2008-08-10
■そっとしておいてあげてよ(子育てを甘くみるな)
北京オリンピックが始まった。
私にとっては、日本の選手達が「金」メダルをとることを大前提に応援するメディアに違和感を覚え耐えながらTVを見る季節が、またやってきたわけだ。
素直に「おめでとう!」と祝福したい。
たとえ本人に笑顔がなかったとしても、「よくやった」と讃えたい。
だって子育てしながら五輪に挑む、メダルをとるって並大抵のことじゃないじゃない。
彼女の息子、佳亮君はまだ2歳で、オリンピックに来てからウィルス感染で高熱を出したらしく北京の病院に入院させたが、谷選手は早く帰国して日本の病院で診て貰いたがっているそうだ。(そりゃそうだろう。)試合が終わっても一息つけず、気が気でないだろう。
彼女にとって北京オリンピックという大事な大会は終ったが、子育てには待ったも終わりもない。
特に小さな頃はエンドレスに忙しいのが子育ての常、小さい頃は特に不測の出来事の連続で、母親は何にでも対応できるように常に身を空かしておかねばならないのが常だったと、三人の子育て経験者としては思う。
谷選手は日本のたくさんの若い子育て中のママ達から「仕事(自己実現)と子育ての両立」をする希望の星としてエールを送られ、ご自身も頑張りの糧にされてきたそうだが、「ママでも金」と早くから予告し、大衆の欲望(もちろんご自身の希望であったのだろうけど)に応えすぎて、自分に呪縛をかけ過ぎていやしなかったか、と思う。
仕事(自分の夢)と子育ての両立。
そんなに急いで焦って達成しなくちゃならないことだろうか。
子育てのある一定期間は自分の夢はあきらめても仕方のないことじゃないだろうか。*1
現在、私は三人の子持ち主婦であり、仕事は地域で教室を6クラス展開しているが(多い時は9クラスでしたが←かなりハードな毎日だった)、それでも三人目の子どもが2歳半になるまでの約8年間は仕事の復帰をあきらめて子育てに専念していた。実際、カラダや体力が戻らなくなったらどうしようかと焦り心配もしたが、子育てって知力よりも体力だとやってみてつくづく思ったし、ド真剣に子育てしていると身体能力も知力も逆に開拓されてゆくように感じた。また子育てをしてきたからこそ信頼して自分の教室に安産の為に妊婦さんも通われる、経験の全てが仕事の肥やしになっているし、子育ては自分にとってメリットだと信じていた。)
しばらくは子どもの為に子ども中心の生活を送る、というある種の抑圧期間があったからこそ(もちろん渦中は、やっぱり社会から断絶されている感を味わいましたし、苦労はありましたよ)だけどそれを乗り越えたからこそ、子育てが落ち着いた今では「あれもしたい、これもしたい」とパワー全開に行動できるものなのかもしれない(自分の経験からすると....)。
子育てを全うするときちんと子離れ親離れができる気がする。
子育ての必要な時に必要なことをきちんとしておくと後が非常にラクだと思う。
なのに子どもを産んですぐ職場復帰する女性の増加をみていると(経済的事情や会社のポジション上で仕方ない場合もあるのだろうけど)、子育てにはお金で買えない価値が、その時にしか味わえない価値、しあわせがある。なのに今、日本の旧世代ラジカル・フェミニストやヤンママは、「女が子どもを産んだら、子育てと仕事の両立をしてこそ、一人前だ」という「呪い(イデオロギー)」にとらわれすぎてやしないか、とわたしなどは思うのだ。
仕事も楽しかったけど、今は今しかできない子育てに専念したくて....
そういう自分の心身の声に素直に行動をとるお母さんも私の周囲には少なくない。(自分で起業してお店を持ったにも関わらず....だ)
たとえばNHKの前回の朝ドラで好評を博した「ちりとてちん」の最終回は何をやってもぱっとしないドジでヘタレなヒロインが努力の末に落語家になり、創作落語家としての才能の片鱗を見せながらこれから羽ばたく、というところで「落語家を辞めて、おかあちゃん業に専念します」と妊娠出産をきかっけに宣言して終ってしまった。
この急転直下のどんでん返しというか、視聴者の誰一人も期待してなかったようなオチのつけ方に、ちりとてファンだった多くのフェミニストは憤り、幻滅しただろう。(NHKのHPには、ちりとての最終回に対する反発書き込みが大変多かったらしい)
最終回で主人公が吐いたメッセージは、ラジカルなフェミニスト達からみてあきらかに(彼女らがもっとも毛嫌い警戒する)「母性礼賛論」だったからだ。
「結局、どんなに女が努力して新しい職場に参入し、女性の居場所を開拓し、才能を持っていて開花しようとしても、母親業に勝るものはないって言いたいんかいっ。母親以上に女性にとって評価されるこ仕事はないってことが言いたいいんかいっ。」と彼女達を苛立たせたのを私は知っている。(現に島崎今日子さんもA新聞で酷評してたし、ラジカルなフェミ友も「あの最終回にはガッカリ!!」と幻滅していた。)
実は、私もちりとての大ファンで、あんなに面白ろ可笑しく伏線をはったエピソードのあれもこれもが結局、こういうオチへの布石だったのか、と最終回で愕然とした者の一人であったことを正直に告白する。
だけれども、ちりとての最終回のメッセージは今ではそんなにわるくないんじゃないの、と冷静に思っている。
不器用を自覚する主人公だからこそ、落語とおかみさん業と子育ての両立をあきらめた。
生まれて来る子の為に生きることと、弟子を抱える夫(落語家)を支え、みんな(弟子&子どもたち)のおかあちゃんになる道を選んだ。
それの何が悪いの?と思う。
島崎今日子氏は新聞コラムで「あんなに不器用で、でも一所懸命努力して落語家になった彼女だからこそ、落語家としての自分も、落語家の妻であるおかみさん業も子育ても両立して欲しかった」と。
でもこれって単純に世間知らずな理想だと思う。世襲や家父長制の強い伝統芸能を支えるおかみさん業がどれだけ大変か、また子育てがどれだけ大変か、落語家としてやっていくことがどれだけ大変か、そのどれひとつとっても安く(易く)見積もりすぎた理想であり批判だと思う。
どれだけ器用で賢い人でもこの三つを同時にこなすのは相当に大変であり、それがかのどんくさい主人公ならなおさらのこと。
主人公きよみは出産を前に高座にあがれなくなったことを悔しがりながら、裏方にまわり、しかし兄弟子や夫の弟子達に照明を当てている内に「人に照明を当てる、人の人生に照明を当てる、こういう作業こそが母親業であり女将さん業である」ことに気づく。
大変さと同時にその尊さに気づいたからこそ、自分が落語家として大成することよりも、縁の下の力持ちになることを決意し選んだ。
自分は表舞台で活躍・成功できなくなっても、母親やおかみさんとして成就する道を選んだ、そういう女性だって、いてもいいではないか。(もちろんフェミニストが、どんくさヘタレ少女の自己実現物語の最終回で、そういうメッセージを流すことこそイデオロギッシュだと警戒するのは、フェミ的に非常に正しい態度だと認識している。私って、キャパ案外あるでしょう?^▽^)
仕事と子育てを両立させるのは本人(女性)の自由、女性の生き方に多様性があって当たり前、とフェミニストが謳うのであるならば、自分の才能をおいてでも他者の成功に力を貸すことに専念する道を女性が選ぶこともまた自由なはずだ。
女は母親になったら母親業に徹するべきとか、これから女は子育てと自己実現を両立させるべきとか、私はどっちのイデオロギーにも与しない。
本人が決める、その自由を認め理解し協力することこそ周囲のとるべき正しい態度だと思う。
で、やっとこさヤワラちゃんの話に戻るのだが、私は谷選手が「ママでも金」と宣言した当初、たのもしく思うと同時に、「彼女、まだ子育ての大変さわかってないのだろうな」と母親業経験者としていささか心配して眺めていた。凄い大変な宣言をいとも簡単にしてしまうものだなぁと驚いたものだった。(それは彼女が子育てをまだまだ軽く見積もっていると感じたし、その大変さは、どんなに聡明で想像力豊かな女性であっても、結局、私を含めて子育てを体験するまでは、わかりっこないものなのだ)
で、銅メダルをとった今は、「ママでは胴」などとネットなどで書かれている。
ひどい言い様だと思う。
「ママでも金」という宣言は確かにヤワラちゃんの意志であろうが、でも日本のメディアやオリンピックファン達の欲望や期待に応えすぎて宣言していたようにも思う。断言すると願望実現しやすいこともあるが、不慣れな子育て中には、不安や焦りも湧いて当然だし、自分が公然とした断言的宣言が裏メッセージとなって(本当に実現できるのか!?=できっこない!?と)自分に呪をかけかねない。
まず日本の「オリンピック選手は金メダルをとるべき」というメディアの体勢が私は昔から嫌いだし、金以外は全然価値のないような言い様、扱い方が不愉快。
ましてや過去に金をとった経験者には対しての厳しさやいわんやである。
ふつうに考えて、ママをしながら銅メダル獲得(世界で第三位ってことでしょ!?)だなんて凄いことだと思うけど。
だから谷選手のこと、もうそっとしておいてあげてよ、と思う。
2歳の子どもって、まだまだ子育ての大変な渦中ですよ。
そんな中、オリンピックに挑むだけで大変じゃない。
周囲の大きな期待も背負って....。
谷選手、よくやったね!!と讃えようよ!
世の中の「母親」に「スーパーなもの」を求める風潮って、女性を応援するどころか、いささか現代のママを苦しめている気がするのだけど、
(だってゆる〜く子育てを楽しんで生きている女性、専業主婦とかを許さない風潮でもない?でもその状態で母子ともにしあわせであるあならば、立派に子どもを育てているんだから、母親は立派に社会参加しているわけで、高く評価されてしかるべきじゃない?とも言いたい)
こんなこと思うのは、わたしだけなのかしらん?