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陸上自衛隊と私 報道カメラマン 宮嶋 茂樹(みやじま しげき)

「自衛隊はゴジラに負けるイメージ」

小学校に入る前、父親に連れて行かれた姫路駐屯地の記念日行事。それがワシと陸上自衛隊との出会いやった。

父親は川崎重工明石工場で86エンジン作っとったが、プラモデルとカメラをシブいシュミとしたモダンな人や。

単なるガキの興味範囲やが、多くのガキもそうやったようにワシもメカや武器について興味や好奇心を抱いたもんや。その頃は自衛隊に対する強いイメージなんてじぇんじぇん無かった、いつもゴジラと戦っては負ける印象しかなかったからのう。

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母校はちょい変わったとこがあり、防大の試験をなんでか学校でやってて、制服の自衛官が説明にも来とった。ちゅうても写真に対する興味の方が強かったもんやから防大は試験がめっちゃ難しいらしいけどええのう…小遣いをもらえて、鉄砲撃ち放題、しかも任官拒否はできるというおいしい情報しか聞いてなかったのう。

「御巣鷹山で自衛隊の仕事を見る」

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写真週刊誌のカメラマン時代、日航ジャンボ機墜落現場まで当然徒歩で出向いたんが、現場の陸上自衛隊を見た最初となったことになるのう。事故から一週間も経ってたけど、そりゃあエゲつないもんや。現地はまだ遺体や機体の残骸が散乱して足の踏み場もありゃあせん。
山自体に1コ中隊(約100人規模)投入して、UH-1(多用途ヘリ)のピストン輸送であの傾斜で遺体や遺品をあっという間に運ぶようなウルトラCは、自衛隊にしかできん仕事やとこの目で確信させてもろたで。

未だに思うところがあって、そのドラマをジオラマにして残してある。そのくらいワシの人生に影響をドカーンとくれた現場やったわ。

「プラモデル好き」

だれに似たんか、プラモデルが大好き。
ハセガワがAH-64(アパッチ)を売り出したとき、まだ陸上自衛隊が導入を決めたばっかやのにもう陸上自衛隊仕様、しかも明野駐屯地所属なんかもあって、プラモは現実より2年は先を行っとる。

タミヤがLAV(軽装甲機動車)を出したときもすぐに作ったんやけど、隊員のフィギュアを田宮社長からプレゼントしていただいたら、そのリーダーがどう見てもヒゲの佐藤隊長やったから気合い入れて作ったで。

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