被爆地ヒロシマはきょう、六十三回目の「原爆の日」を迎える。広島市の平和記念公園では原爆死没者慰霊式と平和祈念式が行われる。原爆犠牲者を哀悼するとともに核兵器のない世界実現に誓いを新たにしたい。
広島市の秋葉忠利市長は、式典で読み上げる平和宣言で、被爆者を苦しめている原爆の影響が、過小評価されているとして原爆体験の精神的影響について科学的調査を行うことを表明する。被爆体験を踏まえて「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」と訴える。
運命の朝八時十五分。三十五万人の市民らの頭上で爆発した原爆は、強烈な熱線と爆風で市街を廃虚に変え、年末までに十四万人の人々の命を奪った。生き残った人たちには、がんや心疾患など原爆症の懸念がずっとつきまとう。
被爆者に対しては、国が原爆症と認定すれば被爆者援護法に基づき医療手当などが支給されてきた。しかし、被爆者手帳を持つ約二十五万人のうち原爆症と認定されたのは、ほんのわずかだ。国の認定基準が、遠距離被爆や残留放射線を過小評価してきたためだ。
認定されなかった被爆者は、各地で国を相手に裁判を起こして認定を勝ち取ってきた。これまでに国は十連敗だ。基準を広げた新基準を導入した四月以降も国の主張は退けられている。
爆心地から離れた場所で残留放射線を浴びた「三号被爆者」の課題も残る。七月の大阪地裁の判決では、原爆症と認められなかった女性について、看護師として多数の被爆者との接触で被ばくし健康状態が悪化した可能性はあると述べている。
三号被爆者には、被爆者の搬送に携わったり、放射性降下物「黒い雨」を浴びたりしたケースがある。厚生労働省は認定基準を改定することに消極的な姿勢というが、見直しを検討すべきであろう。
福田康夫首相は、平和祈念式参列の後、被爆者団体代表と面会する予定だ。首相は訴訟に参加した被爆者の声にじっくりと耳を傾けてほしい。全面救済には政治判断が必要だ。
戦争が終わって六十三年が経過した現在も原爆症で被爆者たちを苦しめる原爆を許すことはできない。高齢化が進む被爆者の中には、若い世代に伝えていこうと、沈黙を破って語り部となる人もいる。「こんな悲惨な体験は自分だけで終わりにしたい」との痛切な思いからだ。被爆者の核廃絶への願いを受け継ぎ、粘り強く世界に訴え続けていくのは唯一の被爆国である日本の責任だ。
ベトナム・ホーチミン市での政府開発援助(ODA)事業受注をめぐり、市幹部にわいろを渡したとして東京地検特捜部は、大手建設コンサルタント「パシフィックコンサルタンツインターナショナル」(PCI)の前社長ら四人を不正競争防止法違反(外国公務員への贈賄)の容疑で逮捕した。
一九九八年の同法改正で新設された外国公務員への贈賄禁止規定での逮捕は初めてだ。中国での遺棄化学兵器処理事業をめぐる特別背任事件に端を発したPCIの不正経理問題は、ODA事業に絡む汚職事件へと発展した。
調べでは、PCIは二〇〇一年と〇三年にホーチミン市を横断する幹線道路建設工事のコンサルタント業務を計三十一億円で受注。便宜供与の謝礼として担当局長に〇三年と〇六年に計約九千万円を提供した疑いが持たれている。発覚した際の“隠れみの”にするため「渡し役」にはOBを起用していた。わいろは受注額の10%程度で合意していたといわれ、約三億円が支払われた可能性もある。
不正受注工作の背景には、市場経済導入を柱としたベトナムのドイモイ(刷新)路線への転換に伴う汚職体質の広がりがあるといわれる。今回の摘発も、ODA利権に潜む不正の「氷山の一角」との見方もある。収賄側も当該国で厳正に処罰されるべきだろう。
日本にとって国際貢献の重要な柱であるODAを食い物にする不正は断じて許せない。今回の贈賄摘発が、不透明さと疑惑が付きまとっていたODA事業の在り方に警鐘を鳴らした意義は大きい。海外での「ODAの闇」の実態を徹底的に解明すると同時に、情報公開などを通してODA自体の構造改革を進めることが急務といえよう。
(2008年8月6日掲載)