というのは、映画や現代演劇、いや、歌舞伎と
歴史を競う人形浄瑠璃でもあり得ない、歌舞伎独特のセンスであ
る。杉王丸は、歌昇の長男・種太郎。

30分の芝居の、3分の2の辺りで、藤原時平の牛車への出があ
る。吉田神社の塀と柵の間に黒衣が立ち、いつものように、黒幕
で牛車の上手と下手を塞ぐ。塀と柵が、動く。牛車の裏側に時平
が入るのが、判る。黒衣の手で、牛車が分解され、様式的な舞台
装置に変身して、牛車の上に姿を現す時平(段四郎)。時平役者
は、この出現の瞬間、役者の格が問われる。段四郎の時平は、睨
みが、いまひとつ。一睨みで萎縮する梅王丸と桜丸というわけに
はいかなかった。私が観た時平は、三代目権十郎、彦三郎
(3)、芦燕、左團次、そして、今回の段四郎。

配役のバランスが、絶妙の「引窓」

「双蝶々曲輪日記〜引窓」は、6回目の拝見。今回は、前回同
様、配役のバランスが良く、おもしろかった。それでいて、前回
と今回は、配役は、がらりと違うから、歌舞伎の不思議さがあ
る。因に、ふた通りの配役のバランスの良さを検証してみよう。
(今回/前回)で、表示。

十次兵衛:吉右衛門/菊五郎、濡髪:富十郎/左團次、お早:芝
雀/魁春、お幸:吉之丞/田之助。

歌舞伎の舞台を何度か観て、上記の役者の顔がすぐに浮かぶ人に
は、「配役のバランスの良さ」は、納得されると思う。配役が、
がらりと変わりながら、ふたつとも、バランスが良いと思わせる
ところが、歌舞伎のマジックなのだろう。つまり、役者は、ま
ず、役柄の定式に合わせて、役作りをし、家代々の役者や先輩役
者の積み重ねて来た「型」をベースにして、さらに工夫をする。
そういうコンセンサスがあるから、ベテランの役者は、藝のベー
スと新たな工夫を組み合わせて、登場人物を演じる。それぞれを
任に合わせて、演じられる配役となれば、自ずから、バランスが
とれるという仕組みになっている。だから、前回も、今回も、私
には、バランスの採れた配役という印象になり、実際に舞台を観
ていても、その期待は、裏切られなかったということになる。

基本的なことで、毎回、繰り返しになるが、演目の基本的な情報
を再録しておこう。

「双蝶々曲輪日記」は、並木宗輔(千柳)、二代目竹田出雲、三
好松洛という三大歌舞伎の合作者トリオで「仮名手本忠臣蔵」上
演の翌年の夏に初演されている。相撲取り絡みの実際の事件をも
とにした先行作品を下敷きにして作られた全九段の世話浄瑠璃。
八段目の「引窓」が良く上演されるが、実は、江戸時代には、
「引窓」は、あまり上演されなかった。明治に入って、初代の中
村鴈治郎が復活してから、いまでは、八段目が、いちばん上演さ
れている。「引窓」は、「みどり(見取)上演」で、この場面だ
けを観る場合と、通しで、この場面(八段目)を観る場合とイ
メージが違う(全九段の本来の物語は、「無軌道な若者たち〜江
戸版『俺たち明日はない』〜」だと、以前にこの「遠眼鏡戯場観
察」(03年1月国立劇場の劇評)で書いたことがあるので、興
味のある人は、参考にして欲しい。贅言:このときの配役は、今
回とは、逆に、十次兵衛が、富十郎で、濡髪長五郎が、吉右衛
門)。

「引窓」だけ見れば、無軌道な若者の一人で、犯罪を犯して母恋
しさに逃げてきた濡髪長五郎の母恋物語で、その母を含め、善人
ばかりに取り囲まれた逃亡者を逃がす話。お幸の科白。「この母
ばかりか、嫁の志、与兵衛の情まで無にしおるか、罰当たりめ
が・・(略)・・コリャヤイ、死ぬるばかりが男ではないぞよ」
が、「引窓」の骨子である。

町人から、父同様に「郷代官」(西部劇の保安官のようなイメー
ジ)に取り立てられたばかりで、父の名で、「両腰差せば南方十
次兵衛、丸腰なれば、今まで通りの南与兵衛」という、意識の二
重性を持つ十次兵衛(元は、南与兵衛)という男は、自分も殺人
の前科のある「無頼さ」=「遊び人」を秘めているので、反お上
の意識を持つ「無軌道さ」を滲ませているのが、役柄に奥深さを
付与していると思う。

今回は、十次兵衛(元は、南与兵衛)を吉右衛門が、初代の藝の
工夫を踏襲しながら、科白を観客の胸に染み込ませるように演じ
る。さらに、当代の持つ人間的な暖かさというパーソナリティも
生かされる。元「遊び人」に「苦労人」という味わいが付け加わ
る。

妻のお早(芝雀)は、奥から登場した瞬間、父親の雀右衛門そっ
くりに見えた。初々しい若妻だが、新町の元遊女・都を思わせる
色気も、要求される。逃亡者・長五郎(富十郎)は、久しぶりに
あったお早を「都さん」と昔の名前で呼んでいた。長五郎とのや
り取りに、遊女時代を彷彿とさせる「客あしらい」(色気)が滲
み出ている。それゆえの剽軽さもお早には、必要なのだが、ここ
は、芝雀より、前回の魁春の方が巧かった。芝雀も、義母への情
愛は、細やかであった。

長五郎の実母で、十次兵衛の継母であるお幸は、吉之丞が演じ
る。前回の田之助は、相撲取りの、実の息子を持つ太めの母親で
あったが、今回は、痩身の吉之丞なのだが、違和感はない。この
人の持ち味の、枯れた味わいや老母の情愛が、「体質」を凌駕し
ている。継嗣と実子、郷代官と相撲取りという、ふたりの息子に
情愛を掛けられる幸せな母(人形浄瑠璃で原作が演じられたと
き、母お幸には、名前がなかったが、歌舞伎で繰り返し演じられ
ている内に、いつの間にか、いつの時代かの上演で、誰かが、名
前を付けた。「幸せな母」の」イメージで、「お幸」となったの
だろうと私は、思う)を本興行で2回目という吉之丞は、すっか
り持ち役にしてしまったようだ。

長五郎役を私は、我當、團十郎、段四郎、吉右衛門、左團次、そ
して今回の富十郎と6人も観てきた。この顔ぶれを見れば、皆、
イメージが違うのが、判るだろう。颯爽の團十郎、太めの、如何
にも力士らしい我當、母恋の人の良さそうな吉右衛門、戸惑いの
長五郎(ひょんなことから人を殺してしまい、母に逢ってから自
首しようと思って母のいるところへ来たら、義兄は、なりたての
郷代官と判り、戸惑う)というイメージの左團次。今回の、富十
郎は、上方歌舞伎の修業もして来た人だけに、初代吉右衛門が創
造した「播磨屋型」という、東京系の、藝の工夫の舞台で、(大
坂の相撲取りで、大坂で殺人事件を起こし、京都近郊の八幡の里
に逃げて来た)長五郎の科白ゆえに、上方訛り(例えば、「○○
くだはりませ」など)を加味するという工夫を凝らした。鷹揚な
科白回しが、新鮮に感じた。実母への情愛、義兄への情愛で、揺
れる心。

義兄・十次兵衛は、義兄で、継母思いであり、自分にとって義弟
であり、継母にとっては、実子である長五郎を「放生会」を理由
に、逃がしてやることで、継母への情愛を滲ませる。継嗣と実子
の、ふたりの息子から情愛を示される「母」お幸は、幸せもの
だ。そういう母の幸せを大事にしながら、長五郎は、逃亡者生活
を続けることにする。

これだけ、バランスの採れた配役で、巧い役者が揃っていると、
例えば、舞台中央、やや下手寄りで、長五郎の人相書きを見るお
幸とお早、ふたりより上手に居て、屋体中央より上手に設えられ
た手水の「水鏡」に偶然写った長五郎の姿を覗き込む十次兵衛、
2階の障子窓を開けて、階下の様子を見ていた長五郎は、水鏡を
覗き込む十次兵衛の様子で、自分の居所が悟られたと気づいて、
慌てて姿を隠すため、障子を閉める、その有り様に気づき、屋体
上手に素早く駆け寄り、水鏡が見にくいように、開け放たれ、月
光を室内に引き込んでいた引窓を慌てて閉めるという、複数の役
者による、一連の演技が、実に絶妙の間で、演じられたのには、
堪能した(できれば、月光の妙が芝居のポイントになっている演
目だけに、舞台の照明にも、明暗に、もう一工夫あっても良いの
ではないだろうか)。また、母が、長五郎の人相を少しでも変え
ようと月代(さかやき)を剃り落とし、左頬の黒子(ほくろ)の
処理を迷っていると外から十次兵衛が投げ込んだ恰好の銭の包み
が、長五郎の黒子に当たったそぶり、頬を押さえる(実は、黒子
を取る)長五郎、すかさず、長五郎の後ろに隠れていた黒衣が、
長五郎の膝元に銭の包みを転がすという場面でも、息のあった密
度の濃い連繋プレーがあった。

贅言:そういえば、黒衣(くろご)は、「黒子(くろご)」と
も、書く。歌舞伎の舞台で、黒衣役をするのは、背景の場面に
よって、雪衣(ゆきご)、水衣(みずご)、浪衣(なみご)と衣
装も替り、呼び名も替る。

いずれにせよ、初代吉右衛門の藝を尊重しながら、当代を軸にベ
テラン役者の、バランスの良い配役で、テンポのある科白や所作
が展開して、見応えがあった。


「六歌仙容彩」から、所作事2題。

今回演じられた「業平小町」と「文屋」は、「六歌仙容彩」とい
う五変化の舞踊の二景。基本情報:「六歌仙容彩(ろっかせんす
がたのいろどり)」は、「河内山」の原作「天保六花撰」と同じ
時代、天保2年3月、江戸の中村座で初演された。小町、あるい
は、茶汲女を相手に、業平、遍照、喜撰、文屋、黒主の5役を一
人の役者が演じるというのが、原型の演出であったが、いまで
は、それぞれが独立した演目として演じられる。

「業平小町」は、梅玉の業平と8月に86歳の誕生日を迎えた雀
右衛門の小町という配役。幕が開くと、宮中の御殿。上手から下
手まで、御簾が降りている。無人の舞台。やがて、上手の御簾が
上がると、長唄囃子連中。中央の御簾が上がると、業平(梅玉)
と小町(雀右衛門)が、登場。高齢の雀右衛門は、踊りと所作の
決まりは、大丈夫だが、体を移動させるところでは、少し、不自
由なようだ(それでも、腰痛に悩まされ、途中休演し、また、復
帰していた頃と比べれば、かなり、スムーズに動いている)。
おっとり、スマートな梅玉。初代吉右衛門の業平、六代目歌右衛
門の小町、所縁の所作事だ。言い寄る業平を袖にし、中央の御簾
内に戻る小町。御簾が下がる。花道から引っ込む業平。舞台は、
最初の無人に戻る。

下手の御簾が上がり、清元連中登場。やがて、下手板戸を開け
て、文屋(染五郎)、上手板戸を開けて、8人の官女(四郎五郎
ら立役ばかり)が、それぞれ登場。中央御簾内には、和歌を案じ
ている小町がいるという想定。宮中の「歌合わせ」の体。小町の
所へ忍んで来た文屋。それを邪魔する官女たち。やがて、文屋と
官女の「恋づくし」のコミカルな所作事。だが、官女を演じる立
役たちが、弱い。染五郎も、ゆるい感じ。私が観た文屋は、鴈治
郎時代の坂田藤十郎、勘九郎時代の勘三郎、富十郎、そして今回
の染五郎と比べてしまえば、染五郎に不利なのは判るが・・・。

さて、幕切れは、中央に立つ染五郎を軸に上下4人ずつの官女
が、中央から、徐々に立上がって、「山」という字を表わして、
引っ張る。初代吉右衛門は、文屋を演じた。

「寺子屋」は、座頭兄弟共演という珍しい舞台

「寺子屋」は、国立劇場の前進座公演もふくめて、今回で12回
目。だが、今回の舞台は、いつもと違う。それは、普通の興行な
ら、それぞれが、軸になる座頭ゆえ、同じ劇場に出勤しても、同
じ舞台で顔を会わせない高麗屋と播磨屋の実の兄弟が、同じ場面
に出て来て、「対決」をするということである。母方の祖父・初
代吉右衛門所縁の「秀山祭」ゆえの、ご馳走の珍しい舞台であ
り、実際、見応えのある良い舞台であった。今回は、テキスト論
は無しで、高麗屋播磨屋を軸にした役者論、演技論で行きたい。

まず、源蔵(吉右衛門)の花道の出である。名作歌舞伎全集「菅
原伝授手習鑑」の「寺子屋」の、いわゆる「源蔵戻り」では、以
下のように、書いてあるだけである。

「(竹本)立ち帰る主の源蔵、常に変わりて色青ざめ、内入り悪
く子供を見廻し、
 ト向うより源蔵、羽織着流しにて出で来り、すぐ内へ入る」

ところが、今回、吉右衛門は、花道七三で、「はっ」と、息を吐
いた。先程まで、村の饗応(もてなし)と言われて出向いた庄屋
で、藤原時平の家来・春藤玄蕃から自宅に匿っているはずの菅秀
才の首を差し出せと言われ、思案しながら歩いて来たので、「も
う、自宅に着いてしまったか」という、諦めの吐息であっただろ
うか。初代の工夫か。

このように、吉右衛門は、初代の科白廻しや所作を継承している
ように見え、科白も、思い入れたっぷりに、じっくり、叮嚀に、
それでいて、力まずに、抑え気味に、秘めるべきは秘めて、吐き
出しているように感じられた。オーバーにならない程度に抑えな
がら、リアルに科白を廻す。

一方、兄の幸四郎は、相変わらず、オーバーアクション気味で、
気持ちを発散しながら、科白を言っているという感じだが、「寺
子屋」の松王丸の場合は、これが、適切で、浮き上がって来ない
から、おもしろい。幸四郎と吉右衛門の科白廻しの違いや藝の質
の違いがよく判る舞台だ。肚の藝も含めて、源蔵の吉右衛門と松
王丸の幸四郎が、静かに火花を散らしたので、大いに盛り上がっ
たように思う(贅言:今回、昼の部を私は、2階席の上手最後部
で観ていたのだが、2日目だったこともあってか、兄弟の「対
決」の場面を高麗屋の御内儀(藤間紀子さん)が、私の隣の通路
に立って観ていた)。

次に、いわゆる「首実検」では、以下のように、書いてあるだけ
である。

「松王首桶をあけ、首を見ることよろしくあって」

ところが、幸四郎の松王丸は、目を瞑ったまま、首桶の蓋を持ち
上げる。やがて、目をあけるが、正面を向いたままで、すぐに
は、首を見ようとはしない。覚悟を決めたようで、徐々に目を下
げる。そして、我が子小太郎の首がそこにあるのを確認する。

松王丸は、「むう、こりゃ菅秀才の首に相違ない、相違ござら
ぬ。出かした源蔵、よく討った」。

「(竹本)言うにびっくり源蔵夫婦、あたりをきょろきょろ見合
わせり」

思いもかけず、寺入り(寺子屋の新入生)したばかりの小太郎の
首が、菅秀才の首として、通用してしまい、驚きと安堵の気持ち
で、腰を抜かす源蔵夫婦。だが、騙したはずが、騙されて、とい
うどんでん返しが展開する。松王丸の方が、役者が一枚上という
イメージの場面ゆえ、松王丸は、3兄弟の長男のイメージに繋が
るという次第。私の感想では、歌舞伎役者としては、すでに弟播
磨屋の方が、兄の高麗屋よりは、一枚上という印象を持っている
と、付け加えておこう。

このほかの配役では、松王丸女房・千代に芝翫、源蔵女房・戸浪
に魁春、菅丞相の御台所・園生の前に福助、春藤玄蕃に段四郎と
いうことで、詳しくは、触れないが、充実の顔ぶれで脇を固めて
いる。昼の部の「引窓」と「寺子屋」は、後々までも、語り種に
なる舞台だと思うが、こういう歌舞伎として充実の舞台は、意外
と、人気先行しないので、座席に余裕がある。本当の歌舞伎ファ
ンならば、是非とも、お見逃しなく。
- 2006年9月9日(土) 15:53:27
2006年8月・歌舞伎座 (第3部/「南総里見八犬伝」)

「南総里見八犬伝」は、御存知滝沢馬琴(曲亭馬琴ともいう)原
作の長編読本(28年かけて完成した98巻、106冊の作
品)、今の分類なら長編伝奇小説の劇化。最初の劇化は、
1834(天保5)年。以来、里見城落城から対牛楼まで、中味
の構成を変えながら、狂言作者の腕の見せ所とばかりに、手を変
え、品を変え、趣向を凝らして来た。大入になったものもある
が、不入りも多かったと伝えられる。戦後の上演記録を観ても、
構成は、まちまちで、なかなか、これは、決定版という定まりが
ない。最近良く演じる猿之助一座の通しでも、毎回、少しずつ違
う。

「南総里見八犬伝」の主筋は、室町幕府に与する関東管領に対抗
して敗れた鎌倉方の、落ち武者、安房の里見家一統の復讐譚であ
る。生まれながらにして8つの玉(仁、義、礼、智、忠、信、
孝、悌)をそれぞれが持つ八犬士は、ミラクルパワーを駆使して
里見家を助け、管領に打ち勝ち、関東に平和を齎すという勧善懲
悪物語。ひとつの世界を構築する大きな流れに、さまざまなエピ
ソードが、細かく、複雑にぶら下がるというのが、馬琴ワールド
というわけだ。

今回の「南総里見八犬伝」は、夏休み向けの、もりだくさんな舞
台であったけれど、普通より上演時間が短い。いわば、ダイジェ
スト版とあって、場面展開が、少しせわしなかった。しかし、福
助と扇雀という女形が、立役を演じていて、舞台では、珍しい彼
らの地声を聞くことができて、おもしろいというのが、ポイント
のひとつ。

「南総里見八犬伝」の拝見は、3回目。初めて観たのは、99年
7月の歌舞伎座。「円塚山」と「玉返しの里庵室」の2場面のみ
の上演。長い八犬伝のうち、犬と猫(猫の怪)の対決に絞る(昔
はよく上演された形式らしい)。猿之助一座お得意の「独道中五
十三驛」の岡崎の化け猫に演出が似ていると思ったら、やはり、
それを参考にしていた。犬山道節役の段四郎の幕外の引っ込みも
気持ち良さそうにやっていたのを思い出す。

2回目は、02年7月の歌舞伎座。いま、病気休演中の猿之助
が、主軸となり、実質4時間の通し上演だった。特に、「玉返し
の里庵室の場」では、角太郎妻・雛衣(笑三郎)が「猫の怪」に
操られるように、見事にとんぼを返したり、逆立ちしたり、四天
のような立ち回りを見せてくれて楽しかった(雛衣は、今回の場
面立てでは、登場しない)。巨大な「猫の怪」の出現や宙乗りな
どもあり、スーパー歌舞伎的な「荒唐無稽の歌舞伎」の面目躍如
の楽しい舞台であった。

今回は、1947(昭和22)年、渥美清太郎が、脚色し、帝国
劇場で上演された台本を元にしていて、「南総里見八犬伝」の前
半の見どころを集成しているので、猿之助一座の舞台とは、場面
の組み立ても違う。見せ場を重視する猿之助一座お得意のスー
パー歌舞伎的な演出も、今回は、当然ないし、上演時間も実質3
時間弱なので、前回拝見の猿之助版とは、別物として観た。

今回の主な配役は、寂漠道人、実は、犬山道節と網干左母二郎:
三津五郎、犬坂毛野:福助、犬塚信乃:染五郎、犬飼現八:信二
郎、犬村角太郎と浜路:孝太郎、犬田小文吾:弥十郎、犬川荘
介:高麗蔵、犬江親兵衛と安西景連の霊:松也の八犬士のほか、
伏姫と山下定包:扇雀、金椀大輔:秀調、滸我成氏:錦吾、簸上
宮六と馬加大記:亀蔵など。

見せ場のひとつは、八犬士のうち、六犬士が、出逢う「円塚山の
場」。犬山道節(三津五郎)、犬坂毛野(福助)、犬村角太郎
(孝太郎)、犬田小文吾(弥十郎)、犬川荘介(高麗蔵)、犬江
親兵衛(松也)の六犬士によるだんまり。最後に退場する犬山道
節に扮した三津五郎が、馬連を付けたきらびやかな四天姿で、六
法による花道の引っ込みを見せたが、藝が大きく、小柄な三津五
郎の身体が大きく見えた。

見せ場のふたつは、芳流閣の大屋根上での、犬塚信乃(染五郎)
と犬飼現八(信二郎)が、お互いに八犬士同士ということを知ら
ないまま対決する場面。関八州管領・滸我成氏(錦吾)の館で、
村雨丸を献上して里見家の再興を願おうという犬塚信乃(染五
郎)だが、持って来た村雨丸は、偽物に摺り替えられてしまった
と放したことから信乃は、追われる身になる。逃げる信乃の追っ
手となるのが、犬飼現八(信二郎)ということで、八犬士側も、
まだ互いを知らず、入り乱れている。大屋根の場面では、さら
に、染五郎が、大屋根の傾斜を利用して、丸瓦の上に腰掛けたま
ま、(隠した手摺に掴まったままだが)滑り降りるという場面が
あったが、この仕掛けを私は、初めて観たので、興味深かった。

対決する染五郎と信二郎は、対立したまま、「芳流閣」から「行
徳入江」へ、大道具の「がんどう返し」で場面展開をする。「行
徳入江」の遠見が、下から上がってき来る。入江に流れ着いた小
舟に、意識を失いながら乗って来た信乃と現八を助けるのが、相
撲取りの犬田小文吾(弥十郎)。そこへ現れた僧侶・ヽ大(ちゅ
だい)法師、実は金椀大輔(秀調)は、「熊谷陣屋」の「熊谷直
実」にそっくり。ちなみに、「ヽ大(ちゅだい)」とは、犬の字
を二つに分けたもの。八犬士を結び付けようと、諸国を遍歴し、
八犬士の行方を尋ねている。お陰で、大屋根から落ち、行徳の入
り江に流れ着いた信乃と現八も、お互いの正体(運命共同体の八
犬士)を知るようになる。

渥美版と澤潟屋版で、いちばん違うところは、「大塚村庄屋蟇六
(ひきろく)内の場」「同表座敷の場」の有無である。つまり、
澤潟屋版では、割愛する「蟇六内」は、犬塚信乃に恋する蟇六の
娘浜路と代官との無理矢理の婚礼の場面という笑劇なので、スペ
クタクル重視の澤潟屋版では、取り上げないが、今回、初めて観
た、この場面で、欲の張った庄屋の大塚蟇六を源左衛門が、巧み
に演じていたのが、印象に残る。憎まれ役、笑われ役の代官簸上
宮六(ひがみきゅうろく)を演じた亀蔵も、彼らしいデフォルメ
の工夫で、おもしろかった。スペクタクルの中の笑劇は、歌舞伎
の定式から見れば、確かに、欲しい場面だ。九代目團十郎など
は、好んで、犬山道節と大塚蟇六のふた役を演じたという。それ
だけに、蟇六は、重要な役どころで、源左衛門は、九代目の役ど
ころを気持ち良く演じたことだろうと、思う。

贅言:それにしても、馬琴の小説に登場する人物は、名前が凝り
過ぎていて、難しい漢字も多く使っていて、ワープロで打ちにく
いし、覚えにくいので、かえって、印象に残らないという恨みが
あるが、馬琴さんは、どう考えて、こういうネーミングを好んだ
のだろうか。

滸我成氏の重臣から、天下を狙う謀反人の山下定包(扇雀)に与
した馬加(まくわり)大記(亀蔵)らが登場し、犬坂毛野役の福
助ら八犬士を相手に福助同様、扇雀という女形たちが珍しく立役
で、地声で科白を言いながら、立回りをする場面が見られるの
が、大詰の「馬加(まくわり)大記館の場」と続く「対牛楼(た
いぎゅうろう)の場」。満開の桜の下、山下側と勢ぞろいした八
犬士側とが梯子を使った立ち回りで、暑気払い。福助が、女田楽
(白拍子)朝毛野役で、本来の女形を見せ、その後、正体を表わ
して立役犬坂毛野に戻る辺りの、メリハリの付け方は、さすが福
助という見事さであった。

総じて、今回の舞台は、絵の多い紙芝居のように場面がくるくる
変わるばかりで、猿之助一座のようなスペクタクルに徹してもい
ないし、見せ場の熟成度も不十分で、じっくり楽しめる場面が少
なかった。こういう演目では、元気になって、猿之助一座に主が
登場し、スペクタクル溢れる「活劇歌舞伎」の舞台を是非とも観
てみたいと思った次第。澤潟屋の芝居のない歌舞伎は、なにか
が、欠けているような喪失感が漂う。
- 2006年8月30日(水) 21:52:16
2006年8月・歌舞伎座 (第2部/「吉原狐」「団子売」
「玉屋」「駕屋(かごや)」)

「吉原狐」は、ことし4月、96歳で亡くなった村上元三原作の
新歌舞伎。1961(昭和36)年に歌舞伎座で初演されてい
て、今回が2回目の上演。初演時の配役は、泉屋おきちに先代の
勘三郎、三五郎に先代の幸四郎(後の白鸚)、お杉に又五郎、貝
塚采女に勘弥、誰ヶ袖に我童(後に、十四代目仁左衛門を遺贈さ
れる)、おえんに鶴之助(今の、富十郎)などという顔ぶれ。今
回は、泉屋おきち:福助、三五郎:三津五郎、お杉:扇雀、貝塚
采女:染五郎、誰ヶ袖:孝太郎、おえん:橋之助などだから、納
涼歌舞伎とは言え、45年前ということを考えても、顔ぶれが、
初演時より、ひとまわり小さいという印象。

「吉原狐」は、村上元三が、歌舞伎に出て来る芸者を演じる勘三
郎の舞台を観ていて、特に親交のあった勘三郎にあわせて、もう
ひとりの芸者「おきち」を描き出したという作品。それだけに、
「納涼歌舞伎」の大黒柱、当代の勘三郎が、襲名披露巡業で出勤
していないのは、残念。いつか、当代の「吉原狐」泉屋おきちを
拝見したいと強く思う。

全体的には、吉原の住人たちの日常生活の機微を描いた滑稽な人
情劇で、上演回数が、今回で、2回目というのが、信じられない
程、私は、堪能して拝見した。ことしの納涼歌舞伎では、随一の
出来と思った。

なかでも、主役の福助のおきちは、落ち目の男が好きな上に、早
とちりというキャラクターが生きていて、いわば、「江戸のギャ
ル」を活写しているようで、適役、好演であった。おきちの友だ
ちの芸者おえんには、立役の弟橋之助という異色の配役で、橋之
助が、甲(かん)の声という女形の発声で科白を喋ると、福助よ
りも、父親の芝翫に良く似ているのに、驚かされた。芸者屋「泉
屋」の主人で、「世間を棄てた」というが、自適悠々の第2の人
生を送っているような感じの、おきちの父親・三五郎を演じた三
津五郎は、おきちが、下働きのお杉(扇雀)の「秘密」を腹違い
の姉発覚と、いつもの早とちりで誤解したのも無理がないような
若い娘で、実は、三五郎の連れ合い候補(つまり、おきちにとっ
て、継母となる)に惚れられる程の、優しい年寄りである。

憎まれ役の旗本・貝塚采女を演じた染五郎は、もうひとつ、役に
なり切れていない。ほかの登場人物が、善人で、極めて判りやす
いキャラクターになっているなかで、貝塚采女は、ただひとり、
複雑な性格で、祐筆役というエリート官僚ながら、後に、公金横
領がばれて、追われる身となるような人物。早とちりで、周囲を
混乱に導き、筋立てを二転三転させる「装置」となるおきちに、
糾(あざな)える縄のごとく、絡んで来る役どころゆえ、重要な
キーマンなのだが、充分に役割を果たしていないのは、残念で
あった。

このほか、しっかり者の中万字屋花魁誰ヶ袖を演じた孝太郎は、
脇に廻って、味を出していた。誰ヶ袖と良い仲だったが、貝塚采
女の登場で、冷たくなった誰ヶ袖に嫉妬して、座敷で騒ぎを起こ
す孫之助役の信二郎も、存在感を出していた。ちょい役ながら、
中万字屋芸者おてうを演じた小山三は、渋いが、キラリと光る。
脇にこういう役者がいると舞台に奥行きが出る。

贅言1):「三五郎とおきちの家」の場面では、神棚、稲荷神社
のミニチュア、家の柱に架かった薬袋、庭先や路地の鉢植えの朝
顔や垣根、登場人物が持つ桔梗が描かれた団扇の絵柄など、いか
にも江戸の下町の風情たっぷりで、芝居が始まらないうちに、こ
ういう道具を観ているだけで、良い気分になってくるから不思議
だ。

贅言2):「吉原狐」という外題の意味が、判りにくい。「三五
郎とおきちの家」の場面が、大道具半回転して、三五郎とおきち
が、朝湯に行く場面になる。そこに、地域の稲荷神社(「九郎助
稲荷大明神」の幟が架かっている)があり、折り恰も、狐雨が
降って来る。店が潰れて落ちぶれた孫之助(信二郎)が、通りか
かり、落ちぶれ男好きのおきちの胸が騒ぎ、場内の笑いを誘う。
「吉原狐」は、「稲荷」と狐雨のように変わりやすいおきちの心
を表わしているようだ。つまり、そういう心根の持ち主おきちへ
原作者村上元三が捧げた愛称が、「吉原狐」と判じたが、いかが
であろうか。

次いで、所作事三題。「団子売」は、5回目の拝見だが、ほかの
ふたつは、初見。

まず、「団子売」は、舞台を観た順にあげると、杵造:染五郎、
仁左衛門、三津五郎、七之助で、今回は、扇雀。お福:孝太郎
(今回含め、3)、勘九郎、勘太郎。明るい所作事。杵と臼とい
う、ひょっとことお多福という、男女の和合の噺。初めて観たの
が、染五郎と孝太郎という似合いのふたり。次いで、仁左衛門と
孝太郎という、息の合った親子の踊り。三津五郎と勘九郎は、達
者な舞踊。そして、勘太郎七之助の兄弟。今回は、三たびの孝太
郎、相手は、扇雀に変わる。それぞれ、味わいが違って、おもし
ろい。明るく、セクシャルで、コミカルな踊りは、踊り手が、替
れば、味わいも違って来るのが、良く判る。大坂の天神祭、太鼓
の音も、コンチキチと祇園祭風に聞こえる。

贅言:後見が、道具を片付けるのに、珍しく黒い布を用いていた
が、普通なら紫の布ではないか。黒は、黒幕に代表されるように
隠す色。隠し幕。紫は、風呂敷のイメージで、包む色。因に消し
幕は、緋色。

浅葱幕の降り被せで、場面展開。上手に出ていた竹本が、上手袖
に引き込む。清元が出て来る。幕降り落しで、場面は、江戸の日
本橋へ。「玉屋」は、初見。茶色の日除の架かった「まつや」、
紫色の染物屋、青のお茶屋、材木屋、屋号がレリーフ(浮き彫
り)されている蔵がある。柳の木。すべて、日本橋の商家の体。

「多まや」の染五郎の「しゃぼんだま売り」。子どもたち相手に
「玉尽し」の踊りでシャボン玉を売り、蝶々の玩具を持ち出し
て、蝶々売りの物真似をして、子供たちを喜ばせるという見立
て。子どもたちは、舞台には、出て来ないが、観客に喜ぶ子ども
たちの姿を彷彿とさせるかどうかが、役者の藝の見せ所。

贅言:こちらの後見は、紫の布で道具を片付けていた。

三たび、演奏と背景が変わる。開幕のまま、舞台展開。上手の清
元が袖に引き込む下手袖から常磐津が出て来る。「駕屋(かご
や)」である。

「駕屋」も、初見。不動妙王の絵柄の総入墨に朱色の下帯姿の三
津五郎の駕屋三太は、駕篭の中で居眠りから醒める。犬(小吉)
が、駕篭の傍にあった三太の弁当を銜えて、持ち去ろうとしてい
る。犬と駕篭かきのコミカルな踊り。

踊りの見方を私は、三津五郎の舞台で学んだ。巧い踊り手は、頭
とお尻を結ぶ直線が、安定しているということ。簡単なようで、
難しい。意外と、軸が、ぶれやすいのだ。所作事三題では、やは
り、三津五郎の踊りがいちばん安定していた。今回初舞台の坂東
吉弥孫(吉弥の息子、小吉の父親は、歌舞伎役者にはならなかっ
たのだろう)の小吉が、ベテラン三津五郎の所作に味を添えてい
て、好もしい。

贅言:今回の「納涼歌舞伎」では、犬が良く出て来る。第1部の
「慶安太平記」では、犬を追い、石を投げ、その挙げ句に江戸城
の濠の深さを投げ入れた石の水音で測るという場面があるし、第
3部は、看板通りの犬の物語「里見八犬伝」である。ついでに、
煙管。こちらは、第1部で、「慶安太平記」の江戸城濠端の忠弥
が、水音で濠の深さを測る場面の小道具が、煙管。同じく第1部
の「たのきゅう」のおろち(染五郎)が、嫌うのが、煙草の脂と
いうことで、小道具に煙管登場。
- 2006年8月30日(水) 9:26:33
2006年8月・歌舞伎座 (第1部/「慶安太平記」「近江の
お兼」「たのきゅう」)

通称、丸橋忠弥、「慶安太平記」は、明治期の河竹黙阿弥が、初
代左團次のために書いた作品。後に、「團菊左」つまり、九代目
團十郎、五代目菊五郎、初代左團次という明治の3名優のひと
り、左團次の出世作。私は、今回、初見。若き日の左團次は、藝
の未熟さに苦しんでいたが、幕末期の名人、四代目小團次と提携
して力を付けた黙阿弥は、小團次死去の後、小團次の養子で、若
干25歳の左團次を小團次への報恩の一環として、応援し、慶安
4(1651)年に倒幕を企てた由井正雪の乱を題材に「慶安太
平記」を書いた全七幕もの。原作は、複雑な筋が、寄り合わされ
ているが、見せ場は、大きく分けて、ふたつある。このうち、
「江戸城外の場」(今回は、第一幕「江戸城外濠端の場」となっ
ている)は、丸橋忠弥を演じる左團次の、ほぼ独り舞台となり、
立作者の特権で、黙阿弥が左團次を売り出そうとした乾坤一擲の
名場面である。今回は、第二幕第一場「丸橋忠弥住居の場」、第
二場「同裏手捕物の場」という構成で、捕物の場の立回りも、ふ
たつ目の見せ場である。

「江戸城外濠端の場」では、濠端の葭簀(よしず)囲いの茶屋の
床几で中間たち(中間の一人は、今回、名題役者に昇進した三津
右衛門である)がおでんで酒を呑んでいる場面で幕が開く。やが
て、花道に登場した丸橋忠弥(橋之助)は、皮色木綿の着付けを
はしょり、赤合羽を羽織って、朱鞘の刀の一本差し、饅頭笠とい
う出立ちで、さっそく七三で名調子の科白を吐く。「ああ、好い
心持ちだ。(略)今朝家(うち)で朝飯に迎い酒に二合呑み、そ
れから角の鰌(どじょう)屋で熱いところをちょっと五合、そこ
を出てから蛤で二合ずつ三本呑み、(略)ここで三合、彼処で五
合、拾い集めて三升ばかり・・・」。酔っぱらって、江戸城濠端
までやって来た態で、つまり、酔いと天下(てんが)転覆の野望
の偽装が、芝居のテーマというイントロダクションを象徴する場
面になっている。中間たちに気前良く酒を奢り、さらに酒を呑み
続け、やがて、床几で寝込み、野良犬に顔を嘗められ目を醒ます
忠弥は、犬を追い掛け、石を投げているうちに、舞台は、背景が
変わり、江戸城の弁慶橋までやって来て、石を投げると濠に落ち
る。そして、煙管を構えて、耳を傾けている。どうやら、濠に落
ちる石の水音を聞き分けて、濠の深さを測っているようだが、先
ほどからの酔っ払いの態は、その偽装のようだと観客に知れる頃
合を見計らって、江戸城から出て来た様子の松平伊豆守(染五
郎)に不審がられるという、緊迫の場面に繋がって行く。伊豆守
が蛇の目傘を忠弥に差し掛けるが、すぐには、気づかない。雨に
濡れなくなり、不審に思い上を見上げて、傘に気づくという体た
らく。だが、この名場面で、橋之助と染五郎のやり取りでは、緊
迫感が伝わって来ない。それぞれの肚藝が不十分だからだろう。
戦後、歌舞伎座では、61年間のうちに、この演目が演じられた
のは、14年前の92年2月と今回だけの、わずか2回だが、そ
のときの配役が、團十郎の忠弥、菊五郎の伊豆守というのを目に
してしまうと、私は、実際の舞台を観ていないから、なんとも言
えないが、今回のふたりでは出せていない肚藝の緊迫感があった
だろうと想像がつく。当時、團十郎は、45歳、菊五郎は、49
歳。今回の橋之助は、40歳、染五郎は、33歳。それぞれの芸
風、力量は、別にしても、年齢の差は、大きいものがあると思わ
れる。

贅言:忠弥が、何度か使った「素敵に酔った」などという科白
は、明治期の歌舞伎らしい、モダンな感じがする。

また、第二幕の「丸橋忠弥住居の場」で、はたと気づいたのは、
住居の漢詩が書かれた石摺の襖(深緑色の襖に黒地に白墨で漢詩
が書いてある。「慶安太平記」の漢詩は初めて見たので、内容の
比較のしようがない。つまり、いつも、この場面では、同じ漢詩
が書かれているのか、漢詩なら、何でも良いのか、判らないが、
「山科閑居」の場面で、同じような石摺の襖がある「仮名手本忠
臣蔵」の舞台写真を見比べると、漢詩の中味は、いろいろあり、
違っているのが判るから、漢詩の中味まで、吟味していないのか
も知れない)を見て、「忠臣蔵」の「山科閑居」の場面を思い出
し、忠弥と由良之助を連想したことだ。つまり、遊興、酒酔いに
よる偽装と本懐の隠蔽という点では、両者には、共通項がある。
それでいて、由良之助という役の器の大きさと忠弥のそれとの違
いが、結構、大きいのではないか。その役の大きさの違いは、團
十郎と橋之助の、役者の大きさの違いでもあるという思いだっ
た。橋之助は、無難に忠弥を演じているのだが、なにか、足りな
いという感じが、最後まで残った。さらに、染五郎になると、上
手から出て来て、煙管を突き出して(煙管の雁首を上に向けた
り、下に向けたり、演じる忠弥役者によって異なる)間数(けん
すう)を計る思い入れの忠弥に、傘を差し掛ける伊豆守は、殆ど
動かず、仕どころが少ない(その分、肚藝が、もっと要求され
る)ので、余計に難しく、物足りない。「住居の場」では、忠弥
女房のおせつ(扇雀)とおせつの父親で、弓師の藤四郎(市蔵)
のふたりが、脇で、忠弥の偽装と本懐告知というドラマチックな
展開へ向けて、バランスを取るという重要な役割を演じる場面が
見どころだが、市蔵の公儀へ訴えでるという、忠弥から見れば、
「裏切り」に向けての演技が、少し軽すぎる。婿を裏切るわけだ
から、もう少し、悩ましさが、滲み出すべきなのではなかった
か。

大道具が、廻り、「住居の場」の裏手へ場面が展開する。やが
て、捕物の立回りが、20分程続く。この場面は、若干、捕り手
同士の連繋に齟齬を来す場面もあったが、若い橋之助だけに、力
の籠った立回りが続き、充分、楽しめた。捕り手たちが、将棋倒
しのようにトンボを返し続けたり、所作事のような立回りと橋之
助の節目節目の見得のバリエーションが続いたり、簀戸(戸板)
や縄を巧みに使った群舞(戸板3枚を組み合わせて、スロープを
作り、小屋の屋根の上まで忠弥が駆け上がったり、縄を組み合わ
せて作った、いわば「ネット」にダイビングしたりする場面もあ
る)が続いたり、「義賢最期」(「源平布引滝」)を連想させる
戸板を組み合わせた「俄台」に忠弥が乗って見得をしたあと、戸
板ごと崩れ落ちたりと、息をつかせない場面が、連続するから、
立回り好きの観客には、堪えられない場面が、続く。

「近江のお兼」は、元は、近江八景になぞらえた八変化の舞踊の
一つ。そのひとつが「晒女(さらしめ)の落雁」。だから、背景
も、琵琶湖の遠見。琵琶湖西岸(堅田の浦、浮見堂の近く)か。
女形の所作事に立ち回りが組み込まれている。長唄の「色気白歯
の團十郎娘、強い、強いと・・・」文句は、七代目團十郎によっ
て初演された「大切(おおぎり)所作事」だからだ。「近江のお
兼」は、女形に「荒事」を加味させた変化舞踊だ。力持ちのお兼
という若い娘の「武勇伝」が、女踊りの隠し絵になっている。

別称「晒女(さらしめ)」、あるいは、「團十郎娘」ともいう
「近江のお兼」は、今回で3回目の拝見。5年前、01年7月の
国立劇場で、菊之助、03年8月の歌舞伎座で勘九郎時代の勘三
郎のお兼をそれぞれ観た。花道から暴れ馬が出て、それからバタ
バタの付け打ち入りで、晒し盥を持ち、若緑の衣装に赤い帯、高
足駄を履いた姿は可憐な賎女(しずのめ)ながら、大力の持ち主
の若い女性、お兼が、馬の手綱を足で踏み、馬を止めるという出
は、今回の福助が取った演出。前回の勘三郎と前々回の菊之助
は、馬が、からまず、まず、お兼だけがせりで舞台に出て来て、
上手、下手、正面と観客に愛想を振りまいていた。その後、花道
から馬の出となっていた。このほかの演出では、お兼の出は、
「からみ」と呼ばれる大勢が、投げ飛ばされて、お兼が出てくる
という演出もあるという。

いずれも、若くて綺麗な娘が、大力の持ち主という意外性が売り
で、初演の七代目團十郎の舞台が評判を呼び、だから、「團十郎
娘」と言われる。クドキ、盆踊り、鼓唄、布晒し(だから、「晒
女」)。布晒しでは、高下駄を使ったタップダンスのような所作
が時折、混じる。

花道でお兼が、若い者と対になって、背中を使い、逆海老反りに
なるのに合わせて、舞台中央で、馬は、立ち上がり、前脚を高々
と持ち上げるが、これは、馬の脚役者のうち、後ろ足の役者が前
足の役者を肩に乗せるという荒技。前足を持ち上げた状態が暫く
続くという、力業。

馬が上手に退くと、若い者ふたりが、お兼に絡んでの立ち回りと
なる。お兼は、両手に持った長い晒し布を巧みに操りながら、立
ち回りの所作。長さが1丈2尺(およそ3・6メートル)ある。
福助は、ちょっと、足で晒し布を踏んでしまう場面があったが、
さり気なく修復していた。立回りも、ふたり相手なので、おとな
しい。菊之助のときは、8人が絡んでダイナミックだった。

最後は、お兼が、黒の「三段」(普通、大見得をする場合に乗る
「三段」は、目立つように緋色)から、さらに馬の背に膝をつい
て座って乗り、布晒しをし、上手下手に若い者がそれぞれ位置し
て、引っ張って、決まり。若い娘の力持ちというキャラクターイ
メージが素直に伝わって来たのは、前回の勘三郎であった。菊之
助のお兼の「男を秘めた娘」という演技は、21歳で初演した七
代目團十郎を偲ばせた。男が女を演じる女形が、娘の姿のなかに
男を隠している。それが、「近江のお兼」という演目の真骨頂だ
ろう。菊之助の堅さが、最初気になったが、そういう風に見れ
ば、これも計算のうちとも思える。福助は、大力よりも、色気を
滲ませていて、勘三郎と菊之助の中間というイメージが残った。

贅言:黒の「三段」とは、珍しい。馬を舞台中央に立たせ、その
後ろから福助が馬の背に乗るため、消し幕色としての黒で「三
段」を「隠し」ているのだろう。確かに、馬の下に黒の「三段」
が入り込み、目立たない。

「たのきゅう」は、民話から素材を採った落語の「田能久」を
ベースにした新作歌舞伎の舞踊劇。俳優祭向けの出し物か。舞台
中央に大きな木の株を思わせるような大道具。その大道具を囲
み、廻り舞台を利用して、ミニサイズの舞台(長唄の雛壇が、唄
い手と三味線の位置が、上下逆になっている)、楽屋などを配す
る。マンガチックな山の背景。いかにも、新作ものらしい斬新な
美術だが、歌舞伎らしい雰囲気はない。旅廻りの「たのきゅう」
(三津五郎)一座とおろち(染五郎)の対決が、軸。三津五郎
が、おろちからの要求で、娘、殿様、和尚と早変わりの化け比べ
で、対抗するのが、見せ場。最後は、煙草の「やに」が苦手とい
うおろちと金が苦手という悪知恵を使ったたのきゅうとの頭脳戦
で、たのきゅうが勝つ、というたわいのない話。劇中で、「口
上」があり、坂東吉弥の孫が、「小吉」として初舞台、また、三
津右衛門の名題昇進が、披露される。三津五郎の息子の巳之助
が、大きくなったが、藝の方は、これから。このほか、扇雀、秀
調、弥十郎、高麗蔵、亀蔵らが出演。私が贔屓の芝のぶも、最後
の「とんとん踊り」では、村の女のひとりで出ている。
- 2006年8月17日(木) 6:00:52
2006年7月・歌舞伎座 (昼/「夜叉ケ池」「海神別荘」・
夜/「山吹」「天守物語」)

当初、劇評は、いつもの通り、昼の部と夜の部を分けて書くつも
りだったが、実際に舞台を通しで拝見すると、7月の歌舞伎座興
行は、劇場が、歌舞伎座で、役者が歌舞伎役者とは、いうもの
の、歌舞伎劇というより、やはり、泉鏡花劇そのものという印象
が強く、4つの演目を続けて観てしまうと、4つの演目の関係、
あるいは、構造のようなものを分析したいという誘惑に駆られ
た。そこで、まず、劇評のタイトルを考えてみた。共通のテーマ
設定を考える場合、批評のタイトルを考えるというのが、大きな
テーマをわしづかみにするいちばん手っ取り早い方法だと思うか
らだ。その挙げ句に浮かんで来たタイトルは、「鏡花劇の歌舞伎
化ということについて〜永遠の不可能への、玉三郎の挑戦〜」と
いうものだった。


「鏡花劇の歌舞伎化ということについて
       〜永遠の不可能への、玉三郎の挑戦〜」

今回上演された鏡花劇は、「夜叉ケ池」、「海神別荘」、「山
吹」、そして「天守物語」の4演目であったが、このうち、私
は、99年3月、歌舞伎座で、「天守物語」を、翌2000年3
月、日生劇場で、「海神別荘」を観ている。「夜叉ケ池」と「山
吹」は、今回が、初見である。泉鏡花の戯曲を全て読んでいるわ
けではないから、良く判らないが、歌舞伎役者として鏡花劇の歌
舞伎化に熱心に取り組んでいる玉三郎が、今回の上演に際して選
んだ4演目について、玉三郎自身は、「夜叉ケ池」、「海神別
荘」、「天守物語」を「三部作といっていいほど、描かれている
世界が似ていると思うんです」と言っている。それは、「夜叉ケ
池」では、村という「俗世」と夜叉ケ池の「魔界」との対立が描
かれ、「海神別荘」では、海底の「異界」へ「人間界」から若い
女性が輿入れして来るし、「天守物語」では、天空の「異界」へ
「人間界」から若い武士が逃れて来るという形で、異界の元へ
の、ある種の融合が描かれることで判る。いずれも、最後は、
「異界」の優位性が、高らかに宣言される。ところが、「山吹」
となると、俗世のままで、「異界」なぞ、登場しない。「三部
作」では、昼夜通し興行が成り立たないので、時間稼ぎに「山
吹」を混ぜただけなのだろうか。いや、そうではない。私の見る
ところ、今回の興行4演目のキーポイントは、実は、「山吹」が
握っているように思えるのだが、とりあえず、ここでは、種を明
かさずに、伏線の指摘に留めておこうと思う。

次に、外題のつけかたも、3演目には、共通するものがある。い
ちばんユニークなのは、やはり「海神別荘」で、なんともイマジ
ネーション豊かなネーミングでは、ないか。次いで、詩情豊かな
「天守物語」、妖気豊かな「夜叉ケ池」となる。これらにくらべ
ると「山吹」という外題は、なんとも、「すげない」印象を持
つ。修善寺温泉から下田街道への「捷径(ちかみち)」となる山
吹が咲き乱れる山中の場面が、あるにせよ、である。しかし、こ
の「すげなさ」こそ、曲者である。ここも、そういう、伏線的な
意味のみを指摘しておく。

さて、ここで、唐突だが、近松門左衛門に登場してもらおう。
「虚実皮膜(きょじつひにく)」という言葉は、実は、門左衛門
が言い出した。「藝は、実と虚との皮膜の間にある」という意味
である。今回の興行でいえば、「夜叉ケ池」は、世俗と異界、つ
まり、実と虚との対立、「海神別荘」と「天守物語」は、海底と
天空という異界ながら、上下の違いはあるものの、中間の人間界
より、異界が、優位に立つ。つまり、虚が実より優位に立つとい
う鏡花の思想を明示する。ところが、門左衛門に拠れば、「実と
虚との皮膜の間」こそが、大事なのである。歌舞伎役者・玉三郎
は、門左衛門の立場に立つ人であるから、「三部作」だけでは、
藝にならないことを見抜き、「山吹」をキーポイントに据えたの
だろう。「山吹」という演目は、異界が登場せずに、世俗的な世
間という「すげなさ」を装いながら、「実と虚との皮膜の間」と
いう藝の極意を明確に観客に暗示してくる。

そういう眼で見ると、「山吹」という演目は、恋に生きる女性の
世間への訣別の物語であり、初恋の洋画家・島津正を本舞台とい
う世間に残し、子爵夫人の縫子は、老いた人形遣・藤次ととも
に、花道という「捷径」を通り抜けて、揚幕の向うの異界(人外
境のマゾヒズムという世界)へ旅立って行くという物語だという
ことが判る。そのための儀式が、雨傘に拠る打擲というエロチッ
クな行為であり、死んだ鯉の腐肉を食べるというグロテスクな悪
食の光景である。実から虚への旅立ち。皮膜をすり抜けて、藝の
世界へ旅立って行く。つまり、「山吹」は、鏡花劇のなかで、虚
実の価値転換を主張し、異界への回路を主張するターニングポイ
ントの演目であることが判るだろう。

ならば、「実と虚との皮膜の間」にある演目が、「山吹」という
外題を与えられた謎解きをしてみよう。

万葉集に遡る。八重山吹を詠う。

「花咲きて 実(み)はならずとも 長き日(け)に 思ほゆる
かも 山吹の花」

虚の花を咲かせながら、実を成らさぬ山吹への思い。鏡花は、万
葉集の歌を「実(じつ)はならずとも 長き虚(きょ)に思ほゆ
るかも」というように詠み込み、「実と虚との皮膜の間」にある
演目として、この戯曲を書き、それに「山吹」という外題を付け
たのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

ところで、鏡花劇は、優れて科白劇である。美意識を含む鏡花哲
学の思惟を科白という言葉で表現しようとするから、どうしても
奇抜で綺羅星のような科白が多くなる。空想自在な、形に見えな
い思惟を役者の肉体を通じて舞台という限定された空間で表現す
るために、そういう科白が多用されるのである。書かれた戯曲の
科白は、読みどころだが、それは、必ずしも、役者のいう科白の
聞かせどころとは限らないだろう。特に、様式美、定式を重んじ
る歌舞伎は、どちらかというと、見せる演劇である。

ならば、鏡花劇を歌舞伎劇として演出する者にとって、大事なこ
とは何だろうか。私は、鏡花劇が、歌舞伎になるための条件とし
ては、科白のない役者の存在感を如何に出すかということが重要
になるのではないかと、思う。科白のない大部屋の役者が、歌舞
伎としての演劇空間で、鏡花劇の科白の多い主役たちとは別に、
科白に頼らずに鏡花劇を肉体化するという試みをしてもらうとい
うことが重要になって来るように思う。例えば、7月の舞台に大
部屋役者の一人に市川喜昇という若い女形が出演している。甲府
出身の唯一の歌舞伎役者で、市川右近の弟子である。彼は、今
回、ふたつの演目に出演している。「山吹」では、縫子と藤次
が、虚の世界へ旅立つ、いわば「祝言」の場に出くわせ、稚児ら
とともに「南無大師遍照金剛」と唱え、弘法大師の命日を弔う村
人の一行のなかにいるし、「海神別荘」では、海底の御殿に使え
る侍女のなかにいる。例えば、彼が、いつもの歌舞伎劇との融和
を図りながら、科白の少ない、あるいは、全くない場面で、鏡花
劇をどう演じ、観客に演出家の意図をどう伝えようと意識してい
るか、というような、いわば定点観測で、推し量れるかも知れな
い。そういう目で観てみると、彼は、表情豊かに侍女を演じてい
た。ここ数年で、ひとまわり大きくなったように見えた。科白の
ない、あるいは、科白の少ない大部屋役者の所作が、鏡花劇の華
になるとき、鏡花劇は、見事に、歌舞伎化されていることだろ
う。

玉三郎は、鏡花劇の思想を身に纏い、己の美意識に磨きをかけ
る。それは、人の目に見えない思想と人の目に見せる美意識とい
うアンビヴァレンスを統一しようという試みでもある。科白劇の
大海に乗り出し、科白のない大部屋役者とも連係しながら、「実
と虚との皮膜の間にある」といわれる藝の本道を目指して、鏡花
劇という歌舞伎にいちばん馴染みにくい科白劇の歌舞伎化とい
う、永遠の不可能へむけて挑戦している。玉三郎歌舞伎の永久革
命ともいうべき、新たな演劇空間創成へ向けて、玉三郎は、鏡花
劇を相手に、挑戦を続けているように見える。

それは、また、400年以上もの間、伝統を大事にしながら、絶
えず、新しいものを取り入れ、歌舞伎に永遠不滅の命を吹き込も
うとしてきた歌舞伎界という、「異界」の、歴史の大きな流れに
乗っかっているようにも見える。
          
贅言:前回、日生劇場で「海神別荘」を観たときの劇評に、私は
次のように書いている。

*「天守物語」のように、将来、歌舞伎座でも(「海神別荘」
を)上演するなら、思いきって、大道具も、衣装も、台詞廻し
も、できるだけすべてを歌舞伎調の幻想劇にしてしまうのも、お
もしろいと思った。

しかし、この思いは、今回は、実現されていなかった。「玉三郎
歌舞伎の永久革命」の課題は、まだまだ、多い。

以上が、メインテーマの劇評だとすれば、以下は、書き残した各
論となる。各演目ごとの短かめの批評、そして、役者論、場合に
拠り、贅言という形で、今回の劇評を締めくくりたい。

まず、「海神別荘」では、前回、2000年3月、改装されたば
かりの日生劇場は、舞台だけでなく、場内全体も、海底の海神別
荘「琅汗(本当は「王偏」)殿(ろうかんでん)」のようで、貝
がちりばめられた凹凸のある曲線の複雑な天井、周りの壁も、ふ
ぞろいなタイルのようなものが貼りつけてあり、こちらも優美な
曲線、舞台も曲線で柔らかみを出していたのに対して、今回は、
いつもの歌舞伎座の場内なので、雰囲気が大分違う。大道具、衣
装などの美術は、前回同様、画家の天野喜孝。玉三郎の美女は、
好調。所作、表情が、いちだんと奥深くなった。海老蔵の公子
は、前回の難点だった、科白廻しは、大分改善されているが、今
回は、歌い上げてしまっていて、歌舞伎調からは、はずれてい
る。

前回、女房を演じた秀太郎の濃艶な美しさが印象に残ったが、こ
の役を今回は、笑三郎が演じていた。笑三郎では、まだ、秀太郎
の濃艶さには、及ばなかった。

贅言:私が観たときは、歌舞伎座としては、極めて珍しいカーテ
ンコールがあり(今回の歌舞伎座では、毎日だったのかも知れな
いが)、おもしろく拝見した。

「夜叉ケ池」は、鏡花の戯曲第一号で、自ら翻訳したドイツのハ
ウプトマンの戯曲の影響を強く受け、さらに、日本の地方に残る
竜神伝説を取り入れていることから、説明的な展開の演劇になっ
ている。それだけに、演劇的な切れは悪い。百合、異界の主・白
雪姫のふた役に春猿、百合の連れ合いの晃に段治郎、晃の友人の
学円に右近という配役。春猿ふた役の白雪姫のとき、後ろ姿の百
合は、当然、吹き替えだが、春猿に良く似た背中に違和感はな
かった。

贅言:鐘撞伝説の主役となる鐘楼は、現世の鐘楼と異界の鐘楼
は、表と裏を半回転させて表現していた。つまり、鐘楼の石段
が、表と裏では、凹と凸で、違っていた。夜叉ケ池の表現も、地
絣に水色の光を当てれば、池、明るい光を当てれば、地面という
具合で、テンポのある展開であった。屋根の無い屋体も、おもし
ろい(三津五郎主演の「道元の月」のときも、屋根なし屋体で空
間が拡がっていて、良かったのを覚えている)。

「天守物語」は、99年3月の歌舞伎座筋書に掲載されている舞
台写真を見ると、空の背景が、山あり、雲ありで、大分、写実的
だったことが判る。今回は、抽象的な光で表現をしていて、かな
りスマートになっている。播州姫路城(白鷺城)の五層の天守閣
で繰り広げられる幻想劇。鏡花の幻想三部作では、いちばん、歌
舞伎に馴染んでいる演目だ。それだけに、安定感がある。玉三郎
の富姫、海老蔵(前回は、新之助時代)の図書之助の主軸のう
ち、海老蔵は、前回より大分進化している。亀姫は、前回は、菊
之助、今回は、春猿。これは、菊之助の方が、安定感があった
が、春猿も、悪くはない。大きな獅子頭を作った工人の桃六は、
前回は、今は亡き羽左衛門、今回は、猿弥。これは、ちょっとし
か出番がないが、奇跡を起こす超人なので、存在感が強くないと
漫画になってしまう。猿弥では、まだまだの感。やはり、羽左衛
門の存在感には、かなわない。ユニークな役どころは、生首を舌
でなめる舌長姥の門之助、前回は、吉之丞。これも、吉之丞の方
が良かった。奥女中の薄は、前回同様、吉弥で、これは、前回
も、今回も、安定感があった。

贅言:「夜叉ケ池」で俗界の代表として、村長役で出ていた寿猿
は、「天守物語」で、玉三郎の富姫や海老蔵の図書之助が、中に
避難して隠れ潜んだ獅子頭の獅子が武田の家臣相手に立回りをす
る場面で、以前に獅子の脚を演じたことがあるというが、今回
も、立回りの場面だけ、脚を演じた役者が居たことだろう。獅子
の眼を刀で刺され、盲になった図書之助が出て来る場面では、海
老蔵に、その後の場面では、玉三郎に戻っている。

「山吹」は、先程、少し述べたので、役者論のみ。笑三郎の演じ
た子爵夫人縫子は、後ろ姿に大正浪漫(ロマン)が感じられて、
好演。笑三郎は、「海神別荘」の女房より、良かった。老人形遣
の藤次を演じた歌六は、このところ老け役に新境地という、好調
さが続いているようで、良かった。段治郎は、常識的な世間の品
格(そういえば、いま、品格論流行りというのも、嫌な世の中だ
と嘲笑う鏡花のこう笑が聞こえて来そうではないか)にこだわる
紳士を好演していた。

贅言1):老人形遣(漂泊の傀儡師)の藤次が、持ち運んでいた
人形は、朱の袴姿の巫女だった。決して操られる場面は出て来な
かったが、修善寺温泉裏路の萬屋の板塀に立て掛けられていると
きも、次の下田街道への捷径の山吹の立ち木に立て掛けられてい
るときも、なぜか、首吊りをしているように見え、無気味な気が
した。

贅言2):萬屋の屋体も、屋根なし。書割も、抽象的で不確定。
それが、逆に、何処でもない場所は、何処でもある場所という普
遍性を持つことを伝えて来る。時空を超えて、メッセージを送っ
て来る鏡花劇に相応しいかも知れない。
- 2006年7月23日(日) 21:07:50
2006年6月・歌舞伎座 (夜/「暗闇の丑松」「身替座禅」
「二人夕霧」)

「暗闇の丑松」は、長谷川伸が、講談の「天保六花撰」の人物
「丑松」を新たな人物像として造型して、軸に据えて1931
(昭和6)年に雑誌に発表した戯曲である。都合4人を殺し、妻
を自殺に追いやるという、陰惨で、暗い殺人事件の話である。そ
れでも、雑誌を読んだ六代目菊五郎は、上演を熱望したという。
雑誌発表から3年後、六代目菊五郎は、東京劇場で初演した。配
役は、料理人・丑松(菊五郎)、妻のお米(男女蔵=後の、三代
目左團次)ほかだが、脇役は、達者な役者が揃っていたらしい。
思いつめた女の可憐さ、一本気な男の狂気に至る心情が描かれる
が、この芝居の魅力は、それだけではないだろう。大道具を含め
て、演出は、菊五郎がしたのだろうか。省略と抑制が効いた場面
と大道具の妙。達者な脇役たちの演技。それが、この陰惨な幕末
の江戸の殺人事件劇を奥行きのある芝居に磨き上げたと思う。古
い資料を見ると、村上元三演出とある。ならば、村上の知恵か。

私は、98年11月の歌舞伎座、02年7月の歌舞伎座、そし
て、今回と、3回目の拝見となる。主な配役は、次の通り。丑
松:菊五郎、猿之助、今回は、幸四郎。お米:福助、笑也、福
助。四郎兵衛:彦三郎、段四郎、今回も、段四郎。お今:萬次
郎、東蔵、秀太郎。お熊:鐵之助、東蔵(お熊とふた役)、今回
は、鐵之助。祐次:八十助時代の三津五郎、歌六、染五郎、三
吉:松助、寿猿、錦吾。常松:家橘、猿十郎、友右衛門。

菊五郎は、2回目の主演だったが、さすがに世話もの得意の役者
だけに過不足なく丑松を演じていた。猿之助は、初演であり、外
形的に熱演しすぎで、もう少し抑え気味の演技で、内面がにじみ
出る方が、良かったのではないかと、思った。今回の幸四郎は、
20年前に一度演じているので、2回目だが、今回は、前回と
違っているのか、敷衍しているのか、知らない。しかし、今回
は、熱演で、いつものオーバーアクション気味ではあるが、内面
的にもオーバーアクションのようで、それが滲み出ていて、なか
なか良かったと思う。菊五郎よりは、演じ方が、より陰惨な気は
するが・・・。

お米の福助は、幸の薄い女性を演じて、存在感のある良い演技を
していた。四郎兵衛の段四郎は、2回観ているが、適役だ。秀太
郎は、お今のような役をやらせると、絶品である。
 
さて、暗闇で芝居は始まる。本舞台の「浅草鳥越の二階」は、薄
暗く、誰もいない。隣家の二階、斜め前の家の二階では、それぞ
れ男女が、うわさ話をしている。そういう薄暗闇で蠢く科白で、
いつしか舞台は進行して行く。陰惨で、暗い話らしい、巧い幕開
きだ。

この芝居では、丑松は、都合4人を殺すのだが、殺人の現場を舞
台では直接的に描かない。「本所相生町四郎兵衛の家」で、四郎
兵衛(段四郎)の妻・お今(秀太郎)が、丑松に殺される場面を
除いて、いっさい、殺し場は、直接、観客には、見せない。影絵
のように描いた方が、陰惨さのリアリティを増すことができると
いう効果を知り尽した知恵者が居たのだろう。

例えば、序幕の「浅草鳥越の二階」では、お米(福助)の母親の
お熊(鐵之助)が、丑松(幸四郎)と別れさせようとして、お米
を何度も折檻する場面は、見せるものの、階下で起こるお米の見
張り役の浪人・潮止当四郎(権十郎)とお熊が、それぞれ丑松に
殺される場面は、音だけで表現する。

まず、お熊に頼まれて丑松を脅迫するため、二階にいた当四郎
が、まず、階下に下りていって丑松に殺される。戻って来ない当
四郎を不審に思い、階下に様子を見に行ったお熊も殺される。ふ
たりを殺して、蹌踉として二階に上がって来た丑松の出で、ふた
りが殺されたことを観客に推量させるという、なんとも憎い演出
なのだ。歌舞伎の様式化された「殺し場」は、ないのだ。新歌舞
伎という様式にこだわらなくても良いという武器を積極的に使っ
ているように見受けられる。自首しようとする丑松の思いを押し
とどめて、お米は、二階から隣家の屋根伝いに逃げることを勧め
る。いつの間にか、舞台下手の平屋の屋根屋根の上には、真ん円
い月が皓々と照りつけている。物干し場のある窓をがらりと開け
ると、昼間のように明るい月の光が、丑松とお米の姿を白々と描
き出す。先に身を乗り出した丑松は、足を滑らせて、屋根に倒れ
込む。物干し場を伝いながら、ゆっくり降りはじめるお米。女の
方が、度胸が座っているようだ。皓々とした月光の下、地獄への
逃避行に旅立つ破戒の男女の後ろ姿が、小さくなって行くところ
へ、上手から引幕が迫って来る。

逃避行の末、丑松は、お米を信頼する兄貴分の四郎兵衛に預けて
おいて、更に長い旅に出た。久しぶりに江戸に戻って来た丑松
は、江戸の入り口のひとつ、板橋宿で宿を取る。お米は、四郎兵
衛に騙されて売られ、板橋宿の妓楼「杉屋」で女郎になってい
た。宿場の妓楼の風俗描写がリアルで、見応えがある。様々な役
を演じる脇役たちの演技も、内実を感じさせる。歌舞伎役者の層
の厚さが浮き彫りになる場面だ。偶然再会した丑松にお米は、事
実を知らせるのだが、兄貴分を信用する丑松に失望して、嵐のな
か、妓楼裏の銀杏の木で首吊り自殺をしてしまった。

この妓楼の場面では、上手の戸外の嵐、激しい雨の降り様が、光
りで描かれるが、それが、登場人物たちの心理描写に役立ってい
る。これも、巧みな演出だ。

杉屋の妓夫・三吉の錦吾、遣り手・おくのの歌江、松の屋料理
人・祐次の染五郎、建具職人・熊吉の高麗蔵など脇役たちも、い
ずれも、存在感のある好演。そういえば、序幕の当四郎の権十
郎、お熊の鐵之助も、味があった。特に、お米を折檻する母親の
お熊を演じた鐵之助は、抜群に巧かった。8年前のそれぞれは、
当四郎が、團蔵、お熊は、同じ鐵之助。杉屋の妓夫・三吉は、松
助、遣り手・おくのは、鶴蔵、松の屋料理人・祐次は、八十助時
代の三津五郎、建具職人・熊吉は、右之助などで、こちらの組み
合わせの脇役たちも、味があったのを思い出す。この芝居、脇役
の巧拙で舞台が違って来る。

また、大詰第二場「相生町湯屋釜前」では、風呂場で起きる四郎
兵衛殺人事件も直接、「殺し場」は描かずに、殺人の前後の人の
動きで表現する。いわば、影絵の殺人事件の現場を、周辺の余白
で推測させる演出を取っている。本舞台奥が、上手男湯、下手女
湯。江戸時代の風呂場は、柘榴口の奥の薄暗くて、湯気が籠った
空間で見通しが悪い。そういう場が、殺し場になっているのだか
ら、この演出は、正解だろう。

「湯屋釜前」では、湯屋の番頭・甚太郎の蝶十郎が、薪を燃や
し、水を埋め、桶を乾燥させ、並べて整理する。その合間に、風
呂場に呼ばれたり、下手上部に設えられた屋根裏部屋の休憩所に
入ったり、下帯ひとつの熱演で、縦横無尽に巧みに動き回りなが
ら、湯屋裏側の釜焚きの生活がリアルに描かれる。8年前は、橘
太郎であったし、4年前は、猿四郎であった。この場面を観るだ
けでも、「暗闇の丑松」は、観る価値があると思う。甚太郎の明
るさと丑松の暗さが、対比されないといけない。

湯屋裏側の出入り口の工夫。木戸を開け閉めする度に木戸がひと
りでに閉まるように長い紐の先に徳利が括り付けられている。徳
利が、錘りの役目を果たし、人が木戸を開けても、徳利が、木戸
を閉めるという仕掛け(一種の自動ドア)だが、これが、木戸を
出入りする番頭・甚太郎だけでなく、殺人犯丑松、岡っ引きの常
松(友右衛門)らの出入りの度に上下をし、役者たちの心理を増
幅して、観客に伝えて来る。更に、幕切れで、湯屋の犯行現場か
ら逃走する丑松のおぼつかない足取りと同調する形で、どんつく
どんつくと鳴り響く祈祷師の法華太鼓の音。これも効果的だ。序
幕から大詰まで、音の効果を知り尽した憎い演出が光る。祈祷師
の男女がその前に湯屋裏を覗いて行くという伏線の設定も、心憎
い。
 
相生町の四郎兵衛(傘に「相四」とある)を演じた段四郎は、昼
の部の「荒川の佐吉」の郷右衛門同様の敵役で、いずれも味を出
していた。四郎兵衛女房・お今の秀太郎も、中年女の嫌らしい色
気が滲み出ていた。四郎兵衛の家から湯屋への場面展開前に、江
戸の物売りのひとつ、笊を両天秤に担いだ笊屋が、笊売りの売り
声をかけながら舞台下手を通りかかり、そのまま暗転という、こ
れも、また、憎い演出だったことを指摘しておこう。芝居の魅力
の出し方を知り尽したような村上元三の演出だ。
 
この芝居は、ストーリー展開は、陰惨だが、そういう音や声を意
識的に使った抑制の効いた演出の趣向が、随所に光る。また、大
道具、舞台装置の巧みさも、見逃しては行けない。そういう意味
では、見せる歌舞伎が、歌舞伎の魅力という常識のなかで、「音
で聞かせる歌舞伎」「工夫された大道具」という視点でも、得が
たい「新」歌舞伎だと思う。また、江戸の庶民の生活を活写する
場面も多く、江戸の市井人情ものと言われるだけに、細部の趣向
に工夫が多く、それも楽しめる。数ある新歌舞伎のなかでも、名
品のひとつだと思う。今月、昼夜通して観ても、いちばん見どこ
ろの多い出し物だと推薦したい。
 
「身替座禅」は、7回目の拝見。私が観た右京:菊五郎(今回含
め、3)、富十郎(2)、猿之助、勘九郎。菊五郎の右京には、
巧さだけではない、味があった。特に、右京の酔いを現す演技が
巧い。酔いの味が、良いということだ。従って、右京というと菊
五郎の顔が浮かんで来る。玉の井:吉右衛門(2)、三津五郎、
宗十郎、田之助、團十郎。今回は、仁左衛門。

玉の井は、醜女で、悋気が烈しく、強気であることが必要だろ
う。浮気で、人が良くて、気弱な右京との対比が、この狂言のミ
ソであろう。そういうイメージの玉の井は、仁左衛門が巧い。仁
左衛門演じる「先代萩」の八汐は、素晴しい敵役だが、今回も、
その系統の演技である。仁左衛門の底力を見せつける舞台であっ
た。玉の井は、團十郎もよかったが、今回の仁左衛門も良かっ
た。嫉妬深さ、憎らしさ、山ノ神の怖さを演じて、團十郎も仁左
衛門もひけを取らない。吉右衛門は、人柄の良さが邪魔をする。
三津五郎は、柄が小さくて、こういう役では、損をしている。宗
十郎、田之助は、女形もやれる役者なので、立役のみの團十郎、
仁左衛門とは、味わいが異なる。この役は、やはり、真の立役に
やらせたい。

ところで、右京役者のポイントは、右京を演じるだけでなく、右
京の演技だけで、姿を見せない愛人の花子をどれだけ、観客に感
じ取らせることができるかどうかにかかっていると思う。これ
も、「暗闇の丑松」同様、影絵の効果であろう。シルエットとし
ての花子の存在感。1910(明治43)の、市村座。作者の岡
村柿紅は、六代目菊五郎の持ち味を生かすために、狂言「花子」
を元に、この舞踊劇を作った。初演時の玉の井は、七代目三津五
郎。元の狂言は、観ていないので判らないが、外題からして、花
子も登場するのだろうが、歌舞伎では、花子は、舞台では、影も
形もない。唯一花子を偲ばせるのが、右京が花子から貰った女物
の小袖。それを巧く使いながら、花子という女性を観客の心に浮
かばせられるかどうか。見えない花子の姿を観客の脳裏に忍ばせ
るのは、右京役者の腕次第ということだろう。右京の花子に対す
る惚気で、観客に花子の存在を窺わせなければならない。そうい
う意味でも、菊五郎は、巧い。

身替わりに座禅を組まされる太郎冠者の、さらに身替わりになる
玉の井。それを知らない右京と全てを知っている観客の違いのお
もしろさ。身替わりの身替わりを知っている観客は、いわば、齟
齬を笑いで愉しむ。この場面、右京が、得意になって、情事を語
れば語るほど、ついでに、玉の井の悪口を言えば言うほど、観客
の笑いを誘う。

太郎冠者は、右京と玉の井のやりとりの序盤を受け持つ。玉の井
の怒りや激情を増幅させる役割を背負わされていて、前座とし
て、下地を作る。翫雀は、そういう激情の触媒機能を過不足なく
演じていた。侍女の千枝(松也)と小枝(梅枝)だが、松也にく
らべると梅枝は、まだ、線が固い。身体の動きが、女性になって
いない。

贅言:右京が、玉の井の攻撃から逃れるために、床に置いてあっ
たオレンジ色の座禅衾に頭から潜り込み、もぞもぞ動く場面で、
久しく見せてもらえない菊五郎の「保名」の「伏し沈む」場面を
思い出してしまった。もう一度、菊五郎の「保名」を観てみたい
と切望しておく。

「二人夕霧」は、2回目の拝見。「廓文章」の吉田屋の場面のパ
ロディ。この狂言では、舞台上手に「二人夕霧」の看板。下手に
「傾城買指南所」の看板が、それぞれ、掲げられるが、これは、
この狂言の持つふたつのテーマの明示であることを見逃してはな
らない。そのテーマとは、1)「吉田屋」で馴染んだ先の夕霧
が、亡くなってしまい、後の夕霧(時蔵)と再婚した伊左衛門
(梅玉)が、夫婦共働きで、「傾城買指南所」を開いているとい
う舞台設定のおもしろさ。2)「先の夕霧(初代)」と「後の夕
霧(二代目)」の、いわば、女の争いとしての、「二人もの」。
「死んだ振り」をしていた先の夕霧(魁春)が訪ねて来たことで
巻き起こる大変。軽味と笑いの狂言。結局、伊左衛門は、ふたり
妻を持つ身になる。

パロディとともに、もうひとつの趣向も見逃せない。勘当の身の
ぼんぼん・伊左衛門と傾城の打ち掛け姿で、夕餉の支度をする夕
霧の、「ままごと」のような、ふたりの新婚生活というのが、
「浮き世離れ」している、この狂言の原点。上方落語の味とで
も、言おうか。おおらかさと笑いの世界が拡がる。

前回、仁左衛門の病気休演で伊左衛門を代役で勤めた梅玉は、今
回は、最初から、梅玉の伊左衛門であったが、前回より、上方味
と滑稽味が、少し強まって来たように見受けられる。3年前の大
阪松竹座で仁左衛門は、「二人夕霧」の伊左衛門を演じている
が、私は観ていないので、是非とも観てみたいと、常々、思って
いる。今回も実現はしなかったが、その際の、私の見方のポイン
トは、吉田屋の場面での伊左衛門と、パロディでの伊左衛門の違
いをどう演じるのかということだ。

このほか、指南所に通って来る3人の弟子の内、「いや風」の翫
雀は、前回に続いて、2回目だが、これも、良かった。借金取り
の「三つ物屋」は、今回は、團蔵だが、これは、憎まれ役だけで
はない味わいが欲しい。前回は、亡くなった坂東吉弥だったが、
配役を観ただけでも、私の要求する味の違いが判る人には、判る
だろうと思う。


贅言1):「三つ物屋」とは、古着屋のこと。「綿入れ」を表、
裏、綿と分けて売り物にしたからという。この場面では、伊左衛
門のした借金の形に衣類や炬燵蒲団などを剥ぐように持って行く
と、すっかり、伊左衛門のユニフォームになっている紙衣姿にな
るというのも、「廓文章」のパロディの趣向である。

贅言2):夜の部は、芝居が撥ねた後、暗い夜道を帰る観客たち
のことを考えると、殺人事件が続く「暗闇の丑松」の陰惨さを消
さなければならない。そのために、歌舞伎座は、嫉妬の笑いの
「身替座禅」と大らかな落語の笑いに通じる「二人夕霧」の連打
で、暗闇に灯りを付けて、夜道の足元を照らしたつもりかも知れ
ない。
- 2006年6月5日(月) 22:34:40
2006年6月・歌舞伎座 (昼/「君が代松竹梅」「双蝶々曲
輪日記〜角力場〜」「藤戸」「荒川の佐吉」)

昼の部のいちばんは、「荒川の佐吉」で、舞台が進むに連れて、
華やかに展開し、最後は、爛漫の桜の堤での別離。「角力場」
は、幸四郎と染五郎の共演、染五郎のふた役早替りの趣向が良
かった。「藤戸」は、「船弁慶」バリエーションの趣。

「君が代松竹梅」は、3回目の拝見。松竹梅は、冬の寒さを耐え
忍ぶ「三寒三友」書割りは、下手から、上手へ向って、松、梅、
竹。やがて、大せり台に乗って、平安朝の優雅な衣装をまとった
3人が、上がって来る。松の君(翫雀)、梅の君(愛之助)、竹
の姫(孝太郎)の登場。これは、立役、女形の配役によって、
「君」と「姫」は、自由自在。公演2日目の所為か、3人の所作
が揃っていないのが残念。3人の持つ扇子の色は、緑、紫、紅。
さて、誰がどの色か?

紅は、梅の君。緑は、竹の姫か、松の君か、迷うが、果たし
て・・・。その挙げ句、松は、緑。竹は、若々しいので、若紫の
連想から、紫と、思ったが、正解は、緑が梅の君、紫が松の君、
紅が竹の姫。10分余りの短い所作事。どうということもなし。

「双蝶々曲輪日記」のうち、「角力場」は、2回目の拝見。まず
舞台上手には、角力の小屋掛けで、力士への贔屓筋からの幟(濡
髪長五郎には、「山崎」贔屓、放駒長吉には、堀江贔屓とある。
これは、後の展開から、「山崎」は、濡髪支援の「山崎屋与五
郎」の山崎「屋」であり、「堀江」は、放駒支援の角力小屋のあ
る地元の堀江「町」の意味だと知ることができる)のほか、取り
組みを示す12組のビラ(最後が、濡髪対放駒と判る)。木戸口
の大入りのビラ。見物客が入ってしまうと、木戸の若い者が「客
留(満員の意味)」のビラを張り、木戸を閉める。江戸時代の上
方(大阪・高麗橋のたもと)の相撲風情が楽しめる趣向だ。

舞台下手には「出茶屋」そばにお定まりの剣菱の菰被りが3つ積
んである(後に、放駒が、使う)。角力小屋の中は見せないが、
入り口から見える範囲は、「黒山」の人だかりの雰囲気(昔は小
屋を観音開きにして、内部の取り組みの場面を見せる演出もあっ
たという)。いまは、声や音だけで処理。結びの一番(濡髪対放
駒)は、「本日の打止め」との口上。軍配が返った雰囲気が伝
わって来たと思ったら、「あっさり」(これが、伏線)、放駒の
勝ち名乗り。取り組みが終わり、打止めで、仕出しの見物客が木
戸からゾロゾロ出てくる。筋書の出演者を見ると男18人、女5
人だが、やけに多く見える。同じ役者が、二廻りしていると、見
た。

次いで、木戸から放駒長吉の出がある。放駒役の染五郎は、今
回、山崎屋与五郎との早替りふた役である。次に木戸から出てく
る幸四郎の濡髪長五郎を、より大きく見せるために(と言うのは
濡髪の木戸の出は、昔から押し出しの立派さを強調するため、役
者などが工夫を重ねるポイントになっている)、草履を履いてい
る。これに対して、濡髪は、歯の高い駒下駄を履いている。木戸
から扇子を持った手が見えるが、上半身はあまり見えない。黒い
衣装に横綱の四手(しで)の模様、二人が舞台で並ぶと濡髪の大
きさが目立つ。また、地元推薦の放駒は、丁稚上がりの素人相撲
取りで、歩き方もちょこちょここ歩き、話し方も、町言葉。純粋
の相撲取りの濡髪との対比は、鮮明。幸四郎は、珍しく、抑制の
効いた演技で、貫禄の濡髪長五郎をゆるりと演じていた。

濡髪贔屓の山崎屋与五郎は、染五郎のふた役。染五郎の意欲が伺
われる。染五郎は、上方歌舞伎の典型的な「つっころばし」を好
演。染五郎は、このところ、上方味の役柄に意欲的に取り組んで
いるように思われる。与五郎は、語源通りに、濡髪から肩を叩か
れると、崩れ落ちる。このほかにも、何度もつっころばされてい
た。

濡髪と放駒のやりとりでは、角力小屋のなかで展開された「はず
の」取り組みを再現する場面では、勝負にわざと負けた上で、後
から頼みごとをする濡髪のやり方の狡さに怒る放駒の言い分が正
当で、怒りは尤もであると、思う。八百長相撲を仕掛けた濡髪の
やり方に怒る放駒の座っている床几を蹴倒す濡髪の乱暴さ。通し
ではなく、「角力場」だけを見ているといくら濡髪を立派だと褒
めても、敵役の雰囲気は残る。

濡髪の持つ黒地の扇子には、片方に白い軍配と赤い房の絵、もう
片方に赤い弓の絵。難しいが、濡髪は敵役の印象を残さないで、
力士としての豪快さを出す工夫を役者がどこまでできるかがポイ
ントだろう。幸四郎の濡髪も、疾しさは、残った。放駒の持つ扇
子は、白地に暴れ馬の絵柄。さて、本当の軍配はどちらに、揚
がったことだろう・・・。もめ事の原因となる、大坂新町の遊廓
藤屋の遊女吾妻に高麗蔵。与五郎ご贔屓の鼻高の美形である。

「昇龍哀別瀬戸内 藤戸(のぼるりゅうわかれのせとうち)」
は、初見。「松貫四構成」の「松貫四」は、吉右衛門の筆名。8
年前の1998年5月に広島の厳島神社の野外舞台「宮島歌舞
伎」で、初お披露目のあった演目である。平家物語の「藤戸」を
ベースに、平家を攻める佐々木盛綱(梅玉)に瀬戸の浅瀬を教え
た地元の漁師が、口封じに殺された怨念を伝える。前半は、殺さ
れた漁師の老いた母・藤波(吉右衛門)が、加害者佐々木に恨み
つらみを訴える。盛綱の郎党、つまり、四天王に玉太郎改め松
江、亀鶴、歌昇の息子の種太郎、吉之助。浜の男女(歌昇と福
助)の間狂言の後、後半は、藤戸の悪龍となった漁師の亡霊が、
盛綱を襲う。義経一行と平知盛との対決になる「船弁慶」と同工
異曲の狂言。戦争による犠牲者の怨念を描く。吉右衛門のテーマ
のひとつ反戦劇である。「変わらぬものは、親心じゃあ」という
のも、主張のひとつ。幕外の引っ込みが、送り三味線ではなく、
送り四拍子という珍しいもの。笛、小鼓、大鼓、太鼓と揃う。四
拍子の演奏に翻弄されるように、悪龍は、波に揉まれながら消え
て行く。鬘を付けていない裃後見が主役を支える。

昼の部最後は、真山青果原作の「江戸絵両国八景〜荒川の佐吉
〜」。これは、4回目の拝見。最初が95年7月の歌舞伎座で猿
之助であった。いまも、印象に残る。病気休演中の猿之助の舞台
が、長らく拝見できない状態が続いているが、残念である。舞台
の猿之助と再会したいファンは、多いことだろう。2回目は、
98年8月の歌舞伎座で、勘九郎。さらに、上方歌舞伎の雄・仁
左衛門で今回を含め2回拝見。初めて仁左衛門で観たときは、江
戸の庶民を仁左衛門が、どう演じるかが、愉しみであった(仁左
衛門は、孝夫時代に4回、佐吉を演じていて、彼の当り役のひと
つである)。仁左衛門の佐吉は、爽やかで見応えがあった。上
方、江戸の区別を吹き飛ばしていた。従って、今回も、こだわり
なく仁左衛門佐吉を楽しんだ。私が観た3人の佐吉のなかでも、
仁左衛門は、スッキリしている。

今回のほかの配役。政五郎(菊五郎)、辰五郎(染五郎)、郷右
衛門(段四郎)、仁兵衛(芦燕)、お新(時蔵)、お八重(孝太
郎)。政五郎では、以前、新国劇出身の島田正吾が貫禄充分に演
じていて、味があったが、歌舞伎上演と同時に新国劇でも上演さ
れた経緯のある出し物だから、そういう融通性を最初から持って
いた演目である。

序幕で、江戸の両国橋の両国側の喧噪。街の悪役が、田舎者の親
子連れに難癖をつける。地元のやくざの親分鐘馗の仁兵衛(芦
燕)の三下奴・佐吉(仁左衛門)が、義侠心を出す場面で、後の
伏線となる。謎の浪人成川郷右衛門(段四郎)と佐吉とのやりと
りが、意味深長。その果てに、郷右衛門は、仁兵衛に斬り付け、
怪我を負わせる。

この芝居を観るたびに思うのは、今回もそうだったが、印象に残
る短い場面がある。郷右衛門に縄張りを奪われた仁兵衛は、一家
も解散し、娘のお八重(孝太郎)らとともに、裏長屋で閉塞して
いる。長屋を巡る溝が雰囲気を出す。鬱陶しい雨の日である。甲
州の使いから戻った佐吉が訪ねて来る。佐吉は、早速親分の生活
を助けようとする。

第二幕、第二場の「法恩寺橋畔」というシンプルな場面。佐吉
は、お八重の姉・お新が生んだ盲目の赤子・卯之吉(親分・仁兵
衛の孫)を寝かし付けようと橋の辺りを歩いている。舞台中央に
据えられた法恩寺橋には、人ッ子ひとりいない。上空には、貧し
い街並を照らす月があるばかり。「月天心貧しき町を通りけり」
そのまま。

佐吉のひとり芝居の場面。これが、「荒川の佐吉」を初めて観た
猿之助のときから印象に残っている。やがて、稲荷鮨売りが、後
ろ姿のまま橋で佐吉とすれ違う。今回の稲荷鮨売りは、松四朗。
この後ろ姿に哀愁がある。稲荷鮨売りのほか、この場面では、い
かさま博打が発覚して親分が殺されたことを佐吉に知らせに来る
かつての兄貴分で、いまは郷右衛門の身内になっている極楽徳兵
衛(権十郎)が出て来る。それだけの登場人物でしかないが、な
ぜか、印象に残る。それは、多分、月が効果的だからなのだろ
う。さしたる重要な場面ではないのに、芝居の不思議さ。演出の
妙ということか。今月の歌舞伎座は、夜の部でも、月が効果的な
場面がある。それは、夜の部の劇評で詳しく書こう。

「江戸絵両国八景」という外題が示すように、両国界隈の景色
が、基調の物語で、それに三下奴の佐吉のサクセスストーリー
(それは、場面が替わるごとに、舞台の屋体の家が立派になるこ
とで、表現されている)と6年間、義理の息子・卯之吉を育て上
げて行く過程で生まれた父親としての情愛、それに佐吉本来の
「男気のダンディズム」が絡む。大きくなった卯之吉が、見えな
い眼でも、父親の帰りを逸早く悟り、「おとっちゃん、お帰り」
とすり寄って行くと、仁左衛門は、卯之吉を、ほんとうに愛おし
そうに抱く場面が、何回かある。その情愛の始まりが、「法恩寺
橋畔」の場面で、この場面自体は、人形を抱いているだけの、シ
ンプルな場面で、どうということもないのだけれど、私には最初
から気になる場面として印象づけられた。この短い場面を観たく
て、私は「荒川の佐吉」という2時間を超える芝居を観るような
気がする。それは、4回、同じ場面を観ても変わらなかった。

贅言:この芝居に出て来る「江戸絵両国八景」とは言え、今回の
舞台では、4枚の立て札が納涼の祭を伝える「両国橋付近」、
「法恩寺橋畔」、「向島・秋葉権現」、「向島・長命寺前の堤」
ぐらいか。本来は、全八場で、両国を中心に隅田川界隈の八景を
出しているようだが、いまでは、半分の四景か。

もうひとつ。舞台に隠してあるのが、桜。大川端(隅田川)両国
橋付近に構えた佐吉の新しい家。親分の仇討ちもし、縄張りも取
り戻した。立派な家の上手、床の間に色紙を掛け軸に直したもの
が飾られている。その色紙にヒント。「敷島の大和心を人とはば
朝日に匂ふ山桜花」と書いてあるが、この場面では、桜について
触れられることはない。床の間の近くに置かれた大きな壺にも桜
の木が差し込んである。

やがて、「長命寺前の堤」の場面。暗転で、夜明け前から始ま
る。佐吉の登場。夜が空けはじめる。大川端の遠見。筑波山が見
える。堤には、6本の桜木。すっかり明け切る。この夜明けの光
量の変化の場面が、実に美しい。お八重との再会。政五郎の見送
り。辰五郎も背負った卯之吉を連れて見送り。草鞋を履き、江戸
を離れ、遠国へ旅立つ佐吉へ餞の言葉を述べる政五郎の台詞に
「朝日に匂ふ山桜花」が出て来て、前の場の舞台の設えが、この
台詞のための伏線になっていることが判るという趣向。散り掛か
る桜の花びらのなかで、卯之吉を抱きしめ、遠ざかる佐吉を泣き
ながら見送る辰五郎(染五郎)の台詞。「やけに散りやがる桜だ
なあ」で、幕。

夜の部も、世話物がおもしろかった。引き続き、夜の部の劇評を
構想中。近日、公開。
- 2006年6月4日(日) 18:07:49
2006年5月・歌舞伎座 (夜/「傾城反魂香」「保名」「藤
娘」「黒手組曲輪達引」)

「傾城反魂香」は、8回目の拝見となる。今回は、簡単にまとめ
たい。私が観た又平おとくの夫婦たち。又平:吉右衛門(3)。
富十郎(2)、猿之助、團十郎。そして、今回が、三津五郎。お
とく:雀右衛門(2)、芝翫(2)、勘九郎、鴈治郎、右之助。
そして、今回が、時蔵。

この演目は、吃音者の成功譚である。吃音者の夫を支える饒舌な
妻の愛の描き方、特に、妻・おとくの人間像の作り方が、ポイン
トになる。前にも書いているが、おとくは、例えば、芝翫が演じ
るような、「世話女房型」もあるし、雀右衛門が演じる「母型」
もある。今回の時蔵のおとくは、「世話女房型」であった。三津
五郎の又平は、前半は、腹話術の人形のような存在感の薄さ。で
も、これはこれでおもしろい。だめな絵師としての烙印を押さ
れ、自殺しかねない又平だが、起死回生の絵が、石の手水鉢を抜
けたときの、「抜けた!」という科白を境に後半は、別人のよう
な趣。三津五郎の藝の明るさは、後半で生きて来る。

この芝居では、実は、もうひとり又平の味方がいるのを忘れては
行けない。将監北の方である。今回は、秀調が演じたが、権力者
将監とバランスを取りながら、絶えず控え目ながら、壺を外さぬ
演技が要求される難しい役どころだ。8回観た「傾城反魂香」の
うち、4回、つまり半分は、吉之丞の北の方であった。つまり、
又平に対して、母性を発揮している暖かい女性に吉之丞の北の方
がいた。4回も観ていると、吉之丞のいぶし銀のような、着実な
演技が、観客の脳裏に刷り込まれているのに気づくようになる。
秀調は、初めて拝見。ちょっと、違う印象。

贅言1):今まで、気づかなかった、あるいは気づいても、劇評
に書き込まなかったのは、絵師の師弟の仕事場である山科閑居に
置かれた絵の数々。ひとつの座席から全部の絵が見えるわけでは
ないので、限界はあるが、今回見つけた絵は、川の畔の桜の木の
下で琵琶を弾く人に降り掛かる桜吹雪の絵柄。富士山の見える松
原と手前の海には、小舟があるという絵柄。大して、卓抜な構図
でもないし、巧い絵とも思えないが、土佐派の絵柄というのは、
こういうものなのか。土佐派といえば、中世から近世にかけて流
行った大和絵の代表流派のはず。特に、「傾城反魂香」に出て来
る土佐「光信」(今回は、彦三郎)は、土佐派中興の祖。また、
又平が、名前を戴く「光起」は、戦国の争乱後、再度、絵所預
(えどころあずかり)=宮中や幕府の絵の御用を勤める主任=に
なるなど、それぞれ、土佐派代々の名跡の名前を使っているが、
いくら芝居とは言え、その割には、「絵がどうも」という感じで
はないだろうか。

贅言2):又平が石の手水に染み込ませる自画像も、稚拙。書道
のことを「入木道」というのは、中国の詩人の書が、墨痕鮮やか
で木に三分染み込んだという故事にちなむが、又平の絵も、この
故事をベースにしているのだろう。これは、前にも指摘している
ことだが、初演時などの同時代人には、自明のことであっても、
今の私たちには、意外と知らないことだから、久しぶりに改め
て、書いておく。

さて、今回、私の、夜の部の愉しみは、菊之助の「保名」であっ
た。ある期待を込めて、幕切れ直前の場面を見守った。

「保名」は、7回目。97年2月の歌舞伎座が、初見。9年間
で、歌舞伎座だけで、7回。大阪松竹座、京都南座、博多座を入
れれば、9年間で10回も演じられていることになる。人気演目
のひとつということだろう。私が観たのは、仁左衛門(2)、菊
五郎、團十郎、橋之助、芝翫、そして、今回が、菊之助。

まず、暗転から、舞台が始まる。春の曙が、暗闇から、徐々に明
るんで来るが、まず、舞台上手がほの明るくなる。上手山台に
乗った清元連中の影が、ぼやっとしている。「恋よ恋、われ中空
になすな恋」という置浄瑠璃(浄瑠璃は始まるが、舞台は無人と
いう状態が続くこと)のまま、暫く置かれる。本舞台には、桜と
菜の花。菜の花は、花道にもある。春爛漫。延寿太夫は、随分痩
せたようだ。上手山台の前に、緋毛氈(これは、後に、立鼓の望
月朴清が座る場所)がある。

やがて、花道に登場したのは、安部保名である。ピンクの地に露
芝の縫い取りの着付け、紫地に野葡萄の縫い取りの袴、袴は、裾
が、若紫にぼかしてある。月代がむき出しのまま、長い髪は、結
われていない。紫の病はちまき姿の保名は、菊之助である。髪型
は、男、顔から下は、女という印象である。菊之助の、この姿を
花道で眼にした途端、私の脳裏には、「アンドロギュノス」とい
うイメージが、こんこんと湧き出て来た。男女一体の人間。「ア
ンドロギュノス」である。特に、私は、先日、個展で見たばかり
の、山本タカトが描く、美少年の「アンドロギュノス」を連想し
た。

保名は、手に銀地に水色の露芝の図柄が描かれた扇子を持ってい
る。悪人の計略に引っ掛かり、自害した恋人の榊の前のことが忘
れられず、きょうも、恋人の形見の橙色の小袖を肩に懸けたま
ま、野をさすらっているのである。物狂のうちにも、颯爽とした
青年ぶりが強調された菊之助の保名である。恋に身を焼く男の苦
衷を踊り続ける。小袖が、巧みに男女を分け隔てるように感じら
れる。菊之助が、小袖を頭に被り、結ってはいないが、野郎頭を
隠すと、菊之助は、一段と女形度を上げる。小袖を頭から脱ぐ
と、今度は、逆に、男っぽくなる。小袖の利用の仕方で、菊之助
は、男→女→男と、切り替わって行く。この奇妙な倒錯感は、仁
左衛門、菊五郎、團十郎、橋之助、芝翫など、私が観た保名の、
誰にもなかったものだ。菊之助独特の倒錯感である。保名と榊の
前という、男女の幻想が、菊之助という肉体を通じて、外形化さ
れて行く。まさに、「アンドロギュノス」。菊之助が、小袖を抱
きかかえるように踊れば、そこには、保名と榊の前という、一対
の男女のワルツが見えて来る。菊之助の肉体は、ひとつだが、私
の幻想上には、ふたりの男女の肉体が見えてくる。菊之助が、ふ
たたび、小袖を頭から被ると、菊之助の肉体は、ひとつに戻り、
女ひとりが、榊の前としてのみ存在している。女が、背を向け
る。やがて、正面を向く。一度、頭を見せる。男が、生々しい。
ふたたび、小袖を頭から被る。

清元は、いつしか、最後の文句を唄い込んでいる。「似た人あら
ば教えてと 振りの小袖を身に添えて 狂い乱れて伏し沈む」。
菊之助は、小袖を頭から被ったまま、つまり、保名にとって、恋
死にしたい榊の前になったまま、本舞台に座り込んで行った。
「アンドロギュノス」の死。菊之助の保名は、保名としてではな
く、榊の前として、伏し沈んで行ったのである。

亡くなった榊の前の小袖が、狂気の保名を騙す。騙される至福を
求めて、狂気になる男の物語が、「保名」という演目の劇的構造
である。狂気の保名には、死んでしまった榊の前が、見える。だ
から、ふらふらと榊の前を追い続けることができるのだ。一方、
観客席に座る正気の私たちには、榊の前は、当然ながら、見えな
い。しかし、保名を演じる役者は、保名の心にならなければなら
ない。つまり、役者には、榊の前が見えていなければならない。
保名の狂った心を役者の正気の心としなければならない。その上
で、役者は、藝の力で、保名と同化して、そういう幻想を観客で
ある私たちに見せなければならない。つまり、観客に錯覚を起こ
させ、見えない榊の前を見えたように幻視させなければならな
い。それができたとき、初めて、保名役者は、観客に勝つのであ
る。

それを判断するポイントは、幕切れ直前にやって来る。前にも、
何回か、書いたが、「保名」では、私は、いつも、最後の幕切れ
直前の場面を注目している。9年前に初めて観た菊五郎のとき、
「狂い乱れて伏し沈む」という清元の文句に、小袖を頭から被っ
たまま、菊五郎が、舞台中央に伏した姿が、恰も、舞台から菊五
郎の身体が消えた(まさに、「沈む」)ように観えた。所作台と
小袖が、平に見え、菊五郎の身体が、無くなったように観えた。
2階席から観ていたのだが、そのように観えた。「榊の前」とい
うイメージ(これは、本来、保名の頭のなかにあるもので、観客
には見えない)とともに、保名が、昇天したように観えたのだ。
榊の前と保名が、手を取り合って、昇天して行った。不思議な気
がしたのを私は、いまも覚えている。

その後、私は、「保名」の舞台を3階、2階、1階などの席か
ら、何回も観ているが、團十郎は、身体が消えなかった。舞台中
央に拡がった小袖の下が、こんもりしていた。橋之助は、最後、
暗転する演出で、その場面を見せなかった。芝翫は、その場面に
なる前に、緞帳を降ろしてしまい、やはり、その場面を見せな
かった。古風な型では、扇をかざして立ち身の見得に、幕が降り
て来るというが、芝翫は、これに近かったように思う。仁左衛門
は、肩に小袖を懸けたまま、座り込んだだけだった。要するに、
菊五郎は、榊の前とともに昇天したが、ほかの保名役者は、保名
のまま、幕切れを迎えて来た。今回の、菊之助は、父親の菊五郎
とも違う形で、保名と榊の前という男女一体の「アンドロギュノ
ス」を何度か強調する印象を高めた上で、最後は、保名から榊の
前に変容しながら、伏し沈んで行ったのである。まさに、見事と
しか言い様のない舞台であった。

再び、暗転。明るくなると、「藤娘」の舞台である。「藤娘」
は、10回目。雀右衛門(3)、玉三郎(3)、芝翫(2)、菊
之助と当然ながら、女形が続く。それぞれ、趣が違うし、松の大
木に大きな藤の花の下という六代目菊五郎の演出を踏襲する舞台
が多いなかで、五変化舞踊から生まれた「藤娘」という旧来の、
琵琶湖を背景にした大津絵の雰囲気を出した演出も、確か、雀右
衛門だったと思うが、拝見したことがある。「藤娘」は、03年
6月、歌舞伎座で、従来の趣向をがらりと変えた、「玉三郎藤
娘」というべき、新境地を開いた瞠目の舞台を観たこともある。

今回は、趣向を凝らして、所作事二題を上、下と分けて、ひとつ
の演目のように演じる演出である。女形の菊之助に立役の保名を
やらせ、立役の海老蔵に女形の藤娘をやらせるという対比の意図
が明瞭である。真女形ならぬ、「真立役」ともいうべき海老蔵
が、女形になる。まあ、無理でしょうと思っていたら、案の定、
三輪明宏風の藤娘であった。海老蔵を娘らしく見せるために、六
代目菊五郎の演出に忠実な、巨木の藤。藤の花も長いので、娘を
小さく見せる。遠めには、絵姿も美形ぶりだが、海老蔵の首筋、
背中から覗き観る裸の肩甲骨の男っぽさは、隠しようがない。内
面の男っぽさが、外形の娘ぶりを台なしにする。ある新聞の劇評
では、海老蔵の外形の絵姿ぶりを誉め、菊之助の内面から描いた
姿を誉め、「将来の團菊」と風呂敷を拡げていたが、私は、全く
逆だと思って観ていた。あまり、新聞の劇評など見ないのだが、
今回のふたりの印象が、劇評子とは、極端に違ったので、敢て、
書き留めておきたい。

「黒手組曲輪達引」は、初見。この演目は、明治維新まで、あと
10年という、1858(安政5)年、江戸の市村座が初演であ
る。幕末の性格俳優、四代目市川小團次のために河竹黙阿弥が書
いた。つまり、助六役者になれない小團次のために、小團次版助
六として、黙阿弥は、「黒手組曲輪達引」を書いたという。従っ
て、本質的に「助六由縁江戸桜」のパロディ(書き替え狂言)で
ある。

菊五郎が、道化役の番頭権九郎と颯爽とした花川戸助六のふた役
を演じてみせる。序幕「忍ヶ岡道行の場」では、「忍岡恋曲者」
という浄瑠璃に乗せて、新吉原三浦屋の新造・白玉(菊之助)と
の道行と洒落込んで浮かれている番頭権九郎は、白玉の間夫であ
る牛若伝次(海老蔵)に金を奪われた上、不忍池に突き落とされ
る。頭に矢の刺さった鴨を見せるなど、現代世相を折り込んだ菊
五郎演出で、笑劇ぶりを強調するのが、序幕。

二幕目「新吉原仲の町の場」では、尾花屋の前で、鳥居新左衛門
門下の朝顔仙平(亀蔵)らに、助六(菊五郎)が、「股潜り」を
させる。大詰「三浦屋格子先の場」は、意休と同格の鳥居新左衛
門(左團次)が、助六に足に挟んだ吸付煙草を勧めるなど、いつ
もの「助六由縁江戸桜」の助六とは、攻守所を替えた趣向で芝居
が進む。揚巻に雀右衛門、三浦屋女房に田之助など。一旦幕とな
り、もうひとつの大詰。大詰第二部というわけだ。浅葱幕が振り
落とされると、桜並木を下に見る三浦屋の大屋根の上で、立ち回
り。さっきの意趣返しに助六が、新左衛門らと斬り結ぶ。菊五郎
は、子どもがチャンバラをするような感じで、立回りをするのが
好きだから、いかにも、愉しそうにやっているのが、判る。

贅言:冒頭にも書いたが、明治維新まで、あと10年という時
代。勤王と佐幕の、血腥い争いが続いている世相を感じさせない
芝居小屋は、別世界という感じが、私には、おもしろい。激動す
る政治の世界に対して、庶民は、どう思っていたのか。あるい
は、役者衆は、外の動きをよそに芝居の工夫魂胆に命をかけてい
たのかどうか。芝居小屋と役者、観客を軸に、幕末の世相を描く
ような時代小説を読んで(あるいは、書いて)みたいような気が
しませんか。

難病から抜け出し、團十郎が1年ぶりに舞台復帰した歌舞伎座の
千秋楽も、とうに終り、3年ぶりの團菊祭も無事に終り、もう、
5日目。遅ればせながら、歌舞伎座昼の部と夜の部の、私の劇評
が、やっと出揃った。でも、もう、3日もすると、6月の歌舞伎
座の初日の舞台が開く。あす、あさっては、舞台稽古だろう。

6月の歌舞伎座は、6月3日(土)に、昼夜通しで拝見に行く予
定なので、6月の劇評は、早めに掲載できるだろうと思うが、私
の職場の新年度(人事異動を経て新体制発足)は、これからなの
で、まだ、まだ、忙しい日々が続き、まとまった時間で劇評を書
けないかも知れないので、サイトの書き込みまで、時間がかかる
かも知れない。
- 2006年5月30日(火) 21:23:24
2006年5月・歌舞伎座 (昼/「江戸の夕映」「雷船頭」
「外郎売」「権三と助十」)

昼の部は、何といっても、病気恢復の團十郎の「外郎売」。これ
ゆえに、歌舞伎座の昼の部は、チケットが売り切れたようだ。

まず、「江戸の夕映」は、2回目の筈だが、9年前の、97年2
月の歌舞伎座の舞台の印象が残っていない。「江戸の夕映」は、
小説家・大佛次郎が、海老蔵時代の十一代目團十郎のために歌舞
伎の戯曲を書いたもののうちの第2作で、初めての世話物であっ
た。幕末から明治へ、世の中が大きく変わるとき、歴史上の人物
ではない普通の武士は、歴史の歯車に翻弄されて、どういう人生
を強いられたかを描いた。初演は、1953(昭和28)年3
月。主な配役は、旗本・本田小六に海老蔵時代の十一代目團十
郎、同じく旗本・堂前大吉に二代目松緑、柳橋芸者・おりきに七
代目梅幸。今回は、いずれも孫の世代が演じる。本田小六に海老
蔵、堂前大吉に四代目松緑、おりきに菊之助。つまり、ひところ
なら、「三之助(新之助、辰之助、菊之助)の芝居」というわけ
だ。印象が残っていない97年2月の舞台では、本田小六に八十
助時代の三津五郎、堂前大吉に左團次、おりきに時蔵。

朋友の旗本ふたりが、歴史の激流のなかで、対照的な生き方をす
る。徳川幕府が崩壊し、明治になり、江戸は、東京になった。築
地河岸の辺りでも、官軍の兵士たちが、我が物顔で歩き回ってい
る。占領軍の威光を笠に着ている。それに我慢がならないと、許
嫁のお登勢(松也)を棄てて、函館で抵抗する幕軍に加わるが、
敗れて密かに江戸に戻って無聊な生活を送る本田小六と新しい時
代に抵抗せずに流されながら、巧く流れに乗り、町人として生活
しようとする堂前大吉。物語の主軸は、小六とお登勢の再会劇。
男の意地と女の誠意の勝負は、女の勝ち。特に、第三幕の「飯倉
坂の蕎麦屋」の場面が良い。蕎麦屋の座敷の奥で、ひっそりと無
聊の酒を呑む小六は、「雪暮夜入谷畦道」の直次郎が酒を呑む場
面を思い出させる。入谷の蕎麦屋と違うところは、外は、雪では
なく、雨が降っている。やがて、舞台下手の空の一部が、明るみ
始め、最後は、真っ赤な夕焼けとなり、偶然再会した大吉からお
登勢との再会を勧められたのにも従わず、いじけている小六のと
ころへ、蕎麦屋の小僧から知らせを受けておりきとお登勢が、駆
け付けて来て、ふたりの再会の場面が、輝くという趣向だ。「き
れいな夕焼け」とおりきは、大吉に呟く。夕映えとは、小六とお
登勢という、若いふたりの人生のこれからの輝き、そういう意味
合いと江戸の黄昏、暮切る前の光芒という意味合いもあるのだろ
う。滅び行く江戸の美意識。滅びの美学。「伊勢音頭恋寝刃」の
福岡貢と遊女お紺を思い出させる「船宿網徳」の場面の大吉とお
りき。大佛の芝居は、抑制が効いている。細部まで計算されてい
るように見受けられた。そういえば、初演の演出は、大佛次郎本
人だったという。今回は、当代の團十郎の演出。

「三之助」のほかに、お登勢の松也、網徳の娘お蝶に尾上右近
(清元の延寿太夫の息子)という、若々しい清新な顔ぶれ。花形
歌舞伎の顔ぶれだろう。しかし、初演の「祖父」らの舞台写真を
見ると、今回の芝居が、如何に粒が小さいかは、隠しようもな
い。戦後の上演記録を見ると、海老蔵時代の当代團十郎、初代辰
之助、菊五郎でも演じられている。20数年前の舞台を観てみた
かった。そうすれば、また、違った感慨を持ったかも知れない。

ただし、蕎麦屋で世間話の体で、お登勢一家の現況を蕎麦屋の老
夫婦に語って聞かせ、座敷で酒を呑みながら、イライラする小六
の感情を観客に判らせる、近くの寺の住職の妾おきんを演じる萬
次郎(印象の薄い9年前の舞台でも同じ役を演じていた)は、存
在感のある良い演技をしていた。大佛は、脇役たちの柄(がら)
を見て、ひとつ一つの役を作って行ったという。初演時の、おき
んは、多賀乃丞であった。その役柄の味わいを萬次郎は、いま
も、生かしているのだろう。

「雷船頭」は、2回目。私が観た前回は、猿之助が、「女船頭」
になって、雷は、猿弥であった。今回の船頭は、松緑。雷は、尾
上右近。この演目は、外題だけ見ると雷の船頭のようだが、実
は、「雷と船頭」である。元元は、「四季詠『◯のなかにいの
字』歳(しきのながめまるにいのとし)」という、凝った外題が
付いた四変化の舞踊劇だった。四季のうちの夏がテーマで、
「雷」というわけで、別名「夏船頭」。雷=夏という趣向だ。
『◯のなかにいの字』という定紋は、澤村家の紋。1839(天
保10)年の初演時は、五代目澤村宗十郎が、演じたため、こう
いう外題になった。因に四季の外題は、春が、「大内の花宴」、
秋が、「乱菊の胡蝶」、冬が、「石橋の雪景色」であった。

幕が開くと、浅葱幕。富士と筑波を折り込み、両国の花火が出て
来る歌詞の置浄瑠璃(常磐津)で、幕振り落としで華やかな大川
端(隅田川)。両国と書かれた立看板がある。隅田川の下流中央
から見る両国橋という書割り。下手は、両国広小路で、白壁の蔵
や火の見櫓が見える。対岸の上手は、低い家並の下総。

吉原行きの猪牙船の船頭が松緑。「夕立稲光り」で雷鳴。雷(右
近)が、落ちて来る。ふたりのからみ。雷が女の身ぶりで船頭を
掻き口説く。「ワルミ」の振りという踊りとなる。所作台の松緑
の踊る辺りは、足に塗った白粉の跡で、白くなっている。立看板
を使って、雷を操り人形に見立てる振りなど。吉原に向う雷は、
猪牙船に乗込んで、幕。

さて、市川團十郎宗家の家の藝を示す歌舞伎十八番から、「外
郎売(ういろううり)」。3回目の拝見になる。破風のある古風
な建物の柱には、上手に「歌舞伎十八番の内 外郎売」と書かれ
た看板があり、下手には、「十二代目市川團十郎相勤め申します
(旧字)」という看板がある。

前回、2年前の04年6月歌舞伎座では、当初、團十郎が、外郎
売、実は曽我五郎を演じる予定だったが、白血病による休演で、
松緑が代演をした。團十郎は、悔しい演目を再び選んで、病気克
服、舞台復帰の、元気な姿を観客に見せた。彼の意志の強さを改
めて印象づける舞台復帰だ。昼の部の賑わいの原因は、この演
目。大磯の廓で休憩中の工藤祐経一行の宴に、折りから聞こえて
来た外郎売の声。祐経の命を受けて小林朝比奈(三津五郎)が、
「急いで、これえ」と呼び入れると、傾城たちが「来やしゃんせ
いなあ」と声をそろえて続けるが、「来やしゃんせいなあ」は、
観客席全員の思いだろう。皆、團十郎の復帰を待っていたので、
大向こうばかりでなく、あちこちから「成田屋」の掛け声がかか
る。拍手が、湧き出る。

この演目は、もともと、動く錦絵のような狂言。筋が単純な割
に、登場人物が、多くて、多彩だ。外郎売、実は曽我五郎(團十
郎)、曽我十郎(梅玉)、工藤祐経(菊五郎)、大磯の虎(萬次
郎)、化粧坂少将(家橘)、小林朝比奈(三津五郎)、小林妹・
舞鶴(時蔵)、梶原平三景時(團蔵)、梶原平次景高(権十
郎)、遊君の喜瀬川(右之助)と亀菊(亀寿)、珍斎(市蔵)、
新造6人、奴10人と、歌舞伎に登場するさまざまな役柄が勢揃
いし、しかも、きらびやかな衣装で見せる。華やかな、歌舞伎の
おおらかさを感じる演目だけに、團十郎の舞台復帰を言祝ぐのに
適切な演目かも知れない。背景は、富士山。劇中、團十郎は、菊
五郎に導かれて、舞台復帰の口上を述べる。「長い治療の結果、
1年ぶりに歌舞伎座の舞台に復帰」と、團十郎。「3年ぶりの團
菊祭。初日より、大入」と、菊五郎。

科白劇としては、外郎売の早口言葉の披露というおかしみもあ
る。私より前に、今月の舞台を観た人が、團十郎は、声が良く出
ていなかったといっていたが、充分な声量があり、團十郎復帰を
力強く告げていたように思う。姓名を問われた外郎売は、「私の
名は、十二代目市川團十郎。皆さん方、お待ちかね」とやる。

単純で判りやすい筋立て、荒事演出のメリハリなど、楽しめる演
目で、私も、気持ち良く、充分、楽しめた。いかにも、團十郎舞
台復帰の演目に相応しい祝祭劇だと、思う。

「権三と助十」は、初見。大岡政談もののひとつ。岡本綺堂原
作、江戸の庶民の生活風俗を描いた世話物。落語の人情話に通じ
る感性が見もの。長屋の井戸替えは、話の筋とは違うが、舞台の
上手から、ぞろぞろ長屋に住人たちが出て来て本舞台を横切り、
下手から花道にまで溢れる。長屋の家主(左團次)、篭籠かき権
三(菊五郎)、その女房(時蔵)と助十(三津五郎)と助八(欣
十郎)の兄弟、猿回し(秀調)、願人坊主(市蔵、亀蔵)などの
ほか、長屋の男と女房、子供たちなど40数人が、井戸の水を
すっかり汲み上げて、井戸の掃除をする綱を持って、出入りする
だけでも、観客は、心豊かになる。長屋の住人の、兄弟喧嘩や夫
婦喧嘩が、喜劇調で描かれる。家主が、仲裁に入る。以前の長屋
の住人で、殺人犯の汚名を着て、獄死した小間物屋彦兵衛の息子
の彦三郎(松也)が、大坂から父親の無実を晴らそうとやって来
た。やがて、権三と助十の目撃証言が、功を奏して、真犯人・勘
太郎(團蔵)が、浮かび上がる。いわば、人情ミステリの色合い
が濃くなる。勘太郎は、新犯人なのか。彦兵衛(田之助)は、冤
罪のまま、獄死したのか。ミステリゆえに、詳細は、紹介しない
が、江戸の風が、舞台から吹き付けて来るような人情劇を堪能。
「井戸替え」さながらに、長屋の皆の衆で、積年の汚いものを浮
き上がらせ、攫い出す、という趣向とだけ、書いておこう。

團蔵の憎まれ役は、プレゼンス(存在感)があり、他を圧倒する
勢い。時蔵の、美形ではない、長屋の女房は、味がある。菊五郎
の権三は、ユーモラスで、本人が、愉しそうに演じているので、
場内が、和む。左團次の家主は、独特の味で、絶品。三津五郎と
権十郎の兄弟は、喧嘩ばかりしているが、リアリティがあり、い
かにも、江戸の長屋に居そうな人たちである。秀調の猿回しも
ペーソスがある。松也が、お登勢(「江戸の夕映」)、彦三郎と
大活躍。尾上右近とともに、5月の歌舞伎座の舞台に清新な風を
送り込んでいた。
- 2006年5月28日(日) 22:35:52
2006年4月・歌舞伎座 (夜/「井伊大老」「口上」「時雨
西行」「伊勢音頭恋寝刃」)

夜の部のハイライトは、何といっても、「井伊大老」であった。
「井伊大老」は、3回目の拝見。最初に観たのは、10年前、
96年4月の歌舞伎座の舞台で、井伊大老は、吉右衛門。お静の
方は、歌右衛門であった。歌右衛門のこの月の舞台では、途中か
ら、病気休演で、雀右衛門が、代役を勤めているが、私は、病気
休演前に、無事舞台を拝見することができた。前回は、04年
10月の歌舞伎座、「松本白鸚二十三回忌追善狂言」として上演
され、井伊大老は、幸四郎、お静の方は、雀右衛門。先代の幸四
郎こと、初代白鸚は、歌右衛門相手に井伊直弼を何回も演じた。
今回は、吉右衛門の井伊大老に魁春のお静の方を初役で演じる。

「井伊大老」は、北條秀司作の新歌舞伎で、1956(昭和
31)年、明治座で初演された。新国劇としての初演は、それよ
り、3年前の1953(昭和28)年、京都南座。歌舞伎として
の初演は、井伊大老:当時の八代目幸四郎(後の初代白鸚)、お
静の方:六代目歌右衛門であった。初演以降、お静の方は、六代
目歌右衛門の当り役になった。北條秀司の科白劇で、動きより、
言葉の芝居だ。1981年八代目幸四郎は、九代目を、いまの幸
四郎に譲り、初代白鸚襲名披露(あわせて、九代目幸四郎、七代
目染五郎襲名披露)の舞台途中で不帰の人となった。代役は、当
代の吉右衛門。吉右衛門は、以来、何回も井伊直弼を演じてい
る。従って、白鸚を彷彿とさせる科白廻しである。今回の驚き
は、初役の魁春が、ときどき、養父・歌右衛門そっくりに見えた
ことである。歌右衛門は、25年前、吉右衛門の実父・初代白鸚
の最期の舞台の相手役を勤め、吉右衛門は、10年前、結果とし
て最後の共演となる歌右衛門のお静の方の相手役を勤めた。そし
て、今回は、歌右衛門が甦ったのではないかと印象される魁春の
お静の方と白鸚を彷彿とさせる科白廻しの吉右衛門。25年前に
タイムスリップしたような舞台。それが、今回の「井伊大老」で
あったと、思う。

舞台は、1860(安政7)年、旧暦の3月2日、「宵節句」の
夕方。井伊家下屋敷での、井伊大老と側室のお静の方の、しっと
りとした語らいの時間を軸に描く。翌3月3日、「桜田門外の
変」で、井伊大老は、水戸浪士らによって襲撃され、暗殺される
から、芝居のテーマは、「迫りくる死の影」といったところだろ
う。それを意識して、原作者の北條秀司は、赤い毛氈の雛壇など
を巧みに使い桃の節句前夜の華やぎを強調する。しかし、以前に
も書いたように、この芝居には、もうひとつのテーマがある。そ
れは、お静の方に具現されるように、「本当の女人とは、どうい
う女性か」「大人の愛とは」というのが、北條秀司の隠したテー
マだと思う。従って、この芝居は、「井伊大老」という外題には
なっているが、本当は、「お静の方」というのが、主筋だろう。
それほど、お静の方は、魅力的な女性として、描き出されてい
る。今回は、主な配役は、井伊大老とお静の方のほかは、仙英禅
師(富十郎)に絞り込み、これまで2回観たような長野主膳、直
弼正室の昌子の方などが、登場しないから、余計に、このテーマ
が、くっきりと浮かび上がって来た。

今回は、下屋敷のお静の方の居室のみの場面に絞っているが、普
通は、1859(安政6)年初冬の井伊大老の上屋敷や桜田門の
場面があり、いわば、安政の大獄後の時代状況が簡潔に説明され
るのである。今回は、そういう政治的な局面を省略することで、
「本当の女人とは、どういう女性か」「大人の愛とは」というの
が、北條秀司の隠したテーマが、より鮮明になって来たと、思
う。

迫りくる死を覚悟する大老・井伊直弼と青春時代から直弼と付き
合ってきたお静の方の、しっとりとした語らいは、心を許しあ
う、それも大人の男女の、極めてエロチックともいえる、濃密
で、良い場面である。ここで言うエロチックとは、性愛と言うよ
りも、大人の男と女、死という永遠の別れを前にした、若い頃か
ら長い時間を共有して来た果ての、「晩年の生」の最期の輝きと
も言えそうな、しっとりした対話のことである。

「夫婦は、二世」という信仰が生きていた封建時代。井伊大老
も、正室より、若い頃から付き合って来た側室のお静の方との
「男女関係」をこそ、真の夫婦関係として重視していた。エロス
とタナトス。文字どおり、迫り来る死に裏打ちされた生の会話で
ある。それを北條秀司は、下屋敷の壷庭に咲いた桃の花に降り掛
かる白い雪で描き出した。桃色の花の上に被さるように降り積も
る白い雪。桃色と白色のイマジネーション。

また、雪は、井伊直弼に故郷の伊吹山を思い起こさせ、望郷の念
を抱かせる。大老を辞めて、お静らと過ごした彦根の青春の日々
に戻りたいという、井伊直弼の絶叫が耳に残る。老いのように迫
る死の予感から、直弼は、青春の日々を走馬灯のように思いめぐ
らす。

このほかでは、富十郎の仙英禅師が、飄々としていた。座敷の衝
立に書かれた直弼の書に剣難の相を見抜いたにも拘らず、直弼に
黙って、「一期一会」と笠に書いて残して行った仙英禅師。側役
宇左衛門を演じた吉三郎は、味わいがあった。お静の方に使える
老女雲の井の歌江も、存在感があった。

続く、「口上」は、役者の年齢によって、歌右衛門を「お兄さ
ん」と呼ぶか、「おじさん」と呼ぶかは、あるにしても、皆、歌
右衛門讃歌の大合唱。「京鹿子娘道成寺」の桜と鐘をあしらった
襖をバックに歌右衛門の甥に当たる芝翫の仕切りである。立役姿
の芝翫から上手に順番に挨拶が続く。まず、富十郎は、歌右衛門
と一緒した海外公演の想い出と五年祭での歌右衛門の冥福を祈
る。仁左衛門は、歌右衛門の後進指導の熱心さを強調。左團次
は、麻雀好きな歌右衛門のエピソードを紹介して、観客席を笑わ
せる。歌昇は、「おじさん」の導きを強調。女形姿の秀太郎は、
「お兄さん」の指導に感謝。我當は、盛大な五年祭を誉める。菊
五郎は、岡本町(歌右衛門の自宅)で、差し向いで指導を受けた
想い出を語り、「音羽屋あー」「って、大向こうから声がかかる
ようにやるんだよ」と励まされたと場内を湧かす。上手のトリ
は、女形姿の雀右衛門。五年祭のお礼を述べる。

下手最左翼は、立役姿の坂田藤十郎は、精魂込めて勤めると強
調。吉右衛門は、五年祭のにぎわいを言祝ぐ。口上のみの登場の
又五郎は、ご贔屓感謝。立役姿の時蔵は、指導に感謝。勘太郎
は、五年祭の舞台参加を喜ぶ。女形姿の福助は、歌右衛門に教
わった芝居の心を大事にすると強調。

次いで(新松江を飛び越す)、歌右衛門藝養子の東蔵は、父は、
兄のように指導してくれたと感謝。養子で女形姿の魁春は、父歌
右衛門を強調。同じく養子の梅玉は、主宰者としての感謝の言
葉。再び、中央の芝翫に戻って、もうひとつのお披露目である玉
太郎の六代目松江襲名と玉太郎の息子の五代目玉太郎の襲名披露
をする。芝翫から玉太郎の父親東蔵にバトンが渡され、東蔵が、
新しい松江と玉太郎を紹介する。女形のイメージの強い藝名を立
役の新しいイメージに変えようと、新松江は、芸道精進強調。新
玉太郎は、かわいらしい。

「時雨西行」は、2回目の拝見。前回、97年6月、歌舞伎座で
は、今回同様、梅玉の西行法師で、江口の君が、玉三郎。遊女と
菩薩の二重性を玉三郎が、きちんと演じていたように思う。今回
は、藤十郎。

これは、前回の舞台の方が、良かった。まず、書割の大道具が、
良くない。江口の君の歌舞伎衣装に比べて、西行の、「勧進帳」
の弁慶を思わせるような水衣に大口袴の能衣装というアンバラン
ス。どういう意図で、新工夫となったのか不明だが、役者以前の
印象として、前回の勝ち。

藤十郎は、正面を向くとほっそりと見える。ぐるりと廻ると太め
の肉体。さすが、大名跡を復活させた藝の力の驚異。瞑想を含め
静かな西行(梅玉)と動きのある江口の君の対比。ふたりの所作
は、堅実。菩薩を彷彿とさせる江口の君(藤十郎)。

「伊勢音頭恋寝刃〜油屋・奥庭〜」は、6回目。コンパクトにま
とめたい。「伊勢音頭恋寝刃」は、実際に伊勢の古市遊廓であっ
た殺人事件を題材にしている。事件後、およそ2ヶ月、急ごしら
えで作り上げられただけに、戯曲としては無理がある。原作者
は、並木五瓶が江戸に下った後、京大坂で活躍した上方歌舞伎の
作者近松徳三ほか。いわば、書きなぐったような作品だが、芝居
には、「憑依」という、神憑かりのような状況になるときがあ
り、それが「名作」を生み、後世の役者の工夫魂胆に火を付け
る。この芝居は、もともと説明的な筋の展開で、ドラマツルー
ギーとしては、決して良い作品ではない。ドラマツルーギーの悪
さを演出で補った。江戸型として、静止画的な絵姿の美しさを強
調した、いまのような演出に洗練したのが、幕末から明治にかけ
て活躍し、「團・菊・左」として、九代目團十郎、初代左團次と
並び称された五代目菊五郎だという。上方に残った型は、「和
事」の遊蕩児の生態を強調した。

それにも拘らず、長い間上演され続ける人気狂言として残った。
その理由は、前にも、書いたが、お家騒動をベースに、主役の福
岡貢へのお紺の本心ではない縁切り話から始まって、ひょんなこ
とから妖刀「青江下坂」による連続殺人(9人殺し)へというパ
ターン。伊勢音頭に乗せた殺し場の様式美。殺しの演出の工夫。
丸窓の障子を壊して貢が出て来る場面は、上方型。絵面として
の、洗練された細工物のような精緻さのある場面。無惨絵の絵葉
書を見るような美しさがある反面、紋切り型の安心感がある。そ
ういう紋切り型を好む庶民の受けが、いまも続いている作品。

馬鹿馬鹿しい場面ながら、汲めども尽きぬ、俗なおもしろさを盛
り込む。それが歌舞伎役者の藝。そういう工夫魂胆の蓄積が飛躍
を生んだという、典型的な作品が、この「伊勢音頭恋寝刃」だろ
う。最後に、お家騒動の元になった重宝の刀「青江下坂」と「折
紙(刀の鑑定書)」が、揃って、殺人鬼と化していた貢が、正気
に返り、主家筋へふたつの重宝を届けに行く、「めでたし、めで
たし」の場面という俗っぽさ。

主役の福岡貢は、上方和事の辛抱立役の典型だが、俗に「ぴんと
こな」と呼ばれる江戸和事で洗練された役づくりが必要な役。私
が観た印象では、今回ふくめ、3回観た仁左衛門が、当り役。颯
爽とした二枚目が、最後に殺人鬼となる貢の、鬼気に迫るのは、
仁左衛門の役柄だろう。当代の仁左衛門は、上方と江戸の両方の
良さを表現できる。私は、ほかに、團十郎で2回、三津五郎で1
回観ている。

仲居・万野は、憎まれ役だが、これも、玉三郎(2)、菊五郎、
芝翫、勘三郎、今回は、初役の福助。万野は、玉三郎が、美貌が
促進する憎々しさで、印象に残っている。玉三郎は、綺麗なだけ
の役より、こういう憎まれ役をやると、美貌に凄みが加わり、好
演することが多い。今回の福助は、その辺りが、不足。

遊女・お紺は、福助(2)、時蔵(今回含め、2)、雀右衛門、
魁春。

遊女・お鹿は、田之助(4)、弥十郎、今回は、初役の東蔵。も
ともと、類型ばかりが目立つ、典型的な筋の展開、人物造型の
「伊勢音頭恋寝刃」の中で、お鹿は、類型外の人物として、傍役
ながら難しい役柄。貢への秘めた思いを滑稽味で隠しながらの演
技。それだけに、藝の実力が試される。田之助のお鹿は、悲劇の
前の雰囲気をやわらげていたが、弥十郎は、滑稽味が強すぎた。
東蔵は、中間か。

料理人・喜助は、傍役ながら、貢の味方であることを観客に判ら
せながらの演技という、いわば「機嫌良い役」。勘九郎時代の勘
三郎、富十郎、三津五郎、海老蔵、橋之助、今回は、梅玉。顔ぶ
れ多彩で、この役を演じる役者の品定めも、愉しい。

贅言:歌舞伎座2階のロビーでは、小振りながら歌右衛門展。六
代目歌右衛門を偲ぶ写真パネルの展示を軸に所縁の品も展示。写
真パネルは、舞台姿が多いが、素顔のものもある。所縁の品の主
なものは、以下の通り。楽屋で使っていた手鏡。「道成寺」の中
啓(火焔お幕の絵柄)と手拭。自筆の絵は、富士山と愛犬とコア
ラ。科白を抜き書きした「書抜(かきぬき)」は、「狐と笛吹
き」(歌右衛門と署名)、「城内糒庫」(魁春と署名)、「関八
州繋馬」(魁春と署名)。
- 2006年4月27日(木) 20:57:32
2006年4月・歌舞伎座 (昼/「狐と笛吹き」「高尾」「沓
手鳥孤城落月」「関八州繋馬」)

六代目中村歌右衛門五年祭追善興行の舞台は、歌右衛門の兄弟養
子の内、次男の魁春が、充実の舞台を見せてくれた。昼の部の
「関八州繋馬」では、後ジテの土蜘蛛の精では、初めての隈取り
姿を見せてくれたし、夜の部の「井伊大老」では、吉右衛門の井
伊直弼を相手に六代目そっくりのお静の方を見せてくれた。魁春
は、痩せたのか、白塗りした顔は、本当に歌右衛門そっくりで、
びっくりした。今月は、六代目中村歌右衛門が、主役を勤めた馴
染みの演目を軸に番付が組まれている。

「狐と笛吹き」は、2回目の拝見。前回は、97年3月、歌舞伎
座で、時蔵、染五郎で観ている。北條秀司が、今昔物語から素材
を取り、ラジオドラマとして書き下ろした作品を元に新歌舞伎の
戯曲として1952(昭和27)年、歌舞伎座で初演された。北
條秀司にとって、初めての歌舞伎戯曲であった。六代目歌右衛門
のともね(狐の化身)、三代目市川寿海の春方(楽人で笛吹き)
らが、出演した。後の、多くの名舞台を残す歌右衛門・寿海コン
ビの始まりである。外題の意味は、「ともねと春方」ということ
である。

最愛の妻・まろやを亡くして沈んでいた春方(梅玉)は、友人が
連れて来たともね(福助)が、余りにも、まろやに酷似している
のを知り、恋に落ちた。しかし、ともねは、狐の化身であり、異
類婚は、死を招くというタブーが、キーワードになっている。
テーマは、ふたつある。ひとつは、春方に命を助けられた狐の子
の恩返し。だが、まろやの面影を生きるだけで良しとしていた筈
の狐の化身・ともねは、いつか、まろやに嫉妬し、春方からまろ
やの面影ではなく、ともねそのものとして愛されることを要求す
るようになるという、女性の心の変化が、テーマ。

もうひとつは、セックスをすれば、死に繋がるというともねの懸
念をぶちこわしてまで、ともね(共寝)を要求するようになる春
方の性の欲望、テーマ。その上で、命を掛けてまで「共寝(セッ
クス)」をし、その果てに、亡くなってしまう狐の後を追い、琵
琶湖に身を投げる春方の、いわば「後追い心中」の物語が、紡ぎ
出される。

福助のともねは、女心の変化の表現に、もうひとつ、説得力がな
い。梅玉の春方は、節会の笛師の選に洩れ、親友の秀人(我當)
が、選ばれた苦しみに逃れるため、性の欲望に負けて、異類婚の
タブーに踏み切り、ともねを殺してしまうが、進んで後追い心中
をするという複雑な男を叮嚀に演じていた。魁春とともに、亡き
父・歌右衛門追善興行の軸になるという気概が、心底にあるのだ
ろうと思う。

「高尾」は、本興行では、初演という珍しい演目。歌右衛門も、
17年前の、89年11月の歌舞伎座、「名生の会」で演じてい
るが、本興行の舞台には掛けていない。それを当代の立女形、雀
右衛門が荻江節に載せて演じる。吉原の三浦屋抱えの傾城・高尾
太夫の懺悔の物語なので、「高尾懺悔」というのが、本来の外
題。廓勤めの辛さ、四季の廓の情景、間夫を待つ身の切なさなど
が、長唄より、やや繊細な節回しの荻江節で唄い込まれ、幾分不
自由になってきた85歳の雀右衛門の所作が、それでいて、節節
の決まり(静止)の形の美しさで補いながら、奥深い世界を構築
して行く。

かえでの青葉の大樹の書割、舞台中央には、石塔。江戸・浅草の
西方寺のシンプルな佇まい。横向きのまま、せり上がって来る高
尾太夫は、この寺に葬られている。せり台が停まると、雀右衛門
は、ゆっくりと正面を向いてくる。かえでは、ときおり、青葉の
まま、落葉して来る。落葉に調子をあわせるように、独り舞う雀
右衛門の所作は、同調する。

「沓手鳥孤城落月」は、5回目。かろうじて、11年前に歌右衛
門の淀の方を観ている。私が観た淀の方は、歌右衛門、雀右衛
門、芝翫(3)となり、最近では、芝翫ばかり観ているので、私
の淀の方は、芝翫の印象ばかり強くなってしまった。

淀の方と秀頼は、認知症の母親と息子というように置き換えてみ
ると、なんとも、現代的なテーマ性として、身につまされてく
る。戦場となった大坂城の「糒倉(ほしいぐら)」(「城内山里
糒倉階上の場」は、現代的な家庭劇の場に転じても、おかしくな
いから不思議だ。秀頼を演じた勘太郎が良い。「いかなる恥辱も
母上にはかえられぬ」という、認知症の老母をかばう心は、同じ
境遇にいる我が同年代には、普遍的な意味を伝えてくれる。

それだけに、淀の方の芝居では、狂気と正気の間を彷徨う淀の方
をいかに迫力あるように演じるかがポイントだろう。自尊心の果
てに狂気に見舞われた淀の方(歌右衛門や雀右衛門の狂気は、そ
ういう感じだった)も、芝翫の場合、長期の時間の流れの中で、
認知症になって行った老母の様子が、いっそう、味のある芝翫独
特の表情で演じていて、すっかり定着して来たように思う。芝翫
の淀の方を相手に、息子の秀頼は、芝翫次男の橋之助、長男の福
助、そして、今回の長女の息子の勘太郎と演じ継がれて来た意味
は、大きいと、思う。

芝翫の「狂気」の演技としては、淀の方の狂気にとどまらずに、
「摂州合邦辻」の玉手御前、「隅田川」の班女にも共通する狂気
の表現の積み重ねの成果でもあると思うが、いかがであろうか。

第一場「乱戦」(「二の丸乱戦の場」)では、戦闘の場面が、ま
さに「活劇」である。今回は、城門の石段を斜めにずらしていた
が、この方が、観客席からは、多角的に活劇が見えて、なかなか
よろしい。若い裸武者は、橋之助の息子のひとり、国生。立ち回
りの後、鉄砲で撃たれ、城門の石段を下帯一つの裸姿で、一気に
転げ落ちるという壮絶さと裸ゆえの滑稽味という、ふたつの役割
を担わされている難しい役だ。このところは、勘三郎の息子た
ち、勘太郎・七之助の兄弟が演じていたこと思えば、もう、橋之
助の息子・国生が演じるのかと、感慨も新たなものがある。

大伯父・歌右衛門の一年祭、五年祭と同じ演目を掲げ、成駒屋一
門の総師として芝翫は、家族、親族を上げて取り組む姿勢を見せ
たのだろう。

「関八州繋馬」は、初見。近松門左衛門の絶筆。全五段の時代浄
瑠璃だが、今回は、四段目、五段目を中心に舞踊劇「小蝶蜘」と
して、再構成した。平将門の遺児、将軍太郎良門と小蝶の兄妹、
源頼信と頼平の兄弟の対決を軸に展開する。如月姫(魁春)、実
は、小蝶蜘の精、さらに、実は、土蜘蛛の精は、後の滝夜叉姫の
前段階ということで、「前太平記もの」の世界。

魁春は、初めての隈取りの役を演じている。4年前の、六代目歌
右衛門一年祭で、松江から二代目魁春を襲名して、さらに、大き
く芸域を拡げて来た魁春渾身の舞台は、「関八州繋馬」で、始
まった。あわせて、松江という芸名は、4年で、復活した。六代
目歌右衛門の藝養子・東蔵の長男・玉太郎の六代目松江襲名披露
の舞台でもあるからだ。

「関八州繋馬」は、いわば動く錦絵巻。単純な話だ。開幕、置浄
瑠璃。黒塗りの御殿。花丸の金屏風。上手に竹本。やがて、下手
に常磐津。多田の御所、源頼信館で、頼信の御台所・伊予の内侍
(時蔵)が、病に伏せている。ピンク地の着物姿の内侍は、赤姫
の部類に入る。吹輪に結い上げた髪に銀の笄、左側に紫の布を挟
み込み、つまり、立役なら紫の鉢巻きで、病を表わす。伊予の内
侍は、最近、なぜか、胡蝶の夢を見るという。頼信(菊五郎)
は、胡蝶から小蝶を連想し、殺された将門の娘・小蝶のたたりと
見抜く。

やがて、薄暗い中、スッポンより、小蝶の霊が化けた如月姫(魁
春)が、現れ、伊予の内侍のために妙薬を持って来る。後見は、
鬘を付けた裃後見、それも、立役と女形といる。薬の効き目が良
いようにと如月姫は、舞を舞う。裏表が金銀無地の扇子は、いつ
のまにか、裏表とも金地に花車の模様の入った扇子に替る。そこ
へ、頼信の弟・頼平(松江)が来て、如月姫の正体を暴く。如月
姫→小蝶の精(というより、霊だろう)→土蜘蛛の精。如月姫
は、蜘蛛の糸を飛ばして、抵抗する(黒衣が、適宜、蜘蛛の糸を
補給する)。紅葉の小枝も、武器になる(「精」は、決して、刃
物を武器としない)。御殿中央奥の襖が開くと中庭には、大文字
が描かれた築山がある。江戸時代大坂で上演されたとき、大坂の
「大」の字が、燃えるとは、如何かと物議をかもしたらしい。い
つの時代も、馬鹿がいるものだ。

第二場「葛城山麓の場」は、ご馳走。10月で6歳になる新玉太
郎の初舞台のお披露目。かわいらしい。5歳の初舞台と「曾祖
父」歌右衛門の没後、5年祭。吉右衛門、梅玉の里の男たちと新
玉太郎の祖父・東蔵の里の女という豪華な配役の元、新玉太郎の
劇中口上の場面となる。「海のものとも山のものともつかない
が、将来は、ひとかどの役者になれますように」という常套句
が、観客席の笑いを誘う。差し金で、蜘蛛の2匹登場。浅葱幕の
振り被せ、やがて、振り落としで、葛城山は、山麓から山中へ
と、場面を繋ぐ。

第三場「葛城山中の場」は、源頼光の四天王(渡辺綱、坂田金時
ら)を引き連れた頼信、頼平が、平将門の遺児、将軍太郎良門
(仁左衛門)と土蜘蛛の精(魁春)と対決する。蜘蛛の巣の背
景。大せりでは、蜘蛛の巣が描かれた黒幕が、消し幕の役割を果
たす。2階席で観ているとせり上がる前の仁左衛門の首だけが、
舞台の板の上に載っているように見える。この後は、ぶっかえり
などを含めて定式の荒事の展開。魁春の隈取りも、迫力がある。
一所懸命さが、伝わって来る。将軍太郎良門と土蜘蛛の精を軸に
したふたつの立回りの塊が、花道七三と本舞台上手に、できるの
が、おもしろい。

贅言:外題の「関八州繋馬」という外題の意味が判らず、いろい
ろ調べてみたが、はっきりしない。「関八州」は、判る。関東地
方、つまり、平将門の活躍した地である。「繋馬」が、判らな
い。将軍太郎良門は、幕切れで、それまで巻き込んで持っていた
平家の赤旗を拡げてみせる。そこに、赤地の旗に黒馬の絵が描か
れている。もう少し、調べてみよう。
- 2006年4月19日(水) 14:00:25
2006年3月・歌舞伎座 (夜/「近頃河原の達引」「二人椀
久」「水天宮利生深川」)

「近頃河原の達引(たてひき)」と「水天宮利生深川(すいてん
ぐうめぐみのふかがわ)」は、いずれも、初見なので、劇評は、
後で、じっくり書きたい。まず、7回目の拝見となる「二人椀
久」から、始めたい。

7回観た「二人椀久」では、孝夫時代の仁左衛門と玉三郎のコン
ビで、3回。これは、ふたりの息も合い、華麗な舞台である。富
十郎と雀右衛門のコンビで、2回拝見している。富十郎と雀右衛
門のコンビでは、本興行で、14回も踊っているという。重厚な
富十郎と雀右衛門のコンビも良いし、華麗で、綺麗な仁左衛門と
玉三郎のコンビも良い。どちらも、持ち味が違い、それぞれ良
く、甲乙付け難い。

それ以外では、05年2月の歌舞伎座、仁左衛門と孝太郎の親子
コンビで1回。今回は、なんと、富十郎と菊之助のコンビであっ
た。富十郎にとっては、本興行で、15回目の椀久であるが、雀
右衛門以外と踊るのは、初めてという。その初めての相手が、伸
び盛りの菊之助である。さて、そういう舞台になるだろうか。

05年2月の舞台では、孝太郎が、初役で松山太夫に挑んだ。そ
のときの私の劇評は、以下の通り。長くなるが、全文を引用した
い。そのほうが、今回の富十郎の舞台を分析するのに役立ちそう
に思うからである。

*仁左衛門は、仁左衛門と玉三郎のコンビで、積み重ねて来た演
出の工夫の延長線上に孝太郎を据えて、さらに、仁左衛門演出を
究極のものにしようとした節が伺える。舞台装置も化粧も衣装も
現代的でさえある。それでいて、歌舞伎の舞踊劇として成立して
いるから、おもしろい。特に、今回は、幻想を表現する大道具の
使い方が巧い。真っ暗な場内。上手、長唄連中の載る雛壇が、薄
明かりで、影が滲み出す。置き唄が、暫く続く。やがて、本舞台
中央、上部、黒幕の上に下弦の月が浮かび上がる。薄闇。「いま
は心も乱れ候」で、花道から錯乱気味の椀久(仁左衛門)が、音
もなく、登場。「末の松山・・・」の長唄の文句通りに、舞台に
は、松の巨木の蔭が闇から切り取られて来る。波音。急峻な崖の
上である。明るくなるに連れて、椀久の様子が知れて来る。総髪
いとだれに紫の投げ頭巾、黒の羽織、薄紫の地に裾に松葉や銀杏
などの模様の着付け、黒と銀の横縞の帯。閉じ込められていた座
敷楼を抜け出し、愛人の松山太夫の面影を追いながら踊り狂って
いるうちに、松の根元付近で手枕で眠ってしまう。

やがて、椀久の夢枕に立つという想定の松山太夫(孝太郎)が浮
かび上がってくる。何時の間にか、月は消えている。黒幕が上が
り、紗の幕の向こう、セリに乗り、奈落から上がってきたはずの
孝太郎。それと同時に、崖の向こうの虚空に、あるはずのない満
開の桜の木々が浮かび上がる。舞台上部から大きな桜の吊り枝も
降りてきた。それが、いずれも、ほぼ同時に浮かび上がる演出が
巧い(いずれも、やがて、夢から覚めるときには、逆の方法で、
消えて行くことになる)。松は、現実。桜は、夢のなか、幻想。
その対比を印象深く見せる。ここでも桜の散り花が、効果的。

孝太郎の化粧が、妖艶だ。受け口の、決して美女とは言えないは
ずの孝太郎が、いつもより、妖しく、エロチックだ。元禄勝山の
髷、銀鼠色の地に松の縫い取りのある打ち掛け、クリームがかっ
た白地に金銀の箔を置いた着付け、赤い地の絞りの帯も、艶やか
だ。仁左衛門と孝太郎の、それぞれの所作は、さすが、親子で、
息は合っている。しかし、孝太郎の踊りは、玉三郎のときのよう
には、指の先まで仁左衛門と揃ってはいない。

背中を向けあい、斜めに向けあいする、歌舞伎の舞踊の情愛の踊
り。逆説のセクシャリズム。ふたりの所作は、廓の色模様を再現
する。松山太夫の着付けの赤い裏地と赤い帯が、官能を滲ませ
る。それは、濃厚なラブシーンそのもの。恋の情炎。「官能」と
は、こういうもののことを言う。早間のリズムに乗って、軽やか
に踊るふたり。椀久が手に持つ扇子を良く観れば、表は、銀地に
下弦の月、裏は、青地に桜模様。まさに、幻想の舞台装置で描く
「夢」と「現(うつつ)」が、そのまま、扇子のなかの「小宇
宙」となっているではないか。

いつの間にか、消えている桜木。紗の幕の向うに入り、やがて、
セリ下がる孝太郎。桜の吊り枝も舞台上部に引き揚げられる。幻
想の消滅。舞台には、「保名」のように、倒れ伏す椀久。廓の賑
わいは、空耳。寒々しい崖の上、松籟ばかりが聞こえるよう。仁
左衛門と孝太郎の充実の舞台であった。


さて、今回の富十郎と菊之助のコンビは、どうであったか。松の
巨木は、いつものように、舞台中央にはない。上手袖に幹、大き
な枝が舞台上部にのしかかって来る。中央には、小振りな松。枝
が、下へ下へと下がっている。暗転から始まる舞台は、大筋の展
開も、いつもとあまり変わらない。富十郎は、踊りは、勿論、安
定していて、巧いのだが、ずんぐりした小太りの身体が、いつに
なく気になる。ここのところ、2回続けて、長身の仁左衛門で観
ている所為かも知れない。それに、富十郎の椀久は、松山太夫恋
しさの余り、座敷牢から抜け出して来たというわりには、錯乱と
か狂気の表情も、なぜか、乏しい。前は、そんな感じではなかっ
たのだがと、思う。

松山太夫の菊之助が、せり上がって来る。プレゼンス(存在感)
がある。2月の歌舞伎座で、玉三郎とともに踊った「京鹿子二人
娘道成寺」のプレゼンスを引きづっているのかもしれない。せり
上がって来ただけで、充実感が、滲み出て来る。菊之助は、確実
に急成長している。

ふたりの所作になると、富十郎の体型が、ほっそりした菊之助の
体型と調和を欠いていて、気になり出す。菊之助は、落ち着いて
いて、玉三郎とも孝太郎とも違うが、切れ味の良い所作は、安定
感があり、微笑んだ表情は、優美で、濃艶である。椀久への気遣
いの気持ちも溢れている。椀久は、現(うつつ)では、狂気の人
だが、自分の夢のなかで、松山太夫とともに踊るときは、ふたり
とも正気である。その落差が、この所作事のポイントだろう。し
かし、花道の登場から富十郎の狂気は弱い。従って、夢のなかの
正気が、対比されて来ない。体型も気も弱いとなれば、富十郎椀
久の演技は、とても、弱くなる。雀右衛門と踊ったときには、そ
ういう感じはなかったのだが・・。今回は、体調でも悪いのか、
それとも、6年前、9年前より、衰えたのだろうか。あるいは、
仁左衛門・孝太郎の舞台の劇評で評したように、コンビネーショ
ンというのは、結構、大切な問題かも知れない。それにひきか
え、菊之助の松山太夫は、初見だが、実に、良い。演じていると
いうより、松山太夫その人になっているように見受けられる。寺
嶋和康という青年は、尾上菊之助を突っ切り、尾上菊之助は、女
形役者を突っ切り、女の「形」を男の身体の上に造型し、松山太
夫という遊女になりきり、椀久という大坂の豪商を虜にし、狂気
の果ての、夢のなかで、正気に戻らせ、「邯鄲の夢」を観客とと
もに見させるというマジックをやってのけた。

それだけに、菊之助と富十郎との落差が、前回の仁左衛門・孝太
郎のハーモニーのような効果を生まない。菊之助が、良いだけ
に、富十郎の弱さが、よけい、気になる。「二人椀久では、富十
郎は、雀右衛門とのコンビの方が良いだろうし、いずれ、仁左衛
門と菊之助のコンビでも、観てみたい。しかし、今月の夜の部で
は、これが、ぴか一の舞台であったことは、間違いない。

「近頃河原の達引」は、初見。祇園の遊女丹波屋のお俊と恋仲の
井筒屋の若旦那・伝兵衛と横恋慕の侍・横溝官左衛門の三角関係
が、京・鴨川の四條河原で、伝兵衛による横溝官左衛門殺しに発
展する。官左衛門は、横恋慕の果てに伝兵衛に贋金を掴ませ、窮
地に追い込むからだ。「窮鼠猫を嚼む」という方式だ。そういう
人事とは、無縁に見える鴨川沿いの京の町家の夜景が綺麗。夕暮
れの川岸に窓に灯りの入った二階屋が続く。「達引」とは、意地
を立て通して、張り合うことの意。外題からして、まさに、ワイ
ドショーのネーミング。お俊・伝兵衛の心中事件は、聖護院の森
で、実際にあったというから、まさに、ワイドショー向き。「近
頃河原の達引」という、テレビなら、スーパー・イン・ポーズ
で、画面を飾るタイトルの文字。そこで、ワイドショーに似合い
そうなコメントをつけてみると・・・。

「近頃、京の鴨川、四條河原で、三角関係のもつれから、商家の
若旦那が、なんと、侍を殺すという事件がありました。河原にい
て犯行を目撃した人の話では、犯人は、井筒屋の若旦那・伝兵衛
で、伝兵衛は、現場から逃走したということです。奉行所では、
伝兵衛が、自宅に戻っていないことや愛人の祇園・丹波屋の遊
女・お俊の行方も判らないことから、ふたりで逃亡している可能
性もあると見ています。奉行所では、お俊の所縁の地に、ふたり
で立ち廻っていることも考えられると見て、操作しています」と
いうような本記原稿があり、伝兵衛、お俊、侍の関係の解説、伝
兵衛、お俊の人となりなどの関連記事が、おもしろ可笑しく、テ
レビで伝えられているかもしれない。

そういう世間の興味を引かせようというジャーナリスティックな
外題「近頃河原の達引」が、普通の歌舞伎の外題、つまり、3文
字、5文字、7文字で、きちんと構成されている外題と、大きに
違う、一種のユニークさを示している。侍殺しという、弾みとは
言え、大罪を犯してしまった伝兵衛(坂田藤十郎。花道に登場
し、大向こうから、なぜか、「成駒屋」と声がかかってしまった
が、これは、ご愛嬌か、藤十郎は、たじろがず。七三で停まった
とき、大向こうから、「山城屋」と声が掛り直したときも、平然
としていた)は、犯行後、羽織を裏返しに着て、蹌踉(そうろ
う)と花道向うへ、逃げて行った。この辺りの演技、初役なが
ら、藤十郎は、さすがに巧い。「たっぷり」と声を掛けたくな
る。秀太郎のお俊は、巧くはないが、独特の雰囲気があった。お
俊役は、「慶成駒」と言われた五代目中村福助(当代芝翫の父
親。美形だったが、昭和初期に、34歳で亡くなった。「慶」
は、本名から一字付け加えた)が、良かったようで、秀太郎は、
十三代目仁左衛門が、まだ、我當の時代にお俊を演じた「慶成
駒」の演技の印象を伝えてくれたと話している。

そういう奉行所の思惑通り、侍殺しで、奉行所の役人に追われる
伝兵衛は、お俊を頼り、お俊の兄の家、京・堀川にある与次郎の
ところに転がり込む。これでは、いずれ、奉行所の手が入る可能
性は、大である。そういう危機感に裏打ちされた切迫した状況で
芝居は進む。しかし、そこは、上方歌舞伎。笑劇を忘れない。夜
半の暗闇で、人目を偲んでやってきた伝兵衛と、そっと迎えに出
るお俊、物音で眼を醒ました妹思いの与次郎は、伝兵衛とお俊と
を会わせまいとして、外に出たお俊を家に引き入れて、門口の鍵
を掛けるのだが、その際に、お俊と伝兵衛を間違えて、伝兵衛を
引き入れて、お俊を外に出したままにしてしまう。元々、与次郎
は、少し頭の弱い、善良な人柄というのが、人物造型だったが、
六代目菊五郎が、いまのような与次郎像に作り替え、十一代目、
十三代目の仁左衛門が、さらに磨きを掛け、妹と恋仲の殺人者の
死の道行きを許す兄と母という、家族悲劇に純化させた。

猿回しを生業とする与次郎は、人情味溢れる男で、盲目の母と妹
のお俊思い。最初、妹に殺人者の伝兵衛とは、縁を斬るように勧
めていたが、経緯の果てに、ふたりの仲を認め、祝言を上げさ
せ、逃避行の道行に送りだす。お俊と伝兵衛は、「新口村」の梅
川忠兵衛のコンビのように、黒の揃いの衣装に身を包み、旅立つ
(死出の道行は、が合作者たちの意図にあり、与次郎の母が近所
の娘に教える「鳥辺山」の唄の稽古、与次郎が猿に舞わせる唄
が、お初徳兵衛の祝言の唄、つまり「曽根崎心中」の唄というか
ら、念が入っている)。

猿回しの与次郎は、二匹の猿を使って、祝言と別れの水盃を交わ
す場面を滋味たっぷりに演じる。猿は、子役が演じたり、本当の
猿を使ったりした時期もあるというが、いまのような操り人形の
猿に替えたのが、十三代目仁左衛門の工夫だという。この結果、
猿が、滑稽なだけの猿ではなく、しっとりとした人情噺に組み入
れられる猿に変化したのだと思う。

与次郎役は、十三代目仁左衛門が、得意としたと言うが、我當
も、父親に負けないほど、滋味たっぷりに与次郎を演じていたと
思う。我當の人柄が、与次郎とダブり、我當は、与次郎そのもの
になっているように見受けられた。役者は、皆、役を演じるのだ
が、演じているうちは、おもしろ味が滲み出して来ないので、芝
居として平板になり、奥行きが乏しく、感興を呼ばない。役者
が、役になりきり、役の人柄そのものという印象が、観客に生じ
て来るようになって、初めて、観客は、感動しはじめる。我當の
演技は、まさに、与次郎が我當か、我當が与次郎かという境地に
なっているように見受けられ、私は、感動しながら、芝居を見続
けた。

通称「お俊伝兵衛」として知られ、殺人の罪のないお俊(犯人隠
匿という罪はあるのだろうが)を助けて、伝兵衛殺人者の自分だ
け死のうと打ち明けると、「そりゃ、聞こえませぬ伝兵衛」と、
男の身勝手に抗議するお俊のクドキが、著明な芝居だが、こうし
てみてくると、この芝居は、「与次郎人情噺」が、主軸となって
いるということが判る。猿回しの猿同様、盲目の母親ぎん(吉之
丞)も、さらに、お俊(秀太郎)も伝兵衛(藤十郎)も、脇に追
いやられ、底抜けの善人としての与次郎(我當)の人物像だけ
が、くっきりと浮かび上がって、印象に残る。六代目菊五郎の慧
眼が、いまも、生きていると思う。

贅言:猿回しで使われる2匹の猿が、名演。外から帰って来る与
次郎が、背中の荷物の上に猿を載せたまま、花道を通り、本舞台
の与次郎宅に帰って来る間は、おとなしくしている。与次郎宅に
設えられた檻に入れられるとき、ひと騒ぎがあるが、猿を動かし
ているのは、本舞台の天井から釣り下げられた糸であることが判
る。つまり、猿は、操り人形の猿なのだ。花道では、背中に載っ
て移動するだけだから、動きがない。糸も使わない。本舞台に着
いて、我當が、与次郎を演じながら、天井からの糸を猿の糸に連
結したのだろうが、それが、どうしても見えなかった。檻に猿を
入れてしまえば、猿は、動かない。その後、檻から出されると、
猿は、仲間の猿とともに踊ったり、飯を食べようとしたり、さま
ざまな動きをするが、そのときも天井からの糸に操られて動いて
いるのが判る。動きが、自然で、生き物の猿のように見える。天
井に隠れた猿の操り遣いが、実に、名演であった。

「水天宮利生深川」も、初見。1885(明治18)年2月、東
京千歳座(いまの明治座)が初演。河竹黙阿弥の散切狂言のひと
つ。明治維新で、没落した武家階級の姿を描く。五代目菊五郎の
元直参(徳川家直属)の武士(お目見え以下の御家人か)・船津
幸兵衛、初代左團次の車夫三五郎などの配役。

深川浄心寺裏の長屋が舞台。幸兵衛(幸四郎)は、武芸で剣道指
南もできず、知識で代言人(今の弁護士)もできず、貧しい筆職
人として、生計を立て、ふたりの娘と幼い息子を抱え、最近、妻
を亡くし、上の娘は、母が亡くなったことを悲しむ余り、眼が不
自由になっている。筆作りも軌道には、乗っていないようだ。知
り合いの善意に支えられ、辛うじて一家を守っているが、いつ、
緊張の糸が切れてもおかしくない。そういう脆弱さが伺える。支
えになっているのは、神頼み。水天宮への信仰心。そういう脆弱
さが伺える一家が、描かれる。そして、案の定、金貸しの金兵衛
(彦三郎)と代理の代言人の安蔵(権十郎)から、借金の催促を
され、僅かな金も奪われるように、持ち去られいぇしまう。危機
管理ゼロ。結局、幸兵衛が思いつくのは、一家心中。あげく、心
中もできずに、己を虐め抜き、発狂するという陰々滅々な話。幼
い赤子を抱えて、海辺町の河岸へ行き、身投げをする。しかし、
こういう脆弱な男に良くあるように、自殺も成功せず、死に切れ
ずに、助けられる。それが、水天宮のご利益という解釈。前向き
に、生きて行こうと決意する。それだけの話。人生、思う通りに
ならないのは、世の常。足元を固めて、一歩一歩、前に歩いて行
くしかないのは、最初から判り切っていることだろう。

幸四郎の演技は、発狂場面を軸に、いつものオーバーアクショ
ン。初役で演じる幸四郎は、役になると言うより、役を力づくで
ねじ込むような演技で、しらける。正気から発狂するという「異
常な状況」を表現するだけに、「異常」なほどのオーバーアク
ションでは、かえ、って説得力を殺ぐことになる。抑え気味に演
じて、正気から狂気へが、観客の腑に落ちるように、役になり済
ますことが出来ないものかと、思う(勘三郎の「筆幸」のビデオ
を観たことがあるが、勘三郎は、科白も、普通の口調で、演技で
はなく、自然と幸兵衛になりきっていたし、狂気もするっと、境
を超えていたのを思い出す)。

このほか、歌六の車夫・三五郎、幸右衛門の長屋の差配人・与兵
衛、友右衛門の巡査・民尾保守、ほかに元直参ながら、剣道指南
で巧く生き抜いている萩原の妻役に秀太郎など。散切ものらしい
配役の妙(車夫、巡査、代言人など)が、おもしろい程度。ほか
の役者の演技も、あまり、印象に残らなかった。

贅言:東京の人形町にある水天宮は、いまでは、安産の神様で知
られるが、本来は、平家滅亡の時に入水した安徳天皇らを祭る水
神。幸兵衛が、乏しい金のなかから買って来る水天宮の額(碇の
絵が描かれている)は、「碇知盛」、つまり、身を縛った碇を担
いで重しの碇とともに、身投げした平知盛は、平家所縁の水神に
なっているので、こういう紋様が使用されているのだろう。気の
狂った幸兵衛が、箒を薙刀に見立てて、「船弁慶」の仕草をする
のも、一興。

夜の部を観て、私が考えた共通のテーマは、「藝」か。他人を演
じる、他人になり済ます、他人になりきる、というあたりを軸に
3つの演目を分析してみると、幸四郎は、まさに、他人を演じる
段階。人柄から滲み出ている我當は、他人になり済ます。菊之助
は、他人(この場合、女性)になりきっている、というところ

か。藝は、難しい。

贅言:歌六の息子のうち、長男の米吉が、「水天宮利生深川」の
幸兵衛の次女・お霜、次男の龍之助が、「近頃河原の達引」の
「鳥辺山」の稽古娘・おつるで出演。翫雀の長男壱(かず)太郎
が、幸兵衛の長女で盲目のお雪を演じる。壱太郎は、15歳、暫
く見ないうちに、大きくなった。
- 2006年3月27日(月) 19:49:38
2006年3月・歌舞伎座 (昼/「吉例寿曽我」「吉野山」
「道明寺」)

「吉例寿曽我」は、1900(明治33)年、東京明治座で初
演。竹柴其水原作「義重織田賜(ぎはおもきおだのたまもの)」
の序幕「吉例曽我」が、大本だと言う。私は、2回目の拝見。前
回は、99年12月の歌舞伎座で、猿之助演出、猿之助一門総
出。五郎・十郎の「対面」の物語をベースに「助六」あり、「忠
臣蔵」あり、「ひらがな盛衰記」あり、「五右衛門」ありで、自
分の歌舞伎の知識を検証するのに好都合。石段のだんまりもどき
の立ち回りから、「がんどう返し」で「高楼の場」へ、大道具が
変わるなど、歌舞伎の荒唐無稽さを楽しみながら、歌舞伎の入門
編のような舞台になっていた。春猿、亀治郎の二人が匂い立つよ
うな色香を発揮していたのを想い出す。6年あまり前ですから
ね。春猿29歳、亀治郎24歳だった。

前回の劇評で書いているが、20世紀最後の2000年正月を前
に、99年を締めくくる12月の舞台に、いま、病気休演中の猿
之助は、病気の予感すらないなかで、1900年の作品を借り
て、1999年を曽我物の名場面オンパレードという方式で締め
くくろうとしたのではないかと思われるが、それは、まあ、過ぎ
た舞台の話で、今回は、いかに。

前回は、「大磯廓舞鶴屋」「鶴岡八幡宮石段」「同高楼」という
構成だったが、今回は、「鶴ヶ岡石段」「大磯曲輪外」という構
成。

幕が開くと浅葱幕が舞台を見せない。花道から出て来た八幡三郎
(愛之助)方の奴で、白塗の色内(亀三郎)と近江小藤太(進之
介)方の奴で、砥の粉塗の早平(亀寿)が、幕の前で、争う。白
塗と砥の粉塗りの化粧で、善方か、悪方かが、すぐに判るのが、
歌舞伎のルール。早平が所持する一巻(近江方の謀反の密書)を
色内が奪おうとしている。やがて、浅葱幕が、振り落され、鶴ヶ
岡石段の場面となる。上手に紅梅、下手に白梅。紅白が、上下の
順になる。

上手に登場した、やはり白塗の八幡三郎を演じる愛之助(十三代
目仁左衛門の部屋子から秀太郎養子に)は、仁左衛門そっくり。
下手は、我當の長男・進之介は、やはり砥の粉塗りの近江小藤
太。ともに、工藤祐経の従臣。ともに、足袋は、黄色。八幡が、
奴色内に奪わせた一巻の密書を見せびらかし、近江を牽制したこ
とから、両者の争いとなり、石段を使った、いわば立体的な立回
りの場面となる。科白は、ほとんどなく、「だんまり」(闇のな
かの、ゆるやかな争い)もどきの立回りが続く。江戸のセンス
は、死闘という立ち回りさえも、優雅である。下座音楽は、「石
段の合方」。

やがて、石段の大道具は、石段を軸に、上手と下手に分解されて
引き込むが、ふたりを石段に乗せたまま、「がんどう返し」で、
場面展開。石段の下からは、富士山の遠景が現れる。今回は、1
階席だったので、判らなかったが、前回は、2階席ゆえ、「がん
どう返し」で石垣が上がるにつれて、役者が、徐々に、「足の位
置を変えて姿勢を直す様子などが見てとれて勉強になった」と、
私は書いている。「石段」の進之介は、愛之助との所作に微妙な
ズレがある。間が飲み込めていないのだろう。

場面展開後、富士山を中央に、裾野の上手に紅梅、下手に白梅
(さらに、その下手に小さな紅梅)という背景。雲が棚引いてい
る。「大磯曲輪外の場」。

舞台中央には、3人の黒衣が、掲げ持つ赤い消し幕が、大せりの
穴を隠している。消し幕が取り除かれると、やがて、9人全員
が、一挙に大せりに乗って、せり上がって来る。全員が、きらび
やかな衣装を纏い、停止した姿は、一幅の錦絵のようだ。源頼朝
の重臣・工藤祐経(我當)を軸に、曽我兄弟の後見人・朝比奈
(男女蔵)、梶原源太(松也)、秦野四郎(亀鶴)、それに、大
磯廓の遊女たち、十郎の愛人・大磯の虎(芝雀)、五郎の愛人・
化粧坂少将(家橘)、喜瀬川亀鶴(吉弥)。そして、工藤祐経を
父の仇と狙う曽我十郎(信二郎)と五郎(翫雀)の兄弟。敵味方
入り乱れての、一挙の登場。工藤祐経が、先ほどの密書の一巻を
取り出したことから、9人入り乱れての「だんまり」となる。動
く錦絵だが、科白なしで、見栄えで、それぞれの人物の存在感を
出さなければならないから、役者たちは、大変だろう。松也が、
爽やかな若衆姿。吉弥は、玉三郎もどきの美形。翫雀は、「雨の
五郎」の衣装。さまざまな配役の華麗な衣装も見もの。様式美を
構成するところまで行かず。まあ、それだけの演目だが、眼で見
る歌舞伎らしい演目でもある。

贅言:「吉例寿曽我」本来の外題「義重織田賜(ぎはおもきおだ
のたまもの)」の謂れを調べてみたが、判らない。「織田」は、
織田信長だろうから、織田賛美の話のような気がするが、いず
れ、さらに、調べてみよう。

「吉野山」は、本興行で、11回目の拝見。地方巡業の舞台も数
に入れれば、それ以上の回数になるだろうと、思う。三大歌舞伎
の一つ、「義経千本桜」の道行「吉野山」は、本来の外題は、
「道行初音鼓」で、原作の設定では、早春の雪の残るなかでの道
行だったが、いつの時期からか、春爛漫、桜が満開の吉野山を遠
望する場面に変えられた。誰が、何時変えたかは、定かならずと
いうが、芝居を担う人たちの誰かが考えだし、誰もが、それを支
持し、いまのような形になったのだろうと思うが、これぞ、歌舞
伎の知恵者の賜物だろう。およそ三万本の山桜が標高差を入れ
て、下から上へ順繰りと、咲き競う吉野山は、やはり、春爛漫
が、判りやすいから、この工夫は、正解だろう。今回は、幸四郎
の狐忠信に福助の静御前。東蔵の逸見藤太。

幕が開くと、満開の桜の間に松と寺院の屋根、雲が見える。いつ
もながら、華やかな舞台。福助の静御前は、安定している。忠信
への情愛を滲ませた良い静御前だ。静御前は、後ろ姿に色香がな
ければならない。桜木の下に、斜め後ろ姿で、佇むとき、エロス
の化身であり、桜の精のように見えなければならない。

「女雛男雛」という象徴的なシーンがあるが、「女雛=静御前=
福助」を後ろから、「男雛=忠信=幸四郎」が、そっとサポート
することで、ふたりが、立雛の形に決まる。「女雛男雛」という
幻想。静御前と忠信という男女。花道「すっぽん」から登場した
幸四郎の狐忠信は、いつもの幸四郎らしからぬ、抑え気味の演技
で、福助を引き立てる。源氏車の縫い取りのある、いつもの
衣装ではなく、茄紺の無地の衣装を選んだという辺りにも、幸四
郎の「抑え」の意図が判る。福助の静御前と幸四郎の忠信は、と
もに、私は、初めて拝見した。

逸見藤太は、東蔵が、好演。東蔵の藤太は、2回目の拝見。東蔵
は、藤太を2回しか演じていないというから、私は、たまたま、
2回とも拝見したことになる。この藤太の科白に、トリノオリン
ピックで金メダルを取った荒川静香の「しずか」を静御前に引っ
掛け、「イナバウアー」の所作を取り入れて、仰け反り、観客席
の笑いを取っていた。花四天を絡ませた立回りでは、花槍を使っ
て、狐忠信絡みの鳥居、駕篭、操り人形など隠し味が施されてい
る。今回の「吉野山は、軸となる3人の役者の演技のバランスが
良く、大きく、ゆったりとした、空間をつくり出していた。江戸
のゆるりとした芝居小屋が、再現されたような気がする。

「道明寺」は、見応えがあった。今回で、3回目の拝見。前回
は、02年2月の歌舞伎座、前々回は、95年3月の歌舞伎座で
ある。私にとって、孝夫時代をふくめて、3回目となる仁左衛門
の菅丞相の演技は、さらに磨きがかかっているようだ。覚寿の芝
翫も、3回目。輝国の富十郎も、3回目。立田の前の秀太郎も、
3回目。苅屋姫は、今回は、孝太郎(前回は、玉三郎。前々回は
孝太郎)。藤原時平の意向を受けて菅丞相を誘拐して暗殺しよう
とする親子のうち、父親の土師兵衛の芦燕は、2回目(前々回
は、先代の権十郎)。息子の宿弥太郎は、今回は、段四郎(前回
は、左團次。前々回は、段四郎)。弥藤次の市蔵は、十蔵時代を
含め2回目(前々回は、錦吾)。「水奴」宅内は、歌六(前回
は、橋之助、前々回は、勘九郎時代の勘三郎)。という配役振り
で、一部を除いて、あまり変わっていない。それぞれに磨きがか
かって、重厚、神聖な舞台が仕上がったように思う。

「道明寺」は、歌舞伎の典型的な役柄が出そろう演目だ。立役=
菅丞相。二枚目=輝国。老女形(ふけおやま)=覚寿。片はずし
(武家女房)=立田の前。赤姫=苅屋姫。仇役=太郎。老父仇=
兵衛。ごちそう(配役のサービス)=宅内。「道明寺」は、この
ように、さまざまな役者のバリエーションが揃う大きな舞台にな
らないと懸からない演目だという由縁である。

菅丞相の仁左衛門は、動きの少ない役柄をただ座っているだけと
いう演技で、過不足なく演じる。プレゼンス(存在感)が、凄
い。当分、仁左衛門以外には、演じにくかろう。團十郎、幸四
郎、勘三郎辺りが、いずれ、挑戦するかも知れないが・・・。白
木の御殿に白木の菅丞相の木像。木像の精の菅丞相は、白い直衣
(のうし)ということで、白い色調に神秘感を滲ませる演出と観
た。生身の菅丞相は、梅鉢の紋様の入った紫の直衣で対比的に木
像との違いを強調する。ただし、直衣の下の下袴は、薄い紫色の
同じものを着ていた。

自分が作った入魂の木像が、菅丞相の命を救う。だが、それは道
明寺の縁起に関わる伝奇物語。実際の舞台では、仁左衛門は、木
像の精と生身の菅丞相のふた役を早替りで演じなければならな
い。仁左衛門が、木像の精になる場面は、これも、ひとつの「人
形ぶり」の所作である。轆轤(ろくろ)に載せた木像のように
座ったまま、足を動かさずに、廻ってみせた仁左衛門。さらに、
仁左衛門は、伝統的な演出に乗っ取り、人形振りの脚の運びでそ
れを表現する。そのあたりの緩急の妙が、実に巧い(ほかの役者
で観たことがないのだが、これは、難しいだろうと想像でき
る)。木と生身の人間との対比。それは、直衣の白と紫の色合
い、烏帽子の有無(木像と白い直衣のみ烏帽子を着けている)な
どで表す。

夜明け前に藤原時平の指示を受けた土師・宿弥親子の仕掛けた暗
闘から抜け出した菅丞相だが、夜明けとともに菅丞相は、伏せ籠
のなかに潜んでいた養女・刈屋姫への情愛を断ち切って、太宰府
に配流される。袖の下から檜扇(ひおうぎ)を使っての、養女と
の別れの切なさが、にじみ出る。抱き柱が、辛い刈屋姫。人間か
ら木像の精を通底して、菅丞相は、さまざまな人たちの死や別れ
を見るという修羅場を経て、後の天神様へ変身する。そういうド
ラスティックなドラマが展開するなか、仁左衛門の菅丞相の肚の
演技が続く。

覚寿の芝翫は、適役。仁左衛門の菅丞相のプレゼンスに対抗でき
るのは、貫禄ある覚寿を演じられる芝翫しかいないだろう。これ
も、当分、芝翫以外は、演じにくかろうと、思う。

覚寿の娘で、菅丞相の養女の苅屋姫の姉で、仇役・宿弥太郎の妻
という立田の前(秀太郎)は、「道明寺」の劇的展開と人間関係
では、重要な役処。覚寿(芝翫)、苅屋姫(孝太郎)が、御殿の
奥に入り、立田の前(秀太郎)も、それに続くときの、襖が閉ま
る直前の、後ろ姿の静止の仕方が、綺麗だった。

やがて、腰元たちが、雪洞(柄と台座を付けた行灯)を持って来
る。御殿も、薄暗くなって来たのだろう。そう言えば、この後の
展開で重要な仇役を演じる土師兵衛(芦燕)と宿弥太郎(段四
郎)の親子は、正式の迎えの使者・判官代輝国(富十郎)一行の
来る八つ時(午前2時ころ)を前に、菅丞相に贋迎い・弥藤次
(市蔵)らを寄越す合図として、鶏を啼かせる策略を実行するな
ど、この物語は、夕方から夜半にかけて、クライマックスを迎え
るという、いわば「夜中の物語」なのだが、皓々と明るい舞台で
は、観客のうち、どれだけの人が、夜半を意識しながら物語の進
行を観ているだろうか。そういう意味では、ふたりの腰元が雪洞
を持って来る時間をきちんと押さえると共に夫の宿弥太郎(段四
郎)と義理の父親の土師兵衛(芦燕)の謀略を立ち聞きする立田
の前(秀太郎)が、手に持っている手燭(手持ちの行灯)を見逃
してはいけない。立田の前は、夫と義理の父親に殺され、御殿前
の池に遺体を投げ込まれ、遺体の上で、鶏が啼くという言い伝え
を元に、宿弥太郎と土師兵衛が、練り上げた偽の夜明けを告げる
「一番鶏作戦」を成功させてしまう。

菅丞相の養女の苅屋姫(孝太郎)は、自分が、原因を作っただけ
に、配流される父への詫びと惜別の親愛の表現がポイント。孝太
郎の苅屋姫からは、養女ゆえの、複雑な惜別の情が、観客席に
も、ひしひしと伝わって来た。菅丞相の伯母の覚寿、娘(姉妹)
の立田の前と苅屋姫という、3世代に分かれる女形の役処も、味
わいが深い、良く考えた配役だと、思う。

裁き役の輝国(富十郎)は、颯爽としている。格と雰囲気が、判
官代として、滲み出ている。立田の前の遺体を池から救い上げる
「水奴」宅内(歌六)の役は、いわゆる「ごちそう」、観客への
サービス満点の配役。こういう配役が、歌舞伎の奥行きを深め
る。

娘・立田の前殺しの真相を悟った覚寿の機転で仇打ちされた宿弥
太郎と池から運び上げられた立田の前の(つまり、夫婦の)遺体
は、黒衣の持つ黒い消し幕の登場で、ともに二重舞台の床下に消
えて行く。池から運び上げられ、覚寿の手で、覚寿の打ち掛けを
頭からかけられたまま、劇の進行の間、身じろぎもせずに舞台に
横たわっていた秀太郎さん、お疲れさま。

贅言:土師兵衛、宿弥太郎の親子が、覚寿を騙し、贋迎いを呼ぶ
ために、夜明け前に啼かせようとする鶏を庭の池に放す場面で
は、池の水布の間から、水色の手が出てきて、鶏を載せた挟み箱
の蓋を引き取っていくのだが、今回は、1階の席なので、見えな
い。
- 2006年3月21日(火) 22:05:27
2006年2月・歌舞伎座 (夜/「梶原平三誉石切」「京鹿子
娘二人道成寺」「人情噺小判一両」)

2月の歌舞伎座の劇評をなんとか、2月中に「遠眼鏡戯場観察」
に掲載できた。夜の部は、何と言っても「京鹿子娘二人道成寺」
がハイライト。

「梶原平三誉石切」は、8回目。私が見た梶原は、幸四郎(今回
含め、2)、吉右衛門(2)、仁左衛門(2)、富十郎、團十
郎。前にも書いたが、「石切」の場面には、型が3つあるとい
う。8回も見ると、3つの型を見ることができる。初代吉右衛門
型、初代鴈治郎型、十五代目羽左衛門型。その違いは、石づくり
の手水鉢を斬るとき、客席に後ろ姿を見せるのが吉右衛門型で、
鴈治郎型は、客席に前を見せるが、場所が鶴ヶ岡八幡ではなく、
鎌倉星合寺。羽左衛門型は、六郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢
の両側に立たせて、手水鉢の水にふたりの影を映した上で、鉢を
斬る場面を前向きで見せた後、ふたつに分かれた手水鉢の間から
飛び出してくる。桃太郎のようだと批判された。

幸四郎、吉右衛門のふたりは、初代吉右衛門型であった。富十郎
は、初代鴈治郎型だったが、場所は鶴ヶ岡八幡であった。仁左衛
門と團十郎は、十五代目羽左衛門型で、手水鉢の向うから飛び出
してきた。私が観た梶原としては、仁左衛門が1番という印象は
変わらない。今回の幸四郎は、自身は、舞台中央にいて、殆ど動
かずにいながら、目配り、眼光、小さな動きなどを積み重ねるこ
とで、自分を取り巻く状況の変化、特に、六郎太夫と梢の親子を
じっくり、ゆったり、いろいろ観察し、ハピーエンドを考えてい
るという、器の大きな梶原像を刻んで行ったように見受けられ、
悪くはなかった。ただ、いわゆる「二つ胴」という、上で仰向け
になっている囚人の胴を斬る場面で、下で俯せになっている六郎
太夫については、彼を縛っていた縄だけを斬る。ポンと跳ね上げ
るように斬ったほうが良いのだが、「押し切り」のような斬り方
で、あまり感心しなかった。

憎まれ役の大庭三郎(彦三郎)は、味のある表情を見せていた。
美形の女形が似合う愛之助が、今回は、三郎の弟の俣野五郎役だ
が、声がかん高く、騒々しかった。発声を考えたほうがよい。歌
六の六郎太夫は、良い老け役で、一所懸命の芝雀の梢とともに、
「本当の主役」を滲ませていた。いかにも歌舞伎らしい大味な芝
居なのだが、名優たちに磨かれて来た工夫魂胆が、随所に光り、
楽しませるから、歌舞伎は、おもしろい。

「石切梶原」の、もうひとつの見せ場は、剣菱呑助の「酒づく
し」の台詞だが、今回は秀調で、私は、3回目。これまででは、
坂東吉弥、團蔵、松助、弥十郎、鶴蔵。

「京鹿子娘二人道成寺」「二人道成寺」は、5回目。普通は、白
拍子の花子と桜子が登場する。そのスタイルで最初に見たのは、
11年前の、95年4月の歌舞伎座、翫雀、扇雀の兄妹の襲名披
露(当時、ふたりは、智太郎、浩太郎)の舞台で、次いで、翌年
の96年9月の歌舞伎座で、時蔵と福助であった。3回目が、い
まも印象に残る雀右衛門と芝雀親子の「二人道成寺」で、99年
9月の歌舞伎座。以下、再録する。


「親子の二人道成寺の妙」

*雀右衛門・芝雀のときは、ふたりの「雀」の間に鏡でもあるよ
うに、過去の伝統と継承の未来の精が、現在という舞台で、ふた
りの白拍子に化けて出て来た藝の化身のように見えた。所作も、
左右対称で、いつもの所作と逆の形で踊る雀右衛門の素晴しさ
(芝雀の所作は、基本的に「娘道成寺」と変わらない)、息子を
気遣う父親の思い、藝の先達として後身を見る眼の厳しさなど、
いろいろ考えさせる味のある舞台であった。迫りくる老いと戦う
父親。そういう父親の戦いを知り、少しでも早く藝の継承に努め
ようとする息子。そのとき、特に、ふたりが鐘の上に乗ってから
の、印象的な場面を私は、次のように書いている。

*鐘に乗った後の、花子・雀右衛門の、「般若のこしらえ」で、
「妹背山」の、お三輪のような「疑着(ぎちゃく)の相」を思わ
せる、物凄い表情を一瞬だけ見せるというのが、印象的だったの
は今回が初めてのような気がする(引用者注。つまり、それ以前
に観た翫雀・扇雀、時蔵・福助では、この部分の印象が薄いとい
うこと)。


「二人道成寺の『一人化』の試み、あるいは、〜花子・桜子から
花子の・立体化・へ〜」

玉三郎・菊之助の舞台は、04年1月の歌舞伎座以来、2回目。
前回の劇評も再録する。

*「二人道成寺」は、素晴しかった。実は、菊之助は、白拍子
「桜子」には、ならなかった。玉三郎も菊之助も、ふたりとも、
白拍子「花子」であった。というより、菊之助が、白拍子花子と
して、花道向う揚幕から登場するのに対して、玉三郎は、花道
すっぽんから登場する。ということは、玉三郎は、生身の白拍子
花子ではなく、花子の生き霊なのではないか。つまり、ふたり
は、二人ではなく、一人なのだ。白拍子花子の光と影。それが、
今回の玉三郎と菊之助の「「二人道成寺」のコンセプトではない
か。玉三郎が、すっぽんから登場したため、私は、そういう着想
にとらわれて、以後の舞台を観ていた。

花道七三で、並んだふたりの所作を私は、昼の部と同じ、1階
の、いわゆる「どぶ」側の、真後ろの花道直近の座席から観てい
た。この席からは、まるで、向う揚幕の前に座って、花道七三を
正面に観るように舞台が見えるのである。そこで観ていると、し
ばしば、二人の白拍子が、所作も含めて重なって見えるのであ
る。つまり、ときどき、二人は、一人にしか見えない場面があっ
たのである。衣装も帯も同じ二人が、重なる。一人になる。やが
て、所作が終り、玉三郎は、すっぽんから消えて行った。残り
は、菊之助一人。それは、恰も、最初から一人で踊っていたよう
な静寂さがある。

これは、「二人道成寺」ではなく、「娘道成寺」ではなかったの
か。二人に見えたのは、私たちの幻想であったのではないのか。
そういう錯覚さえ起こすほど、この「・一人・道成寺」は、素晴
しかった。筋書きを良く見れば「京鹿子娘二人道成寺」とあるで
はないか。この「娘」と「二人」は、ここまで融通無碍だったの
か。こういう「二人道成寺」は、初めての趣向だと思う。因に、
5年前の雀右衛門・芝雀のときの外題は、「傘寿を祝うて向かい
雀二人道成寺」であった(この年の8月、満79歳になった雀右
衛門は、数えでは、80歳=傘寿である。「向かい雀」とは、向
かい合う「雀」右衛門と芝「雀」のことである)。いずれも、外
題は、観客に向けて、きちんとテーマを明確にメッセージしてい
るのが判る。それをきちんと受け止めるか、受け止めないかは、
私たち観客の感性の問題である。

さて、花子・桜子を花子のダブルイメージにしたのは、玉三郎の
趣向だろうなと、私は思う。去年「娘道成寺」を踊った玉三郎
は、初演で新しい「二人道成寺」への扉を開いたと言えそうであ
る。工夫魂胆の、藝熱心の真女形の発想に敬意を表したい。今後
の、玉三郎の「道成寺もの」には、要注意。その後も、今回は、
花子が、一人になったり、生き霊として、二人になったりしなが
ら(あるいは、ここは、二人に「見えたり」が、正確か)、新趣
向の所作が繰り出され、大曲を飽きさせない場面が続いた。二人
の絡みは、ときに官能的にさえ、感じられた。最初、玉三郎につ
いて行った菊之助だが、途中の「手鞠」の場面では、遅れをとっ
た菊之助が、途中をさり気なく飛ばして、玉三郎に追い付いた手
腕は、なかなかのものであった。若さばかりが売り物ではなく、
藝の強かさも身に着きはじめているように思えた。また、逆海老
に反り返る場面では、それなりに柔軟な玉三郎よりも、さらに身
体の柔らかさを見せつけていて、明らかに若い女形のはつらつさ
を感じさせていた。ただ、反りに入る瞬間的に女形ではなく、男
を感じさせる場面があり、今後の課題だろう。

玉三郎53歳。菊之助26歳。円熟と成長のカーブが異なる、ふ
たりの真女形の今後の組み合わせを楽しみとしたい。

以上、長い引用になったが、許して欲しい。基本的に、2年前の
印象を残しながら、玉三郎と菊之助は、さらに、充実の上乗せを
してくれたからだ。真女形の官能。女性では出せない極め付けの
官能の美とは、こういうものではないかというのが、正直な印象
である。「鐘に恨み」の玉三郎の凄まじい表情と柔らかで愛くる
しい菊之助のふくよかな表情の対比。夜叉と菩薩が住む女性
(にょしょう)の魔は、女性では、表現できないだろう。男が女
形になり、女形が、娘になり、娘が蛇体になるという多重的な官
能の美。これぞ、「娘二人道成寺」の真髄だろうと思う。しか
し、このコンビは、また、何年か後に、これにさらに積み重ねた
ような、限り無く、理想に近付けようという、工夫魂胆の後を感
じさせる舞台をつくり出してくれると思うので、次の舞台も、い
まから、愉しみになってきた。

菊之助の魅力をいちばん良く知っているのは、もはや、父親の菊
五郎ではなく、玉三郎なのではないか。先輩・玉三郎は、自分が
身に付け、さらに精進を重ねている真女形の真髄を後輩・菊之助
に伝えるとともに、菊之助の魅力を引き出すコツも知り尽してい
るのではないか。菊之助の方も、玉三郎の先輩としての厳しい心
遣いを受け止め、どこまでも、付いて行く気でいるように見受け
られた。

贅言1):「聴いたか坊主」の所化たちが、菊之助の花子に「白
拍子か生娘か」と問いかける場面があるが、「白拍子」は、性を
売る女性、「生娘」は、文字どおり、性の未経験者ということだ
から、ダブる花子とは、性を体験した者と未体験の者、つまり、
性を通過する前と通過した後、という、花子のなかの時間性を隠
しているのではないか、という思いもよぎる。まあ、これは、ひ
とつの深読み。

贅言2):さすがの玉三郎も、55歳。菊之助28歳の若さに
は、勝てないので、その辺りは、無理をしていない。玉三郎の踊
りは、大きくて、ゆるりとして、間とメリハリが、充分に効いて
いる。菊之助の所作は、やや、早い。テキパキして、若さがあ
る。姉妹のように見えるし、「手鞠」のところでは、玉三郎は、
ちいさくゆるりと円を描いたし、菊之助は、大きく、それも早く
廻っていた。ときには、2本のスプーンを重ねたように、ふたり
が、一人の娘の裏表のように見える。今回は、2年前と違って、
2階席から拝見したので、余計に、一人の娘が、立体的に見えた
かもしれない。3月の歌舞伎座は、菊之助が、「二人椀久」で、
幻の松山太夫を踊る。これも、愉しみ。

「人情噺小判一両」は、宇野信夫原作の新歌舞伎。私は、初見。
1936(昭和11)年、歌舞伎座で初演された。六代目菊五郎
と初代吉右衛門、いわゆる「菊・吉」コンビで上演されたものだ
が、落ちぶれた武家の親子が、笊屋に同情され、「一両」恵まれ
たのを屈辱に感じ、父親が自害するという噺。町人の善意と武家
の矜持の違いを強調したかったのだろうが、「情けが仇」という
古くさいテーマで、興醒め。「京鹿子娘二人道成寺」で、盛り上
がった感興を、引き降ろす演目の選択、あるいは、上演の順番
は、いくら、「菊・吉」でトリといっても、なんとかなら無かっ
たのかと、思う。茶店娘のおかよを演じた松也が、初々しく、可

憐だったのが、唯一の慰め。このほか、笊屋の安七(菊五郎)、
浅尾申三郎(吉右衛門)、小森孫市(田之助)。

3月の歌舞伎座は、十三代目仁左衛門の十三回忌追善狂言が上演
される。昼の部は、仁左衛門の「道明寺」。夜の部は、我當の
「近頃河原の達引」。
- 2006年2月28日(火) 21:43:22
2006年2月・歌舞伎座 (昼/「春調娘七種」「一谷嫩軍記
〜陣門、組打〜」「お染久松 浮塒鴎」「極付 幡随長兵衛」)

「春調娘七種」は、2回目。前回は、98年2月の歌舞伎座で
は、私の劇評の記録がないから、「遠眼鏡戯場観察」は、初登
場。前回私が観たのは、上演記録によれば、秀太郎の静御前に田
之助の曽我十郎、我當の五郎という配役だが、記憶が、定かでは
ない。

「曽我もの」の所作事。曽我十郎、五郎に、なぜか、静御前が付
き合う。破風の御殿は、工藤祐経の館。大セリに乗って、静御前
(芝雀)を中心に上手に十郎(橋之助)、下手に五郎(歌昇)が
付き添って、セリ上がって来る。橋之助の斜めの横顔が、芝翫に
見えた。静御前は、春の七草を入れた籠を持ち、両脇のふたり
は、大小の鼓を持っている。背景の中央は、白梅の巨木。その左
右に若竹、上下に松。

七草の行事にことよせて、3人で工藤の館に乗込んで来たのだ。
静御前と上手の十郎は、踊りの最中も、距離が殆ど変わらない
が、静御前と下手の五郎の距離が近い事が多い。工藤邸で舞いな
がら、五郎は、再三、工藤祐経の姿が眼に入るといきり立つの
で、静御前が、諌めるために近くにいなければならない。その
点、十郎は、あまり、感情を出さない。

歌昇の踊りは、メリハリがある。芝雀の踊りは、たおやかであ
る。橋之助の踊りは、ゆるゆると滑らかである。それでいて、3
人の踊りが、ひとところに収斂して行かない。工藤を巡り感情
が、それぞれ起伏するのに、踊りが緩怠にしかならないからだろ
うか。「七種(ななぐさ)なづな御形(ごぎょう)田平子(たび
らこ)仏の座菘(すずな)清白(すずしろ)芹薺(なずな)」が
唄い込まれる。

まな板を取り出し、擂り粉木で七草を叩く仕草は、太鼓を打って
いるよう。静御前、十郎、五郎の順で、繰り返す辺りは、愉し
い。四拍子の笛に田中傅太郎が、姿を見せる。久しぶり。

「一谷嫩軍記〜陣門、組打〜」は、4回目の拝見。ここの熊谷直
実は、3回は、幸四郎。1回が、吉右衛門。小次郎と敦盛は、染
五郎が2回、梅玉、そして、今回は、福助。福助は、久しぶりの
立役だが、足の運びが、女形のまま。

これは、本来、観客にとっては、小次郎、敦盛が、別人となって
いる。「熊谷陣屋」の場面になって、初めて、敦盛には、小次郎
が化けていて、敦盛を助ける代りに父の手で小次郎が殺されたと
いう真相が明らかにされるので、観客は、同じ役者のふた役と
思っている。ところが、今回は、小次郎に扮して、戦場離脱す
る、本物の敦盛を芝のぶが演じ、花道七三で敦盛(芝のぶ)が、
顔を見せるので、その後、敦盛に化けたのが、小次郎(福助)だ
と観客に判らせる演出をとっている。こういう演出は、私は、初
めて観た。芝のぶは、本物の敦盛として、観客に顔を見せなが
ら、筋書に名前が載らないというのも、歌舞伎のルールか。芝の
ぶの敦盛は、福助の偽の敦盛より、気品が感じられた。

しかし、さはさりながら、ここは、原作者・並木宗輔らの策略を
壊してしまう演出ではないだろうか。兜で顔を隠したままの小次
郎(実は、吹き替え)は、いわば、「見せない」トリックであ
り、そこにこそ、「陣門・組打」の隠し味があったのではないだ
ろうか。それをあっさり、止めてしまうことのマイナスの方が、
大きいように思えるが。いかがだろうか。

玉織姫は、病気休演中の澤村藤十郎、松江時代の魁春、勘太郎、
そして、今回は、芝雀。憎まれ役の平山武者所は、亡くなった坂
東吉弥、芦燕、今回含め2回の錦吾。平山武者所は、この芝居で
は、キーパーソンで、この人が、憎まれ役を買ってでないと芝居
が成り立たない。なぜなら、彼の出番を思い出せば、一目瞭然。
まず、「陣門」では、小次郎に遅れをとった腹いせに、小次郎を
平家の陣門のなかへ入るよう唆す。次いで、追い付いて来た熊谷
直実にも、自分が止めたのに、小次郎は、先陣を切って陣門のな
かに入ったと嘘を言い、直実は、わが子を救いに行く。そのく
せ、自分は、陣門の外で様子を観ていて、あわよくば、手柄だけ
をひとりじめしようとしている。喜劇こそ、芝居だとすれば、平
山は、ドラマチックに芝居を支える。

次の須磨の浜辺では、敦盛の許嫁の玉織姫を口説き、従わないと
なれば、姫を斬り付ける。横恋慕と卑怯は、同質の邪悪だという
ことが判る。芝居は、悲劇こそおもしろいという原則から見れ
ば、平山は、またまた、芝居を支える。戦場にあって風雅の心を
忘れない小次郎を引き立てるために、源氏方、坂東武者の「がさ
つさ」を表現する役回りも、平山武者所登場の隠し味。

さらに、直実が、敦盛に扮したわが子小次郎と組み打ちになり、
首を落そうかどうか逡巡していると遠くで観ていた平山が、それ
では、「直実に二心あり」と揶揄するではないか。それを聴いた
直実は、意を決して、わが子を殺す。これで、芝居は展開し出す
というわけで、憎まれ役こそ、世に、いや、芝居に憚(はばか)
る。錦吾が憎まれ役を好演。

福助の小次郎・敦盛は、いまひとつ。初陣の小次郎の初々しさ、
若武者としての敦盛の気品など、総じて若さが、表現できていな
いのは、残念。

幸四郎は、いつものオーバーアクションだが、こういう時代物で
は、それが嵌るから不思議だ。こころを形にしてみせるのが、歌
舞伎の演技なら、これは、常道だろうし、今回は、いつものオー
バーアクションが、常道の拉致のうちに納まっていたように見受
けられた。

幸四郎の熊谷と福助の小次郎扮する敦盛は、須磨の海に馬で乗り
入れながら、「浪手摺」のすぐ向こうの、浅瀬で、立回りをした
だけで、浅葱幕を振り被せにしてしまい、いつものような子役を
使った「遠見」を見せなかった(3年前の幸四郎は、この場面、
定式の演出を許していた。それは、こうだ。「海原の大道具の間
で、浪幕が動めく。幕の下に入った人が幕を上下に動かして、大
浪を表現している。浪が、敦盛の行く手を阻もうとする。下手に
入った敦盛は、子役による「遠見」となって、再び、舞台に出て
来る。そういう距離感の出し方をするのが、歌舞伎の演出だ」
と、私は、書いた)。これも、幸四郎の演出。敦盛ではないわが
子小次郎と父親の直実の悲劇を凝縮してみせようという狙いだと
いう。しかし、これも、いかがであろうか。遠近法を生身の子役
を使って表現するというのは、大衆劇としての、歌舞伎の原点に
関わる重大な発想ではないかと思う。総じて、荒唐無稽な演出
は、歌舞伎の隠し味であり、それを理詰めで、止めてしまうと歌
舞伎ではない、別の演劇で済んでしまうことになりかねない。

浅葱幕の上手側から、敦盛を乗せていた白馬が、無人で、出て来
る。本舞台を横切り、後ろ髪ならぬ、鬣(たてがみ)の後ろを引
かれるようにしながら、花道から揚幕へと入って行く。敦盛、い
や、小次郎の悲劇を予感させるが、ここは、いつもの演出。浅葱
幕の振り落しがあり、舞台中央に朱の消し幕。熊谷と小次郎の敦
盛が、セリ上がって来る。組み打ちの場面。長い立回りとわが子
を殺さざるをえない父親直実の悲哀。親子の別れをたっぷり演じ
る幸四郎。須磨の浦の沖を行く2艘の船は、下手から上手へゆる
りと移動する。2艘の船は、いわば、時計替り。悠久の時間の流
れと対比される人間たちの卑小な争い、大河のような歴史のなか
で翻弄される人間の軽さをも示す巧みな演出。

贅言:竹本の綾太夫は、「くまが『え』〜のじろう〜なおざね」
を始め、盛んに「くまがえ」「くまがえ」を繰り返す。「くまが
い」では、力が入らないのだろう。

敦盛に扮したわが子小次郎の鎧兜を自分の黒馬の背に載せ、紫の
袰(ほろ)の布を切り取って、わが子の首を包む父親の悲哀。黒
馬の顔に自分の顔を寄せて、観客席に背を向けて、肩を揺すり、
号泣する父親。その父親は、また、豪宕な東国武者・熊谷次郎直
実であることが、見えて来なければならないだろう。剛直であり
ながら、てきぱきと「戦後処理」をするという、実務にも長けた
武将・直実の姿が、明確に浮かんで来る。幕切れまで、重厚な場
面が続く。

「お染久松 浮塒鴎」。浅葱幕の振り落しで、舞台は、隅田川左
岸の三囲神社前の土手。ということは、客席は、隅田川の河川敷
か、川のなかということになる。下手、奥、遠く見えるのは筑波
山だろう。舞台下手には、茅葺きの家。薄い紅梅が咲いている。
紅梅、白梅、そして土手の上に上部のみ見える鳥居。紅梅、石灯
籠、白梅に松。

菊之助、橋之助の「お染・久松」。気に入らない結婚話に家を飛
び出して来た質屋の娘・お染。恋仲の丁稚・久松。女性の方が、
積極的で、引っ張って行く。「わしゃ、死にたい、死にたい、死
にたいわいなあ」とお染。恨みつらみが、エネルギーとなる。な
だめながらも、気の弱い久松。優しい男だが、優柔不断。気の強
い女性は、優柔不断男が好き。

芝翫の「女猿曵」。先月、病気休演した芝翫の久しぶりの登場。
ことし初めての舞台だ。後見に芝のぶが付き添う。手際良いサ
ポートが、鮮やかに見える。芝翫が登場すると、「お染・久松」
も、背景になってしまう。動かない。芝翫の独壇場。女猿曵の扱
う「四つ竹」は、和製カスタネット。扇子の絵柄は、「若松に
鶴」と「太陽に鶴」の裏表。「お染久松」の歌祭文で意見をす
る。芝翫の貫禄。

「極付幡随長兵衛」は、4回目。前回、03年5月の歌舞伎座
は、地方から東京への人事異動の時期に引っ掛かり、忙しくて、
見に行けなかったのを思い出した。だから、5年ぶりの幡随長兵
衛だ。

私が観た長兵衛は、橋之助、團十郎、吉右衛門(今回ふくめ、2
回目)。白柄(しらつか)組の元締め・水野十郎左衛門は、八十
助時代の三津五郎、幸四郎、富十郎、そして、今回の菊五郎。お
時は、福助、時蔵、松江時代の魁春、そして、今回の玉三郎。ほ
かにも登場人物はいろいろいるが、この芝居は、村山座(後の市
村座のこと)という劇中劇の芝居小屋の場面が、観客席まで、大
道具として利用していて、奥行きのある立体的な演劇空間をつく
り出していて、ユニーク。ツケ打ち役は、坂東大和。名古屋山三
のように客席から舞台に上がる吉右衛門の長兵衛。観客を喜ばせ
る演出だ。水野十郎左衛門は、徹底的に卑怯な奴だぞ。

「人は一代、名は末代」という哲学に裏打ちされた町奴・幡随長
兵衛の、愚直なまでの死を覚悟した男気をひたすら見せつける芝
居であり、長兵衛一家の若い者も、水野十郎左衛門の家中や友人
も、長兵衛を浮き彫りにする背景に過ぎない。そういう意味で
は、3人の長兵衛は、いずれも颯爽としていたが、台詞回しの巧
さでは、やはり、今回の吉右衛門が光っていた。策略の果てに湯
殿が、殺し場になる。殺し場の美学。長兵衛に風呂をすすめる腰
元に芝のぶ。

劇中劇(「公平法問諍 大薩摩連中」という看板)では、坂田公
平の團蔵が巧かった(私は、2回目の拝見。それ以前の2回は、
十蔵時代の市蔵)。

贅言:花川戸長兵衛内では、積物の提供者の品書き。二重舞台の
上手に「三社大権現」という掛け軸があり、下手二重舞台の入り
口には、祭礼の提灯。玄関の障子に大きく「幡」と「随」の2文
字。明治14(1881)年に河竹黙阿弥が江戸の下町の初夏を
鮮やかに描く。水野邸の奥庭には、池を挟んだ上手と下手に立派
な藤棚がある。
- 2006年2月22日(水) 21:50:10
2006年1月・歌舞伎座 (夜/「藤十郎の恋」「口上」「伽
羅先代萩」「島の千歳・関三奴」)

06年、最初の歌舞伎観劇は、1・3、歌舞伎座2日目。夜の部
から始める。四代目坂田藤十郎の襲名披露の舞台。「口上」のあ
るのは、夜の部だからだ。ただし、前売りチケットの傾向を見る
と、昼の部の方が、人気先行。夜の部は、3日と15日に拝見。

「藤十郎の恋」96年11月、歌舞伎座。2回目の拝見だが、サ
イトの劇評は、初登場。元禄時代の歌舞伎役者の藝談を集めた
「役者論語(やくしゃばなし)」のなかに蝟集された初代坂田藤
十郎の逸話が元になっている。菊池寛原作の新歌舞伎。1919
(大正8)年が初演。芝居小屋周辺の裏方が覗けて、おもしろ
い。まず、京都四條中島の芝居茶屋「宗清」の広間が覗ける。都
万太夫座の役者衆が、「顔寄せ」の酒宴を開いている。私も、一
度、歌舞伎座の「顔寄せ」を見せてもらったことがある。澤村長
十郎(芦燕)、中村四郎五郎(秀調)ら7人の役者に色子6人、
幇間(玉太郎)らが、江戸の人気役者で、いま、ライバルの長吉
座に出勤している初代中村七三郎(傾城事が巧かった)の噂をし
ている。座元若太夫(歌六)は、七三郎に対抗して、藤十郎(扇
雀)に近松の新作(「おさん茂兵衛」の不義密通がテーマ)の
「濡れ事」(セックスの場面)で、新機軸を打ち出すよう働きか
けている。役作りに悩む藤十郎。これが、伏線。

舞台が、廻って、藤十郎は、(廻る)廊下を通り、「宗清」の小
座敷に入る。独り、役作りの思案に耽る藤十郎。紺地に藤十郎の
紋を小紋にして白く染め抜いた着物を着ているのが、判る。そこ
へ、茶屋の女将お梶(時蔵)が、藤十郎の世話を焼くために入っ
て来る。美しい女将の姿を見ているうちに、藤十郎は、あること
を思いつき、仕掛ける。若い頃から、お梶に好意を抱き続けてい
たと告白し、20年の偲ぶ恋を前面に立てて、お梶をその気にさ
せる。時蔵は、ただ泣きふすばかりだったが、意を決して、締め
ていた前掛けを外し、行灯の火を吹き消すことで、積極的に愛に
応えようとする。前掛けを外す行為は、着物を脱ぎ、下着を取
り、全裸になる以上にエロチックに写る。時蔵は、前掛けを外す
ことで、お梶の心を裸にしたのだろう。だが、最後の最後、暗闇
のなかを逃げ出す藤十郎がいた。

都万太夫座の楽屋。「本日大入」「狂言出揃」などの貼紙。下手
から舞台袖への出入り口、楽屋出入り口、稲荷、頭取部屋、梅鉢
の紋の暖簾が架かった坂田藤十郎の楽屋入り口など役者衆の楽屋
が上手に向って続いているのが見える。おさんに扮する霧浪千寿
(高麗蔵)、お玉に扮する神崎源次(宗之助)らが、出入りす
る。役作りのために藤十郎の仕掛けた偽の恋の噂が、語られる。
楽屋で入り口に姿を見せたお梶は、噂を聴いてしまう。藤十郎へ
の燃える心と抑え込む心が、お梶のなかで、葛藤する。秘めた恋
を時蔵は、過不足なく演じる。居合わせた藤十郎と良い仲の遊女
美吉野(吉弥)の眼の色気。全てを悟ったお梶は、楽屋奥へ入り
込み、やがて、自害する。それを知り、動揺する藤十郎は、嘯
く。「藝の人気が、女子一人の命などで傷つけられてよいもの
か」。千寿の手を引いて、舞台に向う藤十郎。

定式幕から祝幕へ。「口上」は、雀右衛門が取り仕切る。役者衆
が居並ぶ背後の襖は、藤の花と抽象化された花丸のデザイン。雀
右衛門の下手に並ぶ新坂田藤十郎は、野郎頭の鬘。雀右衛門の挨
拶の後、上手へ、梅玉、魁春(女形)、歌六、歌昇、時蔵、東
蔵、我當、幸四郎。下手から、吉右衛門、秀太郎(女形)、段四
郎、福助、壱太郎、扇雀、翫雀、虎之介、藤十郎の順番。

皆、形式的な挨拶が目立つ。梅玉は、鴈治郎時代の著書「一生青
春」を引き合いに出す。歌昇は、藤十郎の海外志向の情熱にあや
かりたい。我當は、「坂田藤十郎は、歌舞伎全体の大名跡」と強
調。幸四郎は、3日と15日で挨拶を変え、15日は、「新藤十
郎は、何代目ということを強調せず、(初代を引き継ぐのだとい
う)決意のほどが判ると持ち上げ、場内の笑いを誘っていた。吉
右衛門は、上方成駒屋(藤十郎は、成駒屋から山城屋へ屋号を変
更する)の一門の発展を強調。段四郎は、上方和事の始祖の復
活、歌舞伎の世界遺産指定など。福助は、3日は、芝翫病気休演
を陳謝、15日は、触れず。扇雀は、成駒屋から山城屋になった
父親が、遠い存在になった、名字も、裃の色も、屋号も変わっ
た。成駒屋から離れて、自由の身になって、うらやましい、多少
の嫉妬も感じる、さらに活躍して欲しいが、成駒屋もよろしく。
翫雀は、70歳を過ぎてから、襲名披露に踏み切るエネルギーに
感嘆、山城屋も成駒屋も、ますます、芸道精進する。最後に、藤
十郎は、231年ぶりの大名跡の復活を強調。扇雀の長男、虎之
介は、初舞台。

「伽羅先代萩」は、「伊達騒動」という史実のお家騒動をベース
に、安永6(1777)年4月、奈河亀輔原作の狂言が、大坂中
の芝居で上演され、翌安永7(1778)年7月、「伽羅先代
萩」の書き換えとして、桜田治助らの合作の狂言「伊達競阿国戯
場」が、江戸の中村座で上演され、それぞれ、評判をとったとい
うことで、両方の「いいとこどり」が、いまのような上演形態に
なっている。いろいろな場面の組み合わせが可能な、興行主や役
者にとっては、はなはだ、都合の良い狂言ということになる。
「みどり狂言」として上演しやすいので、良く上演される。従っ
て、私も、多数見ている。今回は、7回目の拝見となる。

今回は、「御殿」、「床下」だけだが、上方歌舞伎の演出なの
で、これまでとは、いろいろ違いがあるので、愉しみにしてい
る。「花水橋」(5)、「竹の間」(3)、「御殿」(7)、
「床下」(7)。このほか、「対決」「刃傷」まで、観る場合も
ある。「竹の間」(銀地の襖に竹林が描かれている)、「御殿」
(金地の襖に竹林と雀が描かれている。通称「まま炊き」)。
「床下」は、上方も、江戸も、あまり変わらない。違うのは、
「御殿」。

観ていて気が付いたのだが、鴈治郎型というか、これからは、藤
十郎型になるのか、その違いは、まず、御殿の大道具の作りが違
う。人形浄瑠璃の演出に忠実だという。上手に鶴千代の部屋が作
られている。八汐差し入れの毒饅頭を犠牲的精神で試食し、苦し
む千松(政岡の実子)を横目に、舞台中央下手寄りに立ち、鶴千
代を打ち掛けで庇護する代りに、鶴千代を上手の部屋に入れ、左
手を襖に、右手で懐剣を構え、若君を守護する。上手に居た栄御
前は、素早く居どころを舞台中央下手へ替る(贅言:上方歌舞伎
流の「けれん」という)。千松の喉に、八汐が懐剣を差し込み、
千松が苦しむときに、上手の柱に抱きつき(贅言:「抱き柱」と
いう)、殆ど動かず、無言で耐え忍び続け、悲しみ、苦しみを抑
えて、肚で演じるなど、江戸歌舞伎の演出と異なる場面がある。
「三千世界に子を持った親の心は皆ひとつ、・・・」などのクド
キも、従来より、息を詰めて言い、竹本の語りと三味線の糸に乗
り、テンポ良く、音楽劇を優先する演出を取る。従って、情の迸
りがない。藤十郎の政岡は、母性が弱い。だが、母性とは別に観
れば、まま炊きの場面では、米を研ぐ所作など、藤十郎は、体全
体で米を研ぐさまを演じていて、これは、これで、おもしろかっ
た。科白より、所作というのも、上方歌舞伎独特の演出なのだろ
うが、判りやすい演出だ。初舞台の虎之介は、声が良く通り、落
ち着いていて、大器の兆しあり、末頼もしく、拝見した。

しかし、私の印象では、「先代萩」は、やはり、「母の情愛」を
「政岡」役者が、どう演じたかが、ポイントだと思うので、上方
演出より、江戸演出の方が、好きだ。95年10月の歌舞伎座か
ら見始めた、政岡は、玉三郎、雀右衛門、福助、菊五郎、玉三
郎、菊五郎、藤十郎。つまり、玉三郎と菊五郎が、2回というこ
とで、5人の役者の政岡を観ていることになる。いちばん印象に
残るのは、1回しか観ていない雀右衛門で、次いで、玉三郎。例
えば、01年10月、歌舞伎座で、2回目の拝見となった玉三郎
の舞台。

「凄みがあったのは、玉三郎。前回、政岡初演の玉三郎だった
が、今回は、特に充実していた。6年間の蓄積が滲み出ている舞
台だ」。栄御前を廊下に送りに出た「玉三郎の眼の鋭さ。6年前
より、充実した玉三郎の演技の象徴は、このときの、この眼の鋭
さにあると感じた」。栄御前が向う揚幕ならぬ「襖」(この場
合、花道は、長い廊下なのである。だから、いつもの揚幕の代わ
りに花道の向うには、襖が取り付けられている)のなかに消える
と、玉三郎の政岡は、「途端に表情が崩れ、我が子・千松を殺さ
れた母の激情が迸る。誰もいなくなった奥殿には、千松の遺体が
横たわっている。堪えに堪えていた母の愛情が、政岡を突き動か
す名場面である。打ち掛けを千松の遺体に掛ける政岡。打ち掛け
を脱いだ後の、真っ赤な衣装は、我が子を救えなかった母親の血
の叫びを現しているのだろう。このあたりの歌舞伎の色彩感覚も
見事だ。『三千世界に子を持った親の心は皆ひとつ』という『く
どき』の名台詞に、『胴欲非道な母親がまたと一人あるものか』
と竹本が、追い掛け、畳み掛け、観客の涙を搾り取る」。

藤十郎の上方演出には、そういう激情の迸りがない。藤十郎に
とって、千松を演じた虎之介(母親にの、次男の扇雀の息子)
は、孫に当たるので、祖父と孫の感情を援用すれば、母性にも通
じる部分はあろうかと思うが、情愛が、細やかに、迸らない嫌い
がある。肚より、所作、科白で、明確にメッセージを送って来る
玉三郎の演技の方が、私は、好きだ。母親の情愛は、激情しか無
いであろうと思う。

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐である。政岡
で印象に残るのが、雀右衛門、玉三郎なら、八汐で印象に残るの
は、何といっても、仁左衛門。八汐は、性根から悪人という女性
で、最初は、正義面をしているが、だんだん、化けの皮を剥がさ
れて行くに従い、そういう不敵な本性を顕わして行くというプロ
セスを表現する演技が、できなければならない。それができたの
が、私が観た5人の八汐では、仁左衛門の演技であった。八汐
は、ある意味で、冷徹なテロリストである。そこの、性根を持た
ないと、八汐は演じられない。千松を刺し貫き、「お家を思う八
汐の忠義」と言い放つ八汐。因に、私が観た八汐:仁左衛門
(2)、團十郎(2)、勘九郎、段四郎、そして今回の梅玉。

梅玉の八汐は、冷酷というよりも、無表情。科白も唄っている。
仁左衛門の八汐とは、対極にあった。「憎まれ役」の凄みが、
徐々に出て来るのではなく、最初から、「悪役」になってしまっ
ていた。悪役と憎まれ役は、似ているようだが、違うだろう。悪
役は、善玉、悪玉と比較されるように、最初から悪役である。と
ころが、憎まれ役は、他者との関係のなかで、憎まれて「行く」
という、プロセスが、伝わらなければ、憎まれ役には、なれない
という宿命を持つ。そのあたりの違いが判らないと、憎まれ役
は、演じられない。これが、意外と判っていない。役者も役者だ
が、評論家も評論家だ。これは、まさに、「石切梶原」の世界で
は無いか。

典型的な悪役といえば、今回の「伽羅先代萩」では、「床下」後
半に出て来る仁木弾正の役どころであろう。そういう意味で、今
回の幸四郎の仁木弾正は、良かった。「床下」前半の、吉右衛門
の荒獅子男之助も、初役ながら、大らかで、大きく良かった。坂
田藤十郎の襲名披露興行という、231年ぶりの興行で無けれ
ば、実現しない顔ぶれだろう。歌舞伎は、こういうご馳走の見ど
ころがあるから、おもしろいのである。今回の「先代萩」は、実
は、「床下」こそ、最大の目玉演目だったのでは無いか。

「床下」に、ちょいちょいと出て来た播磨屋と高麗屋の兄弟が、
同時に一つの舞台に出ているというかなり珍しい見せ場こそ、注
目される。それぞれ、軸になる役者に成長したふたりは、同じ興
行の舞台で楽屋入りするものの、出し物は、それぞれを軸にした
ものになるため、同じ一つの舞台に立つことは、殆ど無い。吉右
衛門が、「取り逃がしたか。(柝の頭)残念や」見得、拍子幕。
幕引き付ける。幸四郎は、「むむははは」で、出端、見得、
「く」の字にそらした立ち姿。そのまま、花道を滑るように歩ん
で行く。幸四郎は、こういう役回りになると、実に、巧い。

「島の千歳・関三奴」は、前半、福助の「島の千歳」で、伝説の
白拍子千歳は、白拍子の元祖といわれる。長唄と立鼓(小鼓)
が、望月朴清。舞台の上下に松。背景は、海に出張った灯台の遠
景。せり上がりで、千歳(福助)登場。烏帽子、紫の水干を着
て、腰に太刀を佩いているという」男姿の白拍子。まず、男舞、
次いで、娘に戻って、本格的に舞う。

暗転、太鼓で「繋ぎ」。次いで、「関三奴」。こちらは、四拍子
と長唄。黒の市松模様の衣装をベースに橋之助の奴。緑の市松模
様の衣装ををベースに染五郎の奴。橋之助は、赤っ面に黒の毛槍
を持つ。染五郎は、白塗で、白い毛槍を持つ。

背景は、下手が蔵屋敷、中央に城(江戸城)、上手に関所。江戸
は、日本橋の風情。橋之助は、赤地に成駒屋の紋を染め抜いた衣
装。染五郎は、高麗屋の紋を染め抜いている。

いずれにせよ、231年ぶり、大名跡のカーニバルは、終った。
私の劇評が、きょう、掲載されたが、歌舞伎座の舞台は、26日
で終ってしまった。鴈治郎から藤十郎へ替って良かったのかどう
か。鴈治郎の延長線上に築かれる上方歌舞伎と231年ぶりに復
活したものの、大勢の観客には、坂田藤十郎より、長年親しんだ
鴈治郎の名前の方に親しみを感じる人も多いだろう。京都南座
は、満席になったようだが、歌舞伎座は、最後まで、満席にはな
らなかった。東京の歌舞伎ファンは、冷静だ。「鴈治郎から藤十
郎へ」。その成否の結論を出すのは、実は、藤十郎自身だという
ことを藤十郎は、忘れずに、後、何年もかけて、21世紀の「初
代」藤十郎を目指して、芸道精進して、私たちの眼を楽しませて
欲しいと、思う。
- 2006年1月29日(日) 20:46:53
2006年1月・歌舞伎座 (夜/「藤十郎の恋」「口上」「伽
羅先代萩」「島の千歳・関三奴」)

06年、最初の歌舞伎観劇は、1・3、歌舞伎座2日目。夜の部
から始める。四代目坂田藤十郎の襲名披露の舞台。「口上」のあ
るのは、夜の部だからだ。ただし、前売りチケットの傾向を見る
と、昼の部の方が、人気先行。夜の部は、3日と15日に拝見。

「藤十郎の恋」96年11月、歌舞伎座。2回目の拝見だが、サ
イトの劇評は、初登場。元禄時代の歌舞伎役者の藝談を集めた
「役者論語(やくしゃばなし)」のなかに蝟集された初代坂田藤
十郎の逸話が元になっている。菊池寛原作の新歌舞伎。1919
(大正8)年が初演。芝居小屋周辺の裏方が覗けて、おもしろ
い。まず、京都四條中島の芝居茶屋「宗清」の広間が覗ける。都
万太夫座の役者衆が、「顔寄せ」の酒宴を開いている。私も、一
度、歌舞伎座の「顔寄せ」を見せてもらったことがある。澤村長
十郎(芦燕)、中村四郎五郎(秀調)ら7人の役者に色子6人、
幇間(玉太郎)らが、江戸の人気役者で、いま、ライバルの長吉
座に出勤している初代中村七三郎(傾城事が巧かった)の噂をし
ている。座元若太夫(歌六)は、七三郎に対抗して、藤十郎(扇
雀)に近松の新作(「おさん茂兵衛」の不義密通がテーマ)の
「濡れ事」(セックスの場面)で、新機軸を打ち出すよう働きか
けている。役作りに悩む藤十郎。これが、伏線。

舞台が、廻って、藤十郎は、(廻る)廊下を通り、「宗清」の小
座敷に入る。独り、役作りの思案に耽る藤十郎。紺地に藤十郎の
紋を小紋にして白く染め抜いた着物を着ているのが、判る。そこ
へ、茶屋の女将お梶(時蔵)が、藤十郎の世話を焼くために入っ
て来る。美しい女将の姿を見ているうちに、藤十郎は、あること
を思いつき、仕掛ける。若い頃から、お梶に好意を抱き続けてい
たと告白し、20年の偲ぶ恋を前面に立てて、お梶をその気にさ
せる。時蔵は、ただ泣きふすばかりだったが、意を決して、締め
ていた前掛けを外し、行灯の火を吹き消すことで、積極的に愛に
応えようとする。前掛けを外す行為は、着物を脱ぎ、下着を取
り、全裸になる以上にエロチックに写る。時蔵は、前掛けを外す
ことで、お梶の心を裸にしたのだろう。だが、最後の最後、暗闇
のなかを逃げ出す藤十郎がいた。

都万太夫座の楽屋。「本日大入」「狂言出揃」などの貼紙。下手
から舞台袖への出入り口、楽屋出入り口、稲荷、頭取部屋、梅鉢
の紋の暖簾が架かった坂田藤十郎の楽屋入り口など役者衆の楽屋
が上手に向って続いているのが見える。おさんに扮する霧浪千寿
(高麗蔵)、お玉に扮する神崎源次(宗之助)らが、出入りす
る。役作りのために藤十郎の仕掛けた偽の恋の噂が、語られる。
楽屋で入り口に姿を見せたお梶は、噂を聴いてしまう。藤十郎へ
の燃える心と抑え込む心が、お梶のなかで、葛藤する。秘めた恋
を時蔵は、過不足なく演じる。居合わせた藤十郎と良い仲の遊女
美吉野(吉弥)の眼の色気。全てを悟ったお梶は、楽屋奥へ入り
込み、やがて、自害する。それを知り、動揺する藤十郎は、嘯
く。「藝の人気が、女子一人の命などで傷つけられてよいもの
か」。千寿の手を引いて、舞台に向う藤十郎。

定式幕から祝幕へ。「口上」は、雀右衛門が取り仕切る。役者衆
が居並ぶ背後の襖は、藤の花と抽象化された花丸のデザイン。雀
右衛門の下手に並ぶ新坂田藤十郎は、野郎頭の鬘。雀右衛門の挨
拶の後、上手へ、梅玉、魁春(女形)、歌六、歌昇、時蔵、東
蔵、我當、幸四郎。下手から、吉右衛門、秀太郎(女形)、段四
郎、福助、壱太郎、扇雀、翫雀、虎之介、藤十郎の順番。

皆、形式的な挨拶が目立つ。梅玉は、鴈治郎時代の著書「一生青
春」を引き合いに出す。歌昇は、藤十郎の海外志向の情熱にあや
かりたい。我當は、「坂田藤十郎は、歌舞伎全体の大名跡」と強
調。幸四郎は、3日と15日で挨拶を変え、15日は、「新藤十
郎は、何代目ということを強調せず、(初代を引き継ぐのだとい
う)決意のほどが判ると持ち上げ、場内の笑いを誘っていた。吉
右衛門は、上方成駒屋(藤十郎は、成駒屋から山城屋へ屋号を変
更する)の一門の発展を強調。段四郎は、上方和事の始祖の復
活、歌舞伎の世界遺産指定など。福助は、3日は、芝翫病気休演
を陳謝、15日は、触れず。扇雀は、成駒屋から山城屋になった
父親が、遠い存在になった、名字も、裃の色も、屋号も変わっ
た。成駒屋から離れて、自由の身になって、うらやましい、多少
の嫉妬も感じる、さらに活躍して欲しいが、成駒屋もよろしく。
翫雀は、70歳を過ぎてから、襲名披露に踏み切るエネルギーに
感嘆、山城屋も成駒屋も、ますます、芸道精進する。最後に、藤
十郎は、231年ぶりの大名跡の復活を強調。扇雀の長男、虎之
介は、初舞台。

「伽羅先代萩」は、「伊達騒動」という史実のお家騒動をベース
に、安永6(1777)年4月、奈河亀輔原作の狂言が、大坂中
の芝居で上演され、翌安永7(1778)年7月、「伽羅先代
萩」の書き換えとして、桜田治助らの合作の狂言「伊達競阿国戯
場」が、江戸の中村座で上演され、それぞれ、評判をとったとい
うことで、両方の「いいとこどり」が、いまのような上演形態に
なっている。いろいろな場面の組み合わせが可能な、興行主や役
者にとっては、はなはだ、都合の良い狂言ということになる。
「みどり狂言」として上演しやすいので、良く上演される。従っ
て、私も、多数見ている。今回は、7回目の拝見となる。

今回は、「御殿」、「床下」だけだが、上方歌舞伎の演出なの
で、これまでとは、いろいろ違いがあるので、愉しみにしてい
る。「花水橋」(5)、「竹の間」(3)、「御殿」(7)、
「床下」(7)。このほか、「対決」「刃傷」まで、観る場合も
ある。「竹の間」(銀地の襖に竹林が描かれている)、「御殿」
(金地の襖に竹林と雀が描かれている。通称「まま炊き」)。
「床下」は、上方も、江戸も、あまり変わらない。違うのは、
「御殿」。

観ていて気が付いたのだが、鴈治郎型というか、これからは、藤
十郎型になるのか、その違いは、まず、御殿の大道具の作りが違
う。人形浄瑠璃の演出に忠実だという。上手に鶴千代の部屋が作
られている。八汐差し入れの毒饅頭を犠牲的精神で試食し、苦し
む千松(政岡の実子)を横目に、舞台中央下手寄りに立ち、鶴千
代を打ち掛けで庇護する代りに、鶴千代を上手の部屋に入れ、左
手を襖に、右手で懐剣を構え、若君を守護する。上手に居た栄御
前は、素早く居どころを舞台中央下手へ替る(贅言:上方歌舞伎
流の「けれん」という)。千松の喉に、八汐が懐剣を差し込み、
千松が苦しむときに、上手の柱に抱きつき(贅言:「抱き柱」と
いう)、殆ど動かず、無言で耐え忍び続け、悲しみ、苦しみを抑
えて、肚で演じるなど、江戸歌舞伎の演出と異なる場面がある。
「三千世界に子を持った親の心は皆ひとつ、・・・」などのクド
キも、従来より、息を詰めて言い、竹本の語りと三味線の糸に乗
り、テンポ良く、音楽劇を優先する演出を取る。従って、情の迸
りがない。藤十郎の政岡は、母性が弱い。だが、母性とは別に観
れば、まま炊きの場面では、米を研ぐ所作など、藤十郎は、体全
体で米を研ぐさまを演じていて、これは、これで、おもしろかっ
た。科白より、所作というのも、上方歌舞伎独特の演出なのだろ
うが、判りやすい演出だ。初舞台の虎之介は、声が良く通り、落
ち着いていて、大器の兆しあり、末頼もしく、拝見した。

しかし、私の印象では、「先代萩」は、やはり、「母の情愛」を
「政岡」役者が、どう演じたかが、ポイントだと思うので、上方
演出より、江戸演出の方が、好きだ。95年10月の歌舞伎座か
ら見始めた、政岡は、玉三郎、雀右衛門、福助、菊五郎、玉三
郎、菊五郎、藤十郎。つまり、玉三郎と菊五郎が、2回というこ
とで、5人の役者の政岡を観ていることになる。いちばん印象に
残るのは、1回しか観ていない雀右衛門で、次いで、玉三郎。例
えば、01年10月、歌舞伎座で、2回目の拝見となった玉三郎
の舞台。

「凄みがあったのは、玉三郎。前回、政岡初演の玉三郎だった
が、今回は、特に充実していた。6年間の蓄積が滲み出ている舞
台だ」。栄御前を廊下に送りに出た「玉三郎の眼の鋭さ。6年前
より、充実した玉三郎の演技の象徴は、このときの、この眼の鋭
さにあると感じた」。栄御前が向う揚幕ならぬ「襖」(この場
合、花道は、長い廊下なのである。だから、いつもの揚幕の代わ
りに花道の向うには、襖が取り付けられている)のなかに消える
と、玉三郎の政岡は、「途端に表情が崩れ、我が子・千松を殺さ
れた母の激情が迸る。誰もいなくなった奥殿には、千松の遺体が
横たわっている。堪えに堪えていた母の愛情が、政岡を突き動か
す名場面である。打ち掛けを千松の遺体に掛ける政岡。打ち掛け
を脱いだ後の、真っ赤な衣装は、我が子を救えなかった母親の血
の叫びを現しているのだろう。このあたりの歌舞伎の色彩感覚も
見事だ。『三千世界に子を持った親の心は皆ひとつ』という『く
どき』の名台詞に、『胴欲非道な母親がまたと一人あるものか』
と竹本が、追い掛け、畳み掛け、観客の涙を搾り取る」。

藤十郎の上方演出には、そういう激情の迸りがない。藤十郎に
とって、千松を演じた虎之介(母親にの、次男の扇雀の息子)
は、孫に当たるので、祖父と孫の感情を援用すれば、母性にも通
じる部分はあろうかと思うが、情愛が、細やかに、迸らない嫌い
がある。肚より、所作、科白で、明確にメッセージを送って来る
玉三郎の演技の方が、私は、好きだ。母親の情愛は、激情しか無
いであろうと思う。

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐である。政岡
で印象に残るのが、雀右衛門、玉三郎なら、八汐で印象に残るの
は、何といっても、仁左衛門。八汐は、性根から悪人という女性
で、最初は、正義面をしているが、だんだん、化けの皮を剥がさ
れて行くに従い、そういう不敵な本性を顕わして行くというプロ
セスを表現する演技が、できなければならない。それができたの
が、私が観た5人の八汐では、仁左衛門の演技であった。八汐
は、ある意味で、冷徹なテロリストである。そこの、性根を持た
ないと、八汐は演じられない。千松を刺し貫き、「お家を思う八
汐の忠義」と言い放つ八汐。因に、私が観た八汐:仁左衛門
(2)、團十郎(2)、勘九郎、段四郎、そして今回の梅玉。

梅玉の八汐は、冷酷というよりも、無表情。科白も唄っている。
仁左衛門の八汐とは、対極にあった。「憎まれ役」の凄みが、
徐々に出て来るのではなく、最初から、「悪役」になってしまっ
ていた。悪役と憎まれ役は、似ているようだが、違うだろう。悪
役は、善玉、悪玉と比較されるように、最初から悪役である。と
ころが、憎まれ役は、他者との関係のなかで、憎まれて「行く」
という、プロセスが、伝わらなければ、憎まれ役には、なれない
という宿命を持つ。そのあたりの違いが判らないと、憎まれ役
は、演じられない。これが、意外と判っていない。役者も役者だ
が、評論家も評論家だ。これは、まさに、「石切梶原」の世界で
は無いか。

典型的な悪役といえば、今回の「伽羅先代萩」では、「床下」後
半に出て来る仁木弾正の役どころであろう。そういう意味で、今
回の幸四郎の仁木弾正は、良かった。「床下」前半の、吉右衛門
の荒獅子男之助も、初役ながら、大らかで、大きく良かった。坂
田藤十郎の襲名披露興行という、231年ぶりの興行で無けれ
ば、実現しない顔ぶれだろう。歌舞伎は、こういうご馳走の見ど
ころがあるから、おもしろいのである。今回の「先代萩」は、実
は、「床下」こそ、最大の目玉演目だったのでは無いか。

「床下」に、ちょいちょいと出て来た播磨屋と高麗屋の兄弟が、
同時に一つの舞台に出ているというかなり珍しい見せ場こそ、注
目される。それぞれ、軸になる役者に成長したふたりは、同じ興
行の舞台で楽屋入りするものの、出し物は、それぞれを軸にした
ものになるため、同じ一つの舞台に立つことは、殆ど無い。吉右
衛門が、「取り逃がしたか。(柝の頭)残念や」見得、拍子幕。
幕引き付ける。幸四郎は、「むむははは」で、出端、見得、
「く」の字にそらした立ち姿。そのまま、花道を滑るように歩ん
で行く。幸四郎は、こういう役回りになると、実に、巧い。

「島の千歳・関三奴」は、前半、福助の「島の千歳」で、伝説の
白拍子千歳は、白拍子の元祖といわれる。長唄と立鼓(小鼓)
が、望月朴清。舞台の上下に松。背景は、海に出張った灯台の遠
景。せり上がりで、千歳(福助)登場。烏帽子、紫の水干を着
て、腰に太刀を佩いているという」男姿の白拍子。まず、男舞、
次いで、娘に戻って、本格的に舞う。

暗転、太鼓で「繋ぎ」。次いで、「関三奴」。こちらは、四拍子
と長唄。黒の市松模様の衣装をベースに橋之助の奴。緑の市松模
様の衣装ををベースに染五郎の奴。橋之助は、赤っ面に黒の毛槍
を持つ。染五郎は、白塗で、白い毛槍を持つ。

背景は、下手が蔵屋敷、中央に城(江戸城)、上手に関所。江戸
は、日本橋の風情。橋之助は、赤地に成駒屋の紋を染め抜いた衣
装。染五郎は、高麗屋の紋を染め抜いている。

いずれにせよ、231年ぶり、大名跡のカーニバルは、終った。
私の劇評が、きょう、掲載されたが、歌舞伎座の舞台は、26日
で終ってしまった。鴈治郎から藤十郎へ替って良かったのかどう
か。鴈治郎の延長線上に築かれる上方歌舞伎と231年ぶりに復
活したものの、大勢の観客には、坂田藤十郎より、長年親しんだ
鴈治郎の名前の方に親しみを感じる人も多いだろう。京都南座
は、満席になったようだが、歌舞伎座は、最後まで、満席にはな
らなかった。東京の歌舞伎ファンは、冷静だ。「鴈治郎から藤十
郎へ」。その成否の結論を出すのは、実は、藤十郎自身だという
ことを藤十郎は、忘れずに、後、何年もかけて、21世紀の「初
代」藤十郎を目指して、芸道精進して、私たちの眼を楽しませて
欲しいと、思う。
- 2006年1月29日(日) 20:46:12
2006年1月・歌舞伎座 (昼/「鶴寿千歳」「夕霧名残の正
月」「奥州安達原」「万才」「曾根崎心中」)

江戸時代の上方歌舞伎の和事の創始者・坂田藤十郎の第名跡が、
231年ぶりに復活し、年末の京都南座の襲名披露興行に続い
て、歌舞伎座でも、披露された。今回は、中村鴈治郎改め、四代
目坂田藤十郎襲名披露の出し物にポイントを起きながら劇評をま
とめたい。

「鶴寿千歳」は、1928(昭和3)年の初演。昭和天皇即位の
大礼を記念して作られた箏曲の舞踊。歌舞伎の舞台では、珍しく
女性が、板に乗る(上手が、箏曲、下手が、四拍子という布
陣)。舞台は、甲州鶴峠(実際にある峠かどうか、私は、不詳)
の想定。デザイン化された松の巨木が舞台中央にある。雄鶴(梅
玉)と雌鶴(時蔵)が、競り上がって来るのは、松の上の空。紅
白の袴の番の鶴が、舞遊ぶ。やがて、松が描かれた幕が上がる
と、富士山の幕に替る。その変化で、番の鶴が、さらに、上空の
高みに舞い上がり、富士山を下に見ながら、舞っている様子が、
伺える。

幕間に披露された祝幕は、祇園祭の山鉾巡航の遠景。坂田藤十郎
の家紋が中央に大きく描かれている。上手に「のし」の字、下手
に坂田藤十郎丈江。

「夕霧名残の正月」は、新坂田藤十郎が、力を入れて東京の歌舞
伎の観客にぶつけて来た出し物と見た。初代坂田藤十郎が、生涯
で18回も演じたという「夕霧名残の正月」は、最近では、05
年12月の京都南座の舞台が最初ということで、今回が、2回
目。通称「吉田屋」の「廓文章」は、私でさえ、4回観ているほ
どだが、このうち、3回は、いずれも、仁左衛門の伊左衛門。外
題も、「夕霧伊左衛門廓文章 吉田屋」だった。残る1回は、鴈
治郎で、こちらの外題は、「玩辞楼十二曲の内」と銘打たれた
「廓文章 吉田屋」。鴈治郎の家の藝としての「吉田屋」という
位置付けだ。松嶋屋型の伊左衛門と鴈治郎の成駒屋型の伊左衛門
は、大分違う(その辺りは、この「遠眼鏡戯場観察」でも、以前
に触れたので、ここでは繰り返さない)が、「吉田屋」では、生
身の、つまり生きている夕霧と伊左衛門のからみ合いが、「痴話
口舌」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の能天気さが売り
物の、明るく、おめでたい和事という特徴は、変わらない。

ところが、「夕霧名残の正月」では、伊左衛門が訪ねて来たと
き、夕霧は、すでに亡くなっているという想定だ。1678(延
宝6)年2月に大坂で初演されたとき、夕霧は、正月に亡くなっ
ていて、それを偲んで作られた作品だという。詳細は不明なが
ら、坂田藤十郎の伊左衛門で演じられ、大入ととったことから、
夕霧の年忌が来る度に「夕霧○年忌」と銘打たれ、上演されたと
いう。それが、近松門左衛門の手で「夕霧阿波鳴渡」が書かれ、
さらに、後の作者不詳の「廓文章」に磨き上げられて行ったとい
う。初演の台本が無いということで、今回は、地唄の「由縁の
月」などを元に新たに書き下ろされた。元禄期の芝居小屋の舞台
が、花道付きで、本舞台のなかに作られるという入れ子構造。破
風の下に舞台があり、それに続く、下手に鶉桟敷、上手に清元の
山台。小屋の舞台の上手に「夕霧名残の正月」という外題看板。
下手に「坂田藤十郎相勤申枡」とある。坂田藤十郎の家紋が染め
抜かれた向う揚幕から、新藤十郎の伊左衛門が、花道に出て来
る。本物の紙衣(かみこ)衣装(青地の衣装の左肩の辺りに
「月」の文字。裾に、萩の花に薄)を着ている。劇中劇の舞台上
手には、藤の花をあしらった豪華な打ち掛けが衣桁に掛ってい
る。伊左衛門は、やがて、劇中劇の芝居小屋の舞台から、本舞台
に降り、花道へ近付く。舞台上手から姿を現した太鼓持の鶴七
(進之介)に夕霧が死んだこと、きょうが、四十九日であること
を初めて知らされる伊左衛門。再び、芝居小屋の舞台に戻り、寝
込む伊左衛門。

伊左衛門の夢のなかに現われるように、衣桁の打ち掛けの後ろに
夕霧(雀右衛門)が現われ、久しぶりの逢瀬を楽しむように、ふ
たりとも藤色の打ち掛けのなかへ入り込む。夕霧が纏っているク
リーム色の打ち掛けを脱がせるようにしながら、互いに手を握り
あい、ふたり揃って、本舞台に降りて来る。立ち姿の夕霧、座り
込む伊左衛門。夕霧の左手を袂に抱え込む伊左衛門。廻り込ん
で、夕霧の右手を繋ぐ伊左衛門。向き合い両手を繋ぐふたり。
廻って、後ろから夕霧を抱く伊左衛門。打ち掛けを左手で持ちな
がら夕霧の背を抱く伊左衛門。脱ぎかかった打ち掛けを巧く使い
ながら、ふたりの官能の舞が続く。私の眼には、いつのまにか、
打ち掛けを間に挟んで、夕霧の青白く光り輝くような裸身が見え
てくる。若い女性の亡霊の裸身が舞遊ぶ濃厚なエロスの場面。本
舞台から芝居小屋の舞台に上がるふたり。ひとり打ち掛けを持
ち、名残惜しそうな夕霧。伊左衛門は、再び、舞台で寝る。夢の
なかに戻され、やがて、打ち掛けを引きづりながら、衣桁の打ち
掛けの後ろに消えて行く夕霧。エロスからタナトスへ。雀右衛門
の夕霧が、良い。85歳の役者は、見事に薄幸の若い女性(にょ
しょう)の裸身さえ感じさせる演技をした。素晴しい充実の官能
劇であった。藤十郎は、持ち前の愛嬌を滲ませながら、伊左衛門
を演じる。「吉田屋」とは、一味も、ふた味も違う夕霧伊左衛門
の誕生である。

10人の仲居たちが出て来る。夕霧を抱えていた扇屋の主人(我
當)と女房(秀太郎)も出て来る。「吉田屋」でも演じ、「扇
屋」でも演じる我當、秀太郎の夫婦役は、上方味あり、人情あり
で、いつ観ても、何回観ても、味があり、好ましい。ふたりか
ら、訳を聴かされる伊左衛門。「そんなら、いまのは夢であった
か」と藤十郎が言えば、秀太郎は、「夢でもめでたい。めでたい
襲名披露があった」と巧みに繋ぎ、劇中「口上」へ。

74歳を過ぎた藤十郎は、「私は、まだ、若い。上方歌舞伎の隆
盛のために尽したい」と熱っぽい口上を言う。すかさず、「山城
屋」と藤十郎の屋号の声が掛る。我當は、藤十郎の本物の紙衣を
紹介し、文化遺産としての歌舞伎を強調した。秀太郎は、上方歌
舞伎の隆盛を再度強調した上で、居並ぶ10人の女形の「若衆
も、上方の役者」だと紹介し、観客席から拍手を浴びていた。
30分ほどの演目だが、実に、濃厚な舞台であった。拍手のうち
に、再び、祝幕が引かれる。

「奥州安達原」は、3回目。「奥州安達原」のうち、よく上演さ
れるのは、三段目「環宮明御殿の場」、通称「袖萩祭文」で、こ
れは、猿之助主演で、99年12月、歌舞伎座で拝見。01年1
月には、国立劇場で、「奥州外ヶ浜の場」、「善知鳥文治住家の
場」、「環宮明御殿の場」を通しで観た。吉右衛門の主演であっ
た。通しで観ると、良く判るのだが、平安時代末期に奥州に、も
うひとつの国をつくっていた阿倍一族の物語。「西の国・日本」
から見れば、「俘囚の反乱」で、日本史では「前九年の役」と呼
ばれた史実を下敷きにしながら、そこは荒唐無稽が売り物の人形
浄瑠璃の世界。史実よりも半二ら作者の感性の赴くまま、換骨奪
胎に自由に作り上げられる「物語の世界」。

さて、通称「袖萩祭文」、「環宮明御殿の場」。原作者近松半二
の舞台らしさが出てくる。上手、下手の舞台が対照的に作られて
いる。下手は「白の世界」、女の世界上手は「黒の世界」、男の
世界。下手は、白い雪布と雪の世界(贅言:舞台天井の葡萄棚か
ら落される四角い紙の雪片は、真直ぐには、落ちて来ないで、複
雑な動きをしながら、さまざまなコースを通って、落ちて来る様
が、おもしろい。舞台と天井の隙間に張り巡らされる黒い「一文
字幕」には、雪片が、くっついている。宙で停まった雪片という
シュールな世界も現出する)。上手は、上方風の黒い屋体(黒い
柱、黒い手すり、黒い階段)。福助初演の袖萩は、花道から本舞
台に上がっても下手の木戸の外だけで終始演技をする。前半は、
袖萩の世界。初演の福助も良いが、娘のお君を演じる山口千春も
好演。袖萩の悲劇的な要素を、増幅するのが娘のお君。袖萩の祭
文の語りとお君の踊り、さらに霏々と降り続く雪が、愁嘆場の悲
しみを盛り上げる。ここも、「お涙頂戴」の見せ場。白い雪の世
界は、悲劇の女性の世界。雪衣も、こちらだけ登場する。上手木
戸のうちには黒衣と言う、対照的な演出(但し、後半、吉右衛門
演じる安倍貞任が、上手から下手へ出張ってきたときは、黒衣も
付いて来たから、厳密では無いらしい)。

普通は、袖萩が自害した後、安倍貞任登場となるので、ここは、
ふた役の役どころ。今回は、妻・袖萩の福助と夫・貞任の吉右衛
門が、同時に舞台にいるという珍しい場面もある。ふた役を別々
に演じたことで、前半の女の愁嘆場と後半の男たちの対決の場の
メリハリが、いちだんとくっきりした(前回の国立劇場の舞台で
は、吉右衛門の袖萩を観たが、三味線も含めて、袖萩の演技は、
先の猿之助の方が上だった)。

後半、中納言、実は貞任(吉右衛門)は、今度は舞台中央から上
手で「黒の世界」、「男の世界」を貞任への「ぶっかえり」(衣
装も黒=中納言から白=貞任、再び黒=中納言へと変化する)
や、左手片手だけで刀を抜くことも含めて、武張って演じてい
た。歌昇の弟・宗任(贅言:上手から最初に登場したときは、太
い縄で縛られている。その縄を舞台中央上手寄りに据えられてい
た石の手水の角で擦り切る。歌舞伎は、舞台に置かれた大道具
も、必ず、何かの役割を与えられている)も加わり、染五郎の八
幡太郎義家と対決する。雄壮な場面は、豊かで、大らかで、時代
物の丸本歌舞伎の醍醐味が、いかんなく発揮される。吉右衛門の
演技は、スケールが大きく、独特の味わいがある。

「白の世界」と「黒の世界」を結ぶのが、袖萩の父母、直方(段
四郎)と 浜夕(吉之丞)のふたり。特に、吉之丞の浜夕は、2回
目だが、母の情愛が濃く出ていて、当たり役だろう。私のすきな
芝のぶが、腰元弥生で出演、袖萩に意地悪をしていた(贅言:腰
元たちが、座り込む場面では、皆、底の厚い草履を履いたまま、
座り込んでいた)。

「万才」は、福助、扇雀のコンビ。「花競四季寿」で、四季を表
す四変化の景事(所作事)。冬の「鷺娘」が良く演じられるが、
春の万才は、珍しい。私も、当然、初見。それもその筈、歌舞伎
では、戦後では、今回が初演(人形浄瑠璃や舞踊会では、上演さ
れるという)。初春を言祝ぎ、商売繁昌を願う。一本の木に紅白
の梅が花を付けている。上手は、柳、下手は、竹、松の若木で、
松竹梅。冬の鷺娘が、巡り巡って、春の白梅に変化か。

「曾根崎心中」99年4月、歌舞伎座。2回目の拝見だが、サイ
トの劇評は、初登場。「曾根崎心中」は、近松門左衛門の原作を
宇野信夫が戦後に脚色したもの。21歳の二代目扇雀が初演。扇
雀から鴈治郎、そして、坂田藤十郎として、今回は、演じる。
50年以上も演じ続け、いまなお、新たな工夫魂胆の気持ちを持
ち続けている藤十郎の舞台を愉しみにして座席に座った。今回
は、2階の東桟敷席。じっくり拝見した。

「生玉神社境内」、「北新地天満屋」、「曾根崎の森」の死の道
行きをスポットライト、暗転、廻り舞台という歌舞伎らしからぬ
新演出で見せる。生玉神社境内では、縁談を断ったという徳兵衛
(翫雀)の話を聴いて、無邪気に手を叩くという、21世紀の若
い女性のような行動を取るお初。気持ちを素直に外に表す女性な
のだろう。藤十郎の「お初」は、年齢を感じさせない初々しさ
で、藤十郎にとって、お初は、永遠に「今」を生き続ける若い女
性なのだろう。外見は、そのように演じてもいない雀右衛門の夕
霧が、裸身で見えたように、藤十郎のお初も、時空を超えた永遠
の娘として見えて来た。80歳、70歳を超えても、尽きぬ工夫
魂胆は、まさに、藝の力。

翫雀の徳兵衛も、熱演。本興行で、父親を相手に15回も演じて
来た積み重ねの実力が滲み出る。気は良いが、弱い男を過不足な
く演じる。天満屋の縁の下に隠れ、お初と死の道行きの覚悟を確
かめあう名場面(「独語になぞらえて足で問へば打ちうなづき、
足首とって咽喉笛撫で自害するぞと知らせける」)を含め、父子
の息は、ぴったりで、叮嚀に練り上げるように舞台は進んだ。
「わしも、いっしょに、死ぬるぞなあ」、藤十郎のお初の眼が光
る。新演出も、歌舞伎に不調和にならず、歌舞伎の近松劇という
ベースと現代劇の不幸な恋愛劇が、バランスを崩さない。

上方歌舞伎の面白さは、演技、演出、科白回しのほかにも、あ
る。例えば、大道具。江戸歌舞伎の大道具と違うことが、多く、
それを発見するのも、上方歌舞伎の愉しみ。2階の拵えなどは、
良く言われるが、今回は、天満屋の玄関の作り。天満屋は、店を
開いているときは、玄関には、大きな暖簾が掛っているだけで、
戸がない。北新地の遊女屋は、お客が入りやすくなければ商売に
ならない。見ていると玄関の内側、暖簾の上の空間に格子戸2枚
が収納されている。どういう仕掛けになっているのかと思って、
密かに劇の進行を見守っていると、夜になり、店を閉めるとき
に、暖簾を仕舞い込んだ下女(こういう言葉も、歌舞伎ならでは
で、いまでは、死語だ)のお玉(寿治郎)は、収納されていた格
子戸を引きずり下ろして、戸締まりをした。

店の灯も消され、店先の座敷に煎餅蒲団を敷き、寝入る下女の寿
治郎は、眼もくりっとしていて、愛嬌者。いろいろ笑わせる。悲
劇の前の笑劇で、歌舞伎の定式の演出。だんまりもどきの動き
で、天満屋室内の闇を抜け出した徳兵衛とお初。花道七三で、戦
後の歌舞伎に衝撃を与えた、お初、徳兵衛の居処替り。お初が、
積極的に先行して死にに行く、道行きの新鮮さ。

残された天満屋では、徳兵衛を窮地に陥れた油屋九平次(橋之
助)の悪だくみが、平野屋の主人で伯父の久右衛門(我當)に
よって、暴かれ、名誉回復する徳兵衛だが、それを本人に伝える
すべが無い。

暗転。舞台は、廻る。「曾根崎の森の場」。「此の世の名残り夜
も名残り、死ににゆく身をたとふれば、仇しが原の道の霜、一足
づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ」。以下、舞踊劇。言
葉より動き。所作の豊かさは、藤十郎は、歌舞伎界でも一、二を
争う。「あーー」という美声が、哀切さを観客の胸に沁み込ませ
る。お初の表情には、死の恐怖は、ひとかけらも無い。夕霧と伊
左衛門が、「夢の官能」なら、お初徳兵衛は、「死の官能」だろ
う。お初は、セックスをしているような喜悦の表情になってい
る。そこにいるのは、お初その人であって、それを演じる坂田藤
十郎もいなければ、林宏太郎もいなければ、ひとりの男もいな
い。死ぬことで、時空を超えて、永遠に生きる若い女性のお初が
いるばかりだ。藤十郎定番の「曽根崎心中」は、さらなる完成を
目指して、今後も演じられて行くだろう。死に行く悲劇が、永遠
の喜悦という、清清しさがを残して、いま、幕を下ろす。
- 2006年1月29日(日) 11:17:05
2006年1月・国立劇場 (「曽我梅菊念力弦」)

南北劇の・愉しみ方・

鶴谷南北の芝居は、ストーリーが複雑で、猥雑だから、合理的な
ストーリー展開を期待してはいけない。場面場面の精彩さを重視
し、瞬間瞬間の愉しみを見つけると、数倍おもしろく見えて来
る。168年ぶりに復活上演された「曽我梅菊念力弦(そがきょ
うだいおもいのはりゆみ)」も、そうだ。

まず、大筋を把握しておこう。1818(文政元)年に初演され
た「曽我梅菊念力弦」は、外題に曽我とあるように、父親を殺さ
れた曽我五郎十郎の工藤祐経へ仇討の話を入れ子にしているの
で、「曽我もの」独特の「対面」の場面を設定している。だが、
主軸は、千葉家の家中、稲野谷家の美人姉妹おその、おはんが、
盗まれた家宝(宝刀「天国(あまくに)」)を探し、お家再興を
めざすという話だ。また、姉のおそのは、副筋として、「おその
六三」(八重霞の世界)という芝居を下敷きにし、曽我家の家老
の鬼王新左衛門の弟・団三郎(どうざぶろう)こと、大工の六三
郎に助けられたのをきっかけに性的関係を結ぶようになり、芸者
になったものの、腕に「六三郎女房」と墨を入れるようになる。
一方、妹のおはんは、通称「帯屋」の「お半長右衛門」という芝
居を下敷きにした副筋で、婚家の石部屋で迎えた初夜に婿に飽き
足らず、逃げ出したところ、帯屋長右衛門になりすまして盗みに
入った盗賊の新藤徳次郎に一目惚れしてしまう(「いい女だな
あ」「いい男だなあ」で、ふたりそろって、2階へ上がって行く
という手軽さ)。いずれも、ふたつの芝居の世界をくっつけて、
芝居の時空を大きくしているが、「曽我もの」「おその六三」
「お半長右衛門」という、3つの世界を綯い交ぜにするという台
本構成の手法を取っているからに過ぎない。

南北は、こういう綯い交ぜ構成の芝居にして、味付けをする。筋
を膨らませ、複雑にし、上演時間を長時間に引き延ばす。しか
し、要するに、美人姉妹のおその、おはんは、要するに、いずれ
も尻軽女であり、色模様で、大衆の観客を喜ばすために、美貌滴
る菊之助が、ふた役で、演じる。また、菊五郎も、六三郎、徳次
郎のふた役で、美女を相手に良い思いをする。それは、観客の良
い思いを代行する、いわば、サービスというわけだろう。それ
が、主軸となる役者のふた役となる。特に、菊五郎演じる立役
は、善悪の対比の妙が売り物になる。ここで、忘れてはならない
のが、おその、おはんの母親を演じる役者の存在だ。薬味の役
割。今回は、田之助が、貴重な味わいを添えている。もうひとり
のキーマンは、実は、盗賊・新藤徳次郎一味の梶野長兵衛の養
女・おきぬである。おきぬは、五幕目、六幕目の登場ということ
で、芝居の後半にしか出て来ないのだが、目の不自由な女義太夫
で、大工の六三郎の妻という立場でありながら、奪われた千葉家
の御用金を拾ったり、おはんを助けたり、拾った御用金で、おそ
のを身請けしたり、宝刀を返したりで、皆の宿願を叶える「お助
けウーマン」の役所を演じる。これを今回は、芝雀が、地味なが
ら、きっちりと演じていた。

だが、南北劇の魅力は、複雑な筋立てをほぐしてみても見えては
こない。むしろ、そういう複雑な筋だけは、極力忘却し、荒唐無
稽を愉しみ、場面場面を愉しみ、エピソードを愉しみしていれば
良いのだと、思う。まず、場面では、江戸の風俗を楽しもう。序
幕・第一場「鎌倉雪の下年越の場」では、珍しい八幡宮の普請場
の年越しの風情。おそのが、年越しを迎える人々が行き交う普請
場前で、物乞いをしている。夜鷹のお花、おいろ、夜鷹を束ねる
妓夫は、何と美男で知られる梶原源太のなれの果て。おそのを助
ける六三郎も、おそのにその気が有りと見れば、早速番小屋へ連
れ込み、性的関係をつけるという手の早さ。何故か、下帯一つ
で、うろうろしているのが、しっかいの荒七と太平楽の平という
若者。

続く第二場「鶴が岡八幡宮境内の場」では、「仮名手本忠臣蔵」
大序そっくりの場面を楽しむ。三幕目「鴫立沢対面の場」では、
いつもの「対面」とは、一味違う、草庵(別荘)での五郎(松
緑)と祐経(富十郎)の対面が、展開する。「ありがたなすびの
初夢じゃわいなあ」は、小林妹舞鶴(萬次郎)。

しかし、圧巻は、何といっても、南北お得意の江戸庶民の風俗を
活写する場面だ。四幕目「深川仲町洗湯(せんとう)の場」の風
呂屋。下手に風呂屋入り口、番台があり、洗場番頭平助(三津之
助)がいる。番台から男用の脱衣所、格子越しに、後ろは、女用
の脱衣所、手前は、男用の洗い場、いさみ於左吉、所化常念(三
津右衛門)、流し三助らが、下帯一つ。上手は、柘榴口。鳥居の
ような形をしている。鳥居下の低いところを潜るようにして湯舟
に入りに行く。鳥居の隙間に当たるところに、白と薄紅色の牡
丹、波の絵が描いてある。男女の脱衣所には、それぞれ、多数の
広告の貼紙。「せんきの妙薬」という薬の広告。寄席の広告は、
例えば、「柳橋(いせ本)」「圓朝(むさしの)」「志ん生(柳
亭)」「左楽(いせ本)」などが、目立つ。やがて、お姫さまの
一行が、なぜか、番台の番頭の制止を振り切って、男湯に強引に
入って来て、着物を脱ぎ出す。制止する番頭に、着物の胸を拡げ
ながら、「どこをみているのよ」と毒づく。着物を脱ぐと下帯一
つになり、女形の鬘を脱ぎ出す。下からは、野郎頭が覗く。宮地
芝居の女形役者たちが、風呂に入りに来ただけと判る。床の間稼
ぎの盗人・山姥の権九郎(信二郎)らも、暗躍。被害にあうの
が、おそのを追い掛けて風呂屋まで入って来た千葉家の家臣堤幸
左衛門(亀蔵)。下帯に二本差しという情けない格好にさせら
れ、場内の笑いを誘う。風呂屋に頼まれて大工仕事に来た六三郎
(菊五郎)とおその(菊之助)の再会。おそのを挟んで六三郎と
幸左衛門が、対立。

五幕目第一場「両国広小路の場」の見せ物小屋では、木戸番が、
梶野長兵衛(團蔵)。舞台中央の見せ物小屋には、「ろくろ
(首)」「へび娘 因果娘」の看板。上手は、娘義太夫の小屋。
「豊竹鶴蝶」「野沢勝代」など6枚の看板が、掛っている。下手
は、「鍼の宗庵」の看板を掲げた小屋掛け。「足力もみ療治」と
書いてある。蛇娘おそで(京妙)は、向う揚幕から花道に出てく
るが、本舞台に上がらず、途中から引き返してしまう。魚屋は、
町抱えの七郎助(松緑)という。犬喰らい百。そして、ぬすっと
山姥の権九郎が、盗んだ金を逃げる間際に魚の口に押し込むが、
金を呑み込んだままの魚が野良犬に盗まれるというドタバタが続
く。見せ物小屋のある繁華街の猥雑さが、見ものである。

五幕目第二場「松坂町長兵衛内の場」や六幕目「深川大工町六三
郎内の場」という庶民の家庭は、生き生きとして庶民の生活力が
窺われる。大詰「万年橋初午祭の場」は、菊五郎劇団お得意の大
立ち回り。「柾木稲荷」「正一位稲荷大明神」の幟。藤棚を上
がったり降りたりしながら展開する。ヨキコト菊の紋が描かれた
揃いの雨傘。傘が形づくる富士の山。ウオッチングの成果が楽し
みになる。メモを元に再現してみた次第。

風呂屋の場面、普請場の前など、エロスのくすぐり。つまり、男
たちの裸の場面が意外と多いのである。風呂屋では、婆さんが、
しなびた胸乳を見せる始末。宮地芝居の女形たちの脱衣のくすぐ
り。エロ・グロ・ナンセンスは、南北も得意だったようだ。

先行作品の下敷きを見抜く。序幕第一場「鎌倉雪の下年越の場」
の最後は、「そのうち、江戸で逢いましょう」は、「御存知鈴ヶ
森」の科白。第二場「鶴ヶ岡八幡宮境内の場」は、既に触れたよ
うに「仮名手本忠臣蔵」の大序そっくり。綯い交ぜ狂言の仕組み
は、既に触れた。曽我ものの名場面「対面」のひねりの効いた趣
向。世話と時代のせめぎ合いも、南北自家薬籠中のもの。探して
みましょう。先行作品。ジクソーパズルのピースを見つけるよう
な愉しみがある。これも、南北劇の愉しみ方だ。
- 2006年1月25日(水) 22:12:16
2005年12月・歌舞伎座 (夜/「恋女房染分手綱〜重の井
〜」「杵勝三伝の内 船弁慶」「松浦の太鼓」)

夜の部は、昼の部の「盲目物語」のような臍がない感じ。意欲作
は、「杵勝三伝の内」という角書がある「船弁慶」だろうが、
ちょっと、高踏趣味の気がある。昼の部ほど、力が入らないが、
まあ、こちらも、上演順で、劇評掲載。

「恋女房染分手綱〜重の井〜」は、4回目。由留木家御殿は、金
地に花丸の襖、金地に花車の衝立というきらびやかさ。そこで、
子別れの悲劇が進行する。

私が観た主な役者たち。
重の井:雀右衛門、鴈治郎時代の藤十郎、芝翫、そして今回の福
助。この芝居の、重の井役のポイントは、実子と名乗りあえずに
別れる母の哀しみが、表現できるかどうかである。役者の持ち味
の違いで、同じ重の井を演じても、「母と女房の間」で演技が、
ぶれてくる。私の区分けすれば、母の愛を直接的に表現できるの
は、やはり、雀右衛門。「母」を演じていても、どこかに「女
房」の色を残す芝翫。その中間で演じる鴈治郎、今回の福助は、
父親の芝翫に近いという印象が残った。弥三右衛門:弥十郎(今
回含め、2)、左團次、坂東吉弥。三吉:竹松(萬治郎の息
子)、壱(かず)太郎(翫雀の息子)、国生(橋之助の息子)、
今回は、児太郎(福助の息子)。

4回目なので、テキスト論より、役者論。それも、今回は、子役
論から、始めたい。子役屈指の大役が自然薯(じねんじょ)の三
吉。それを今回は、福助の息子、児太郎が演じる。前回、04年
9月の歌舞伎座では、橋之助の長男・国生が演じた。神谷町一家
の従兄弟同士の児太郎の舞台を2階席の奥で、橋之助家の3兄弟
とおぼしき(初日であり、空席で、お付の人と一緒に観ていた3
兄弟は、国生以下の3人だろうと推定した。長男は、最後まで、
熱心に舞台を観ていたが、下のふたりの弟は、途中で、寝てし
まった)子どもらが、舞台を観ていた。

前回の国生も、落ち着いていて、舞台度胸があったが、今回の児
太郎もなかなかよろしい。ときどき、福助そっくりの表情が浮か
び上がる。特に、眼が似ているように思う。口跡も良いし、元気
で、演技のメリハリもある。小学6年生で、子役としては、最後
の出番か。変声期を経て、どういう青年役者に成長してくるか、
再会が、楽しみ。

その父親の福助の方は、どうかというと、声が高すぎる。昼の部
の「弁慶上使」といい、この「重の井」といい、竹本の糸に乗っ
た場面が多いので、その辺りは、福助は巧いが、母親の情愛の表
出が、弱い。子への思いが、弱いのだろう。弥十郎は、赤い裃姿
で、通称「赤爺(あかじじい)」、剽軽な弥三右衛門を演じてい
るが、左團次、坂東吉弥には、まだ、負けている。特に、今は亡
き吉弥の飄々とした味が懐かしい。腰元若菜に初役の七之助。近
習吉田文吾左に亀三郎、同じく源吾左に亀寿。

贅言:(ここは、初めてこのサイトの劇評を読む人のためのメ
モ)
この芝居のテーマは、封建時代の「家」というものの持つ不条理
が、同年の幼い少年少女たちへ受難を強いるということだろう。
由留木家息女として生まれたばかりに東国の入間家へ嫁に行かな
ければならない調(しらべ)姫には、家同士で決めた結婚という
重圧がある。だから、東国へ旅立つのは、「いやじゃ、いや
じゃ」という。それゆえに、「いやじゃ姫」と渾名される。一
方、自然薯の三吉という幼い馬子は、実は、由留木家の奥家老の
子息・伊達与作と重の井との間にできた子だが、不義の咎を受け
て、父・与作は追放される。母・重の井は、実父の命に替えて嘆
願で、調姫の乳母になったという次第。乳兄弟のはずだが、姫の
乳兄弟に馬子がいるということが知れては大変と三吉は、母との
別れを強いられるという重圧がある。

封建時代に作られた歌舞伎の演目には、こういう悲劇が多いが、
それは、我が身に比べて芝居の登場人物たちは、もっと、過酷な
人生を送っていると、思うことで、自分の背負っている人生の重
圧を、少しでも、軽くしようという思いがあるのを作者たちが、
充分に知り抜いていて、血涙を絞ろうと企てるからだろう。

元々は、近松門左衛門原作の「丹波与作待夜の小室節」という時
代浄瑠璃だが、後に、三好松洛らが改作して、「恋女房染分手
綱」にしたというが、十段目の「重の井子別れ」は、筋立ては、
近松の原作と殆ど変わっていないという。但し、近松は、この場
面の舞台を旅の途中の「水口宿の本陣」としていたが、松洛ら
は、旅立つ前の「由留木家御殿」としたという。

その結果、御殿表の舞台で、三吉と重の井の子別れの愁嘆場が繰
り広げられているのと同時に、御殿奥では、調姫と実母の子別れ
も進行しているという。御殿の表と奥で演じられる「二重の子別
れ」こそ、封建時代の諸制度の不条理への批判が浮かび上がると
いう説がある。

しかし、私は、そういう封建時代に限定されるテーマを読み取る
見方よりも、時代を越えて、子どもたちに襲い掛かる大人社会の
勝手に拠る重圧という、先に述べた見方の方が、より普遍的であ
り、未来永劫、いつの時代にも通用するテーマとして、この芝居
を取り扱った方が、良いと思っている。五代目の歌右衛門以来、
成駒屋の家の芸になっている演目。

玉三郎が、静御前と知盛の霊を二役で演じる「船弁慶」は、いつ
もの演出とは違う。より能の形式を重んじた杵屋勝三郎のものを
ベースに、藤間勘吉郎の振り付けで、新演出を工夫したという。
「杵勝三伝の内」という角書が付く。いわば、もうひとつの「船
弁慶」。

歌舞伎座の大舞台には、大きな破風を吊した大屋根の能舞台の
体。舞台中央奥鏡板には、「松羽目物」の定番、根付きの老松の
巨木、上手袖のみ、竹4本と若竹1本。下手袖には、なにもな
し。定式の下手袖の五色の揚幕、上手袖の臆病口も、いずれもな
し。シンプルな舞台。

玉三郎は、舞台を縦横に動き回るものの、所作の少ない抑制的な
「静」の静御前と豪快な所作が目立つ荒ぶる亡霊・平知盛の対比
に重きを置いて演じ分けたように見受けられた。能という原点へ
のこだわりを見せた意欲的な舞台であった。

従来の「船弁慶」は、六代目菊五郎演出以来、その形が定着して
いる。松羽目ものだから、「能」の味をベースにしながら、歌舞
伎の味付けをしている。ところが、今回の玉三郎は、新歌舞伎十
八番を制定した九代目團十郎以前、より元の能の「船弁慶」に近
付けた。弁慶は、段治郎代役の弥十郎、船頭が、従来の船長・船
人グループより重要視されて、勘三郎、義経は、薪車。

前回、02年、11月の歌舞伎座は、富十郎が、一世一代で演じ
る「船弁慶」であっただけに、ほかの顔ぶれも豪華で、弁慶が吉
右衛門、義経が、鴈治郎時代の藤十郎、今回の船頭に当たる舟長
が、仁左衛門(船人は、左團次、東蔵)だったのだが、今回との
比較はしない。

弁慶(弥十郎)は、揚幕がないので、花道から登場して、義経一
行の都落ちを語る。従者を連れた義経も同様花道から登場する。
前半は、弁慶の進言で、義経は、静を都へ帰すことにする。舟に
乗せてもらえずに、都へ戻ることになって、夫・義経との別れを
惜しむ静御前。本心は、別れたくない。静は、赤を基調に4種の
花をあしらった唐織りの衣装で白拍子らしさを強調する。静の持
つ金地に花車の扇子が、豪華だ。静は、中国戦国時代の故事を詠
んだ舞を舞い、義経の名誉挽回を祈願する。ゆっくり、抑制的な
舞。前屈みになり、頭に載せていた烏帽子が落ちる。後ろ向きの
船頭は、勘三郎。船頭は、シンプルな舟を象った大道具を持って
出て来る。これが、後に、亡霊と義経一行を分かつ結界となる。
歌舞伎とは、違う演出だ。花道から退場する静。見送る義経一
行。

やがて、後半、花道七三のすっぽんからせり上がる知盛の霊。金
地の兜をつけ、金地の薙刀を持っている。銀箔の地に金の稲妻と
龍の紋様の衣装。黒の毛熊。「波乗り」という独特の摺り足を
使って、海上を滑るようにして、舟に近付く。「そ の と き 
よ し つ ね す こ し も あ わ て ず」と、長唄
は、一字一字区切るような節で唄う。刀で亡霊と渡り合う義経。
刀では、亡霊に勝てないと諌める弁慶。数珠を揉んで祈る弁慶。
押し戻される知盛の亡霊。

「松浦の太鼓」は、4回目の拝見。「年の瀬や水の流れと人の身
は」という上の句に「明日待たるるその宝船」という下の句をつ
けた謎を解く話。「忠臣蔵外伝」のひとつ。判りやすい笑劇であ
る。

雪の町遠見のかかった大川、両国橋の袂。前回、3年前、02年
11月の歌舞伎座の舞台では、「二月十五日 常楽会 回向院」
「十二月廿日 千部 長泉寺」という立て札2枚が、立っていた
が、今回は、「十二月廿日 開帳 長泉寺」「十二月廿日 開帳 
弘福寺」という立て札に替っている。

吉良邸の隣に屋敷を構える、赤穂贔屓の松浦の殿様・松浦鎮信
が、主人公。人は、良いのだが、余り名君とは、言い兼ねるよう
な殿様だ。96年と00年の歌舞伎座で、吉右衛門の松浦鎮信で
観ている。吉右衛門の松浦公は、吉右衛門本来の人の良さが滲み
出ていて、そこが強調されていて、おもしろかったし、02年の
仁左衛門は、人の良さよりも、憎めない殿様の軽薄さ、鷹揚だが
気侭に生きて来た殿様という人柄が、強調されていて、松浦公の
別の一面を浮き彫りにしていて、これはこれで、また、結構で
あった。「ばかばかばーか」という科白に仁左衛門は、殿様の軽
薄さを滲ませていた。これに対して、今回の勘三郎は、仁左衛門
のスタイルをより滑稽で、軽薄にしたような役作りと観た。勘三
郎独特の「ふふふふふ」という科白に象徴している。

初代吉右衛門の当り藝で、その後は、先代の勘三郎も当り藝にし
た。当代は、今回、初役で演じる。「松浦の太鼓」は、討ち入り
の合図に赤穂浪士が叩く太鼓の音(客席の後ろ、向う揚げ幕の鳥
屋から聞こえて来る)を隣家で聞き、指を折って数えながら、そ
れが山鹿流の陣太鼓と松浦公が判断する場面が、見どころであ
る。儲け役の大高源吾に橋之助、松浦家に奉公する源吾の妹・お
縫に勘太郎、もうひとりのキーパースン・宝井其角に今月大活躍
の弥十郎。いつも思うのだが、橋之助の声が、でかすぎる。抑制
を心掛けるようにするとぐんと良くなると思う。

贅言:1)それにしても、赤穂浪士の討ち入りは、未明の筈なの
に、松浦公の屋敷では、句会をしているのは、随分宵っ張り過ぎ
ないか。挙げ句に、鶏鳴となり、夜が明けるというから驚きであ
る。深夜の感じが、全くしない不思議な芝居だ。

贅言:2)初日の、2階の空席で、自分の出番が終った後、舞台
を観ていたのは、実は、竹三郎だけではない。源右衛門は、私の
2列、真後ろで観ていた。劇評家の渡辺保も居た。

贅言:3)ことし1年間、歌舞伎座の筋書には、勘亭流の歌舞伎
文字が、毎月巻頭を飾った。伏木寿亭さんが、書いた。因に、
12冊の筋書を改めて、チェックしてみた。

1月は、酉。ことしの干支だ。2月は、梅。3月は、花。4月
は、鐘。5月は、櫓。3月〜5月は、勘三郎の襲名披露の3ヶ
月。6月は、趣。7月は、沙翁。シェークスピアの「十二夜」上
演。鏡張りの舞台には、客席が写っていた。8月は、涼。9月
は、粋。10月は、囃。11月は、幟。12月は、柝。
- 2005年12月10日(土) 17:06:32
2005年12月・歌舞伎座 (昼/「弁慶上使」「猩々 三社
祭」「盲目物語」)

昼の部は、大谷崎(おおたにざき)の「盲目物語」がハイライト
だろうが、劇評は、上演順で、まずは、「弁慶上使」から。今月
の歌舞伎座は、昼は、「弁慶上使」で、夜は、「船弁慶」という
ことで、弁慶二題でもある。それはさて置き、「弁慶上使」は、
5回目の拝見。

そこで、今回は、テキスト論は、初めて、このサイトの「遠眼鏡
戯場観察」を読む人のために、エキスを贅言の形で、付け足すだ
けにし、役者論を軸に劇評をまとめようと、思う。

私が観た「弁慶上使」の役者たちは、以下の通り。
弁慶:團十郎(2)、羽左衛門、吉右衛門。今回は、橋之助。お
わさ:芝翫(3)、鴈治郎時代の坂田藤十郎と言っても、まだ、
新しい藤十郎を観てはいない。今回は、福助。おわさは、母性と
恋する女性との間で、揺れ動く女心をどう演じるかがポイント。
腰元しのぶ:芝雀、勘太郎、七之助、扇雀。今回は、坂東弥十郎
の息子の新悟。卿の君は、しのぶと二役が多いが、今回は、芝の
ぶ。侍従太郎:三津五郎、彦三郎、歌六(段四郎の代役)、歌
昇。今回は、弥十郎。花の井:芝雀(2)、田之助、萬次郎。今
回は、竹三郎。

「弁慶上使」、略して「弁上」、あるいは、「かたみの片袖」と
言われる場面。女性に縁のない弁慶、泣かぬ弁慶という、作られ
た「伝説」(鎌倉初期の僧。熊野の別当の子。幼名、鬼若丸、長
じて比叡山にいて、武蔵坊弁慶と号し、義経に仕えたと言うが、
存在自体伝説化しているので、史実かどうかは、疑わしい)へ
の、弁慶の抵抗(レジスタンス)、いや、合作者である文耕堂と
三好松洛の挑戦であっただろう。恋をし、かつての恋人と再会を
し、女性との間にできた娘を卿の君の身替わりにするために、殺
してしまい、大泣きもする弁慶像を新しく作り上げた。

幕が開くと、卿の君の乳人・侍従太郎の館。舞台中央には、銀地
に桜、火焔太鼓とお幕の図柄の襖。ユニークで、デザイン的に
も、印象に残るモダーンな図柄。上手と下手には、金地に花丸の
襖。衝立も金地に花車。豪華で、華やかな舞台。ここで、悲劇が
起こる。

まず、役者論。
福助のおわさは、初演。母親、恋する娘、半狂乱の母親を演じ分
ける。まず、34歳の母として、わが子・しのぶと久しぶりの親
子の対面で、母親らしさを出した後、さらに、幼少より育て上げ
た卿の君の身替わりに、しのぶを差し出せと侍従太郎(弥十郎)
言われても、しのぶが、その気になっていても、娘を助けたい一
身という母親の一途さを演じる。

次いで、しのぶの出生の秘密を打ち明け、17年前の、若き日の
恋の相手であり、しのぶの父親である、ひとりの男のことを竹本
の糸に乗って、一気に語る。17歳の自分に戻り、我が娘の前
で、母性を忘れ、恋する女性、可愛らしい女性に変身してしまう
辺りの情の表出が福助は、巧い。恋の証拠として、見せるのが、
「かたみの片袖」(濃い紅の地に筆や硯、孔雀の羽根などの文具
の紋様は、書写山の稚児であった弁慶所縁のもの。「すれつもつ
れつ相生の、松と松との若緑、露の契りが縁のはし」、「ついく
らがりのころび寝」というセックスの場面の後、人の足音に驚い
た弁慶が、慌てて逃げ出し、おわさの手に残したものだ)という
わけだ。

そして、しのぶを襖のうちから刀で刺した上使の弁慶が、おわさ
と同じ紋様の襦袢を着ていて、おわさにとって、「顔も知らず名
も知らぬ」男が、実は、弁慶だったと知ることになる。死に行く
しのぶのために、「逢いたい逢いたいと、尋ねさまよい国々を、
廻り廻って今ここで、逢わぬがましであったもの」と、半狂乱の
おわさ。福助のおわさの魅力は、この三態に尽きる。

弁慶は、役目に忠実な組織人が、自分が殺してしまった娘・しの
ぶへの父親の情を一度だけ大泣きをしするということで、噴出さ
せる。恋した自分を思い出し、殺した娘への哀れみを思い出し、
大泣きする弁慶。鳥居隈、毬栗に車鬢、黒の大紋、長袴、下に
は、赤の襦袢(これには、先に触れたような仕掛けがある)、赤
の手甲という拵え。大男である。橋之助は、初役。

ところで、いつも、思うのだが、橋之助は、隈取りをすると、鬘
の所為もあるが、顔が大きく見えやしないだろうか。頬も、ふっ
くらとしているが、含み綿でも入れているような気さえする。ま
さかと思うが、どうだろうか。それほど、顔が大きく、豊かに
なっている。また、長袴に隠された足にも、なにか、履いていや
しないだろうか。座敷の奥に入るとき、鴨居の下を身を屈めて通
り抜けたが、身の丈も、顔も大きく見せる。それが、弁慶だと
言っているような気がするが、なにか、工夫しているように感じ
られるうちは、まだまだ、なのだろう。要するに、背伸びしてい
るという感じが残る。これが、自然と身の丈も、顔も大きく見え
るようになれば、そのときが、橋之助も本物になるのだろう。

ということで、橋之助は、私が観た弁慶のなかでは、やはり、ま
だ、物足りない。比較されるのが、團十郎、羽左衛門、吉右衛門
とあっては、無理もない。大きな歌舞伎座の舞台をひと掴みにす
るような存在感に乏しい。任ではあるだろうが、まだ、柄が、小
さい。役者としての容量(キャパシティ)が小さい。まだ、発展
途上ということだろう。だが、いずれ、先輩方に肩を並べてくる
だろうという予感はある。後、10年か、20年か。

弥十郎の息子・新悟初演の腰元しのぶは、やせ過ぎで、女形に
なっていない。まだ、15歳。中学3年生では、無理か。もう少
し、ふっくらとして来ないと娘に見えない。女装した少年では、
新悟も可哀想。しのぶ殺しを仕掛けた侍従太郎(弥十郎)は、卿
の君殺害の責任をとって、追い腹を切った形で、実は、鎌倉方を
欺く偽首工作を担保しようとする。息子・新悟の後を追って、切
腹する父親・弥十郎という二重性。弥十郎も初役。このほか、侍
従太郎の妻・花の井に竹三郎も、初役。太郎に付き従い、舞台に
出ている時間が長い割にすることが少ない。こういう役も、意外
と大変だろう。仕どころがないなかで、軸になる人の緊張感に同
調させたままでいなければならないからだ。弥十郎は、病気休演
の段治郎の代役も含めて、今月の歌舞伎座では、昼と夜通しで、
5役に挑んでいる。卿の君の芝のぶは、赤姫で、ちょっと出て来
るだけだが、爽やかで、若い女性らしく、ふくよかで、良かっ
た。本来なら、腰元しのぶとの二役なのだろうが・・・。

贅言:「弁慶上使」を観、「熊谷陣屋」を観ている私たちは、隠
されたメッセージを読み取ることもできる。ここからは、すでに
「遠眼鏡戯場観察」で、書いて来たことなので、今回、初めてこ
のサイトの劇評を読む人のための記述。

1737(元文2)年、大坂の竹本座で初演された人形浄瑠璃の
「御所桜堀河夜討」(文耕堂と三好松洛の合作)全五段のうち、
三段目の切、通称「御所三」ともいう「弁慶上使の段」を下敷き
にして、並木宗輔は、1751(寛延4)年、最後の作品となる
「熊谷陣屋」を書き上げて、生涯を閉じる。「弁慶上使」の弁慶
が、卿の君の身替わりにわが子・しのぶを殺して、その首を卿の
君だと偽って、組織のなかへ堂々と戻って行くのに対して、「熊
谷陣屋」では、熊谷直実には、平敦盛の身替わりにわが子・小次
郎を殺して、義経に代表される組織から、評価を得ながらも、そ
の虚しさに目覚め、出家をしてしまう。「弁慶上使」の父親
(男)の論理優先:組織大事。「熊谷陣屋」の母親(女)の情理
優先:肉親への愛。封建時代の論理に縛られながら描いた「弁慶
上使」。封建時代のなかで、封建性を超える情理を提言した「熊
谷陣屋」。それは、並木宗輔の遺言だと、私は思う。

偽の卿の君の首(紅布に包まれている)の担保にと追腹を切った
ように見せ掛けるために、己の首を差し出した侍従太郎(白布に
包まれている)。「辛いのう、ご同役」といったところか。紅白
の首を両脇に抱えて、修羅の世界へ戻って行く弁慶。歌舞伎の色
彩の美学。娘を失った母親(おわさ)と夫を失った妻(花の井:
竹三郎)という、本舞台にいるふたりの女性に、花道七三からふ
たつの首をかざして見せる弁慶。その弁慶に、無情にも遠寄せの
音が被さる。弁慶の、この行為は、陣屋を去る熊谷直実(花道)
に小次郎の首を見せる義経(本舞台)の行為と同じながら、ふた
りが立つ舞台のポイントは、逆転していることに注意。この位置
の逆転こそ、「弁慶上使」の作者と「熊谷陣屋」の作者の創作意
志の逆転の象徴なのだというのは、私からのメッセージ。

わが子を殺す大人たちの話という共通性。「弁慶上使」が、
「17年」前の恋の果て、娘が父親に殺されるという悲劇なら、
「熊谷陣屋」は、16歳で生涯を終えた息子と自らの手で息子を
殺した父親の虚しさが言わせる「16年」は一昔という、スパン
の共通性。

所作事2題は、「猩々」と「三社祭」。勘太郎、七之助の兄弟
が、演じる。まず、「猩々」。竹本で語る「寿猩々」は、2回観
ているが、今回は、長唄の「猩々」で、いわば「二人猩々」。酒
売りは、弥十郎。

「大人の童話」風の物語。能の「猩々」では、猩々=不老長寿の
福酒の神と「高風」という親孝行の酒売りの青年との交歓の物
語。「猩々」とは、本来は、中国の伝説の霊獣。つまり、酒賛美
の大人の童話というわけだ。

能の「猩々」を元に江戸時代から数多くの「猩々もの」が作られ
ていたようで、1820(文政3)年には、三代目三津五郎の
「月雪花名残文台」では、七変化のひとつに取り入れられた。雪
の浜辺で、真っ赤な「猩々」が、真っ白な「まかしょ」に変わる
対比が受けたというが、残っていない。

以前の資料には、夢幻能の世界を、1946(昭和21)年に文
楽座の野澤松之輔が作曲し、後の八代目三津五郎、当時の六代目
簑助が、振り付けをして、一人立の新歌舞伎の舞踊劇(義太夫舞
踊)に仕立て直しをして、当時の大阪歌舞伎座で上演されたと
あったが、今回の筋書には、違う記述がある。それによると、能
の「猩々」を長唄舞踊に仕立てた作で、1874(明治7)年、
東京河原崎座で初演。作詞竹柴金作(後の三代目河竹新七)、作
曲三代目杵屋正次郎、振り付け初代花柳寿輔とあり、本名題は
「寿二人猩々」とある。

いずれの記述も、間違いではないとすれば、能の「猩々」を元に
した数々の先行作品があり、今伝えられるものは、明治時代に長
唄舞踊が作られ、戦後、義太夫舞踊が作られたことになる。その
後の上演では、竹本(義太夫)は、長唄に替えられたりもした
し、記録を見ると、竹本・長唄の掛け合いだったり、常磐津だっ
たり、猩々がふたり以上だったり、いろいろ演出があるという
か、ふたつの「『猩々』舞踊劇」が、役者によって、自由に演じ
られたというところか。今回は、勘太郎・七之助の兄弟なので、
「二人猩々」という趣向なのだろうが、初演のふたりは、初日と
あって、なおさら、揃わない。

能取り物だから、「松羽目(松の鏡板)」が、定番だが、今回
は、抽象化した図柄の水辺が、背景。ふたりの「猩々」は、オレ
ンジ色の衣装に赤熊(しゃぐま)の鬘。舞台中央に置かれた緑の
布で覆われた酒壷には、オレンジの紐が付いている。酒売りは、
茶色の柄杓で、猩々に持たせた茶色の盃に酒を入れる。赤という
か、茶というか、「赤尽くし」、つまり、そういうトーンの世界
だ。

能の舞台では、舞は、「摺り足」なのだが、「寿猩々」は、六代
目簑助(後の八代目三津五郎)工夫の振り付けで、「乱(みだ
れ)」という、遅速の変化に富んだ「抜き足」「流れ足(爪先立
ち)」「蹴上げ足」などを交えて、水上をほろ酔いで歩く猩々の
姿を浮き彫りにさせる趣向をとったという。今回は、そういうイ
メージは、伝わって来なかった。ふたりの「猩々」が、花道を
引っ込むと、弥十郎の酒売りは、黒衣が、酒壷を載せた大せりと
ともに、舞台中央からせり下りる。背景が、海に変わり、上手と
下手に岩が出て来て、さらに、舞台下手から清元の雛壇が出て来
る。「弥生なかばの花の雲、鐘は上野か浅草の、利生は深き宮戸
川・・・」と清元が置浄瑠璃となるなか、再び、大せりが上がっ
て来る。宮戸川とは、浅草を流れる隅田川のことだ。せりには、
船とふたりの漁師(勘太郎と七之助)が、乗っている。「三社
祭」への転換だ。

「三社祭」は、6回目の拝見。このうち、勘太郎と七之助の舞台
は、今回で3回目。うち1回は、本名題「弥生の花 浅草祭」で
観ている。この場合は、暗闇のなかで開幕。黒御簾からは、「鐘
は上野か浅草の・・・」の唄にあわせて、舞台、明転。浅草の海
に松。高欄を巡らした山車の踊り屋台の上には、山車人形の武内
宿禰と神功皇后が踊る。屋台は、やがて舟に替わると漁師の浜
成、武成のふたりが乗っている、というような演出となってい
た。

水玉模様の手拭を巧みに使って、おかめ、ひょっとこの振り、さ
らに、いつものように、雲が下りて来て、ふたりの漁師に善玉、
悪玉がとりつく。善玉、悪玉の仮面は、円い銀地に善、悪の文字
だが、ご承知のように、善も、悪も、字のなかに、眉、目、鼻、
髭、口が、巧みに隠されている。但し、目が見えるのだろうが、
大きな穴が空いているわけではないから、見にくいだろうが、そ
れを感じさせないあたりは、さすが。先の「猩々」と違って、勘
太郎、七之助の踊りは、安定している。七之助の脱いだ上衣が帯
の後ろ側に挟んであったが、激しい動きで、垂れ下がって来たと
きは、目敏く、それを見つけた後見が、駆け寄って来て、垂れ下
がっていた部分をさっと、帯に挟み直した。あれをそのままにし
ていたら、七之助が、踏んで転んでしまっただろう。何回も踊っ
ているから、積み重ねができている。躍動的で、軽妙ながら、か
なり、激しい踊りだが、ふたりの息も、ぴったりあって、見事に
踊りこなしている。

勘三郎、玉三郎の「盲目物語」は、2回目の拝見だが、前回は、
8年前、97年12月の歌舞伎座の舞台だったが、このサイトの
「遠眼鏡戯場観察」は、まだ、開設されていなかったので、今回
が、初登場となるので、きちんと書いておきたい。

谷崎潤一郎の新歌舞伎は、今回上演された「盲目物語」のほか、
「お国と五平」、「恐怖時代」、「春琴抄」、「少将滋幹の母」
などが、上演されているが、私が、実際の舞台を観たのは、「盲
目物語」、「お国と五平」に過ぎない。このうち、谷崎が、自分
で脚本を書いたのは、歌舞伎に限らないが、大正時代に「法成寺
物語」、「恐怖時代」、「十五夜物語」、「愛すればこそ」、
「お国と五平」、「本牧夜話」、「白狐の湯」、「愛なき
人々」、「無明と愛染」を書いているという。関東大震災後、関
西に移り住んだ後は、脚本を書いていない。「盲目物語」、「春
琴抄」、「少将滋幹の母」などは、谷崎原作の小説を元に別の人
が脚色をして戯曲に仕立てている。「盲目物語」は、1931
(昭和6)年に書かれたひとり語りの小説という、普通なら、芝
居になりにくい原作を宇野信夫が歌舞伎の脚本に仕立てて、演出
した作品である。50年前の、1955(昭和30)年に東京宝
塚劇場で、勘三郎の弥市、秀吉の二役、歌右衛門のお市の方など
という配役で初演されているから、新歌舞伎というより、新作歌
舞伎である。

それでいながら、谷崎の歌舞伎上演作品を通じて、三島由紀夫
は、歌舞伎の谷崎を、歌右衛門の「大成駒(おおなりこま)」や
先代の勘三郎の「大中村(おおなかむら)」、あるいは、五代も
の南北のなかで、四代目のみを「大南北(おおなんぼく)」と呼
ぶように、「大谷崎(おおたにざき)」と呼ぶべきだと言ったと
いうが、それは、頷ける。谷崎は、文学の世界では、「大谷崎
(だいたにざき)」だろうが、歌舞伎とのかかわりでは、三島の
言うように「大谷崎(おおたにざき)」が、相応しい。谷崎作品
は、元からの脚本の「お国と五平」と小説から宇野信夫が脚色し
た「盲目物語」しか観ていない癖に、大仰なことを言うなと、ど
こかからお叱りを受けそうだが、「盲目物語」だけでも、「大谷
崎(おおたにざき)」と呼びたくなるような、豊潤なイメージが
伝わってくるということを言いたいだけなので。勘弁して欲し
い。

「盲目物語」は、織田信長の妹のお市の方が、勝ち組の秀吉を
嫌って、負け組の柴田勝家とともに自害するまで、影身のように
寄り添って生きたひとりの按摩・弥市の物語である。

この場合、谷崎歌舞伎の真髄は、「盲目の官能」にあると、思
う。お市の方(玉三郎)は、最初の夫、浅井長政(薪車)が、兄
の信長に滅ぼされた後、藤吉郎(勘三郎)の執拗な求婚を拒否
し、柴田勝家(橋之助)と再婚する。勝家も、藤吉郎に滅ぼされ
るが、藤吉郎を嫌い続けるお市の方は、夫勝家とともに自害す
る。ずうっとお市の方に付き従って来た按摩の弥市(勘三郎)
は、お市の方の娘・お茶々(七之助)を助け出す。そのとき、弥
市は、背負ったお茶々の手足の感触から、お市の方とお茶々の肌
合いにある継続性を鋭く感じ取る。フェティシズムの作家でもあ
る谷崎の感性は、まさに、ここに真髄がある。お市の方への激し
い慕情を秘めながら、決して明かさず、死後、お茶々を通じて亡
きお市の方に告白する弥市の美学こそが、谷崎の愛の美学なの
だ。盲目の弥市にとっては、お市の方、お茶々のふたりに通じる
感触の同一性こそが、愛の対象なのだろう。同一性の齎す至福こ
そが、谷崎の美学なのだ。

一方、勝ち組の権力に物を言わせて、お市の方を我がものにしよ
うとした藤吉郎は、勝家の居城を滅ぼし、天守閣に上がり、勝鬨
をあげる自軍を尻目に自刃したお市の方の骸を見て、恋に破れた
ことを悟り、「なにが勝鬨だ」と歎くが、さらに、出世をして、
秀吉になると、お市の方の娘のお茶々を側室にして淀君と呼ばせ
て、悦に入っているが、晴眼の秀吉は、見目形の良く「似た」、
いわば、「身替り」の淀君で満足しているが、権力者がひとりじ
めをした、その「晴眼の官能の満足」は、感触の同一性を味わっ
た「盲目の官能の至福」よりも、遥かに劣るというのが、谷崎の
主張であると、思う。ひとりの男にとって、永遠の女性への憧れ
を抱き続けるのは、晴眼より、盲目の方が、可能であるという谷
崎の美学は、同じ時期に書かれた「春琴抄」の世界でもある。

大詰の「琵琶湖のほとり」での、秀吉から、早替りで、弥市に
なった勘三郎は、乞食の集団から、最後に抜け出して、独白す
る。見えぬ目ゆえに、お市の方の幻影を描き出し、「おもうと
も、その色ひとに、しらすなよ、思わぬふりで、わするな
よ・・・」と三味線を引きながら唄う弥市とそれに合わせて琴を
演奏する玉三郎。観客は、母親の代りに娘を側室に迎えた晴眼の
権力者と物乞いに落ちぶれながら、感触の持続性を持ち続けてい
る盲目の按摩の至福の違いを知るのである。それは、弥市を通じ
てのお市の方の秀吉に対する復讐でもあるのだろうと、思う。官
能の豊かさとは、なにか。権力者の孤独、思いのままになること
の虚しさ、それを私は、駕篭に慌ただしく乗込み、その際、脱ぎ
散らかされた秀吉の草履(もしこれが、勘三郎の確信的な演技だ
としたら、素晴しい)の乱れに感じ取ったのだが、いかがであろ
うか。

さらに、芝居は、小説を超える。原作では、秀吉と弥市は、当
然、別の人格であるが、芝居では、先代の勘三郎同様、当代も二
役で演じたように、対立する登場人物を同じ役者が演じるという
ことで、役者の同一性が、登場人物の対立性を、小説よりも、遥
かに鋭く際立たせるということができる。筋書に掲載された上演
記録を見ると、初演から先代の勘三郎と当代は、二役を通してい
るが、1958(昭和33)年、大阪中座で、十三代目仁左衛門
の弥市と当時の六代目箕助(後の、八代目三津五郎)の秀吉とい
う配役で演じられた舞台があるが、これは、もちろん、舞台を見
ているわけではないが、あまり、感心しない演出だったと、思
う。その証拠に、弥市と秀吉を別の役者が演じる演出は、このと
きだけで、終っている。弥市・秀吉二役は、谷崎というよりも、
宇野信夫の演出感のなせることだろうか。ところが、言い伝えに
よると、これは、先代勘三郎の発案だという。だとすれば、それ
は、勘三郎の卓見であると、思う。先代の勘三郎は、歌右衛門が
演じる美貌のお市の方を巡る天下人としがない按摩の恋の対立ゆ
えに、対立者を二役早替りで演じるべきだと発想したのだろう
が、純化した役者魂ゆえの優れた発想だと、感心する。

さて、役者論だが、勘九郎時代を含めて、本興行5回目の勘三郎
の演技は、ますます、磨きが掛っている。対する玉三郎は、3回
目。こちらも、安定している。前回は、お市の方と淀君の二役で
演じた玉三郎だが、ここは、二役でない方が、良いと思う。永遠
の女性の同一性は、盲目ゆえの、鋭い感性が齎した同一性であっ
て、晴眼者の見る外見の同一性ではないからだ。弥市と秀吉の二
役とお市の方と淀君の二役は、意味が、全く違うと思う。

橋之助の勝家は、前半の明るい勝家と後半の悲壮な勝家の対比
が、巧く出ていた。七之助のお茶々、後の、淀君も、前半の初々
しさと後半の天下人を尻に敷いた強かさ(淀君なりの秀吉への復
讐)も感じられた。科白のない笑三郎の侍女真弓は、「別れの宴
の曲」を弾くだけだ。しんみりした、静かな場面で、横顔を見せ
ているだけだが、存在感がある。最近は、後見役が多い、小山三
の老女も、良かった。段治郎代役の、薪車の浅井長政は、幽霊役
だが、玉三郎相手に堂々と演じていた。

贅言:竹三郎は、ことし10月の歌舞伎座の舞台で、自分の前名
の薪車を竹志郎に譲ったが、その四代目薪車の舞台(昼の部「盲
目物語」の段治郎代役の浅井長政、夜の部「船弁慶」の源義経、
同じく「松浦の太鼓」の近習渕部市右衛門)を昼の部の自分の出
番が終った後も、初日とあって、歌舞伎座に居残り、2階奥の空
いている席で、夜の部の終わりまで、熱心に観ていたのが印象的
だった。いずれも、薪車の出番が終ると、姿を消してしまったよ
うだ。
- 2005年12月10日(土) 13:32:52
2005年11月・歌舞伎座 (夜/「日向嶋景清」、「鞍馬山
誉鷹」、「連獅子」、「大経師昔暦」)

「日向嶋景清(ひにむかうしまのかげきよ)」は、初見。松貫四
の書き下ろし作品。ことし4月の四国こんぴら歌舞伎の金丸座が
初演。「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)」を下
敷きにしている。松貫四は、吉右衛門のペンネーム。この演目、
今回の劇評は、まず、テキスト論。次いで、役者論、最後に、大
道具論という筋立てにしたい。

1)テキスト論。
「嬢景清八嶋日記」の粗筋は、こうだ。平家の残党、悪七兵衛景
清(あくしちびょうえかげきよ)は、源頼朝暗殺を企てながら、
失敗をし、投降の勧めに反発をし、抵抗の証に、自ら己の両目を
えぐり、盲目の身になり、逮敢て、日向島(ひゅうがじま)に流
されている。いわば、囚われのスパイのような立場である。だか
ら、源氏方は、景清から目を離せない。実際、景清は、密かに平
重盛の位牌を隠し持ち、命日には、供養をしている。源氏への強
烈な反抗心を秘めながら暮らしている。鬼界が島に流された俊寛
のような身の上だ。

そこへ、廓に身を売った金を持って、幼いときに別れた娘の糸滝
が肝煎り(女衒)に伴われて父親に逢いに来る。しかし、景清
は、自分は、景清などではないと偽り、娘を追い返してしまう。
しかし、娘らは、島に住む里人に出逢って、先ほどの男が、やは
り父親の景清と知らされ、再度、訪ね、結局、里人に金と事情を
書き留めた手紙を託して、去ってしまう。その後、里人から金と
手紙を受け取った景清は、娘が身売りしてまで、自分に金を届け
てくれた事情を知り、娘の後を追おうとするが、娘らを乗せた船
は、すでに、出てしまった後だった。それを知った里人、実は、
頼朝の配下で、景清を監視していた、いわば、諜報部員が、娘が
苦界に入らないよう取りはからうことを条件に頼朝方への投降を
進めると、抵抗心を捨てて、頼朝の配下とともに、船で都に向う
景清であった。

もともと、原作の筋立てに無理があるように思う。両目を潰して
まで、抵抗心を隠している「反抗分子」の武士(もののふ)の景
清が、娘の身売りを知っただけで、判断力を失って仇に、それこ
そ身を売るようなことをするだろうか、という疑問である。武士
のプライドと娘への情愛の狭間で揺れる心の有り様が、テーマな
のだろう。謡曲の「景清」を原作に無数の役者たちが、工夫をし
て歌舞伎の劇として、磨いて来た作品だが、しっかりした原作者
がいないという戯曲としての根本的な弱さを持ち続けていると思
う。それを乗り越えるのは、役者の藝というのが、演じる役者た
ちのプライドなのかもしれないが・・・。しかし、それでは、劇
性は、弱くなる。

今回の「日向嶋景清」も、テキストとしては、「嬢景清」の骨格
をそのまま引き継いでいる。そういう根本的な弱さを残したま
ま、吉右衛門が、役者魂を燃焼させて、科白の一つ一つを書き下
ろした。そのチャレンジ精神は、多としよう。しかし、近松門左
衛門原作の「俊寛」に比べると、残念ながら、劇としての必然性
が弱い。吉右衛門が、熱演すればするほど、違和感が残る。筋の
展開に無理が、透けて見える。それに、過剰な演技も、吉右衛門
らしくない。吉右衛門の持ち味を殺した演技に見える。こういう
役柄は、吉右衛門より、兄の幸四郎向きであろう。

2)役者論。
「日向嶋浜辺の場」。無人の舞台。置き浄瑠璃。清太夫の語り。
吉右衛門演じる景清は、まず、舞台上手の揚幕から出て来る。衣
装、鬘、化粧などの扮装は、俊寛に似ているので、どうしても、
近松の「俊寛」を連想し、比べてしまうという欠陥がある。舞台
中央から上手よりの、浜辺の貧相な蓆がけの小屋という設定も
「俊寛」と似ている。吉右衛門の演技も、俊寛を思い出させる風
格を滲ませる。さはさりながら、これは、俊寛物語ではないか
ら、違和感が、拭い切れない。不自由な手探りで、位牌を海辺の
石の上に置き、採って来た梅の枝を飾り、重盛の菩提を弔う。平
家滅亡の悔しさ、生き長らえている己の身のふがいなさ、景清役
者の大きさの見せ所。この辺りまで、吉右衛門は、過不足なく熱
演する。

一艘の船が、花道から本舞台の浜に近付いて来る。背景は、大き
な崖である。舞台の中央からくすんだ空間が透けて見えるという
殺風景な浜だ。船には、若い娘が乗っている。景清の娘・糸滝
(芝雀)だ。肝煎りの佐治太夫(歌昇)を伴っている。芝雀は、
このところとみに父親の雀右衛門に似て来たように思う。竹本
は、御簾を上げた床(ちょぼ)の出語りで、清太夫に加えて、愛
太夫が、男と女の役を振り分けて語る。人形浄瑠璃の演出を踏
襲。親子の再会。糸滝の懇願を拒絶する景清。ここまでは、良
い。そして、別れ。書置の手紙を見て、身売りの真相を知り、半
狂乱になる辺りから、私のうちに、違和感が吹き出して来る。理
屈で、芝居を観ては駄目だろうが、理屈をこえる役者の藝がない
と、それも克服できない。里人、じつは、源氏方のスパイ(隠し
目付)の土屋郡内(染五郎)と天野四郎(信二郎)とのやりとり
で、糸滝は、実の父を知り、景清は、娘を助けるために武士の矜
持を捨てる。

「日向灘海上の場」。舞台奥から、大きな船が直進して来る。船
には、中央に、景清、左右に土屋郡内と天野四郎。そして水夫た
ち。船の上から、重盛の位牌と梅の枝を海に投げ入れる景清。変
心した武士の悲哀。これは、もう、俊寛の怨念、虚ろさなどと
は、比べようもないし、劇的効果もない。戦に翻弄された親子の
哀れさが、反戦平和のテーマだとしても、何もかも捨てて、敵陣
に下る武将の悲哀だとしても、訴えかけて来るものは、「俊寛」
には、及ばない。役者の仕どころも、殆ど無い場面。

3)大道具論。
ここは、珍しく、大道具を論じたい。まず、幕が開くと、浅葱
幕。花道は、浪布が敷き詰められている。舞台は、地絣。浅葱幕
が振り落とされると、「日向嶋浜辺の場」。舞台背景は、巨大な
崖。中央奥に、空間。地絣が引っ張られると、舞台下手は、海。
花道から船で浜に辿り着いた糸滝らふたりは、父であることを景
清に拒絶されると、浜を上手に歩く場面があるが、ここは、舞台
が、半廻しになり、里人たちと出逢い、先ほどの男がやはり景清
と知らされると、元の浜辺へ戻る。舞台半廻しで、元に戻る。先
の場面で、舞台中央より上手側にあった景清の小屋は、今度は、
舞台中央に位置が変わっている。同時に、巨大な崖は、舞台中央
の空間が塞がれて、崖下の、閉塞感を明らかにする。小屋の蓆
が、浅葱幕のように振り落とされる。戦で別れ別れになった親子
の再会の場面を盛り上げる。再会もつかの間の別れ。源氏方の郎
党との立回りでは、邪魔になる小屋を黒衣が、ひとりで、上手隅
に引っ張って行くからおもしろい。

「日向灘海上の場」。浜の上手を覆っていた地絣も引っ張られ、
下に敷き詰めてあった波布が見え、舞台は、全面海へ変わって行
く。巨大な崖も上手、下手へ引き込まれ、また、天井に引き上げ
られて、という具合に、三方に引き込まれてすっかり無くなり、
舞台は、大海原に早変わりする。舞台奥からは、大きな木造船が
舞台前面に向けて直進して来る。竹本の3人の太夫と3人の三味
線方を乗せた山台も、船のように海の上を滑り出して来る。この
辺りの大道具の展開は、素晴しい。演出家・松貫四として、照
明、装置(大道具など)を初演の反省を込めて、見直したという
が、このあたりの演出は、颯爽としていて、素晴しい。できれ
ば、大きな船を出したのだから、舞台を回転させて船を横向きに
するなど、もう一工夫欲しい。船を出しただけで、終わりという
印象で、勿体ない。

「鞍馬山誉鷹」は、富十郎の長男で6歳の大、改め、初代鷹之資
(たかのすけ)の襲名披露の舞台。雀右衛門、仁左衛門、吉右衛
門、梅玉、そして富十郎という錚々たる役者が共演する舞台での
口上。「いついつまでもご贔屓賜りますよう。末広がりの鷹の羽 
八ツ矢車・・・」と富十郎が力を込めて、言うのは、父親として
の実感であろう。祝儀気分満点の舞台が、華やかであればあるほ
ど、76歳の父親として、6歳の長男の歌舞伎役者としての未来
に寄与したいという思いが、痛いほど伝わって来て、かえって、
痛ましくなるので、ここは、あまり、述べない。歌舞伎界の孤児
にならぬよう、という親心を忘れずに、立派な役者になって欲し
い。(人間国宝の)「富(とんび)が、鷹を生む」ように、父親
より、さらに、大きな役者に育って欲しいと、思う。

舞台の上部に飾られた提灯の列。歌舞伎座の紋の入ったたもの、
「鷹の羽 八ツ矢車」という富十郎の定紋入りのもの、もうひと
つの紋は、富十郎の替紋の「杏葉杜若」だろうか。ついでに、2
階ロビーのお披露目の品を記録しておこう。「鷹之資格子」は、
いろいろな格子柄を組み合わせ重ねて作ったという。楽屋暖簾、
鏡台、座布団、扇(「拾遺和歌集」から:生い初むる根よりぞし
るき笛竹の末の世長くならんものとは」と書いてある)、菰入り
の「白鷹」(3つが積み上げてある)、宮田雅之「臥虎」(五気
の虎:勇気、豪気、壮気、意気、労気)、天王寺屋の「屋号允可
(いんか)状」(大阪・四天王寺で、允可法楽)。このほか、花
籠は、山田洋次、サトウサンペイ、中村梅之助、梅雀、柳家三語
楼、鈴々舎馬風、道成寺、ほかに、梅組父母一同などというのも
あった。大くんの幼稚園は、梅組なのだろう。祝幕一幕は、全日
空。

舞台を飾る、その祝幕は、夜明けの海の図柄。日の出の太陽の位
置に、「鷹の羽 八ツ矢車」(富十郎の定紋)。岩上の鷹と夜明
けの空を飛ぶ鷹。初代中村鷹之資さん江という文字。「熨斗」の
マークに、送り主のANAという、ところ。

さて、「連獅子」。「連獅子」は、9回目。舞台中央に左右に枝
を拡げた太い老い松。舞台上手と下手は、竹林。舞台全体で、松
竹。そういえば、ことしは、松竹110年でしたっけ。おめでと
うございます。

幸四郎と染五郎の親子獅子。緩怠のない獅子の舞い。幸四郎は、
大きく、正しく、舞う。染五郎の子獅子の舞は、勢いが良い。動
きもテキパキしているし、左巴、右巴、髪洗い、襷、菖蒲叩きと
変化する毛振りの回数も、染五郎の方が、多い。若さと勢いがあ
る、立派な獅子の精。身体の構えを崩さずに、腹で毛を廻すの
が、毛振りのコツだというが、また、この所作は、体力の勝負で
あろう。年齢の違いと藝の違いが出て来る。染五郎は、役者とし
て、ある水準に近付きつつあるということを、まざまざと実感さ
せる舞台であった。いずれ、さらに、何かが、付け加わり、積み
上げられ、一人前になって行くのだろう。

間狂言の「宗論」は、信二郎と玉太郎が、メリハリのある演技
で、きちんと繋いでいた。

「おさん茂兵衛 大経師昔暦」は、2回目。10年前、95年
11月、歌舞伎座の舞台を観ている。まだ、このサイトは、開設
していなかったので、劇評「遠眼鏡戯場観察」としては初登場。
従って、じっくり書き留めておきたい。おさん:雀右衛門、今回
は、時蔵。茂兵衛:梅玉(今回含め、2)。以春:先代の三津五
郎、段四郎。助右衛門:九代目宗十郎、歌六。お玉:松江時代の
魁春、梅枝。お久:東蔵、歌江。

1683(天和3)年に京の四条烏丸にある朝廷御用商人の大経
師(経巻や仏画などの表装をする経師屋の元締で、毎年新しい暦
を作る独占権を認められ、朝廷にも納めていた)・意俊の女房・
おさんと手代の茂兵衛とが密通をして、その仲立ちをした下女の
お玉とともに、処刑された事件を元に、1715(正徳5)年、
近松門左衛門が書いた。井原西鶴も「好色五人女」で、おさん
は、不義に耽るふてぶてしい女性として、この事件を取り上げて
いる。近松は、世事にうとい若女房の、罠に嵌ったような、人違
いで起きた姦通事件として、社会性を付加して描いている。近松
の凄さ。

序幕「大経師宅算用場『乃』茶座敷」。「算用場」とは、店の帳
場のこと。10年前の歌舞伎座の筋書では、「大経師宅算用場
『及』茶座敷」となっているが、ここは、『乃』ではなく、
『及』の方が、正しいだろう。実際に舞台を見れば判ることだ
が、「算用場」と「茶座敷」が繋がって、ひとつの舞台になって
いる。「茶座敷」だけが、舞台というわけではないからだ。因
に、名作歌舞伎全集では、「大経師以春宅の場」ということで、
もっと、概括的な命名になっている。

算用場の店先に近い壁には、3つの帳面(通い)が、掛ってい
る。「銀銭出入帳」。当時の上方の経済は、銀貨(銀塊)が通用
していた。重さで価値を測る従量貨幣であった。従って、銀銭出
入帳は、日常の商売に使う出納帳のこと。一方、江戸の経済は、
小判などの金貨。従って、上方の銀貨と江戸の金貨は、為替レー
トがあり、円をドルに替えるように、「売り買い」をした。壁に
掛っている、もうひとつの帳面は、「蔵出金銭仕入帳」と書いて
ある。金貨は、仕入れ、つまり、買うのであるから、「出入帳」
ではなく、「仕入帳」ということなのだろう。さらに、3番目の
帳面は、「御所面納帳」と書いてある。これは、調べてみたが、
まだ、判らない。朝廷御用商人だから、御所との取り引きもある
だろうが、決済をどうしていたのか、献上していたので、そのメ
モを「面納」とでも、言ったのだろうか。いずれにせよ、歌舞伎
座の舞台に設えられた大経師宅の帳場を遠眼鏡で覗いて観たら、
壁に掛った3つの通い帳から、そういう情報が伝わって来た(因
に、この3通の通い帳のことは、台本には、何も書いていない
し、芝居で使われるわけでもない。単なる背景のひとつにすぎな
い)。

きょうは、新しい暦を売り出す霜月(陰暦11月)一日。番頭の
助右衛門(歌六)を筆頭に奉公人が、忙しく立ち働いているが、
店の主人の以春(段四郎)は、早朝から御所などへ献上の暦を配
り歩いた疲れが出て、帳場の隣の茶座敷(茶の間だろう)の炬燵
に下半身を突っ込んで、寝ている。炬燵の反対側では、女房のお
さん(時蔵)らしい女性の後ろ姿が見える。猫を抱いていたの
が、後ほど、判る。助右衛門は、店の者に口煩く指示をするが、
女中のお玉(梅枝)には、嫌らしく、しつこく、それでいて優し
く振舞うが、お玉は、スケベ爺とばかりに、相手にしない。主人
の以春も、「今夜、寝間に忍び込むぞ」と、お玉にちょっかいを
出しているのが、やがて判る。お玉は、手代の茂兵衛に気がある
し、おさんも、主人の以春より、茂兵衛を信頼している。店の人
間関係には、なにやら、妖しい気配(贅言:歌六は、国立劇場の
「絵本太功記」の舞台を終えて、戻って来たのだ)が、漂う。こ
れが、後の悲劇への伏線。おさんは、世間知らずの若妻。主人の
以春は、二重人格の上、しみったれである。手代の茂兵衛(梅
玉)は、実質的に店を支えている実直な若者。女中のお玉は、気
の効く女中。中年キラーでもある。番頭の助右衛門は、「助兵
衛」の「助」の字の付いた嫌らしい人格、三枚目の道化仇の役ど
ころ。

おさんは、訪ねて来た実家の母親のお久(歌江)に借金を申し込
まれるが、夫の以春に言えずに、茂兵衛に密かに頼み込む。茂兵
衛は、出来もしないのに、安請け合いをし、店の印を持ち出し
て、白紙に印を押しているところを助右衛門に見られてしまい、
大騒ぎとなる。おさんに頼まれたとは、口が避けても言えない茂
兵衛が、窮地に陥ると、お玉が、助け舟を出すが、お玉に気があ
る主人と番頭は、もてもての茂兵衛憎しで、茂兵衛を隣の空家の
2階に閉じ込めてしまう。

二幕目第一場「大経師宅お玉の部屋」。正面小さき二重下女部屋
の体。(略)下手に隣の二階家、その奥に蔵がきなどしたる白壁
の体(これは後半廻しの時にあらわれる)。

床(ちょぼ)の浄瑠璃の後、
おさんは、夜、店奥のお玉の部屋に礼を言いに行き、夫の女中に
対する不行状を知り、夫を懲らしめようとお玉の代りにお玉の寝
間に居座り、夜這いに来るであろう夫をとっちめるつもりにな
る。ところが、夜、お玉の部屋に忍んで来たのは、昼間助け舟を
出してくれたお玉に礼(セックス)をしようという茂兵衛であっ
た。「一生に一度肌ふれて玉が思いを晴らさせ、情の恩を送りた
い」とは、茂兵衛の科白。

さらに、もうひとり、裏手からお玉の部屋に夜這いをかけたの
が、(「不意を夜討の素肌武者、玉をねらいの夜這い星」の)助
右衛門で、彼は、屋根から天窓を開けて忍び込むが、下帯に襦袢
一枚で忍び込む際にむき出しの尻を客席に向けるなど、最近の歌
舞伎では珍しい、人形浄瑠璃並みの、大胆な演出を歌六は見せて
いた(歌舞伎では、くしゃみや胴震いなど、薄着を強調する程
度)。歌六の意欲が知れる。お玉の部屋に近付いた助右衛門は、
部屋のなかの、男女の密事の声と音に聞き耳をたてる。やがて、
店先から「旦那のお帰り」という声。慌てて逃げ出す助右衛門。

二幕目「大経師宅 裏手」。お玉の部屋の場面に上手から、塀だ
けが一直線に出て来る(珍しい)。さらに、舞台も半廻しで、大
経師宅の裏手へ、場面展開。先の場、奥に、屋根などが見えてい
た件の白壁の蔵と物干が出て来る。滑稽な格好で、外へ外へと逃
げ出す助右衛門の姿が、消えると、あられもない格好の寝巻き姿
のおさんと茂兵衛が、裏手へ飛び出して来る。(「仇の始めの姦
通(みそかごと)」「そなたは茂兵衛」「あなたはおさん様」)
そこで、月明かりにお互いを確認し、お互いに不義密通の罪を犯
したことを知るふたりである。この場面が、印象的で、10年前
の舞台も、詳細は、思い出せないのに、隣の蔵の白壁に映った物
干の影とその前を通り過ぎるふたりの影が、磔台に吊されたふた
りの遺体のように見える演出は、素晴しい。モダーンな演出。前
回の雀右衛門も、この場面は、哀愁に溢れていて、印象に残って
いる。台本には、次のようにある。

(竹本)
二人見送る影法師、軒端に近き物干の、柱二本に月影の、壁にあ
りあり映りしは、

ト月の光で白壁に、物干の柱におさん茂兵衛の姿が磔のように写
る。

おさん  あれ二人の影が。
茂兵衛  オオ、アリャ磔に、おさん様。
おさん  茂兵衛。

ト両人慄然とする。

この演出は、原作段階からあったのだろうか。だとすれば、江戸
時代は、蝋燭で、演出していたことになる。影が、いまよりも、
大きくて、風に揺らいでいたかも知れない。

梅玉は、このところ、上方歌舞伎に熱心に取り組んでいる。梅玉
の役作りは、もう少し、深みが欲しい。梅玉も、團十郎と同じ世
代。役者として大きく羽搏く年齢。時蔵と梅枝の親子が、それぞ
れの役を叮嚀に演じる。梅枝は、今月で、18歳。高校3年生
か。可憐なお玉である。時蔵は、初役ながら、このところ、充実
の舞台の延長線上にある。世事にうといがゆえに、悲劇の人と
なってしまった。段四郎は、仕どころは余りないが、大店の主人
で、女狂いは、病気という、中年男の存在感があった。歌六は、
国立劇場まで含めて、昼、夜とあわせて、3役、それも、初役が
多いというのに、皆違う性格の役どころをくっきり切り分けて、
意欲的に、叮嚀に演じていて、今月、随一の活躍振り。55歳。
独自のキャラクターが、いよいよ、花開く年齢か。今後とも、脇
を固めて、歌舞伎の舞台の奥行きを深くして欲しいと、思う。

近松門左衛門の作劇の見事さ。夫の浮気を懲らしめようと、自ら
仕掛けた罠に陥り、姦通の罪を犯すおさん。お玉への感謝の気持
ちが、おさんとの姦通に繋がる茂兵衛。おさんへの道場から、姦
通の仲立ちの罪に問われるお玉。皆、善意の人たちが犯す罪。喜
劇から、悲劇へ、奈落を一気に落ち込む人々。ドラマチックな展
開は、印象的で素晴しい。

贅言:1954(昭和29)年、溝口健二監督の大映映画で、長
谷川一夫の茂兵衛と香川京子のおさん、南田洋子のお玉で「大経
師昔暦」が演じられたが、映画のタイトルは、大胆にも、「近松
物語」。溝口監督にとって、「大経師昔暦」は、近松門左衛門の
代表作という意識があったのだろう。それにしては、歌舞伎で
は、余り、上演されないのが、寂しい。

戦後の茂兵衛は、先代の幸四郎が良く演じ(相手のおさんは、歌
右衛門)、梅玉も、福助時代を含めて、4回目。このところ世話
物開眼という幸四郎も、先代同様に意欲を示して「大経師昔暦」
を演じれば、それも、おもしろいかも知れない。江戸時代には、
八代目仁左衛門が、茂兵衛役を家の藝としていたというから、仁
左衛門の茂兵衛も、観てみたいと、思う。

贅言:菊池寛原作の「藤十郎の恋」は、上方歌舞伎の名優坂田藤
十郎が、「大経師昔暦」のおさんの役作りに悩んで、顔なじみの
芝居茶屋の女将・お梶を騙して、人妻が、不倫の恋に燃えたら、
どういう表情をするのか、いわば、「人体実験」をして、お梶を
自殺させてしまうという話である。この演目も、ときどき、歌舞
伎の舞台に掛る。
- 2005年11月23日(水) 22:21:46
2005年11月・歌舞伎座 (昼/「息子」、「熊谷陣屋」、
「雨の五郎 うかれ坊主」、「人情噺文七元結」)

「息子」は、初見。イギリスの作家ハロルド・チャピン原作の
「父を尋ねるオウガスタス」という作品を1922(大正11)
年に劇作家の小山内薫が翻案劇として発表した戯曲「息子」を翌
1923(大正12)年3月に帝劇で上演した。六代目菊五郎の
金次郎、四代目松助の火の番の老爺、十三代目勘弥の捕吏。初演
の舞台は、皆、歌舞伎役者であったが、歌舞伎というより、新劇
が、似合いそうな芝居。

江戸期の品川辺りか、江戸の御朱引内、つまり、江戸の入り口辺
りにある火の番小屋での対話劇。雪が降っている。、火の番小屋
だけに障子も開け放してある。老爺が、火鉢の火を守っている。
寒そう。9年前に息子が上方に修業に出た後、妻も亡くして独り
住まいの頑固な老人が、今夜も、火の番をしている。職人の格好
をした岡っ引きの手先と呼ばれる捕吏が、町廻りの途中に小屋の
様子を見に来たが、老爺は、素っ気無い応対しかしないので、火
に当たらせてもらっただけで、退散する。その後、誰かに追われ
ているような、ならず者っぽい青年が、立ち寄ると、老爺は、無
愛想ながら、青年を火に当たらせ、煙草を吸わせ、空腹そうに見
えたので、残り物だが、弁当を食わせる。青年の身の上話を聞き
出す内に、青年が、いかさま博打で食い繋いでいた大坂から来た
と聞くと、自分にも、青年と同じ年頃の息子がいて、上方で真面
目に修業をしていると話し出す。老爺と青年の会話が、時に火花
を散らしたり、時に涙を滲ませたりの、巧妙な芝居の世界をきっ
ちりと積み上げて行く。

今回は、歌舞伎座、17年ぶりの上演で、金次郎が、染五郎、火
の番の老爺が、歌六、捕吏が、信二郎という顔ぶれであった。大
きな歌舞伎座の舞台中央に小さな火の番小屋。廻りは、雪布を敷
き詰め、後ろは、黒幕のみというシンプルな舞台。上演時間も、
30分程度。まさに、一幕もの。小説なら、短編というより、掌
編という感じだが、実に、密度の高い舞台である。

染五郎の金次郎が良いし、歌六の老爺が良いのである。雪に濡れ
た着物や足袋を火に当てる染五郎の仕草。老爺から手渡された煙
管が冷たいので、吸い口などの金具を火で暖める仕草など藝が細
かい。金次郎は、話している途中で、老爺が、自分の父親だと気
が付くが、歌六の老爺は、気づかないようだ。青年は、老人の息
子が道を過っているとしたらと、鎌をかけるが、老人は、自分の
息子は、そんなやつではない断言する。目の前にいる青年が、9
年前に別れた息子だというのに、気づかないのは、おかしいと作
家の正宗白鳥が、当時批判したというし、そういう批判を乗り越
えるだけの芝居が老爺役者には、要求されるというが、私の観た
ところ、眼光鋭い歌六の老爺は、小屋に青年が入って来たときか
ら、青年が、身を持ち崩した息子と判っていながら、知らんぷり
をし、青年を立ち直らせようとしているようにしているのが窺え
た。頑固な父親らしい態度というのは、不愛想な、愛情を示すも
のだろう。そういう解釈の方が、江戸の市井を舞台にした対話劇
には、良く似合う。

捕吏に正体を見破られ、一度は、縄をかけられながら、隙を見て
逃げて来た青年と閉め切った火の番小屋の障子越しに老爺との短
い会話で、青年は、「婆さんは達者か」と母親の消息を父親に尋
ねるが、既に死んだと教えられる。息子の帰りを待たずに死んだ
かと呟く金次郎に老爺は、「早く、逃げろ」と諭す。青年は、
「ちゃん」と、父親に一声かけて、再び、降り始めた雪のなか
を、捕吏の手から逃げて行く。歌六の老爺が、青年を息子だと知
りながら、真面目になって帰って来たら、名乗りあおう、もし、
それまでに、自分も、母親のように死んでしまったら、それも仕
方がないという、メッセージを金次郎に送っているように思われ
た。それほど、振れのない印象のしっかりした歌六の演技であっ
た。歌六は、このあと、木挽町の歌舞伎座を抜け出し、前日、私
が、三宅坂の国立劇場で観た「絵本太功記」の二幕目、「妙心
寺」の場面で、時空を越えて、田島頭となって、物陰から飛び出
て来てし、割腹しようとした光秀(橋之助)を武智十次郎(魁
春)とともに、止めるのである。

贅言:先日、国立演芸場の中席(11・11〜20)で、笑福亭
鶴光の落語を聞いた。子供のいない年老いた夫婦が、屋台のラー
メン店を営んでいる。閉店間際に訪れた客が、ラーメンを「うま
い、うまい」と、3杯食べ、老夫婦を喜ばせる。ところが、いざ
金を払う段になると、無銭飲食なので、交番に連れて行けと言
う。老夫婦は、交番に連れて行く代わりに、男に屋台を引かせて
自宅に戻る。自宅では、男に「とーさん」「かーさん」と呼ばせ
る代わりに、いわば「呼び料」として、金を払い無銭飲食をチャ
らにする。そういう人情噺の落語なのだが、鶴光が演じる老夫婦
と無銭飲食の男のやり取りを聞いていると、5日前に、歌舞伎座
で観たばかりの「息子」を思い出した。歌六と染五郎のやりとり
が、彷彿として来たのである。4日間を挟んで、観たり、聞いた
りした老人(たち)と犯罪者の男との交流が、醸し出す人情噺と
しての共通性の妙。無銭飲食の男に嫁を取らせ、跡を継がせたい
と思う老夫婦の悲哀に世相が滲む。男の嫁は、美人に、という落
ちは、「めんくい」。

「熊谷陣屋」は、9回目(人形浄瑠璃の舞台を入れれば、10回
目)。いつ観ても、なにか、新しい印象を付け加えてくれる、素
晴しい演目だ。今回は、直実が、仁左衛門、相模が、雀右衛門、
義経が、梅玉。配役のバランスが良い。思えば、11年前に初め
て観た、1994年4月の歌舞伎座では、直実:幸四郎、相模:
雀右衛門、義経:梅幸であった。因に、直実は、幸四郎が5回、
仁左衛門が、今回含め2回、吉右衛門、八十助時代の三津五郎。
相模は、雀右衛門が今回含め6回、芝翫が2回、そして、藤十
郎。

で、今回の劇評の方は、役者の演技論にしよう。まず、仁左衛門
の直実は、2回目だが、初回は、7年前の歌舞伎座、仁左衛門襲
名披露の舞台以来だ。このときも、相模は、雀右衛門。藤の方
は、玉三郎で、弥陀六は、いまは亡き羽左衛門、義経は、團十
郎。今回、弥陀六は、左團次。7年前も、今回も、配役のバラン
スは、良い。なかでも、仁左衛門は、7年前に比べても、風格の
ある直実であった。科白も立派、仁も柄も、ぴったり。「敦盛の
首」、実は、「小次郎の首」が、直実から藤の方に見せるため
に、相模に手渡されるが、仁左衛門の型は、小次郎の首が、母親
の相模に見えるように手渡されるという、独特のものだが、この
仁左衛門家伝の演出は、7年前にも観ているが、今回も、納得し
ながら拝見した。直実と義経のとっては、承知の上でのフィク
ションとしての「敦盛の首」だが、相模は、わが子、小次郎の首
と知っている。ここの登場人物で、真実を知らないのは、義経の
四天王を除けば、敦盛の生母・藤の方だけである。そういうシ
チュエーションのなかで、所縁の者に首を見せよ、という義経の
心も、直実の心も、相模に向いている。相模は、ふたりの意向を
胸で受け止め、藤の方に「敦盛の首」を確認させる前に、小次郎
の首としみじみと対面するのである。そういう意味では、仁左衛
門の型は、非常に合理的で納得しやすい。だから、相模を演じる
雀右衛門も、たっぷりと母の情愛を込めて、首を抱き締め、抱き
締めしながら、小次郎の首にとっては、フィクションの母になる
藤の方へ、「敦盛の首」を渡す間が普通の型より時間が架かり、
充分な見せ場を構成することになる(この場の、フィクションを
強制しているのは、実は、皆が、陣屋の奥に、源氏方の梶原景高
が、首実検の様子を窺っていることを知っているからである。と
ころが、その後、舞台に登場する景高は、皆の努力の甲斐もな
く、「敦盛の首」が、偽首であることを察知してしまうのは、承
知の通りである)。

一方、雀右衛門は、相変わらず、自然体で、母の情愛が、滲み出
ていて、一級品の母の情である。雀右衛門の相模は、息子を殺し
た夫への恨みを滲ませながら、敦盛の身替わりになることを進ん
で承知したであろう息子・小次郎の気持ちを斟酌して虚と実の狭
間で、母性愛を燃焼させる。

ただし、85歳という年齢が、雀右衛門の足と腰を襲い、二重の
舞台から平舞台におりる場面、つまり、陣屋から階(きざはし)
を降りる場面では、藤の方の秀太郎、堤軍次の愛之助に手を引か
れて昇り降りをする場面を見せつけられる。誰もいないときは、
黒衣が、手を引いてくれる。私事で恐縮だが、私の実母は、83
歳、20年前に亡くなった父が生きていれば、雀右衛門と同年で
あるから、私も、雀右衛門には、思い入れが強い。客席から「老
母」の手を引いてあげたいという気持ちになってしまう。数カ月
前から、足裁きも、闊達では無くなっている。先月も、途中、休
演した。大事にしたい役者だ。

しかし、そういう懸念を吹き飛ばすような、雀右衛門の母の情愛
表出は、相変わらず見応えがある。以前は、子を失った母親の気
持ちを忖度しながら演じていたのが、「数年前から、自然にその
思いが少し出せるようになりました」と、雀右衛門は言う。まさ
に、雀右衛門の境地は、そこまで達しているのだろう。男が女形
になり、母親の情愛を演じるという仕掛けは、そこでは無くな
り、戦場で子を亡くした相模が、そこにいる、ということなのだ
ろう。だから、足腰の弱まりを心配する私の思いも、いつか、
吹っ飛び、したたかで、どっしりした、ひとりの母親の情愛を私
も、ひしひしと、しみじみと感じ入っている。仁左衛門の、主君
の命に従って、わが子を手にかけた、父親としての苦しさ、悲し
さも、雀右衛門に劣らず、私の胸に染み込んで来たことも事実で
ある。世の多くの父と母は、皆、わが子に対して、こういう思い
を抱きながら生きて来られたと、私も、自分の息子を思いなが
ら、感じている。親子の情の普遍的なありようを「熊谷陣屋」
は、今回も、新たな気持ちで教えてくれた。今回の雀右衛門の相
模は、敦盛の身替わりとなった息子・小次郎の首を抱き寄せる所
作に真情を滲ませていたと、私は、感じた。

夕闇迫る陣屋、花道の引っ込みを前に、自分が手をかけて、16
歳で殺した息子の全生涯を思い、「ア、十六年はひと昔、アア夢
だ、夢だ」という台詞で、7年前、両目に泪を溢れさせた仁左衛
門は、今回は、涙が流れていなかったが、これはこれで、そのと
きの心境の作り方で、泪が流れたり、流れなかったりするのかも
知れない。名人は、いつも、同じように演じられるという。例え
ば、舞台で投げ出す小道具の位置が、いつも、同じ場所だとい
う、言い伝えが、藝談として聞こえてくるが、それも、そうなの
かも知れないし、そうでなくても差し障りはないのかも知れな
い。ただ、私にとって、7年前、98年2月の歌舞伎座の、仁左
衛門の直実の泪は、強烈な印象として残っている。今回は、それ
が観られずに、残念であったが、ほかの日には、自然と泪が流れ
ていたのかも知れない。

幕外の、直実の引っ込みでは、大間の「憂い三重」から、早間の
「送り三重」に、三味線の撥裁きが変わるが、仁左衛門の引っ込
みに対する、拍手の後で、ざわつきはじめた観客席では、いった
い、何人が、素晴しい三味線の音に耳をそばだてて聞き入ってい
ることだろう。

そのほかの役者。まず、義経の梅玉は、2回目。情味のある、大
らかな義経であった。梅玉も義経に馴染んで来たようだ。弥陀六
の柄があっている役者は、羽左衛門が、亡くなった以降、左團次
ぐらいになってしまったが、今回は、私にとって、4回目の左團
次というで安心、ほかの役者の弥陀六では、段四郎にも、味が
あったのを覚えている。今回の堤軍次は、愛之助。秀太郎の養子
の、愛之助は、女形を軸にしているが、こういう立役も良い。こ
のところ、雰囲気が、仁左衛門に一段と似て来たように思う。そ
の秀太郎は、藤の方で、秀太郎の藤の方は、すでに、観ているよ
うな気がしたが、歌舞伎座初演で、私にとっても、初めて。

さて、所作事二題。「雨の五郎」と「浮かれ坊主」。吉右衛門演
じる「雨の五郎」は、2回目。前回は、5年前の国立劇場歌舞伎
鑑賞教室で観た。五郎は、信二郎が演じていた。「春雨に 濡れ
て廓の化粧(けわい)坂」「雨の降る夜も雪の日も 通い通いて
大磯や」というわけで、雨にも負けず、曽我五郎が、大磯の廓に
居る化粧坂少将の元へ通う様を描いた長唄舞踊。同じような扮装
の五郎が主人公で、蛇の目傘を軸に180度違うシチュエーショ
ンに注目し、前回の劇評では、次のように論じた。

*「晴れてよかろか晴れぬがよいか」「いつか晴らさん父の仇」
という長唄の歌詞に、曽我物語の仇討ちへの強い意志が、「晴れ
と雨」の対比として、かなり明確なメッセージがあるような気が
する。

ということで、「晴れの助六」と「雨の五郎」とを対比して論じ
てみた。今回は、吉右衛門に注目。

幕が開くと、無人の舞台に大せりが落ちている。朱の消し幕。背
景は、廓の大門がシルエットで描かれている。門と柳の木に降る
雨。大せりが上がって来る。朱の消し幕は、黒衣が、ふたりで背
負っていたようで、消し幕の振り落としで、黒地に蝶、むきみ隈
に紫縮緬の頬被りという伊達な五郎が、上がってくるという趣
向。天紅の遊女からの艶文。少将との色模様を描く。大きな蛇の
目傘に白い緒の付いた黒塗りの下駄も、伊達だ。緑色の房の付い
た大太刀2本。すっかり、荒事モード。羽織を脱ぐと、白い浴衣
姿の4人の廓の若い者たちと絡む五郎。黒と白の立回り。頬被り
を取った後は、父の敵討ちを目指す五郎の本懐を物語る荒事とな
る。「父の仇 十八年の天津風」。附け打ち入りの立回りの所作
事。次いで、軽快な手踊りなどを交えて緩急自在のうちに廓情緒
を醸し出し、最後は、荒事の元禄見得で決まる。吉右衛門が、全
編を通じての軽快なテンポの音楽にあわせて、颯爽とした五郎を
演じる。

「浮かれ坊主」は、4回目。初めて観たときは、富十郎で、富十
郎は、可憐な「羽根の禿」から「うかれ坊主」に変身。若い娘と
半裸の中年男の対比の妙。2回目も、富十郎で、このときは、
「鐘の岬/うかれ坊主」。3回目が、菊五郎で、「女伊達/うか
れ坊主」と、皆、「替り目」の組み合わせの妙に一工夫してい
る。それぞれ、独立した変化舞踊だけに、取り合わせは自由で、
役者の創意工夫が、演出の妙を生む。しかし、今回は、吉右衛門
の「雨の五郎」は、一旦幕で終了。つながりがない。今回の「う
かれ坊主」は、一幕もの。しかも、踊り手も富十郎に替る。共通
点は、前半が、(大磯の)廓の門内、後半が、(吉原の)廓の裏
門の外という、設定で、廓内外というところか。

裸に近い願人坊主が、ユーモラスな振りで、ジェスチャーのよう
にさまざまな人物を描いて行く踊り。チョボクレと「まぜこぜ踊
り」。緩怠するところがない。達者な富十郎の当り役。洒脱、滑
稽さ、リアルな描写、緩急自在な所作、いずれも、まさに、名人
芸の域。太り気味の富十郎の体重も宇宙遊泳のような軽やかさ。

「人情噺文七元結」は、明治の落語家・三遊亭圓朝原作の人情
噺。明治の庶民の哀感と滑稽の物語だ。その軸になるのが、酒と
博打で家族に迷惑をかけどうしという左官職人の長兵衛だ。時代
物だと、どうしても、思い入れがオーバーアクションになってし
まう幸四郎なので、あまり期待しないで観ていたら、なんと、こ
のところ、世話物に意欲的に取り組んでいる幸四郎は、初役なが
ら、長兵衛をすっかり乗っ取ってしまったようで、見応えのあ
る、人情味溢れる職人像を造型していたので、感心してしまっ
た。

私が、6回観た「人情噺文七元結」のうち、長兵衛は、菊五郎が
3回、吉右衛門、勘九郎時代の勘三郎、そして、今回の幸四郎。
兎に角、長兵衛は、菊五郎が抜群で、細かな演技まで、自家薬籠
中のものにしている。江戸から明治という時代を生きた職人気
質、江戸っ子気分とは、こういうものかと安心して観ていられる
と思って来たが、今回、初演の幸四郎が、長兵衛役者として、上
位に割込んで来た感じがする。それほど、印象的な長兵衛であっ
た。大川端で身投げをしようとする文七を相手に、「お前(め
え)、お店者だな」という辺りは、松竹映画「男はつらいよ」の
寅次郎役の渥美清の得意の科白「お前(めえ)、さしずめ、イン
テリだな」というイメージと重なって来て、幸四郎長兵衛の成功
を予感させた。その秘密は、これまでの「深刻郎」と揶揄される
幸四郎のイメージと滑稽な長兵衛のイメージの落差を逆に利用し
て、衝撃的な滑稽味を出したということだろうと思うが、いかが
だろうか。

この芝居の特徴は、善人ばかりで成り立っているということだろ
う。すっかり、善人の姿が少なくなり、政治家を含めて、「勝ち
組」に入りさえすれば良いとばかりに、なにかというと他人を出
し抜く昨今の世相を観ていると、善人ばかりが出て来る芝居は、
それだけで、現代への鋭い批判となっていると、思う。歌舞伎の
普遍性は、こういう形でも、世間に情報発信していると、思う。

長兵衛同様に大事なのは、女房・お兼であろう。私が観たお兼役
者は、田之助が、2回。松江時代の魁春が、2回。現在休演中の
藤十郎、そして、今回の鐵之助。これは、田之助が巧い。田之助
は、菊五郎に本当に長年連れ添っている女房という感じで、菊五
郎の長兵衛と喧嘩をしたり、絡んだりしている。いつも白塗りの
姫君や武家の妻役が多い松江が、砥粉塗りの長屋の女房も、写実
的な感じで、悪くはなかった。藤十郎のお兼を観たのは、97年
1月だから、もう9年近く前になり、印象が甦って来ない。78
年から97年までに、本興行で、9回演じている上演記録を見る
と、元気な頃の藤十郎は、お兼を当り役としていたことが判る。
相手の長兵衛が、先代の勘三郎、勘九郎時代の勘三郎、吉右衛
門、富十郎という顔ぶれを見れば、藤十郎のお兼が、長兵衛役者
から所望されていたであろうことは、容易に想像される。今回の
鐵之助は、いわば、抜てきだろうが、その期待に違わぬ達者なお
兼で、見応えがあった。

ついで、長兵衛一家の、親孝行な一人娘・お久は、今回も、宗之
助だが、すっかり、彼の持ち役になっているようだ。私が観たの
は、宗丸時代を含めて、宗之助で4回。いつ観ても、歌舞伎役者
という、男が見えてこないほど、娘らしく見える。上演記録を見
ると、宗丸時代を含めて、本興行だけでも、今回で、8回にな
る。特に、今回は、昼の部の「熊谷陣屋」で、義経の四天王のひ
とり、伊勢三郎の凛々しい若武者姿の宗之助を観ている観客に
とっては、娘姿への変身振りは、なによりのご馳走ではないだろ
うか。17歳で、親の借金の身替わりに苦界に身を沈めようとす
る娘・お久と、「息子」で、19歳で家を出て、9年ぶりにお上
に追われる身になって故里江戸に帰って来た金次郎というふたり
の若者の姿に、昼の部の、秘めた意図を深読みする。それは、若
者への応援歌。若い人たちも、是非、歌舞伎を観に来て欲しい。

さて、外題にある文七役は、今回は、染五郎。私は、3回目の拝
見。昼の部の「息子」金次郎としても、老爺との真意を秘めての
やりとり、ここでも、前半は、身投げをしようとして長兵衛とい
う初老の男をてこずらせる。染五郎は、こういう役が巧い。この
役は、前半の深刻さと後半の弛緩した喜びの表情とで、観客に違
いを見せつけなければならない。染五郎の後半は、少し影が薄く
なる。控えめな役どころだが、もう一工夫欲しいところ。それ
は、深刻さを乗り越えた末の喜びの表出のメリハリが弱いからだ
ろう。今回も、その印象は変わらなかった。

秀太郎の角海老の女将・お駒は、情のある妓楼の女将の貫禄が必
要だが、底には、若い女性の性(人格)を商売にする妓楼の女将
の非情さも滲ませるという難しい役だと思う。私が、10年前に
観た九代目宗十郎は、その辺りが巧かった。その後観たお駒は、
芝翫、雀右衛門、萬次郎、玉三郎、そして、今回の秀太郎は、宗
十郎に近いか。

和泉屋清兵衛「めでたし、めでたし」の幕切れでは、各人の割台
詞が一巡したあと、清兵衛が「きょうは、めでとう」という台詞
にあわせて、煙草盆を叩く煙管の音に、閉幕の合図の柝の音を重
ね、「お開きとしましょうよ」となり、賑やかな鳴物で閉幕とな
るなど、洗練された人気演目のスマートさがにじみ出ている。こ
こも小道具の煙管の使い方が、巧みだ。和泉屋清兵衛は、いまは
亡き、先代の権十郎が良かった。
- 2005年11月23日(水) 13:50:55
2005年11月・国立劇場 (「絵本太功記」)

「絵本太功記」は、「尼ヶ崎閑居の場」ばかりが上演される。十
三段の人形浄瑠璃は、明智光秀が織田信長に対して謀反を起こす
「本能寺の変」の物語を基軸にしている。十段目の「尼ヶ崎閑居
の場」が、良く上演され、「絵本太功記」の「十段目」というこ
とで、通称「太十」と呼ばれる。本来は、一日一段ずつ演じられ
たので、「十段目」は、「十日の段」と言ったという。今回は、
明智光秀こと、武智光秀を軸に尾田春永、真柴久吉、加藤正清、
森蘭丸らが、登場し、序幕として、朔日(一日)が「二条城」、
二日が「本能寺」、二幕目として、六日が「妙心寺」、三幕目と
して、九日が「大物浦」、大詰として、十日が「尼ヶ崎」が上演
される。人形浄瑠璃の通し上演の段立てに倣ったようだ。今回
は、珍しく、通し上演なのである。「太十」は、今回含めると4
回拝見したことになるが、通しは、初めて。

そこで、今回の劇評の論立てを構想し、整理してみた。まず、
1)「通し上演」と、普通の「太十」との違いを論じよう。次
に、2)外題の「絵本太功記」の意味。そして、3)役者論。そ
ういう3つの「太」い柱を建ててみた。

「太十」だけの上演では、前半が、十次郎と初菊の恋模様、後半
が、光秀と久吉の拮抗。特に、光秀の謀反を諌めようと久吉の身
替わりになって竹槍で息子に刺される母の皐月の場面などが、見
せ場がある。戦争に巻き込まれた家族の悲劇を、それぞれの立場
で描く。いわば、反戦狂言。

1)ところが、原作の13冊本のように、六月一日から十三日間
を順を追ってというほどではないにしろ、今回のような、光秀の
謀反への経緯を順を追って展開させると、まず、発端の安土城
は、なし。

朔日の、二条城。金地の襖には、中央が、松と竹、上手と下手
は、外側から内側へ、松と桜、唐獅子と牡丹。幕が開くと、皆、
下を向いている。竹本で、名を告げられると、まず、我當の尾田
春長が、人形から、生き身に変わる。次いで、進之介の勅使浪花
中納言という順で、息を吹き返す。「仮名手本忠臣蔵」の大序の
演出を真似ている。権力者(内大臣)春長の居城らしく、紅毛の
バテレン、印度人の従者も末席に控えている。勅使饗応の席で、
春長(我當)に難癖を付けられ、春長に命じられた森蘭丸(孝太
郎)にいたぶられ、額に傷を付けられた光秀(橋之助)が、主
(ぬし)に対する謀反の気持ちを沸き上がらせるのは、良く判
る。光秀の鬘を割る額の傷は、正装の烏帽子で隠されていた。俯
いて、傷から流れ出る血を指に付けた紅で、密かに描く橋之助。
そういう所作さえ、演技にしてしまう歌舞伎という芝居。春長
は、まさに、理不尽な上司だ。蘭丸は、春長の手足となって乱暴
を働く憎まれ役。橋之助は、幕外の、怒りの演技が巧かった。ブ
ルルッという大きな声を出した後、花道七三で、横を向いたま
ま、不敵な笑みを浮かべる。正面を向いてからの睨み、また、不
敵な笑み、睨み、畳み掛けるように変化する表情に、光秀の怒り
の深まりが滲み出て来る。引っ込み。

そして、遂に、光秀による謀反の実行が、二日の本能寺。網代塀
の道具幕が、降り落とされると、阿野(あのう)の局の舞を楽し
む春長。座敷には、雪洞も置いてあるので、夜の場面と知れる。
無気味な烏の啼声が、異変を予兆する。寝所に入った春長が、襲
われる。部下をいたぶった春長は、物見にたった蘭丸から、謀反
の主が、あの光秀と知って、自害を決意する。「蘭丸、さらば
じゃ」で、姿を隠す春長。大道具は、鷹揚に廻る。武智方の閧の
声。大道具、半回しで、本能寺の長い廊下が、斜に止まる。さす
がの演出。客席から見ると、この方が、廊下が長く見える。尾田
方、武智方、双方の軍兵の大立ち回り。さらに、舞台は、廻り、
廊下も正対する。柱に仕掛けた矢が突き刺さるように見える。鉄
砲の音。蘭丸も、春長の代わりに奮戦し、傷付き、最後は、割腹
する。戦の場には、春長は、いないまま、芝居は展開する。余韻
を持たせる省略法。

三日の高松城、四日の小梅川(こばいかわ)の陣、五日の久吉陣
屋は、なし。

六日の妙心寺では、光秀の家族が住まう。謀反の息子を譏り、粗
服で、家出をしてしまう母親の皐月(吉之丞)。暫定ながら、天
下人になって、凱旋して来たはずの光秀は、浮かぬ顔。光秀は、
人を遠ざけ、銀地に山水画の衝立を裏返して、なにやら、漢詩を
書く。「順逆無二門、大道徹心源、五十五年夢、覚来帰一元」。
辞世の詩である。人生五十年と言って、自害した信長、五十五年
は、夢と言って、自害しようとする光秀。物陰から飛び出して来
た光秀の息子の十次郎(魁春)と家臣の田島頭(たじまのかみ・
歌六)が、止める。万民のため、暴君を討ったのだから、天下人
になるべきだと諌められる。次の敵、久吉に対抗すべく出陣する
立烏帽子、大紋の拵えの光秀。従う十次郎と田島頭。

七日の杉の森、八日の春長初七日のチャリ場も、なし。

九日の大物浦も田島頭、旅僧献穴(家橘)が百姓に化けて、陣屋
の久吉に近付き、献穴は、逆に殺されてしまうが、これも、チャ
リ場。かがり火で、この場面も、夜と知れる。殺された献穴の袈
裟衣を剥ぎ取って、持ち去る久吉は、十日の尼ヶ崎では、その袈
裟衣を着て、旅僧に身を窶して皐月閑居に一夜の宿りを乞うから
だ。

そして、十日の段というわけだ。今回の「太十」では、「夕顔
棚」という導入部(人形浄瑠璃の「端場(はば)」は、歌舞伎で
は、滅多に演じられない)も、4人の百姓を出して、略さずに演
じるという貴重な場面を観ることができた。今回の、いわば、半
通し上演では、光秀の軌跡が良く判り、その上、古典復元を目指
す国立劇場らしい古風な細部を生かした叮嚀な演出とも相まっ
て、おもしろく拝見した。

蓑を着け、竹の子笠を持って「夕顔棚のこなたより現れ出(い
で)たる武智光秀」で、雨が降っているのが、判る。額に大きな
三日月の傷があり、菱皮の鬘も、猛々しい。いつもの「太十」の
場面だ。従来の「太十」だけの上演では、時空が、限定されてい
る。通しで芝居を観ることで、「絵本太功記」が、光秀の謀反の
顛末記だということが、良く判ったし、武将の理想と家族への情
愛との間で苦悩する光秀の心情も、理解できた。

2)さて、なぜ、光秀の謀反記が、秀吉の「太閤記」になぞらえ
た外題が付けられたのだろうか。人形浄瑠璃の芝居は、当時、巷
で流行った読本の「絵本太閤記」の人気にあやかろうとしたの
で、「絵本太功記」と同音異義を仕組んだのだろう。ここから
は、推理だ。「太功記」は、光秀の謀反を「太い功」と讃えてい
る。久吉に「対抗」する光秀を贔屓している大衆の権力への反逆
心が伺える。だとすれば、「絵本」にも、意味がありそうであ
る。単なる、芝居の2年前に流行った読本の「絵本」というだけ
ではないのではないか。絵の本。「絵」、つまり、美学が隠され
ているのではないか。隠されているとすれば、どういう美学だろ
うか。それは、やはり、「滅びの美学」だろう。権力を乱用した
挙げ句、臣下に背かれた春長の「滅びの美学」。主に謀反しなが
ら、晴れ晴れと凱旋せず、鬱々として、滅びて行った光秀の美
学。そういう、「滅びの美学」への、近松柳らの合作者たちの、
共感が外題に秘められて、いはしないだろうか。そこには、滅び
ずに老醜を晒した秀吉への批判、さらには、江戸幕府の開祖・徳
川家康への批判、芝居を取り締まる寛政期の時代の権力者への、
秘められた批判が、伺えやしないだろうか。

3)さらに、役者論である。「太十」だけでも、時代物の典型的
なキャラクターが出揃う狂言である。それぞれ、仕どころのある
役柄として揃っている名演目のひとつ。

◎まず、團十郎代役の橋之助。座頭の位取りの辛抱立役で、謀反
の敵役でもある光秀は、本来、團十郎が予定されていた。病気再
発で、休演の團十郎に替って「現れいでた」のが、橋之助。光秀
は、團十郎で2回、幸四郎で1回。それだけに、團十郎の印象が
強い。橋之助は、役者として、ビッグチャンスだが、橋之助の光
秀を観ていると、演技の節々に團十郎なら、どう演じたかを思わ
せてしまうところがある。菱皮の鬘に眉間の傷というおどろおど
ろしい光秀の團十郎は、眼光鋭く、時代物の実悪の味を良く出し
ていたのを思い出す。無言劇のように、科白のほとんどない悲劇
の主人公・光秀を團十郎は、重厚ながら、細かいところにこだわ
らない、おおらかさで演じていた。この辺りは、橋之助では、ま
だ、弱い。光秀の難しさは、いろいろ動く場面より、死んで行く
母親(特に、母親の皐月は、自ら、久吉の身替わりを覚悟した=
久吉の着ていた墨染の衣を被っている=とは言え、過って、息
子・光秀に竹槍で刺されて、殺されるのだ)と戦場で傷付き、や
がて、目が見えなくなり、死んで行く息子・十次郎のふたりの死
を見ながら、表情も変えずに、舞台中央で、眼だけを動かし、
じっとしていることだろう。演じない演技とでも言おうか、この
光秀には、そういう難しさがある。こういう場面は、外形的な仕
どころがないだけに、肚の藝が要求され、難しいのではないか
と、橋之助を観ながら、改めて感じた。

○若真女形の役どころ、赤姫のような扮装の、十次郎の許嫁・初
菊には、孝太郎というのは、順当だが、実は、孝太郎は、前半、
序幕の二条城と本能寺では、立役で、森蘭丸を演じる。森蘭丸の
ときは、声も太くて、良い若衆役であった。足の運びも、猛々し
くて良かった。立回りも、巧い。もうひとりの真女形、魁春も、
立役の武智十次郎を演じる。こちらは、声が、甲(かん)の声に
近いままで、ちょっと興醒め。十次郎は、「太十」では、赤い衣
装に紫の裃で、「十種香」の武田勝頼のよう(二条城、妙心寺で
は、違う色の組み合わせで裃を着ていたが、メモから欠落してい
るので、ここに明記できない)。その後、出陣のため、鎧兜に身
を固めた十次郎は、義経のよう。最後は、戦場で深手を負い、や
がて、盲いて死んでしまう。魁春は、声、足の運びが、女形っぽ
いが、その外は、無難に演じていたと思う。このほか私が観た初
菊は、松江時代の魁春で1回、福助で、2回。十次郎は、染五
郎、新之助、勘九郎時代の勘三郎。これは、若手ふたりは、初々
しい十次郎であった。芝翫によれば、十次郎は、女形が演じる役
だというが、あまり、観たことがない。立女形の妻・操は東蔵が
演じていたが、雀右衛門で2回、芝翫で1回観ている身として
は、やはり、東蔵では、小粒感が残るのは、致し方ないか。操
は、母の情愛、位取りをどっしりと演じなければならない。光秀
の母・皐月に老女形の吉之丞だが、これも、権十郎、田之助、東
蔵と観て来たから、やはり、田之助は、別格か。皐月も、位が見
えないといけない役なので、かなり難しいと思う。このほか、春
長の側室で、艶やかな舞を披露する阿野(あのう)の局に右之
助、光秀の腰元たちのなかには、私の贔屓する芝のぶもいる。

●光秀に対抗する立役の久吉に芝翫だが、これは、局面事にでて
くるだけだが、大御所風にゆったりとしている。私が観た久吉
は、富十郎、我當、橋之助。「太十」以外の場面では、序幕の二
条城、本能寺で重要な役どころ、天下を狙う、国崩しに近い敵役
の尾田春長に我當が、風格を備えた敵役というところか。森蘭丸
の弟・力丸には、歌昇の息子で、高校1年生と、若い種太郎。四
方天(しほうでん)田島頭は、大物浦で百姓・長兵衛に化けて、
チャリも交えながら、久吉の陣屋に近付くなど、仕どころのある
役で、存在感があるのが、歌六。歌六は、今月は、歌舞伎座と掛
け持ち。歌舞伎座昼の部の最初の演目「息子」という翻案ものに
出演。江戸の人情話に仕立てられた芝居で、人情溢れる頑固な老
人を演じる。国立劇場に出演した後、歌舞伎座夜の部では、「お
さん茂兵衛」で、悪賢く、剽軽で、スケベな番頭を演じている。
全く役柄の違う3役を木挽町と三宅坂を往復しながら、見事に演
じ分けていて、偉い!!。このほか、旅僧献穴、実は、宝国寺の
南山和尚という高僧を演じる家橘は、旅僧に化けた、いわばスパ
イだが、久吉も、殺した献穴の衣装を剥ぎ取り、同じく旅僧に化
けて、「太十」では、尼ヶ崎の皐月の隠れる閑居に忍び入るのだ
から、おもしろい。蘭丸と争う光秀方の武将・安田作兵衛の市
蔵、勅使浪花中納言の進之介、加藤正清の男女蔵など。

贅言:今回演じられた「妙心寺」は、春長を討った光秀が、家族
の元へ凱旋した寺。実は、信長と「逆縁」がある。応仁の乱で、
焼失したが、その後再興された寺。戦国時代、武田信玄に帰依
し、甲府盆地にいまもある恵林寺(えりんじ)の住職になった快
川紹喜(かいせんじょうき)は、信玄の息子・勝頼が信長に滅ぼ
された際、信長に抵抗した挙げ句、恵林寺を焼かれ、自身も火中
で亡くなったが、「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」と言った
という。光秀所縁の妙心寺の流れを組む僧侶の意地の見せ所と
思ったのかも知れない。

恵林寺へは、春に行ったことがある。桜が咲いている時期なの
に、珍しく雪が降り、満開の桜の花の上に、雪が、ゆるりと積も
り、桜色の餡を入れた大福のように見えたのを覚えている。恵林
寺は、その後、甲府盆地に入って来た徳川家康によって、手厚く
保護された。だから、甲府盆地では、信長の評判は悪く、家康の
評判は良い。

甲府徳川家は、祖が家光の子の綱重で、その子・綱豊が、後に、
五代将軍綱吉の養子から、後を継いで、六代将軍家宣となるな
ど、徳川家の名家である。綱豊卿は、真山青果原作の「元禄忠臣
蔵」のうち、「御浜御殿綱豊卿」という芝居が、かかる度に、舞
台でお目にかかることができる。

ところで、京都の妙心寺には、信長の死から5年後、光秀の叔父
の密宗和尚が、光秀の菩提を弔うために「明智風呂」と名付けた
風呂を創建したという。京の庶民は、光秀の命日の六月十四日に
は、この風呂に入ったという。この習慣は、江戸時代まで続いた
と伝えられている。

- 2005年11月15日(火) 22:59:20
2005年10月・国立劇場 (「貞操花鳥羽恋塚」)

国立劇場で、鶴屋南北生誕250年歌舞伎公演を観る。南北は、
1755年生まれで、1829年没。今回は、南北54歳の時の
作品「貞操花鳥羽恋塚(みさおのはなとばのこいづか)」を通し
で上演。通し狂言といっても、原作から見れば、半通しといった
ところ。それでも、休憩を挟んで12:00から17:00前ま
でということで、実質的に4時間の長丁場だ。これで、3等席な
ら1500円というのは、実に安い。それも、生の舞台で、一流
の歌舞伎役者の演技を観るのだ。要は、舞台と自分の座る客席の
距離、位置、角度の違いが、料金の差になる。芝居から得られる
情報は、観る側の眼力によるから、高い席で得られる情報と安い
席で得られる情報と、どう違うのか。どの席にも、得られる情報
には、限度がある。良い席でも、得られない情報があるし、悪い
席でしか、得られない情報もある。例えば、今回のような「宙乗
り」は、「宙の花道」を役者が引っ込むまで全てを見届けるの
は、1階より、3階の席の方が有利だ。私は、国立劇場では、3
等席の最前列の「10列」が、愛好の席だから、今回も、そこで
拝見。

南北が長い下積み生活を終えて、河原崎座で立作者になったの
は、49歳、1803年のことだ。名前は、まだ、南北を名乗っ
ていない。勝俵蔵だ。1804(文化元)年7月河原崎座の「天
竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」で、2ヶ月半
の上演という大成功を納め、立作者の地位を不動のものにした。
以後、「四天王楓江戸粧(してんのうもみじのえどぐま)」、
「彩入御伽艸(いろえいりおとぎぞうし)」、「時桔梗出世請状
(ときもききようしゆつせのうけじよう)」、「阿国御前化粧鏡
(おくにごぜんけしようのすがたみ)」などを上演し、1809
(文化6)年11月、河原崎座の顔見世興行が「貞操花鳥羽恋
塚」であった。俵蔵、54歳の作品。南北を名乗るのは、57歳
から。

「貞操花鳥羽恋塚」は、袈裟御前、遠藤武者盛遠、渡辺亘の「鳥
羽恋塚」の物語を軸に、崇徳院、阿闍梨と源頼政という、さあr
に、ふたつの物語を綯い交ぜにして、平家物語の「世界」を、オ
ムニバス構成の展開で、荒唐無稽な話だが、全体的には、怨念を
ベースにした怪奇物語になっている。複雑な構成なので、どうい
う形で、劇評を書くか、悩ましかったが、情報を整理し、劇評構
成案をスケッチした上で、翌日、構想をまとめて書き出した次第
だ。それでも、いつになく長めの劇評になった。初見だから、書
きたいことが、溢れて来る。ご容赦願いたい。

国立劇場では、25年前の1980(昭和55)年、11月に復
活上演している。郡司正勝補綴・演出で、今回とは、構成自体も
大きく異なるということで、国立劇場では、25年ぶりの「再
演」とは、位置付けずに「新たに作り直した台本」としている。
私は、25年前の舞台は観ていないので、全くの初見であるの
で、前回の舞台とは関わらずに、批評を進めたい。

1)今回の、「世界」の構造。「平家物語」である。平家物語の
うち、「保元・平治の乱」以降に時代を置いた。序幕は、基本的
に大詰のための顔見せという位置付け。原作の「厳島神社」を止
めて、「祇園女御(ぎおんにようご)」の伝説に登場する油坊主
(祇園火とぼし)が、実は、大詰「鳥羽恋塚」の「高雄神護寺の
場」の主要人物・遠藤武者(富十郎)の顔見せとなる「だんま
り」という演出をとったため、「祇園社境内の場」として、設定
されている(贅言;「祇園火とぼし」は、澤田ふじ子の作品にも
出て来たと、思う)。従って、序幕に出て来る役者は、皆、「実
は」という人が主軸で、「仕丁姿の女」は、大詰の袈裟御前(時
蔵)であり、忍び頭巾の侍は、大詰の渡辺亘(梅玉)である。も
うひとつは、二幕目への伏線として、平宗盛(信二郎)と臣下の
武蔵有国(彦三郎)、後の実は、奴・音平となる、有国を仇と狙
う、物かはの蔵人(くらんど)満定(松緑)なども、登場する。

今回の芝居は、いわば、3つの物語を綯い交ぜにしている。ひと
つが、いま触れたように、大詰で展開される「鳥羽恋塚」伝説。
袈裟御前が、夫・渡辺亘の身替わりに遠藤武者を騙して、遠藤武
者に討たれる「貞女の鏡」伝説を元にしている。

ふたつ目は、保元の乱で敗れ、怨念を武器に魔神(天狗)に変身
する崇徳院所縁の怪奇物語。今回は、三幕目「讃洲松山」の場面
で登場する。流人の身に落ちぶれた崇徳院(松緑)は、屏風ヶ浦
崖下の庵室で魔界の首領となるべく祈願を続けている凄まじい人
物。わが子を連れて逢いに来た待宵の侍従(孝太郎)を拒絶し、
わが子を殺してまでの、徹底した意志力で、祈願を成就させ、神
通力を備えた天狗に変身するさまを松緑初演の「宙乗り」を交え
て、表現する。

3つ目は、二幕目に登場する源三位(げんざんみ)頼政と頼豪阿
闍梨(らいごうあじゃり)の物語。源氏ながら、平治の乱で、平
家方に付いた頼政(梅玉)は、いまでは、高倉の宮以仁(もちひ
と)王を擁して平家打倒を目指している。三井寺の庵室にいる頼
豪阿闍梨(歌六)は、祈祷の力で建礼門院に男子を出産させたと
しながら、戒壇設立の約束が果たされなかったと平家を恨み、断
食修行の末に、死して鬼畜となろうという、これまた、凄まじい
人物である。

頼政館では、以仁王が、千束(ちづか)姫(梅枝)として、身を
隠している。平家方は、源氏方に本家返りをした筈の頼政を疑
い、千束姫を平宗盛(信二郎)に差し出せと上使として、武蔵有
国(彦三郎)を送り込んで来る。その平家方と頼政の駆け引きが
見せ場。それに、後に頼政の姪と判る蜑(あま)・小磯(時蔵)
と奴・音平(松緑)の許嫁の縁探しが絡み、小磯の千束姫への身
替わり(役者としての時蔵は、この身替わりと、大詰の夫・亘へ
の身替わりという二重性を演じている)話も絡む。

不運の運命(さだめ)の星の下にある頼豪阿闍梨は、頼政と平家
方の駆け引きに巻き込まれ、平家方が密かに仕掛けた毒酒を、何
も知らぬ頼政に勧められて飲み干し、頼政への疑念を抱いたま
ま、悶絶する。頼豪阿闍梨は、仏壇返しで床の間の壁の中に消
え、消えた後には、「南無阿弥陀仏」の掛け軸が揺れている。そ
して、阿闍梨怨念の化身として鼠の大群が館内を駆け巡る。

従って、今回の芝居は、3つの物語のオムニバス構成を愉しみな
がら、あまり、全体を追わずに観ることが大事だろう。一歩引い
て、全体を観終ると、政治的に敗者となった人たちの「ルサンチ
マン(怨念が、反復、内攻している)」劇が、怪奇現象を伴いな
がら、大きな流れとして浮かび上がって来るのが、判る。まあ、
それより、荒唐無稽な細部(エピソードであり、大道具であり、
仕掛けであり)を楽しみながら、十二分に騙されて、観劇後、良
い気持ちになるかどうかというのが、今回の観劇のポイントだろ
う。

2)細部のおもしろさ。「ウオッチング」で、気が付いた場面か
ら、暗闇で、書きなぐった、私のメモを元にしながら、いくつか
細部の見どころや役者の演技の目の付けどころを拾ってみよう。

○「序幕」。本舞台は、祇園社境内だが、原作の厳島神社を彷彿
とさせる朱塗りの舞台がある。上手には、紅白の梅2本。下手に
は、白梅。舞台では、白拍子姿の待宵の侍従(孝太郎)と物かは
の蔵人(松緑)。やがて、両花道を使って、本花道から、源頼政
の家臣・渡辺唱(亀三郎)と、仮花道から、平宗盛に仕える奴・
くだ平(男女蔵)が、いずれも獅子頭を持って登場する。癇癪持
ちらしい宗盛は、神事に耳障りな鴬をくだ平に命じて、射殺させ
る。鴬の血が、崇徳院の忠実な臣下・瀧口常久(玉太郎)が持参
した崇徳院筆写の一巻の経文にかかると「人魂」のような妖しい
炎が現れ、くだ平の身体が痺れ出す。ホラー芝居の幕開けだ。

○(舞台は、廻る)擬音社裏手。院宣(後白川法皇が源頼朝に対
して平家追討を命じる)を持つ密使とくだ平の争い。相打ちで、
ふたりとも死ぬ。社の裏壁を壊して出て来たのが、麦藁笠を被っ
た油坊主(富十郎)が、落ちている院宣を奪う。続いて現れた頭
巾の侍(梅玉)、花道から姿を見せた仕丁姿の女(時蔵)。3人
とも、得体が知れないまま、「だんまり」となる。原作の厳島神
社、つまり海辺のだんまり(例:「宮島のだんまり」)が、祇園
社、山中のだんまりに変わっている。

○「二幕目」。頼豪阿闍梨を演じる歌六の存在感の出し方。蜑
(あま)・小磯が、頼政の姪と判り、千束(ちづか)姫の身替わ
りとするために、頼政が小磯に姫の衣装を着せるが、企みを知ら
ぬ小磯が、「娘」から「姫」へ変身し、誰ぞのところへ嫁に行く
という喜びを表現する場面での、時蔵の演技の巧さ。千束姫、実
は、高倉の宮以仁(もちひと)王として、正体を顕わす時蔵の長
男・梅枝の演技。櫃に潜んで頼政とともに、頼政館に入って来た
頼豪阿闍梨は、以仁王の剣難除去の行法をするが、その際の、
「黒い剣難の固まり」が、物の怪のように、以仁王の胎内から退
散する仕掛け。

○先に触れたように、平家方の武蔵有国(彦三郎)らが、仕掛け
た毒入りの神酒を、源氏方の皆が、知らないまま、飲まされた頼
豪阿闍梨は、頼政の仕業と誤解しながら、悶絶死し、「仏壇返
し」の仕掛けで姿を消し、その後、鼠の大群に化身するが、その
仕掛けのおもしろさ。酒を進めたために阿闍梨に食い殺される腰
元巻絹(歌江)。味方と思ったのに裏切られたという疑念とその
ための恨みを抱いたまま、鬼畜になった頼豪阿闍梨の妄念の凄ま
じさ。平家方の武蔵有国(彦三郎)らが、時計に隠した「霊猫の
香炉」が、発覚し、光る仕掛けなど、手品(日本手妻)の工夫が
あるという。

○「三幕目」。屏風浦の場面から、崖下、崇徳院御在所の場面へ
の大道具の展開の妙。舞台が、暗転し、廻りながら、大せりが、
せり上がりはじめる。奈落から崖と御在所の庵室がせり上がって
くるが、暗闇のなかに奈落の灯が洩れて、一見すると、何が廻っ
て来たのか判らない。せり上がった大道具は、さらに、舞台前方
に押し出されて来る(特に、庵室)。舞台下手の地絣が取り払わ
れ、浪布に覆われた海辺。花道にも、浪布。この大道具の展開
は、見事だった。花道は、沖合いになっている。

○やがて、花道から待宵の侍従(孝太郎)を乗せた苫船が浜辺に
着く。黒衣ならぬ紺色の浪衣が、3人がかりで、花道の上下か
ら、船を押す。待宵は、胸に赤子を抱いている。浜辺の木の枝に
引っ掛かっているのは、崖上から瀧口常久(玉太郎)が落とした
魚籠(びく)と魚籠に入ったままの御教書(崇徳院殺害を命じる
平清盛の書)。都合良く、木の枝に引っ掛かったものだ。待宵の
侍従は、抱いていた赤子と持っていた黒塗りの笠と杖を木の根元
に置くが、その際、魚籠も枝から下ろし、笠などとともにまとめ
て置いた。何故かと思ったら、魚籠に入れて赤子の若君を休ませ
ておくのだった。

○侍従の一夜の宿りを拒否する「父親」崇徳院は、わが子、若君
を見せられても態度を変えないどころか、魔道に入るため、生き
物の命を奪う「行」の末に、わが子の命を奪い、神通力を身につ
ける有り様だ。落語の「崇徳院」でお馴染みの「千早振
る・・・」(上の句)と、「割れても・・・」(下の句)を合わ
せても、「あわんぞと思う」とはならずに、待宵の願いを聞き入
れない崇徳院は、首まで切り取られたわが子を抱いて、海に身を
投げ入れた待宵の無念さをも、負のエネルギーに加えて大魔神へ
の道を疾走する。待宵を助ける常久も、これでは、どうしようも
できない。

庵室の御簾の上げ下げの間に、隈取りをし、黒い衣装に着替え
て、崇徳院は、魔神まで、あと、一歩。崇徳院写経の一巻を持
ち、仮花道から都の霊場へ向かう常久は、仮花道から、立ち去る
(本花道は、海だから船がなければ行けないのだ)。やがて、庵
室は、屋体崩しになる。庵室上手にあった紅葉退の木まで、いっ
しょに倒れる。崇徳院は、崩れた庵室の柱を振り回し、平家方の
侍たちを蹴散らす。人間から、人形に変わったひとりの侍を抱き
ながら、「宙乗り」へ舞い上がる松緑。雲の道具幕が、振り被せ
になり、暗転。

○確信的な信念の末に魔神になる崇徳院と疑念と恨みを抱いたま
ま、この世に怨念を残して、鬼畜になった頼豪阿闍梨のどちら
が、「危険」かというと、私は、頼豪阿闍梨の方が、危険性は高
いと思う。

○魔神(天狗)になって、暗転のなか、いつのまにか、客席中央
で「宙乗り」になっていた松緑の崇徳院は、明転すると、舞台下
手から、2階の上手へ、斜に「横断」するという、珍しい「宙の
花道」コースを辿って行く。途中で、宙乗りのまま、(後見の助
けも借りずに)「ぶっかえり」で、黒い衣装は、炎の衣装に変わ
る(鳴神上人と同じだ)。25年前の復活上演の際には、この場
面、烏天狗の群舞があったという。それも、おもしろそうだ。や
がて、宙乗りの途中で、柝が入り始め、定式幕が閉まりはじめる
ころ、崇徳院は、2階座席上手に設置された虚空へと姿を消して
行った。

贅言;菅原道真、天神さまの霊に続いて、崇徳院の霊は、いま
も、虚空を彷徨っているか(国立劇場の筋書には、今回の芝居の
登場人物所縁の場所を四国の坂出市、滋賀県の大津市、京都府の
京都市、宇治市など写真入りで、4ページの特集を掲載してい
る)。

○「大詰」。源平の争いもクライマックス。以仁王(梅枝)が身
を隠す高雄の神護寺。渡辺亘(梅玉)を巡る薫(孝太郎)と袈裟
御前(時蔵)の女の戦いが、絡む。以仁王を助けるための女たち
の身替わり争いという二重性でもある。袈裟御前の兄で、源氏方
の長谷部信連が、奴・長谷平として、身を潜めている。これも、
もうひとつの二重性。両花道から、渡辺亘(本花道)、遠藤武者
(仮花道)の登場。今回の芝居の座頭である富十郎は、序幕での
顔見せ以来、登場しなかったが、やっと、本番の遠藤武者として
登場。袈裟御前を軸にした渡辺亘と遠藤武者の恋の争い。「鳥羽
恋塚」の開幕。以仁王を軸とした渡辺亘と遠藤武者の源平の争い
との二重性。実は、遠藤武者も、隠れ源氏方だが、まだ、正体を
見せない。

○亘の妻となった袈裟御前は、亘が、町家での生活を望むと、遠
藤武者と町家の暮らしの気軽さ、夫婦喧嘩の様を演じてみせる。
「義経千本桜」の「鮓屋」の、弥助とお里の夫婦ごっこの場面を
思い出させる。下世話に通じた南北らしい挟み込みだ。時蔵は、
時代の科白と世話の科白を巧く使い、客席を笑わせる。いくつか
の二重性が、錯綜する場面。スペクタクルの三幕目と違い、大詰
の前半は、舞台が、庭先の場面に廻っても、石段の場への伏線を
引きながら、科白劇が続くので、ちと、退屈。

○やがて、一旦、幕。つなぎの柝の音を聞きながら、第三場「神
護寺石段の場」を待つ。石段の上では、以仁王(梅枝)を平家の
追っ手や阿闍梨化身の鼠の大群から守る仕丁又五郎(亀三郎)
ら。黒衣の操る鼠の動きが、おもしろい。石段下、下手の柵の柱
を切り倒して遠藤武者(富十郎)登場。10段もある高い石段を
上り、渡辺亘の寝所に忍び込む。やがて、亘(梅玉)が、石段下
に現れる。亘を殺して、首を持って出て来た筈の遠藤武者。石段
を下りかかり、途中で、首を確かめると、それは、亘ではなく、
袈裟御前の首ではないか。江戸時代から五代目海老蔵、四代目小
團次、初代権十郎(後の、九代目團十郎)などの名優が演じ、何
度も役者錦絵に描かれた名場面である。石段下に現れた長谷部信
連(信二郎)の、あわせて3人が、石段を挟んで、三角形を作る
が、視覚に訴える絵画的な場面で、何とも、印象的だ。大道具の
使い方の巧さを感じる。信連が告げる妹・袈裟御前の真意。「以
仁王を救うため」。実は、その思いは、袈裟御前ばかりでなく、
亘も遠藤武者も同じだったという。「鳥羽恋塚」、「貞女伝説」
の白眉の場面。遠藤武者は、後の文覚上人、亘は、重源として、
それぞれ出家。袈裟御前の菩提を弔う。急に、抹香臭い話になっ
てきた。

○ここで、石段が、奥へ引っ込む。石段ごと神護寺は、大せりで
せり下りる。舞台に残るのは、遠藤武者と亘のふたり。遠藤武者
は、袈裟御前の首を以仁王の首と偽って、平宗盛に届けた後、院
宣を伊豆の頼朝に届けるつもり。亘は、以仁王秘蔵の笛を陸奥の
義経に届け、源氏方の決起を促しにに行く。やがて、両花道か
ら、引っ込み。富十郎は、本花道、梅玉は、仮花道から。それぞ
れに、上手、下手に三味線方が、出て引く「送り三重」の三味線
の音が、被さる。背景の書割りには、大きな月が出ている。

3)役者論。今回は、「実は、」という、ふた役も、多いのだ
が、実は、長丁場の所為で、「実は、」ではない、ふた役も多
い。ここでは、紙数も増えて来たことから、「実は、」ではな
い、ふた役を演じた役者たちを中心に演技振りを批評したい。時
蔵、梅玉、孝太郎、信二郎、松緑、男女蔵。その上で、実質的に
一人を演じた富十郎、歌六、そして、梅枝を論じたい。

○まず、全く違うふた役を演じた役者たちのうちから。時蔵は、
蜑・小磯と袈裟御前。ふたりとも、身替わりになる役目。また、
小磯は、娘から姫として輿入れする気になる場面があったり、町
家の暮らしを時代から世話に科白を変えて演じる場面があったり
する難しい役どころ。身替わりでは、いずれも、内に秘めたもの
を感じさせながら、演じなければならない。今回は、来月18歳
になる長男の梅枝も、重要な役どころで出演しているので、気を
使わないとは、いっても、父親として気を使っていただろうが、
いずれの役もくっきりと、演じていたと、思う。梅玉は、源三位
頼政と渡辺亘。頼政は、殿様として、「偏屈な」頼豪阿闍梨も含
めて、関係者を取り仕切らなければならないが、風格を出して、
仕切っていたように思う。渡辺亘は、いつもと変わらぬ色男だ
が、梅玉も、そろそろ大きく脱皮を目指す時期に来ているのでは
ないか。

○孝太郎は、待宵の侍従と薫。待宵は、崇徳院との間に子供を設
けたのは、良いが、破滅型の、自己中心の、とんでもない男に翻
弄される。父親・崇徳院になぶり殺されたわが子ともども、悲劇
の人である。そういう運命の悪さが、滲んだ、暗い、おとなしい
女性を演じていた。もうひとりの、薫は、娘娘した初々しさがあ
りながら、若い女性にしては、珍しい、大局の見える人で、その
感じが伝わって来た。別の役者が演じているように見えたのは、
特筆。双眼鏡で見た「受け口」で、孝太郎と判明(というのは、
少し大袈裟だ)。孝太郎は、脱皮しつつあるのではないか。信二
郎は、平宗盛と長谷部信連。源平双方に股裂きされそうな配役だ
が、平宗盛は、序幕だけので出、隈取りもしており、やりやす
かったのではないか。奴長谷平、実は、長谷部信連は、美味し
い、良い役で、これまた、やりやすかったはず。

○松緑は、物かはの蔵人と崇徳院。この人は、何をやっても、松
緑顔が目に着き、損をしているが、奴音平、実は、物かはの蔵人
は、先に蔵人で出て、後に音平で出る。いずれも、相手役の待宵
にも、小磯にも、頼られる、これまた、美味しい、良い役であ
る。主として演じる崇徳院が、凄まじい、破滅型で、家族も含め
て絶滅する火宅の人。自分勝手な魔神志向の人。こういう人と
は、お近づきには、なりたくないという存在感を出していて、な
かなか、良かった。長丁場の芝居も、三幕目は、起承転結の
「転」に当たり、大道具のせり、宙乗りありで、退屈しない。松
緑も熱演。男女蔵は、奴くだ平と難波経遠。いずれも、平家方
で、終始、憎まれ役だが、熱演で、存在感があった。

○次は、遠藤武者を演じた富十郎は、序幕に「だんまり」で出た
後、大詰まで、姿を見せないという、ピンとキリだけの出で、途
中、富十郎のことを忘れてしまうほどだったが、さすが、遠藤武
者になってからは、メリハリがあり、座頭らしい存在感で、科白
劇でだれて来た大詰前半を引き継いだ後半を、俄然盛り上げてい
た。大向こう、というか、私の座っていた斜め後ろの席から、
「天王寺屋」、「五代目」という、女性の掛け声が、幾度もか
かっていた。

○序幕と大詰に挟まれた、二幕目、三幕目のうち、二幕目は、起
承転結の、「承」で、地味で陰気な話。頼豪阿闍梨を演じた歌六
が、凄まじい存在感で、陰気をアクショナルで、見応えのある場
面にしてくれた。千束姫、実は、以仁王を演じた梅枝は、来月
18歳になる。若々しく、初々しい、綺麗な千束姫で、将来の真
女形を期待させる姫役であった。父親の時蔵と花道を引っ込む場
面があったが、ふたりで歩くと、足並みの経験の差が出てしま
い、まだまだ、これからだというのが良く判る。しっかり、修業
をして、先ず、父親の時蔵の背中を見て欲しい。真女形の背中
は、演じていなくても、女性を感じさせる。顔が見えないだけ
に、余計女性を感じさせるが、梅枝は、まだ、これから。真女形
の背中は、演じようとして出せるものではないだろう。経験を積
むうちに、自然に女らしさが、滲み出て来るのが、真女形の背中
だろうと思う。足元も、同じだろう。花道の上から見ていると時
蔵と梅枝の足の運び方が、全く違うのが良く分かった。足は、怖
い。

○坂東彦三郎、亀三郎、亀寿の親子は、今回は、彦三郎が、平家
方、亀三郎と亀寿の兄弟が、源氏方と、関ヶ原の合戦で、徳川方
と豊臣方に分かれた真田家みたいだったが、25年前の国立劇場
での公演に出演しているのは、富十郎と彦三郎だけだという。中
村玉太郎は、あの凄まじい崇徳院の忠実な臣下。ああいう上司で
は、大変だろうが、艱難辛苦を耐え忍び、序幕から、三幕目ま
で、院写経の経文一巻を守った挙げ句、都へ向かったが、無事都
に着いたのでしょうか。

4)演出論。総論的にいうと、今回の演出の「中途半端さ」を感
じた。おもしろい部分と退屈な部分が、まだらにあるという感じ
がした。特に、テンポが、不充分だと、思った。南北劇の荒唐無
稽さは、国立劇場の織田紘二さんのような歌舞伎を知り尽した人
が、「演出」をすると、玄人受けのする、常識的、あるいは、
「定式的」な芝居になり、それが、演劇としての、おもしろさか
ら見ると、中途半端になってしまうのではないか。荒唐無稽が売
り物の、南北劇は、辻褄など合わせる必要がないのではないか。
芝居の嘘偽りを承知で、観客は、劇場まで足を運び、「騙され」
に来るのではないか。まず、それを前提にすべきだと、思う。

歌舞伎の素人が、演出をする。つまり、言い方は、悪いが、歌舞
伎への「無学文盲」のような人で、芝居のおもしろさを工夫して
いるような人こそが、「無学文盲」を武器に、芝居町の隣町で、
幼い頃から育ち、芝居を空気のように親しみながら、歌舞伎の本
質である荒唐無稽さを徹底的に求めた南北同様に、南北劇のおも
しろさを引き出せるのではと、思う。芝居に対する、知識より感
覚を重視したのが、南北だったのでは、ないだろうか。今回の中
途半端な印象は、感覚より、知識のまさるインテリ演出という南
北劇の目指す方向とベクトルが違うことから生まれて来るのでは
ないかと、思う。歌舞伎の「無学文盲」の引き合いに名前を出し
ては、失礼だろうから(実際には、歌舞伎の造詣が深いかも知れ
ないし)、「○○版歌舞伎」などを演出し、成功を納めている演
出家などが、今回のような芝居を演出してくれると、南北劇本来
の味が出せるのではないかと、思うが、如何だろうか。
- 2005年10月16日(日) 20:40:17
2005年10月・歌舞伎座 (夜/「双蝶々曲輪日記〜引窓」
「日高川入相花王」「心中天網島〜河庄」)

特に、三代目鴈治郎最後の「河庄」は、初日から、充実の舞台
で、見応えがあった。12月には、京都の南座で四代目坂田藤十
郎を襲名披露するので、歌舞伎座では、最後の鴈治郎の舞台であ
る。それに、雀右衛門が今月も出勤し、「小春」を演じていて、
先月の舞台で心配した体調は、大丈夫そうだが、やはり、足腰の
衰えは、隠せないようだ。雀右衛門の元気な舞台を観続けたい京
屋ファンとしては、無理をしないで欲しいと言い続けたい。

「双蝶々曲輪日記〜引窓」は、5回目の拝見。今回は、配役のバ
ランスが良く、おもしろかった。「双蝶々曲輪日記」は、並木宗
輔(千柳)、二代目竹田出雲、三好松洛という三大歌舞伎の合作
者トリオで「仮名手本忠臣蔵」上演の翌年の夏に初演されてい
る。相撲取り絡みの実際の事件をもとにした先行作品を下敷きに
して作られた全九段の世話浄瑠璃。八段目の「引窓」が良く上演
されるが、実は、江戸時代には、「引窓」は、あまり上演されな
かった。明治に入って、初代の中村鴈治郎が復活してから、いま
では、八段目が、いちばん上演されている。夜の部の最後に、
「河庄」で鴈治郎名義の最後の舞台が演じられる10月の歌舞伎
座は、夜の部の最初を初代鴈治郎所縁の演目で幕を開けるという
わけだ。

「引窓」論は、何度か書いたので、今回は、省略する。全九段の
本来の物語は、「無軌道な若者たち〜江戸版『俺たちに明日はな
い』〜」だと、以前にこの「遠眼鏡戯場観察」(03年1月国立
劇場の劇評)で書いたことがあるが、今回のように「引窓」だけ
見れば、無軌道な若者の一人で、犯罪を犯して母恋しさに逃げて
きた濡髪長五郎(史実の武家殺しの相撲取りは、「濡紙長五郎」
という)の母恋物語で、その母を含め、善人ばかりに取り囲まれ
た逃亡者を逃がす話で、無軌道さは出て来ないから不思議だ。お
幸の科白。「この母ばかりか、嫁の志、与兵衛の情まで無にしお
るか、罰当たりめが・・(略)・・コリャヤイ、死ぬるばかりが
男ではないぞよ」が、「引窓」の骨子である。

それほど、「双蝶々曲輪日記」は、通しで、各場面を繋げて観る
場合と今回のように、「みどり」で観る場合とでは、人物造型が
違って見える演目も珍しい。歌舞伎のマジック。まあ、それはさ
ておき、町人から、父同様に「郷代官」(西部劇の保安官のよう
なイメージ)に取り立てられたばかりで、父の名で、「両腰差せ
ば南方十次兵衛、丸腰なれば、今まで通りの南与兵衛」という、
意識の二重性を持つ十次兵衛(元は、南与兵衛)という男は、自
分も殺人の前科のある「無頼さ」を秘めているので、反お上の意
識を持つ「無軌道さ」を滲ませているが・・・。

今回の「引窓」では、十次兵衛(元は、南与兵衛)は、菊五郎が
演じる。昼の部の「岩藤」より、菊五郎は、こちらの方が、安心
して観ていられるから、ほっとする。菊五郎は、町人と武士とい
う、その、二重性の変わり目を叮嚀に演じていた。

妻のお早(魁春)は、初々しい若妻だが、新町の元遊女・都を思
わせる色気が要求される。逃亡者・長五郎(左團次)は、久しぶ
りにあったお早を都さんと呼んでいた。長五郎とのやり取りに、
遊女時代を彷彿とさせる「客あしらい」が滲み出ている。剽軽さ
もある。このあたり、魁春の巧さである。義母への情愛も細やか
である。長五郎の実母で、十次兵衛の継母であるお幸は、田之助
が演じる。相撲取りの息子を持つ太めの母親である。継嗣と実
子、郷代官と相撲取りという、ふたりの息子に情愛を掛けられる
幸せな母を本興行で、5回目という田之助は、過不足なく演じ
る。

左團次の長五郎が良い。長五郎役を私は、我當、團十郎、段四
郎、吉右衛門、そして、今回の左團次と5人も観てきた。この顔
ぶれを見れば、皆、イメージが違うのが、判るだろう。颯爽の團
十郎、太めの、如何にも力士らしい我當、母恋の人の良さそうな
吉右衛門などなど。左團次は、いわば、戸惑いの長五郎というイ
メージ。ひょんなことから人を殺してしまい、母に逢ってから自
首しようと思って母のいるところへ来たら、義兄は、なりたての
郷代官と判り、戸惑う。しかし、実母に逢えた上は、目的達成と
ばかりに、義兄に初手柄を立てさせようとする。一方、義兄は、
義兄で、継母思いである。自分にとって義弟であり、継母にとっ
ては、実子である長五郎を「放生会」を理由に、逃がしてやるこ
とで、継母への情愛を滲ませる。継嗣と実子の、ふたりの息子か
ら情愛を示される「母」お幸は、幸せものだ。そういう母の幸せ
を大事にしながら、長五郎は、逃亡者生活を続けることにする。
人形浄瑠璃で演じられたとき、母お幸には、名前がなかったが、
歌舞伎で繰り返し演じられている内に、幸せな母は、お幸と呼ば
れるようになっていた。いずれのせよ、今回は、お幸を軸にした
配役のバランスの妙が見どころである。 

「日高川入相花王」は、「ひだかがわいりあいざくら」と読む。
私は、初見。原作は、左右対称の舞台など、独特の舞台空間で定
評のある近松半二が、竹田小出雲らと合作した。それだけに、話
は単純だが、視覚的な舞台は、印象に残る。清姫役の坂東玉三郎
が、全編、人形振り(役者が、人形浄瑠璃の人形に似せた動きを
し、科白は、竹本が語る)で演じきり、愉しく拝見。恒例の「口
上」など、枠付けも、人形浄瑠璃の舞台を真似る。役者が3人し
か出ない芝居で、玉三郎の相手をする道化の船頭も、全編人形振
りで演じる。極めて珍しい演出の出し物である。演じるのは、坂
東竹三郎の門弟・坂東竹志郎、改め薪車。つまり、襲名披露の襲
名披露の「口上」こそないが、四代目薪車の襲名披露の舞台なの
である。薪車さん、おめでとう。師匠の竹三郎の前名が、薪車で
あり、四代目薪車は、竹三郎の藝養子となる。

もう一人の役者は、菊之助。清姫の人形を操る人形遣である。美
形の人形遣が、美と狂気の化身の人形を操るという妖しさが、こ
の演目の見せ所。玉三郎演じる人形は、人形遣によって、命を吹
き込まれていて、決して、自分から動いているのではないように
見せられるかどうかが、人形遣のポイントだろう。嫉妬に燃える
若い女の「激情」を、激情ゆえに、人形の、ややぎくしゃくした
動きで表現するという逆説が、おもしろい発想だと思った。ここ
は、下手な人形遣が操る人形の動きを真似、「人形の振りの欠点
を振りにする」と、人形らしく見えるというのが、先代の、三代
目雀右衛門の藝談だと言う。また、清姫から逃げ出した安珍は、
出て来ないところが、ミソである。舞台に出て来ないからこそ、
存在感がある。これも、また、逆説の発想。

後見のような人形遣役に5人が出演。清姫の人形遣は、主遣の菊
之助のほかに、ふたりが付き、ちゃんと三人遣になっている。船
頭の人形遣は、ふたりであった。残りの一人は、舞台下手に立
ち、足を踏みならして、足音を演じていた。

舞台は、幕が開くと、日高川。下手は、土手。「安珍さまいの
う」と逃げた安珍を追って来た清姫。中央より上手側に渡し船。
船頭は、船の中で寝ているようだ。「渡し守どのいのう」と、船
頭に向こう岸に渡して欲しいと清姫が、頼むが、寝ているところ
を起こされて、機嫌の悪い赤っ面の船頭は、要求を拒む。問答か
ら、くどきになる。余計に嫉妬心を燃え立たせる清姫。裏向き
で、川に見込む姿が、擬着の表情になる。玉三郎は、歌右衛門の
ような、鬼女の隈取りではなく、鬼女の顎を口に銜えて、変身を
表現した。船頭を乗せた船は、上手に逃げる。それを追うよう
に、清姫は、川に飛び込む。川の浪布が舞台を覆い、姫から、舞
台一杯の巨大な大蛇に、徐々に変身して行くところが、ハイライ
ト。元々、人間の化身である人形が、人間らしさを超越し、魔神
のような超能力を持つ大蛇に変身して行くスペクタクルが、日高
川の流れの中で展開される。

まず、姫のほどけた帯が、蛇の尻尾を見立てる。下手から上手へ
泳ぐ清姫。水に潜り、下手で浮き上がり、再び、上手に向かって
泳いで行く。これを何度か繰り替えしている内に、姫の衣装は、
銀箔の鱗形の模様になり、姫の下半身は、帯から、大蛇の太く
て、巨大な胴体、尻尾になって行く。やがて、対岸に辿り着き、
岸辺に生えた柳の木に抱き付き、見得となる。背景は、桜も満開
の長閑な道成寺の遠景。修羅場と長閑な遠景も、また、逆説の発
想。

最後に、夜の部最高の出し物となったのが、「心中天網島〜河庄
〜」。2回目の拝見。前回、2年前の03年11月の歌舞伎座の
舞台の劇評では、こう書いている。

*歌舞伎400年、ことし、私が観た歌舞伎では、最高の芝居で
あった。長らく埋もれていた復活狂言、「みどり」でしか演じら
れなくなった演目を本来の形に戻しての復活狂言、新しく歌舞伎
の演目に付け加えられた新作歌舞伎など。歌舞伎の出し物には、
さまざまな楽しみ方があるが、やはり、上演回数が多く、さまざ
まな役者たちによって演じ込まれて来た演目のおもしろさは、適
材適所の役者を得ると、なんとも見応えのある舞台になるかとい
うことを痛感させる芝居であった。

まず、紙屋の丁稚を大阪弁(「大坂弁」としたいところだが、東
京渋谷育ちの中学生では、江戸時代の大坂弁では、無さそうなの
で、「大阪弁」としておこう)でえんじるのは、中学生になり、
身長が1メートル70センチもある壱(かず)太郎(翫雀の息
子)が、初役で演じる。ユーモラスで、味わいのある三五郎の出
来である。

「河庄」は、三五郎だけでなく、大阪弁のやり取りがおもしろい
芝居である。まず、江戸屋太兵衛(東蔵)と五貫屋善六(竹三
郎)のやりとり。前回は、同じく、太兵衛の東蔵と亡くなった坂
東吉弥の善六であった。実は、紙屋治兵衛の兄である粉屋孫右衛
門を演じた富十郎が、病気休演したため、途中から代役を勤めた
吉弥と東蔵のコンビは、息が合っていて、なかなかよかったの
で、今回の東蔵と竹三郎のコンビは、竹三郎が、いつもの女形と
違う立役であり、その立役振りが、しっくりしていないように見
受けられたため、大阪弁でのやりとりも、やや、不満が残った。
ついでに、大阪弁の絡みで言うと、前回富十郎が演じた粉屋孫右
衛門を今回は、我當が初役で演じるが、これがすこぶる良かっ
た。その秘密は、大阪弁のやり取りにあると思う。2年前、前回
の、鴈治郎と富十郎の大阪弁のやり取りを、私は次のように書い
ている。

*鴈治郎(治兵衛)と富十郎(孫右衛門)との大坂弁での科白の
やりとりの滑稽さ。充分煮込んで味の染み込んだおでんのよう。
死と笑いが、コインの裏表になっている。死を覚悟した果てに生
み出された笑い。この続きの場面、心中に傾斜する「時雨の炬
燵」は、以前に観ているが、「時雨の炬燵」より前段階の場面の
余裕が、笑いを生むのだろう。それに、上方和事独特の可笑し味
が付け加わる。さすが、洗練された芝居だ。これは、鴈治郎でな
ければ、出せない味だ。それにさらに旨味を加えた調味料のよう
な富十郎の演技。その富十郎が、体調を崩して、途中、休演に
なってしまったのが、残念。

ところが、今回、京都で生れ育った我當の大阪弁は、ネイティブ
な感じで、すうっと聞けた。富十郎の大阪弁は、演じているとい
う感じで、彼の藝達者が、かえって大阪弁を演技っぽく感じさせ
るから、不思議だ。この芝居の特徴は、後にも触れるが、ノン
フィクションの味であり、登場人物たちの生活感を強めるため
の、いわば「触媒」が、大阪弁であると思うので、富十郎の大阪
弁より、我當の大阪弁の方が、ノンフィクションの味を濃くさせ
るということを言いたいわけだ。鴈治郎、我當らが言う科白のリ
ズム、ふたりのやりとり、掛け合う呼吸、いずれも、科白らしく
ない、リアリティを持っている。

さて、いよいよ、紙屋治兵衛の出である。前回の劇評で、私は次
のように書いている。

*鴈治郎の花道の出、虚脱感と色気、計算され尽した足の運び、
その運びが演じる間の重要性、そして、ふっくらとやつれた鴈治
郎の、ほっかむりのなかの顔。花道の横で観ていたので、花道の
フットライト点灯と同時に振り返ってみたら、音も無く向う揚幕
が開いていた。揚幕のなか、鳥屋(とや)にいる鴈治郎と目が合
う。もう、そこにいるのは、鴈治郎では無く、紙屋治兵衛。鳥屋
から揚幕のあたりで、一旦、立ち止まる。そして、「魂抜けてと
ぼとぼうかうか」。足取りも、表情も、恋にやつれ、自暴自棄に
なっているひとりの男がいる。そして、私の方へ近付いて来る。
和事独特の足の運びも、充分に堪能した。そう言えば、これに似
た場面を観た覚えがある。拙著「ゆるりと江戸へ」にも、書いて
いるが、「摂州合邦辻」の玉手御前を演じた芝翫で体験したこと
がある。演じられているのは、女性の玉手御前と男性の紙屋治兵
衛という違いがあるが、登場人物の心理や置かれている状況は、
似ている。花道から本舞台へ、そして、「河庄」の店の名前を書
いた行灯のある木戸での治兵衛の、店内を伺う、有名なポーズま
で。一気に引き付けられる。

今回が、前回と違うのは、私の座席の位置。花道横ではなく、1
階席のほぼ中央、奥という位置だけ。鴈治郎は、前回同様に演じ
ているが、観る位置が違うため、後ろ姿が、よりくっきり見え
る。

「河庄」に関する限り、前回の劇評に付け銜えることは、あまり
多くない。鴈治郎、我當らによる登場人物たちの人物造型、科白
廻し、演技、そのいずれもが、なんとも言えず充実の舞台だっ
た。前回の劇評で、その秘密を私は次のように書いている。

*その充実感を具体的に担保していたのが、私は、この芝居の小
道具の使い方の巧さでは無いかと思った。「魂抜けてとぼとぼう
かうか」の極め付けとして、鴈治郎は、花道七三で、雪駄が脱げ
てしまう(「脱ぐ」という演技よりも、それは、自然に「脱げ
る」という感じだった)。このほか、帯を締め直す演技、手拭
(あるいは、着物の裏地か)を懐に入れたまま、口にくわえる仕
種、櫛を使う、つまらなそうに大福帳をくくるなどなど、全ての
微細な演技の積み重ねが、治兵衛という男になりきって行く。可
笑しみと憐れみが、共存する。その演技の素晴しさ。

そう今回も、鴈治郎は、紙屋治兵衛を演じてはなどは、いなかっ
た。心底から、治兵衛になりきっていた。鴈治郎名義で演じた最
後の治兵衛は、26日に千秋楽を迎えるが、いずれ、そのうち、
坂田藤十郎として、治兵衛を演じる日も来るだろうが、そのとき
も、藤十郎は、治兵衛を「演じず」に、治兵衛そのものに「なり
きって」私たちの前に現れるだろうと思う。

さて、恋にやつれた小春(雀右衛門)は、初日に観た所為か、科
白が入っていない上、行灯に掴まって立上がったり、河内屋の女
主人・お庄(だから、「河庄」)を演じる田之助に手を引かれた
りしていて、先月ほどではないが、衰えを感じさせ、京屋ファン
の私をやきもきさせる。科白は、黒衣の助けを借りていたため、
テンポがあわなかったが、控えめな小春の感じは、逆に、良く出
ていて、演技の方は、良かった。

前回も感じたが、この芝居は、フィクションと言うより、「ド
キュメンタリー味がおもしろい舞台」に今回も、観えた。

*なぜ、つくりものの芝居が、恰も、現実に生きている人たちの
世界を覗いているように観えたのか。紙屋治兵衛のような女に入
れ揚げ、稼業も家族も犠牲にする駄目男のぶざまさが、観客の心
を何故打つのか。大人子どものような、拗ねた、だだっ子のよう
な男が、鴈治郎の身体を借りて、私の座っている座席近くの花道
を通り、目の前の舞台の上にいる不思議さ。それは、何回も上演
され練れた演目の強みであり、家の藝として、代々の役者たち
が、何回も演じ、工夫を重ね、演技を磨いて来たからだろう。上
方江戸歌舞伎に押されながらも、上方歌舞伎の様式美を大事に
し、粘り強く持続させて来た鴈治郎代々の執念が、様式美の極み
として、上方和事型を伝承して来た。それは、今回の鴈治郎の演
技に見られたように、爪の先、足の先まで、身体の隅々まで、紙
屋治兵衛になりきる努力を重ねて来た役者魂が、大きな花を開か
せた瞬間に立ち会えたのだと思う。

こう書いた前回の劇評どおりの感想を今回も持った。それほど、
雁次郎の演技は、寸分違わず、これまでの軌跡をなぞりながら、
再構築されているということだろうと思う。本興行で、今回で
18回目という。紙屋治兵衛。それでいて、鴈治郎は、楽屋で、
こう語ったという。「やっと、一昨年の舞台の時に、兄の意見に
反応もしない、上の空の治兵衛の心境に達しました」(「兄」と
は、治兵衛の兄の孫右衛門のこと)。

その17回目と今回の18回目を観たわけだから、16回目との
差は、私には判らないが、17回目と18回目の確固とした「上
の空」は、しっかりと伝わって来た。寸分違わず、再構築される
鴈治郎の「河庄」。私の、劇評も、殆ど変わらず、再構築してし
まったが、毎回の劇評で、同じことを「遠眼鏡戯場観察」では、
できるだけ、書かないことを信条としている私としては、これ
は、不本意ながら、鴈治郎の藝に負けたということだ。次回以降
も、「河庄」だけは、私の劇評泣かせになりそうだ。いや、逆に
言えば、それほど、ミリ単位の違いもない治兵衛を演じる鴈治郎
の舞台を見ることができる時代に生まれ合わせたのは、幸福なん
だろうと、思う心が、揺れ動く。
- 2005年10月11日(火) 21:57:04
2005年10月・歌舞伎座 (昼/「廓三番叟」、通し狂言
「加賀見山旧錦絵」)

「廓三番叟」は、2回目の拝見。前回は、2000年1月、歌舞
伎座。傾城:時蔵、今回は、芝雀、新造:孝太郎、今回は、亀治
郎、太鼓持:歌昇、今回は、翫雀。

廓の座敷の態の本舞台。上下手。一部に障子のある襖には、銀地
に若竹、紅梅の絵。舞台真ん中から下手にかけては、障子。一
方、上手は、雪釣の松の庭が見える。上手床の間の壁には、銀地
に紅梅が描かれた中啓が飾ってある。床の間の床には、正月のお
飾り。舞台中央上手寄りにある衣桁には、黒地に鶴が描かれた傾
城の打ち掛けが掛けてある。全て、廓の正月の光景。打ち掛け
は、「千歳」太夫だけに、鶴は「千年」で、鶴の模様。襖ほかに
ちりばめられた「梅」は、「梅」里ゆえか。

長い障子が開くと、出囃子の雛壇。笛の音をきっかけに鶯の啼き
声のする、江戸の春の廓の世界へ一気に入る。置浄瑠璃のあと、
下手、襖が開くと、傾城千歳太夫(芝雀)、新造梅里(亀治郎)
が出て来る。遅れて、太鼓持の藤中(翫雀)も、参加して、めで
たい「三番叟」の踊りとなる。「三番叟もの」は、いろいろな趣
向を凝らしたバリエーションがあるが、基本は能の「翁」。今
回、「翁」役は、千歳太夫、「千歳(せんざい)」役は、新造、
「三番叟」役は、太鼓持。

ならば「かまけわざ」(人間の「まぐあい」を見て、田の神が、
その気になり(=かまけてしまい)、五穀豊穣(=ひいては、廓
や芝居の盛況への祈り)をもたらす)という呪術、それは「エロ
ス」への祈りが必ず秘められている。まして、今回の場は、
「廓」という、「エロス」そのものの場。

「廓三番叟」は、「三番叟もの」のバリエーションというより、
遊廓で繰り広げられた正月の座敷遊びの趣向で、三番叟のパロ
ディという線を狙った演目として、観た。「式三番叟」「二人三
番叟」「操(あやつり)三番叟」「舌出し三番叟」などとは、違
う。「とうとうたらり」と能と同じ、決まり文句で唄い出すが、
所作は、いわゆる「見立て」という遊び。例えば、莨盆は、面箱
の態。「鼠なき」で、三味線がチュチュと音を出したり、「きぬ
ぎぬ告げる烏飛び」で、烏の飛び立つ様子を見せたり、遊び心が
横溢する。江戸の趣向が、微笑ましい。

遊女の手練手管や間夫との遊びの様、太鼓持も加わっての総踊り
では、「現(うつつ)なの戯れごと」、「三つ蒲団」、「廓(さ
と)の豊かぞ祝しける」と、長唄の文句も色っぽくなる。傾城の
持つ閉じた中啓と太鼓持の杯で、男女のセックスを象徴している
のか。エロスとユーモアが、ふんだんに盛り込まれている、いか
にも、江戸の庶民が、新春に楽しんだ風情が、色濃く残る。初演
から、40年後は、もう、明治維新。幕末の不安定な政情と裏腹
に、庶民は、芝居に明るさを求めていたのだろう。

芝雀、亀治郎、翫雀とも無難な演技で、ちと、もの足りぬ。若手
花形の舞台だけに、もうひとつ、舞台から飛び出て来るような精
気が欲しい。

「加賀見山旧錦絵」は、4回目の拝見。尾上:雀右衛門、玉三郎
(今回含め、2)、松江時代の魁春。岩藤:吉右衛門、孝夫時代
の仁左衛門、團蔵、今回は、菊五郎。お初:芝翫、勘九郎時代の
勘三郎、時蔵、今回は、菊之助。

通し狂言とは、言っても、「加賀見山旧錦絵」は、容楊黛(よう
ようたい)という、中国人のような名前の狂言作者の原作で、
1724(享保9)年に江戸虎の門の松平周防守邸で起きた事件
をベースに、「加賀騒動」仕立てにして、1782(天明2)
年、江戸の薩摩外記座で、人形浄瑠璃として初演された。容楊黛
は、平凡社の「歌舞伎事典」にも、略歴すら載っていないが、ど
ういう人なのだろうか。「加賀見山旧錦絵」は、本来全十一段の
大作で、良く上演される「試合」から「奥庭」までは、六、七段
目を軸にしているに過ぎない。だから、外題の「加賀見山旧錦
絵」は、この芝居だけを見ていても良く判らない。

「加賀見山」の「加賀」は、いわゆる「加賀騒動」だから、判る
が、「旧錦絵(こきょうのにしきえ)」は、判らない。「加賀見
山」は、「加賀見山再岩藤」(通称、「骨寄せの岩藤」)という
幕末、1860(万延元)年、河竹黙阿弥によって、加賀見山の
後日談という趣向で、続編が書かれているから、余計に、「加賀
見山」という名前が、印象深くなってしまったが、本来は、「鏡
山」とも書く。「鏡山」は、尾上の仇を打ち、お初が二代目尾上
になる(これは、「奥庭」の場面で、明らかになる)が、その
後、お初、こと二代目尾上が、九段目で、故郷の江州(ごうしゅ
う・近江、いまの滋賀県)鏡山の実家を訪ねるという場面があ
り、まさに、召使お初が、故郷に錦を飾るから、「鏡山旧錦絵」
というわけだ。

金地に桜の花丸の模様が描かれた襖や衝立。尾上の腰元たちが、
持ってきた桃の花。多賀家息女大姫の桃の節句の祝のためだ。華
やかな舞台で繰り広げられる陰湿な苛め。芝居は、いじわるな岩
藤(菊五郎)とおとなしいが、芯は強い尾上(玉三郎)の確執、
それぞれを支える岩藤の兄・剣沢弾正(左團次)と尾上の召使・
お初(菊之助)の対立(お家乗っ取りを企む兄と妹、陰謀を阻止
しようとする中老と召使)というのが、基本的な図式。岩藤の意
地悪、攻撃方と、尾上の耐える、己を殺す方の対比が、芝居を判
りやすくする。

この芝居は、故郷に錦を飾るお初が、主役だろうが、岩藤役が巧
く演じられないと、味が薄まる。4人拝見した岩藤役者では、仁
左衛門が、最高だった。「先代萩」の八汐役を含めて、こういう
憎まれ役の女形(特に、八汐は、立役が演じる)は、仁左衛門
が、実に憎々しくて、巧い。

今回、初役で挑戦した、菊五郎は、元々、兼ねる役者で、女形も
守備範囲なので、立役が女形を演じるという原則が持つ、意外性
が乏しく、その分、印象が弱くなる。今回の舞台を観ていても、
憎らしさより、憎まれ役の孤独さ、寂しさが滲み出ていて、仇
役・岩藤としては、インパクトが弱かったように思う。菊五郎岩
藤は、二幕目「草履打」の場面からは、凄みが出始めたが、序幕
「試合」の場面では、凄みを出せなかったように感じた。初日の
所為かもしれないが、中盤以降に見れば、最初から、エンジンが
かかっているかもしれない。ロビーでは、いつものように菊五郎
夫人の藤純子が控えていたが、いつ見ても若々しい。夜の部で
は、鴈治郎夫人の扇千景が、1階席の最後尾で芝居を見ていた
(ご夫人方、お疲れさま)。

吉右衛門の場合は、立役が女形を演じるという原則には、適って
いるものの、彼の地の持ち味である人の良さが、どうしても、滲
み出てしまうので、やはり、弱い。團蔵は、スケールが小さく、
役どころの大きさが出て来ない。そういう意味では、仁左衛門の
岩藤は、立役が演じる女形という原則にも適い、持ち前のスケー
ルも大きく、憎々しさを表現する藝も巧く、納得の憎まれ役で
あった。

辛抱し、肚の中で演ずることの多い尾上。それでいて、芯の強さ
を感じさせ、時に気丈になり、饒舌にもなる尾上という役は、役
作りが難しいと思う。3回目という玉三郎の尾上を8年前と今回
と2回拝見したことになる。玉三郎は、抑制しながら、緩と急、
仕どころごとにメリハリのある尾上を演じていたが、初日の所為
か、緩の場合の精彩が弱いように感じた。二幕目「草履打」から
引き上げる花道の場面。岩藤に騙され、草履で打ち据えられた悔
しさ、悲しさに耐えながらも、密かに死を覚悟した尾上が、俯く
と、玉三郎の目から、幻の涙が落ちるように見えた。七三から向
う揚幕に近付いて来る玉三郎。歌舞伎座の1階は、客席が緩やか
にスロープ状になっているので、玉三郎の悲しみに耐えた白い顔
が、ゆっくりと横へ移動するに連れて、観客の頭たちが、黒い固
まりとなって、玉三郎の白い顔に迫って来る。やがて、まるで、
魂と化したような白い顔だけが、黒い頭たちの波に呑まれるよう
に沈んで行く。

玉三郎は、向う揚幕の鳥屋に入った後も、鳥屋の中で、黙って耐
え、次の、三幕目「尾上部屋」の場面で、再び、花道へ出て来る
まで、緊張感を持続させている。魂に見えた白い顔は、既に、気
持ちは、死出の旅路を彷徨っているのかもしれない。揚幕の引き
開ける音も聞えずに、そっと開けられ、蹌踉として花道を歩み、
本舞台の部屋に戻って行く尾上の姿は、「熊谷陣屋」の熊谷直実
の出を彷彿とさせる。本舞台に近付いて行くために後ろ姿を見せ
る玉三郎の背中に死に神が見える。お初を使いに出した後、奥の
襖を開け、仏壇の前に立つ玉三郎。懐刀と書置を持ち、観客に斜
に背を見せながら立つ尾上。それに合わせて、舞台は、鷹揚に廻
る。死に魅入られた女の儚さが、背中に滲み出ている。

三幕目第二場「塀外烏啼の場」を挟んで、再び、尾上の部屋へ、
舞台は、逆に廻り、戻って来る。仏壇の前に倒れている尾上。玉
三郎の演技は、抑制が効いている。

お初を初役で演じた菊之助が良い。華があり(この演技の際は、
藤純子の面影が、滲み出ていた)、明るさがあり、初々しさ、剛
直さ(この演技の際は、お初を越えて、弁天小僧に見えてきた)
もあり、申し分のないお初と見た。芝翫に指導を受けたと言う
が、私も11年前、94年9月歌舞伎座の芝翫のお初を観てい
て、年齢を越えて表現された初々しいお初の様子をいまも思い出
すことができる。それをなぞりながら、精一杯役と勤めているの
が、ひしひしと伝わってきた。また、玉三郎には、私的にも尊敬
をしているようで、尾上とお初は、そのまま、生身の玉三郎と菊
之助の関係が類推されて、それも、良い効果を上げているように
思った。菊之助と玉三郎は、夜の部の「日高川」でも、人形・清
姫を扱う人形遣という関係で共演するが、昼と夜の、ふたつの場
面で、28歳という、菊之助の若さの強みが、対比的に、55歳
という、玉三郎の華やぎに影を落すのは、否めない。玉三郎も単
独で見れば、綺麗だし、若々しいが、本物の若さと並べられる
と、そこは、苦しい。真女形は、40歳代は、まだ、若さもあ
る。しかし、50歳代は、子役が、少年になり、役がしにくくな
るのに似ているのではないか。変声期を通り越し、若衆役などで
役者に戻れるまで、少年は、数年間、役者としての空白期を耐え
抜く。真女形の50歳代は、少年の空白期のような閉塞感がある
のではないか。いわば、第2の少年期。そして、60歳を過ぎ、
本物の真女形の生活が始まり、65歳、70歳、75歳と円熟味
を増して行く。それは、歌右衛門、雀右衛門の世界だろう。も
し、そういう見方が成り立つなら、玉三郎は、いま、真女形円熟
へ向けて、苦しい時期を耐えているのではないか。

菊之助と玉三郎。時分の花と円熟へ向かう花の、それぞれの輪と
した華の違いは、認めざるを得ないだろう。それが、玉三郎の、
緩の場合の精彩が弱いように、私に感じさせたのかもしれない。
菊之助は、このところ、舞台を見る度に成長しているように思わ
れる。今回は、1階席の奥の方で、拝見したが、ちょうど、花道
七三も本舞台も一続きの大舞台に見えるような位置にいた所為
か、菊之助が、七三で演技をすると、舞台が、ワイドに感じら
れ、菊之助は、舞台から飛び出して来るような存在感、迫力さえ
感じられた。

但し、世阿弥によれば、時分の花は、若さゆえの、一時の華やぎ
に過ぎない。真の花は、いまの苦しさをくぐり抜けた後に咲く大
輪の花である。菊之助の若さの勝ちは、玉三郎が通ってきた道、
玉三郎の陰りは、真の花を生み出すための苦しみ。だとすれば、
菊之助も、いずれ通る道。ということなのでは、あるまいか。

尾上側の腰元は、可憐な京妙、先月大活躍をした京蔵、雰囲気の
ある守若、初々しい京紫など女形の大部屋さんたちが、叮嚀に演
じる。総勢7人。玉朗が、草履打の場面で、腰元たちが袖を目に
当てて尾上の悲しみに共感する場面で、ひとりだけ、袖に目を当
てていなかったのは、違和感が残った。

岩藤側の奥女中は、立役ばかりのごつさが売り物。剽軽な味のあ
る菊十郎、特に、ごつい當十郎、太めの橘太郎、普段は、端正な
猿四郎も、いつもよりごつさを強調していた。老けた女中の権
一。こちらも、総勢7人。2回目の出番のとき、なぜか、権一が
居なくて、岩藤側は、6人。権一は、どこへ行ってしまったのだ
ろうか。それはさておき、「試合」と「草履打」と2回の出番の
ある、ふた組のお女中たちの対比も、観客には、見どころ。

贅言1):99年3月・国立劇場では、「鏡山旧錦絵」という外
題だったが、国立劇場の楽屋へ、いまは亡き中村時枝に招かれて
行った際、楽屋訪問の合間に、「営中試合の場」「奥殿草履打の
場」を拝見した。このとき、時枝が演じていたのが、尾上側の腰
元 ・ 女郎花(おみなえし)で、今回は、京紫が演じていた役で
あった。改めて、時枝の冥福を祈りたい。

贅言2):「長局尾上部屋の場」で、気がついたこと。尾上部屋
は、下手に出入りの次ぎの間があり、真ん中が、尾上の居室、居
室内の下手に銀地に秋の花々が描かれた六曲の屏風、上手奥、鴨
居には大薙刀が飾ってある。居室の横、上手は、手水場へ通じ
る。廊下手前に、手水鉢と手拭掛けがある。

尾上の居室への出入りに使われる次ぎの間には、奥の鴨居の上に
神棚が祭られている。朱色の布で縁取られた御簾が、出入り口の
外側と次ぎの間の下手側の壁に描かれているが、あれは、出入り
する人を御簾内から監視をする窓なのだろうと思いながら見てい
た。神棚は、出入りする人といっしょに入り込みかねない悪神な
どを魔除けであろうと思う。

尾上部屋の鴨居に掛けられていた大薙刀は、いつ使うのかと思い
ながら見ていたら、自害した尾上の亡骸を、屏風を裏返しにし、
さらに逆さまにした上で隠したとき、お初は、鞘を抜き取り、本
身の刃を上手に向けて、屏風の上に守り刀のように置いていた。
また、手水の水は、尾上の遺体安置を終えたお初が、一息入れて
水を呑み、落ち着きを取り戻し、尾上が認めた「御前様御披露」
という願書を手拭で包み込み、腰に縛り付けていた。いつも言う
ように、歌舞伎の舞台に置かれた小道具は、必ず、役割があり、
このように何処かできちんと使われることが多いので、見落さな
いようにしたい。

さて、舞台は、大詰。「奥庭仕返しの場」は、桜が満開。六、七
段目の芝居だけでも、桃の節句から桜満開まで、時間が経過して
いるのが、判る。黒幕の背景は、傘を差した岩藤、笠に雨カッパ
を付けたお初の登場、その後、黒幕が落されると桜の遠見という
ことで、夜というより、見通しの悪いほどの大雨という設定と見
たい。ふたりの決闘を前に、まさに、雨上がるという場面だろ
う。奥庭仕返しの場は、「雨上がりの決闘」というわけだ。

桜の木の近くに、なぜか、また、手水鉢がある。戦いの最中に、
お初に斬り付けて、勝ったと思った岩藤が、手水の柄杓で水を呑
む。さらに、水を倒れていて、動かないお初に掛けて、生死を確
認しようとする。岩藤が近付くのを待って、逆襲するお初。「逆
転さよなら」で、お初の勝ち。

庵崎求女(松也)が、凛々しい。お初から事情を聞き、弾正、岩
藤の兄と妹の、お家乗っ取りの悪だくみも露見し、多賀家の重
宝・蘭奢待、旭の尊像も取り戻す。お家は安泰で、お初は、召使
から二代目尾上への昇格が許されるという、いわば、シンデレラ
物語。

さらに、贅言3)も付加:拙著「ゆるりと江戸へ ーー遠眼鏡戯
場観察」は、99年2月の刊。3月から、このサイトでの劇評公
開が、始まったので、サイトの劇評第1弾が、じつは、99年3
月・国立劇場公演の「鏡山旧錦絵」であった。しかし、当時の劇
評を見ると、劇評というより、国立劇場の楽屋訪問記の態であ
り、「加賀見山旧錦絵」の本格的な劇評は、今回が初めてという
ことになる。
- 2005年10月4日(火) 20:42:48
2005年9月・歌舞伎座 (夜/「平家蟹」「勧進帳」「忠臣
蔵外伝 忠臣連理の鉢植〜植木屋〜」)

「平家蟹」2回目。前回は、97年3月の歌舞伎座では、福助が
玉蟲を演じた。今回は、福助の父親の芝翫。幕開き、場内暗転の
なかで、平家物語のうち、源平合戦の絵巻のスライドを使って白
石加代子の語りで、壇ノ浦の平家滅亡の件(くだり)を説明する
という新演出があり、「平家蟹」へ至る経緯が簡潔に観客に伝わ
る。

「平家蟹」は、岡本綺堂原作の新歌舞伎。檀ノ浦の合戦のエピ
ソード、「那須与市の扇の的」の後日談という体裁を採っている
ので、新演出は、極めて親切で、綺堂の原作が持つ怪異性を一層
鮮明にする。「平家蟹」は、平家が滅亡した壇ノ浦に近い浜辺に
出没する蟹のことだ。甲羅が、まるで怒った人の顔に見えること
から、平家蟹と呼ばれるようになったという。怨念の蟹だ。辛う
じて生き残った平家の官女「玉蟲」は、扇の的を載せた小舟に
乗っていたのだ。ほかの生き残った官女たちが、身体を売って暮
らしを支えているのを苦々しく思っている誇り高い女性だ。玉蟲
の妹の玉琴は、売春の果てに、源氏の武将で那須与市の弟・与五
郎と契り、深い仲になっている。ふたりの祝言の酒を毒酒に変え
て、玉蟲は、玉琴ともども、与五郎を殺す。

仮住まいの玉蟲の家の床下には、多数の平家蟹が生息している。
からくり仕立ての無気味な蟹たち。平家蟹を平家の亡霊と見定
め、親しく会話する玉蟲の狂気。さらに、妹らを毒殺した後、平
家蟹に導かれるまま、荒波の海中に没する場面は、大道具の浪布
の使い方も巧く迫力がある。夢魔に魅入られた玉蟲。憎しみとい
う激しい情念で燃え盛る一方の玉蟲を賛美し、人間的な情愛に負
け、源氏の武将に身を任す玉琴を断罪する綺堂の滅びの美学。
「自爆テロ」の哲学を思い出させる。陰鬱な話である。

源平の争い、「目には目を」という憎しみの連鎖、復讐譚に裏打
ちされた怪談話。芝翫は、恨みつらみの果て、「淀君」ばりの狂
気に捕らえられた「玉蟲」を熱演。こういう役は、芝翫は、実
に、巧い。あの鰓の張った顔を活かし切る藝の力が、凄い。

一方、現実派で、男女の自然な情愛に生きる玉琴は、魁春が演じ
る可愛い女だ。橋之助演じる与五郎を追い掛けて行く場面で、玉
琴は、足をもつらせて転んだが、あれは、演技というより、本当
に転んでしまったように見えたが、魁春は、少しも慌てず、立上
がって演技を続けていたので、気が附かなかった観客も多いので
は無いか。前回は、亀治郎が演じていたけれど、こういう場面
が、あったかどうか定かでは無い。左團次が、宗清。冒頭、浜で
海藻を拾う平家の元官女たちに芝喜松、京蔵、そして、いつも爽
やかな芝のぶ。

「勧進帳」は、11回目。吉右衛門の弁慶、富十郎の冨樫とい
う、実力派の舞台を堪能。これは、絶品だった。
吉右衛門は、歌舞伎座で、8年ぶりの弁慶である(97年11
月)。弁慶を演じるとき、常に完璧を目指すという吉右衛門は、
今回は、心技体が備わっていたように思う。

もともと、「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、
名舞踊、名ドラマ、と芝居のエキスの全てが揃っている。これ
で、役者が適役ぞろいとなれば、何度観てもあきないのは、当然
だろう。それだけに、毎回、違った観点で論じることが難しい。
どういう形で、今回は、劇評をまとめようか悩んだ。いっそのこ
と、その配役の妙を論じてはどうかと、思い、それで、迷いが
吹っ切れた。「役者関係論」として、立論を試みることにした。
私が、拝見した11回の「勧進帳」の主な配役は、以下の通り。

弁慶:團十郎(3)、吉右衛門(3)、幸四郎(2)、猿之助、
八十助時代の三津五郎、辰之助・改め松緑。

冨樫:菊五郎(3)、富十郎(3)、猿之助、團十郎、梅玉、勘
九郎、新之助・改め海老蔵。

義経:雀右衛門(3)、菊五郎(2)、福助(2)、芝翫、富十
郎、梅玉、染五郎。

まず、弁慶役者で分析。吉右衛門の弁慶は、豪快な弁慶。3回観
ているが、今回は、性根、居どころ、足取り、手の動き、目の表
情。科白廻し。まさに、弁慶を体現する吉右衛門の至藝であっ
た。

團十郎は、颯爽の弁慶(04年5月の歌舞伎座、海老蔵襲名披露
の舞台で見せた團十郎の弁慶は、いつもとは一味違う素晴しい弁
慶だったが、途中で、病気発覚、團十郎は、休演してしまった。
私は、休演前の舞台を観た。團十郎の弁慶は、3回目だったが、
いちばん、迫力のある弁慶であった。その後、團十郎は、治療の
甲斐があり、「寛解(かんかい)」し、舞台にも復帰したが、
最近、團十郎の病気が再発した。團十郎よ、病魔にまけるな。病
魔に対しても、前向きに立ち向かう人だから、今回も、克服する
と、私は思っている)。

幸四郎は、悲壮な弁慶。猿之助の弁慶は、踊り過ぎだった。八十
助時代の三津五郎の弁慶は、三津五郎襲名前年の8月の歌舞伎
座、納涼歌舞伎の舞台だったが、「十代目襲名近し」という勢い
を感じさせ、あの小柄な八十助が、大きく見えたという印象がい
まも強い。辰之助は、松緑襲名披露の舞台だけに、メリハリがあ
り、これも将来の弁慶役者への成長を楽しみにさせる舞台であっ
た。

これだけでは、今回の吉右衛門弁慶論は、不十分である。そこ
で、次は、弁慶と冨樫の関係でみてみよう。

○弁慶:吉右衛門__梅玉 :冨樫
        __菊五郎
        __富十郎 

○弁慶:團十郎 __富十郎:冨樫
        __猿之助
        __海老蔵

○弁慶:幸四郎 __團十郎:冨樫
        __富十郎

○弁慶:猿之助 __菊五郎:冨樫

○弁慶:八十助 __勘九郎:冨樫

○弁慶:松緑  __菊五郎:冨樫 

菊五郎の冨樫は、安定感がある。しかし、

弁慶:吉右衛門__菊五郎:冨樫
       __富十郎

と並べて、舞台を思い出してみると、今回のコンビの方が、上で
あるように思える。今回の富十郎の冨樫が、良いのである。私
は、富十郎の冨樫を3回観ている。富十郎がこれまで演じてきた
冨樫のなかでも逸品だろうし、菊五郎だけでなく、ほかの役者の
冨樫に比べても絶品である。それは、弁慶の男の真情を理解し、
指名手配中の義経を含めて弁慶一行を関所から抜けさせてやるこ
とで、己の切腹を覚悟した男の心情を完璧に表現したからだろう
と思う。男が男に惚れて、死をも辞さずという思い入れが、観客
に伝わって来る。富十郎の冨樫が、高音は、朗々とした科白廻し
であり、抑えるところは、抑えきっているというメリハリの良さ
で、「極上吉」という良い出来なので、吉右衛門の弁慶も「極々
上吉」で、良くなるばかりという関係だろう。特に、「山伏問
答」は、まさに、絶妙の息の良さであった。ハーモニーのある
ディベートという、矛盾した表現を許していただきたい。吉右衛
門は、豪快で、誠の溢れる、これまた、完璧な弁慶であったと、
思う。吉右衛門の目の動きは、表情豊かだ。

吉右衛門は、目の使い方が巧いのは、「山伏問答」が終ったとこ
ろで、ふたりが、肩の力を抜くのが判り(弁慶は、生への脱出孔
が見えただろうし、冨樫は、死への覚悟がきまっただろうし、実
は、対照的な局面なのだが)、観客席にいるこちらも、ホッとし
た。吉右衛門は、「どうだ」という感じを目の動きで表現をし
た。富十郎からは、死を覚悟したという冨樫の思い入れがひしひ
しと伝わってきた。それほど、演じる方も、観ている方も、息を
あわせて、ふたりの至芸の気迫に呑み込まれていたように思う。
役者も役者。至芸のぶつかり合い。観客は、至福の時間に酔いし
れ、緊張感が解け、ホッと息をついた。

さらに、義経も含めて考えてみよう。 

○弁慶:吉右衛門__梅玉 :冨樫__雀右衛門:義経
        __菊五郎   __梅玉
        __富十郎   __福助

○弁慶:團十郎 __富十郎:冨樫__菊五郎:義経
        __猿之助   __芝翫
        __海老蔵   __菊五郎

○弁慶:幸四郎 __團十郎:冨樫__雀右衛門:義経
        __富十郎   __染五郎

○弁慶:猿之助 __菊五郎:冨樫__雀右衛門:義経

○弁慶:八十助 __勘九郎:冨樫__福助:義経

○弁慶:松緑  __菊五郎:冨樫__富十郎:義経

弁慶役者は、専ら、弁慶を演じる。私が観た11回の舞台とい
う、極めて少ない回数でも、弁慶を演じ、冨樫を演じたのは、團
十郎と猿之助だけ(上演記録全体に当たれば、もっと、配役の域
は拡がるが、ここは、記録を調べるのが目的では無く、いわば
「傾向」を元に、役者論を演じたいので、数は少ないが、私が、
この目で生の舞台を観たものだけに限定する)。ところが、冨樫
を演じる役者は、弁慶を演じる組と義経を演じる組に分かれる。
弁慶組:團十郎、猿之助。義経組:菊五郎、富十郎、梅玉。雀右
衛門、福助など、真女形は、「勧進帳」では、義経しか演じな
い。

3つの配役を並べてみていると、弁慶:吉右衛門、冨樫:富十
郎、義経:雀右衛門、福助。というあたりが、浮かんでくるが、
実は、弁慶:吉右衛門、冨樫:富十郎、義経:雀右衛門というト
リオは、実現していない。今回の、弁慶:吉右衛門、冨樫:富十
郎の完璧さに、義経:福助は、初々しさを付け加えていたように
思う。それも含めて、今回の「勧進帳」は、最近の数ある「また
かの関」の「勧進帳」のなかでは、出色の出来栄であったと思
う。

さらに、願わくば、雀右衛門の義経で、吉右衛門弁慶、富十郎冨
樫の舞台を、是非とも、実現して欲しいと、強く思った。

このほか、四天王は、常陸坊海尊に、由次郎。亀井六郎に東蔵の
息子・玉太郎。片岡八郎に歌昇の息子・種太郎。駿河次郎に吉之
助。御曹司ふたりを軸に若手を起用した。 

「忠臣連理の鉢植〜植木屋〜」は、初見。私の育ったところは、
江戸時代に「染井吉野」が発祥した土地。そこが所縁の、「染
井」の植木屋が軸になっている。元々は、異色の上方和事で風味
をつけた「忠臣蔵外伝」。1788(天明8)年、大坂大西芝居
で初演。奈河七五三助(ながわしめすけ)、並木正三らの合作。
歌舞伎座上演は、48年ぶり、前回の、いまはなき大阪中座の舞
台からは、17年ぶりという。

梅玉演じる主人公の小春屋弥七、実は、塩冶浪士・千崎弥五郎を
「つっころばし」という上方和事の演出で演じる。上方の観客に
受けようと、何ごとも、御当地風にアレンジする大坂演劇人の芝
居魂の生み出したもの。その意気や良しというところ。初代鴈治
郎の出世作。ところが、今回は、梅玉が、意欲的に挑戦したが、
物足りない。面白みが足りない。時蔵のお蘭の方も、色気不足
で、やはり、物足りない。基本的に、芝居全体が、未完成で、台
本も、演出も、練り上げが、足りない。以下の、贅言は、そのひ
とつの具体例。

贅言:歌舞伎の舞台に置いてある小道具は、必ず、何かの使用目
的があるものだ。ところが、浅草雷門門前の植木の小道具は、何
もしなかった。大道具並みの「背景」にしかすぎず、生かせずに
終り、なんとも不思議。歌舞伎で、こういうことは、初めて体験
した。

時蔵の息子・梅枝と松助の息子・松也という御曹司の演じる町娘
は、初々しく、可愛らしい。今後の成長を楽しみにしたい。
- 2005年9月20日(火) 21:21:30
2005年9月・歌舞伎座 (「正札附根元草摺」「菅原伝授手
習鑑〜賀の祝〜」「豊後道成寺」「東海道中膝栗毛」)

「正札附根元草摺」3回目。外題を分析すれば、ピュアでオリジ
ナルな「草摺引」もの。草摺とは、鎧の胴の下に裾のように垂れ
て大腿部を庇護するもの。一の板から四の板までの4枚に加えて
菱縫いの板の5段組の板からなるという。「草摺引」とは、父の
仇を討とうとしている曽我兄弟のうち、兄の十郎が、敵に嬲られ
ていると聞き、家重代の逆沢潟(さかおもだか)の鎧を持ち出し
た曽我五郎とそれを時期尚早として、引き止めようとする小林朝
比奈とが、緋色の鎧の草摺(裾)を曳き合うという単純な話だ
が、荒事の出し物で、荒事の約束事をじっくり見せる古風な演
目。「引き事」と言って力比べをするだけ。それだけに、演じ方
次第で、おもしろくも、つまらなくもなる。

幕が開くと、上手に白梅、下手に紅梅。中央に富士山、それに
松、御殿という書割。大薩摩(長唄)の置唄の後、書割(背景
画)が、上手と下手に割れて、二畳台に乗った五郎と舞鶴が押し
出されて来る。後見は、鬘を付けた裃後見。魁春は、紫の素襖も
艶やか。橋之助は、白地に蝶の衣装、茶の太い帯、緑の房を付け
た大太刀も豪快。

今回は、曽我五郎の橋之助と朝比奈の代わりに朝比奈・妹の舞鶴
の魁春で、男女の力比べという趣向。男女の力比べは、男には適
わぬというわけで、「野暮な力は奥の間の」で、遊女の振りの色
仕掛けで引き止めようとする辺りが、魁春のハイライト。

96年5月、歌舞伎座で当時の新之助の五郎と当時の辰之助の朝
比奈が初見。10代の新之助と20代そこそこ辰之助。次いで、
2000年2月、歌舞伎座で萬太郎の五郎と梅枝の朝比奈。この
ときは、「春待若木賑」という、あまり感心しない外題で、「手
習子」「お祭り」との3本立てという構成で名跡の子供たちをま
とめて見せる趣向であったが、藝の方は、まあ、御愛嬌という舞
台。今回は、40歳の橋之助、57歳の魁春ということで、私と
しては、初めて観る充実(ピュアでオリジナルな)の「草摺引」
であったと思う。

しかし、2日目に観た所為か、ふたりの息はまだ合っておらず、
花道七三で見せる「五つ頭」の「イヨ−オ」「イヨ−オ」で、お
互いに顔を振りあう場面では、チグハグで、興を殺いだ。ふたり
は、本舞台に戻り、再び、二畳台に乗り、橋之助の大見得の後、
引っ張りの見得で、幕となる。荒事と所作事のアンサンブル。今
回の昼の部では、一の舞台であった。

「菅原伝授手習鑑〜賀の祝〜」人形浄瑠璃なら「三段目の切」、
歌舞伎なら、「六幕目」。私は、5回目の拝見。

賀の祝とは、古稀の祝。古来より70歳は、長寿、稀なる年齢。
しかし、芝居は、名ばかりの祝いで、その後の悲劇への予兆、さ
らなる展開への伏線が続く舞台となる。そういう意味では、段四
郎と権一で、通称「茶筅酒」の場面を叮嚀に演じたのはよかっ
た。「茶筅酒」とは、佐太村の四郎九郎(段四郎)宅へ近所の百
姓「堤畑の十作」(権一)が、四郎九郎から内祝に貰った重箱の
餅の礼を言いに来る場面から始まる。四郎九郎が、菅丞相館に年
頭の挨拶に行った際、四郎九郎の古稀の祝として誕生日には、名
前を白太夫改めよと言われた。きょうが、その誕生日なので、内
祝いとして餅を配ったのだと説明する。すると、十作は、「それ
はめでたい」と言いながら、「名酒呑まねば」四郎九郎から白太
夫とは呼べないと言う。そこで、白太夫は、餅の上に「茶筅」の
先で「酒塩打ってやった」のに、「まだ呑み足らぬか」と茶化
す。十作は「外へは遠慮でそうしようと、おらは日頃懇ろな仲
じゃによって、晩に来て寝酒一杯呼ばれますぞや。それなら、四
郎九郎、イヤ白太夫殿、また宵にな」と、初めて、「白太夫」を
認知する。

そして、十作が、下手に入ると、花道から千代、春、八重の三つ
子の嫁たちが、白太夫への祝の手伝いと品々を持って来る。「梅
松桜の末広がり」の扇は春から。後に、夫桜丸の腹切りに使われ
る刀を載せることになる三宝は、妻の八重から。この辺りまで
は、祝ムードを盛り上げるが、作者は、巧みに悲劇の伏線を折り
込んでいるのだ。この芝居は、祝から悲劇までの、染めの「ぼか
し模様」のようなゆったりとした展開が、作劇の妙と言える。

しかし、松王丸、梅王丸と相次いで来ると、ふたりは、「車引
き」のときの遺恨から、いがみ合い、喧嘩となり(「喧嘩
場」)、白太夫が庭に丹精している白梅、松、桜(上手より、三
つ子の兄弟の長幼の順と同じ。因みに下手、木戸の外に紅梅)の
うち、桜の枝を「俵立ての立廻り」の末に、折ってしまう。「俺
(おい)らは知らぬ」と言い合う、子供のようなふたり。「(竹
本)立ち帰る白太夫、年は寄っても怖いは親父」。

折れた桜の枝が、暗示したように、菅丞相左遷の原因を作ったと
して桜丸は切腹してしまう。そして、後の、松王丸の子・小太郎
の犠牲(八幕目「寺子屋」で、菅丞相の子・秀才の身替わりとし
て殺される)へと悲劇は続く。梅王丸は、「賀の祝」でも、帰っ
た振りをして、様子を伺い、桜丸の切腹と父親・白太夫の「菅丞
相の御跡慕い」追い掛ける旅立ちを見届け、さらに、七幕目「配
所・天拝山」では、菅丞相と白太夫を追っ手から守る。さすが、
三つ子の長男の役どころ。その梅王丸を演じる歌昇が良かった。
「いらち」の梅王丸の性格も、巧く滲ませていた。

「賀の祝」では、父・白太夫と弟・桜丸の関係の中心にいる梅王
丸が取り仕切る。梅王丸が、三つ子の長男だが、次男の松王丸に
比べて影が薄い印象を持つ人が多いだろうが、2000年3月、
02年2月と團十郎が梅王丸を演じたとき、テキスト本来の「長
男」梅王丸が担う役柄が、クローズアップされて、私の前に大き
く迫ってきたことがある。「寺子屋」が、松王丸の芝居なら、
「賀の祝」は、梅王丸の芝居だ。私が観た「賀の祝」の梅王丸
は、これまで、我當、橋之助、團十郎(2)、そして、今回の歌
昇だっ歌昇は、團十郎に負けない梅王丸を演じた。この人は、形
も良く、口跡も良いので、演技にメリハリがある。松王丸は、橋
之助で、世話物だと彼の大仰な科白回しが気になるところだが、
今回は、時代物なので、まあ、良いだろ。桜丸は、時蔵だが、女
形のときの色気のような精彩がない。切腹を覚悟し、気を抑圧し
ていて、陰影があるにしても、陰影が陰影にならず、くすんで見
える。若者の色気も滲み出ていないのは、色気、官能で出色の演
技を見せていた最近の時蔵らしくない。

一方、三つ子の妻たち。次男・松王丸の妻、千代の芝雀は、長男
の嫁風になっている。長男・梅王丸の妻、春の扇雀は、しっかり
して見える。三男・桜丸の妻、八重の福助は、赤姫のようでもあ
り、娘々もしている。それなのに、木戸に背を寄りかけて桜丸が
来るのを待っているときの福助の八重の風情が、「遊女の風情」
に見えてしまう。遅れている夫を待ちながら、余りの遅さに八重
の胸中には、不安感が沸き上がっているはずだ。娘々した初々し
い末っ子の嫁ながら、沸き上がる不安感を押さえて、堪えてい
る。やがて、背にした木戸の柱の向こう、白太夫宅の奥に通じる
暖簾を分けて、刀を杖代わりに、切腹を覚悟し、やつれが見える
夫が、そろりと出て来るのを待つという風情が、滲み出てきてい
ないのは、残念。もう一工夫欲しいところ。

桜丸の切腹の場面(「桜丸の腹切」)では、桜丸は、停める若妻
をねじり倒してでも、切腹してしまう。ここで、私は、一枚の絵
を思い出した。先々代からの時蔵の弟子で、女形の浮世絵師・時
枝の描いた桜丸の切腹の絵。これを私は、時枝の葬儀の席に飾ら
れていたのを見たのだ。桜丸以外にも、勘平の切腹の場面など数
枚の切腹の絵が、ほかの役者絵とともに飾ってあったと思うが、
なぜ、葬儀の席に「切腹の絵」なのかと、不思議と言うか、無遠
慮と言うか、嫌な気がしたのを未だに忘れない。葬儀の席には、
時蔵、歌六、歌昇らもいた。時枝のことは、歌舞伎座から頼まれ
て、歌舞伎座の筋書(月後半用の差し換え版)に追悼文を書いた
ことがある。

幕切れ。杖を持ち、笠を頭にして、菅丞相の下へ旅立つ白太夫の
姿は、いつものように、やはり、「熊谷陣屋」の出家する直実を
思い出してしまう。白太夫の難しさは、祝(忠義)の喜びと息子
失った悲しみの二重性。白太夫初役ながら、段四郎は熱演であっ
た。

「豊後道成寺」3回目。いずれも、雀右衛門。ことし、還暦を迎
えた中島千波風の桜木の背景(贅言;中島千波の緞帳は、歌舞伎
座の緞帳のなかでも、見応えがある)。舞台中央からセリ上がっ
てきた雀右衛門の清姫は、相変わらず、遠見は、初々しい小娘に
見える。黒地に枝垂れ桜の模様の着物(後に、引き抜きで朱鷺色
の着物に替る)。金の丸に花ほかの模様の縫い取りのあるクリー
ム地の帯。金地に桜木、緑、川波の青、朱という豪華な扇を持
つ。心から愛らしい娘になっている。その愛らしい姫が、今回、
初めて私に、次のような文句をつぶやかせたので、驚いた。「衰
えて寂しい秋を見つけたり」。

雀右衛門の足が、おぼつかない。特に、裾払いが、苦手なよう
だ。静止すると綺麗なはずの形も、そこまでの過程で、多少ぎく
しゃくして、やや、不安定。座り込む所作では、がくっと前に沈
む。後見の京蔵も、師匠を見る視線に心無しか不安が滲んでいる
ように見えるが・・・。こちらの気のせいか。風邪でも、引いた
のだろうか。単純な体調不調だろうか。腰を上げるときには、京
蔵が、両手で雀右衛門の腰を持ち上げていた。しかし、流石に静
止すると、85歳を忘れさせる若々しい色気が香って来る。結晶
のような純粋さが、光っている。静止画の美しさ。

京蔵は、このあとの「東海道中膝栗毛」では、抜群の脇の演技
で、場内の笑いを誘っていた。あの屈託の無さから見ると、雀右
衛門の体調も一時的なもので、心配など無さそうに見受けられ
た。

「東海道中膝栗毛」は、初見。歌舞伎座、29年ぶりの上演。前
回は、猿之助と訥升時代の九代目宗之助のコンビ。十返舎一九の
滑稽本「東海道中膝栗毛」を歌舞伎に移したのは、鶴屋南北の
「独道中(ひとりたび)五十三駅(つぎ)」が最初だった(「独
道中五十三駅」は、このところ病気休演中が続いている猿之助の
舞台を観たことがあるが、舞台展開、大道具を含めて、もう少
し、おもしろかった)。それ以来、多くの「膝栗毛もの」が上演
されたが、そのなかでも、ヒットしたのが、今回上演された木村
錦花作の「東海道中膝栗毛」だという。

吉右衛門、富十郎という藝達者が、軸になっている割には、おも
しろくなかった。演出が、もうひとつなのだろう。従って、今回
の劇評は、メモからスケッチ風に、以下のような部分の指摘をす
るだけで留めておきたい。

「第四場 喜多八の部屋」は、吉右衛門の喜多八に按摩の吉之助
が、「宇都屋峠」で殺された文弥のノリという趣向だが、この趣
向が、あまり生きていない。幽霊だけに「生きていない」では、
洒落にもならないだろう。

「第五場 箱根山中」では、雲助の場面は、「鈴ヶ森」風。さら
に、「仮名手本忠臣蔵」の五段目ばりに、猪が出て来る。出演者
による、だんまりがあり、逃げる弥次郎兵衛(富十郎)をしつこ
く追い掛ける猪。幕切れまで、追い掛ける猪と逃げる富十郎。富
十郎のサービス精神のなせる業(わざ)と観た。

「第六場 三島宿」歌江の演じる梓巫女細木庵妙珍は、まさに、
化粧も仕草も、細木数子の真似である。無愛想な妙珍の弟子お強
を京蔵が演じる。歌江の妙珍は、十三代目仁左衛門、十七代目勘
三郎、六代目歌右衛門の声色を使い観客を笑わせ、嬉しがらせ
る。大受けだった。それほど、巧い。まるで、「俳優祭」のノリ
だ。

「第七場 大井川島田宿」「第八場 大井川川中の水中」では、
翫雀が喜劇味を振りまく。特に、富十郎との水中かっぽれは、笑
わせる。翫雀は、人足「駒代わりの関助」である。翫雀は、「第
五場 箱根山中」でも、仇として付けねらわれる赤堀伊右衛門
(歌昇)に似た深編笠の浪人「団子鼻之丞」で、場内を笑わせて
いた。

時空を越えて、現代を紛れ込ませる「第九場」。かつては、「企
業爆破事件」(75年)、「ロッキード事件」(76年)など、
時局ものをテーマにした場面。今回は、「尾張地球博」だった。
マンモスの牙など出てきたが、これが、おもしろくなかった。

この芝居は、今回のように、窮策を踏まえながらの演出では無
く、野田秀樹など新しい脚本、演出でやったらおもしろくなりそ
う。舞台展開のテンポアップ、特に大道具の工夫は、最小限、必
要だろうと、思った。
- 2005年9月13日(火) 22:15:06
2005年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎第三部/串田版「法界
坊」)

「法界坊」のブラックユーモアの秘密を探る

「法界坊」は、2回目だが、串田版「法界坊」は、初見。「隅田
川続俤〜法界坊〜」は、8年前、97年9月の歌舞伎座の舞台、
吉右衛門で見ている。勘三郎の法界坊は、初見。芝居の本筋から
言うと、吉右衛門の法界坊の方が、おもしろかった。勘三郎の法
界坊は、勘三郎のキャラクターに合わせ過ぎていて、おもしろい
ことはおもしろいが、本筋の法界坊ではないと思った。以下、そ
の辺りを軸に劇評をまとめてみたい。「法界坊」は、拙著「ゆる
りと江戸へ 遠眼鏡戯場観察(かぶきうおっちんぐ)」では、触
れているが、このサイトの劇評コーナー「遠眼鏡戯場観察」で
は、初登場である。

○ 先ず、テキスト論から。

1)明るい極悪人が、法界坊の持ち味。
それは、吉右衛門も勘三郎も、共通して表現している。破戒僧に
留まらず、殺人鬼になってしまった法界坊でありながら、なぜ
か、三枚目風の、憎めないキャラクターになっている。また、法
界坊は、最後に「双面」という二重人格(法界坊と野分姫)の霊
になって、暗躍するのが、この芝居のミソだが、なぜ、野分姫と
双面になるのかも、ほぐしておきたい。

浅草聖天町に住む法界坊(勘三郎)は、釣鐘建立の勧進をしてい
る。芝居の主筋は、京の公家・吉田家が、朝廷から預った「鯉魚
の一軸」を紛失したことから、嫡男の松若がお家再興を願い、東
国に下り、道具屋の永楽屋の手代・要助(福助)に身をやつしな
がら、古物として、「鯉魚の一軸」を探す物語だ。要助と恋仲の
永楽屋の娘・お組(扇雀)、都から許嫁の松若を追ってきた野分
姫(七之助)が、要助とお組に絡んで行く。「鯉魚の一軸」の現
在の持ち主、勘十郎(勘太郎)は、お組との結婚を条件に、お組
の父親・権左衛門(弥十郎)に、掛軸を100両で譲ることにす
るが、お組が承知しない。

一方、法界坊は、お組に横恋慕しながら、色と金の欲で、殺人を
重ねて行く。法界坊の罪状を整理すると、こうなる。まず、掛軸
とお組のことで、要助と暗闇で争っていた勘十郎を殺す。次い
で、要助の正体に気づいた法界坊は、雷鳴轟く三囲神社近くの土
手で、過って、権左衛門を殺してしまう。さらに、野分姫を口説
き、拒まれると、要助に頼まれたと嘘を言いながら、姫も殺して
しまう。法界坊は、3人を殺している。この結果、野分姫は、要
助とお組に恨みを抱きながら死んで行く。まず、野分姫が、この
世に恨みを残して、亡霊になる。法界坊は、最後に、要助、実
は、松若の忠臣・甚平、実は、道具屋・甚三郎(橋之助)に、殺
されてしまう。いずれも、要助との絡みの中で、殺人を犯してい
るし、殺されもする。つまり、法界坊が、野分姫との「双面」の
亡霊になって行くのは、「鯉魚の一軸」を取り戻し、吉田家再興
を図る要助こと、松若との絡み、要助と恋仲になるお組への恨み
に拠ることが判る。

この憎めない悪人キャラクターを、どう演じるか。立役の吉右衛
門は、ひょんなことから、殺人鬼になってしまった法界坊を善人
の成れの果てのように演じた。双面のときも、立役・法界坊が主
軸で、女形・野分姫は、女形の黒衣に声を任せて、立役の地を滲
ませながら演じていた。これが、本筋の双面だろうと思う。とこ
ろが、勘三郎は、普段から立役も女形も演じる「兼ねる役者」で
あるから、女形の野分姫を演じても、女形の黒衣を使っても、立
役の地を滲ませることができない。むしろ、普通の女形になって
いる。それが、勘三郎の普通の姿であろう。どちらが、良いとか
悪いとかいうことではないが、これは、吉右衛門と勘三郎の持ち
味の違い。ただ、「法界坊」という芝居の本筋から見ると、吉右
衛門の立役を軸としながら、法界坊を演じ、双面でも、立役を滲
ませながら、女形を演じるという趣向の方が、より適切だろうと
思うだけだ。勘三郎は、「隅田川続俤」としての「法界坊」よ
り、串田版「法界坊」を演じているのだから、それはそれで、勘
三郎の持ち味の法界坊ということだろう。

2)「隅田川続俤」に見る歌舞伎の演目の散見。
ひとつは、「娘道成寺」。双面の亡霊から「後(のち)ジテ」の
怨霊になった法界坊は、一軸から抜け出した大きな鯉を抱えた甚
三郎こと、甚平に花道から押し戻され、本舞台に戻る場面がある
が、あれは、「娘道成寺」の押し戻しの場面のパロディだろう。

能の「隅田川」ものとしての繋がりゆえに「続俤(ごにちのおも
かげ)」の2文字を外題に入れ、隅田川伝説の後日談の趣向とし
た原作者の奈河七五三助(しめすけ)。吉田家のお家騒動。人買
いに攫われた梅若・松若兄弟と子どもを探して狂ってしまうほど
の母親の愛情物語。「法界坊」「忍ぶの惣太」「清玄桜姫」など
も、「隅田川」に絡むので、法界坊と野分姫の双面も、清玄桜姫
のバリエーションとも言える。喜劇化した清玄が、法界坊か。都
から下ってくるときに野分姫が扮する「荵(しのぶ)売り」も、
「忍ぶの惣太」と絡むし、「お染久松」の荵売り「垣衣(しのぶ
ぐさ)恋写絵」も絡む。下塗り、上塗り、幾度も塗り替え、自由
闊達、換骨奪胎、破れたら、張り替え。毀れたら、補強。歌舞伎
の狂言作者たちの、工夫魂胆、逞しい盗作、模倣の精神を見るよ
うだ。

○ 役者論から。

1)勘三郎の巧さと吉右衛門の巧さの違い。
「法界坊」は、四代目市川團蔵、三代目と四代目の中村歌右衛
門、三代目の坂東三津五郎、四代目中村芝翫、六代目尾上菊五
郎、初代中村吉右衛門、二代目市川猿之助、十七代目中村勘三郎
らの当り藝であった。それゆえに、それぞれの名前を引き継いだ
役者たちは、家の藝として、「法界坊」を演じたがる。底抜けに
明るい悪人の法界坊は、誰もが持っている人間の欲望をストレー
トに出したがゆえの悪人という側面も強い。だから、役者は皆、
演じたがるし、観客は皆、観たがる。

勘三郎の巧さは、明るさの表現だろう。いまの歌舞伎役者で、勘
三郎ほど、「明るい悪」を演じるのが巧い役者は、あまりいない
だろう。特に、双面で、法界坊と野分姫の鬘ふたつをひとつに繋
げて演じる「宙乗り」は、勘三郎のキャラクターにぴったりだろ
う。それだけに、今回も、この場面は、場内が、沸きに沸いた。
この場面の「宙乗り」は、二代目猿之助が得意としたという。

一方、吉右衛門の巧さは、悪人を演じながら、役者の地である善
人のユーモアが滲み出ても、なんら不自然ではないというとこ
ろ。特に、「三囲土手」の場面の「穴掘り」の足の藝の巧さは、
勘三郎も及ばない。勘三郎は、この場面には、あまり力を入れて
いなかったように見受けられたが、吉右衛門は、「お土砂」の紅
屋長兵衛でも見せた足藝の巧さをここでも見せてくれた。先代の
吉右衛門や猿之助は、「穴掘り」を巧く見せたという。「穴掘
り」は、この場面を使う型と使わない型があるというから、役者
の工夫次第で、おもしろく見せるか見せないかという場面なのか
もしれない。

2)亀蔵の番頭・正八の「怪(快)演」
永楽屋の番頭・正八は、小悪党。番頭役者の工夫魂胆で、如何様
にも役作りができる。正八は、法界坊と組んで、お組をなんとか
しようとしているらしい。序幕第一場「深川宮本」という料理屋
の裏口の場面で、それが匂って来る。さらに、正八は、宮本の座
敷でひとりだけになったお組に言い寄る。その言い寄るときの亀
蔵の動きが、凄まじい。まるで、蜘蛛が這い伝うように両足と身
体を使って迫って行く。快演というより、怪演という場面だ。正
八は、法界坊と組んで、要助をいたぶる。

序幕第二場「八幡裏手」の場面では、正八は、お組を攫って駕篭
に無理矢理押し込む。さらに、駕篭自体を縄で縛り、「こうして
しまえば、〆子(しめこ)のうさうさ、締めたぞ締めたぞ」と唄
い出す。「〆子(しめこ)」は、「しめた」「しめしめ」という
意味で、「〆子のうさ(ぎ)」は、「兎を絞める」という意味と
掛けた地口(じぐち)。物事が、思い通りにいったときに使う。
正八は、お組を勾引し、駕篭に押し込んで、「しめしめ」と喜ん
でいるのである。小悪党が、喜んで使いそうな地口といえる。こ
の「〆子のうさうさ」は、その後も、駕篭の場面で、パロディと
して使われ、さらに、法界坊によって、お組の代わりに駕篭に入
れられた道具屋市兵衛(四郎五郎)が、駕篭から抜け出し、桜餅
の籠を駕篭に見立てて、この地口を使う場面さえある。

3)その他の役者。
扇雀のお組は、安定感がある。福助の要助、実は、松若は、勘三
郎、扇雀に食われていないか。野分姫の七之助も、もっと、存在
感を出した方がよい。勘太郎は、勘十郎と女船頭おさくのふた
役。橋之助の道具屋・甚三郎、実は、吉田家の忠臣・甚平は、松
若のお助けマンという、機嫌の良い役どころ。宮本の仲居・おか
ん(芝のぶ)は、甚三郎、実は、甚平の妹。

○ 細部のおもしろさ

1)「法界坊」は、吉田家のお家騒動を軸にお組を巡る男女の駆
け引きとして、物語は、展開するが、本来、筋は、荒唐無稽。む
しろ、細部のパロディやエピソードの積み重ねが、芝居の狙いだ
ろう。「〆子のうさうさ」に象徴されるような、言葉遊び、「お
うむ」と呼ばれる、場面の繰り返しのパロディのおもしろさ。付
け文の摺り替えに拠る「ちょいのせ」のおもしろさ。そういう細
部こそ、「法界坊」という芝居の真骨頂ではないか。

2)本来の「法界坊」の芝居の細部に付け加えて、串田版「法界
坊」は、平成中村座のテント小屋の舞台を大きな歌舞伎座の舞台
に移し変えた所為か、あるいは、串田演出なのか知らないが、本
舞台の上下に江戸の芝居小屋の「羅漢台」のような、客席を設け
た。中村座の座紋の入った提灯が下げられ、黒白茶の中村座独特
の定式幕も飾られている。二段に分けられた桟敷には、ちょんま
げ姿の男女の観客を表す人形が、何体も座り込んでいる。ある場
面では、その人形のうちの幾つかが、生身の役者に入れ代わって
いて、観客を驚かせる。こういう細部の演出が、付け加わってい
た。

3)法界坊は、大事な「鯉魚の一軸」を横に置き、痴話喧嘩をし
ている要助とお組を尻目に、軸を摺り替える場面で、忍者のよう
に、巻物を銜え、障子の前で呪文を唱えると、障子が回転ドアの
ように一転し、法界坊を隠してしまうなどの場面や黒衣も、要助
が、正八から借りた金の証文を書く場面で、白紙を持ち、筆を持
つ、要助を手助けながら、すでに書き上がっている証文を観客に
判るように渡す場面、出てきた雲を団扇で風を起こして、月を隠
してしまい、「だんまり」に結び付ける場面など。くすぐりの場
面では、遊び心のある串田演出も、細部に光る。「鈴ヶ森」の立
ち廻りの場面のパロディ、見得をする黒衣などの場面もある。ま
さに、ブラックユーモア(黒衣滑稽)は、細部が見逃せない。
- 2005年8月15日(月) 21:48:10
2005年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎第二部/「伊勢音頭恋
寝刃〜油屋・奥庭〜」「けいせい倭荘子 蝶の道行」「銘作左小
刀 京人形」)

「涼味」の芝居 「伊勢音頭恋寝刃」の秘密

「伊勢音頭恋寝刃〜油屋・奥庭〜」は、芝居の中味とは、別に、
何故か、涼味を感じさせる演目のような気がする。1796(寛
政8)年5月に、伊勢古市の遊廓「油屋」で宇治山田の医師・孫
福斉宮という男が、酒に酔って、仲居ら数人を殺傷する事件が
あった。事件後、急ごしらえで作り上げられた芝居だけに、
ジャーナリスティックな意味では、速報性があったものの、戯曲
としては無理があった。だから、「伊勢音頭恋寝刃」は、もとも
と説明的な筋の展開で、ドラマツルーギーとしては、決して良い
作品ではない。お家騒動をベースに、主役の福岡貢への遊女・お
紺の本心ではない「縁切り話」から始まって、ひょんなことから
妖刀による連続殺人へというパターン。殺し場の様式美。殺しの
演出の工夫。別名「十人斬り」という外題もある、殺し場を売り
物にした陰惨な芝居である。大詰の「古市油屋の場」「同 奥庭
の場」が、良く演じられる。

絵面としての、洗練された細工物のような精緻さのある場面。無
惨絵の絵葉書を見るような美しさがある反面、紋切り型の安心感
がある。そういう紋切り型を好む庶民の受けが、いまも続いてい
る作品。馬鹿馬鹿しい場面ながら、伊勢という徳川時代の日本人
には、良く知られた場所の風景や名物を巧みに取り入れた工夫も
あり、紋切り型ゆえの、普遍性が持つ、汲めども尽きぬおもしろ
さがある。それにも拘らず、長い間上演され続ける人気狂言とし
て残った。その理由の一つとして、「涼味」があるのではないか
と思う。

事件は、旧暦の5月に発生しているから、いまの暦なら6月。初
夏である。歌舞伎座の筋書に載っている上演記録を試しにチェッ
クしてみた。戦後、1947年から今回まで、巡業などを除く、
本興行で演じられた回数は、50回。このうち、6月から残暑の
ある9月までの、いわば「夏」の期間に演じられたのは、36回
あった。実に、70%以上は、この期間に上演されている。その
秘密は、「涼味」にあるのではないか。

では、「伊勢音頭恋寝刃」の「涼味」とは、なにか。まず、10
人殺しの犯人で、伊勢の御師(下級の神職)福岡貢(三津五郎)
の衣装ではないか。白地の絣に黒の羽織姿。事件になるころは、
黒い羽織を脱いで、白絣だけになっていて、いかにも涼し気であ
る。舞台で着ている白絣は、縮緬で、さらに涼味と色気を出して
いる。

福岡貢(三津五郎)は、叫ぶ。「万呼べ・・・。万呼べ万呼べ。
万野を呼べ」と叫びながら、貢は、黒い羽織を脱ぎかけ、白絣を
観客に見せつける。黒と白の対比の鮮やかさ。舞台から涼味のあ
る風が吹いて来る。上方系の演出である(東京系の演出では、油
屋の奥から暖簾を分けて出て来るときは、羽織を脱いでしまって
いる)。

ついで、団扇。この演目は、小道具では、団扇が見どころなの
だ。遊女のお岸(七之助)、お鹿(弥十郎)の持つ銀地に紫の花
を咲かせた桔梗、あるいは、お紺(福助)の持つ銀地に紫の桔梗
やピンクや黄色の花をあしらったもの、仲居の万野(勘三郎)の
持つ役者ふたりが描かれた浮世絵の柄、仲居の千野(鐵之助)、
ほかの仲居や宿泊客が持つ油屋のお仕着せの流水に盃の柄など、
数多く登場する団扇の模様をウオッチングしていると、涼味を感
じる。

奥庭で演じられる伊勢音頭に載せての踊り。芝喜松、芝のぶら、
そろいの浴衣姿の仲居たち20人が演じる踊りの場面は、その後
の陰惨な殺しの場面を対照的に残虐に見せるために、颯爽と、涼
し気に踊るのである。こういう涼味が、ちりばめられた結果、
「伊勢音頭恋寝刃」は、夏芝居の有力な演目として、生き延びて
きたのではないか。

さて、役者論。「伊勢音頭恋寝刃」は、5回目。福岡貢:團十郎
(2)、仁左衛門(2)、そして、今回は、初役の三津五郎。團
十郎、仁左衛門に比べると、三津五郎の貢は、小さかった。
ちょっと、残念。特に、万野殺しの場面で、万野を叩いていた鞘
が割れて、名刀「青江下坂」の本身が、直接万野を傷つけたはず
なのに、鞘の割れが巧く行かず、遅れてしまい、拍子抜けがし
た。

團十郎の2回目は、去年の5月、歌舞伎座海老蔵襲名披露興行の
舞台で、私が観た直後に、病気休演となった。私の観た貢では、
仁左衛門が良かった。貢は、上方和事の辛抱立役の典型だが、俗
に「ぴんとこな」と呼ばれる江戸和事で洗練された役づくりが必
要な役。「青江下坂」が、本物なのに、鞘を取り替えられただけ
で、鞘違いに気づかず、本物探しのために、頭に血が上り、連続
殺人を犯す殺人鬼となる貢の、鬼気迫る演技は、仁左衛門の役ど
ころだろう。

お紺:福助(今回含め2)、雀右衛門、時蔵、魁春。福助のお紺
も、貢に合わせたのか、ちょっと、小粒の感。万野:玉三郎
(2)、菊五郎、芝翫、そして、今回は、勘三郎。万野は、玉三
郎が、美貌が促進する憎々しさで、印象に残っている。勘三郎
は、第3部の「法界坊」が、力が入り過ぎていたが、万野は、肩
の力を抜いていて、良かった。憎々しさにも、勘三郎なりの味わ
いが滲み出ていた。喜助は、傍役ながら、貢の味方であることを
観客に判らせながらの演技という、いわば「機嫌良い役」で、今
回は、橋之助。刀の摺り替えに一役買って、貢を追い掛けて、花
道七三で油屋に向かって言う「馬鹿め−」が、気持ち良さそう
だった。喜助:勘九郎時代の勘三郎、富十郎、三津五郎、襲名披
露の海老蔵。お鹿は、4回とも、田之助。今回は、珍しや、弥十
郎。もともと、類型ばかりが目立つ、典型的な筋の展開、人物造
型の「伊勢音頭恋寝刃」の中で、お鹿は、類型外の人物として、
傍役ながら難しい役柄だと思う。貢への秘めた思いを滑稽味で隠
しながらの演技。田之助のお鹿は、悲劇の前の雰囲気をやわらげ
ていたが、弥十郎は、滑稽味が強すぎないか。はかに、貢を巻き
込んだお家騒動の主筋の今田万次郎に勘太郎、お岸に七之助とい
う顔ぶれ。

「けいせい倭荘子 蝶の道行」は、2回目。亡くなった男女が蝶
になって死出の道行という幻想的なもの。初見は、99年4月歌
舞伎座であった。今回、6年ぶりの上演である。初見は、梅玉、
時蔵のコンビが華麗な舞台に仕上げていた。武智鉄二構成・演
出。今回も、武智鉄二構成・演出は、変わらず。染五郎、孝太郎
のコンビが、どういう味わいを出すか、愉しみしていた。

幕開き。上手に竹本4連。「世の中は 夢か うつつ
か・・・」。薄暗い中、ふたりの黒衣が操る差し金の先に、暗闇
でも光る番の蝶。やがて、この世で結ばれることの無かった小槙
(孝太郎)が、中央のせりで競り上がって来る。黒地に絹の縫い
取りで蝶の模様が描かれている。一方、花道スッポンから、助国
(染五郎)が、同じく、黒地に絹の縫い取りで蝶の模様の衣装。
書割りに描かれた紫陽花、菖蒲、牡丹、菊などの花々が、大き
い。亡霊のふたりは、人間の大きさではないことを伺わせる演出
だ。ふたりの衣装を引き抜くと、小槙は、白地に赤い太めの縦
縞。助国は、白地に紺の太めの縦縞で、若い夫婦の華やぎを感じ
させる。小槙は、赤子を抱く所作を交えながら去年の出会いの様
子を踊る。やがて、それぞれ交代で引っ込むと、今度は、白地に
大きな蝶の図柄の衣装で出直して来る。青い蝶が、助国、朱色の
蝶が、小槙。

「修羅の迎えはたちまちに 狂い乱れる地獄の責・・・」で、舞
台は、紅蓮の炎に包まれ、ふたりが、地獄の責め苦に遭う場面へ
と移る。草の露で、断末魔のふたり。折り重なり、断続的な痙攣
に苦しみながら、やがて、息絶えるふたり。前回の梅玉、時蔵の
ときより、演出が派手になっている。

「銘作左小刀 京人形」は、2回目。初見は、02年5月歌舞伎
座。菊之助と菊五郎の舞台。菊之助の京人形は、華麗であったと
いう印象がある。今回は、京人形が、扇雀。人形を掘り出した左
甚五郎が、橋之助。

甚五郎によって、魂を吹き込まれた京人形だが、男の魂は、女性
化せず、ということで、京人形に似合わない男っぽい動き。それ
が、女の命という手鏡を人形の胸に入れると、恰も電池を入れた
ロボットのように、活発に動き出すという趣向。木彫りの人形
は、左甚五郎が見初めた京の郭の遊女・小車太夫に似せて作っ
た。しかし、男の魂を入れて作った、左甚五郎入魂の人形だけ
に、命を吹き込まれると同時に、男の気持ちも封じこまれてし
まった。それが、手鏡を胸に入れると女っぽくなる。人形の動き
は、男女の所作を乗り入れている形だ。

扇雀の人形振りは、菊之助に比べると、いまひとつ。菊之助の人
形ぶりは、そういう男と女の、いわば、「ふたなり」のような奇
妙なエロチシズムが滲み出ていた。思えば、菊之助のは、3年前
の、この舞台から、先月の歌舞伎座のシェークスピア劇「十二
夜」の歌舞伎版での、男女の双児の役作りへの道筋があったのか
もしれない。「京人形」の、そういう寓話的な不思議な所作事
が、「十二夜」に繋がっているのかもしれない。いや、これは、
私が見た「真夏の夜の夢」に過ぎないのかもしれない。それほ
ど、「京人形」の菊之助の演技は、印象に残っている。

下手、常磐津連中の「よそごと浄瑠璃」に続いて、屋体の上手、
障子の陰から、やがて、長唄連中。橋之助の科白回しが、時代過
ぎて、気に掛る。もう少し、世話にくだけられないものか。京人
形とのやりとりは、人形を箱に納めてしまえば、終り。匿ってい
た井筒姫の話に、突然展開する。井筒姫(新悟)を逃がす甚五郎
なのに、仇と勘違いした井筒姫の下男・奴照平(弥十郎)が、甚
五郎の右腕を斬り付ける。誤解は溶けて、井筒姫を照平に託す
が、これ以後、甚五郎は、左手だけで彫り物を作るようになり、
やがて、左甚五郎と呼ばれるようになるという、甚五郎由来話。

甚五郎と「祇園守」の紋を染め抜いた成駒屋の半纏を着た大工た
ちとの立ち回りは、所作立てで、鉋、丁な、曲尺、木槌などの大
工道具を巧く使いながら、大工仕事のさまざまな仕方を踊りで表
すという趣向。これかこれで、おもしろい。

この演目は、本来の筋をカットした部分があり、それを入れて演
じているため、京人形のくだりと井筒姫のくだりが、短絡してい
るように見えるという、前回も指摘した印象は、今回も、拭えな
い。

このほか、甚五郎女房・おとくに、高麗蔵など。
- 2005年8月15日(月) 16:43:40
2005年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎第一部/「祇園祭礼信
仰記〜金閣寺〜」「橋弁慶」「雨乞狐」)

暴力(権力)と文化の対決の構図

先ず、「金閣寺」。この芝居「祇園祭礼信仰記」は、元々の外題
が、「祇園祭礼信長記」であったことでも判るように、織田信長
の一代記をベースにしている。信長は、「小田春永」として登場
する。全五段の時代物。このうち、四段目の中から切にあたる
「金閣寺」が、いまも、盛んに上演される。

情慾と暴力に裏打ちされた「権力」への野望に燃える「国崩し」
役の大膳対藝の力、つまり「文化」の雪姫、それを支援する筑前
守久吉らという構図。つまり、「武化と文化の対決」で、文化が
勝利という判りやすい芝居だ。

それにしても、大膳は、極悪人だ。「王子」と呼ばれるユニーク
な鬘は、「国崩し」の特徴である。罪状を「社会部」的な視点か
ら見ると、主君の十三代将軍・足利義輝に謀反し、将軍思い者の
遊女を唆して、将軍を射殺させ、将軍の母・慶寿院尼を金閣寺に
幽閉しているという、反逆罪の政治犯、つまり「国崩し」。室町
御所で見初めた雪姫の尻を追い掛けるセクハラおやじ。恋人の直
信と逃げた雪姫は、直信に横恋慕する後家の策略で、大膳の元に
行かされ、大膳の手で、幽閉され、「蒲団の上の極楽責め」に
あっている。夫の直信も、捕らえられている。監禁の罪。大膳
は、さらに、雪姫の父親・雪村を殺して、祖父雪舟から受け継が
れた宝剣を奪っている。強盗殺人の罪。暴力と情慾で、好き勝手
なことをしている。「金閣寺」の場面でも、雪姫に対して、天井
の一枚板に龍の墨絵を描け、閨の伽(セックス)をしろと、いま
も、無理難題を突き付けている。脅迫の罪。

さて、「金閣寺」は、エピソードの多い芝居だ。まず、「碁立
て」の場面。東吉(染五郎)に囲碁で負けた大膳(三津五郎)
は、怒りに任せて碁笥(ごけ)を井戸に投げ込む。その上で、東
吉に手を濡らさずに、碁笥を井戸から引き上げてみせろと難題を
出す。知恵者・東吉は、考えた末に、金閣寺の樋を引き抜き、そ
れを使って裏山から落ちて来る滝の水を井戸に引き込む。そし
て、井戸の中の水面に浮き上がってきた碁笥を扇子で引き寄せ、
これを碁盤の上に載せてみせる。

大膳が、雪姫(福助)の父親を殺して奪った宝剣「倶利伽羅丸」
を抜き放つと、その度に、裏山の滝に龍が登る。それを観て、雪
姫は、父親殺しの犯人が、大膳だと悟る。雪姫は、大膳の手の者
に縄で縛られてしまう。

「爪先鼠」の場面。長い縄で桜の木に縛り付けられた雪姫は、桜
に木から大量に落ちてきた花弁を使って、足の指で鼠の絵を描
き、その鼠に自分を縛っている縄を食いちぎらせて、自由の身に
なる。

金閣寺の大道具が、「大ぜり」に載ったまま、せり下ると二階に
は、十三代将軍・足利義輝の母・慶寿院尼(秀調)が幽閉されて
いる。金閣寺の楼閣の大道具せり下がりは、いつ観ても迫力があ
る。二階の襖は、金地に桐の木の絵、一階の襖は、金地に虎の
絵。桐は、東吉、実は、筑前守久吉がらみ、虎は、軍平、実は、
佐藤正清がらみ。

こういう判りやすい場面やエピソードがあると、歌舞伎の初心者
には、今後、歌舞伎に入って行きやすくなるという効用がある。
それに、この演目は、「国崩し」という極悪人・大膳もいれば、
颯爽とした捌き役・東吉もいれば、歌舞伎の三姫のひとり、雪姫
もいれば、雪姫の夫で、和事の直信(勘三郎)もいれば、赤っ面
の軍平(橋之助)、同じく赤っ面の大膳弟の鬼藤太(亀蔵)もい
れば、老女形の慶寿院尼もいるという具合に、歌舞伎の時代物の
典型的な役どころが勢ぞろいしているので、動く歌舞伎入門のよ
うに観ることができる。

「祇園祭礼信仰記〜金閣寺〜」は、4回目の拝見。雪姫:雀右衛
門(2)、玉三郎、今回は、福助。大膳:幸四郎(3)、今回
は、三津五郎。東吉:團十郎、富十郎、菊五郎、今回は、染五
郎。慶寿院尼:田之助(3)、今回は、秀調。狩野直信:九代目
宗十郎、秀太郎、時蔵、今回は、勘三郎。正清:左團次、歌昇、
我當、今回は、橋之助。鬼藤太:彦三郎、弥十郎、信二郎、今回
は、亀蔵。

今回の見どころは、私にとっては、初めて幸四郎ではない大膳を
観ること。つまり、三津五郎初役の大膳の出来が、いかがかとい
うのがひとつ。雪姫は、最初に玉三郎で観て、その後は、雀右衛
門の「一世一代」とも言える雪姫を観てきたので、若い福助が、
どういう雪姫を見せてくれるかというのが、もうひとつであっ
た。

まず、三津五郎は、あの小柄な体が大きく見えた(これは、第2
部の「伊勢音頭恋寝刃」で演じた三津五郎の福岡貢が、小柄なま
まだったのとは、対照的な印象である)が、幸四郎が持ち味の
「陰湿な存在感」は、三津五郎に乏しく、「国崩し」としてのス
ケールは、いまひとつという感じがした。

福助は、お互いに縄を打たれて、身が自由にならない状態で、殺
されに行く夫・直信(勘三郎)との「此世の別れ」の場面での、
直信に向ける切ないまでの表情が良い。縄は、大膳の暴力(権力
慾)を象徴すると同時に、雪姫の場合、視覚的には、雪姫と櫻
木、櫻花との緊張関係、つまり、「距離」を象徴する。絶えざる
弛みのない縄が、両者の関係をピンとしたものにする。処刑場へ
送られる直信との、別れの場面でも、双方、括られた縄が、ふた
りの柵(しがらみ)多い、この世との別離を象徴するように、無
情にすれ違う。綱の美学。2年前の雀右衛門の雪姫は、「一世一
代」の演技という感じの緊張感を維持した素晴しい舞台であった
が、福助の雪姫は、児太郎時代から演じ続け、福助を経て、やが
て、歌右衛門として演じ続けて行くであろう雪姫の、さらなる可
能性を感じさせる、そういう演技であった。今後も、福助の雪姫
には、注目したい。

贅言1):雪姫が、櫻の花弁で描いた白い鼠によって、身体を戒
めていた縄を食いちぎらせる。自由の身になった雪姫が、鼠を叩
くと、黒衣が操る差し金の先の鼠の身体が、まっぷたつに裂け
て、ピンクの花弁が飛び散る仕掛けになっているが、これは、役
者によって、あったりなかったりするようで、今回は、本来の姿
で、「あり」であった。この桜の花弁に変わる鼠を、私は、いつ
も、藝の魔力を象徴しているように受け止めて、観ている。

天井から落ちて来る櫻の花弁。最初は、ひらひらと舞い落ちてい
たが、やがて、降り積もり、舞台一面、ピンクの櫻の花弁で一杯
になる。雪姫の引きずる裾が、舞台に敷き詰められた花弁を蹴散
らしながら、幾何学模様を描いて行く。裾の円舞。桜の美学。綺
麗な舞台だ。雪姫は、鬼藤太から久吉が奪った宝剣を胸に抱い
て、直信を追って、花道へ向かうとき、剣を鞘から抜いて己の髪
の乱れをチェックするのは、昔からの型。

今回、歌舞伎座の天井に近いところから観ていた所為か、福助に
蹴散らされた花弁の群れから抜け出させられた本舞台の空間は、
まるで、初夏、高山の山肌に浮き上がる「雪代(ゆきしろ)」の
ようになって、巨大な鼠の絵姿に見えたのは、私の思い入れの為
せる技か、雪姫の為した幻影か。

染五郎の、此下東吉から筑前守久吉に身顕わしは、捌き役とし
て、颯爽としている。「石切梶原」の梶原平三を思い出させた。
染五郎・久吉は、「猿」(猿面冠者の久吉らしく)のように桜木
を登る(以前、富十郎・久吉は、木に登らず。團十郎、菊五郎
は、いずれも、今回同様登る。この場面は、やはり、いつでも、
木を登ってほしい)。

慶寿院尼は、過去、3回とも田之助で観た。今回は、秀調。秀調
の慶寿院尼は、品があり、よろしい。舞台を上手から下手に横切
り、花道から死出の道を歩まされる直信は、話題の勘三郎だが、
今回は、「法界坊」が、メインとあって、ここは、それなりに。
黒地に露芝の着付けが、「妹背山」の求女、「保名」の安部保名
を思い出させる。正清は、橋之助。時代物の科白は、橋之助も良
いのだが、第2部「京人形」の左甚五郎の科白は、もっと、世話
に砕けて欲しかった。鬼藤太は、亀蔵。今回の亀蔵は、「法界
坊」の番頭役で、「怪(快)演」するが、それは、別の所で述べ
たい。

初見の「橋弁慶」は、獅童と七之助のコンビによる京は、五条橋
(ごでうはし)の出会いの物語。牛若丸(七之助)と弁慶(獅
童)の人気。牛若丸の吹く笛は、舞台上手の長唄囃子連中の、笛
方(田中傅太郎)が、代打ち。力強く、良い音の笛であった。弁
慶は、白頭巾姿だが、頭巾を締め付ける紐の形が、頭に「目」が
あるように見えておもしろかった。大薙刀を振るう弁慶。身軽に
橋の欄干に飛び乗る牛若丸。牛若丸が弁慶を制して、互いに名乗
りあい、主従の契りの誓いをする。九條の屋敷に向かった牛若丸
の後を追い、大薙刀を抱えたまま、片手飛び六法を本舞台から七
三まで見せる弁慶役の獅童。

初見の「雨乞狐」は、勘太郎の五変化。旱魃の野に近い稲荷。舞
台中央に鳥居、上手に社。野狐は、雨乞いをするために、舞台下
手より「台」に載って姿を現したのは、白狐。源九郎狐の末裔だ
けに、「忠信」ばりの衣装だが、名前は、まだない。「我輩は猫
である」の猫同様の身の上。狐から雨乞巫女に早替りするのは、
鳥居の後ろ。鳥居に幕が降りる。白と朱の巫女姿になった勘太郎
は、弊を振って雨乞いを始める。やがて、一天俄にかき曇り、背
景に黒幕が下りて、雨空となる。弊を両肩に担ぎ、廻りながら社
の裏に引き込む巫女。やがて、社の戸が開いて、早替りした座頭
が出て来る。雷鳴が轟き、雷を恐れる座頭の様子が、コミカルに
描かれる。杖を尻尾のように振り、狐の正体を暗示する。やが
て、雷鳴も止み、雨は、静かに降り続く。雨で滑っていた座頭も
社の後ろに消えた。

社の前に、柳の木が引き出される。蛙の声が聞こえ出す。花道
スッポンから、蛇の目傘を差した小野道風が、現れる。舞台中央
に進んだ道風は、柳の木の下に現れた蛙を観ている。柳の葉に食
らいつこうとする蛙を観ているうちに、なにかに思い当たったよ
うだ。手紙(恋文)を拡げながら、舞台中央奥のせりから、せり
下りる道風。空も、明るんできた。天気雨?→「狐の嫁入り」と
いう発想。

花道に花嫁行列の一行が現れた。狐の嫁入り。供侍、中間、皆、
狐だろう。駕篭は、社の下手に着けられる。中間が持ってきた提
灯も浮かれ出す。5月の歌舞伎座で、名子役・清水大希から、勘
三郎の部屋子として歌舞伎役者デビューをした二代目鶴松が、コ
ミカルに、巧みに演じる。駕篭と黒衣ふたりが持つ黒幕を使っ
て、提灯が消えると、たちどころに花嫁御寮に姿を変えた勘太郎
が駕篭の中から、登場する。五変化目。23年前の勘九郎が六変
化で、この演目を演じたときは、この提灯も勘九郎が演じたと上
演記録にはある。どういう展開にしたのだろう。「提灯」役は、
変化の中でも、ハイライトと観た。初演時の勘九郎のように、こ
れは、主役が演じたいものだ。

浮かれ踊っていた一行も、嫁入りの刻限が迫り、皆、姿を消す
と、再び、白狐姿に立ち戻った勘太郎が、舞台中央奥のせり穴か
ら、(多分、トランポリンを使って)飛び出してきた。初音の鼓
の音が聞こえ、名もない野狐は、先祖の源九郎狐に因んで、勘九
郎狐という名前を貰う。忠信ばりの狐を演じる勘太郎。

贅言2):「橋弁慶」「雨乞狐」を観ていて思ったこと。歌舞伎
の若手役者たちは、いろいろな演目にちりばめられた大演目の破
片を学びながら、いずれ、大演目を演じるようになって行くのだ
というのを実感した。
- 2005年8月15日(月) 13:01:34
2005年7月・歌舞伎座 (「NINAGAWA 十二夜」)

7月の歌舞伎座は、本来なら、最近では、澤潟屋一門興行の指定
席だった。去年(04年)は、右近、笑也、段治郎らの猿之助を
支える澤潟屋一門の中堅どころを相手に、玉三郎が買って出た。
ことしは、音羽屋一門に歌舞伎座を乗っ取られた感がなきにしも
あらずであるが、菊之助が主演するシェイクスピア劇を蜷川幸雄
が演出をすることになった。客席内が、暗いので、いつものよう
にウオッチングしながらのメモが取れないので、記憶に頼りなが
らの劇評で、正確さが、保証できない。そこで、以下、アットラ
ンダムに、思いつくまま感想を述べておきたい。

1)約400年前のシェイクスピア劇の舞台を日本に置き換え、
役名は、変えながら、科白劇であるシェイクスピア劇の特徴を最
大限に活かそうという蜷川演出である。特に序幕第一場では、幕
が開くと、舞台は、左大臣館の広庭。桜の巨木が、爛漫と咲き乱
れる。その後ろの書割、上手の床(ちょぼ)、下手の黒御簾など
まで、全てが鏡張りになっている(この「ミラー効果」について
は、後段で、詳しく検証してみたい)のが、実験的だ。

舞台背景の書割には、1階席の客席が、場内を飾る赤い提灯とと
もに映って見えるので、横長の舞台を挟んで、丸く客席が囲んで
いるように見える。赤い提灯も、いつもより、祝祭劇の気分を盛
り上げてくれる。まさに、「円形劇場」の雰囲気で、その意外性
が、客の心を一瞬のうちに掴み取る効果を上げていて、実に、卓
抜な演出だと思った。実際、幕が開く前に花道七三近くのライト
が、いつになく、観客席を照らし出したが、何ごとかと不思議に
思いながら開幕を待つ。やがて、定式幕が引かれると、ライトで
照らし出された1階の観客席が、舞台背景の、書割の鏡に映し出
される。すると、鏡に向かって手を振る人もいて、場内から「じ
わ」が来た。

照明の効果で、鏡が透けて見えると、爛漫に咲き乱れる桜の巨木
を背景に、西洋楽器のチェンバロを演奏する人1人と3人の南蛮
風の衣装の少年少女合唱隊、それに、緋毛氈には、常とは異な
る、僧衣のような衣装を身に着けた鼓方3人が座って、大小の鼓
を打ち、ラテン語の聖歌の合唱と和洋混合楽器の合奏が、流れ
る。そのなかを、花道から左大臣(信二郎)と従者2人(秀調、
松也)が、登場するという印象的な幕開きの場面が続くのであ
る。

シェイクスピア劇は、戯曲としての完成度が高いので、科白劇、
西洋の価値観を、いかに歌舞伎に馴染ませるかが、問題だろう。
シェイクスピア劇は、明治時代から翻案劇として、上演されてき
た。主に、ふたつの流れがあったように思う。ひとつは、シェイ
クスピア劇を原作のまま、歌舞伎役者が演じるもの。三代目左團
次らが演じた「ベニスの商人」、二代目松緑らが演じた「シラ
ノ・ド・ベルジュラック」など。もうひとつは、シェイクスピア
劇を翻案して、外題も歌舞伎調に変え、歌舞伎役者による新歌舞
伎仕立てにしてしまうもの。いまも演じられる河竹黙阿弥作「人
間万事金世中」など。

しかし、今回の「NINAGAWA 十二夜」は、いずれでもな
い。原題も変えずに、「十二夜」のまま、科白劇としての、シェ
イクスピア劇の特徴を活かしながら、役名のみを歌舞伎調に変え
て、いわば、「歌舞伎調シェイクスピア劇」にしてしまうという
趣向だ。

2)歌舞伎調シェイクスピア劇だから、翻案型新歌舞伎のよう
に、歌舞伎度を図ろうとするのは、的外れかもしれないが、あえ
て、歌舞伎度にこだわるならば、前半、特に、序幕は、第九場ま
であり、主筋の紹介のため、舞台展開が、多過ぎて、歌舞伎度
は、いささか希薄。例外的に、第二場の紀州灘沖合いの場は、通
称「毛剃」こと、「博多小女郎浪枕」に出て来るような一艘の大
船が、登場するスペクタクル。斯波主膳之助(菊之助)が、ふた
役早替りで、双児の妹の琵琶姫(菊之助)を演じ、嵐に揉まれる
大船は、やがて、帆柱も折れ、遭難してしまう辺りは、見応えが
あった。

難破した船から海岸に辿り着いた琵琶姫と舟長の磯右衛門(段四
郎)は、別れ別れになった、生死不明の兄・斯波主膳之助を探す
旅に出る。琵琶姫は、男姿になって、獅子丸と名乗り、左大臣
(信二郎)の小姓になる。左大臣は、織笛姫(時蔵)に恋をして
いるのだが、織笛姫は、冷たい。小姓の獅子丸が、恋の仲立ちの
使者となると、織笛姫は、なんと、獅子丸に恋してしまう。左大
臣→織笛姫→獅子丸、実は、琵琶姫→左大臣。恋する者たちの連
鎖が、一方向にばかり向いながら、綾なし、環になる喜劇が、
「十二夜」の眼目である。

二幕目、大詰は、主筋の左大臣館、脇筋の織笛姫邸の芝居で、舞
台が、落ち着いて来るに連れて、様式美や定式を踏まえて、歌舞
伎度も上がってくるという趣向だ。息子の菊之助を前面に出し、
脇に廻って、芝居に奥行きを与えるのが、織笛姫邸の気侭な奉公
人・捨助と頑固ゆえに憎まれ役の織笛姫邸用人・坊太夫のふた役
早替りを演じる菊五郎である。「菊五郎の歌舞伎演出」と「蜷川
幸雄のシェイクスピア劇演出」のせめぎ合いが、おもしろい効果
を上げて、新機軸の歌舞伎調シェイクスピア劇を誕生させたと言
えそうである。

3)役者論。脇筋の織笛姫邸の場面で、左大弁・洞院鐘道を演じ
る左團次、右大弁・安藤英竹を演じる松緑、それに左大弁の恋人
で、腰元の麻阿を演じる亀治郎の3人が、息もあっていて、その
上で、役割をきちんと演じわけていて、充実の舞台に仕上げてい
る。特に、知恵者で、いろいろ仕掛けを作り、物語展開の牽引者
の役割を演じる亀治郎の麻阿が、達者な存在感を残している。

脇に廻った菊五郎が味のある演技で、さらに、舞台を磨きあげ
る。ところで、時蔵は、脱皮したようだ。時蔵の織笛姫は、典型
的な赤姫で、歌舞伎の様式美を体現する演技だったが、大詰で、
獅子丸が、琵琶姫が扮していたことが判明し、「女でありなが
ら、女を見初めるとは、大恥ずかし」と恥じらうときの表情、双
児の妹・琵琶姫の獅子丸には、「振られた」が、双児の兄・斯波
主膳之助と結ばれるときの、嬉しそうな「官能」の顔は、当代一
流の表情になっていた。このところ、官能の表情に、一皮向けた
感じのする時蔵の成長振りが、嬉しい(それにしても、時蔵の稽
古風景の素顔の白髪頭は、どうしたことだろう。素顔の時蔵に
は、何度か逢ったことがあるのだが、毛染めをしているのだろう
か、いつも黒々とした髪だったのに。むしろ、銀髪に染めている
のか。まさか?)。

主役の菊之助は、いまが、「時分の花」なのだろう。男性が、女
形となり、琵琶姫を演じ、琵琶姫が、訳あって、男装して小姓・
獅子丸となる。菊之助は、地声で、琵琶姫が扮する獅子丸を演
じ、ときどき、女形の声である甲(かん)の声を交えて、琵琶姫
の「地声」を演じるという錯綜した演技をし、会場の笑いを誘
う。琵琶姫と斯波主膳之助という双児の早替りと琵琶姫扮する獅
子丸の演技。菊之助は、自由闊達に、多重的に入り組んだ性の区
域を飛び越え、破綻がない。「実」がしっかりしているので、見
ている観客も、混乱しない。

菊之助の吹き替え役は、誰が勤めたのだろうか。目や鼻は、菊之
助と似ていないが、顔の輪郭やおでこの形が似ていて、背格好も
そっくり。化粧の所為もあるだろうが、実に、菊之助、そっくり
で、大詰第五場「織笛姫邸門外の場」で、菊之助演じる斯波主膳
之助と吹き替えの《菊之助》演じる獅子丸が、舞台上下に登場す
ると、観客席から、今回2回目の「じわ」が来た。この際、上手
に登場してきた吹き替えの《菊之助》演じる獅子丸は、顔に当た
る照明を落していて、獅子丸の影が、舞台に長く延びるから、よ
り一層、異様なまでに、そっくりに見える。菊之助が、ふたり居
るのが、おかしいような、おかしくないような、超自然的な現象
を平気で受け入れるような雰囲気が、客席に流れたように感じ
た。

このあと、獅子丸が、琵琶姫に戻り、左大臣と結ばれ、織笛姫
が、獅子丸そっくりの、斯波主膳之助と結ばれ、めでたしめでた
しとなる場面では、菊之助は、琵琶姫を演じ、吹き替えの《菊之
助》は、斯波主膳之助を演じることになるのだが、この場面にな
ると、先の場面より、一歩踏み込んで、私を含めて、観客たち
は、もう、菊之助が、ふたり同時に存在しても、構わないという
気分にさせられているから、不思議だ。菊之助と吹き替えの《菊
之助》は、まさに、斯波主膳之助と琵琶姫の双児のように、こち
らも、双児の菊之助として、自然に受け止める雰囲気に変わって
いるから、おもしろい。

4)さて、その吹き替え役者は、だれだろうか。筋書の「出演者
紹介」の顔写真を見ていると、写真一覧には、掲載されている
が、役名が付いていない音羽屋一門の若手役者は、何人かいる。
しかし、背格好や年齢が菊之助に近く、おでこや顔の輪郭が、菊
之助に似ているのは、そうは、いないだろう。そこで、私の推理
だが、その役者は菊史郎だと思うのだが、いかがなものだろう
か。身長も、年齢も、菊史郎の方が、菊之助より、やや上だが、
まあ、そんなには、変わらない。それとも、どこかのホームペー
ジで、吹き替え《菊之助》の正体を暴露しているだろうか。知っ
ている人が居たら、教えて欲しい。

5)今回の最大のハイライト。大道具としての鏡の「ミラー効
果」を検証してみよう。この「大鏡」は、決して、一枚のガラス
の鏡ではないようだ。なぜなら、木枠に布張りの「書割」同様、
へなへなしているからだ。歌舞伎の背景画は、「書割」の組み合
わせで、大きな背景画を構成する。その書割のように枠組みと布
でできている書割の上にガラスではないミラーを貼付けているよ
うに見える。あるいは、ミラー効果のある塗料を布に塗り付けて
いるのだろうか。舞台の壁面をミラーにするアイディアを出した
のは、装置担当の、金井勇一郎。それが、照明との相乗効果で、
巧みな「円形劇場」をつくり出している。蜷川幸雄は、蜷川演劇
の、いつものスタッフを殆ど連れずに、単身、歌舞伎座に乗込ん
できたようだが、一人だけ連れてきたスタッフが、照明担当の原
田保だという。その原田の照明と金井の装置が、息もあって、効
果を上げている。照明の具合で、鏡を強調したり、透かしたりし
ている。

芝居は、もちろんのこと、劇場内の全体像が映る照明と装置は、
歌舞伎座を円形劇場と化し、まさに、シェイクスピア劇に相応し
い、新しいグローブ座を木挽町に出現させた。特に、上下(かみ
しも)の袖のミラー効果は、抜群で、上手のミラーには、絶え
ず、斜めの角度から、舞台の尖端で演技する主役を映しだしてい
るし、下手のミラーは、江戸の芝居小屋にあった「羅漢(らか
ん)席」からの眺めを再現するように、いつにない角度からの芝
居を観客席に提供してくれた。特に、幕引きの大道具方が、観客
席から見れば、「幕内」の光景である、内側から幕を引いて走る
さまを見せてくれるのである。また、照明の当て具合で、花道か
ら向う揚幕の辺りが、鏡に映し出されるから、1階の1等席でも
ない2階や3階の座席からも、同じように花道向うの演技が、見
て取れるようだ(私は、2階席から拝見した)。

さらに、両袖の鏡の置き方、舞台奥の鏡の起き方の工夫次第で、
普通なら3方に映る映像が、4方に映ることもある。どの場面
だったか、場内が暗くて、メモが取れなかったので、特定できな
いが、月が出ている場面で、舞台の中央で演技する役者たちの姿
が、裏返しで、鏡に映っているときには、本舞台で演じられる芝
居と鏡のなかで背中だけを見せて演じられる「別の芝居」が、恰
も、同時進行しているような、不思議な気分にさせられて、しば
し、仙境に揺蕩(たゆた)っているような気になった。また、百
合の花が咲き乱れる織笛姫邸の奥庭の太鼓橋と広庭のふたつの太
鼓橋の場面は、巨大な万華鏡を覗き込んでいるような永久運動の
世界が出現し、桃源郷ならぬ、「百合」源郷のようであった。

舞台装置としての書割のミラー効果には、感心させられたが、室
内の場面では、全ての襖が、鏡となっていたのは、しつこすぎる
感じがして、演じる役者の背景の姿が、むしろ、煩く感じられ
た。書割のミラー効果は、素直に効果を上げたのに、襖のミラー
効果は、襖に描かれた絵柄が、邪魔をして、ミラー効果を半減さ
せたことも、原因の一つだろう。演出家は、「鏡の国のアリス」
を狙ったのかもしれないが、その効果には、疑問を持った。むし
ろ、メリハリのあるミラー効果を狙った演出で、鏡の使い方を絞
り込んだ方が、良かったのではないか。再演時にも、ミラー効果
を狙うなら、再考が必要だと、感じた。

6)さて、最後に贅言・その1;北斎画のような背景の場面があ
た。「冨獄三十六景」の、職人が大樽を作る、その樽の環のなか
に、遠く見える冨獄という有名な葛飾北斎の絵があるが、大詰第
一場「奈良街道宿場外れの場」では、奈良だけに富士山こそ見え
ないが、樽職人が出てきて街道筋の脇で、大樽を作っている。そ
こへ、10人の座頭が、数珠繋ぎになって互いの尻に掴まって、
上手から下手へ舞台を横切って行く。北斎画の改竄パロディだ。

贅言・その2;筋書表紙絵にも改竄があった。気づかれただろう
か。こちらは、安藤広重。広重が、北斎の「冨獄三十六景」の向
うを張って、その名も、「冨士三十六景」という風景画を描い
た。今月の筋書の表紙絵は、そのなかから、「駿河薩タ之海上」
をベースにしながら、原画にあった富士山を削除し、由比が浜の
荒波に翻弄される遠くの帆船を大きめに描き、船の帆には、序幕
第二場「紀州灘沖合いの場」に登場し、嵐になかで難破する船の
帆に描かれていた紋が、くっきりと描かれているでは、ないか。
パロディは、絵に限らず、歌舞伎の傾(かぶ)く精神を象徴して
いる。

まあ、新歌舞伎ながら、話題満載の所為か、歌舞伎座の座席は、
前売り券は、すでに、千秋楽まで満席になっているのは、ご同慶
の至り。この劇評を見て、どうしても舞台を観たくなった人は、
当日券ばかりの幕見席を狙って、開演時間よりかなり早めに並ぶ
と良いだろう。千秋楽は、31日。
- 2005年7月14日(木) 23:31:30
2005年6月・歌舞伎座 (夜/「盟三五大切」「良寛と子
守」「教草吉原雀」)

「盟三五大切」3回目の拝見。これまで観た源五兵衛、実は、不
破数右衛門は、いずれも、幸四郎だった。今回は、初役で、吉右
衛門が挑戦。このほかの配役。三五郎:勘九郎時代の勘三郎、菊
五郎、仁左衛門。20年ぶりに演じるという、この仁左衛門の三
五郎も、楽しみ。三五郎女房・小万:時蔵(今回含め2)、雀右
衛門。家主・弥助:左團次(2)、今回は、歌六。八右衛門:染
五郎(2)、愛之助。菊野:芝雀、亀治郎、孝太郎。三五郎の父
親・了心:四郎五郎、幸右衛門、芦燕。助右衛門:幸右衛門、彦
三郎、東蔵。

この芝居は、幕が開く前から始まっているが、多くの観客は、そ
れに気がついていない。花道には、すでに、紺色の敷物が敷かれ
ている。つまり、1階の観客席は、海に沈んでいるのだ。東西の
桟敷は、まるで舟に乗っているよう。幕が開けば、それが、誰の
目にもはっきりするが、佃沖の江戸湾の底に沈められているの
に、観客の多くは、気付かずに、ざわついている。

幕開きは、いきなり、黒幕を背景に舟の場面。3艘の舟が行き交
うことになる。序幕・第一場は、「佃沖新地鼻」だから、漆黒の
闇のなかでの、江戸湾である。まず、1艘。お先の伊之助(歌
昇)の船頭と賤ヶ谷伴右衛門(錦吾)の舟である。ふたりは、深
川芸者・妲妃(だっき)の小万の噂をしている。舟は、そのま
ま、舞台上手の袖に入って行く。

向う揚幕から花道を通り、別の舟が来る。噂の主、深川芸者・小
万(時蔵)と船頭で亭主の三五郎(仁左衛門)である。女房のお
六こと小万の手には、役者絵を刷り込んだ団扇が握られている。
夕涼みしながら、客から金を搾り取る相談をしているようだ。黒
衣ならぬ、濃い紺地の水衣(みずご)がふたりで、舟を押してい
る。本舞台に舟が差し掛かると上手より、小さな樽が流れて来
る。沙魚が入っている。いやに、リアルだ。やがて、ふたりは、
闇夜と密室の船上を良いことに、カーセックスならぬ、シップ
セックスの体(てい)。

8年前の10月、歌舞伎座で、初めて「盟三五大切」を観たと
き、この場面は、勘九郎時代の勘三郎と雀右衛門だったが、観客
席のこちらが、身の置きどころに困るような濃厚なラブシーンに
見えた。前にも書いているが、歌舞伎の舞台では、最も扇情的な
性の描写がなされる場面だと、思う。前回の菊五郎も、濃厚だっ
た。菊五郎は、時蔵の手を己の下半身に誘う。さらに、菊五郎の
手は、時蔵の下半身、そして胸へと、これまた、味が濃い。時蔵
は、「鳴神」の雲絶間姫でも、官能的であった。時蔵は、官能に
開眼したのかもしれない。今回の仁左衛門は、同じ時蔵を相手
に、もう少し、薄味で演じていたが、それでも、船上に横たわ
り、抱擁するふたりに、観客席は、寂(せき)として、声もな
し。

・・・黒幕が、切って落とされると、月夜の江戸前。舞台奥、上
手に、第3の舟。小さな屋形舟だ。闇で見えなかったが、情事に
耽るふたりの舟の近くまで、いつの間にか、近付いていたよう
だ。明るみに出てみれば、薩摩源五兵衛(吉右衛門)が、船上に
立ち上がっている。源五兵衛は、陰険にも、ふたりの情事を覗き
見ていたのが、判るという趣向だ。それに気づき、薩摩源五兵衛
に愛想を振りまく小万。こういう場面になると、女性の方が、大
胆なんだろうなあ。憮然とした表情の三五郎が、気の毒になる。
3艘の舟を効果的に使った演出で、歌舞伎座の舞台は、一気に、
江戸時代の江戸前の海風の世界へタイムスリップする。巧みなイ
ントロである。

この芝居、今回の登場人物だけでも、6人が「○○、実は△△」
という役回りだ。皆、仮の姿で、まるで、あの世で、戒名芝居を
するように、現世で生きている連中ばかりだ。そのほかの登場人
物、「ごろつき勘九郎(錦吾)」「ごろつき五平(吉之助)」
「内びん虎蔵(秀調)」「やらずの弥十(寿鴻)」「はしたの甚
介(松之助)」「ますます坊主(由次郎)」「くり廻しの弥助
(歌六)」など、いかにも、江戸庶民を活写する役名がついてい
る。まさに南北ワールドの面目躍如。開幕前の、ざわめきのなか
で、筋書きに眼を通すだけで、南北の工夫魂胆に乗せられて行く
のが判る。

序幕・第二場「深川大和町の場」から、「大詰」まで登場する源
五兵衛の若党・六七八右衛門は、染五郎が、きっちり演じてい
る。常識的ではない登場人物が、目白押しの「盟三五大切」で
は、数少ない「常識人」であろう。六七八右衛門の「八右衛門」
という名前は、遊女との痴情の果てに、大坂曾根崎で事件を起こ
し、この芝居のモデルになった薩摩武士の「八右衛門」に由来し
ている。因に、同じくモデルになった事件の遊女「菊野」の名前
も、芸者・菊野(孝太郎)で、出て来る。南北の皮肉な眼差し
が、目に浮かんできそうではないか。

二幕目・第一場「深川二軒茶屋」の伊勢屋の場面では、小万の
左、二の腕の入れ黒子「五大力」は、源五兵衛への心中立て、と
いう「小道具」を使って、源五兵衛に小万を身請けするための百
両を出させるために、源五兵衛以外の登場人物たちが、源五兵衛
を騙す。騙される源五兵衛の人の良さは、吉右衛門の持ち味だ。
騙しに成功すると、自信過剰の、非常識人である三五郎は、その
からくりを明かし、源五兵衛の怒りに火を着けてしまう。己よ
り、さらに、非常識の極みに居て、執念深い、粘着質の源五兵衛
の性格を知らずに・・・。これが、後の悲劇への元凶となるのを
知っているのは、南北ばかり。以前2回観た幸四郎は、源五兵衛
のキャラクターの無気味さを、この辺りから巧く、掘り下げはじ
める。幸四郎は、そのエネルギーを二幕目・第二場「五人切の
場」まで、溜め込んだ。吉右衛門は、その辺りが、薄味で、弱い
ように思えた。

あるいは、国立劇場の織田紘二演出の弱さか。その元になってい
る郡司正勝演出の欠点か、どうかは、判らないが・・・。いずれ
にせよ、悪人・源五兵衛、実は、塩冶義士・不破数右衛門という
二元性(これについては、後ろに掲載した「(参考)論文」で論
じている)が、明確でなく、ストーリーとして、紆余曲折があ
り、いろいろ悪を演じたが、実は、敵討ちという聖なる目的を
持っている義士に「成り上がる」ことで、全て浄化されたのだと
でも言うような一元性の、今回の結末の弱さが、気になった。芝
居の最後に、「救済」があるという演出では、南北劇にならない
のではないかと、思う。南北劇の着地点は、幸四郎の演じた、義
士の皮を被った殺人鬼・源五兵衛像では、到達し得ても、悪人
だったが、義士として浄化されてしまったような吉右衛門の源五
兵衛像では、到達し得ないという思いを強くした。

さて、「五人切の場」は、騙しに成功して祝杯を上げている面々
がいる。内びん虎蔵(秀調)宅である。まず、三五郎が、2階の
座敷きで、小万との情事の果ての、けだるさを感じさせながら、
小万の腕の入れ黒子「五大力」の「力」の字を、「七」と「刀」
に書き換え、さらに、「五」の前に、「三」を付け加えて、「五
大力」を「三五大切」という、三五郎への心中立てに変造してし
まい、悦に入っている。

やがて、夜も更け、三五郎らが2階、その他は、1階で、寝込
む。そこへ、障子の丸窓を破って、殺人鬼と化した源五兵衛が、
障子を押し破って、入って来る。まるで、「忠臣蔵」の五段目の
定九郎の出のようだ。だんまりのなかで、5人殺しの殺し場が展
開する。ここでは、「鈴ヶ森」風のノリの立ち回りも見られた。
特に、錦吾演じる伴右衛門、実は、ごろつき勘九郎は、右手
が切り落とされ、衝立に血糊がつく。吉之助が演じるごろつき五
平(これは、並木五瓶のパロディか)は、首を切り落とされ、首
が、衝立に載り、大量の血糊が垂れて来る。漫画チックな場面
だ。

大詰第一場「四谷鬼横町」では、幽霊が出るというので、一旦、
長屋に引っ越して来た八右衛門(染五郎)が、すぐに宿移りする
場面があるが、引っ越しの荷物を火の番小屋に運び込む。何故、
火の番小屋なのか。3回観ても、良く判らない。この後に、三五
郎夫婦が、引っ越してくるが、舟の櫂棒で担いで来た棺桶のよう
な大きな樽から傘、行灯、釜、笊、土瓶、三味線、お櫃などが出
て来た。まるで、「びっくり箱」のようだ。そして、これらの小
道具が、それぞれ、時と所を得て、次々に、使われて行く。歌舞
伎の舞台に出て来る道具は、本当に無駄がないから、おもしろ
い。

「樽代を半分」などという科白もある。やりとりから、推測する
に、樽代とは、家賃のことのように聞き取れた。何故か、「樽」
が、良く出て来る芝居だ。家主の弥助(歌六)殺しの場、三五郎
(仁左衛門)との立ち回りで、弥助が、三五郎に向かって言う科
白「貴様もよっぽど、強悪じゃなあ」は、「四谷怪談」の「砂村
隠亡堀」の場面で、直助が、伊右衛門に言う科白と同じだ。大詰
第二場「愛染院門前」の場では、珍しく、「本首」のトリックが
使われる。人の女房の首を斬り落とし、それを懐に入れて帰って
来ただけでも、グロテスクなのに、その首を飾り、飯を喰うな
ど、死と食(生)を併存させる辺りは、南北の凄まじいまでのエ
ネルギーを感じさせる。この場面で、棺桶のなかから、己の腹に
出刃包丁を突き立てた三五郎が、棺桶の板をバラバラに壊して、
飛び出してくるが、ここの三五郎は、「忠臣蔵」の勘平切腹とダ
ブルイメージされる。これで、この狂言で、亡くなった人は、
11人になった。

しかし、吉右衛門の源五兵衛は、2回観た幸四郎の源五兵衛に比
べると、不気味さ、存在感は、足りない。前半の、小万・三五郎
らの「美人局」に騙される人の良さと後半の、執念の殺人鬼とい
う分裂が、吉右衛門初役では、演じ切れていない。真実を知らな
いことの残酷さ。源五兵衛の「不知」が、悲劇を生み続ける、と
いう南北の主張。「深刻郎」こと、幸四郎は、こういう役は、さ
すが巧い。時蔵の小万は、2回目。前回同様、好演であったが、
最初に観た雀右衛門には、まだ、及ばない。

仁左衛門の三五郎は、存在感があり、菊五郎とは、違う味だが、
良かった。仁左衛門は、昼・夜とも、脇に廻りながら、今月の芝
居の軸を勤めているのが判る。八右衛門の染五郎は、最初に観た
ときより、成長著しい(前回の劇評では、抜てきされ八右衛門を
演じた愛之助を褒める余り、前々回の染五郎を私は評価していな
い)。家主を演じた歌六は、左團次より存在感があった。左團次
は、いつもの左團次だったが、歌六は、いつもと違う歌六だっ
た。この差は、意外と大きいと、思った。芸者・菊野を演じた孝
太郎は、昼の部の傾城・梅川の印象が残る。このほか、歌昇、東
蔵、秀調、友右衛門、芦燕、錦吾、吉之助、由次郎、吉之丞、松
之助。このうち、「ますます坊主」の由次郎が、存在感があっ
た。

(参考)

テキストとしての「盟三五大切」論は、前回、03年10月の歌
舞伎座の劇評のときに、まとめているので、読んでいない人のた
めに、若干の字句を訂正、補筆しながら、参考までに、再録して
おきたい。

「南北のノワ−ル−−−義鬼・疾駆す」

「仮名手本忠臣蔵」が、人形浄瑠璃や歌舞伎のヒット作となり、
江戸時代の庶民に喝采して迎えられた。1748年のことであ
る。7年後の1755年、江戸の日本橋新乗物町の紺屋の型付職
人の子として生まれた南北は、長い狂言作者の見習いを経て、
50歳を目前にして、ようやく、一人立ちし、「天竺徳兵衛」
(1804年)で、ヒットする。以後、1829年に亡くなるま
で、25年間、いまも残る名作の数々を書き続け、歌舞伎史上に
「大南北」として、名を残して行く。

そのなかでも、3大歌舞伎のひとつとして、人気の出し物となっ
ていた並木宗輔らの「仮名手本忠臣蔵」の外伝として、「謎帯一
寸徳兵衛」(文化8=1811=年7月・江戸市村座)、「東海
道四谷怪談」(文政8=1825=年7月・江戸中村座)、「盟
三五大切」(文政8=1825=年9月・江戸中村座。いずれ
も、月は、旧暦)などの、いわゆる「外伝もの」を書き上げて行
く。

「四谷怪談」で、南北は、塩冶家断絶の後、浪人となった民谷伊
右衛門を主人公として、「忠臣蔵」の義士たちに対して、「不義
士」を描いたが、「盟三五大切」では、義士・不破数右衛門を主
人公として、義士のなかに紛れ込んだ殺人鬼を描いた。「四谷怪
談」が、妾と中間の密通事件を知った旗本が、二人を殺して、同
じ戸板の裏表に二人を縛り付けて、川へ流したという実際の事件
をモデルにしたように、「盟三五大切」では、寛政6
(1794)年2月大坂中の芝居で上演された並木五瓶原作「五
大力恋緘」(大坂・曾根崎で実際に起きた5人斬り事件をモデル
にした)を江戸の深川に舞台を移して、書き換えた形で、実際の
事件を再活用した。

「盟三五大切」は、粗筋を簡単に辿ると、こうである。塩冶家の
浪人不破数右衛門は、御用金百両を盗まれ、その咎で浪人とな
り、いまでは、薩摩源五兵衛(吉右衛門)と名前を変えて生きて
いる。数右衛門は、旧臣下の徳右衛門、いまは、出家している了
心(芦燕)に金の工面を頼んでいる。その一方で、深川の芸者・
妲妃(だっき)の小万(時蔵)に入れ揚げている。小万は、船
頭・笹野屋三五郎(仁左衛門)の女房・お六である。三五郎は、
実は、徳右衛門の息子の千太郎で、訳あって、勘当の身である
が、父親が旧主のために金の工面をしていると聞き、これを用立
てて、勘当を許してもらおうとしている。そのために、女房のお
六を小万と名乗らせて、芸者に出しているのだ。その金策が、実
は、源五兵衛から金を巻き上げるということから悲劇が発生する
ことになる。

源五兵衛のところへ、伯父の富森助右衛門(東蔵)が、百両の金
を持って来る。この金を塩冶浪士たちの頭領・大星由良之助に届
けて、仇討の一味に復帰せよと助言する。しかし、源五兵衛は、
小万らに騙され、小万の身請け用として、百両を渡してしまう。
三五郎は、源五兵衛に小万の亭主だと名乗り、身請け話しをちゃ
らにし、百両をだまし取る。三五郎と小万こと、お六は、騙りに
参加した小悪人どもと祝杯を上げたが、寝入ったところを、源五
兵衛に襲われ、小悪人たち5人は、殺されるものの、三五郎、小
万のふたりは、悪運強く、生き延びる。その後、ふたりが、逃げ
込んだ四谷鬼横町の長屋は、かって神谷(つまり、民谷)伊右衛
門が住んでいたところだ。さらに、家主の弥助(歌六)は、お六
の兄で、実は、不破数右衛門の百両を盗んだ盗賊であった。さら
に、かつて長屋に出入りしていた大工が隠し持っていた絵図面が
見つかる。この絵図面こそ、塩冶浪士たちが主君の仇と狙う高野
(つまり、高)家の絵図面であった。三五郎は、弥助を殺し、百
両と絵図面を父親の了心に渡す。

小万らの居所を突き止め、再び来た源五兵衛は、三五郎の留守に
小万とその子どもを殺す。三五郎の父親は、百両と絵図面を旧主
の不破数右衛門こと、薩摩源五兵衛に渡す。そのことを初めて
知った三五郎は、父親の旧主不破数右衛門こと、薩摩源五兵衛の
罪の全てと己の罪を一身に被って自害し、源五兵衛には、塩冶浪
士として、敵討ちに加わるように懇願する。源五兵衛は、件の長
屋に姿を変えて潜んでいた塩冶浪士らとともに、高野家への討ち
入りに参加して行く。

この人間関係で、キーパースンになっているのは、三五郎の父親
の了心だというのが、判る。しかし、了心が、三五郎と源五兵衛
にそれぞれの関係を告げなかったために、三五郎は、源五兵衛を
罠にはめて、金をだまし取り、源五兵衛は、それを恨んで殺人鬼
となり、小万、こと三五郎の女房・お六ら8人を殺してしまう。
そういう意味では、忠臣・徳右衛門こと、了心こそ、悪行の連鎖
の鍵を握っていたことになる。それにもかかわらず、塩冶義士、
こと赤穂義士のなかに、殺人鬼が潜んでいることが判る。

そういう点を踏まえて、これから「盟三五大切」を観劇される人
のために、私なりの視点で、この芝居を観るための4つのポイン
トを書き留めておこう。

1)「四谷怪談」の続編
2ヶ月前の7月、江戸・中村座で「仮名手本忠臣蔵」と合わせて
2日がかりで「東海道四谷怪談」を上演し、大当たりをとった南
北が、9月、同じ中村座で「盟三五大切」を上演するあたって、
意図したのは、「四谷怪談」の<続編>の強調であった。三五郎
と女房お六が隠れ住んだ四谷鬼横町は、実は、鬼=お岩というこ
とで、お岩さまで知られる横町であり、ふたりが入った長屋は、
かって民谷伊右衛門が住んでいたところという想定だ。つまり、
民谷伊右衛門とお岩の、「後日談」の形式をとっている。

さらに、お六の兄と判明する家主の弥助は、かって民谷の下部
(しもべ)・土手平であり、お六も、民谷の召使であった。長屋
に「勝手付化物引越申候 家主」という板を打ち付けて、新しい
入居者をお化けでおどして、転出させ、手付けの家賃を巻き上げ
る作戦をとっていた家主がなりすましたお化けは、お岩の幽霊で
あった。また、旧主・不破数右衛門のために、金策に走っていた
三五郎の父・徳右衛門同心了心が、利用した金集めの手段は、な
んと、お岩稲荷建立のための募金活動であった。芝居のあちこち
にちりばめられた「四谷怪談」の仕掛けを見逃してはならない。
「四谷怪談」について、登場人物の類型論という視点から、後
に、更に述べてみたい。

2)「忠臣蔵外伝」の系譜
こちらは、1)とも、関わるが、塩冶判官切腹で取り潰しになっ
た塩冶家の浪人・民谷伊右衛門が、義士の群れから、こぼれ落ち
た「不義士」なら、薩摩源五兵衛として、多数の人殺しをした上
で、百両と高野家(「仮名手本忠臣蔵」では、高家)の絵図面を
手土産に塩冶浪士という義士の群れに復帰する不破数右衛門は、
義士のお面を被った殺人鬼である。何故、南北は、47人いる義
士の群れのなかから、そういう役回りの人物として、不破数右衛
門に「白羽」ならぬ黒い羽のついた矢を放ったのだろうか。

まず、その不破数右衛門とは、「仮名手本忠臣蔵」では、どうい
う役回りだったかを調べてみた。不破数右衛門が出て来る場面
は、六段目。「勘平切腹」の場面である。五段目の「山崎街道鉄
砲渡しの場」で、勘平と出逢い、由良之助の御用金集めの話を打
ち明けた千崎弥五郎が、(「山崎の渡し場を左へとり、百姓」)
与市兵衛内へ、再び、勘平を訪ねて来る。このとき、勘平は、誤
解から、自分が舅の与市兵衛を殺してしまったと思い、動揺して
いる。千崎弥五郎は、ひとりではなかった。このとき、弥五郎と
いっしょに来たのが、不破数右衛門なのである。勘平とふたりの
若干のやり取りの後、数右衛門が言う科白に注目したい。

「コリャ勘平、お身ゃどうしたものじゃ。渇しても盗泉の水を呑
まずとは、義者の戒め。舅を殺し取ったる金、亡君の御用に立つ
と思うか。生得、汝が不忠不義の根性にて、調えたる金子と推察
あって、さし戻されし大星殿の眼力、あっぱれあっぱれ。さりな
がら、ただ情なきは、このこと世上に流布あって、あれ見よ、塩
冶の家来早野勘平、非義非道を行ないしと言わば、汝ばかりの恥
辱にあらず。亡君の御恥辱と知らざるか、うつけ者めが。さほど
のことの弁えなき汝にてはなかりしが、いかなる天魔が魅入りし
か。チエエ、情けなき心じゃなア」。

この道徳論に打たれて、勘平は、「舅殺し」を白状して、切腹す
る。後に、誤解が解けて、勘平に「亡君の敵、高師直を討ち取ら
んと、神文を取り交わせし、一味郎党の連判状」を見せて、勘平
を「一味郎党」に加える判断を下す重臣であり、御用金をまとめ
る金庫番である人物こそ不破数右衛門なのである。こういう武士
の鑑のような道徳論を説く男・不破数右衛門を南北は、薩摩源五
兵衛という殺人鬼、実は、不破数右衛門という塩冶義士、つま
り、「義をかかげる殺人鬼」として、主人公に据えたのである。

こうして見てくると、南北は、表の「仮名手本忠臣蔵」を裏に返
して、「忠臣蔵外伝」として、不義士で悪人の民谷伊右衛門を主
人公とする「東海道四谷怪談」を書いただけではものたらず、さ
らに、義士のなかにいる悪人(殺人鬼)・薩摩源五兵衛、実は、
不破数右衛門を主人公とする「盟三五大切」を書いたということ
になる。

「四谷怪談」のように、不義士で悪人なら、一元性だが、「盟三
五大切」のように、義士で悪人というと、二元性となる。南北の
到達点は、二元性の悪人を描くことにあったのではないか。つま
り、「忠臣蔵」に対する南北の皮肉は、「四谷怪談」では飽き足
らず、「盟三五大切」で、やっと、結実することになる。

3)「小万源五兵衛」の世界
では、何故、不破数右衛門は、殺人鬼になるにあたって、「薩摩
源五兵衛」と名乗ったのか、という疑問が、次に生まれて来る。
「おまん源五兵衛の『世界』」から、語らねばならないだろう。
「おまん源五兵衛の『世界』」とは、俗謡とも呼ばれる近世歌
謡、浄瑠璃、歌舞伎狂言の系統で、「おまん源五兵衛もの」とし
て、ひとつの「世界」を構成する「概念(コンセプト)」であ
る。江戸の庶民周知の通俗日本史や伝承のなかで、繰り返し、脚
色・上演されることで、形成されて来た類型的コンテンツのこと
である。「世界」とは、大仰な演劇用語かも知れないが、江戸の
芝居の年中行事として、「世界定め」という用語が使われたよう
に、ある出し物が、「○○の世界」と定められれば、作品の背景
となる時代や主な登場人物、そこで繰り広げられる事件などは、
狂言作者も、役者も、観客も、芝居が作られ、上演される前か
ら、基本的な共通意識(コモンセンス)を持ってしまう。そこ
で、芝居の楽しみと言えば、作る方も、演じる方も、観る方も、
お馴染みの「世界」に、どういう工夫魂胆のもと、どういう趣向
を見せてくれるかが、楽しみになって来る。歌舞伎とは、そうい
う演劇空間であった。

「おまん源五兵衛もの」に話を戻すならば、「高い山から谷底見
ればおまん可愛や布晒す」という源五兵衛節があり、流行した俗
謡に刺激されて、井原西鶴は、浮世草子(小説)「好色五人女」
巻五で、「恋の山源五兵衛物語」を書き、近松門左衛門は、浄瑠
璃「薩摩歌」を書いた。これを受けて、源五兵衛・三五兵衛(三
五郎ではない)・おまん(小万ではない)を主たる登場人物とす
る芝居が生まれたという。さらに、大坂の曾根崎新地で実際に起
こった薩摩武士・早田八右衛門による遊女・菊野ら5人殺しとい
う殺人事件に刺激されて、初代並木五瓶が、先行作品「薩摩歌」
を下敷きに、「五人切五十年廻(ごにんぎりごじゅうねんか
い)」を書き、さらに「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじ
め)」に書き換え、江戸で上演した際、曾根崎を深川に書き改め
るとともに、「菊野」の役柄を「おまん」に通じる「小万」に改
めた。だから、「五大力恋緘」には、上方型と江戸型がある。五
瓶は、己の作品を下敷きに、さらに、その名もずばり、「略三五
大切(かきなおしてさんごたいせつ)」を書き、また、これを下
敷きに南北が、「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」を
書いたというわけだ。簡単にふれただけでも、「おまん源五兵衛
もの」は、ストーリーも含めて、幾重にも重層化している。

それは、ほかの「世界」でも同じだ。著作権などない時代だ。己
の作品も含めて、先行作品を下敷きにし、より良い世界を求め
て、書き換えて行く。そういう職人的な、書き換えの行為の果て
に、憑意したかのごとき状態になった作者の手から、新たな狂言
が、生まれでて来ることがある。だから、書き換えは、パロディ
でもあり、剽窃でもあり・・・、しながら、あらたな演劇空間の
地平を開いて行く。まさに、書き換えの勧め(「偉大な先行作品
の『模倣と批評』を繰り返し、新たな傑作を生み出し続けたこと
で延命を保っている創作形式」は、ほかのジャンルにも通じる)
である。その「世界」で使えそうな事件が起これば、それは、狂
言作者の書き換え意欲を刺激することになる。さまざまな人たち
が書き留めた複数の記憶が、重層的に、幾重にも塗り込められて
いるのが、南北劇というところか。

4)「南北のノワ−ル−−−義鬼・疾駆す」
「ノワ−ル」と、名付けたが、「ノワ−ル」とは、文藝評論家の
池上冬樹の定義によれば、「孤独と愛憎から捩じれ屈折し、とき
に破滅していく者たちの精神の暗黒を描く文学」ということにな
る。そういう視点で、「盟三五大切」を観ると、「孤独と愛憎か
ら捩じれ屈折し、ときに破滅していく者たち」の典型は、三五郎
とお六、こと小万であり、「孤独と愛憎から捩じれ屈折し、とき
に破滅してい」きかけながら、したたかに、復活する「義をかか
げる殺人鬼」=「義鬼」こそが、薩摩源五兵衛こと不破数右衛門
なのではないか。

善人面した善人、善人面した悪人は、世間にも多い。悪人面した
悪人も、性根が、顔に出るという意味では、善人面した善人と同
じであるが、こちらは、世間では、稀であろうが、歌舞伎では、
「赤ッ面」などと呼ばれ、化粧からして、一目で悪人、あるい
は、憎まれ役と判るようになっていて、一芝居打てば、必ずと
言って良いほど出て来る。しかし、今回の薩摩源五兵衛のよう
な、無気味な悪人面した悪人であり、義士でもある、などという
人物は、滅多にいない。これは、南北の世界だから出て来る人物
であろう。民谷伊右衛門が、色悪の極みなら、薩摩源五兵衛、実
は、不破数右衛門は、独自のキャラクターを作り上げた極悪人の
極北であろう。つまり、「南北原理主義」とでも、呼ぶしかな
い、人物造型の、悪の極みであろう。

したたかな復活。「義士・不破数右衛門の面の皮、その薄皮一枚
剥いてみれば、不義士・民谷伊右衛門よりも、あくどい奴(義鬼
=薩摩源五兵衛)がいる」と南北は、言いたかったのかもしれな
い。

ここで、先ほど、触れた「四谷怪談」の主な登場人物と「盟三五
大切」との類似性を南北原理主義に照らして、人物造型の類型を
検証する形で、論じてみたい。まず、「四谷怪談」の民谷伊右衛
門の類型を、仮にAとする。お岩がB、直助がCとなる。

「盟三五大切」の主人公、薩摩源五兵衛は、塩冶浪士の系譜から
見れば、れっきとした義士・不破数右衛門その人であり、民谷伊
右衛門のような、不義士ではないから、Aではないだろうが、さ
りとて、源五兵衛としては、伊右衛門とは、全く別の類型Dでも
ないだろう。不義士と紙一重の義士の仮面を被った殺人鬼だか
ら、A’だろうと思う。小万ことお六は、A’の薩摩源五兵衛に
殺されるから、Aの伊右衛門に殺されるお岩と同じで、Bになる
と思う。三五郎は、お岩の妹、お袖と契り、最後に真実を悟って
切腹する直助と同じで、お六=お岩と夫婦で、最後に真実を悟っ
て自害するから、Cのままになるだろう。

こうして見てくると、「四谷怪談」と「盟三五大切」の類似性
は、いっそう、はっきりする。つまり、「盟三五大切」は、「四
谷怪談」の続編と言うよりは、「四谷怪談」を下敷きにした書き
換え狂言、つまり、「四谷怪談」の「正統なる変種」なのではな
いか。不義士の伊右衛門は、源五兵衛のように、本名の不破数右
衛門に戻って、雪降りしきるなか、大星由良之助らとともに高野
家(あるいは、高家)に討ち入ることはできないが、お岩の亡霊
や、佐藤与茂七らを相手に、雪降りしきるなか、斬り結ぶとい
う、幕切れの類似性は、そのことの証左ではないか。

そういう意味では、「盟三五大切」は、同じ江戸・中村座の舞台
で2ヶ月前に上演した「東海道四谷怪談」よりも、南北原理主義
的に言えば、人物造型が、徹底している。徹底し過ぎて、時代を
飛び越えて、近代劇の系譜に突き刺さってしまったかも知れな
い。

しかし、一方では、「歌舞伎名作全集」には、2巻の鶴屋南北集
が、所載されていて、10の作品が掲載されているが、「盟三五
大切」は、入っていない。これは、第1に、ストーリーが、あま
りに、荒唐無稽で、陰惨な上に、大雑把、粗製だと言う、ストー
リーとしての完成度の低さなどが、挙げられるかも知れない。更
に、「四谷怪談」に比べて、大道具の仕掛けなど、舞台装置の活
用に乏しいことが、舞台を地味にし、意外と「不評」に作用し、
埋もれさせているようにも思える(戦後の本興行でも、今回を含
めて7回しか公演されていない。それなのに、ここ8年間で、半
分以上の4回というのは、この演目の、優れた「現代性」の証左
かも知れない)。原理主義を徹底した南北の反骨的な哲学として
は、「四谷怪談」よりも時代を超えるスケールがありながら、芝
居という空間の活用としては、「四谷怪談」に遠く及ばない。こ
れは、そういう演劇空間の問題でもあるだろう。「演劇空間」の
活用の工夫が重ねられれば、「盟三五大切」は、もっと、おもし
ろい芝居になるかも知れない。


「良寛と子守」は、初見。25年ぶり、今回は、坪内逍遥没後七
十年記念上演である。良寛を初役で演じる富十郎より、娘の愛子
ちゃんの初舞台が、観客の眼を惹く。奔放に舞台で無心に遊び、
見真似で芝居をする愛ちゃんは、枯淡高雅な良寛を演じる老いた
父・富十郎を助けているから、おもしろい。春の日を村の子ども
らと遊ぶ良寛の世界。

「教草吉原雀」は、4回目の拝見。生き物を解き放す「放生会
(ほうじょうえ)」の日に、解き放し用の小鳥を売りに夫婦の
「鳥売り」吉原にやってきた。廓の風俗や遊女と客のやりとりを
仕方噺仕立ての所作事で表現をする。「風情」をどう表現するか
がポイント。

今回は、梅玉と魁春の兄弟が、鳥売りの男女を演じる。鳥売りの
男;新之助時代の海老蔵、菊五郎、芝翫、そして、今回の梅玉。
鳥売りの女:玉三郎、菊之助、雀右衛門、そして、今回の魁春。
若い新之助、玉三郎の綺麗な舞台。菊五郎、菊之助親子の息の
あった舞台。芝翫と雀右衛門という、ふたりの人間国宝の奥行き
のある舞台。今回は、歌右衛門養子の兄弟の緩急自在な舞台。

鳥刺しの登場は、初めて拝見。鳥刺しには、歌昇。原作は、二人
立ち。今回は、珍しい三人立ち。鳥売りの男女が、最後は、ぶっ
かえりで、夫婦雀の精になるところが、今回のミソ。二段を使っ
た大見得で、夫婦雀は、確かに昇天して行った。きりりと、下
手、平舞台の鳥刺し。この対立が、美しく、晴れやかな舞台と
なった。三人立ちを観てしまうと、今後、二人立ちでは、もの足
りなくなるのではないかと、心配になる。
- 2005年6月21日(火) 22:43:24
2005年6月・歌舞伎座 (昼/「信州川中島合戦〜輝虎配膳
〜」「素襖落」「恋飛脚大和往来〜封印切・新口村〜」)

仁左衛門の「二右衛門」の妙味

今月の歌舞伎座昼の部は、なんといっても、仁左衛門の「二右衛
門」ともいうべき、異色の二役(八右衛門&孫右衛門)へ挑戦す
る「恋飛脚大和往来〜封印切・新口村〜」が、見応えがあった。
「封印切・新口村」の通しは、16年ぶりの上演だ。私も、通し
で観るのは、初めてだ。

6月の歌舞伎座は、連日、若干の空席があるが、3月から5月ま
で、歌舞伎座を前日満席にした歌舞伎ファンは、こういう歌舞伎
味たっぷりの舞台を見逃してしまっては、いけない。勘三郎襲名
披露で、歌舞伎座を訪れた人なら、歌舞伎の味を知ったと思うの
で、仁左衛門の舞台を観て、ほんものの歌舞伎味を深く味わって
欲しい。そこで、今回の劇評は、「恋飛脚大和往来〜封印切・新
口村〜」から、入りたい。

近松門左衛門原作の「恋飛脚大和往来〜封印切〜」は、6回目。
忠兵衛が、鴈治郎(2)、扇雀(2)、勘九郎そして、今回が染
五郎。梅川が、孝太郎(今回含め2)、愛之助(2)、扇雀、時
蔵。憎まれ役の八右衛門が、仁左衛門(今回含め3。孝夫時代
も、富十郎代役のときも観ている)、松助(2)、我當。仁左衛
門は、結構、八右衛門を演じているのである。おえんが、秀太郎
(今回含め2)、竹三郎(2)、東蔵、田之助。治右衛門が、秀
調(2)、芦燕、富十郎、左團次、今回の東蔵。

「恋飛脚大和往来〜新口村〜」は、4回目。忠兵衛は、仁左衛門
(3)、今回は、染五郎。梅川は、孝太郎(今回含め2)、玉三
郎、雀右衛門。孫右衛門は、仁左衛門(孝夫時代含め、4)。つ
まり、私が観た舞台では、今回以外は、いずれも、仁左衛門が、
忠兵衛と孫右衛門の二役を早替わりで演じていたのだ。だから、
そのための演出(忠兵衛・孫右衛門への二役早替わりの場合の入
れごととして、新年を寿ぐ万歳と才蔵が、村にやってくる。二人
に行き会った百姓の水右衛門のお家繁盛、長寿を寿ぐやりとりが
ある。お礼の金を二人に手渡す水右衛門。ここは、村では、人通
りの多い場所なのだ。すでに、公金横領で手配の懸かっている梅
川・忠兵衛には、人目を気にしなければならない、危険な場所で
あることが判る)が、あるのだが、今回は、それがない。二役早
替わり故に、忠兵衛吹き替えの役者が、後ろ向きを多用して、孫
右衛門に絡むなどの場面が無くなり、すっきり、スマートな芝居
になる反面、「追われる逃亡者」という状況の緊張感が乏しくな
る恨みがある。

「封印切」の演出には、上方型と江戸型がある。いくつか、違う
演出のポイントがある。今回は、松嶋屋の上方歌舞伎に江戸の役
者・市川染五郎が、初役で、挑戦した。私が観た舞台では、初め
て観た96年11月の歌舞伎座が、江戸型で、あとは、すべて上
方型ということになるので、井筒屋の裏手の場面は、離れ座敷で
あった。江戸型の、井筒屋の塀外の場面は、久しぶりに観た。離
れ座敷では、梅川と忠兵衛の「逢い引き」のために、二人の手引
きをしたおえんは、明かりを消して、二人のために、「闇の密
室」を創る。従って、暗闇のなかでの、二人の「手の触れ合い」
という所作を強調することで、「濃密なエロス」を描くことがで
きたが、塀の外では、いくら暗闇が支配しているとは言っても、
そこに、密室は、出現しない。その代わり、おえんが、忠兵衛の
羽織の紐を格子に結び付けるなど、「ちゃり」(笑劇)の味付け
を濃くしている。最初の井筒屋の店先の場面で、おえんを呼び出
した忠兵衛が、黒塀に貼り付き、蝙蝠の真似をする演技、また、
一旦、本舞台の井筒屋店先まで行き、店のなかを覗き込んで、梅
川とおえんが畳算(恋占い)をしている場面を知り、花道七三ま
で戻り、「ちっととやっととお粗末ながら梶原源太は俺かしら
ん」と言う辺りは、染五郎は、鴈治郎には、まだまだ、及ばない
ものの、彼なりの味があると、思う。

そもそも、忠兵衛は、大和という田舎から出て来たゆえに、生き
馬の目を抜くような都会大坂の怖さを知らず、脇の甘い、小心な
くせに、軽率で剽軽なところもある「逆上男」である。女性に優
しいけれど、エゴイスト。セルフコントロールも苦手な男。上方
和事味の初役に挑戦した江戸の役者・染五郎は、鴈治郎や仁左衛
門のようには、上方味は出せないものの、持ち味の「ちゃり」
は、活かしながら、意欲的に演じていた。孝太郎の梅川は、身分
の低い傾城であるが、純情で、自分のために、人生を掛けてくれ
て男への真情が溢れる女性特有の、情愛の切なさを出していた。
次の場面が、その科白。

梅川「なんでそのように急かしゃんすえ」
忠兵衛「急かねばならぬ、みちが遠い」
梅川「そりゃどこへ行くのじゃぞいなあ」
忠兵衛「今の小判はお屋敷の為替の金、その封印を切ったれば、
もう忠兵衛がこの首は、胴に附いてはないわいな」
梅川「ひええ、・・・そりゃまあ悲しい事して下さんしたなあ」
(略)
梅川「大事の男をわたしゆえ、ひょんな事させました。堪忍して
下さんせ。死んでくれとは勿体ない。わしゃ礼を言うて死にます
る。それが悲しいではなけれども、どんな在所へでもつれて往
て、せめて三日なと女房にして、こちの人よと言うた上で、どう
ぞ殺してくだしゃんせ」

「先代萩」の八汐のような、憎まれ役にも味がある仁左衛門は、
井筒屋の座敷に上がるなり、股火鉢(しかし、この股火鉢は、次
の場面、新口村の雪景色に繋がる「寒さ」を現す重要な伏線だと
思う。この動作がなければ、艶やかな廓の茶屋・井筒屋の座敷の
場面では、冬の感じが観客に伝わらない)をするような下品で、
成り上がりの金持ち男の、憎々しい八右衛門をリアルに演じて、
安定感があった。我當の八右衛門も、定評がある(本興行では、
仁左衛門5回、我當13回)が、仁左衛門も、定着して来た。忠
兵衛の懐具合を見抜いた上で、喧嘩を仕掛け、己の「戦略」通り
に、公金の「封印切」という重罪を忠兵衛に犯させ、証拠の封印
の紙片を、わざと落した手拭を拾う振りして、盗み出し、井筒屋
の店先の灯で封印を確認し、お上に密告に行く、「故意犯」の憎
い男・八右衛門を仁左衛門は、過不足なく演じていて、良かっ
た。

忠兵衛対八右衛門の、上方言葉での、丁々発止は、子どもの喧嘩
のようでたわいないのだが、それが、いつか、公金横領の重罪を
犯す行為になだれ込んで行く、最高の見せ場を作る。染五郎で
は、鴈治郎が、我當や仁左衛門の八右衛門を相手にするように
は、もちろん、行かないが、だからといって、違和感はなかっ
た。いつの日か、染五郎が、流暢に「上方語」を話す場面に出く
わすかもしれない(因に、「江戸語」とは、南北の生世話ものに
出て来る言葉のことである)。

幕が開くと、まず、浅葱幕が、舞台を覆っている。振り落とし
で、「新口村」。この場面、ずうと雪が降り続いているのを忘れ
てはいけない。梅川が、「三日なと女房にして、こちの人よと言
うた」果ての、忠兵衛の在所である。百姓家の前で、雪が降るな
か、一枚の茣蓙で上半身を隠しただけの、梅川(孝太郎)と忠兵
衛(染五郎)が立っている。二人の上半身は見えないが、「比
翼」という揃いの黒い衣装の下半身、裾に梅の枝の模様が描かれ
ている(但し、裏地は、梅川は、桃色、忠兵衛は、水色)。衣装
が派手なだけに、かえって、寒そうに感じる。やがて、茣蓙が開
かれると、絵に描いたような美男美女。二人とも「道行」の定式
どおりに、雪のなかにもかかわらず、素足だ。足は、冷えきって
いて、ちぎれそうなことだろう。梅川の裾の雪を払い、凍えて冷
たくなった梅川の手を忠兵衛が両手に包み込んで温める。今度
は、雪の水分が染み込んだ忠兵衛の衣服を手拭で拭う梅川。二人
の所作に重なる竹本の文句が綺麗だ。「暖められつ暖めつ」。寒
い!。先の「封印切」の大坂・井筒屋の店先からの逃避行なが
ら、心も身体も、「暖められつ暖めつ」「三日夫婦(めおと)」
の生活を送って、ここまで来たのだろう。二人の表情には、やつ
れよりも充実感が伺える。この場面の情愛は、官能的でさえあ
る。いつしか、抱き合う二人。

忠兵衛に音なわれて、百姓家から出てきた女房は、ベテランの歌
江。味のある女房を演じていて、定式通り、悲劇の前の、「ちゃ
り」で、芝居の奥行きの深さをいちだんと強める大事な役回り
だ。花道七三では、締めていた前掛けを取り、頭にかざして、雪
を避ける仕種。観客に降り続いていた雪を思い出させる。

花道から仁左衛門の孫右衛門登場。逃避行の梅川・忠兵衛は、直
接、孫右衛門に声を掛けたくても掛けられない。窓から顔を出す
二人。ところが、本舞台まで来た孫右衛門は、雪道に転んで、下
駄の鼻緒が切れる。あわてて、飛び出す孝太郎の梅川。松嶋屋親
子の、この場面は、今回で2回目の拝見。「丸本物」らしく、役
者の科白と竹本の語りが、ダブってくる。染五郎の忠兵衛も交え
て、泣かせどころとなる。孫右衛門の左手首に数珠が見える。犯
罪を犯しても、子は子。子を思う親は、親。親子の情愛に冷え込
む雪も溶けるだろう。

やがて、百姓家の屋体が、上手と下手に、二つに割れて行く。舞
台は、竹林越しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見に
替わる。竹林がいつもより大きい。黒衣に替わって、白い衣装の
雪衣(ゆきご)が、すばやく、出て来て、舞台転換を手助けす
る。逃げて行く梅川・忠兵衛は、子役の遠見を使わず、孝太郎と
染五郎。霏々と降る雪。雪音を表す「雪おろし」という太鼓が、
どんどんどんどんと、鳴り続ける。さらに、時の鐘も加わる。憂
い三重。孝太郎と染五郎は、「く」の字を、下から逆に書くよう
に、舞台上手から下手へ進んだ後、下手から上手へ上がって行
く。地獄への道行。降り続く雪のなかに残るは、親の未練な心ば
かり。

04年3月の歌舞伎座で、いまも目に残る、16年ぶり、5回
目、恐らく一世一代の梅川という雀右衛門を相手にした仁左衛門
の「新口村」を観たばかりの身から見れば、若い孝太郎と染五郎
の「新口村」では、物足りないが、さはさりながら、フレッシュ
な梅川・忠兵衛も、悪くはない。

憎まれ役と老け役の二役で、脇に廻った仁左衛門の「二右衛門」
への挑戦も、成功で、楽しませてもらった。6回目の孫右衛門
は、自然体で演じているように思う。孝太郎とのコンビで、上方
歌舞伎挑戦を続けている染五郎の修業の舞台も、好感が持てた。
松嶋屋の型で初めて演じたと言う孝太郎の梅川も、「封印切」
「新口村」ともに、数を重ねはじめてきた上での挑戦だったの
で、安定感が出始めた。秀太郎のおえんは、6回目で、とうに自
家薬籠中のものになっている。安心して観ていられる。槌屋治右
衛門を初役で演じた東蔵。悲劇と笑劇のミックス味が、売り物
の、「恋飛脚大和往来」で、忠兵衛と八右衛門とともに、「ちゃ
り」(笑劇)の味を支えたのは、序幕で田舎大尽猪山を演じた松
之助と二幕目で百姓の女房・おしげを演じた歌江であったと、明
記しておく。

「信州川中島合戦〜輝虎配膳〜」は、初見。東京では、33年ぶ
りの上演。こちらも、近松門左衛門作。「三婆」が、見どころ。
「三婆」とは、「盛綱陣屋」の微妙(みみょう)、「菅原伝授手
習鑑」〜道明寺〜」の覚寿(かくじゅ)それに、武田信玄・上杉
謙信の対立「甲陽軍艦(甲越軍記)」をベースにした「本朝廿四
孝」、あるいは、「信州川中島合戦〜輝虎配膳〜」の山本勘助・
母の越路(こしじ)を言う。気骨と品位が要求される老婆役であ
る。

舞台は、長尾輝虎の館。珍しい素木の御殿。越路(秀太郎)が、
山本勘助の妻・お勝(時蔵)を連れて、やって来る。迎えるの
は、越路の娘で、長尾家の家老・直江山城守(歌六)の妻・唐衣
(東蔵)である。

その越路を初役で演じた秀太郎が、可愛らし過ぎて、男勝りの女
丈夫の、貫禄のある婆になっていないのが、残念。原作者の狙い
のひとつは、家族の悲劇。息子が、信玄方、娘が、謙信方と、家
族が分れた一家の母の苦衷が、秀太郎では、滲み出て来ない。秀
太郎は、「封印切」の井筒屋のおえんのような役は、巧いが、貫
禄を演じるのは、柄では無さそうだ。

信州川中島合戦は、互角で勝負がつかない。信玄方の軍師・山本
勘助を味方に付けたい長尾輝虎(後の上杉謙信のこと)が、勘助
の妹婿である直江山城守に命じて、越路を屋敷に招き、自ら膳部
を供して、ご機嫌を取ろうとするが、輝虎の策略を見抜き、命を
懸けて配膳を蹴飛ばす女丈夫が、越路である。短気な輝虎が、怒
り狂い、白い下着を4枚も脱ぐ場面がある(場内の笑いを誘
う)。輝虎は、さらに、越路に斬り掛かるが、越路に付き従って
来た勘助の妻で、唖のお勝の機転で、窮地を脱するという単純な
話。原作者の、もうひとつの狙いは、吃音で、巧くしゃべれない
女性の、琴を使った機転(言葉の代わりの琴の演奏を聞かせた
り、琴を「武器」に刀に立ち向かったりする。こちらこそ、女丈
夫そのもの)の成否を観客に訴える。科白より、琴の演奏が勝ち
という芝居者の皮肉な問いかけが、根底にある。

越路より難しいお勝は、時蔵が初役で演じ、こちらは、科白がな
い役ながら、存在感のある演技で、芝居を引き締めていた。同じ
く初役で輝虎を演じた梅玉は、短気な武将を演じていて巧いのだ
が、後の謙信という大きさが、滲み出て来ないのが、残念。同じ
く初役で、直江山城守を演じた歌六は、毅然とした捌き役で、風
格があった。勘助の妹で、山城守の妻・唐衣は、同じく初役の東
蔵。つまり、皆、初役なのだ。最後は、花道の秀太郎・時蔵と本
舞台、二重の上の梅玉を平舞台の歌六・東蔵が止めて、皆々で、
引っ張りの見得。秀太郎と時蔵は、さらに、幕外の引っ込み。

「素襖落」は、明治時代に作られた新歌舞伎。6回目の拝見。私
が観た太郎冠者:富十郎(2)、團十郎、幸四郎、橋之助、そし
て、今回の吉右衛門。

この演目の見せ場は、酒の飲み方と酔い方の演技。「勧進帳」の
弁慶、「五斗三番叟」の五斗兵衛、「大杯」の馬場三郎兵衛、
「魚屋宗五郎」の宗五郎、「鳴神」の鳴神上人など、酒を飲むに
連れて、酔いの深まりを表現する演目は、歌舞伎には、結構、多
い。これが、意外と難しい。これが、巧いのは、團十郎。團十郎
は、大杯で酒を飲むとき、体全体を揺するようにして飲む。酔い
が廻るにつれて、特に、身体の上下動が激しくなる。ところが、
今回の吉右衛門を含めて、ほかの役者たちは、これが、あまり巧
く演じられない。多くの役者は、身体を左右に揺するだけだ。さ
らに、科白廻しに、酔いの深まりを感じさせることも重要だ。團
十郎の、こもりがちの口跡は、酔いの表現には、逆に、適切だ。
ただし、今回の吉右衛門は、酒に口が汚い太郎冠者を演じてい
て、この辺は、藝が細かい。

太郎冠者(吉右衛門)は、姫御寮(魁春)に振舞われた酒のお礼
に那須の与市の扇の的を舞う。いわゆる「与市の語り」である。
能の「八島」の間狂言の語りである。与市の的落しとお土産にも
らった太郎冠者の素襖落し。まるで、落し話だ。初演時の外題
は、そのものずばりの「襖落那須語(すおうおとしなすのものが
たり)」。酔いが深まる様子を見せながら、太郎冠者は、仕方話
を演じ分ける。

帰りの遅い太郎冠者を迎えに来た主人・大名某(富十郎)や太刀
持ち・鈍太郎(歌昇)とのコミカルなやりとりが楽しめる。酔っ
ていて、ご機嫌の太郎冠者と不機嫌な大名某の対比。素襖を巡る
3人のやりとりの妙。機嫌と不機嫌が、交互に交差することから
生まれる笑い。自在とおかしみのバランス。

「この大名某が、意外と曲者で、この役者の味次第で、『素襖
落』は、味わいが異なってくるから怖い」と、私は、以前にも
「遠眼鏡戯場観察」に書いたが、この印象は、今回も変わらな
い。私が観た大名某:菊五郎(2)、又五郎、彦三郎、左團次、
そして今回の富十郎。このうち、菊五郎のおとぼけの大名某は、
秀逸であったが、今回の富十郎も、悪くない。格のある役者たち
の安定した演技を堪能した。
- 2005年6月17日(金) 22:51:25