中日新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 編集局デスク一覧 > 記事

ここから本文

【編集局デスク】

ギャグの神様

2008年8月9日

 「あなたは、すべての存在をあるがままに肯定し、受け入れることで、人間を重苦しい陰の世界から解放しました。すなわち『これでいいのだ』と」

 漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなった。72歳。彼に見いだされたタレントのタモリさんは、葬儀で遺影にこう語りかけた。

 笑いにささげた破天荒の生涯。がんを患っても好きな酒を手放さず、笑いの種にした。「生活すべてがギャグでした。死もギャグなのかもしれません」。タモリさんは声を震わせた。

 赤塚さんは旧満州(中国東北部)で生まれ育った。抗日運動を取り締まる特務警官の父親に連れられ、中満国境の町を転々とした。『天才バカボン』のパパは父親がモデルという。

 敗戦で一家の生活は一変する。略奪や暴動の相次ぐ奉天(瀋陽(しんよう))で、9歳だった赤塚少年も生死の境をさまよい、父親はシベリアに送られた。残された母子5人は翌年、命からがら日本に引き揚げた。末の妹は直後に栄養失調で死んだ。

 「握りしめたおふくろの服のすそから手を離していたら、僕も残留孤児になっていた」。生前、そう振り返りながら赤塚さんは「家族を悲惨な目に遭わせる戦争だけは、もう二度と起こしてはならない」。

 実は赤塚さんには珍しく硬派の漫画がある。子ども向けに憲法を紹介した『日本国憲法なのだ!』。この中で彼は語っている。

 「悔しいのは、終戦になって、民間人の僕たちは、軍隊が守ってくれるどころか置き去りにされたことですよ。最初に逃げたのが軍部だった」「いくら政府が自衛のための軍隊だ、なんて説明しても、僕を守ってくれるものじゃないって、てんで信用してないの」

 「ギャグの神様」も、戦争と軍隊だけは「これでいいのだ」と受け入れることを拒んだ。私たちは貴重な語り部を失ったのだ。

 (名古屋本社編集局長・加藤 幹敏)

 

この記事を印刷する

広告