ヒロシマ--。その名は、非人道的な原爆被害から復興を果たした街として、世界に知られる。平和記念式典の会場には、今年も自らの未来の姿を探そうと各地からさまざまな人々が訪れた。
初来日した中国・新疆(しんきょう)ウイグル自治区出身の外科医、アニワル・トフティさん(45)は「医師として、故郷で白血病などに苦しむ患者に何が出来るか。それを探しに広島へ来た」と話す。
故郷は中国の核実験場の近く。99年、英国人ジャーナリストに協力し、核実験の後遺症とみられる症状に苦しむ人々を描いたドキュメンタリー番組「シルクロードの死神」の撮影に携わり、国を追われた。現在は政治亡命者として英国で暮らす。「私たちの土地では46回もの核実験が行われた。患者を救うためにどうすればいいか指針が見えない。広島でそれを見つけたい」。6日夕、核実験で影響を受けたとされる人が参加するシンポジウムに出席する予定だ。
88年3月にイラクのサダム・フセイン政権による神経ガス攻撃を受けたイラク北部ハラブジャのフアッド・サレ・ラダ市長(37)も初めて広島を訪れた。
毒ガスで約5000人が死亡したとされ、皮膚のただれや肺の障害、失明などの後遺症に苦しむ住民も多い。現地では、原爆を伝えるために06年から毎年8月6日に式典を開いている。ラダ市長は「広島もハラブジャも街が破壊され多くの人が亡くなり、後遺症に苦しんでいる。これを伝えていかなければいけない」と訴えた。【加藤小夜、上村里花】
毎日新聞 2008年8月6日 12時10分(最終更新 8月6日 12時43分)