プ ロ ム ナ ー ド
自由剥奪と放射線を被曝させる暴力手段/鳩
開いて頂いて有り難う御座います。
皆さんは、現在のこの日本の国の中で、他人を殺害したり暴力に依って自分の要求を強制的に受け入れさせると言う合法的な手段が有る事をご存じでしょうか。
「合法的に他人を殺害したり、自分の要求に服従させたりする手段など、有る筈も無い。」 大概は、この様な返事が有るものと思います。
ですが、現実としてそれが有るのですから仕方が有りません。
「では、確かめる方法が有るのか。」
と問われれば、簡単に説明する事も出来る次第です。
極論としては、電子レンジの全面シールドガラスを取り外して、その中にお酒などを飲ませて弱らせた人間の頭部を押し込んで、五分間ほど電源とスイッチを入れた状態にすれば、その人間は死亡します。
ですが、警察に自首して真実を申し述べても、殺人事件として扱われる事は有りません。
その人間が亡くなった事に関しては病死扱いされるだけなのです。
死因は多臓器不全や脳水腫で、突然死と言う事にしか成らないのです。
自首しても立件されないほどで有りますから、告発してもダメで有ると言う事です。
信じられない様な事ですが、現在の日本の国に置いては、これが現実に存在している紛いもない実状なのです。
お疑いの方に置かれましては、この様な殺人ケースで果たして警察司直が行為者の身柄を捉え、法に基づいた刑罰を与える為の行動を起こすかどうか、と言う所を実際に警察官や司直関係者にお尋ねに成って見ると、実状を確認する事が出来ると思います。
私は実際に事件関係者から事情を聞き、そして警察官に確認してこの様な記述をさせて頂いております。
先ず実状を知って、驚愕至極の次第で有りました。
ま、しかし、人間はどの様な状況にも慣れるものです。
慣れれば冷静な思考も直ぐと回復します。
そして考えて見れば、法の運用とは、その法を運用する人間に依ってどの様にでも変わるもので有ったと言う所に気付きます。
初めは小さな事件や地域に置いて法の運用を変え、特定の暴力に関しては法を適用しない事が実践され、やがて大規模に、そして比較的大きな地域社会を対象としてその体制が固められてしまったと言う事で有ろうと言う様に、状況が理解出来ます。
さながら社会的なシステムの様に、いわば犯罪シンジケートから統治を受けているが如くに、効果的な抵抗手段も無い儘に市民生活者の自由と尊厳が奪われ、恣意的に蹂躙される儘に任せるほかに術が無いと言う所が、現在の日本の市民社会の実状で有り、彼等の情報収集連絡体制と組織的な活動に依って、完璧な迄にそうした実状はこれまで明かされる事は無かったので有ろうと言う所が理解されます。
ここで言う彼等には、勿論、大和民族や高句麗系の日本人も含まれますが、主に中国系居住者と韓国系居住者と言う事が指摘できます。
どの様な所を根拠としているかと言うと、こうした犯罪体質のシステムを指導者的立場から喜々として用いている人間として存在しているからです。
こうした暴力行為を用いながら、その暴力行為を全く暴力として意識する事も無く、平然とした表情で見事にその暴力性を表情と雰囲気から消滅させる事が出来ているからです。
見事に思慮深い紳士淑女然、人の良い精神弱者然として、大和民族の市民社会の中で最も効果的に暴力的イメージから縁遠い人間を標榜する事に長けている所からも、彼等の指導者的在り方を感じ取る事が出来ると思います。
彼等は人と人の世を欺く事に自信を持っていると判断する事が出来ると思います。
大和民族の市民生活者では、思慮深い紳士淑女然、人の良い精神弱者然として振る舞っていれば、その振る舞い通りの人間性として捉える事が出来ず、そこに攻撃性を見抜き、必要な警戒や防衛が出来ない事を確信している、と言う事が言えると思います。
日本国内では一般的に存在する大多数の大和民族の日本人は、彼等の在り方に何ら抵抗できない事を確信しているのだと判断する事が出来ると思います。
相手の暴力手段を法的に阻止するにしても、或いは同じ暴力手段で対抗するにしても、大和民族の日本人にはその目的を果たす事が出来ない事を確信しているのです。
大和民族の弱点を捉え、完全に有利な体勢に有ると言う自信をそこに感じ取る事が出来ると思います。
実際の所、この日本の国の中での彼等の存在は、少数民族、権利弱者、と言う事で有り、実際にその様な肩書きを持っている同じ民族の人間が多数おります。
そうした状況から、大多数の市民社会の中から自由と尊厳が奪われていると言う形の訴えを外部の社会に理解させる事は大変に困難を要します。
何故ならば、大勢としては自分達の社会こそが相手から自由と尊厳を奪った形で存在している事に成るからです。
どうかすると大多数の市民社会の中に置いてさえ、本当に、良心から少数民族、権利弱者の為の判断と行動をする人間もおります。
実際の所、大多数と認識される市民生活者の社会に置いては、行政的な防衛も、市民レベルの組織的な防衛も、殆ど機能させる事が出来ない対峙、と言う所がこれまでの実状と言えると思います。
では大多数の市民社会が少数の移住を受け、そこに暴力として一般的にその情報が伝搬されない暴力手段が生み出された場合には、大多数の市民生活者は被害を一般社会に告げる事も告発する事も出来ずに、順次、敵軍に降伏した国民の身の様に、平和を装いながら相手の言いなりの生活をしなければ成らない事に成るのでしょうか。
断じてその様な事が有りません様に。
多くの方に実状を知って頂き、その災いを避ける為に、ここで言う「一般的にその情報が伝搬されなかった暴力手段」に付いて触れて置きたいと思います。
端的な例としては、電子レンジの全面シールドガラスを取り外して、他人の頭部をその中に押し込んで電源とスイッチを五分間ほど入れた儘にして、殺害する手段です。
更には、地震対策用マイクロ波通信器送信部ユニット等の放射線発生装置を悪用して、他人の身体に電離分解や励起作用を起こす強い放射線を被曝させる事です。
この励起作用に依る結果の中には、電子レンジの様に容易に死に至らしめる場合も有るのです。
その気になれば通信器ユニットの二台三台で焦点を合わせる様に被曝させれば、やはり電子レンジと同様に数分で死に至らしめる事が出来ます。
こうした事は簡単に出来る検証で有っても、大がかりな検証で有っても、実際にその検証を行えば容易にその暴力としての作用の存在を知る事が出来ます。
例え子供で有っても容易に理解出来る事で有るのです。
その様な検証に立ち会えば、子供で有ってもその暴力として作用や死に至る作用を知る事が出来るのです。
その様な検証を経験させたり、同様に認識出来る様な情報の伝達が有れば、子供をさえ、欺く事は出来ないのです。
ですが現在の日本の国の警察司直関係者に置かれましては、この種の暴力に関しては殆ど関知しません。
その種の暴力事件の存在を認識できないのか、その種の暴力事件に関わる必要性を感じないか、或いはその種の暴力事件に関わる事に危険性を感じているのか、いずれかで有ると判断する事が出来ると思います。
私がこの問題で実際に接する事が出来た警察官の方々は、
「科学的根拠が無いので警察としては動く事が出来ない。」
「現在の日本の国には、その種の行為を取り締まる法律が無い。」
「その種の行為は暴行事件として取り扱う事は出来ない。(マニュアルに無い。)」
この様な言葉が現されました。
尤もと言えば尤もの様な気のする受け答えでは有ります。
ですが、このままでは市民生活者としては堪ったものでは無いので、自分なりに掘り下げて考えて見たいと思います。
科学的根拠に関しては、私は「無い筈が無い」と思うのです。
では、いつ頃から有る様に成ったかと言いますと、日本では1960年代に電子レンジが自力開発されているのですが、その時に明確な科学的根拠が出来たと判断する事が出来ると思います。
何故ならば、その時に、充分に肉や野菜を暖めたり沸騰させる為の科学的根拠が研究され、その結果として上手に肉や野菜を暖める電子レンジが出来たと思うからです。
しかも、その科学的な原因と結果に置いては、現代に置いては物心付いたばかりの子供でさえ、大凡の所は認識できるのだと思います。
全面シールドガラスを取り外した電子レンジを用意して、
「この中に自分の頭を入れて五分間ほど電源とスイッチを入れた場合、どの様な結果に成るか判るか。」
この様な質問をすれば、大概は、
「死ぬんじゃないかな。」
と言う反応が示されると思います。
ここまでの小論を纏めますと、
1,科学的根拠は有る。
2,子供を含めて一般的にその作用の因果関係が容易に理解出来る。
3,一般的に容易に理解出来る科学的根拠に基づいた暴力と判断できる。
尚、通常のマイクロ波と電子レンジのマイクロ波の違いは、効率と安全の為に反射しやすく成っていると言う事で、放射線の作用としての励起作用の存在は同じです。
こうした所から、電子レンジを悪用して殺人行為は間違いなく日本の刑法でも取り扱う事の出来る殺人行為で有ると判断できると思います。
又、殺害し損ねた場合に置いても、当然暴行事件として扱う事が出来ると判断出来ます。
実際の所昭和27年、28年には、韓国系居住者の方々は放射線発生装置を悪用した脅迫集団レイプで国籍を剥奪されて祖国に強制送還されているので有ります。
当初は原子力基本法も無く、放射線元素等に依る放射線障害を防止する法も無かったので有ります。
放射線元素等に依る放射線障害を防止する法には、
「刑法と鑑みて重きに処罰する。」
と言う一節が有ります。更には、
「みだりに他人の身体に放射線を浴びせ、身体生命を危険にさらした者は十年以下の刑」と言う事で有ります。
こうした所からもどの様な判断が出来るでしょうか。
「みだり」とは、「病気」とか「礼から外れている様」と言う意味の様です。
はい。こうした言葉から不注意や精神的病気から他人の身体に放射線を浴びせ、身体生命を危険にさらした場合には十年以下の刑で済むと言う事で有り、暴力行為としての形で他人の身体に放射線を浴びせ、身体生命を危険に晒した場合には、十年以下の刑では済まない、と言う言質を理解出来ると思います。
そのものズバリで、
「場合に依っては刑法で厳しく扱って下さい。」
この様にハッキリと法律にわざわざ明記されているのです。
「放射線発生装置を悪用した殺人や暴力事件、脅迫集団レイプの場合は何年の刑。」
と言う書き方をしていれば、他のケースの殺人事件や暴力事件に置いても同じ様な記述が必要で有る事に成ります。
それだけで六法全書と同じ厚さの本が出来上がってしまうかも知れません。
確かにガスや水の漏洩に関しては個別に刑法に明記されております。
そして放射線に関しては明記されていません。
しかしだからと言って、日本の法では放射線を悪用した殺人や暴力行為を裁く法は無いと判断する事は出来ないと思います。
故意のガスや水の漏洩に依る殺人の場合は、明記されていなければそこに刑法で裁くような殺意が有ったかどうかと言う所が見落とされがちで有るので、特別に明記されていると判断する法が遙かに高い整合性が有ると言えます。
放射線発生装置を悪用した殺人や暴行に置いては、当該装置を所持する事は国家資格や許可が必要とされており、不当にその種の装置を持っているだけでその種の行為や行為者に関係している事が明白に判断出来ます。
そして実際に暴力として使用された事を証明する計測が成されたり、身体に作用を感じるレベルの放射線(2シーベルト)に関して数人の証言者が存在すれば、容易にそこに暴力行為が有ったと判断出来ると思います。
電子レンジ殺人に関しても、検死解剖で血液の電荷を確認したり、殺人行為に関する目撃証言に依って、立件されるべき事件で有り、
「日本の法律では裁く事の出来ない行為ですから警察は絶対に動きません。」
この様な言葉が現職の警察官の口から現される事は、その発言事態が驚愕すべき事件と感じます。
とあれ、現在の日本の国の中には、殺人、脅迫、強制行為、脅迫集団レイプ、こうした事を警察の干渉を気にする事も無く、思う存分行い得る暴力行為、殺人手段が存在している訳です。
信じられない様なお話ですが、現実で有りますからしかた有りません。
そうした行為を喜々として自慢げに用いているのは主に中国系居住者と韓国系居住者の方々で有ります。
いわゆる日本国籍と日本人名を獲得された中国人と韓国人の方々、と言う事に成ります。
性的な被害、経済的な被害、数知れず、と言う所です。
日本が占領下に有った時代から地下活動的にそのまま進駐軍が残留していて、ほぼ自治体社会全体に対して地下活動で盤石の支配体制を築き上げた、と言う感じです。
何やら中国系居住者とか韓国系居住者と言うと、少数民族で権利弱者と言う様な政治宣伝が随分効果を発揮していた様に思えるのですが、実は戦略的に大きな効果を発揮していた、と言う所が言えると思います。
権利弱者所か、欲しいと思えば目立たない様に女でもビルでも自分達のものにするか、それ同様にする事が出来ていたのですから。
考えて見れば、従軍慰安婦と言う言葉を思い付いて新聞社に活発に攻勢を掛けて既成事実に迄至らしめた立て役者も秋田県の男鹿の方です。
強制連行の象徴とされる花岡鉱山も、秋田県の鉱山で有りました。
彼等が何故その様な表現の自由が出来たのかと言うと、必ずしもそれが事実で有ったからと判断する事は充分では無いと言えると思います。
彼等には、この日本の国の中で自分達に抗する人間を黙らせる完全な暴力手段が有ったのです。
その種の行為に関しては、完璧な自信と誇りが有ったのです。
1970年代には、アメリカ人との混血女性が強姦を逃れる為に大挙してアメリカに亡命受け入れを求めると言う大きな事件が有りました。
その様な生活風俗を持つ韓国人社会が、思慮深い紳士淑女然と言う標榜を取り繕い、日本人社会に対して高い道徳性と儒教文化を誇示する姿勢を現し、過去の歴史に置いて謝罪を求める姿勢を現す事が出来ている点に関しても、この地か活動的な暴力手段、殺人手段の存在は無関係と考える事は出来ないと思います。
現在の日本の政府が、大和民族の市民生活者が信じる政府の形を取り戻し、当該暴力行為や殺人手段に対して真摯に取り組む姿勢が明らかにされれば、そしてその姿勢を多くの秋田県人が信じる事が出来れば、容易に全ての真実は明らかに成ります。
政府にその様な姿勢を現して頂ければ、この秋田県の地に置いては、中国系居住者と韓国系居住者以外の秋田県人は全て証人としての存在に成ります。
それだけその暴力行為、殺人手段の脅威はこの地の全土を席巻していると言う事で有ります。
戦争責任論に関しても、性的欲求とそれに抗する防衛に置いても、或いは組織犯罪とそれに抗する防衛に関しても、この地に有るものはまるで殺し合いの戦争です。
大和民族系の日本人は、これまでは事情が良く理解出来なかったと言う事で、無駄死にする事が殆どで有りました。
しかし、次第に状況が明らかに知られる様に成ったので、いつまでも無駄死にするだけで大和民族の歴史が終わると言う事は無いと思います。
通常の人間のレベルでは克服しえない種類のエネルギーが彼等に有るので、どうしてもいつかは大きな混乱に至るしか無いと感じられます。
乖離性の人格もさる事ながら、静寂な普段の表情から打って変わって、大和民族の日本人に対して勝ち誇る時の彼等の貪婪な欲求は、相手に人間の誇りを完全に捨てさせるレベルのもので、とても通常の人間とは思えません。
肌の色を大和民族と同じにする為に服用している白幸水と言う薬と過度の性依存症で、普通の状態では無くなっている様に思えるのです。
土台、ストーカーの様な軍隊宜しく人を付け回して面白がったり、宿泊先を見付け出しては強弱を上手にコントロールしながら放射線を被曝させる。
この様な行為は、正常な精神状態では出来ない行為で有ると思います。
それ以上に、犬が犬を調教する様な性的虐待も人間の文化を原始社会に引き戻す行為で有ると思います。
物質的に幾ら豊かに成り、建前の議論が幾ら上手に成っても、これでは人間の社会とは言い得ない様な気が致します。
人権問題を幾ら熱心に語る人で有っても、そこに他人の自由と尊厳を奪う行為が有る場合にはその言葉には人間の心が込められていない、と言う事になると思います。
議論が幾ら成立しても、一方に人間の心が無いので有れば、その議論は人間に益する事を目的として有るのではなく、毒する為に有る事に成ってしまうと思います。
非道な地下活動的行為をカモフラージュする行為、或いは戦略的な政治宣伝と言う事に成るからです。
彼等は、日本の市民社会に移住する機会を与えられながらそれを市民生活者として生かすだけでは無く、その機会を悪用して、暴力行為と殺人手段と言う強制力に依って地域的に軍事的な掌握を行い、人間の自由と尊厳、市民社会そのものを根底から破壊して来たのです。
多くの大和民族の市民生活者の自由を剥奪し、蹂躙して来ました。
上品な友好を表情に浮かべながら大和民族の日本人を化かして来たのです。
早期に、こうした悪行に対する措置が講じられる事を期待して止みません。
インドネシアでは有りませんが、日本のどこかに彼等の様な抗議活動を行う集団が出来上がれば、私なども直ぐ馳せ参じたい気持で一杯です。
インドネシアやマレーシアは中世に建造された大きな建造物は無かったと思いますが、あの方々の自分達の市民社会を守るエネルギーこそは、人類の最大の文化で有るのかも知れないと言う羨望の念を抱く今日この頃です。
お読み頂き、有り難う御座いました。
識者の検証を得られれば幸いです。