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この地の歴史

土電会館、とでん西武百貨店、高知西武と名を変え、平成14年12月、44年の歴史に幕。

■ ホテルも併設されていた「土電会館」が前身

高知西武は、昭和33年に土佐電気鉄道が建設した「土電会館」が前身です。
これは百貨店、レストラン、映画館、結婚式場、文化ホールまで備えた時代の最先端をいく施設で、土佐電気鉄道のターミナルビルとして建てられました。
土電会館が建つ前は、土佐電気鉄道バスの発着所があるだけで、周囲には木造家屋が建ち並ぶ場所でした。
土電会館は「はりまや橋という高知の顔にふさわしい建物を」という、当時の土佐電気鉄道の社員の方々の思いが結実したものでした。
そして長きにわたり土電会館は「とでん」の愛称で親しまれてきました。

土電会館が建設される前のはりまや橋交差点。
土佐電気鉄道のバスターミナルとして利用されていました。
昭和33年にオープンした「土電会館」が高知西武の前身。
土佐電気鉄道のターミナルビルとして建てられ、百貨店だけでなく、
レストラン、映画館、ホテルも併設されていました。

■ 西武グループの傘下に入り、売場を拡大

土電会館は、オープン当初は順調に業績を伸ばしたものの、徐々に厳しい状況になってきました。
また、自家用車の普及が経営本体である土佐電気鉄道の経営状況に影響を与え、土電会館の存在が経営を圧 迫するようになりました。
昭和46年に四国進出を計画していた西武百貨店と資本提携を結び、昭和48年に「とでん西武百貨店」と 名称を変えて新たなスタートを切り、 昭和49年には大幅な増改築を行って現在の売り場面積となりました。

昭和42年頃のはりまや橋交差点付近。
上方が菜園場方面。
昭和46年、土佐電気鉄道と西武百貨店が資本提携を結び、土電会館は 「とでん西武百貨店」となりました。

■ バブルの終焉、さらに時代の変化に対応できずに平成14年に閉店

バブル景気に向かう昭和50年代後半から平成3年にかけてが、とでん西武の最盛期でした。 売上高は平成3年の126億円をピークにして下降し、閉店直前の平成13年度の売上高は60億円を割り込みました。 平成4年には土佐電気鉄道は資本撤退し、店名も「西武百貨店高知店(略称:高知西武)」と変わりました。 この頃全社的な再建策を進めていた西武百貨店本社の方針に従った業態革新が行われましたが、一時的には効果があるものの長続きせず、赤字体質からは脱却できませんでした。
一進一退を繰り返す中、平成12年にオープンしたイオン高知ショッピングセンターによって決定的に客足が奪われました。平成14年2月に高知西武は閉店を発表し、その年の12月に閉店。

 
閉店直前の高知西武。閉店が発表された直後から、跡地の活用について注目を集め続けていました。

 

平成14年12月に閉店し、空ビルの状態が続いた旧西武跡地。

 

■ 活気のある未来を目指して

 

平成18年7月に解体された旧高知西武跡地。

 

高知の中心地、はりまや橋にあり、活気を取り戻すための計画が急がれています。