最終更新時刻:2008年8月5日(火) 15時56分

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毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題

公開日時:
2007/01/25 13:25
著者:
佐々木俊尚

 少し古い話になるが、毎日新聞が元旦の紙面で「ネット君臨」という年間企画連載をスタートさせた。この連載をめぐって、ネットの世界からは激しい批判が巻き起こったのは記憶に新しい。

 私もこの連載を通して読んでさまざまな感想を抱いたが、その感想についてはとりあえず別の機会に書いてみたいと思う。ここでは、「ネット君臨」がもたらした「取材」という行為の正当性と可視化についての問題について、少し考えてみたい。「ネット君臨」における取材行為は、その問題を考えるための格好のケーススタディになっているように思われたからだ。そこで記録として、若干の取材結果も踏まえてこのブログにその経緯を記しておこうと思う。なお最初に記しておくが、この経緯はあくまでもがんだるふ氏の側から見た一連の経緯であって、毎日新聞サイドには現時点では私は取材していない。したがってエントリーの内容が、かなりがんだるふ氏に拠っていることをお許しいただきたい。毎日新聞サイドがこの件をどう見ているのかについては、いずれ日を改めてアップロードしたいと思っている。

 さて、「ネット君臨」の第一回のテーマは、昨年秋にネット界隈で話題になった「死ぬ死ぬ詐欺」と呼ばれる件だった。今さらではあるが簡単に説明しておけば、難病(拘束型心筋症)にかかっている上田さくらちゃん(四歳)がアメリカでの心臓移植を希望しており、この費用(約一億三六〇〇万円)を賄うために「さくらちゃんを救う会」が有志によって結成され、ボランティアによる募金活動が開始された。

 だがこの件に関して、主にインターネット上でさまざまな異議が唱えられた。まず第一に、両親がともにNHKの職員であって高給を得ているうえ、東京近郊に土地と建物を所有していることが当初の段階では伏せられていたということ。そしてこの募金活動をコーディネートしているトリオ・ジャパンという非営利組織の運営が不透明であり、過去に行われた同様の臓器移植募金に関して、余剰金などがどう処理されたのかがまったく情報公開されていないということ。こうした情報公開を行わずに募金を行い、しかもそこで集められた浄財の行方が明確にされていないというのは、「死ぬ死ぬ」と騒いで金を集める一種の詐欺行為ではないか−−というのが、批判者たちの主張だった。

レトリックで取材対象を批判する手法



 毎日新聞はこの件を取り上げ、次のように書いた。

 NHK勤務の父昌広さん(54)と母和子さん(45)が記者会見で職業を「団体職員」と公表したことも災いした。後でNHKと答えたが、手遅れだった。「NHKキタ−−−(゜∀゜)−−−!!!!」と顔文字を付け、はやし立てる。「高給取りを隠して同情を買おうなんて詐欺だな」

 両親が借金などでねん出した3000万円の自己負担を公表しても攻撃はやまない。ローンが残る住宅しかないのに「十数億円の資産がある大地主」と虚偽の情報が書き込まれた。自宅の登記簿や写真もネット上にさらされた。「だまされて募金したので返してほしい」。救う会にはメールや電話が続いた。

 「裸で歩いているような恐ろしさ。眠れない時もありました」。和子さんは家の前で携帯電話のカメラを構えた人影を忘れられない。「親ですから娘が救われるのなら構いません。でも支えてくれる人たちが疲れていくのを見るとつらい」。目が潤んでいた。

 さらに記事の最後には、「年の瀬の東京・渋谷。記者はネット上のハンドルネーム(HN)『がんだるふ』を名乗る男に会った。元大手フィルムメーカー社員。今はイベントプロデューサーという。58歳。募金批判の中心人物だ」というくだりがある。そして「がんだるふ」氏との次のような一問一答が掲載されている。

−−募金を払わなければいいだけなのに、なぜ攻撃するのか。

 「臓器移植問題は深いのに『かわいそう』で思考停止になっている。募金は物ごいと一緒だ」

 −−書き込みには中傷や誤報がある。

 「ネット上の罵詈(ばり)雑言はノイズ。被害と感じるのは弱いからだ」

 −−匿名での攻撃はアンフェアでは。

 「名前は記号。本質は書いた内容にある」

 −−実名でも書ける?

 「それは書けます」

 −−実名記事にしたいが。

 「載せないでほしい。『がんだるふ』というネット上の人格でやってきたから」

 一読して、悪意のある表現であるのが分かる。そもそも新聞で匿名の人物を描く際、「男性」ではなく「男」と表現するのは、その対象者が犯罪者かもしくはそれに準じるような反社会的人物であると新聞側が判断した場合に限られている。つまり毎日新聞は「がんだるふ」氏を、反社会的人物であると判断したということだ。とはいえ、一問一答の中身自体は決してがんだるふ氏を批判しているわけではない。このあたりのレトリックは新聞記者が好んで使うもので、一見公平に見えながらも、実は意図をその文脈の裏側に忍ばせるという手法だ。

 この記事は毎日新聞のウェブサイトにも転載され、さらに同紙の会員制サイト「まいまいクラブ」に取材班の特設ブログも設置された。そしてこのブログのコメント欄に、がんだるふ氏は抗議のコメントを寄せた。次のような内容である。

 取材を受けたものでございます。

 ここまで、恣意的に発言を処理されるとは思いませんでした。

 少なくとも、さくらちゃんの場合は、臓器移植に関わる本質的な問題点と、不透明な募金方法にたいしネット上の注目があつまりました。それを、お涙頂戴的な同情視点にたち、問題の本質をすり替えたネット批判しかない記事のまとめ方にはがっかりしました。

取材時に、写真撮影と実名提示したいと求められましたが、お断りして本当に良かったと存じます。あのような恣意的記事の処理では、「ネット上の悪人の見本」としてさらし者になるに過ぎませんからね。そして、意図して、あのような記事のまとめ方をして実像をさらすというのは、報道の暴力にほかならないと考えます。そこら辺は、報道に携わるものとして、深く反省する必要がありませんか?

 > I記者、T記者 さん。

充分に紙面を用意頂き、こちらの論旨を充分に記載していただけるなら、実名、顔いりでの再取材に応じる用意はあります。寸秒を争う報道記事ならいざしらず、充分な時間余裕のある特集記事なら、掲載日時、および、掲載紙の送付は礼儀だと存じますが?

ま、「それは、新聞社の常識ではない」と言われればそれまでですが。

いったいどのような取材が行われたのか



 この取材はいったいどのように行われ、どのように紙面化されたのだろうか。その経緯について知りたいと思い、私はがんだるふ氏に会い、インタビューした。彼の証言をもとに、取材の経緯を再構成してみたい。

 がんだるふ氏に毎日新聞のI記者からメールで取材申し込みがあったのは、昨年十二月十四日のことである。メールといっても、mainichi.co.jpのドメインからではなく、ミクシィ上のメッセージだった。おそらく、がんだるふ氏がミクシィ上で活動していたため、ミクシィでしか連絡を取る方法を思いつかなかったのではないかと思われる。「私は今、ネット上での言論のあり方について取材をしてます。さくらちゃんの募金活動では、がんだるふさんの提起された議論が注目されました。是非お会いして、お話を伺いたいと思っています」という趣旨だった。毎日新聞社会部という所属と名前は書かれていたが、シグナチャーなどもなく、本当にそのIと名乗る人物が毎日の記者かどうかを確認する方法はなかった。おまけにミクシィのプロフィールもほとんど内容がなく、公開情報は名前のローマ字表記と「性別:男性」「趣味:テレビ」「自己紹介:よろしくお願いします」のみ。マイミクもわずか四人しかいないという属性では、毎日の記者と言われてもにわかには信じがたかった。「何かの釣りなのか?」とがんだるふ氏は疑った。

 そこでがんだるふ氏は「あなたの身分をきちんと明かしてほしい」と返信し、I記者からは毎日新聞のメールアドレスを使ったメールが送られてきた。これである程度のアイデンティファイは行われたとがんだるふ氏は判断し、十二月十九日に渋谷・エクセルホテル東急のエスタシオンカフェで取材に応じることを約束した。

 「でもこの段階では、どのような趣旨の取材なのかという説明もないし、まともな記事を書いてもらえる期待度は一〇パーセントぐらいかなと思ってたんですよね。ただ、会って説明したい気持ちはあったし、毎日新聞というメディアがどのようなスタイルで取材をするのかということを知りたいという好奇心もあった。それで取材に応じることにしたんです」

 がんだるふ氏はそう話す。そして取材当日、がんだるふ氏がエスタシオンカフェに到着すると、二人の記者が待ち受けていた。メールのやり取りをしたI記者と、T記者である。T記者は海外特派員経験もあると話し、記者歴の長い中堅らしかった。取材が始まった。最初に名刺交換し、がんだるふ氏は実名を名乗り、さらに自分のリアル社会における経歴についても説明した。一九四八年生まれの団塊の世代であり、学生時代には全共闘運動に関わっていたこと。大学卒業後には大手フィルムメーカーに就職したが、一九七九年に退社し、その後はフリーランスとして造形作家活動やイベントなどのプロデュース、科学・児童文学などの著作を刊行していることなどである。この説明を受けて毎日側は、前出のようにがんだるふ氏のプロフィールを「元大手フィルムメーカー社員。今はイベントプロデューサーという。58歳」と書いたのだった。

 名刺交換と経歴の説明が終わったが、しかし二人の記者からは相かわらず取材趣旨の説明はない。それどころか、どのような記事に盛り込む予定なのかも説明はされなかった。大型連載企画の元旦スタート紙面に書かれたことをがんだるふ氏が知ったのは、掲載後のことである。がんだるふ氏は「説明したら、取材拒否されると考えたのではないですかね。とりあえずこの時点で、僕としては『これはまともな取材じゃないな』と感じた」と話す。

本当に匿名は悪だったのか



 取材趣旨の説明はないまま、インタビューに突入した。そして年配のT記者がいきなり、こう畳みかけてきた。「匿名でやっているのは、卑怯だとは思いませんか」。

 これに対し、がんだるふ氏は匿名言論の問題について詳細に説明した。その内容については、彼が全体公開のミクシィ日記に書いた「実名信仰の愚かしさ」(一月十五日)というエントリーに詳しい。少し紹介したい。

著名人でもなければ、市井の一個人にとって実名が信頼の担保として有効なのは地域社会の内でしかありません。八百屋の御主人とか、小学校の先生とか、背景となる情報とのセットで。ただ、これも階層序列がつきまといますから、発言内容の質とは別のファクターによるバイアスがかかり、例えばコンビニの店員の発言は、ともすれば軽く見られてしまうという傾向がでてきます。

 また、たとえ正しいことを主張する場合でも、発言とその反響を考えると、どうしても自己規制せざる得ないことも少なくありません。これは、えてして、階層序列の上にいるものにとって有利に働く一種の「言論抑制」となるわけで。

 このような状況では、「本音で語る」、「自分の思想信条に基づいた発言」などは「絵に書いた餅」に過ぎないわけでございます。(中略)

 NET空間では、実名がさらに希薄になります。『発言者が実名であることを認証するシステム』が事実上ないので、『実名』と称するものが意味を持ちえません。

 もっともらしい東京都千代田区の鈴木太郎さんと、いかにも仮名の港区の匿名希望さんとの間に本質的な差はありません。住民票コードの数字列のほうが存在の証にはなりますが、それとて、発言者のものであると確認しえないので、無意味であることにかわりはありません。

 すなわち、NET空間では実名と匿名の境界が曖昧で、名前は記号にしか過ぎないのです。

 そしてがんだるふ氏は、実名の世界では属人性によって発言の価値が左右されるケースが多いのに対し、匿名では書いたことの中身だけで判断されるとし、実名の発言が優れているという論議は馬鹿げていると説いている。このあたりの彼の主張については私もまったくその通りだと思うし、日本社会がこれまで「誰が言ったか」ばかりを取りざたしてきたことへのアンチテーゼとして、「何を言ったか」というテーゼを今後は展開していくべきだと考えている。

取材は堂々めぐりで終わった



 だが毎日の二人の記者は、そのようには言論をとらえていないようだった。がんだるふ氏があれこれ説明したことに対し、記者らは「でも、実名に対して匿名で批判するのはおかしくないですか」と切り返した。「無限のループのような対話だった」とがんだるふ氏は振り返って言う。臓器移植募金の問題点について話が及んだときもそれは同様で、彼が「僕の移植に対するポリシーはちゃんとミクシィでも書いているでしょう。移植自体には自然の摂理で僕自身は反対だが、やろうとしている人には留め立てはしません。そのことについてて判断するのなら、自分で調べてほしいし、そのための手がかりを残すためにこのような言論活動をしている、と書いてますよね」と説明すると、毎日の二人は以下のようにがんだるふ氏に質問した。

「命を助ける行為なのになぜ批判するんですか」
「あなたのお子さんが同様のケースになったらどうするんですか」
「募金する人が自分の意志で募金するのだから問題ないのではないんですか」
「自然の摂理っていうのは要するに宗教ですよね。それを他人に強制するのは間違ってませんか」

 そうやって取材は延々と三時間にも及んだ。がんだるふ氏は振り返る。「これらの質問の主導はT記者であり、議論をふっかける感じで、失礼な態度だった。私の失言を誘い、言質をとろうとする質問が目立ってました。それで僕は『こうした質問に乗せられたら、はめられてしまうかもしれない』と考え、懇切丁寧に移植問題や移植募金の問題、さくらちゃんケースの問題、実名と匿名について、ウェブの特質、ネットワーク文化等について話したんです。僕は途中から、この人たちにきちんと教えてあげようとレクチャーのつもりになっていて、カフェの周囲の席にいた人たちは、ゼミの先生が学生に講義しているように見えたかもしれないですね(笑)」

 堂々めぐりの取材の最後に、毎日の二人は写真撮影と実名を出すことを求めてきた。がんだるふ氏は拒否した。三時間も話していれば、毎日の記者がある特定のストーリーに基づいてインタビューしていることが明白にわかってくる。そのストーリーに寄り添う気持ちはがんだるふ氏には毛頭なかったし、だからこそ実名を出すことは断ったのだった。しかしそれでも、「三時間もこうやって懇切丁寧に説明して差し上げたのだから、ひょっとしたら一〇パーセントぐらいの確率で、この問題をきちんと取り上げてくれるかもしれない」というすがるような期待心もあった。

 だがその後、毎日からはいっさいの連絡がなかった。正月の紙面に自分が登場していたことに驚き、「まいまいクラブ」のブログコメント欄にがんだるふ氏が抗議を書き込んだのは、一月一日夕方のことである。だがそれでも返事はなく、がんだるふ氏は一月五日になって毎日新聞社会部に電話し、I記者の上司と名乗る社会部デスクに抗議した。だがデスクは「きっちり取材しているから間違いは無いはずです」と言うだけだった。がんだるふ氏が「ではIさんと話をさせてほしい」と申し入れると、「電話かけさせりゃいいんでしょ、私は忙しいんです」 と電話をガチャリと切られてしまったという。

 その後、がんだるふ氏はI記者を知る別の人物から、I記者の携帯電話番号を聞き出す。電話して「Iさんですか? がんだるふです」と名乗ると、I記者は驚いたように「はい」と答えた。がんだるふ氏が「あなたね、ああいう記事にして楽しいですか? あれが本当に本心なんですか? 胸に手を当てて考えてみてください」といったら、I記者は黙ってしまった。そして「私の一存では何も答えられません」と言って、電話を切ったという。

 その後、I記者からはメールが一度だけ送られてきたという。がんだるふ氏が公開しているのは、次のような内容だ。

お問い合わせの件、会社の上司に確認しました。

社としての回答は「見解の相違としかお答えできません」です。

また、掲載紙については1月4日にお送りするよう手配しました。数日経っても届かない場合は再度、会社にご連絡下さい。

 がんだるふ氏は「僕のバックグランドや見識、どのような人格の人物なのかはI記者もT記者も会ってみてわかったはず。それなのにあのような悪意の固まりのような人物に描き、しかも『男』と表現したのは、スケープゴートを仕立て上げたかったとしか思えない」と話す。

何が問題だったのか



 この取材に、問題点は二つあったように思う。ひとつは、「取材」という行為の相対化の問題だ。私は以前、HotWiredの「ITジャーナル」というブログで、「インターネットが取材を変える日」というエントリーを書いた。詳しい内容は読んでいただければと思うが、この経験をしたのは二〇〇二年、さらにこの経験をもとにHotWiredに該当エントリーを書いたのは二〇〇四年秋。エントリーを書いてから、すでに二年あまりが経っている。そしてこの時、私はエントリーの最後にこう書いた。「だが現状では、インターネットメディアの一般社会への影響力はあまりに低い」

 しかしあれから二年が経ってみると、気がつけば劇的に状況は変わってきている。そのターニングポイントは一昨年の郵政解散、そして昨年のライブドア事件あたりにあったように私は感じている。どちらの件も、ネット上の世論とマスメディア論調が著しく乖離したケースだった。堀江貴文前社長の行為はともかくとして、ライブドアという会社全体を「虚業」という言葉で切り捨ててしまうメディアの論調には、ネット業界の多くの人が違和感を感じたし、また郵政解散ではメディアのかなりの部分が小泉批判を展開したのにもかかわらず、しかし結果として小泉自民党は圧勝し、世論とマスメディアの論調が乖離していることを明確に浮き彫りにする結果となった。この当時、ある大手週刊誌の記者を務めていた知人は、後に私にこんなふうに漏らしている。

 「郵政解散でわれわれは絶対に小泉を勝たせちゃいけないと思ったんです。それで徹底的に反小泉の論調を張り、小泉の側に立つ政治家たちの不祥事や問題を洗いざらい調べ上げた。そうやって投開票日を迎え、われわれとしては小泉自民党は選挙に負けるだろうと思いこんでいたのに、蓋を開けてみたらまったく逆の結果だったんです。その後の編集会議はまるでお通夜のようで、言葉も出ませんでした」

 マスメディアはみずからの影響力を自負し、みずからが発信した情報こそが世論になると考えていた。実際、そうした構造は戦後日本の世論空間を永く支配していたのだが、しかし今や音を立てて構造は崩壊しつつある。その最初の号砲が、この郵政解散とライブドア事件だったのではないかと思うのである。(いや、ひょっとしたらイラク人質事件にその最初の転機はあったのかもしれないが)

 そうした時代においては、当然のようにマスメディアと読者の関係は変わってくる。その構造転換を読者−−特にインターネットの人たちはすでに皮膚感覚として感じていて、マスメディアが世論を作る時代は終わってしまったことをまさに認識しつつある。その先にどのような世論形成機能が社会として培われていくのかはまた別の議論としなければならないけれども、しかしながらいったんひっくり返ってしまったものは元には戻らない。覆水盆に返らず、なのだ。

 ではそのような時代において、マスメディアはどうすれば信頼を維持し、記事の正当性を保ち続けることができるのか。私は、そうした信頼性を支えるのは、取材の可視化しかないのではないかと考えている。取材の可視化というのは、単に取材内容をオープンにしてしまうということではない。取材内容をただオープンにするのではなく、取材する側とされる側が相対化され、同じ土俵の上でそれぞれの意向を交換しあうような土俵を作っていくべきだと考えている。

 新聞社も、ようやくそのことに気づきつつある。「ネット君臨」取材班の担当デスクである花谷寿人デスクは、毎日新聞の「発信箱」というコーナーで、「ネット取材考」というコラムを昨年末に書いた。彼はこう書いている。

 ところがいきなり、ネット社会の怖さを感じることになる。相手が取材された内容を、直後にブログの日記やネットの掲示板に書き込む。新聞記者のかつての取材は1対1の関係だった。それが大きく変わり、記者個人の名前や取材の仕方が不特定多数の人々にさらされる。メディアもそういう時代を迎えたことを思い知らされた。記者は名刺を出すことさえ、ためらうこともある。

 取材対象とのこの関係性を、「怖さ」と感じるのかどうか。「ためらう」と思ってしまうのかどうか。そのハードルをどう乗り越えられるかどうかに、新聞記者がネット時代を生き残れるかどうかがかかっているように思う。「怖い」「ためらってしまう」と感じてしまうのはしかたないことだと思うのだが、そこで踏みとどまってしまって、「怖いネットはやはり危険だ」とネガティブ思考に転じてしまったら、その先の未来は存在しない。花谷氏は実は私の新聞社時代の先輩(私も毎日新聞社会部出身だ)で、面識がある。この件について、一度ゆっくり話し合ってみたいと思っている。

匿名と実名の問題について



 さて、「ネット君臨」第一回の取材のもうひとつの問題も書いておこう。それは毎日の記者たちが実名と匿名の問題をどう認識しているのかということだ。

 がんだるふ氏は毀誉褒貶相半ばする人物だが、しかし八〇年代からパソコン通信「ニフティサーブ」などで言論活動をしてきて、ネット世界では有名人のひとりである。ニフティのフォーラム「FJON」(オンラインジャーナリズムフォーラム)や「FSHISO」(現代思想フォーラム)などに参加していた古いネットユーザーであれば、がんだるふ氏の名前を覚えている人は少なくないに違いない。私もニフティ時代のがんだるふ氏の活動は、懐かしく覚えている。そうやって彼は同じ「がんだるふ」という通名をこの二十年にわたって使用し、言論のアーカイブも蓄積され、その中で一定の地位を保ってきた。その意味で彼の「がんだるふ」という名前は確かに実名ではないけれども、ネットの世界では限りなく実名に近い名前だ。

 ネットの世界では、そうした名前の蓄積が言論活動における重要な要素のひとつだと私は考えている。どこの誰か−−会社の経営者なのか大学教授なのか、あるいはフリーターなのかニートなのかはいっさい問われないけれども、しかしその人物が過去にどのような発言をし、どのような言論の蓄積を行ってきたのかということは、きわめて重要な言論のファクターだと思う。完全にアーカイブからも前後関係からも切り離された秀逸な言論というものももちろん存在するが、しかし過去のアーカイブによってその言論がどのようなコンテキストによって支えられているのかを知るということは、ネット上の議論の中では必要な要素ではないかと私は考えている。

 一方で新聞は、どうか。毎日は他紙に比べれば署名記事の比率が高く、オープンになっていると言われているが、しかし署名記事の多くは官公庁の発表ものか、そうでなければ雑感と呼ばれる現場ルポ記事、あるいはコラムなどに偏っていて、調査報道などについてはほとんど署名が加えられていない。たいていは「○○問題取材班」というクレジットであって、これではそもそもクレジットを付ける必然性さえない。

 毎日の「ネット君臨」も同様で、連載の最後に取材班の記者名は並べられたが、しかしどの記事をどの記者が書いたのかは明らかにされていない。無署名に限りなく近い体勢であり、そうした無署名的な取材体勢を組んでいる取材者の側が、がんだるふ氏のような長い期間にわたってアイデンティファイされている人物に対して、「匿名は卑怯ではないか」と指弾するというのは、ロジックとしても正しいとは言えないように思うのである。

 私は一月の後半にがんだるふ氏と恵比寿の喫茶店で会ったが、インタビューの最後に私は彼に「今回の件で何か失ったものはありますか?」と聞いてみた。

 するとがんだるふ氏は驚いたような表情で、「失ったもの? そんなものあるわけがないですよ。マスコミはいまやこの時代に入って怖い存在じゃなくなってきたんじゃないですか。今回の件でも恥をかいたのは毎日新聞でしょう」と答えたのだった。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。

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