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ニュースUP:現場で考える 16年ぶりの西成暴動=社会部・堀江拓哉

騒然とする大阪府警西成署前=大阪市西成区で6月13日午後11時31分、三村政司撮影(一部画像加工をしています)
騒然とする大阪府警西成署前=大阪市西成区で6月13日午後11時31分、三村政司撮影(一部画像加工をしています)

 ◇生活苦、渦巻くうっ憤

 日本最大の日雇い労働者の街・あいりん地区(大阪市西成区)で16年ぶり24回目の暴動が起きた。記憶に新しいと思うが、6月13日から6日間、断続的に労働者らが大阪府警西成署を取り囲み、機動隊と衝突した。労働者や警察官20人以上がけがをし、逮捕者は24人に上った。なぜ、あいりんで暴動が起きるのか。改めて背景や原因を考えた。

 「ここは本当に日本なのか」。目の前で繰り広げられる光景に息をのんだ。暴動は4日目に最大規模になり、約450人の労働者や若者らが集結。機動隊に向かって、空き瓶や歩道の敷石、自転車のサドルが飛んでいく。機動隊の脇にいる私の頭上で、カップ酒の瓶が電柱に当たり、割れた破片がバラバラと降ってきた。ふと近くを見ると、自転車が燃えていた。

 激しい衝突は翌日も続いた。機動隊による高圧の放水に逃げまどう人たち。足をすくわれ、転倒する人もいる。ジュラルミンの盾を手にした機動隊が一斉に迫り、投石などをしたとみられる10代後半の若者や労働者らを確保した。隊列の間に入り込んでしまった私の四方から、隊員が押し寄せる。怒号の渦の中、方向感覚がまひした。気が付くと隊員に腕をつかまれ、隊列の後ろに出されていた。

     ◇

 暴動のきっかけは、西成区の無職の男性(54)が6月13日夕、「昨日、警官に暴力を振るわれた」と同署に抗議したことだ。飲食店であったトラブルについて男性は署内で事情を聴かれ、その際に暴行を受けたと主張したが、署は「暴力は一切ない」と否定。男性から相談を受けた釜ケ崎地域合同労働組合の委員長、稲垣浩被告(64)=道路交通法違反罪で起訴=が、署の前で「謝罪しろ」などと抗議演説を始めた。

 演説を聞いた労働者らが署の周りに集結し、空き瓶を投げ入れた。夜には機動隊との激しい衝突に発展した。労働者らは未明に解散し、夜にまた集まった。騒ぎを聞きつけて地区外から若者も集まった。ところが、やがて「謝罪しろ」と繰り返すだけの演説に「根本的な解決になってない」と詰め寄る労働者が現れた。18日に稲垣被告が逮捕されると、空き瓶などの投げ込みはごく一部となり、暴動は収束。翌日以降はほぼ普段通りの光景に戻った。

 暴動のさなか、労働者に話を聞いた。「労働者は人間と思われてないんや」「憂さ晴らししたいだけ」「おれたちのことを忘れてもらったら困る」。表現は違っても、どの人もうっ憤がたまっていた。不安定な生活を送り、世の中に対する不満や不安でいっぱいの日雇い労働者たち。そのはけ口が示されたことで、一気に暴動へとつながったのだろう。きっかけとなった出来事について語る人は少なく、知らない人さえいた。

 あいりんでは1961年に初めて暴動が起きた。90年や92年の暴動では駅舎や車が放火され、スーパーが襲撃されるなど周辺にも被害が及び、日中も緊迫した雰囲気だったという。今回、日中は平穏で、暴動が起きている夜も裏通りの屋台は普段通り営業していた。緊迫感はなく、落差に拍子抜けするほどだった。

 暴動で目立ったのは、地区外から集まった10代後半の若者たちの姿だ。花火や煙幕を署に投げ込み、投石にも加わって騒ぎを大きくした。若い男女が「機動隊ってどっちから来るん? ほんまゲームみたいやわ」「祭りや。写メ撮らな」と話し、見るとカメラ付き携帯電話を構えていた。「騒ぎのための騒ぎだったのか」と疑問に思った。

     ◇

 「かつてないほど仕事がない」。労働者が口をそろえて言う。西成労働福祉センターによると、4~6月は公共工事の新規着工が少なく、基本的に求人は少ない。7月以降に求人が現れ、秋から年末にかけて伸びるのが普通だが、昨年は違った。センターは「求人件数の伸びが鈍かった。建築基準法の改正で建築確認審査が厳しくなり、新規着工が大幅に減ったのが原因」と説明する。今年4~6月は昨年に比べあっせん件数が12%減少し、7月に入っても伸び悩んでいる。

 求人の減少に加え、同地区では労働者の高齢化が追い打ちをかける。雇用保険被保険者手帳(白手帳)所持者のうち、55歳以上は86年末は25・5%だったが、07年度末は57・4%に達した。高齢になると働き口も見つけにくく、病気を持つ人も増え、ますます生活は不安定になる。同地区の生活保護受給者数は20年前の7倍以上に膨らんでいる。

 NPO法人「釜ケ崎支援機構」の山田實理事長(57)は「あいりん地区では働くことが難しく、人として普通の生活ができる環境ではない。高齢化や産業構造の変化などに対応する仕組みを国や自治体が作らないと、火種は存在し続ける。ささいなことがきっかけで騒動が起こりやすい状況にある」と説明する。

 暴動が終わり、梅雨が明けた。あいりん地区に足を運ぶと、以前と変わらぬ平静さが戻っていた。だが、一皮むけば、そこには労働者のうっ憤が渦巻いている。根本的な解決を図らなければ、騒ぎは起き続ける。暴動の光景がよみがえり、そう思った。

毎日新聞 2008年7月30日 大阪朝刊

 

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