スタジオジブリ最新作「崖の上のポニョ」完成報告会
2008年7月7日
ポニョに会えるのを楽しみにしていてください!
<鈴木敏夫プロデューサー
>
宮崎駿監督の4年ぶり長編最新アニメーション「崖の上のポニョ」の完成披露報告会が7月7日、東京・六本木のグランドハイアット東京で行われ、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが会見し、同作について詳細を語りました。
また会見では、映画完成に至るまでの宮崎駿監督の心の機微や、子供達に対するメッセージ、世界へ向けての発信の動向が明かされました。
【 記者会見 】
鈴木敏夫プロデューサー
今日は完成披露試写会ということで、当初は声優をやっていただいた方をはじめ、宮崎駿もこの壇上に並んでご挨拶させていただくことになっておりました。それが、諸般の事情がありまして、映画の公開の初日に皆さんで会見をすることとなりました。
そこで私1人ですけれども、何らかの形で皆さんにご報告させていただこうということで、こういうことになりました。言い訳ばかりしまして申し訳ないんですが、そういう事情です。改めまして、公開日は7月19日、今度の土曜日です。その時には、山口智子さんをはじめ主要な声をやっていただいた方々、そして宮崎駿も来ます。皆さんには改めてご案内申し上げますので、もうしばらくお待ちください。
映画は、無事に6月23日に完成致しました。当初、6月23日、午前10時をもって、0号試写を行う予定だったんですが、なにしろ宮崎が住んでいるのは所沢ですから、そこから0号試写を行う五反田へ行くには、朝8時前には家を出なければならないということで、そうしますと生活のリズムが狂うものですから、「なんとかそれをお昼過ぎにしてくれないか」ということで(笑)、午後1時から始めました。
おかげさまで、いつもはそういうことはないんですが、ないというのは、メインスタッフと本当に一部の関係者、その数人で見るのがたいがいなんですが、必ず音や色の問題が出てくるんですね。でも今回はそういう問題が一切出なくて、こちらが肩透かしを食うぐらい良いものが出来まして、映画が完成致しました。そういう訳で、それから1日おいた25日に初号試写を行いまして、スタッフも全員見て無事滞りなく済みまして、そしてたしか27日から関係者の試写が始まって、おかげさまで色々な方からの評判は今のところ良いです。
23日、25日は宮崎も喜んでいました。ところが1つ、ささやかな事件が起きました。初号試写の時なんですが、宮さん(宮崎駿)の隣に、宗介の声をやった土井(洋輝)くん……小学3年生なんですが、よく頑張ってやってくれました……その土井くんが座って、僕の隣にはポニョの声をやってくれた(奈良)柚莉愛ちゃん……彼女も小学3年生ですね……が座ってくれて、それで映画を観ることになったんですけれども、映画を観ている間中、柚莉愛ちゃんが動きまくったんですね。落ち着かないんですよ。途中なんか、合間、合間にあくびなんかしまして、すごく心配になったんです。「どうしたんだろう? この子は」と。なんだか落ち着かないんです。
それで、映画が終わった直後、宮さんが沈んでるんですよ。「どうしたの? 宮さん」と声をかけましたら、「いや、土井くんがね、映画を観ている間中、落ち着きがなかった。動いてばかりだった」と。それで宮さんに何が起こったかというと、落ち込んだんですね。それで、「これ、大丈夫かな?」と言うもんですから、「何がですか?」と訊ねたら、「子供が喜んでないんじゃないか」と。
「いやでもね、2人は自分で声をやっている訳だから、だからそういうことが起こるんですよ」なんて言ったんですけれども。そして先週、ジブリで家族試写会をやったんですね。すると当然、色々な子供たちが来る訳でして、その中には宮さんの甥や姪たちもいたんです。いつもだと、すぐ宮さんのところにやってきて、映画がどうだった、あぁだったと、素直に話してくれるので、宮さんもすごく楽しみにしていたんですが、気持ちを取り直して「どうだった?」と聞いたら、これが反応がない。まったく反応がなかったんです。
それで宮さんは更に気持ちの落ち込みが激しくなってしまって、あらんことを申しています。「俺は子供たちのためにこの映画を作ろうとしたんだ。それが空振りだったのかなぁ……」なんて、かなり落ち込んでおります。映画の監督なんてものは……僕も実は、ナウシカ(「風の谷のナウシカ」)から数えると25年が経っておりまして、色々な機会があった訳ですが、映画を作ってから映画の公開を迎えるまで心配でしょうがないんですね。「お客さんたちはどんな反応をしてくれるだろう?」と。
大人たちにはむしろすごく評判が良いんですね。色々なことを言ってくれております。「自分をフジモトに重ねたら他人事ではなかった」と、最初から最後まで泣いてくれた○○テレビの××さんとか(笑)、そうかと思うと、女性で「私はずっとあのフジモトという人が大好きだった」という人もいるし、そうかと思うと、「僕はあのリサってのが色っぽくて良かった」なんて、「何を見てるんだろう? この人は(笑)」という人もいらっしゃいますし。そうかと思うと、某代理店の方は映画を見終わった直後に「鈴木さん、子供作りたくなった」と。「結婚はしたけれど、子供は作らない」なんてことを自分で決めてた人なんですよ。それが、女房にも相談せずに「子供を作りたくなりました」と。
「あの映画にそんなエッチなシーンがあったかな?」なんて思ったんですけど(笑)、そんな風に色々な反応がありまして。ただ宮さんのところにはなかなか届かないので、僕が色々伝えているんですけれども、唯一、子供の反応、これが分からないんですよ。私事で恐縮なんですけれども、私の娘がもう30いくつなんですが、九段会館という結構広いところで友達と一緒に観たんですね。それで、色々な感想を聞いたんですけれども、「子供たちはどうだった?」と聞いたら、「人間になる。あそこのシーンで、子供たちがすごい反応してたよ。『おぉーっ!』って」と。宮さんに会ったら、その話はしないといけないんですけど、まぁ、その話をしたとしても、宮崎の落ち込みが直るかと言ったら、たぶん直らないんじゃないかなと思います。
映画の公開前日までは、まぁ監督というのはそういうものなんですね。いつも期待よりも不安が先に立つ。だから落ち着かないみたいなんですね。皆さんにもご迷惑をおかけしていると思いますが、当人も67歳になりまして、取材その他で色々やっていこうという時に、前みたいに積極的に受けるのはしんどくなっている部分がございまして。そういうことで言うと申し訳ないんですが、作り終わってからちょっと暇を持て余していたんですね。
これ、暇を持て余すと人間ってロクなことがないんですよね。色々なことを考えてしまうんですよ。何しろ、映画が公開して、「なかなか評判が良い」とか、「お客さんがいっぱい来てるよ」とか、そういうことでもあればいいんですけれど、今はただ待っているだけでしょう? このただ待っているだけというのは、精神衛生上、非常に良くない。そういう中で、僕は宮さんに「どうしようかな?」と思っていたんですけれども、いつものことだからいいやと思いつつ、当初、色々な取材やキャンペーン……実は全国20箇所ぐらい決めて、そこを回ろうと思っていたんですけれども、宮さんは「俺の体は無理だ」と。
無理ついでにお話もしてしまうと、そういうことを本人は過剰に考えているので、この映画の製作中、マッサージを週に3日やり続けたんですよ(笑)。
つまり、週に3回受けながらこの作品を作ってきたという、それだけ過酷な状況の中でやってきたんですね。全然関係のない話ばかりして申し訳ないですが(笑)、そういうことで映画を完成させてからは暇を持て余している訳です。そういう中で、僕はちょっと考えを改めました。というのは、取材とか、キャンペーンに彼にも参加してもらおうかなと。その方が、若干気が紛れるのかなと、そんなことを考えている次第です。
それでなんですが、取材、キャンペーンに関しては、実は宮さんの奥さんがものすごく心配しています。というのは、2つ理由がありまして、1つは先ほどからお話してます……こうなるとヨボヨボの老人の介護の話みたいなんですが(笑)。いや、見た目はすごく元気なんですけれども、肉体的なものを奥さんはすごく心配しているんですよね。それともう1つは、顔が売れると若干家族にとっては辛いことがあるんですよ。ちょうどハウル(「ハウルの動く城」)の時でした。映画が完成して、久しぶりに息子さん、その他と、所沢にある焼肉屋さんに入ったんですね。そうしたら、お客さんの誰かが「あ、宮崎駿だ」と、気づいたんですね。
そして「サインが欲しい」とか、そういうことが起こってしまった。それで、何が起こったかというと、その店にいられなくなってしまったんですよ。家に帰ってご飯を食べたんですね。それで、奥さんが「あなたはこれからどうやって生きていくの」と。僕も、そういうことを聞くと、ちょっと考えなくてはいけない。特に今回は正式に、映画の取材等が始まる前に、奥さんから「申し訳ないけど、今回はそういうことはやめてほしい」と言われまして、僕もそれを受け入れようと……そう思っていたんですけれど、暇を持て余して不安をいっぱい抱える宮さんを見ていて、若干の取材と、全国20カ所とはいきませんけれど、福岡、大阪、名古屋、そして札幌、この4カ所に行ってもらおうと思いました。
それで、こないだの土曜日に奥さんと話しました。奥さんが、映画を観にジブリの方にお見えになったんですよ。「キャンペーンに行くと伺いました。鈴木さんのことだから、何か考えがあってのことなんでしょう? ただ、自分としては心配だ」と仰るので、「実は宮さんがこういう状態なので、奥さん、理解してほしい」と。
要するに、「取材やキャンペーンによって、映画の反応を掴むことができるんですね。そうすると、それが不安材料を取り払うことに役立つと、僕はそう思った訳です」と、ご説明した訳です。それで、奥さんも「鈴木さんのことだから、何か考えがあってのことだと思っていた。そういうことなら分かりました。私もその覚悟でやりますから、よろしくお願いします」と。そういう状況になっております。
話を戻しますと、とにかく子供たちに楽しんでもらいたい。先ほどの娘の話じゃないですけど、「もののけ姫」の時の宣伝プロデューサーがいたんですけれども、彼の娘さん……小学校6年生らしいんですけれども、一緒にこの映画を観たらしいんですね。それで、彼は前に1度観ていたので、気になるのは娘のことばかり。同時に6年生というと、いわゆる反抗期です。なかなか口もきいてくれない。
ところが、いつも仏頂面している娘が、この映画を観た時にはニコニコ笑ってくれたと。今日、彼に会ったら、ニコニコ笑って嬉しそうな顔をしているので、何があったのかと思ったら、たったそれだけのことだったんですけれども、そういうことも含めて、これから宮さんと色々な話をしていこうと思っています。
ということで、今日のご報告としましては、まず第一に宮崎駿が、公開初日の舞台挨拶、そして記者会見に……これは当初やる予定ではありませんでしたけれども、改めて声優さんとご一緒にやりたいなと思っております。皆さんも顔を合わせますので、取材をお願いしたいなと。それから、ちょうど明日から、福岡、大阪、名古屋、そして札幌と、全国キャンペーンをやります。4日間、彼の肉体からすると大変だと思いますけれども、僕としてはそれをやってもらおうと思っていますので、さてどうなるかというところでございます。
完成報告会といいましても、みんながどういう思いでこの映画を作ったのかということと、宮さんが今、何を考えているのか、彼が一体何をするのか、そんなところだと思います。余計な話ばかりしましたけれども、これを持って報告とさせていただきます。当然、宮さんのこと、その他、僕の答えられることは何でも答えます。たぶん、こういうことがあると思うんですよ。宮さんが直接言われると答えられない。でも、僕はほとんど知ってますから(笑)。彼の答えられないことも答えられると思いますから、もしご質問があれば承りたいと思います。
【 マスコミによる質疑応答 】
<ポニョは世界を広げていきます>
(C)2008二馬力・GNDHDDT
Q:
今作は、全作以上に子供を意識した作りになっていますが、それは製作当初からあったものなのでしょうか?
鈴木プロデューサー:
常々、宮崎駿はこんな言い方をするんですよ。「子供に絶望は語るなよ。希望を語れ」と。そういう意味では、ハウルという映画は、本人の言葉を借りると「こんなに一生懸命考えた作品は珍しい」というぐらい、一生懸命やった作品なんですけれど、子供に自分が伝えたいことからすると、大人に寄り過ぎたという大きな反省があるんですよ。
それを実は知っていたものですから、ハウルが完成して、映画の公開はたしか2004年11月20日だったと思うんですけれども、その公開の前に、「次は子供ものをやりましょう」と、僕の方から言いました。宮崎駿という人間とは、気づいたら30年近く付き合ってきまして、そういうことで言うと、ハウルという作品は、彼自身が本当に思っていること、それが色濃く残っていた作品なので面白く観たんですけれども、ただ、自分の考えを強く語り過ぎているので、作品としてのバランスを欠いたのかなと。その面白さもあったんですけれども、次にやるとしたらその真逆……子供に対してキチっとしたものを見せる、そういう順番かなと思った次第です。
Q:
以前の報告会の時に、「宮崎さんの最高傑作になる」と仰っていましたが、完成してみていかがでしょうか?
鈴木プロデューサー:
……(しばし考える鈴木プロデューサー)。言葉としては簡単ですよね。0号試写という話を先ほどさせていただきました。メインスタッフが10人ぐらい、久石さんも宮さんもそこにいたんですけれども、終わった直後にはたいがい「問題点はどこか?」ということを話し合うんですよ。でも今回は、色の問題も何もないと。それ以上話すことはなかったんですけれども、僕はそこで「これは傑作である」と、一応プロデューサーとして話をさせてもらいました。ナウシカから数えると10本近くになるんですかね、彼の作品と関わってきましたけれども、終わった直後にそんな言葉を使ったのは初めてでした。ちなみに、宮崎駿は、本当に嬉しそうな顔をしてくれました。
Q:
今まで宮崎監督の作品には空や飛ぶシーンが描かれてきましたが、今回のポニョにはどんな思いが込められているのでしょうか?
鈴木プロデューサー:
宮さんて、好きなものが空と海なんですよ。海を扱うのは彼の作品の中で今回が初めてではないんですね。それである時、「海を舞台に作品を作ってみたい」と言いまして。
ちょうどその頃に「海をやりたいなぁ」と言い出したのを覚えています。それで必然的に、空といえば飛びますよね。じゃ、海で何をするかというと、飛ばない訳にいかないですね。彼の中でなぜ海だったのかというと、これには1つ理由があって、アニメーションというのは始まった当初から、アニメーションで1番難しいと言われているのは、火と水なんですよ。これをどうやって書くか。ハウルに出てきたカルシファー。あれは、彼の中では火なんですよ。
そうすると、火をどうやって書くかということに挑戦した彼にとっては大きな作品だった訳なんですよね。あのカルシファーを、実は色々なアニメーターにも書いてもらったんですが、ほとんどうまくいきませんでした。それで、全編を通して、あのカルシファーというキャラクターを宮崎駿1人で描いたんです。それで、次は水だと思ったというのがどこかにあったんですね。それで、ハウルの公開日には、いわゆる初日舞台挨拶というのはやっておりません。何をしていたかというと、美術館も含めたスタジオジブリ250名で、瀬戸内海のとある街を訪ねました。そこで見た風景が、今回の映画と大きな関係がございます。
Q:
これまでのジブリ作品には、印象的なコピーがつけられてきていますが、「もののけ姫」の時の「生きろ。」とはまた違った、生きることをテーマにした「生まれてきてよかった。」というコピーの意味するところを教えてください。
鈴木プロデューサー:
そのままなんですけれどもね(笑)。映画というのは、ある時代までは楽しい、面白い、それだけだったと思うんですよ。でも、ある作品を境に、世界は変わったと僕は思っているんです。それは何かというと、「スター・ウォーズ」です。作品の根底に、哲学や宗教的なものを敷いて、その上に娯楽を作る。これが「スター・ウォーズ」が世界に与えた1番大きな影響だと僕は思っているんですよ。その流れを、僕らも無視しては通れない。すると当然、映画の中に自分たちの考えている哲学なんかをベースにせざるを得ない。
その時、宮崎駿は今回どんなものを作るかと考えたかというと、特に今回は、津波のあと、一夜明けて宗介とポニョが船に乗ってこぎだしますよね。そして最初に会うのが、ある青年と夫人、そして赤ちゃん。そのシーンが、全体の中で妙に長い。それをあるスタッフが指摘してくれまして、僕なりにあのシーンを何度も何度も見直したら、あることに気がついたんです。あの赤ちゃんの不機嫌な顔。それでポニョが顔をすりつけて、機嫌を直してあげるんですけれども、そこで何を言いたいのか。それが、コピーを考える上で非常に役に立ちました。
それと、久石譲さんが、当然音楽を作らなければならないですから、あのシーンの意味を宮崎駿に質問するというシーンがありまして、宮さんが色々説明したんですけれど、久石さんがいまいちピンと来なかったんですね。それで僕が助け舟を出しました。それも一言で。「久石さん、この赤ん坊は生まれてこなければ良かったと思ってる」、その一言を言った時、宮さんが僕の方を向いて「それ」って言ったんですね。それを逆転させたんですね。「生まれてきてよかった。」。
年配の方なら分かると思うんですが、ジョージ秋山という人が、昔「アシュラ」という漫画を書いたんですね。平安末期に産み落とされた主人公には口癖があったんです。「生まれてこなければ良かった」。この一言が、もしかしたら今の時代に重なるかもしれない。だとしたら、その逆を言ってあげることが、この宣伝の1番大きな意味かなと。ちなみに、僕の立場では宣伝という立場があるものですから、皆さんご承知かと思いますが、第1弾、第2弾とも、ポスターにコピーを入れなかったんですね。
本当は、このままで突っ走っていったらどうかなと、宣伝のプロデューサーをやっている伊勢に言ったら、「コピーがないと画をちゃんと見てくれる」と言うので、賛成してくれているのかなと思ったら、返す刀で「でも、新聞広告にはコピー要りますよね?」と、言うんですね。それで怪訝な顔をしたら、「公開してからはコピーあった方がいいですよね」と、細かいことを言うもんですから、「欲しいのかな。やっぱりなきゃいけないのかな」と思いまして。そうしたらある時、宮崎駿が「鈴木さん、これ宣伝コピーはどうなってるの?」と。彼が宣伝に興味を持ってくれることはあんまりないものですから、そういう時に答えをすぐ要求するので、その時に話したんですね。
「『生まれてきてよかった。』、こんな感じで考えているんですけどね」と。そうしたら、「えっ。鈴木さん、そんな立派な映画じゃないよ」だなんて、1人で照れちゃいまして(笑)、「『出会えて良かった』ぐらいにしておいたら?」なんて言うもんですから、「それじゃこの映画の趣旨とは違うから、これでいきます」と、その時まだスタッフには言ってなかったんですけど、後でみんなに承認を得ることができました。
Q:
先程の質問とも関連してくるのですが、今回海を舞台に、CGを使わず水の表現にチャレンジされたということですが、水没する街や、子供たちには魚に見えた津波など、こういった設定はすんなりと決まったことなのですか?
鈴木プロデューサー:
宮崎の場合はなんですが、いわゆるイメージ構図というのを描くんです。「映画にこういうシーンがあったらいいな」といったような。で、それを描いていくうちに「この絵だ」というのが出てくるんです。たとえば「となりのトトロ」だったら、雨の降るバス停でバスを待っていたらトトロが来て、その隣にサツキがいる。この1枚を描いたときに宮崎が「これで映画になる」と言うんです。「ハウルの動く城」のときは、山を登りながらちょっと振り返ったソフィーの絵なんです。そういう1枚が出来ると、何かが見えるんですね。
それで言うと今回は水魚に乗ったポニョなんですね。最初描いたとき、ポニョの顔が小さくて水魚が大きいんです。その絵が出来たとき、宮崎が「見て、見て。鈴木さん、これだよ」と言うんです。僕は宮崎と30年付き合っているんですけど、そう言われても彼の言葉って難しくてね(笑)。必ず擬態語が入るんです。「ああ」とか、「こうだ」とか。多分、巨人の長嶋監督が選手に野球を教えるときに、「腰をこうだっ!」とかそういう表現をすると思うんですけれど、それにちょっと似ているんです。だから僕も、にわかにわからなかったんです。でっかい魚の背にポニョが乗っているだけの絵ですから。「……なんなのかな」と思っていたんですけれど(笑)。
後にそれが分かるんですが、やはり、「その絵」でしたね。要するに後で分かったのは、子供の眼には水魚に見えて、大人の眼にもそう見える、とういうことを表現したんです。どういうことかというと、「海も生き物である」、これをやってみたかったんです。「生きとし生けるものは人間だけではなく、小さな昆虫、石、海、波にまで命は宿る」、そんな思いを宮崎はやってみたかったんですね。
CGのことで言いますと、まず宮さんはテレビが好きなんです。夜、家へ帰って何時間もテレビを観るらしいんですけれど、昨今、彼の家にもCS放送というのが潜り込んでおりまして。それで、「ディズニーチャンネル」というのがありまして、そこで古いアニメーションをよくやっているんですね。それを彼はよく観ているんです。特に1930年、1940年代のアニメーションには彼自身が大きな影響を受けていますので、多分そういった作品にもいつか出会えるかもしれない、と。それで僕も彼の家でそのチャンネルを観てみると、一つ面白いことが分かったんです。それは「必要以上に動かす」ということなんです。
今のアニメーションというのは、「ストーリー上、これだけの動きがあればいい」という考え方で、それがアニメーションの作り方なんです。ところが当時のアニメーションは、ストーリーを無視して主人公やその他が余分に動くんですよ。そうすると、余分に動くその粘りが、あるフェロモンというか、アドレナリンが出てくるんです。そしてそこに面白さがあったんですよね。
<主人公の宗介>
(C)2008二馬力・GNDHDDT
今回の「崖の上のポニョ」では宮崎はそれをやりたかったんです。これは非常に技術的なことなんですが、要するに「思っている以上に動かしたら面白いんじゃないか」と考えたんです。なので今回いつもと違うのは、顔のアップがあって何か喋るという普通のシーンで、「口パク」という顔の中で口だけが動く表現ではなく、鼻や眼も微妙に動くという表現をしまして、それがある効果をもたらしていると思うんです。その作業が時間がかかる原因にもなっているんですけれどね。それをやるとなるとやはり、手描きになるんですね。
Q:
この作品が「母と子供の物語である」という風に伺いました。今回、宗介とポニョの母親である、リサとグランマンマーレというキャラクターなのですが、実際にイメージされたものがあって出来たキャラクターなのでしょうか?また、その役を演じられた山口智子さんと天海祐希さんにアフレコをお願いする際に、監督から演技の指導はされたのでしょうか。
鈴木プロデューサー:
宗介の母親であるリサは、息子に自分のことを「リサ」と呼ばせています。これは面白いですよね。自分の母親をなんと呼ぶか、これは日本でも色んな歴史があると思うんです。ある時代は「母ちゃん」「お母ちゃん」、その後は「お母さん」。ある時代は「ママ」という言い方ですよね。今後一体どういう呼び方が定番になっていくのか、なんだか混迷の時代だな、という気がしているんです。でももしかしたら、この映画を観たあと日本のそこかしこで、自分の母親に対して呼び捨てにする、なんてことがもしかしたら流行るかもしれないんですよ。
おそらくリサという女性は、たとえ相手が5歳であっても一個の自覚と認める。親や兄弟であってもそういう関係であるだろうと思うんです。多分それをやりたかったんだと思うんですよね。そのためには、リサがきっぱりしていなければいけない。性格がさっぱりした女性ですね。
声なんですが、宮崎駿は昨今の女優さんに対する知識がまったくございませんで、全然知らないんです。若い人に話してもピンと来ないかもしれないのですが、「ハウル」でも、ソフィーというおばあちゃんを「誰にやってもらおうか」となったとき、宮崎が一番最初に言ったのが東山千栄子さんという女優さんなんです。若い人は知らないかもしれませんがとても有名な女優さんで、実はもう亡くなっているんです。で、次に言ったのが飯田蝶子さんという女優さんで、この方も亡くなっておりまして。大体彼の知っている役者さんというのは、殆どお亡くなりになっているんですね。
そんな中で、今回僕は山口智子さんを強く推薦しました。僕は彼女が向田邦子さん原作のドラマに出ていたのがとても大好きで。山口さんならある時代のお母さんを演じることが出来ると思ったのです。そのことを宮さんに話しましたら、「じゃあいいよ。彼女にしよう」ということになりまして。それでやった結果、とても良かったんです。
そしてグランマンマーレについては、まずは宮崎の中で「命の元というのはどういう人だろう」という思うがあったんです。命の元、やはり母親ですね。直接的なヒントになったのは、宮崎がイギリスへ行ったときなんですが、テート・ブリテンという美術館に絵を観に行ったんです。端的に言いますと、夏目漱石の「草枕」にて1枚の絵を観て、あるカルチャーショックを受けるんです。夏目漱石がそうしたから、宮さんも行ってみたわけなんですね(笑)。なぜかというと、夏目漱石と宮さんは1月5日生まれで、誕生日が同じなんですよね。で、ミレイが描いた、小川に横たわっている女性の絵を観て、それに痛く感銘を受けまして。その感動を映画の中で出していきたいとなったんです。
他にも色々な理由はあるんですけれども、グランマンマーレというキャラクターはそこからヒントを得て作られました。それで声を誰にもらうかとなって、色々話はあったんですが、天海裕希さんに決定しました。強く押したのはまた僕なんです。なぜかというと、ある映画の授賞式がありまして、これがまた段取りの悪い授賞式で、いつまでたっても出番が来ないんです。それで本当はいけないんですが、つい禁煙の場所でタバコに火をつけてしまいまして、タバコを吸い始めたんです。そうしたら一人の女性が立ち上がって、僕の目の前に灰皿を持ってきてくれたんです。これが天海裕希さんだったんですね(会場笑)。忘れないんですよね、なぜかこういうことは(笑)。
それで、このエピソードをある人に話したら、実に天海さんらしいエピソードだと言うんです。なにしろ宝塚出身の方なので、命の元となる、きっぱりとした母の役を演じてもらうという演技も宮崎はもちろん要求したわけで、これは見事に演じてもらいました。
Q:
ちなみに、所ジョージさんと長嶋一茂さんに関しましては、監督はなんと仰っていたんですか?
鈴木プロデューサー:
最初、水魚が出てくるんですが「この声を誰にやってもらおうか」という話になっていたときに、僕が「所ジョージさん、どうかな」と言ったんです。それを宮さんに話したら、「フジモトでもいいよ」って言ったんです。長嶋一茂さんは、彼の今のマネージャーが元々ジブリで働いていた方で、その人から連絡が来たんですよ。長嶋一茂さんが「崖の上のポニョ」で演じられる役はないか、と。それを聞いた瞬間、ピンときました。いわゆる宗介のお父さんの耕一。現代のお父さんをやってもらう場合、役者さんがやると、お父さんらしくやろうとして、返ってリアリティが亡くなるんですよね。
ところが長嶋一茂さんて、なんというかいいとこのお坊ちゃまという感じで、ある種の現代のお父さんが持っている雰囲気をやってくれるんじゃないかと思いました。それで宮さんのところへ行って、「宮さん、耕一なんだけど、長嶋一茂さん……」て言ったら、すごく喜んだんですよ。「それいい!」て言って。
ちなみに長嶋一茂さんのことは知っていましたね(笑)。すごく喜んで、ぴったりだって言ってました。ところが実際、アフレコの時にあれほど自然にやってほしいと言っていたのに、宮さんがそれを忘れて「侍のようにやって欲しい、『7人の侍』の侍だ!」なんて言ってしまって、それを長嶋さんが応えていくんです。それで気がついたときには武将のようになっていました(会場笑)。僕は余計なこと言いませんでしたけど、非常に熱演してくれまして。宮さんはすごく喜んでいました。
Q:
本日は生憎のお天気ですが七夕ということで、鈴木プロデューサーはどんなお願い事をされるのか教えてください。
鈴木プロデューサー:
……意表を突かれましたね(笑)。伝統的に七夕の日というのは雨ですよね。お願い事は、普通ですと「映画が大ヒットして、僕の役割が終わるといいな」ということなんですけれど、本当は「幸せな毎日を送りたい」ですかね(笑)。ちゃんと真面目に応えますと、世の中が雰囲気が悪くてどんよりしているじゃないですか。だから願い事を書くのなら、「この夏、ポニョでお祭りをやりたい」、これですね。
<ポニョのいもうと達にも注目です>
(C)2008二馬力・GNDHDDT
Q:
ポニョと宗介の恋について、鈴木プロデューサーの考えをお聞かせください。
鈴木プロデューサー:
宮崎駿が描く男女関係というのは、一般的にみるとすごく羨ましいラブだと思うんです。出会った瞬間、お互い100%好き同士。そして疑いがないんですよね。「未来少年コナン」という作品の中で、主人公のコナンとラナという女の子が、出会った瞬間からもう、好き同士。いわゆる普通の、現実世界で起きる駆け引き、打算その他がないんです。……羨ましいじゃないですか。だから宮さんの描く恋というのはいつも100%好き同士がこの時に何をやるか。いつもそれを描いているような気がするんですよね。
それと同じくというか、母と子って、普通駆け引きはないですよね。そして、打算もない。ちなみに僕は宮崎駿の側にいて、「あぁ、そんなことを考えるんだ」と1回思ったことがあります。それは去年の秋くらいに、宮崎と2人で話しているときのことなんですがね。「鈴木さん、俺、今度の正月で67歳なんだ。そうすると、いつお迎えが来てもおかしくないんだよ。」って言うんです。
宮さんの母親は71歳で亡くなっているので、そんなことを言うんですよね。それで、「死んだらお袋と再会するかもしれない。その時、俺は何を喋ったらいいんだろう」と言ったんです。母と子って、無償の愛で繋がれているじゃないですか。その時に僕は大したことが言えなかったんですが、「当然このことは、映画に出てくるだろうな」と思ったんです。それで彼の作る絵コンテをじっと見ていたんです。「ポニョ」の中で、トキさんが宗介に「飛んで来な」と言いますね。トキさんは、宮さんの母親がモデルなんです。その胸に飛び込んでいく宗介が、「宮崎駿かな」と思いました。
Q:
最後に、全米公開に関してや、国際映画祭などに出品されるご予定などありましたら、お聞かせください。
鈴木プロデューサー:
海外に関しては、今回は北米に力を入れてみたいなと思っております。なんでかと言いますと、今回この「崖の上のポニョ」は、アメリカの方に観ていただいて意見を伺う機会が多かったんですよ。それで面白いことが分かってきたんですが、アメリカ人の方の眼から観ると、とんでもない映画らしいんですよ。先程も申しましたが、自分の母親に向かって名前を呼び捨てにする、これアメリカでは有り得ないことなんです。もし子供が親に対してそんなことをやったら、親は本気になって怒ります。
それから映画の中のシーンで、宗介とポニョを置いてリサは再びひまわりの家へ戻ります。アメリカでは親は子供、特に小さい子に対して責任を持たなければいけません。そうすると「崖の上のポニョ」がアメリカでどういった評価を受けるのか、僕はすごく大きな関心があるんです。あるアメリカの方と話していて、僕はとても勉強になったんですが、たとえば「E.T.」という作品。この作品は皆さんも覚えていると思うんですが、子供を残して親が外へ出て行ってしまう、そういうシーンがございます。
これを一般の関係者に観せるために、スピルバーグ監督初め、他の方がいかに努力したか……そしてラストシーン、子供たちだけでワッと行きますね。これも実は大変なことだったんですよ。それでアメリカでは共和党問題にまで発展したそうです。「子供に対して親はこうあらなければならない」、それを頑強に守っているのが共和党です。一方、子供に自由を与えようではないか、というのが民主党です。そんな中で、この「崖の上のポニョ」という映画がそれをも超えたところで親子関係が描かれる。
僕としてはこの映画がもし全米で公開されて、ヒットするようなことがあったら非常に面白いと、そんなことを考えました。そういったことを考えた上で、現在スピルバーグ監督のプロデューサーであるキャスリーン・ケネディという人とフランク・マーシャルに仕事をお願いしました。……実を言うとキャシーさんとは10年来の友人でした。いわゆる仕事では1回もお付き合いしたことはありません。彼女が日本に来ると一緒にご飯を食べて、僕がアメリカに行くとご飯を食べる、そんな関係が10年続いて、今回初めて仕事を依頼しました。
彼女ならこの映画をアメリカでちゃんと公開してくれるんじゃないかと思ったんです。そして彼女の旦那さんであるフランク・マーシャル、彼はスピルバーグ監督の作品の中でも非常に重要な役割を果たしてきた人なんですが、僕はそういうことをまったく知らなかった。
この映画をアメリカで2人に観てもらう機会があったんですが、観終わった後、フランクが色々言ってくるんですね。ここはああだ、こうだと。「なんでこの人は色々言ってくるんだ、僕が頼んだのはキャシーだ!」なんて思っていたんです。後で、彼は大変な大物プロデューサーということを知らされまして(笑)。先般、ジョージ・ルーカスさんにお会いしまして、「誰に公開を依頼したんだ」と聞かれたので、先の2人にお願いしたと言いましたら、「それなら絶対にうまくいく」と。それを信じて、北米公開を頑張っていこうと思っています。
国際映画祭なんですけれど、これはある映画祭に出すことを決めておりますけれど、発表は国際映画祭側がやるので、僕が勝手に喋ることはできませんので、ご理解ください。
「崖の上のポニョ」公式サイト
「崖の上のポニョ」 7月19日(土)、全国ロードショー
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