2008-08-09 ひたすら休養だ
三浦海岸へ行った経験がある長男です。
コミックを参考資料に買ってきて
くれる。
ならない。
到着。
月刊「広場」も到着していた。
一緒に撮っていただいた記念写真が掲載。
●月蝕歌劇団からの『邪宗門』ほかの
招待状も。
ついての論評のあった「アエラ」(掲載誌)が送付され
てきた。
★NHKエンタープライズからの依頼・検討は
15日に延ばしていただいた。
■何より、あすからのために休養が大切だ。
つまり、何もしない!ことが。
★誘蛾灯さん。無断ですが、掲示板から
以下、貴兄の感想を貼らせていただきます。
●『ポニョ』、童話はいつもグロテスクなものですが、ここまで来ると
本当に精神を病んだ人の描く見過ごせない魅力的なものには宮崎監督でも近づけないという気がしました。
童話ってたぶんそこに近づきたいのかなぁ。
不満といえば大人が全員、全てを受け入れる大人なのが不満。あと海をなめてる点。
でも、ポニョの母親のビッグマフに歪んだエフェクト描写だけでも素晴らしいアニメーション映画でした。
なんとなく宮崎駿原作でギレルモ・デル・トロ監督のクトゥルフ神話が観たくなります。
その魅力は、心のもっとも深遠なエリアにおける
イメージなのかも知れません。
と考えていても不思議ではありません。
芸術が向かうべき方向であることは、すでに明白。
そこで、なにものにも捉われぬ幼児の視点が
使われているんでしょう。
2008-08-05 これから名古屋です
ゆき
「赤塚の七光り」なんて言い草は本末転倒ではないでしょうか。
長谷先生をはじめとする周囲の優秀な方々が赤塚作品を光らせていたというのに。
「漫画に愛を叫んだ男たち」には赤塚先生に対する長谷先生の「愛憎」が全て書いてあります。長谷先生を罵倒する人たちは、まずこの本を読んでください。
追伸
「漫画に愛を叫んだ男たち」は最初の原稿からかなりの分量を削ったものだということですが、いずれ完全版が出ることを期待しています。
nagatani
ゆき様有り難うございます。愛憎、最近は余り使用されないようですが、深い言葉です。萩尾望都さんの「半神」まさにその真髄を表現した短編です!900枚書いていた拙著の元原稿は、破棄!今後はマンガ研究者のはしくれとして赤塚ナンセンスの分析を冷静におこなっていきます。彼から与えてもらった最後の仕事だと信じているんです。
通りすがり
長谷邦夫先生は、赤塚先生と血反吐を吐きながら、必死に”赤塚漫画”を作ったと思います。真剣だったと思います。ここで長谷先生に対し、聞くに堪えない発言をするのはやめて欲しいです。長谷先生は、正面きって、意見を言っています。批判だろうが、悪口だろうが、何か言いたければ、名前を名乗って、正面きって長谷先生に発言して欲しい。その根性が無い者が何を言おうと先生には伝わらないと思います。
B
いつも日記をロムってました。私は昭和36年生まれで、父がマンガ好きだった影響で昭和40年から週刊サンデーやマガジン、少年画報やまんが王含めてすべて読んでました。「おそ松くん」は途中からの読者でしたが、「天才バカボン」はリアルタイムですべて読んでます。同時に長谷さんの少年画報での連載「しびれのスカタン」も全話リアルタイムで読み、コミックスも買って何度も読みました。赤塚さんのマンガのラジカルなギャグは、長谷さんが担当していたのではないかと、当時6歳ぐらいでしたが、「しびれのスカタン」の作風と照らし合わせて感じたものです。長谷さんのマンガ家としての作品を知らずに、安易に赤塚の…と、いうのはいかがなものかと思い、つい、書き込んでしまいました。それから、「バカ式」などの一連のパロディもすべて子供の頃に読んでます。もちろん、赤塚先生は幼少時には神だったし、マンガNo1も買ってました。小学校5年の頃です。むしろ、私は長谷さんがマンガを発表しなくなっていったのが、小学生の頃には不思議でたまりませんでした。大人になって会社に勤めるようになって、その疑問は氷解しました。蜜月関係というのは永遠ではないし、それぞれに夢も理想も手法もあるし…ですよね。
ただ、世間的に「一将功なって万骨枯る」というのは新聞やテレビのニュースショーのスタンスでは、そうならざるを得ないだろうな…と。彼らは仕事で取り上げているだけで、真実を伝えたいとは思ってないでしょうから。
長谷先生、いきなりな書き込み失礼いたしました。つちなみに、私、24年前にトキワ荘のすぐ近くに知らずに住んでいて、落合電話局に電話代を払いに行った時、たまたま愛蔵版の「まんが道」で気づいた次第です。
nagatani
皆様の熱いメッセージに感激しております!いま名古屋の駅前でポニョを見て来たところです。いずれ、もろもろ日記に書きます。もう一人の天才も自在に楽しんで作っていますね。
18歳
単なるファン心理では物事を鑑賞したり、語ることはできないと思います。ネット上には特に礼儀を欠いた人が多すぎると思います。それはさておき、
赤塚先生はギャグの天才であり、またプロデュースの天才であったと思います。御自身が語られているように師は自分の絵に自信がなかったのではないか、そのためのプロダクションであったように思います。だからその作品は先生一人のものではないはずです。幼いころから妄信的に先生に憧れていた僕は、このことを知ったときショックでした。でも僕は先生のことがどうしても好きだったので、どうにか理解したいと多くの情報を集めました。その上で先生はやはり尊敬に値する人物でした。
先生の人生を語られている書物を読むと、戦争・漫画・女性・家族・仲間・酒・病気、僕の憧れたギャグの神様の人生は悲しみで溢れていました。少なくとも僕にはそう思えました。そこからくるエネルギーかその人生を爆発の連続にし、その爆発は時代をも巻き込んだ。僕はリアルタイムではありませんが、巻き込まれた人間の一人です。長谷さんもそうだったのではないでしょうか。
しかし、先生の爆発はやがて大衆からズレてゆく。バカボン後期やゴンを読むとそんな気がします。そして酒・病気・別れ・・・。
先生は死んでもある意味死にきれない。世に残した影響が強すぎて。先生を経て大物になられた人物は大勢いらっしゃるだろう。漫画界、芸能界だけでないはず。しかし現在、この日本にはどこかユーモアがない。これでいいのか。ニャロメがもう泣かなくてもいいような世界を作りたいです。先生のご冥福を心からお祈りいたします。
話は変わるのですが、ぽにょ発言から。
僕にはどうしても宮崎駿氏に対する世間の評価は不適当だと思う。メディアがお金になることに力を注ぐのは当然ですが、評論家や文化人はなぜひとつの批判もいえないのでしょうか。どこかからかの圧力があるようにしか思えないです。ぼくは大友克洋氏がCGアニメを始めたとき。宮崎駿氏の様なアニメに限界を感じたし、彼のアニメは現在はばかっているオタクアニメと同等何かに媚びているのではないかと思う。つまり表現者として進歩がないと思います。ブランドのような価値に甘んじているような表現者をいつまで許すのか。赤塚不二夫はそうでなかった。皆さんの意見をお聞きしたいです。
書きたいことが多くて無秩序になったことをお許し下さい。
nagatani
有り難うございます!情熱的で熱いですね。今夜のnhkプロフェッショナル見たいですよ。僕はまさに5才児の気持ちであるよう「考えないよう」努力して!見ていたんです。思考して見てみるのは次回、そう決めて館に入りました。
永田電磁郎
暴れていた方へ>真実は時として期待するようなものでは無いって事でしょう。
あ〜さん>一月程前の事は大変失礼いたしました。あれからしばらく大変なことをしてしまったなと落ち込んでいました。私は貴女の血気盛んな所を誤解して取り違えてしまったようです。今回のこの件のコメントを読んで、批評したくて批判している批判ごっこの輩とベクトルの向きが全く違うという事にあらためて気づかされました。どうかしていたんです。許してくれとは言いませんが、せめてお詫びだけでも読んでください。ごめんなさい。
あ〜
>一月程前の事は
・・・え?
nagaani
↑皆さんの書き込み。
日本マンガ学会が、新潟・松山の大会の夜、
ホテルの大きなスペース(畳部屋やミニ・パーティ
会場)でやった「合宿論議」みたいに、盛り上がってます。合宿ではケンカはしませんが、テーマ別に
グループで分かれて、徹底的に楽しく話し合って
います。
懇親会パーティもやりますが、これは顔合わせ
なんで、合宿が好評です。
作品批判も有るし、情報交換も有るし、研究の
テーマを探すヒントも、さまざまな方から
もたらされるわけです。
ゲストで来ていただいた先生方には、別々の
輪にひとかたずつ混じってもらって、会場全体が
熱気むんむんでした。
このきかっけは、ガタケットの方がたと、故米澤
氏(米やん)や藤本由香里さんが作ってくれた
感じです。
ポロ
コメント多くなると、へんなのも多くなります。
気になさらないでブログ続けてください。
なんの目的で批判するのかわからないけど、悲しいです。是非やめていただきたい。
少なくとも、著書を読んでみてください。
ここは
流転
大いなる人
遥けき彼方に去ると言えど
その描き遺せし作品を読む時
その人永久の生命を得て
我らの内によみがえらん
どうも、詩の体もなさない
シリメツレツの駄文ですが、長谷先生の赤塚先生への
思いの文を読みどしても書きたくて書いてしまいました
ご無礼お許しください
nagatani
>流転様
大変有難うございます。
本日は椙山女学園大学の集中講義第一日でした。
あす、あさっても同じ、朝からです。
赤塚氏通夜争議は「休講」し」「代講」出来る
状況にありません。
レポート提出・採点評価を含め、今年2月ころには
決定されて進行せねばならないものです。
この講義内容は、マンガとも交錯する
部分はありますが、基本的には終戦時の
状況を含む風俗史で、ぼく独自の視点で
構成されたものです。
赤塚氏の話しも各所に出てきます。
彼が残した「もの」の大きさに
改めて「思考」し、してもらう
チャンスです。
終わってから朝日新聞社の方の
取材を受けました。
新聞記事のためではありません。
どういうカタチになるかは、決って
おりません。
彼は、あわてて新幹線で東京へ。
12時ころ着くでしょうか。
ちょっと「熱い」話しになりました。
長崎尚志さんのお話しが最後に…。
さあ、取材氏はどんなテキストを
書くんでしょうか?
直訴
先生、藤子先生は5000ページ超「まんが道」描いてますよ。
激動の近代漫画史、どうか後世に残してください。
あ〜
タモリさんの弔辞全文がニュースで載っていますね。
文学的、哲学的。これほどの弔辞はめったにありません。
素晴らしい!
あ〜
ついさっき見つけた山下洋輔の追悼コメントです。
長谷先生のことも出てきますね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080805-00000005-ykf-ent
nagatani
>直訴様
ありますね。ぼくが登場したり…。
ギャグナンセンスまんが史では、
まずA先生の場合、意外と語られる
ことが少ない、ブラック・ユーモアに
注目したいですね。
日本のマンガ編集界では、このジャンルを
意識的に排除して「商売」していました。
nagatani
山下さんは、赤塚マンガの大ファン。
LPの画像に「聞くベシ」と入れた。
(プランは評論家相倉久人さんと山下さん)
OKをしたぼくは、それが縁で、新宿「ピトイン」
月曜ライブを、7年余、無欠席で聞いたんです。
これだけ熱心に聴いたファンは絶無のはず。
赤塚氏は一度もナマを聞いていません。
山下さんと新宿2丁目の「ひとみ」で
であったはず。ひとみ寿司で作った
寿司でマージャンをやったりしました。
そんな記憶がありますね。
サックスの中村誠一さんは
杉浦マンガのファン。
LPにサインをしてよと言ったら
じゃ、レレレのおじさん描いちゃった。
彼がタモリの発見者!です。
隠し芸対決で負けた!んでした。
その話を聞いて、彼タモリを
ぼくや、奥成達氏(詩人)が
奉加帳を作り「ジャックの豆の木」
に呼んだにおです。
誠一君のアパートに泊めて
もらったんですが、飲み代
新幹線代はジャックの常連さんが
カンパしたんでした。
18歳
昨日、今日と赤塚先生の通夜、葬儀・告別式に行きました。これは僕の先生に対する敬意を行動に移したかったからですが、森田さん、北見さん、古谷さん、高井さんの弔辞を聞けてよかったです。感動という易い言葉は使いたくないのですが、アシスタント仲間3人の弔辞には涙がこぼれました。野暮だとはわかっておりますが、長谷さんにも参列していただきたかったのは本心です。しかし先生と長谷さんの間には、僕の理解(すみません)・想像を超えた友情がある故とも勝手ながら思っています。
突然ながら僕は漫画化志望であります。そして僕の描いた漫画を赤塚先生に批評してもらうのが夢でした。それがかなわなくなってしまった今、一種の絶望がよぎります。しかしそんな絶望も、はたまた希望も、すべては「これでいいのだ。」なんですよね。合掌
nagatani
今、名古屋から帰宅。pc開かず風呂に入りベッドですよ、ふうっ!マンガ家志望、絶望こそ第一歩ですよ!それが有るからこそ!作品が「深いもの」になるんです。もう一回、絶望を目指して進んでください。赤塚氏もトキワ荘で絶望して、喫茶店のボーイになることを真剣に考えていた!
あ〜
>絶望こそ第一歩
これに一票。
直訴
遅ればせながら、BS特集で先生の御姿拝見させていただきました。
著書などから、淡々とした方なのかと推測してましたが、
熱っぽく語られておられたので、なんだか見ている方まで嬉しくなってしまいました。
どうも「編集王」の仙台さんを、先生に投影しすぎていたようです。
藤子先生のひみつは米沢氏がよい本を遺してくださいましたね。
それとは別にあの時代の空気を胸いっぱい吸ってこられた長谷先生が、
どんなドラマチックなギャグナンセンスまんが史を語られるのか、楽しみにしています。
もちろん、「まんが道」に出てこない、うら若き長谷先生の絶望とか、ひみつも。失礼。
ご健勝をお祈りしています。
k@i
>BS特集で先生の御姿
BS特集、観てもいないし何を指していか分からないのですが、
有名なドキュメンタリー
http://jp.youtube.com/watch?v=BAQ5xajChLw
2:30前後、石森先生の横に座っている赤いセーターの方が長谷先生です。
k@i
×指していか
○指しているのか
直訴
ご指摘ありがとうございます。
BS特集は今年3月に放映された
BSハイビジョン特集 「赤塚不二夫なのだ!!」(2008年3月16日放送)
の、ことを指します。先ほど、NHK HPにて確認しましたところ、
追悼企画の一環として8月17日(日)BShi午後1:00〜2:50に再放送されるようです。
トキワ荘建て壊しのころより皆様、相応にお歳を召されたのと、
長谷先生のトレードマークのくろぶち眼鏡がなくなっていたのが印象的でした。
nagatani
>直訴様
昨夜、プロデューサーの方から、連絡がありました。
>メガネ。これ、数年まえから、掛けずとも
良く見えるようになっていたんです。
近視・乱視だったのが「老眼期」へ入った
のでしょう。でも「老眼メガネ」が不要
なんで「裸眼」のままで行動しています。
かせたに
こんばんは。以前投稿したことのある「かせたに」と申します。タモリの弔辞は素晴らしかったと思います。しかし、タモリと赤塚氏の出会いに至るまでの経緯や、「居候文化」などに関して無関心な人が多いようで、さびしいです。
拙ブログ(http://kaseyan.exblog.jp)で、御著を紹介させていただきました。
2008-08-04 中日新聞から
2008-08-03 赤塚不二夫の死で
ファン
断ったとか、わざわざ書いて欲しくなかったです。残念です。
nagatani
>ファン様
申し訳ありません。
TV取材については、ぼくの考え方がありまして。
赤塚特番(NHK)ハイビジョンでは、予備取材
3時間余(お話だけ)改めて別の日、3時間カメラ
が、(ぼくの音声と画像)廻り、放映された部分は
3分以下でした。
特番ですので、丁寧なもので、ぼくはこれに
特別な不満はなかったんですが…、ニュース
的な今回の取材内容では、おそらく1分など
まず有り得ないことです。
これでは「ぼくの情報」(特に人物の死)は
伝えられないと判断しました。
ここは、公開ですが、比較的ぼくの日常の
出来事を中心に書いております。
で、こういうこともあったよ〜ということで
書きました。
ぼくはは(また表現者としては)、拒否の表明もひとつの表現と認識しています。そのようにご理解
いただけたら、ありがたいと思います。
あ〜
このあいだのNHK特番には出演されたのに
どうして追悼では発言されないのか
少し気になっていました。
要するに・一言で語れない思い入れがある ・間違って引用されかねない の二点を気にされているわけですね。
アキヒト
赤塚先生との決別を宣言しながら未だ赤塚批判を繰り返し、それで商売するのは人として最低のくずですね。
nagatani
>アキヒト様
ぼくは「忘恩の徒」でしょうね。
赤塚マンガを必死で支え、アルコールに溺れた
赤塚に怒りを覚え、スタジオを去った、かつての
同人仲間、そして多くのアシスタントたちの
心を思えば、ぼくの言葉はまだまだ「甘い!」の
だと思い続けています。
「おれたちは、ディーズニー・プロなんだ。おれの
サインもしろ!と、一同に宣言していた赤塚氏の
責任は、人気の波間に消えて沈んでしまった。
くずはくずとして、叫んでしまう。
これも、赤塚氏の弱さと同等のものかも!
ぜひ、大声でぼくを批判していって下さい。
力が湧いてきます。ポニョって!
寺田
長谷先生のお気持ちを汲まないかたがいらっしゃり、残念です。あなたたち何様ですか。
アキヒトという方、人にくずなど簡単に使う言葉ではない。あなたは心が貧しい方なのでしょうね。
ファン
>>寺田
赤塚の訃報どうこうじゃなく、赤塚の七光りで食ってた奴が、
決別を宣言して、見捨てたくせに、結局、赤塚の七光りで
食いつないでる姿がみっともないんじゃね?
アシスタントの憎悪とか、ファンには関係ないし、
そんな事は内輪で憂さ晴らししてくれって感じだよ。
赤塚氏の責任なんて公然と持ち出すのは、
「一生食わせてください」って泣きついてるようなものだ。
そんなことより、赤塚もトキワ荘も関係ない
「自前の漫画」を描いたらどうなんだ、と
ふぁん
あと批判=悪口っていう思考回路どうにかした方がいい。
だからグーグルに「長谷邦夫 セカンドレイプ」なんて項目が
でちゃうんだよ。
あ〜
ははあ、これは2ちゃんねるの某スレで暴れていた方ですね。
「武居の本は赤塚先生への愛情があったが長谷の本は赤塚批判しやがって」とかいちゃもんつけている書き込みがありました。
赤塚まんがへの愛着が強すぎてあちこちで暴走を始めちゃったのかな、と。
あ〜
それから
>だからグーグルに「長谷邦夫 セカンドレイプ」なんて項目が
それ、『キャンディキャンディ』の原作者さんがHPで連発していた台詞ですね。このブログへの不可解な投稿や奇妙な電話攻撃が過去にありましたが、あれも結局、原作者のお嬢さんのしわざだったんです。
インタビューを読んでも、原作者さんはかなりアレな方のようですね。
アキヒト
長谷氏は熱烈な赤塚ファンだけではなく、あらゆるところで評判が芳しくない現実を知って欲しいですね。
長谷氏はよく「赤塚マンガを全て作ったのは自分だ」的な発言をされてますが、赤塚先生の側近のインタビューなどではどうもそれが誇張されてるように思えるんですよ。
長谷氏も赤塚先生が反論出来なくなってからネチネチ攻撃するのも普通の心ある人間から見れば明らかに女々しい行為なわけでね。
こんな人として当たり前なことをいちいち書きたくないんだけどね。寺田さんたちのような連中に礼節や良識を求めてもムダでしょうから
あ〜
>あらゆるところで評判が芳しくない
『漫画に愛を』のことでしょうか。
でも、「あらゆるところ」というのはどういうところでしょうか。
子どもが自転車やゲーム機を親にねだるときに
「みんなも持ってるんだよ!」と叫ぶのと似てなくもないですね。
『漫画に愛を』は書かれるべくして書かれた本ですよ。
あれがなかったらトキワ荘神話が跋扈したままで、まんが史研究もずっと遅れたままでした。
例えば「手塚がすべてを創造した」という神話を崩すのにどれだけの年月と労力が要ったのかを考えてみてください。
時は早々を知る者
愛情や憎悪の上に出来たものは歴史資料としては役に立たないし、
憎悪をもっていながら「赤塚」で飯を食い続けるのも醜い。
長谷先生には「我が道」を示す新作を是非期待したい。
批判する者を「敵」「悪」と見なす姿勢もやめた方がいい。
表現する者、批判を甘んじて受ける義務があるし、
ファン故の批判がある事をご理解いただきたいですね。
これは先生本人にも取巻き様方にもいえる事ですが。
アキヒト
>あ〜さん
「あらゆるところで評判が芳しくない」というワタシの発言が子供が親にねだる「みんなが〇〇を持ってるんだよ」というフレーズと同じなら、長谷氏の先の「赤塚に怒りを覚えて去っていた多くのアシスタント」という発言もそれに当て嵌まりますよ。
現に長谷氏と一緒に赤塚氏を支えたかつてのスタッフ(古谷氏、高井氏、北見氏、あだち勉氏等)の皆さんも晩年まで赤塚氏と交流があったようですしね。
さて、「長谷氏が至るところで評判が悪い」という件ですね。
これは具体的な名前を出すわけにはいきませんが、それは漫画家さんであったり、または編集者さんであったり、あるいはそれ以外の分野の方であったりとその数はワタシの知る限りでも相当いらっしゃいますよ。
それと反論なさってきた方に「2ちゃんの掲示板で暴れまわっていたのはあなたですね」みたいな幼稚な断定はやめた方がいいですね。
長谷氏を快く思わない赤塚ファン、漫画ファンなどいくらでもおられるんですからね。
お願いですからもっと大人の考えで生きてください。
まともなことをかみ砕いて語ったところで、貴方達の知性や感性では理解出来るはずもないですし、レベルの低い話で平行線を辿るのも時間のムダですので、ワタシの書き込みはこれで最後にしておきます。
あ〜
>愛情や憎悪の上に出来たものは歴史資料としては役に立たないし
『福翁自伝』や『漱石の思ひ出』は歴史的史料価値ゼロでしょうか。
赤塚批判で食べているという批判も変です。だって先生は赤塚プロから印税の類は実質なにも受け取っておられないそうだし
赤塚回想本の印税なんてたかが知れています。
TVの出演料だって安いんですよー。
売名狙いの出演?好条件にもかかわらずNHKの石ノ森特番を
蹴ったのはどう説明するんですか。
赤塚氏の末期を『漫画に愛を』であそこまできっちり描いてみせた先生に
赤塚ファンはむしろ拍手を送るべきです。
え〜
>赤塚ファンはむしろ拍手を送るべきです。
拍手を送る人、きっちりと感じない人、様々いるという事を理解しろ、
拍手を送る人だけではない事を受け止めろという事だと思うが…
||:3|
『表現』への感想に『べき』ものなどないんだという事
佳嗣
その議論は本人の前でやることか?
あぁ〜
ですね。批判であろうと讃辞であろうと、ファンの方が真摯に書き込んだモノを自分が納得出来ないからと、他の書き込み者が「書くな」とかいうのはやめた方がいいと思います。
うーん
>>表現する者、批判を甘んじて受ける義務があるし、
>>批判であろうと讃辞であろうと、ファンの方が真摯に書き込んだモノを自分が納得出来ないからと、他の書き込み者が「書くな」とかいうのはやめた方がいいと思います。
それは批判の内容と、それを表現する場によるでしょう。
自分のブログなりHPなり著作物なりでどんな事を書こうと自由ですが
他の人のブログに来てまで、その人の事を
「人として最低のくずですね」と書くのは
社会的常識として礼を失しています。
それに対して「やめたほうがよい」と注意を喚起するのは
少しもおかしなことではありません。
好き勝手な表現でやりたいのであれば、自分で表現の場を用意してやって下さい。
他の人の用意した場所で表現をするのであれば、それなりの節度を守るのは当然です。
nagatani
>TVカメラ取材へのお断り〜について。
担当者のお一人から「きちんと、書いていただき
有難う御座いました。」との、メールを昨日、
いただきました。
nagatani
>長谷をこころよく思わない方々〜について。
はい、この件につきましては「もって瞑すべき」と
考えております。
正直、マンガ出版界だけに限りましても
「赤塚を心よく思わぬ」人物は大量に存在します。
仕事の申し込みが、猛烈に多く、マネージメント
していた小生は、編集長5人に囲まれてて
わが社の雑誌に描け!というのを断ったりも
しました。
「長谷じゃ、話しにならん!!」
「赤塚に会う!」
そうなると、先生は「みんな描く」と答える。
でも描かなかった!描けたらスーパーマン。
約束を破る。で「赤塚のバカヤロウ!」です。
ぼくは、自分もマンガ家なんで、
もう限界と思い「マネージは降りて
アイデアマン専任になります」と
しました。
そのご、この困難な仕事をやって
くれたのが横山孝雄氏です。
「くず」と思われても、仕方がないでしょう。
いいと思います。
ぼくが「赤塚への想い」を自由に書いたように
ここへ「長谷のくずへの想い」も、書くことは
自由ですよ。
それも、小生のことを想って下さるお気持ちの
ひとつとして、受け止めて、今後の人生を
送ってゆきます。
ただ、多くの皆様が、ここはそうした場ではない。
ネットでの発言手段は、自分のページに書いたり
して表現する時代になっている〜それがマナーだ
というメッセージも貴重です。
お互いの立ち位置をしっかり認識し、マンガの
お話しが深められたらと願っています。
どうぞ、よろしくお願い致します。
2008-08-02 渡辺武信さんから
●渡辺さんの「個人誌」(8P)が到着した。
有難う御座います。
彼は、これを<限定13部>として、信頼するご友人に送っている。
そのリストも同封されていた。それ以外は「贈呈」版を送付したり
300円の定価でも売るかたちにしている。
★中身はコンサートへ行った報告や、映画評、短詩、俳句。そして
単行本収録になっていない、旧稿の採録ほか〜である。
今号では「ユリイカ」1969年連載の12月号分『ニャロメ的世界の
呼び声』だ。これが有るということで、わざわざお送り下さったのだ。
雲の峰 崩れて龍の走りかな 大流
○レポート採点、二校目ほぼ終了だ。
今回のものは、表を郵送ではなく、ネットに登録だ。
↑
もう出してから随分年限がたったが、
ついさっき、アマゾンでみたら、
7万余位に居た。これは??
15万余位以上にいたはずだが…。
TVのニュースでも流れていた。
ぼくは彼との「別れ」について、上記『漫画に愛を叫んだ男たち』
想いのたけを全て書いた。
今日の死によって、特別な想いは無いと言っていい。
これが、ぼくに今出来る唯一のことであろう。
合掌。
あ〜
http://news.goo.ne.jp/article/kyodo/entertainment/CO2008080201000714.html
ついさっき知りました。どうかご冥福を。
あ〜
それからAMAZONをのぞいたら
『漫画に愛を』は1万2,901位でした。
k@i
長谷先生も戦友との別れは大変おつらいと思います。
こちらのブログにおいて、心からのお悔やみを申し上げたい。
mo.
私もネットで赤塚先生の訃報を知りました
ご冥福をお祈り致します
nagatani
皆さん、赤塚マンガをまた読んでやって下さい。
悲しむのは、彼のこれまでの生き方に、
反すると信じています。
今夜はマンガを出して、笑ってやろう。
たにしんいち
赤塚マンガをこれを機会にみんな読んで心から笑おう!
赤塚マンガを持っていない人はとりあえずBOOKO○Fでもいいから買ってきて「おそ松くん」「天才バカボン」あたりから読んで笑おう!
合掌
バカボンは私の人格を作ってくれたと思う、赤塚先生ありがとうございます、ゆっくりなさってください
hanoyshang
今、赤塚不二夫1000ページ読んでおります。
本当に凄い作品ばかりです。
(STAG)
こどものころ放映していたア太郎は、僕の道徳観に深く根を張っています。
いま、ふとまんがNo.1をひらいたらウナギイヌの最期の載ったページでした。合掌。
nagatani
皆様、有難う御座います。
あ〜
『漫画に愛を』、現在2,200位です。
永田電磁郎
昨夜、仕事を始めようとマシンを立ち上げた直後に夫がメッセンジャーで知らせてくれました。
漫画の書き方、デフォルメの表現の仕方を赤塚漫画から学んだのが私の漫画書きの原体験です。
ずっと眠り続けながら、そのまま眠るように逝ってしまわれたのでしょうか。
安らかにお眠りください、ではなくて、永遠に眠り続けてください、になるのでしょうか。
nagatani
>永田電磁郎様
丸谷才一氏が、かつて新聞に「眠れ赤塚〜」と
書いた文章を思い出します。
いましがた「テレ朝」から、カメラ取材の
申し込みが。とりあえず、お断りしました。
コメントの断片のようなものが、使われる
可能性は皆無ではないのかも?
しかし、画面では喋りません。
トミー。
私も赤塚氏のご冥福をお祈りいたします。先生のお気持ち、何となくですがわかる気がします。
こんな時になんですが、やっと先生の 「マンガ編集者狂笑録」のつたない感想をブログにアップできました。書いている最中に赤塚氏の訃報を知り、なんとも言えない思いを感じました。
大したことは書いていないのですが、以前にもわざわざお越しいただいたので、お知らせいたします。
長谷 邦夫 「マンガ編集者 狂笑録」 の記事 → http://blog.goo.ne.jp/my-yoshimura/e/3ebf3726ae6378201ec5ba67ed060a07
トミー。より http://blog.goo.ne.jp/my-yoshimura
nagatani
>トミー様
さっそくブログを拝見!
有難う御座いました。
いつも画像がちゃんとついていて
楽しく読めます。
18歳
平成生まれの僕が、父の趣味から赤塚先生の漫画に触れていたことは一生の誇りです。様々な著書からしか知り得ないことですが、漫画家を含め多くの著名人にある自分の人生に対する偽りが師にはなかったように思えます。あらゆる理由から唯一無二の大天才であったと思います。師に対する想いから長くなったことをお許し下さい。合掌
nagatani
>18歳様
いえいえ、長くありませんよ。
赤塚マンガを読んでいただき、ありがとう
御座います。
他のマンガに対するご感想や、想いがあったり
したら、ここへ遠慮なく書き込んでください。
穂積昭雪
赤塚先生の訃報とても残念です…
ニュースを聞いた時「こんな亡くなりかた赤塚不二夫じゃない!信じたくない!」と泣いてしまいました。
幼少の時に読んだ赤塚漫画が自分の漫画好きへの一歩でした。
世の中の常識を破壊しながら奮闘するバカボンのパパは僕の憧れでした。
将来は赤塚不二夫のような人間になりたいと本気で思い、人を喜ばせる事を生業にしたいと心に誓いました。
赤塚先生の肉体はこの世に無くなっても残されたキャラクターや影響は永遠に受け継がれるべき物です。
長谷先生のブログ見たあと、バカボンを読み返しました。
思いきり笑いました。
何度も何度も読み返しているのに…
今は心から「赤塚先生ありがとうございました」と言えるようになりました。
ご冥福をお祈りいたします。
nagatani
>穂積昭雪様
ありがとう御座います。
そう、笑えますよね。
マンガの力です!
誠人
長谷先生、お久しぶりです。
赤塚先生の訃報を聞いてから、様々な思いがありました。今日になって、その思いをまとめようと思い、書き込みさせていただきます。
長谷先生から、授業中に何度となく赤塚先生の話を聞いていたせいか、なぜか、著名人の訃報というより、遠い身内の訃報を聞いたような気持ちになりました。
私が赤塚先生の作品で、一番親しみのあるのは、「ひみつのアッコちゃん」でした。ですが、すべてを知らなくても、様々な作品の多くのキャラクターが、私の中に強く記憶されています。
今はどうか安らかに眠っていただきたいと思います。
合掌
長文失礼致しました。
あ〜
>著名人の訃報というより、遠い身内の訃報を聞いたような気持ちになりました
そうそう、私もそんな感じです。
nagatani
>誠人様
アッコちゃん。赤塚氏の初期ヒット。
彼の、優しさが、正直に出ています。
最初の奥さん効果も、大いにあったようです。
山崎さんには礼を失した行為ですが、山崎さんの投稿長谷さんのブログで引用させて頂きます
山崎さんすいません
>>マンガ家赤塚不二夫さんの遺影と対面して懐かしかった。昭和30年代、私は「週刊少年サンデー」の編集部員で、「おそ松くん」の担当編集者だった。新大久保のアパートの一室が仕事場でもあった。
まだ「マンガなんか読んで!」と目の敵にされ、子供達は大っぴらに漫画を読めなかった時代だった。
そんなとき、評論家・坂西志保さんの評論「これでよいのか少年雑誌」が64年2月20日朝刊に掲載された。ステレオタイプの評論には納得できず、特に「おそ松くん」について的はずれなことを書いていたので、我慢ならず学芸部気付で坂西さんに「子供達にマンガは必要なんだ」と手紙を書いた。
その手紙が「坂西さんのマンガ論に反論」と題し、同年2月28日の声欄に掲載された。
時の編集長には「出過ぎたまね」と叱責された。しかし、後日、私に賛成する2人の読者の意見が掲載され、嬉しかった。
かつて、少年マンガを全否定するような一文を載せた文化面に5日、「一代の奇才、赤塚不二夫の逝去を惜しむ」と哲学者鶴見俊介氏が追悼文を寄せた。
マンガもここまで来たのだ。持って瞑すべきだね、赤塚さん、合唱。
うーん私はというとその山崎さんの主張を鵜呑みにすべきではないと考えます。
「かつては弾圧され蔑視される存在だった→しかし長年の努力と研鑽によって今やエンタテインメントの花形」
こういう史観はわかりやすいし共感もしやすいぶん
「そんなに単純なのかな?」と
意地悪なつっこみをしたくなります。
長谷先生の編集者小説も同じ。
とても面白く読ませていただきましたが
「弾圧を跳ねのけて今の栄光がある」史観を
いっさい疑わないでいる姿勢に、なにか
危うさを感じます。
この見方だと
(1)素晴らしく、美なるもの
(2)下劣だけど、魅力のあるもの
(3)下劣で低劣なもの
の(2)が漏れてしまう気がするし、(3)だって考察に値する素晴らしいものなのかもしれない。
今日は用事あるのですいませんここまでで
なつかしい山崎さんの投稿。ぼくも読んでいました。こういう時代が確実にあった!
その証言は貴重です。
彼らが、そうした壁にぶつかりながら
マンガ家と仕事を続けてきました。
サンデー、マガジンの歴史は、これから
総括され、その時代時代での果たした
役割が書かれていくはずです。
(ちょっと、ナイショに近いんですが
ぼくも、何かヤルことになるかも〜です。)
たしかに、おっしゃる通りですよ。
梶原氏については、高取英さんが、おおきな
評価を書いていたはずです。
陰で、ちばてつやさんまでを恐喝していたという
信じられぬ行為をやってのけた梶原氏。
この方も、お酒が、そうした行為とつながって
いたのではないでしょうか。
高取さんには、改めて、梶原氏の創作の
素晴らしさを書いてほしいと思いますね。
そういう史観なんかで、作品を書いたのでは
ありませんよ。
そういう時代と格闘していた人間・編集者を
書いてみたかっただけです。
ですから「誤読」されても仕方が無いかもネ。
かつて劇画村塾の開講式(二期)の時に時の少年サンデーの編集長さんがゲストだった。受講生の一人が「父母に誇れるお仕事でしょうか?」とかの批判的な質問をされ、烈火のごとく怒っていました。
以前、角川春樹氏がそういうものを作っていたような・・・