究極の管理学とは何か (2008/06/11)
課題、ペイン、そしてソリューション(2) IT産業の中核問題とは(2008/02/18)
課題、ペイン、そしてソリューション (2008/02/10)
頭が良くなる、のを避ける方法 (2008/01/01)
ナレッジ・マネジメントはなぜ困難か (2007/10/31)
睡眠時間の必要(2) 生物とシステムのサイクル (2007/08/11)
睡眠時間の必要 (2007/08/06)
心理的バリアーをのりこえる (2007/06/05)
赤信号をわたる国 (2007/02/25)
なぜ信号機が必要か (2007/02/04)
Christmasメッセージ −−今はまだ異文化を語らず (2006/12/21)
合理的な意志決定のつみ上げがマクロな不合理を生む(2) (2006/11/10)
合理的な意志決定のつみ上げがマクロな不合理を生む (2006/10/29)
ホワイトボードの謎 − 在庫の「見える化」の効用 (2006/09/12)
科学の子 (2006/06/04)
必要な人はいつもたった一人しかいない − その原因と帰結 (2006/04/01)
必要な人はいつもたった一人しかいない (2006/03/06)
Chirstmas メッセージ−−若さと成熟 (2005/12/22)
システムとは何だろうか? (2005/11/26)
頭の良いおバカさんたち (2005/10/23)
スケールアップの法則 (2005/09/29)
モノを買うのか、機能を買うのか (2005/07/21)
決めない人々 (2005/06/21)
英語のLetterとSpirit (2005/03/27)
理系でもなく文系でもない (2005/02/06)
Christmasメッセージ−−障害者とともに暮らす社会を (2004/12/24)
仮説検証のトレーニング (2004/11/06)
静寂の価値 (2004/08/20)
「わかる」ことと「知る」こと (2004/07/06)
SCMにおける意志決定のパラドックス(2)−−「合理的な」決定は可能か (2004/04/18)
SCMにおける意志決定のパラドックス (2004/04/11)
二重貨幣を空想する (2004/03/18)
システムが崩壊するとき (2004/02/06)
一点集中型アプローチの限界 (2003/11/04)
近似値としてのCoreaとJapon (2003/09/24)
ル・コルビュジェのサヴォア邸と自由度の難問 (2003/08/14)
さようなら、留学生相談室。(2003/07/16)
論理的だが、システマティックでない人 (2003/04/18)
リスクにつける薬 (2003/03/19)
資格はユーザーのためにある (2003/01/21)
誰のための資格? (2003/01/13)
海の向こうで戦争がはじまる (2002/12/05)
「英語」の向こう側 (2002/09/22)
ベネズエラの「痛みを伴う」改革 (2002/5/06)
「不況」の根源的問題(2002/3/18)
ぼくらに英語はわからない(2002/1/28)
カウンターベイリング・パワー (2001/10/13)
ANAに乗るおじさんの日記 (2001/7/23)
特別な我が社(2001/2/03)
e爺なる人々(2001/1/10)
最近、知り合いの東大教授から面白いことを聞いた。「東大には、なぜか管理学系の学科がないのです。」と、この先生は言う。「たとえば工学部には管理工学科とか経営工学科といった学科がありません。経済学部には一応、経営学科がありますが、実質的には経済学科とは垣根が低く、一体に近いようです。工学系大学院にMOT(Management of Technology)を意識した『技術経営戦略学』が最近設置されたのが、唯一それに近い存在でしょうか。」
つまり、日本の最高峰と世間で言われている学府は、どうも「管理」を学問や教育の対象とは考えていない、ということらしいのだ。京大についても、Wikipediaで調べてみると「経営管理大学院」はあるが、これもつい最近(2006年)に設置されたばかりである。事情は東西でよく似たようなものらしい。こういう話は、生産管理だとかプロジェクト・マネジメントだとかで飯を食っている(つもりの)私にとって、ずいぶん気になることである。
ちなみに、私は現在たまたま、日本経営工学会誌「経営システム」の編集委員をしている。その関係上、大学で経営工学を教えている先生方と接する機会も多い。そこで耳にするのは、“文部科学省が科学研究費を配分する際に、経営工学が重点研究分野に選ばれることはまず期待できない”という話だった。
では、文科省が研究分野として期待しているのは何か。それは、ナノテクノロジーだとか万能細胞だとか先端機能性材料といった分野である。いいかえると、すべて「固有技術」の研究だ。“ものづくりニッポン”などと言いながら、われらが政府の重点政策にはものづくりの「管理技術」の研究や普及活動は、決して登場しない。MOTが唯一認知されている理由は、それが研究・開発のマネージを目指しているからだ。素晴らしい製品開発さえできれば、あとはいつのまにか工場で大量効率生産できるものと、皆が考えているらしい。
この国では、マネジメントに『技術』はないし、「管理技術」なる概念は認知すらされていない−−こう考えると、いろいろなことが急に明らかになってくる。たとえば、技術なら、人から人へ伝承可能だし、科学的アプローチで向上することもありうる。でも管理は技術でないから、マネジメントの上手下手はまったく属人的なものだ、という信念が生まれる。したがって、生まれつき優秀だとか(これはつまり18歳のときに大学受験が上手だったという意味だが)、人生経験が豊富だとか、あるいは良い家柄の出身だ(=人を使うすべを若いころから見て学んできた)とか、そういうことが管理上手の物差しになる、はずである。だからこの国は学歴偏重と年功序列と同族経営が大好きなのだ。なるほど、なるほど。
あるいは、マネジメントとは社長とか部長とかいった地位に付随する権能である、という信念もありえよう。人に命令することが管理だと思い込んでいるのだ。“プロジェクトが上手くいかないのは、自分に人事権をくれない会社がいけないのだ”と信じ込むプロジェクト・マネージャーと同類だろう(「役割(Role)としてのプロジェクト・マネージャー」参照のこと)。それですむのなら、クリティカル・パスだとかWBSだとかいった技法は何もいらない。なるほど、巨大企業の情報プロジェクトが、軒並み火を噴くわけである。
もっとも、あるいは日本はもっと別の信念で動いている可能性もある。それは、「管理技術とはすなわち法律のことである」という考えだ。最高学府の法学部出身者が、中央官庁や政府や主要産業の枢要な地位を占めていく。そして一般大衆の従うべき方針を決定する。これが最適な管理の姿である、という思想が有力なような気がしてきた。この「一般大衆」の中には、あなたや私のような、理工学に従事するエンジニアも含まれる。法学は諸学の王である以上、どんな専門分野にも指令を出せるのだ。いや、そうだ、そうに違いない。その証拠に、日本の経済政策を決めているのは経済学ではなく、法学部出だ(ためしに過去50年間の日銀総裁の学歴を見るといい)。
工場やプロジェクトは多くの人とモノがかかわりあう巨大なシステムであり、固有の因果律や法則性があるから、それを効率的に運転していくには理論に裏打ちされた技術が必要だ。これを管理技術とよぶ。−−これは経営工学に携わるものの共通な信念だ(むろん、マネジメントの本質には「人を動かす」という面があるから、技術論だけですべてがカバーされるわけではないが)。なのに、クリティカル・パスだとか部品表だとかいった、大学の3年生で教わる技法も知らない人々が、現実の企業を動かして「管理」している。それを不思議とも思わない学術政策が、国を動かしている。
法律こそ、究極の管理手法である、というのはつまり、掟と刑罰で人を動かしていくのがもっとも効率が良い、との思想である。ここには、「管理」と「権力」の混同がある。おそらく、科挙を生み出した中国の古代思想とどこかで通低しているのだろう。そして、この思想は、理工学出身者の頭の中にも無意識に浸透していて、「管理技術」という概念が生まれるのを阻んでいるのだ。私たちがこの古代思想と早く決別しない限り、私たちの社会は混沌と低迷から抜け出すことはできないだろう。
課題、ペイン、そしてソリューション(2) IT産業の中核問題とは(2008/02/18)
知り合いの大学教員にきいた話だが、この2〜3年、「情報」が名前についている学科の入学志望者数が急減しているという。これが一部の大学だけの話なのか、あるいは全般的な傾向なのかは、定かではない。しかし、いっとき学部学科名に「情報」だとか「システム」だとかつけるのが流行したものの、ここにきて曲がり角にさしかかっているらしい。
『情報』と名のつく学科への志望者が減っている理由は、おそらくIT産業ならびに情報処理技術者にたいするイメージダウンと関係がある、というのがその知人の意見だ。つまり、プログラマとかシステム・エンジニアになって就職しても、低賃金・長時間労働の業界で、すり減るまでこき使われるだけだ、というイメージがしだいに定着してきているらしい。もちろん、よほど結構な大学を出て大企業に就職できれば、システム構築業務といっても、外注先にわたす仕様書だけ書いていればいいのかもしれぬ。しかし、そうでない一般の大学出では、労働集約型産業で員数としてのみカウントされる「知的労働者」になるのは、ちっとも魅力を感じないことなのだろう。
どうして、日本のIT産業に魅力が無くなってきたのか。それは技術の問題というより、マネジメントの問題だというのが、私の意見だ。現代の日本のIT産業は、受託型のシステム開発プロジェクトに主軸がある。最新鋭の計算機を開発するというようなハード型の仕事ではなく、顧客の要望に応じた「ソリューション」を提供するソフト型のSIビジネスが、金額的に一番大きい。
ところが、このSIビジネスが、なかなか大変なのだ。なにしろ、誰がどう調べた数字かは知らないが、“IT開発プロジェクトの70%は失敗だ”と言われる世界なのである。水際に設置された大きなシーソーに乗っているようなもので、良いときは高く舞い上がれるが、ひどいときは水面下に沈められて息もできない。ダメなプロジェクトに配員されてしまったら、土曜も休日もなく連日連夜働かされ、サービス残業を強制されて(強制されるサービスって、いったい何だ?)、しまいには連休をつぶしての移行作業である。10回に7回がこの調子では、たしかに志望者も減るだろう。プロジェクトの失敗率はIT業界の「ペイン」(悩み)なのである。
こういう状態をいかにして解消するか、いろいろな議論がたたかわされている。先日、プロジェクトマネジメント学会のセミナーで講演したときも、IT業界の方の質問に答えて「エンジニアリング業界におけるプロジェクトの失敗率は30%程度だろうか」と発言したら、なぜそんなに少ないのか? いったいIT業界はどこがおかしいのか!? という議論の嵐になってしまった(30%はひどく多いと思っている我々はかえって驚かされた)。
その時の議論の大勢は、これは顧客側に原因がある、とくに曖昧な要求仕様で発注する顧客がよくない、という論調だった。しかし、きいていた私は、全く別の意見をもった。しょうもない顧客が世の中にいることは、事実として同意する。だが、IT業界に問題があるとしたら、それは顧客ではなく、「要求分析」という最も知的に価値のある部分ではなく、「システム実装」という力仕事の部分で儲けようとする、歪んだビジネスモデルにあるはずだ。
ソリューションというものの要求仕様が曖昧なのは、本質的なことであって、これは避け得ないことだというのが、私の考えである。なぜか。それは、ソリューションへの要望が、顧客の「ペイン」から発しているからである。ペインとは、意識化されていない問題、あるいは意識には上っているが解決をあきらめてしまっている問題である。意識化されていないのだから、明確なわけがない。ただ、これでは商売にならないから、ここにシステム・アナリストが登場する。アナリストは、顧客の要望を明言化し、As-isとTo-beモデルというような概念をつかって、顧客のもやもやした「問題」をビジネスの「課題」に格上げするのだ。
しかし、ここには手抜きの手段がある(これは職業上の秘密だけどね)。それは、To-beモデルという、あるべき姿が、じつは“隣の芝生”的な空想的なものになっていても、それを指摘したりはしない、という手抜きである。そこを丁寧に説明していたら、いつまでたっても要件定義は終わらない。要件定義は、顧客を「実装ビジネスという利益の源泉」に食いつかせるための撒き餌なのだ。きれいに要求仕様を紙に書いて、一定期間内に終わりにしなければならない。そして『ソリューション』を構築提供したら、あとの使いこなしはお客様の責任です、といってSI業者は帰ってしまう。こうなると、最初に顧客が抱いていたペインは、「巨大で維持費のかかるITシステムをつかってどう業務をまわすか」という、全く別のペインにすり替わってしまう。そして両者の間には、限りない不信感が残ることになる。
おわかりだろうか。矛盾の根源は、時間とお金をかけて、要求分析・要件定義をきちんと完遂していないことにある。要件定義をきちんとやる、とは、すなわち顧客が自分のペインを自覚して、その解決策について、得失両面から明確に理解することである。こうして初めて、「問題」は「課題」に昇格するのだ。自分が納得した解決策(=ソリューション)ならば、それを実行することもできる。だから、これはきわめて大きな価値のある仕事である。
そして、IT産業は本来、この最も価値のある部分で大きな利潤をかせぐべきなのだ。要件が真に明確になっていれば、実装は、お金はかかるがリスクの小さな(つまり利幅も本来は小さな)業務と位置づけられるはずだ。それなのに、設計は無償でサービスして建設工事を受注しようとするゼネコンみたいなことを、いつまでもSI業界がやっていて良いわけがない。実装で儲けようとするから、基本設計がおろそかになる。おろそかになるから、結局は実装のプロジェクトのリスクが大きくなる。
いいかげん、IT産業はこんな負のスパイラルから脱出すべきだ。そして、知恵がきちんと評価される業界に生まれかわってほしい。そうすれば、きっとまた優秀な学生の集まる有望な分野にもどるはずだと、私は信じている。
課題、ペイン、そしてソリューション (2008/02/10)
「ソリューション」という言葉を最初に流行らせたのは、'90年代の米国IBMだったと言われている。はじめのころは、「単に最新型CPUを載せたPCハードです、といって売れた時代はもう終わる。これからは顧客のソリューションとなるシステムでなければ売れないだろう」といった言い方だった。それがいつの間にか今日では、「最新型アーキテクチャのソリューション!」という具合に、単なるハードやソフトの出来合い商品をさすのに使われてしまっている。IT業界における典型的な“用語インフレ”の一つだろう。いまでは他の業界でも「ソリューション」を名前に冠する会社は少なくない。
しかし、発祥の地のIT業界でも、さすがにもう企業のCIOたちは『ソリューション』という語に不信感を抱くようになってきたらしい(たとえば『CIOが抱く「ソリューション」への不信感』日経ソリューションビジネス・記者の目2006年6月)。ソリューションとは何か、と正面切って問われれば、「課題への解決策だ」と誰しも答えるに違いない。それが英語の原義なのだから。
問題なのは、その『課題』を、誰が定義しているのか、という点である。これを勝手に売り手が想定して、しかもワンサイズ衣料品的に、どの顧客にも売っていることに矛盾があるわけだ。それでは、ソリューションとは一体何だろうか?
じつは、企業のかかえる課題は、大きなレベルの戦略課題から、小さな日常レベルの課題まで、いろいろな形で存在している。会社員という人種は、誰もが自分の職務範囲に応じた課題意識を持っているものなのだ。そうした課題を、ちょうどプロジェクトをWBS(Work Breakdown Structure)に分解するように、階層的に分解することができる。すると、どの企業でも第1レベルには7種類の課題が共通して並ぶ、というのが私の経験から得た結論だ。たとえばその一つが、販売力の拡大である。受注増加や売上増加といってもいい。
ところで、ある先輩コンサルタントの語るところによれば、良い営業マンとダメな営業マンを見分ける簡単な方法があるという。自分の商品説明から話をはじめるのは、じつは愚の骨頂なのだそうだ。商品説明をはじめれば、顧客は売りつけられていると感じる。そうなると、どんな顧客も身構えてしまう。だから、良い営業マンは、ぎりぎりのタイミングまで、自分の商品説明は控える。では、何を話すのか? それは、顧客側の問題なのだ。良い営業マンは、顧客との会話の時間の8割までを、顧客側の問題について話すことに使うのだそうだ。
これは私自身にとっても、耳の痛いアドバイスだった。私は技術屋だ。だから、セールスの場面では、つい自分の技術を売り込みたくなる。しかしそれは、「自分の技術に惚れている。つまり自分に酔っているにすぎない」のだと言われてしまった。私に限らず、技術志向の会社の営業は、どうしても技術的優位性、ということに関心が向いてしまう。だから発想が「プロダクト・アウト型」のセールスになる。
その先輩によると、優秀な営業マンは、同業他社に引き抜かれても、移った先で良い成績を上げるものだという。これは当たり前に見えるけれども、実はよく考えてみると不思議なことだ。なぜなら、元の会社の製品が他よりも技術的に優れているから売れたのなら、移った先では成績がふるわなくなるはずだからだ。にもかかわらず、どこでも良いセールスを上げられるということは、じつは販売力は製品の「技術優位性」にはあまり依存しないのだ、ということを表している。では価格なのか? いや、そうではない。競争環境下では、価格は自ずとある範囲内に落ち着いてしまうし、そもそも良い営業マンは安売りセールスなどには頼らない。
だとすると、ポイントは何か。それが、課題とソリューションを結ぶ顧客の「ペイン」(痛みを伴う問題)の掘り起こしなのだ。ペインとは、顧客が無意識のうちにかかえている問題、あるいは意識には上りつつも解決をあきらめてしまっている問題、のことだ。良い営業マンは、このペインの発見に長けている。顧客のペインに対して、自社の製品を「ソリューション=解決策」として提示できる。そのペイン(痛み)の大きさに比例して、顧客にとって価値が高く感じられる。価格競争から、頭一つ抜け出せる。これが付加価値セールスの源泉なのだ。単にモノを売っているのとは全然別である。
ここまで、私が「課題」と「問題」を慎重に使い分けてきたことにお気づきだろうか。「課題」は意識して(カッコつけて)いうことがたやすい。中期経営計画にも有価証券報告書にも書くことができる。課題は企業間で共通性が高いのだ。しかし「問題」は個別性が強い。問題は人に言いたくない。販売力の強化、とは書けるが、営業統括役員が無能だ、とは口に出せない。価格競争力の向上、とは書けるが、毎回赤字覚悟でたたき合っている、とはいえない。なぜたたき合いになるのか? それは「技術的優位性が足りないからだ」と『課題』はいうだろう。しかし、じつは「顧客のペインにたいして自社の製品をソリューションとして位置づけることができていない」ことが『問題』なのだ。
それでは、具体的に顧客のペインを見つけるにはどうしたらよいか? これはむずかしい。問題はたいてい個別性の泥の中に隠されているからだ。しかし、手がかりはある。少し長くなってきたので、これについてはまた次回書こう。
科学者・寺田寅彦の名言に、「頭のいい人は批評家に適するが行為の人にはなりにくい」ということばがある。つづいて、「すべての行為には危険が伴なうからである。けがを恐れる人は大工にはなれない。失敗をこわがる人は科学者にはなれない。」という(元の文章『科学者とあたま』は青空文庫に掲載)。これは今から75年前の発言だが、いまだに全く古びていない。いや、それどころか現代における警鐘として、ますます重要になっているのではないか。
最近ときどき、とても頭の良い、物知りな人に会うことがある。大企業の人に多いが、こちらが何か提起したり、問いかけたりすると、すぐにその先の帰結を述べてくれる。「その線はうまくいきませんよ、市場はむしろ逆の方に動いていますから。」「あの企業が成功したのは、じつは裏に理由があるんです。それは・・・」こういう風につづく。部下が何かをたずねると、たちどころに由来や帰趨を説明してくれる。とにかく、あらゆることが説明可能な人なのである。説明可能だが、その先は現在の路線を続けるという結論にたどりつく。
これとは別種の、頭の良い人たちもいる。見事な戦略的経営プランを、ビューティフルなPowerPointに作り込む。いつも自信満々だ。彼らの説明にはROEだとかSaaSだとか新鮮な用語と数字がならんでいる。それで現実が動くんだろうか、などと端で心配してみても、「あとはExecutionの問題に過ぎませんから」などと答える。英語がたくさん混じっているのもこの種の人たちの特徴である。
ところで、話は急に飛ぶが(いつものことで)、昨年、新しいガスレンジを自宅に買った。ガスレンジなどきわめて成熟した商品だと思っていたら、新型は驚くべき機能を満載している。まず、タイマーがついている。セットしたら自動的にガスの火が消えるのだ。安全設計らしい。それどころか揚げ物の場合は鍋の温度を自動的に一定に保ってくれる。温度センサー付きなのだ。またグリルも、受け皿に水を張る必要がない(耐高温性のテフロン加工かな)。操作パネルがついていて、デジタル表示になっている。
しばらくは便利機能に感心しながらつかっていたが、正月のお餅を網で焼く段になって、困ったことに気がついた。焼き網が高温になると、勝手に火がしぼられてしまうのだ。私が文句を言うと、同居人も「そうなの。魚焼きのグリルも、焦げ目が付く前に勝手に消えちゃうのよ。私がしたいように動いてくれないし、まったくどっかの頭の良い人みたい。」という。そしてエンジニアの私に向かって、こう付け加えた。「自分では料理したことのない技術屋さんが設計したに決まっているわ。」−−ここで私は冒頭の寺田寅彦の文句を連想する。なるほど、頭の良い設計者は、料理という行為には向いていないのか。
“頭の良さ”と世間ではひとくくりにいうが、私は4,5種類の頭の良さがあるのではないかとかねてから疑っている。頭の良さに関連するキーワードをならべてみると、いろいろある。記憶力。判断力。分析力。洞察力。創発力。言語能力。推論能力。理解力。これらをすべてまんべんなく兼ねそろえている人は希で、どれか一つ二つに秀でている例がほとんどではないか。
そして、世間では頭が良いというのを誉め言葉で使うことが多いが、「頭の良さ」とは、「目の良さ」「力の強さ」などと同格の特性ではないかといつも思う。“あの人は頭が良いね”ということは、“あの人は走るのが速いね”というのと同列で、その人が優れた人格を持っているとか、徳があって賢いとか、そうしたこととは独立な事象なのだ。
その上で私は、寺田寅彦があえて言ったように、単に「頭が良い」ことに対して、批判的な意見を持っている。いや、むしろこう言い直そう。「自分は『頭が良い』と思っている」人になるのは、きわめて危険だと感じている、と。
自分の経験からみて、45歳をすぎた人は(とくに中間管理職の人や技術職の人は)みな「頭がいいと思っている人」になりがちだ。頭が良いと思っている人の特徴はいくつかある:
人の意見(異見)をきかなくなる
最後まで見通せる(リスクも含めて)と思っている
他人の批判がうまくなる
つねに断定形で語る(自分に疑問を差し挟まない)
などなど。あなたのまわりでも、こうした人を見かけないだろうか。こうした人々にならないためには、どうしたらいいのだろうか? なまじ高度な教育を受けた人は、頭が良くなるのを避ける方法を、知るべきだと思うのだ。一つの解は、誰か自分より頭のいい人を見つけて、その人を目指すことだ。ただし、これは自分の身の回りに、そういうすごい人がいないとうまくいかない。それよりももっと実効性のある方法は、自分で手を出してやってみることだろう。つまり、泥臭い世界に手を出してみることだ。そして、簡単に「わかった」とは思わないこと。「知った」とも思わないこと。「自分は知らなかった」と思う。それが、自分をまともに保つ秘訣である。
自分には知らないことがある−−すなわち『無知の知』を身につけることこそ、頭の良い人になるのを避ける最良の方法なのではないだろうか?
ナレッジ・マネジメントはなぜ困難か (2007/10/31)
好川哲人氏の分類によると、PMO(Project Management Office)は3種類に分かれるのだそうだ。コンサルティング型、ナレッジマネジメント型、標準化型の3つである。私も最近、ライン部門からPMO的な部門に配属がかわったので、これらの類型についてときどき考えをめぐらす。たいていの会社のPMOは、この3種類のタスクが多少なりとも入りまじった形をしているはずだ。だが、その中でも難しいのが、ナレッジマネジメントではないか。
団塊の世代が大量に引退時期をむかえる、いわゆる「2007年問題」もまた、ナレッジマネジメント導入の一つの引き金になっている。技術や知識の継承をどうするのか、といった問題を企業に突きつけているわけだ。また、企業の合併や海外展開も、社内の知識の棚卸しと再整理を要求する。
ナレッジマネジメント(KM)の根幹は、「暗黙知を形式知にかえて共有する」というプロセスにある。これはさらに、ISO9000/QMSと結びつき、仕事をふりかえって問題点を改善するためにL/Lを共有する、という風に仕組み作られている。ちなみにL/LとはLessons LearnedあるいはLessons & Learnsの略だ。10年前は欧米系の大企業でなければお目にかからなかったL/Lという語も、最近はあちこちで接する機会がふえてきた。
しかし、私の知る範囲では、どこの会社でも、KMはなかなかうまくいっていないようだ。これは何故なのか?
ツールの問題では、おそらくあるまい。10年前ならいざ知らず、現在ではどのオフィスでもグループウェアやLotus Notesや企業ポータルといった道具立てが普及している。ユーザがナレッジを登録してくれない、という段階も、多くの企業では乗り超えつつある。QMSに組み入れて義務化したり、表彰をしたり、業績評価に組み込んだり、あの手この手の策によって、ナレッジはかなりの量が蓄積されるようになってきた。むしろ、データベースが社内のあちこちに散らばって、どこに何があるのか探しにくい、という状況さえ出現してきている(Notesはその混沌状況を増すのに絶好のツールらしい)。
ツールもある、コンテンツも多い、ということになれば、受け手の側に問題があるのだろうか? だが、情報の受け手に学習意欲が足りない、と考えるのは即断にすぎると思う。おそらく、受け手の言い分としては、「忙しすぎて、とても情報を読む時間がありません」だろう。これを私流に敷衍すると、こうだ。「ナレッジを読むことは成果に結びつかぬ間接作業なので、そのプライオリティは実務の直接作業よりも低くなります。」 つまり、パソコンの画面を読んでいるくらいなら、(営業職なら)お客を訪問しろ、あるいは(技術職なら)図面をかけ、といわれる(と感じる)のだ。
それでは、受け手にも読む時間を確保してやれば、ナレッジマネジメントは成功するだろうか? いや。読んでも、記憶に残らなければ何の意味もない。そして、単なる知的情報は人間の記憶にとどまりにくい(大学受験の時に暗記した年号を覚えている人はどれだけいるだろうか)。記憶に強くとどまるものは、感情をともなう情報である。書き手、話し手の感情が分かり、顔や声の調子が伝わってはじめて、受け手・読み手の記憶にくっきりと残るのである。単なる報告文よりも、報告会の方がずっと有効なのはこのためだ。
さて、ナレッジに感情を込めることに成功したら、それでKMはゴール達成だろうか? いやいや。人間というのは、文字に書かれた知識を知ったからといって、それが分かって使える状態になりはしない。だって、逆上がりのやり方を書いた文書を読んだら、明日から鉄棒で逆上がりができるようになるのか?
逆上がりというのは、体で覚えるものだ。では、仕事上の技術やスキルは、体でなく頭で覚えるものだろうか? かつて『「わかる」ことと「知る」こと』(考えるヒント、2004/07/06)に書いたとおり、知ることと分かることとの間には、大きなギャップがある。エンジニアの端くれとして断固として書くが、それを埋められるのは、何度も練習すること(“体で覚える”こと)しかない。
「わかる」状態になっても、まだ終わりではない。わかっても、今度は実務に使わなければ「使える」にはならないからだ。そして、実務にくり返し使って、ようやく「本当によく分かる」という状態にまでたどり着く。こうなってはじめて、それはスキルと呼べるのだ。
こうしてみると、「形式知に書いて伝える」という行為から、「本当によく分かる」までは、随分と長く困難な道のりがつづいていることが分かるだろう(下図参照)。収率がきわめて低いプロセスのように。
結局、ナレッジマネジメントの問題の根本には、『ナレッジ』という概念自体の限界がある。Knowledge(知識)はknow(知る)から来ている。知識経験をナレッジとして文章化すれば、すぐに共有できるだろうとは、なんと西洋的な考えであることか! 西洋人でなくても、お受験やお勉強が上手な人は、ナレッジに価値があるはずだと思いがちである。しかし、「ナレッジ」が「知ること」にとどまっている限り、それは使えないのだ。我々はまだ、「本当によく分かる」までの長い道のりを歩いていかなければならないのだ。
睡眠時間の必要(2) 生物とシステムのサイクル (2007/08/11)
人間の脳が最もエネルギーを消費しているのは、じつは眠っているときらしい。それも、夢を見ているときではなく、いわゆる夢を見ないノンレム睡眠の時である。レム睡眠とノンレム睡眠は1時間半程度の周期でくり返すが、われわれが多少とも覚えているのは夢を見ているレム睡眠の間にすぎない。これはまことに不思議なことだ。脳が一番活発に活動しているのは、自我も意識も無い時らしいのだ。
眠っている間に脳が何をしているのか、まだほとんど分かっていない。一説によると、覚醒時に習得した情報の中からパターン抽出をして(つまり情報圧縮)、海馬経由で長期記憶に保存するのだという。休憩中の脳はガーベジ・コレクションをしているのさ、というのがシステム・エンジニアうけする説明だが、脳のなかのメモリ空間がリニアアドレスであるはずもなし、たとえ話以上のものではあるまい。
ところで、ここから連想ゲームみたいに話が飛ぶのだが、休んでいる間が一番忙しい、ときいて、私は自分の顧客である石油ガス業界やガラス業界の工場を思い出す。製油所勤務の人たちが一番忙しいのは、生産していないときなのである。工場を止め、製造装置をストップして、こうした業界では定修を行なう。「定修」とは定期修理の略だ。工場にもよるが、たとえば1ヶ月弱、生産をストップして、プラントのあらゆる装置・計器・配管をメンテナンスするのである。機械はばらして消耗部品を交換し、内部を洗浄して汚れを取り、配管系統の溶接箇所を点検し、計器を更正し、必要ならば小規模改造や新装置の導入をして・・
石油プラントの場合、機器・配管の総数は数万点あるから、やることはたくさんある。工具も場所も限られているから、適当に目についたところから手をつけていたのではいつまでたっても終わらない。かなり詳細な手順計画を立てて遂行していくのである。人手もたくさんかかる。プラントでは大量の可燃物や高圧ガスを扱う。法規制の関係で、日本ではタンク類の開放点検が年1回義務づけられていた。つまり、年間の1/12は生産ストップというわけである。これが日本企業の競争力を大幅に阻害しているという指摘があがり、規制緩和で隔年になり、最近は4年に1回になった。しかし、これが思わぬ問題を呼び起こしているのである。
その問題とは何かというと、定期修理・大規模メンテナンスのスキル継承の困難である。なにせ4年に1回しかない。大卒で会社に入っても、へたをすると現場を1回か2回経験しただけで係長や課長クラスになってしまう。現場をよく知らないまま、中間管理職として計画立案や監督をすることになる。なまじ大卒で頭のいい人は、見ていただけでわかった気になってしまう。しかし、技術的スキルというものは、現場でくり返し学習しなければ、身につかないものだ。そして・・
米国ミネアポリス州で、高速道路の橋が落ちた事件は、その少し前ニューヨーク市でおこった地下埋設蒸気管の爆発事故(かなりのアスベストが飛散した)とあわせて、あらためて保守を軽視した社会のもろさを皆に知らせることになった。日本だって、対岸の火事ではない。ここ数年、どれだけ工場や鉄道で大小の事故が起きていることか。これらは保守をぎりぎりまで切りつめた「現場の不眠症」の産物といえないだろうか?
工場とは秩序をもったシステムであり、企業の生産システムの中核をなす。ところで、生物というものも、複雑な秩序をもった有機的システムだと言える。この生物という名前のシステムは、補食活動や同化作用といった活発な時期に体内にエネルギーをたくわえるが、その後かならず休息の時期が来る。このとき、実は活動期に体内に増えたエントロピーを下げて、体内組織を修復し直す。生命がサイクルをもつということは、かなり本質的な事象だと考えられる。カルノーサイクルや内燃機関の原理を見てもわかるように、最大の効率をあげたければ、サイクル的な構成が必要になるらしい。
だとしたら、企業という有機的(?)システムにも、エネルギーとエントロピーのサイクルが必要なのではないか。休みなく絶え間なく成長し続けるというモデルは、むしろどこかでエントロピーを噴出することにならないだろうか。季節性や景気循環はどの業界でもおこる(たとえば半導体サイクルや液晶サイクルなど)。大事なのは、下降期に向かったときの過ごし方なのだ。そのときこそ、生産ラインを止め、不要物を捨て、保全改良をほどこして工場のエントロピーを下げてやる必要がある。人間を休養させ、再教育を行ない、「人的資源」の再生をはからなければならない。つまり積極的に下降期をすごし、それをチャンスととらえるべきなのだ。
前回、私は、「眠っている時間、非活動的な時間は、人生にとって価値ゼロだ」という思想」に反対だと書いた。それはなにも、休養すれば生産性が上がるから、という理由ではない(そういう功利的な説明の仕方は、俗耳には受入れやすいだろうが)。私はむしろ、意識中心の考え方、すなわち“自分とは意識・自我である”というデカルト的西洋的考え方がきらいなのだ。この論理は、“だから意識がない時間は無価値である”とか、“自分の体は自分(=自我)のものである”とか、“身体を短時間睡眠に馴致させるべく改造しよう”という風につながっていく。
だが、よく考えてほしい。生物進化の歴史を見ればわかるように、意識と脳は、身体が必要に応じて創り出してきたものである。それなのに、あたかも身体を脳の道具のごとく考えるのは、まったくの転倒であろう。
この構図は、会社にも全くアナロジーとしてあてはまる。MBAか何かをとって、本社で戦略的ビジネス計画をたてる頭のいい連中は、会社組織は自分たちのものであり、好きなように動かしたり切捨てたりしてかまわないと考えているかのようだ。ちょうど、ゲーム理論の『計算する独房の理性』のように。だが、以前「誰のための生産管理?」(「タイム・コンサルタントの日誌から」2007/05/06)でも書いたように、本当はマネジメントとか本社とかいうものは、生産や販売の現場がスムーズに動くように、サポートする立場にある。つまり、マネジメントとは現場の必要から生まれたものなのだ。
眠っている間、意識や自我が消え去っても、生物としての人間の一貫性は継続するし、むしろ身体の統合性は再生される。意識は身体の下僕である。もうそろそろ、我々の頭の中にある転倒を正すべき時期なのかもしれない。
なぜそんな話題になったのかは覚えていない。相手は知人の、イタリア人の精神科医だった。ローマ市街のはずれからホテルまで、彼の車で送ってもらいながら、何となく毎朝何時に起きる習慣か、きいてみたのだ。彼は6時には起きている、と答えた。勤務先の病院には8時前にはついているという(欧州は比較的早起き社会だ)。じゃ、寝るのは? ときいたら、彼はふりむいて、「12時頃なんだ。」と残念そうにいう。「10時には寝たいといつも思う。でも、それは不可能だし。」
私はシエスタ(昼寝)のことはあえてたずねなかった。自分でシャッターをおろせる開業医ならともかく、勤務医はとれないに決まっている。そうでなければ彼がうらめしそうに10時に寝たいというわけがない。中堅の勤務医は、洋の東西を問わずどこの国でも、公私ともにめっぽう忙しいのだ。私は、自分も平日は6時間程度しか眠る時間がとれない、と説明した。それが体に良いとはとても思えないとも。
人間が快適に暮らせる必要睡眠時間はかなり個人差がある。いわゆる「8時間睡眠」には学問的根拠がないと、なだ・いなだの不眠症にかんする本に書いてあった。しかし個人的経験から、私自身は7時間から7時間半ほどの睡眠をとるとすっきり目覚められる。それ以下だと、日中の知的活動が微妙に、しかし確実に効率ダウンする。
睡眠障害の専門医が組織する『快眠推進委員会』による情報サイト:「眠りの総合サイト☆快眠推進倶楽部☆」というのがある。これをみると、日本人の平均睡眠時間は減少傾向にあることがわかる。NHKの2000年の国民生活時間調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間23分で、年代別では30代が6時間57分、40代が6時間59分だ。働き盛りの年代で特に睡眠時間が短い、という。1960年には8時間08分だったのに、年々減少しているのだ。
むろん、長く眠れば良いとは一律に決められないとも書いてある。脳の睡眠であるノンレム睡眠は時間睡眠によらずあまり変わらないとの報告もあり、『睡眠は時間よりも「質」の方が重要。質のよい睡眠とは、目覚めがスッキリとしていて、ぐっすり眠ったという満足感が得られる眠りのことです。』という。ここは睡眠障害や不眠症に悩む人向けのサイトだから、短くても気にしないで、とのトーンで書かれている。
しかし、睡眠時間が短いのは果して身体的な(つまり個人的な)問題のせいだけなのか? 私は疑問に思う。そのためには、他の国民と比べてみると良い。「何が問題?世界一睡眠時間が短い日本人」(村角 千亜希)には、こうある:『ACニールセンの2004年インターネット調査によると、世界で最も睡眠時間が短いのは日本人で、約41%が6時間以内の睡眠時間』。私はその41%に入っているようだ(なお、最もよく眠っているのはオーストラリアとニュージーランドだそうな。うらやましい)。
日本人の睡眠時間が他国に比べて短いとしたら、やはり長時間通勤・長時間勤務がすぐ頭に浮かぶ。その真偽は、わからない。しかし、それとは別に、先進国のホワイトカラーでは睡眠不足が蔓延しているように、私には感じる。限られた、ごく狭い範囲での体験から推測するだけだが、よく働く人間はどの国にもいる。イタリアやフランスといえば怠け者の代表的イメージだろうが、最初のイタリア人医師に限らず、フランスでも南米でも、朝から晩までほんとにすごいな、と驚いたことは一度や二度ではない。英米人も、佳境に入ったときの徹夜をもいとわぬ馬力はたいへんなものだ。
そうした努力を、われわれの社会は尊敬し、評価する。しかし、本当にそれだけでいいのだろうか? 米○○○で頭角を現わすには、週100時間は働かなくてはならない、とまことしやかに噂される状態は、はたして正常なのか。その歪みは、離婚率が50%以上というあたりに、あらわれてやしないか? ずっと働きづめで、少しでも息を抜くと競争相手に追い抜かれてしまうという強迫的状態が、米国の心臓病の多さに出てはいまいか?
ちなみに、人間の成長ホルモンはおもに夜間分泌される。“寝る子は育つ”という昔の人のことわざは、とても正確だったのだ。成長ホルモンは子供だけでなく成人でも分泌されており、その不足症状に対して投与補給する治療が、最近日本でもはじめられている。では、夜間に分泌される成長ホルモンは何の役にたっているのか。それは、体のメンテナンス修復である(リモデリングともいう)。これが足りないと、心筋梗塞・高脂血症・脳梗塞などのリスクが高まることが確認されている。なお、成長ホルモンの分泌は、夜の10時から夜中の2時頃までがピークである(だからこの時間に寝ていないと、本当に眠ったことにならないのだ)。また、寝ている間は白血球も製造している。横になれば心臓の負担も軽くなり、心筋の休息にもなっている。
睡眠不足を常態化させ、それを奨励するような社会は、異常だ。それは確実に人間の生産性に影響を与えていく。さすがのハーバード・ビジネス・レビューでさえ、これを問題視して、専門家のレビューにもとづく記事を載せたほどだ。米国ではさらに、向精神薬剤の常用が以前から都市のエリート層の間で問題になってきている。
誤解しないでほしいのだが、私は短時間睡眠自体を攻撃しているのではない。3時間眠るだけで元気に活動できる人は、それを続ければいい。私が反対するのは、「眠っている時間、非活動的な時間は、人生にとって価値ゼロだ」という思想である。休息に積極的な価値を認めない考え方である。休みたいのは怠け者の考えだ、という決めつけである。
地球上のどんな生物にも、サイクルがある。人間にも起きて活動するときと、寝て休息するときがある。この両方が必要なのだ。24時間起きて闘い続けることが理想だ、という考え方はどこか間違っていると私は思う。
そして、この問題は、企業組織にもサイクルが必要という話につながっていくのだ。だが、長くなりすぎた。つづきは、また書こう。
自分のやるべき仕事を、To Doリストやタスク・リストなどの形に書いておくのは、良い習慣だ−−近著『時間管理術』の最初の方でこう書いたら、「近頃の若いビジネスマンはそんな当たり前のことまで、本で勉強しないと分からないのか」とベテランのプロジェクト・マネージャーに、あきれられてしまった。昔はそんなことは自分で編み出すか、先輩から盗んで覚えるのが当たり前だった、ということらしい。
しかし、大学出がまだエリート候補だった高度成長期ならともかく、今やホワイトカラーなど、誰もがありつける、ありきたりの職業となった。徒弟制度的な技術継承もくずれつつある。だから今日では、時間管理術はキャリアアップに必須の、学ぶべき技法だと思う。
自分がいつまでに何をやらなければならないのか、それがどれほどの負荷量の仕事なのか、ホワイトカラー業務の場合はなかなか見えにくい。生産現場だと、製造オーダーや出荷指示といった紙の差立てがきちんとしているし、それが現物と(まともな工場では)対応しているはずだから、仕事量は明確だ。仕事量が可視化できれば、おのずから進捗も計りやすいし、コントロールも可能になる。見えない仕事はいつまでたっても、制御不能のままなのである。
かくいう私も、To Doリストはずいぶん以前からずっとつけている。ところで、こうしてリストをつけて、毎朝・毎夕に更新していくと、ときどき気になることが出てくる。それは、いつまでたってもリストから消えずに居座り続けるタスクの存在である。
タスクは内容の他に、かならず期日(due date)を書くのが原則だ。しかし期日が厳密に決まっていない仕事、「近いうちにやらなきゃならない事」というのも現実には存在する。そうしたタスクは期日をブランクにしたり、あるいは1週間後などの適当な目安を設定することが多い。期日が来たら、私が使っているツールでは自動的に翌日に持ち越しになる(持ち越し不可の設定も可能だが)。こうして、いつまでもTo Doリストに残って消えないタスクがときどき生じる。正直に告白すると、最長で半年以上も生き残っていたタスクがあったと思う。毎日それを見ていると、しだいにTo Doリスト自体をメンテするのがいやになる。
それくらいだったら、さっさとそのタスクを完遂すればいいじゃないか、と思われるだろう。そう。それが正論である。しかし、私自身の中には正論にしたがえぬ部分が若干、あるのかもしれぬ。そして、類似の体験をじつは皆もっているようだ。では、どんな種類のタスクがTo Doリスト残りやすいのだろうか。工数のかかる仕事か、あるいは難易度の高い仕事か。それとも専門領域外の仕事か?
そうではない。私が手をつけずにずるずると先延ばしにする仕事、それは心理的に「面倒くさい」タスクなのだ。工数にも難易度にも専門性の有無にも、直接は関係がない。工数がかかって難しい、しかも経験の少ない分野でも、よろこんで取りかかれる仕事はいくらでもある。困るのは、心理的な負荷の高い仕事の方だ。
経営学は労働を、肉体労働と知的労働に分類している。それはさらに、習熟の要否によって単純労働と熟練労働に分かれる。高度な指先の研磨加工もあるし、単純な伝票処理もあろう。そうしたタスクの工数(負荷)は、肉体か頭脳のどちらかの使用時間で計られるのが決まりだ。ところが、仕事の中には、さほど時間がかかるわけではないが、心理的な負荷の大きなものがあるのだ。
友人の社会学者・石川准氏の本の中で、私は「感情労働」という概念を知った。感情労働とは肉体労働でも知的労働でもなく、感情の消費を要求される仕事をさす。その代表例として、ナースによる看護があげられていた。看護には知的な面も肉体労働的な面もある。しかし、その負荷の大きな部分は、患者に対する感情のプロセスによって生じるという。
同じ事が、どうやらビジネスの世界にもときどき生じるらしい。難しくはないけれど面倒くさい仕事。たとえば顧客への追加交渉だとか、人事考課だとか、あるいは些末な規則のために、細心の注意を払わないと官庁や管理部門からこっぴどく怒られる仕事だとか。こうしたものは心理的なブロックとなって、着手をしにくくするのだ。
それでは、どうすべきか。自分の心理的傾向、すなわち性格をかえるのが一番だが、これはお手軽にはできそうもない。そこで別の方法を考えよう。まず、心理的なブロックの存在に気づくことが第一だ。問題の存在を認識すれば、もう3割は解決に近づいたも同然だろう。
そのために、まずTo Doリストでの繰り越し回数をチェックするといい。もし同一のタスクを、未着手のまま5回以上くりこしていたら(つまりカレンダー日でいえば1週間たっていたら)、それは「心理的バリヤーつきタスク」だと認識する。
つぎに、心理的な障害のあるタスクは、それを小さなサブ・タスクに分解してみる。「顧客に値上げ交渉をする」という仕事が、気が重くて延ばしのばしになっている場合、「交渉材料のネタを準備する」「競合製品の価格リストを作る」「顧客に面談のアポを入れる」などにブレークして、着手してしまうのだ。本にも書いたとおり、少しでも自分自身の背中を押してやるような形にするのがコツだ。
同時に、自分自身で簡単なモットーをかかげるのもおすすめだ。たとえば私は、「迷ったときは積極的な方を選ぶ」というモットーを、先輩から教わった。これは自分自身の背中をちょっと押すのに効果がある。「迷ったときには、念を押せ」というのもある。これは優秀なプロマネからきいたことばだ。コミュニケーションには念を入れろ、との教訓がこもっている。
こうした面倒くさいタスクは、かなりの場合、上司からふってくる。以前、『To Doリストなんか書いている時間がない』(「コンサルタントの日誌から」2007/03/11)にも書いたように、本当はTo Doリストは、作業を指示した人が書き込むべきものである。だがそれは、現実にはなかなか、かなわない。タスクは自分で管理せざるを得ないのだ。それでも、自分の背中を少しずつ押す術を身につければ、少しずつは前に進むことが出来るのである。
知人が長い休暇を利用して、シベリア鉄道経由でヨーロッパに旅行した。シベリアを鉄道で横断して欧州に行くには、片道だけで7日間くらいかかるという。たぶんシベリア鉄道とは、それに乗ること自体が半分目的みたいなものなのだろう。列車の上でひたすら時間を無為に(有為に?)すごす点が贅沢なのだ。
帰国後の彼に感想をたずねたら、「ドイツ・フランスまで足をのばして、レンタカーで回ってきましたが、佐藤さん、フランスってのは危険な国ですね。」という。どうして?とききかえすと、「だって、あそこの国じゃみんな、赤信号でも道を渡るじゃないですか。危なくってしょうがないですよ。まったく、基本的な交通マナーも守らない。マナーが最低の国です。」というのが彼の答えだった。
そうなのだろうか。私もあそこの国に1年近く暮らしたが、幸いあまり危ない目にあった記憶がない。むしろ最近の日本の方が怖いくらいだ。しかし、彼のいいたいことはわかる。フランスでは、横断歩道の信号が赤でも、歩行者は平気でわたっていく。むろん、わたる前に、いちおう自分の目で左右は確認する。だが車が少ない、あるいは自分の足で渡りきれる、と判断したら、皆どんどん横断してしまう。自己責任でリスクテークしている、というわけだ。彼らにいわせれば、“車が一台も来ないのに赤信号で止まって待っているドイツ人はアホだ”ということになる(この両国は、お互いを馬鹿にする表現には事かかない)。
ところで、念のために統計データを調べてみると、交通事故の年間犠牲者数は日本の方がフランスより多い。ただし人口も2倍ちがうわけだから、確率でいうとフランスの方が高いのは事実だ。それでも、歩行中の事故被害にかぎって比べると、日本の方が明らかに分がわるい。赤信号をわたる国の歩行者は、轢かれる確率が日本より少ないのだった。いったい、なぜだろうか?
理由は、簡単である。あの国では、自動車の方がとまるのだ。運転する側から見ると、道路では青信号であっても、いつ人が渡ろうとしてとびだしてくるか、わからない。いきおい、歩行者のいる道では慎重になる。高速道路では気がちがったみたいに飛ばす彼らも、街なかでは安全運転せざるを得ない。だから歩行中の事故が少ないのだった。そして(ここが大事なところなのだが)、“車は止まるべきもの”と信じているから、歩行者は赤信号でも渡るのである。
逆に、日本の車は青信号では減速しない。なぜなら、歩行者は赤信号を渡らないものだという社会的な合意事項(暗黙の前提)があるからだ。日本で、赤信号を『自己責任』で毎回渡っていた日には、命がいくつあっても足りるまい。
もうおわかりだろうが、フランスと日本では、交通システムの中で、ゆずり合いのバランス点がちがうのだ。日本では歩行者が我慢し、フランスでは自動車が我慢する。これを、歩行者という一断面だけで切って、「マナーの良しあし」で比較するのはまちがっている。
ちなみに、以前紹介したイギリス風の『ラウンドアバウト』(ロータリー交差点)も、フランスには時々存在する。そしてこいつは、十分危険である。嘘だと思ったら、ためしに凱旋門の周囲をめぐるエトワールのロータリーを、あるいて渡ってみればいい。ただしその前に十分な生命保険をかけておくことをおすすめする。フランスのロータリーでは、運転者は自分の行き先の道にでることに忙しく、歩行者には注意を払っていないからだ。
交通システムは、人間と機械(自動車)と設備(道路・信号機)がつくる、典型的な多目的システムである。その中では、互いの目的を達するための相互調整(交通整理)が必要になる。調整ためには、多少のゆとり=自由度(バッファー)の存在が、システムにおいて必須となる。それが道のゆずり合いであり、あるいは車間距離である。
では、交通システムにおけるマナーとは何だろうか? それは、システムの中で自由度やバッファーを置く場所についての、無言のルールである。あるいは、暗黙の合意事項だといってもいい。そして、マナー違反とは、システムの中にリザーブされている自由度を、勝手に消費してしまうことなのだ。安定した、すぐれたシステムは、大多数の長期的な利益のために自由度を確保しておくという暗黙知を、その内部に持っている。それを個人が短期的な利益のために蕩尽しないこと、すなわち長期的利益のために短期的利益を抑制することが、「マナー」と呼ばれるものの中身である。
最近の日本の交差点では、自動車が黄信号でも赤信号でも渡りきろうとして突入してくるのをしばしば見かける。それも案外、年輩のドライバーが多い。彼らは、長年親しんだ暗黙知をどこに置き忘れたのだろうか? 社会がリザーブしている自由度を、自分の短期的利益(それもほんの数十秒の利益)のために使おうと、いつ心がわりしたのか?
長い不況のトンネルを抜けて、日本は景気が上向きになったと言われる。しかし、その好況の中で、目前の短気利益志向がどんどん進行しているのかもしれない。私たちの社会システムは、すでに自由度を失って、きしむ音をたてはじめていないだろうか。この国の社会全体が、赤信号を渡りはじめていないだろうか? これが自分一人の杞憂であることを、私は切に願っている。
イギリスの都市近郊を車で走ったことがある人ならご存じだろうが、あの国には「ラウンドアバウト」なる交差点形式がある。「ロータリー」ともいうが、日本のロータリーはふつう駅前くらいにしかなく、そこは車が周回する場所というより、タクシーやバスが停車して乗客の乗り降りをさせる所というイメージだ。ところが英国のラウンドアバウトは通常の交差点に近い機能を持っている。四方からの道路が一点で交差して十字路をつくるかわりに、5-10m半径の円環路に接続している。そして車の流れは一方向(あの国は左側通行だから時計回り)にのみ進むことが許されている。
ラウンドアバウトに入った車は、必ずその流れにのって進み、自分がいきたい方向の道から円環の外にでるルールになっている。この交通システム(?)の特徴は二つあり、(1)車は止まらずに円環の流れにそって自分のいきたい方向にいける、(2)したがって信号機は必要ない、というしくみである。自由かつ闊達なるこの仕組みがイギリス人はたいそう自慢らしく、彼らの支配地域だった中東などでも、よく見かける。
たしかに、いったんなれてしまえば、これはなかなか良い仕組みだとわかる。円環路の流れに合流したり分岐したりするところは若干の運転スキルが必要だが、これにも優先の決まりがあり、危険なことはない。いかにも、紳士の国らしい大人のしきたりであるな、と感じたりする。なにより、誰にも命令指示されることなく、かつ自分が希望する方向を選べる点が、いかにも自律分散・民主的ではないか。
ところで数年前、中東で新聞を広げていたら、「トヨタ・ロータリーをつぶして、信号機を設置します」というニュースをみつけた。このロータリーは別にトヨタがつくったわけではなく、同社の大きな宣伝ポストが近くに立っていたからつけられた市民の愛称だったらしい。その親しまれたロータリーをつぶして、信号のある交差点に改造する工事をするという。数日間は交通が遮断されるから、記事になったのだろう。
では、なぜこのように素晴らしいシステムであるロータリーをつぶして、渋滞と喧噪の象徴である信号機を導入するのか。中東がイギリス支配に反抗する政治的象徴なのか? それとも民主主義など眼中にない首長国の陰謀なのか? −−むろん、そんなことではない(と思う)。記事によれば、彼らの理由説明は、きわめて単純なものだった。それは、「交通量の増大」である。
英国郊外の美しい(場所によっては多少醜い)街並みを走っているときには気づかなかったが、ラウンドアバウトは、車の交通量があまり多くないときのみ、快適に機能するものなのだった。入ってくる交通量がある一点を超えて増大すると、円環の流れに合流することができずに左折待ちの車の列がだんだん増えてくる。待ち行列の理論をご存じの方ならわかるはずだが、到着する車の頻度がロータリーの円環路の最大流量に近づくにつれて、この列は加速度的に長くなっていく。つまり、ひどい渋滞現象をひきおこすのだ。こうなると、とても非能率な民主主義社会が出現する。
信号機つきの十字路は、これを指示命令方式で遮断する。そして、縦横の流れを交互にせき止めて、減速せずに通過できる直線的な流れをつくりだす。道の通行を半分の時間は止めてしまうのだから、信号はたしかに(ミクロな視点では)運転者の敵であり、道路の輸送能力をかなり減らすことになる。しかし、交差は地理的にどうしても生じるものだ。そして、信号機つき十字路は、自由闊達なラウンドアバウトよりも、さばける交通量の上限が大きいのだ。
それでも、交通量の増大とともに、信号機つき十字路もいつか限界に達することがあるだろう。そのときはどうするか? ご存じの方もあろうが、複数の信号を系統的に制御して、流れの遮断を同期化してやるのである。大きな国道沿いに(不幸にも)住んでいる人はこの事実を経験的に知っているはずだ。
さて、私は何を言おうとしているのだろうか? これまで読んでこられた方は、もううすうす気がついておられると思う。生産管理やサプライチェーン・マネジメントにおいて、集中管理と協調分散のいずれが良いかという議論が時々ある。しかし、こうした論点を単なる「あれかこれか」のドグマとして論じても、仕方がないということだ。私は、『質量転化の法則』、あるいは(自分の好きな用語で言えば)『スケールアップの法則』の信奉者である。量にしたがって、システムは質を変えるべきだと信じている。
設計の指示系統は混乱し、工場は材料や仕掛品であふれ、誰もが毎日の仕事に追われて改善どころの騒ぎではないような職場があったら、それはたぶん、車が増えすぎたロータリーなのだ。量の増大に質の変化が追いついていない、いや変化の必要性に気づいていない、ということを示している。そこには、信号機が必要である。信号機があるのに混乱しているのだとしたら、そこには信号管制システムが必要なのだ。
信号機は、マネジメントでなく、コントロール(管制)をするだけだ。プロジェクトとか生産とかを論じると、すぐマネジメントだの人材だのの話になるのが最近の傾向のようだが、私はその前に考えるべき事があると思う。それはコントロールなのだ。
プロジェクト・マネジメントではなく、まずプロジェクト・コントロールを。生産管理ではなく、生産コントロールを!
Chirstmas メッセージ−−今はまだ異文化を語らず (2006/12/21)
Merry Christmas!!
先月、とうとう年齢が大台に乗ってしまった。もう押しも押されもせぬオッサンである。ここまで生き延びられたことは、まさに『神に感謝』というしかない。
短い期間ながらいくつかの国に住み、若干の経験を重ねてきて思うのは、“人間てのは、なんと似ているんだろう”という感想である。アラビアの半島でも、南米の海岸でも、北国の大都会でも、そう感じた。言葉はかすかにしか通じないが、だいたいお互いに思うことは知れている。それはとくに、ビジネスの世界で顕著である。お金に動かされる経済合理性の領域だからかもしれない。寝る前にお祈りする方角は異なっても、利益を前にしてとる行動はよく似ている。
最近、会社の友人と共著でプロジェクト・マネジメントに関する論文を書いた。海外企業との共同プロジェクト遂行におけるリスク要因について考察したもので、学会誌に投稿したから運がよければ掲載されるかもしれない。論考のポイントは、プロジェクトにおける最適な「フォーメーション・デザイン」=スコープの分担計画であり、ジョイント・ベンチャーやコンソーシアムなどにおいて遭遇しがちな典型的問題点を列挙した。
この論文を書き始めたとき二人で決めたのは、「リスク問題を“異文化のせい”で説明するのは絶対やめよう」ということだった。複数企業の共同プロジェクト運営がうまく行かなくなると、相手側企業の『文化が違うから』という言い訳がすぐ出てくる。しかし、自体を冷静に分析してみると、じつは互いに持つ経済的動機の差異が原因となっているケースが殆どなのだ。各社はおのおの自分の動機で行動を決める。それは経済合理性にしたがって生じる問題であり、言語や生活習慣や宗教といった文化の違いで説明するのはかえって本質を隠してしまう−−そう、われわれは考えたのだ。
海外との取引が増えるにつれ、我々は気軽に「文化の違い」を口にするようになってきた。だが、文化の違いとはどこから生まれるのか。異文化を理解し安全に共存するにはどうしたらよいのか。そうしたことはエンジニアの領域ではないし、大学で習った覚えもない。そもそも、文化とは何だろうか。
「文明とは人間に利便性を与え、文化とは人間にアイデンティティを与えるものである」という説明が一番納得がいくので、私はいつもこの文脈で、文化という言葉を使うようにしている。言語・家族制度・宗教・生活習慣といった文化の要素は、いずれも人間のアイデンティティを支えるものだ。これに対して、産業・通貨・都市基盤・科学技術といったものは、人間に利便性を与えてくれる文明に属している。
いいかえれば、文明とは“抽象化・普遍化・交換可能性”を指向するものである。あらゆるものを通貨と交換可能と考える経済合理性は、文明の論理だ。他方、文化とは“個性化・多様性”を求める。愛はお金じゃ買えないわ、というのが文化の論理だ。
おかしなことに我々企業人は、そのはざまに立っている。企業は経済合理性を追求する存在であり、仕事は誰がやっても同じ成果を得られるようにすべきだ、との方向性がある。従業員は交換可能な存在たるべし、というわけだ。その一方で、仕事は自分の存在証明でもあり、自己のスキルを他者から求められ評価されることが会社員の生きがいでもある。そうした個性を持つ人間たちが、気ままな需要を形づくって市場を動かしていく。
こうした事情を、2千年前にパレスチナを行脚し遊説した賢者は、“人はパンのみに生きるにあらず”と呼んだ。この人はさらに、財貨に囲まれて経済の論理だけに生きる人間について、「彼らが天国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がたやすい」と喝破した。われわれは文明の半面だけで生きることはできないのだ。自分の個性を認めたければ、まず他者を理解することからはじめなければならない。そのためには、「異文化だから」という思考停止の色眼鏡を自分から外していく必要がある。
冬至の前のこの季節、地上の少なからぬ人々が、2千年前の賢者の生誕を記念して、平和の祭を祝おうとしている。私もまたその一人でありたい。薄氷のように危うい世界に生きながら、明日への希望を持ち続けるためにも、文化と文明の和解を祈ろうではないか。
合理的な意志決定のつみ上げがマクロな不合理を生む(2) (2006/11/10)
前回書いた「囚人のジレンマ」の問題をセミナーなどで説明し、自分ならどの行動をとるかを聴衆にたずねてみると、過半数はやはり『自白』を選択すると答える。つまり、相棒がどちらの行動に出ても、自分のこうむるリスクを最小化する方を選ぶというのだ。すなわち、自分の損得というミクロな観点から言えば、きわめて合理的な判断である。
その同じ判断が、分業化した会社の中でもしばしば行なわれる。たとえば、こうだ:購買部門は安い資材部品を納期通りに調達することを、部門の目標として与えられている。だから、他の部門から手配部品の納期を聞かれたら、長めに答えることになる。短い納期見積を答えて、サプライヤーがそれに応じられなかったら、購買部門の失点になるからだ。リスク最小化の原理である。同じ理由で、発注ロットサイズをたずねられたら、多めに言いたくなる。その方が安く買える可能性が高いからだ。つまり、納期は長めに、発注量は多めになりがちだ。
一方、設計部門はどうか。業績評価の尺度は、設計の品質と稼働率だ。品質自体は直接測りにくいから、同じ性能や顧客仕様を満たすために、どれだけ経済設計できるかでおきかえられる。部品数が少なく、重量や肉厚がぎりぎりまでしぼってあるほど良い。こうなると設計の期間は長くなりがちだし、手配部品も個別仕様品が増えていく。でも、標準部品を使って設計マージンが大きくなりすぎたら、失点になる。多少手間はかかっても、稼働率も上がったほうが文句を言われない。客のわがままな仕様のせいにすればいい。
資材倉庫部門はどうか。材料出庫指示が来たとき欠品だと、製造部から文句を言われる。いきおい安全在庫レベルは高めにとることになる。手配も早め早めにかけることになる・・。
おわかりだろうか。どの部門もリードタイムは長め長めに、在庫量は多め多めに動くことになる。各部門がそれぞれリスク最小化のために、余分なサバ読みを行なっている。それが部門レベルで合理的に行動した結果だ。だが、その結果、会社レベルではどうなるか。あきらかに高コストで長納期、競争力のまるで無い状態に陥るのだ。分業の発達した企業では、こうしてあちこちで囚人のジレンマが発生する。全員が合理的に行動して生まれる事象だから、“馬鹿者”と一喝しても、“もっと頑張れ”と尻を叩いても、いよいよ事態は増長するばかりだ。
それでは、どうしたら良いのか? ある意味、答えは簡単だ。『囚人のジレンマ』はゲーム理論で言う「非協力ゲーム」であり、相棒と意志疎通できないことが障害になっている。一言でも話ができて、“一緒に罪状を否認しよう”と協力を合意すればジレンマを脱出できる。だから、会社だって部門間の壁を超えて話し合えば、良さそうな気がする。
しかし、月次の生販会議も毎週の設計工程会議もやっているのに、解決しないのはなぜなんだ。そう自問自答する人も多かろう。それは、皆が「非協力の結果」を理解していないからなのだ。前回の説明で、“二人のくらいこむ年数の合計”の表を見てほしい。これが、組織全体の収支の表だ。
ところが製造業の場合、誰がどういう行動をとると全体がどうなるかが、じつは直感的には分かりにくい。安全在庫水準を5割増やしたら、あるいは調達リードタイムが3週間延びたら、コスト競争力にはどう響くのか? こうしたことは、生産という巨大なシステムのふるまいを対象とした、正しい生産管理の理論を知らないと、正確には答えられない。
分業病は各部門にたいして、異なる評価尺度を与える組織に起こる病気だ。真に解決するには三つの方法しかない。一つは、全員に正しく生産管理を理解してもらうこと。これは理想だが、かなり遼遠な道である。第二は、全体を見通すコントロールセンターの部署を作って、手配指示はそこから出すようにすること。これは計画系機能の強化策である。第三は、各部門の評価尺度を、全体最適を実現できるような矛盾のないものに変えてしまうこと。組織の中の人間は、しょせんモノサシで動かされる存在である。そして、なにより、部分的な合理性をつみ上げても、全体のマクロな合理性は生まれないことを知るべきなのだ。
合理的な意志決定のつみ上げがマクロな不合理を生む
(2006/10/29)
企業が変わることは難しい。緩やかな景気拡大が続く中、新規設備投資やIT投資が行なわれるようになり、それに並行して業務を合理化しよう、生産を革新しよう、という運動も活発になってきた。しかし、目に見える工場ラインやコンピュータ導入に比べ、目に見えにくい業務運用のソフト部分は、なかなかうまく変えられない。業務改革プロジェクトを立ち上げて何度か会合を開いても、“総論賛成・各論反対”でなかなか前に進まない−−こんな話を、旗振り役の部署の人から聞くことも多い。
会社が変わらないのは、従業員の頭が固くて保守的なせいなのか。はたまた企業文化や風土のせいなのか。どちらも違う、と私は考える。会社がマクロな不合理に陥っているのは、各人が合理的な意志決定をつみあげたせいなのだ。製品納期が遅れたのも、部品在庫や仕掛品が山のようにあるのも、そのくせ肝心な部品が欠品するのも、皆が残業また残業で疲弊しているのも、じつは各人が合理的にふるまったせいなのだ。
なぜそのようなことが起きるのか? その理由は、経済合理性の背後にある『リスク最小化の原理』にあるのだ。だが、理由をを紐解く前に、ちょっとこういう問題を考えていただきたい。
いま、ここにギャングXとYがいる。彼ら二人は共謀して、銀行強盗を働いたばかりだ。しかし逃走して潜伏中に、別々に警察に捕まってしまう。警察は二人が銀行強盗だとにらんでいるが、直接の物証がない。そこで微罪で別件逮捕したのだ。警察は彼らを(共謀できないように)別々の留置場に収監して、銀行強盗の自白を迫る。相手が罪状を否認しているとき、自分だけが自白すれば、司法取引により自分は無罪放免になる。逆に自分が自白を拒否して、相手がしゃべってしまえば、自分は懲役7年は覚悟せねばなるまい。
自分も相手も互いにしらを切り通せば、二人とも微罪で1年収監程度で済む。逆に二人とも自供してしまえば、改悛の情を一応見せたことで懲役5年程度ですむだろう。このような情況の時、あなたがギャングXだったら、どのような行動をとるべきか。自白か、否認か?
このような状況下での合理的な決断について、考えてみよう。相手はどう出るか分からないし、連絡もとりようがない。そこで自分の選択と、相手の選択で合計4種類のシチュエーションが想定される。それを、下記のような行列で表現する(これを利得行列と呼ぶ)。単位は年数で、懲役だからマイナス値で表示してある。
自 分 否認 自白 相手 否認 −1 0 自白 −7 −5
もし、相手が否認した場合を想定してみよう。すると、自分も否認すると−1、自分が自白すれば0だ。したがって、刑罰のリスクが最小となるのは、自分が自白をするケースだ。また、もし相手が自白したらどうだろう? 自分が否認するとー7、自白するとー5だ。この場合も、自白の方が懲役のリスクが小さい。したがって、相手がどう出るか分からない不確実環境下で、自分がこうむるリスクを最小化するためには(「リスク最小化の原理」)、自白することが『合理的』だと判断できる。
ところが、よく考えてほしい。相手も、同じ情況なのだ。だから、相手も自白するのが『合理的』だと判断する。その結果、どうなるか。二人とも自白して、ともに懲役5年である。二人が一緒に否認すれば、1年で済んだのに! いや、それどころか、二人の懲役年数を合計すると、次の表のようになる。
自 分 否認 自白 相手 否認 −2−7 自白 −7 −10 これから分かることは、共に自白すると、二人組という組織にとっては最低の結果に陥ることである。リスク最小化原理に沿った“合理的”行為をつみ上げた結果が、組織にとってはもっとも不合理な結果を生む。これが、ゲーム理論で有名な「囚人のジレンマ」の物語である。
それでは、企業内にとって、いかに囚人のジレンマに似た状況が生まれてくるのか。また、そこから脱出するためにはどうしたらよいのか。少し長くなってきたので、この続きはまた書こう。
私は世界中のオフィス事情を知っているわけではないが、「電子黒板」は他国に比べて日本が圧倒的に普及率が高いように感じる。米国のオフィスはあいかわらずフリップ・チャート(flip chart)が主流だ。フリップ・チャートとは、油絵のイーゼルみたいな台木の上に、白い紙を何枚も重ねたもので、1枚書き終わるとめくって次の紙を出すようになっている。なぜか彼らはこのローテクで安価な道具がお好きだ。フランスとか、ヨーロッパではホワイトボードをよく見かけたが、複写機能がないので、結局それをまたノートに写さなくてはいけない。せっかくきれいな図を書き終えて、さて、と思ったら複写できないのに気づき、がっかりしたことは一度や二度ではない。
それにひきかえ、わが国では電子黒板(正確には電子白板か)がよく普及している。何年か前、米国の自動化システムベンダーが私の勤務先に来て、あちこちで電子黒板を活用しているのに感心して帰った。しばらくしてから彼らのオフィスを訪問したら、真新しい電子黒板をうれしそうに見せて、“これでやっと俺達の会社も21世紀に仲間入りだ”とジョークを言っていた。
ところで、これほど便利なホワイトボードだが、私はその米国のオフィスで実際に打合に使おうとして、日本と全く同じ問題点を発見して、びっくりした。フェルトペンが、書けないのだ。書こうとすると、すぐにインクがかすれてしまう。別のペンを手に取ってみるが、そちらも同じだ。5,6本おいてあった中で、まともに書けたペンは1本もなかった。
このホワイトボード用ペンのインク切れ現象は、わが日本でもいたる所で遭遇する。どこかの秘密結社の陰謀か嫌がらせではないかと思うくらいだ。電子黒板を用いた打合の生産性は、おそらくインク切れ問題のために、どこでも2割くらい低下しているのではないか。日本でもアメリカでも、なぜ、この問題を放置しておくのだろうか? 不思議である。というのも、この問題を解決する、ごく簡単な方法を私は知っているからだ。
その方法だが、まず、透明なビニール袋を用意する。それを、電子黒板の枠にぶら下げる。そして、インクが減って書けなくなってきたペンは、そのビニール袋の中に、即座に捨てるのだ。そして、事務用品の担当者は、毎日、各部屋の電子黒板を見て回り、袋にペンが捨てられていたらそれを回収し、同じ色の新品のペンを置いておくのだ。ペンは、各色2本ずつ電子黒板に置いておく。こうすれば1本が書けなくなっても、まだ残りの1本は使える状態にある。
いつも不思議に思うのは、使えなくなったペンを捨てずにトレイに残しておくことだ。だから毎回、使おうとしても使えない問題に皆が遭遇する。たぶん、インクがある時点からすっぱり無くならないで、少しずつかすれていくから、捨てにくい心理が働くのだろう。だから捨て場と、補充の流れを作ってやれば、問題は解決する。
しかし、この問題の根本は、ペンに残っているインクの「在庫量」が見えないことにある。もしもインクの残量を外から見えるように何か工夫したら(フェルト式だから難しいとは思うが)、たぶんインク切れのペンがトレイに残っていることはなくなるはずだ。
「見える化」という言葉はトヨタ自動車が使っているおかげで、ずいぶんと普及した。しかし、ホワイトボードの謎を見ると、まだまだ本当の意義は浸透していないのかな、とも感じる。たとえば、見えない在庫量を見えるようにしてやれば、それだけでいくらでも工夫の余地が生まれてくるのだ。見えないと、誰も改善しない。
いや、もう少し正確に言おう。「見える化」の効用は、在庫削減や生産効率の向上もさることながら、イライラ感の減少にたいへん役立つのだ。ちょうど書けないペンを持ってイライラすることが減るように。それはカッコよく言えば、リスクの減少である。事実を見せれば、人間は馬鹿ではないから、落とし穴は避けて通れるのだ。
リスクのある環境では、われわれは余計な思考の労力と心配を必要とする。それを無くすることは、単なる能率の向上以上に、価値があるのだ。それは、以前ここに書いた「静寂の価値」にも通じることだ。在庫の「見える化」は何よりもまず、この点に意義を見いだすべきなのである。
Chirstmas メッセージ−−若さと成熟 (2005/12/22)
Merry Christmas!!
久しぶりに大学の同期で集まった。化学工学科出身だが案外いろいろな職種に就いている。半導体・化学・石油・エンジニアリング・商社・特許事務所・大学教員・研究機関・・。そして、お互いに「変わった」とか「変わってないな」とか言いながら、酒を飲んだ。
変わった部分と変わっていない部分は、誰しも同じだ。肉体的には誰もが平等に、一年ずつ変わっていく。髪が白くなったり腹が出たりして。でも、変わらないのは心の方だ。不思議なことに、自分の心というものは、ちっとも歳をとらない。ような気がする。15歳の時から比べて、知識がふえ経験が増し、ガマンやら諦めやらも身につけては来たが、本質はちっとも変わっていない。
変わらないということは、成熟もしていないということだ。じっさい、不惑をとうに超えたのに、あれこれといつも惑っている。『まだ歳も四十でいれば面白き』という川柳があるが、じじつ不惑というのは、いかにも生煮えな自分がまだ残っているものだ、と感じざるを得ない。
そもそも「不惑」という言葉は、晩年の孔子が自分の生涯をふりかえって語った言葉からきている。“我十有五にして学を志し、三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳従い、七十にして己の欲するところに従って、矩(のり)を超えず”−−この一節はその後の人間観に、大きな影響を与えた。
たとえば、昔の武家の子息は15歳で元服する習慣だった。これは数え年だから、今で言えばせいぜい中学2年生である。それでも一応大人扱いされるようになったのは、なぜか。それは、我十有五にして、の一語があったからだろう。また、わが国では今でも参議院の被選挙権は30歳以上と決まっている。これは一人前の良識ある大人になるのが三十歳だ、との伝統から来た(40歳の「不惑」に対して30歳を「而立」と呼ぶ)。
ところで、心が歳をとらないというのは、実はウソだ。心だって、成長はする。少なくとも、変化する。それなのに変わらないような気がするのは、われわれが情報化社会に生きているからかもしれない。情報の特徴は、それをCDのようなメディアに焼き付けてしまえば、全く経年変化しないことだ。われわれの脳だって、記憶のメディアである。少しは取り出しに時間がかかるようになるが、コンテンツ自体はまず変わらない。
おそらく、そのおかげで、今日の人間は心の変化が肉体の変化に付いていけずにいるのだ。私は、この際、みなが自分の精神年齢を、肉体年齢の2割引にして考えた方がいいのではないかと、よく思う。そして、そう思えば、「近頃の若いもん」のやることにも怒らずに済むのだ。24歳にしては書く文章がお粗末、と感じても、まあ二十になったばかりじゃ仕方がないか、とあきらめがつく。自分だって、若くなったような気がして、楽しい。ウソだと思ったら、やってごらんなさい。なんだ、自分もまだ惑っていいのか、立ってなくていいのか、なんて思える。
しかし。よく考えると、それで良いのだろうか。なぜなら、上記の孔子の言葉を2割り増しで換算し直すと、こうなる−−“われ18にして学を志し、36にして立つ。48にして惑わず、60にして天命を知る。72にして耳従い、84にして己の欲するところに従って法を超えず”−−言いかえるならば、現代人とは、次のような人たちだ:
- 大学生になるまでは、自分が何を勉強したいのか分からない
- 一番元気の良い30代前半までは、自立できてない
- 社会的に最も責任の重い40代管理職のほとんどは、勇気ある決断ができない
- 社会を引退する頃、はじめて自分のなすべき使命に気づく
- 年金生活を謳歌しているときは、まだ若いつもりで他人の忠告を聞かない
- 自分の足で歩けるうちは、まだ煩悩や欲望が捨てきれない
いい加減にしてもらいたい、とも思う。しかしこれが現実への冷静な認識なのだろう。だって、新聞の社会面をこの目で見ると、じつに合点がいくもの。
思うに、われわれは余計な知識や情報を、未消化なまま背負いすぎているのだ。自分から、学歴もキャリアも消してみること。そうすれば、もう少し、素直な自分の姿が見えてくるのかもしれない。それによってはじめて、自分の若さを脱ぎ捨てて成熟に一歩近づけるのだろう。
そして、そんな作業は、心静かな、平和な時間でしか行えない。世界中が、とりあえず静かに、平和を願うこの季節こそ、私たちがみな平等に一つ歳をとり、また一つ成長するべき時なのだ。
「京都賞」をご存じの方は多いと思う。基礎科学・先端技術・思想芸術の3部門で、毎年世界の傑出した研究者に賞が与えられている。ある意味ではノーベル賞のむこうをはっており、数学・哲学・言語学・生物学・建築・音楽など『ノーベル賞のもらえそうもない分野の人を選んで賞をあげている』という印象もある。たとえば、K・ポパー、N・チョムスキー、アラン・ケイ、J・グドールなどの人が授賞している。
今年の京都賞基礎科学部門は、生態学者のサイモン・レヴィン博士が授賞した。彼は数理生態学・空間生態学の分野で若い頃から研究分野をリードしてきた人だ。そのニュースを聞き、私はとてもうれしく思った。というのも、たまたま昔、私はレヴィン博士の知遇をえる機会があり、彼の研究室を訪ねたり、あるいは来日した時は横浜の自宅に招いたりしたこともあったのだ。だから11月12日に京都で行われた記念シンポジウムには、私もはせ参じて、授賞を祝し、再会を喜びあった。
レヴィン博士の業績の一つに、"The Problems of Scales and Patterns in Ecology"という論文がある。これは90年代を通じて最も広く引用された生態学の論文と言われる。彼の主要な研究テーマは、生態系(=エコシステムecosystem)のさまざまなスケールにおいて観察されるパターンと多様性が、いかにミクロな生物個体レベルのルールから生成するかを調べることである。生態学とは、エコシステムの機能と構造を研究する学問だが、彼はエコシステムが特定の目的と機能をもって存在するかのような目的論的見方とは異なる、パターン認識的見地から取り組んでいる。
初めて知り合ったとき、レヴィン博士はコーネル大学のCenter of Ecology and Systematicsの所長だった。私はSystematicsとは「システム科学」のことかとたずねたが、「いや、系統分類学の意味だ」との答えが返ってきた。系統分類! それをシステムと呼ぶのか。その時の驚きは、その後、英語におけるsystemの語の意味を深く知るようになるにつれ、次第に納得にかわっていった。たとえば、太陽系のことはSolar Systemと呼ぶのだ。
「システム」というとコンピュータのことだと思う人は少なくない。いや、世の中の大多数だろう。技術の世界では、ガスタービン発電システムとか自動倉庫システムとか、ある種の機械的な仕組みのこともシステムと呼ぶことがある。しかし、私のように工場やら製品までをシステムと考える人間は少数派だ(「システムとしての工場、システムとしての製品」参照)。
製品がシステム? じゃあ、パン屋が焼くあんパンも、家具職人が作るテーブルもシステムだというのか? そう問いつめられると、私も、ちと違うな、と答えざるを得ない。「所定の目的を達成するために要素または系を結合した全体」「特定の機能を果たすように配置した、相互に関係するアイテムの組合せ」という定義(JIS工業用語大辞典)から見ると、4本の脚と天板からなるテーブルだってシステムに合致して良さそうなものだ。だが、どうも要素が静的に結びつけられた構造は、今ひとつ「システム」というイメージに合わないのだ。
「システム」という語がフィットするものは、どうやら動的な機能や特性をもつものに限られるようだ。ジェームズ・ワットの発明した蒸気機関は、回転数を安定化させるための巧妙な調節弁の仕組みをそなえていたが、ここらへんがシステムの始まりらしい。彼のフィードバック制御は機械要素の組合せで実現していたが、目的は力を伝達することではなく、制御にあった。
つまり、「制御」の有無こそ、システムを単なる部品の集まりから区別する鍵なのだ。そして、制御のために、一種の神経系統をもつこと。現代ではこの神経系の役割をたいていコンピュータが果しているので、「システム=コンピュータ」という思いこみが固定化したのだろう。たしかに、テーブルのように部品材料の寄せ集めだけでは、動的特性は発揮できない。
「システム」が制御機構を持つ動的な仕組みである以上、システムの『価値』も、その動的特性にある。だからこそ私は、「工場という名のシステム」は“計画・指図・報告”という制御機能のよしあしで性能が変わりうることを、くり返して主張したいのだ。
しかし、こうして見てみると、日本語の(=JISの)システム概念は、かなり「目的」「機能」にしばられていることが分かる。太陽系やら生物系統分類やらも含む英語のsystemからは、かなりずれている。英語の世界のsystemとは、せいぜい「一つ一つの要素を数え上げずとも、系統的に、頭を使わずに展開できるようなまとまり」という程度の意味しかない。
無論、生態系ecosystemの中には、全体を安定させるフィードバック的な仕組みも確かに存在する。しかし、生態系には「目的」はない。自然界に存在するものには、特定の目的はなく、しいて言えば、「存続自体を目的と見なせる」程度なのである(レヴィン博士が目的論的見方を退けるのは、この危険性があるからだろう)。企業もこれに似ていて、本来は何らかの目的があって結成されたはずなのだが、多くはもはや目的を失って、存続自体が自己目的化してしまっている。こんなところにシステムの機能論を持ち込むのは、場違いなのだ。
私は、あまりにも多義語化している「システム」の概念を、もう一度、再整理すべき時が来ているように思う。たぶん、システム・場・メカニズムなどの使い分けを、もう少しきちんとするべきなのだ。そして、それこそ「システム・アナリスト」の最重要な仕事だと思う。なぜなら、これを怠ると、システム分析の仕事自体が、ひどく混乱したものになってしまうに違いないからだ。
今回は、「論理的だがシステマティックでない人」の続きだ。
歌を歌いながら、頭の中で数を数えられますか? −−誰かにそう聞かれたら、あなたはなんと答えるだろうか。
ノーベル賞物理学者のファインマンは、これができたという。なかなか面白い資質だ。そう思いながら、ためしに自分もトライしてみたら、一応不器用ながらもできることに気がついた。だからといって、私がファインマンなみに頭が良いわけではない。第一、私は高等数学が苦手だ。
その理由はなぜかというと、頭の中での代入操作が下手だからだ。頭の中にひとつの記号を保持しておいて、それを別の記号で連続して置き換えていくような『演繹』的操作ができない。数式の展開や、複雑なプロットのミステリーはとまどうばかり。囲碁将棋などでは「3手先を読む」こともできないので、人に勝てたためしがない。私が好きなのは、『帰納』的に情報を集約することで、「それは要するにこうでしょ?」と乱暴な断定をして、人をあきれさせるのが得意技である。
ついでにいうと、私は年々歳々、記憶力の減衰を実感している。とくに、短期記憶が弱い。意味のない記号列や、単語だけの記憶力が弱いので、ひどいときには同僚宛の電話の伝言を受けて、受話器を置いた瞬間に相手の名前を忘れていたりする。“なんて頭がわるいんだ”と自分でもあきれる。聞いている最中に紙にメモしないと、頭に残らないのだ。
世界史の年号暗記なども学生時代からひどく不得意である。そもそも、理解しないものごとを暗記することができないのだ。ただし、長期の記憶、それもエピソードや五感や情動に裏打ちされた記憶は、それなりに頭の中に残る。
だが、そもそも「頭が良い」とは、どのようなことを意味しているのだろうか? 心理学者のC・G・ユングは人間の心理的な類型を、『思考型』『感情型』『直感型』『感覚型』の4種類に大別した。どうやらここに大きなヒントがあるようだ。元のドイツ語と日本語の訳語(漢語)の対応が良くないので、わかりにくいが、思考型の人間は言語的な論理性を中心に演繹的にものを考える傾向があり、直感型は非言語的なパターン認識能力によって帰納的にものを判断するのが得意であるらしい。私は明らかに直感型に属するようだ。つまり、思いつき型、である。これは私の家族も同僚も苦笑しながら同意してくれると思う。
私のような直感型の人間にとって、筆記試験のための勉強とは、暗記でも論理性のトレーニングでもない。「出題者はこの種の問題でどいういう答えを求めているのか?」を推測するための、パターンの検出こそが試験勉強なのだった。出題者は受験者の論理能力とか、記憶力とかを、たぶん測るつもりでいるのだろう。しかし、私は、他人のモノサシを検出する能力を磨くことで、試験をくぐり抜けてきた。
日本では、記憶力の良い人、勉強がよくできる人を指して、「頭が良い」と評することが多い。しかし、こうしてみると、頭のよしあしの方向というものは、いろいろあるのだ。それはちょうど、身体能力といっても、いろいろあるようなものだ。目が良い、足が速い、動作が俊敏である、力が強い・・頭が良いという性質は、こうしたことと同列のことでしかない。
かつて狩猟と採集の時代には、目が良いことや足が速いことは、とても生存に有利だったにちがいない。農耕の時代には、力が強いことが大事だったはずだ。手工業の職人の時代なら、手先が器用である、とか。どの能力が幅を利かせるかは、その時代の生活様式によって決まる。
ポスト工業時代の現代は、「頭の良い」人たちがいろいろと幅を利かせる時代である。試験勉強がお上手で、良い大学を出て高学歴を誇る人たちは、自分たちが赤の他人に命令する天賦の権利を持つ、ひとかどの人間であると考えるらしい。若くしてキャリア職やマネージャー職について、采配を振るうことになる。お勉強上手の人たちは、「わかる」ことと「知る」ことの違いを気にかけない。そんなことに煩わされていたら、よくわかりもしない事象について、本社から末端現場に指示を出せなくなってしまう、というわけだ。
“日本を代表する自動車の2大メーカーのうち、片方の企業は一時、まったく東大出の人間を採用しなかった。もう一方の企業は、東大出をどんどん採用し続けた。その結果はどうだ。会社としての実力は完全に差がついてしまったではないか”−−そんな話を昔、父親から聞いた記憶がある。真偽のほどは定かではない。しかし、後者の企業はプレゼン上手な人が出世する、というような噂を聞くと、さもありなん、と思ってしまう。
お勉強上手なだけの「頭の良い」人達の話を、あまり鵜呑みにしない方がいい。彼らは自分の頭のよさを証明するために生きているような人が多い。だから自分のロジックに酔うのだ。狭いスコープの中で自分の論理性をひけらかすのに忙しくて、マクロな視点から問題を捉えることを怠る。モノサシを疑えないのだ。
大事なことは、賢くなることだ。私はこの言葉を、頭が良い、とは別の、人格を含めた意味で使っている。両者は、無関係の属性だ。大した教育は受けていなくても賢い人は賢い。頭が良くておバカな人も多い。頭のいい人は与えられた問題を解く。しかし、賢い人はより適切な問題を提示する。
そして、こいつが難しいのだ。頭の良さは、大学で学べば少しは磨かれる。しかし賢さは大学では学べない。そもそも、教えたり教えられたりできることではないのだから。
高校の物理の教科書に、口絵としてのっていた写真を、今でも良く覚えている。水らしき流れの中に円柱が立っていて、その回りの流れと渦の模様が、美しく写し出されている。キャプションには「この写真を見て、円柱の大きさをあてられるだろうか?」と書いてある。そして、ページの下の方に、追加の説明がこうあった。
「じつは、円筒のまわりの流れの模様は、その円筒の大きさや流れの速さにはよらず、
円筒の径×流れの速さ
−−−−−−−−−−
流体の粘度で計算される値(レイノルズ数とよばれる)が同じならば、同じパターンになる。」
と書かれていた。10cmの大きさの円柱が10cm/sの水流にあるときと、1cmの円柱が100cm/sの中にあるときの流れのパターンは、同じになる。これを『流れの相似則』と呼ぶ、逆にいうと、流体の中で流れの模様だけを見ていても、その現象の固有の大きさを推定することはできないのだ。
残念ながら、教科書の本文のどこを読んでも、それ以上の説明はなかった。流体力学は、なぜか高校の物理では一切教えないのだ。その先を知るには、大学の専門課程まで待つしかなかった。
大学では化学工学を専攻した。化学工学(Chemical Engineering)というのは、化学工場の設計論を中心とした工学だ。アメリカでは機械工学とならぶ人気科目だが、日本ではひどく知名度が低い。これは石油・ガス資源のある国と、無い国の差かもしれない。「化学」全般の人気の薄さも手伝っているかもしれないが、じつは化学工学が扱うのは伝熱や拡散や流動といった物理現象がほとんどだ。化学それ自体はあまり知らなくても間に合う。化学が「何を」つくるかに関する学問だとすれば、化学工学とは「いかにつくるか」に関する技術論なのである。
化学者がフラスコとビーカーで化学反応の方法を確立したら、化学工学のエンジニアは、それを工場規模で連続大量生産するにはどういう装置の組合せが必要かを考えるのが仕事だ。これを「スケール・アップ」と呼ぶ。化学工学とはスケール・アップの技術論なのだった。
ところで、面白いことに、理科の教科書にのっていた「レイノルズ数」がここで役にたつのだ。実験室のフラスコだろうと、プラントの巨大なタンクだろうと、レイノルズ数が同じならば、その中の流れは同じになる。したがって、小規模な実験装置のデータから、大規模の工業装置へのスケールアップが可能になるのだ。流体力学の基礎方程式はナヴィエ=ストークスの式という微分方程式だが、この式は非線形性が強くて、そのままでは簡単に解けない。しかし、レイノルズ数を用いれば、直接解かなくても流れのパターンを予測できるのだ。
ちなみに、レイノルズ数が小さい内は、流れは「層流」と呼ばれる、落ち着いた、秩序だった流れでいる。しかし10,000を超えると、流れは「乱流」の状態になる。もはやランダムな動きのかたまりとなり、それは厳密な予測の不可能な、カオス状態になってしまう。だが、乱流には別の意味で、マクロな統計的規則性があるのだ。水の粘度はほぼ0.01[cm2/s]程度だから、水の中でちょっと手を動かすと、すぐ乱流をつくれる。
レイノルズ数は、上の式を計算するとわかるように、cmだとかsecだとかの単位系がない。そこで無次元数と呼ばれる。化学工学では、レイノルズ数に類する無次元数の概念を多用する。シャーウッド数、ヌッセルト数、シュミット数・・。伝熱や拡散などをともなう、複雑な物理現象を工学的に取り扱うにには、無次元数による相似則がきわめて有用だ。
化学エンジニアとして仕事をし始めてから、ずいぶんたつ。その間に、私は次第にシステム・アナリストやプロジェクト・マネジメントの職域に移っていった。しかし、無次元数と相似則の概念は、私にはいつでも有用なアナロジーを提供してくれる。極めて多数の要素からなりたつ系の、複雑な現象をモデル化しなければならないとき、私は『相似則』を無意識に探し求めている。それは、一見ランダムな現象の後ろ側にも、マクロな法則性が隠れているはずだという私の信念を、支えてくれているのである。
フランスの北東部にエペルネという街がある。特急の乗換駅で、葡萄畑に囲まれた田園地帯の小さな都市だ。ところで、あまり知られていないことだが、このエペルネは首都パリを追い抜いて、住民の平均所得が全仏で一番高い、豊かな街なのである。
なぜこんな田舎の町が豊かなのか。それは、このエペルネが、シャンパーニュ地方の中心の一つであり、モエ・エ・シャンドンをはじめとするシャンパンの有力ブランドのメーカーを多数抱えているからだ。
シャンパン工場は見学するとなかなか面白い。瓶内発酵をさせるため、貯蔵庫は岩盤をくりぬいた半地下にあって、温度・湿度の変化を避けている。しかも、BOMの観点から見ると興味深いことに、シャンパンは製品の一部を、次の年度の製品仕込みのための原料に使っている。BOMにリサイクルがある、「Q型」の構造をしているのだ。これは毎年の品質を一定に保つための知恵である。
法律で決めた産地呼称制限によって、シャンパーニュ地方の限られた葡萄畑から作られる発泡性ワインだけがシャンパンと名乗ることを許されている。発泡性のワインはフランスに限らずイタリアにもスペインにもあって珍しくないが、シャンパンだけが特別に珍重され、値段が高い。買い手がそこに「価値」を見いだすからだろう。だが、それはどのような価値なのか。味? 香り? 品質への信頼感、それとも希少性?
話は急に飛ぶが、かつてIntel社が新型のCPUを発売したとき、数値演算コプロセッサを内蔵したタイプと、内蔵しないものと、二種類を同時に売り出したことがある。昔の話だ。しかし、非内蔵型というのは、実はコプロの回路パターンは焼き付けてありながら、単にその機能を呼び出す部分を殺して売っていたことを、後になって知った。それを聞いて、なんだかひどくアンフェアな、買い手をばかにした商売の仕方だと感じた。むろん、そうした方が、二種類のパターンを別々に開発するより、安上がりなことは理屈では分かるのだが。
いったい、モノの値段というのは、どうやって決まるのか。買い手から見た価値のあり場所はどこにあるのか。私はそのことを、ずっと考えている。
シャンパーニュ地方では、葡萄が大豊作になり、収穫量が出来すぎると、あえて収穫せずに捨てておくという。そうやって、シャンパンが供給過剰になり、価格が低落するのを防いでいるのだ。彼らの高収入は、必要とあらば高品質な原料さえ捨ててしまうことで成り立っているらしい。大人の知恵、というべきなのだろう。しかし、その話を聞いて感じる居心地の悪さは、IntelのCPU生産方法を知ったときの奇妙な憤りに、どこかで通じている。
「BOM/部品表入門」を書いたとき、私はあえて、『マテリアルとは何か?』という問いを最初の部分に置いた。それは、自分に対する問いかけでもあった。マテリアルとは、物質的な実在があり、在庫可能で、所有権を売買し移転できる性質のものだ。そこがサービスや情報とちがう。しかし、それではマテリアルの値段とは、何で決まるのか? 百グラム何円という単価は、誰が定めるのか。
マテリアルの価値を定めるのは消費者であり、単価はその需要量と販売者の供給量のバランスから決まる。そして消費者にとっての価値とは、そのマテリアルの品質に依存する。−−これが経済学の教科書的な回答にちがいない。(ここには製造原価という項目がないことに注意してほしい。製造原価は供給曲線の形に影響を与えるだけで、販売価格には間接的な効果しかないのだ)
では、品質とは何か。それは、顧客満足で測られる、というのが現代品質管理の考え方らしい。製品というマテリアルの品質は、
製品品質=g(構造属性群,材質属性群,機能属性群・・)
という式で表現されると、以前書いた。しかし、よく考えてみると、3種類の属性群は平等ではない。明らかに機能が優先するのだ。なぜなら、車を買うときのことを考えてほしい。かりに、ブレーキオイルの配管系統にごく小さなピンホールがあったとする。構造や材質は、ほぼ完全に他の車と同等だ。でも、ブレーキは機能しない。そんな車を、あなたはお金を払って買うだろうか?
機能とはマテリアル固有の属性ではなく、マテリアルと使用目的との関係である。このことは明記しておいた方がよい。「移動する」という自動車の主要目的を果たせない製品には価値がない。むろん、コレクターで、所有陳列しておくだけが目的の買い手にとっては、構造(外見)だけでも価値はあろう。目的は、必ずしも一つではない。そして、複数の目的があり、複数の機能尺度があるときに、いくつかの製品を比較評価する総合尺度は、合理的(無矛盾)には構成し得ないことも、以前ここに書いた。これは、消費者の好みが、本質的に多様であることを意味している。
こう考えてみると、実はわれわれはモノに仮託した諸機能への期待を買っていることがわかる。機能自身は買えない。所有権を移転できないし、占有権も許諾できない。だからモノを買うのだ。ところが、われわれの社会の法律や商慣習や経営論理は、ほとんどがモノの売買を機軸にしてできあがっている。経済学は、購買行為が「合理的」であることを前提にできあがっている。だから、あちこちでねじれが生じるのだ。
シャンパンの主要な目的は、味わって酔うこと、では多分ないのだ。高価な製品の封を切る特別な瞬間を味わう、雰囲気が目的なのだ。エペルネのシャンパンメーカーたちは、そう信じているにちがいない。そうでなければ、価格を維持するために、太陽の恵みを犠牲にしたりするはずがない。それは経済原則には合致するだろう。だが、それははたして商品文化の名に値するのだろうか。消費者の求めるものは、本質的に多様だ。売り手のお仕着せによる価値づけは、どこかに矛盾を内蔵していると私には思えるのである。
請負契約の仕事を長年やっていると、プロジェクトの成功・不成功はかなりの程度まで、顧客の性格に左右されるなあ、という感想を持つようになる。性格と呼ぶのは不正確かもしれない。個人個人の人柄の問題というよりも、顧客が組織文化として持っている性質である。それは端的には、「タイムリーに決断できる」か、「なかなか決断できない」か、という違いだ。
なかなか決断してくれない顧客に当たると、大変である。プロジェクトでは判断に迷うケースがいくらでも出てくるからだ。どんな設計も完全ではないし、市場の環境条件は変化するし、ユーザニーズも変わるし、法規制だって変わりうる。「ライバルが革新的な技術を出してきた」「現状を調べてみたら昔の設計図とかなり違っていた」「製品の販売予測が計画当初よりも弱気になってきた」「エンドユーザが操作法の変更に強く抵抗している」・・・『では、どうするべきか?』というのが、プロジェクト遂行途上で突き当たる問題だ。
ところが、“決めない顧客”に当たると、NOとは言うがYESとは言わない。問題は決断されないまま、時間だけが過ぎて行く。どんどん納期のタイムリミットが近づいてくるのだ。しかたなく、「これで行きましょうよ」と提案を作り、良かれと思って仕事を進める。そうすると、後になって「やっぱりやめて、あっちにしてくれ。」と言われる。コストもスケジュールも大きなインパクトを受ける。
決めない人々には、共通する3つの性質がある。(1)まず、現状から変化するようなリスクに異様に敏感である。だから、リスクのある決断での自分の責任を極力回避したがる。(2)つぎに、部門間で言うことが違う。各部署が、きわめて部分最適化されていて、自分に都合のいいことだけしかOKしない。(3)しかも、この種の客先にかぎって、決して追加を認めたがらない。
不思議なことに、決める人か決めない人かは、ほとんど会社の体質によって定まっており、個人の性格には依らない。企業の中で、「決めない人」が一人いたら、他の人もだいたい「決めない人々」だと思ってよい。まあ、たまに例外がいて、その決断力のある人だけが有能だったりするケースもあることはあるが、同じ会社の社員というのは、ほとんど同じだと思った方がよい。なぜ、そうなるのだろうか?
その理由は簡単だ。「決めない人々」の働く会社には、決断の基準となる『仮説』が共有されていないからだ。以前、「仮説検証のトレーニング」にも書いたとおり、戦略とは組織レベルで仮説を共有することだ。「市場はこうしたニーズを持っているはずだ。この製品にはこうした利点がある。だからこんな作り方や売り方をすべきだ・・。」 仮説とはすなわち、賭けである。賭けである以上、当たりはずれがあり、リスクがある。だが、それは会社レベルで選び取られたリスクなのだ。
そもそも会社とは、なんらかの目的を共有した組織であるはずだ。目的があれば、そのための戦略がある。そこには必ず、仮説と賭けがある。逆にいうならば、「決める力」とは、その組織がなんらかの仮説を背後に共有していることを示している。つまり、その会社は、ものの見方に一貫性があるのだ。
そして、悲しい事ながら、一貫性ほど日本の企業に乏しいものはない。あるのは思いつきと行き当たりばったり・・と言えば厳しすぎるかもしれない。しかし工場が営業の販売予測を信用せず、設計部門が購買部門の経験から学ばない会社は、枚挙にいとまがない。
こうした会社は、存続だけが自己目的となっている。現状維持が目的だから、変化するリスクは排除されねばならない。仮説がないから、決断もない。何か前例のないことをやろうとする者は、減点主義によって罰せられる。こうした企業に跋扈するのは、前例重視とと部分最適のルールである。部門ごとの独善と言いかえるべきかもしれない。
決めない人々を顧客に持つことは不幸だ。だが、決めない人々自身も、ある意味では不幸だ。なぜなら、変化に頑強に抵抗することは、急激な絶滅に至る最良の近道となっているからだ。
復活祭の季節だ。先週はHoly Week=『聖週間』と呼ばれ、キリスト教徒にとってはクリスマスとならんで最も重要な祝祭のための7日間だった。この時期、ヨーロッパやアメリカの企業に電子メールやFAXで何かを依頼しても、返事などろくにかえってきやしない。飛行機はとれず宿も満員になる。敬虔なクリスチャンにとっては神聖な黙想のための週であり、敬虔でないクリスチャン(つまりほとんどの欧米人)にとっては、家族で休暇旅行に出かけるための週である。
日本人はクリスマスを輸入したが、なぜか復活祭は持ち込まなかった。十字架上で受難したイエス・キリストが3日目に復活して甦えったことを記念する−−これが本来の意義だが、北半球の人間にとっては、冬が過ぎ去って、春の生命の復活を祝うシーズンでもある。これが日本に入らなかったのは、すでに花見や春休みや花祭りがあったからかもしれぬ。
復活祭は移動祝祭日と呼ばれ、毎年その日付が変わる。これは、「春分の日のあとの最初の満月の次の日曜日」という定義によって決められるからだ。太陽暦と太陰暦が入り混じったような不思議な設定になっているので、D. Knuth教授の『算法基礎』には、復活祭の日付の計算は中世を通じて最大の算法問題であった、とある。さもありなん。どうみてもプログラマを困らせるために発明されたとしか思えぬ祝日である。
復活祭の日付がTOEICの英語テスト問題に出たことがあるかどうか、私は知らない。たぶん、特定の宗教の習慣について問うのは"politically correct"ではないから、出ないだろうと想像する。しかし、復活祭という習慣は現に存在して、英語のネイティブ・スピーカーだったら誰でもそれを知っている。宗教は文化の一部であり、言語も文化の主要素である以上、切っても切れない関係がある。TOEICだけで英語の理解能力が計れないと私が思うのは、こういう点だ。
グローバル・ビジネスの道具としての英語に、宗教の知識など無縁だろうって? はたしてそうだろうか。何年も前のことだが、私はある米国企業とのプロジェクトのために、チーム・ビルディングの会場に向かっていた。ちょうど復活祭の直前の季節で、朝はまだ寒かった記憶がある。参加者の7割以上は日本人だったが、使用言語は英語だった。米国流のチーム・ビルディングがどんなものなのか、詳細はまた別の機会に書くことにしよう。とにかくその会場で、我々は「共同決意宣言」を英語で作ることになった。
その宣言文の討議の中で問題になったのは、契約書の扱いである。顧客の米国企業側は契約書の厳密な履行を求めた。われわれ請負側の日本企業は、「柔軟な運用」を欲した。議論はかなり並行線をたどったが、最後に我々の側にいたある米国人が、「契約の文言ではなく精神で」(Not by the letter but by the spirit)と提案したら、すんなり合意された。気のきいた言い回しだとは思ったが、なぜそれでぴたりと議論が収束したのか、私には分からなかった。
ところで、しばらくしてから、私は突然この文句は新約聖書にあるパウロの手紙の中の引用であることに気がついた。パウロは、人間を救うのは(旧いユダヤ教の)律法の字句letterではなく、聖霊spiritの恩寵である、と主張していたのだ。そして、このテーゼは、「契約社会」と呼ばれる彼らの考え方の底流を規定しているのである。だからあの宣言文は見事な助け船になりえたのだ。
もう一つ、例をあげようか。プロジェクト・マネジメント論の中で、マトリクス型組織の功罪という問題がある。マトリクス型のプロジェクト組織は、現代の経営学においては最も先進的な形態だと考えられている。そこにおいては、機能部署の指示系統とプロジェクト別の指示系統が二重に存在する。しかし、古典的名著「人月の神話」を書いたBrooks Jr.はこれを批判して、『人は誰も二人の主人に仕えることはできない』と主張する。とはいえ、これで反論になるのだろうか?
この文句も実は、新約聖書からの引用になっている。人は誰も、「神とお金という二つの主人に」同時に仕えることはできない−−これが本来の意味である。確かに、この2種類の主人は相反する価値を体現している。Brooksの主張は、ここまで読み込めば、強いインパクトを持つ反論であることが理解できる。そして、ごくふつうのアメリカ人ならば、「二人の主人に仕える」と言われれば、すぐにこの文句の意味にピンとくるのだ。
一説によれば、英会話の学習というのは、約700時間を費やせば一人前になれるという。1日1時間として、ほぼ2年間である。まあ、そんなものかもしれないな、と私も思う。しかし、それでトレーニングできるのは、せいぜい読み書き聞き話す、枝葉の技術である。一番大事な「文化を理解する」という能力については、実はほとんど、これでよいという際限がない。
復活祭の7日前の日曜日を、英語でPalm Sunday=『枝の主日』と呼ぶ。この日、(宗派によって習慣は異なるが、たとえばカトリックなら)信者たちは棕櫚の小枝を持って聖堂の外に集まり、キリストのエルサレム入城を祝った史実を模して、十字架を先導とする行列をつくって聖堂に入る。そして、福音書の受難劇の部分を朗読する。この時につかった棕櫚の小枝は、翌年の復活祭の40日前の水曜日、いわゆるAsh Wednesday=『灰の水曜日』に燃やして灰にする。そして、信者はその灰を額に十文字型に塗りつける。その日は街中で額に灰を塗った人々と行き交うことになる。灰の水曜日から復活祭の日曜日までの期間を『四旬節』といい、原則として禁欲の期間となる・・
こういう知識は、TOEICの試験問題では問われない。だからTOEICの参考書にも出てこないだろう。しかし、キリスト教を信じようと信じまいと、英語のネイティブ・スピーカーたちは、みなこういう習慣を「肌で知って」いるのだ。多くの日本人にとって、宗教だの聖書だのはひどく縁遠い代物である。しかし、それは確実に欧米文化圏の世界観を規定している。その世界観は、思わぬ瞬間に、ひょっこりと顔を出す。なぜなら人間は「パンのみに生きるにあらず」、つねに意味を求めて生きている存在だからだ。そして、だから私はいつも、“ぼくらに英語はわからない”と言い続けているのだ。
落語に、「紺屋高尾」という人情噺がある。吉原の高尾太夫の絵姿に一目惚れした紺屋の職人・久蔵は、太夫を一目見たい逢いたいと、死にものぐるいに3年間働いて給金を貯める。太夫といえば大名豪商しか相手にしない超エリートだから、大金を積まねば会うことなどかなわない。ようやく3年後、給金全額を懐に、知り合いで通人の医師に手引きされ、念願かなうべし、と吉原三浦屋にいく。労働階級など相手にされぬ格式ゆえ、野田の醤油問屋の若旦那といつわるのだ。しかし、手の指を見せればすぐに紺屋の職人だと知れてしまう。そこで久蔵はずっと懐手にしていなければならないのだが・・
士農工商の江戸時代では、「工」に従事する職人の社会的地位は低い。しかし、商品経済にはこの逆順で近いわけで、実際には職人の収入はそこそこのものだった。私が聴いた噺では、久蔵は3年間必死に働いたあとで、親方に自分の給金がいくらたまったかをたずねる。すると親方が25両近くなっている、感心にもよく働いたものだ、と答えるのだ。つまり、働いた分に応じて給金が出る仕組みになっていたらしい。
もともと職人の給金は、出来高払いが基本であった。今風に洒落た言い方をすれば、「アーンドバリュー」にもとづいた、「成果主義」の賃金体系だったのである。そして、その賃率はそれなりに高いものだったらしい。昭和40年頃まで大勢の職人を雇って店をやっていた親戚の話を聞くと、腕一本でかなりの金を稼ぎ、またそれを大抵は飲んでしまうのがふつうであった。職人といえば親方の徒弟制度で技能を学ぶが、しかし雇い主との関係はむしろドライで、気に入らぬ事があるとプイッと辞めて他に移ってしまう。手に職があればこそ、独立独歩のメンタリティだったのだろう。
職人は専門職であったが、理系でも文系でもない。大学教育とは無縁だからだ。日本で職人仕事がそれなりに存続していけたのは昭和40年代いっぱいで、50年代になるとかなり低落しはじめ、バブル経済の平成に入ると完全に崩壊してしまう。かわりに高度成長期に増えたのは、固定給の会社員である(彼らは「月給取り」と揶揄された)。そして大卒の人間が、会社のホワイトカラー・管理職候補生として、採用される。
高賃金を得たければ、大学を卒業して知識を身につけ、企業に就職する−−このルートをみなが目指したから、大学生の数は年々増え続けるばかりだった。学歴社会の誕生である。「何をどれだけ作れるか」ではなく、「どういう学歴で何年働いたか」が人間の地位や収入を決めるようになった。そして、ここで初めて、人間を「文系」と「理系」に分ける奇妙な思考が社会に定着しはじめたのである。
文部省は長らく、大学の学部名称と内容を規制していた。学部名称は「学士号」に直結しており、法学士や工学士はあれど、“コミュニケーション学士”や“コンピュータ学士”などは許されなかった。だからコンピュータ学部などというものも存在できなかったのだ。文部省は学生一人あたま年間10万円という補助金を与えることで、学校法人の経営を縛っている。名称とカリキュラムが自由化されたのはつい近年のことだ。役人の縦割り思考の中では、自由な学際などという発想は入り込む余地がなかったのだ。
この縦割り思考は、心理学が文学部に属し、人類学が理学部に、統計学が経済学部に属するような、不可思議な分類を許していた。マウスを使った実験による計量行動心理学がなぜ文学の範疇になるのか、それこそ心理学的には謎である。しかし入学試験の門戸は文系と理系に分けられていて、そこから先へはなぜか行き先が規制されるのだ。
大学入試の18歳の時点で文系理系を選ぶのは、たまたま数学の計算問題が苦手だとか、高校の世界史の先生と相性がよかったとか、その程度の理由でしかない。むろん、人間の人生は運とか縁とかで動かされていくものだと、言えなくはあるまい。しかし、ここにあるのはそういう高尚な諦念ではなく、ミカンを選別するためのコンベヤに似た、マスプロダクション教育の仕組みなのである。
私が文系・理系のどっちが得かといった論争を聞くたびに思うのは、人間を18歳の時点に二種類に分けて平然としている神経の不思議さである。「自分は文系だから・・」「俺はしょせん理系だから・・」などと言って自分を規定し、“だからITは知らなくても良い”とか“だから政治は興味がない”とか自己に許してしまう、怠惰さだ。なぜ自分にそんな分類や尺度を許せるのか。この地平線の端から別の端まで、地上に生起することで自分に無縁なものなど一つもない、というのがまともな大人の認識ではなかったか。
営業職や会計職の方が技術職に比べて生涯賃金が大きい、などと不平等を言い立てるのはおかしい。誰でも同じものが生産できるようにするため技術を使った。そして市場に大量の商品が供給できるようになった。そうしたら、ボトルネックは工場での生産技術から市場における販売に移るのは当然ではないか。成熟した工業化社会では技術屋は代替可能(リプレーサブル)で、その地位が低くなるのは、当たり前の推移なのだ。
それでも、人はパンのみに生きるにあらず、仕事が好きだと思えば技術屋を続ければよい。やっぱりパンが好きだと思えば、技術屋は辞めて経営管理職に専念するべきだ。経営職には本来、文系も理系もない。力関係があるだけだ。
面白いことに、近代的な経営工学の創始者だったテイラーの時代、労働者は出来高払い制度で働いていた。紺屋高尾の職人・久蔵と同じだ。テイラーの「科学的管理法」は、労働生産性を上げて、労働者に多くの賃金を払う結果をもたらした。経営工学は理系だろうか、文系だろうか? どちらでもない。それは合理的思考の産物なのだ。
では、私自身は理系だろうか、文系だろうか? 大学教育は「理工系」だった。しかし、私の自己認識は理系でも文系でもない。どだい、システム・アナリストやプロジェクト・マネージャーの仕事は理系といえるだろうか。
私の仕事は、「複雑系」なのだ。
Christmassメッセージ−−障害者とともに暮らす社会を (2004/12/24)
Merry Christmas!!
今月上梓した新著「BOM/部品表入門」は、2000年に刊行した「革新的生産スケジューリング入門」の姉妹編という位置づけである。前著と同じく、矢口先生という大学の助教授が登場するのだが、今回は企業内のワーキング・グループの席上におもむいて、BOM構築に関する総合的なレクチャーを行なう、という形式になっている。
ところで、前著を読んでいただいた方はご存じのように、この矢口先生という人物、米国で10年以上もコンサルタントとして活動していたが、自動車事故にあって肢体不自由となり、潮時を感じて帰国し大学に職を得た、という設定にしている。つまり、車椅子の人である。
あの原稿を書いたとき、親切な友人から、「なぜ主人公を障碍者に設定したのか?」という質問があった。つまり、余計なフリクションを受ける可能性もありうるから、やめておいたら、とのアドバイスである。まことにもっともな心配であった。が、私はしばらく考えた後に、やはり元の設定のままで進めることにした。そして、今のところそれを後悔していない。
昔、大学生だったころ、私は大学門戸開放運動という活動に多少かかわっていた。私は点友会という、点字翻訳のサークルに属していたのだが、じつはほとんど点訳のボランティアをせず、別のことにかまけていたのである。大学門戸開放運動とは、視覚障碍者であっても、大学入試を受験する権利を認めるべきだ、という主張の活動だった。私が大学に入った'70年代の中頃までは、点字による受験はほとんど認められていなかった。
入試問題を点字に翻訳する場合、誰がいつ、その作業をやるかという問題がある(とうぜんながら試験問題は当日まで厳秘扱いだからだ)。さらに、一般に点字を読み、解答を点字に書くのは、通常の視覚を持つ人が文字を読み書きするよりも、3割以上時間がかかる。したがって、試験時間を少し長くしなければフェアとは言えない。
しかし、こうした入学試験の技術的困難を解決すれば済むのか、というと、じつはそうではなかった。大学門戸開放運動の本質的な問題は、大学側の体制、すなわち学生の入学後の勉学と生活をどう確保できるのか、という点にあったのだ。
講義を聴き、メモを取る。それだけならば視覚に障害があろうとなかろうと、同じようにできる。しかし、学期末の試験やレポートはどうするのか。また、教科書や指定の参考書の点訳/朗読はどうするのか。まだ学内に点字ブロックも敷かれていなかった時代のことだ。こうしたことは、大学の予算措置や大学図書館の積極的な支援などの仕組みが必要だ。善意のボランティアだけでサポートしきれることではない。
それでも、私の入学よりも2年後に、私の大学では創立以来初めて、視覚障碍者の学生の入学が認められた。彼はその後、大学院に進み学究生活に入って、今は静岡県立大学で社会学の教授となっている。私のリンク集にもアドレスを紹介している、石川准氏である。彼は全く視力を持っていないにもかかわらず、現役の大学教授として活躍している。
彼の存在が大学に与えた影響は、計り知れないものがあると思う。むろん彼は努力家であり、かつ優れた才能を持つ学者だ。しかし、普通の大学生がふつうに持って当然と思っている学業能力が、「障害」の有無にかかわらず、実現される権利がある、ということを、学友や教官や職員達はあらためて認識させられたにちがいない。それは、人間とは可能性において多様なものだ、という認識なのである。
ちなみに、肉体的に障碍をもつことを、英語では"disabled"と呼ぶことが多い。ところで、この言葉は、たとえばスキーで足を折って一時的に松葉杖をしている人などにも当てはめられる。障害者と、いわゆる健常者との違いは相対的なものであることを、disabledという言葉は示している。
われわれの社会は今、彼が入学した四半世紀前に比べて、格段に画一化への道を進んでいる。それは、経済社会において富がますます一部の国、一握りの企業に集中していくことと歩を同じにしている。それは経済原則の進展だ。そして、経済合理性は、効率化のための画一を好む。「文明」を、人間に利便を与えるものと定義するならば、文明は画一を好む、と言いかえても良かろう。
ところで、現実の人間は有限の存在である。決して経済合理性だけで生きて行くわけではない(「コンサルタントの日誌から」にもかつて書いたが、『パンのみに生きるにあらず』という聖書のことばはこれを示している)。われわれは、自分の生に価値があることを、あるいは自分の存在が無価値ではないことを、証明するために大いなる努力を払う性質を持つ。つまり、アイデンティティを求めているのだ。文化を、人間にアイデンティティを与える枠組み、と定義するならば、だれもが文化を切望しているのである。
そして、不思議なことに、文化とは多様性によって豊穣となる。この社会が正気を保つためには、社会の中に多様性、多様な個人が共存することが必要なのだ。
多様であるとは、すなわち、無意識の前提がくつがえされるような差異だ。われわれの社会、文明によって常に画一化へと駆り立てられている社会では、経済に奉仕しにくいような身体的なハンディキャップは、どこかに隔離され『保護』されがちな異質となる。しかし、異質が共存する社会にこそ、文化は保たれる。
もう一度くり返すが、われわれ人間は有限の存在だ。生まれてくるとき、親を選ぶことさえ誰にもできない。そうであるならば、自分とは何者か、他者とは何が違うのか、違うことによって何を得ることができるのか、考えていかなければならない。障害者がふつうに、ともに暮らせる社会は、この生活の基盤がどこにあるかをもう一度気付かせてくれる。それは、世の中が健全で平和であることの証となるはずなのである。
学生のころ、阿佐田哲也の麻雀小説が好きだった。博打にも無頼にも縁遠い存在だった自分だからこそ、そうした世界に憧れを持ったのかもしれない。しかし、阿佐田哲也という人は情感と理性に絶妙なバランスを持った人で、その小説にはときどき非常に理論的な戦略解説がはさまれていた。
いまでもよく覚えているのは「茶木先生」という名前の音楽教師が出てくる短編で、この人はヴァイオリン・ケースをかかえながら、下手の横好きで雀荘に通ってくるのだ。勘に頼った彼の打ち方を見て、阿佐田哲也の分身である主人公が、いう。『麻雀は一回の結果だけ見て判断の良し悪しは言えない。長い平均で見て55対45の確率があるならば、55の方に賭ける。たとえある局面ではそれが裏目に出ても、腐らずに打ち続けることを学ばなければならない。それがフォームというものだ。』
麻雀自体はひどく運に左右される不確実性の高いゲームだが、そこにセオリーとフォームという概念を持ち込んだ点が、阿佐田哲也の天才だった。一回一回の結果論で評価せず、長期的な仮説(戦略)を持って行動する。それをフォームとして身につけ、一喜一憂の感情に流されぬよう集中力を持つ。それがプロなのだという。カッコいいではないか。
私はエンジニアとなる教育を受けて工学部を卒業し、勤め人になった。なってわかったことは、給料をもらってもプロになった訳ではない、ということだ。大学ではいろいろと結構な理論を学ぶ。会社でそれを設計に用いる−−そんなことは誰でもできることだ。そのうち賢いコンピュータ・プログラムがでてくれば、機械が代行してしまう(事実、工学計算も製図も、かなりの部分がそうなった)。
では、人間がやるべきこと、プロのエンジニアがやるべきことは何なのか。それは、不確実性への対応なのだ。計算条件の中にある、曖昧さや将来予測の不確実性をどう判断するか。たとえば工場のキャパシティを決めるときに、市場はまだ成長するのか飽和に向かうのか、特定の商品が伸びるのか多品種化が進むのか、その判断によって設計は大きく変わる。もう少しミクロなレベルでも、この機械は頻繁に稼働・停止を繰返すことになるのか連続安定運転となるのか、このラインの搬送量は季節的ピーク値をどこまで見越すべきか・・想定すべき不確実性はいくらでもある。
ある程度、長期的な見通し(戦略)を持ち、行動上は細部にいたるまでそれに従う。これがフォームであるはずだ。行動の結果を学び、それを見通しに反映していく。言いかえれば、戦略的行動とは、仮説検証の継続に他ならない。そして、フォームとして身につけるためには、繰り返しによるトレーニングが必須だ。そのためには、自分の判断の中にある「仮説」に自覚的でなければならない。勘も度胸も、むろんプロとしては重要だろう。しかし中心に仮説と検証の精神がなければ、経験としての蓄積にならないのだ。
仮説検証という言葉は一時期、なぜか流行った。このために、ときどき奇妙な理解をしている人にお目にかかる。たとえば、生産計画が仮説で、生産実績が検証である、という風な。とんでもない誤解だ。生産計画の中に込められた、不確実性に対する判断基準、それが仮説なのである。この製品は伸び盛りで、まだ継続して注文があるかもしれない、だから来旬も受注可能なように、あの機械は少し稼働に余裕を持たせておこう−−これが仮説なのだ。
次の旬には注文が無くて、機械稼働率を下げてしまうかもしれない。では仮説は間違いだったのか? だが、それは一度限りの結果だ。結果論にこだわって一喜一憂してはいけない。それではイーペーコーにこだわった茶木先生と同じレベルになってしまう。もう少し推移を見届けてから検証する必要がある。それがフォームなのだ。
いまでも私はときどき、自分がプロといえるのかどうか、自問する。世間的には、そうだと思われているし、そうでなければ困る。だが、私は毎回の結果だけ見て、一喜一憂してないか。『自分のフォーム』といえるものを身につけているか。その中心には、どんな仮説のリストを持っているのか。そして、私の所属している集団は、はたして「プロの集団」という名にふさわしい組織なのか。私の自問自答は、まだ終わらない。
日本人は目に見えないものにお金を払わない−−少し前の『日本人論』では、よくソフトの値段をめぐる文脈の中で、こう言い放つ人がいたものだ。この言葉自体はやや言い古されて、もはや警句としての切れ味を失ったが、内容は真実だと考える人は、まだ多いだろう。
いくつかの国で仕事をしてきた経験から、とくにこれは日本人に限ったことではない、と私は感じている。程度の大小や傾向に差はあれども、人間は具体的事物以外には対価を払うのを渋る。そこには、所有権では制限しようのない「情報」やら「仕組み」なるしろものに、売買の対価がありうるのか、という感情的な疑念があるからだ。
結局のところ、現在の会計制度は実物経済の原理で成り立っている。これを無形資産にむりやり外挿して財務諸表を作っているのだが、目に見えない情報の棚卸しなど不能である。製品倉庫で数が合わなければ、財務諸表にすぐ現れるから、みなが大騒ぎするだろう。しかし、情報や業務プロセスが陳腐化しても、誰も何も感じないのは、現在の会計に起因する面が大きい。
そもそも、工場では、スムーズに仕事が流れることが一番重要である。欠品もむだな滞留もなく、指示と実物の齟齬もなく、計画はとどこおりなく詳細スケジュールに展開される。こうしたプロセスの仕組み作りこそ、一番価値があるのだ。しかし、その価値は財務諸表のどこにもお金で反映されない。これに比べれば、製品在庫の差異など小さなことなのに。
川の流れがスムーズなほど、表面は静かに見える。波が逆巻いていたら、それは活気の証拠ではなく、底の方に何かの乱流があって、働く人々のエネルギーを無駄に吸い取っていることを意味している。こうしたことは、結局は能率の問題だと片づけられるかもしれないが、私は、もっと大事なこと、働く人間の創造性に結びつくことだと思っている。そして、奇妙なことだが、私は休日出勤をするたびに、それを強く感じるのだ。
私自身は怠け者で、休みの日は仕事のことなど片時も想い出したくない方だ。しかし、「怠け者の節句働き」で、たまに休日に職場に出ると、とても集中力が上がることに気づく。なぜ休日出勤は仕事がはかどるのか。理由は、オフィスが静かだからだ。周りに人が少なくて、PCの立てるファンの音もコピー機の騒音も、ほとんど無い。
ホワイトカラーの端くれとして、私も少しは仕事でものを考える必要がある。そのとき頭の中が集中するまで、ある程度の時間がかかるらしい。だが、それは騒音や話し声でたやすく散らされてしまう。ちょうど、弾み車が高速で回転しかかってているときに、軸受けに砂が紛れ込んできたような感じなのだ。
私が、「思考のIE」がほしい、と思うのはこのような瞬間である。工場の作業分析や標準時間はIE(Industrial Engineering)の主要な領域として、よく研究しつくされている。右手で部品をつかんで、左手のところに持っていく際、途中に障害物があったら、IE技術者はそれを断固とりのぞくだろう。標準時間に影響するからだ。しかし、オフィスで思考するのだって、なんらかの標準時間があるはずなのだ。途中で妨害されて、後からせかされたって、誰か速く考えることのできる人はいるだろうか?
静寂の価値を、この国では誰も声高に主張しない。“にぎわい”を演出するために、建築家も商業も広告業者も、空間を音で埋め尽くすことにやっきになっている。これはすでに日本の文化の一部なのかもしれない。ヨーロッパの街には不便も嫌味もいろいろあるが、ひとつ良いことは、余分な音で充満していないことだ。商店に入っても、レストランに入っても、基本的に音楽がなく静かだ。
広場の音空間は、誰か一人のものではない。自分の店がそこに面しているからといって、ときどき移動式スピーカーを持ち出してCDやDVDの販売のために音楽を流すのは、空間を勝手に占有して汚しているのに等しい(貴方のことだよ、新星堂横浜ランドマーク店の店長殿!)。こうした野蛮がまかり通るのも、この国の人間が、耳に聞こえる音に対してひどく寛容だからだろう。商業ビルに入ると、ビル全体のBGMに加えて、各店舗が別のBGMをかけていて、しばしば二種類の音楽が聞こえる。こうした職場で正気を失わずに働き続けるには、音にたいして鈍感であらねばならぬはずだ。目に見えぬものにはお金も払わぬ日本人が、耳に聞こえてくるものに無神経なのはなぜなのだろうか。
いまから15年前、ほんの数日間だけだが、日本中の街から音曲が絶えたときがあった。カフェに入っても、セブンイレブンに入っても、一切何の音楽もきこえない。そこには普通の話し声以外は静かな、大人の空間が、ひとときだけ存在した。不謹慎との非難を覚悟でいうが、大喪の礼の間ほど、私は心が落ち着いたことはない。それが何十年に一度しかあり得ないことが、私にはとても悲しかった。この国で静寂の価値をみなが受け入れてくれるようになるために、何が欠けているのかを、それ以来私はずっと考え続けている。
学んで時に之を習う。また喜ばしからずや。朋あり、遠方より来る。また楽しからずや。人知らずして温(いきどお)らず。また君子ならずや−−これは「論語」の冒頭、学而篇第一におかれている子(先生、つまり孔子)の言葉だ。
「勉強した後、適当な時期にこれをおさらいする、いかにも心嬉しいことだね。同学の志が遠いところからも訪ねてくる、いかにも楽しいことだね。人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君子だね(凡人にはできないことだから)。」 金谷治氏の訳注をたよりに書き直せば、こんなところか。
孔子は「学ぶ」と「習う」を区別して使っている。学ぶ、は知識として覚えること。これに対して、習う、は自分で繰返し経験して修得することを意味している。つまり、「知る」ことと「わかる」ことだと言ってもいい。
三千年以上も前の人には自明だった、この区別が、現代の人にはわからなくなっているらしい。そう思うようになったのは、最近の経営書ブームの影響を見てからのことだ。
その端的な例が、プロジェクト・マネジメントのPMBOK Guideである。米国Project Management Institute (PMI)が長い時間をかけて完成させた本書は、タイトル"A Guide to Project Management Body of Knowledge"が示すように、「基本的知識へのガイド」である。この中にはたとえば、アーンドバリュー分析(EVA)手法の基礎的な記述がある。そこで、これを読んだ人は、PMやEVAの知識を得ることができる。つまり、「知っている」状態に達するだけ、のはずである。
ところが、面白いことに、世の中にはPMBOK Guideを読んだ、あるいはPMPのペーパー・テストに合格した、だから自分はアーンドバリュー分析が「わかってる」と思いこんでいる人が、けっこういるらしいのだ。不思議なことである。そんな人の前で、「アーンドバリュー分析の落とし穴」に書いたような議論を始めると、目を白黒させる。
どんな技法も、実務で何度か使って、自分で痛い思いもしてみて、はじめて利点と限界を理解できる−−これが技術屋としての普通の態度ではなかったか。いつから管理のための手法だけは畳水練で修得できることになったのか。
もう一つ例をあげよう。ERPのビジネスが発達して以来、日本でも欧米に劣らず『コンサルタント』が急増した。このコンサル諸子、実際には特定アプリケーションの設定方法を(ごく狭い業務範囲に関してのみ)「知っている」だけにすぎないのだが、なぜかビジネス領域を「わかっている」と自認しておられる方が少なくないらしい。無論、ちょっとでも現場業務に関するリアルなことをつっこんで質問されると、すぐぼろが出てしまう。だから最近は顧客側も賢くなって、“SEにすぎない人間に業務コンサルの単価が払えるか”と値切り、単価デフレ現象を加速させているようである。
英語のTOEICも似たような所がある。俺はTOEICが900何点だから英語はよく分かっている、という御仁が多いようだ。しかし、私の感覚でいえば、TOEIC 900点など、囲碁にたとえれば、ようやくアマの初段といったところ。プロ(つまりNativeの人たち)とは天と地ほどの開きがあるのだ。しょせんあれは試験である。点を取るためのテクニックだって存在して、参考書も出ている。そんなことを「知った」からといって、言語という巨大な文化のサブシステムを「わかった」と、なぜ言えるのか。だから私などいつも、「ぼくらに英語はわからない」と言い続けている。
鉄棒の逆上がりの仕方をスライドで見て知っても、それで逆上がりが実際にできるようになるわけではない。小学生にとってさえ自明な真理が、なぜいい年をした大人にわからないのか?
答えは、たぶん、われわれの社会から職人仕事が衰退していることと、関係がある。職人は、仕事は自分で身につけるものだ、と信じていた。「知る」ことと「わかる」こととの間には、気の遠くなるほどの距離があるのだ。しかし今や、いかなる仕事であれ、文章と記号と画像情報系で伝達可能である、という信念が広まっている。どうも、大学でお勉強ばかり上手にしてきた人たちが、ホワイトカラーの中に増えすぎたのだとしか思えない。
昔読んだ田辺聖子の小説の中で、障害児を持つ母親が、他人からその苦労を聞かれ、
「分かる人には説明しなくても分かる、分からない人には説明しても分からない。」
という意味のことを答えた場面があって、今でも忘れられない。逆説めいているが、正論だ。「わかっていない」という自己認識があって、はじめて「わかろう」とする努力が始まるのだ。「そんなことは知っている」と思った地点からは、何の前進もありえない。無知の知とは、おそらくそういう意味なのだろう。
SCMにおける意志決定のパラドックス(2)−−「合理的な」決定は可能か (2004/04/18)
資材の調達先を決める際、価格は有力だが唯一の評価項目ではない。ふつうは価格以外に性能や品質など、さまざまな角度から比較して総合的に決定するはずだ、と前回書いた。価格以外の評価項目における優位性は、売り手の側からは『非価格競争力』と一般に呼ばれる。一方、買い手の側から言えば、非価格項目は、結局のところ買い手にとっての資材の使用価値を決める要素となる。そして、使用価値と取得価格のバランスから、サプライヤーを選択することになるのだ。
ところで、買い手はこれら価格項目と非価格項目をまとめて、通常は一種の比較表を作成する。この作業をプロジェクト・マネジメントの調達管理の世界では、"Bid Tabulation"(Bid Tab)と呼ぶ。プロマネはふつう、調達担当者がBid Tabを作成した上で、合理的で適正な選定を行なうよう監督する責任がある。前回説明した、自動車の購入のための比較表は、このBid Tabの例である。
さて、前回のケースであなたは、X・Y・Zの3車を比較して、Z車が一番高価ではあるが最も使用価値が高いと感じている。そこで、非価格項目の定性的な◎○△などの評価値を点数化し、合計点によって決めようとした。その際、各評価項目の中の順位にしたがって、各候補にそれぞれ3点・2点・1点を割り当て、それを集計した(投票におけるボルダ方式と同じやり方である)。その結果、Z車が合計12点で、最高位になった訳である。
ところが、あなたの「財務省」は、あなたのBid Tabをじっと見てから、意外なことを提案してくる。比較対象から、最低点のY車をまず削除しよう、というのだ。そしてXZの決選投票をすべきだ、と主張する。決選投票でも同じ手続きで点数化し、両者の比較で、2点と1点を投じる。あなたはこれに同意して、再度比較評価してみる。すると、Bid Tabは次のようになる。
車種 価格 デザイン エンジン性能 安定性 燃費 保守性 付属機器 X車 160万 ○ ○ △ ○ ○ ○ Z車 190万 ◎ △ ◎ ◎ △ △ 今度はX=Z=9点だ。両者は同点だから、安価なYを選択すべきだと、彼女は主張してくる! 果たしてこれでいいのだろうか? XとZの二つの対象を比較するときに、両者と無関係な比較対象Yの有無によって、結果が変わるのは不合理ではないか。
そのとおりである。この事例のようなやり方(ボルダ方式)は、意志決定プロセスが、“無関係対象からの独立性を欠いている”とされる。そして、このような意志決定は、評価の経路(選択候補を比較する順番)によって、異なる結果を得てしまう『結果の経路依存性』がある。これを容認すれば、評価結果(投票結果)を意図的に操作することが、可能になるのだ。
どうやら、単純な単票投票方式も、ボルダ方式も、合理性の観点からは問題があることがわかった。では、他にうまい意志決定方法があるのだろうか。
ここで、これまで無反省に使ってきた「合理的」という言葉の中身を、もう少し正確に定義することにしよう。意志決定が「合理的」であるためには、最低限、次の条件を満たす必要がある。
(0)それぞれの比較評価項目で、対象の順序づけが可能であり、それは自由に決めることができる。
(1)順序づけは定性的でもかまわない。ただし、循環順序(じゃんけんのように最強のものがわからない順序)は許さない。いいかえるならば、X>YかつY>ZならX>Zという推移律を満たす。
(2)比較評価による順位付けは、無関係対象から独立である
(3)すべての比較評価項目でX>Yならば、意志決定結果でもX>Yである
(4)ある比較評価項目の順序づけのみが、そのまま全体の意志決定結果と同じになるような“独裁的”な力を持ってはいけないどれをみても、至極もっともな条件である。ところが、ケネス・アロウという経済学者は、これらをすべて満たす決定方式は存在しないことを数学的に証明してしまった。彼によれば、(0)〜(3)をみたす方式では、(4)をみたすことができない。ある尺度だけがつねに結果を左右してしまうのである。これを、アロウの「一般選好性定理」ないし「一般可能性定理」と呼ぶ。つまり、比較選定を投票行為に見立てるならば、一見合理的に見える社会的意志決定で、「必ず独裁者が生じる」という、とんでもない定理なのである。かれはこの発見の功績により、1972年にノーベル経済学賞を受賞する。
このアロウの定理は、何を意味しているのか? 合理性だけの民主主義社会には独裁者が必然的に発生する、ということだろうか? そうではない。彼はただ、「合理的」に見える意志決定においても、その合理性にはつねに限界があることを示したのだ。たとえば、評価項目(価値判断の視点)を一つ、新たに追加するだけで、結果が完全に逆転することだって、十分あり得るわけだ。
ちなみに、ボルダ方式を含むすべての民主的投票方式において、戦略的操作がつねに可能である、ということも、数学的に証明されている(ギバード=サタースウェイトの定理)。また、もしも、2者間の比較が無関係対象から独立であり、かつ投票者全員が等しい票を投じる権利を持つ場合、どんな投票方式を持ってきても、結果には循環順序が発生する危険性があることも、証明されている。
アロウの理論は、じつは本来は社会的な意志決定に関する理論(厚生経済学と呼ばれる学問分野)の仕事であった。しかし、彼の理論は、サプライチェーンやプロジェクト・マネジメントにおける意志決定のプロセスにも適用可能である。そして、お金だけでは決められない多元的な意志決定において、徹頭徹尾、機械的な合理性を実現することは不可能なのだ。意志決定には、必ず不合理で不確実な部分が残る。もしBid Tabの非価格項目が、資材の使用価値を決める要素だとしたら、結局、価値評価は、機械的手続きでは決められない。これをバランスするためにも、人間の主観的な判断がつねに必要なのである。
(厚生経済学の諸定理の内容については、おもに佐伯胖著『「きめ方」の論理 −− 社会的決定理論への招待』東大出版会・刊に負っています)
SCMにおける意志決定のパラドックス (2004/04/11)
サプライチェーンにおける生産計画やスケジューリングの仕事をしていると、あれかこれかの選択肢に悩むことが、しばしば起きる。それは、計画の仕事が将来の不確実性を相手にしているためである。先のことを完全に予測する方法はないから、生産スケジューリングは本質的に多目的性を持っている。たとえば、できる限りすべての生産オーダーの納期は満たしたい、かといって製品在庫は減らしたい。工場の製造能力は上限いっぱいまで活用して稼働率を上げたい。だが飛び込み注文に対応できる余力も持っておきたい。小ロット化してリードタイムを短縮したい。しかし、段取り替えは減らして品質や稼働率は向上させたい・・
すべてを同時に満たす解はない。納期遵守率・製品在庫量・設備稼働率・余裕率・リードタイムなどの尺度間には、お互いにトレードオフの関係があり、「あれもこれも」とすべてを欲張ることは不可能だ。生産スケジューリングの仕事にたずさわる人は身をもってこれを知っている。だから、APS製品は複数のスケジュールを作成保存して比較評価できる機能が必須になる。しかし、比較評価といっても、具体的にはどうするべきなのか?
同じような問題が、調達の場面でも生じる。生産財のサプライヤーを新しく選ぶ際には、必ず複数の指標からの比較評価が必要になる。“そんなの逆オークションをやって、一番安いところに決めればいいじゃないか”と思うITエンジニアは、無邪気すぎるというものだ。買い物の世界では、価格は唯一無二の評価指標ではない。価格はつねに最有力な指標ではあるが、『安物買いの銭失い』という古い諺にあるとおり、値段だけでものを決めるのは愚かである。
それはたとえば、自分が新しく自動車を買う場合を想定してみればわかる。カローラとベンツを比べて、カローラの方が安いからといって買う人間はいないだろう。性能も用途もまるきり違うからだ。カローラと同じクラスに車種をしぼってみた場合だって、価格以外にいろいろな観点から比較するにちがいない。そして、次のような表を作るはずだ。
車種 価格 デザイン エンジン性能 安定性 燃費 保守性 付属機器 X車 160万 ○ ○ △ ○ ○ ○ Y車 170万 △ ◎ ○ △ ○ △ Z車 190万 ◎ △ ◎ ◎ △ △ このような表から、XYZの順位付けを合理的(だれもが納得できる)かつ機械的(決まった手順で計算できる)に決める方法はあるだろうか? あるとしたら、それはどんな方法だろうか?
仮にあなたがZ車が一番気に入ったとしても、この比較表を「財務省」(それが誰であれ)に持っていって通すには、それなりの論理が必要だ。話を単純にするため、この表の価格とは、納期やローンなど支払い関係の時間的条件がすべて盛り込まれた、現在換算の取得価格を表しているとしよう(「The Time Value of Money」参照)。あなたとしては、価格以外の定性的な評価項目を総合判断して、この車の「使用価値」を決めたい。そして、Z車の使用価値から見れば、30万円の価格差など小さいものだと説明したいのだが・・
すぐに思いつくのは、表の各評価尺度でそれぞれベストなものを選び、その点数合計で選ぶ方法だ。これは、ある意味では投票に似ている。「デザイン」「エンジン性能」「安定性」などの評価尺度がそれぞれ投票者であり、XYZが候補者であると考える。美人コンテストや入社試験や選挙と同じである。
そこでためしに、各投票者(=項目)が、最良と思うものに1票を投じることにしてみよう。総選挙方式である。するとZ車が3票を獲得して1位になる。ところで、今度は各投票者が最悪と思うものに投票させてみよう。と、ZはYとならんで3票を獲得し、また首位になってしまう。
投票者全員が、評価の尺度を逆転させたときに、選定結果が同一のものになるとしたら、その決定方式は明らかに不合理である。社会的意志決定理論の研究者たちは、これゆえに、総選挙のような「単票式」投票は不合理が明らかである、として退けている。この種の研究は18世紀のフランス(つまり政治的社会的に沸騰点に達していた、あの大革命時代の国)にさかのぼる。
かわりに提案されたのは、各人が評価順位にしたがって3,2,1点をそれぞれ投じる方式だった。これをボルダ方式といい、よく用いられるやり方だろう。これだと、上の例は機械的な計算によってX=11、Y=10、Z=12点となり(同列首位は2点ずつとした)、今度はあなたにとって望ましい結果のように見える。
ところが、じつは、このボルダ方式には、結果を意図的に操作できる余地があるのだ。そればかりではない。20世紀後半の経済学的・数学的研究は、こうした意志決定のプロセスに対して、おどろくべきことを発見している。それは、「合理的」かつ「機械的」な意志決定方式は、必ず何らかのパラドックスを伴うということである。それはさながら、矛盾のない公理系の不完全性を証明した『ゲーデルの定理』のように、多目的な意志決定プロセスに内在する不完全性を示している。長くなってきたので、続きは次回書こう。
昔、「自由の京大、自治の東大」という言葉があったそうだ。戦後しばらくの事である。これは東西二つの大学の文化・校風の違いを表しているともいえる。が、同時に、京都には自治が無く、東京には自由がない、という意味にも解釈できただろう。
この言葉の真偽はともかく、日本が東西で何かと違っているのは事実である。60年安保で国中が政治的に沸騰していたころ、反体制側の人の中には、どうしても日米安保条約を政府が強行するならば、大阪に勢力を結集して「人民議会」をうちたて、東京政府の無効を宣言すればいいと主張した人たちがいたらしい。
私はときどき、このプランが実現されていたら世の中はどんなになっていただろうかと空想することがある。日本が糸魚川・静岡構造線のあたりで東西に分断され、別々の国になっている。東日本には親米的な政府が富国強兵・中央集権の武断政治を布いており、西日本には議論好きな多党制の親大陸的な政府が連邦的運営を行なっている。そんな気がする。もともと、中世初期から室町時代にかけて、事実日本には東西二つの権力が共存していた歴史を持つのだ。そうなってもあまり不思議はない。
国家権力を樹立したら、誰でもまずやるのが法律の制定と独自通貨の発行である。東が円のままならば、西側は『両』でも使うか。東西の交易はどうしたって不可避だから、次第に双方に相手方の通貨が出回るようになるだろう。ヨーロッパでも国境近くの人々は、財布の中に複数の通貨をまぜて持っていることが多い。
こういう状態になったときに、私の頭に浮かぶ疑問は、こうだ:東西の通貨で、それぞれ買えるものと買えないものがあるとしたら、それは何か?
たとえば灘の生一本は円では買えないし、信州のそばは両では買えまい。むろん、これぐらいならば別段人生に異常はないが、それだけではすむまい。米は東の方が産地が多いから、西では値段が高くなろう。工業製品はどうか。鉄や石油はどうせ資源を海外から輸入に頼っているから差はあるまいが、精密機械・電機の主力工場の位置などを考えると、西日本はやや不利である。セメント、紙などもそうだ。
一方、学芸、娯楽、教養の面になると関西の方が有利である。ノーベル賞授賞者数ではまさっている。書画や芸能の質も高い。日本画など円ではあまり買えなくなるだろう。こうしてみると、東日本は文明、西日本は文化に強いという傾向が、二つの通貨制のもとでは明確になりそうだ。なお、ここでは「人間に利便を与えるものを文明と呼び、人間にアイデンティティを与えるものを文化と呼ぶ」という言い方に従っている。
さて、ここで空想はもう一段飛躍する。文明用の通貨と、文化用の通貨が区別されて、両者が交換できなかったら、社会はどんな風になるだろうか。たとえば、会社からの給料は通貨が二本だてになる。労働生産性に応じた分は文明通貨で支払われ、他方、知的成果や教育費や責任のストレス・長時間労働などにたいする補償の手当は、文化通貨で支払われる。そんな風になったらどうだろうか。いま、両者はあいまいにされたまま、まぜこぜに支払われている訳だ。自分の給料の内、どちらの支給額が多くなるだろうか。
無意味な空想だ、と思われるだろうか。しかし、これは現実に小規模には起こっているのだ。「コミュニティ通貨」という形で、である。コミュニティ通貨というのは、地域社会において、自分が奉仕して貢献したボランティア活動の時間をためておいて、一種の貯金にできる制度だ。ただし、この「貯金」は、やはりボランティア的な仕事に対してしか使えない。たとえば老齢時の介助や介護、啓蒙やレクリエーション活動、といったたぐいのサービスにのみ、ひきかえ可能なのだ。
こうしてみると、オープン・ソフトウェア運動やインターネットというものが、「もうひとつの通貨」にいかに類似しているかに気付く。LinuxやApacheは無料である。しかしソフトウェアの世界では、大きな価値が、ある。これは、文明世界の鉄やセメント用の価値とは、たぶん少しばかり別のものなのだ。オープンソフトが、既存の会計原則の上ではどうにも扱いにくい鬼っ子であるというのも、まことに無理のないことなのである。
ずいぶん久しぶりに、諏訪湖のそばを通った。車で通り過ぎただけで、岸辺に立ちよることはできなかったが、湖面には昔より人の親しむ気配があった。
諏訪湖は私にはなつかしい場所だ。私は大学院時代、生態系シミュレーションの研究をしており、諏訪湖はその主な対象だった。80年代の初頭のころ、信州大学理学部に付設されている臨湖実験所に、実験調査とフィールドワークのために何度か滞在したことがある。モーターボートを借りて、水質や底泥のサンプルをとるために湖の中をぐるぐると回ったものだ。
諏訪湖のまわりは、長野、いや日本の中でも、かなり古くから開けた地方だった。すでに古代、出雲の植民地として、奈良などと同じ時期に住民の定着と農耕が始まったとされている。諏訪地方は山間の盆地で、湖は広くて平坦、最深部の深さでも6mない。だから見かけは直径3km以上の大きさとはいえ、水量は多くない。それでも、天竜川の源として、周囲の耕地を潤し、また冬のワカサギをはじめ、豊かな漁獲で地域を養ってきた。
その諏訪湖はしかし近年になると、長らく水質汚染に悩んでいた。汚染といっても、特定の企業が有害な廃液を流しこんだためではない。そういうタイプの公害問題は、いちおう70年代の後半には社会の意識も進んだために、落ち着いていた。
80年代以降の水質問題は、ある意味でもっと深刻で困難なものだ。それは、湖の生態系自体がバランスを崩してしまい、淡水性の赤潮(「水の華」と呼ばれる)が発生して魚類が死滅する現象だった。私の研究テーマは、観測データの分析と実験、そして計算機シミュレーションを通して、赤潮発生の原因を探り、対策を考えることだった。そして、私たちが突き止めたその原因は、驚くべきものだった。それは、湖にそそぎ込む栄養分が多すぎて、生態系が正のフィードバック、つまり無限ループに陥ったためだったのだ。
湖の生態系は、単純化して説明すると、水中の無機栄養分と日光を元に植物プランクトンが成長し、それが増えると補食者の動物プランクトンが発生し、さらに動物プランクトンを餌に魚類が育つ。そして魚類の死骸は水中や底泥のバクテリアが無機質に分解し、さらに底生動物がそれを片づける、というリサイクル(物質循環)の構造になっている。どれかが増えすぎると、捕食者や分解者が現れてブレーキをかけ、全体のバランスをとるように、生態系というシステムはきわめて巧妙に出来ている。これは負のフィードバック・システムだと考えることができる。
ところが、このシステムには処理可能な容量の限界があった。私たちの研究室は、化学工学的な手法を用いて物質の収支を計算し、夏以外の通常の季節では、河川から諏訪湖に流れ込む無機栄養塩(とくに燐)は底泥に吸着されていくことを推定した。植物の必須栄養素は窒素・燐酸・カリ、と中学校で習ったと思うが、ふつうの湖沼水中では窒素とカリはふんだんにあり、希少な燐酸が植物生育のスピードを決める。
ところが、調べてみると夏の諏訪湖では奇妙なことが起こっている。水深の浅い諏訪湖では、表層近くの水は温められて軽くなり、底層に近い冷たい水と混じりにくい、成層化現象が始まる。この状態で無機栄養分が過剰に流れ込むと、それを肥料にした植物プランクトン(とくにらん藻)は、光の豊富な表層でさかんに成長する。らん藻が水面を覆うと、光が水中に届きにくくなるばかりか、光合成で生成する酸素をみな水面から逃がしてしまう。すると、次第に水中は酸素不足になってくる。藍藻類の死骸が低層水に沈降してくると、バクテリアはただでさえ少ない酸素をつかって、死骸を分解しようとする。
こうして、低層水から溶存酸素が払底してくると、驚くべき事が起こる。それまで燐を吸着してくれていた底泥から、還元反応によって燐が溶出してくるのだ。放出された燐は水中を拡散して、ますます表層のらん藻を増殖させることになる・・・。酸素の払底で水中の魚も底生動物も死滅して、湖はひたすら黄緑色の植物プランクトンだけに覆われていってしまう。
これが淡水性赤潮の発生原因だった。本来は自己バランスを保っている生態系のシステムが、多すぎる栄養をそそぎ込まれると、勝手に自己崩壊していくのだ。これを「富栄養化現象」と呼ぶ。そこには、誰も悪役はいない。誰かを指弾するとしたら、それは諏訪湖のまわりに住み着いて、農地にせっせと肥料をまくすべての人間だ。肥料は雨水とともに河川に流れ出し、湖にそそぎ込む。だが、湖がその栄養分を処理して魚類を養ってくれる能力には、限界があったのだ。
ここからどのような教訓を引きだすか、それは自由だ。多すぎる栄養は生態系のバランスのためにはならない。多すぎる情報も、人間の心のバランスを崩すかもしれない、あるいは、多すぎる富は企業や社会を変質させてしまうかもしれない・・。
忘れないでほしいのは、湖の生態系自体が無くなったわけではないと言うことだ。存在はしている。しかし、それはあまりにも単相で単調であり、もはや人間に益を与えてくれない。多様性こそが豊かさの鍵なのだ。
長野県は長い年月と多くの費用をかけて、諏訪湖の水質を改善しようと苦心を続けてきた。しかし、悪化させた年月よりも、改善にかかる年月はずっと長い。システムを分析する人は、このことを決して忘れてはいけないのである。
「ムツゴロウさん」こと畑正憲氏の作った、子ども向けビデオの「動物大好き」シリーズを子供と一緒に見ていたら、面白いエピソードが出てきた。犬と猫の、対象物への関心のあり方が、こんなに違う、という話だ。
まず、道ばたの雑草“ネコジャラシ”を一本ひっこぬいて、穂先を猫の目の前にぶらぶらさせてやる。猫はすぐ前足でそれをつかもうとして、じゃれてくる。誰でもやったことがあるだろう。畑正憲によると、猫は、目の前に興味ある物体があると、ただそれだけにすべての関心と注意を集中させる性質を持っている。その他のものには見向きもしなくなる。そして、その穂先にだけ手を出そうとする。
一方、犬は全く違う。畑正憲は同じネコジャラシを、犬の鼻先にぶらぶらさせてみる。犬もそれに興味を持って、手を出したりするが、しばらくすると少し後ろに下がって、全体をじっと見る。そして、今度は、穂先ではなく、彼が手でもっている茎の方を口でくわえて、ぱっと奪いとってしまうのだ。
畑正憲いわく、「犬は興味の対象を手に入れるための、総合的判断がうまい」。穂先がダメなら、その形状を見て、茎をくわえることを考える。それでもダメなら、今度は飼い主の畑正憲に甘えて、「ちょうだい。」というポーズをするだろう、という。
これを見ていて、なんだかこの2種類のアプローチは、人間の思考パターンの分類にも使えるなあ、と思った。一点集中型(“猫型”)と、総合判断型(“犬型”)のアプローチ。以前、「コンサルタントの日誌から」で、『“猫型プロジェクト”のマネジメント法』(2003/07/08)という文章を書いた。ある米国のPMコンサルの分類法を借りて、プロジェクトにも猫型と犬型がある、と比喩的に分析したものだ。しかし、それ以上に、対象物へのアプローチにかんする二つのタイプは、人間の二種類のタイプを表しているようで、面白い。たとえば、アメリカ人と日本人である。
アメリカ人と仕事でつきあってみると、彼らはかなり徹底して、分業的・組織的にターゲットにせまるやり方をする。ターゲットの性質や構造をいろいろな角度から分析して、それを達成するにはどうするか、計画する。そして、その計画通りいくように役割分担と指示系統を決め、現実が計画から少しずれようとも、あらかじめ線を引いたとおりに、なかば強引に物量で攻めていく。いかにも“犬型”の総合判断によるアプローチだ。
もともと犬の祖先の狼は、集団で狩りをする生物だ。彼らは獲物との空間的距離を計りながら、計画的・分業的に追いつめていく方法をとる。こうしたやり方は、十分な配員さえできれば、個人個人の技量の差があっても、そこそこのレベルで結果を得ることができる利点を持っている。そのかわり、現実が計画からかけ離れてしまっても、フィードバックが効きにくいのだが(アジアの小国とはじめてしまった戦争が泥沼に陥っても、彼らはすぐに軌道修正できない)。
一方、日本人は、そもそもあまり計画を信用しない(製造業の中には、「計画はずし」などということを指導するコンサルまで実在する・・)。対象物があったら、その動きをじっと見て、身をかがめながら待ち、あるタイミングがきたら全力でそれに突撃する。そして後先考えずに、しゃにむに追いかける、という訳である。まさに“猫型”の、一点集中型のやり方ではないか。
一点集中型アプローチの利点は、動く対象に向かって、臨機応変に追随できることだ。猫はもともと、森の中で小動物を捕獲して生きている、半夜行性の生物だ。一点集中はそのために必要な特性だった。じっさい、上に述べた『猫型プロジェクト』は、日本人の方がうまくマネジメントできるような気もする。しかし、このやり方は、個人個人の能力にかなり依存する弱点がある。
無論、こうした比較は、ある程度強引にパターン化して描写している。実際には米国人だって一点集中になることもあるし、日本人だって総合的判断を行なう。しかし、全般の傾向としては、このようにふるまうよう、学校でも社会の中でも構成員を訓練しているのではないか。日本の教育システムにおける入試制度なども、『一点集中』の代表例のようだ。
日本人集団を見ると、一点集中主義は、集団全体で同じ方向に顔を向ける、一種のブーム現象をうみだす。若い女性のファッションにおける流行だけではない。産業界でも同様で、ERPが良いとなれば猫も杓子もERP導入、中国生産だとなれば皆がなだれをうって大陸入りを果たそうとする。ERP導入や中国生産で成功する条件や手順を、「構造的・総合的」に分析してとり組もう、官民や業界が分業して戦略的に達成しよう、などという“犬型”アプローチはあまり聞かない。
もう一つの例は、日本のマス・メディアの報道の仕方だろう。英文紙「Japan Times」の投書欄などを読めば、よく外国人(主に英米人)が、“日本のメディアはなぜ同じ話題ばかり取りあげ続けるのか”という批判を投書している。たしかに、拉致被害者問題ならそのニュースだけを何日間も報道し続け、公的資金投入問題となれば連日その問題ばかり議論する。しまいにはいいかげん、視聴者の方がその話題に飽きてきてしまう。
なぜそうなるかというと、理由があるのだ。もともとマス・メディアは、どれだけ多くの視聴者を獲得できるかで競争する。もし今、A・B・C・Dの4種類のトピックがあり、視聴者の関心が、4:3:2:1割ずつあったとしよう。すると、いずれのメディアのチャネルも、最大の関心をとれるAの話題を選択しようとする。このため、結果としては、すべてのチャネルが同じ話題を報道することになってしまう。その上、各チャネルは猫型メンタリティにしたがって、同じ話題を継続的に集中して報道したがる。つまり、マス・メディアは本質的に、一点集中になりやすい存在なのだ(メディアの選択肢が多い米国や、民放TVが少ない英国では、チャネルは専門分化しているため、この現象がおきにくい)。
一点集中と総合判断は、どちらも利点と短所を持つ。その両方を、うまく使い分けていければ、一番賢いやり方だろうと思える。しかし、我々の社会では、文化の傾向として「一点集中」を選びがちなのに加えて、メディアの性質がそれに輪をかける危険性を孕んでいる。そのことを我々は、どんな社会的問題を考える際にも、忘れるべきではない。
近似値としてのCoreaとJapon (2003/09/24)
新聞を見ていたら、最近、韓国と北朝鮮の学者が合同で、自分たちの民族の英語表記"Korea"を、"Corea"に変えるよう運動しているとの記事があった。頭文字のKをCに変えたいというのだ。
その理由として、昔は英語でもCoreaだったのに、20世紀に入ってからKoreaと変えられてしまったのは、日本の植民地政策によるものだった、という主張がされている。Koreaだと、アルファベット順で日本よりも後になり、オリンピックの入場行進でも日本が先に目立つから、ということらしい。日本の帝国主義支配者たちの民族文化に対する悪業が、また一つ明らかになったというわけだ。
私は、固有名詞に関しては現地主義だ。現地の人が認知し、また実際に使っているものを優先させたいと思っている。だから、隣人たちが「これからはCoreaにしたい」と公式に決めたなら、明日からでも喜んで従おう。アルファベット一文字で数千万人の人がハッピーになれるのならば、安いものだ。これまでも、「ザイールでなくコンゴだ」と言われれば私はコンゴと呼んできたし、「この国はビルマでなくミャンマーだ」とjuntaが言えば、それに従った(juntaが何かを知りたければ英和辞典をどうぞ)。アメリカ人みたいに、Napoliをネープルズと言ったり、Munchenをミューニックと呼びつづけるのは、何だか滑稽だと私も思う。
ただし、記事を読んでわずかに違和感を感じたのは、なぜこの人たちが英語表記にだけこだわるのか、ということだった(現にフランス語ではCoreeで、Cで始まっている)。ドイツ語は、ロシア語はどうする? いや、そもそもなぜ「コリア」なのか。この人たちの国は、たしかハンとかチョソンとかいうのではなかったか(私の発音が悪いのは許していただきたい)。なぜ高麗などという、今はどこにも存在しない国号をベースにした呼称で満足しているのか。
この奇妙さ加減は、東海をはさんだ隣国の人々の不思議さ加減と、ちょうど良い対称をなしている。そこの人々は、自分たちの国をジャパンだとか、ひどいときにはジャポンだとか称して喜んでいる。雑誌のタイトルや外資系企業の名刺からは、私にはそうとしか思えない。現地語ではふつうニホンと呼んでいるにもかかわらず、だ。Japanなどという中途半端な中国語読みからの転訛で満足していないで、なぜ世界中の地図を「Nihon」と訂正させる努力をはらわないのか、私には不思議でたまらない(まあ、国粋主義者は、正しくは"Nippon"だ、と言うかもしれないが)
もっとも、Nihonと変更させても、まだ悩みはつきない。ラテン系言語の連中が正しく発音して読めるとはとうてい思えないからだ。明日からスペイン語圏の人々がいっせいにハポンからニォンに切り替えたからといって、それでオリジナルな発音に近づいたとは、いいがたい。
いや、それどころか、私は現地主義といいながら、「神戸」や「沖縄」を正しい現地のアクセントで発音することさえ、じつはできない。自分にできるのは、せいぜい近似値としての発音なのだ。まして隣国の首都ソウルとなると、正しく綴ることも発音することもおぼつかない。固有名詞は言語の体系の中に存在するので、異なる言語システムの中では、そもそも近似でしか表現できないものなのだ。
固有名詞の問題がややこしいのは、じつは固有名詞が自我の延長線上に存在するからである。誰もが自分に属する固有名詞は、自分の自我と同様に、尊重してもらいたいと思っている。それを汚されると、不快・怒りなどの感情に直結しやすい。私が現地主義なのも、他人の自我の外延を土足で踏みにじるようなことを、したくないためだ。
しかし、私達はお互いに、異なる言語の中では近似値しか持ち得ないことも悟るべきだろう。できるのは、多元連立方程式の近似解に、一歩一歩近づいてゆくことだけだ。
誤解しないでほしいが、私は別に、KoreaをCoreaに変えようとしている人々を茶化すつもりは、まったくない。近似値を改善しようという運動は、きわめて当然のものだ。この人達が英語を当面のターゲットにしているのも、「コリア」で我慢しているのも、やむを得ない理由があることと想像する。改善の動きをほとんど起こそうとしない日本人に比べれば、はるかにましというべきだ。
ただ、私達は、そうした運動は「正しさ」を求める訴訟活動ではなく、より良い「近似」を求める改善作業なのだということを、忘れてはならない。固有名詞の問題は、正義の見地からではなく、友愛の観点からおし進めるべきなのである。
ル・コルビュジェのサヴォア邸と自由度の難問 (2003/08/14)
フランスのパリ郊外、ポワシー(Poissy)の街に、サヴォア邸はある。郊外通勤電車RERでパリの中心から西に約30分、ポワシーはイル・ド・フランス地方の典型的に穏やかな小都市だ。駅から少し歩くと市庁舎で、その前の広場には市場が立ち、小ぶりだけれど由緒あるゴシック建築のノートル・ダム教会がある。街の名前が暗示するように、セーヌ川に面するこの町は、下流から船で運ばれてきた魚や水産物を、ここで陸あげして大消費地パリに運ぶ流通の拠点として、それなりに栄えてきた歴史をもっている。
金融業の資産家サヴォア夫妻が、この街に週末用の別荘を作ろうと思いたったのは1920年代の後半のことだった。夫妻はその設計を、ル・コルビュジェという筆名(?)で仕事をしていた気鋭の中堅建築家に依頼した。セーヌを見下ろせる小高い丘の上に、それなりの敷地を買って、2階建ての家屋を造らせる。ほとんど集合住宅ばかりのパリの街の住民は、ときどき郊外に抜け出して、緑の中の一軒家で息抜きをしたくなるのだ。
建築家ル・コルビュジェにかんして、私の知識、ないし知ったかぶりは、ごく限られている。19世紀の終わりにスイスに生まれた彼が、このサヴォア邸の設計を依頼されたのはちょうど40歳の時で、すでに彼は前衛的なアジテーターとして知られていた。ル・コルビュジェと、ミース・ファン・デア・ローエ、フランク・ロイド・ライトの3人の建築家によって近代建築はスタートしたと言われている。
近代建築とは何か。それは、一般に造形の自由さだと思われている。しかし、それを可能にしたのは、もっと技術的な要素、すなわち鉄筋コンクリートという新しい素材の登場だった。それまでの石や煉瓦を積み上げて壁に荷重をもたせる、いわゆるヨーロッパ風の伝統的石造りの建物とは、まったく異なった設計が可能になる。ル・コルビュジェたちは早くからその可能性に気がついて、別の造形の可能性を開拓しようと意気込んでいたのだ。
彼は、このサヴォア邸の設計に取りかかる前に、「現代建築の5原則」なる理論を発表した。それは、(1)ピロティーの上にある家、(2)屋上庭園、(3)自由なプラン、(4)横長の窓、(5)自由なファサード、から成り立つ。そしてサヴォア邸はその理論を完璧に実現した住宅となった。
サヴォア邸を見学にいったものは、まず、その家のどちらが正面入り口かでとまどう。そして、フラットで水平感の強い構成、とくに2階のサロンの全面ガラスの壁がもたらす明るい光の効果に驚く。ル・コルビュジェの建築は、いつも光の取り入れ方が美しく、見事だ。それは陽光の季節を待ち望む北国の人の感覚にぴったりくる。しかし、同時に、“これじゃ暖房費がかかってしょうがないだろうな・・”とも思うに違いない。
暖房光熱費はかかっても、この家に住むのは楽しそうだ。それは私も素直に感じる。しかし同時に、ル・コルビュジェの5原則を守らないと、快適な家は生まれなかったのだろうか、とも疑問に思う。
彼の5原則とは、実はすべてが伝統建築へのアンチテーゼでしかない。(1)ピロティーの上にある家とは、半地下室を持つフランスの建物からの、(2)屋上庭園とは傾斜を持つ屋根からの、(3)自由なプランとは壁構造からの、(4)横長の窓とはゴチック以来のフランス窓のあり方からの、そして(5)自由なファサードとはマンスール様式に代表される伝統的なフランス建築の正面からの、脱出なのだ。彼は建築家を束縛する因習と、その因習の背景に存在する技術的・社会心理的な制約条件を、なんとか破壊すべく、鉄筋コンクリートと平面ガラスという近代工業の産物に、その希望を託したのである。
その結果はどうだったか。たしかにサヴォア邸はすばらしい。まさに芸術的な美しさと完成度がある。しかし、凡百の建築家にとって、ル・コルビュジェがもたらした設計の自由度は、モデルのないまま白いキャンバスを前に途方に暮れる画家のような、手がかりのない難しさだった。自分の能力を超えた自由度を与えられると、人間は途方に暮れるか、自分の個人的な願望だけで塗りつぶしてしまうか、どちらかだ。
伝統の様式にしたがっていれば、多少へぼな建築家でも、それなりの建物ができあがっていくものだ。しかし、伝統を壊してしまったいまや、ル・コルビュジェ級の天才でなければ、機能と美しさが調和した建物を造るのは難しい。その結果、世界中の街に、意味も自律性も周囲との階調も持てずにいる、奇妙な近代建築が乱立することとなった。
伝統の呪縛から自由度の困難へ。ル・コルビュジェが宣言した、近代への脱出がもたらしたものがこれだ。だが、多くの人間は彼ほど全能ではなかった。ポワシーの街から通勤電車RERが到達する、パリの新都心ラ・デファンス−−そこに降り立って、周囲に建ち並ぶ、モダンで斬新だが無味乾燥なビルの羅列を見たとき、誰もがそう思うのだ。
先週の7月12日(土曜日)、代々木にある日本語学校「青山スクール」で、小さな集まりが開かれた。それはボランティア・グループ「留学生相談室」の“お別れパーティ”だった。狭い部屋に集まった老若男女・国籍・肌の色もさまざまな80人近い参加者は、口々に、このボランティア集団が17年間の活動を終えて解散することを惜しんだ。その多くは、海外から日本にやってきた留学生や元・留学生の人たちだった。
私のこのサイトは、開設当初から、「留学生相談室」の紹介ページを置いていた。生産スケジューリングとは何の関係もない、唐突な取り合わせだったが、相談室の中心メンバーと親しい関係にあるため、スペースをお貸ししていたという形だ。それも、スタティックな案内メッセージと地図を置いただけで、掲示板なども特別作らなかったので、どれだけ相談室の広報に貢献できたのかは心許ない。
留学生相談室の17年間の総相談件数は41,264件に達する。来室者は全部で4,957名。その国籍はアジア43カ国を筆頭にアフリカ・ヨーロッパ・北米・南米・オセアニアなど計111ヶ国・地域におよんだ。留学生たちに知られているだけでなく、文部科学省や多くの大学・日本語学校から頼りにされる存在であった。
留学生の抱える問題とは何か。表面的に分類すれば、住居問題・保証人・公有・在留資格・奨学金・諸トラブル、などに分けることはできる。しかし、その中身を知れば知るほど、私は日本という国が、そこに住む人たちの考え方が、不思議でならなくなる。例えばあなたは保証人制度とはどういったものか、ご存じだろうか?
留学のためには、海外から日本に入国しなければならない。そのとき、正しいビザで入国するには大学の入学証明が必要だ。ところが、多くの大学は、入学時に「身元保証人」を全入学生に要求するのである。でも、初めてやってきた国に、誰がどうやったら保証人を捜すことができるというのだろう? どうしてこんな馬鹿げた不合理な制度を、『理性の府』と称しているはずの大学が改善もせずにいるのだろうか。それを何十年も放置しておいて、「留学生10万人計画」などという政策を掲げる省庁は、いったいどこの何を監督しているのだろうか。
留学生たちの抱えるこうした実際のトラブルを、強制的に解決する権力も経済力も持たない、一有志団体が、ここまで頼られた理由は何か。それは、なんといっても、誠実に留学生の話を聞く・しかし相手を甘やかしはしない、というスタンスの明快さだったろうと思う。自分の問題は、結局自分で決めて自分で解決するしかない。それが、大人への道である。そして、相談室は、たしかにそれを情報面のみならず心理的にもバックアップしてくれたのである。
留学生相談室が活動の停止を決めたのは、昨年の後半あたりからのことだ。中心ボランティア・メンバーの高齢化なども背景にはあるが、直接のきっかけは、東京都からの助成金が、都の予算見直しのためにうち切られると決まったためである。ボランティア・グループとは言っても、継続的で足の地に着いた活動のためには、都内に多少のスペースを構え、専任の事務局員をおく必要がある。その運営維持には、篤志家の寄付だけでは残念ながら十分ではない。'89年以降から続いた助成金が、大きな経済的支えとなっていた。
海外から若い夢と希望を持って来日した学生たちの相談のために、わずか年間約250万円程度の補助をする余裕さえ、この経済大国には、もはや無いということらしい。信じられないことだが、まことに残念だと言うしかない。
留学生相談室は、2003年6月末をもって閉室した。電話相談機能だけは、まだ残している。多くの来客は、これが最終的な解散ではなく、一時的な停止であるよう、望んでいた。私も、そう思いたい。そして、最後にもう一度、言おう。
“長い間ありがとう、そして、さようなら、留学生相談室。”関連記事→京都新聞
論理的だが、システマティックでない人 (2003/04/18)
私はシステム・アナリストです、と自分の仕事を紹介することが多い。アナリストという言葉を知らない人もいるから、私はシステム・エンジニアです、と言うこともある。両者は別物なのだが、それで相手はなんとなく分かった気になってくれるらしい。
そして、おきまりのように二つの質問をされる:「コンピュータのことにお詳しいんでしょう?」と、「システム関係のお仕事の人は、論理的でシステマティックな考え方を身につけておられるんでしょうね」と。
私の答えは、じつはどちらもNOである。率直にそう答えると、たいてい相手は落胆するか怪訝な顔になる。そこには、世間の人が抱いている『システム的』なるものへの偏ったイメージ、ないしは大いなる誤解が隠されているのだろう。
まず最初の質問の方だが、私はたいしてコンピュータに詳しくない。平均的な人より多少は知っているかもしれないが、アナリストの仕事の大半は、人間が何を望み何を必要としているかを考えることにあるので、計算機については一通りのことを理解しておけば済む。
しかし、システム=コンピュータ、という誤解は根強い(このサイトを読んでくれるような方ならば、こんな単純な等式は信じないだろうが)。そこで、私はよく「キャバレーの“明朗会計システム”にはコンピュータはいりませんよね」と説明することにしている。この“システム”の用語の使い方は、まったく正当なものだ。「うちの在庫管理方式はダブルビン・システムです」といって説明するのと本質的に等価である。
では、二つ目の質問はどうか? これも嘘だ。私の知っているかぎり、IT業界には、論理的だがシステマティックにものごとを考えない人たちが、沢山いる。そして、コンピュータが大好きで技術に詳しい人ほど、その傾向が強い。
システマティックな思考方法とは何か? 私自身はまだよく分からない。よく分からないから、「私はシステム思考を身につけています」などとは口が裂けても言わないことにしている。しかし、システマティックに仕事にアプローチする人々は、数多く見てきた(とくに外国で)。たとえば、「パンのみに生きるにあらず」で紹介した米国人コンサルタントだ。“この会社のミッション(使命)は何か? では、それを実現するための戦略は何と何があるのか? ならば、その戦略の実効性を計る指標KPIはどれとどれを選ぶべきか?”・・と、最終目標から手段が展開されていく。こういうのを見ていると、たしかに論理的でシステマティックなアプローチだな、と率直に感心する。
ところが、IT技術者と話していると、なかなかそうはいかない。「生産管理システムのサーバ機種ですが。」彼らの議論は、こんな風にはじまる。「私の考えでは、このトランザクション量から考えると、やはり2CPUクラスのunixマシンでしょうね。最近はLinuxベースでも安価で信頼性の高いものが出てきたから・・」と、どんどん続いていく。
なるほど、ロジカルだ。だが、彼らの思考はちっともシステマティックではない。生産管理システムを作るとしたら、従来の仕事のやり方の変革、元になる部品表や在庫データの精度、サプライヤーとの関係などなど、重要な問題は他にいくらでもある。それなのに、なぜ今サーバ機種の話なのか?
こういう人たちの特徴は、目的に比して道具に対するこだわりがアンバランスに大きいことである。全体の中の一要素(コンピュータ)だけ注目する。つまり、木を見て森を見ないのだ。
いや、コンピュータ・マニアに限らない。カー・マニアでも兵器マニアでも、何とかオタクと呼ばれる人たちは、たいていそうだ。目的を忘れて道具にのめり込む、それがこの人達の特徴だ。(念のため言っておくが、これは日本人ばかりではない。欧米にもそういう文化的傾向を持つ人はいくらでもいる)
そして、彼らとの論議には、細心の注意が必要になる。なぜなら、彼らはとても論理的だからだ。そしていろんな物をよく知っている。ただ、目的から逆算して、ことの軽重を計ることをしないのだ。部品に注目するオタクの議論にまきこまれないためには、つねにシステム全体を見渡して、大事な要素から展開するという考え方に戻す必要がある。「本当にそこのサーバの性能がプロジェクト全体のボトルネックになりますか?」
道具からの発想か、目的からの発想か。そこを忘れて、論理的な局地戦にまきこまれないよう、注意しよう。
暮色の深まるヒューストンのショッピング・センター。夕食を取ろうと立ち寄った、その駐車場で、私は反対車線から来る車に気づかずに左折し、接触事故を起こしてしまった。1997年の秋のことだ。私のレンタカーと相手の車の後部ドアが破損したが、幸い相手は怪我もなく無事だった(その証拠に、すぐさま車を降りて私に罵りかかってきた)。原因は明らかに私の前方不注意だ。事故検証に来た警官も、私にそういった。
ところで、あなたはレンタカー契約書の裏面に書き込まれた、虫眼鏡サイズの細かい文字の文章を必死に読んだ経験があるだろうか? その夜の私はそうだった。レンタカー会社に事故を報告すると、彼らは、私との契約には賠償責任保険はついていなかった、と説明したのだ。“Full coverage”といって借りたじゃないか! と抗議しても、申し訳ないが契約書を読め、という態度だ。
そして、私はそこで、リスク管理の最初の原則を学んだのだ。
教訓1:外国で取り引きするときは、契約書を必ず読め
私は知らなかったのだが、じつはその当時、保険会社とテキサス州政府は係争状態にあった。料率が高すぎると言う批判に対して保険会社たちが耳を貸さないため、州政府は半年間、レンタカーの自賠責保険の引き受けを停止させたのだ。そんなこととは露知らぬ外国人の私は、その保険の空白状態に、ものの見事に落ち込んでしまったわけだった。
私のコーポレート・カードの旅行者保険も、自動車賠償責任だけは除外されていた。アメリカの賠償責任は天井知らずだから、そんなものを組み入れるほど保険会社は甘くない。そもそも損害保険は見え透いた危険に対してのみ可能なのであって、大地震とか、戦争とか、異常気象とか、本当に大きなリスクに対しては引き受けてくれないのだ。
教訓2:保険会社が、あなたの必要とするときに、あなたを守ってくれるとは限らない
このときは、私の勤務先の米国子会社がかけていた保険で、からくも救われた。物損で約20万円の示談額が提示されたという報告を受けて、私は安心してその事件を忘れることができた。
ところが、この事件にはまだ続きがある。ちょうどその2年後、横浜の自宅に、テキサスの裁判所から分厚い封書が郵便で届いた。開けてみると、YOU HAVE BEEN SUEDと書かれている。書状は、私に対して、事故の後遺症による心身両面の損害と収入低下を保証せよという、1億円の賠償請求の訴状であった。事故の相手方は、保険会社の提示額を不満とし、時効になる2年間が切れる直前に、私と勤務先米国子会社を相手取って、訴訟を起こしてきたのだ。
それからの数ヶ月間は、まさに悪夢だった。米国側で弁護士を捜さねばならない。裁判所からは召喚状が来ている。出頭するかわりに、英文で宣誓供述書を作成し、日本の公証人にサインをもらう。驚いたことに、外国の裁判で有効な供述書とするためには、霞ヶ関の法務省まで判子をもらいに行かなければならないのだ。そもそも、夕食に立ち寄ったときの事故は、業務上の行為として、会社は連帯で責任を負ってくれるのだろうか・・
残念ながら、米国は訴訟天国である。たしかに、事故を起こしたすぐ後に、相手方の名前を子会社の人に告げると、“それに似た名前のうるさい弁護士を聞いたことがあるけれど、まさか親戚じゃないだろうねえ、もしそうなら、かなり面倒なことになる”と言っていたのだ。しかも、彼らは金のとれそうなところを狙い撃ちにすることを心得ている。
この訴訟にしても、私の勤務先と連名にしたのは、実はその方が賠償額をたくさん払う能力があるからなのだ。本当に責任があるかどうかは問題ではなく、事象のほんの一端でも関わっていれば、連名で訴えるに限る。これを、米国では、Deep Pocket Theoryという。
教訓3:大きな組織に“よらば大樹の陰”で寄り添っているせいで、逆に狙われることがあるこの裁判は、結局1年半かかって終結した。相手側は決して和解に応じようとはしなかった。しかし、事故が不調の原因であるという医学的証拠も、相手は提出できなかった。判決は100数十万円の賠償である。この金額は、弁護士費用ともども、子会社の保険がカバーした。
米国には、他人を恐喝することが金持ちになる早道だ、と考えている人々が一定数いる。全部の米国人がそうだ、などと言うつもりはむろんない。私だって、信頼すべき、立派な米国の友人が、十指に余るほどいる(私の一番の親友は、退役海軍大佐だ)。
しかし、この事件を境に、私の米国観は変わってしまった。いや、たぶん、それ以前から少しずつ変わりはじめていたのだろう。私はかつてほど単純に、アメリカのオープンで実利的で率直なところが好きになれなくなってきた。そのかわり、強欲で、理不尽で、傲慢で、相手が弱いと見れば徹底的にエゴを通そうとする姿ばかりが目に付くようになった。そして、世の中は、ラフで、殺伐とした、リスクの多い場所として自分の前に広がっているのだった。
この話は、ここで終わりにしてもいい。リスクに対処することが下手な1コンサルタントの、繰り言めいた教訓話である。しかし、教訓1に関して言えば、あなたは、たとえばこの条約を読んだことがおありだろうか。あなたの住んでいる社会の保険であるはずの、この短い契約には、当事者Aを当事者Bが必ず守るなどとは一言も約束していないことにお気づきだろうか。だとしたら、われわれは教訓2にも当てはまる状況にならないだろうか。
そして、昨日の3月18日、国連安保理の交渉が決裂して、世界が戦争に近づいたとき、米国をはじめ諸国の株式市場が上がったことは、もう一つだけ教訓として覚えておくよう、蛇足ながらつけ加えたい。資本市場に投資する彼らは、不確実な状況にいるよりも、リスク・ポジションが明確になる異常事態の方が、より有難いと考えたのだ。だから、リスク・マネジメントに対する最大の教訓は、こうなる:
教訓4:資本家は不確実性よりも戦争のリスクを好む。
資格認定制度というのは、サービス業の品質保証のために存在しているはずだ、と前回書いた。そして、品質保証であるからには、何らかの研修・更新制度が組み込まれていなければならない、と。
今の情報処理技術者制度には、これが欠けている。たいへん困った事だ。私は、「プロジェクトマネージャ合格完全対策」などの受験参考書を編集・執筆している身だ。こうした資格を広めたい立場にいる者として、非常に残念に思っている。それでも毎年、多くの受験者があるが、それはあいにく、この資格が社会で通用しているからではない。企業のITエンジニア教育の一種の代替物として機能しているからだ。
しかし、試験で得られる情報処理の資格というのは、勉強の結果を示すに過ぎない。まあ、言ってみれば「漢字検定」と同類だ。まして、技術革新の激しいITの世界で、研修・更新制度がなければ、それは品質保証の役にも立たない。お勉強が上手でした、ということの証明でしかないわけで、ほとんど大学の学歴のようなものだ。だとしたら、こんな資格を得ても、それが仕事を確保する助けになると期待する方がおかしいといえるだろう。
ところで、仕事の確保という点からみると、資格制度には2種類あることが分かる。資格を持っていなければ、業務に従事できないと法律で定められたもの(例:運転免許・医師・弁護士・会計士など)と、そうした強制力がないものの2種類である。情報処理技術者や中小企業診断士は後者の例である。
アドバイザリーおよび代行業の性格を持っている仕事は、もともと、法的な強制になじまない。当事者本人が自己責任で行える範囲であれば、第三者に頼る必要がないからだ。これは、医師などの仕事とは本質的にちがう。診断・処置・手術・投薬といった医療行為は、患者の代行ではない。本人ができないことをやっている。だからとうぜん資格は必須だろう。
つまり、一般に「コンサルタント資格」は、ユーザ(需要者)側の支持がなければ成立しないのである。資格とは誰のためのものか? それは、そのサービスを利用するユーザーのためのものなのだ。
税理士や不動産鑑定士などは、この需要者の支持があるから成立している。こうした固有技術や特殊知識を必要とする仕事は、法的規制がゆるくても、需要と供給の関係がバランスしている限り、資格認定の意義がある。
そのことは、アメリカでの資格のことを考えてみればよくわかる。国土が広く、人の流動性が高い移民の国アメリカでは、ビジネスで接触する相手は基本的に「どこの馬の骨」かわからないことが前提だ。だから各種の専門資格が、個人の信頼性の裏書きになるのである(企業の名刺で仕事ができる、どこかの社会とは大違いだ)。
こうしたアメリカのような社会では、資格が実質を保証しているかどうかを、ユーザー側が常に厳しくチェックしている。資格制度はサービスの品質保証だと書いたが、逆に、資格を持つ人たちの仕事の質によって、資格自体の意義が計られることを忘れてはならない。資格を持っている人間がまともな仕事をしなければ、その個人のみならず、資格自体の信頼性に疑問符がつくのだ。資格制度を支えるのは、決して『お上が与えた権威』などではなく、ユーザーの評価である。
日本の資格制度をめぐる議論では、しばしばこの点が忘れられているように思う。多くの人が、医師や弁護士などのような、ギルドにもとづく資格制度のイメージから、のがれ切れていない。そして、需要者側ではなく、供給者側の都合でものを考えたがる。行政も、あいかわらずサプライサイドに立った古い発想で、供給者の後押し政策ばかりを進める傾向がある。しかし、需要の無いところに、官が資格制度の権威付けをして供給をつくろう(儲けよう)とするのは愚かだ。資格周辺の教育市場で儲けようと鵜の目鷹の目でねらっている連中に格好の機会を提供するだけになってしまうだろう。
最近創設された「ITコーディネータ」は、いちおう研修・更新制度はそなえている。しかし、それが実需に根ざして成立した資格であるのか、それとも需要を創造しようとして作り出されたものなのか、議論は分かれるだろう。むろん、良質の供給が需要を作り出すという場合だってある。しかし、そのためには、その資格を得た人間が、ひとしく品質の良い仕事をする必要がある。それが問われるのは、これからだ。
何もかも不足しているこの日本で、資格制度だけは有り余っている。もう、思想やパラダイムのない資格はいらない。
私は中小企業診断士だ。会社員としての名刺にも、そう書いている。中小企業診断士は今のところ一応、経営コンサルティングにかんする、唯一の国家認定資格である。
むろん、だからといって、中小企業診断士でなければ経営コンサルタントを名乗れない、とか、診断士以外がコンサルティングをやるのはおかしい、などという人はいない。資格は資格、仕事は仕事。みなそう考えている。
ついでにいうと、私は「情報処理プロジェクトマネージャ」という資格も持っている。しかし、こちらの方は名刺には刷っていない。この資格を書くことは、ちょっとだけ心理的抵抗が、私にはある。ちなみに、この資格はかつての「特種情報処理技術者」の後継資格だ。「特種」を名刺の肩書きに使っていた人はたくさんいたし、同等の資格であるシステム・アナリストやアプリケーション・エンジニアを名刺に書く人も少なくないだろう。なのに、なぜプロマネだけは使いにくいのか。
とりあえずの理由としては、『プロマネは組織内の役割名称であるから』と答えることになる。現実組織ではプロマネでない人間が、名刺に資格とはいえプロマネと書いたら、もらった方は混乱する。もしも、この資格の名称が「プロジェクト・エンジニア」だったら、私はもっと抵抗感なく名刺に使えただろう。
“プロジェクト・エンジニアって、いったい何のことだ?”という疑問については、いずれ別の機会に説明することとして、いまは飛ばしておく。いま問題にしたいのは、資格が仕事内容を保証しないのだとしたら、専門家の資格認定制度は誰のためにあるのだろうか? という問題だ。いや、もっと露骨に言うならば、最近のIT CordinatorやP2M(Project & Program Management)といった資格は本当に役にたつのか? という疑問だ。
そもそも、資格認定制度というのは、サービス業の品質保証のために存在していると考えられる。とくに、サービス業の中でも、生命や物損の危険のある作業は、品質要求がきびしい。これは運転免許制度を考えるとよくわかるだろう。車の運転は安全性を要求される。したがって訓練と認定が必要とされる。資格がなければ、その行為はできない。
ところで、品質を維持する目的ならば、そこにはかならず研修と更新制度があるはずである(運転免許制度のように)。そうでなければ、サービス品質の証明にはならないからだ。
こう考えてみると、世の中には奇妙な資格、しかも社会的には非常に重要な資格があることがわかるだろう。それは医師と弁護士だ。どちらも人の生命と財産にかかわる、重要な資格である。厳格で難しい試験をパスしなければならない。資格がなければ、これら業務にたずさわることは法的に許されない。そして資格はほとんどの場合、高収入に直結する。
しかし、この両者とも、更新制度が存在しない。一度資格を取ってしまうと、半永久的に維持していくことができる。これでどうやってサービスの品質を保証するのか?
じつをいうと、この二つの資格は、典型的にギルドとしての資格なのである。上記の品質保証の建前とはうらはらに、実は日本の資格制度は、ギルドを特許し保護するために成立しているものが多い。
ギルドとは何か。ギルドとは一種の組合であって、そこに参加しない者はその仕事に就くことを許されない。医師会や弁護士会はそうした、職業の共通利益を目的とする団体としての意味を持っている。弁護士会をはずれると、資格があっても活動できない。いいかえると、ギルドは供給を制限することで、単価を維持(品質を、ではなく)しているわけである。もっとも、ふつうギルドは徒弟制度をしいているため、研修に対してもある程度の役割は担っている。ただ、研修は法制度上で規定されておらず、そのギルド団体にまかされてしまっているのだ。
(この項つづく)
ロジスティクスという言葉で、ひとが連想するものはさまざまだろう。大規模物流センター、倉庫に積み上がった物資の山、工場の入荷ライン、生産計画のガントチャート、行き交う大型トラック、等々。
しかし、私の場合、その言葉を聞くとすぐに、一枚の船の設計図が目の前に浮かび上がってくる。大きくて精緻な船の中の、機能配置図だ。それはカリフォルニアの医療コンサルタント・オフィスの壁に、ピンで止めてあった。別件でそこを訪れた私の質問に対し、相手の一人は、「それは病院船の基本設計図だ」と答えた。ペルシャ湾に派遣される米国海軍の一部だ、と。1991年、湾岸戦争の起こった年のことだ。
病院船。うかつにも私は、それまでそういうものが存在することも、それが海軍の艦隊の一部をなしていることも知らなかった。無論、ちょっと考えてみれば分かることだ。兵隊を前線に送るとき、医薬品や医療器具も当然、武器弾薬などの補給物資と一緒に送られなければならないことを。それが『兵站』の、ロジスティクスの必須の一部である、ということを(「ロジスティクスと兵站の間」参照)。
とうぜん、そのような『病院船』の基本設計から発注、竣工までどれほどの時間がかかるのかも容易に想像がついた。海の向こうで戦争を始めるには、病院船がいる。その調達は、兵站のスケジューリングの重要な対象だ。そして、そのとき初めて、彼らがどれほど周到に時間をかけてあの戦争を用意していたかを知ったのだ。
米国を旅したことのある者は、その広大さに強く印象づけられる。端から端まで、昼に夜を次いでどんなに急いで車を飛ばしても、4日はかかる。開拓時代の馬車では言うに及ばず、だ。私は今この文章を出張先であるパリのホテルで書いているが、ヨーロッパ半島は広いとはいえ、つくづく凋密な場所だ。米国の空漠さは、こことは比べものにならない。だから補給はつねに米国人の主要な関心事だった。彼らの軍隊組織や行動規範はイギリスやオランダの海軍から学んで受け継いだ要素が多いが、兵站の計画性に関しては米国がもっとも徹底している。
その彼らが、周到に準備した湾岸戦争で、ねらったのは何だったか。私はつい最近、あるスリランカ人のIT技術者と話したが、彼は昔イラクで働いた経験があった。あそこは美しい国だ、と彼は言う。そのイラクで彼が従事した、当時世界最大規模を誇った肥料プラントは、“化学兵器工場の疑いがある”という理由で、米軍により爆撃で完全に破壊された。そのTV映像を国外で見ながら、彼は自分の仕事の成果が灰燼に帰する様を悲痛な思いで眺めたという。
無論、米国の言い分は正しかったのかもしれない。だが、似たような経験をしたのは彼ばかりではない。破壊されたクウェートの製油所は、われわれ日本人が設計し建設したプラントだった(あえて言うが、日揮が、だ)。それが戦争でこわされたあと、大規模補修工事を受注したのは全てアメリカの会社だった。どこをどう直せばいいのか、一番よく知っているのは我々日本企業だった。しかし復興需要をエンジョイしたのも、そのあとの石油利権を独占したのも、軍隊を派遣した米英なのだ。しかし、その金は誰のふところから出たものだったか?
「日本の失われた10年」、という言葉がある。その10年の始まりはいつか。皆、それは地価が下り坂になりはじめた90年頃だと思っているらしい。私の見方は、違う。それは、日本政府が米国の言うなりに巨額の金を払って、当事者としての政策も見識もないことが世界中に暴露された湾岸戦争の時からなのだ。
湾岸戦争とは何だったのか。それを皆、まじめに考えたことがあるだろうか。湾岸戦争が何だったのか、それが日本の知的状況の中でいかに総括されているか、知りたかったらYahoo!やAmazon.comにいって調べてみるといい。恐ろしいほど貧寒な状況が分かる。見つかるのは、9割がた、軍事オタクのための情報だ。はっきり言うが、クズばかりだ。
海の向こうで再び戦争が始まるかもしれない。戦争をしたがっている連中が、両側にいるからだ。ここヨーロッパでは皆すでにかなり緊張している。しかし、有事のとき、20兆円を超える戦費の支出が予想されているときに、日本にいくらのツケが回されてくるのか、日本人はなぜ考えないのだろうか? 日本が曲がりなりにもよって立っている製造業は、ほとんどが平和の配当で食っている業種ばかりだ。それがどれだけの打撃を受けるのか、だとしたらどう防ぐべきなのか、他の誰が考えてくれるのだろう? 形ばかりの戦艦派遣の論議を、うれしがってやっている時だろうか?
ストラテジーだとか、リスク・マネジメントだとか、空疎なカタカナ文字を並べる暇があったら、本当にこの先について真剣に考えた方がいい。この国の戦略を、では無論ない。私は政治家ではないし、あなたも(たぶん)政治家ではないだろう。考えるべきは、自分の自由度と責任の範囲で選べること、つまり自分の仕事のことだ。もし戦争が起こったら、この先どうなるのか。その範囲と期間によって、どう影響が広がるのか。自社の製品にとって市場の需要はどうなるか。原料資材が入手困難になったり、燃料費が高騰したらどうするのか。
考えるべき課題はたくさんある。不確定要素も山ほどだ。無論、何も起こらないかもしれないし、何も起こらぬ事を私は強く望んでいる。ただ、ひとつだけ確かなのは、どれほど困っても、我々の政府はほとんど何の助けもしてくれないだろう、という事だ。自分たちで考えなければ、誰もかわりに考えてなどくれないのだ。
先日、あるメーカーの方から、「エンジニアリング会社では英語能力の問題にどう取り組んでいるのか」という質問を頂戴した。指示と情報のやりとりだけで品質を管理しなければならないエンジニアリング業界においては、品質問題は技術者の教育と切り離すことができない、という話題に関連してでてきた質問だった。
日本のメーカーは、製造を海外に委託したり、工場を別会社化したりして、しだいにファブレス化の道を歩んでいる。必然的に海外とのやりとりが多くなって、外国語のコミュニケーションの問題に直面しているのだろう。以前、「ぼくらに英語はわからない」にも書いたとおり、便宜上の道具として英語が幅をきかせていることは否定できない事実だ。
私の勤務先自体では、TOEICの試験制度を利用して、研修の奨励や人事評価に結びつけている。TOEICがある点数以上になるまでは毎年の受験が義務づけられるし、また中間管理職のある等級に昇格するための条件にもTOEICの点数が用いられる。実際のところ国内の仕事しかしていない人にまで、この条件を押しつけるのは酷ではないかと個人的には思うのだが、会社の人事ルールというのは例外をあまりつくりたがらない。
しかし、外国人とのコミュニケーションで本当に大事なことは、TOEICの試験ではかれる能力よりも、一つ先の次元に横たわっている、と私は思う。それは、異文化への理解という能力だ−−そんな風に、その方には答えた。
これだけでは少しわかりにくいと思うので、例をあげよう。数年前のことだが、米国のオイル・メジャーとのプロジェクトが始まったばかりのことだった。ある基本設計に関する技術的議論の中で、我々の側のだれかが、"Yes, but it is difficult."と答えた。すると、客先の米国人の一人が、こう言うのだ:「ぼくは前のプロジェクトでも日本企業と仕事をしたから判るんだが、日本人が"it is difficult"というときは、『それは出来ません』という意味なんだよな。」
打合はおかげで暗礁に乗り上げることなく、先に進むことが出来た。客先の米国人の一人が、異文化を理解する能力を、少しばかり持ち合わせていてくれたからだ。しかし、逆にいうならば、そういうシチュエーションでは、わが同僚は
"No. It is impossible."
と言うべきだったのだ。NOと言えない日本、じゃないけれど、日本人は"Yes but people"だ。つねに"Yes, but..."と言ってしまう。日本のコミュニケーションのルールでは、何かを頼まれて「いえ、そんなことは出来ません」というと角が立ってしまう。「はあ、でもそれはちょっと難しいですね・・」と言って、相手の察しを待つ。しかし、英米人の世界は理がまさっている。Yesはyes、noはnoで、先に進んでいく。対話で感情的になってはいけないのだし、それで気を悪くするからうんぬんで、論理の道筋を曲げてはいけない、と彼らは考えている。
残念ながら、こうした事柄に対する理解は、かならずしもTOEICだけではうまく計れない。それに、外人相手はいつも同じとは限らないのだ。たとえば、フランス人と議論するときには、これではうまくない。"No, but you can work around this way.."と説明する方がよい。フランス人は、"no but people"だからだ。彼らは、『相手にも感情がある』ということを常に前提して会話をしている。おまけにラテン系の文化では、お互いのプライドを尊重し、相手のメンツをつぶさぬよう気をつけるからだ。
英語は英会話学校で学ぶことができる。英語は道具としてトレーニングで身につけることができるはずだ、と多くの人が信じている。それに反対はしない。しかし、他者の文化を理解し尊重することの方が、もっと重要なのだ。その相手が欧米であろうとアジアであろうと同じことだ。あいにく、エンジニアの教育の中には、そうした『異文化理解』の訓練が全く欠けている。したがって、自分の中に、そうした欠落があることを意識することが、まず外国人とのコミュニケーション能力を向上させる、最も重要な第一歩なのだ。
空港からカラカスの市街に入る道路は、山の稜線の切れ目づたいに続く、きびしい坂道だ。この国の首都は標高1千メートルの高地に位置するため、ほぼ赤道直下にもかかわらず、夏でもしのぎやすい気候に恵まれている。市街の中心部には、南米には珍しい近代的な高層ビルが美しく並ぶ。
しかし、カラカスを訪れた者がひとたび市の外周、盆地をとりかこむ山並みに目をやると、急勾配の斜面にへばりつくような危うい角度で、粗末な家がびっしりと続いていることに、いやでも気づく。中央部の平坦でリッチな近代性と、周縁部の危険な貧困が、これほど見事な対照をなしている都市は、他にはない。整然と混沌、富裕と貧困、この二極分化がベネズエラという国のメイン・テーマだ。
3週間ほど前にベネズエラを震撼させた政変劇は、このテーマに耳障りな短調の響きをつけ加えた。大統領官邸をとりまく十万人強のデモ隊と守備隊との間に起こった銃撃戦の流血のあとで、ウゴ・チャベス大統領は一部の軍人たちに追放される形で官邸を脱出した。間髪を入れずに、ベネズエラ最大の企業グループを率いるペドロ・カルモーナが臨時大統領に就任する。彼はこの国の基幹である石油産業をマヒさせた国営石油会社のストライキ中止を宣言し、経済秩序は回復に向かうかのごとく見えた。米国はこの事態を歓迎した・・
しかしカルモーナの暫定政権は、多くの軍隊トップの離反により、わずか2日間で頓挫する。3日目にはチャベスが不死鳥のようによみがえり、再び大統領復帰を宣言して首都カラカスに舞い戻る。ただし、彼は報復よりも、反対派との対話を強める路線を打ち出し、以前よりも軟化した態度を見せ始めた。
・・・こうしたニュースをみて、「やれやれ、また南米お得意の軍事クーデター劇か」と思った日本人も多かっただろう。「地球のちょうど裏側の小国で、どんなどたばたが起ころうと、この大国日本のきびしい現実には露ほどの影響もないだろうよ・・」と。
とんでもない誤解だ。このニュースを見てそう考えた諸賢は、いや、ニュースに関心も持たなかった諸兄は、みな自分の国際感覚を大いに再検討した方がいい。影響は大ありなのである。だから米国は即座に反応したのだ。
中南米というと、すぐ軍事独裁政権と連想するのは正しくない。ベネズエラは過去何十年もの間、2大政党による民主制を維持してきた−−表面的には。しかし、2大政党制は(世界中どこでもそうだが)寡頭談合政治と利権・腐敗の温床になりがちだ。そして、この国では事実そう機能してきた。ベネズエラは実質的には、石油の利権と深く結びついた経済界の大ボスたちと、強欲な手配師である労働組合のボスたちが手を組んで支配し、それを保守的なマス・メディアと教会指導者たちがバックアップするという形で、富裕と貧困の二極分化を固定しつづけてきたのだ。
そもそもベネズエラは世界第4位の産油国だ。その富のほとんどを石油に頼っている(輸出代金の8割と国家歳入の半分が石油から来る)。最大のお得意さまは米国である。そしてまた、ベネズエラはOPECの協定破りの常習犯としても知られている。OPECがいかに減産協定を結んでも、ベネズエラはどこ吹く風と、大量生産をつづけては米国に供給してきた。米国のエネルギー安全保障政策上、きわめてありがたい存在である。
その国で3年前に大統領選挙があり、かつてクーデターを企んで失敗した軍人上がりのチャベスが、貧しい層の圧倒的な支持を得て就任した。8割以上の国民支持率、既存の政党にとらわれぬドラスティックな改革の公約−−どこかで聞いたことのあるドラマではないか。
1998年夏のロシアの経済危機は、秋にはブラジルの通貨危機を誘発し、その余波が中南米全土をおそい、さらに東南アジアの経済危機へと飛び火した。ベネズエラにかなりの投資資産を抱えている米国は、経済危機と政治の不安定が、この国の資産価値を暴落させるのではないかと固唾を飲んで見守っていたはずである。
その世界規模の経済連鎖の危うい結節点に、チャベス大統領が立ったわけだ。かれは憲法の改正、土地改革(政府の遊休地の民間払い下げ)、独立王国だった国営石油会社の経営への影響力行使、と矢継ぎ早に改革政策を繰り出した。
2年前には原油価格が高騰したが、その理由としては、チャベスがOPECの協定をはっきりと順守したことが第一にあげられる。これによって彼は、もはやベネズエラが米国の都合通りには動かないことを宣言したのである。
かれの大統領就任式には数多くの国から外交官達が出席したが、アメリカはなんとエネルギー省の長官を派遣した。このことからも、合衆国がベネズエラのことをどう思っているか(つまり裏庭の石油の井戸元としか見ていないという事が)よくわかるだろう。
そして、米国の傀儡となることを拒否したチャベスを、力によって追放する動きを米国は支持した。彼らが他国の民主主義と自国の利益のどちらを優先するのか、いまや誰の目にも明らかだ。私自身は、チャベスの改革政策がすべて正しいものかどうか、はっきりとはわからない。しかしいずれにせよ、それはベネズエラの国民が判断して決めるべきことだ。
チャベスのめざした改革は、石油の利権に守られた経営者や、特権的な労働者たちとその組合に「痛みを強いる」ものであった。今回のストライキが、この層によって計画され実行されたことを見逃してはならない。ベネズエラ社会の中産階級はいろいろな形で利権の網の目につながれている。彼らをチャベスから切り離して改革政策の抵抗勢力にすることが、ストの最大のねらいであった。
そう、それはたしかに痛みを強いるものだったろう。しかし、その痛みとは、国民の8割を占める貧困層が長年身代わりになって耐えてきたものかもしれない。
「改革は痛みを伴うものだ」という言葉が、一人歩きしている。なるほど、たしかに小さな企業組織においてさえ、本当の改革はかなりの抵抗と危険を伴う。たんなる「改善」が達成感と自己満足をもたらすのに比べて、なんという違いだろう。
しかし、改革の「痛み」を語るときは、その痛みの質について問わなければ嘘だ。誰が、どういうゴールのために、どれだけの期間に、どのような種類の痛みを担わなければならないのか。それは骨折や肉離れの痛みなのか、それとも使わなかった筋肉に血が初めて通う痛みなのか。身を切られる痛みなのか、手術のメスの痛みなのか。
公正で合目的性のある、一時的な痛みには、人間はなんとか取り組む気になる。しかし、右を向いても左を見ても、働くこと一切合切に利権の網の目がからみついているような社会では、その痛みがどんな種類の痛みなのか、よく注意してみていかなければならないのである。
ヨーロッパに暮らしているおかげで、ときどき日本に関する質問を受ける。好奇心まじりの質問もあるが、文化や日常生活に関することならば、たいがいはなんとか答えられる。
しかし、一番答えに窮する質問、かつヨーロッパ人が今もっとも関心を寄せている質問が一つある。それは、『日本はなぜこんなにひどい不況に落ち込んだままでいるのか?』という問いだ。何が原因でこんなひどいことになったのか、と。
これは答えるのがむずかしい。この問いをめぐって多くの経済学者が論争している。あるものは不良債権が問題だと言い、あるいは財政政策の緊縮が失敗だったと主張し、あるいは通貨供給に不備があった、いや株価対策が大事だ、そもそも土地の値段が下がりすぎたのが原因だ、等々と百家争鳴も甚だしい。
このような中で、経済学の素人が言える答えはたった一つだ。それは、「決して単一の原因からこの状況が生まれたわけではないだろう」ということだ。なぜか?
それは、一つの社会の経済、一国の経済は、本来複数の要因が相互に連関しあった複雑なシステムの一部を構成しているはずだと考えるからだ。政治・社会・文化・教育・インフラ・・全てのことがお互いにからみ合い、原因であると同時に結果でもある連鎖をなしていると信じるからだ。これだけの巨大なシステムが、10年がかりである一つの状態に向かっているとしたら、それは単一の原因であるはずはない。
換金可能かつ交換可能な資産(株や土地はその典型だ)には、「市場」が形成される。市場では、そのもの自体が持つ使用価値とは離れた、期待ないし思惑による「相場」が生まれる。相場は結局、投資者の主観によって動かされる。あらゆる相場が全体として下降の方向にある状態を不況と呼ぶのである。
では、好況時に資産の相場の裏書きをしていたのは何だろうか。それは、企業・農家・商店等を含む産業全体が、収益を生み出しつづけることが可能である、という「信用」であった。国際競争力の高さから生まれる収益力への信用。その信用が失われている状態が「不況」である。
逆にいいかえるならば、不況の中心的問題とは、日本の企業が全体として競争力を失っていることにある。
しかし、まちがえないでほしい。これは問題の中核を解りやすく言い替えただけであって、けっして原因を示しているのではない。
「先生、昨日から頭が痛いんです。」
「どれどれ。ははあ、これは頭痛ですね・・・」
こんな言いかえは診断ではないし、処方箋も書けない。日本の企業が全体として競争力を失った原因、それは決して単一の原因から導き出されるものではないし、そういう単純化した議論には落とし穴があるはずだ。それでも、もし何か一つをやり玉に挙げなければならないとしたら、私は「考える能力」の欠如をあげるしかない。真の思考能力とは、事実をおそれずに客観的に直視する能力、そして事実による検証の刃によって、自らの論理の枠組みを多角的に問い直す能力である。その欠如はたとえば、失礼ながら上に述べたエコノミスト諸子百家の論争に、典型的にあらわれている。彼らは「不況をどう解決するか」という同じ問いの枠組みから出発するばかりで、客観的な仮説検証のプロセスが欠けている。いや、それだけでなく、根元的な「不況論」が欠けている。
そもそも、「不況」とはそんなに悪いことなのだろうか。え? お前も職を失ってみれば分かるだろうって? なるほど。自分を取りまくミクロ経済的には悪いと実感をもって言えるだろう。しかし、そもそも、不況とは何なのか。どういう状況をさして不況と呼ぶのか。好況時とはマクロ経済のプロセスが、どこで違うのか? インフレの不都合と不況の困惑はどちらがひどいのか。そもそも経済循環の存在は悪と言えるのか−−?
今のわれわれ日本人に最も欠けているのは、「そもそも論」なのではないか。「そもそも」から出発して、根本を考えつづける作業こそ、その日暮らしとその場凌ぎの連続の日常から抜け出す唯一の道なのだ。
ミクロな状況判断をつみ重ねても、決してマクロな方向性を定めることはできない。戦略の不在を戦術の工夫で切りぬけることなど、そもそも不可能なのだから。
新通貨ユーロが導入されてちょうど4週間たった。ここパリで見ている限り、すでに買い物や取引は95%以上がユーロで行われている。今や各人が、手元に残ったフラン紙幣やサンチーム硬貨をどうやって使い切ってしまうべきか、と考えなければならない段階に来た。4週間でここまで来るとは予想外の速さだ。この国の人たちの効率から考えるならば、じつに上出来の首尾といえるだろう。
ユーロの紙幣は各国共通だが、硬貨は各国でそれぞれ裏側の刻印が違う。ためしに財布の中のコインを調べてみると、すでに違う国の硬貨がたまに混ざっていることがある。この流通の速度も驚くべき速さだ。むろん、パリが多数の旅行者や観光客の行き交う大都市であることを考えれば、当然かもしれないが。
ところで、私がこの街に住んでかれこれ8ヶ月になる。しかし、いまだにちっともフランス語がうまくならない。
理由はもちろん分かり切っている。この歳になってから、新たな外国語を覚えようというのがどだい無理なのだ。朝、覚えたはずのことが、夜になると頭からきれいさっぱり消え去っている。朝に真理を学べば、夕べに死すとも可成り、という孔子の教訓の逆である。
しかし、もう一つ、自分用の言い訳が、ないでもない。それは、仕事は全部英語でやっているから、というものだ。
私が関わっている電子商取引サイトの開発プロジェクトは、日揮とフランス企業のジョイント・ベンチャーである。しかしフランス企業といっても、すでに欧州規模で多国籍企業化しているから、チームのメンバーにはドイツ人もイギリス人もイタリア人も米国人もいる。共通言語は(どうしても)英語になる。メールも会議も文書もすべて英語である。
我々が英語を使っているのは、しかし、望んでのことではない。妥協の産物である。英語以外しゃべれない米国人をのぞけば、英語で仕事ができて嬉しい、などと考えている人間は一人だっていやしない。
外国語というのは、つねに使い手にとってもどかしいものだ。外国語は、勉強すればするほど、ネイティブとの気の遠くなるような落差を認識せざるを得ないように、できているものらしい。なぜなら、言語はつねにその背後に、文化の総体を抱えているからだ。Projectという英語は、仏語のProjet、伊語のProjetto、スペイン語のProyecto、そして日本語の企画ないしプロジェクトとは、一致しない。それぞれの言語の中にある「計画・企画・投企」の概念が、少しずつだがみな異なっているからである。
通貨は経済の道具であり、経済は人間の利便に供するもの、つまり文明の領域に属している。ところが、言語は文明の運転だけにつかうものではない。人にアイデンティティを与えるよりどころ、すなわち文化の領域に本来属している。
そして、文明にとっては共通化と規模の拡大は価値をもたらすが、不思議なことに文化は多様性によって豊かになっていくのである。欧州は通貨を統合したことで、かえって文化の多様性をどう確保して行くべきなのかという難しい問題をあらわにしたと言っていい。僕らにしょせん英語はわからないのだ。いずれ世界中の人間が英語を話せるようになれば、平和で豊かな社会がやってくるはずだ、と夢見るおめでたい人間は、米国や(なぜか)日本にはときどきいる。しかし、私の知るヨーロッパ人の中には、ただの一人もいないのだ。
市場をめぐる動力学の世界では、ある企業なり商品の力が強くなりすぎて市場をほとんど席巻し支配してしまうような状況が近づくと、それに対抗する勢力が急にあらわれてバランスを平衡にもどそうとするような動きが働くことがしばしばある。これをマーケティング用語で「カウンターベイリング・パワー」という。
カウンターベイリング・パワーとは対抗勢力を助けるために働く自発的な力である。例を取ると分かりやすいかもしれない。現在PCサーバのOSの世界ではMicrosoftのWindows NT/2000がかなりの市場を占めている。かつては一世を風靡したNetWareはまったく元気がなくなってしまった。このままいくとMicrosoftによる寡占は時間の問題と思えた。しかし、ここで彗星のごとく登場したのがフリーのunix系OS、linuxである。
いまやIBMをはじめとして多くの有力メーカーがlinuxを自社の製品ラインにフィットさせようと努力している。linuxがみずからの力だけでWindows NTに対決しているのではないことに注意してほしい(現実問題としてlinuxは1社のみの商品ではないのでそのようなことは不可能である)。そうではなく、Microsoftに対抗しようとする勢力がこぞってlinuxをかついでいるのが実態である。そもそもフリーのunix自体は決して新しいものではない。これがWindows対抗馬として有力になれたのは、支持者が多数付きはじめたからである。
つまり、カウンターベイリング・パワーというのは、強大で独占的な勢力の存在に不満を感じ、なんとかして対抗したいと考える人々の存在に依存している。巨人ゴリアテに単身向かったダビデのような英雄的行為のように一見みえたとしても、実は巨人の包囲網をつくる友軍の存在がなくてはならないのである。
少なくともITの世界では、商品にはつねに寡占化を加速する傾向がある。これはロック・イン現象やネットワーク外部性などの性質から考えても非常に明らかなことだ(「ITって、何?」第17回参照のこと)。それでは、なぜカウンターベイリング・パワーというものがあえて発生するのだろうか?
それはすなわち、市場がみずからのバランスと自律性を取り戻すための、一種の自己回復作用なのである。これを、一部の人間だけが金持ちになることに対するそねみや嫉妬から出た感情だ、などと単純に考えてはいけない。
ある商品や組織が強大になりすぎて、その世界をすべて力で支配し、「俺に恭順でないものはすべて俺の敵と見なす」などと言い出すような状況では、市場を構成している人間たちの自主性や価値観さえ破壊されかねない。これは実質的な市場の死を意味している。それをさけるための力が働くのだ。すなわち、カウンターベイリング・パワーというのは巨大すぎる存在がみずから生み出した影のようなもなののだ。
カウンターベイリング・パワーが働いているのは、その市場が健全な証拠である。これを強者が力ずくでおさえようとするならば、もはや健全な競争の枠組みを逸脱した対抗手段しかあり得ない、と考える者たちが出てくるだろう。その結果、全体としてはかえって手ひどい破壊的な状況を生み出すかもしれない。
知恵ある者はここから教訓を得られんことを、切に望む。
14日間世界一周というのをやった。やりたくてやったわけじゃない。仕事なのだ。パリを発って、フランクフルトに行き、そこで乗り換えてベネズエラの首都カラカスに行った。さらに国内便でバルセロナ市へ。ここでしばらく仕事をした後、日本に戻り、横浜本社に出社した後、最後にパリに戻る。これでちょうど2週間。
いくら飛び歩くのが仕事だとはいえ、ベネズエラで一週間の建設現場での仕事を終わり、メキシコ湾をわたってアトランタからシカゴに到着するころには、さすがに飛行機にも機内食にもうんざりしていた。
最後はシカゴ発の全日空便だった。
夏の熱気の残るシカゴでは夜の街をぶらぶら散歩し、10時すぎてから夜の歩道の席でタイ料理を食べた。胃の疲れが少し和らぐ気分だった。
シカゴのオヘア空港は美しい。さすが建築の街の空港だ。しかし、日本行きの、日本の航空会社の機内に乗り込むと、そこはまことに日本そのもの。このギャップにはいつもながら面食らう。
今回のANAの便は、まったく同じ顔をした6人の客室乗務員がサービスについていた。全日空ではスチュワーデスの採用基準に、丸顔で長い髪を頭の後ろに団子状に巻き付けていることを明文化しているにちがいない。それにしてもここまでくると殆ど赤塚不二男の世界である。だから日本の世界なのだが。
「お飲物は何がよろしいですか。」と、ビジネスクラスには聞きに来てくれる。ぼくは、シャンパンをオレンジジュースで割ったものを頼む。すると、どういうわけか、彼女は営業用微笑をたたえた顔で、シャンパンとオレンジジュースの入ったコップを、別々に二つ持ってきてくれるのだった。
面食らったぼくの顔を見て、何か間違いが起こったことに気がついたらしい。しかし、いいですよ、もう持ってきちゃったんだし、とぼくは答えて受け取る。そしてオレンジジュースのコップに少しずつシャンパンを注ぎ足して飲み始めた。
しばらくすると彼女がふたたびやって来て(もしかすると別の彼女だったかもしれない、なにしろ全員同じ顔なのだ)、お代わりはいかがですか、とたずねる。何のお代わり?
あのね、これは余計なことだけれど教えてあげる。
ミモザという、黄色くて小さな花をたくさん付ける樹があるでしょう? シャンパンをオレンジジュースで割った飲み物は「ミモザ」といって、フランスのカクテルなんです。ぼくはわりとこれが好きなんだけれど、初夏のパリでまだ日射しが残っている時分に飲むととても美味い。
そして本当はね、これはあなたのような若い女性が飲むものなんだ。今度こっそり作って味見してごらん。きっと好きになるから。しかし、もちろんぼくはこんな気障なセリフを口に出して言ったりはしない。彼女だってこんなわけわかなことを、知ったかぶりのオジサンから習いたいとは思わないだろう。そして日記に書くにちがいない。今日もへんてこなオジサンの客に疲れたと。
だからぼくだって、こうして日記に書いているわけです。
ITコンサルタントの仕事をしていると、つくづく面白いと思うことがある。仕事柄、さまざまな企業を訪問して話を聞くわけだが、訪れる会社はどこも、「自分のところの業務はひどく特殊だ、ウチは特別な会社だ」とおっしゃるのである。どの会社もどの会社も、“これこれの理由でウチはよその会社とちがう”と主張される。
いわく、「ウチの業種の製品は鮮度管理が非常にきびしいから」「ウチの製品はお客様の生命に直接かかわるものだから供給の責任があって」「ウチの業種は可燃物を大量に取り扱うので消防法のこうるさい設備検査が必要で」「ウチの業界はものすごい多品種少量で、かつ製品のライフサイクルがめちゃくちゃ短いから」「徹底したカンバン方式で工場を回しているから」「完全受注生産でリードタイムが長いから」「小さく高価で壊れやすいから」「場所ふさぎなのにひどく安価だから」etc...
“というわけで、外部の方には我々の問題の難しさはご理解いただけにくいでしょうねえ・・”と続く。
そして結論はというと、
「だから平均的な製造業向けにつくられたパッケージ・ソフトではウチの仕事はうまく取り扱えない」
という風に誘導されるのだ。特殊性を強調されたあげく、ほとんど判で押したかのように、同じ結論にたどり着くところが面白い。そんなことはないのである。
この仕事をやってみるとわかるのだが、日本の製造業が抱えている問題点というのは驚くほど共通性が高いのだ。それは、非常に圧縮した形で表現するならば、『大量・見込み生産の体制を残したまま、多品種少量の受注生産に移行しようとしている』ということになる。だから調達から販売までのサプライチェーンのあちこちで、プルとプッシュが混在しているのである。
したがって、解決の手法も一つの事例できちんと確立してしまえば、あとはかなり応用が利く。若いコンサルタントでも、見習いで3社の事例をやってみたら、4社目からは中核の問題を自分で見つけることができるようになる(むろん、応用問題を解くにはその業種の個別知識と、人を動かし説得できるだけの知恵がいるから、経験もなしにすぐに独り立ちできるわけではないが)。
「パーキンソンの法則」で有名な経営学者C・N・パーキンソンは、「コンサルタントの仕事はミツバチに似ている」と言っている。花から花へ、花粉を運ぶ蜜蜂のように、コンサルタントはある会社で見つけた知恵を別の会社に運んでそこに植え付ける訳である。自分自身では花粉を作り出したりしない(知恵を生み出したりしない)点が面白い。こう書くと怒り出す人もいるだろうが、かなりの程度、真実に近い。
個別性・特殊性の強調は、なんとなく日本の文化に根ざしているのかな、とも思う。丸山真男が『日本の思想』で分析して見せたように、日本では「理論信仰」と「実感信仰」が表うらの関係で支え合っている。外国から直輸入した公式的理論によって現実をばっさりと切ってしまうような風潮と、逆にその防御として、個別の事象・実感をならべたてて共通論理をいっさい否定してしまう態度。まるで「パッケージに業務を合わせろ」「いや業務に合わせてすべてカスタマイズしろ」という水掛け論を聞いているかのようではないか。
面白いことに、私のつきあった範囲では、欧米の会社からはあまりこういう「ウチは特殊だから」論は出てこない。それも当然だろう。彼らはそもそも、みずからの独自性を前提として生きている。一人一人に個性がある、というところから思考は出発する。その上で、個別の事物を包含するイデアが存在する、というのが西欧の哲学だからだ。
哲学抜きで特殊論にしがみつく国には、ただ“諸行無常”の風が吹くだけかもしれない。
「IT革命」なる語が2000年度流行語大賞になるほど、昨年はおじサマたちがIT、ITで浮かれ騒いだ年だった。正月には、例の頼りない首相までがTVコマーシャルでマウスをクリックして“イン博”の宣伝をしていたくらいだ。
騒いだわりに実体が不明瞭なまま、というのがこの国の特徴らしい。手口ときたらいつも同じで、
- アメリカ発の概念論を高級コンサルがまずセミナーで紹介し、
- ついで、いつも流行ネタを追うしか能のない雑誌ジャーナリズムが半端な事例をかき集めて特集し、
- 大手コンピュータメーカが旧製品に化粧直しを施してメニューに付け加えたあと、
- 最後に三流の経営学者が理論化して終わる、
というのがパターンだ。BPRもそうだったし、グループウェアもSISも、もっとさかのぼってEISだのFAなんかも皆そうだ。どれ一つとして私は概念の中核を明確に理解できなかった。中核なんか無いからだ。単なるファッション、風向きに名前を付けていたにすぎない。SCMやMESがかなり繊維質の概念規定から出発したのに比べて、これら流行語は表層にあらわれる効果から命名されていく。
最近のこの手のヒット商品は「e-Business」という用語だろう。これは私は何をいっているのかさっぱり理解できない。「e-Commrece」だったら十分わかる。商取引という、従来紙と電話と面談で行われていたプラクティスをネットワーク上で通信で行おうというものだ。しかしe-Businessとは何なのだ。「ネットビジネス」という語も曖昧模糊として原因不明なることe-Businessと良い勝負だが。
これまでのオールド・エコノミーの商売が低空飛行気味なので、『これからはe-Businessだ』という謎のかけ声があちらこちらの役員室や会議室や居酒屋で飛び交っているようである。電子マーケットの案も似たようなプランがいくつも出回っている。まるでバブル時代のリゾートかゴルフ場計画のようだ。
10年前におかした過ちを、もう一度別のかたちで繰り返したら、今度は悲劇ではなく喜劇というものだ。日本のおじさんというのはまったく懲りない人たちらしい。電子化された爺さんたちの行くさまは、まさに「e-爺ゴーイング」と称すべきものらしい。
→「革新的生産スケジューリング入門」にもどる
(c) 佐藤知一
サイトマップ
このページの冒頭に戻る
e-mail: tomsato@rio.odn.ne.jp