猛暑をも吹き飛ばす、すばらしい泳ぎだった。北京五輪の競泳男子百メートル平泳ぎ決勝。日本のエース、北島康介選手がライバルたちを寄せ付けず、58秒91の世界新記録でアテネ五輪に続いて金メダルを獲得した。
10日の柔道男子66キロ級の内柴正人選手に続く連覇の快挙に日本中が沸いた。
レース直後、テレビカメラの前でマイクを向けられた北島選手はタオルで顔を覆ったまま、しばらく言葉にならなかった。4年前のアテネ五輪では「チョー気持ちいい」と、21歳の若者らしく、ほとばしる感情を表に出した北島選手だったが、連覇の重圧がかかった今回は、4年前とは比較にならないほどこみ上げるものがあったのだろう。
4年に1度開かれる五輪の大舞台で持てる力を発揮する集中力、調整能力は見事というほかない。アテネ五輪後、ひじやひざの故障もあって北島選手は思うように記録が伸びず、ライバルのブレンダン・ハンセン選手(米国)との直接対決は一度も勝てなかった。
しかし、本番まで好調を維持できなかったハンセン選手に引き換え、北島選手は北京五輪に合わせて尻上がりに調子を上げてきた。「チーム北島」として万全のサポート態勢を組んだコーチ、トレーナーたちの力も大きかったのだろう。他の競技にも通じるものがありそうだ。
水着の問題も避けて通れない。今年初めに発表された英国スピード社製の新作水着が世界各国で世界新記録ラッシュを演出した。
国内水着メーカーと使用契約を結んでいた日本水泳連盟と北島選手本人は難しい選択を迫られたが、水連が水着選択の自由化を決め、国内メーカーも受け入れた。これで世界と同じ条件で戦えるようになった。
北島選手は6月の競技会でスピード社の水着を初めて着用し、二百メートルで5年ぶりに世界記録を奪回、北京五輪での自信を深めた。
水着と金メダルの因果関係を科学的に実証するのは容易でないが、メンタル面も含め、水着問題の解消が好結果につながったことは確かなようだ。短期間に新しい水着を使いこなし、記録向上に結びつけた北島選手とコーチらの適応能力の高さも金メダルにつながったと考えていいだろう。
国内メーカーには不本意な選択だっただろうが、オールジャパンで選手を支えた象徴的な例として前向きに評価したい。新しい技術の開発にゴールはない。国内各社には4年後のロンドン五輪で全世界の選手が競って着用する水着の開発に全力を注いでほしい。
北島選手の挑戦はまだ続く。12日からの二百メートル平泳ぎでは日本人選手がまだだれも達成していない2大会連続の同一個人種目2冠がかかっている。もう一度、日本中を歓喜の美酒に酔わせてもらいたい。
毎日新聞 2008年8月12日 東京朝刊