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特集 > スクール オブ ミュージック 名盤でマスターする よくわかる音楽ジャンルの基礎講座 Vol.11 ~歌謡曲編~
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家族そろって夕べを囲み、ラジオやテレビから流れてくる流行歌に耳を傾けている……。そんな「三丁目の夕日」的風景とともに思い出される大衆音楽。“歌は世につれ、世は歌につれ”とよく言われるように昭和の時代をとともに並走し、世相を写し取ってきた日本の流行音楽、それが歌謡曲だ。一説には戦後、海外のポピュラー・ミュージックが入り込んできたことをきっかけに、それらの要素のある音楽が生まれてきたため、それ以前の純邦楽と区別化を図る意味で歌謡曲という言葉が生まれたとされるが、その定義はあいまいで、楽曲構成や産業構造(楽曲製作の分業制など)といった観点から見るよりも、テレビやラジオの歌謡番組や映画などによって大衆に広まった楽曲。つまり当時の老若男女誰もが知っていて口ずさむことのできた楽曲と捉えるほうがその本質に近いだろう。だから、演歌であってもGSであってもアイドルであってもフォークであっても、当時の大衆の心情に強く訴え、愛された楽曲であれば、すべて歌謡曲だという言い方もあながち間違いではないだろう。ある世代にはテレビがお茶の間の主役だった時代の甘酸っぱい記憶を呼び覚ましてくれる、J-POP世代にはお父さんやお母さんの青春を追体験できる懐かしくも新しい音楽。時代とともに歌い継がれ、多くの時代を彩ってきた歌謡曲の魅力を今、見直してみるのもいいかもしれない。 |
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■古賀政夫
戦前から戦後にかけて美空ひばりの「悲しい酒」「柔」、藤山一郎の「丘を越えて」、佐藤千夜子の「影を慕いて」など5000曲以上の楽曲を作曲。その日本人の琴線に訴えかける旋律は古賀メロディと呼ばれた。初代日本作曲家協会会長も務めた。死去後の78年には国民栄誉賞を贈られている。
■美空ひばり
昭和の歌謡史を代表する国民的歌手。11歳で歌手デビュー。12歳で主演した映画「悲しき口笛」の同名主題歌が大ヒット。ジャズから演歌まであらゆるジャンルの楽曲を歌いこなす圧倒的で正確無比な歌唱力はほかに類をみない。代表曲に「川の流れのように」「柔」「悲しい酒」「真っ赤な太陽」など。
■スター誕生
71年10月にスタートした視聴者参加型オーディション番組。初代司会者は萩本欽一。審査員に松田トシ、阿久悠、森田公一ほか。山口百恵、桜田淳子、森昌子、ピンク・レディー、藤正樹、城みちる、片平なぎさ、岩崎宏美、渋谷哲平、石野真子、柏原芳恵、小泉今日子、中森明菜など数えきれないくらいのアイドル・スターを生んだ。ちなみに松田聖子も番組に応募したが、不合格であった。
■ザ・ヒットパレード
59年6月から70年3月までフジテレビ系で生放送された音楽番組。毎回、人気歌手が登場してヒット曲を歌うスタイルで、のちの「夜のヒット・スタジオ」や「ザ・ベストテン」のひな形ともなった。ほぼ同時期に日本テレビ系で毎週日曜日にオンエアされていたのが「シャボン玉ホリデー」で、当時デビューしたばかりのザ・ピーナッツとクレイジーキャッツが、ゲストを交えてコントや歌、トークなどを展開する元祖音楽バラエティ。
■三人娘
同世代の若手女性歌手3人がユニットを組んで活動する際、「三人娘」という呼称が使われた。実際にはユニットとしての活動がなくてもライバル関係の3人をまとめて売り出す際にもこの言葉は利用された。初代三人娘は水谷良重、黒柳徹子、横山道代。美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみは元祖三人娘(ジャンケン娘)と呼ばれた。ほかに伊東ゆかり、中尾ミエ、園まりのスパーク3人娘、南沙織、小柳ルミ子、天地真理の新三人娘、「スター誕生」出身の森昌子、桜田淳子、山口百恵の花の中三トリオなど。男性歌手の場合は「御三家」と呼ばれ、初代は橋幸夫、舟木輝彦、西郷輝彦。新御三家は郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎。
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