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◆イスラーム過激原理主義以外のカルト宗教テロ
<テロリズムFAQ目次
こんな事業にも手を染めていた……
【質問】
原理主義の特徴は?
【回答】
以下の4つの特徴があるという.
〔略〕
90年代初めにシカゴ大学で,キリスト教やユダヤ教,イスラム教,仏教,神道等の宗教と政治の関係を研究する一大プロジェクトが行われた.
このプロジェクトでは,原理主義のイデオロギー的特徴として次の5つを挙げている.
第1には,近代化によって宗教の危機,もしくは宗教の権威が失墜することに対する反発が背景にあること.
たとえばコーランには,非常に厳しい教えだけでなく,寛容や愛を説いている箇所があるにもかかわらず,宗教が廃れていくことへの反発があるため,原理主義では教義の厳しい部分,怒りの部分だけを選択的に抜き出して絶対化していく.
こうした特定の部分を強調もしくは絶対化するなど,選択的に教義を用いることが第2の特徴として挙げられる.
そして,コーランや聖書などの教典には全く誤りがなく,絶対的なものとして捉えることが第3の特徴である.
19世紀から20世紀にかけて科学が発達してくると,聖書にある
「神が人間を作った」
といった記述は,科学的・合理的に考えればおかしい事が分かり,科学合理主義による聖書の再解釈が行われるようになった.
しかし原理主義では,そういう行為を否定し,教典に書いてあることは全て真実であるとする.
第4に,現世というものを自分たち善,神の側にある人間の世界と,それ以外の悪魔,邪悪なものが支配する世界という2つの対立構造で捉え,その中間はないとする.
こうした世界観に立ち,まさしく今,終末が近づいていて,神の側にいる自分達が救世主の立場に立ち,勝利すると信じるのが第5の特徴である.
これが原理主義のスタンダードな定義だが,ただ,この定義はユダヤ教やイスラム教,キリスト教など,一神教のいわゆるアブラハム系宗教に対しては非常に合致するが,日本やインド,スリランカなどで見られる多神教の世界では,必ずしも当て嵌まらなくなる.
〔略〕
小川忠=国際交流基金企画評価課長 in 『SAPIO』 2005/3/23号,p.32-33
上記引用文の信頼性だが,ソースはシカゴ大学のシンポジウムと明確にされている.
したがって,(著述者が酷く曲解してなどいない限り,)信頼性は高いと愚考する.
また,アル・カーイダなどの実際の言動を見ても,これら4項目に一致するところは多い.
なお,私見だが,上記の4項目の多くが,宗教以外の過激団体にも当て嵌まるかもしれない.
第4の対立構造などは,小林よしのり信者や,「小林アツシと愉快な仲間たち」にもしばしば見られるところである.
引用元:平野耕太『Hellsing』第8巻
【質問】
ブランチ・ディヴィディアン事件とは?
【回答】
ブランチ・ディヴィディアンなるカルト教団を主宰するディヴィッド・コレシュが,46名の子供を含む95名の信者と共に,1993年2月28日以来,テキサス州ウェイコ郊外のマウント・カーメルに彼らが所有していた牧場施設に立て篭もった事件.
その日,アメリカ政府のアルコール・煙草・武器局(ATF)が,貯蔵された武器の実態調査のため,このカルト教団を急襲したのが直接原因.
ATFの入手した文書によると,2月までの18ヵ月間にほぼ20万ドルを,武器弾薬購入にコレシュは使っていた.
ユナイテッド小包宅配便会社(UPS)のある運転手によれば,コレシュ呼ぶところの「黙示録牧場」に,大量の火薬に加え,手榴弾の入った箱を2つ届けたという.
その全てが,連邦政府の火器取締規則にはっきり違反していた.
しかしコレシュは,ATFの人間がカルト教団の火器貯蔵を立証するために牧場に近付くことを,断固拒否していた.
ATF急襲部隊は,接近と同時に激しい銃火に晒された.
その殆どは重自動火器で,ブローニングやM-60機関銃も含まれていた.
銃撃戦はそれから1時間ほど続いた.
これはアメリカの法執行機関の歴史上,最も長い銃撃戦だった.
連邦捜査員の内,4名が射殺され,16名が負傷した.
カルト団体メンバーも6名が死亡,コレシュ自身も負傷した.
友好関係にある西側の治安機関の間では,重大なテロ事件が発生した場合には,視察と情報収集,そして必要な場合には助言を与えるため,互いに人員を派遣し合えるような相互取り決めが,かなり以前からできあがっている.
ウェイコには宿泊施設があまり多くなく,我々〔著者らSASの視察チーム〕が街に着いた頃には既に,連邦政府や州政府の捜査員達,マスコミ連中,それから,ディヴィッド・コレシュの謎めいた黙示録風のお喋りを解読するために呼ばれた聖書学者達でいっぱいだった.
ATFの明らかな失敗により,FBIの精鋭人質救出チームHRTが,事件の責任を引き継いだ.
アメリカの法律では,アメリカの海岸線から3マイル沖以内に軍隊を展開させる事はできない.
そのため,アメリカ陸軍特殊部隊ではなく,FBIが現場指揮を執る事になった.
大まかに言えばイギリス首都警察のSO19部とほぼ同じような組織であるHRTは,通常は攻撃部隊として投入され,主に銀行強盗や誘拐事件など,人質が取られた場合の対応に当たる.
HRTと共に,FBIの人質交渉チームも到着した.
彼らの最優先目標はもちろん,交渉によって平和裏に犯人を投降させることである.
我々が着いた頃には,HRTは牧場の周囲に3ヶ所の前方作戦基地(FOB)を設営していた.シエラ1,シエラ1アルファ,そしてシエラ2である.
一方,交渉チームは,およそ8km離れたアメリカ空軍基地の格納庫に本部を置いた.
私がすぐ気付いた通り,2つのチームの物理的距離は象徴的だった.
彼らの目指すものは,お互いに全く異なっていたのである.
状況は,一般的な人質事件とは違っていた.
コレシュが妄想家で,自分の考え出した並行宇宙の中で暮らしているのか,それとも,口の上手いただの詐欺師なのか,誰にも分かっていなかった.
確かなことは,彼が頭の回転が早く,狡猾で,信者達に対して鉄のような支配力を持っていることだった.
たいていのカルト教団と同じように,自分達の私有財産や富を信者達は全て指導者に差し出していた.
さらに,これもよくあることだが,彼らの指導者は,食料を下僕達をおとなしくさせておくための武器として用い,僅かでも教えに背いたメンバーには飢餓が待ち構えていると脅迫した.
それがうまくいかないときには,「尻叩き室」と呼ばれるユーティリティー区画に配信者は連れて行かれ,縛りつけられて,選ばれた使徒(規則正しく列を作っている)から,「それは予言に書かれている」と記された木製の櫂で尻をぶたれるのである.
コレシュは,軽い娯楽のため,牧場で「マイティー・マン」というロック・バンドを作っていた.もちろん主役はコレシュ自身である.
さらに,他の男性達は皆,下の階で禁欲生活を送っているのに,コレシュは上の階で彼らの妻や娘達を性的快楽に利用していた.
建前では,いつでも好きなときに信者達は施設を離れることができることになっていたが,実際には,コレシュと彼から信頼された部下達が,誰一人抜け出せないように目を光らせていた.
私の見るところ,施設の中ではコレシュは生ける神だった.
いったん外へ出てしまえば,連邦捜査官殺害で真っ直ぐに刑務所行きだろう.
投降することに何の意味があろう?
ブランチ・ディヴィディアンには水と食料と豊富な弾薬があった.
そして彼らは,黙示録の予言が現実のものとなる日に備えていた――コレシュはこれについて,毎日のように説教していた.「ヨハネの黙示録」第6章が,彼の愛読書だった.
これは長い篭城戦になるかもしれない,と私は思った.
マウント・カーメルの牧場は,荒涼としたテキサスの平原に聳え立っていた.タール塗りの屋根を持つ細長い2階建てと3階建てのブロックで構成される一連の木造建築物が,大き過ぎる監視塔のような角張った背の高い中央塔をほぼ取り囲むように配置されている.
塔の下には掩蔽壕があり,そこに武器弾薬が保管されていた.
どこを見渡しても,ぴかぴか光るアルミニウムのトレーラー・ハウスが並んでいた.事件を一目見ようと集まった野次馬達が,周囲の茂みのいたるところに駐車しているのだった.少なくとも40代近いテレビの衛星中継車に,500名の記者とTV関係者,さらに,彼らに食事を提供するためのケータリング用トラックまでが来ていた.
1人の男が,慌てて文字をプリントしたTシャツを売っていた.
「WACO――We Ain't Coming Out(ウェイコ――我々は出ていかない)」
SAS中隊長バリー・コールズと私が最初に気付いたのは,各当局の間の混乱状態だった.
特に,交渉チームとHRTの間の絶縁状態が際立っていた.
イギリスでは,内閣官房や外務省,SIS,MI5,特殊部隊総局,緊急事態機関などの様々な組織は,お互い密接に結びついている.
これはわれわれがていきてきに「リマウント」,つまり合同訓練を行い,指揮統制システムを意図的に限界までテストしているからである.
アメリカでは,各政府機関の間の協力は,いい場合でもチグハグで,各機関同士のライバル意識のほうが遥かに強力であることを,我々は知った.
理論上は,現地のFBI支局長が全体指揮を執るはずだった.
格納庫の奥の窓のない部屋で我々は,ビルという名前のずんぐりとした筋肉質の男に紹介された.
彼には一つの考えがあった.
コレシュは,自分の声の響きが気に入っている.彼は,他人を改宗させることが自分の使命だと思っている.
我々が待っている間に,ビルはコレシュと交渉し,地元ラジオ局で彼の声を2分間放送する毎に,牧場から子供を2人解放させる取り決めをした.
この計略は功を奏した.じきに,多くの小さな子供達が外に出てきた.
この最初の成功をさらに拡大することを祈って,ビルは今度は,コレシュに全国チャンネルの放送時間を差し出し,その見返りに,残る子供達全員を含む,さらに多くの信者の解放を勝ち取ろうとした.
再びコレシュは同意し,カルト教団の指導者が電話越しに話す合意の内容を,交渉チームの1人にビルは一語一語筆写させた.
放送は実現した.コレシュの副官のスティーヴ・シュナイダーが電話をかけてきて,子供たちは全員上着を着て荷造りを終え,主玄関に並んで出発を待っていると言った.
FBIはバスを送った.
コレシュは約束を破った.誰一人解放されなかった.コレシュは主張した.
「神が私に待てと言ったんだ」
この段階でHRT本隊が介入するようになった.それまで彼らは,牧場包囲網を完成させていなかった.
この不備は今や解消された.牧場施設は完全包囲された.戦車と装甲人員輸送車が布陣した.
HRT先任指揮官が初期偵察を行い,最適な配置地点を探すため,施設をぐるりと回った.
2ヶ所が選び出された.
一つは,施設の北に位置するシエラ2.
もう一つは,南西のシエラ1アルファ.
こういった状況だと,現場のSASチームならば,考えうるあらゆる突発事態に対処できるように,すぐに幾つもの詳細な計画案,「行動計画」を立てただろう.こうした計画は文書にされ,現場責任者によって承認を受ける.
FBIは,このような突発事態の代替案を用意していないようだった.
その代わりに,HRT指揮官が戦車に乗り,ディヴィディアンの哨所の一つを潰すために送り出された.他にすることも見当たらないようなので.
交渉チームは激怒した.こんなに早い段階で敵対的態度に出れば,カルト団体のメンバーの結束を固め,より不安定にさせるだけだ.彼らはそう感じていた.
両者の間の溝は,一層深くなった.
コレシュは会話をやめた.
翌日,HRTが,子供2人の解放を条件に,6ガロンのミルクの提供を申し出た.
「救世主」は答えた.
「くそ食らえ」
HRTはとにかくミルクだけは送った.
ミルクのパックの一つ一つの内側と,一緒に届けたスタイロフォームのカップの一つ一つには,小さな盗聴器が埋め込まれていた.
これは効果を発揮した.その一つは,コレシュ自身の部屋まで入り込んだ.
これで,内部でどんな話をしているのかが分かるようになった.
時は刻々と過ぎていった.
この種の事件には,「10日間ルール」と呼ばれるものが存在する.もし10日間以内に事件を解決できなければ,事態は一層の深みに嵌り込む.
10日目に,私の提案で,施設への電力供給をFBI支局長はストップした.
その夜,気温は摂氏マイナス6度まで下がった.
誰かが尋ねた.
「子供達は大丈夫か?」
翌日,支局長は電力供給を再開した.
彼らは混乱したメッセージを送りつつあった.
そのあと交渉専門家達は,コレシュにホームムービーを作ってみないかと持ちかけた.
コレシュはこれに応じ,この機会を最大限に利用して,見栄えのする,頭の良さそうな子供達を次々とカメラの前に立たせ,彼らの純粋さを利用する一方,自分については殆ど有益な情報を明かさなかった.
しかし,このビデオから我々が気付いたことが一つある.
子供達が清潔な髪をしている.
カルト教団メンバー達は,水の心配をしていないという事だ.
13日目になってジャネット・リノが司法長官に任命された.
私はふと,コレシュが交渉専門家達を人質にしているようなものだと思った.彼らは,コレシュがあれこれと指図する間,HRTからも切り離され,この場所に永遠に貼り付けられている.そしてHRTと同じように,日増しに焦燥感をつのらせ,戦意を喪失していた.
それから数日間は,HRTと交渉専門家達は交代で,膠着状態打開を試みた.
HRTは心理戦に訴え,不愉快な音楽をとてつもない大音声で流し,相手を攻撃した.
交渉専門家達は,コレシュの腹心,スティーヴ・シュナイダーと自分達のリーダー2人との直接会談を設定した.
事態は何一つ好転しなかった.
コレシュは,もっと不愉快な音楽を,もっと大きな音で流し返してきた.
3月21日になって,予想もしなかった事態が起きた.
7人の大人が自らの意思で「黙示録牧場」を離れた.
交渉専門家達はこれを突破口と捉えた.カルト教団の信者達が取引を望んでいる証拠と考えた.
しかしその同じ日,支局長は,牧場正面に停めてある自動車やオートバイを潰すために戦車を送り込んだ.
残っていたディヴィディアンの信者達は――そして人質交渉チームも――激怒した.
篭城23日目,遂に交渉専門家たちは敗北を認めた.催涙ガス使用を勧告する報告書を彼らは纏めた.
子供の人権を守るため,長年活動してきたリノ長官にとって,この措置はあまりに過激であり,子友達に拭い去れない障害を残す可能性があるように思われた.
5日間に渡り,司法長官説得にFBIは全力を傾けた.
とうとう4月16日,明らかにFBI内部の誰かから,子供達は肉体的及び性的虐待を受けていると長官は説得されて,568ページにも及ぶ突入計画を承認した.
この計画は,基本的には単純だった.
私は,それが実行に移される少し前に要約に目を通した.
作戦結構日の夜明け直前,車体に破城槌をつけた戦闘工兵車両(CEV)3両が,3ヶ所の別々の地点で同時に施設の壁を破壊する.
それから48時間以上に渡り,催涙ガスを流し込み続ける.
そうすれば,ブランチ・ディヴィディアンもおとなしく出てくるだろう.
そのとてつもない長さにも関わらず,突入計画は穴だらけだった.
もしコレシュが信者達を殺し始めたらどうするのか?
その非常事態にどう対処するのか?
もし彼らが出てこなかったらどうする?
彼らは頑固な連中だ.ここで包囲を開始して,既に40日以上経っている.
もしガス・マスクを持っていて,毅然と耐えたらどうする?
火災の問題は?
施設は火口のように乾いた松材と石膏ボード,それにタール紙でできている.
ここに来てからずっと,広い平原を所狭しと吹く強風に私は嫌でも気付かされていた.
火災が発生したら,厄介な問題をFBIは抱えることになる.
計画書には防火対策が載っているのか?
当然のことながら,一般の消防隊は,撃たれる可能性があるところに入っていこうとはしないだろう.
したがって特技部隊としては,自分達で火災に対処する方法を何か考えておく必要がある.
対テロ・チームを引き継いで以来,私はチームのために特殊な呼吸装置を購入し,強襲チーム全員にその使用法を訓練させていた.
実際に踏み込んだ時,仕掛け罠や爆弾を牧場からどのようにして排除するつもりなのか?
どうやって爆発物処理チームを中に入れるつもりなのか?
FBIの名誉のために言っておくが、その頃には指揮系統は極度の混乱状態にあった.
政治家達は武力行使を最小限に留めることを望んでいた.
もっともな話だ.
しかし特殊部隊チームにとっては,こう言わなければならない一点が必ずある.
「これが任務を成功させるために最小限の武力行使です.
もし,このレベルの武力行使を許されないのでしたら,お役に立つことはできません」
4月18日月曜日,午前6時に突入は決行された.
州警察の警官達が,「黙示録牧場」付近の住宅を回り,
「少し騒がしくなるかもしれません」
と警告していた頃,平原には強い風が吹き荒れていた.
HRTの交渉専門家達が拡声器を通じ,コレシュと彼の使徒達に,おとなしく投稿するよう最後の呼掛けを行った.
答がないので,彼らは牧場に電話をかけ,どこに催涙ガスが投じられるかを正確にコレシュに伝えた.子供達を全員,危険な場所から遠ざけさせるためだった.催涙ガスが小さな子供に及ぼす影響は,予測がつかなかった.
コレシュは――もしくは彼の信者の1人が――壁から電話機を引き千切り,正面玄関から外へ投げ出した.
これを見て,HRTは戦闘工兵車両を発進させた.
巨大な鉄の破城槌が木製の壁を,あたかも存在しないかのように易々と突き破った.
ガスが投げ込まれた.
誰一人,走り出て来る者はいなかった.
FBIは,時速30マイルの強風を警告する,その朝のウェイコの地元気象情報を無視していた.
この風は,突入決行前から吹き始めていた.
そして,ガスを建物から真っ直ぐ押し戻した.
ブランチ・ディヴィディアン信者達は,窓から戦闘工兵車両へ銃撃を浴びせ出した.鋼鉄の車体から,火花が盛大に飛び散った.
コレシュは多くの部屋に梱包した乾草を置いていたが,これが燃え出した.
1分もしない内,火は手がつけられないほどの勢いになった.炎は建物を駆け巡り,カルト教団信者達を追い立てた.
1人の男が屋根の上に現れた.その衣服には火がついていた.男は苦痛に身悶えながら地上に落ち,装甲車まで引っ張っていかれた.
オレンジ色の炎がいたるところで天を舐め,巨大な黒煙をたなびかせていた.
建物は爆発で揺すぶられた.
なのに,まだ誰も出てこなかった.
突入チームは,中央塔の下にある地か掩蔽壕にガスを送り込もうとした.誰かがそこに立て篭もることを防ぐのが目的だった.
しかし,これは失敗だった.
そこにいた女性と子供達は全員死亡した.
突入が始まったときに施設内にいた95名の内,9名だけが火災の中で生き残った.子供は全員死亡した.
残骸がすっかり冷えるまで1週間かかった.
後に私は,FBI突入チームの一人に話を聞いた.
地元消防隊は,最終突入まで全く何も知らされていなかった.
出火6分後には,ウェイコの消防隊が現場に駆け付けたが,FBI支局長は彼らを近づけようとはしなかった.撃ち合いになった場合を恐れたからだ.
非難はFBIに集中した.
篭城が51日も続いた後で,なぜ最後に突入を決意したのか?
両サイドで真剣な交渉が行われたことはあるのか?
ないのだとしたら,それはなぜ?
(交渉は確かにあった)
なぜ誰もコレシュの言葉で,つまり黙示録の言葉で彼と話そうとしなかったのか?
特に,彼が暗記していることが明らかな「7つの封印」のくだりになぜ思い及ばなかったのか?
FBIは,信者の1人が意図的に火をつけるところを捜査員が見たといっているが,それは本当なのか?
(この主張は,上空のヘリコプターから撮影された証拠の赤外線ビデオによって,少なくとも私を納得させる程度には証明された)
牧場内で幼児虐待があったとするFBIの主張は,リノ司法長官が突入を認める原動力となったが,その根拠はあったのか?
(なかった可能性がかなり高い)
後から事件を振り返って人を責めることはた易い.
FBIに他にどう言う選択肢があったかを考えるのは,それよりも遥かに難しいことだ.
捜査員4人が,中にいた連中に射殺されている.
彼らは,この事件を無事切り抜けることはできなかった.
詳しくは,Gaz Hunter著 『SAS特殊任務』(並木書房,2000/11/1), p.282-291を参照されたし.
著者は元SAS隊員であり,かつ,当事者であるので,観察能力を含め――実情に疎い目撃者は,しばしばトンチンカンなことを書き易い――,その記述は基本的には信頼できると考えられるが,一方,守秘義務に縛られて,あえて書かずにいることもあるだろうことは,想像に難くない.
できれば,教団内部の目線から書かれた記述と照合したいところだが,残念ながら現在未入手.
私見では,最高指揮のランクをもう一段上げ,統括指揮ができていれば,と惜しまれるケース.
今日ではそれができる体制になっているだろうことを祈りたい.
でなきゃ無駄死に.
【質問】
「神の十戒復活運動」事件とは?
【回答】
2000/3/17,ルワンダにおいて,新築された教会に信者が集まったところで教会が爆発した事件.
530人以上が死亡.
容疑者である教組は逃亡.
教組宅周辺でも,449人の虐殺遺体が発見された.
【質問】
ローマ法王,ヨハネ・パウロ2世は在任中,何度暗殺されかけたか?
【回答】
発覚しただけで3度,暗殺未遂事件が発生している.
81年にはバチカンで,ソ連が差し向けたトルコ人暗殺者が,至近距離から銃弾3発を法王に浴びせている.
95年にはマニラで,イスラーム過激原理主義者のテロリストが,司祭の服を着て爆弾を隠し持ち,法王に近づいた.
97年にはサラエボで,法王の通過予定の橋から,地雷27個が発見された.
◆◆オウム真理教
【質問】
麻原彰晃とは?
【回答】
本名,松本智津夫.
オウム真理教の教祖.
1955/3/2,熊本県金剛村(現・八代市)の畳職人,満美の4男として生まれる.
2006/9/15,死刑確定.
江川紹子によれば,普通の小学校へ進学しようと思えばできる程度の弱視だったが,補助金目当てに県立盲学校に入学.
家庭の生活苦の反動からか,金銭に対する執着が強く,『金持ちにならにゃあ』が盲学校時代の口癖.
国から出る奨学奨励費と身障者年金を使わずに貯め,学校卒業時には貯金は300万円に達していたという.
また,盲学校においては少しでも見えるということは非常な特権であるため,その特権を利用して,同級生にたかったり,同級生や下級生をこき使う性質があったという.
彼と同部屋の者は「地獄だ」と漏らしており,また,松本の暴行を受けて鼓膜を破られた者もいるという.
ちなみに盲学校では柔道部に所属して柔道2段.
さらに,仲間想いの反面,
「寮に火をつけるぞ」
「撃ち殺すぞ」
などの脅迫的言辞を,寮母や教師に対してしばしば吐いたという.
人の上に立ちたいという欲求も幼い頃から強く,小中高と生徒会長に立候補しては落選の繰り返し.
また,田中角栄の伝記も一所懸命読んでいたという.
卒業後,鍼灸師になり,やがて船橋市内で鍼灸院を開業.
1977年頃,石井知子と知り合って翌年結婚.
同じく1977年頃からオカルトに傾倒.
1982/6/22,ニセ薬を売っていた嫌疑で逮捕.
20日間の拘留の後,罪を全面的に認めて罰金20万円を支払う.
この事件が彼に与えた影響は大きかったという.
1984年,渋谷区で株式会社オウムを興し,それと前後して「オウム神仙の会」を発足.
1987年8月,同会はオウム真理教と改称.
単に名称変更にとどまらず,「神仙の会」時代のサークル的な雰囲気はなくなり,信者はお布施を払わせられたり,布教・宣伝活動に従事させられたりするようになっり,出家制度ができたりするようになったという.
1990年総選挙に出馬するも惨敗.
その頃から終末論をぶつようになり,最終解脱者を自称するなど,教団拡大と共に自我がどんどん肥大していった模様.
その一方で,総選挙のあと,1ヶ月あまりも信者の前に出てこなくなるなど,不利な状況に追いこまれると姿を消してしまうこともしばしば.
ナルシストの極致,と江川は評している.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.30-73を参照されたし.
1991年以後の悪行は,ぐぐれば山ほど出てくるので割愛.
【質問】
麻原彰晃の宗教遍歴は?
【回答】
節操なく色々なものに手を出していた模様.
麻原の自称するところによれば,1977年から「修行生活に入った」が,江川紹子によれば,子供の頃からオカルト好きで姓名判断のたぐいに凝っており,その当時の「修行」も占い方面のものだったという.
次いでGLA創始者,高橋信次の「神理」に傾倒.
その後,原始仏教にはまって,阿含宗に入信し,3年間,同教の修行を続け,また,その頃からヨガを学ぶようになったという.
その後,オウム神仙の会を1984年に開き,今にいたる.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.35-39を参照されたし.
【質問】
麻原彰晃が「最終解脱」したと自称する,1986年1月と9月のインド渡航の実情は,どんなものだったのか?
【回答】
江川紹子によれば,ヨガ道場(アシュラム)を何ヶ所か渡り歩いて,本場の先生の教えを受けようとしたようだが,現地の言葉を理解できなかったため,ほとんどコミュニケーションできなかったという.
また,
・夜中の11時にいきなりアシュラムを訪ねるなど,現地にとっては非常識とされる行動をとる
・アシュラムの修行者に向かって『君たちは修行が足りない』と説教する
・偉い先生に向かって『一緒に写真を撮りましょう』と,肩に手を回す
など,顰蹙を買う行動の数々をとったという.
さらに,インドのアシュラムではお布施の額で人を評価しないにもかかわらず,多額の金銭をお布施したという.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.39-40を参照されたし.
総じて現地に対する情報不足ぶりが露呈していると言えよう.
【質問】
すでに子供の出家を巡る,その親と教団とのトラブルがあったにも関わらず,なぜオウム真理教は宗教法人の認証を受けることができた(1989/8/25)のか?
【回答】
江川紹子によれば,圧力をかけたり,裁判を起こして強引に獲得したものだという.
麻原以下,新じゃ多数が都庁に押しかけ,狭い部屋の中で麻原が取り巻きを従え,担当者を大声で脅したという.
また,担当者の家に嫌がらせの電話を信者たちがかけたという.
それでも認証がなされないと,都を相手取って不作為の違法確認の裁判を起こし,さらに当時は,よほどのことがなければ役所としても認証を蹴るわけにはいかなかったので,そのため遂に認証されたのだという.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.43-44を参照されたし.
【質問】
オウム真理教への捜査は,戦前の大本教弾圧などと同じ宗教弾圧か?
【回答】
江川紹子によれば,全くの別物だという.
前者は国家の都合で教団を抑えつけたものだが,後者は教団と一般市民との度重なるトラブルが積み重なった結果に過ぎないという.
にもかかわらず,ひたすら自分たちが被害者であると強調するのが麻原なのだ,と江川は述べる.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.66-67を参照されたし.
【質問】
オウム真理教はなぜ犯罪集団に変質したのか?
【回答】
最初の犯罪は1989年2月の信徒殺害なので,少なくともその頃までには犯罪集団に変質していたと考えられる.
まあ,未熟な人間が教組に祭り上げられると,自我が肥大して暴走するのはよくある話.
オウムの場合,出家制度をとる閉鎖集団だったため,そこに歯止めがかからなかった,と.
もっとも教組の松本は,1976年7月,知人を殴打して傷害罪で罰金刑を受けており,また,1980年,保険料の不正請求が発覚,1981年には薬事法違反(無許可の医薬品製造販売)でも逮捕されていることから,最初から犯罪性を帯びていた可能性もある.
「貧困のせいで親から捨てられたと思い込んだ麻原の子供時代に,問題の原点はある」
とは,松本逮捕前後の頃の有田芳生の言.
【質問】
テロが起きたのは麻原個人に問題があったためなのか?
それともオウム真理教そのものに問題があるのか?
【回答】
後者だと考えられる.
島田裕巳によれば,その教義に幾つも問題を抱えているという.
たとえば「ヴァジュラヤーナの教え」とオウムが呼んでいるものは,殺人を肯定しており,不殺生の教えの破戒を強いる行為も,「マハー・ムドラーの修行」という言い訳により肯定可能だという.
さらに犯罪実行犯達の罪悪感を帳消しにするための「聖無頓着の教え」という屁理屈も用意されている.
詳しくは『オウム』(島田裕巳著,トランスビュー,2001.7),第4〜5章を参照されたし.
同書はオウム真理教批判の書の形をとりながら,各論ではオウムにとって有利な言説
(地下鉄サリン事件井上嘉浩主犯説や度々の検察側主張批判等)
が目立つ.
にもかかわらず,このようにオウムに対して否定的な見解を述べているということは,島田にとっても「否定せざるをえないオウムの問題点」であろうと推測され,したがって信頼性は比較的高いと愚考する.
このように「至れり尽せり」では,麻原がいなくなっても,いつ何時,問題行動が再発するか分かったものではなかろう.
オウムの後身「アーレフ」では,「ヴァジュラヤーナの教え」を放棄したと主張しているが,それを確かめるすべはないし,教義の安易な作られ方から考えて,いつまた似たような屁理屈が作り出されても不思議ではないだろう.
【質問】
マハー・ムドラーとは?
【回答】
島田裕巳が「早川紀代秀の言葉」として紹介するところによれば,
>弟子の一番弱い,嫌なことをグル〔麻原〕が要求するもので,親子あるいは恋人との情を切るような苦しいことをさせ,
>それに耐えられるような修行をすること
だという.
転じて,「不殺生の戒律を破ることになるため,殺人を望まない信者に対し,あえて殺人を強いる」際の言い訳に使われたのだろうと,島田は推測している.
詳しくは『オウム』(島田裕巳著,トランスビュー,2001.7),p.221-224を参照されたし.
同書はオウム真理教批判の書の形をとりながら,各論ではオウムにとって有利な言説
(地下鉄サリン事件井上嘉浩主犯説や度々の検察側主張批判等)
が目立つ.
にもかかわらず,このようにオウムに対して否定的な見解を述べているということは,島田にとっても「否定せざるをえないオウムの問題点」であろうと推測され,したがって信頼性は比較的高いと愚考する.
【質問】
『血のイニシエーション』に関し,オウム真理教が京都大学医学部に研究調査を依頼して,麻原の血液のDNAにクンダリーニ(人間の体内に眠っている一種のエネルギーとされるもの)が上昇する作用があることを確かめた,というのは本当なのか?
【回答】
坂本堤弁護士の調査によると,京大医学部長名で,そのような事実はないと否定されたという.
オウムの行った「研究調査」の実態は,京大の大学院生がオウム本部の施設内で行った"実験"に過ぎず,しかもそれは,単に麻原の血液を飲んだ人の体験談を集めただけに過ぎなかった模様.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.13-17を参照されたし.
同書によれば1989/10/31,坂本弁護士はオウムの青山弁護士との交渉の席において,子供の出家に伴う親とのトラブルのほかに,この「研究」の虚偽性も追及したらしい.
そしてその席で,坂本は教団に対し,告訴する旨を告げた.
1989/11/3深夜から4日未明にかけ,坂本弁護士一家はオウム真理教によって拉致され,その後,殺害された.
(なお,事件発生の要因としては,他に「TBSビデオ問題」も指摘されているので,念のため)
【質問】
「シャンバラ化計画」とは?
【回答】
江川紹子によれば,オウム真理教による,妄想じみた「世界オウム化計画」.
教祖・麻原の「予言」によれば,
1993年に再軍備が始まり,
1995年か96年には日本が沈没し,
1999年にハルマゲドン(人類最終戦争)が起こり,
2003年に核兵器で「決定的な破局が起こる」
とされていたという.
そして,そんな人類の救世主となるのが麻原であり,その未来を回避するため,日本各地に拠点やオウム村を建設しながら,日本全土をオウム化し,「ひいては世界をシャンバラ化しよう」とするものだったという.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.44-47を参照されたし.
これに比べれば,日本インド化計画のほうが,まだしも現実味がある.
【質問】
オウム村進出が,行く先々で住民の反対運動に遭ったのは何故か?
【回答】
江川紹子によれば,必ずしも最初から住民は反対を叫んでいたわけではないが,オウムは地元と融和しようとしないばかりか,通学や畑仕事のために前の道路を通る住民にカメラを向け,通過する車のナンバーを控え,汚水を垂れ流して周辺の牧草を枯らし,畑の中に大型トラックを止めたり,深夜まで大音響で工事をしたり,交通事故を何度も起こすなど,トラブル・メーカーだったためだという.
また,住民の抗議に対しては,「責任者は不在」の一点張りであるばかりか,ひたすら
「バカヤロー」「コノヤロー」「テメー」「カエレ」
の4語のみを住民に浴びせ掛けたという.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.212-213を参照されたし.
【質問】
オウム真理教のカネ集めのシステムは,どんなものだったのか?
【回答】
江川紹子の記述を読むと,細切れにされたさまざまな局面で,その都度カネを払わされるようなシステムだった模様.
入会後にやらされる各種の修行コースが,どこぞの予備校も真っ青の細かい料金設定ぶり.しかも単位制になっている(笑)
ちなみに麻原が妻,松本知子と知り合ったのが代ゼミ.
その上,ことあるごとにお布施が必要になったり,各種グッズを買わねばならなかったりする.
第1段階の「最高ステージ」まで行くのに105万円以上かかるとか.
カネがかからない方法というのもあるにはあって,それは「新たな信者の勧誘」.
これはポイント制になっているが,Aが勧誘した信者Bが,新たな信者Cを勧誘すると,Aにもポイントが入る仕組みになっていたという.
ほとんどネズミ講.
4万9千点獲得した人は,集中修行するだけで「必ず解脱する」とされていたとか.
そして最後は,出家の際に全財産をお布施として教団に吸い上げられるという.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.78-98を参照されたし.
【質問】
伝統仏教にも出家制度があるにもかかわらず,オウム真理教のそれが特に問題視されたのはなぜか?
【回答】
江川紹子によれば,家族が在家信徒として入信している場合以外は,出家した者と家族が連絡がとれないどころか,安否の確認すらできない場合があるからだという.
また,未成年者が親に無断で出家することも認めていたという.
さらに,1990年の総選挙期間中に,選挙の手伝いをさせられていた出家者の脱走が相次ぎ,在家信者も減って教団経営が苦しくなると,石垣島などでセミナーを開き,SP(催眠)商法もどきのやり方でセミナー出席者を出家させたという.
さらにまた,出家時には出家者の全財産を,お布施という形で教団に差し出させるという.
出家信者の財産相続分が少ないと言って,オウム真理教の弁護士が乗り出し,増額を要求したというケースまであるという.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.87-98を参照されたし.
【質問】
オウム真理教内部での信者の生活はどのようなものなのか?
【回答】
江川紹子によれば「悲惨」.
――――――
食事は1日1食か2食.
幹部以外は肉や魚は食べられず,おかずは根菜類を皮ごと,味付けもせずに煮ただけ.
睡眠時間は3〜5時間に削り,「ワーク」と称する奉仕活動にこき使われる.
――――――江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.23
また,飲み水も水道水ではなく,ドラム缶に入れた水に電流を通したもの(「甘露水」とオウムでは呼んでいた)だが,腐っていたりボウフラが沸いていたりしても,捨てることは許されず,それを飲まねばならなかったという.
麻原とその家族のみ,行き付けのラーメン屋にいったり,お好み焼きを食べるなど自由だったという.
オウムの建物の中は不潔で埃もひどく,鼻炎症の人が多数いたという.
不潔でゴミを片付けないという点では,雑居ビルの他のテナントや,近隣住民ともしばしばトラブルになっている.
風呂にも入れず,洗顔も歯磨きも不可.
病気になっても治療を受けられないという.
1990年8月に裁判所に出された人身保護請求によって,オウム真理教から取り戻された子供のうち,ひどい貧血と低血圧で治療が必要な幼児もいたという.
ちなみに,子供はろくな教育を受けることもできない.
さらに,懲罰独房や,5日間も麻原の説法ビデオを最大ボリュームで流し続けるという「ポアの間」なる独房もあったという.
さらにまた,出家した途端に幹部の態度がガラッと変わるという.
麻原の言うことには絶対服従であり,麻原を頂点とする体育会系じみた序列のはっきりした階級社会であるという.
詳しくは同書,p.23 & 98-110を参照されたし.
【質問】
教団内部での生活は劣悪だったにもかかわらず,脱走者が目立つほどは出なかったのは何故か?
【回答】
江川紹子によれば,第1に,見張りが24時間つき,施設の周囲は3mはある塀がめぐらされていたためだという.
オウムでは脱走者を見つけて説得することは大きな功徳だと教えており,人に見つかると無理矢理連れ戻されるという.
また,オウムでは脱走すると地獄に落ちるとして,信者を洗脳して地獄の恐ろしさを頭に叩きこんでいるという.
さらに,仮に脱走したとしても親元にも帰れないし居場所がない,と思っていることも脱走を躊躇わせる原因だという.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.112-121を参照されたし.
【質問】
1990年2月の総選挙において,「真理党」はクリーンな選挙運動を展開したのか?
【回答】
江川紹子によれば,クリーンとは程遠かった模様.
出家者は軒並み住民票を移転させられ,移転を拒んだ信者は破門されたという.
また,選挙前から訪問販売や消費税反対の署名集めを理由に戸別訪問し,選挙活動中も戸別訪問は続いたという.
これについて選挙管理委員会に注意されたときは,
「選挙運動ではなく布教活動だ.信教の自由を妨害するのか」
と反論するよう,指導されていたという.
午前8時から夜8時までと決められている街頭演説の規定も無視,1日16時間は行われたという.
さらに,麻原と同じ選挙区の,他の候補者のポスターは,剥がされたり塗料で汚されたりする妨害を繰り返し,石原伸晃誹謗のビラもまいたという.
さらにまた,派手な宣伝をしていたにも関わらず,政治資金規制法に基づく自治省への報告では,平成元年の真理党の経費は38万6140円(光熱水費5万0371円,事務所費33万5769円)のみで,政治活動費も備品・消耗品経費もゼロとされていたという.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.207-209を参照されたし.
これだけやって,この選挙での得票数は1783票だったとか(爆笑
消印所沢
さすがに国政レベルの政党の経費までは扱ったことがないのですが…
中身を見ないと断言はできませぬが,あやしいと申し上げてよいかと思います.
少なくとも市長選挙や市議選挙に出る候補者だって,これ以上にいろいろ使いますから.
(特定政党関係者だと人件費ががくっと減ったりすることはあるですが)
ちなみに昨年の県議選の選挙運動に関する支出額上限は,県選管が公示しとります.
http://www.pref.nagasaki.jp/kenkoho/read/190330_s02.pdf
>公職選挙法(昭和25年法律第100号)第194条第1項の
>規定による選挙運動に関する支出金額の制限額
(中略)
>長崎市選挙区 6,100,500円
>佐世保市選挙区 6,074,400円
(以下略)
〔オウムの連中は〕県議レベル以下の選挙してたんですかね?(藁
ちなみにこれ,選挙区内の有権者数から算出しております.
数式は…忘れてしまいました(マテ)
>「選挙運動ではなく布教活動だ.信教の自由を妨害するのか」
…公職選挙法第138条…(ぼそ
――――――
(戸別訪問)第138条
何人も,選挙に関し,投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて戸別訪問をすることができない.
2 いかなる方法をもつてするを問わず,選挙運動のため,戸別に,演説会の開催若しくは演説を行うことについて告知をする行為又は特定の候補者の氏名若しくは政党その他の政治団体の名称を言いあるく行為は,前項に規定する禁止行為に該当するものとみなす.
――――――
候補者の名前を出して投票すすめてたら,名目をなんと言い逃れても違反だったような….
あっとさせぼ by massage
【質問】
オウムがロシアからAK-47を持ち帰り,それなりの旋盤施設もそろえたのに結局作れなかったのは,どういう原因が考えられますか?
【回答】
銃を作るのに使う鉄の材質がわからなかったから.
銃に使うには特殊な鋼が必要だが(特に銃身とスプリング),それがどんな組成なのかが解析できなかった.
だったらとりあえず適当な鉄鋼材で試作してみればよかったのだが,「コピー」に拘ったために「とりあえず硬そうな鉄で適当に作ってみる」という事をせず,結局「作れない」ということに.
あと,もう一つは弾が作れなかった.
銃弾を,特に薬莢を作る技術がなかったので,そこでも挫折.
それにそもそも,流石にAKとはいえ,作った事ない人間が設計図だけでポンとは作れない.
一番の難点はトライ&エラーを繰り返して精度やノウハウを詰めていったり,材質的に専門家のアドバイスを受けたりしようにも,法の目をかいくぐって行わなきゃならんからそれらが出来なかった.
パキスタン当たりの密造人は,しょっちゅう顧客にエラーを経験させとるからのう.
軍事板
【質問】
オウム真理教はなぜ松本サリン事件を起こしたのか?
【回答】
・教団名を隠して取得した土地を巡る地主との裁判が敗訴になりそうだったこと
・地元住民の進出反対運動に晒されていたこと
の2点から,裁判官と付近住民の殺害を狙ったと見られている.
結果,住民7人死亡,144人負傷の被害が出た.
このとき,長野県警が誤認逮捕をせず,正しく捜査をし,真犯人を逮捕していれば,地下鉄サリン事件は起こらなかっただろう.
【質問】
オウム真理教はなぜ地下鉄サリン事件を起こしたのか?
【回答】
公証人役場事務長逮捕・監禁致死事件の捜査がオウムへ向かっており,それが連日報道されて,危機感を抱いた教団代表・松本智津夫が,捜査を撹乱するためにやらせたと,高い確率で推測されている.
死者12人,負傷者は少なくとも約5300人.
+
【質問】
地下鉄サリン事件とは?
【回答】
カルト教団,オウム真理教による化学兵器テロ.
死者12人,負傷者5千人以上.
サリンの質に問題があったのと,撒布方法が拙劣であったため,犠牲者数はこの程度に留まったとの見方が有力.
しかしながら,オウム真理教に対する破壊活動防止法適用は見送られ,教団は「アレフ」と名前を変え,現在も生き延びている.
1994年の松本サリン事件と,翌年の地下鉄サリン事件は,それまでの化学兵器の歴史を大きく変える出来事だった.
この2つの事件は,一定の知識と資金さえあれば,国家でなくても化学兵器を作ることができるのだということを世間に示した.
詳しくは 「疫病最終戦争」(ビジネス社,2001/12/20),p.21およびp.72-73を参照されたし.
警察の捜索を受けるサティアン
【質問】
国松孝次警察庁長官狙撃事件は,オウム真理教の仕業なのか?
【回答】
その可能性が高いと見られている.
2004/7/7,殺人未遂容疑で元オウム幹部ら3人が逮捕されたが,しかし,処分保留で釈放されている.
また,ソースとして全面的に信頼するには,著者についての情報も,情報提供者についての情報も不足しているが,一橋文哉著「オウム帝国の正体」(新潮文庫,2004/11/1)によれば,
・元ソ連軍将校
や
・北韓軍偵察局の特殊部隊将校
説が挙げられている.
【質問】
国松警察庁長官を撃った「ナイクラッド」ってどんなもの?
【回答】
これはメーカー名ではなく,弾丸の種類.
通常の弾頭にナイロンコーティングをした奴で,紙の的に奇麗に穴をあけるために作られた,競技用の弾の一種.
ワッドカッターの類と思ってくれていい(形状は全然違うけど,目的は同じ).
弾頭に穴があいている奴もあるけれど,ホローポイントのように広がって威力を上げる訳じゃない.
んで,これで人とか動物を撃つと,抵抗が少ないから肉をすりぬけてしまってダメージが少なくなる.
かといって防弾チョッキを抜ける訳じゃない.
もちろん,急所に当てれば殺せるけどね.
国松長官を撃った弾は,暗殺用に使う弾としては最悪に近い代物だったのだよ.
【質問】
オウム真理教の「ハルマゲドン計画」とは,どのようなものだったのか?
【回答】
ソースとして全面的に信頼するには著者についての情報も,情報提供者についての情報も不足しているが,一橋文哉著「オウム帝国の正体」(新潮文庫,2004/11/1)によれば,
「教組の予言を的中させるため,首都圏で数百万人規模の死傷者を出させるテロを実行」し,「廃墟と化した首都に,オウムの理想共同体である独立国家を建設しよう」とするもの.
「第1段階はサリンを使った無差別テロ.
第2段階は銃器や爆発物を使用した要人テロ.
第3段階は細菌兵器を上水道に混入する無差別テロ.
第4段階はサリンなどの薬剤の空中撒布による無差別テロ.
そして,第5段階〔最終段階〕は核兵器による首都殲滅」
「麻原教祖ら教団幹部は最終段階直前に,新潟など日本海沿岸から潜水艦でロシアに脱出する」
「ロシア国内にいるため,うかつに逮捕もしくは攻撃できない」
「そのうち,以前から協力関係にあった勢力がクーデターを起こし,ロシア政府を転覆させる」
(p.34-35)
といった荒唐無稽な内容.
荒唐無稽だが,そのためにヘリを買ったり潜水艦を買おうとしたりAK突撃銃の密造を試みたりしていたのだから,笑い話では済まない.
また,
「この計画を前提にして,オウムの関連施設の位置をチェックすると,皇居や永田町,霞ヶ関などを風上から囲むように点在していることが分かる.これこそ,オウムの首都殲滅計画への布陣と見て間違いあるまい」
そう話すのは別の公安幹部.(p.37)
といった話もある.
【質問】
オウム真理教の台湾でのクーデター計画とは?
【回答】
ソースとして全面的に信頼するには著者についての情報も,情報提供者についての情報も不足しているが,一橋文哉著「オウム帝国の正体」(新潮文庫,2004/11/1)によれば,台湾国内の独立運動を激化させて社会不安を煽り,97年までにクーデターやテロを起こして台湾を混乱させ,次に米軍の侵攻を誘導して米中戦争を勃発させ,第3次大戦を引き起こす計画だった(p.66-67)という.
何その火葬戦記.
【質問】
「オウムプロテクト」とは?
【回答】
ソースとして全面的に信頼するには,著者についての情報も,情報提供者についての情報も不足しているが,一橋文哉著「オウム帝国の正体」(新潮文庫,2004/11/1)によれば,オウムが93年11月,モスクワに設立した警備会社.
教団幹部,早川紀代秀の関与の下,露日大学基金事務局長アレクサンドル・ムラビヨフが,旧KGBの元大佐と元中佐に働きかけ,元大佐が旧KGB第9局(要人警備担当)職員2人を誘って設立.
ロシア軍に強いコネクションがあるという.
その黒幕はエリツィン大統領側近のコルジャコフであり,彼こそ旧KGBを率いるボスであり,大統領さえ自由に動かせる実力者なのだという.
オウムのロシア・コネクションについては,同書p.75-97およびp.131-162を参照されたし.
もっとも,
オウム真理教は,禅やヨガなどオリエンタリズムへの憧れもあって,瞬く間に信者を増やしましたが,地下鉄サリン事件後,ロシアでも当局の摘発を受け,組織はほぼ壊滅状態になりました.
1997年には,新興宗教を規制する法も成立しました.
小林和男著「ロシアのしくみ」(中経出版,2001/7/9),p.162
という情報もあることはあるのだが…….
【質問】
オウム真理教の情報収集能力は,どの程度だったか?
【回答】
ソースとして全面的に信頼するには著者についての情報も,情報提供者についての情報も不足しているが,一橋文哉著「オウム帝国の正体」(新潮文庫,2004/11/1)によれば,ソフト業界の杜撰な下請け,孫請けシステムを悪用し,警視庁や防衛庁の機密を盗んでいたという.
以下引用.
特に防衛庁の被害は深刻で,各駐屯地の装備状況をはじめ,幹部の住所などトップシークレットが筒抜けになっていた恐れがあった.
これは,オウムのテロ行動だけでなく,彼らが入手した情報を他国に売却する危険性があるため,大幅な再構築,それも単なるシステムの変更に留まらず,幹部が転居するなど大規模な転換を迫られるものであった.
このサイバー・テロ計画は,警視庁が野田〔成人,オウム幹部〕の車から押収したフロッピーから判明したが,ここで決して笑えない笑い話≠紹介しよう.
そのフロッピーに入っていた受注先リストの中にはなんと,警視庁も含まれていたのだ.
警視庁が発注していたのは,パトカーなど保有車両のナンバーや車種,所属部署などを一括管理するシステム開発で,警察車両115台分のナンバーや車種,極秘扱の配置場所まで教団に流出したと見られている.
〔略〕
警視庁はかなり早い段階から,教団によるサイバーテロの危険性を認識していたが,当初のオウムは自前のサーバーを持たず,ソフトの開発力もないと見られ,捜査が不十分であった.
しかも98年2月には,オウムがソフト開発に乗り出していることに気付いていながら,運転免許証偽造など自分の管轄内の問題点をチェックしただけで公表せず,このような大規模侵略をみすみす許す結果になった.
p.69-70
また,「タテ割り行政」かよ…….
【質問】
ことのは事件とは?
【回答】
2005年秋の民主党ブロガー懇談会にも参加していた著名ブロガー松永英明(河上イチロー)が2006/3/7,週刊誌『FLASH』によって,オウム真理教の元信者であることを暴露されたことに端を発する事件.
「ことのは」の由来は,松永のブログ「絵文録ことのは」から.
彼は「ことのは」の他に,「河上イチロー」名義のサイトで,Nシステム設置場所についての詳細情報を公開したり,破防法反対キャンペーンを行うなどしていたが,西村雅史によって河上イチローが現役信者であることを暴露されたため,2000年にサイトを突如中止している.
佐々木俊尚によれば,同懇談会の関係者のブログが炎上したり,会社を解雇される事態になったという.
また佐々木が松永にインタビューしたところでは,松永は,一連のオウム事件についてはピンとくるものがなく,また,破防法反対キャンペーンを行ったりしたのは,
>「(教団に)破防法が適用されたら大変なことになるという焦りがあった」(下掲書,p.259)
ためだとしている.
詳しくは佐々木俊尚著『フラット革命』(講談社,2007/8/6),p.213-273を参照されたし.
なお,
[quote]
松永はペンネームで,本名は福井利器です.
変名でmixi内で活動してる模様です.
[/quote]
―――三河版住人 in FAQ BBS
という情報も寄せられているが,確認のしようもない.
【質問】
オウム真理教はサリン・プラントをどうやって設計,製造したのか?
【回答】
ソースとして全面的に信頼するには,著者についての情報も,情報提供者についての情報も不足しているが,一橋文哉著「オウム帝国の正体」(新潮文庫,2004/11/1)によれば,その点は未解明であるものの,北韓(北朝鮮)でロシア人や北韓人の化学兵器技術者らが,サリン・プラントを建設し,その技術を教団幹部,早川紀代秀が日本に持ち帰った可能性があるという.
詳しくは同書,第3章を参照されたし.
【質問】
オウム真理教は核兵器をどのようにして入手しようとしていたのか?
【回答】
ソースとして全面的に信頼するには,著者についての情報も,情報提供者についての情報も不足しているが,一橋文哉著「オウム帝国の正体」(新潮文庫,2004/11/1)によれば,ロシアまたはその周辺諸国で購入しようとしていたという.
以下引用.
米上院調査小委員会顧問のエーデルマンは96年3月の上院公聴会で,オウムが地下鉄サリン事件を起こす以前に,旧ソ連内で核兵器を購入しようとしていたことを明らかにした.
それによると,教団幹部が核兵器購入を巡り,ロシア高官と協議したという.
〔略〕
『早川ノート』の94年のメモに
『核兵器はいくらか?』
とあるし,93年には
『オーストラリア ウは確認されない 燃炭ウラン鉱が見つかったら,その下に硬いウランが出る 塩湖もウランを含んでいるところがいっぱいある 南オーストラリアのほうが良いウランが? 東濃 人形峠 海外のウラン鉱に比べて40パーセント 含有率は? 何分の一?』
とある.
これは,オウムがロシアで核物質を入手しようとして失敗.ウランそのものの採掘を計画し,オーストラリアの牧場や岐阜県の山林を購入しようとしたとも考えられる.
あるいは,オウムは当初,ウクライナで核兵器を入手し,保有しようとしたが,強制捜査で追い詰められて断念.核兵器開発に躍起になっていた北朝鮮などの国に売却しようとしたのかもしれない.
p.141-142
まあ,アルカーイダさえ入手困難なものを,オウムが手に入れることができたとは非常に考えにくいけどね.
【質問】
オウム真理教の持っていたサリンや武器は,全て発見されているのか?
【回答】
ソースとして全面的に信頼するには著者についての情報も,情報提供者についての情報も不足しているが,一橋文哉著「オウム帝国の正体」(新潮文庫,2004/11/1)によれば,教団幹部,早川紀代秀が購入した大量の武器は全く行方が分からないまま.また,サリン隠匿疑惑も燻り続けているという.
詳しくは同書p.73-74を参照されたし.
【質問】
上祐史浩はサリン事件などに関わっていないのか?
【回答】
ソースとして全面的に信頼するには著者についての情報も,情報提供者についての情報も不足しているが,一橋文哉著「オウム帝国の正体」(新潮文庫,2004/11/1)によれば,クロの可能性十分だという.
以下引用.
まず,地下鉄サリン事件についてだが,教団「科学技術省」次官だった信者が公判で,
「私は上祐幹部に誘われて,サリン生成プラントの建設に携わった.
その時,上祐幹部は尊師に
『7トンのプラントを作るんじゃないですか』
と質問し,
『いきなり70トンのサリンプラントで行こう』
との回答を得ていた」
と証言している.
〔略〕
次に,東京・亀戸の教団施設で炭疽菌を開発,撒布しようとした事件について,麻原の冒頭陳述の中ではっきりと,
『麻原の指示を受けた上祐が,亀戸の教団施設で炭疽菌の培養から噴霧装置の開発までを指揮していた』
と指摘されている.
だが,この事件は証拠不十分で立件されず,上祐は重罪を免れている.
(p.52-53)
したがって,いくら当人が
「昔のオウムとは決別した」
などと言っても信頼に値しませんね.
▼ ちなみに江川紹子は,伝聞として以下のようなエピソードを記している.
――――――
「帰り際,上祐という人が出口のところで
『信仰の自由があるんですから』
と坂本さんにいっていた.
捨てぜりふのような感じだった.
坂本さんは
『人を不幸にするような自由は許されない』
といい返していました.
〔略〕」(横浜法律事務所所員)
――――――江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.18
これが本当だとすれば,いわゆる「権利ばっかり主張する現代っ子」ということでFA?▲
【質問】
林郁夫とは?
【回答】
地下鉄サリン事件において,千代田線でサリンを散布した実行犯.
1995/4/8,石川県で逮捕.
1998年,東京地裁で無期懲役判決.林は控訴せず,現在,府中刑務所にて服役中.
元オウム真理教幹部で,「治療省」大臣.
江川紹子によれば,循環器外科の権威,井上正慶應大学教授の弟子で,国立療養所晴嵐荘の元循環器外科部長.
ベテランで腕もいいと評判,患者からも慕われていた医師だったという.
オウム真理教にのめり込むようになってからは,患者に本を贈ったり,チラシを撒いたりするようになって,院長からたびたび注意を受けたという.
43歳のときに,妻と子供2人と共に出家.
オウムには他にも医師は何人かいたが,林以外はほとんどが医師としては駆け出し同然だったという.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.166-167を参照されたし.
【質問】
オウム真理教による小林よしのり暗殺計画があったというのは,本当の話なのか?
【回答】
あったことはあったが,そんなに具体性を持った「計画」ではなかったと推察される.
まず,実在を疑問視する声を以下に紹介する.
松沢〔呉一〕 〔略〕
単にあとをつけられてたらしいって話でしょ,アレ(笑).
もしかしたらもしかして,ことによると万が一つけられていたかもしれないなって程度で大ハシャギだもんね.
宅〔八郎〕 どの程度,オウムによる暗殺計画が具体的にあったかはわからない.
師〔一彦=元『SPA!』編集長〕 編集部サイドも,その話だけは具体的に聞いてないですしね.
松沢 その後,その話は全く出ていないところをみても,大した話じゃなかったんだろう.
第一ほんとにオウムがつけてたかどうかもあやしい話で,ファンが熱い視線を送っていただけかもしれない.
『教科書が教えない小林よしのり』(ロフトブックス編・出版,1997.11),p.145
上記内の,「編集部サイドも,その話だけは具体的に聞いてない」に要注目.
また,上杉聰著『脱ゴーマニズム宣言』では,以下のような疑問点が指摘されている.
よしりんの漫画には,VXガスを注射器に入れて,よしりんを待ち構えるオウム信者がたびたび登場する.
ところが初期は,その先に注射針をつけているが,後期になるとゴムホースのような管をつけている.
さらにホースの先が曲がっているものもある.
ところで,警察発表によると,よしりん暗殺指令は「オウム自治省大臣」の新実智光が山形明という元自衛官に命じたとなっているが,よしりんは〔漫画からの引用コマ省略〕と,麻原彰光が命じたように証漫〔表現〕されている.
さらに,当時の報道によれば,暗殺計画が作られたのは小林の他,江川紹子,池田大作,大川隆法などとなっている.
どうも,気に入らない人物をかたっぱしからオウムはリストアップしていたようだ.
結論として,少なくとも
「あいつは気に入らないから殺っちゃおう」
程度の話はあったと思われる.
しかし,どこまで具体的な話だったかと言えば,漠然としたものしかまだなかったのではないかという印象を持つ.
ただし,一連のオウム事件はまだ未解明の部分が多く,今後,新情報出現次第で,この結論は変わる可能性もある.
なお,余談ながら小林はその後,9・11テロ以降,テロを擁護する側に回る.
その論理で言うなら,小林は小林暗殺テロも肯定しなければ,論理の一貫性が保てないことになるのだが…….
それとも,「反米テロは綺麗なテロ」とでも言うつもりかな?(笑)
【質問】
中沢新一はオウム真理教を擁護していたのか?
【回答】
していた.
江川紹子によれば,中沢は自らオウムの「弁護人」と称し,
「そりゃ,オウム真理教は反社会的かもしれないけど,あらゆる宗教で反社会的でない宗教なんてありえないんだよね.
人間の欲やシットが作る社会なるものに絶対的な価値をおかないところから宗教が始まるわけでしょ.
それをやめて社会と添い寝するようになったら,もう宗教なんて言えないよ」(『クレア』
1989年12月号)
「現代社会は,あらゆる手段を使って,人間に人間の世界の外部にあることを見せないでいようとしているでしょう.
これはもう,何かの陰謀です.
宗教がそのニヒリズムを突き破って,生命と意識の根源にたどりつこうとするならば,どうしてもそれは反社会性や,狂気としての性格を帯びるようになるのではないでしょうか.
ですから,その点については,オウム真理教の主張していることは,基本的に,まちがっていないと思います」(『SPA!』
1989/12/6号)
これに対して江川は,オウム真理教の実態は,反社会性どころか現世への未練たっぷりであり,社会と融和するでもなく,社会に背を向けるでもない,中途半端な状態なのだと反論している.
社会的なものである法律にすぐ頼って,訴訟を乱発したり,「社会なるもの」の典型である選挙に傾注したりは,その実例であるという.
詳しくは江川紹子著『救世主の野望』 (教育史料出版会,1991.3.15),p.200-20を参照されたし.
江川の批判を待つまでもなく,中沢がオウムの実態を知らないまま無責任に擁護を繰り返したことは否定できないだろう.
オウムの狂気や反社会性は,宗教とは無縁のところ,世俗にでワガママを通すためのそれだからである.
島田裕巳は『中沢新一批判,あるいは宗教的テロリズムについて』(亜紀書房,2007年)の中で,中沢が2007年現在,こうしたオウム擁護について沈黙していることを批判しているという.
【関連リンク】
「中沢・島田批判 オウムに関する発言をめぐって」(アーカイブ)
【質問】
オウム真理教メンバーで,現在も指名手配中の高橋克也らはどこにいるのか?
▼ 【回答】
海外に逃亡していると見られる.
高橋克也については,カンボジアにいるとする,カンボジア在住の某氏の証言がある.
以下,その証言概要.
▼
――――――
彼らは1995年ころからプノンペンにやってきた.
彼らの水先案内人は 香港で オウムの下請けで任天堂のコピーをしていた男.
当初NGOとして,自らをコンサルタントと名乗っていた.
プノンペンのアメリカ大使館のそばにあった,マンゴーの大きな木もあった借家に,550ドル払って住んでいた.
以前は北朝鮮系のNGOが,住んでいた借家.
指の指紋は,全部剥いで,名古屋の大金持ちのお坊ちゃんだと言うふれこみだった.
やっていたのは,偽札両替とネットでの薬物販売屋.
家の中は,プノンペン覚せい剤キャンディーやら注射針でいっぱいだった.
キャンデーはネットで堂々と販売.
高橋が売りさばいていたというキャンディ
(某氏より提供された画像)
ベトナム提携メーカーにおける委託生産で,カンボジアで梱包.
シール=カンボジア製.
プラスティックケース=ベトナム製.
ルセイケーオの工場で生産.
運びの時 薬物が切れて発作を起こすのを予防できるというすぐれものです.
監獄に持ち込み発見されたんですよ.
日本から援助された麻薬検査機で調べて「アウト」.
彼らの家にたくさんいつもあって不思議でしたよ.
あるとき,電気代の高いプノンペンで盗電をして,罰金170万ドル約2億円.
十年間,電気と水道を,十件の家に勝手に配布していた.
留守宅の時も窓をあけっぱなしにしてエアコンかけていた.
家が兵隊のトラックに包囲.
こちらの電気査察は,ロケット・ランチャーを持ってくる恐ろしいものだ.
その時は彼の後ろ盾,チャクラポン党の内務省の役人が登場.
3日程で,綺麗に支払った.
手下の北朝鮮人4人組は,全員刑務所へ入ったが,それを彼はかえって喜んだ.
それからの高橋は別人やりたい放題.
白い服を着てプノンペンの深夜に徘徊していた.ファントム.
真夜中十一時半になると マティニ マンハッタン
カーサにお仲間と出現
朝四時半に眠る
寝るときはケタミンカクテル 起きるときは シャブあぶる
医師をよんでヘロイン注射.
ヒットラーのようですね.
人民党の首相代理で内相のソーケイには,二十億円支払って,その金で,一日だけソキメックス社のオーナーになった.
「プノンペン養豚システム」に嵌ったんですよ.
悪党買っては 肥え太らして食っちゃう.
ソーケイは,首相の座を狙っていた.
これはフンセンにとっては脅威.
それにカネを出す存在も脅威に映った.
それでブチュ!
ソキメックスも高橋も簡単に潰された.
カンボジアの逮捕に理由は要らない.
逮捕されたのは,2005年の一月26日.
昼の10時,ワットランカーの裏の豪邸アジト.
十時にプレイソーに収監.
そのあとソーケイ副首相が介入して,4時まで手こずらせた.
パイリン刑務所まで移送.ついたのは真夜中.
日本の公安当局も,パイリンを訪れたが,なぜか「別人」扱い.
2007年からマラリアで死にかけていたが,2008年6月頃死亡.
――――――
▲
以上,あくまで未確認情報.念のため.
高橋克也 | プノンペンの男の「白い服」 |
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◆◆「ネーション・オブ・イスラム」
【質問】
「ネーション・オブ・イスラム」とは?
【回答】
急進的なブラック・モスレム教団.
マルコム・Xによって有名になったが,彼は後,教団によって暗殺されたと見られている.
また,現在の指導者ファラカンは反ユダヤ主義者だと考えられている.
以下は,国際ジャーナリスト・芝生瑞和(しぼう・みつかず)による解説である.
アメリカで最も知られているイスラム教徒は,「ネーション・オブ・イスラム」と呼ばれるブラック・モスレムの教団だ.〔略〕
この教団が有名になったのは,マルコム・Xという戦闘的な黒人活動家のためである.
〔略〕
マルコム・Xは1965年,ニューヨークのハーレムで講演をしている最中に射殺された.
教団の創始者であるエライジャ・モハメッドとの確執があり,しばらく前に追われるようにして教団を去っており,暗殺の背後には教団がいたとも言われている.
キング牧師は,公民権運動の中で非暴力の抵抗を貫き通して,黒人差別をなくすことを主張したが,マルコム・Xは,自衛のための暴力は必要だと唱え,より急進的だった.
後に「ルーツ」を書くことになるアレックス・ヘイリーとの共著でもある「マルコム・X自伝」は,キング師の非暴力主義ではもう満足できない黒人の若者達の想像力を捉え,広く読まれた.
それがブラック・パワーの原動力になり,武装闘争を標榜するブラック・パンサーの出現を促すことにもなる.
マルコム・Xは,第三世界の民衆とアメリカ黒人の連帯を説き,白人リベラルやラジカルとの共闘を拒否した黒人ナショナリストだった.
「ネーション・オブ・イスラム」と決別したマルコム・Xは,新たなイスラム教徒のグループを作り,自らもメッカに巡礼して,マリック・エル・シャバッスという新たなイスラム名を得た.
現在,ネーション・オブ・イスラムは,白人の間で悪名高いルイス・ファラカンによって率いられている.
マルコム・Xの暗殺を,エライジャ・モハメッドの意向を受けて指揮したのはファラカンだと言われている.
そのネーション・オブ・イスラムは,1995/10/16に,ワシントンDCで「百万人の行進」を組織して注目された.
ファラカンが呼びかけ人になり,主催者によれば150万人から200万人(当局によれば40万人)の黒人がワシントンDCに集結した.
黒人の「自助努力」を訴えたこの行進には,ブラック・モスレムだけでなく,黒人の一般大衆が多く参加した.
もっとも,その32年前にキング牧師が有名な「私には夢がある」の演説をした「ワシントン行進」には,白人も,男も女も参加した.
しかし「百万人の行進」に集結したのは黒人の男性だけだった.
また,「ワシントン行進」の後,ケネディ大統領はキング牧師らをホワイトハウスに招き入れたが,「百万人の行進」の日,クリントン大統領はホワイトハウスを留守にし,声明で黒人の「自助努力」については賞賛したが,主催者(ファラカン)の「憎悪」については暗に批判した.
ファラカンは黒人の中にある白人への憎悪を掻き立てているとも,また,反ユダヤ主義者だとも見られているのだ.
( from 「だれでもわかるイスラーム」,河出書房新社,2001/12/31, P.148-149)
【質問】
「ネーション・オブ・イスラム」の教義の特異な点は?
【回答】
黒人優位主義という,他のイスラームとは異なる要素が見られる.
以下,ソース.
それによるなら,世界が楽園だったときの最初の人間は黒人であり,白人はそれが退化した劣等な末裔だ.
そして白人は,6000年の間,世界を支配した後に破滅するが,その6000年末が近づいているので,黒人は白人から遠ざかり,アラーの使者である〔エライジャ・〕モハメッドに従うことによってのみ破滅を免れるというものだ.
(芝生瑞和(しぼう・みつかず)=国際ジャーナリスト
from 「だれでもわかるイスラーム」,
河出書房新社,2001/12/31, P.149)
【質問】
エライジャ・モハメッドとは?
【回答】
芝生瑞和(しぼう・みつかず)=国際ジャーナリストによれば,次のように解説されている.
教団の創始者エライジャ・モハメッドは,1897年にジョージア州の貧しい黒人小作人の父と,白人の家でメイドをしていた母の間に生まれた.
白人によるリンチ事件で知り合いの黒人が犠牲になるのを目撃し,貧困の中で酒に溺れる生活をしていたエライジャは,1931年にデトロイトでウォーレス・D・ファードという人物に出会い,イスラームに目を開かされたという.
モハメッドというイスラーム名を彼に与えたのはファードだった.
エライジャは,「白人の戦争」である第2次世界大戦に反対し,1942年に徴兵拒否を理由に投獄された.
戦後釈放されるが,獄中での布教活動が「ネーション・オブ・イスラム」の基礎を作ったと言われている.
( from 「だれでもわかるイスラーム」,河出書房新社,2001/12/31, P.149)
【質問】
「ネーション・オブ・イスラム」はアメリカのムスリムの主流なのか?
【回答】
全くの少数派.
アメリカのムスリムの主流は,正統スンニー派.
なお,アメリカには2004年現在,約350万人のアラブ系アメリカ人がいるが,その中でムスリムは少数派.
以下,ソース.
現在,アメリカ合衆国人口の内,約200万人がイスラム教徒だと推定されている.
その内,「ネーション・オブ・イスラム」の信徒は,わずか推定2万5千人に過ぎない.
〔略〕正統なスンニー派のイスラム教徒が黒人の間で急増しているのだ.
その指導者はW.D.モハメッドで,約160万人の信徒がいると見られている.
そこには因縁のようなものさえ感じられる.W.D.モハメッドは,かつてブラック・モスレムの創始者であるエライジャ・モハメッドにイスラムの教えを説き,イスラム名を与えたウォーレス・D・ファードの息子である.
〔略〕
さて,アメリカのイスラム人口は,現在700万人前後と推定されている.
このうち黒人の約200万人を除いた約500万人は,アラブ系アメリカ人やパキスタン・バングラディシュなどインド半島,トルコ・イラン・さらにはインドネシア・マレーシアなどを起源とするアメリカ市民だ.
1970年には,アメリカのイスラム人口は,わずか50万人だった.
それが今700万人ということは,14倍になったということである.
まずアメリカ黒人のイスラム人口急増が,その理由に挙げられる.
もう一つは,1960年代半ばにアメリカ政府が移民政策を変えて,国別のクォータによる受け入れ枠がなくなったためだ.そして上のような地域からの移民が増大した.
〔略〕
アメリカには現在約350万人のアラブ系アメリカ人がいる.
その77%がキリスト教徒で,イスラム教徒はわずか33%で少数派だ.人口で言えば120万人ほど.
19世紀末に,シャーム(現在のレバノン・シリア・ヨルダンの一部・パレスチナ)から,多くのアラブ人の移民が到来した.その多くはキリスト教徒だった.
2000年の大統領選挙で健闘した消費活動家ラルフ・ネーダー,元ニューハンプシャー州知事で,父親のほうのブッシュ大統領の主席補佐官を勤めたジョン・スヌヌは,このときのレバノン移民の子孫だ.
(芝生瑞和(しぼう・みつかず)=国際ジャーナリスト
from 「だれでもわかるイスラーム」,
河出書房新社,2001/12/31, P.149-152)
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