皇紀とは当時の日本の覇者カム・ヤマト・イワレビコノ・ミコトが倭の大王に即位した年を皇紀元年とし、それは西暦660年前としています。カム・ヤマト・イワレビコノミコトとは、後に初代天皇となった神武天皇です。神武天皇から数えて15代目の応神天皇までは実在しない天皇と言われています。確かに古事記の記載を見るとその生涯が皆100歳前後と、当時の平均寿命から考えて信じられない長寿の天皇が続いています。実在しなかった天皇たちを作り上げ、更に夫々の天皇を仙人のように長寿とし、何故皇紀元年を紀元前660年年まで遡らなければならなかったのでしょうか?
青森県新郷村にキリストの墓があります。村にはイスラエルの風習と思われる習慣や風俗が残っています。キリストには弟が居りゴルタゴの丘で処刑されたのは弟で、キリストは日本まで逃げて新郷村で死んだと説明されていました。日本で学び時の仲哀天皇に謁見したとも記述されていました。キリストかどうかは定かではありませんがユダヤの人が遥か日本まで来ていたことは想像できます。東北まで来ているのですから西日本は更に容易です。伊勢神宮の内宮と外宮を結ぶ参道の石灯籠にイスラエルの国旗の六角形の星印があるのをご存知でしょうか?日本神道のメッカにイスラエルの星とは真に奇妙としか言いようがありません。
紀元前660年頃、北イスラエル民族がアッシリア帝国に滅ぼされイスラエルの10の支族が世界各地へ散ったと言う説があります。この支族の中に流浪の末この日本にたどり着いた一族が有っても不思議はありません。時の縄文の人達に比べ圧倒的な知力と武器を持ったイスラエルの支族はたちまちのうちに縄文の支配者となって言ったと想像できます。安定期に入ったヤマト朝廷が古事記を編纂するに際し、編集者に付けた絶対条件が「初代天皇の即位の年を我が祖先がアッシリア帝国に負けて、流浪の始まった年と成るよう、あらゆる努力をしろ!」だったのではないでしょうか!
日本とユダヤの相似性について、特に神道とユダヤ教の中に多くの共通点が有る事は色々な本に出ておりますので、ここではこれらについては語りません。皇紀元年が何故紀元前660年なのかについてのみ考察してみました。