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block_systemの日記

2008-08-09

大工の棟梁

23:39 | このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

お盆連休の初日。多くの方が夏休みだと思う。昨年はじめに依頼したものだが、結局出来上がらなかったという。でも全体のプロジェクトに影響するのでそのままには出来ない。代わりに担当することになった。

本来なら休んで帰省でもしたいところだけど、早朝から深夜まで作業。これがおそらく数ヶ月続きそう。とにかくここ1週間である程度の目処を立てないと、後が大変だ。11時ちょっと過ぎに1分だけ黙祷。ここはさすがに教会やお寺の鐘は聞こえない。

もちろん暴力はいけませんよぉ。でも「痛い」と感じないと、「いけないことなんだ」と理解できないことっていろいろありそう。大工棟梁さんのように一発蹴飛ばしちゃだめですか?そうじゃなかった。正しくは「ぼてくりこかしたろうか」というんだった。

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2008-08-08

半日だけ休んで

23:47 | このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

午前中病院に行ってきた。午後からは懸案の申請書を仕上げた。申請書や契約書などの手続きというものは、なんとなく苦手だ。それなりに作りはするのだが、何度やってもやはり意味が分からない。決まりなのでそうしているけど、ピンと来ない。でも今日は社内の契約の担当の方に、丁寧に教えていただいた。お陰様で間に合わせることができました。どうもありがとうございました。心から感謝申し上げます。

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2008-08-07

ジョー・オダネルの写真

12:35 | このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

夏休みになるとちょうど今頃登校日があった。嫌だった。学校に行くと、風通しが悪く蒸し暑い体育館に座らされて、被爆に関する生々しい体験記を聞かされるからだ。隣の中学校の校庭で遺体を集めて焼いたとか、すぐ近くの川に中には水を求めて力尽きた人が折り重なっていたとか..。しかも、その話に出てくる場所は、作り話や想像ではなく、実際に目の前にある。いつも遊んだり通ったりする、よく知った場所ばかり。

自宅は爆心地からそう遠くない。たとえば浦上天主堂あたりも遊び場の1つだった。ローマ法皇の訪日時に今の建物に建て替わったけど、当時は浦上天主堂の建物も、マリア像も、古く煤けた残骸部分を残していた。爆心地の原爆公園も、1945年の当時の原型が剥き出しのままで、それらの原型の周りに、柳の木の枝が繁り、さらに藤棚や蔦が覆い被さっていた。ここは母に連れられてよく通ったことがある。街中なのに公園に近づくと人気がなく、昼でもそこの辺りだけが本当に暗い。そこだけ長い間、時間が止まったような感じだった。鬱蒼とした暗がりを通っていくと、爆心地の碑の部分だけ、ぽっかりと木の葉がなく、はっきりと天空が見える。マリア像の微笑みとは対照的に、近づくと躰全体にズシンとくる重さがあって、息苦しさをおぼえる場所だった。

その近くに国際文化会館という建物があった。いまでは別の資料館になったけど、当時は、この建物には正面から通常ルートで入ると人目にすることはないのだが、建物の裏口から入ると、まったく整理できていないホルマリン漬けの標本が雑然と置いてあった。また上層階には本当に凄惨な写真が展示してあった。目にするすべてが衝撃が大きかった。

祖父母の家は住吉にあった。祖父母も母親も、親戚の叔父さん叔母さんも、誰もがみんなその当時のことをあまり話したがらなかった。子供心におそらく聞いてはいけないことなのだろうと思っていた。トンネルの兵器工場についても、子供の頃「探検」と称して見に行ったことがある。誰とどうやってそこまで辿りついたのかは思い出せない。今はどうなっているのか知らないが、当時は簡単な鉄策があるだけで、子供なら入ろうと思えば入れる状態だった。

身近なところに生々しい痕跡が溢れていた。怪談などの作り話でさえ怖いのに、夏休みに聞く体験談は、現実味がありすぎて、正直なところ聞くのが怖かった。恐怖心が先行して、現実と想像の区別ができず、本当のことが理解できなかった。

今日、NHKの特集番組で、米国人軍人さんが終戦後1ヶ月頃にとった写真の話があっていた。また夜中には住吉トンネルの話もあった。いずれもよく知っていると思っていた場所ばかり。でも、よく知っているのは表面だけ。本当はどうなのか全く知らずに育ってきたんだなと思う。この年齢になってはじめて、冷静な気持ちで、はじめてその当時の話をしっかり聞くことが出来た。非常に感動した。

それで夏休みの登校日のことを思い出した。つらい過去、封印した過去を、後生の人に伝えるために、その封印を解いて話すことは本当はとても辛いことだと思う。その当時語り部だった方もおそらく多くの方が他界されてしまっただろう。今となっては貴重な機会を逸してしまったと思う。恥ずかしいことだが、いまさらどうもならないのだけど、この歳になって、やっと人間尊厳とは何かを強く感じることができた。どのように表現したらいいのか分からないが、心から冥福を祈りたい

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2008-08-06

ハトのウンチ

03:08 | このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

メールは便利だけど、記録が残るし、下手すると勝手に第三者に転送されることもある。私信のようでありながら、実際は掲示板と同じだなやっかいなものだ。相手との信頼関係があれば別だけど、大切なことや相談事はメールではなく、電話か直接話す方がいいと思う。

メールを頻繁に送ってくる人がいる。どうもその人の職場のことらしいのだが、大変不幸なことに、何のことを書いているのかがわからない。送り先違っていませんか?なぜ私に送ってくるのかもわからない。すみませんが興味がない。試験問題で「筆者の主旨を50字以内で述べよ」と聞かれても、私の読解力では正解は貰えそうにないと思う。

先日も冒頭の1〜2行見たところ内容が無関係そうなので放っておいた。再度メールが届くし、少しだけ「こうしたらどうですか」と婉曲に書いてみた。すると、逆ギレしたような長々としたのがたて続けに届いた。読みたくない。表現が悪いのはお許し願いたいが、ハトのウンチがかかったみたいで、気持ち悪い。処世訓として、怖いもの見たさでも、決して突っついてはいけないものがあるということらしい。

どうして、ある人からなら貰って飛び上がるほど嬉しいのに、ある人からではこれほどまで嫌悪感を感じるのだろうか。その人からメールを貰って、嬉しいと思うか嫌と嫌と思うかは、そこに書いてある内容がどうだからとか、書き方がどうだからで決まるのではなく、その人とどの程度親しいのか、どこまで言っても構わない仲なのか、信頼関係がどの程度なのかで決まるように思える。

仕事のように事実を淡々と伝えるためにはメールは便利な道具だ。しかし、自分や相手の気持ちや感情が少しでも入ってくると、よっぽど文章表現が上手でない限りは、必要以上に誇大に相手に伝わってしまう。自分が相手に対して持つ感情と、相手が自分に対して抱く感情とが、当然異なることを前提としないと、やはり難しいなと思う。

私は国語も英語もぜーんぶ苦手で、想像力もナシ。「ドウカ メール ハ シナイ デ クダサイ。」

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