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【社会】

あの日の原子雲忘れぬ 長崎被爆63年

2008年8月9日 夕刊

早朝から式典会場を訪れ線香をたむける女性=9日午前、長崎市の平和公園で

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 長崎は9日、被爆から63年の原爆の日を迎え、長崎市松山町の平和公園では、市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれた。田上富久市長は平和宣言の冒頭で「あの日、この空に立ち上った原子雲を私たちは忘れません」と述べ、原爆の恐ろしさを世界に伝え、核兵器廃絶に力を尽くす決意を表明した。

 宣言で田上市長は、自身が被災しながら医師として被爆者救護に尽力した永井隆博士の「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」との言葉を引用し、平和の尊さを訴えた。

 「核兵器の廃絶なくして人類の未来はない」と強調。長崎市が世界の都市と結束し核廃絶のアピール活動を展開する考えを明らかにし「核兵器に『ノー』の意志を示そう」と若い世代や非政府組織(NGO)など市民に連帯を呼び掛けた。

 米国の核政策を推進したキッシンジャー元国務長官らが出した核兵器削減アピールにも触れ、米国をはじめとする核保有国に廃絶の努力を、日本政府には被爆国としてリーダーシップを要請。原爆症認定訴訟で国側の敗訴が続く中、実態に即した被爆者援護を急ぐよう政府に「要求」した。

 式典には被爆者や遺族、市民、福田康夫首相、舛添要一厚生労働相、核保有国ロシアを含む8カ国の駐日大使ら計約5400人が参列。原爆投下時刻の午前11時2分に黙とうした。

 原爆投下を「しょうがない」と発言し防衛相を辞任、昨年は式典を欠席した久間章生衆院議員(長崎2区)も出席した。

 被爆者代表の森重子さん(72)は「平和への誓い」で「平和憲法と非核3原則を世界中に広げていくことこそが、核兵器の増大と拡散を止める有効な手段」と訴えた。

 福田首相は「今後も非核3原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを誓う」とあいさつした。

 長崎市によると、この1年間に新たに死亡が確認された被爆者は3058人。長崎市に住む被爆者の平均年齢は昨年より0・6歳上がり74・6歳になった。

◆久間氏反省の弁 「しょうがない」発言

 昨年6月に原爆投下を「しょうがない」と発言した久間章生衆院議員(長崎2区)は9日、長崎市の平和祈念式典会場で報道陣の取材に、自身の発言について「配慮を欠いていて被爆者に嫌な思いをさせたと思う」と反省の気持ちを述べた。

◆長崎平和宣言骨子

▼核保有国に核兵器廃絶の努力を強く求める

▼わが国には、被爆国として核兵器廃絶のリーダーシップをとる使命と責務がある

▼私たちは世界の都市と結束して、核兵器廃絶のアピール活動を展開していく

▼核廃絶なくして未来はない。核兵器にノーの意志を明確に示そう

▼日本政府は国内外の被爆者の実態に即した援護を急ぐよう要求する

 【長崎原爆】 1945年8月9日午前11時2分ごろ、米軍のB29爆撃機ボックスカーが長崎上空で投下したプルトニウム型原子爆弾。ファットマンと呼ばれる。熱線や爆風で約7万4000人が死亡、約7万5000人が重軽傷を負ったと推計されている。長崎市によると、その後亡くなった人を含め、原爆死没者名簿に記載された人は計14万5984人。

 

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