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[長崎原爆の日]宿命負い、ひたむきに…胎内被爆者の死

 長崎原爆から63年の今年5月、長崎市本尾町の民家で1人の女性が遺体で見つかった。池田裕子(ひろこ)さん、62歳。1人暮らしで死後2日経過していた。裕子さんは胎内被爆者だった。兄で元会社員の出口輝夫さん(72)は「妹は生まれながらに宿命を負った。それでもひたむきに生きた」と言葉を詰まらせた。

 出口さんは、母と共に爆心地から約1.4キロの自宅で被爆。母は妊娠4カ月で裕子さんを身ごもっていた。

 裕子さんは5、6歳ごろから体に異変が出始めた。ひきつけの発作を頻繁に起こし、学校にも通えなくなった。「発作のため、学校にも行けず、どうして自分だけが、と思っていたことでしょう」と出口さんは振り返る。

 62年に脳の手術を受け、68年には再生不良性貧血で原爆症と認定された。そして、好きだった母は74年に亡くなった。裕子さんは病苦と母の死を乗り越え、何とか自力で人生を切り開こうとした。出口さんもそんな裕子さんを必死で支えた。

 裕子さんは長崎市内の結婚相談所で、視覚障害がある男性と出会い、81年10月に結婚。幸せが始まる予感がしたが、裕子さんの披露宴当日に父が倒れ、同年12月に死亡した。

 夫は障害のためか定職に就けず、酒を飲み続けた。裕子さんは発作を薬で抑えながら懸命に働いたが、暮らしは楽ではなかった。飲食店で皿洗いのアルバイトをし、原爆症認定による医療特別手当も生活費に充てた。苦労の日々。夫は06年1月に飲酒が原因で体を壊し亡くなった。

 裕子さんの死は夫の死から2年余が過ぎたころだった。死因は頭蓋(ずがい)内出血。近所の人がたまった新聞を不審に思い、発見した。

 長崎市の調べでは、胎内被爆者として被爆者健康手帳を取得している人は全国で7428人。多くの人が放射能の恐怖におびえながら懸命に生きている。

 出口さんは97年から語り部活動を始めた。放射能の恐怖を多くの人に知ってもらいたいと思ったからだ。

 裕子さんは亡くなるまでの1人暮らしの間、犬と猫を飼い、読書し、カラオケにも通った。出口さんは「人並みの幸せをこの時だけやっと持てたかもしれない。そう思いたい」。

 9日午前、出口さんは長崎市の市立三重中学校体育館で、生徒役550人を前に語り部をした。心の中で妹を思いながら。【下原知広】


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