北京の空に五輪旗が翻った。中国の復興を象徴する大会だ。国内には極端な格差や人権問題など多くの難題を抱えている。五輪を成功させ国際社会と調和する大国として発展することを切に望む。
開会式はフィールドに演舞で中国の歴史を再現し、京劇や武術など伝統文化を生かした演出で「中華文明」の復興を象徴した。
中国はアヘン戦争(一八四〇年)以来、列強の侵犯で半植民地の状態に置かれた。中華人民共和国(一九四九年)建国後も政治運動が続き立ち遅れた。しかし、改革・開放の開始(七八年)以降、急速に成長し、経済規模ではドイツに匹敵する世界第四位の大国に発展した。
東京五輪(六四年)は日本の戦後復興、ソウル五輪(八八年)は韓国民主化を告げた。アジア三回目の夏季五輪は中国が不死鳥のように立ち上がったことを示す。
開会式で展開された北朝鮮を思わせるマスゲームは権威主義的な政治体制も想起させた。七年前、五輪の北京開催を決めたとき、世界は一つの夢を見ていた。
同年に実現した世界貿易機関(WTO)加盟で中国が市場経済のルールを受け入れたように、五輪開催は人権や自由など普遍的な価値観を中国が共有することにつながるのではないか。この夢は残念ながら幻想かもしれない。
中国の民衆はいまだに自らの意見を投票や言論、あるいは集会やデモで表現する十全な自由を得ていない。抑圧された民意はときに騒乱や暴動などの極端な形で噴き出し、日本やフランスへの攻撃といった排外の様相も帯びる。
チベットやウイグルなど少数民族の不満は高まり漢民族中心の中央政府に反抗が強まっている。北京五輪は息が詰まるような厳戒で開かれる事態に追い込まれた。
それでも、五輪がテロや混乱もなく成功を収めることを望むのは五輪の挫折は中国の自信を揺るがし、聖火リレーで見られたように国際社会の批判に身構える可能性が高いからだ。内外とも強硬姿勢を招きかねない。
五輪の成功と海外の評価は中国が歴史的に内向させた被害者意識を克服し、政権に度量ある内外政策を選択する余裕を与える。四川大地震が六万人以上の犠牲を出しながら、外国のメディアに現場を公開し支援を受け、内外の融和につながったことを想起したい。
そのためにも、中国には金メダルの獲得数で覇を競う国威発揚の大会にはしてほしくない。
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