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2008年08月05日

混迷する政局を楽しむ方法


 混迷する政局を楽しむ方法

  昨日のブログで政治家は政局に明け暮れている時ではないと書いた。

  しかし政治家は政局に明け暮れる。

  その理由は、政策どころの話ではないからだ。

  ただでさえ、政策を本気で実現する能力と志をもった政治家はいないのに、今は、たとえいたとしても、それどころではないのだ。

  選挙に勝ち残らなければならない。

  政権を死守しなければ終わってしまう自民党。

  政権が取れなければ分解してしまう民主党。

  その他の政党は少しでも政権に近いところに場所を見つけようと必死だ。

  メディアもまた政策より政争に飛びつく。

  難しい政策論よりわかりやすいからだ。

  皆が政局に走る。

  そうだとすれば、我々も政局を楽しむに限る。

  ましてや政治に影響力のない一般国民の我々だ。

  せめて政治家のなりふりかまわない権力争いと駆け引きを、嘲笑しながら眺めようではないか。

  それが政治に関係のない一般国民の特権だ。贅沢だ。

  さてその政局である。

  注目点はいろいろあるだろう。

  しかし、私が最も注目するのは、創価学会名誉会長の国会喚問問題と小泉改革一派の福田おろしの動きの二点である。

  いずれも政局と直に結びつく問題だ。

    5日の読売新聞が、国民新党の亀井静香代表代行が、「(矢野元公明党委員長問題を)臨時国会で取り上げざるを得ない。言論封殺の指摘があった以上、民主主義の観点から事情を聞く必要がある」と述べたと報じている。

  もし矢野元委員長の国会招致が実現すれば、公明党にとっては大きな痛手となる。

  覚悟を決めている矢野元委員長の国会発言は見ものだ。内容如何ではさらなる事態に発展するかもしれない。

  創価学会と何の利害関係もない一般国民の立場からすればぜひとも実現してもらいたい。

  確かに「言論の自由」は民主主義の根幹だ。

  政権政党の一翼をになってこの国を動かしてきた公明党、創価学会が、「言論の自由」を犯すような事をしていたのなら看過できない。

  昔から取りざたされては消えていく政教一致という違憲疑義の問題についても、この際はっきりと白黒つけてもらいたい。

  そのためには名誉会長の国会招致も必要になってくるだろう。

  創価学会、公明党にとっては最大の危機である。

  だからすべてに最優先してこの問題を回避しようとするだろう。

  みどころは民主党、国民新党がどこまで本気で追及するかだ。

  自民党がどこまで公明党、創価学会をかばうかだ。

  公明党は政権政党であり続けなければならない。

  政権政党である限り国会喚問をかわす事ができる。

  政権を手放したとたん状況は厳しくなる。

  だから、福田自民党で選挙が勝てそうもなければ福田おろしに走る。

  それでも自民党が勝てないと判断すれば自民党を見限って民主党との連立に向けて舵を切る。

  矢野問題はまさに政局そのものに結びつく。だから目が話せない。

   もう一つは小泉改革派の福田おろしの動きである。

  私は8月1日のブログで福田改造内閣によって小泉政治は終焉したと書いた。

  もはや誰もがそれを認めている。

   しかしその事と小泉一派の悪あがきとは別だ。

  面目をつぶされた小泉元首相とその一派がこのまま黙って引き下がるかかどうか。これが第二のみどころだ。

  すでに様々な事が言われ始めた。いわく小泉がかんかんになって怒っている。総裁選で小池百合子をたてて戦う。自民党を割って小泉新党をつくってキャスティングボートを目指す、などなどである。

  それはありうる話だ。福田改造内閣の支持率が上がらなければ、そのチャンスはひろがる。

  そして福田首相には思惑はずれだったろうが、支持率は大して上がらなかった。今後は支持率が更に下がっていく危険さえある。

  ここで重要な事はメディアが、福田おろしに加担している事だ。

 福田改造内閣を官僚支配、規制強化、ばら撒きの復活であり、増税内閣だとレッテルを貼っている。

  たとえば5日の日経新聞は経済コラム「大機小機」のなかで、「改革か、反改革か」という見出しの下に、小泉改革、福田反改革と決めつけている。

  あのときメディアは小泉改革を持ち上げて今日の日本の混迷を招く過ちを犯した。

  メディアはそれを認めたくないのだ。

  小泉一派もメディアも、「改革を後戻りさせるな」と叫んでいれば国民が納得すると思っている。

  国民もなめられたものだ。

  しかし、それは違う。

  改革か反改革かではない。本物の改革か偽物の改革かなのである。

  そして小泉改革はまさしく偽の改革であった。それもとんでもない偽物の改革であった。

  そもそも改革の本丸は、官僚支配の打破と官僚の無駄を排除する事にあった。

  ところがそれには殆ど有効な手を打つことなく、規制緩和の下に新自由主義を徹底して日本を格差社会にしてしまった、対米従属を徹底して日本を米国に売り渡してしまった。これが小泉偽改革の正体であったのだ。

  そしてその痛みが表面化、深刻化するのはむしろこれからだ。

  だから、小泉再登場は容易ではない。

  いくら「改革を後退させるな」と言って見たところで、「お前らに言われたくないよ」となるのである。

  メディアがいくら改革を進めろと言ったところで、今の政治では無理なのだ。

    国民にとっては不幸な事だ。

   しかし混乱を通じて新しい政治が生まれるのなら、そこに一縷の望みを見つける事ができるかもしれない。

  そう期待して思い切り政局の混迷を眺める他はない。

  どうせ眺めるしかないのであれば、思い切り楽しめばいいのだ。批評家になって勝手に批評していればいいのだ。

  政局は間違いなく混沌としてくる。

  間違いなく面白くなってくる。

  
  

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2008年08月05日

PCI社によるODA疑惑事件の真の責任者


 PCI社によるODA疑惑事件の真の責任者


  パシフィックコンサルタントインターナショナル(PCI)という建設コンサルタント会社の幹部らが政府開発援助(ODA)贈賄疑惑でついに4日逮捕された。

  5日の各紙はそれを一斉に大きく取り上げ、ODAを食い物にしたPCI社を、その社説で激しく批判している。

 しかし、どの記事も、その大きな取り上げ方の割りに、よそよそしい。迫力がない。

 なぜか。

 それはPCI社だけが悪事を働いているわけではないからだ。

 疑惑は大手商社のすべてに及ぶからだ。

 民間企業だけをいくら責めてみても、物事の解決にはならないからだ。

 真の責任者は政府の担当省庁であるが、その責任を本気で追求する気がないからだ。

 真の責任者とは誰か。

 それはODAを主管する外務省である。

 その外務省の監督下にある援助実施機関である。

 断っておくが、私は何も外務省や援助実施機関の誰かが賄賂をもらったり、法に触れる事をしていると言っているのではない。

 さすがにそれはないだろう。

 しかし、だからといって外務省や援助実施機関がその責任から逃れる事はできない。

 彼らはPCIをODAの担当企業として長年認めてきたのだ。

 不正疑惑が指摘されていたにもかかわらず動こうとしなかったのだ。

  私は外務省にあって長く経済援助を担当していたから言えるのであるが、そもそも日本のODA援助にはコンサルタント疑惑はつきものであった。

  なぜならば日本の援助政策の基本が、プロジェクト援助中心であり、相手国政府からの要請をまって行なう要請主義で出来ているからだ。

 すなわち、プロジェクト援助にはそれを作り上げるコンサルタント社の関与が不可欠である。援助案件はコンサルタント社が発掘、作成し、日本の援助が受けられやすい形に持っていく事が常態化している。

 そして、そのようにして作られた援助案件は、受ける側の政府が日本政府に要請してきてはじめて、日本政府がそれを援助対象として検討する事になっている。

 すなわち、日本の援助は日本のコンサルタント業者、援助を受ける政府、そして援助を供与する日本の三者による共同作業なのである。

 そして、残念ながら、援助を受ける国の殆どの政府は腐敗している。

 このPCI事件が新聞で報道されて以来、さぞかし外務省は内心びくびくしていたに違いない。

 外務省みずからが贈賄に関与していた事がばれるからではない。

 外務省の最大の武器であるODA(政府開発援助)に付きまとう構造的な問題点が世の中に知れ渡る事である。

 それを監督する立場にある外務省の担当職員や出先大使官の仕事のいい加減さが明るみに出る事である。

 そして、「外務省だけにODAをまかせるわけにはいかない」という声がまたぞろ頭を持ち上げ、新たな援助担当省庁を作るべしという声が再燃するという恐れである。

 これこそが外務省が最も避けたい事なのである。

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2008年08月04日

本当は政局に明け暮れている暇などないはずだ


 本当は政局に明け暮れている暇などないはずだ

  これからの政局は面白くなってくる。

  だから私も政局の報道を興味深く読んだり見たりする。

  勝手な私見をブログに書いてみたりする。

  しかし、本当は今の日本は政局どころではないのだ。

  政治にそんな暇は許されないはずだ。

  考えてみるがいい。今の政治は国民生活の切実な問題に何一つ答えられないでいる。

  いたずらに時間を費やしているだけだ。

  例えて言えば、

   ガソリンをはじめとする生活物資の相次ぐ値上げを、なんら防ぐすべがない。

  年金問題は何も解決されていない。

  救急医療体制の不備も、介護負担の問題も、日雇い労働者の低賃金と過酷な労働条件も、

  何もかも、議論はしても解決策は何一つ打てないでいる。

  それが今の政治だ。

  政局に明け暮れる暇があれば、どれか一つでもいいから解決してみろ、と言いたいほどだ。

  なぜ私がいきなりそんな事を言い出したかといえば、8月4日の毎日新聞「発信箱」に衝撃的な記事を見つけたからだ。

  「カメラの前の死」と題する北米総局坂東賢治記者の手になるその記事は、7月に米国のテレビニュースで流された映像の衝撃について書いていた。

  ニューヨークの人権団体が、ブルックリン地区の公立病院の待合室で防犯カメラがとらえた映像をテレビで公開した。

  ジャマイカ国籍の黒人女性(49)は病院の待合室で24時間近くを過ごした後、早朝に椅子から崩れ落ちるように床に倒れ、そのまま死亡した。脚にできた血栓が死因と見られる。

  防犯カメラがとらえた映像では女性は倒れた直後には体を動かしていた。警備員らはそれを見ながら救助しようとせず、一時間近く放置していた。保険に入っていない患者は相手にされない。

  それにしてもである。病院で倒れたというのに、そして皆がそれを見ていたにもかかわらず、患者が放置され、死亡するのである。それが今の米国なのである。

  人間が守るべき最低限のセーフティネットさえ米国では危機にさらされている。

  その米国を一回り遅れて追走してきたのが日本である。

  このままではやがて日本の社会もそのような米国の状況に突入していくに違いない。

  わかっていながら何の手も打てないのであればそれは由々しいことだ。

  政治家は政局に明け暮れている場合ではない。

  

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2008年08月03日

ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相とキッシンジャー元国務長官の会談議事録


 ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相とキッシンジャー元国務長官の会談議事録

  機密公文書の公開によって史実が明らかにされる。それによってそれまでの評価が変えられる。

  その例をもう一つ紹介したい。

  8月1日に発売された月刊現代9月号に、春名幹男元共同通信ワシントン支局長(現名古屋大学教授)の貴重な発見が自らの手で語られている。

  すなわち春名氏は、米国ミシガン州にあるフォード大統領図書館を訪れ、そこで、いままで日本のどの学者、研究者も目を通した形跡のないキッシンジャー・佐藤栄作会談の記事録を発見したという。

  そして、その議事録で明かされている新事実を次のように我々に教えてくれている。ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相とキッシンジャー元国務長官の知られざる会談である。

  沖縄返還を成し遂げた佐藤栄作元首相は1974年ノーベル平和賞を受賞した。

  後にも先にも初めての日本人のノーベル平和賞受賞である。

  あの小泉元首相が、自分も欲しいと考えて日朝国交正常化という功労を焦ったと噂されたほどだ。

  受賞理由は外交交渉で沖縄返還を実現した事、そして日本の非核三原則政策を打ち立てた事であるという。

  ところがその佐藤栄作元首相は核武装論者であった。

  さらにまた沖縄返還の際には密約が存在し、いわゆる「核抜き本土並み」返還が嘘だった事が後日米国公文書公開で明らかにされた。

  ノーベル平和賞受賞自体が、本人が寝耳に水だとの驚きのポーズとは裏腹に、周到な受賞工作を結果であった。

  その功労者の一人が前年(73年)にやはりノーベル平和賞を受賞したキッシンジャー国務長官であった。

  これらは既に周知の事実である。

   ところが春名氏が見つけたキッシンジャー・佐藤議事録は、さらに次のような新事実を教えてくれている。

  1974年11月フォード大統領が現職の米大統領として始めて訪日した事があった。

  その時同行したキッシンジャー国務長官を、首相を離れて2年半の佐藤氏が訪れている。

  キッシンジャー国務長官を訪れた目的はノーベル平和賞受賞の際のスピーチの草案について、キッシンジャー長官の了承を取ることであった。

  佐藤氏はそのスピーチのなかで、当時の核兵器保有五大国(米、ソ、英、仏、中国)に向けて核兵器全廃を訴えようとした。そのためにはキッシンジャー長官の了承が必要と考えた。

  ところがキッシンジャー長官はそれを認めなかった。当時通常ミサイルに関しては米国、欧州はソ連より劣っていた。核兵器の抑止力があるからこそソ連を牽制できたのだ。

  何をとぼけた事を言い出すのか。

  それよりも何よりも、核武装論者の佐藤が、ノーベル平和賞をもらったとたんに核廃絶論者づらをすることが許せなかったのだ。

  キッシンジャー長官に一蹴された以上あきらめるしかない。

  佐藤氏は御丁寧にスピーチを報じる新聞のコピーを後日キッシンジャー長官に送り、約束どおり核廃絶を訴える事はしなかったと、身の証を立てるという従順ぶりである。

  その半年後佐藤氏は脳溢血で倒れ世を去ることになる。

  それから30年余り立ち、キッシンジャー氏は、シュルツ元国務長官、ペリー元国防長官、サム・ナン元上院議員らと連名で、この地球上から核兵器を廃絶すべきだと訴えるようになった。

 テロに核兵器がわたるくらいなら全廃したほうがいいという。米国は核兵器より強力な兵器を独占しているからだという。

  いい加減なものだ。

  佐藤氏が聞いたらなんと思うことだろう。

  もっとも、どっちもどっちであるが。

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2008年08月03日

アイゼンハワー米大統領の言葉

 アイゼンハワー米大統領の言葉

 アイゼンハワー米国大統領の有名な言葉の一つに、1962年の退任演説で米国の軍産複合体の危険を予言した言葉がある。

 いずれ米国は軍産複合体の深刻な結果に向かい合わなくてはならないであろう・・・という例の言葉である。

 しかしその言葉よりも、もっと素晴らしいアイゼンハワー大統領の言葉を見つけた。

 8月3日の毎日新聞書評欄で、五百旗頭真防衛大学校長(神戸大学名誉教授)が、「アイゼンハワー政権の封じ込め政策」(佐々木卓也著、有斐閣)という本を論じていた。

 五百旗頭氏は、三十年後には原則として機密政府公文書が公開される米国においては、外交史家が新たな原文書を読み込んで新事実を発見し、あるいはあらたな解釈を試みることが出来る、その結果再評価の津波がたびたび押し寄せる事がある、と指摘する。

 そして、米国外交文書を誠実に読み込んで、アイゼンハワー大統領の真実の姿を我々に教えてくれている佐々木氏の最近著を絶賛している。

 すなわちアイゼンハワー米大統領の在任中の評価は決して高くなかった。ダレス国務長官が冷戦外交を牽引する強力な手腕家であったのに対し、軍事的一辺倒を避けたため、政治的ダイナミズムを欠いた凡庸な軍人大統領と見られがちであった。

 しかし史実はそのアイゼンハワー大統領を再評価させることになる。

 アイゼンハワーは、強硬派ダレスの操り人形ではなく、ここ一番はダレスをしっかりとコントロールしていた。そして実際の戦闘によって相手を破壊するよりも、宣伝・広報工作や東西交流計画を通じ、ソ連の内部変化を追求した大統領であったのだ。

 アイゼンハワーの退任から27年後の1989年、冷戦は一発の銃声もなく歴史的な終結を迎えた。

 その事を考える時、アイゼンハワー大統領の次の言葉が一段と輝いて見える。

  「私は十分に戦争を経験した。平和に優るものはない」

  この言葉の迫力はどうだ。

  米国の元軍人大統領アイゼンハワーのこの言葉に反駁できる者はいないに違いない。

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2008年08月03日

ブログの終了と日本の政治の行く末


 ブログの終了と日本の政治の行く末

  どうやらこのブログを終える時が近づきつつあるようだ。

  その最大の理由は野党ではなく自民党の手によって小泉政治に終止符が打たれたからだ。

  小泉政治の欺瞞と悪を糾弾する事が私を突き動かす一つの大きな原動力であった。

  それが、身内から否定された。

  それを見てしまった私の中から一つの闘争心が失せつつあるのだ。

  しかし、私がブログを止めようと思う最大の理由は、それではない。

  小泉政治は否定されたけれど、小泉偽改革の幻想が生き残り、それが形を変えて日本を苦しめていく事になると懸念するからだ。

  その事を指摘し、国民にだまされるなと警鐘を鳴らしていく事は、もはや私には手に余る大きな作業である。

  もっと具体的に述べてみる。

  3日のフジテレビ「報道2001年」で西部遭が極めて的確な発言をしていた。

  すなわち、今度の内閣改造は明らかな小泉政治の否定であり、自民党の大半の議員はそれが正しいと思っている。しかし、「小泉改革すなわち善」、と考えているメディアと、そのメディアに踊らされてきたおろかな国民をおそれ、福田自民党は小泉改革否定と明言できない。だから福田政権は苦しい、と。

  その通りである。

  たとえば今日の新聞の社説を見るがいい。「改革路線を捨てるのか」(東京新聞)、「福田改造内閣は改革を逆行させるな」(日経新聞)などと、福田政権たたきは続く。

  この風潮が国民の目を曇らせることになる。

  福田政権たたきがそのまま民主党政権への政権交代への主張につながるのであればいい。しかし決してそうではない。

 政局が自民党政権内部の改革派、反改革派の対立、脱官僚派、官僚依存派の対立図式にすりかえらる。

 この事は政権交代を遠ざける事になる。

 なぜならば小泉改革派の考えは民主党の考えと似てくるからだ。民主党の中には小泉改革派に近い者が多く存在するからだ。

  自公政権と民主党野党の政権交代争いは、もちろん今後の政局の中心であり続けるだろう。

  しかしそれ以上に自民党の中の小泉、反小泉争いが本格化し、国民の目は改革か反改革かという方に向けられていく。

  このことが自民党生き残りのための意図された見せ掛けの対立であると考える者がいる。

  私は決してそうは思わない。もはや小泉派と反小泉派はもとには戻らない。戻れない。

  しかし、そんな事はどうでもいい事だ。

  重要な事は、偽自民党対立であっても本物の自民党対立であっても、よほど民主党がしっかりしないと、政権交代への世論の関心が薄れていく危険性があるということである。

  果たして次期総選挙で政権交代はあるのか。

 私は政権交代をすべてに優先する立場の一人である。だからこれから総選挙まで、ただひたすらに政権交代を訴え続ける。

  総選挙まではブログを書き続ける。

  もし政権交代が起きれば文字通り私のブログの役割は終わる。

  政権交代が起こらなければ気の遠くなるような先の長い不毛な政治がつづく。

  もはやブログを書き続ける気持ちにはなれない。

  いずれにしてもこのブログを終える時が近づきつつある。

  

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2008年08月02日

アーミテージと日米軍需利権


 アーミテージと日米軍需利権

  日刊ゲンダイに春名幹男という元共同通信ワシントン支局長(現名古屋大学教授)が、「国際情報を読む」という週一回の連載を書いている。

  私はこの連載を毎回楽しみに読むことにしている。

  彼の視点が私のそれと一致するからだ。

  その情報の確かさを私は高く評価するからだ。

  その春名氏が、8月1日の日刊ゲンダイに、「20年前から追求されているアーミテージ氏と日米軍需利権」という記事を書いていた。

  防衛コンサルタント秋山直紀容疑者の捜査が、果たして日米軍事利権の闇を解明につながるか。

  その観点からも春名氏の記事は興味深い情報を我々に教えてくれている。

  アーミテージ元国務省、元国防省高官は、日本政府や政治家、メディアが重用する人物だ。

  いつまでたっても米国との間で人的パイプが築けない日本の政・官・財の弱みにつけこんで、親日派、知日派の名をほしいままにしてきた人物だ。

  秋山容疑者が日本の防衛族を米国に連れて行くときに必ず記念写真に納まっている。

  彼はいわば「日米同盟のドン」なのだ。

  そのアーミテージが20年も前に米国議会で「日本利権」を追及され、パパブッシュ時代に国務次官補のポストを棒に振った経歴があるという。  

  春名氏の記事はその事を教えてくれている。

  国務次官補を辞退せざるを得なくなったアーミテージは、その後コンサルタント会社を経営し、多くの日本企業をカモにしてきた。

  この事だけでも、十分な利権疑惑を想起させる。

  そういえば最近6年余の長きにわたって駐米大使をつとめ帰国した加藤前駐米大使は、愛娘の就職をアーミテージに頼んでいたという癒着振りが日本の週刊誌で報道されたことがあったが、この時事はそれ以上追求されずに封印された。

  春名氏は、日刊ゲンダイの記事を次の言葉で結んでいる。

  「今度の事件の捜査では日米を結ぶ軍事利権にメスが入るのだろうか」と。

  まずそれは無理だろう。

  それを知ってあえて春名氏はそう書いているのだ。

  日米同盟関係の実態を知っている春名氏だからこそ、この問題はこれ以上広がらない事を知っている。

  ジャーナリズムに身を置いたことのある春名氏だからこそ、日本のメディアも、日米軍事利権の疑惑を追求しない事を知っている。
  
  春名氏がこの記事で訴えたかった事は、まさにこの欺瞞であるに違いない。

  

 

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2008年08月02日

 こういう言葉を使ってみたい


 こういう言葉を使ってみたい

  いい言葉を見つけた時、私はうれしくなる。

  コマーシャルのセリフではないが、「金はないが暇ならある」という今の私の最高の楽しみだ。

  最近見つけた幾つかの言葉を紹介したい。

  いずれも記憶をたどっての言葉だから一字一句正確に再現できないが、その意図するところは明確だ。

  「米国は自分達の商業利益だけを考えている。我々はインドの農家を守りたい」

  これはWTO交渉の最後の段階で、インドの代表が外国記者団に話した言葉だ。

  自国の安い農産品を開発途上国にまで売りつけようとして関税削減を迫った米国に対し、インドはセイフガードのハードルを下げなかった。結果としてWTO交渉は決裂した。

  交渉が決裂する事をおそれず「インドの農業を守りたい」と言える自信。これが政治家だ。

  日本の政治家がここまで言えるか。

  ちょうど同じ頃、日本の閣僚達は外国人記者を避けて日本人記者相手に会見していた。

  「外国人記者の厳しい質問にはとても答えられない」(政府関係者)(8月1日朝日)という。

  言葉で勝負する前に負けている。

  秋葉忠利広島市長の次の言葉もいい。

  8月6日の広島原爆記念日の挨拶文の要旨を、1日の記者会見で披露した時の言葉だ。

  「核兵器は廃絶されることにのみ意義がある」

  核兵器に反対するこれ以上の言葉はない。

   蛇足ながら、もう一つの言葉を引用したい。

  これはほめる言葉ではない。嘲笑の対象として引用する言葉だ。

  「(現在の金融危機は)1世紀に1度起きるかどうか(の危機に)発展している」

   CNNのインタビューにグリーンスパン前FRB議長が答えた言葉であるという(8月2日読売)。

   サブプライムローンの危険性を知りながら放置した者の言葉だ。

   そのグリーンスパンを、かつて日本政府や経済専門家は、「米国経済を支えた神様だ」と絶賛していた。

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2008年08月01日

 小泉時代の終焉(その2)-小沢民主党の正念場

 小泉時代の終焉(その2)-小沢民主党の正念場


  改造内閣後の福田政権は果たして支持率を向上させる事が出来るだろうか。

  今度の改造内閣の顔ぶれはパフォーマンス好きの一般国民にとっては地味に見えるかもしれない。

  だから支持率は大して上がらないかもしれない。

  麻生幹事長は失言癖がある。問題発言をしないとも限らない。

  選挙対策責任者の古賀誠氏と麻生氏の対立関係もある。

  何よりも山積する内政・外交の難問がある。

  福田自民党にとっての正念場は続く。

  しかし、それにもかかわらず、私は今度の改造内閣は小沢民主党にとっては手ごわい相手だと考えている。

  むしろ正念場は小沢民主党の方かもしれない。

  なぜか。

  一つには改造内閣の顔ぶれだ。よく見ると強力な顔ぶれだ。浮ついた小泉パフォーマンスを排除した、本来の挙党一致内閣だ。

  小泉自民党とは違って平沼グループや国民新党などとも寄りを戻せるかもしれない。

 二つには政策面における手ごわさだ。

  改造後の新福田自民党は、一方において生活重視の政策を更に打ち出し、アジア重視の外交を続け、他方において麻生氏を前面に出してナショナリストの感情をなだめる。

  つまり民主党との違いをなくす一方で、民主党の弱点である左翼的な部分と対抗して幅広い国民の支持を求めていこうとするからだ。

  三つ目には民主党に自滅、分裂の脆弱さが常につきまとうからだ。

  自民党はあらゆる手段を講じて民主党の自滅を画策してくるだろう。民主党議員の醜聞一つで世論の動きは移ろう。

  その謀略を小沢民主党ははねつけられるか。

  その一方で小泉元首相の揺さぶりがある。

  自民党の中に居場所がなくなった小泉元首相が、このまま引き下がるとは思えない。メディアが小泉人気をあっさりと手放すとは思えない。次男を当選させなくてはならないという事情もある。

  小泉元首相は民主党に手を突っ込んで新党づくりに動き出すかもしれない。

  小沢民主党はその画策に耐えられるか。

  小沢民主党の悲しいところは、このような自民党や小泉元首相の手練手管に負けない政治家が、あまりにも少ない事だ。

  小沢一郎自身の国民的人気がいつまでたっても低い事だ。

  これからが小沢民主党の正念場である。文字通り解散・総選挙に向けて福田自民党と小沢民主党のガチンコ勝負である。

  国民にとっては最大の見せ場が明日から始まるということだ。
  

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2008年08月01日

小泉時代の終焉(その1)ー福田自民党政権の正念場

 小泉時代の終焉(その1)-福田自民党政権の正念場

  これから週末にかけての政治ニュースは福田改造内閣をめぐる政治評論で一色になるだろう。

  その前に私が先手を打って独断的解説をしておく。

  今度の内閣改造の最大の目玉は麻生太郎が幹事長となったことだ。

  およそ福田首相と肌色の異なる麻生氏。

  一年前の自民党総裁選では福田首相と一騎打ちの戦いをした麻生氏。

  福田政権ができた時、考えが違うと言って入閣を断った麻生氏。

  その麻生氏に福田首相は幹事長就任を頼んだ。その要請を麻生氏は今度は引き受けた。

  自民党生き残りのための見事な打算だ。政治ドラマだ。

  選挙に勝ったら次はお前だ、とでも福田さんは麻生氏に言ったのではないかと思いたくなる。

   次の総選挙は文字通り福田自民党の正念場である。

   選挙に負ければ福田首相は与党自民党最後の首相という汚名を背負う。

   自民党が下野すれば、70歳近くの麻生太郎の首相就任の可能性は完全になくなる。

   後のない二人の自民党政治家が、次期総選挙で勝つために、自分を殺して手を組んだのだ。

   この事は何を意味するか。ついに福田首相は小泉時代を終わらせたということだ。

   これこそが私が今度の内閣改造で最も注目した点である。

   かねてから私は、福田首相が小泉元首相を嫌っていると考えてきた。そう指摘してきた。

   その傍証はいくらでもあった。

   そもそも小泉政権時に官房長官を突然辞したのは、飯島勲を増長させた小泉への抗議だった。   
   田中真紀子が外相を更迭され涙を見せた時。小泉元首相は女の涙は最大の武器だと言った。それを聞いて「小泉首相に泣かされてみたい」などという気色悪い言葉を吐いて忠誠を尽くした川口順子参議院議員に対し、「環境大臣をやっていたのだから(勝負服の)赤ではなく、緑色の服を着たらどうか」などと福田首相が皮肉っていた。

   最近に至っては小泉元首相の福田おろしの言動に心底頭に来ていたに違いない。なにしろ内閣改造や解散・総選挙と言う首相の専権事項について、あれこれと無責任な発言を繰り返していた小泉氏だった。

   その小泉氏の子分だった飯島勲の福田批判も福田首相にとって許せなかったに違いない。

   支持率を回復するためには小泉人気を使えばよさそうなものだが、福田首相は決してそうしなかった。

  「(山口補選の)応援演説を頼んだらどうか」、とか「後期高齢者医療制度の説明は、(それを導入した)小泉元首相にしてもらったらどうか」などという周りの声を、福田首相は露骨に無視した。

   そして麻生太郎の幹事長要請だ。小泉とは相容れない麻生氏だ。小泉元首相の政策を批判を公然と行なう。しかも麻生氏には小泉的な大衆人気がある。

   小泉人気を拒絶し、麻生氏で自分にない人気を取ろうとしたのだ。

   小泉政治との決別は閣僚人事にも現れている。

    下馬評にあがっていた小池百合子を決して入閣させようとしなかった。

    それとは好対照に、小泉元首相を批判し、刺客を送られ、その刺客と戦って勝った野田聖子を入閣させた。

   見ているがいい。これからの政局で、自民党議員としての小泉純一郎の出番はなくなるだろう。

   福田首相は麻生氏とともに選挙に戦うのだ。自民党の大方の派閥の領袖もそれに協力する。

  彼らは、自分だけ好き勝手をして自民党を壊した小泉を憎んでいる。

  小泉人気に頼ることなく選挙を戦う覚悟をしたのだ。もはや小泉氏など相手にしないだろう。

  こうなれば自民党主要議員の中に友人を持たない小泉元首相の居場所はなくなる。

  それとともに武部や小泉チルドレンはもとより、中川秀直や小池百合子などの出番もなくなる。

  小泉政治、小泉劇場の終焉である。

   

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2008年08月01日

WTO交渉の決裂と日本の沈黙

 WTO交渉の決裂と日本の沈黙

 たとえば、悪事をあばいて批判してみたり、平和が一番と叫んだりする事は簡単である。

 私がこのブログで毎日行なっている事だ。

 あるいはその逆に、政府側に立って政策の正当性を主張したり、軍備なくしてどうして国が守れるのか、と居丈高になるのも簡単だ。よく見かける保守、反動ブログが好例だ。

 しかし、本当に難しい事は、白黒つけられない問題にどう答えを出すか、そしてその答えの正統性を、自信をもって不特定多数の人々にどう説得できるか、という事である。

 WTO交渉の決裂を見てそう思う。

 資源を持たない貿易立国の日本は自由貿易の最大の受益者である。

 そしてその通り、日本は戦後の世界自由貿易体制(GATT)の恩恵にあずかって、戦後復興と経済成長を成し遂げた。

 ところが、自由貿易体制は強者の論理である。

 世界の大多数はいわゆる開発途上国という弱者である。

 しかも、どのような国でも、つまり米国や欧州や日本といった西欧先進国でも、国内に開発途上産業、衰退産業という弱者を抱えている。

 強者の論理で、強者の利益だけでなく弱者の要求をどう満たすか。これこそが近年のWTO交渉の難しさであった。

   話は横道にそれるが、かつて私は1970年代の末にスイスのジュネーブにある国連日本政府代表部に勤務し、そこで連日行なわれる経済交渉会議に携わっていた事がある。

   当時ジュネーブの経済交渉といえば、開発途上国問題を扱うUNCTADと、先進工業国間の自由貿易を話し合うGATTの二つに大別されていた。

   UNCTADは、多数の弱者途上国と先進国が対立する労使交渉のような会議で、小田原評定だとGATTの担当者からはバカにされていた。

   それに引き換えGATTは、先進国主導の交渉だった。

   利害が激しくぶつかるかわりに、最後は結論がでる。

   規則に違反する経済活動を行なえば訴訟で白黒をつけられる合理性がある。

   必然的にGATTの交渉は真剣なものになるが、先進国は、そのプライドをかけて最後は交渉をまとめる、そういう不文律があった。

   それが変わり始めたのが私がジュネーブにいた70年代末であった。

   おりから起きた開発途上国の資源ナショナリズムなどにより、国際貿易において開発途上国の意見を無視できなくなったのだ。いわゆるGATTのUNCTAD化である。

   その時のGATT担当者が、GATTも堕落したものだと嘯いていたのを今でも私は思い出す。

   それから30年、いまやGATTはWTOと名前変え、多くの開発途上国を参加国とする世界的機構になって久しい。

   しかも開発途上国はもはやかつての開発途上国ではない。

   インド、中国、中東金融資本国、などと、成長著しい新興発展国としてサミットにまで招かれるように成長した。

   その一方で米国や欧州の先進国にとって、国内産業保護は、ますます重要な国内政治問題となりつつある。

   従来ならば先進国同士が国内産業保護について妥協すれば交渉はまとまった。 

   欧州と米国が妥協すれば、日本がはじき出されて終わりだった。

   今回の交渉もそういう結末で終わりそうだという報道もあった。

   ところが突如としてインドが米国に反撥し、中国がそれを支持した。

   この両国は、もはやかつてのインドや中国ではない。世界一、二位の人口を抱え、経済、技術力の向上を果たした自信に満ちた国だ。

   西欧先進国に追いつこうとするこれらの国にとって、国の経済発展を第一に優先する事に何のためらいもない。

   国民はそれを支持する。国民の支持を背景に堂々と自国の国益を主張できる国となった。

   だからWTOが決裂するのはやむを得ない。

   そしてこの事はWTOの将来に暗い影を投げる。

   世界的な自由貿易体制を目指すこれまでの方向から、新しい時代のブロック経済化時代に移行する前兆である。

   そこで日本である。

   どの新聞を見ても日本の存在感のなさを嘆いている。

   しかし、それは無理もない。

   日本は世界で最も低関税率を誇る産業、技術先進国であるにもかかわらず、その一方でコメを最優先する農業保護政策国であるからだ。

   おまけに日本は、米国やインドや中国のように、「国益優先で何が悪い」と開き直る強さがない。戦略がない。

   さらにいえば日本は、低価格の自国農産物を海外で売りさばくために開発途上国にまで関税削減を求める理不尽な米国に、何も言えない国なのだ。

   7月31日の読売新聞に次のような光景が描かれていた。

 ・・・ジュネーブのホテルの一室では、農林族と農林水産省や外務省の幹部が、「ありがとう」、「ご苦労さま」と声を掛け合い、がっちりと握手した・・・

   つまり日本は、自分達が悪者にならずに交渉が決裂した事で、結果的には農業を守れてよかったのだ。

  その一方で経済産業省や日本の産業界は、「輸入拡大という自由化のメリットを逃がした」、「長い目でみれば決裂は損失が大きい」などと言う。

  要するに、日本全体としてコンセンサスがないのだ。

 貿易自由化と農業保護という相反する政策を、いつまでたっても調整できないのだ。

  WTO交渉決裂を報じた日の各紙はすべてこの問題を社説で取り上げた。

  そしてその社説はすべて、貿易自由化を後戻りさせるな、農政改革に取り組め、というものだ。

  建前ではその通りだ。しかしわかっていてもそれが出来なかったのがこれまでの日本であった。

  その最大の理由は政治が国益をまとめ切れなかったからだ。

  政治家が選挙の票を優先して、政策を歪めて来たからだ。

  それを一言で言えば政治にリーダーシップがなかったからだ。

  最近の日本の政治でリーダーシップを発揮した首相は小泉元首相だと言われている。

  私もそう思う。

  しかし、小泉元首相のリーダーシップは、間違ったリーダーシップであった。

  日本を破壊し、米国に日本を売り渡し、アジアを敵に回した、おろかなリーダーシップであった。

  いまこそ正しいリーダーシップを持った政治家が現れなくてはならない。

  自分の私利私欲、気まぐれの小泉偽改革ではなく、国民のための真の改革ができる指導者が必要だ。

  果たしてそのような指導者があらわれるのか。

  WTOの交渉決裂と日本の沈黙を見て、つくづくそう思う。

  

 
   

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2008年07月31日

竹島問題と日本外交の沈黙


 竹島問題と日本外交の沈黙

  韓国の強い抗議によって、米国が当初の中立的な立場から、一転して竹島は韓国領土であると言い出したらしい(時事通信)。

  韓国の「極めて高いレベル」からの申し入れを受けてブッシュ大統領がライス国務長官に命じたという。

  これが本当であれば日本外国の無力さは深刻である。

  米国の最良の同盟国であり続けた日本を、米国があっさりと袖にしたからだ。

  北朝鮮についで韓国との外交においてもだ。

  この外交の大失態については、どうしても書かざるを得ない。

  中学校の学習指導要領解説書の記述に端を発した竹島問題の再燃は、その大部分が外務省の判断ミスからもたらされたものだ。

  そもそも竹島の領土権問題は、政治的にも外交的にも当面の解決は不可能である。

  この事はこれまでの様々な経緯から誰の目にも明らかだった。

  右翼がナショナリズムを煽って領土権を主張し、政府の弱腰を批判するのは勝手だ。

  左翼が、日本の過去の誤りを理由に、領土権の問題に沈黙したり、韓国に譲歩しろなどと言うのにも驚かない。

  しかし、政府、外務省の対応は、そのいずれであってもならない。

  主権を放棄することなく筋を通す一方で、国益を考えた現実的な外交を辛抱強く行なうほかはない。

  国際司法裁判所に判断を委ねたいと言ってわが国の立場を維持する一方で、この問題を当面の間凍結しておくという外交は、立派な現実的外交である。

  もし外務省がそのような確固とした戦略を持っていたならば、文部科学省が学習指導要領解説書に領土権を明記するなどという動きを見せた段階で、すかさずこれを止めさせるべきであった。

  福田総理に問題提起をして迅速に総理決断で止めさせるべきであった。

  しかし、現実にはそれが報道されるところとなり、韓国国民がすかさず反撥した。

  歴史問題で日本に謝罪や反省を求めないという姿勢を示して登場した李明博大統領の、未来志向の立場を追い込んでしまった。

  外務省の第二の誤算は韓国国民の反応と各国政府の対応を見誤った事である。

  譲歩したはずの表現が韓国国民や韓国政府にまったく評価されず、韓国側の対応がどんどんとエスカレートしていった事である。

  この点については、さすがの私も韓国側の対応に行き過ぎがあると思う。

  市民レベルの友好交流を打ち切ったり、竹島近海で軍事演習するなどという対応は、誰が見ても間違っている。

  そのような韓国政府の対応を前にして、「冷静な対応を求めたい」などという事を、総理や官房長官に独り言のように繰り返させる外務省の対応は、あまりにも策がない。

 韓国国民反撥、反日感情は抑えようがないとしても、韓国政府の対応については話し合いができるはずだ。そして話し合いをすべきだ。

  の意味で7月31日の産経新聞に出ていた武貞秀士防衛研究所統括研究官の「両国は率直に意見交換を」という提言は正しい。

  ところが外務省にその動きはまったく見られない。

  「物言えば唇寒し」とでも言っているように、沈黙を守り続けている。

  それを福田総理や町村官房長官に振り付けている。

  しかしこれは外交ではない。戦略ではない。単なる無策に過ぎないのだ。

  そして今度の米国の韓国寄りの発言である。

  報じられる通り、もし米国が韓国の「極めて高度なレベル」からの要望を受けて、竹島は韓国の領土であると立場を鮮明にしたのであれば、外務省が対米外交でも韓国に負けたということだ。

  日米同盟を最優先して対米従属を続けてきた日本が、米国産牛肉問題や在韓米軍問題で、時として激しい反米感情を見せる韓国に、対米外交で敗れたのだ。

  米国は、あらゆる米国の要求を受け入れて譲歩を繰り返してきた日本よりも、韓国の要望をあっさりと受け入れたのだ。

  それでも日本は米国に文句の一つも言わない、言えない。

  そうであればもはや日本外交は不要という事になる。外務省は不必要ということになる。

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2008年07月31日

ホテル代を踏み倒した外務官僚


 ホテル代を踏み倒した外務官僚


  このニュースには驚いた。外務省はまだこんなことをやっていたのだ。

  40歳の外務官僚が1泊5万円のホテルに300日間滞在し、そこから毎日通勤していたと、31日の各紙が一斉に報じている。

  それだけなら、なんと贅沢な事をしている外務官僚だ、で終わってしまうのだが、その宿泊代約1500万円の支払いを拒否続けて、ホテル側から訴えられそうになっているというのだ。

  このニュースは一見すると不届きな一外務官僚の個人的不始末のように見える。

   しかし、問題は、このような官僚が後をたたないという外務省の土壌にある。

  一職員の不祥事を放置し続けた外務省の「緩み」と「統制力」の弱さがある。

   しかも、これは外務省の職員であるという立場を利用した一種の横領であり、組織ぐるみの不祥事であるのだ。

  それはこういう事だ。

  招待外交を繰り返す外務省はホテル側にとって大きなお得意先である。

  私が外務省にいた時もそうであったが、外務省は他の省庁と違って、国際会議費、要人招待費の大きな予算を持っている。

  おそらくその予算は、人の往来が激しくなった今日においては更に膨れ上がっているに違いない。

  この職員が高額な宿泊を繰り返し、しかもその支払いを一年近くも未払いでいられた背景には、お得意様である外務省の立場を利用した甘えがあったに違いない。

  そして一年近くも未払いをしていたことに対するホテル側の不満が外務省関係者の耳に入っていなかったはずはない。

  知っていながらこの職員を放置してきた外務省という組織のゆるみがあるのだ。

   それはそのまま7年前の一職員による巨額な機密費に横領事件を思い起こさせる。

   そういえばあの事件の張本人であった松尾某はもうすぐ刑期を満了して出所してくる頃だ。

   一人の職員にすべての罪を押し付けた逃げた外務省の幹部やOBはさぞかし後味が悪い思いをしていることだろう。

   松尾事件は外務省にとって立ち上がることの出来ない傷を残した。

   それに懲りて外務省改革なるものが行なわれた筈であった。

   それにもかかわらず、今再びこのような事件が出てくる。

    それはその改革なるものがでたらめであったという事だ。

    外務省の弛緩した体質は何も変わっていないということだ。

    むしろ外交が行き詰まって仕事がなくなった分だけ、暇をもてあまし、モラルは更に低下しているのかもしれない。

    報道によれば、外務省は「本人とも連絡を取った上で詳細を確認したい」と言っているらしい。

    こんなとぼけた事を言っている外務省では、さぞかし外に出ない多くの不祥事を抱えているに違いない。

  

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2008年07月31日

拉致家族を正しい方向に導く人が現れないものか


 拉致家族を正しい方向に導く人が現れないものか

   このところすっかり報道されなくなった北朝鮮問題について書いてみる。

   25日の読売新聞社説は、鳴り物入りで初めて行なわれた6カ国外相会議が、「核も拉致も進展しなかった」という見出しで、米国の対朝鮮宥和政策とそれに従うしかない日本政府の無策を批判していた。

  読売新聞が社説に掲げるまでもなく、わが国の対北朝鮮外交は迷走を繰り返し、国民に真実を明らかにされないまま行き詰まったままだ。

  このままでは、拉致問題は国民が納得する形で解決される見通しは皆無に近い。

  いずれ拉致被害者家族に冷酷な事実が告げられ、国益のためにはそれを受け入れるしかないではないか、と迫られて拉致問題は終止符を打たれることになるだろう。

  これに対し、拉致被害者家族会は街頭抗議を必死に続けて、国民に訴えている。

  30日も新潟市内で、制裁解除はするな、万景峰を入港させるな、とシュプレヒコールを挙げたと報じられた(31日読売新聞)。

  その少し前の7月9日には、洞爺湖サミットでの福田首相の熱意のなさに失望し、「もはや日本政府には期待できない」と、今後は政府と距離を置く方針を明らかにした(7月10日毎日新聞)。

  その気持ちは痛いほどわかる。

  私も北朝鮮の非道を憎み、一日も早い被害者の救出を強く願う者の一人である。

  だからこそ、このような拉致被害者家族の対応を残念に思う。

  拉致被害者家族の行なう事は、決して制裁強化ばかりを主張する事ではない。

  拉致被害者は絶対に日本政府と距離を置いてはいけない。

  拉致家族が行うべき事はなにか。

   それはあくまでも日本政府や外務省に対し、北朝鮮とのトップ会談を通じて、一日も早い拉致被害者の救出を求め続ける事である。

  すなわち、拉致被害者が相手にするのは、金正日の北朝鮮ではなく、福田首相の日本政府だ。

  そのためには日本政府と距離を置いてはいけない。日本政府がこれまで如何に無能で不誠実であったとしても、いやだからこそ、その日本政府に、国民を救出する責任は政府にある、と迫り続ける必要があるのだ。

  そしていたずらに制裁強化ばかりを訴えるのではなく、どのような手段でもいいから、とにかく一日もはやく拉致被害者を救出して欲しい、もし、もはや生存していない事が確認されているのなら、その事実を早く公表し、その後の正しい対応を示して欲しい、嘘をついてこれ以上我々の心をもてあそばないでくれ、と詰め寄ることである。

  拉致被害者の救出については、街頭で寄付をすることぐらいしかしてこなかった一国民の私である。

  拉致被害者家族やそれを支えてきた関係者に意見を言える資格は私にはない。

  それを承知で、私はこころより願う。

  拉致被害者家族を正しい方向に導く人が現れて、政府、外務省に対し、正しい対応を取るよう迫っていく事が出来ないかと。

  今求められている事はそのことである。
  

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2008年07月30日

今上天皇の声なき声

 今上天皇の声なき声

  30日の毎日新聞に、天皇陛下のご意向を受けて9月6-7日に新潟市で開かれる「第28回全国豊かな海づくり大会」の「海上パレード」が中止されるという記事が大きく掲載されていた。

  この記事は、「新潟市は29日・・・天皇陛下のご意向を受け中止すると発表した・・・」となっているから、すべての報道機関に知らされた情報に基づいて書かれたものに違いないが、なぜか毎日新聞だけがスクープのように大きく掲載していた。

  その記事はさらに次のように詳しく経緯を書いている。

  宮内庁によると、陛下はいまの漁業及び漁業関係者をとりまく厳しい環境を踏まえ、日々の漁業活動に及ぼす影響を最小限にとどめて今回の運営にあたっていただきたい、とのお気持ちである、という。

  宮内庁から新潟県にパレード中止を検討するよう連絡があったのは、全国一斉休漁があった7月15日だったという。

  あきらかに天皇陛下は燃料高騰で苦しんでいる国民の事を憂えているのだ。

  今上天皇の平和を願う気持ちは、これまでにも随所に示されてきた。

  その事についてはこのブログでも取り上げた。今の日本で、政府の憲法9条に反する政策を最も残念に思われているう人は、明仁天皇ではないか、と。

  その今上天皇が、この国の指導者の誰よりも本気になって国民の苦しみに思いをはせているのである。

  私は思う。今上天皇は、この国の政治の無能さに、日々怒りと苛立ちを感じているに違いない、と。

  その立場上、発言は出来ないけれど、声なき声で政府を叱責しているに違いない、と。

  この国の指導者や政治家、官僚は、自らを恥じなくてはならない。

  天皇陛下にこのような思いをさせるとは、かつてならば切腹ものだ。

  新憲法になって天皇陛下は象徴となった。政治に関与してはならない事になった。

  そのかわりに新憲法は総理大臣という職に絶大な権限を与えた。

   その総理大臣が、小泉元首相のように、靖国参拝を控えた昭和天皇の事を、俺には関係ないと  言い放つ時代になった。

   石原東京都知事が皇太子を呼び捨てにする時代になった。

   そのような言動に対し右翼まで沈黙する時代になった。

   天皇の権威とは一体なんであろうか。皇室の役割とは何であろうか。

   それよりもなによりも、平和を願い、国民の暮らしに思いを馳せる今上天皇に対し、

   この国の指導者達は自らを恥じなければならない。

   今上天皇の声なき声を重く受け止めなければならない。

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