渋谷でマグリット展を見る。「驚きの時代」(1926 油彩)の前に立つ。
バルコニーの手すりはどうしてこんなに低いのか。私のふくらはぎまでしかない。向こうに見える暗緑色の雲、風は吹いていない。第一、風がどこから吹いてきて、どこへ向かうというのだろう。
バルコニーに面した、不定形の穴(戸口?)だらけの壁面は異常に厚い。その穴をくぐった先に屋内などはないのだろう。これは、壁に穿たれた行き止まりに過ぎない。
頭上は屋根。左手は壁、右手は額縁で切られている。私の視線は右奥に向かうしかない。
あの暗い空に。
私は知っている。バルコニーの手すりから下をのぞき込んではいけない。そこはまだ作られていない。
いや、いつまでたっても作られることはないだろう。ここはバルコニーだけで廃棄された世界だ。(完成された世界と言っても構わないが)。
そこはどうなっているのか、果てしなく、果てしなく、私の視力が到達しうる限界まで、このバルコニーを支える壁面が下に向かっているのだろうか。
そこはのっぺりした壁なのか、それとも。
同じようなバルコニーが各階ごとにしつらえられてあり、私の下の階に、下を見下ろす私の姿を見てしまうのだろうか。勿論その下の階にも、その下の階にも、下を見下ろす私の姿が見えるのだろうか。
それとも、バルコニーの手すりはすぐ下で断ち切られており、塗装もされていない無愛想な裏側が見え、それは何の支えもなく虚空に浮かんでいるのだろうか。
このバルコニーから出るためには、虚空に身を滑らせるしかないのだろうなと私は静かに思う。
私の左手には、腰から太股にかけて歯車で構成されている裸体の女性が頭から白い布を被って立っている。おそらく同じ姿の女性が奥に後ろ向きでいる。彼女達は出番がないままここに廃棄されているのだ。私は彼女達に何も尋ねない。彼女が語りはじめるのはいつかどこかでのことであって、ここのことではない。
私はためらっている。手すりに近寄り、このバルコニーの下を覗き込み、そして作りかけの世界を直視しようか。
それとも、三人目として。
ここで、このまま、立っていようか。
「地下五階には男子浴場があるらしいよ」と聞いた。
さらに女子のシャワールームや休憩所もあるらしい。
でも、誰ひとり、それを見た者はいないのです。
階段を下りて行くと、そこには建物の全長を貫く廊下があった。
廊下の左右には鉄の扉が並んでおり、それが何百メートルも続いている。壁際にロッカー一つあるではなく、段ボール箱一つあるでもない、まるで遠近法を学ぶためのテキストのような地下の廊下。
人は私しかいない。煌々と照らされた廊下を足音を響かせて歩く。
正面に位置する、ちょっと他とは違う扉には、フィットネスルームと書いてあった。扉の向こうからは轟々と水の流れる音がする。プールがあるのかと思いつつ扉を開けると、そこは真っ暗。気配からかなり広い部屋だということはわかる。
手探りで灯りをつけると、そこはたしかにフィットネス用の道具が装備されていた。誰ひとりいない。そして、水は一滴もない。水の流れは耳を圧するようで、私は困惑して扉を閉める。
廊下を歩いていく。扉のノブに手を掛けるが、鍵は閉まっている。何十かの扉の前を通り過ぎると、そこには開いている扉があった。そして、灯りがついている。
ずっと誰もいなかったので驚いて、戸口の前で立ち止まった。ついたてがあって、中を直接のぞくことはできない。しばらく耳をすましても何の音もしないので静かに入っていくと、机が一つあるきりで、誰もいない。電気はつけたままで奥に進むことにする。
また、開いている扉があった。暗い内部を覗くと、短い廊下が延びていて、その両脇にまた同じ鉄の扉が並んでいる。
床のマンホールを踏むと、コーンと響く。この下には深い暗渠があるのだ。ここは頭上に地下鉄が走るほどの地下。
そうして何分かあるいて、行き止まりには鉄の扉があった。IDカードを滑らせてみても何の反応もない。振り返ると、無人の廊下が驚くほど長く続いている。
私は壁に身をもたせかけた。
誰もいない。誰もいない。
私が歩くのを止めたら、足元を水の流れる音と、頭上を地下鉄が走る音しかしない地下五階の廊下。
体温をコンクリートに移しながら、眠りに沈むように壁に飲み込まれていかない自分の身体を不思議に思う。誰も見ていないのだから、私はこのままここで消えてしまってもいいはずだ。
数分後には人の沢山いる部屋で書類に向かっているであろう自分を人ごとのように想像する。誰も、私がこの冷たい明るい地下にいることを知らないことを幸福に思う。
たまたま、マンホールが空いていたら、そしてそれに気がつかず一歩を踏み出してしまったら。
私が暗闇の中を流れていくことなど誰も知らないのだ。
鬱蒼と葉の茂る桜並木の下をバイクで走る。
日差しに白々と浮かび上がった道路も厚い葉の重なりの下では暗い。その下を駆け抜けていくと、影と光とが目まぐるしく移り変わる。
光。影。光。影。光。
ちかちかする街並みは一瞬ごとに新たに作り直されるように見える。
いかにも本当に存在しそうな街だ。錆が浮き、剥がれたチラシの跡が残る街灯。三輪車に乗った子供。道路脇に溜まったさらさらの白砂。こんなに細部までそのままに再現されている。
影。光。影。光。影。
影。
ああそうだ。この道は四年前の真夏に通った道の画像をつぎはぎしたものに違いない。すれ違った車はおととい家の近くで居眠り運転していた車の画像を流用したに違いない。
光。影。光。影。光。
桜並木を出た。
光。光。光。どこまでも過剰に照らし出される世界。
派出所から出てきた警官は、先日ある田舎町に行ったとき道沿いの派出所で書き物をしていたあの警官の使い回しだ。
私の記憶した映像を編集することで刻一刻と作りだされる街をバイクは行く。
私は桜並木で神隠しにあったのかもしれない。神隠しで消えた先、それは私の記憶を再構成して作られた世界だ。
日差しと既視感とに刺し貫かれながら私は赤信号で止まる。
きっと、さっきまでいた世界のこの交差点に私の姿はない。
夏の真昼。
蜈蚣Melibe『バージェスの乙女たち アノマカリスの章2』を買いにいく。
身体改変マゾヒズムユートピア(ディストピア)ものとしては、世界で2番目の作品と固く信じているシリーズ。(1番目は家畜人ヤプー)。そして恋する乙女身体改変ものとしては世界一。
バージェスの乙女たちに比べたら、イアン・ワトスン『オルガスマシン』なんて安直でありふれた軽薄な三文妄想小説に過ぎない。蜈蚣Melibeは常識的なポルノの文脈を一顧だにせず、自分が表現しようとしているものに対して邁進している。その作品からは自分の描いているものへの確信が感じられる。そしておそらく彼はその観念を離れては生きていけないのだ。
このシリーズは『バージェスの乙女たち ワイワクシアの章』、『同 ディノミスクスの章』、『同 アノマロカリスの章1』が三和出版から発行されている。あまりの突き抜けぶりに、シリーズ中途で出版社が下りてしまい、最新刊は同人誌として発行された。というわけで買いに行きました。行ってしまいました。
美しく高価な有機人形達(オートメーションで培養され人間ではないとされている)は改造される。歯を抜かれ、瞼を縫われ、喉を潰され、四肢を切断され、口と膣口を置換(当然付随する臓器ごと摘出し縫合する。大手術だ)される。刳り抜いた眼窩に宝石を嵌め込まれ常に涙を流している少女もいる。
それは美しい異形の少女達の幸福と愛に満ちた世界だ。
彼女達は、みな、製造された時から所有者を愛し、自分になされることすべてを幸福に感じるように洗脳されている。だから、この漫画に陰惨なトーンはほとんどない。恋する乙女が集う女子校の雰囲気は充ちみちているが。
洗脳によるものだからといって愛が偽物であるはずがないではないか。
彼女達はこれほどまでに所有者を愛しているのだ。彼女達の愛が偽物だとしたら、誰の愛が本物だというのだろう。
おそらく彼女たちは性能・容貌が衰えてきたら(単に所有者が飽きたというだけでも)廃棄される。紙屑のように即座に、あるいは戯れに拷問されながら。
そしてそれすらも彼女達にとって幸福以外のなにものでもない。
「ねえお医者さま」
「俺はまだ医学生だよ 可愛いお人形さん」
「だったら… いつかお医者さまになったら…」
わたしをすてきな身体に改造してください」
(蜈蚣Melibe「ディムロイド・アノマロカリス」『バージェスの乙女たち ワイワクシアの章』三和出版 H9.8)
その金は彼女の最後の金だったし、これから彼女はひとりで自分の家まで歩かなければならなかったが、そんなことはどうでもよかった。積もった雪は、白い海の白い波のようだった。彼女は、その上を、風と月の潮に運ばれて歩いていった。何が欲しいのか、わからない。おそらくこれからもわからないだろう。でも星を見るたびに願うことは、ただ、もうひとつ別の星を見せて欲しいということだけ。それに、ほんとうにもう怖くなんかない、と彼女は思った。男の子がふたり、バーから出てきて、彼女をじろじろ見た。ずっと昔、どこかの公園で見かけたふたりの男の子と同じ人間かもしれない。ほんとうにもう何もこわくない。あとをつけてくる彼らの雪を踏む音を聞きながら、彼女はそう思った。ともかく、もう、盗まれるものなんか何もないのだから。
(トルーマン・カポーティ「夢を売る女」『夜の樹』川本三郎 新潮文庫 H6.2)
冷房が利きすぎて、少し暗く、おおぜいの人間がたてる焦点を欠いたひとまとまりの音の充満した社員食堂で短編を読み終わり、次の短編を読み始める。もあもあもあもあ頭骨の中に篭もる人々のささやき。食器のふれあう音。高校野球の中継の音。斜め向かいの初老の男性の咀嚼音。そしてまた一つ読み終わる。
そう、また一つ読み終わった。
私は枠物語の内側にある物語をいくつ読んだだろう。外側を読んでいるあなたがこの話を読んでいる間に。
彼女はいつものように思う。
世界で一番本を読むのが早い人にこの話ををあげたかった。お風呂に潜って息を止めていられる幸福な数秒と同じくらいの時間で私の物語を読み終えることができる人に。
そして彼女は本を閉じ、それを置いたままテーブルを離れる。もう続きの行(図書館で借りたその本を返しに行くような)は存在しないことを確信しながら。
<改頁>
解説
とはならない。この瞬間もそうはならずに過ぎてゆく。なぜだろう。これまでものすごく沢山の物語を読み終わったのに。
なぜよりによってこの物語はおわらないのだろう。
帰ってきたら、お風呂に入って、化粧を落として、パジャマを着る。
ベッドに潜って、眉も描いてない顔で、口をぽかんと開けて、目もぽかんと見開いて、氏賀Y太の「ペコといっしょ」を読むの。
エツ子ちゃんは、つらいことがあるとくまのぬいぐるみのペコに聞いてもらう女の子。
いつものように、ペコに向かって泣いているところからお話ははじまります。
あ……
おかえり エツ子ちゃん
今日もまた つらい事があったんだね
何かな?
ママにしかられたのかな?
友達にいじめられたのかな?
うんうん
ふんふん
そうなんだ
かわいそう
エツ子ちゃん
「君は人間に向いてないんだね」
(氏賀Y太「ペコといっしょ」『毒どく猟奇図鑑』桜桃書房 2000.7)
突然しゃべったペコにびっくりしたエツ子ちゃんは気絶し、気がついたときには巨大化したペコに犯されていました。ペコは動けないエツ子ちゃんを犯しながら手足を千切り取ります。がらんと床に投げ出された手足は、それぞれ人形の手足になっているのです。お腹を開けると、中には動いている内蔵があります。ペコはそれもむしり取ります。床に投げ出された子宮や肝臓や腸はみんなプラスチックになって砕けてしまいます。
お腹も手足もからっぽになったエツ子ちゃんは、なんにも感じない人形になって、ばらばらになりました。
血まみれの部屋にはばらばらになった女の子の人形とくまのぬいぐるみが残され、エツ子ちゃんは行方不明になりました。パパとママが人形とぬいぐるみを直して部屋に置き、そうして、二人はいつまでも一緒にいるのです。
そんなお話。
ああほっとする。からっぽになって、それで寝るの。
おやすみなさい。
しかしうちのクトゥルーちゃんはそんなことしません。邪神だから。(理由になってない)。
気がついたら、東から風が吹いても平気になっていた。
そうしたら歌を作らなくなった。わかりやすい。
あの人が住む方【かた】から吹く風なれば風吹くだけで腫れる唇
三度目の夏の終わりは四方八方から風が吹いても平然と立っていられるよ。
来たれ嵐よ、嵐よ来たれ。グロスが光る唇で笑ってみせるわ。
夕方に神保町を歩く。
私は乙女パワー全開なので古本屋に行くと嫌がられることが多い。なんだかちゃらちゃらした女が興味もないのに入ってきたと思われるのだ。
今では親切にしていただいているある古書店に最初に行ったとき、店主のおじさんは木で鼻をくくったような態度でこう言った。
「何か御用ですか。」
「いえ、見てるんです。」
そして私は店を一回りして、何かの本を買った。
何度目かに行ったときには何を探してるのかを聞かれた。だからあるジャンルを述べた。おじさんは何冊か出してくれたけど、みんな持っていた。
それからは、こんなのが好きじゃないかと教えてくれるようになった。
ある時お店のおばさんが店に出ていた。おばさんは私をじろりと見て言った。
「何か御用ですか。」
奥から出てきたおじさんが言った。
「ああその人はいいの。」
『しくみ発見博物館9 動物の生殖』を買った。この本はすごいですよ! 生殖の仕組みを、精巧な模型の断面図で見せてくれるのですよ!
キーワードは模型と断面図。
カタツムリの求愛は,片方が相手に「愛の矢」を打ちこむことにより始まる。この愛の矢は石灰質の物質でできており、相手の皮膚につきささるほどするどい。
(ディヴィッド・バーニー『しくみ発見博物館9 動物の生殖』遠藤秀紀他 丸善 H10.7)
愛の矢を打たれたカタツムリは相手に近づきキスする。6時間もキスをし続ける。そうしてカタツムリは受精し卵を産む。
キスで子供ができるなんて絵本みたいだなあ。
ふたりとも受精してふたりとも産むんだよ。
キスといっても絡ませるのは舌ではなくて交尾器なんだけどね。
「奥歯ちゃんはなんでこういう風になったの? 誰かが造ったの?」
「うん。誰かが人工的に造ったんです。だけどその人は私を造った後すぐ捨てたの。だから誰が造ったのか私知らないの。」
「ああ、博士とかね」
「そう。私、博士を探す旅に出てるんです。」
今野緒雪『マリア様がみてる レイニーブルー』を読んでいたら妹が「ハリー・ポッター」のビデオを見始めた。
ハーマイオニー(秀才の女の子。お利口そうで髪の毛ふわふわ)があんまり可愛いから私は絶句し口ごもりそしてぶつぶつと語り始めた。
「なんて可愛いの。ああこの子は今死んでしまった方がいい。こんな子が歳をとってしまうなんてそんなこと勿体無くて。剥製に! いやプラスティネーションに!」
「お姉ちゃんがやばい。」
「いつものことだよ。」
妹と弟が言う。
「私は、私は彼女にどうすればいいのだろう。彼女とどういう関わりを持っていけばいいのかわからない。そもそも関わりたいのかしら? いや、そうじゃないの。ただ彼女の魅力の前になすすべもないの。この溢れる胸の内をどこに向ければいいのかわからないの。向かう先はおそらく彼女ではないの。ただもうやるせない。どうすればいいの?」
「ロン(ハリーの親友。赤毛の男の子)だって可愛いよ。」
「いや、男の子はいいんだ。男の子は君に譲る。」
「先生(名前がわからないけど、厳しそうな年配の女性)も魅力的じゃない?」
「私の世界には女の子とおじさんしか存在しないの!」
きっぱりと言い切る私に、弟はつぶやいた。
「随分かたよった世界だな……。」
だけど私は女の子(少女)でもおじさんでもないから居場所がない。
古本屋でクリスティナ・ロセッティ(ダンテ・ガブリエル・ロセッティの妹)の『花と宝石』を見つける。これは聖人にまつわる植物と鉱物についての散文集"Called to be Saints"の抜粋。語学の授業でよく使う、原語のテキストに日本語の解説が付いている本です。
植物幻想にひたりたい気分だったので買う。瑞々しく軽やかでひたひたとつめたい。こんな感じ。
・・・
蔦(二階堂奥歯試訳・抜粋)
一枚いちまいの葉はそれぞれ異なってかたち造られている。何万枚もの葉、その一枚ずつが持つ曲線と先端のそれぞれとまったく異なった、その一枚だけが持つ曲線。一枚だけの、とくべつな、突端。あるものはまろやかな円を描き、あるものは繊細に切れ込み細く尖る。
地味な姿をもつ蔦は、しかし、それにもかかわらず不思議な美と優雅さを見せることがある。枝は花飾りを吊り下げ、狭間を縫って巧緻な装飾をなす。そして、葉脈の繊細なレースで飾られ、あるいは日に照らされて赤く染まり、あるいは象牙から彫り上げられたかのごとく仄白いその葉。
もつれあった葉をすり抜けようとする陽の光は、緑に、光と影の戯れの上に、落ちる。
(クリスティナ・ロセッティ'IVY'『花と宝石』研究社小英文叢書 S39.6)
・・・
この家は薔薇でいっぱいだ。庭の壁からは野薔薇がしなだれ落ちている。
でも私は目の前の花瓶に挿してある薔薇の名前も知らない。そういえば帰省して一度も庭を歩いていない。
蔦の葉の形を知らずに蔦についての文章を読みます。
イランイランの花の姿を知らずに精油を焚きながらね。
なお、ダンテ・ガブリエル・ロセッティがクリスティナ・ロセッティをモデルにして描いた受胎告知画があります。
「見よ、我は神の婢なり」
妹と子供の頃に読んだ本について喋っていたら、どきどきした話の話題になった。
奥歯「私はなんといっても、『ファーブル昆虫記』のね……」
妹「昆虫!?」
奥歯「うん。ジガバチの話だね。ジガバチが芋虫を痺れされて卵を産み付けるじゃない。それで卵からかえったジガバチの子供たちに食べられちゃうんだよね。ああ! 興奮する!」
妹「……私はハチに感情移入できないな。」
奥歯「違うよ、ヨトウムシ(芋虫)に感情移入するんだよ。想像してみなよ、毒針で痺れて動けない身体に卵を産みつけられて、やがて自分の体内で孵った幼生に生きながら貪り食われるんだよ。その間動けないけどずっと生きてるの。」
妹「……ごめん、それ、わかんない。」
ちなみに妹は『西遊記』で三蔵法師がさらわれるところで胸高鳴らせていたそうです。
あなた。
どこまでたどりつけた、どこまで。
語られることばをひとつずつ封じ込めていったこの場所には、いるはずもないことを知っている。
だが、深まる
深まってゆくふたつの息
その合間に
垣間見た
あなたが現れた場所
わたしが現れた場所
へと向かう
会いはじめるまでの孕むような日々。
あのねじれた亀裂の風景のなかで、わたしたちはなにを見るのか。
(金子千佳「遅刻届」『遅刻者』思潮社 1987.11)
私が生まれてはじめて出会った「自分より本を読んでいる人」は書店員をしていた。
私は16歳で、雪雪さんは私の17歳上だった。
私はあの時インフォメーションカウンターで雪雪さんに出会うためにそれまで生きて本を読んでいたのだった。私は宿命を見つけるように雪雪さんと出会い、雪雪さんは私にいくつも種子を埋め込んだ。いま私が考えていることはほとんど雪雪さんが指し示しておいてくれたことだ。私の大部分は雪雪さんが造った。
その書店ではとてもとてもセンスのあるポップが本に付いていた。私はそのポップを見てロバート・シルヴァーバーグ『夜の翼』や井上直久『イバラード博物誌』を手に取った。そのポップを書いていたのが雪雪さんだった。
手元に、雪雪さんが最初にくれた手紙がある。これには私に薦める本の一覧が載っている。店頭でののべ数十分の立ち話で判断して書いてくれたリストがその後の私を決定的に変えた。
私のような人に届けるために、その一覧を転記しておくべきだと思う。
私はそのとき、『アルクトゥルスへの旅』と『人生使用法』と『火星年代記』しか読んだことがなかった。
いない。
知っているなにもかもここで与えることができなかったすべての約束。
遅刻したわたしとあなたの約束のために。
あぁまた見ている。
あるはずのない窓から 扉から
階段から
いるはずのない
けしているはずのない
あなた (そこに)
あなた (ここに)
あなた (きのうよりも
はるかにちかく)
会えない。
歩き続けている
静かに。
しずかに、
踏み外す。
(金子千佳 同上)
イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』河出書房新社
アラン・ライマン『アインシュタインの夢』早川
スティーヴン・ミルハウザー「東方の国」『イン・ザ・ペニーアーケード』白水社
マーヴィン・ピーク「ゴーメン・ガースト」三部作 創元推理文庫
エディスン『ウロボロス』創元推理文庫
オールディス『地球の長い午後』ハヤカワ文庫SF
山田正紀『宝石泥棒』ハヤカワ文庫JA
天沢退二郎『オレンジ党と黒い釜』ちくま
なだいなだ『夢を見た海賊』ちくま文庫
アンドレ・マルロー『風狂天国』福武文庫
マーヴィン・ミンスキー『心の社会』産業図書
デヴィット・リンゼイ『アルクトゥルスへの旅』国書刊行会
オースン・スコット・カード「エンダー」シリーズ ハヤカワ文庫
山尾悠子『夢の棲む街/遠近法』三一書房
アニー・ディラード『アメリカン・チャイルドフッド』パピルス
コードウェイナー・スミス『ノーストリリア』ハヤカワ文庫
デヴィッド・ジンデル『ありえざる都市』ハヤカワ
残雪『カッコウが鳴くあの一瞬』河出
ジョルジュ・ペレック『人生使用法』水声社
ミロラド・パヴィチ『ハザール事典』東京創元社
A・E・ヴァン・ヴォクト「武器店」シリーズ 創元文庫
金子千佳『遅刻者』思潮社
ジム・バーンズ『ライトシップ』日本テレビ
カスタネダ『イクストランへの旅』二見
藤原新也『ノア』新潮社
山田正紀『神狩り』ハヤカワ文庫
小松左京『果てしなき流れの果てに』徳間文庫
バーナデット・ロバーツ『自己喪失の体験』紀伊国屋書店
ピーター・S・ビーグル『最後のユニコーン』ハヤカワ文庫
ブラッドベリ『火星年代記』ハヤカワ文庫
リチャード・ブローティガン『ロンメル進軍』思潮社
松井啓子『のどを猫でいっぱいにして』思潮社
ポール・オースター『孤独の発明』新潮社
J・P・ホーガン『星を継ぐ者』創元文庫
パトリシア・マキリップ「イルスの竪琴」シリーズ ハヤカワ文庫
ジャック・ヴァンス「魔王子」シリーズ ハヤカワ文庫
シュペルヴィエル『沖の娘』教養文庫
オラフ・ステープルトン『スター・メイカー』国書刊行会
吉本良明『よしもとよしとも珠玉短編集』双葉社
ジッドゥ・クリシュナムルティ『クリシュナムルティの瞑想録』平河出版社
池田晶子『事象そのものへ!』法蔵館
竹内敏信『天地交響』講談社
門倉直人「ローズ・トゥ・ロード」シリーズ 遊演体
唐沢なおき『八戒の大冒険』白泉社
水見稜『夢魔のふる夜』ハヤカワ文庫
ロバート・リンドナー『宇宙を駆ける男』金沢文庫
荒巻義雄『時の葦舟』文化出版局
アレキサンドル・グリーン『波の上を駆ける女』晶文社
大森荘蔵+坂本龍一『音を視る 時を聴く』朝日出版社
フローラ・リータ・シュライバー『失われた私』ハヤカワ文庫
士郎正宗『仙術超攻殻ORION』青心社
ロード・ダンセイニ『妖精族のむすめ』ちくま文庫
C・G・フィニィ『ラーオ博士のサーカス』ちくま文庫
パトリック・ウッドロフ『ハレルヤ・エニウェイ』ペーパータイガー
ティム・ホワイト『キアロスクーロ』ペーパータイガー
私が語り得ることはすなわち、あなたに伝わり得るかもしれないことのみである。
読む者としてのあなたの限界が、書物としての私の限界である。
われわれにとって謎めいた理解しがたいそれ。
そのようなものがあれば、多くの場合それにとってわれわれは謎めいて理解しがたい。しかし時に、われわれにとって謎めいて理解しがたいそれがわれわれのことは理解しているという事態がありうる。
このようなことを思うとき、私の内部に明晰であろうとする動機がうまれる。
そのような態度はいわば、あなたに出会う前の私が、どこにもいないあなたに向かって、あるいは私に出会う前のあなたが、どこにもいない私に向かって、発していた声のように響くのではないか。
その声は、じっさいに聞きとられたあの時、願っていたより遠くから、希んでいたより深くまで、響いた。
そのことじしんが、思い出されようとする意志を持っているみたいに、何度も何度も思い出されてくることがらがある。
たとえば、私がまだなにも誘い水めいたものを示さないうちに、あなたが手紙に書いてきたこと。
「私は物語は書けないけれど、私はそれをまもる者でありたい」
それがたとえいかに大切なものであっても、まもろうとする意思を持つ者がいなければ、あまりにもたやすく潰えてしまうものがある。
書くことは凡庸である。そしてまもることははるかに貴重である。
この言明じたいが、いかにも凡庸にひびくかもしれないが、それはそれでせんかたないことである。
雪雪がなにほどのものか知らないが、かれという現象にいかなる次第か随伴しているなにか大切なものがある。ぼくはそれをまもろうとしていた。けれども実質戦線は後退していたのだ。ぼくは最後の橋頭堡を築く、というようなことをすでに開始していたと思う。その時はそれが最善の方策だと思っていた。あの日、あなたがあらわれるまでは。
あなたはたぶん、なにかをまもりえたのではないだろうか?
(雪雪 二階堂奥歯が東京の大学に入ってからくれた長い長い手紙の一部 1996夏)
私はなくしてはいけない何か大切なものを持っていることを忘れていたのだ。
私はいつでも忘れる。忘れてはいけないと心と躰に刻み込んだことも。忘れる。忘れてしまう。
私は16歳の私に語りかけたい。
あなたは9年後このようになる。
世界が今日終わればいいと思っていることは知ってるよ。でも終わらなかった。いつも終わらないんだ。
ただあなたが大切に思っているものを、私は今でも大切に思っている。
あなたが残してくれたものを私は受け取っている。
大丈夫だから。安心して。あなたが奇蹟だと思っているものは、9年後も奇蹟であり続けている。
それを信じてかまわないから。あなたが愛しているものを、愛しなさい。
私はラジオ会館の業務用エレベーターが好きだ。あちこちへこんでくもったステンレス張りで、天井はカーブしていて、「未来世紀ブラジル」に出てきそうだ。これに乗ると、自分が貨物になった気持ちになる。
7階にある模型屋には50cm立方程度のレンタルショーケースが並んでいる。不要になったコレクションをそこに並べて委託販売することができる。ガシャポンや怪獣ソフビやフィギュアやきせかえ人形やトレカや模型、そんな胸躍るものが詰まった800個のおもちゃ箱。
そう、その透明な箱に入っているものはみんな捨てられたおもちゃたちだ。おそらくほとんどすべてが成人男性によって捨てられ、新しい所有者の目に留まるのを待っている。
タッコングのソフビと同じ箱に入った猫耳メイドフィギュアを見ながら考える。
−−なんで私は箱の外側にいるのだろうか。
私は膝を抱えてショーケースに入っている。
店員が近づいてきて鍵を開ける。
「リカバリー済・保証書付です。こちらでよろしいでしょうか。」
「お願いします。」
「歩かせますか? それとも郵送いたしますか? 送料が別途かかりますが。」
「それでは持ち帰ります。」
所有者設定後起動された私は言う。
「はじめまして。生まれたときからずっとあなただけを愛しています。」
虫のオブジェで一番好きなのは、東大寺大仏殿にある花挿しについている青銅の揚羽蝶だ。
修学旅行で見つけて大喜びして、行くたび土産物になっていないかと探すけれど、見たことがない。
この揚羽蝶はからだがむくむくしていてかわいいし、なんといっても脚が8本もあるのだ。昆虫の定義は6本脚であることだというのに。本当におかしなやつだ。
揚羽蝶という家紋(平家の紋)があって、これはデザイン的には東大寺の揚羽蝶と同じだけど、脚は6本。その他の日本古来の蝶の図版を見ても、みんな6本脚だ。
なんで東大寺だけ8本なのか調べていたら、次のような説を見つけた。
福寿寺にある平家の赤旗に描かれている揚羽蝶は、触角が6本脚の後方についている(へんな蝶だ)。それを元にして作って間違えたのではないかというのだ。
すてきだ。デューラーの犀のように、間違いが間違いを呼び、怪獣が生まれる。
8本脚揚羽蝶を私の紋にしようかな。
私が貞操帯を好きなのは、「私の中に入ってこないで」という意志を形にして他者に強要できるからだ。
正確には「あなたは決して私の中に入ってこれない」かな。
(自らの意思で)貞操帯を着用することは、世界中のすべての人に向かって決して侵入させはしないと宣言することだ。
なのに貞操帯の話をすると喜ぶ人がいるのはなんなんだ。そんなに拒絶されるのがうれしいのだろうか。(本当のところ理由はわかっています。私と貞操帯観が違うからです)。
目隠しをして、猿轡をして、両腕を後ろで縛り、耳栓を嵌め、貞操帯をした少女の絵の題は「私の中に入ってこないで」。
私はあなたを見ないし、あなたに向かって話さないし、あなたを抱きしめないし、あなたの声を聞かないし、あなたを私の中に入れはしない。
そう、決して。
アクションサンプラー(四分割連写インスタントカメラ)を買った。一回シャッターボタンを押すと、四回連続シャッターが切られて、それが一枚の写真を四分割して並べた形になる。
これで写真を撮ると、一秒くらいの時間の経過を一枚の写真に切り取れる。
代官山は晴れていて、空気はきらきらと眩しく、隣を歩む人は美しい。私はでたらめにシャッターを切る。
歩道橋、止めてあるバイク、眩しく光るキャッシュディスペンサー、それらを横切って歩く人々みんな、称えられてあれ、この土曜の一日に。
私のこの午後の一瞬一瞬よ切り取られてきらきらと現像され焼きつけられきらきらと。
歩く階段を下りる足の影切り取る四分割に。
日差しの中見る景色、四分割された景色をいつか見かえして、あの午後はきらきらしていたと思うことがあると私は知っている。その未来の写真を透かしてこの一瞬を見ます。
だめ、わ、た、し、三十六に、分割、される、一瞬、一瞬、き、え、る、助けて、点滅、する、一瞬、もう、もどって、これなく、なる、から、だから、もう、ああ、眩しい、気が、遠く、なる。
引き戻される。
シャッターの音。今の点滅も記録されました。
あの午後はきらきらしていたと思うことがあると私は知っている。