開幕間近の北京五輪に狙いを定めたように、中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区カシュガルで4日発生したテロ事件は、胡錦濤指導部に計り知れない衝撃を与えた。事件の背景は明らかではないが、新疆の分離・独立を掲げる過激派組織による犯行との見方が強い。中国指導部は、四川大地震からの「復興五輪」と位置付けたい大会だが、「テロとの戦い」が五輪の成否を分ける重要な要素として浮上してきた。北京はさらに警戒を強めながら8日の開幕を迎える。【北京・浦松丈二、西岡省二、小坂大】
「五輪の安全は泰山のように重い」。中国の胡錦濤国家主席は7月26日、共産党政治局メンバーを集めた会議で、五輪期間中の安全確保を中国の名峰に例えた。チベット暴動(3月)と四川大地震(5月)を克服し、五輪を成功に導くのは胡指導部の最重要課題。だが、テロは五輪開幕週に入った月曜朝という最悪のタイミングで起きた。指導部への挑戦状とも受け取れる。
新疆ウイグル自治区のマイハスティ副主席は1日の記者会見で「われわれは五輪破壊活動に対して十分な準備をしてきた。(過激派が)破壊活動を行う前、芽の段階で徹底的にたたきつぶす」と自信を示していた。
中国当局はとりわけ「東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)が五輪テロを計画している」(馬振川・北京市公安局長)として警戒してきた。ただ、カシュガルの地元当局者が「ETIMが8月1~8日にテロ攻撃を計画している」との事前情報を入手していたにもかかわらず、この時期にテロを許したことで警備の弱点が露呈した形だ。
中国から新疆ウイグル自治区の独立を求めるトルコ系民族の間には、ETIMを含め複数の組織が存在するとされる。1933年と44年に新疆で政権を樹立した歴史がある「東トルキスタン」の復活を目指すが、90年代からこれまでに自治区ではテロで160人以上が犠牲になるなど独立の動きがくすぶる。
カシュガルの事件がETIMの犯行かどうか明らかではないが、手製爆弾で武装し、警官を襲うという手口から、イスラム過激派による可能性は極めて高い。静岡県立大の星野昌裕准教授(現代中国政治)は「新疆ウイグル自治区でも軍や武装警察は漢民族が幅をきかせている。為政者の象徴的なものとして、住民の不満が国境警備の警官へ向かった可能性もある」と推測する。イスラム色が濃いカシュガルでは7月、ETIMメンバーとされる2人への死刑が執行されており、4日のテロはETIMによる報復との見方もある。
雲南省昆明市で乗客2人が死亡した7月21日のバス連続爆破事件に続き、カシュガルでもテロが起きたことは、中国指導部に対して相当な心理的圧力になるのは確実だ。
早稲田大学の宇野和夫教授(中国社会研究)は「中国当局から弾圧された側は、国家の威信をかけたイベントである五輪をつぶしてやろうとタイミングを計っているに違いない。五輪は民族統合のイベントなのに、チベットや新疆では民心が離れてしまっている。こうした事件は今後も続き、五輪後も政府は力での乗り切りを図るしかないだろう」と指摘する。
72年ミュンヘン大会の選手村襲撃事件後は平穏な五輪が続いたが、96年アトランタ大会での五輪公園爆弾テロを機に、五輪の警備は強化されてきた。「平和の祭典」は、厳重な警備下で開かれるのが当たり前になっている。北京大会では、ボランティアを含めると延べ約151万人が警備に当たっている。
選手村は、コンクリート壁と二重の鉄柵で囲まれ、約100メートルおきに武装警官が配置されている。選手・役員の出入りの際もX線検査機で所持品をチェック。警備員によると、車両は座席の下からスペアタイヤの中まで調べ、爆発物の有無を確認する。ライターやナイフだけでなく、先端のとがった傘なども持ち込み禁止。携帯電話も、発火装置が隠されていないか確認する。
その他の関連施設もすべて金網に囲まれ、入場者の厳重なチェックが行われている。
人民解放軍幹部は(1)新疆ウイグル自治区の分離独立勢力「東トルキスタン・イスラム運動」(2)チベット分離独立勢力(3)非合法化された気功集団「法輪功」--をテロの脅威に挙げる。「国内外のテロ勢力は、必ず五輪の破壊、妨害を試みてくる」との見方だ。
国際オリンピック委員会(IOC)広報担当者は「現時点で特別な行動を取る予定はない。中国当局が安全確保のため全力を尽くしてくれると信頼している」と語った。
北京入りしている日本代表選手はほとんど事件のことは知らなかった。2大会連続出場のある男子選手は「正直言うと怖い。アテネ五輪にはすっきりと参加することができたけど、今回は食品の安全性や大気汚染を含め競技以外の心配が多い。中国の人々に、この五輪はプラスなのだろうか」と沈んだ声で語った。
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■ことば
面積は中国の省・自治区の中で最大の約166万平方キロで、全土の6分の1を占める。パキスタンやアフガニスタンなどと国境を接し、人口約2050万人のうち60・4%がイスラム教徒のウイグル族やカザフ族などの少数民族。区都ウルムチから西に約900キロ離れたカシュガルは、シルクロード貿易で栄えたオアシス都市だ。市中心部には新疆最大規模のイスラム教寺院やバザールがあり、観光産業にも力を入れている。周辺の11県を含めた地区全体の人口約330万人のうち、少数民族は9割に上る。
毎日新聞 2008年8月5日 東京朝刊