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【コラム】1988年、日本が見たソウル(下)

 韓国を冷笑していた青年たちも変わった。毎日新聞の前職・現職ソウル特派員、後任と予想される韓半島(朝鮮半島)担当記者は全員、1967年生まれ。ほかの日本メディアの韓半島担当も、60年代後半生まれが多い。大学時代にソウル・オリンピックを経験し、原田特派員のような記者たちが発信した好意的な報道を通じ、知性を積み重ねてきた世代たちだ。

 日本メディアはなぜ、ソウルに好意的だったのだろうか。今、北京についてはなぜ好意を持って伝えないのだろうか。

 当時、朝日新聞は社説で、ソウル五輪がモスクワ五輪の理念過剰やロサンゼルス五輪の商業主義を乗り越え、スポーツマンシップを取り戻した五輪になったことに大きな意義を見いだした。毎日新聞は開幕式のルポで、体制が違う中国やソ連にも盛大な拍手を送る韓国国民の姿を感動的な論調でつづった。

 20年前、ソウルは自国を前面に押し出さなかった。ソウルは民主化を通じ内部の和解、12年ぶりに東西の国々が一堂に会した国際的な和解を達成した後、低く開かれた姿勢で世界を迎え入れた。今、北京から伝わってくる「強漢盛唐(力強くて繁栄していた中国古代の漢・唐)」の威圧的復古も、世界の各都市を覆う赤い旗の民族主義もなかった。

 北京にケチをつけようとしているわけでは決してない。2002年に世界に向け一方的に「大韓民国」の4字だけを叫び立てたように、韓国こそ「1988年ソウル」、許しと和合、謙遜(けんそん)と解放の記憶を完全に忘れてしまったのではないだろうか。今、北京五輪を見て、自分自身を振り返っている。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

【ニュース特集】2008北京オリンピック

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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