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戦前から続く「恵楓音頭」/菊池恵楓園

2008年08月08日

  合志市の国立ハンセン病療養所菊池恵楓園には戦前から続く独自の盆踊り「恵楓音頭」がある。隔離政策でふるさとや家族から離別させられた悲しみや信仰による救い、踊りを楽しむ気持ちをうたう歌詞は110編以上。6日夕の夏祭りでは、入所者や職員、地域住民ら約千人が集う中、亡くなった家族や療養仲間を思い、約140人が歌い踊った。(柴田菜々子)

  ♯色もほんのり/夜風はとろり/二八十六/紅さえもえて/宵はよいよい/よい娘(こ)が揃(そろ)た/揃う調子に/音頭もはづむ……

  広場に歌と「やーんそーれ やんそれしょい」などの陽気なおはやし、太鼓が響く。舞台では法被姿の入所者と職員が交代しながら30分かけて48編を歌った。参加者はうちわに浴衣姿で踊ったり、座って見物したりして楽しんだ。

  盆踊りは1929(昭和4)年8月に始まった。旋律は佐賀、大分、江州音頭をもとに3種類。歌詞は31〜52年の間に園内で募集し、短歌会会員らの作品が採用された。

  ♯送る余生を/ただ一筋に/みだの御慈悲が/我等(われ・ら)が救い

  ♯森の都と/名高い町の/肥後は熊本/町から三里

  仏教に救いを求めたり、人里離れた地にいると自嘲(じ・ちょう)したり。歌詞に思いがこもる。

  入所者の男性(80)は51年ごろからの歌い手。「入所者が千人以上いて、踊りの輪が何重もできた」。当時の若者らは声をつぶし、三晩歌い明かした。「でも、いまの方が気持ちいい。地域からたくさん来てくれるから」

  70年代ごろ途絶えたが、元自治会長の太田明さん(64)らが85年に復活させた。

  ♯弱い人には/手をもち添えて/情けかけ合う/一千余名

  以前は軽症の入所者が重症者を世話した。政府が看護の人手を省いたためでもあったが、歌は「恵楓園の『相愛互助精神』も歌った、貴重な文化遺産」と太田さんは言う。

  今は踊り歌える入所者も減り、太鼓の4人全員が職員。歌い手も3分の2が職員だ。58年に最多の1734人いた入所者は、6日現在で420人。07年は22人、今年もすでに18人が亡くなった。

  入所者の女性(85)には特に心に響く歌がある。

  ♯ともに去年は/踊った友も/今年しゃ御魂(み・たま)の/その数に入る/それを想(おも)えば/踊らにゃすまぬ/明日の無情は/吾(わ)が身にかかる

  01年の国家賠償請求訴訟に尽力した仲間や、ともに俳句を詠んだ友。昨年亡くなった一人ひとりを思い、踊った。「生き残りのふんばりですたい」。療養所の地域開放を可能にするハンセン病問題基本法が6月に成立。「今は外との出会いがある。この楽しさを踊りを通じて亡くなった人たちに届けたい」と語った。

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