こそクリ?でもクリ?
土曜日の集会のあと、打ち合わせがありました。ビジョンに向かって走っていかなければいけませんが、それにはまつわりつく重荷や、罪を捨てないといけないと学びました。ビジョンを持つことは大切です。しかし、それと同時に、肉との戦い、信仰の戦い、福音を届ける戦いをしなければいけません。牧師先生が、「皆さんはどの戦いが一番弱いですか?」とたずねられました。
ある伝道者の先生が、「自分を見て不信仰になってしまう。」と、正直に証しされました。そこで牧師先生が、私たちは恥をかいたり、中傷されたり、バカにされることを避けてはいけないと話されました。神に従うときに、そのようなところは必ず通ると教えてくださいました。自分がしっかりしなければ、牧師らしくしなければ、うまくできなければと、そのようなことを心配しなくていいのです。むしろ、弱いままで、小さいままで、そのまま神の前に出たときに、神様が高く引き上げてくださるのです!
以前、「こそクリ」と、「でもクリ」ということを聞きました。しかし、今となっては、これも危ない罠だなと思いました。「こそクリ」っていうのは、「これこそクリスチャン!」と言われるような立派な人。「でもクリ」っていうのは、「それでもクリスチャン?」と言われるような人。以前は、「こそクリ」がすばらしいと教えられていました。もちろん、主により頼む姿勢が、「これこそクリスチャン!」と言われるなら、問題ないです。しかし、立派な行いをして、善行をして、「これこそクリスチャン!」と言われるようにがんばることは、行いによる義ではないでしょうか。
前にもこのブログで書きましたが、職場で、いろいろと言われるときがあります。まあ、半分は冗談だと思いますが、「それでも牧師?」とか、「神に仕える身でありながら…」と、怪訝そうに言われるときがあります。しかし、その時私は、胸を張って言います。「そうなんです。これでもクリスチャンなんです。こんな私でも救われたんです。こんなにバカな私でも、牧師をさせていただいているんです。ね、神様ってすごいでしょ?すばらしいでしょ。こんな私も牧師になれたんですから、あなたなら、もっとすばらしい牧師先生になれますよ!」
もちろん、罪を犯して、肉を出して、「それでもクリスチャン?」と言われることは論外です。しかし、どんなに弱くても、小さくても、他人と比較しなくてもいいんです。それでも、クリスチャンになれるんです!牧師になれるんです!それほど神様の救いは完全であり、神様の計画は、人の考えの及ぶものではありません。
“しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りないものや見下されているものを、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。”(コリント人への手紙 第一 1章27~29節)
写真はトランペットによる演奏。
ウォルト・ディズニーは見ていた!
今、HCCから帰ってきました!今回のHCCも、恵まれましたよー!では、さっそくその恵みを分かち合いたいと思います。今回は、特別ゲストのビュン先生が来て下さいました。イエス様がビュン先生を通して、御言葉を分かりやすく解き明かしてくださいました。さすがは「幸いな人」のビュン先生。日々のデボーションの充実が伺える、霊的に深いメッセージでした。
まずは、土曜日の夜。ビュン先生はヨエル書から「ビジョン」について語ってくださいました。いつもHCCに来るたびに信仰について教えられるそうですが、今回はイエス様が特別に語りなさいと言われたメッセージでした。これからのHCCにとって必要なメッセージでした。
“その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。”(ヨエル書2章28,29節)
信仰は望んでいる事がらを保証するのです。目で見ていないことを確信するのです。それが信仰です。私たちも、信仰を持って、大きなビジョンを持ち、大きな信仰を働かせましょう。ビジョンをいつでも見て、思い描いて、楽しんで、待ち望むことです。
アメリカのカルフォルニアにディズニーランドができました。しかし、できたときには、すでにディズニーの創始者、ウォルト・ディズニーはなくなっていました。オープニングのセレモニーの中で、ある著名な方が挨拶をしました。今は未亡人となった、ディズニー夫人に向かって、「しかし、本当に残念です。ウォルト・ディズニーさんが、今も生きていれば、このディズニーランドを見て、本当に喜んだでしょうに…。」その時、ディズニー夫人は答えました。「いいえ。もうずっと前から、主人はこのディズニーランドを見ていたのです。そして楽しみにしていました。」
ウォルト・ディズニーさんは、夢を持っていました。子供から大人まで楽しめるテーマパーク、すべての悩みや苦しみを忘れてしまうかのような魔法の王国、みなが愛し合い助け合う理想の楽園。そんなディズニーランドのことを、心に思い描き、想像し、期待していました。もうすでに見ていたのです。
私たちも、主のために、大いなることを計画し、大いなることに挑戦しましょう。
写真はソングリーダーの皆さん。