献花台が撤去された秋葉原

あいかわらずの人出と、熱気の終息感

三田 典玄(2008-08-06 11:00)
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 8月の最初の週末、2日(土曜日)に秋葉原を訪れた。

 6月8日の無差別殺傷事件から49日の7月27日をもって献花台が撤去された、というニュースがあったので、献花台がなくなっているのは知っていた。しかし実際、現地に行ってみると、それはそれで、なんだか寂しい風景だった。
献花台のあった近辺の様子(撮影:三田(以下同))
 はたして、献花台後の「撤去されました」という立て看板の横に、一束の花が置かれ、事件の悲しみをいっそう誘うようだった。献花台の前では、旧日通本社ビル跡地に新しい高層ビルを建てる工事が進んでいて、かなりうるさい。
立て看板の横に1つだけ花束が
 小学校のころからいわゆる「ラジオ少年」だった記者は、この40年、秋葉原の変遷をこの目で見てきた。家電が安いので、親と一緒に秋葉原に電化製品を買いに来ることもあったし、無線機を買いに来たこともあった。パーソナル・コンピュータの時代になってからは、パソコンやその周辺機器、そして特に専門家向け、マニア向けのさまざまなものをこの街で買い、近年はこの街の振興をするためのNPOの理事もつとめた。

 「ヲタクの聖地」と言われるような秋葉原には、正直いまひとつ馴染めなかったものの、それでも路地裏に広がるコンピュータや電子部品を扱う店には、仕事や遊び、打ち合わせなどで何度も通った。

 事件以来、秋葉原の週末に歩行者天国は戻ってきていない。派手なパフォーマンスもほとんどない。事件から、秋葉原は変わったか、といえば、変わったといっていい。ただ、それ以外の変化はあまりない。人出は多く「秋葉原の賑わい」そのものは戻ってきたのではないか、と感じる。
事件のあった交差点の様子。歩行者天国がないので、歩行者はみな信号待ちをしている。
 歩行者天国が始まり、そこで路上パフォーマンスが行われ、「ヲタクの聖地」と呼ばれるようになった秋葉原。事件直前には、常軌を逸した路上パフォーマンスにマスコミ関係者がかかわった、などのスキャンダルまであった。「秋葉原」という熱気があの周辺を覆っていたようだった。

 そして熱狂は「あの事件」で幕が降りた。秋葉原が「元に戻った」とすれば、その「元」は歩行者天国の無かったころの秋葉原のことだ。

 古い時代が終わったのか?それとも、新しい時代が始まったのか?

 いずれにせよ、事件が秋葉原の「ひとつの時代」の息の根を止めたことだけは確かなことだろう。


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