私にとって夏は、「平和の尊さ」をあらためて考える季節だ。亡き母が、旧満州(現中国東北部)ハルビンから引き揚げたときの様子を、繰り返し話していたからだろう。
「ようやく乗れた引き揚げの列車は、屋根のない貨車。ギュウギュウ詰めだったわね」。これはある程度想像できた。しかし、暴行を受けぬよう女性が髪を切ったり、顔に炭を塗り男性にふんしたこと。幼い子どもたちが命を落とし、その亡きがらが川に流された…こうした話を現実のものと認識するまでには時間がかかった。
十数年前、ハルビンの女学校で母と同級だった女性と中国で会った。戦後、開拓団に属していた一家は次々と亡くなった。中国人と結婚し、中国で生きる道を選んだ。母は手紙で交流があり、岡山に留学した娘さんのお世話をした。
終戦後の様子をホテルの一室で聞いた。親や幼い兄弟姉妹が、飢えや病気で亡くなる状況をポツリポツリと語った。母から聞かされた引き揚げ時の話と重なり、心に深く刻まれた。
その数年後、同級生は日本を訪れた。岡山から、兵庫県西宮市に住む女学校時代の恩師の家まで送った。新幹線や電車の中でずっと窓外の山や川、家並みを見ていた。「なんて穏やかな風景。あなたは幸せね」。何も答えられなかった。ただ、母や同級生のように平和の尊さを、次の世代に伝えなければと思った。
(メディア報道部・江草明彦)