米国の原爆製造計画「マンハッタン計画」に参加した米国人女性科学者、ジョアン・ヒントンさん(86)が8日、長崎市を初めて訪れた。無差別大量殺りく兵器として原爆が使われたことに憤り、祖国を離れたヒントンさん。爆心地に立ち、自らが生んだ核兵器の廃絶を強く願った。
ヒントンさんは大学院で物理学の才能を認められ、24歳で計画に加わった。「砂漠に落として威力を知らしめ、ドイツの核兵器使用をやめさせるのが目的と思っていた」という。
ウラン型原爆の広島投下を新聞で知り「まさか」と思った。3日後、プルトニウム型原爆が長崎に落とされたことも新聞で知り、二重の衝撃を受けた。米国の行為が許せず1948年に中国に移り住み、北京郊外で酪農をしながら核兵器廃絶を訴えてきた。
ヒントンさんは米国の作家パール・バックの小説「神の火を制御せよ」のモデルとされる。邦訳を発行した東京の出版社の招きで初来日した。関係者によると「長年来日を希望していたが、機会が得られなかった」という。
広島市に続いて長崎市に入り、長崎原爆資料館などを見学。展示された長崎原爆「ファットマン」の模型を無言で見つめ、熱線で溶けたガラスや重傷を負った人々の写真に「なんてひどい」とつぶやき、うつむいた。
「私は研究成果だけを求める純粋な科学者だったことを恥じる。若い科学者には、自分の行為が招く結果を考えて行動してほしい」と静かに語った。
=2008/08/09付 西日本新聞朝刊=