「マンガンぱらだいす」について



 1995年9月に名古屋の出版社、風媒社(ふうばいしゃ)から出版しました。読売新聞と産経新聞に掲載された以下の書評をお読みください。
 最近では、地元の関西をのぞき、もう書店ではあまり置かれていないようです。全国の図書館には、けっこう入っているようです。お読みになりたい方は、お近くの図書館で探してみてください。(なければ図書館で購入してもらうのがいいと思います)

bk1には、著者を感涙させる素晴らしい書評書いて下さる方がいました。ありがとうございます。


●読売新聞の書評

(95年10月15日全国版。データベースで検索)

「マンガンぱらだいす」田中宇著
 意外な明るさ、鉱山の朝鮮人
 95.10.15 東京読売朝刊9頁 書評面(全950字)

 変化球みたいな題だけれど中身は率直でおもしろかった。乾電池や鉄鋼の材料にするマンガンの鉱山で働いてきた在日朝鮮人たちの生活史の一端を書いている。
 おもしろかったのは、著者が手の内を正直にみせながら書き進めているのと、もう一つは、著者にまつわりついていた通念のようなものをつぎつぎと振り払っていくことである。そういえば、こちらも著者と同じように振り払わされてしまったところがある。
 このノンフィクションの舞台はあの大きな栗(くり)が有名な丹波だ。丹波は日本きってのマンガンの採掘地だった。輸入品に押され昭和四十年代には閉山したが、昭和の初めからここで働いてきた人のほとんどは、出稼ぎに来たりそのまま住み着いたりした朝鮮人たちだという。マンガンは、戦中はドイツのUボートの電池をはじめ多くの軍需品に使われ、戦後は復興・高度成長の素材でもあった。
 差別され酷使された彼らの話を集め、加害者としての日本人の立場を問いなおそう――著者は張りきって取材をはじめたのに、ふさわしい話はさっぱりみつからず行きづまってしまう。「朝鮮人=強制連行=悲惨」とか「朝鮮人=日本人への恨み」といった式が思うように成りたたないのである。ところが、録音を聞きなおしてみて著者は気がついた。
 地底で肺臓を粉塵(ふんじん)まみれにしながらマンガン掘りに生きた隣国の人たちの話には、式こそ当てはまらなくても、独特のしたたかさ、おおらかさ、光の部分と影の部分、があるじゃないか。その人間くささは「現代に生まれた私たち」が失っているものだ。その生きざまを書いてみたら。
 取材を重ねると、「戦中の朝鮮人=苦労ばかり」という「常識」もまた覆る。死に等しい炭鉱への徴用から逃れるため、まだましなマンガン掘りをした時代もあったし、日本の小役人を接待してうまくやった人もいた。
 そうかといってこの本は彼らの生きざまの寄せ集めに終わってはいない。彼らのひょうひょうとした語り口や達観や知恵や素(す)っ頓狂(とんきょう)なエピソードには、たしかに「悲惨」や「恨」はみえない。でも、みえないからかえって、私には、日本が隣国に対しておこなった権柄尽くが強調されてくるのである。(風媒社、一七八〇円)
評者・田辺 一雄

 ◇田中宇 一九六一年東京都生まれ。繊維メーカーを経て共同通信勤務。


●産経新聞の書評

(95年11月9日の全国版。データベースで検索)

【書評】「マンガンぱらだいす」 田中宇著
 95.11.09

 京都府北部、いわゆる丹波地方の一角に、「丹波マンガン記念館」がある。
 マンガン坑夫だった李貞鎬(イ・ジョンホ)さんが、自分の人生を残そうと、平成元年に設立した。
 戦前、戦中にかけて、丹波のマンガン鉱山では、大勢の朝鮮人坑夫が働いていた。当時の日本人の横暴な朝鮮人支配を描くのに格好のモチーフであり、記念館はその入口になる。
 大手通信社の京都支局員だった著者は、マスコミの定石通りそう考え、取材を始めた。が、やがて行き詰まってしまう。
 日本の植民地支配がよいことであったはずはない。しかしまた、人間一人一人の人生が、ステロタイプの価値観だけで測られてよいはずもなかったのだ。著者は気を取り直し、彼らの個人史を描くことにした。その成果が本書である。
 元坑夫たちの苦労話からは、平和な時代の議論にはなじみにくい、もう一つの真実が浮かび上がってくる。
 昭和初期、まだ強制連行が始まる以前に、朝鮮半島から出稼ぎにやってきた坑夫。戦時中、徴兵逃れのため、国策事業の経営者となるべく、呉服屋の主人が買いあさっていたマンガン鉱山に、同じ理由で集まった在日朝鮮人たち。何よりも、誰もかれも、まず食うことに必死だったこと……。
 戦後は戦後で、すさまじい秘話も飛びだしてくる。丹波マンガンの集散地だった町に北朝鮮系の団体の支部が生まれ、日本共産党と組んで鉄道の爆破テロを計画。鉱山のダイナマイトが用意されたが、実行寸前で中止になった……云々。在日一世たちの、なんともたくましく、そしてしたたかであったことか。
 構成面やボリュームにやや欠ける点に不満が残った。さらに深く追究され、著者の中で温められた上で発表されるべきだったと思えるエピソードも少なくない。しかしながら、読後感は爽やかで、意外な発見に満ちたノンフィクションの秀作である。
(風媒社・一七八〇円)

評者・ ジャーナリスト 斎藤貴男



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